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エリア:
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テーマ:
- 観光地
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- / ドライブ
野菜ソムリエRieです♪
兵庫県で実施中の「あいたい兵庫キャンペーン2013 」
「兵庫・ブロガー100人戦国トリップ 」で、
オフィシャルブロガーに選出され、
先日、丹波・篠山方面へブログ旅に行ってきました。
事務局により認定されたオフィシャルブロガーが、
兵庫県の各地を実際にめぐり、お城周辺のご当地グルメや観光スポット、
宿泊施設などのレポートを各自のブログでPRし、
兵庫のお城をはじめ周辺各地の観光の魅力を伝えるという企画です。
前回までのあらすじ♪
ブログ旅1日目、丹波市市島町の「小鼓」西山酒造場散策した後、
丹波市柏原町へ向かい、元呉服店の町家をリノベーションした
イタリアンレストラン「Olmo」でランチをいただきました。
前回の記事は、よろしければこちらをご覧くださいね。
↓↓↓↓↓
http://www.tour.ne.jp/blog/vegetables_fruit/73603/

ランチの後、丹波市春日町にある名刹・興禅寺へ向かいました。
白ねり塀と高い石垣、そしてぐるりと石垣を囲む七間堀。
まるで戦国時代のお城を思わせる佇まいです。

興禅寺は、明智光秀の家臣だった斎藤利三の館跡に建てられたお寺です。
黒井城の下館として利用されていました。
戦国時代の戦では、敵を迎え撃つために、
城主や家臣が山城に籠城する戦法がとられましたが、
戦のない時には、山を下りた地に作った、いわゆる「下館」で、
日常の業務をこなすのが一般的だったようです。
利三には三人の娘があり、この地で生まれた三女「お福」は、
のちに、徳川三代将軍・家光(幼名・竹千代)の乳母となった女性。
「大奥」の大権力者として、一時代を築き上げた
「春日局(かすがのつぼね)」といえば、
ご存知のかたも多いのではないでしょうか。

徳川三代将軍・家光(竹千代)の乳母は、
丹波国氷川郡春日井庄の出身であったことから、「春日局」と呼ばれました。
天正7年(1579年)に生まれた「お福(春日局)」ですが、
ここには3年あまりしか居住しませんでした。
天正10年(1582年)に勃発した本能寺の変、その後の戦によって、
明智光秀の家臣だった父・斎藤利三は、京都で非業の最期を遂げています。

興禅寺内にある、「お福(春日局)」産湯井戸。
きれいに整備されているようです。

1989年のNHK大河ドラマでは「春日局」が放送されて、
このお寺にも大勢の観光客が訪れたのでしょうね。
放送からすでに24年が経過しているので、訪れる人は少なく、
ひっそりとした佇まいでした。

興禅寺から歩いて約10分程度の場所に、
「黒井城跡」の石碑がありました。

別名を「保月城」ともいい、建武2年(1335年)頃、
足利尊氏の軍勢として新田義貞と闘って勝利をおさめた、
赤松貞範によって築城されたといわれるお城です。
その後、戦国時代になって、明智光秀の丹波攻めにより落城。
さきほど興禅寺でご紹介した斎藤利三が城主となりました。

右側の鳥居の奥には階段が続いていて、左側には登山道があります。
どちらからでも黒井城跡へ登ることができるのですが、
ここから徒歩40分程度の道のりです。
人通りも少なく、女子だけで登るのは少し物騒なかんじのする、
鬱蒼たる林が続いています。
女子といっても、かなり高齢な女子たちですけど(汗)
今回は、母との旅だったので、体力的なことを考慮して登山はしませんでしたが、
次回、チャンスがあれば、用心棒に主人やワンコを連れて登り、
城跡からの絶景を眺めてみたいです。
「兵庫・ブロガー100人戦国トリップ」次回もどうぞお楽しみに♪
野菜ソムリエRieでした♪
兵庫県で実施中の「あいたい兵庫キャンペーン2013 」
「兵庫・ブロガー100人戦国トリップ 」で、
オフィシャルブロガーに選出され、
先日、丹波・篠山方面へブログ旅に行ってきました。
事務局により認定されたオフィシャルブロガーが、
兵庫県の各地を実際にめぐり、お城周辺のご当地グルメや観光スポット、
宿泊施設などのレポートを各自のブログでPRし、
兵庫のお城をはじめ周辺各地の観光の魅力を伝えるという企画です。
前回までのあらすじ♪
ブログ旅1日目、丹波市市島町の「小鼓」西山酒造場散策した後、
丹波市柏原町へ向かい、元呉服店の町家をリノベーションした
イタリアンレストラン「Olmo」でランチをいただきました。
前回の記事は、よろしければこちらをご覧くださいね。
↓↓↓↓↓
http://www.tour.ne.jp/blog/vegetables_fruit/73603/

ランチの後、丹波市春日町にある名刹・興禅寺へ向かいました。
白ねり塀と高い石垣、そしてぐるりと石垣を囲む七間堀。
まるで戦国時代のお城を思わせる佇まいです。

興禅寺は、明智光秀の家臣だった斎藤利三の館跡に建てられたお寺です。
黒井城の下館として利用されていました。
戦国時代の戦では、敵を迎え撃つために、
城主や家臣が山城に籠城する戦法がとられましたが、
戦のない時には、山を下りた地に作った、いわゆる「下館」で、
日常の業務をこなすのが一般的だったようです。
利三には三人の娘があり、この地で生まれた三女「お福」は、
のちに、徳川三代将軍・家光(幼名・竹千代)の乳母となった女性。
「大奥」の大権力者として、一時代を築き上げた
「春日局(かすがのつぼね)」といえば、
ご存知のかたも多いのではないでしょうか。

徳川三代将軍・家光(竹千代)の乳母は、
丹波国氷川郡春日井庄の出身であったことから、「春日局」と呼ばれました。
天正7年(1579年)に生まれた「お福(春日局)」ですが、
ここには3年あまりしか居住しませんでした。
天正10年(1582年)に勃発した本能寺の変、その後の戦によって、
明智光秀の家臣だった父・斎藤利三は、京都で非業の最期を遂げています。

興禅寺内にある、「お福(春日局)」産湯井戸。
きれいに整備されているようです。

1989年のNHK大河ドラマでは「春日局」が放送されて、
このお寺にも大勢の観光客が訪れたのでしょうね。
放送からすでに24年が経過しているので、訪れる人は少なく、
ひっそりとした佇まいでした。

興禅寺から歩いて約10分程度の場所に、
「黒井城跡」の石碑がありました。

別名を「保月城」ともいい、建武2年(1335年)頃、
足利尊氏の軍勢として新田義貞と闘って勝利をおさめた、
赤松貞範によって築城されたといわれるお城です。
その後、戦国時代になって、明智光秀の丹波攻めにより落城。
さきほど興禅寺でご紹介した斎藤利三が城主となりました。

右側の鳥居の奥には階段が続いていて、左側には登山道があります。
どちらからでも黒井城跡へ登ることができるのですが、
ここから徒歩40分程度の道のりです。
人通りも少なく、女子だけで登るのは少し物騒なかんじのする、
鬱蒼たる林が続いています。
女子といっても、かなり高齢な女子たちですけど(汗)
今回は、母との旅だったので、体力的なことを考慮して登山はしませんでしたが、
次回、チャンスがあれば、用心棒に主人やワンコを連れて登り、
城跡からの絶景を眺めてみたいです。
「兵庫・ブロガー100人戦国トリップ」次回もどうぞお楽しみに♪
野菜ソムリエRieでした♪
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