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エリア:
- アジア > パキスタン > パキスタンその他の都市
- アジア > 中国 > 中国その他の都市
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テーマ:
- 街中・建物・景色
- / グルメ
朝、スストのイミグレーションオフィスでパキスタンの出国手続きを済ませる。
バスは夕方にも、中国のタシュクルガンに到着する予定だ。
バス移動のおともに杏の実を1袋(1kg)購入し、バスに乗込む。
ところがバスは、30分足らず谷を走っただけでピタッと停まってしまう。
前方では中国のバスやトラックも立往生している。
身をのり出して更に前方を見てみると、
「土砂崩れだ。」
道は完全に土砂に埋まってしまっている。
その範囲は広くないし、積もった土砂の高さもそれ程ではない。歩いて渡っている人もいる。
だが文明の力、自動車とは意外にもモロい物。キャタピラでも付いていれば別なのだろうが、この程度の土砂も越えられないとは。
バスは停まったまま、道は土砂に埋もれたまま、1時間たち、2時間たち、3時間たち…。事態が快方に向かう動きは何一つ見られない。
どこからともなく復旧隊がやってきて、ブルトーザーで土砂をならし始めたのは午後遅くになってから。
もちろんお腹はペコペコ。
道路が復旧されるのを待っていた最中、朝買った杏をチビチビかじっていたら、同じバスに乗っていたおじさんが、我々が捨てようとした食べ終わった杏の種を取り、カチカチと拾った石で種を割って中から出てきた小さな種子を手渡してくれる。
「食ってみろ」
と、おじさん。
ポンと口にほうり込んでみると、とまるでマカデミアナッツの様に柔らかく、中々いける。ガチガチの固いアンズの種の中が、こんな風だったとは。
そう言えばカラッシュバレーで子供達が、何やら石でカチカチと種を砕いているのを何度も見たが、これだったんだ。
熟れた甘ーい実と種。一粒で二度おいしい杏で、何とか飢えをしのぐ。
復旧作業が一段落し何とか車が通れるようになったのは、本来予定通りなら中国のタシュクルガンに到着している筈の夕方になってから。
8時間近くも、お店も井戸も何もないガレキの谷底で待たされた事になる。
完全に途方に暮れていただけに、バスが動き出しただけでもラッキーなのだが、残念だったのはこの旅の一番の高地、フンジュラブ峠4730mを越えたのが、土砂崩れのお陰で、夜になってしまった事。
取り囲む地球の屋根、ヒマラヤの峰々を臨みながらの峠越えを期待していたのだが、辺りはすっかり暗くなり、景色は全く見えなかった。
このフンジュラブ峠は、パキスタン、中国の国境地点。夜の峠越えを我々が悟ったのは、検問のポリスの顔が若い中国人になった時だ。
アフリカ人でも白人でもパキスタン人でもない、我々と同じ顔立ちの若いポリスに親近感を覚えた。
国境を越えて最初の中国側の街、タシュクルガンに着いたのは深夜。
イミグレは閉まっているので、入国手続きは明日になるとの事。
パスポートはイミグレ官に回収されてしまう。明日、入国手続の時、返されるそうだ。
そのイミグレ官に連行される様に通された、イミグレオフィスとなりのホテル。
服務員は当然、我々と同じ顔立の中国人の若い女性、ホテルは外にも内にも漢字表示が溢れている。
アフリカ、喜望峰から陸路と船だけで旅して、11ヵ月目。いよいよ中国、東アジア。我々の文化圏に入って来たのだ。
【食事】
朝: 杏(生)
昼: 杏(生)と杏の種
夜: スストで非常食にと買っておいたカチカチに干し上がった干アンズ。
→ クシュクルガン到着が深夜になり、店や食堂もあいていないので仕方なくこれだけ。
それでも、干杏は腹持ちが良く、栄養価も高いので、こういういざという時に役に立つ。
それにしても、土砂崩れのお陰で、今日は一日杏を食べて飢えをしのいだ事になる。種まで
【トラベルメモ】
1$=8元(中国元)
・ ススト→タシュクルガンバス1210PR+フンジュラブ通行料250PR 10時発(夕方着の予定だったが)深夜24:00着に。
・中国ビザ 必要 我々はパキスタンのイスラマバードで取得。
【宿】
(タシュクルガン)紅其拉甫賓館 32元/ドミ一人…イミグレ官に連行されたホテル。
バスは夕方にも、中国のタシュクルガンに到着する予定だ。
バス移動のおともに杏の実を1袋(1kg)購入し、バスに乗込む。
ところがバスは、30分足らず谷を走っただけでピタッと停まってしまう。
前方では中国のバスやトラックも立往生している。
身をのり出して更に前方を見てみると、
「土砂崩れだ。」
道は完全に土砂に埋まってしまっている。
その範囲は広くないし、積もった土砂の高さもそれ程ではない。歩いて渡っている人もいる。
だが文明の力、自動車とは意外にもモロい物。キャタピラでも付いていれば別なのだろうが、この程度の土砂も越えられないとは。
バスは停まったまま、道は土砂に埋もれたまま、1時間たち、2時間たち、3時間たち…。事態が快方に向かう動きは何一つ見られない。
どこからともなく復旧隊がやってきて、ブルトーザーで土砂をならし始めたのは午後遅くになってから。
もちろんお腹はペコペコ。
道路が復旧されるのを待っていた最中、朝買った杏をチビチビかじっていたら、同じバスに乗っていたおじさんが、我々が捨てようとした食べ終わった杏の種を取り、カチカチと拾った石で種を割って中から出てきた小さな種子を手渡してくれる。
「食ってみろ」
と、おじさん。
ポンと口にほうり込んでみると、とまるでマカデミアナッツの様に柔らかく、中々いける。ガチガチの固いアンズの種の中が、こんな風だったとは。
そう言えばカラッシュバレーで子供達が、何やら石でカチカチと種を砕いているのを何度も見たが、これだったんだ。
熟れた甘ーい実と種。一粒で二度おいしい杏で、何とか飢えをしのぐ。
復旧作業が一段落し何とか車が通れるようになったのは、本来予定通りなら中国のタシュクルガンに到着している筈の夕方になってから。
8時間近くも、お店も井戸も何もないガレキの谷底で待たされた事になる。
完全に途方に暮れていただけに、バスが動き出しただけでもラッキーなのだが、残念だったのはこの旅の一番の高地、フンジュラブ峠4730mを越えたのが、土砂崩れのお陰で、夜になってしまった事。
取り囲む地球の屋根、ヒマラヤの峰々を臨みながらの峠越えを期待していたのだが、辺りはすっかり暗くなり、景色は全く見えなかった。
このフンジュラブ峠は、パキスタン、中国の国境地点。夜の峠越えを我々が悟ったのは、検問のポリスの顔が若い中国人になった時だ。
アフリカ人でも白人でもパキスタン人でもない、我々と同じ顔立ちの若いポリスに親近感を覚えた。
国境を越えて最初の中国側の街、タシュクルガンに着いたのは深夜。
イミグレは閉まっているので、入国手続きは明日になるとの事。
パスポートはイミグレ官に回収されてしまう。明日、入国手続の時、返されるそうだ。
そのイミグレ官に連行される様に通された、イミグレオフィスとなりのホテル。
服務員は当然、我々と同じ顔立の中国人の若い女性、ホテルは外にも内にも漢字表示が溢れている。
アフリカ、喜望峰から陸路と船だけで旅して、11ヵ月目。いよいよ中国、東アジア。我々の文化圏に入って来たのだ。
【食事】
朝: 杏(生)
昼: 杏(生)と杏の種
夜: スストで非常食にと買っておいたカチカチに干し上がった干アンズ。
→ クシュクルガン到着が深夜になり、店や食堂もあいていないので仕方なくこれだけ。
それでも、干杏は腹持ちが良く、栄養価も高いので、こういういざという時に役に立つ。
それにしても、土砂崩れのお陰で、今日は一日杏を食べて飢えをしのいだ事になる。種まで
【トラベルメモ】
1$=8元(中国元)
・ ススト→タシュクルガンバス1210PR+フンジュラブ通行料250PR 10時発(夕方着の予定だったが)深夜24:00着に。
・中国ビザ 必要 我々はパキスタンのイスラマバードで取得。
【宿】
(タシュクルガン)紅其拉甫賓館 32元/ドミ一人…イミグレ官に連行されたホテル。