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ねこたんの足あと

~あちこち行って。いろんなもの見て聞いて歩いて食べて。~

プロフィール

ニックネーム:
yummy
居住地:
東京都
性別:
女性
自己紹介:
本業は小説を書くかたわら、
占いとヨガのサロンを主宰しています。

占いは手相とタロットカード。
ヨガは南インド ケララ州で州公認のインストラクター資格を取得しました。
少人数制のクラスを展開しています。
ご興味のある方は、
http://alvayu.jp
にアクセスしてみてくださいね。


小さい頃からアフリカに憧れていて、海外旅行デビューはエジプト。それからケニアへ行き、念願のサバンナに。アフリカのあとにアジアに行き始め、人からはよくルートが逆だよ、と言われました。

私はその国の何かひとつでも見たいものがあれば、どこへでも行きます。それがきっかけですが、あとは行き当たりばったり。何かをするため、にその国へ行くわけではなく、ただただその国に浸かるような旅をします。
だからこそ、生きた情報をその場で得ることができるのだと思います。

どちらかといえばカオス的な国を旅するのが好きですが、でも近年ヨーロッパも堪能しました。先進諸国もきっちり知り、その両方を知ることが大事だと思ってますから、あまり偏ることもありません。

もうずっとヨガ修行をするため、定期的にインドへ行っています。一回の旅行期間は約2ヶ月ほど。滞在型なのでその地については精通していきます。前回は昨年11月に、今年もまた秋に訪れる予定です。

私が旅先で出会ったできごとや人たち、おいしいものやホテルやショッピング、交通事情、失敗談や病気になったこと、コワかったことなどのトピックや情報が旅する人たちの役に立てばとてもうれしいです。

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11 - 15件目まで(19件中)

メディラテオにて
インド生リポ ●カジュラーホー編#2 うるせーのなんのって
エリア:
  • アジア>インド>カジュラホ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 グルメ 
投稿日:2011/11/13 01:49
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2011/11/02

うるさくって落ち着けないとこだ、カジュラーホーは。

とにかく客引きがうるせーのなんのって。
基本インドはどこでも客引きがうるさいが(バンダウガルは一切なかったが)、ここはなんか久しぶりにうるさすぎる。
コバラムもうるさかったが、ここのうるささは煩わしい。
しつこい。日本語ができるせいかもしれないが、本当にうんざり。
落ち着いて歩くこともできない。

しかもゆうべは午前0時近くまでどっかでレイブをやってたのか、店でそれらしいCDをかけてたのかわからんが、うるせーのなんの。今では耳障りでしかないテクノを聞かされて、部屋でいらいらしてた。今日聞いたらお祭りだったそうで。今夜はどうかありませんように。
はぁバンダウガルの超静けさがなつかしい。
はぁコバラムの音といえば波音だけの夜がなつかしい。

ランチはホテルのオーナーがおごってくれた。
日本語ができるおっさんなので、日本人とみると喋りたいらしい。
しかもこっちがヨガ教えてるとか瞑想もしてるとか手相もできるといったら、めっちゃはりきっちゃって語る語る。
おっさんも瞑想が趣味らしく、別に尋ねたりもしていないのに瞑想について1時間ほど語られた。まぁ語られっぱなしにはさせなかったけど。
話のクドい男は老いも若きもダメだね。

同じホテルに泊まってたコロンビア人兄弟がチェックアウトした。
たまたま顔を合わせたので少しトーキング。
コロンビア人は、アシュラムで会ったワニータ(女)もそうだったが肌の色が白い。英語も流暢なので一見するとアメリカン。
コロンビアBrosはインドのあとネパールと東南アジアもまわるらしい。
兄弟で旅するっていいね。バンダウガルで会ったオーストリア人の二人組も姉妹だった。もし趣味が合うなら兄弟姉妹で旅するってまったく気を使わないからきっとラクだよなぁ。
その点、ウチはダメだね。妹とは旅の趣味がまったく違うから。
そうそうこのコロンビア人弟、大の日本好きで何回か日本に旅行しに来てるそうだ。
私が日本人だとわかると、この男もめっちゃ喜んじゃって、「ニンジャ」だの「エド」だの「イガ」だの連発(笑)。出たーニッポンかぶれ。来年また日本に来たいと言っていた。

11年前にごはんを食べたイタリアンレストランメディラテオにお茶しに行った。
聞いたら1991年オープンだという。
やっぱり来たのはここだろうと思う。
でっかいアップルパイとちゃんとブラックのコーヒーを口にして機嫌を直す。

遺跡の町だが、遺跡を見ずに今日が終わっていくなー。
ま、一度見てるからね。

カジュラーホー老舗のイタリアンレストラン メディラテオの
アップルパイ&コーヒー
ここはピザもスパも本格的。正直東京のそこらへんの伊レストランより
おいしい。石窯もあった。

メディラテオにて

NoPhoto
インド生リポ ●カジュラーホー編#1 11年ぶりのカジュラーホー
エリア:
  • アジア>インド>カジュラホ
テーマ:街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2011/11/05 13:35
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傷心のバンダウガルから一路カジュラーホーへ。
快適さがクセになりそうなプライベートタクシーで約5時間。
着いてビックリ、私の記憶にあるカジュラーホーとは全然別の町になっていた。

北インドと東インドのちょうど境目にあるカジュラーホーはエロティック彫刻の寺院遺跡が有名な村。この遺跡群は世界遺産に登録されている。
私は……そう、もう11年も前になるだろうか、初めてインドを長旅したときカジュラーホーを訪れていた。
のどかで静かな片田舎の村。
あのときはバラナシから来たので、そののんびり感や人の少なさが余計に際立った。
ちょうど暑い時期で、日中の気温は48度。西群寺院遺跡の前にある巨木の木陰で、この暑いのにチャイを飲みながら村の人たちが休んでいたのを覚えている。
レストランもホテルも多くなく、夜は8時を過ぎると村は暗闇に沈む。
なんでわざわざカジュラーホーにあるんだかわからないイタリアンレストランのイルミネーションが暗闇をわずかに明るくしていた。

その印象のまま今回来たのだが、あまりの変わり様にただただ呆然。

湖の前はただの土手だったのに、今はきれいに舗装され遊歩道になっており、レイクサイドのシケたみやげ物屋通りがホテルにレストラン、ショップが並ぶ。
客引きたちのしつこさ、うるささも以前では考えられないほど。
夜9時になっても10時になってもにぎやかな音楽が聞こえてくる。
もはやのどかな村ではなく、インドのよくあるツーリストタウンだ。

客引きたちをあしらいながら、あの巨木を探した。
それは前と同じ場所にあった。
ただその周りはショップがズラリ。

もうひとつ探してみる。
暗闇をわずかに照らしていたあのイタリアンレストラン。
あのとき知り合った日本人夫婦とディナーを食べた店。
ルーフレストランで、確かピザを食べたっけ。
巨木のところを右に折れて少し歩いたところにあったような……。
うるさい客引きに、ここら辺に昔からあるイタリアンレストランはないか、と尋ねた。
客引きは張り切って頭上を指差す。
そこにはイルミネーションに縁取られた、イタリアンのメニューを掲げたレストランがあった。
うろ覚えだが、もしかしたら本当にここかもしれない……。

11年。
そりゃあインドでなくても変わるだろう。
というより、やはりインドも変わるのだ。その変化は都市だけではない。
あのときは遺跡を見たら他に何もない退屈な村だった。
が、今回はそうでないかもしれない。
ただ、あののどかで退屈で静かなカジュラーホーが失われてしまったのは残念だ、勝手な言い分ではあるけれども。

NoPhoto
旅エッセイ〜そろそろインドに行く季節。。。
エリア:
  • アジア>インド>ムンバイ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 ホテル・宿泊 
投稿日:2011/09/16 02:13
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今月末からインドへ行く。
今回は仕事がらみでもあるのだが、それが済めばあとはフリー。
一ヶ月ほどインドをまわって、経由地である香港に寄って帰国する予定だ。

今回のインドでの最大の目的は念願の野生のトラを見ること。
もう長い間の目標だった。今回は決してハズさないつもりでいる。。。
地球を代表する猛獣系は、……野生の、ということだが、ほとんど見ている。
あと見ていないのはインドのトラとアメリカのピューマと、ヒマラヤの雪豹くらいだろうか……??

それにしてもよくインドに行くよなぁ。
特にインドが大好きってわけでもないんだけど。。。やっぱりなにか縁があるのだろう。
もう何回目のインドになるだろ。
8回目……かな? ……8回!

といっても毎回長旅してるわけじゃない。
初めてインドの地に立ったのは、ケニアへ行くためのトランジットだった。
トランジットのためにどうしてもボンベイ(今じゃムンバイと呼ばれてるけど、ボンベイという響きの方がクールだと思う)で一泊しなければならなかった。
最近ではケニアへ行くときはドバイ経由がメジャーだが、あの頃はアフリカ行くならエアインディア、が常識だった。欧州まわりはかなり高額だったから。
そういうわけで初めて訪れたインドの町はボンベイだった。

正直、度肝を抜かれた。
今も鮮明に覚えている。
夜遅くボンベイの空港に着いたのだが、あの生ぬるい空気と大きいけれど殺風景な暗い空港。到着ロビーの玄関を出たところのフェンスに群がるインド人。玄関のライトは暗かったのでインド人の大群はただただ不気味だった。
そしてなんといってもあのニオイだ。
めっちゃくそ臭い。充満する排泄物と饐えたニオイ。生ぬるく蒸し暑い暗い空気のなかでニオイが生きもののように蠢いているようだった。
これが、インドか。

その頃はまだ海外経験が浅かった私は、ケニアへのツアーに参加していた。
ツアーが用意したバスに乗り、ホテルへ向かう。
空港を離れはしたが、辺りは真っ暗だった。
バスのライトがかろうじて前方を照らしているだけ。道の両側がどうなっているのかさっぱりわからない。ただの空き地なのか畑なのか、人がいるのかいないのか。
ただ、バスの開け放した窓からは強烈なニオイが流れこんでくる。
その汚物のニオイは空港にいたときよりも倍以上強い。
窓を閉めたかったが、閉めようとしてもぴくりとも動かない。……インドのバスとはこういうものかと早々に受け入れた。

やがてぽつんぽつんと明かりが見え始め、バスは市内に入ったようだった。
時刻は何時頃だったろう。。。午後9時か10時か……遅いといってもそれほど遅い時間ではなかったはずだ。が、電灯の少ない通りに人の気配はなく、店はすべてぴっちりシャッターが降りている。
確かボンベイはインド第二の商業都市だったはず。そんな町でもインドは夜が早いのか……。
突然斜め前方で黒いかたまりがどよん、と動いた。そのかたまりがバラける。
バスがその脇を通り過ぎるとき、どきりとした。
そのかたまりは人だったのだ。
かろうじて見えたそれは、リヤカーのようなものを中心に人が集まっていたようだ。暗闇に同化してよくわからなかったが、地べたに何人もの人が寝転がっていた。
びっくりした。
路上で寝るなんて。
なんで?
はじめは友人同士で遊んでいるのかと思った。が、その後ホテルに着くまでにいくつもの黒いかたまりを見ることになった。
ホテルに着くころには、彼らが路上生活者であるということに、当時はまだウブだった私もさすがに気付くことができた。
これが、インドか。

あのときはケニアのことで頭がいっぱいでインドのことはどうでもよく、しかも一泊のトランジットだったのでほとんど何の知識もなかった。宿泊したホテルがインド一有名なホテルグループ、タージの5ツ星ホテル タージマハルだということをあとから知ったくらいだ。

広く豪華な部屋からは目の前にインド門が見え、海が見えた。
朝、テラスに立つと昨夜とはまるで違うインドの町の風景が眼下に見下ろせた。
しかし素晴らしいビューもロケーションも、あいかわらずのニオイにかき消された。
ただ昨夜の排泄物のニオイとはまた違う、排気ガスや腐った魚、ゴミといった強い生活臭だ。
このニオイは、その日一日ボンベイを観光したが、常につきまとっていた。
このニオイがインドのニオイなのだろう。おえ、耐えられん。
服にもばっちりインド臭がつき、ケニアへ行ってから早々に洗濯したのはいうまでもない。

寺院や公園、有名なボンベイのビーチを観光した。
公園では本物の蛇使いがいてウケた。
本当に笛を吹くと、壺からコブラが出てくるのだ。
なんだかコブラが可哀そうだった。

とにかく暑くて臭くてぐったりだった。
どこへ行っても物乞いが寄ってくるし、ビーチでは男同士が手をつないだり肩を抱いて歩いているし。インドってのはゲイが多いのか?? ……インドの文化も習慣も知らなかった私には不思議なことがいっぱいだった。

そして再び度肝を抜かれた。
ボンベイのビーチ沿いをバスで走っているときだった。
渋滞でクルマの流れが途絶えたとき、何台か先の黒塗りのハイヤーに犬が一匹近づいていくのが、バスの窓から見えた。
ハイヤーの後部座席には年配のヨーロピアンの男女が二人乗っている。
脚の長い、痩せた黒い大きな犬だった。
犬はハイヤーのすぐそばまで来ると、後ろ足で立ち、前足をハイヤーの後部座席の窓にかけた。
食べ物でもおねだりしているのか。それにしても大きな犬だ。。。
渋滞はじりじりと動き始め、やがて私の乗っているバスはハイヤーの近くまで進んでいった。
--そのときの衝撃は今も忘れられない。
犬だと思っていたその生きものは、少年だった。
足腰が立たない、四つん這いでしか歩けない人間の子供だったのだ。
少年は棒のように細い脚をふんばり、からだを起して、窓に手をかけ、ハイヤーのヨーロピアンに必死に物乞いしていた。
年配のヨーロピアンは、ぴっちり締まった窓の内側からどうしてよいかわからないような顔で少年を眺めていた。
ドライバーが運転席の窓を開け、少年に怒鳴った。
少年はその怒鳴り声を聞くと、腕を窓から離し、再び四つん這いになった。膝をつかない、本当の4本足の動物のように。
少年は首を垂れながら、クルマの間をすり抜け、そのままビーチへと降りていった。
私はショックでしばらく呆然としていた。
これが、インドの現実なのか。

タージマハルホテルをチェックアウトし、空港へ向かう。
私のバスはツアー会社が手配したバスだから、ツアー客しか乗っていない。が、突然一人の日本人の女の子が乗って来た。彼女はドライバーと軽く言葉を交わすとシートに座る。
彼女はクルタ(インド人女子のふだん着。このときは名前も知らなかった)を着ていた。

バスは出発し市内を抜けていく。
空港へ近づくにつれ、例の強烈な排泄物のニオイが漂い始めた。
いったいどうしてこんなニオイがするのだろう。
やがてその原因が突如として目の前に現れた。
それは巨大なスラムだった。
空港の周りは一大スラム地域だったのだ。
薄いベニヤに汚れた幌をかぶせただけのテントが無数にひしめきあっている。
下半身まるだしで走り回る幼児、側溝で用を足す大人たち……。ゴミの山、飛びまわるハエ、くすぶる火。
私は身をかたくして窓越しにその風景を見つめていた。
テレビではなく、ライブの風景なのだ。
そのとき、さっきの日本人がドライバーに声をかけ立ちあがった。ドライバーはバスを止め、ドアを開ける。彼女は礼をいうとバスを降り、瞬く間にスラムの中へ入っていった。
それもまた衝撃だった。
彼女はいったい何者なのだろう。今思えば、彼女はきっとJICAあたりのボランティアだったのかもしれない……。
こんなスラムがあることも、あんな日本人がいることも--インドなのだ。

たった一泊のボンベイ滞在だったが、すでにインドの洗礼を受けたといっていいかもしれない。
その日の夜、私は無事ケニアのナイロビに着いた。
空港を出たときはちょうど雨が上がったばかりで、その空気はとてもみずみずしく、芳しかった。インドとは全然違うと心底思ったのを覚えている。

この2年後に再びケニアへのトランジットでボンベイに寄ったが、そのときはスラムが縮小されており、さらにその数年後に訪れたときはきれいに撤去されていた。
あの強烈な汚物臭をもう嗅ぎたいとは思わないが、巨大スラムを見ておいたことは、自分のためになったと思う。

まぁあのときはその後何度もインドへ足を運ぶことになるとは、まったく思っていなかったけれど。。。。。。

ビーチは紫外線100%!
旅のトラブル対処法・健康編4 〜侮るな、紫外線〜
エリア:
  • アジア>インド
  • アフリカ>ケニア
  • アジア>ネパール
テーマ:街中・建物・景色 ビーチ・島 旅行準備 
投稿日:2011/08/24 00:09
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2011年、今年もまたインドへ行く季節がやってくる。
10月にはきっと上陸している。
そして毎度おなじみ細かいパッキングが待っている。ああめんどくさ。

ちょうど今日本は夏真っ盛りなのでUVケア用品がたっぷり安く売られている。
インド用に今買っておくのが賢い。やはりSPF50 PA+++。

インド、アジアはもちろん、アフリカ、ビーチ、砂漠……どこへ行くにしろ、紫外線対策は必須である。
女も男も。
別に大丈夫だしーーと思う人も山ほどいるだろうが、そのときは大丈夫でも、その油断はそれから数年後に突如として顔やからだに現れる。
きれいな30代、40代、それ以上になりたい方はとにかく必須です。

どんなUV対策が効果的か?

まずは必ず顔にだけでも日焼け止めクリームやローションを塗る。
SPF50 PA+++ と表示されてあるものがいい。これが日本で今のところ日焼け止めの最高数値だ。
できれば首のうしろや鎖骨のあたり、腕、手の甲、膝から下、足の甲にも縫っておくといい。
ちなみに私はボディ用、フェイス用は分けている。
ボディにはドラッグストアで手に入る類のもの。いろいろ塗り試ししたなかで、NIVEA系がお肌になじみがいいようだ。
フェイスには……じゃーん、DIORの今年発売されたBBクリーム。ちょっとお高いが、肌が本当にきれいに見える。しかもファンデも必要ないくらい。店のおねえさんはBBの上にさらにファンデを塗ることを勧めていたが、パウダーをはたけば問題ないくらい。

UV対策には小物使いも大事。
サングラス。なるべくグラスが大きいもの。ストールやスカーフ。これは髪をアップにしたときに首まわりを守ってくれるし、肩や背中もカバーしてくれる。ストールに関しては現地調達も可能。
そして帽子……と言いたいところだが、帽子は意外にめんどくさい。かぶったり脱いだりしてる間にいつのまにかなくなっていたり、髪の生え際にじと〜っと汗をかいて不快だったり。そもそも顔全部をカバーしてくれるわけでもない。
そこでおススメなのが、日傘だ。
日傘は効果抜群だ。私は晴雨兼用折り畳み傘をバックパックやスーツケースに必ず入れておく。めんど〜〜という気持ちもわかる。確かに荷物になるし、さしたり閉じたりめんどくさい。しかし、あるのとないのとでは日焼け度と、そして疲れ方が全く違う。

そういう私も昔からUV対策に必死だったわけではない。
20代の頃は相当てきとーだった。
エジプトやらケニアやらから帰ってきても、さほど日焼けした記憶もないし、元々色白な私は日射しでぐんぐん焼けることもなかった。
私って肌が丈夫できれい。
ずっとそう思っていたのだ。
ところが。30代になり、あるとき一ヶ月のネパール旅行から帰ってきたときに状況は激変した。
あご辺りににきび発見。しかもひとつふたつではない。赤く大きい。
薬を塗っても化粧品を変えても一向に直らない。赤みが引いても跡は残ったまま。
しかも口の周りのほうれい線がやけに目立つ。
ヤバい!!!
このままだと一気に老化へまっしぐらだ。
でもなぜ? 肌は丈夫できめ細かくきれいなはずの私が??

やむなく私はエステへ通い始めた。
おカネがかかるので、初回体験無料や優待券を使いまくりあちこちのエステに行きまくった。その結果、腕が確かで気の合うエステシャンのいる某エステサロンにしばらく通うことにした。
彼女は言った。
「本来はとてもきれいな肌なんですよ。でも乾燥がひどくて、肌の代謝力が落ちてしまっていて、だから汚れをため込んで、結果今の状態になってるの。どうしてここまでひどくなったのかしら」
私は長年続けている旅の話をした。すると、
「紫外線が強くて乾燥していて、水もあまりきれいじゃないところばかりね。肌はそのとき平気でも後から影響が出てくるもの。これまでのツケがまわってきたってことですよ。ほら、ヨーロッパ人のマダムたちって背中とかシミだらけでしょう? あれは若いときに陽にあたりすぎたせいなのよ」

彼女の腕と私の努力によって、その後私の肌は回復した。
以来、私はUV対策には本当に敏感になった。あいかわらず紫外線の強い国ばかり旅しているが、現在は特に問題はない。
日傘を携帯し、道は日陰を選んで歩く。昼間は7分袖やストールを活用する。カフェでもバスでも直射日光を受けない場所へ移動する。
細かいことだが、後悔したくないので気を付ける。

もちろん、日焼けに対しては個人差があるだろう。
女子でも全く気にしない、むしろ陽に焼けるのが好きな人もいるだろう。
中にはファンデーションさえも「息苦しい感じがして」と塗らない知人もいる。
そういう人はばんばん焼けばいいし、10年後のシミやシワも自然な変化と受け入れればいいことだからね。

NoPhoto
ドキュメンタリー小説 マダガスカル・ジャーニーVOL.2 マダガスカル最初の夜 
エリア:
  • アフリカ>マダガスカル>アンタナナリボ
テーマ:街中・建物・景色 旅行準備 ホテル・宿泊 
投稿日:2011/06/24 23:42
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今はシーズンでホテルは混んでいる、と最初に助手席の男が言ったように、ホテルはどこもいっぱいだった。

最初の3軒はガイドブックの乏しい情報に従って連れて行ってもらった。が、全て満室。
マダガスカルでタナでこの遅い時間に3軒ともフラれるとは予想外だった。それは私だけでなく、彼と彼女も同じだったようだ。
「じゃあ何軒か僕らが知っているところにあたってみよう」
助手席の男が励ますように言った。が、その後も数軒不発に終わった。
まずい。
時間は過ぎる一方だし、ここまでタクシーを連れまわしたとなると、最初の交渉金額に上乗せされかねない。
そして、疲れてきた。
早くホテルでほっとしたい。
助手席の男がホテルのレセプションから戻ってきて、首を振った。
ここも満室らしい。
OK。ドライバーがハンドルを叩いて振り返った。
「ワシの知り合いのホテルに連れて行ってやろう。ただし、安くはないぞ」
……背に腹はかえられない、この際。

ホテル・ド・プリンスという名のホテルは確かにゲストハウスには見えなかったが、一泊の料金はそれほど高くはなかった。が、部屋は5階建ての最上階のスイートルームしか空いておらず、日本円にすると3000円ほど。
私たちは顔を見合わせた。
部屋にはツインベッドとソファがあった。
「どうする? 3人でシェアする?」私はふたりに訊いた。
「……オレはいいけど、もしキミらがイヤでなかったら」
彼はソファを指差し、オレはここで寝るから、と付け加えた。
「私もかまいませんよ」彼女も頷いた。
3人でシェアすれば一人1000円ですむ。一泊1000円はバックパックの旅としては安くはないが、部屋がよさそうなので納得できる。
バスルームへ行き、トイレの水が流れることとお湯のシャワーが出ることを確認する。
これで決まりだ。
私たちはタナの街を徘徊してくれたドライバーたちに礼を言い、おカネを渡した。

初めて出会った人と部屋をシェアすることは、一人旅では時々あることだ。
これまでにもそういうことがあったが、トラブルになったことは一度もない。それは不思議に幸運なことだ。
私たちは荷物をおろし、顔や手を洗い、ようやくほっとした。
部屋の中央にはテーブルがあり、ソファとイスがある。私たちはテーブルを囲んだ。

「オレは佐藤 陸」自分の寝床になるソファに座った彼が名前を告げた。
「私はハルカ。野田 遙です」私の隣に座った彼女が言う。
「私は」ふたりが私を見る。「秋野 楓」
最初の自己紹介は照れくさく、みなぎこちない。仕事のときはそんなふうに感じないのに。肩書きの入った名刺の力なのかもしれない。
「今夜は突然こんなことになっちゃったけど」リクが話し出す。
「オレ、明日朝早く出る予定だから」
「何時頃?」
「たぶん、6時とか7時。気にしなくていいからさ」
「タナから移動するんですか」ハルカが訊いた。
リクは頷き、
「アンチラベに向かう予定。マダガスカルをぐるってまわって、タナは最後にゆっくり見るつもりなんだ。……キミらは?」
「あ、私も午前中にはホテル出ますよ」
「どこかに行くの」今度は私が尋ねた。
「知り合いがタナに来ていて。その人に会う約束してるんです」
「しばらくタナにいる予定?」
彼女は首を傾げると、
「うーん。その人の予定によっては出るかも。たぶんその人とマダガスカルをまわると思うから」
「えーっと、か……」リクが私を見た。
「カエデ」
「うん、カエデさんは」
「私は……2〜3日はタナにいるつもり。けど、ふたりが出るんじゃ、ホテルを探さないとなぁ。一泊3000円を一人で払うのはキツいし」
「宿、混んでそうでしたもんね」
「うまく見つかればいいけどね」
「ま、朝になれば動くツーリストもいるだろうから」とリク。
私はリクを眺めた。
ほとんど坊主で陽に焼けた精悍な顔付き。
「あのさ」私は彼の小型のバックパックに視線を向け、
「荷物少ないよね。そのバッグ、ふつうのナップザックみたい」
ああ、彼はザックを引き寄せると、
「デカいのはナイロビの宿に預けてあるんだ。2〜3週間くらいで戻るからって」
「えー、ってことは相当長い旅なんですね」ハルカが目を輝かす。
「うん、まぁ……3年ぐらいかけてバイクで世界一周するんだよね」
驚いた。
「で、今ちょうど1年たった頃で」
「どこを走ってきたの」
リクは私を見ると、
「カナダから出発して北米、南米を縦断して、で、セネガルに飛んで西アフリカを南下して、南アフリカから今は東を北上中」
「アフリカのあとはヨーロッパ?」
「そう。ヨーロッパをまわってトルコからユーラシアを横断するつもり」
はぁ、私もハルカもため息をついた。
リクはそういう反応にはもう慣れているらしく、特に顔色も変えず、
「マダガスカルは中休みみたいなもん。ナイロビでバイクを点検に出しててね。それとスーダンとエチオピアのビザを申請してる最中で。ビザがおりるまで何日もかかるっていうからさ。じゃ、その間バックパッカーの気分でも味わおうかと思って」
そこまで言って、リクはようやく笑顔を浮かべた。
世の中、思い切ったことをする人がいるものだ。
「すごいなぁ。3年かぁ。私は日本出てから3カ月くらいなんですけど、あと3カ月くらいで帰る予定なんです」
「ハルカさんはどこ行ってきたの」リクが尋ねた。
「タイにしばらくいて、そのあとナイロビに。……カエデさんは?」
「私は……」
今回は3週間とちょっとの旅だ。
最初の数日をナイロビで過ごした。そしてマダガスカルに2週間、残りの1週間をケニアのビーチ、モンバサと国立保護区であるマサイ・マラで締めくくる予定でいる。
私には時間がない。だからマダガスカルも行きたい場所を効率よくまわるつもりでいた。
「3週間じゃあっという間ですね」
私はハルカの言葉に頷き、
「仕事があるからね。さすがに何カ月も休めない」
「仕事してるんだ」リクとハルカが同時に言った。
「え。うん。ふたりは?」
「私はバイト辞めてきました」
「オレも」リクは私から目を逸らし、
「仕事、何してるの」
フリ-のライターやってる、私は告げた。
「へー。リクさんもカエデさんもなんかカッコいいですねぇ」
「ふぅん、いい仕事だね」
リクは無表情につぶやいた。

マダガスカルの初めての夜、私たちはずいぶん遅くまで話していた。

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