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チェコの「幽霊教会」で見た、消えた村の記憶

2026/08/09 23:16
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エリア:
  • ヨーロッパ > チェコ > チェコその他の都市
テーマ:
  • 歴史・文化・芸術
チェコには、観光ガイドだけを見ていたら決してたどり着かないような、不思議な場所があります。今日はプラハから車で日帰りの旅をしてきました。
今回向かったのは、プラハから車で日帰りできる西ボヘミアの小さな村、Luková(ルコヴァー)。そこに建つ聖イジー教会、通称「幽霊教会」です。
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現在のLukováは驚くほど静かです。ちなみに、この場所へ車以外の交通機関で行くことはかなり大変です。人の姿はほとんどなく、周囲にも「観光地」という雰囲気は全くありません。ところが、教会の開館時間である午後1時から5時になると状況が一変します。チェコ国内だけではなく、ヨーロッパ中から旅をしている家族や物珍しい観光客など、世界各地から観光客が次々とやって来ます。わずかな時間だけ、この静かな村に人が集まるのです。実際、この幽霊教会は世界中から訪問者を集める場所として機能しています。
そして扉を開けると、そこには約32体の白い「人影」がいます。
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ベンチに座る人、立っている人、頭を垂れて祈っている人。顔はなくただ白い布をまとったような姿で、教会の中に静かに佇んでいます。

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この作品を制作したのは芸術家Jakub Hadravaです。興味深いのは、その作り方です。実際の人間をモデルにして、その身体を覆い、石膏を含ませた布を使って型を取られています。
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そして石膏が固まった後、モデルの人が中から抜け出すのです。作家自身だけではなく、複数の人をモデルにしたからこそ、身長や体格、座り方の違う、少しずつ形の違う「幽霊」が生まれています。現在の32体は、まるで本当にそこにいた人々がそのまま時間を止められたように見えます。

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しかし、この「幽霊」には重要な意味があります。
Lukováはかつてドイツ系住民が多数を占めていた村だった。1938年にはナチス・ドイツに併合されたズデーテン地方の一部となり、第二次世界大戦後にはドイツ系住民の追放によって、村の人口は大きく失われました。その後の再定住も十分には進まず、かつて人々の生活の中心だった教会も、次第に取り残されていったのです。
もちろん、そこに暮らしていたすべての一般市民がナチス・ドイツ政府や軍と同じ思想だったわけではありません。歴史の大きな政治の流れの中で、普通に家族と暮らし、日曜日にはこの教会で祈っていた人々も、この土地を離れることになったのです。
現在でこそ人は住んでいるでしょうが、当時は教会の周辺を歩くと、家はあるのに、人がいない、という独特の感覚があったことでしょう。

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さらに印象的なのが墓地です。墓石には、かつてこの土地に暮らしていたドイツ系家族の名前が残っており、墓は荒れています。家は空になり、住民は去っても、石に刻まれた名前と土葬されたご先祖様達だけがその人たちがここに生きていたことを伝えています。
そして、教会が決定的に使われなくなったのが1968年でした。

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この年、教会で葬儀が行われている最中に天井の一部が崩落しました。幸い大きな人的被害はなかったものの、それ以来教会は閉鎖され、長い間ほとんど使われなくなっていました。しかも1968年という年は、チェコの歴史を考えると偶然とはいえ、とても重い年でした。この年は「プラハの春」の年。アレクサンデル・ドゥプチェクのもとで社会主義体制を改革し、より自由な社会を目指す動きが起こった。しかし8月、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアへ侵攻し、「プラハの春」は終わったのです。つまりこの教会では、1968年というチェコにとって悲しい転換点の年に、物理的にも建物が大きな傷を負ったのでした。
さらに教会内部をよく見ると、天井には「真実の眼」と呼ばれるような目の意匠があります。

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これもまた、この場所にまつわる都市伝説的な話をより不思議なものにしています。
さて、外に出ると、さっきまでの観光客の多さが嘘のように、村は静まり返っています。そして少し離れたところには、アヒルや鶏がたくさんいる小さな動物ファームもあり、観光地らしい派手な売店などはありませんが、そこで新鮮な卵を買うこともできました。

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そんな素朴さも含めて、今回の旅はとてもチェコらしい感じでした。
「幽霊教会」と呼ばれているけれど、本当に怖いのは幽霊ではなく、そこにいた人々が消え、家が空になり、教会が朽ちていったという人間の歴史そのものなのだと思います。そして今、その白い幽霊たちが、かつてここで祈っていた人々の存在を、静かに私たちへ伝えているのかもしれません。
タグ:
チェコ
幽霊教会
幽霊
教会
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