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- 【海外から日本への入国情報2021年8月】イタリアからの帰国!PCR検査はどうしたらいいの?
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ローマ
- テーマ:鉄道・乗り物 その他
- 投稿日:2021/09/01 00:00
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緊急報告 日本一時帰国 ローマ ?? 羽田
Buongiorno!
イタリア政府公認旅サポート、マジカ??イタリアの ミミ です。
人の往来を抑えなければならない状況下、 できたら帰りたくないタイミングが今なのにもかかわらず、日本に帰らなければならなくなり大変!
海外にいる日本人が日本に帰ることが、いつになく大変になっています。国は、ウィルスが入る危険性を極力防ぐため、高い壁を作ってその侵入を防ごうとしています。
ローマから東京まで、一時帰国の準備から日本到着までをまとめてみました。
ローマ・フィウミチーノ空港のチェックインカウンター。しばらく来ない間に新しく使いやすそうにリニューアルされていました。マジカ??イタリアは空港などのイタリア政府公認サポートチームです。早く、お仕事に復帰したいなぁ。
これまでは、パスポートと約12時間の飛行機の旅だけで日本に戻れたものが(経済的負担はもちろんですが。汗)現在では多くの書類の準備に加え、日本入国後14日の隔離期間が設けられており、なぜこの時期に〜、という後悔にも似た感情が何度も襲います・・・。
まるで初めての日本行きのような緊張感・・・。
幸い、基本的に日本人の入国は認めているので必要な書類を準備すればOK!
まずは航空券購入。8月は普段なら1番高い時期です。今年は、コロナの影響でそれほど高くないとはいえ、オリンピックがあるので、安くもない。ところが、イタリアでは聖母昇天の日8月15日は、誰もがバカンス地でお祝いをするのが一般的なので、この日がぽっかりと安くなっていたのを発見。ただし、フランクフルト乗り換えで8時間待ちという、過酷な条件。致し方ない、これに決めた!後は必要書類を揃えます。
いろいろなサイトを見て、さまざまな準備が必要だということがわかりました。全体像が見えてくるまでにしばらくネットサーフィン?。あれこれするうちに、ANAさんからメールが送られてきて、必要書類一覧表というチェックリストを発見!そうそうこれこれ、これが欲しかったの! しかし規則はどんどん変わっていくので必ず1番新しい情報をご確認くださいね。
陰性証明書。これが最後までハラハラの原因。
まず5つあるうち1番のハードルはPCRや抗原検査の陰性証明書です。いろいろな種類や検査方法があり、とても複雑。日本に到着して認められないケースも出ているという話なので、ヨーク注意しなければなりません。日本の厚生省の認める様式というのがあるので、それにPCR検査をしたラボに書き込んでもらうのが1番の安全策です。
出発72時間前の陰性証明が必要です。私の場合、フランクフルト経由となるので、フランクフルトから起算するのか、ローマからかと言う問題にぶつかりました。
日本大使館、日本の成田の税関に電話で問い合わせたところ、フランクフルトでトランジットエリアから出ないで、つまりドイツに出国しないで日本行きに乗り換えた場合、最初の出発地ローマから出発前72時間だということを確認。くれぐれも中継地で出国してしまわないようにと日本の税関の方からも念を押されました。
2番目は誓約書です。これはダウンロードし、プリントアウトしてサインします。機内でも古いバージョンのものが配布されましたので、間に合わなかったらそれでも丈夫かな?でも事前にやっておくと安心ですよね!
3番目は健康質問票。オンラインで健康の質問に答えます。すると、受領書のQRコードが送られてくるのでそれをプリントアウトまたはスクリーンショットして持っていきます。
4番目は専用アプリのダウンロード。厚労省の接触確認アプリです。日本に着いてないとこのアプリをアクティベートすることができませんが、ダウンロードだけ出発前にしておきます。
5番目もアプリMySOSのダウンロード。同じく日本に到着してからでないとアクティベートできませんが、ダウンロードしておきます。
そしてもう一つ大事なのは、空港から自宅やホテルへの交通手段を確保することです。電車やバス、タクシーなど公共交通機関は乗れませんので、お迎えの来られない人は厚生省に認められたコロナ対策済みのハイヤーを事前に手配することが必要です。
ドイツでの待ち時間8時間を過ごすための苦肉の策が、ビジネスラウンジの利用。エコノミーの切符ですが、インターネットで予約して39ユーロ也。ラウンジに入るときに必要だったのがグリーンパス(2回目の接種の日にちを確認されました)。もしくは、陰性証明書か回復証明書。この3つが、しばらくは、EUスタンダード、3種の神器(?!)になりつつあるようです。出発まで、ゆったりと過ごすことができました。
とうとう!羽田到着!
成田到着後は、一方通行の順路に従っていくと、唾液の検査結果待合所までの間に、唾液検査はもちろん、全ての書類がチェックされるようになっています。携帯の万歩計アプリによると、羽田空港の歩行距離は3.6km、ローマ・フランクフルト空港では6.7km。正確でなくとも、長い空の旅の後の良い運動になりました。難関は、噂に聞いていた唾液の分泌を助けてくれる梅干しとレモンの絵の前で笑いをこらえること(笑)。外国人にも効果あったのかしら?
この日、飛行機が停止後、蜜を避けるために順番に降機、その後、陰性結果を待ち、荷物を受け取り、全て終了して車に乗るまで約2時間弱でした。
ちなみに、自宅(またはホテルなど)に到着してから、2週間の隔離(待機)期間が始まります。もちろん陰性でも、です。空港からは、生まれて初めてハイヤーで帰る贅沢な旅となりました。仕事柄、よくベンツでお客様と同乗させていただきますが、柔らかい皮のシートに包まれる感覚は、ドイツの車にはない日本風優しさを感じ、くつろぎの帰宅となりました。車に乗るなり、冷たいお水のサービスが嬉しかったです。ホッと一息。お心遣いありがとうございました。
ちなみに、現在では、日本からイタリアへは、日本人は2度のワクチンパスポート(2度目のワクチンから14日が経過していること)があれば、陰性証明や隔離はありませんので、帰りは少し気が抜けそうです。でも、刻々と規則が更新されるので、再度確認が必要なのは、コロナ時代のルール。
隔離中に位置確認をするアプリ
隔離中はアプリで監視されています。抜き打ちでビデオ電話がかかってきたり、居場所確認のためのクリックをする必要があります。早く安心して旅ができる世の中になって欲しいなと思います。
このブログをビデオにもしました。YouTubeのリンクはこちら。https://youtu.be/PF_1TcwDAJc
お土産の準備や、少し変わった空港の様子など、少しだけ旅気分も味わっていただけるかも。ぜひご覧くださいね。
A presto! 次回もお楽しみに。
- 【ワインソムリエ直伝】イタリアラッツィオ州のワインの紹介!
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ローマ
- テーマ:グルメ その他 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2021/05/31 00:00
- コメント(0)
Buongiorno!
イタリア政府公認旅サポート、マジカ??イタリアの ウニ です。
アコンパニャトーレ&ガイド、そして、イタリアソムリエ協会(現FIS)のマスター・ソムリエの資格を持っています。
イタリアは全20州でワインを生産していますが、各州の特徴を、イタリアで役に立つ情報と共にご紹介していきたいと思います。
まず、第1回目は、ラツィオ州のワインです。
ラツィオ州のキーワードは、
?? 白ワインが多い
?? ローマの酒蔵
?? 法王様のワインもあるよ
です。
イタリアの食事にワインは欠かせない、と言っても過言ではありません。
イタリアの首都ローマは、人口280万人を有する大都市。
当然、ワインの消費量も半端ではなく、そのローマっ子の「酒蔵」が、ローマの南東方向にある丘陵地帯 カステッリ・ロマーニ(ローマの城々)です。
ローマからナポリへ向かう時、高速道路に入るとすぐに、左右にブドウ畑が広がっている綺麗な景色が見えてきますが、ちょうどそのあたりです。
ブドウの葉っぱがふさふさしている季節は見事。
冬でも、垣根式のブドウ畑が綺麗に整列して並んでいるのがご覧いただけます。
この辺りで造られるワインには、「フラスカーティ」「カステッリ・ロマーニ」など多くの名称がありますが、白ワインが中心で、ラツィオ州の代表的な白ぶどう品種、マルヴァジア、トレッビアーノなどをブレンドして造ります。
フルーティで飲みやすく、ほろ苦さの残る、さっぱりとしたワインで、中でも、フラスカーティは、16世紀の法王パオロ3世(ティツィアーノが描いた肖像画が有名!)が賞賛した歴史的なワインです。
「白ワインは魚で」と通常言いますが、地元っ子は、この辺りの名物、豚の丸焼きポルケッタを、地元の白ワインに合わせてしまいます。皆さんも是非。
これで気分はローマっ子です。
なお、フラスカーティには、コクのある上級クラスの「フラスカーティ・スーペリオーレ」と、甘く造った「カンネッリーノ・ディ・フラスカーティ」(ちょっと硬めのビスケットにぴったり)が、ラツイオ州のDOCGワイン(統制保証付原産地呼称、イタリア・ワインの各付けで最上級)に指定されています。
ローマの南で造られるワイン
さて、ナポリまでの高速道路をもう少し進むと、今度は、赤ワインの産地があります。
ラツィオ州は、白ワインの生産量が圧倒的(75%以上)なのですが、この辺りでは、土着品種チェサネーゼを使って「チェサネーゼ」(いくつか名称あり)を造っています。
そして、「チェサネーゼ・デル・ピリオ」も、ラツイオに3つあるDOCGワインの一つです。
チェサネーゼは、割とボディがあり、ワインらしいほろ苦さを含むワインで、ローマっ子の大好きな子羊のグリルなどは、是非、チェサネーゼと一緒にどうぞ。
そして、ローマの北のモンテフィアスコーネには、歴史的に有名な逸話のあるワインがあります。
「エスト!エスト!!エスト!!! ディ・モンテフィアスコーネ」、エストは、ラテン語で、ある、つまり、「ある!ある!! ある!!!」という面白い名前です。
12世紀初め、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世のローマでの戴冠式に出席するためローマを目指していたドイツ人のDefuk司教が、従者を先に行かせ、美味しいワインのあった宿屋の入り口に印をつけるように申しつけました。
この従者は、モンテフィアスコーネの宿屋のワインがあまりに美味しかったので、ある!と3回書きました。
司教もワインを気に入り、戴冠式に出席した後、モンテフィアスコーネに戻り、この地で一生を終えたそうで、町の教会には、彼のお墓があります。
ところで、今は、いろいろなワインが法王様のミサに使われているようですが、このエスト・エスト・エストも使われていました。
品種は、マルヴァジアとトレッビアーノを主にブレンドして、さっぱりとした、フレッシュな味わいの、軽く飲めてしまう白ワインです。
ラツィオ州の有名ワイナリーの一つ、Falescoのエスト・エスト・エスト。フルーティでモダン
ラツィオ州の一部のワインだけを紹介しましたが、これからイタリア全州を紹介していきますので、どうぞよろしくお願いします。
A presto! 次回もお楽しみに。マジカ??イタリア
- 【2021年・ブログ観光】フィレンツェのガリレオ博物館!名言「それでも地球は回っている」
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
- テーマ:観光地 その他 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2021/03/11 00:00
- コメント(0)
フィレンツェでもやっと美術館が開きだし、今日はガリレオ博物館、無料ガイドツアーに参加してきました。なんと入場料まで無料。太っ腹です。
一日3回、一回につき10名ほどの限定ツアーで、今のところこのツアーの時だけ博物館を開けています。
博物館にあるガリレオガリレオの胸像
ガリレオガリレイはピサに1564年に生まれ、1642年にフィレンツェの近郊アルチェトリという町で亡くなりました。お墓はサンタクローチェ教会にあります。
ピサ、パドヴァ大学で教鞭をとっていました。
当時は天動説が正説だったのですが、地動説を主張したため、それを理由にカトリック教会から有罪判決を受けてしまったのは有名ですね。
「それでも地球は回っている」と言って亡くなります。
この博物館にはフィレンツェを支配していたメディチ家とロレーヌ家のコレクションが主に展示されています。
アストロラーベ
これはアストロラーベと言って、16世紀の物ですが古代の天文学者や占星術者が用いた天体観測用の器具です。
ガリレオが天体の計算をする際にも用いたため、ガリレオのアストロラーベとも呼ばれています。
これで時間がわかったり、航海における重要な測定機器でもあったそうなので、ある種のアナログ計算機みたいなものですね。
アーミラリー地球儀
こちらはアーミラリー天球儀で、天球上の天体の動きを模した機器です。
1588〜93年にメディチ家のフェルディナンド1世の為に作ったもので、ところどころにメディチ家の紋章もあります。
真ん中は地球で、地球の周りの星の動きを説明しています。
材質は木で金箔が貼られています。
世界で一番大きなアーミラリー天球儀と言われています。
世界地図のコピー
こちらは1457年から59年の世界地図のコピー(本物はベニスのマルチアーナ図書館)ですが、上下が反対になっています。
真ん中の右側にイタリアが描かれていますが、逆さまになっているのがわかります。アジアは左側にあります。
凄く細かく描かれていて、この地図は当時のマルコポーロなどの旅行者の話をもとにして作ったそうです。
ガリレオの天体望遠鏡
そしてこの2つがオリジナルのガリレオの発明した望遠鏡です。材質は木と紙だそうで、そんなに重くないんだそうです。自分自身で2枚のレンズと筒を組み合わせて、20倍から30倍ほどの倍率を持つ望遠鏡を作りました。
レンズ
こちらはガリレオの作ったレンズで1610年にこのレンズで木星の周りをまわる4つの衛星を発見してメディチの星と命名しています。{周りの額は1677年作}このレンズはガリレオからメディチ家のコシモ2世に贈られましたが、間違って壊れてしまったそうです。ガリレオが亡くなるとこのレンズはメディチ家出身のレオポルド枢機卿が保管し、彼が亡くなった後Uffizi美術館の所有になりました。
ガリレオの中指
ちょっと見にくいかもしれませんが、そしてここにガリレオの右手の中指が。。。
彼を科学のヒーローまたは殉教者として表しているのでしょうか?
この指は1737年にピサからフィレンツェのサンタクローチェ教会に遺体を運ぶ際に切り取られたそうです。
それだけではなく、右手の親指と人差し指と歯まで展示されています。
当時の色々な天体望遠鏡
このガリレオ博物館はUffizi美術館のすぐ隣にあるので時間があったら是非寄ってみてくださいね。
- 【2021年・ブログ観光】フィレンツェ観光で見るべき細密画!サン・マルコ美術館とウッフィツィ美術館編
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
- テーマ:鑑賞・観戦 その他 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2021/03/01 00:00
- コメント(0)
ボンジョルノ!フィレンツェのガイドの伊藤裕紀子です。
今日は細密画について書きたいと思います。
細密画はミニチュアールとか、彩画とも呼ばれます。イタリア語ではミニアトゥーラですね。
古代・中世に手書きで複製された本や文章に収録された挿絵のことです。
活版の印刷技術が無かった中世では修道僧たちが手書きで写本し、そして挿絵も制作していました。
フィレンツェではサン・マルコ美術館2階の図書館に展示されている楽譜に書かれた細密画を鑑賞することができます。
「ドメニコ修道会の僧侶たちを守るマリア様」
このように聖書のエピソードや人物が描かれています。
じつはこのマリア様の図には「S」の文字が隠されています。
このページ最初の節の歌詞がSで始まるからなんですね。
このように絵の中に文字が織り込まれていたり、文字自体が装飾されていたりします。
こちらの写真だと楽譜だというのがわかっていただけると思います。
これが印刷ではなく、手書きなのですから大変な労力で制作されていたことがわかります。
当時の写本は大変に高価なものでした。
ところでウッフィツィ美術館には、下のような変わった絵画作品があります。
題名は「細密画本」で、16世紀の作品です。もとはメディチ家のランペッジの別荘に置かれていました。
まるで騙し絵のように細密画の本のページがペラペラと捲られている様子を表現しています。リアルな感じに描かれていますね。
とても珍しいテーマの絵画作品のテーマ、一体、どのような目的で描かれたのでしょう?
じつは本棚の扉の装飾として使用されていたそうです。
ヨーロッパの宮廷にはこのテーマの絵のレプリカが数多く存在するそうです。
15世紀中頃のイタリアではこの「細密画本」のテーマを嵌め木細工でつくって、戸棚の扉などに利用することも流行りました。
また家具に絵画作品(板絵)を使用する例は、長持ち(衣装や調度品を入れる蓋付きの長方形の大きな箱)にもよく見られます。
長持ちの絵画作品はフィレンツェでは特にバルジェッロ美術館に展示されていますよ。
- 【2021年・ブログ観光】ピサの元精神病院と一人のアーティスト
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
- テーマ:街中・建物・景色 その他 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2021/02/25 00:00
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先日ピサ県ヴォルテッラ市にあった元精神病院を見学してきました。
現在は廃墟になっている元精神病院
1888年創設の歴史ある精神病院で、最大時には、イタリア中から患者が集まり4000人以上が40の建物に分かれて住んでいました。
比較的症状が軽い人は、敷地内でパンを作ったり、洗濯したり、庭師などの技術も身につけています。
いくらかの給料がもらえ、町に食料を買いに行くこともできたそうです。
日曜には恒例の看護士対患者のサッカーも行われ、病院関係者の家族もお弁当を持ってここに来て、みんなで食べていたそうです。
ちょっとほっとしました。
博物館には、患者の着ていたシャツとか、電気ショック療法のための機械なども置かれています。
でも今回、注目をしたのは1人のアーティストです。
Foto da Manicomio di Volterra autorizzato
フェルナンド 若い頃の写真
フェルナンド・オレステ・ナンネッティは、父親を知らずに1927年ローマで生まれました。7歳の時に母にも捨てられてしまいました。
その後、孤児院に入り、10歳で精神に支障があると判断されました病院で重症の脊髄炎が見つかり長い入院生活を余儀なくされています。
1948年には、警官に反抗したという理由で裁判にもかけられますが、精神異常という判断で、訴訟は却下され、ローマの精神病院に入ります。
そして、1958年にヴォルテッラの精神病院に移ります。
ここに滞在中に、病院の壁にグラフィックデザインを刻み始め、これが芸術的にも、歴史の資料としても評価されています。
アーティスト名、NOF4としても知られています。
1973年にこの精神病院を退院して、ヴォルテッラの町に住み、1994年に生涯を終えました。
病院の外壁のグラフィック
彼は、病院の外壁に、制服の一部だったベルトのバックルを使いながら、文字や絵、数字を刻みます。
これは、大きな壁に書かれた日記、そして手紙なのです。手紙のあて先は、空想上の高貴な両親です。
彼のサインは、NOF4。
名字、名前の頭文字に数字の4を加えたもの。
4は、ここに入館した時に与えられた彼の個人番号だそうです。
時には、宇宙工学鉱山技師になったり、英雄の大佐になったり、核泥棒になったりしながら、左から右へ、右から左へ、自由自在に刻んでいきます。
長さは180メートル、高さは2メートルにも及びます。
そこには、ファンタジーあふれる話や、解読不可能なものもあるのですが、中にはこんな記述もあります。
「病院の中の人の10%がテレビから出ている磁気放射によって死に、40%の人が他人から病気を移されて、または他人に病気を移して死に、あとの50%の人は、他人に対する、または自分に対する憎しみや怒りによって死んでいく。」
どきっとさせられる言葉です。
近くの川の石を拾ってきて患者たちが造った庭の階段
1978年のバザーリア法により、精神病院が閉鎖されたあと、美術研究者が作品の重要さに気づき、写真を撮り保存しました。
1985年には本も出版され、彼にも報酬が届きましたが、受け取りを辞退しています。その後、彼の作品は映画に使われたり、ドキュメンタリー映画が製作されたりもしています。
現在では、大変稀で、重要なアウトサイダーアートとして評価されています。
グラフィック以外に彼の残した手紙やメモは、1700ページにも及びました。
死後、その大部分が紛失してしまっていますが、すべてがコピーされ保存されています。
建物に刻まれたグラフィックは、病院閉鎖後、徐々に崩れてしまい、2011年には53メートルのみが残りました。
2012年から壁をはがして、博物館に移しています。
こうして歴史的にも文化的にも貴重な資料を保存する方向に作業がすすめられています。
壁を保存するためにも、機会がある方は、ぜひ訪れて見てください。
見学 月、水、金 一日三回 予約要 イタリア語ガイド付き
見学時間 2時間半。金額 10ユーロ
*ここでのチケット代金は、壁の保存に使われます。
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