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みゅうローマ発信 現地情報

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みゅうローマ
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ヨーロッパ>イタリア>ローマ
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みゅうローマ
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Myu Rome
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ヨーロッパ>イタリア>ローマ
会社電話番号:
+39-335-750-1984
業種:
旅行業
自己紹介:
イタリア国内の旅行関連手配をしています。オリジナル定期観光バス・みゅうバス、レストラン、通訳、ガイド、アシスタント、送迎サービスなどを手配しています。何なりとご相談下さい。

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カンパリ
【イタリア】世界中で有名なカンパリ
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>ミラノ
テーマ:観光地 グルメ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2022/04/12 00:00
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日本でもおなじみのリキュール「カンパリ」。

ミラノ県のセスト サン ジョバンニにある「ガレリア カンパリ」は、1904年から2007年までカンパリが製造されていた場所にある、カンパリ博物館です。

 

★ガレリア カンパリの歴史と特徴

ガレリア カンパリはカンパリ誕生150年にあたる2010年にオープンしました。

ガレリア カンパリの歴史は当然「カンパリ」の歴史なしには語れません。

「カンパリ」は創設者の苗字です。

ガスパレ カンパリは1828年、ロンバルディア州パヴィア県で生まれ、トリノの有名なカフェで修行したことで、有名店の秘密を学ぶこととができました。

1860年ごろ、1864年に解体された現在のドゥオモ広場にあったコペルト デイ フィジーニにミラノでの初めての店舗をオープン!

ガスパレ カンパリは美しい赤い色の「BITTER CAMAPRI」をハーブやエッセンスの知識をもとに開発!

現在でもこの「ビッテルカンパリ」のレシピはシークレット。

1867年にミラノのアーケードがオープン(ガスパレ カンパリの息子であるダヴィデ カンパリの誕生した年)。アーケード内に「カフェ リストランテ カンパリ」が誕生しました!

現在のドゥオモ広場からアーケードに入って右側部分ですが、現在は別の飲食関係のお店が入っていて、「カフェ リストランテ カンパリ」の面影はまったくありません。

ガスパレ カンパリの時代は、アーケード内でリキュールを製造していたなんて、今の日本だったら銀座のど真ん中でリキュール製造しているようなものなので、びっくりです!

カンパリを作ってミラノの中心地で商売を始めたお父さん(ガスパレ カンパリ)もすごいけど、息子(ダヴィデ カンパリ)がさらにすごかった!

1867年にヴィットリオ エマニュエル II世アーケードで初めて誕生したミラネーゼのダヴィデ カンパリ。

自分たちの店舗分の製造から、大量生産、海外輸出まで生産量を増やしました!

ダヴィデ カンパリは1915年に「カフェ リストランテ カンパリ」の向かい側に「バール カンパリーノ」をオープン。

ここではビッテル カンパリ(日本でも販売されている瓶のリキュール「カンパリ」)にフォーカスし、「カンパリ セルツ」(ビッテル カンパリとソーダ)がこのモダンなバールの多くのお客様に支持されることとなりました。

1932年に、カンパリ ソーダが、初めてすぐに飲める形のアペリティーボとして販売され、このボトルはイタリアンデザインのシンボルともなる美しいもので、ダヴィデ カンパリのマーケティング力がいかにすごかったかがわかりますね!

デザインもアールヌーボーからイタリアの未来派に移行していきました。

上品でモダンだけどクラシック、製品を通してブランド力をアップすることを成功させる!という、偉業を成し遂げたと言っていいでしょう。

ミラノの記念墓地のカンパリ家のお墓(最後の晩餐の彫刻!)にも「DAVIDE CAMPARI」と大きく刻まれています。

1904年から、製造はミラノ県のセスト サン ジョバンニにダヴィデ カンパリによって移されましたが、時代が進むにつれ、セスト サン ジョバンニも大きな町になったため、現在ではノビ リグレに製造拠点が移動しています。

製造場所の移転がなければ、現在の予約すれば一般人でも見学できる「ガレリア カンパリ」、カンパリ博物館は存在しなかったことでしょう。

★ガレリア カンパリでのお勧め

ガイドつきツアーでの見学(約90分)であまり勝手な行動はできませんが写真撮影もできるし、参加者が自分のSNSにアップすることにも好意的!

私が確認したところ、「どんどんアップしてくれてかまいませんよ〜。アップしてくれたらうれしいです。」という回答でした。

3フロアーにわたってされている展示なので、自分の興味のあるところは説明を聞いて、それほどでもないところでは写真を撮ったりすることに時間を使うといいと思います。

  

   

カンパリにはオレンジが使われているのがよくわかるし、カンパリの美しい赤色や、ビン詰めで販売されるカンパリソーダがお洒落に使われていて、さすがイタリアと納得させられます。

 

ミラノのトラム(路面電車)のつり革で、下に引っ張ると広告が変わるすぐれものも!

今のようにスマホがない時代、トラムに乗っている時間にできることは、新聞を読むとかだと思いますが、立っていたら揺れるからなかなかそれもできなかったから、これはすごい宣伝効果だったのでは?

見学の最後にショップもあります。

そんなにたくさんのものはないですが、個人的にはランチョンマットはお洒落で、カンパリをある程度知っている人にはすごく喜ばれると思うし、知らなくてもお洒落なので喜ばれるんじゃないかな?

お洒落なポスターなども購入できるので、キッチンやリビングに飾るとお洒落だと思います。

同じツアーに参加していた人(私以外すべてイタリア人)もけっこう購入したいました!

★その他のおすすめ

残念ながら、ガレリア カンパリ内では試飲もないしバールもないので、カンパリは飲めません(笑)

せっかくなので、見学の後、ミラノのドゥオモ広場に戻って、ヴィットリオ エマニュエルII世アーケド入り口にある1915年にダヴィデ カンパリがオープンした「カンパリーノ」でぜひアペリティーボ(食前酒)を!

ミラネーゼっぽくアペリティーボを楽しみたいなら、席にすわらず、カウンターでさくっと♪(カウンターでさくっと飲むのと席について飲むのとでは料金が違います)

カンパリ セルツ(カンパリ1ソーダ3の割合)はカンパリーノのアイコンと呼んでもいいものなので、なにを注文していいかわからない場合は、迷わずこちらをどうぞ。

カンパリソーダと言ってしまうと、日本でも販売されているビン詰めの「カンパリソーダ」が出てきてしまうのでご注意ください。


ミラノスカラ座博物館
オペラとバレエファンにはたまらない魅力満載! ミラノ・スカラ座博物館の見所ご紹介
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>ミラノ
テーマ:観光地 歴史・文化・芸術 
投稿日:2022/02/04 00:00
コメント(0)

イタリア、ミラノのシンボル、ドゥオモ(大聖堂)のわきのビットリオ エマヌエーレ2世のアーケードを抜けるとスカラ座広場。そのスカラ座広場に面して建っている、ヨーロッパのオペラ座の中で最も重要な劇場の一つであるスカラ座内にあるのが、スカラ座博物館です。

 

今回は、「スカラ座博物館」でのお勧めをご案内します。

 

入り口でチケットを買ったら、階段を登って博物館の入り口に行きますが(登れない方は無理をせず、チケット売り場で伝えれば、別のところからエレベーターを使えます)、壁にたくさんの過去のポスターがあって、それだけでも見る価値ありです!

チケット売り場から博物館入り口に向かう階段

今、イタリアで使われている通貨はユーロですが、約20年前まではリラだったので、ポスターに書いてあるチケットの値段はリラだし、私がイタリアに来た当時、バールのカウンターでサクッとのむカフェの値段が1000リラぐらいだったと思うと、タイムマシンにのって過去に行けたら、本当にただ同然の値段で素晴らしいオペラが鑑賞できたんだなあ〜と感動します。

熱狂的なオペラファンではない私でも、聞いたことのある指揮者や歌手の名前を見つけるのは、本当に楽しい!!

 

この階段は博物館を見学したあとにも通るので、博物館見学後にみると、もっと楽しいかもしれません。

階段を登って博物館の入り口でチケットのチェックを受けたら、博物館の見学のスタート。

肖像画は、スカラ座の設計をした建築家ジュゼッペ ピエルマリーニ、彫刻は音楽家ジュゼッペ ヴェルディ。

どちらもスカラ座を語るには欠かせない人物ですが、博物館の展示によりかかわってくるのは、同じジュゼッペでも音楽家のヴェルディのほうで、彼に関する展示は多いです!

 

展示の多くは音楽家に関するのものですが、それから派生するものも沢山あるし、スカラ座はオペラだけではなく、バレエもあるので、そちらで有名な人の肖像画などももちろん展示されています。

フランツ リストのピアノ

フランツ リスト(1811〜1886)が所有していたスタインウェイ&サンズ社のピアノの上の肖像画は、歌手マリア マリブラン(1803〜1836)。

この部屋には5000リラ紙幣に印刷されていた、作曲家ヴィンチェンツォ ベッリーニ(1801〜1835)の肖像画(とっても小さい!)や、歌手ジュディッタ パスタ(1797〜1865)の肖像画などがあります。

 

次の部屋にはジュゼッペ ヴェルディの肖像画や、スカラ座広場がまだなかった時代のスカラ座を描いた絵などが展示されていて興味深い!

その次の小さな部屋には、美食家だったロッシーニ(1792〜1868)の胸像、ミラノ近郊の町、ベルガモで生まれたドニゼッティ(1797〜1848)の肖像画などが展示されています。

この部屋を出て右側に上に登る階段があるので、ぜひ登りましょう!なんとなく行っていいのかな?という気がするかもしれませんが、修復とかなにか特別な理由がない限り、上の階の展示も普通に見学することができます。

階段を登ると本来は図書館ですが、そこで期間展示が行われています。

そこでは、その時のテーマに合わせた映像や展示がされています。

追加料金がかかるわけではないので、ぜひちらっとでも見学するのをおすすめします。

その時の展示によって、興味がよりあったりそうでもなかったりはありますが、興味深い展示ばかりだし、だいたい衣装も展示されているので、それを近くで見るのはなかなかないチャンスだと思います。

階段を下りてその次の部屋にはいると、それまでより少し現代に近づいた肖像画や胸像中心の展示を見ることができます。

人目を惹く女性の肖像画は、100年に一人でるかでないかと言われた、ソプラノ歌手マリア カラス(1923〜1977)。

ギリシャ人の彼女ですが、スカラ座の歴史とは切っても切れない、重要な人物です。

写真左上の肖像画は、バレエのヌレエフ。バレエ関係の展示は少ないですが、スカラ座を語るのにバレエを除くわけにはいかないです!

現在では、ロベルト ボッレが有名ですね。

(スカラ座博物館に展示されているのは故人なので、彼の肖像画はありません)

有名なバレエダンサー、ニジンスキー(1890〜1950年)の像もこの部屋に展示されています。

ニジンスキー像の右上には、マリア カラスと人気を二分したといわれるソプラノ歌手レナータ テバルディ(1922〜2004)の肖像画、その下にはイタリア人テノール歌手ジュゼッペ・ディ・ステファノ(1921〜 2008)の像も。

やはりオペラ関係のもののほうがバレエ関係より多いですね!

(この部屋を出たところにお手洗いがあります。もちろん無料で使えるので、博物館を出るまえに必要だったら利用されてください。)

オペラは夜開始が多いですが、昼のスタートもあるし、スカラ座の予定によりますが、スカラ座博物館見学のチケットで、スカラ座の劇場の一部を見学できる場合が多いです!

スカラ座博物館の一部のような感じですね。

何らかの理由でできないときは、チケット売り場にその旨が書かれているし、チケット売り場の人もそのことを伝えてくれます。

ホアイエ

劇場の見学は、パルコと呼ばれる個室ですが、リハーサル時は仕切りが置かれ、写真撮影はできませんが、実際にこの席のチケットをゲットしようとすると結構大変なので、写真撮影ができなくても、ちらっと見られるだけでもすごい価値があると思います!

個室には6個の椅子が置かれるのですが(実際の公演の時にはここももちろんお客さんが入って観劇する)、博物館の入場チケットで見学する時には、椅子は重ねられて個室内に置かれています。

スカラ座の公演は毎日行われているわけではないので、旅行の日程によっては、公演を劇場でみたくても不可能な場合や、オペラやバレエにあまり興味がないとしても、この劇場をみたら感動すること間違いなし!!

劇場見学ができるときは、劇場内のお手洗い、そう、実際にスカラ座でオペラやバレエを観劇する時に観客が利用するお手洗いも使えるので、話題作りの1つとしてトイレも見学してください(笑)

ホアイエにあるひときわ目立つアルトゥーロ トスカニーニ(1867〜1957)像

ミラノの文化を代表する世界的にも有名なスカラ座。

理想は、素晴らしい劇場、スカラ座でオペラやバレエを観劇してスカラ座独特の雰囲気を味わったうえでスカラ座博物館を見学(劇場見学可能なときに)だと思います。

観劇の余韻のあるうちに博物館を見学すると、公演の感動もよみがえるし、博物館の展示をみる姿勢がかわりますよ(笑)

もしそれほどオペラやバレエに興味がなくても、劇場をちらっと見るだけでも感動していただけると私は確信しています。

スカラ座博物館の歴史や特徴も知りたい方は、こちらのリンクをご覧ください。(こちらの記事は、このリンクからの転載許可を頂いております。)

 

 


ロ-マ戦争博物館
【2022年イタリア観光】ロ-マ戦争博物館に行ってみた!続編!
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>ローマ
テーマ:観光地 旅行準備 歴史・文化・芸術 
投稿日:2022/01/24 00:00
コメント(0)

Buongiorno

イタリア政府公認旅サポ-ト、マジカ?イタリアのケイティです。

先日のロ-マ戦争博物館に行ってみた(07/11/21の記事)の続編です。

 

現在博物館となっているこの建物はドイツ支配下でのロ-マではナチスSS管理下の監獄として使用され、反ファシスト、スパイ、ユダヤ人、パルチザン、政治犯が収容され拷問が行われていました。

ここからも1944年3月24日の*アルデアティーナの大虐殺*に罪のない彼ら(男性のみ)が連行され洞窟の中で335人が銃殺されています。

 

実はこの*アルデアティーナの大虐殺*が行われた前日の23日にトレビの泉の近くラセッラ通り(観光バスでトレビの泉に行く為にバスを下車した所、記憶にありますか?降りた直ぐの右の通り)にて昼食時の人通りの少ない頃パルチザンによるドイツ兵への爆弾による襲撃が行われました。今でも爆破による戦跡が残っています。

 

 

ムッソリーニが拘束され国王、首相もいない無政府状態のローマを支配していたドイツ兵は毎日の巡回でスペイン広場からそのラセッラ通りに入りました。

市の清掃人を装ったパルチザンが仕掛けた清掃用のごみバケツの置いてある手押し車の近くにさしかかった時、彼らの仕掛けた爆薬に点火。

 

 

33人のドイツ兵が死亡。

仕掛けたパルチザンは群衆に紛れて全員無事逃走。

このラセッラ通りには爆破の後は残りますがあのような時期ゆえヒーローに成れるかとも思われるドイツ兵を狙ったパルチザンの記録を残す記念碑など一切ありません。

身内を殺された家族からすれば何も関係のない者が翌日の*アルデアティーナの大虐殺*の犠牲者になるわけで非常に微妙な問題があるからだと思われます。

 

ヒットラーからは24時間以内に報復せよ、との命令。

ロ-マSS長官のカプラーは殺されたドイツ兵1名に対しイタリア人10名+偶然の犠牲者5名合計335人をアルデアティーナ洞窟にて銃殺、の指令を実際に指揮を執ったプリーブケに依頼。

ロ-マの刑務所や現博物館等から連行された罪の無いイタリア人、ユダヤ人は肉運搬用の車にて洞窟に運ばれ5名づつのグループとなり後ろ手で縛られひざまずかされ頭を後ろから撃たれました。

次々に銃殺が行われ殺された人の上にひざまずかされ1つの洞窟がいっぱいになれば次の洞窟へと移ってのおぞましい行為が続きました。

銃殺の経験が無かったドイツ兵にはカプラーはコニャックを飲ませてまでも続行させました。

 

 

 

 

このカプラー、バラ作りが趣味の当時37歳の独身ですが映画のようなドイツ軍によるムッソリーニ救出劇にも関与、ユダヤ人から50kgの金の要求、1000人のユダヤ人をアウシュビッツへ送った人物でした。

 

その後虐殺行為を隠蔽する為にその死体の重なった洞窟に爆弾を仕掛け爆破。

それを隠れて見ていた農民が連合軍に伝えて明るみに出ます。

 

前回のブログで紹介した地下に隠れて活動をしていたジュセッペモンテゼーモロ大佐(フェラーリ社、アリタリアの元会長のルカモンテゼーモロとは近い親戚)を含む335人は現在洞窟のすぐ隣に眠っています。

 

 

 

このモンテゼーモロ大佐は銃殺される前日(ラセッラ事件のあった日)も拷問を受けており、両目は腫れあがり唇からは血が流れていました。

連日の拷問であごの骨を折り発熱していたにもかかわらず冷静で威厳を失わなかったそうです。

現在この事件を忘れない為モニュメントが広場にできています。

そして資料館も併設され毎年この日24日には大統領も参加して追悼式が行われます。

場所はサンカリストのカタコンべの近くです。

 

 

この事件を映像で確認するには「裂けた鉤十字、ローマの虐殺」マルチェッロマストロヤンニ、若きモリコーネの音楽でご覧いただけます

 

 

 

 

罪の無い人々が銃殺されたこの日から3か月後にローマは連合軍により解放されました。

 

このカプラーは戦後終身刑にてガエータ刑務所に収容、しかし、70年にがんの為ロ-マのチェリオ陸軍病院へ。

そして彼の逃亡劇に一役かう事になる看護婦のアンネリーゼと結婚します。

76年末期胃がんで体重47kgになったカプラーを01:00-08:00までのチェックの無い時間帯を見計らって彼女が支えてゆっくりと階段を降りスーツケ-スの中に隠れさせドイツへ逃亡。

6か月後死亡。

別の説では病院の3階からロープで降ろして脱出させたとも。

 

 

ここからはて、ロープで降りられるのか?

実はみなさんは市内観光中にこの病院もご覧になっていますので次回検討してみてください。(コロッセオ観光が終わりバスに戻って動き出してすぐの左に見えます)

 

 

 

この病院を過ぎて今度は直ぐ右に古代ローマを囲んでいたセルビウスの壁の一部、ネロ皇帝が引いた水道橋の支えとして使ったドラベッラのアーチ、ほぼ今度は同位置左にその古代ローマへ上水を供給していたクラウデウス水道支流のネロ水道の穴も見えます。

 

左右、忙しいけれど見どころいっぱいのローマです。

これで観光がぞくぞくしてきましたね。

A presto!


ジャコモ・バッラ
【2022年ローマ観光】おすすめ現代美術館!未来派ジャコモ・バッラの家!
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>ローマ
テーマ:観光地 歴史・文化・芸術 
投稿日:2021/11/03 00:00
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芸術家のお宅訪問(ジャコモ・バッラの家)

 



作品「イタリア人民の手」の置かれたサロン

 

Buongiorno!

イタリア政府公認旅サポート、マジカ??イタリアの ミミ です

 

古代ローマ時代から世界の文化の中心となり、様々な時代の遺産が何層にも重なっているのが魅力のローマですから、少ない滞在日数をやりくりして全てを見るのは本当に大変です。

現代美術まで手が回らないという方も多いことでしょう。

 

でも、でも、実はローマには すばらしい現代美術館がいくつかあるのです。

 

その中の1つがMAXXIです。

 

現在公開中の未来派・ジャコモ・バッラの家は、20世紀の美術の最先端を生きた芸術家の家としてとても面白いので、今日はそれをご紹介したいと思います。

 

ジャコモ・バッラの家のあるオスラヴィア通り

 

切符は同時開催中のバッラの展覧会を行っているMAXXIの入場券とセットになっています。

バッラの住んだ家は、MAXXIとはテベレ川を挟んで反対側にあるプラティという地区で、東京で言うなら、世田谷のような感じでしょうか、山手の住宅地という感じ。

でも、この地域の開発された1920年代末から30年代初にかけては、地方からやってきた家のない人々に安い家賃で貸し、最終的には購入できるようなシステムだったそうです。

そうしてバッラが手に入れた家が特別に公開中というわけです。

会期は11月21日まで。

 

ジャコモ・バッラは約100年前未来派の名乗りを上げた芸術家の1人で、未来派のリーダーといっても過言ではないでしょう。

彼の多くの作品は、画面いっぱいに光を集め、大変美しい多色使いの幾何学模様を用いた絵です。

 

1910年ごろから、動きやダイナミズムを絵画の中に取り入れようとし、1914年にはマリネッティの提唱した未来派に署名しました。

この時点で彼の芸術家としての評価が大きく変わってきます。

イタリアでは同じ未来派のボッチョーニなどとともに代表とされ、美しい色彩のもとに動きを取り入れた絵画が試みられることになります。

そしてボッチョーニの死後、未来派の中心をミラノからローマに呼び寄せたと言ってもいい功績を残したのです。




バッラは当時8歳だった娘のルーチェがテラスで走り回る姿を1枚の絵の中に描き込みます。

 

「バルコニーをかける少女」

 

明るい光の中で、軽い足取りで子供がテラスを走り回るのを、芸術家の父親の視線は連続写真のように捉え、大変美しく暖かく表現しました。

まだここには1800年代末の点描の名残も見られます。

 

公開中のバッラの家には、 このモデルとなったルーチェの部屋もあります。もっともこの家に越してきたのは1929年のことなので、バッラは58歳、ルーチェももう立派な大人でした。

 

表札にはバッラのサインが

 

扉の表札には金属の板でFuturo Balla と書かれています。

これはサインがわりに作品に描かれたものでこの表札を見た瞬間にファンは心踊るのではないでしょうか?

 

未来派の廊下

 

一歩足を踏み入れると廊下はパステル調の幾何学模様で装飾された、バッラの世界が広がります。この時代、彼が描いていたスタイルで、家全体がとても明るく感じます。

 

一方、彼がこの家に引っ越してきた時代は、イタリアはファシスト政権の真っ最中にあります。

多くの芸術家も それに傾倒していきます。

サロンにはその当時の彼の代表作でもある「イタリア人民の手」(1925)という大作も残されています。

家中のインテリアのコンセプトが未来派なので、サロンの床は薄紫色のタイルが敷かれていて、床の色と作品とのコントラストがとても美しくため息。

そして彼がコレクションしていたというたくさんの譜面台が三次元的アクセントとなっていました。

 

 

天井のライトも当時の未来派の意を酌む手描きのライト。

100年後の目で見る「未来」派は、その言葉のもつ冷たさと裏腹に、ちょっとユーモラスで暖かくも感じます。

この家に彼らが越してきてすでに90年経っているのですからそれも当然でしょう。

 

ルーチェの部屋の天井には見事な未来派的デザインが。

 

彼にはルーチェのほかエリカと言う娘もいました。

ルーチェは父の教えを応用芸術の中に、そしてエリカは外へ向けて芸術家としての活動を行っていきました。

エリカは宝石店で有名なブルガリの創始者の肖像を描いたこともあったそうで、今でも何点かがブルガリコレクションになっているそうです。

 

バッラデザインの未来派のバッグ。素敵すぎる〜

 

ローマ出身のファッションブランドの創始者でもあるラウラ・ビアジョッティ夫妻はバッラ作品の蒐集家であったことも知られています。

バッラをテーマにしたファッションショーも行ったほどなのです。MAXXIで行われているバッラの展覧会はラウラ・ビアジョッティのコレクションの作品も多く展示されています。

 

「バッラは、現在のイタリアファッションを産んだ。」

 

ともラウラ・ビアジョッティは語っています。

 

バッラの2人の娘たちは、ラウラとも交友を持ち、後の世界に父の芸術を伝えることはもちろん、父のパッションも伝え、後世の我々に父の芸術の遺産を伝える大きな役割を果たしたと言われます

 

バッラのアトリエは、別名赤いアトリエとも言われる。

 

なんと言っても圧巻は、バッラのアトリエです。

その力強い芸術エネルギーが今でも宿っているような錯覚を起こす部屋です。この部屋からこの家中に、そして外の世界へと拡散していった小宇宙のようなもの。

小さな部屋なのですが、うかうかしていると圧倒されそうな部屋は、ショッキングとも言えます。

 

キッチンも、バスルームも芸術が支配している不思議な空間。父バッラだけでなく、2人の娘を包み込んだ芸術の家は、現在イタリア銀行が所有しており、次はいつ公開されるかわからないものです。イタリアの未来派を、そして20世紀のイタリア美術を解き明かす上で、とても貴重な資料となっています。

 

 

バッラのお家訪問は、バッラの作品をもっと知りたいなと思わせる、素敵な時間でした。

 

 

バッラの家は間もなく公開を終了しますが、ミラノのノヴェチェント美術館や、ヴェネツィアのグッゲンハイム美術館、ローマの国立現代美術館にも作品が収容されています

 

どの美術館もイタリア現代美術をなかなかだな〜と見直させてくれると思います。

 

A presto! 次回もお楽しみに。

 

マジカ??イタリア、ミミ

??????????

 

 

(ローマ・MAXXI) https://www.maxxi.art/

(ローマ・国立現代美術館) https://lagallerianazionale.com/

(ミラノ・ノヴェチェント美術館)https://www.museodelnovecento.org/en/

(ヴェネツィア・グッゲンハイム美術館)https://www.guggenheim-venice.it/


セジェスタ
三千年の時を刻むセジェスタ
エリア:
  • ヨーロッパ>イタリア>パレルモ
テーマ:観光地 歴史・文化・芸術 
投稿日:2021/10/14 00:00
コメント(0)

皆様ボンジョルノ! パレルモのガイド河村です。

秋に入り、気持ちの良い穏やかな気候となりました。

 

特に秋晴れのシチリア島は彩色も鮮やかで『ちょっとだけの遠出』をしたくなる気分です。

 

そんな時に立ち寄りたいドライブポイントがセジェスタ

パレルモから約1時間程度で大自然に囲まれたオープンスペースの遺跡地区です。

 

 

こちらがセジェスタ遺跡の主役、ドーリア式神殿です。紀元前5世紀頃建造されたそうですが、未完成らしいという説が主流です。それでもこの存在感!

周囲に何もないので写真ベタな私でも、携帯でこのくらい撮れるのですよ。

 

時間があればハイキングがてら丘の遺跡地区を上るのもいいかもしれません。丘の頂上には多くの遺跡がありますが、中でもお勧めはギリシャ劇場跡

 

 

ここからは360度のパノラマが楽しめます。夏にはここでパフォーマンスが開催されるもとも!(去年と今年の夏はコロナ渦で中止でしたが、来年に期待!)

 

パレルモに数日滞在される方が気軽に訪れられるお勧めの場所のひとつです。

ではまたお会いしましょう!

 

 


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