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- カトマンドゥからのミニトレッキング3. Nagarkot 〜 ChanguNarayan 〜 Kathmandu
-
エリア:
- アジア>ネパール>ナガルコット
- アジア>ネパール>カトマンズ
- テーマ:ハイキング・登山 世界遺産
- 投稿日:2013/11/30 11:50
- コメント(0)
<三日目 ナガルコット〜チャングナラヤンChanguNarayan〜カトマンドゥ>
その朝も6時前には目覚めていて、明るくなるとともにまず空模様を見るもあいにくの曇り空、それでも一応カメラを持って屋上テラスにあがっていく、、虚しい期待に終わってしまったが、しばらくそこにたたずんで鳥の写真なんかを撮っていた、、ま、ここは天気が悪ければどんなにいいホテルに泊まっても同じと諦めるしかなかった、、いつものパンケーキとレモンティの朝食をとって清算をお願いした、、詳しくただすことかはしなかったが予想よりはるかに安い金額だったので、もしかしたらChhapte氏が宿代を半々にしてくれた可能性があった(トータル的な金額を最後に掲載する)、、いつもと同じ7時半にはホテルを発った、、そこからは利用しようと思えばバスも乗り合いワゴン車もタクシーもあったが、当初の予定通りチャングナラヤンまでは歩きたかったので、すぐに舗装された車道をはずれ山道を下る、、たぶんその道からも雲がなければヒマラヤを見ながらの下りだったと思うが、天気は悪くないのに峰々は雲に覆われているといった状態だった、、それでもそのあとたった一回だけ雲が取れてヒマラヤを垣間見ることができたのはむしろ幸運だったのかもしれなかった、、途中から再び舗装されたバス道を下って、9時頃Deurali Bhanjyang<つまりデウラリ村?分岐、もしかしたらTilkot村?>という道路がヘアピンカーブしているところで、更に2方向へいく分岐点となっているところまで下った、、そこはやはり村の要のようなところで民家、商店が何軒もあって、その一軒の茶屋でお茶休憩をとる、そこまではずっと下りだったが、そこからは車道を外れてTilkot Reserved Forestつまり保護林あるいは保安林に指定されている丘を登ることになった、、その丘の上からも見晴らしのきくところはあったが、ヒマラヤの雲は決して取れそうになかった、、が、左手にはバクタプルの街並みが、正面遠くにはカトマンズの街並みが見えていた、、その丘を下っていくと見晴らしのもっといいところに出て、向こうにチャングナラヤン寺院が見えてきた、、気持ちのよい草地で少し休んでから最後の下り約20分でチャングナラヤン寺院に11時ころ着いた、、
ガスがかかって残念な日の出

それでも一瞬山影が見えた、、

Tilkotの丘を下るとチャングナラヤンが見えてくる(中央の小山)

チャングナラヤン遠望

この寺院はネパール最古の寺院とのことで世界遺産に登録されていてカトマンドゥからの直通バスも30分に一本あったから、かなりの外国人ツーリストやネパール人参詣者でにぎわっていた、、その門前町をなす土産物屋、仏具・宗教関連を扱う店、飲食店が軒を連ね、よくある観光スポットになっていた、、一通り一時間ほど見学、ここの入場料は比較的安く外国人100Rsだった、、その門前の裏のほうの食堂で昼飯を食べて、12:30のバスでカトマンドゥへ戻った、、途中バクタプルを経由してそのバスは14:00カトマンドゥ着、、病院Bir Hospitalの近くで下車し歩いてホテルに戻った、、ホテルまで送ってくれたChhapte氏にガイド料3日分6000Rsとtipとして少ないけどと断って1000Rs渡すと、もし明日暇なら昼ごはんを食べに来てくださいと誘われた、、もちろん何も予定がなかったから快く承諾して彼と別れた、、疲れたが結構楽しめた3日間であった、、
チャングナラヤン寺院と門前町


なお、最初に記したように(前回のブログ)、今回はガイド料別払いであとはすべて自分の会計としたが、2泊3日のトータルは以下だった、、宿泊費;800or900Rs,交通費;120Rs(バス代;行き50Rs,帰り70Rs),飲食費;1400Rsくらい;入場料関係;350Rsだったのでだいたい27〜2800Rs(27or2800円)プラスChhapte氏への支払い6000+1000Rsだった、、
‥以上ですが、このダラダラ文をここまで読んでくださったとしたらたいへん恐縮です、、恐縮ついでにもう一言だけ、、このときはまだモンスーンが明けてなく天気いまひとつで残念ながらヒマラヤの迫力ある姿を拝めませんでしたが、トレッキングのシーズンは10〜5月の乾期、特に11〜2月がベストシーズンとのことでした、、またこのコースは逆行あり?でカトマンドゥからバスでナガルコットまでいって、→チサパニ→カトマンドゥのほうが登りが少なくなるのではないかと感じました、、その場合は2.5日で回れる意外に楽なトレッキングになるかと思います、是非楽しんでみてください、、ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました‥、、
その朝も6時前には目覚めていて、明るくなるとともにまず空模様を見るもあいにくの曇り空、それでも一応カメラを持って屋上テラスにあがっていく、、虚しい期待に終わってしまったが、しばらくそこにたたずんで鳥の写真なんかを撮っていた、、ま、ここは天気が悪ければどんなにいいホテルに泊まっても同じと諦めるしかなかった、、いつものパンケーキとレモンティの朝食をとって清算をお願いした、、詳しくただすことかはしなかったが予想よりはるかに安い金額だったので、もしかしたらChhapte氏が宿代を半々にしてくれた可能性があった(トータル的な金額を最後に掲載する)、、いつもと同じ7時半にはホテルを発った、、そこからは利用しようと思えばバスも乗り合いワゴン車もタクシーもあったが、当初の予定通りチャングナラヤンまでは歩きたかったので、すぐに舗装された車道をはずれ山道を下る、、たぶんその道からも雲がなければヒマラヤを見ながらの下りだったと思うが、天気は悪くないのに峰々は雲に覆われているといった状態だった、、それでもそのあとたった一回だけ雲が取れてヒマラヤを垣間見ることができたのはむしろ幸運だったのかもしれなかった、、途中から再び舗装されたバス道を下って、9時頃Deurali Bhanjyang<つまりデウラリ村?分岐、もしかしたらTilkot村?>という道路がヘアピンカーブしているところで、更に2方向へいく分岐点となっているところまで下った、、そこはやはり村の要のようなところで民家、商店が何軒もあって、その一軒の茶屋でお茶休憩をとる、そこまではずっと下りだったが、そこからは車道を外れてTilkot Reserved Forestつまり保護林あるいは保安林に指定されている丘を登ることになった、、その丘の上からも見晴らしのきくところはあったが、ヒマラヤの雲は決して取れそうになかった、、が、左手にはバクタプルの街並みが、正面遠くにはカトマンズの街並みが見えていた、、その丘を下っていくと見晴らしのもっといいところに出て、向こうにチャングナラヤン寺院が見えてきた、、気持ちのよい草地で少し休んでから最後の下り約20分でチャングナラヤン寺院に11時ころ着いた、、
ガスがかかって残念な日の出

それでも一瞬山影が見えた、、

Tilkotの丘を下るとチャングナラヤンが見えてくる(中央の小山)

チャングナラヤン遠望

この寺院はネパール最古の寺院とのことで世界遺産に登録されていてカトマンドゥからの直通バスも30分に一本あったから、かなりの外国人ツーリストやネパール人参詣者でにぎわっていた、、その門前町をなす土産物屋、仏具・宗教関連を扱う店、飲食店が軒を連ね、よくある観光スポットになっていた、、一通り一時間ほど見学、ここの入場料は比較的安く外国人100Rsだった、、その門前の裏のほうの食堂で昼飯を食べて、12:30のバスでカトマンドゥへ戻った、、途中バクタプルを経由してそのバスは14:00カトマンドゥ着、、病院Bir Hospitalの近くで下車し歩いてホテルに戻った、、ホテルまで送ってくれたChhapte氏にガイド料3日分6000Rsとtipとして少ないけどと断って1000Rs渡すと、もし明日暇なら昼ごはんを食べに来てくださいと誘われた、、もちろん何も予定がなかったから快く承諾して彼と別れた、、疲れたが結構楽しめた3日間であった、、
チャングナラヤン寺院と門前町


なお、最初に記したように(前回のブログ)、今回はガイド料別払いであとはすべて自分の会計としたが、2泊3日のトータルは以下だった、、宿泊費;800or900Rs,交通費;120Rs(バス代;行き50Rs,帰り70Rs),飲食費;1400Rsくらい;入場料関係;350Rsだったのでだいたい27〜2800Rs(27or2800円)プラスChhapte氏への支払い6000+1000Rsだった、、
‥以上ですが、このダラダラ文をここまで読んでくださったとしたらたいへん恐縮です、、恐縮ついでにもう一言だけ、、このときはまだモンスーンが明けてなく天気いまひとつで残念ながらヒマラヤの迫力ある姿を拝めませんでしたが、トレッキングのシーズンは10〜5月の乾期、特に11〜2月がベストシーズンとのことでした、、またこのコースは逆行あり?でカトマンドゥからバスでナガルコットまでいって、→チサパニ→カトマンドゥのほうが登りが少なくなるのではないかと感じました、、その場合は2.5日で回れる意外に楽なトレッキングになるかと思います、是非楽しんでみてください、、ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました‥、、

- カトマンドゥからのミニトレッキング2 , Chisapani〜Nagarkot
-
エリア:
- アジア>ネパール>ナガルコット
- アジア>ネパール>ネパールその他の都市
- テーマ:ハイキング・登山
- 投稿日:2013/11/30 09:42
- コメント(0)
<二日目 チサパニ〜ナガルコットNagarkot>
朝トイレに目覚めたときはまだ暗かったが、6時には外は白じんでいて、それがガスの白さだと知ってがっかりさせられる、、それでも日の出に近かったのでカメラを持って外に出たが無駄たった、、朝もやの中にぼやけた朱色の太陽の位置だけは確認できたが、もやってなければ見えたはずの巨大な山のシルエットはガスに隠されたままだった、、タイミングの問題、天気ばかりはどうしようもない、、しかしここはもしかしたらヒマラヤを観る穴場?カトマンドゥから近いので機会があればもう一度来てみたい場所に思えた、、
タイトル画像は、それでもわずかに見えたヒマラヤの山影、下はいまひとつの日の出

朝食後いつものように7時半ころ出発、、ナガルコットに向かうトレッカーはわれわれだけであった、、そこからナガルコットへの道はほとんどアップダウンのない山肌に沿ったジープ道だった、、なので楽といえば楽、それも晴れていれば雄大なヒマラヤ連山を眺めながらの楽なトレッキング道といえたが、あいにくその日はただ単に楽な道でしかなかった、、そんな単調な道を途中小休を入れて1時間半歩き続けたあたりで分岐にさしかかった(9:00頃)、、そこは4方向に道が分かれ簡単な東屋と使えないトイレがあった、、ナガルコット方面とチサパニ方面の標識はあったがあとはどこへ通じる道かはわからなかった、、たぶん左は沢(河?)に下る道でジープ道が続いていたからこれが本道と思われた、、右はスンダリジャル方向?で結構広い道が続いていたが、直進のナガルコット方面はここから少し山道になった、、それでも通ろうと思えばジープがなんとか通れるかも知れない道幅はあった、、いずれにしろチサパニからこの間、バイクでわれわれを追い越していったチサパニの住人?と道路工事の地元の作業員以外に出会った人はなく、また確かに昨日早い昼食をとったムルカルカの村からこっちチサパニは別として一軒の茶店も民家も見ていなかった、、ある意味ランタントレックより寂しい?あまり人気<ヒトケ>のない道のようだった、、そしてその分岐から次の分岐点までさらに1時間半、この間は誰にも出会うことがなかった、、その途中にも一ヶ所展望台が作られていたが、天気は変わっておらず、ただの休憩所にしかならなかった、、その何も見えなかった展望台?から黙々と歩くこと45分、今度の分岐は3方向に分かれていた、、その分岐点には案内標識があってその場所がJhuleというところで、右がスンダリジャル方面、左に下る道がナガルコット方面(3.5h)とあり、今きた道はチサパニという表示があって10.5km、2.5hとなっていたが、われわれはその道を3時間かけて来たようであった(そこには10:30頃着)、、それまではトラバース気味に山の中腹を巻いた道だったが、そこからは急な下りとなった、、少し下ると右にアーミーキャンプ、その下方あたりからぽつんぽつんと農家がでてきた、、しばらく下りが続き、そのうち一軒のまだ新しい洒落たホテル兼茶屋があったのでそこでお茶休憩、、なかなか眺めのよいところだったが、こんなところに客が来るのだろうか?トレッカーが通ったとしてもここが宿泊地になるのだろうか?と余計な心配をしてしまった、、小休のあと傾斜もなくなり民家の点在した村の道を行くと一本の舗装道路にでた(11:55)、、Chaukibanjyangという村で、そこはバスも通っているとのことであった、、
ジープ道から見えた自然の池とその向こうに昨日辿った稜線がみえている

最初の分岐、ジープ道は左道なりに、ナガルコットは右の案内板があった

Jhuleの分岐にあった案内板

その街道筋に食堂が何軒かあってそこで昼食休憩とした、、ツクパThukpaをもらって昼食とする、、頼んだものができるのを待っていると、われわれが降りてきた道を10人くらいの団体が降りてきて他の食堂に入っていった、、欧米人を含むトレッカーはやはりチサパニから来たらしく、決して商売にならない地ではないことがわかる、、天気がよければ多くのトレッカーが来てもおかしくないルートであることは間違いなかった、、しかしその時点であと1/3くらい残っていて、その日の行程はちょっと距離が長いなとも感じていた、、1時間くらい昼食休憩をとって今度は舗装道路を歩き始める、、車の通る道だから傾斜はほとんどなく、また車もほとんど通らなかったので歩きやすい道ではあった、、その道を20分下り気味に行くと大きな分岐点にさしかかる、、そこはJarsingpauwaという、街といってもよさそうな大きなジャンクションで交通の要衝だった、、学校、商店、バス停があって、ちょうど昼休み中の中・高生がたくさんたむろしていて賑やかであった、、そこから道は再び山道となり、しばらく行くと車道に出たが、それがJarsingpauwaからナガルコットに向かう車道で、われわれが通った山道はショートカットだったことをそこで知る、、そこから3〜40分は舗装されてはいないが広い車道を正面及び左手に開けた田園風景を眼下に見ながら歩くことになったが、そこからも雲さえかかってなければ素晴らしいヒマラヤ展望をものにすることができただろうに、という悔しい思いを抱きながらの長い道のりであった、、14:10にKattike Bhanjyangという村に着く、、どうやらBhanjyangというのが分岐という意味らしいことにこのとき気づく、、そこは今来たJarsingpauwaからの道とSankhuという街、それとナガルコットへの分岐点だった、、そこからは車道もあったがショートカットの山道があって急な登りとなった、、ナガルコットは丘の上(尾根の上といったほうが正確か?)にあったからこそ、ヒマラヤビューポイントとして名を馳せていたのだから、当然そこまでは登らなければならなかったのだ、、最後の1時間は今日の行程の中では最もきつい1時間となった、、それでも15時には丘の上のホテル街(ここではこの言葉が使えそうだった)にたどり着いたが、そこから目的のホテルまでは舗装された道を下り気味にさらに15分ほど歩かなければならなかった、、それというのも、このナガルコットというところはカトマンズからバスで来られる最も近くて眺めのよいところとして世界的に知られている地であったから、ホテルの数も半端ではなかったが、そのほとんどはタメルのような安宿ではなかったのである、、それを知っているChhapte氏は数少ない安宿のひとつにわたしを連れてってくれたのだった、、それでもそこはトレッカー宿ではなく、普通のホテルだったのでバス・トイレつきがツインで900Rsとのことだった、、トレッカー宿でないということはChhapte氏と同室となる、、そのときはホテル・食事代等別勘定だったから、わたしはChhapteに600(わたし)300(Chhapte負担)でどうかと聞いてしまった、、彼がOKしてくれたのでそこで決まりとなったが、あとから思えばそのくらいわたしが持つべきだったのだ、、どうも旅の(もしかしたら人生そのものの?)セコさがついついでてしまってあとから反省することがよくあるのだった、、
ま、常々わたしは貧乏旅行者であることを強調していたから、そのときすでにカワリモンのわたしをおおむねわかってくれていたと思うが、彼の顧客の日本人は金持ちが多かったから、わたしみたいなのは例外的存在として特別扱いしてくれていたかもしれなかった、、で、わたしはシャワーを浴びて、屋上のテラスからはあいかわらず晴れ間の見えないのを確認して一人でナガルコットの街ブラに出かけた、、その目的のひとつは他のホテルの相場を知ることだった、、われわれの泊まったホテルの前に観光案内所があって、その脇に大きな地図看板が出ていた、、それを見ると如何にホテルが多いか一目瞭然だったが、われわれが通ってきた道沿いのホテルはその中でも高そうなところが多かった、、きっとホテルからの展望が素晴らしいところだったのだろう、、しかしいくら高くても天気の悪いときにはその価値がないのであった、、少し立地が悪く安そうなところもあったので、何軒か試しにきいてみたが一人で1000Rs以下で探すのが難しいことがよくわかった、、早い話貧乏人の来るところではなかったのだ、、そう思うと数少ないながらわれわれのホテルが貴重な存在に思えてきた、、それを裏付けるようにその夜そのホテルでお酒を飲んでいると、きっともっと高いホテルに泊まっていると思われる旅行者(ヨーロッパの若いカップルが多かった)が何組もそこに食事に来ていたのであった、、いや、そこは食事が安くてうまかっただけでなく珍しいお酒がおいてあった(それはナガルコットではどこでも飲めたと思うが)、、トンバ(Tongba)というそれは小さなポットのような容器に醗酵させた粟?が入っていて、そこにお湯を入れてストローのようなもので飲むのだけれど、一度飲み干しても何度でもお湯を足せるというたいへん経済的なお酒であった、、それをbuff chile<牛肉と野菜の炒めもの>をつまみに夕方から飲み始めていた、、Chhapteは折から開催されていた周辺諸国とのサッカーの親善試合に夢中であった、、
JarsingpauwaからKattikeへの舗装されてない車道を行く、見晴らしのよい道

ナガルコットの中心部

夕方からTongbaを飲み始めた

その日はかなり長い行程だったが、チサパニ〜ナガルコット間は休みを入れて7時間半、歩いてる時間6時間で、一日の距離としてはランンタンのときより長かったかもしれない、、その疲れもあって酔いがまわっていった‥、、
朝トイレに目覚めたときはまだ暗かったが、6時には外は白じんでいて、それがガスの白さだと知ってがっかりさせられる、、それでも日の出に近かったのでカメラを持って外に出たが無駄たった、、朝もやの中にぼやけた朱色の太陽の位置だけは確認できたが、もやってなければ見えたはずの巨大な山のシルエットはガスに隠されたままだった、、タイミングの問題、天気ばかりはどうしようもない、、しかしここはもしかしたらヒマラヤを観る穴場?カトマンドゥから近いので機会があればもう一度来てみたい場所に思えた、、
タイトル画像は、それでもわずかに見えたヒマラヤの山影、下はいまひとつの日の出

朝食後いつものように7時半ころ出発、、ナガルコットに向かうトレッカーはわれわれだけであった、、そこからナガルコットへの道はほとんどアップダウンのない山肌に沿ったジープ道だった、、なので楽といえば楽、それも晴れていれば雄大なヒマラヤ連山を眺めながらの楽なトレッキング道といえたが、あいにくその日はただ単に楽な道でしかなかった、、そんな単調な道を途中小休を入れて1時間半歩き続けたあたりで分岐にさしかかった(9:00頃)、、そこは4方向に道が分かれ簡単な東屋と使えないトイレがあった、、ナガルコット方面とチサパニ方面の標識はあったがあとはどこへ通じる道かはわからなかった、、たぶん左は沢(河?)に下る道でジープ道が続いていたからこれが本道と思われた、、右はスンダリジャル方向?で結構広い道が続いていたが、直進のナガルコット方面はここから少し山道になった、、それでも通ろうと思えばジープがなんとか通れるかも知れない道幅はあった、、いずれにしろチサパニからこの間、バイクでわれわれを追い越していったチサパニの住人?と道路工事の地元の作業員以外に出会った人はなく、また確かに昨日早い昼食をとったムルカルカの村からこっちチサパニは別として一軒の茶店も民家も見ていなかった、、ある意味ランタントレックより寂しい?あまり人気<ヒトケ>のない道のようだった、、そしてその分岐から次の分岐点までさらに1時間半、この間は誰にも出会うことがなかった、、その途中にも一ヶ所展望台が作られていたが、天気は変わっておらず、ただの休憩所にしかならなかった、、その何も見えなかった展望台?から黙々と歩くこと45分、今度の分岐は3方向に分かれていた、、その分岐点には案内標識があってその場所がJhuleというところで、右がスンダリジャル方面、左に下る道がナガルコット方面(3.5h)とあり、今きた道はチサパニという表示があって10.5km、2.5hとなっていたが、われわれはその道を3時間かけて来たようであった(そこには10:30頃着)、、それまではトラバース気味に山の中腹を巻いた道だったが、そこからは急な下りとなった、、少し下ると右にアーミーキャンプ、その下方あたりからぽつんぽつんと農家がでてきた、、しばらく下りが続き、そのうち一軒のまだ新しい洒落たホテル兼茶屋があったのでそこでお茶休憩、、なかなか眺めのよいところだったが、こんなところに客が来るのだろうか?トレッカーが通ったとしてもここが宿泊地になるのだろうか?と余計な心配をしてしまった、、小休のあと傾斜もなくなり民家の点在した村の道を行くと一本の舗装道路にでた(11:55)、、Chaukibanjyangという村で、そこはバスも通っているとのことであった、、
ジープ道から見えた自然の池とその向こうに昨日辿った稜線がみえている

最初の分岐、ジープ道は左道なりに、ナガルコットは右の案内板があった

Jhuleの分岐にあった案内板

その街道筋に食堂が何軒かあってそこで昼食休憩とした、、ツクパThukpaをもらって昼食とする、、頼んだものができるのを待っていると、われわれが降りてきた道を10人くらいの団体が降りてきて他の食堂に入っていった、、欧米人を含むトレッカーはやはりチサパニから来たらしく、決して商売にならない地ではないことがわかる、、天気がよければ多くのトレッカーが来てもおかしくないルートであることは間違いなかった、、しかしその時点であと1/3くらい残っていて、その日の行程はちょっと距離が長いなとも感じていた、、1時間くらい昼食休憩をとって今度は舗装道路を歩き始める、、車の通る道だから傾斜はほとんどなく、また車もほとんど通らなかったので歩きやすい道ではあった、、その道を20分下り気味に行くと大きな分岐点にさしかかる、、そこはJarsingpauwaという、街といってもよさそうな大きなジャンクションで交通の要衝だった、、学校、商店、バス停があって、ちょうど昼休み中の中・高生がたくさんたむろしていて賑やかであった、、そこから道は再び山道となり、しばらく行くと車道に出たが、それがJarsingpauwaからナガルコットに向かう車道で、われわれが通った山道はショートカットだったことをそこで知る、、そこから3〜40分は舗装されてはいないが広い車道を正面及び左手に開けた田園風景を眼下に見ながら歩くことになったが、そこからも雲さえかかってなければ素晴らしいヒマラヤ展望をものにすることができただろうに、という悔しい思いを抱きながらの長い道のりであった、、14:10にKattike Bhanjyangという村に着く、、どうやらBhanjyangというのが分岐という意味らしいことにこのとき気づく、、そこは今来たJarsingpauwaからの道とSankhuという街、それとナガルコットへの分岐点だった、、そこからは車道もあったがショートカットの山道があって急な登りとなった、、ナガルコットは丘の上(尾根の上といったほうが正確か?)にあったからこそ、ヒマラヤビューポイントとして名を馳せていたのだから、当然そこまでは登らなければならなかったのだ、、最後の1時間は今日の行程の中では最もきつい1時間となった、、それでも15時には丘の上のホテル街(ここではこの言葉が使えそうだった)にたどり着いたが、そこから目的のホテルまでは舗装された道を下り気味にさらに15分ほど歩かなければならなかった、、それというのも、このナガルコットというところはカトマンズからバスで来られる最も近くて眺めのよいところとして世界的に知られている地であったから、ホテルの数も半端ではなかったが、そのほとんどはタメルのような安宿ではなかったのである、、それを知っているChhapte氏は数少ない安宿のひとつにわたしを連れてってくれたのだった、、それでもそこはトレッカー宿ではなく、普通のホテルだったのでバス・トイレつきがツインで900Rsとのことだった、、トレッカー宿でないということはChhapte氏と同室となる、、そのときはホテル・食事代等別勘定だったから、わたしはChhapteに600(わたし)300(Chhapte負担)でどうかと聞いてしまった、、彼がOKしてくれたのでそこで決まりとなったが、あとから思えばそのくらいわたしが持つべきだったのだ、、どうも旅の(もしかしたら人生そのものの?)セコさがついついでてしまってあとから反省することがよくあるのだった、、
ま、常々わたしは貧乏旅行者であることを強調していたから、そのときすでにカワリモンのわたしをおおむねわかってくれていたと思うが、彼の顧客の日本人は金持ちが多かったから、わたしみたいなのは例外的存在として特別扱いしてくれていたかもしれなかった、、で、わたしはシャワーを浴びて、屋上のテラスからはあいかわらず晴れ間の見えないのを確認して一人でナガルコットの街ブラに出かけた、、その目的のひとつは他のホテルの相場を知ることだった、、われわれの泊まったホテルの前に観光案内所があって、その脇に大きな地図看板が出ていた、、それを見ると如何にホテルが多いか一目瞭然だったが、われわれが通ってきた道沿いのホテルはその中でも高そうなところが多かった、、きっとホテルからの展望が素晴らしいところだったのだろう、、しかしいくら高くても天気の悪いときにはその価値がないのであった、、少し立地が悪く安そうなところもあったので、何軒か試しにきいてみたが一人で1000Rs以下で探すのが難しいことがよくわかった、、早い話貧乏人の来るところではなかったのだ、、そう思うと数少ないながらわれわれのホテルが貴重な存在に思えてきた、、それを裏付けるようにその夜そのホテルでお酒を飲んでいると、きっともっと高いホテルに泊まっていると思われる旅行者(ヨーロッパの若いカップルが多かった)が何組もそこに食事に来ていたのであった、、いや、そこは食事が安くてうまかっただけでなく珍しいお酒がおいてあった(それはナガルコットではどこでも飲めたと思うが)、、トンバ(Tongba)というそれは小さなポットのような容器に醗酵させた粟?が入っていて、そこにお湯を入れてストローのようなもので飲むのだけれど、一度飲み干しても何度でもお湯を足せるというたいへん経済的なお酒であった、、それをbuff chile<牛肉と野菜の炒めもの>をつまみに夕方から飲み始めていた、、Chhapteは折から開催されていた周辺諸国とのサッカーの親善試合に夢中であった、、
JarsingpauwaからKattikeへの舗装されてない車道を行く、見晴らしのよい道

ナガルコットの中心部

夕方からTongbaを飲み始めた

その日はかなり長い行程だったが、チサパニ〜ナガルコット間は休みを入れて7時間半、歩いてる時間6時間で、一日の距離としてはランンタンのときより長かったかもしれない、、その疲れもあって酔いがまわっていった‥、、

- カトマンドゥからのミニトレッキング1, Kathmandu 〜 Chisapani
-
エリア:
- アジア>ネパール>カトマンズ
- テーマ:ハイキング・登山
- 投稿日:2013/11/29 20:37
- コメント(0)
前回に続いて今回も他人の土俵に上らせてもらいます、、一応ベースはグァテマラですが、基本的にわたしは旅人なので時々いろんなところから発信したくなってしまいます、、ということで、このエリアご担当の皆様にまずお詫び申し上げます(主に4社の方々のブログを参考にさせてもらってます)、、かつネパールのトレッキング模様を自分のブログから転載させていただくことをお許し請うしだいです、、また以下のエリアのほかにも旅録載せてますので参考にしていただければ幸いです(以下のプログは転載なのでその前後がわからないと不明な部分があるかもしれません、、またこのトレッキングは2013年9月の記録です)、、前にも紹介してますがアドは http://dokhakudokgo.cocolog-nifty.com です、、
<一日目 カトマンドゥ〜チサパニChisapani>
チサパニは、ガイドブックや地図によってはチソパニChisopaniと表記されていることもあって、その違いを聞いてみたらどちらもでもいいらしく‘冷たい水’と教えてもらった(ネパール語・ヒンズー語でPaniが水で、タトパニは温水、あるいは温泉を意味するらしいことは前に聞いていた)、、そのチサパニはどこにあるのか調べてみて意外なことを発見する、、それはあのランタントレッキングで出会ったT.H氏がその後辿るといっていたゴサインクンド〜ヘランブールートの出口?最終宿泊地がこのチサパニだったのである、、実はそのコースは逆ルートも人気があるらしく、だからこれから行くミニトレッキングはそのゴサインクンド〜ヘランブールートの最初の部分を歩くということのようだった、、で、ちょうど一日分の距離になるチサパニまでは、カトマンドゥからバスで行ける最終地点スンダリジャルSundarijalという村までバスを利用するとのことだった、、
その朝は明け方から雷雨で、それでもいくのかやめるのかちょっと迷いがあったが、Chhapte氏が来たときはもう雨は上っていた、、久しぶりのまとまった雨でカトマンズの街路は水浸しであちこち冠水して靴を濡らさずに歩くのは至難の業であった、、スンダリジャルまで行くバスはカトマンドゥからは出てなくて、カトマンズ郊外にある世界最大級のストゥーパがあることで有名な世界遺産の街ポダナートBoudhanathで乗り換えるとのことで、そこまでは客が集まり次第出発するミニバス(乗り合いワゴン車)で20分、わたしはそのボダナートのストゥーパを目にすることがなかったのだけれど、あとから聞いたらそこの前でわれわれは降りたらしく、すぐに来たバスに乗りかえて、そこからは40分くらい?いずれにしろカトマンドゥからは1時間くらいで8時にはスンダリジャルに着いていた、、しかしそれはやはりガイド氏あっての話で、彼なしでこんな芸当(最短時間で目的地に着くという)はできるわけなく、今回も最初から頼りっぱなしで楽してしまったが、ほんとは旅はもっと苦労したほうがよいのだ??、、バスを降りると一本道が山に向かって続いていて、その道沿いの茶店で軽い朝食をとっての出発となった、、
その茶店の前の、そこはバイクならなんとか通れそうだったが車は通れない道にしっかりした、かなり太い管が山のほうから導かれていた、、この上がカトマンズの水源でそこから引かれた水道管とのことだった、、そしてその向こうは沢になっているようだった、、その沢沿いの石畳の道はいきなりきつい登りになった、、それでもこの辺まではカトマンズの若い人たちのハイキングスポットらしく、滝のある場所には展望台?が造られていていて若い男女の姿もみられた、、その先もりっばな山道で、かつ道路の補修なんかもしていたから、どうやらこの道は地元民の生活道路でもあったらしい、、その上には村があったから住民の行き来も多かった、、通学の子供たちの姿もたくさんみて、この道を通勤・通学で毎日上り下りするのは容易なことではないと想像できた、、少なくとも登り始めて30分、やっと峠らしいところまで休みなしで登ったが、わたしの疲れ方は毎日ここを登ったりは到底無理だということを物語っていた、、予想以上のきつさに、そこで少しの休みをもらわざるを得なかったのだが、ちょうどそこがチェックポストになっていて、このトレッキングエリアの入域料を払うところだった、、もちろん地元民はその必要がなかったが、わたしだけ250Rsの支払い、思ったより安かったが去年は150RsだったとChhapteがいっていた、、そこからいったん少し下がって先ほど右に見ていた沢の水源となる池を巡る、、そこがカトマンドゥの水源地とのことだった、、そのあたりから再び登りとなったが、その登りもかなりきついものだった、、が、しばらく登り続けると樹林帯を抜けカトマンドゥ盆地が一望できるところに出た、、天気はよく休むのにちょうどよいところだった、、しかし登りはなおも続く、、どこから繋がっているのか時々ジープ道を横切った、、ところどころに農家が点在、地元民や通学の子供たちとも行き交い、休み休みだが登り続けてやっとスンダリジャルから2時間、最後の茶店のある山の上の村ムルカルカMulkharkaに着いた、、
<写真説明>タイトル画像はスンダリジヤルから1時間くらい登った辺りからカトゥマンドゥ盆地、以下は上からシバプリ国立公園ゲート、2番目;チェックポスト、3番目;カトゥマンドゥ盆地、4番目;通学の少女たち




まだ10:15分だったがこの先民家も茶屋もないからここで昼食をとったほうがよいとのことで、軽い食事で早めの昼食とした、、そこを11時に発つ、そこからはあまり見通しのきかない広い尾根道を行くことになったが、傾斜はだいぶ楽になった、、しかしそれでもずっと登りだった、、時々降りてくるトレッカーや山仕事の地元民に出会う、、深くえぐれたきり通しや樹林帯、ところどころ草地や岩肌の露出した道を45分登って15分休み、また45分登ってタルチョはためく峠に着いた、、そこがこのルートの最高地点とのことだったが、そこはせいぜい2400mの樹林帯で展望はなかった、、が、そこからは登りはなくずっと下りで早ければ30分でチサパニに着くとのことだった、、少し下ったところが草地になっていて展望台が造られていた、、そこにアーミイが数人いて、あとで一緒に下ることになったが、チサパニの手前に駐屯地があって、ま、このエリアの巡回と運動をかねた職務中のようだった、、で、そこからは展望台があるくらいだからゴサインクンド〜ランタンヒマールの山々が大パノラマとなって見えるはずだった、、しかし峠の向こうは晴れていたのだけれどこちら側はまことに残念ながら雲が覆ってて何も見えなかった、、なのでそのまま下り続けた、、すると5分くらい下ったところにまた展望台があった、、もちろん晴れていれば同じように見晴らしのよいところ、、そこには誰もいなかったので少し休憩、そこから下に村が見えていて、そこがチサパニと教えてくれたが、まだずいぶん遠そうだった、、ちょうどそこから下りかけた頃に兵隊さんたちも下ってきて、Chhapteはその一人とネパール語でいろいろ話しながら一緒に下っていった、、いずれにしろこの山岳エリアには、次の日も山間のキャンプ脇を下っていったが、かなりの数のアーミーキャンプが点在していて、少なくとも内政的には、あるいは表面的には政情は安定しているように見えていた眼には、その存在の意味を図りかねていた、、ま、軍の力が強い国はまだまだ多々あるのだが‥??
<写真説明>上から順にMulkharka村の分岐、蛇に遭遇、展望台からチサパニ村を見る、チサパニ村のホテル群




その展望台から30分、ずっと下りだったが結構途中途中休憩していたから峠からは50分かかってチサパニに着いた(13:40)、、思っていたより早かったのだが、それはわたしの勘違いによるものだった、、実はわたしはチサパニはずっと河の畔にあるものとなぜか思い込んでいた、、ところが着いたところは2200mの尾根の上だったのだ、えっ?ここがチサパニとうれしい驚き、と同時にとんでもない驚きがもうひとつ起こった、、やっと着いたと思った瞬間手のひらに異物を感じ、見ると得体の知れない物体が付着していた、、払っても取れない、、何だこれ!?と声をだすとChhapteが飛んできて払い落としてくれた、、その痕から血が止まらなくなったがこいつがヒルかとすぐに了解、、しばらく出血のためその箇所を押さえてなくてはならなくなった、、それでもここはトレッカーの数は少ないとはいえゴサインクンド〜ヘランブー、あるいは明日われわれがいくナガルコットヘのトレッキングルートになっていたから、ランタンルートに劣らぬレベルのホテルが何軒かあって、そのうちの一軒をその日の宿とした、、宿のレベルもさることながら尾根上にあって遮るもののないここからの眺めは、晴れていれば素晴らしいだろうと想像できたが、あいにく遠くの山は濃い雲に覆われたままでその姿を目にすることはできなかった、、仕方なく、その尾根上の数十mに数軒しかないホテル街(?他は何もない)をちょっとぶらついてからは部屋に戻って昼寝でもするしかなかった、、いや、そうとう疲れていたのであった、、その日の宿泊客はそれでもドイツ人の若い女性ひとりとスペイン人の中年夫婦一組がいた、、夕食時に顔を合わせたが、英語も堪能なChhapteが彼らの相手をしてくれ、というより彼らはどちらもガイドを連れてなかったので、特に登山に関心のあったスペイン人の夫婦にとっては貴重な情報源だったしChhapteにとっても新しい客の獲得という意味でその席は重要な場となった、、お陰で先に食事を終えたわたしはロキシーをもらって先に床につくことができたのだった、、
‥つづく
<一日目 カトマンドゥ〜チサパニChisapani>
チサパニは、ガイドブックや地図によってはチソパニChisopaniと表記されていることもあって、その違いを聞いてみたらどちらもでもいいらしく‘冷たい水’と教えてもらった(ネパール語・ヒンズー語でPaniが水で、タトパニは温水、あるいは温泉を意味するらしいことは前に聞いていた)、、そのチサパニはどこにあるのか調べてみて意外なことを発見する、、それはあのランタントレッキングで出会ったT.H氏がその後辿るといっていたゴサインクンド〜ヘランブールートの出口?最終宿泊地がこのチサパニだったのである、、実はそのコースは逆ルートも人気があるらしく、だからこれから行くミニトレッキングはそのゴサインクンド〜ヘランブールートの最初の部分を歩くということのようだった、、で、ちょうど一日分の距離になるチサパニまでは、カトマンドゥからバスで行ける最終地点スンダリジャルSundarijalという村までバスを利用するとのことだった、、
その朝は明け方から雷雨で、それでもいくのかやめるのかちょっと迷いがあったが、Chhapte氏が来たときはもう雨は上っていた、、久しぶりのまとまった雨でカトマンズの街路は水浸しであちこち冠水して靴を濡らさずに歩くのは至難の業であった、、スンダリジャルまで行くバスはカトマンドゥからは出てなくて、カトマンズ郊外にある世界最大級のストゥーパがあることで有名な世界遺産の街ポダナートBoudhanathで乗り換えるとのことで、そこまでは客が集まり次第出発するミニバス(乗り合いワゴン車)で20分、わたしはそのボダナートのストゥーパを目にすることがなかったのだけれど、あとから聞いたらそこの前でわれわれは降りたらしく、すぐに来たバスに乗りかえて、そこからは40分くらい?いずれにしろカトマンドゥからは1時間くらいで8時にはスンダリジャルに着いていた、、しかしそれはやはりガイド氏あっての話で、彼なしでこんな芸当(最短時間で目的地に着くという)はできるわけなく、今回も最初から頼りっぱなしで楽してしまったが、ほんとは旅はもっと苦労したほうがよいのだ??、、バスを降りると一本道が山に向かって続いていて、その道沿いの茶店で軽い朝食をとっての出発となった、、
その茶店の前の、そこはバイクならなんとか通れそうだったが車は通れない道にしっかりした、かなり太い管が山のほうから導かれていた、、この上がカトマンズの水源でそこから引かれた水道管とのことだった、、そしてその向こうは沢になっているようだった、、その沢沿いの石畳の道はいきなりきつい登りになった、、それでもこの辺まではカトマンズの若い人たちのハイキングスポットらしく、滝のある場所には展望台?が造られていていて若い男女の姿もみられた、、その先もりっばな山道で、かつ道路の補修なんかもしていたから、どうやらこの道は地元民の生活道路でもあったらしい、、その上には村があったから住民の行き来も多かった、、通学の子供たちの姿もたくさんみて、この道を通勤・通学で毎日上り下りするのは容易なことではないと想像できた、、少なくとも登り始めて30分、やっと峠らしいところまで休みなしで登ったが、わたしの疲れ方は毎日ここを登ったりは到底無理だということを物語っていた、、予想以上のきつさに、そこで少しの休みをもらわざるを得なかったのだが、ちょうどそこがチェックポストになっていて、このトレッキングエリアの入域料を払うところだった、、もちろん地元民はその必要がなかったが、わたしだけ250Rsの支払い、思ったより安かったが去年は150RsだったとChhapteがいっていた、、そこからいったん少し下がって先ほど右に見ていた沢の水源となる池を巡る、、そこがカトマンドゥの水源地とのことだった、、そのあたりから再び登りとなったが、その登りもかなりきついものだった、、が、しばらく登り続けると樹林帯を抜けカトマンドゥ盆地が一望できるところに出た、、天気はよく休むのにちょうどよいところだった、、しかし登りはなおも続く、、どこから繋がっているのか時々ジープ道を横切った、、ところどころに農家が点在、地元民や通学の子供たちとも行き交い、休み休みだが登り続けてやっとスンダリジャルから2時間、最後の茶店のある山の上の村ムルカルカMulkharkaに着いた、、
<写真説明>タイトル画像はスンダリジヤルから1時間くらい登った辺りからカトゥマンドゥ盆地、以下は上からシバプリ国立公園ゲート、2番目;チェックポスト、3番目;カトゥマンドゥ盆地、4番目;通学の少女たち




まだ10:15分だったがこの先民家も茶屋もないからここで昼食をとったほうがよいとのことで、軽い食事で早めの昼食とした、、そこを11時に発つ、そこからはあまり見通しのきかない広い尾根道を行くことになったが、傾斜はだいぶ楽になった、、しかしそれでもずっと登りだった、、時々降りてくるトレッカーや山仕事の地元民に出会う、、深くえぐれたきり通しや樹林帯、ところどころ草地や岩肌の露出した道を45分登って15分休み、また45分登ってタルチョはためく峠に着いた、、そこがこのルートの最高地点とのことだったが、そこはせいぜい2400mの樹林帯で展望はなかった、、が、そこからは登りはなくずっと下りで早ければ30分でチサパニに着くとのことだった、、少し下ったところが草地になっていて展望台が造られていた、、そこにアーミイが数人いて、あとで一緒に下ることになったが、チサパニの手前に駐屯地があって、ま、このエリアの巡回と運動をかねた職務中のようだった、、で、そこからは展望台があるくらいだからゴサインクンド〜ランタンヒマールの山々が大パノラマとなって見えるはずだった、、しかし峠の向こうは晴れていたのだけれどこちら側はまことに残念ながら雲が覆ってて何も見えなかった、、なのでそのまま下り続けた、、すると5分くらい下ったところにまた展望台があった、、もちろん晴れていれば同じように見晴らしのよいところ、、そこには誰もいなかったので少し休憩、そこから下に村が見えていて、そこがチサパニと教えてくれたが、まだずいぶん遠そうだった、、ちょうどそこから下りかけた頃に兵隊さんたちも下ってきて、Chhapteはその一人とネパール語でいろいろ話しながら一緒に下っていった、、いずれにしろこの山岳エリアには、次の日も山間のキャンプ脇を下っていったが、かなりの数のアーミーキャンプが点在していて、少なくとも内政的には、あるいは表面的には政情は安定しているように見えていた眼には、その存在の意味を図りかねていた、、ま、軍の力が強い国はまだまだ多々あるのだが‥??
<写真説明>上から順にMulkharka村の分岐、蛇に遭遇、展望台からチサパニ村を見る、チサパニ村のホテル群




その展望台から30分、ずっと下りだったが結構途中途中休憩していたから峠からは50分かかってチサパニに着いた(13:40)、、思っていたより早かったのだが、それはわたしの勘違いによるものだった、、実はわたしはチサパニはずっと河の畔にあるものとなぜか思い込んでいた、、ところが着いたところは2200mの尾根の上だったのだ、えっ?ここがチサパニとうれしい驚き、と同時にとんでもない驚きがもうひとつ起こった、、やっと着いたと思った瞬間手のひらに異物を感じ、見ると得体の知れない物体が付着していた、、払っても取れない、、何だこれ!?と声をだすとChhapteが飛んできて払い落としてくれた、、その痕から血が止まらなくなったがこいつがヒルかとすぐに了解、、しばらく出血のためその箇所を押さえてなくてはならなくなった、、それでもここはトレッカーの数は少ないとはいえゴサインクンド〜ヘランブー、あるいは明日われわれがいくナガルコットヘのトレッキングルートになっていたから、ランタンルートに劣らぬレベルのホテルが何軒かあって、そのうちの一軒をその日の宿とした、、宿のレベルもさることながら尾根上にあって遮るもののないここからの眺めは、晴れていれば素晴らしいだろうと想像できたが、あいにく遠くの山は濃い雲に覆われたままでその姿を目にすることはできなかった、、仕方なく、その尾根上の数十mに数軒しかないホテル街(?他は何もない)をちょっとぶらついてからは部屋に戻って昼寝でもするしかなかった、、いや、そうとう疲れていたのであった、、その日の宿泊客はそれでもドイツ人の若い女性ひとりとスペイン人の中年夫婦一組がいた、、夕食時に顔を合わせたが、英語も堪能なChhapteが彼らの相手をしてくれ、というより彼らはどちらもガイドを連れてなかったので、特に登山に関心のあったスペイン人の夫婦にとっては貴重な情報源だったしChhapteにとっても新しい客の獲得という意味でその席は重要な場となった、、お陰で先に食事を終えたわたしはロキシーをもらって先に床につくことができたのだった、、
‥つづく
グアテマラには3000m以上の山が13座あって、そのすべてが活火山または休火山です、、だからほとんどみんなコニーデ型(円錐型?富士山型?)で山の形としての面白みはあまりないし、またすべてが登山可能ですが、山登りの面白さもあまりないかもしれません‥??、といってもわたしはそのうちの二つしか登ってないので、わかったようなことはいえません、、で、今回は実はそのうちの半分5〜6峰(その内訳は後ほど)を一度に見られるところあるのでそれを紹介しようと思ってこの記事を書き始めました、、
まず、その13座を地域的に分類してみると次のようになります、、4000m峰の二つは1位のTajumlco 4220mがサンマルコス県(去年の10月に地震があったところ)そして2位Tacana 4093mもサンマルコスとメキシコの国境に位置しています、、そしてSanta Maria 3772m;4位、Santo Tomas 3595m;7位、Zunil 3542m;8位、Cerro Quemado 3027m;11位、Siete Orejas 3010m;13位はいずれもシェラ(Quetzaltenango)の周辺に、Atitlan 3537m;9位、Toliman 3156m;10位、San Pedro 3020m;12位はいずれもアティトラン湖Lago Atitlanの周辺に、そして3位のAcatenango 3975m、5位のVolcan de Fuego 3763m、6位のVolcan de Agua 3760mはいずれも古都アンティグアから見えるところに位置しています、、
さて、このうちの3,5,9,10,12(前述した高さの順番)がひとつの視界に入り、もしかしたら6も見えるかもしれない(なので5〜6峰としました)場所がありましたので紹介させていただきます、、それはChuiraxamoloという新しくできた公園で(確かオープンしたのはこの1年くらいの間)場所的にはアティトゥラン湖畔の村サンパブロララグーナSan Pablo la Lagunaの真上辺り(つまり山の上ですがサンパブロからの道はありません)、行き方としては148(地名です)とサンペドロの途上にあるのでサンペドロに行く途中に下車するか、148からサンタマリアビスタション・サンタクラララグーナ行き、またはサンパブロララグーナ行きのコレクティポに乗れば3Q(30円)でいけます、、ただし入場料20Qかかります、、その公園ではカノピー(大小二つあった)も楽しめ、またキャンプもできそうでした、、ともかく眺めが素晴らしいのでサンペドロに行かれる方は是非寄ってみることをお勧めします、、
写真の説明;上から公園入り口、2番目の写真、右からVolcan San Pedro,Atitlan,Tolimanのアティトラン湖三山、三番目は公園の案内板とその下カノピー、そして最後の写真とタイトル画像は遠くにVolcan de FuegoとAcatenangoが見えているのだけれどVolcan de Aguaは雲がかかってはっきりしない、、尚、真下に見える村がサンパブロララグーナで右手に見える村(?街)がサンペドロ




まず、その13座を地域的に分類してみると次のようになります、、4000m峰の二つは1位のTajumlco 4220mがサンマルコス県(去年の10月に地震があったところ)そして2位Tacana 4093mもサンマルコスとメキシコの国境に位置しています、、そしてSanta Maria 3772m;4位、Santo Tomas 3595m;7位、Zunil 3542m;8位、Cerro Quemado 3027m;11位、Siete Orejas 3010m;13位はいずれもシェラ(Quetzaltenango)の周辺に、Atitlan 3537m;9位、Toliman 3156m;10位、San Pedro 3020m;12位はいずれもアティトラン湖Lago Atitlanの周辺に、そして3位のAcatenango 3975m、5位のVolcan de Fuego 3763m、6位のVolcan de Agua 3760mはいずれも古都アンティグアから見えるところに位置しています、、
さて、このうちの3,5,9,10,12(前述した高さの順番)がひとつの視界に入り、もしかしたら6も見えるかもしれない(なので5〜6峰としました)場所がありましたので紹介させていただきます、、それはChuiraxamoloという新しくできた公園で(確かオープンしたのはこの1年くらいの間)場所的にはアティトゥラン湖畔の村サンパブロララグーナSan Pablo la Lagunaの真上辺り(つまり山の上ですがサンパブロからの道はありません)、行き方としては148(地名です)とサンペドロの途上にあるのでサンペドロに行く途中に下車するか、148からサンタマリアビスタション・サンタクラララグーナ行き、またはサンパブロララグーナ行きのコレクティポに乗れば3Q(30円)でいけます、、ただし入場料20Qかかります、、その公園ではカノピー(大小二つあった)も楽しめ、またキャンプもできそうでした、、ともかく眺めが素晴らしいのでサンペドロに行かれる方は是非寄ってみることをお勧めします、、
写真の説明;上から公園入り口、2番目の写真、右からVolcan San Pedro,Atitlan,Tolimanのアティトラン湖三山、三番目は公園の案内板とその下カノピー、そして最後の写真とタイトル画像は遠くにVolcan de FuegoとAcatenangoが見えているのだけれどVolcan de Aguaは雲がかかってはっきりしない、、尚、真下に見える村がサンパブロララグーナで右手に見える村(?街)がサンペドロ





- ラゴ( Lago アティトゥラン湖 ) 一周
-
エリア:
- 中南米>グアテマラ>グアテマラその他の都市
- テーマ:観光地 ハイキング・登山 自然・植物
- 投稿日:2012/10/26 02:34
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Lagoとはスペイン語で湖のことで、ここLago Atitlanアティトゥラン湖のことです。グアテマラは景勝地・観光地の多いところで、そのベスト3をあげるとすると1,2,はティカルTikalまたはアンティグアAntiguaの二つの世界遺産の地で誰も異存のないところだと思いますが、3,にここアティトゥラン湖をあげる方も多いのではないかと思われます。ま、この3ヶ所がぶっちぎりで他を圧していて、それほどこの地も多くの旅行者が訪れ、また日本の方はまだ少ないですが、多くの欧米人がこの地に住みついております。風光明媚という点で両世界遺産を上回るほどのところです。
さて、そのアティトゥラン湖の周囲には、それぞれに個性的でかつ魅力的な村が12存在します。この12という数字はなんでもカトリック信仰の強いグアテマラにあって聖書にある12使徒から名づけられていると聞いたことがありますが、聖書やキリスト教についての知識がないので詳細はわかりません。が、その地名には確かにそのような名を見出すことができます。すべてではありませんが、それらを列挙すると今わたしがいるところから順に時計回りで見ていくとSan Pedro(la Laguna),San Juan(la Laguna),San Pablo(la Laguna),Santa Clara(la Laguna),Santa Maria(Vistacion),San Marcos(la Laguna),Santa Cruz(la Laguna),San Jorge (la Laguna),Santa Catarina(Palopo),San Antonio(Palopo),San Lucas (Toliman),Santiago(Atitlan)となります<()内は同じ地名が多いグアテマラ内でその場所を示すもので、通常はあわせた呼称となります>。しかしこの中には正確にいうとLagoの畔でないものが3ヶ所あって、それはサンタクララ・ラ・ラグーナとサンタマリア・ビィスタション、そしてサンフォルヘ・ラ・ラグーナとなりますが(畔ではないが周辺の村とはいえる)、そのかわりTzununa,JaibalitoそしてLago周辺の村では最も観光客の多いパナハチェルPanajachelが湖畔の村(パナハチェルは街)として存在します。
で、次回からこれらの村を訪ねた印象や特徴をわかる範囲で紹介していきたいと思ってますが、必ずしも今回回ったときのものではない写真もあることをお断りしておきます(去年から今年にかけて回ったときのものが多いのですが、その写真が日本にあって今回掲げられないものもあります)。また数字等のデータが入手困難だったりして正確でないかもしれないこと、できれば地図を載せて説明したいところですがその方法がわからないので、今のところ載せられないことをお詫び申し上げます。
<アティトゥラン湖は典型的なカルデラ湖?でその周囲を山で囲まれており、そのどの地点からも晴れていれば絵になる写真が取れる、が今はまだ雨期の終わりでなかなか天気に恵まれることが少ない>


さて、そのアティトゥラン湖の周囲には、それぞれに個性的でかつ魅力的な村が12存在します。この12という数字はなんでもカトリック信仰の強いグアテマラにあって聖書にある12使徒から名づけられていると聞いたことがありますが、聖書やキリスト教についての知識がないので詳細はわかりません。が、その地名には確かにそのような名を見出すことができます。すべてではありませんが、それらを列挙すると今わたしがいるところから順に時計回りで見ていくとSan Pedro(la Laguna),San Juan(la Laguna),San Pablo(la Laguna),Santa Clara(la Laguna),Santa Maria(Vistacion),San Marcos(la Laguna),Santa Cruz(la Laguna),San Jorge (la Laguna),Santa Catarina(Palopo),San Antonio(Palopo),San Lucas (Toliman),Santiago(Atitlan)となります<()内は同じ地名が多いグアテマラ内でその場所を示すもので、通常はあわせた呼称となります>。しかしこの中には正確にいうとLagoの畔でないものが3ヶ所あって、それはサンタクララ・ラ・ラグーナとサンタマリア・ビィスタション、そしてサンフォルヘ・ラ・ラグーナとなりますが(畔ではないが周辺の村とはいえる)、そのかわりTzununa,JaibalitoそしてLago周辺の村では最も観光客の多いパナハチェルPanajachelが湖畔の村(パナハチェルは街)として存在します。
で、次回からこれらの村を訪ねた印象や特徴をわかる範囲で紹介していきたいと思ってますが、必ずしも今回回ったときのものではない写真もあることをお断りしておきます(去年から今年にかけて回ったときのものが多いのですが、その写真が日本にあって今回掲げられないものもあります)。また数字等のデータが入手困難だったりして正確でないかもしれないこと、できれば地図を載せて説明したいところですがその方法がわからないので、今のところ載せられないことをお詫び申し上げます。
<アティトゥラン湖は典型的なカルデラ湖?でその周囲を山で囲まれており、そのどの地点からも晴れていれば絵になる写真が取れる、が今はまだ雨期の終わりでなかなか天気に恵まれることが少ない>


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