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みゅう・フランス発信現地情報

プロフィール

ニックネーム:
みゅうフランス
居住地:
ヨーロッパ>フランス>パリ
会社名:
みゅうフランス
会社英字名:
会社所在地:
ヨーロッパ>フランス>パリ
業種:
旅行業
自己紹介:
パリを中心にフランス国内、ヨーロッパの旅行関連手配をしています。オリジナル定期観光バス・みゅうバス、通訳、ガイド、アシスタント、送迎サービスなどを手配しています。お気軽にご相談下さい!

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ムスティエ・サント・マリー
「星の伝説」のあるフランスで最も美しい村「ムスティエ・サント・マリー」
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:観光地 歴史・文化・芸術 自然・植物 
投稿日:2017/06/09 00:00
コメント(0)

フランスで最も美しい村の一つであり、2013年には、フランスの人気テレビ番組でプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏から「地域でもっとも美しい村」に選出された、「ムスティエ・サント・マリー」村を訪れてきました。

 

なんと、断崖の上に教会があります。村に2つあるノートル・ダム寺院のうちの1つで、こちらは、岩山の上に造られた修道士たちの教会。こちらまで階段で登れますので、村を訪れた際は、ぜひ登っておきたいです。上からの村の眺めも抜群です

そして、岩と岩の間をズームすると・・・。

 

見えますか?星が、鎖につながれた星が吊るされています

なぜ星が吊り下げられたのかは明らかにはなっていませんが、2つの有力説があります。

 

ひとつは、1210年にサラセン(イスラム教徒)の捕虜となっていた十字軍兵士ブラカス騎士が、「もし私が無事にムスティエ村に戻ることができたら、聖母に捧げる星を掲げましょう」と祈り誓い、後に村に戻った兵士が約束どおり星を掲げた、という説。   

もうひとつの説は、村で敵対する2つの家族の子供同士が、恋に落ちてしまったのですが、家族に反対され、それを苦にした子供達が心中してしまいました。その後両家族が、敵対するのはやめようと星を掲げた、という説です。
 
オリジナルの星は、谷底に沈んでしまったとのことで、現在は、1882年に掲げられたもだそうです。 
 

こちらが、村の中心に立つレンガ造りのもう一つの教会です。塔の隙間からも緑の葉っぱがのぞいていて、微笑ましいです。

 

村の看板もかわいい

 

村のマルシェにも行ってみました。星の伝説にあやかった、素朴なはちみつとラベンダーの星の形のクッキーが売っていました 村歩きのお供に買っておくと小腹がすいても大丈夫です

 

そして、ムスティエ・サント・マリーは、あのマリー・アントワネットも大好きだったという、「ムスティエ焼き」という陶器の村でもあります。

17世紀に、イタリアのマジョリカ陶器の製法が、この村に伝えられ、上薬をかけて美しい装飾を施したファイアンス焼きの一種、「ムスティエ焼き」が、その後の伝統産業となりました。

ルイ14世が、領土の拡張政策をとり、戦費の調達に銀食器を供出させ、陶器に変えることを命じたことから、ムスティエのファイアンス陶器への需要が急増しました。19世紀以降は、競合する産地が現れ、徐々に勢いを失って行きましたが、それでもこうやって味わいのあるムスティエ焼きを生み出しています。

大事な方へのおみやげにもオススメです。

(桃)

タグ:
美しい 村 ムスティエ アントワネット マリー 

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モン・サン・ミッシェル名物、プレ・サレ♪
モン・サン・ミッシェル名物、プレ・サレ♪
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
  • ヨーロッパ>フランス>モンサンミッシェル
テーマ:観光地 グルメ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2017/05/28 00:00
コメント(0)

モン・サン・ミッシェル周辺は潮の満ち干がとても大きく、かつて満ち潮になると修道院に通じる道がすっぽり海に沈み、修道院が孤島になってしまったほど。

 

そのためモン・サン・ミッシェル周辺の牧草地の草は塩分をたっぷり含み、その草を食べた羊たちもまた、塩分をたっぷり含む、という連鎖がおこり、その草を食べて育った仔羊たちを、プレ・サレと呼びます。

 

先日モン・サン・ミッシェルで本場のプレ・サレを食べてきました〜!

 

プレ(pré)は「牧草地」、サレ(salé)は「塩分を含んだ」という意味です。納得のネーミング♪

  

前菜はオニオングラタンスープ。ちょっと肌寒い日だったのでとっても温まりました。

 

そしてメインのプレ・サレ。羊といえば、ジンギスカンのようなちょっと独特のにおいを思い浮かべる方もいらっしゃるかと思いますが、プレ・サレは羊肉への固定概念をすっかり変えてしまうほど、あのにおいがありません!やわらかく、深い味わいが口の中に広がります。とってもおいしいです!

 

デザートはこれもノルマンディ地方の名物、リンゴのタルト。冷たいアイスクリームがお口直しに最適です!

 

 

 

名物にうまいものなし!とはいいますが、このモン・サン・ミッシェル名物プレ・サレは別物です。ぜひお試しください〜^^

 

タグ:
フランス パリ プレサレ モンサンミッシェル 

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ゴッホ
パリ近郊、ゴッホが最後に住んだ家とお墓、ゴッホが愛した風景。
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:観光地 歴史・文化・芸術 自然・植物 
投稿日:2017/05/27 00:00
コメント(0)

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、オランダ人の画家ですが、最後はパリ近郊に住んでいた事をご存知ですか?

セーヌ川の支流、オワーズ川沿の小さな村、オーヴェル・シュル・オワーズは、セザンヌや、ピサロなどの画家たちも近郊にアトリエを構え、また、ゴッホが死の直前を過ごした村です。ゴッホは自殺するまでの2カ月間、晩年の傑作といわれる『オーヴェルの教会』や『カラスのいる麦畑』など、村の建物や風景をモチーフにした70点あまりもの作品を仕上げました。この村には、麦畑や糸杉など、ゴッホが描いたままの風景がいまもそのままに残っています。

『オーヴェルの教会』

12世紀から13世紀にかけて建てられたオーヴェルのノートルダム教会。ゴッホの絵が右下にあります。ゴッホが実際にここに居たのだなぁと、ぞくぞくします。同じアングルで教会を見上げると、時代を遡った感覚に陥ります。実際の絵は、パリのオルセー美術館にあります。

 

「ラヴー亭(Auberge Ravoux)」ゴッホは屋根裏の4畳ほどの小さな部屋に下宿していました。野外でピストル自殺を図り負傷したゴッホはこの下宿部屋に運び込まれ、息を引き取ったそうです。それ以降、誰も住むことはなく現在は「ゴッホの部屋」として公開されています。本当に小さな板張りの部屋ですので、ゴッホが外へ出て絵を描いていたのはごく自然なことと思えます。

1階には画家たちが集まったカフェが再現されていて、今も食事ができます。

 

1890年、ゴッホはオーヴェルの墓地に埋葬されました。隣にはゴッホの弟テオが眠っています。テオはゴッホの死後6ヵ月後にオランダで急逝し、一旦はオランダに埋葬されましたが、1914年になって、テオの未亡人によってオーヴェルのゴッホの墓の隣に新たに埋葬されました。二人の墓を覆う蔦は、ガシェ医師の庭から移植されたそうです。

 

墓からほど近いところに、『カラスのいる麦畑』のモデルとなった麦畑があります。この絵のようには歪んでいませんが、農道もそのままでゾクゾクします!暗雲立ち込める日に行けると、まさにこの絵のような様子が見れるかもしれません。

 

ゴッホの見た麦から、何十年経っても、またそこに麦が生えています。人間の儚さと、自然の強さ、また、芸術家は存在しなくなっても、残した絵画は半永久的に残っていく、そんなことをぼんやり考えながらしばらくここでゴッホが見つめた麦畑を同じように見つめます。

 

「医師ガシェの肖像」

精神病だったゴッホの主治医ガシェ医師の家も現在公開されています。ガシェ医師の紹介で、ゴッホはパリの喧騒から逃れ、オーヴェルへとやって来たそうです。印象派絵画の愛好家であったガシェ医師は、セザンヌ、ルノワール、ピサロ、そしてゴッホなどの画家を頻繁に自宅へと招き入れました。ゴッホ自身による複製画がオルセー美術館にあります。

 

オーヴェルのガシェ医師の庭

訪れたときには、さくらんぼやいちじくがなっていました。医師やゴッホもこのお庭でゆったりとした時間を過ごしたのでしょうか。こちらには、半透明のパネルでゴッホなどの絵が紹介されています。この絵はオルセー美術館にあります。

 

「オワーズ川」この土手のどこかにゴッホが座っていたのかしら。

 

町役場もゴッホの絵そのままに残っています。

小さい村ですが、ゴッホ好きの方には見どころ、感激しどころ満載

みゅうパリでは、プライベートツアーにて、こちらのゴッホ終焉の地、オーヴェル・シュル・オワーズに寄ってからシャルル・ド・ゴール空港へお送りするツアーがあります。お帰り便に合わせて時間設定できるので、最終日も無駄なく観光・感動していただけます!

(桃)

タグ:
ゴッホ 美術 田舎 村 オワーズ 

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モネが連作を描いた、ルーアン大聖堂
モネが連作を描いた、ルーアン大聖堂
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
  • ヨーロッパ>フランス>ルーアン
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2017/05/24 00:00
コメント(0)

ノルマンディー地方の古都ルーアン。ルーアンといえば、印象派の巨匠クロード・モネが手がけた代表作品のひとつ「ルーアン大聖堂の連作」を思い出す人も多いのではないでしょうか。

 

 

フランス・ゴシック最高建築のひとつルーアンのノートルダム大聖堂。「石のレース」と賞賛される西側ファサードは複雑で繊細な装飾が施され、とりわけフランボワイヤン・ゴシックという建築様式が取り入れられています。フランボワイヤン・ゴシックとは、炎が燃えさかるような曲線を思わせる装飾で、主に窓の装飾、飾り格子に用いられています。華麗な曲線が見事に表現されています。

 

 

モネはこの大聖堂の正面ファサードを被写体とし、対象にあたる陽光と、陰影によってもたらされる変化を描きました。キャンバスを複数並べ、太陽の動きとともに画家自身も移動して制作したといわれています。連作という手法を通して、時間とともに変化する光、影、天候によって異なる顔をみせる大聖堂を30点以上写し続けました。

 

モネがこの連作制作のために借りていたとされるアトリエは、大聖堂の真向かい、現在の観光案内所の2階部分。↓↓

 

観光局の2階、一般公開はしていないのですが・・・今回特別に見学させていただきました!!!

 

これがまさに、モネが見た、アトリエの窓から撮った大聖堂の写真です。

 

モエが実際にみていた大聖堂。心に響きますね。 

 

 

大聖堂、しばらく改修工事が行われていましたが、工事はほぼ終了し、ファサードはキレイな白色に蘇っています。

 

タグ:
フランス パリ ルーアン モネ 大聖堂 

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2024年のオリンピックはパリで決まり!
2024年のオリンピックはパリで決まり!?
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>パリ
テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 
投稿日:2017/05/23 00:00
コメント(0)

日本では現在2020年の東京オリンピックにむけて盛り上がっているところだとおもいますが、ここフランスでは現在、2024年のオリンピック招致活動でもりあがっているんです!!

 

  

2024年の開催地に立候補していたのは、フランス・パリ、イタリア・ローマ、ハンガリー・ブダペスト、そしてアメリカ・ロサンゼルスの4都市。しかし、ローマ、ハンガリーが撤退を表明し、今残っているパリとロサンゼルスの一騎打ちとなっています。

 

パリの街はいたるところで五輪デコレーション。市バスも五輪招致ロゴの旗を掲げ、街には様々なポスターも。

 

 

 

一番めだっているのがこのモンパルナスタワー!!

  

夏季オリンピックは、過去2度パリで1900年と1924年開催されています。そうなんです・・2024年は、前回のパリオリンピックからちょうど100年!!これはもうパリで決まりデショ??という自身満々なパリ市です。

 

 

開催都市は、2017年9月に行われるIOC総会で決定します。

 

 

(城)

タグ:
フランス パリ オリンピック 2014 招致 

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