記事一覧
16 - 19件目まで(19件中)

- 旅のトラブル対処法・健康編3 〜インドで犬に咬まれたら。。。
-
エリア:
- アジア>インド
- テーマ:街中・建物・景色 その他 動物
- 投稿日:2011/06/14 19:58
- コメント(0)
実際、インドにもタイにもネパールにも、つまりアジアには野良犬が山ほどいる。
毛が短いつるっとした犬。暑さに適したわんこたち。
彼らはいたっておとなしく、人間が何かしなければ何もしてこない。
店の軒先に寝ていても道端で座っていても、
彼らは彼らなりに上手に人と距離を保っている。
でも、もっとかまってほしーーという気持ちがありありと伝わってくるのが、ちょっと哀しくなる。
だって基本、触っちゃダメだからね。
病気持ってる可能性大だからね。
虫もいっぱいいそうだしね。
動物好きの私としては本当はかわいがりたいのだけど、旅の途中に犬によって病気になるのは絶対に避けたい。
……と、ずっと思っていたのだが、昨年インドで「犬に咬まれる」という大失態をした。
あれは本当に「油断した」の一言。
南インド・ケララ州のコバラムは、インドではレアなビーチリゾートだ。
リゾートといっても海とヨガとアーユルヴェーダしかない素朴なビーチ。マリンスポーツはサーフィンのみ。けどホテルやレストランは揃っていて不自由もない、どこまでもまったりできる場所。
そして野良犬がたくさんいる。彼らはビーチを駆け回り、時にはオープンエアのレストランに入ってきたり、ビーチ裏の迷路のような路地に突然集団で現れたりして人を驚かす。が、いたって平和的だった。
私はビーチ沿いの「SEA VIEW PALACE」というホテルに長逗留していた。
そこに一匹の犬がいた。
他のつるっとした犬とは違い、キャラメル色のロン毛をしたインドでは珍しい犬で、見た目おっとり、私は勝手に「コロちゃん」と呼んでいた。
最初は野良かと思っていたが、実はホテルの番犬だった。
けど勝手に外出したり、離れたレストランに出没したりしていたので、まぁ半野良といえなくもない。が、夜はちゃんとホテルに戻り、2階のゲストルームに上がる階段の途中で眠る。
ちゃんと番犬の役目を果たしているのだった。
何日も泊まっていたので、そのうち私とコロちゃんは顔見知りになり、挨拶する仲になった。そして頭を撫で撫でするようになった。……今考えてみれば、このときすでに私は油断していたのだろう、いつもの旅とは違うことをしていたのだから。
彼の本名は「ランボー」。
こんなおっとりした犬になんでそんな荒くれた名前を付けたんだろ?
それともうひとつ。なんでホテルのマネージャーもスタッフも彼に対していまいち遠慮勝ちなんだろ。
いいこちゃんなのにね。
ところが、ある朝のこと。
コロちゃんは突然私に牙を剥いた。
その日もいつもと同じように寝そべっているコロちゃんにおはよう! と声をかけ、頭を撫でた。
その瞬間だった。
目にも止まらぬ速さで右腕をガブリ!!!
痛みより、まず驚いた。
右手のひらから血がつーっと垂れた。
次の瞬間、脳裏に浮かんだ言葉は「狂犬病」。
そうなのだ。
インドやアジアで犬に咬まれて最も恐ろしいのは狂犬病なのだ。
日本では犬には狂犬病予防接種をすることが義務づけられているが、こちらではない。特に野良犬は100%接種は受けていないといっていいだろう。
狂犬病は、もし発症したら100%死に至る怖ろしい病気だ。
ヤバい。
ホテルのスタッフが集まってきて、私はすぐに水で傷口を洗った。スタッフたちは私を心配しつつも口々に、
コイツは注射しているから大丈夫だよ。
みんな咬まれてるけど、誰も死んでないから大丈夫。
時々急に咬むんだよ、ランボーは。だからみんな気をつけてるんだ。
……なるほど。だからスタッフはみなコロちゃんに遠慮がちだったのね。。。
大丈夫だとは言われたが、やはりすぐに病院へ行くことにした。
歩いて10分ほどのところにあるUPUSANA病院へ着くと、ドクターがすぐに診てくれた。
さて、インドでは犬に咬まれて病院へ行くと、たとえどんな犬に咬まれようとも狂犬病の予防接種を受けることが法律で決まっているという。
予防接種の回数は全部で5回。
まず咬まれた当日、その三日後、一週間後、2週間後、28日後だ。
その日は狂犬病以外に破傷風予防の注射もうってもらった。
料金は700ルピー(約1400円)。
三日後にまた来なさい、と言われたが、実は帰国日が迫っていて、どうしようかと思ったが、結局、滞在を一週間延ばし、3回目の接種を受けたところで日本へ帰国した。
ちなみに狂犬病予防接種の一回の料金は、以後500ルピーだった。
日本へ帰ってからも引き続き接種を受けねばならなかった。
だから感染症病棟がある病院を探した。接種はどこの病院でも受けられるわけではないためだ。いくつか見つかったが、料金をきくと、保険が使えない場合は一回につき1万円を超える。
最終的に見つけたのは、駒込にあるがん・感染症センター都立駒込病院。
ここはいつ行ってもワクチンが用意されており、保険もきいた。
インドでつくってもらったカルテを持って病院へ行き、4回目の接種。
料金は保険がきいて約5,000円。単純計算でもインドの5倍。
あと一回だ。……が、ドクターがこんなことを言った。
「あなたを咬んだ犬が、あなたを咬んでから10日以上無事に生きていれば、その犬は狂犬病ではないので、あなたは5回目の接種を受ける必要はありませんよ。……でも、その犬が今どうしてるかわからないですもんねぇ」
いや。わかる。
私はすぐにまだコバラムにいる友人に連絡をとった。
ありがたいことにコロちゃんは元気にしているという。
ということは私にはもう接種は必要ないということか。
以前同じコバラムで犬に咬まれた友人は、もっともそのときはジーンズの上から甘噛みされた程度だったのだが、彼女は結局5回の接種を受けた。が、そのときの犬は完全な野良だった。そして10日後、その犬が生きているかどうか確認はできなかった。それもあって彼女は根気よく接種を受けたのだが、私の場合は状況が違う。
コロちゃんは元々接種を受けており、今なお元気だというのだ。
じゃあまぁ大丈夫か。
今回はこれで止めておこう。
その旨を後日病院に電話して伝えた。
お次は海外旅行保険の請求だ。
全ての治療が終わった時点で請求ができる。私は自分が持っている某クレジットカード会社に電話し、書類を取り寄せた。
病院側のサインなど特別なものが必要になるかと思ったが、クレジットカード会社の請求申し込み用紙に必要事項を記入し、治療の領収書を添付するだけで済んだ。けっこう迅速に処理してくれたようで書類を送ってから10日後ぐらいには銀行口座にインドと日本でかかった治療費が全額支払われた。
あーーーよかった。。。
さて。
今回学んだことは、やっぱり絶対に犬に咬まれないようにすること、だ。
痛いし。かなり血も出たし。痛みがひくのも跡が消えるのにも時間がかかったし。
そしてムダな出費も。
もちろん、海外旅行保険に入っていて、正当な手続きをすれば治療費は戻ってくるが、旅行中は実費で払わねばならない。
インドで接種1回500ルピー、日本円にすれば1000円ぐらいで大して高くないと思いがちだが、実はこの値段、医者の言い値なのである。
ローカルの知人によれば、ワクチン一回500ルピーなんてあり得ないほど高いそうだ。言われてみれば確かにそうだ。500ルピーなんてインドの庶民には簡単に払える額ではない。
あの医者。マジメな顔してツーリストだと思ってボリやがって。
おカネも確かにかかるが、それ以上に恐いのはやはり狂犬病だ。
日本ではリアル感がない病気なので軽視しがちだが、毎年インド、アジア、アフリカでは数万人規模で人が死んでいるという。
動物好きが手を出したくなる気持ちはわかるが、インドではそこはぐっとガマンして犬をやり過ごした方がいい。
ヨーロピアンなんかはよく野良犬の頭をぐりぐり撫でたり、ごはんをあげたりしているが、彼らも無類の犬好きなのか危機感がないのか、バカなのか…。
現地に滞在していた某日本人男子も「オレ、3回も咬まれてるけど平気だよ〜〜」とお気楽にかまえていたが、狂犬病は咬まれて10年経ってから発症する場合もあるのだ。アイツ、死ななきゃいいけどね。
けどもし、万が一犬に咬まれた場合。
すぐに傷口を水と石鹸で洗う。石鹸はウィルスの侵入を防ぐそうだ。
それから早く病院へ行こう。インドの病院はほぼワクチンをストックしているから安心だ。
あとはドクターに言われた通り、接種を受け続けること。
その際の領収書はしっかりもらってね。
「でもねぇ、あなたはまたきっとインドに行くんでしょう。そしたらね、渡航する前に予防接種を受けて行った方がいいんですよ。狂犬病だけじゃなくA型肝炎やコレラとか、他にもいくつかね」
以上が駒込病院のドクターの言葉である。
それにしてもコロちゃんに咬まれてショックであった。
わんこだって虫の居所が悪いときもあるもんね。けど人間と違って外からはわかりづらいしさ〜〜。
にも増してさすがインドと思ったのは、
咬んだコロちゃんを誰も責めなかったこと。
これがニホンとか欧米だったら、ホテルの犬が客を咬んだなんてことになったら大変な騒ぎになる、まちがいなく。
犬は最悪の場合、処分。
治療費、通院費は当然ホテル持ち。
訴訟にもなりかねない。
そこらへん、インドって鷹揚。
咬まれた人間が不注意。。。ってコトで事が終わってしまう。
だから、もしインドで犬に咬まれても、
結局責任は自分でとることになる。
治療費出せ! なんてホテル側に迫ってもお互いが困ることになるだけなので、……やっぱり触らぬ犬にタタリなし。。。ってことでね。
痛々し〜〜でしょ、この傷。
毛が短いつるっとした犬。暑さに適したわんこたち。
彼らはいたっておとなしく、人間が何かしなければ何もしてこない。
店の軒先に寝ていても道端で座っていても、
彼らは彼らなりに上手に人と距離を保っている。
でも、もっとかまってほしーーという気持ちがありありと伝わってくるのが、ちょっと哀しくなる。
だって基本、触っちゃダメだからね。
病気持ってる可能性大だからね。
虫もいっぱいいそうだしね。
動物好きの私としては本当はかわいがりたいのだけど、旅の途中に犬によって病気になるのは絶対に避けたい。
……と、ずっと思っていたのだが、昨年インドで「犬に咬まれる」という大失態をした。
あれは本当に「油断した」の一言。
南インド・ケララ州のコバラムは、インドではレアなビーチリゾートだ。
リゾートといっても海とヨガとアーユルヴェーダしかない素朴なビーチ。マリンスポーツはサーフィンのみ。けどホテルやレストランは揃っていて不自由もない、どこまでもまったりできる場所。
そして野良犬がたくさんいる。彼らはビーチを駆け回り、時にはオープンエアのレストランに入ってきたり、ビーチ裏の迷路のような路地に突然集団で現れたりして人を驚かす。が、いたって平和的だった。
私はビーチ沿いの「SEA VIEW PALACE」というホテルに長逗留していた。
そこに一匹の犬がいた。
他のつるっとした犬とは違い、キャラメル色のロン毛をしたインドでは珍しい犬で、見た目おっとり、私は勝手に「コロちゃん」と呼んでいた。
最初は野良かと思っていたが、実はホテルの番犬だった。
けど勝手に外出したり、離れたレストランに出没したりしていたので、まぁ半野良といえなくもない。が、夜はちゃんとホテルに戻り、2階のゲストルームに上がる階段の途中で眠る。
ちゃんと番犬の役目を果たしているのだった。
何日も泊まっていたので、そのうち私とコロちゃんは顔見知りになり、挨拶する仲になった。そして頭を撫で撫でするようになった。……今考えてみれば、このときすでに私は油断していたのだろう、いつもの旅とは違うことをしていたのだから。
彼の本名は「ランボー」。
こんなおっとりした犬になんでそんな荒くれた名前を付けたんだろ?
それともうひとつ。なんでホテルのマネージャーもスタッフも彼に対していまいち遠慮勝ちなんだろ。
いいこちゃんなのにね。
ところが、ある朝のこと。
コロちゃんは突然私に牙を剥いた。
その日もいつもと同じように寝そべっているコロちゃんにおはよう! と声をかけ、頭を撫でた。
その瞬間だった。
目にも止まらぬ速さで右腕をガブリ!!!
痛みより、まず驚いた。
右手のひらから血がつーっと垂れた。
次の瞬間、脳裏に浮かんだ言葉は「狂犬病」。
そうなのだ。
インドやアジアで犬に咬まれて最も恐ろしいのは狂犬病なのだ。
日本では犬には狂犬病予防接種をすることが義務づけられているが、こちらではない。特に野良犬は100%接種は受けていないといっていいだろう。
狂犬病は、もし発症したら100%死に至る怖ろしい病気だ。
ヤバい。
ホテルのスタッフが集まってきて、私はすぐに水で傷口を洗った。スタッフたちは私を心配しつつも口々に、
コイツは注射しているから大丈夫だよ。
みんな咬まれてるけど、誰も死んでないから大丈夫。
時々急に咬むんだよ、ランボーは。だからみんな気をつけてるんだ。
……なるほど。だからスタッフはみなコロちゃんに遠慮がちだったのね。。。
大丈夫だとは言われたが、やはりすぐに病院へ行くことにした。
歩いて10分ほどのところにあるUPUSANA病院へ着くと、ドクターがすぐに診てくれた。
さて、インドでは犬に咬まれて病院へ行くと、たとえどんな犬に咬まれようとも狂犬病の予防接種を受けることが法律で決まっているという。
予防接種の回数は全部で5回。
まず咬まれた当日、その三日後、一週間後、2週間後、28日後だ。
その日は狂犬病以外に破傷風予防の注射もうってもらった。
料金は700ルピー(約1400円)。
三日後にまた来なさい、と言われたが、実は帰国日が迫っていて、どうしようかと思ったが、結局、滞在を一週間延ばし、3回目の接種を受けたところで日本へ帰国した。
ちなみに狂犬病予防接種の一回の料金は、以後500ルピーだった。
日本へ帰ってからも引き続き接種を受けねばならなかった。
だから感染症病棟がある病院を探した。接種はどこの病院でも受けられるわけではないためだ。いくつか見つかったが、料金をきくと、保険が使えない場合は一回につき1万円を超える。
最終的に見つけたのは、駒込にあるがん・感染症センター都立駒込病院。
ここはいつ行ってもワクチンが用意されており、保険もきいた。
インドでつくってもらったカルテを持って病院へ行き、4回目の接種。
料金は保険がきいて約5,000円。単純計算でもインドの5倍。
あと一回だ。……が、ドクターがこんなことを言った。
「あなたを咬んだ犬が、あなたを咬んでから10日以上無事に生きていれば、その犬は狂犬病ではないので、あなたは5回目の接種を受ける必要はありませんよ。……でも、その犬が今どうしてるかわからないですもんねぇ」
いや。わかる。
私はすぐにまだコバラムにいる友人に連絡をとった。
ありがたいことにコロちゃんは元気にしているという。
ということは私にはもう接種は必要ないということか。
以前同じコバラムで犬に咬まれた友人は、もっともそのときはジーンズの上から甘噛みされた程度だったのだが、彼女は結局5回の接種を受けた。が、そのときの犬は完全な野良だった。そして10日後、その犬が生きているかどうか確認はできなかった。それもあって彼女は根気よく接種を受けたのだが、私の場合は状況が違う。
コロちゃんは元々接種を受けており、今なお元気だというのだ。
じゃあまぁ大丈夫か。
今回はこれで止めておこう。
その旨を後日病院に電話して伝えた。
お次は海外旅行保険の請求だ。
全ての治療が終わった時点で請求ができる。私は自分が持っている某クレジットカード会社に電話し、書類を取り寄せた。
病院側のサインなど特別なものが必要になるかと思ったが、クレジットカード会社の請求申し込み用紙に必要事項を記入し、治療の領収書を添付するだけで済んだ。けっこう迅速に処理してくれたようで書類を送ってから10日後ぐらいには銀行口座にインドと日本でかかった治療費が全額支払われた。
あーーーよかった。。。
さて。
今回学んだことは、やっぱり絶対に犬に咬まれないようにすること、だ。
痛いし。かなり血も出たし。痛みがひくのも跡が消えるのにも時間がかかったし。
そしてムダな出費も。
もちろん、海外旅行保険に入っていて、正当な手続きをすれば治療費は戻ってくるが、旅行中は実費で払わねばならない。
インドで接種1回500ルピー、日本円にすれば1000円ぐらいで大して高くないと思いがちだが、実はこの値段、医者の言い値なのである。
ローカルの知人によれば、ワクチン一回500ルピーなんてあり得ないほど高いそうだ。言われてみれば確かにそうだ。500ルピーなんてインドの庶民には簡単に払える額ではない。
あの医者。マジメな顔してツーリストだと思ってボリやがって。
おカネも確かにかかるが、それ以上に恐いのはやはり狂犬病だ。
日本ではリアル感がない病気なので軽視しがちだが、毎年インド、アジア、アフリカでは数万人規模で人が死んでいるという。
動物好きが手を出したくなる気持ちはわかるが、インドではそこはぐっとガマンして犬をやり過ごした方がいい。
ヨーロピアンなんかはよく野良犬の頭をぐりぐり撫でたり、ごはんをあげたりしているが、彼らも無類の犬好きなのか危機感がないのか、バカなのか…。
現地に滞在していた某日本人男子も「オレ、3回も咬まれてるけど平気だよ〜〜」とお気楽にかまえていたが、狂犬病は咬まれて10年経ってから発症する場合もあるのだ。アイツ、死ななきゃいいけどね。
けどもし、万が一犬に咬まれた場合。
すぐに傷口を水と石鹸で洗う。石鹸はウィルスの侵入を防ぐそうだ。
それから早く病院へ行こう。インドの病院はほぼワクチンをストックしているから安心だ。
あとはドクターに言われた通り、接種を受け続けること。
その際の領収書はしっかりもらってね。
「でもねぇ、あなたはまたきっとインドに行くんでしょう。そしたらね、渡航する前に予防接種を受けて行った方がいいんですよ。狂犬病だけじゃなくA型肝炎やコレラとか、他にもいくつかね」
以上が駒込病院のドクターの言葉である。
それにしてもコロちゃんに咬まれてショックであった。
わんこだって虫の居所が悪いときもあるもんね。けど人間と違って外からはわかりづらいしさ〜〜。
にも増してさすがインドと思ったのは、
咬んだコロちゃんを誰も責めなかったこと。
これがニホンとか欧米だったら、ホテルの犬が客を咬んだなんてことになったら大変な騒ぎになる、まちがいなく。
犬は最悪の場合、処分。
治療費、通院費は当然ホテル持ち。
訴訟にもなりかねない。
そこらへん、インドって鷹揚。
咬まれた人間が不注意。。。ってコトで事が終わってしまう。
だから、もしインドで犬に咬まれても、
結局責任は自分でとることになる。
治療費出せ! なんてホテル側に迫ってもお互いが困ることになるだけなので、……やっぱり触らぬ犬にタタリなし。。。ってことでね。
痛々し〜〜でしょ、この傷。

- ドキュメンタリー小説 マダガスカル・ジャーニーVOL.1 タナへ
-
エリア:
- アフリカ>マダガスカル>アンタナナリボ
- テーマ:街中・建物・景色 自然・植物 ドライブ
- 投稿日:2011/06/04 12:01
- コメント(0)
満天の星空だった。
後にも先にもこんな星空は見たことがない。
こぶし大の数多の星が、手を伸ばせば届きそうな場所にある。
その輝きはきらきらとかピカピカという生易しいものではない。
ビカビカだ。ビカビカ光っている、えげつないほど。
夜空を埋め尽くす星たち。
私は初めて星酔いした。
ケニアのナイロビからマダガスカル・エアーで4時間。
マダガスカルの首都、アンタナナリボの国際空港に着いたのは午後9時頃だった。
到着ロビーは、ナイロビやボンベイとは全く違い、閑散としていた。
私は薄暗くだだっ広いロビーの真ん中で、足元にバックパックをおろしたまま一人ぽつんと立っていた。
さて。これからどうしよう。
時間的にも早いとはいえない。まずはホテルを探さねば。
それにはアンタナナリボの市内へ行く。
タクシーで向かうのがたぶんいい。
その前に両替しておいた方がいいだろう。
銀行は……到着ロビーにあると確か本に書いてあった。
私はロビーを見渡した。
すると、まばらな人影の向こうに二人の日本人がいた。
男子と女子。
彼らもこちらを見ている。
私はバックパックを背負うと彼らの方へ近づいていった。
こんにちは、声をかけると、
「どうも」男が軽く頭を下げた。
「こんにちは」女が笑みを浮かべた。「ナイロビの空港で見かけたんですけど、同じ飛行機だったんですね」
「どうやら日本人はオレらだけみたいだな」
私たちはぐるりとあたりを見回した。
ナイロビでもボンベイでも空港には日本人団体客がいたけれど、今は黒い肌の人々がちらほらいるだけだ。
「ホテル、決まってます?」私は尋ねた。
二人とも同時に首を振る。
「キミは?」今度は男が尋ねる。
私も首を振り、
「とりあえず市内に行こうと思ってるけど」
「オレもそう。なら、タクシーをシェアしようか」
「私も一緒に行っていいですか」
私は彼女を見た。かわいらしい丸顔の、まだ二十代前半と思われる女の子。
「ふたりは知り合いじゃないの」
彼らは顔を見合わせ、
「オレらもナイロビの空港で会ったんだ」
「そう、マダガスカル・エアーのカウンターで」
では、私たち三人とも初めまして、なのだ。
ロビーを出る前に両替をした。
マダガスカルの物価がよくわからないので、一応100ドルだけ換金した。すると手渡されたのは単行本のようにぶ厚い札束だった。
マダガスカル・フランの札にはマダガスカル固有のレミュー(原猿)、ワオキツネザルがプリントされていた。
このサル。しっぽが縞々のこのレミューを見るのも、私のマダガスカルでの目的のひとつだ。
外に出ると、やはりナイロビやボンベイと異なり客引きもまばらだった。
男二人組のタクシーの客引きが近寄ってきた。
たったひと組の客引きとは。ボンベイでの客引きの凄まじさを思うと、多少物足りない気もする。
交渉は英語だった。
タナ市内まで。OK、ついでにホテルも紹介してあげるよ。
話はすぐにまとまり、私たちはタクシーに乗り込んだ。バックシートに3人並んで座る。
走り出すと、助手席に座った二人組の一人が話しかけてきた。
ジャパニーズ? どっから来たの。マダガスカルは初めてかい?
タナまでは30分くらいだよ。今はシーズンでホテルは混んでるだ。。。
彼はタナ、タナと連発する。どうやらタナとはアンタナナリボの通称らしい。
窓の外は暗く何も見えない。道の両側が原っぱなのか川なのか何もわからない。遠く空港の灯りがゆっくりと後ろへ去っていく。
タクシーの揺れに浮遊するような奇妙な感覚。現実離れとでもいおうか。
ところがいくらも走らないうちに急にクルマのスピードが落ちた。
え、と思う間もなく、タクシーは道の端に寄り停まってしまう。
二人組はクルマを降り、前に回ってボンネットを開けた。助手席にいた男がこちらへ来ると、
「エンジントラブルだ。直すから、その間外に出ていていいよ」
空港から市内に向かう途中でもうトラブル!
やれやれ。
私はクルマのドアを開け外に出た。
暗い。隣に立った連れの顔もよく見えない。
なにげなく上を向いた。
その瞬間、私は息をのんだ。
満天の星。
暗い空は数多の星で埋め尽くされていた。
「すごい」
両隣でふたりが同じように息をのむのがわかった。
こぶし大の星がぎらぎらと光っている。
ピカピカなんてかわいいもんじゃない。
ビカビカ、ぎらぎら、だ。
えげつないほどの輝き。
私たちは3人ともばかみたいな顔で星空を見上げ続けていたに違いない。
頭がくらくらしてきた。
これが星酔いというものなのか。
エンジンが直り、私たちは再びタクシーに乗り込んだ。
「星を見ていたのか」
ドライバーが振り向いて尋ねた。
「うん、すごく星が見えるんだね。びっくりした」と彼女。
「ニホンじゃ星は見えないのか」
「見えるけど、ここほどじゃないよ」
「ふぅん? 星が見えない方が、ワシには驚きだがね」
ドライバーはにやりとした。にやりとしたのがわかったのは、きれいな白い歯が闇の中で浮き上がったからだった。
後にも先にもこんな星空は見たことがない。
こぶし大の数多の星が、手を伸ばせば届きそうな場所にある。
その輝きはきらきらとかピカピカという生易しいものではない。
ビカビカだ。ビカビカ光っている、えげつないほど。
夜空を埋め尽くす星たち。
私は初めて星酔いした。
ケニアのナイロビからマダガスカル・エアーで4時間。
マダガスカルの首都、アンタナナリボの国際空港に着いたのは午後9時頃だった。
到着ロビーは、ナイロビやボンベイとは全く違い、閑散としていた。
私は薄暗くだだっ広いロビーの真ん中で、足元にバックパックをおろしたまま一人ぽつんと立っていた。
さて。これからどうしよう。
時間的にも早いとはいえない。まずはホテルを探さねば。
それにはアンタナナリボの市内へ行く。
タクシーで向かうのがたぶんいい。
その前に両替しておいた方がいいだろう。
銀行は……到着ロビーにあると確か本に書いてあった。
私はロビーを見渡した。
すると、まばらな人影の向こうに二人の日本人がいた。
男子と女子。
彼らもこちらを見ている。
私はバックパックを背負うと彼らの方へ近づいていった。
こんにちは、声をかけると、
「どうも」男が軽く頭を下げた。
「こんにちは」女が笑みを浮かべた。「ナイロビの空港で見かけたんですけど、同じ飛行機だったんですね」
「どうやら日本人はオレらだけみたいだな」
私たちはぐるりとあたりを見回した。
ナイロビでもボンベイでも空港には日本人団体客がいたけれど、今は黒い肌の人々がちらほらいるだけだ。
「ホテル、決まってます?」私は尋ねた。
二人とも同時に首を振る。
「キミは?」今度は男が尋ねる。
私も首を振り、
「とりあえず市内に行こうと思ってるけど」
「オレもそう。なら、タクシーをシェアしようか」
「私も一緒に行っていいですか」
私は彼女を見た。かわいらしい丸顔の、まだ二十代前半と思われる女の子。
「ふたりは知り合いじゃないの」
彼らは顔を見合わせ、
「オレらもナイロビの空港で会ったんだ」
「そう、マダガスカル・エアーのカウンターで」
では、私たち三人とも初めまして、なのだ。
ロビーを出る前に両替をした。
マダガスカルの物価がよくわからないので、一応100ドルだけ換金した。すると手渡されたのは単行本のようにぶ厚い札束だった。
マダガスカル・フランの札にはマダガスカル固有のレミュー(原猿)、ワオキツネザルがプリントされていた。
このサル。しっぽが縞々のこのレミューを見るのも、私のマダガスカルでの目的のひとつだ。
外に出ると、やはりナイロビやボンベイと異なり客引きもまばらだった。
男二人組のタクシーの客引きが近寄ってきた。
たったひと組の客引きとは。ボンベイでの客引きの凄まじさを思うと、多少物足りない気もする。
交渉は英語だった。
タナ市内まで。OK、ついでにホテルも紹介してあげるよ。
話はすぐにまとまり、私たちはタクシーに乗り込んだ。バックシートに3人並んで座る。
走り出すと、助手席に座った二人組の一人が話しかけてきた。
ジャパニーズ? どっから来たの。マダガスカルは初めてかい?
タナまでは30分くらいだよ。今はシーズンでホテルは混んでるだ。。。
彼はタナ、タナと連発する。どうやらタナとはアンタナナリボの通称らしい。
窓の外は暗く何も見えない。道の両側が原っぱなのか川なのか何もわからない。遠く空港の灯りがゆっくりと後ろへ去っていく。
タクシーの揺れに浮遊するような奇妙な感覚。現実離れとでもいおうか。
ところがいくらも走らないうちに急にクルマのスピードが落ちた。
え、と思う間もなく、タクシーは道の端に寄り停まってしまう。
二人組はクルマを降り、前に回ってボンネットを開けた。助手席にいた男がこちらへ来ると、
「エンジントラブルだ。直すから、その間外に出ていていいよ」
空港から市内に向かう途中でもうトラブル!
やれやれ。
私はクルマのドアを開け外に出た。
暗い。隣に立った連れの顔もよく見えない。
なにげなく上を向いた。
その瞬間、私は息をのんだ。
満天の星。
暗い空は数多の星で埋め尽くされていた。
「すごい」
両隣でふたりが同じように息をのむのがわかった。
こぶし大の星がぎらぎらと光っている。
ピカピカなんてかわいいもんじゃない。
ビカビカ、ぎらぎら、だ。
えげつないほどの輝き。
私たちは3人ともばかみたいな顔で星空を見上げ続けていたに違いない。
頭がくらくらしてきた。
これが星酔いというものなのか。
エンジンが直り、私たちは再びタクシーに乗り込んだ。
「星を見ていたのか」
ドライバーが振り向いて尋ねた。
「うん、すごく星が見えるんだね。びっくりした」と彼女。
「ニホンじゃ星は見えないのか」
「見えるけど、ここほどじゃないよ」
「ふぅん? 星が見えない方が、ワシには驚きだがね」
ドライバーはにやりとした。にやりとしたのがわかったのは、きれいな白い歯が闇の中で浮き上がったからだった。

- 旅のトラブル対処法・健康編2 〜カンボジアであたったら。。。
-
エリア:
- アジア>カンボジア>シェムリアップ
- アジア>インド
- テーマ:街中・建物・景色 旅行準備 世界遺産
- 投稿日:2011/05/27 18:52
- コメント(0)
下痢、といえばインドだけど、
東南アジアもあなどれない。
健康編1では、すぐに病院へ行き薬を処方してもらう方がいいとおススメしたが、病院へ行かれない場合もある。
そんなときにはどうしたらよいのか。
まずは下痢の兆候を素早く読み、
それを受け入れる準備をすることが大事だろう。
カンボジアへ行ったときのことだ。
そのときも私はひどい下痢に見舞われた。が、
あのときほど下痢の原因がはっきりしていたことはなかった。
もう本当に完全に当たったのだ。
あの屋台で食べた「ニョアム・スダァウ」というサラダに。
その日は朝からシェムリアップの町をぶらぶら歩いていた。
シェムリアップは、世界に誇るカンボジアのアンコール遺跡の観光拠点である町で、年配の欧米人やら若い韓国人カップルやら中国人団体客やらがうじゃうじゃ。日本人ツーリストも多い。
ちなみにタクシーの運転手によれば、一番多い旅行客は韓国人だそうだ。日本人は3番目とか……。
ま、それはいいとして、私はその前の2日間、めいっぱいアンコール遺跡観光をした。
クソ暑いなか、相当歩き回り、急な遺跡の階段を上り下りし、ろくに水分も食べ物もとらず、とにかく遺跡を渡り歩いた。
三日目にしてようやく街歩きに繰り出したのだが、けっこう疲れていた。
シェムリアップのダウンタウン、オールドマーケットという市場。
市場好きの私にはハズせない場所だ。
シミだらけの肌を露出したでっかい欧米人老夫婦の間をかきわけながら、市場を物色しているうちに昼になりおなかが減ってきた。
まだカンボジアらしいローカルごはんを食べていない。
そこで市場に併設している半屋台の食堂でランチをとることにした。
まぁイヤな予感はしたのだ。
ものすごいハエの量。どの店に行っても皿に群がるハエの数は変わらないので、とりあえず人がけっこう入っている一軒に入った。
カンボジアのローカルごはんは、店頭のショーケースまがいの中から、おばんざいのように盛られているおかずを何品か選び、それを白飯にかけてもらうスタイル。
カンボジア語は読めないし、英語表記もなかったので、
「おススメはどれ?」と店のマダムに尋ねると、「これとこれとこれと」というので、「じゃそれ全部」といってごはんに盛ってもらった。
そのなかに「ニョアム・スダァウ」というサラダが入っていたのだ。
ナマだったしハエも多かったので、
「これ大丈夫??」と不安気に聞くと、
「大丈夫よー。これ、クメール人みんな好き。この葉っぱ、ちょっと苦くてねー胃にいいのよ」
ふーん、ちょっと漢方っぽいのか。
私はそのまま食べてみることにした。
他のおかずはチキンの炒り煮(このときはまだベジタリアンではなかった)、豆の煮込みと確か魚のから揚げだった。サラダ以外は全て火が通ったものだった。
そしてサラダはやっぱり苦かった。けど、キライな味ではなかった。
お会計は2ドルにいかないぐらいだった。
カンボジアのごはんはなんか曖昧な味だな〜〜と思いつつ、ネットカフェへ向かった。
PCへ向かい、メールチェックをし始めた。
そのときだった。
おなかに違和感が走った。きゅっと押されるような。でも痛くはない。
???
トイレに立った。
別になんでもない。
戻ってメールを打ち始める。
するとまたおなかがきゅっきゅっと疼く感じ。ほんの少し痛い?
も一度トイレに行く。
今度は変化があった。まだ壊れてはいない。けど、兆候があった。
「ヤバいぞ……」私はつぶやくと、トイレから出て、速やかにネットカフェを後にした。
そこから自分のホテルまでは歩いて12〜3分だ。
炎天下のなかを歩いているうちに、おなかの痛みが具体的になってきた。
まちがいない、あと数分で大変なことになる。
大変なことになった暁には、きっと動けなくなるだろう。
ヤバい。必要なものを用意しておかねば。
私はくらくらしながら、ホテルに戻る途中にある雑貨屋に立ちより、1ℓペットボトル2本と500mlの水、クッキーとチョコレート、オレンジ2個を買った。
食料と水は下痢になったとき、必ず必要なのだ。
脱水症状を防ぐため、そして下痢が過ぎたときの糖分の補充のために。
私は腹の刺すような痛みと半分貧血になったようなふらふら状態でホテルにどうにか帰り着いた。
部屋に戻り、トイレへ。
うっひゃーやっぱキタ。……が、まだ本格的ってわけではない。
いったんおさまった隙に汗でべとべとだったのでシャワーを浴びた。
服も清潔なものに着替え、枕元に買ってきたものを並べる。これで動けなくなってもしばらくはしのげる。
ベッドに横たわる。と、その瞬間、第二陣が襲いかかって来た。
結局、その日の午後から翌日いっぱいは下痢に苦しむことになった。
原因はどう考えてもあの屋台で食べたサラダだろう。
イヤな予感はしたのだ。
旅の最中は、そういう動物的なカンを無視してはやはりいけないのだ。
いわゆる食中毒だったのだと思う。この場合、菌が出てしまえば治る。が、前回もお話した通り、それに伴う体力の低下によって違う病気になることもあるので、ある程度したら下痢止めを飲む方がいいのだ。
今回の場合は、インドのときよりまだ軽かったので(インドが基準になってしまっているww)、私的には出して薬を飲めば治る、という確信めいたものがあった。が、やはり薬は現地の薬でないとダメなので、割によくしてくれたホテルのマネージャーに、
「薬買ってきて」と頼んだ。
彼はすぐに了解してくれ、2回もドラッグストアへと走ってくれた。その上、治りかけた頃にはくだものも差し入れしてくれた。(実際は下働きの少年を使っていたが)
翌日の夜になる頃には、まだ外に出られるほどではなかったが、私は空腹を覚え、買っておいたクッキーやチョコを食べ、くだものをたいらげた。シャワーも浴びた。日本から持って行ったポカリ粉末は全て飲みきった。
このときはこうして下痢を乗り切った。
が、このあと数日間をシェムリアップで過ごし、そのあとタイへ向かったのだが、日本へ帰るまでおなかはずっとゆるいことはゆるかった。
とにかく。
あ、なんかヘン……と感じたら、その感覚に従うのが大事だ。
だるいなーとか重いなーもその一種。それはまちがいなく体調不良の兆しだから。
そんなときはとりあえず必要なものを揃えておこう。
特に一人旅の人。
水。クッキーやスナック。血糖値を上げるチョコやキャンディー。
水分たっぷりのフルーツ。
ポカリ粉末。
あらかじめ病院の場所を宿のスタッフに聞いておいてもいいし、
自分の調子が悪いこと(悪くなりそうなこと)を告げておくのもテだ。
あ、これも超大事。トイレットペーパー。危ないと思ったら、多めに買っておこう。
薬は……何回も言っているが、下痢はその現地の薬が一番よく効く。日本の下痢止めはアジアではほとんど気持ちだけだ。
でも、菌が出ないうちに飲んでしまうと余計に悪い。しばらくは耐えて、そして飲む。これが治癒への早道だ。
下痢はインドや東南アジアだけではなく、もちろん世界共通にあること。
下痢を恐れていては旅はできない……といえなくもないかもしれないかもしれない。。。
東南アジアもあなどれない。
健康編1では、すぐに病院へ行き薬を処方してもらう方がいいとおススメしたが、病院へ行かれない場合もある。
そんなときにはどうしたらよいのか。
まずは下痢の兆候を素早く読み、
それを受け入れる準備をすることが大事だろう。
カンボジアへ行ったときのことだ。
そのときも私はひどい下痢に見舞われた。が、
あのときほど下痢の原因がはっきりしていたことはなかった。
もう本当に完全に当たったのだ。
あの屋台で食べた「ニョアム・スダァウ」というサラダに。
その日は朝からシェムリアップの町をぶらぶら歩いていた。
シェムリアップは、世界に誇るカンボジアのアンコール遺跡の観光拠点である町で、年配の欧米人やら若い韓国人カップルやら中国人団体客やらがうじゃうじゃ。日本人ツーリストも多い。
ちなみにタクシーの運転手によれば、一番多い旅行客は韓国人だそうだ。日本人は3番目とか……。
ま、それはいいとして、私はその前の2日間、めいっぱいアンコール遺跡観光をした。
クソ暑いなか、相当歩き回り、急な遺跡の階段を上り下りし、ろくに水分も食べ物もとらず、とにかく遺跡を渡り歩いた。
三日目にしてようやく街歩きに繰り出したのだが、けっこう疲れていた。
シェムリアップのダウンタウン、オールドマーケットという市場。
市場好きの私にはハズせない場所だ。
シミだらけの肌を露出したでっかい欧米人老夫婦の間をかきわけながら、市場を物色しているうちに昼になりおなかが減ってきた。
まだカンボジアらしいローカルごはんを食べていない。
そこで市場に併設している半屋台の食堂でランチをとることにした。
まぁイヤな予感はしたのだ。
ものすごいハエの量。どの店に行っても皿に群がるハエの数は変わらないので、とりあえず人がけっこう入っている一軒に入った。
カンボジアのローカルごはんは、店頭のショーケースまがいの中から、おばんざいのように盛られているおかずを何品か選び、それを白飯にかけてもらうスタイル。
カンボジア語は読めないし、英語表記もなかったので、
「おススメはどれ?」と店のマダムに尋ねると、「これとこれとこれと」というので、「じゃそれ全部」といってごはんに盛ってもらった。
そのなかに「ニョアム・スダァウ」というサラダが入っていたのだ。
ナマだったしハエも多かったので、
「これ大丈夫??」と不安気に聞くと、
「大丈夫よー。これ、クメール人みんな好き。この葉っぱ、ちょっと苦くてねー胃にいいのよ」
ふーん、ちょっと漢方っぽいのか。
私はそのまま食べてみることにした。
他のおかずはチキンの炒り煮(このときはまだベジタリアンではなかった)、豆の煮込みと確か魚のから揚げだった。サラダ以外は全て火が通ったものだった。
そしてサラダはやっぱり苦かった。けど、キライな味ではなかった。
お会計は2ドルにいかないぐらいだった。
カンボジアのごはんはなんか曖昧な味だな〜〜と思いつつ、ネットカフェへ向かった。
PCへ向かい、メールチェックをし始めた。
そのときだった。
おなかに違和感が走った。きゅっと押されるような。でも痛くはない。
???
トイレに立った。
別になんでもない。
戻ってメールを打ち始める。
するとまたおなかがきゅっきゅっと疼く感じ。ほんの少し痛い?
も一度トイレに行く。
今度は変化があった。まだ壊れてはいない。けど、兆候があった。
「ヤバいぞ……」私はつぶやくと、トイレから出て、速やかにネットカフェを後にした。
そこから自分のホテルまでは歩いて12〜3分だ。
炎天下のなかを歩いているうちに、おなかの痛みが具体的になってきた。
まちがいない、あと数分で大変なことになる。
大変なことになった暁には、きっと動けなくなるだろう。
ヤバい。必要なものを用意しておかねば。
私はくらくらしながら、ホテルに戻る途中にある雑貨屋に立ちより、1ℓペットボトル2本と500mlの水、クッキーとチョコレート、オレンジ2個を買った。
食料と水は下痢になったとき、必ず必要なのだ。
脱水症状を防ぐため、そして下痢が過ぎたときの糖分の補充のために。
私は腹の刺すような痛みと半分貧血になったようなふらふら状態でホテルにどうにか帰り着いた。
部屋に戻り、トイレへ。
うっひゃーやっぱキタ。……が、まだ本格的ってわけではない。
いったんおさまった隙に汗でべとべとだったのでシャワーを浴びた。
服も清潔なものに着替え、枕元に買ってきたものを並べる。これで動けなくなってもしばらくはしのげる。
ベッドに横たわる。と、その瞬間、第二陣が襲いかかって来た。
結局、その日の午後から翌日いっぱいは下痢に苦しむことになった。
原因はどう考えてもあの屋台で食べたサラダだろう。
イヤな予感はしたのだ。
旅の最中は、そういう動物的なカンを無視してはやはりいけないのだ。
いわゆる食中毒だったのだと思う。この場合、菌が出てしまえば治る。が、前回もお話した通り、それに伴う体力の低下によって違う病気になることもあるので、ある程度したら下痢止めを飲む方がいいのだ。
今回の場合は、インドのときよりまだ軽かったので(インドが基準になってしまっているww)、私的には出して薬を飲めば治る、という確信めいたものがあった。が、やはり薬は現地の薬でないとダメなので、割によくしてくれたホテルのマネージャーに、
「薬買ってきて」と頼んだ。
彼はすぐに了解してくれ、2回もドラッグストアへと走ってくれた。その上、治りかけた頃にはくだものも差し入れしてくれた。(実際は下働きの少年を使っていたが)
翌日の夜になる頃には、まだ外に出られるほどではなかったが、私は空腹を覚え、買っておいたクッキーやチョコを食べ、くだものをたいらげた。シャワーも浴びた。日本から持って行ったポカリ粉末は全て飲みきった。
このときはこうして下痢を乗り切った。
が、このあと数日間をシェムリアップで過ごし、そのあとタイへ向かったのだが、日本へ帰るまでおなかはずっとゆるいことはゆるかった。
とにかく。
あ、なんかヘン……と感じたら、その感覚に従うのが大事だ。
だるいなーとか重いなーもその一種。それはまちがいなく体調不良の兆しだから。
そんなときはとりあえず必要なものを揃えておこう。
特に一人旅の人。
水。クッキーやスナック。血糖値を上げるチョコやキャンディー。
水分たっぷりのフルーツ。
ポカリ粉末。
あらかじめ病院の場所を宿のスタッフに聞いておいてもいいし、
自分の調子が悪いこと(悪くなりそうなこと)を告げておくのもテだ。
あ、これも超大事。トイレットペーパー。危ないと思ったら、多めに買っておこう。
薬は……何回も言っているが、下痢はその現地の薬が一番よく効く。日本の下痢止めはアジアではほとんど気持ちだけだ。
でも、菌が出ないうちに飲んでしまうと余計に悪い。しばらくは耐えて、そして飲む。これが治癒への早道だ。
下痢はインドや東南アジアだけではなく、もちろん世界共通にあること。
下痢を恐れていては旅はできない……といえなくもないかもしれないかもしれない。。。

- 旅のトラブル対処法・健康編1 〜インドで下痢になったら。。。
-
エリア:
- アジア>インド
- テーマ:街中・建物・景色 留学・長期滞在 旅行準備
- 投稿日:2011/05/21 02:03
- コメント(1)
旅は楽しいこといっぱい。
でも。。。
旅でのトラブルはその背中合わせだったりする。
旅を存分に楽しくするためには、いかにトラブルに遭わないようにするか、
たとえ遭ってしまったとしても、それをいかにうまく乗り切るかが重要なポイントになってくる。
トラブルに遭ってもね、それを乗り越えられたあかつきには、
それは旅での最大のネタになることはまちがいないんだよね。
なので。。。
海外をほうぼう旅してきた私の、いろーんなトラブル対処法を紹介しちゃお。
まずはインド&東南アジア編!!
旅を苦痛にさせるトラブル……
やっぱりそれはまず第一に「健康」について、です!
旅の途中で、もし体調が悪くなったら。。。もし病気になったら。。。
楽しい旅は奈落の底へ。
ほんとーに健康じゃないと、旅ってちっとも楽しめない。
日本から遠く離れた異国の地で、誰かと一緒ならまだしも、
もし一人旅でホテルの部屋で一人きりで病に耐えることになったら。。。
これは本当にツラいものです。
この世に自分は一人ぽっち。
孤独。焦燥。不安。ネガティブシンキング。
だから「体調」には本当に気を配った方がいい。
けど、気を配っていても体調が悪くなったら
自分でクスリを飲んだりしないで、
すぐに病院へ行くこと!
……これが最重要対処法なのです。
さて。
インドや東南アジアで「体調が悪くなる」代表的な症例は「下痢」だ。
インドで下痢なんてそりゃインドの洗礼だよなんてよく言われてるけど、
確かにそりゃそうなんだけど、インドでなる下痢は、
正直恐るべし。
私が初めてインドをゆっくり旅したときのこと。
……あれはもう10年も前のことだけど、
バラナシで凄まじい下痢に見舞われた。
インドに入ってまだ4日目のことだ。
日本からコルカタにinして、その翌々日に寝台列車でバラナシへ16時間かけてやってきて、その着いた日にホテルにチェックインし、夕ごはんを食べたあとに突然下痢がはじまったのだ。
すごい下痢だった。
一晩中トイレとベッドの往復。というか、
トイレにいた方が長かったんではないか。
固形物はすぐになくなり、あとは水分ばかりがからだから出ていく。
何か粘液のようなものまで混じり。
やめればいいのに、わざわざ「歩き方」の「インドでかかる病気」のページを読み、コレラだの腸チフスだのの病名におののき、挙句、
「この症状はアメーバ赤痢の症状かもしれない」と
痛みと疲労と不安を抱えたまま、誰も知る人のいないインドのホテルの一室で夜を過ごした。
いや〜〜ツラかった。
おかーさーん。。。な感じで。
もう予定を早めて日本へ帰ろう、インドにはいられないよぉ。。。
そこまで考えた。
が。
日本へ帰る飛行機に乗るためには、コルカタかデリーまで戻らないとならない。
戻るには移動しなければならない。
こんな状態で汽車に10数時間のっていたら、まちがいなく死ぬ。
それはいやだ。絶対イヤ。
それなら。
それならココで治すしかない。
そうだ、治さないと。治そう。
そして翌朝、私はふらふらな状態でフロントまで行き、
「お願い、病院へ連れてって」
そうスタッフに頼んだのであった。
ホテルのマネージャーがすぐさま私を支えるようにして病院へ向かってくれた。
私はバラナシの病院といえば、バラナシ大学病院しか知らなかったので、その名前を告げると、マネージャーは、
「あそこはいつも混んでるから時間がかかるよ。大丈夫、すぐ近くに病院はあるから」
本当にホテルからすぐのところに病院があった。
ドクターはすぐに私を診察してくれたが、私が自分の症状を訴えると、
別段驚きもせず、ああ、と頷き、ま、インドじゃよくあることだね、などとつぶやき、
「はい、これ飲んで。これも飲んで。あとこれを水に入れてがぶがぶ飲んで」と、でっかい紫色の錠剤と、ポカリの粉末みたいなパックをいくつかよこした。で、診察終了。
部屋に戻って紫色の錠剤を飲み、1ℓのペットボトルの水に粉末を溶かし、ごくごく飲んだ。
ホテルのスタッフはいい人たちで、何も食べられなくなってた私にフルーツ盛り合わせを差し入れしてくれたりした。うーん、しみたぜ。
その日はそのまま一日中寝ていたが、紫の薬を3回ほど飲んだところで下痢は止まり、インド版ポカリを2本飲みきる頃にはおなかも減ってきた。
翌日からは動くこともできるようになった。
食べるものは最初は恐る恐るだったけど、じきに毎日カレーを食べないと落ち着かないぐらいに回復した。それ以降、インドを発つまで体調を崩すことはなかった。……まぁ、日本へ帰るまでずっとゆるいはゆるかったが。
いろんな国で下痢になったが、後にも先にもあれほどひどい下痢はなかった。
最近ではインドでおなかを壊すことはなくなったが、まぁインドの環境にからだが慣れたということなのだろう。あれが洗礼だったといえば確かにそうだったのかもしれない。
インドでなぜ下痢になるのか?
よく水が原因だとか、菌がどうのとかいうが、実は理由は総合的なものだ。
でも一番の理由は「マサラ」つまり食べ物に入る香辛料なのだと思う。
インドの料理には99.9%マサラが入る。それも相当キツい。そんなキツいマサラが、魚だの味噌だの砂糖だので味付けした比較的淡白な食を摂る日本人のからだにすぐに合うわけがないのだ。
でもインドのカレーはうまいので食べる。食べなれないマサラに胃が悲鳴を上げる。消化できなくなる。食欲が落ちる。日本と違う気候や環境に疲れる。体力が落ちる。そこでふだんならなんてことのない菌にやられる。下痢になる。
こういうサイクルなのだろう。
もちろん悪くなったものを口にしたり、水にあたることもあるだろうし、本当にコワイ菌やウィルスに感染する可能性もあるだろうが、たいていはこうしたサイクルなのだと思う。
インドの下痢はインドの薬でないと治らないという。
これはけっこう当たっている。
私も試したが、日本の下痢止めはいっこうにきかなかった。
菌は出してしまえば下痢は治るのだが、やはり出切るまでは苦しいし体力も消耗するので、ある程度薬は飲んだ方がいい。
けど、自分で勝手に薬局へ行って薬を買って飲んでも治りにくい。
やはり一番いいのは、さっさと病院へ行って医者に薬を処方してもらうのが早道だ。ただし、バックパックかスーツケースにはポカリの粉末を数袋入れていくのをおススメする。
インドに入ってすぐの頃はテンションも高いし、あれやこれや食べたくなってしまうものだが、スパイスに不慣れだったり、辛いものに強くない人は少しずつ胃をマサラに慣らしていった方がいい。
それにはローカルなレストランばかりでなく、パンやフルーツを食べられる西洋料理のレストランに行くことも大事。値は多少高くつくけど、最初からがんばりすぎちゃうと、あとで結局時間とおカネをムダに使ってしまうことになる。
基本的に初インドや久しぶりのインドでは下痢になることはふつうのこと。
それを避けるためにはムリせずがんばりすぎないことが大事かなぁ。
……あとなんか言うことあったっけ?
……思い出したら、また書きまーーす。
でも。。。
旅でのトラブルはその背中合わせだったりする。
旅を存分に楽しくするためには、いかにトラブルに遭わないようにするか、
たとえ遭ってしまったとしても、それをいかにうまく乗り切るかが重要なポイントになってくる。
トラブルに遭ってもね、それを乗り越えられたあかつきには、
それは旅での最大のネタになることはまちがいないんだよね。
なので。。。
海外をほうぼう旅してきた私の、いろーんなトラブル対処法を紹介しちゃお。
まずはインド&東南アジア編!!
旅を苦痛にさせるトラブル……
やっぱりそれはまず第一に「健康」について、です!
旅の途中で、もし体調が悪くなったら。。。もし病気になったら。。。
楽しい旅は奈落の底へ。
ほんとーに健康じゃないと、旅ってちっとも楽しめない。
日本から遠く離れた異国の地で、誰かと一緒ならまだしも、
もし一人旅でホテルの部屋で一人きりで病に耐えることになったら。。。
これは本当にツラいものです。
この世に自分は一人ぽっち。
孤独。焦燥。不安。ネガティブシンキング。
だから「体調」には本当に気を配った方がいい。
けど、気を配っていても体調が悪くなったら
自分でクスリを飲んだりしないで、
すぐに病院へ行くこと!
……これが最重要対処法なのです。
さて。
インドや東南アジアで「体調が悪くなる」代表的な症例は「下痢」だ。
インドで下痢なんてそりゃインドの洗礼だよなんてよく言われてるけど、
確かにそりゃそうなんだけど、インドでなる下痢は、
正直恐るべし。
私が初めてインドをゆっくり旅したときのこと。
……あれはもう10年も前のことだけど、
バラナシで凄まじい下痢に見舞われた。
インドに入ってまだ4日目のことだ。
日本からコルカタにinして、その翌々日に寝台列車でバラナシへ16時間かけてやってきて、その着いた日にホテルにチェックインし、夕ごはんを食べたあとに突然下痢がはじまったのだ。
すごい下痢だった。
一晩中トイレとベッドの往復。というか、
トイレにいた方が長かったんではないか。
固形物はすぐになくなり、あとは水分ばかりがからだから出ていく。
何か粘液のようなものまで混じり。
やめればいいのに、わざわざ「歩き方」の「インドでかかる病気」のページを読み、コレラだの腸チフスだのの病名におののき、挙句、
「この症状はアメーバ赤痢の症状かもしれない」と
痛みと疲労と不安を抱えたまま、誰も知る人のいないインドのホテルの一室で夜を過ごした。
いや〜〜ツラかった。
おかーさーん。。。な感じで。
もう予定を早めて日本へ帰ろう、インドにはいられないよぉ。。。
そこまで考えた。
が。
日本へ帰る飛行機に乗るためには、コルカタかデリーまで戻らないとならない。
戻るには移動しなければならない。
こんな状態で汽車に10数時間のっていたら、まちがいなく死ぬ。
それはいやだ。絶対イヤ。
それなら。
それならココで治すしかない。
そうだ、治さないと。治そう。
そして翌朝、私はふらふらな状態でフロントまで行き、
「お願い、病院へ連れてって」
そうスタッフに頼んだのであった。
ホテルのマネージャーがすぐさま私を支えるようにして病院へ向かってくれた。
私はバラナシの病院といえば、バラナシ大学病院しか知らなかったので、その名前を告げると、マネージャーは、
「あそこはいつも混んでるから時間がかかるよ。大丈夫、すぐ近くに病院はあるから」
本当にホテルからすぐのところに病院があった。
ドクターはすぐに私を診察してくれたが、私が自分の症状を訴えると、
別段驚きもせず、ああ、と頷き、ま、インドじゃよくあることだね、などとつぶやき、
「はい、これ飲んで。これも飲んで。あとこれを水に入れてがぶがぶ飲んで」と、でっかい紫色の錠剤と、ポカリの粉末みたいなパックをいくつかよこした。で、診察終了。
部屋に戻って紫色の錠剤を飲み、1ℓのペットボトルの水に粉末を溶かし、ごくごく飲んだ。
ホテルのスタッフはいい人たちで、何も食べられなくなってた私にフルーツ盛り合わせを差し入れしてくれたりした。うーん、しみたぜ。
その日はそのまま一日中寝ていたが、紫の薬を3回ほど飲んだところで下痢は止まり、インド版ポカリを2本飲みきる頃にはおなかも減ってきた。
翌日からは動くこともできるようになった。
食べるものは最初は恐る恐るだったけど、じきに毎日カレーを食べないと落ち着かないぐらいに回復した。それ以降、インドを発つまで体調を崩すことはなかった。……まぁ、日本へ帰るまでずっとゆるいはゆるかったが。
いろんな国で下痢になったが、後にも先にもあれほどひどい下痢はなかった。
最近ではインドでおなかを壊すことはなくなったが、まぁインドの環境にからだが慣れたということなのだろう。あれが洗礼だったといえば確かにそうだったのかもしれない。
インドでなぜ下痢になるのか?
よく水が原因だとか、菌がどうのとかいうが、実は理由は総合的なものだ。
でも一番の理由は「マサラ」つまり食べ物に入る香辛料なのだと思う。
インドの料理には99.9%マサラが入る。それも相当キツい。そんなキツいマサラが、魚だの味噌だの砂糖だので味付けした比較的淡白な食を摂る日本人のからだにすぐに合うわけがないのだ。
でもインドのカレーはうまいので食べる。食べなれないマサラに胃が悲鳴を上げる。消化できなくなる。食欲が落ちる。日本と違う気候や環境に疲れる。体力が落ちる。そこでふだんならなんてことのない菌にやられる。下痢になる。
こういうサイクルなのだろう。
もちろん悪くなったものを口にしたり、水にあたることもあるだろうし、本当にコワイ菌やウィルスに感染する可能性もあるだろうが、たいていはこうしたサイクルなのだと思う。
インドの下痢はインドの薬でないと治らないという。
これはけっこう当たっている。
私も試したが、日本の下痢止めはいっこうにきかなかった。
菌は出してしまえば下痢は治るのだが、やはり出切るまでは苦しいし体力も消耗するので、ある程度薬は飲んだ方がいい。
けど、自分で勝手に薬局へ行って薬を買って飲んでも治りにくい。
やはり一番いいのは、さっさと病院へ行って医者に薬を処方してもらうのが早道だ。ただし、バックパックかスーツケースにはポカリの粉末を数袋入れていくのをおススメする。
インドに入ってすぐの頃はテンションも高いし、あれやこれや食べたくなってしまうものだが、スパイスに不慣れだったり、辛いものに強くない人は少しずつ胃をマサラに慣らしていった方がいい。
それにはローカルなレストランばかりでなく、パンやフルーツを食べられる西洋料理のレストランに行くことも大事。値は多少高くつくけど、最初からがんばりすぎちゃうと、あとで結局時間とおカネをムダに使ってしまうことになる。
基本的に初インドや久しぶりのインドでは下痢になることはふつうのこと。
それを避けるためにはムリせずがんばりすぎないことが大事かなぁ。
……あとなんか言うことあったっけ?
……思い出したら、また書きまーーす。
16 - 19件目まで(19件中)


