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フランス紀行

~フランスの社会・生活・文化に関する情報や日本社会との比較分析、世界各地を旅して発見した面白い情報をお届けします。~

プロフィール

ニックネーム:
Neomars
居住地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
性別:
女性
会社名:
Tabet International en France
会社英字名:
Tabet International en France
会社所在地:
ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
業種:
現地ツアー企画・現地ガイドなど
自己紹介:
単なるスポット紹介やグルメを堪能することだけに飽き足らない旅慣れた日本人が欲している情報とは何か・・・。それは、「現地とコネクトすること」ことができる情報提供ではないかと思っています。表層に現れる現象の根拠を歴史的、文化的、社会的価値観の観点から探り、ついでに辛口ジョークや捻りの利いたブラックジョークも交えながら、「なるほど・・」と納得しながらクックックゥと笑って楽しんで頂ける情報提供をお約束します!

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21 - 25件目まで(27件中)

パティセリ1
バゲットとチーズ
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:街中・建物・景色 グルメ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/28 00:14
コメント(0)
実は、私はこれまでパンの質について拘るほうではなかった。ぶっちゃけ、コンビニで売っている菓子パンでも十分に満足していた。というよりも、むしろ、コンビニの目まぐるしく変わるラインナップに興味を覚え、新製品を次から次へと試食してみるのが楽しみだった。

C級グルメ愛好者と言われればそれまでだが・・・・、いずれにせよ、質というよりも、ヴァラエティのほうにウエイトを置いていたということだ。そのため、相当気に入った物で無い限り、同じものを継続して賞味するということは稀だった。

これは、私の意思というよりも、日本のコンビニをはじめとする小売戦略に拠るところが多いと思われる。

というのは、日本では相当なベストセラーでない限り、ひとつの商品が店頭に長々と並ぶことはまずない。ライフサイクルは商品により異なるのであろうが、いずれにせよ、売れないことが判明したり、絶頂を過ぎたと見なされれば、容赦なく即お蔵入りとなる運命にある。無数の商品が店頭デビューを控えるているなかで、売れない商品に拘る必要など全くないからだ。

そのため、知らず知らずのうちに、次から次へと登場する新製品に目を奪われ、心を奪われ、如何ともし難い移り気な消費者が生まれるのだ。これは、日本の消費者の生まれ持っての特性というよりも、そうならざるえない構造のなかで消費活動をしていることから、必然的に上記のような行動パターンが身に付くというほうが正しい。

私も意図せずして、このコーポレート・ジャパンの商業戦略に踊らされ、次から次へと新商品を渡り歩く移り気で新しい物好きの消費者であったわけだ。

このことに気が付くのは、フランスでの生活を本格的に始めてからのことになる。というのは、フランスの構造は日本と正反対であるため、違和感を覚えることが多々あるからだ。

フランスでは、コンビニなどという新製品試供場のようなものは一切存在しない。夜遅くまで、しかも日曜日も営業しているのは、アラブ人が経営する食料品店で、いわゆる我々が考える「コンビニ」からは程遠い存在である。

余談だが、アラブ人が経営する食料品店は極力避けることをお勧めする。理由は、品質管理がずさんで、かつ割高であり、彼らの店で買い物をする利点が全くないからだ。大きな声では言えないがが、彼らは、一般のスーパーや食料品店が在庫処分として放出する商品や期限切れの商品を安くで買いうけ、高利で持って販売するプチ・悪徳商法を実践しているようだ。

コンビニを除く一般の商店では、新製品が続々登場するなどということはまずもってない。お馴染みの商品が何十年にも渡って店頭に並び、消費者に愛される・・・とは必ずしも言えないにしても、少なくともコンスタントに購入されている。

ブランジェリやパティセリと呼ばれる手作りお菓子・パン屋においても同様で、多少の改良やバラエティの拡大は時と場合に応じてなされるものの、商品の基本的なラインナップは何十年という月日を経ても大変わりすることはまずない。

パティセリ1

夫や友人が小さな頃に食べていたお菓子やパンの各種は今だ健在で、30年を経た現在でもその存在に陰りが見られることはまずない。

パティセリ2

なぜなら、30年を経ても根強い消費者を抱えているからだ。夫をはじめ多くのフランス人の友人・知人は、自分達が子供の頃から慣れ親しんだお菓子やパンが大好きで、他へ移り気することもなく、今だ定期的に購入して食べている。仕方なしというよりも、食べずにはいられないからのようだ。

翻って、私は小さな頃に食べていたパンやお菓子を今だに食べたいと思うだろうか・・・?

日本がここ半世紀の間に経験した経済・社会面における巨大な地殻変動は、我々の消費行動にも影響を及ぼしていることは確かだ。我々の両親と比較して、団塊ジュニア世代に我々の消費行動パターンは確実に異なる。

私の父が今だに「あんぱん」や「コルネ・チョコ」といった、昔懐かしの味に拘るのに対して、私にはこのような拘りは全くない。

小さな頃に食べていたお菓子やパンなんて、今ではどこを探しても見当たらないし、第一、どのような物を食べていたかもよく覚えていない。目にすれば、「ああ、あったよね」と思い出すが、かといって、これじゃないと駄目!と拘りを持つ商品はない。現在と同じく、小さな頃からコロコロ変わるラインナップに影響され、選択がコロコロ変わったからだろう。

一方、商品のラインナップが変化に乏しいフランスに来てからは、若干ではあるものの、拘りともいえるような感覚が私のなかで芽生えてきた。

まず、ヴァゲットであるが、主食とまではいかなくとも、日々の食卓で食するようになると、徐々にではあるが、種類や店による特徴、品質、好みというものが分かるようになり、お気に入りの店、お気に入りの商品というものが出てきた。そして、これから何十年とこの同じ味と商品に拘るのだろうと漠然と思ったりしている・・・。

ヴァゲット

フランスでは、パンを手作りする店しか「ブランジェリ」の看板を挙げてはならないことになっている。政府の許可が必要であり、その審査をパスして初めてこの看板を掲げることができるらしい。

もっとも、最近では悪質なブランジェリが登場し、機械により大量生産され、冷凍保存されたパンを「手作り」と偽って販売している店もある。しかし、このような店は長続きしないのではないかと思ったりする。というのは、この私でさえも、今ではひとくち食べてみれば、手作りと機械生産の違いを的確に見分けることができる。

ポイントは、肌理の細かさとしっとり感にある。

機械による大量生産では、肌理は確実に粗くなり、同時に恐ろしいほど画一的になる。機械によって無機質に統制されるからだ。

一方で、手作りのものは、肌理が細かく、小麦のフレイバーを長期間に渡って保存することができることから、食べるとその風味が口全体に広がる。噛めば噛むほど、味わい深くなるわけだ。

言葉で全てを説明することは難しいが、慣れてくれば簡単に見分けることができるようになる。そして、焼きたての手作りバゲットをこの上なく美味しいものだと感じるようになることも請け合いである。

私にはパリを頻繁に訪れる友人が多いが、皆同様に、「どうしてフランスのパンはこんなに美味しいの?!」とため息をつく。彼らは、私と違って、そろいもそろってグルメ志向であり、美味しい物に食べなれている。そのため、住んでじっくり味わうことなく、美味しいものとそうでないものの違いが直ぐに分かるのだ・・・・。今となって、私も彼らに賛同せずにはいられない。確かに、フランスの手作りパンは世界最高である。

続いて、ご飯に漬物というように、バゲットには欠かせないチーズであるが、これに関しても、徐々に味や品質の違いが分かるようになってきた。これまで、チーズの選択は夫に全てお任せだったが、この頃は、私自らワインや料理に合うチーズを選ぶことができるようになってきた。もちろん、失敗することは今だ多々あるのだが・・・。

フロマジェリ

以前は、カマンベールとブリーの違いが良く分からなかった・・・(汗)・・。このことに気が付いた夫は、あまりの驚きに、しばし呆然としたことがあった。それもそのはず、西洋諸国を中心に海外での長期に渡る生活を経たにも関わらず、今だにカマンベールとブリーの違いが分からない現代日本人がいたなんて想像だにしなかったのだ。

余談だが、私は、食に関しては、今では珍しい「純ジャパ」種であり、日本食意外は基本的に受け付けないタイプだ。絶対に海外に住んではいけないタイプの日本人である。これは親譲りだ。私の両親もいかなる地域に住もうと、お付き合いで仕方ない場合は除いて、頑なまでに日本食に拘り続けたのだった。

チーズはワインと同じく奥が深い。だから、私がチーズを理解しているなどというつもりは毛頭ないが、地域によって味や製法が異なり、歴史を経て変革を遂げてきたものなどもあり、それぞれのチーズに隠された由来や特徴を知るのはとても面白いと思う。

アルザス

最近は、日本人の味覚に合い値段も手ごろなブリーやエメンタルを選んで食べているが、他にも色々開拓して味覚の幅を広げてみるのも面白いかななどと思うようになってきた。

まだ、質を論じるまでにはいかないが、まずはヴァラエティを拡大することからはじめようと思う。この辺り、質よりもヴァラエティに重きを置く日本人消費者の特性がむくむくと頭をもたげてきたといえるかもしれない・・・。
タグ:
パリ パン ヴァゲット お菓子 グルメ 

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フランスのライフスタイルに関する記事が満載!
NoPhoto
クロアチアきっての高級リゾート:オパティア
エリア:
  • ヨーロッパ>クロアチア>オパティア
テーマ:観光地 街中・建物・景色 ホテル・宿泊 
投稿日:2012/02/13 21:57
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写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-10963776405.html

クロアチアきっての高級リゾート地オパティアは、「クロアチアの貴婦人」とも呼ばれ、ヨーロッパを中心に世界各地の人々を惹きつけて止みません。

オパティアとはクロアチア語で「僧院」という意味らしく、この地の始まりは、15世紀に建てられたベネディクト会の修道院のまわりに集まってできた海辺の集落だったとのこと。

オパティアに流れるゆったりとした時間に身を任せ、ビーチ沿いに繰り広げられる華やかな夜の歓楽を満喫すれば、ここがひと昔前まで僧院を中心として発達した集落だったことが嘘のようです。

こんなにも俗世間に染まってしまって・・・と、人間の煩悩のなせる業を嘆く一方で、よくぞここまで潔く変貌を遂げたなと、これまた人間の意思の力に脱帽してしまう次第です。

現在では、19世紀に建てられた瀟洒なヴィラが海岸沿いに立ち並び、その多くはホテルとして使われています。

昔は、ウィーンからも近いことから、ハプスブルグの貴族達がこの温暖な海岸に別荘を建ててヴァカンスを楽しんだといいます。

19世紀から20世紀初頭にかけて、オーストリア皇帝のプランツ・ヨーゼフ、ドイツのヴィルヘルム2世、イタリアの作曲家のプッチーニ、オーストリア作曲家のマーラー、ロシアの作家チェーホフなど数多くの貴族や各界の著名人が訪れています。

ここで有名なホテルといえば、「ホテル・インペリアル」「「ヴィラ・マリア」「ヴィラ・アンジョリーナ」というところでしょうか。

私達が宿泊したのは「ホテル・ベルヴィユ」です。角部屋をもらえたのはよかったのですが、バルコニーへのドアを開けることはできたものの、もうひとつの窓を開けた状態にしておく方法は見つかりませんでした。窓を上に押し上げて解放した状態におくことができなかったのです。

苦肉の策として、部屋にあった椅子を窓に挟み、解放状態を確保することができました・・・・(汗)。翌朝、部屋に入ってきたメイドさんは窓に挟まれた椅子を見て、人が窓から飛び降り自殺をしたのではないかと焦ったはずです。

夜はカメラを持ち歩かなかったので、残念ながら写真を撮ることができませんでした・・ごめんなさい。言葉でお伝えするとすれば、以下になります。

南国の太陽に光り輝く昼間の姿とは全く異なり、間接照明の幻想的な光のなかで、浮き立つように輝く夜のオパティアの夜は格別だったということです。

さすがは、「クロアチアの貴婦人」と呼ばれるだけあり、単なる一律的な美しさを誇るだけではありません。

私の「貴婦人」の理解は若干斜に構えたものかもしれませんが、貴婦人とは、表面的な美しさに限らず、内面から溢れ出る知性と自由で開けた精神により、多彩かつ精緻な魅力を放つ高貴な女性のことをいうのだと思います。

しかるに、先ほど述べたように、朝と夜で異なる顔を持ち、多彩な輝きを発することで世界中の人々を魅了するオパティアは、貴婦人の美しさを湛える街だと思われるのです。

話は変わりますが、クロアチアはヌゥーディスト・ビーチのメッカとして知られています。オパティアが位置するイストラ半島にも名の知られたヌゥーディスト・ビーチが幾つか点在しており、オパティアからも船で行くことができます。もっとも今では、ヌゥーディストではなくて、ナチュラリスト・ビーチと呼ぶようですが。

実際に、イストラ半島には、ナチュラリストが3000人から5000人ほど滞在できるキャンプ場やヴァンガローなどの施設が十ヶ所、数百人用が3ヶ所、クルヴァネル湾には、ツレス島、クルク島、バグ島など八ヶ所にキャンプ場やビーチがあります。

日本人にはあまりなじみのないナチュラリスト・ビーチですが、一度だまされたと思って行ってみると面白いかもしれません。

生まれたままの肢体を惜しげもなく曝け出し、ノビノビと太陽と海の自然を満喫している人達の全てが「モデル・ボディ」の持ち主であるわけではありません。色といい、形といい、サイズといい各種様々ですが、全てに共通することは、生まれたままの姿でノビノビとヴァカンスを楽しんでいるということです。

我々の遠い祖先はみんな、裸同然でジャングルの中を駆け回っていたことを思い出してください。また、身近な例でも、小さな子供は裸で駆け回るのが大好きです。私の4歳になる甥っ子も、お風呂に入った後は、裸で飛び出して家の中を嬉々として駆け回り、一度得た最高に気持ちがよい「真っ裸」の状態を容易にあきらめようとはしません。

真っ裸でビーチを歩いてみたら、我々の祖先が感じたインスピレーションが蘇り、素晴らしい発想ができるかもしれません!

オパティアを立つ日は、陸路でトリエステまで行き、正午発のローマ便をキャッチする必要があったので、出発は早朝となりました。オパティアからトリエステまでは車で約3時間ほどかかり、クロアチアからスロベニア、スロベニアからイタリアと国境を2回通過しなりません。

朝早くでホテルのブレックファストが開いてなかったので、近くの開いているカフェに行き、コーヒーを注文しました。もちろん、コーヒーはなくて、エスプレッソしかなかったので、それをダブルでお願いしました。

朝早くでどこも開いておらず、掃除をしているおばさんに尋ねて漸く開いている店を見つけることができました。そこぐらいしか開いているカフェがないのか、朝6時ごろだったにも関わらず、お客さんが何人かいてエスプレッソをすすっていました。

ヴァカンスにきて早起きするとは・・・と一瞬驚きましたが、年配の風貌からみて、普段からゆっくりしたリズムで暮らしている人達のようで、6時にカフェでコーヒーをすすることも日課なのかもしれません。

トリエステの空港ではクロアチアワインの各種が展示されていました。モダンな展示の仕方に感銘を受け、シャッターをパチリ、パチリ。

この展示を見て、クロアチアのワインに賭ける熱い思いを理解することができました。実際に、クロアチアのワインは値段が安い割りには質が良いと評判で、ファンが軒並み増えているという話も聞きます。アドリア海に浮かぶ観光立国でありながら、それに甘んじることなく、産業の多角化を狙うクロアチアのアンビションを垣間見ることができたような気がします。

先の旧ユーゴ戦争終結から20年・・・戦争の傷跡が癒えることはありませんが、この国が新たな飛躍に向けて挑戦しているのが感じられました。

クロアチアの発展と輝かしい未来に乾杯!
タグ:
クロアチア オパティア リゾート ビーチ 

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フランスを中心にヨーロッパの旅事情が満載です!
TGV1
TGVの旅:パリからマルセイユへ
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/07 21:54
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パリからマルセイユまでTGVでたったの3時間・・・・南仏が随分と近くなったな・・・。

TGV1

以前、両親と一緒に南仏を旅する計画を立てていた時に、父がポロッと漏らした言葉だ。

日本の国土の優に2倍はあるヘキサゴンを横断するのに要する時間が3時間だなんて、私達の両親が若かった時代には考えられなかったことだ。

TGV2
(パリ・リヨン駅)

あれから20-30年という月日が経つわけだが、パリと南仏だけに限らず、地球全体が本当に「狭く」なったとつくづく感じる。

今では外国に行っても、「異文化」を体験するということがメッキリ少なくなったような気がする。異国へ旅立つことで、自分が慣れ親しんだ生活や友達など全てをあとに残し、いわゆる人生の「断絶」「いちからのスタート」というものをドラスチックに経験することが無くなった。

理由は二つ考えられる。

ひとつは、グローバル化によって世界全体が大なり小なり「均一化」し、相当な僻地へ行かないかぎり日々の生活において大した違いがなくなったということ。

そしてもうひとつは、インターネットの発明、今ではソーシャル・メディアの普及により、異国に住む家族や世界中の友人・知人と常に繋がっていることができるからだろう。

私が子供の頃でもまだ「異文化」は世界各地に残っていた。

まず、私が覚えている限りでは、80年代では日本から欧州への直行便は飛んでいなかった。行きは必ずモスクワのシェレメチエボ空港で乗り継がなければならなかった。

共産主義ソビエトの窓口ともいえるシェレメチエボは、西側の反共教育にどっぷり漬かって育った子供が連想する「共産主義国家」の予想を裏切ることは無かった。

空港には、免税にする必要があるのかどうか定かではないマトリオーシカなどソ連のお土産を売る小さな免税店がひとつある以外は他に何も無く、旅行客も日航ジャンボ機から降りてきた日本人を除けば両手の指で数えられるぐらいの数しか見当たらない。

成田やケネディ、SDGなどの例から、子供心に首都空港は忙しいものだと相場が決まっていた。そのため、ここまで閑散とした首都空港にはいつも心地悪い違和感を抱いた。「ああ共産主義の国に生まれなくてよかった。やっぱり共産主義は良くないんだ」と強く思ったものだ。

また、閑散としているだけならともかく、侘しさに拍車をかけるように空港内は見渡す限り極端に薄暗く、お化け屋敷同然の薄気味悪さが漂っていた。

共産主義国家が得意とする5ヵ年計画だのが破綻して電力不足に陥ったのか、それとも人民に煌々と輝く電灯は必要ないと「中央」で下された決定なのか知らないが、あんなに薄暗い公共施設は見たことがなかった。

いずれにせよ、ソ連の威信を世界に向けて発信する窓口の割には、あまりにもお粗末な首都空港だったといえる。

その中で唯一景気がよかったのは、軍の存在だった。カラシニコフのような小銃を肩に持った兵士が空港全体に一定の間隔を置いて整然と立っていたのを今でも鮮明に覚えている。

ひたすら空虚な眼差しで空を見つめ、表情に欠けるその顔は、揃いも揃って男前であったにもかかわらず人間味が感じられなかった。国家統制によって人間の心まで統制され、画一化され、ロボットのように精密ではあるものの無機質になってしまったのか・・・・。共産主義の下で生きる人達は我々西側の人間とは確実に違う・・・とただ漠然とではあったものの強く思ったのを覚えている。

そして、我々旅行客がセキュリティを通り、たまたまメタル探知機が作動して音を出すと、その時になってはじめて彼らが動く人間であることが証明される。しかし、動きに個性は全くみられず、統制され機械化されたものであることはいうまでもない。

どのように証明されたかというと、近辺の兵士が一斉に探知機を作動させた旅行者へと銃を向けるのだ。一瞬の遅れもなく、また一糸乱れぬ整然さでもって。

私も一度この探知機を鳴らしたことがある。私の無害この上ないベルトに反応したらしかった。しかし、そんな事情にはお構いなく、その時も、近辺に立つ兵士が一斉に銃を向けてきた。

ドキッとしたのと同時に、ヒューマニティのかけらもない共産主義の一面を垣間見たと子供ながらに思った。たとえ子供であろうとも、人間の挙動よりも機械の性能のほうを信頼するというロボティックで反人間的な世界観というものを恐ろしいものだと感じた。

この時はモスクワ経由でローマへ行くところだった。ローマの空港でも同じくメタル探知機が作動した。しかし、対応は月とすっぽんのごとく異なるものであったことは言うまでも無い。

鳴ってから間もなくして、プクプクと太った人の良さそうなセキュリティ担当の女性がガムをかみながら近寄ってきて、「メタル?」と尋ねながら手に持った別の探知機で私のベルト辺りを触り、「OK」と笑顔で一言、行ってよいというサインを送ってくれただけだった。

この時は、心から「西側っていいな!」と思ったのを覚えている。このおおらかさ、人間に対する信頼、改めて自由主義は共産主義にない全てのクオリティを兼ね備えた体制だと子供ながらに確信し、それに対する信頼を新たにしたものだった。

と、このように、シェレメチエボやフューミチーノ(当時はダビンチ空港という名前だったと記憶しいてる)に限ったことではないが、昔は自分達の文化や価値観とは異なるもの、また似ているものが各地で体験でき、それを比較したり、評価したりする機会がふんだんにあったわけだ。

あれからかれこれ20年はなるだろうが、90年の始めあたりから日本と欧州の間を直行便が飛ぶようになり、途中でシェレメチエボを詣でることも無くなり、私達がモスクワに降り立つこともなくなった。

以来、どんなに変わっていることだろう・・・・と時々思いを馳せてみることがある。民営化が進んで以来まだ行ったことがないが、現代ロシアは激動を経て、今では当時の面影など全く無くなってしまったことだろう。それこそ、一見するだけでは、成田やCDGなどと何ら変わることがないかもしれない。いつか機会があれば是非とも行ってみたいものである。

話をフランスに戻すが、パリと南仏の差もTGVの登場によって激減したような気がする。確かに、パリのと南仏の間には人の気質や天候に差があることは明らかだが、それだからと言って「異文化」だと騒ぎ立てるようなものでは決してない。街の規模こそ異なれど、そこで営まれている個人の生活やビジネスなどはパリと全く変わることはない。

TGV3

パリとマルセイユがTGVで3時間となったことも踏まえて、全く別世界に行く!という幻想をもてあそぶことは既に不可能なこととなった。サマセット・モームなどが描き出す南仏などそこにはもう存在しない。

便利になったぶん、なんども味気ない世の中になったものだ・・・と嘆かわしく思う。かといって、インターネットによって世界中のありとあらゆる情報にアクセスできる利便性やソーシャルメディアが可能にする「世界と繋がっている」感覚を手放すことはもはや不可能だ。

TGV4

パリのリヨン駅で乗車し、3時間後の午後6時過ぎにはマルセイユのサン・シャルル駅に到着していた。なだらかに延々と続く穏やかな丘陵、その単調さを時々破るように登場する農場や小さな村などをボーっと眺めていると、アビニヨン、エクサン・プロヴァンス、そしてもうマルセイユに到着した。

マルセイユのサン・シャルル駅からは、遠方にマルセイユの守り神であるノートルダム・ド・ラ・ギャルドを望むことができる。

TGV5

因みに、TGVは一等席と二等席から成っており、早めに予約を入れると(2日前ぐらいまで)かなりの割引が利く。一等席など半額の値段で購入することが可能になる。インターネットで早めの購入を試みてください!
タグ:
TGV パリ マルセイユ フランス ヨーロッパの鉄道 

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フランスの魅力を漏れくお伝えします。
パエリア
Vieux Port: マルセイユ旧港でランチ
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 グルメ 
投稿日:2012/02/07 20:40
コメント(0)
ランチにパエリアでも作ろうかと夫に話したら、「だったら、マルセイユ式本物パエリアを食べに行こうよ」という話になり、早速出かけることにした。

日曜日でしかも予約なども入れたりしていたわけではなかったので、どのレストランが開いているのかさえも定かではなかったが、とにかく旧港の辺りまで行ってみようということになった。

太陽の光が惜しげもなく燦々と降り注ぐ快晴で、ミストラルもそこまできつくないことから気温も比較的高く、まさに昼下がりの散歩にはもってこいの天候だった。

近所の景色

フランスでは、人がいるところはどこもかしこも犬の糞だらけである。フランス人はペットの糞尿の始末についてはペットのみならず甚く我が身に対しても甘いようである。犬も歩けば棒にあたるじゃないが、人間も歩けば犬の糞尿につまずく状態である。

驚くのは、時として、横断歩道の真ん中に幾重にもトグロを巻いた犬のウンチがドッテーンと放置されていることである。車の往来が少ない夜間に放出されたものなのかもしれないが、それにしても、横断歩道の真ん中でやるとは大した度胸だと舌を巻いてしまう。この信じられない集中力とどこでもリラックスできる適応力はどこから来るのか・・・。

もしかしたら、グラフィティと同じように、描く場所が難しく困難であるほど評価されるという基準がペットの放尿においても通用するのかもしれない。大通りにある横断歩道のド真ん中ぐらい糞尿放出場所として危険かつ困難な場所はないだろう。そうであれば、飼い主も俄然頑張ってしまうのかもしれない。

市街の中心地であるカナビネに近づくと人通りが増える。昔と比較するとアラブ人の割合が俄然増えたことは一目瞭然だ。

カナビネ

パリではマルチニックなどの海外領土やアフリカの元植民地出身の黒人を多く見かけるが、マルセイユでは対岸のマグレブ地域出身のアラブ人の比率が高い。

移民の問題はフランスが抱える頭痛の種だ。待ったなしの対応を迫られているのだが、改善策どころか建設的な議論さえなされていない。大統領選挙を数ヵ月後の5月に控え、それぞれの候補者から改善策が示されてもよさそうなものだが、目ぼしいものは何一つない。どこの政治家も臭い物には蓋をしたいのだろう・・・。

カナビネ大通りを真っ直ぐに歩いていくと、旧港へ出る。旧港は多くの観光客や地元の人々で賑わいを見せるマルセイユの中心地だ。冬場はそうでもないが、これが夏場となるとビーチと並んで観光客でごったがえす。

旧港は、冬場にも関わらずめくるめーくとまではいかなくとも燦々と降り注ぐ太陽の下でコバルト・ブルーに輝いていた。船がズラーッと何重にも所狭しと並んでいたが、以前と比較してその数は激減しているとのことだ。フランス経済の停滞は、こんなところにもしっかりと影を落としている。

旧港1

国家経済の他にも、あまり触れられることはないが、この国の政治制度にも問題があることは明らかだ。

フランスの内政は首都を中心とする中央集権体制の下にあり、ほぼ全ての意思決定はパリでなされる。地方の政治・経済でさえもパリの意向や決定に大きく左右されることから、地元の状況や意向というものは軽視される傾向にある。

マルセイユでも至る所でこの体制の弊害が見られ、街全体が斜陽にあるという印象を与える。シャッターを閉じたままの店が立ち並ぶ閑散とした商店街も見かける。東京一点主義によって取り残される日本の地方と同じ状態だ。

旧港付近では、北アフリカから吹いてくるミストラルの直撃を受けるせいか、市内の他の場所と比べて体感気温が優に3度は下がる。寒さに縮こまりながらも、ここからずーっと先に泳いでいけば北アフリカに到着するんだな・・・などとぼんやり考えた。

旧港2

日本からアフリカは遠いが、ヨーロッパからはとても近い。地理的な近さというのではなくて、もっと感覚的なものだ。歴史的、商業的な繋がりにもまして、人間同士の繋がりの幅と深さがこの違いを作り出すのだと思う。

旧港3

旧港に面した一角に、「Les Marseilles」という看板を上げたレストランがあり、店の前に展示されていたメニューを見て、夫がここにしようと言った。高級ではないが、昔からある老舗で、味は信頼できるということだった。

パエリアの店

とにかく寒さを脱することができたと喜び勇んで中に入ると、年季が入った内装の店内で、これまた年季の入った年配の給仕が迎えてくれた。地方の伝統料理を食べるにはもってこいの臨場感が溢れていた。

パエリアはスペイン料理の一種ではあるが、今ではマルセイユの伝統料理として定着しているそうだ。陸続きで、かつ同じ海に面しているのだから、どちらの所有だと厳密に言い合っても仕方ないのだろう。

パエリアでも数種類用意されていたが、全てがぶち込まれたのを注文した。30分ぐらいかかりますよと言われて、これは待たされる・・・と思ったが、案の定、1時間は待たされた。しかし、チーズのサラダなど前菜を食べ、東京とパリとどっちが住み易いかについて夫と議論しているとあっという間だった。

待ちに待ったパエリア。

パエリア

そのスケールと大雑把さには改めて度肝を抜かれた。東京ではどう転んでもこんなダイナミックなパエリアにはお目にかかれない。取り皿に取ろうと混ぜ食ってみると、出てくる、出てくる、信じられない量の各種海の幸がそこに埋め込まれていたのだ!

サフランの風味がしっかり出ており、それにシーフードのエキスが豊かに絡まって絶妙な味を出していた。お味は最高だった。

店に入ったのが1時半頃で、食べ終えたのは4時前だったが、店内は入れ替わり立ち替わりで、お客の流れが絶えることはなかった。もちろん、真昼間から大量のパエリアを食べる客は我々ぐらいだったが・・・。料理の質といい、お客の流れといい、地元にも固定客を持つ手堅いレストランなのだと思った。

しかし、このような中間層に位置するレストランは苦境に喘いでいるとのことだ。サルコジ政権以来、フランス全土で貧富の差が目に見えて拡大し、ミドルクラスの没落が激しいからだという。

上流層は超高級レストランに行き、下層階級はクイックなどのファーストフードや安手のブラッセリーなどで食事をする。ミドルクラスは、財布の膨れ具合によってそのどちらかに行くとのことだが、昨今では財布が膨らむことはまずなく、よって後者の選択に流れる傾向にあるとのことだ。

以前と比較すればお客の流れは減ったのかもしれない。それでもまあ、それなりにやって行っているのは、やはり、良質で美味しい料理を納得の価格で提供しているからだろう。

不況においてビジネスを維持することは大変難しい。でも、そこを乗り切ることができるビジネスはやはり本物のサービスなり、製品なりを提供するものなのだ。

旧港4

古びた内装が依然として放置されていることからも状況は決して楽ではないと見た。しかし、給仕の年季の入って落ち着いた対応、途絶えることのない客の流れ、そしてこの納得の味からも、この店も本物を提供するレストランだということを確信した。
タグ:
フランス マルセイユ パエリア ご当地グルメ シーフード 

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フランスの魅力を全てお見せします。。
初雪1
マルセイユの初雪
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2012/02/07 20:29
コメント(0)
朝起きて窓から外を眺めてみると、目の前に一面、銀色の世界が広がっていました。マルセイユで雪が降ることは稀なので、とても驚きました。寒いのにベランダに出て、少しの間目下に広がる雪で覆われたマルセイユの町並みを見入ってしまいました。

ここ2週間ほど、寒波がヨーロッパを襲い、ベラルーシやポーランドなどでは日中気温が氷点下20度になるなど、極寒の毎日が続いており、多くの人が凍え死ぬという事態が発生しています。

しかも、この寒波はヨーロッパの対岸である北アフリカのマグレブ地方にまで達し、アルジェリアが雪で覆われ、ここでもまた凍死が相次いでいます。砂漠では温度差が激しいというものの、雪まで降るか・・・・・と信じられない思いでテレビ報道を見つめてしまいました。

初雪1

フランスもご他聞に漏れずで、マイナス20度とはいかないにしても、北部や内陸地域では氷点下の気温が続いています。ホームレスのためのシェルターがここ数週間はフル稼働していますが、やはり凍死が相次いでいます。社会主義の国だというのに、貧困は社会にしっかり根を張っており、ホームレスには事欠きません・・・。

しかも驚きなのは、貧しいがために電気が使えず、家にいても氷点下の気温で生活する人がいるということです・・・。

原子力発電所が各地に多々設置されていることで世界に名を馳せているのだから、電気ぐらいは安価かつ十分に供給してもよさそうなものです。しかし、電気料金は日本のそれと大して変わらず、一般のフランス人にとっては割高だと考えられています。そのため、電気代を払えない人が各地で続出し、極寒のなかで生活することを余技なくされています。

先進国の一員であり、全ての国民に人間らしい生活を保障するべく過酷な平等主義を貫くフランスにおいて、電気代が払えずに氷点下のなかで生活を余儀なくされる人々が各地で見られるなんて・・・・。理論と現実の乖離が激しいこの国においては、あまり驚く現象でないのかもしれません・・・。

初雪2

マルセイユでは、先週の頭まで日中気温が15度ぐらいの温暖な毎日が続いていました。しかし、それ以降、気温が急激に下がり、日中でも1-3度ぐらいにしか上がらない寒い毎日が続いています。先週の水曜日だったと思いますが、微かに雪がチラついたことがありました。でも、2分もしないうちに止んでしまいました。

そして、昨晩から降り積もった雪景色の登場です。朝起きた時には既にあかっていたので、雪が降っている光景を見ることはできませんでした。地中海を覆う雪景色というのも、これまたオツなものかもしれません。

確か6年程前にマルセイユで初めて雪が降り、子供達が大喜びしていたという話を聞いたことがあります。喜び勇んで雪の味見をした子供達もいたとか・・。南仏では雪が珍しいので、雪を始めてみる子供も多かったことだと思います。

でも、大人になると、車がスリップするだとか、交通渋滞が起きるだとか、寒さで風邪をひかないかなど現実的なことしか頭に浮かばなくなります・・・。

雪が美味しいと思う豊かな感性をいつまでも持ち続けたいものです・・・。
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