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- ご存知でしょうか?イタリアのバーチャル観光 良いところ/悪いところ
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア
- テーマ:観光地 その他
- 投稿日:2020/12/07 00:00
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ローマのガイドの原井シュウジです。
人生の丁度半分をこのイタリアで在住している私は100%日本人!
日本人が大好きだし、できることなら毎日日本食を食べたいと思っている。職業は日本の皆様のための観光ガイドだ。つまりこのコロナ禍で、当然の事ながら日本からの観光客はゼロなので、あれこれ10ヵ月近くも実際の観光ガイドはやっていないコロナ・プー太郎(草)...
といっても、実は結構忙しい毎日を送っている。というのは、この時期、バーチャル観光たるものが流行ってきていて、それに関わるいろんな新しい作業に追われているのだ。バーチャル観光とは、インターネットを介して送信された観光地の映像と音声を観て、観光している気分に浸る?!というもの。私は、正直いってバーチャル観光などと言うものには懐疑的だった。観光といったらや〜っぱりその土地を自分で歩いて、人と出会ったり、その土地の空気を吸って、実際に食べたり、触れたりするのがいいんであって、誰がスクリーンの中で展開される観光にお金を払うだろうか、と考えたのだ。
ところが意外と今の時代、多くの人は状況に順応してか、このバーチャル観光に手頃な観光感覚を見いだしたようで、結構流行ってきているのだ。ところで、バーチャル観光には2つある。ひとつは動画を編集したもの。これだったらSNSでも10分程度のものからあり、気軽に見ることができる。もうひとつは、ZoomやGoogle Meetなどのプラットフォームを使い、現地からのライブで観光地の様子をリアルタイムで見学するというものだ。この場合は、ある時刻にネット上でガイドさんと待ち合わせをして観光する。例えばコロッセオやフォロ・ロマーノの遺跡、
トレビの泉、スペイン広場、サン・ピエトロ広場を廻るローマの定番コースだったら、リアル観光だと6時間の終日観光になるのだが、バーチャル観光だと、なんと1時間で廻れてしまう!すごくない?!
でもこれを実現するのは、さほど簡単ではない。本来コロッセオからトレビの泉に移動するだけでもリアル観光だと30分はかかるからだ。確かにその移動時間も実際には楽しい時間なのだが、バーチャル観光の場合は奥の手を使って、コロッセオからトレビの泉にパッと画面が写り変わる方がカッコイイってゆうか合理的なのでは? でもそれを実現するためには、トレビの泉に別のガイドが待っている必要がある。さてトレビの泉の説明を聞いてガイドが皆さんのためにコインを投げたりジェラートを食べたりした後は、又違うガイドがサン・ピエトロ広場で待っているといった具合にツアーが進められていく必要があるのだ。
さらに、歩いたり説明したりしながら、安全にかつ良い映像を提供するためには、一つの観光スポットにつき、ガイドが2人1組で配置されていることが望ましいだろう。プラットフォームのホスト役もいるから最低7人のチームが必要だ!!そしてその7人のメンバーが、息を合わせて一つのツアーをまとめるためには、台本を書いたりリハーサルしたり
・・・・というように、たった1時間のバーチャル観光のために、私たちのたくさんのエネルギーと皆様へ思いが費やされているのである。
- 私の人生を予言した不思議な女性のはなし
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>ローマ
- テーマ:留学・長期滞在 その他
- 投稿日:2020/10/30 00:00
- コメント(0)
私は、音大の卒業式の次の日に渡米して、1993年にニューヨークからローマに旅をしにやって来た青年。。。だった。
1991年の第一次湾岸戦争の時はニューヨークにいた。
その時、国連やその近辺のオフィスなどは、テロの危険性のために封鎖されてしまっていたのだが、そこで仕事にあぶれた奴らが、私の行きつけのクラブにも飲みに来ていたので、彼らとしばしば世界情勢やその裏話について語り合ったものだ。
ある晩、私はいつものクラブに行こうと、いつものようにタクシーを止め、乗車すると、ドライバーは女性だった。ちょっとふくよかで、上まぶたがふっくらした綺麗な女性だった。
ニューヨークは当時アメリカで最も犯罪率の高い都市だったので、「こんなに遅い時間に女性で、危ないことはないのですか?」と尋ねると彼女は「私は、未来がよめるんです。」と言う。
私は論理的でない事など信じない人だったので、ホントにニューヨークには変わった人間がいると思った瞬間、彼女は私の単純な未来を話し始めた。それは「あなたはもうすぐ長い旅に出るでしょう。」から始まるものだった。
それからたったの1週間後に私は、今はなきTWA航空でローマを訪れ、それ以来、今もローマにいる。
あの時、あのタクシーに乗った時、バックミラーに写った私の姿から、どうやってこのことを言い当てることが出来たのだろうか、、、不思議でたまらない。
今でも私は非科学的な事など信じないのだが、なぜか今私は、彼女があの時に言った長い旅をしている最中なのだと思えてくるのである。
実は、私がローマに来た時、ガイドブックも持ってこなかった(あはは)。今のように携帯はおろか、スマホやインターネットもない時代だったので、ローマがこんなに重要な観光地だったなんて事は、実は知らなかった(おほほ)。
私がローマに来た理由は、単に誰かと出会いたい的な不純な理由からだったのです(いひひ)。
それはともかく、どうやらこの私の長い旅とは、多くの旅人を案内するための旅のことだったようだ。
今や私はイタリア政府公認ガイドの免許を取得して、日本の旅人をローマやその他イタリアの各地に案内させて頂いている。
その時私が話す事は、歌って踊って恋しての平和なイタリア人のことや、美しい街の美術品、偉大な建造物の話ばかりではない。
その平和を守るために起こった数多くの戦争の話しである。
そういえば近年も世界は私たちが夢見るような常に平穏なものではなかった。
2001年の同時多発テロ事件に続いて、第二次湾岸戦争、各地で起こるイスラム原理主義者によるテロ事件、さらに私たちを産んだ自然界でさえも、時には私達をふるいにかける。
今回の目に見えない敵は、たくさんの人々の命を奪った上に、企業が倒産したり、観光業界にも打撃を与え続けている。
考えてみたら私たちのような生命は、戦いに勝つために進化して来たのだから、これも自然の摂理なのかもしれない、なぁんて理屈に酔っている場合ではない。
ローマの観光客は3月の頭からゼロになり、すぐさまイタリアは2ヶ月以上のロックダウンで外出禁止地獄。
それが解除された今、街は活気を取り戻しつつあるように見えるのだが、余談は許されない。
いつまでこんな状態が続くのだろうか。
こんな時にあのちょっとふくよかな女性のキャブドライバーが現れてくれたら、私にこれからの未来を教えてくれたかもしれないのだが。あの方は天使のようだったな〜。
そういえば、ローマはたくさんの天使がいる街。
サンタンジェロ橋にかかるベルニーニ作の天使像
以前、お客様に「心霊スポットを案内してください」とリクエストを頂いたことがあります。
しかし私は霊感0なので、有名な幽霊話がある場所をご案内差し上げました。
それがサンティッシマ・アンヌンツィアータ広場に面したブディーニ・ガッタイ宮殿です。
16世紀にバッチョ・ダーニョロが設計し、アンマンナーティが完成させた宮殿です。アンマンナーティはミケランジェロの設計からインスピレーションを受け、ガッタイ宮殿の建築に役立てたと言われています。
この建物の三階、一番右の窓をご覧ください。よろい戸が半分折り曲げて開いています。
この内側の窓がいつも開けたままになっているんです。
この窓に関して二つの言い伝えが残っています。
【伝説1】
ある貴族の女性がこの窓から外を眺め、恋人が戦争から帰ってくるのを待っていたそうです。窓の横に椅子を置き、縫い物をしながら、くる日も来る日も…
しかし恋人は帰ってこず、女性はその部屋にこもって死ぬまで離れませんでした。
彼女の遺体が部屋から運び出された後に、親族がその窓を閉めようとすると大きな音がして、親族は窓を再び開けざるをえなかったそうです。
それから窓はいつも開けられ、よろい戸も半分開けられて、広場が見下ろせるようになっています。
【伝説2】
宮殿前の広場にはメディチ家の当主フェルディナンド1世の騎馬像があり、その視線がちょうどこの窓に向いています。
実はこの部屋にフェルディナンド1世の恋人が住んでいました。
女性には夫がいましたので、つまりはフェルディナンドと不倫関係だったのです。
夫は女性がこの窓を開くことを禁止していました。
たとえブロンズ製の騎馬像とはいえ、妻が恋人をうっとりと眺める姿を見たくなかったのでしょう。
伝説2から伝説1が生まれたとされますが…
この建物が16世紀に建設された時は2階建でした。3階は18世紀に増築されてできたので、伝説2もありえないのですね。
どうやら館の主人の奥さんの不倫騒動が、伝説2の由来なんだそうです。
とにかくも3階の窓がいつも開いているのは真実なので、宮殿前を通りかかる時にこんな話をしてみるのも面白いですね。
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