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エリア:
- アジア > ネパール > カトマンズ
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テーマ:
- ハイキング・登山
前回に続いて今回も他人の土俵に上らせてもらいます、、一応ベースはグァテマラですが、基本的にわたしは旅人なので時々いろんなところから発信したくなってしまいます、、ということで、このエリアご担当の皆様にまずお詫び申し上げます(主に4社の方々のブログを参考にさせてもらってます)、、かつネパールのトレッキング模様を自分のブログから転載させていただくことをお許し請うしだいです、、また以下のエリアのほかにも旅録載せてますので参考にしていただければ幸いです(以下のプログは転載なのでその前後がわからないと不明な部分があるかもしれません、、またこのトレッキングは2013年9月の記録です)、、前にも紹介してますがアドは http://dokhakudokgo.cocolog-nifty.com です、、
<一日目 カトマンドゥ〜チサパニChisapani>
チサパニは、ガイドブックや地図によってはチソパニChisopaniと表記されていることもあって、その違いを聞いてみたらどちらもでもいいらしく‘冷たい水’と教えてもらった(ネパール語・ヒンズー語でPaniが水で、タトパニは温水、あるいは温泉を意味するらしいことは前に聞いていた)、、そのチサパニはどこにあるのか調べてみて意外なことを発見する、、それはあのランタントレッキングで出会ったT.H氏がその後辿るといっていたゴサインクンド〜ヘランブールートの出口?最終宿泊地がこのチサパニだったのである、、実はそのコースは逆ルートも人気があるらしく、だからこれから行くミニトレッキングはそのゴサインクンド〜ヘランブールートの最初の部分を歩くということのようだった、、で、ちょうど一日分の距離になるチサパニまでは、カトマンドゥからバスで行ける最終地点スンダリジャルSundarijalという村までバスを利用するとのことだった、、
その朝は明け方から雷雨で、それでもいくのかやめるのかちょっと迷いがあったが、Chhapte氏が来たときはもう雨は上っていた、、久しぶりのまとまった雨でカトマンズの街路は水浸しであちこち冠水して靴を濡らさずに歩くのは至難の業であった、、スンダリジャルまで行くバスはカトマンドゥからは出てなくて、カトマンズ郊外にある世界最大級のストゥーパがあることで有名な世界遺産の街ポダナートBoudhanathで乗り換えるとのことで、そこまでは客が集まり次第出発するミニバス(乗り合いワゴン車)で20分、わたしはそのボダナートのストゥーパを目にすることがなかったのだけれど、あとから聞いたらそこの前でわれわれは降りたらしく、すぐに来たバスに乗りかえて、そこからは40分くらい?いずれにしろカトマンドゥからは1時間くらいで8時にはスンダリジャルに着いていた、、しかしそれはやはりガイド氏あっての話で、彼なしでこんな芸当(最短時間で目的地に着くという)はできるわけなく、今回も最初から頼りっぱなしで楽してしまったが、ほんとは旅はもっと苦労したほうがよいのだ??、、バスを降りると一本道が山に向かって続いていて、その道沿いの茶店で軽い朝食をとっての出発となった、、
その茶店の前の、そこはバイクならなんとか通れそうだったが車は通れない道にしっかりした、かなり太い管が山のほうから導かれていた、、この上がカトマンズの水源でそこから引かれた水道管とのことだった、、そしてその向こうは沢になっているようだった、、その沢沿いの石畳の道はいきなりきつい登りになった、、それでもこの辺まではカトマンズの若い人たちのハイキングスポットらしく、滝のある場所には展望台?が造られていていて若い男女の姿もみられた、、その先もりっばな山道で、かつ道路の補修なんかもしていたから、どうやらこの道は地元民の生活道路でもあったらしい、、その上には村があったから住民の行き来も多かった、、通学の子供たちの姿もたくさんみて、この道を通勤・通学で毎日上り下りするのは容易なことではないと想像できた、、少なくとも登り始めて30分、やっと峠らしいところまで休みなしで登ったが、わたしの疲れ方は毎日ここを登ったりは到底無理だということを物語っていた、、予想以上のきつさに、そこで少しの休みをもらわざるを得なかったのだが、ちょうどそこがチェックポストになっていて、このトレッキングエリアの入域料を払うところだった、、もちろん地元民はその必要がなかったが、わたしだけ250Rsの支払い、思ったより安かったが去年は150RsだったとChhapteがいっていた、、そこからいったん少し下がって先ほど右に見ていた沢の水源となる池を巡る、、そこがカトマンドゥの水源地とのことだった、、そのあたりから再び登りとなったが、その登りもかなりきついものだった、、が、しばらく登り続けると樹林帯を抜けカトマンドゥ盆地が一望できるところに出た、、天気はよく休むのにちょうどよいところだった、、しかし登りはなおも続く、、どこから繋がっているのか時々ジープ道を横切った、、ところどころに農家が点在、地元民や通学の子供たちとも行き交い、休み休みだが登り続けてやっとスンダリジャルから2時間、最後の茶店のある山の上の村ムルカルカMulkharkaに着いた、、
<写真説明>タイトル画像はスンダリジヤルから1時間くらい登った辺りからカトゥマンドゥ盆地、以下は上からシバプリ国立公園ゲート、2番目;チェックポスト、3番目;カトゥマンドゥ盆地、4番目;通学の少女たち




まだ10:15分だったがこの先民家も茶屋もないからここで昼食をとったほうがよいとのことで、軽い食事で早めの昼食とした、、そこを11時に発つ、そこからはあまり見通しのきかない広い尾根道を行くことになったが、傾斜はだいぶ楽になった、、しかしそれでもずっと登りだった、、時々降りてくるトレッカーや山仕事の地元民に出会う、、深くえぐれたきり通しや樹林帯、ところどころ草地や岩肌の露出した道を45分登って15分休み、また45分登ってタルチョはためく峠に着いた、、そこがこのルートの最高地点とのことだったが、そこはせいぜい2400mの樹林帯で展望はなかった、、が、そこからは登りはなくずっと下りで早ければ30分でチサパニに着くとのことだった、、少し下ったところが草地になっていて展望台が造られていた、、そこにアーミイが数人いて、あとで一緒に下ることになったが、チサパニの手前に駐屯地があって、ま、このエリアの巡回と運動をかねた職務中のようだった、、で、そこからは展望台があるくらいだからゴサインクンド〜ランタンヒマールの山々が大パノラマとなって見えるはずだった、、しかし峠の向こうは晴れていたのだけれどこちら側はまことに残念ながら雲が覆ってて何も見えなかった、、なのでそのまま下り続けた、、すると5分くらい下ったところにまた展望台があった、、もちろん晴れていれば同じように見晴らしのよいところ、、そこには誰もいなかったので少し休憩、そこから下に村が見えていて、そこがチサパニと教えてくれたが、まだずいぶん遠そうだった、、ちょうどそこから下りかけた頃に兵隊さんたちも下ってきて、Chhapteはその一人とネパール語でいろいろ話しながら一緒に下っていった、、いずれにしろこの山岳エリアには、次の日も山間のキャンプ脇を下っていったが、かなりの数のアーミーキャンプが点在していて、少なくとも内政的には、あるいは表面的には政情は安定しているように見えていた眼には、その存在の意味を図りかねていた、、ま、軍の力が強い国はまだまだ多々あるのだが‥??
<写真説明>上から順にMulkharka村の分岐、蛇に遭遇、展望台からチサパニ村を見る、チサパニ村のホテル群




その展望台から30分、ずっと下りだったが結構途中途中休憩していたから峠からは50分かかってチサパニに着いた(13:40)、、思っていたより早かったのだが、それはわたしの勘違いによるものだった、、実はわたしはチサパニはずっと河の畔にあるものとなぜか思い込んでいた、、ところが着いたところは2200mの尾根の上だったのだ、えっ?ここがチサパニとうれしい驚き、と同時にとんでもない驚きがもうひとつ起こった、、やっと着いたと思った瞬間手のひらに異物を感じ、見ると得体の知れない物体が付着していた、、払っても取れない、、何だこれ!?と声をだすとChhapteが飛んできて払い落としてくれた、、その痕から血が止まらなくなったがこいつがヒルかとすぐに了解、、しばらく出血のためその箇所を押さえてなくてはならなくなった、、それでもここはトレッカーの数は少ないとはいえゴサインクンド〜ヘランブー、あるいは明日われわれがいくナガルコットヘのトレッキングルートになっていたから、ランタンルートに劣らぬレベルのホテルが何軒かあって、そのうちの一軒をその日の宿とした、、宿のレベルもさることながら尾根上にあって遮るもののないここからの眺めは、晴れていれば素晴らしいだろうと想像できたが、あいにく遠くの山は濃い雲に覆われたままでその姿を目にすることはできなかった、、仕方なく、その尾根上の数十mに数軒しかないホテル街(?他は何もない)をちょっとぶらついてからは部屋に戻って昼寝でもするしかなかった、、いや、そうとう疲れていたのであった、、その日の宿泊客はそれでもドイツ人の若い女性ひとりとスペイン人の中年夫婦一組がいた、、夕食時に顔を合わせたが、英語も堪能なChhapteが彼らの相手をしてくれ、というより彼らはどちらもガイドを連れてなかったので、特に登山に関心のあったスペイン人の夫婦にとっては貴重な情報源だったしChhapteにとっても新しい客の獲得という意味でその席は重要な場となった、、お陰で先に食事を終えたわたしはロキシーをもらって先に床につくことができたのだった、、
‥つづく
<一日目 カトマンドゥ〜チサパニChisapani>
チサパニは、ガイドブックや地図によってはチソパニChisopaniと表記されていることもあって、その違いを聞いてみたらどちらもでもいいらしく‘冷たい水’と教えてもらった(ネパール語・ヒンズー語でPaniが水で、タトパニは温水、あるいは温泉を意味するらしいことは前に聞いていた)、、そのチサパニはどこにあるのか調べてみて意外なことを発見する、、それはあのランタントレッキングで出会ったT.H氏がその後辿るといっていたゴサインクンド〜ヘランブールートの出口?最終宿泊地がこのチサパニだったのである、、実はそのコースは逆ルートも人気があるらしく、だからこれから行くミニトレッキングはそのゴサインクンド〜ヘランブールートの最初の部分を歩くということのようだった、、で、ちょうど一日分の距離になるチサパニまでは、カトマンドゥからバスで行ける最終地点スンダリジャルSundarijalという村までバスを利用するとのことだった、、
その朝は明け方から雷雨で、それでもいくのかやめるのかちょっと迷いがあったが、Chhapte氏が来たときはもう雨は上っていた、、久しぶりのまとまった雨でカトマンズの街路は水浸しであちこち冠水して靴を濡らさずに歩くのは至難の業であった、、スンダリジャルまで行くバスはカトマンドゥからは出てなくて、カトマンズ郊外にある世界最大級のストゥーパがあることで有名な世界遺産の街ポダナートBoudhanathで乗り換えるとのことで、そこまでは客が集まり次第出発するミニバス(乗り合いワゴン車)で20分、わたしはそのボダナートのストゥーパを目にすることがなかったのだけれど、あとから聞いたらそこの前でわれわれは降りたらしく、すぐに来たバスに乗りかえて、そこからは40分くらい?いずれにしろカトマンドゥからは1時間くらいで8時にはスンダリジャルに着いていた、、しかしそれはやはりガイド氏あっての話で、彼なしでこんな芸当(最短時間で目的地に着くという)はできるわけなく、今回も最初から頼りっぱなしで楽してしまったが、ほんとは旅はもっと苦労したほうがよいのだ??、、バスを降りると一本道が山に向かって続いていて、その道沿いの茶店で軽い朝食をとっての出発となった、、
その茶店の前の、そこはバイクならなんとか通れそうだったが車は通れない道にしっかりした、かなり太い管が山のほうから導かれていた、、この上がカトマンズの水源でそこから引かれた水道管とのことだった、、そしてその向こうは沢になっているようだった、、その沢沿いの石畳の道はいきなりきつい登りになった、、それでもこの辺まではカトマンズの若い人たちのハイキングスポットらしく、滝のある場所には展望台?が造られていていて若い男女の姿もみられた、、その先もりっばな山道で、かつ道路の補修なんかもしていたから、どうやらこの道は地元民の生活道路でもあったらしい、、その上には村があったから住民の行き来も多かった、、通学の子供たちの姿もたくさんみて、この道を通勤・通学で毎日上り下りするのは容易なことではないと想像できた、、少なくとも登り始めて30分、やっと峠らしいところまで休みなしで登ったが、わたしの疲れ方は毎日ここを登ったりは到底無理だということを物語っていた、、予想以上のきつさに、そこで少しの休みをもらわざるを得なかったのだが、ちょうどそこがチェックポストになっていて、このトレッキングエリアの入域料を払うところだった、、もちろん地元民はその必要がなかったが、わたしだけ250Rsの支払い、思ったより安かったが去年は150RsだったとChhapteがいっていた、、そこからいったん少し下がって先ほど右に見ていた沢の水源となる池を巡る、、そこがカトマンドゥの水源地とのことだった、、そのあたりから再び登りとなったが、その登りもかなりきついものだった、、が、しばらく登り続けると樹林帯を抜けカトマンドゥ盆地が一望できるところに出た、、天気はよく休むのにちょうどよいところだった、、しかし登りはなおも続く、、どこから繋がっているのか時々ジープ道を横切った、、ところどころに農家が点在、地元民や通学の子供たちとも行き交い、休み休みだが登り続けてやっとスンダリジャルから2時間、最後の茶店のある山の上の村ムルカルカMulkharkaに着いた、、
<写真説明>タイトル画像はスンダリジヤルから1時間くらい登った辺りからカトゥマンドゥ盆地、以下は上からシバプリ国立公園ゲート、2番目;チェックポスト、3番目;カトゥマンドゥ盆地、4番目;通学の少女たち




まだ10:15分だったがこの先民家も茶屋もないからここで昼食をとったほうがよいとのことで、軽い食事で早めの昼食とした、、そこを11時に発つ、そこからはあまり見通しのきかない広い尾根道を行くことになったが、傾斜はだいぶ楽になった、、しかしそれでもずっと登りだった、、時々降りてくるトレッカーや山仕事の地元民に出会う、、深くえぐれたきり通しや樹林帯、ところどころ草地や岩肌の露出した道を45分登って15分休み、また45分登ってタルチョはためく峠に着いた、、そこがこのルートの最高地点とのことだったが、そこはせいぜい2400mの樹林帯で展望はなかった、、が、そこからは登りはなくずっと下りで早ければ30分でチサパニに着くとのことだった、、少し下ったところが草地になっていて展望台が造られていた、、そこにアーミイが数人いて、あとで一緒に下ることになったが、チサパニの手前に駐屯地があって、ま、このエリアの巡回と運動をかねた職務中のようだった、、で、そこからは展望台があるくらいだからゴサインクンド〜ランタンヒマールの山々が大パノラマとなって見えるはずだった、、しかし峠の向こうは晴れていたのだけれどこちら側はまことに残念ながら雲が覆ってて何も見えなかった、、なのでそのまま下り続けた、、すると5分くらい下ったところにまた展望台があった、、もちろん晴れていれば同じように見晴らしのよいところ、、そこには誰もいなかったので少し休憩、そこから下に村が見えていて、そこがチサパニと教えてくれたが、まだずいぶん遠そうだった、、ちょうどそこから下りかけた頃に兵隊さんたちも下ってきて、Chhapteはその一人とネパール語でいろいろ話しながら一緒に下っていった、、いずれにしろこの山岳エリアには、次の日も山間のキャンプ脇を下っていったが、かなりの数のアーミーキャンプが点在していて、少なくとも内政的には、あるいは表面的には政情は安定しているように見えていた眼には、その存在の意味を図りかねていた、、ま、軍の力が強い国はまだまだ多々あるのだが‥??
<写真説明>上から順にMulkharka村の分岐、蛇に遭遇、展望台からチサパニ村を見る、チサパニ村のホテル群




その展望台から30分、ずっと下りだったが結構途中途中休憩していたから峠からは50分かかってチサパニに着いた(13:40)、、思っていたより早かったのだが、それはわたしの勘違いによるものだった、、実はわたしはチサパニはずっと河の畔にあるものとなぜか思い込んでいた、、ところが着いたところは2200mの尾根の上だったのだ、えっ?ここがチサパニとうれしい驚き、と同時にとんでもない驚きがもうひとつ起こった、、やっと着いたと思った瞬間手のひらに異物を感じ、見ると得体の知れない物体が付着していた、、払っても取れない、、何だこれ!?と声をだすとChhapteが飛んできて払い落としてくれた、、その痕から血が止まらなくなったがこいつがヒルかとすぐに了解、、しばらく出血のためその箇所を押さえてなくてはならなくなった、、それでもここはトレッカーの数は少ないとはいえゴサインクンド〜ヘランブー、あるいは明日われわれがいくナガルコットヘのトレッキングルートになっていたから、ランタンルートに劣らぬレベルのホテルが何軒かあって、そのうちの一軒をその日の宿とした、、宿のレベルもさることながら尾根上にあって遮るもののないここからの眺めは、晴れていれば素晴らしいだろうと想像できたが、あいにく遠くの山は濃い雲に覆われたままでその姿を目にすることはできなかった、、仕方なく、その尾根上の数十mに数軒しかないホテル街(?他は何もない)をちょっとぶらついてからは部屋に戻って昼寝でもするしかなかった、、いや、そうとう疲れていたのであった、、その日の宿泊客はそれでもドイツ人の若い女性ひとりとスペイン人の中年夫婦一組がいた、、夕食時に顔を合わせたが、英語も堪能なChhapteが彼らの相手をしてくれ、というより彼らはどちらもガイドを連れてなかったので、特に登山に関心のあったスペイン人の夫婦にとっては貴重な情報源だったしChhapteにとっても新しい客の獲得という意味でその席は重要な場となった、、お陰で先に食事を終えたわたしはロキシーをもらって先に床につくことができたのだった、、
‥つづく