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エリア:
- ヨーロッパ > クロアチア > ドブロブニク
- ヨーロッパ > ボスニア・ヘルツェゴビナ > サラエボ
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テーマ:
- 街中・建物・景色
スロベニアもクロアチアも、これから向かうボスニア・ヘルツェゴビナも、かつてはユーゴスラビアというひとつの共和国だった。
冷戦後、その旧ユーゴスラビアが崩壊し、これらの国が独立したわけだが、それはいずれの場合も平和的なものではなく、独立戦争の血が流されている。
すでに我々が旅してきたスロベニアしかり。旅して目にした姿からは全く想像もできなかったが、特にクロアチアでは多くの血が流れた。
スロベニアもクロアチアも、独立したのはわずか10年前のことだ。
そして和平協定が結ばれ、停戦したのはわずか5年前。NATO軍の介入とともに流されたテレビのニュース報道の記憶もまだ新しい、ボスニア・ヘルツェゴビナにいよいよ今日バスで乗り込む。
朝、クロアチアのドブロヴニクを出発したバスは、まもなくボスニア・ヘルツェゴビナに入国。
のどかな緑の湖しょう地帯をしばらく行くと、バスは、道沿いに並ぶ建物の壁の無数の銃痕(じゅうこん)が痛々しいモスタル街に途中停車。 モスタルは、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立がらみの内戦で、一番の激戦区となったところだ。
その傷跡の生々しさに、背筋が凍りつく。
やがてバスはボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボに到着。
町のまん中をつらぬくトラムも走る大通りは、通称「スナイパー通り」。
内戦中はこの通りを挟んで、対立する勢力の銃弾が激しく飛び交ったそうだ。
あたりには爆撃を物語る、コンクリートの壁が崩れ落ちたままになっていたり黒焦げのままのビルが点在している。
身の毛をよだらせながら、背筋に悪寒を感じながら、スナイパー通りを抜けると、そこには小さなサラエボの旧市街。
かわいらしいセルビア正教会の前の広場では、おじさんたちが集って人の子ほどもある大きなチェスのコマを動かしながら夕涼みを楽しんでいる。
旧市街の中心にはオスマン・トルコ時代の趣そのままの店舗が軒を連ね、トルコ風のコーヒーセットや工芸品が店先に並んでいる。
すっかり観光客用のお土産物屋街になってしまった有名な本場トルコのイスタンブールのバザールより、よほどここサラエボの旧市街の方が、小さいながらも古き良きトルコを雰囲気そのままに、静かで味わい深い。
そんな旧市街の路地をわきにそれると、小さい川に架かる石の橋が現れる。
ここはオーストリア帝国時代、領主オーストリア帝国の皇太子が狙撃され第一次世界大戦が勃発した「サラエボ事件」の現場だ。
その橋を渡って少し歩くと見えてきたのは、五輪のマークが刻まれたコンクリート製の大きな建物、1984年に開催されたサラエボ冬季オリンピックのスケート場だ。
スケート場の西に架かる橋の上には、内戦勃発時、最初の犠牲者となって撃たれて亡くなった女性の写真と献花。
そして更に、その背後には爆破ビルの残がい。
混乱、戦争、平和の祭典、激動のサラエボを物語る様々なモニュメント。そしてその中央にひっそりたたずむ旧市街。
今はまだ内戦の傷跡ばかりが注目されてしまう町だけど、味わい深いかわいらしい旧市街が早くサラエボの目玉となるよう願うばかりだ。
我々は、バスで着いた時、客引きをしていたおばさんの家に宿を取っている。おばさんが自宅のアパートの一室を貸して家計の足しにしているのだ。
夕方は、その「おばさんの宿」に戻って晩ご飯を頂く。
おばさんが、「晩ご飯はどうか?」と聞くので、少々高かったが地元の家庭料理が食べられるのならとお願いしてみたのだ。
ところが、料理の方はぼちぼちだったのだが、我々の食事中おばさんは隣で電話をしながら大声で泣き崩れてしまう。
気まずい雰囲気の中で、自分とJunkoは黙々と料理を食べるしかない。
あとで聞くと、おばさんのだんなさんが一ヶ月ほど前に亡くなってしまったのだそうだ。
おばさん、大学生くらいの娘さんになぐさめられている。
だんなさんが内戦のせいで亡くなったのかどうかはわからない。
壁にはモスクの壁掛けがかかっている。
サラエボという街、ほんのわずかな滞在でもそこによどむ空気は非常に複雑で、人間のおろかさ、むなしさ、悲哀が吹きだまっているかのようだ。
【食事】
朝:パン
昼:スープとパン(バスが休憩に立ち寄ったモスタル郊外の景色のいいレストランにて)
夜:チキンリゾット、ポテトサラダ、ボスニアコーヒ(トルココーヒーに似ている)
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8KN(クロアチア・クーナ)
1US$ ≒ 2KM(ボスニアヘルツェゴビナ・兌換マルク:ドイツマルクと等価)
1US$ ≒ 2DM(ドイツ・マルク:東欧ではドイツマルクが歓迎されることが多い)
・ドブログニク→サラエボ (バス)6.5時間(8:00発14:30着)
167KN + 荷物代1つあたり8KN
・ボスニアヘルツェゴビナ入国 日本人旅行者はビザ不要。
【宿】
(サラエボ)Zudan Enver's House 28DM/民泊一人、夕食つき
冷戦後、その旧ユーゴスラビアが崩壊し、これらの国が独立したわけだが、それはいずれの場合も平和的なものではなく、独立戦争の血が流されている。
すでに我々が旅してきたスロベニアしかり。旅して目にした姿からは全く想像もできなかったが、特にクロアチアでは多くの血が流れた。
スロベニアもクロアチアも、独立したのはわずか10年前のことだ。
そして和平協定が結ばれ、停戦したのはわずか5年前。NATO軍の介入とともに流されたテレビのニュース報道の記憶もまだ新しい、ボスニア・ヘルツェゴビナにいよいよ今日バスで乗り込む。
朝、クロアチアのドブロヴニクを出発したバスは、まもなくボスニア・ヘルツェゴビナに入国。
のどかな緑の湖しょう地帯をしばらく行くと、バスは、道沿いに並ぶ建物の壁の無数の銃痕(じゅうこん)が痛々しいモスタル街に途中停車。 モスタルは、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立がらみの内戦で、一番の激戦区となったところだ。
その傷跡の生々しさに、背筋が凍りつく。
やがてバスはボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボに到着。
町のまん中をつらぬくトラムも走る大通りは、通称「スナイパー通り」。
内戦中はこの通りを挟んで、対立する勢力の銃弾が激しく飛び交ったそうだ。
あたりには爆撃を物語る、コンクリートの壁が崩れ落ちたままになっていたり黒焦げのままのビルが点在している。
身の毛をよだらせながら、背筋に悪寒を感じながら、スナイパー通りを抜けると、そこには小さなサラエボの旧市街。
かわいらしいセルビア正教会の前の広場では、おじさんたちが集って人の子ほどもある大きなチェスのコマを動かしながら夕涼みを楽しんでいる。
旧市街の中心にはオスマン・トルコ時代の趣そのままの店舗が軒を連ね、トルコ風のコーヒーセットや工芸品が店先に並んでいる。
すっかり観光客用のお土産物屋街になってしまった有名な本場トルコのイスタンブールのバザールより、よほどここサラエボの旧市街の方が、小さいながらも古き良きトルコを雰囲気そのままに、静かで味わい深い。
そんな旧市街の路地をわきにそれると、小さい川に架かる石の橋が現れる。
ここはオーストリア帝国時代、領主オーストリア帝国の皇太子が狙撃され第一次世界大戦が勃発した「サラエボ事件」の現場だ。
その橋を渡って少し歩くと見えてきたのは、五輪のマークが刻まれたコンクリート製の大きな建物、1984年に開催されたサラエボ冬季オリンピックのスケート場だ。
スケート場の西に架かる橋の上には、内戦勃発時、最初の犠牲者となって撃たれて亡くなった女性の写真と献花。
そして更に、その背後には爆破ビルの残がい。
混乱、戦争、平和の祭典、激動のサラエボを物語る様々なモニュメント。そしてその中央にひっそりたたずむ旧市街。
今はまだ内戦の傷跡ばかりが注目されてしまう町だけど、味わい深いかわいらしい旧市街が早くサラエボの目玉となるよう願うばかりだ。
我々は、バスで着いた時、客引きをしていたおばさんの家に宿を取っている。おばさんが自宅のアパートの一室を貸して家計の足しにしているのだ。
夕方は、その「おばさんの宿」に戻って晩ご飯を頂く。
おばさんが、「晩ご飯はどうか?」と聞くので、少々高かったが地元の家庭料理が食べられるのならとお願いしてみたのだ。
ところが、料理の方はぼちぼちだったのだが、我々の食事中おばさんは隣で電話をしながら大声で泣き崩れてしまう。
気まずい雰囲気の中で、自分とJunkoは黙々と料理を食べるしかない。
あとで聞くと、おばさんのだんなさんが一ヶ月ほど前に亡くなってしまったのだそうだ。
おばさん、大学生くらいの娘さんになぐさめられている。
だんなさんが内戦のせいで亡くなったのかどうかはわからない。
壁にはモスクの壁掛けがかかっている。
サラエボという街、ほんのわずかな滞在でもそこによどむ空気は非常に複雑で、人間のおろかさ、むなしさ、悲哀が吹きだまっているかのようだ。
【食事】
朝:パン
昼:スープとパン(バスが休憩に立ち寄ったモスタル郊外の景色のいいレストランにて)
夜:チキンリゾット、ポテトサラダ、ボスニアコーヒ(トルココーヒーに似ている)
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8KN(クロアチア・クーナ)
1US$ ≒ 2KM(ボスニアヘルツェゴビナ・兌換マルク:ドイツマルクと等価)
1US$ ≒ 2DM(ドイツ・マルク:東欧ではドイツマルクが歓迎されることが多い)
・ドブログニク→サラエボ (バス)6.5時間(8:00発14:30着)
167KN + 荷物代1つあたり8KN
・ボスニアヘルツェゴビナ入国 日本人旅行者はビザ不要。
【宿】
(サラエボ)Zudan Enver's House 28DM/民泊一人、夕食つき