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イチローとジュンコの夫婦珍道中

~バックパッカー日記~

プロフィール

ニックネーム:
イチローとジュンコ
居住地:
東京都
自己紹介:
2000年9月 日本を旅立ったイチローとジュンコは、飛行機で、南アフリカ・ケープタウンに降り立った。
二人はそこから日本まで、飛行機を使わずに、陸路と船のみで帰る。
アフリカ大陸南端の喜望峰から日本まで、アフリカ、東西ヨーロッパ、中東、シルクロードとまるまる1年かけての、夫婦珍道中。
野宿もしました。ゴリラと挨拶もしました。サハラを越え、ヒマラヤを越え。。
大自然、世界遺産、カルチャーショック、紛争の傷跡、そして、多くの出会い。
2001年8月無事帰国した二人の旅を振り返って、番外編コラムを掲載します。

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8カ国目、モザンビーク珍道中 (モザンビーク)クアンバ→ナンプラ→モナポ

2000/10/14 17:31
8カ国目、モザンビーク珍道中1
エリア:
  • アフリカ > モザンビーク > モザンビークその他の都市
テーマ:
  • 街中・建物・景色
  • / 鉄道・乗り物
 昨日は13日の金曜日。なのにシルビアと会い、色々親切にしてもらい、「悪い事が起こるどころか、とてもいい日になったなぁ」なんて思っていたのだが…。

 我々を乗せた列車は早朝、クアンバを出発。日が昇ると、窓の外にはマラウィで見たのとは違う風景が広がる。

 大きな岩山がいくつも連なり、頭に雲の帽子をかぶっているものもある。岩山を取り囲む細い幹の木々の葉は、それぞれに色付き、紅や黄色、オレンジに紅葉している。
 別に今、モザンビークは秋な訳ではない。今は乾季。ここでは乾季に一面紅葉となるそうだ。アフリカで、意外な紅葉の景色だが、穏やかなパステル調の色彩が広がり、優美だ。

8カ国目、モザンビーク珍道中1

 ただ、常に開け放しの窓からは、牽引するディーゼル機関車が排出するススが入り込み、加えて客室内に手荷物として持ち込まれた生きたニワトリが羽ばたいて散った羽毛が舞い、更に人々がかじるサトウキビのかけらが散乱し、我々の服はそれらのほこりだらけだ。

 そんな、ひたすら列車に座り続け8時間余り、ようやくモザンビーク北部のメインタウン、ナンプラに到着。駅前でシルビアが我々の為にモザンビーク島へのバスを聞き込んでくれる。ここモザンビークでは英語はほとんど通じないが、シルビアはモザンビークで話されているポルトガル語がぺらぺらなのだ。

 モザンビーク島へはまず、モナポという所までバスで行き、そこで乗り換えれば良いとの事。モナポまでのバスは割高のワゴンのミニバスか、安いトラックの荷台があり、シルビアが安い方を探し勧めてくれた。

 その時である、
 「ヘーイ」
いつも優しく穏やかなシルビアが突然声を上げた。
 シルビアの目線の向こうを、男が背を向け一直線に走り去って行く。
 「スリだ。」

 急いでシルビアは男の後を追うが、重いバックパックを背負っているので、とうてい追いつけない。事情を察した地元の男数人が、物凄い勢いでスリの後を走って追う。我々も後から様子を伺うが、結局スリの姿は見失い、逃げられてしまったようだ。
 シルビアはズボンのポケットに入れておいた、いくらかのお金とポストのカギを盗まれてしまったそうだ。

 我々の為にバスの聞き込みをしていたばっかりに、こんな目に遭ってしまうなんて。我々も油断していた。すっかりシルビアは慣れているんだろうと任せっきりにしていた。今までJunkoと2人きりの時は、一方が写真を撮ったりしている時は必ず一方が目を光らせ、スキを見せないようにしていたのに。

 シルビアにとっては、昨日13日の金曜日に我々と出会ってしまった為にこんな事になってしまったのだ。

 何もしてあげられない我々2人に、シルビアは、
 「私は大丈夫だから、バスでモザンビーク島に行ってらっしゃい。」
何だか気まずい気分で、シルビアが探してくれた格安のモナポ行のトラックに乗る。

 トラックの荷台で揺られながら、
 「モザンビーク島での滞在後、ナンプラのシルビアのアパートにお邪魔してもいいって言っていたけど、こんな状況でひょうひょうとお世話になってしまって良いものだろうか。」
そんな事ばかり考えていた。

 ナンプラを出発してから30分も走らない所で「プシューッ。」、何とトラックのタイヤがパンクしてしまう。荷台に乗っていた乗客は全員降り、2時間近くタイヤが交換されるまで外で待つ。

 やっとタイヤ交換が終わり、再出発。 何人かの乗客は待ちきれずにヒッチハイクで別の車で行ってしまったので、ぎゅうぎゅう詰めだった荷台に少し余裕ができ、まあちょっと苦しいけど、これも不幸中の幸いさなんて思っていた。本当は、我々もヒッチハイクでさっさと進みたかったのだが、トラック屋根にバックパックを上げられてしまっているのでできなかったのだ。

 ところが再出発してから15分もたたない頃「シュルシュルシュル…」、今度はトラックのエンジンが完全停止。運転手は何度もキーを回してエンジンを掛け直そうとするが、エンジンは全く起動せず。「これはもうダメだ。」

 乗客達は次々に自分の荷物を持って、荷台から降り、ヒッチハイクを始める。我々もトラックの屋根に上がり、バックパックを自分で地面に降ろすと、ヒッチハイク開始。

 モザンビーク島へ行くという女性と3人で、小ぎれいなワゴン車のヒッチハイクに成功。ところが動かなくなったトラックの乗務員が、ここまでの運賃を払えと押し問答。もう日も傾きかけている。こんな所で押し問答していたら、今日中にモザンビーク島へ着けなくなってしまう。
 結局、モナポまで20000MTのところ、半分の10000MTを1人当たり払う。

  と、今度はヒッチした車のドライバーが1人当たり30000MT、3人分を我々に払えと言う。何でたまたま一緒に乗った人の分まで我々が、と思ったのだが、どうもヒッチしたドライバーとこのモザンビーク島へ行くという女性はすかさず利害が一致し、結託したらしい。3人分払わないなら降りろと言う。もう日が落ち暗くなり始めている。
 仕方なく要求を呑み、モナポまでは連れて行ってもらう。

 モナポに着く頃には、すっかり日は沈み、暗がりに月明かりが浮かんでいる。モザンビーク島へ行くというこの女性に、「まだまだ車は通るからヒッチでモザンビーク島まで一緒に行こう」と誘われるが、もう勘弁。
 英語が話せる人を見付け、泊まれる所がないかと尋ね、今日はここモナポに泊まり、明日朝、モザンビーク島へ行く事にする。

 それにしても、せっかくシルビアが我々の為に安い車を捜してくれたにも関わらず、その為にシルビアはスリにあい、その車に乗った我々はトラブルに会い、結局高い金額を支払わさせられる事になってしまうとは…。

 街灯もない中、宿を一緒に探してくれるという英語が喋れる地元の人の後に付いて行く。

 もし又、この人が良からぬ事を考えていたら…。そんな事も頭をよぎるが。このモナポなんて街、全く情報も持っていない。それに車で降ろされた場所は街の中心地から離れた所らしい。ここはもう頼るしかない。

 まず初めに訪れた建物からは小柄な白人の人が出て来た。ポルトガル系だろう。彼がどうも泊まれる場所を知っているらしい。
 彼の話を聞き終わると、かなり歩いて小さなバーへ。奥からは頭に白い布のキャップを付けた小柄なアラブ系のおじさんが出て来て、1人10000MTで泊めてくれると言う。2人で20000MT。どんな部屋かも判らないし、なんだか高くふっかてるんじゃないかとも思ったが、もう他に選択肢がない。

 しばらく待って部屋に通されると、ちゃんとベッドがあって、扇風機も明りもあり、お世辞もきれいとは言えないが、まあまあ悪くない。ドアには内側から鍵もかけられる。この状況では良しとしよう。

 アブジャブと名乗るこのアラブ系のおじさん、シャワーもあるからどうぞと言ってくれている。案内された場所を見ると、塀に囲まれた真っ暗な屋外で、くみおきの水をひしゃくで浴びるようだ。
 「どうする?」
とJunkoに尋ねると、
 「浴びるよ、もちろん。ほこりだらけで汗だくで耐えられないよ。」
と裸にパレオ布を巻き、アブジャブの奥さんから渡された石けんとタオルを持って、さっさと浴びに行ってしまった。

 数分後、「あー、さっぱりした。」とすがすがしい顔で戻ってくるJunko。何とも頼もしい。
 オレも浴びてくるか。今日は長い一日だった。明日こそ無事、モザンビーク島に辿り着けるだろうか。


【食事】

朝:クッキー
昼:揚げパン
夜:ビスケット

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 1500MT(メディカシュ)
・列車 クアンバ→ナンプラ 毎日 朝5時発 3等52000MT 8時間 1等は高いけどクーラー付き。 ところが一等のクーラー車は、窓が開かないのにいつもクーラーは故障しているので、やめた方が良いとの事。

【宿】(モナポ)アブジャブ宅 20000MT/W1室
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