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エリア:
- ヨーロッパ > リトアニア
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テーマ:
- 観光地
- / 歴史・文化・芸術
連載2回目ですね!mof.の松本です。
今回はバルト三国の魅力にグググと迫ってゆきますよ。
ヘルシンキに始まり、船でバルト海を渡り、エストニアのタリンへ。
そこからラトビアのリーガへ移動。
リーガで2泊して、街を歩いた後、
わたしは念願だった十字架の丘へ向かうのでした。
十字架の丘とは?
みなさんご存じでしょうか。
それはリトアニアのシャウレイという街から
バスで20分ほど走ったところにあります。
リトアニアがロシアの帝政下だった頃、ロシアに対しての反乱を起こし、
そこで亡くなった兵士達を悼んで、その兵士の家族達が
十字架を建てていったことが始まりといわれています。
今ではカトリック教の巡礼地として、巡礼者や観光客で賑わっています。
ガイドブックを読んでいて、写真を見た時、
その信じられない十字架の数にぞっとしました。
でもその次の瞬間、わたしはここに行こうと思っていました。
まずはシャウレイからバスに乗ります。
とってもローカルなバスです。
この街は全然英語が通じなくて、バスターミナルでもらった
十字架の丘のパンフレットを車掌さんに見せて確認をしやっと一安心。
降りるところもわからなかったのですが、乗客のおじいさんが
「今だ!」みたいな感じでわたしを見てくれたので大丈夫でした。
さらに降りてからまったく逆方向に進んだらしいわたしに、
バスの運転手さんは一度出発したバスを止めて
ジェスチャーで教えてくれました。なんて優しいのでしょう!
バス停からこんなのどか道を20分ほど歩きます。
15分くらいで見えてきますよ。もうすぐです。
この日は天気もよく暑かったのですが、無我夢中で歩きました。
ついに入口までたどり着きます。
小さな丘のようになっていて、木の階段で入ってゆけるようになっています。
キリスト像のまわりにも所狭しと!十字架の嵐です。
実は道路を挟んだ反対側に観光案内所と駐車場があって、
そこでは置いていく用に十字架が売られているんです。
十字架の数は現在も増え続けていて、
リトアニアの人口より多いと言われています。
わたしはカトリック教徒ではないので、
観光気分で買うのは失礼な気がして見学するだけにとどめました。
最初この十字架の丘を知ったとき、
強烈な信仰心のようなものを感じて少し怖いなんて思っていました。
だけど行ってみると不思議。
言葉ではうまく表せないのですが、なんだか暖かい気持ちになれたんです。
言葉も通じないのに、ここに来るまでにも
たくさんの優しい人に助けてもらったし、
ロシア軍に壊されても壊されても人知れず
十字架を置いていく人達がいたそうで、
そんな人達の家族を思う気持ちや一つのことを信じる気持ちが
伝わってくるような気がして素敵な気分になれました。
この後わたしは同国ヴィィニュスという街に行くのですが、
そこでもたくさんの暖かい人に出会いました。
バルト三国はあまり日本からの観光客も少ないし
パリやローマに比べたら華々しさは欠けているかもしれません。
でもわたしは素朴で優しい人達でいっぱいの、
バルトの国々が大好きになりました。
そしてどの教会を見学しても祈りに来ている地元の人。
日本にいると、よくわからないままにしてしまう宗教ですが、
バルトの国々の人達に出会って色んなことを考えさせられました。
今度行くときはもっと勉強してからだなと思っています。
ちょっと堅くなってしまいましたが、
バルトの魅力が少しは伝わったでしょうか?
次回はもっと重めに、アウシュビッツのお話です。
今回はバルト三国の魅力にグググと迫ってゆきますよ。
ヘルシンキに始まり、船でバルト海を渡り、エストニアのタリンへ。
そこからラトビアのリーガへ移動。
リーガで2泊して、街を歩いた後、
わたしは念願だった十字架の丘へ向かうのでした。
十字架の丘とは?
みなさんご存じでしょうか。
それはリトアニアのシャウレイという街から
バスで20分ほど走ったところにあります。
リトアニアがロシアの帝政下だった頃、ロシアに対しての反乱を起こし、
そこで亡くなった兵士達を悼んで、その兵士の家族達が
十字架を建てていったことが始まりといわれています。
今ではカトリック教の巡礼地として、巡礼者や観光客で賑わっています。
ガイドブックを読んでいて、写真を見た時、
その信じられない十字架の数にぞっとしました。
でもその次の瞬間、わたしはここに行こうと思っていました。
まずはシャウレイからバスに乗ります。
とってもローカルなバスです。
この街は全然英語が通じなくて、バスターミナルでもらった
十字架の丘のパンフレットを車掌さんに見せて確認をしやっと一安心。
降りるところもわからなかったのですが、乗客のおじいさんが
「今だ!」みたいな感じでわたしを見てくれたので大丈夫でした。
さらに降りてからまったく逆方向に進んだらしいわたしに、
バスの運転手さんは一度出発したバスを止めて
ジェスチャーで教えてくれました。なんて優しいのでしょう!
バス停からこんなのどか道を20分ほど歩きます。
15分くらいで見えてきますよ。もうすぐです。
この日は天気もよく暑かったのですが、無我夢中で歩きました。
ついに入口までたどり着きます。
小さな丘のようになっていて、木の階段で入ってゆけるようになっています。
キリスト像のまわりにも所狭しと!十字架の嵐です。
実は道路を挟んだ反対側に観光案内所と駐車場があって、
そこでは置いていく用に十字架が売られているんです。
十字架の数は現在も増え続けていて、
リトアニアの人口より多いと言われています。
わたしはカトリック教徒ではないので、
観光気分で買うのは失礼な気がして見学するだけにとどめました。
最初この十字架の丘を知ったとき、
強烈な信仰心のようなものを感じて少し怖いなんて思っていました。
だけど行ってみると不思議。
言葉ではうまく表せないのですが、なんだか暖かい気持ちになれたんです。
言葉も通じないのに、ここに来るまでにも
たくさんの優しい人に助けてもらったし、
ロシア軍に壊されても壊されても人知れず
十字架を置いていく人達がいたそうで、
そんな人達の家族を思う気持ちや一つのことを信じる気持ちが
伝わってくるような気がして素敵な気分になれました。
この後わたしは同国ヴィィニュスという街に行くのですが、
そこでもたくさんの暖かい人に出会いました。
バルト三国はあまり日本からの観光客も少ないし
パリやローマに比べたら華々しさは欠けているかもしれません。
でもわたしは素朴で優しい人達でいっぱいの、
バルトの国々が大好きになりました。
そしてどの教会を見学しても祈りに来ている地元の人。
日本にいると、よくわからないままにしてしまう宗教ですが、
バルトの国々の人達に出会って色んなことを考えさせられました。
今度行くときはもっと勉強してからだなと思っています。
ちょっと堅くなってしまいましたが、
バルトの魅力が少しは伝わったでしょうか?
次回はもっと重めに、アウシュビッツのお話です。