記事一覧
31 - 35件目まで(42件中)

- イタリアの花言葉をイタリア芸術「プリマヴェーラの花々」から学ぶ!
-
エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
- テーマ:鑑賞・観戦 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2020/12/04 00:00
- コメント(0)
ボンジョルノ!フィレンツェのガイドの伊藤裕紀子です。
今日はウッフィツィ美術館のボッティチェッリ作「春」に描かれた花々について書きたいと思います。

「春(プリマヴェーラ)」はボッティチェッリが「ヴィーナスの誕生」よりも数年前に描いた作品です。
オレンジの実が生る森を背景に8人の登場人物が横にずらりと並び、多くの草花が地面や人物の服の上に表現されています。
小さな花や植物が一面に広がる模様のことを、千花模様(せんかもよう)またフランス語のミルフルールという名で呼びます。イタリア語ではミッレフィオーリですね。
もとは中世後期〜ルネッサンス初期のタペストリーの模様として使用されていたモチーフです。
ボッティチェッリの「春」は暗い背景の手前にくっきりと描かれた人物像が、ほぼ横にずらりと並んでいます。立ち位置にしても背景にしても空間の奥行きを表現していないので、平坦な感じになり、その点も「タペストリー」のようだと見られています。
プリマヴェーラの画面には500種類以上の植物、190種類ほどの花(うち130種類は特定可能)が描かれています。

どのような花が見られるのでしょうか?いくつかの資料を読んだところ下記の花の名前が載っていました。
薔薇(愛のシンボル)
忘れな草
アイリス(フィレンツェの都市の紋章になっている花)
矢車草
きんぽうげ
ケシ
マルゲリータ(フランス菊)
すみれ
ジャスミン
オオバコ
クリスマス・ローズ(昔、精神病の薬と信じれれていました)
カモミール(ハーブティーで有名ですね)
苺
忘れな草は神様が万物に名前を与えた時に、この花が小さな声で神様に「私のことを忘れないで」と訴えたので、この名前になったという伝説があります。
ところで場面の右から2番目の人物クロリスの口からこぼれ落ちている花は何でしょうか?
これは薔薇とアネモネです。

花の名前はギリシャ語のアネモス(風)から由来していて、ラテン語のアニマ(魂、生命のひと吹き)につながっているんだとか。
またアネモネは、古代エトルリアの時代から死のシンボルとされてきました。
古代神話ではヴィーナスの恋人アドニスが猪に突き殺された時に、アドニスの血で染まった地面からアネモネが咲きいでたとされます。
オウィディウスの「祭歴」では、クロリスは風の神ゼフュロス(プリマヴェーラの場面の右端にいます)から逃れ、ついに捕まって抱きしめられた時に花がクロリスの口から溢れ出て彼女は花の神フローラに変身します。
ならば死のシンボルであるアネモネは、クロリスが一回死んで新しく生まれ変わることを示しているのでしょうか?
花言葉やシンボルとしての意味を考えていくと果てしなく深読みできそうですよね。
「プリマヴェーラ」の作品の前には柵がなくガラスが張られています。可能であれば他の人の鑑賞の邪魔にならないように、作品に近づいて緻密に描かれた花の様子も観察してみてください。

- イタリア芸術を観る。レオナルドの受胎告知と師匠ヴェロッキオ
-
エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
- テーマ:鑑賞・観戦 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2020/12/01 00:00
- コメント(0)
ボンジョルノ!フィレンツェのガイドの伊藤裕紀子です。
今日はウッフィツィ美術館に展示されているレオナルド·ダ·ヴィンチの「受胎告知」について書きたいと思います。

この「受胎告知」はレオナルドが単独で描いた最初の作品です。
以前はドメニコ·ギルランダイオの作品とされていましたが、現在ではぼとんど異論なくレオナルドの真作とされています。
当時レオナルドはヴェロッキオの工房で働いていて、ヴェロッキオ作「キリストの洗礼」(1472年頃)の中の天使像を描きました。つまり師匠との共作になります。
そちらとほとんど同じ時期に描いたのが「受胎告知」です。
厳格な遠近透視図法を用いた構図。密度のある細部の描写。知的な高貴さが漂う人物像。
背景には空気遠近法が使用され、遠くが青く霞んで見えるため、光の反射や大気の状態が意識されているのがわかります。
マリア様が本を広げている書見台の大理石装飾に注目してみましょう。
ライオンの足のような獣足脚、そして植物が脚の上でくるりと曲線を描いています。

これが当時、師匠のヴェロッキオが制作中であった「ピエロおよびジョヴァンニ·デ·メディチの墓碑」の細部と酷似しているんですね。
といっても違う場所にあるのでなかなか見比べることができないのですが、今日はそれぞれの場所で撮ってきた写真を見比べてみましょう。
師匠のヴェロッキオはメディチ家の庇護を受けるようになって、墓碑を制作します。
ピエロはあのロレンツォ豪華王の父親です。痛風で苦しんでいたので「痛風のピエロ」なんてありがたくない渾名で呼ばれる人物ですね。
墓碑はサン·ロレンツォ聖堂の中にあり、旧聖具室とサクラメント礼拝堂を隔てる壁に設置され、両方の部屋から鑑賞できるようになっている変わった墓碑です。
その墓碑の足の部分がこちら。確かにレオナルドが描いた書見台の足とよく似ていますね!

制作された年は
1470〜72年 「ピエロおよびジョヴァンニ·デ·メディチの墓碑」
1472〜75年頃「受胎告知」
なるほど師匠の作品からインスピレーションを得たと言われるのがわかります。

時間があれば2カ所とも訪れてみて、直に師匠と弟子の作品を見比べてみてくださいね。

- フィレンツェ観光・Uffizi美術館 「彫刻 マルシアス」
-
エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
- テーマ:観光地 留学・長期滞在 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2020/11/19 00:00
- コメント(0)
Uffizi美術館には、絵だけではなく多くの古代彫刻があります。
通路の左右にはローマ時代の彫刻が沢山飾ってあります。
メディチ家は古代作品にも興味を持ち、ローマで発掘されると、それを買い取ってローマのヴィラメディチなどに集めていました。
メディチ家が終わり、あとを継いだロレーヌ家の時代になると、これらの作品がフィレンツェに沢山運ばれてきます。Uffizi美術館の他にはPitti宮殿、ボーボリ庭園でも見ることができます。
その中でもちょっと目を引くのがこの2体のマルシアスです。
ちょうどヴェッキオ橋が良く見える大きな窓の近くに通路を挟んで1体づつあるのですが、特に左側のマルシアスの顔が生々しくて、ぎょっとしてしまいます。
マルシアスとはギリシャ神話に出てくる自然の精霊サティロスの一人で、アウロスと言う2つの管のあるフルートのような楽器の名手でした。
元々これを発明したのはアテネの女神でしたが、彼女が吹いてみると、頬っぺたが膨らみすぎて変な顔になってしまい、友人からからかわれてしまった為に、この楽器を捨ててしまいます。
それをマルシアスが見つけて、この楽器のエキスパートになります。
あまりにも自信がついた為に、大胆にも芸術、音楽の神様であるアポロンに挑戦してしまいます。
アポロンは竪琴で、マルシアスはこのアウロスと言う楽器で勝負をします。
最終的にアポロンが勝つのですが、この音楽合戦では勝者は敗者に何をしても良いことになっていたそうで、「神に挑戦するとは思いあがった奴だ」と、生きたまま皮を剥がれることになってしまったのです。


ここには2体のマルシアスがありますが、2体とも紀元前3世紀頃のギリシャ時代の彫刻をローマ時代にコピーした物で、紀元後2世記の物とされています。
両方とも木に縛り付けられて、丁度その拷問が始まる瞬間が表現されています。
1枚目のマルシアスは白い大理石でできているため白いマルシアスと呼ばれており、頭を胸の方に傾けています。足と腕の部分は欠けていたため、1500年代の彫刻家(名前は不明)によって修復されました。
拷問の用意をしているのを待っている所で、痛みと恐怖が顔によく出ていますが、手は完全に固定されており、自分の運命を受け止めているのがわかります。
2枚目のマルシアスはちょっと赤みのある大理石でできているため、赤いマルシアスと呼ばれています。
よく見ると全体的に、本当の筋肉の色のように赤っぽくなっているのがわかります。
こちらは顔を真っ直ぐ上げていますが、胸の筋肉が緊張していて、同時に処刑に反抗する怒り、痛み、挑戦の混じった表情をしています。
しかしこちらの赤いマルシアスの頭、胸、両腕は、ルネッサンス時代の彫刻家ミーノ・ダ・フィエゾレ(Mino da Fiesole)によってほとんど作り直されているので、このマルシアスの表情などは古代彫刻とは全く違うものなのですが、歯を食いしばって処刑の瞬間を待っている、不安げな顔に迫力がありますね。
神話とは言え、なんと残酷な拷問だったのでしょう!

- ウッフィツィ美術館でイタリア芸術の秋を感じる「ボッティチェッリ・もう1枚の東方三博士の礼拝」
-
エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>フィレンツェ
- テーマ:鑑賞・観戦 留学・長期滞在 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2020/11/12 00:00
- コメント(0)
ボンジョルノ!フィレンツェのガイドの伊藤裕紀子です。
10月終わりにウッフィツィ美術館に行ってみたところ、いつもボッティチェッリの「東方三博士の礼拝」が展示されている場所に見慣れぬ作品がありました。

係員に聞いてみたところ、元の作品は香港での特別展のため貸し出し中とのこと。
代わりに置かれている作品も、ボッティチェッリの同タイトルの作品でした。
こちらは見たことがないのでかえって新鮮。
【東方三博士の礼拝】
「東方三賢王の礼拝」「マギの礼拝」とも呼ばれる新約聖書の場面です。
ユダヤの王を捜して東方から星に導かれてやって来た三博士(マギ)は、ペルシア宮廷に仕える占星術師たちでした。
彼らはヘロデ王の配下からベツヘレムに向かうようの指示を受け、彼の土地で誕生した救世主の御子に出会います。そして黄金、乳香、没薬の3つの贈り物を捧げました。
普段ウッフィツィ美術館でみることができるボッティチェッリの「東方三博士の礼拝」は1475年ごろの作品で、メディチ家のメンバー(コジモ、ロレンツォ、ジュリアーノ)がイエスを取り巻く人々のなかに書き込まれています。
そして現在展示されている作品は1490〜1500年ごろの作品ということで、もっと後年の絵画です。ドメニコ修道会のサヴォナローラの説教の影響から、神秘主義へと傾向していったボッティチェッリ。
制作活動の最終フェーズの作風へと移行しているのがわかります。
多くの人々を引き連れた三博士は聖母マリアに抱かれたキリストに出会い、その前に跪いています。

この作品はボッティチェッリが完成できなかったらしく、マリア様の部分には17世紀ごろに筆が付け加えられています。

背景の人間や岩には色が塗り重ねられていないことがわかりますね。

同じ芸術家でも初期、盛期、晩年と作風が変化していく様子が見受けられることが多いのです。
ドナテッロやミケランジェロ同様、ボッティチェッリも後年にキリスト教の精神へ帰依していく、その経過を見るのはとても興味深いですね。
ボンジョルノ!フィレンツェのガイドの伊藤裕紀子です。
イタリアではA.D.S.I(Associazione Dimore Storiche Italiane)という組織が、歴史的建造物(現在は個人の邸宅や庭園)の無料見学デーを設けており、今年は10月4日でした。
このプログラムに参加して、フィレンツェのトッリジャーニ庭園を見学してきましたので、今日はその様子をお伝えします。
この庭園はフィレンツェの市壁の南側に接する、19世紀に造られたロマン主義スタイルの庭です。
ルドヴィーコ・マリア・トッリジャーニ枢機卿がひ孫のピエトロ・トッリジャーニ侯爵に遺産として渡した土地に造成されました。
プロジェクトはフィレンツェ生まれの建築家Luigi de Cambray Dignyによります。ルイージの後を継いだ若きGaetano Baccaniによって完成されました。

フィレンツェの代表的なイタリア式庭園(テラスや人工物を使った幾何学式庭園)ではなく、自然な景観美を追求したイギリス式庭園となっています。
またピエトロ・トッリジャーニがフリーメーソンのメンバーであったため、そのシンボルも挿入されています。
10ヘクタールもある広大な土地は昼のゾーン(広く明るい草原)と夜のゾーン(人工的な丘の上の森)に分かれています。

平地の向こうに見えるのは三つ星ホテルAdAstra、ここに泊まって2階テラスから庭を見下ろすのも良さそうですね。
見学コースでは近寄ることができませんでしたが、この平野の中央には彫刻家ピオ・フェーディ作「セネカと若きピエトロ・トッリジャーニ」の像があります。
それ以外の苔むした彫刻作品もロマンチックな雰囲気を醸し出しています。

そしてこの庭園で最も有名なのがバッカーニによって造られた塔です。
三層に分かれた塔は俗世からフリーメーソンの世界への昇華を表現しているそうで、係員の方が「上の階が円筒形になっているのは、円が完璧のシンボルだから」と説明していました。

建築当初は塔の中に図書館や天文学の器具を保管する部屋があり、頂上では天体観測ができるようになっていたとか。
また庭の一部は植木屋として使用されていて、ヴェッキオ宮殿(フィレンツェ市庁舎)の式典などに貸し出されるそうです。

石畳の道から一歩入った場所にこのような広大な庭があることにまず驚きました。気持ち良い秋の散策もできて、まだまだフィレンツェの魅力は奥深いなと感じられた1日でした。
31 - 35件目まで(42件中)



