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エリア:
- アフリカ > マラウィ > マラウィその他の都市
- アフリカ > モザンビーク > モザンビークその他の都市
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テーマ:
- 鉄道・乗り物
「モザンビーク島は遠かった。」
マラウィからは、北の隣国タンザニアのダルエスサラムまで直行バスが出ている。それで一気に北上してタンザニアへ行こうかとも考えたのだが、マラウィの東の隣国モザンビークっていったいどんな所なんだろうと、言わばつまみ喰い的にちょっとだけ寄ってみる事にしたのだ。
モザンビークで我々が目指すのはモザンビーク唯一の世界遺産、モザンビーク島。ところがモザンビーク島は遠かった。 だいたい、モザンビークとの国境ナユチ行きの列車待ちで既に2日間も費やしている。そしてこれからモザンビーク島へ到達するまでの更なる2日間、珍道中が繰り広げられる事になる。
列車は朝5時発と聞いていたので、まだ暗い早朝4時前には駅に行って待っていたのだが、目の前に貨物列車は停まっているのだが、客車の姿は見えない。
4時50分、もう出発予定時刻の10分前だ。おかしいなと思って目をこらすと、はるか貨物列車の後方、日の出前の暗闇に、人が動めく気配が見える。 行ってみると、何両も長く繋がれた貨車の最後尾に、たった3両だけ客車が繋がれているではないか。
駅にはホームなどなく、明りは小さな駅舎に裸電球だけ。客室内には電気などないし、客車の前には貨車が連なっていて、はるか後方の客車は闇に隠れて見えなかったのだ。
乗り込もうとしている人に行先を確認して、慌てて客車に走って乗り込む。 汽笛とともに暗闇の中、列車は定刻通り朝5時出発。
「ふう、危なかった。」 2日も待って乗り過ごす所だった。
駅員さんは、古ぼかしいものの一応つばのついた制帽をかぶり、手に何ともレトロなカンテラの信号を持っている。青いのと黄色いのと2つのカンテラの信号を持った駅員さんが、列車の外で忙しそうにしていた。
電気がないので列車内は真っ黒。朝早いという事もあってか、乗客は皆大人しく、車内はシーンと静まり返り、列車のきしむ音と時折発せられる汽笛の音だけが響く。
間もなく空が白み始めると、窓の外には幾つもの巨大なバオバブのシルエット。まるで地球を離れ、銀河鉄道に乗っているかのような幻想的な雰囲気だ。
日が昇り、すっかり明るくなると、とたんに乗客達は活発になる。
列車は途中、小さい村などで停車するのだが、停車時に何か買い求めようと皆窓から体を乗り出し、列車を取り囲む物売り達と大声でやり取りしている。物売りたちは、パン、野菜、果物、魚、チキン等々、様々な物をカゴに入れ、頭に乗せて列車を取り囲む。すごい活気だ。
我々も朝食に、まずは昨日食べておいしかった焼きイモを購入。焼きイモを食べ終わった頃停車した村で、何やらサツマ揚げのようなキツネ色の食べ物が売られているのを発見。旅人の好奇心はもう抑えられない。自分も窓から身を乗り出し、
「How much?」
「ワン、クワチャ」
えー、1MK(≒2円)しかしないの。安い。買った!
1クワチャのコインを売り子の少年に投げ渡し、少年が両手で持ち上げたザルの中から、サツマ揚げのようなものを大き目のを一つ選んで取る。かじってみると、ほんのり甘い。小麦のパンとは違う。そばがきを揚げたような食べ物だ。しつこくない控え目の甘さがおいしい。まわりはカリカリに揚げられており香ばしい。なかなかいける。
明るくなって車内をよく見ると、人間と一緒にニワトリも大人しく乗車している。あんまり大人しいので息絶えてやしないかしらとつい見てしまうと、ニワトリと目があってしまったりする。
リウォンデという比較的大きな駅で、我々と別の車両にバックパック姿の白人女性が乗り込むのを発見。「あの人も旅行者なんだなぁ」この時はまだそう思っていた。
リウォンデを出てしばらくして、列車は何もない所で突然停車し、今来たレールを逆に戻り始めてしまった。
「ウソでしょ。また何かあったの? 勘弁してよ。」
貨車の積み荷を落としてしまったのだそうだ。不幸中の幸いか、逆走して数分ですぐに落とし物は発見。落とした積み荷というのが何とマットレスたった一枚。
「もうハラハラさせられる。ちゃんとくくり付けといてよ!」
すぐにマットレスは回収され、列車は再びモザンビーク国境の街ナユチへ向かって正しい方向へ出発。
「ホッ、大した事なくて良かった。」
ナユチに近付くと、窓の外にはどこまでも真っ平らな平坦な地形と地平線が続いている。どうもここら辺は湿原地帯らしい。
国境の街ナユチにはバラカを出てから4時間後の朝9時頃到着。
駅にあるイミグレで出国の手続きをして、モザンビークのクアンバ行きのシャパ(荷台に乗客を乗せる小型トラック)に乗り込むと、リウォンデで見掛けた白人の女の人が先に乗っていた。聞くと、何でもモザンビークのナンプラに住んでいるドイツ人で、GTZと言う、多分ドイツのJAICAの様な組織で、働いているのだそうだ。
これは心強い味方を見付けた。この人についてナンプラ迄行けば安心だ。もう10ヶ月もモザンビークに住んでるって言うし、慣れたもんだろう。この時はそう思っていた。
シャパは一旦、モザンビークのイミグレ前で停まり、乗客はモザンビーク入国の手続きをしなければならない。イミグレではおじさんが帳面に入国者の名前や国籍、パスポートNo.を写して、パスポートにスタンプを押すのだが、このおじさん、老眼らしく、差し出されたパスポートの字が良く見えなくて、一向に作業が進まない。
仕方ないので皆、パスポートNo.や名前を1字ずつ読み上げて伝えている。ところがモザンビークの公用語はポルトガル語。我々が英語で読み上げてもどうも判らないらしい。その時、さっとあのドイツ人の女の人がポルトガル語で助けてくれた。
彼女の名前はシルビア、26才。シルビア、どうも有難う。
モザンビーク入国の手続きを済ませ、シャパの荷台に乗ってクアンバへ。クアンバへの道はもちろん舗装などされておらず、シャパが走るとすごい砂ぼこりが我々の顔、体に降りかかる。おまけに荷台の乗客はギュウギュウ詰め。道も良くないので、振り落とされないように荷台にヘリに一生懸命しがみつく。
4時間近くこの状態で、クアンバに着くと、自分もJunkoもシルビアも全身砂だらけ。まぶたや鼻の上には砂が降り積もっている。鼻穴や耳穴も砂だらけ。思わずお互いの顔を見て3人で吹き出してしまった。
クアンバのバスジャンクション(正確にはシャパジャンクション)で尋ねると、ナンプラ行のバスやシャパは今日はもうないとの事で、明日早朝の列車でナンプラへ行く事にする。
「泊まる所はどうするの?」
とシルビアに聞くと、
「大丈夫、任せなさい。」
シルビアに付いて入った建物からドイツ人のおじさんが現れ、今日はここに泊めてくれると言う。このカルロスというおじさん、シルビアと同じ組織の人で、ここの大学の先生をしてるそうだ。
泊まってもいいと言われたものの、カルロス宅には3人も泊まれる程充分なスペースはないので、カルロス宅にはシルビアが、我々2人はカルロス宅の庭にシルビアのテントを張って、そこで寝る事になった。
事前にほどんど何の情報も持っていなかった街だったので、本当に助かった。おまけにテントまで借りてしまって。更におまけに、カルロス宅でお昼も夜もごちそうになってしまった。感謝、感謝。
カルロス宅でシャワー(と言ってもくみ置き水をひしゃくでかける。モザンビークの一部の大都市以外のほとんどの街は、水道はないか、機能していない。)を浴び、砂と泥だらけの体もさっぱり。
お昼も頂いて、クアンバのメルカド(市場)へ散策に出る。
シルビアの話では、明日早朝発の列車に乗れば、ナンプラからバスを乗り継いで明日中にモザンビーク島に行けると言う。ホッと一安心。「明日にはモザンビーク島に着くんだなぁ」この時にはそう思っていた。
そんな事を思いながら、土の上に木に組まれた露天の商店が並ぶクアンバのメルカド(市場)を散策などしていると、駅の近くで向うから日本人らしき人がこっちへ向かって来てる。
「こんにちは。」と話し掛けるが「Sorry?」と返されてしまった。彼は台湾人で木材の仕入れでここクアンバに滞在しているのだそうだ。
散策も終え、カルロス宅へ帰ると、皆で夕食作りの手伝いにジャガイモの皮むき。タダメシ頂く訳だからこれ位のお手伝いはしないとね。
夕食の席でカルロスから、イスラエルとパレスチナが軍事衝突を起こし、ヨルダンの米軍基地も攻撃されたとの話を聞く。まだ先の話だが、アフリカから中近東を抜けるルートも情勢次第では考え直す必要があるかもしれない。
明日の列車も早朝5時発。またもやの早朝発だが、どうもこれがここら辺のペースらしい。早目にシルビアのテントで就寝。昼も夜もたらふくごちそうになったので、いつの間にやらぐっすりと眠ってしまったようだ。
カルロスとカルロスの奥さん、そしてシルビア、本当に有難う。困った時はお互い様。この旅が終わって、日本に帰ったら自分も困った人を助けてあげよう。
【食事】
朝:焼きイモ サツマ揚げ風お焼き
昼:フィッシュフライ
夜:ジャーマンポテトとベーコン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 70MK(マラウィ・クワチャ)
1US$ = 1500MT(メディカシュ)
・列車 バラカ→ナユチ 毎月水金 5:00発 9:00着 90MK/1人
・シャパ ナユチ→クアンバ ナユチで列車の到着に合わせて待っている。
4時間 30000MT/1人
・モザンビーク入国税 5US$/1人
国境の出入国はどちらもスムーズ。
・モザンビーク入国にはビザが必要。 我々はジンバブエのハラレで取得。
【宿】(クアンバ)カルロス宅泊 無料
マラウィからは、北の隣国タンザニアのダルエスサラムまで直行バスが出ている。それで一気に北上してタンザニアへ行こうかとも考えたのだが、マラウィの東の隣国モザンビークっていったいどんな所なんだろうと、言わばつまみ喰い的にちょっとだけ寄ってみる事にしたのだ。
モザンビークで我々が目指すのはモザンビーク唯一の世界遺産、モザンビーク島。ところがモザンビーク島は遠かった。 だいたい、モザンビークとの国境ナユチ行きの列車待ちで既に2日間も費やしている。そしてこれからモザンビーク島へ到達するまでの更なる2日間、珍道中が繰り広げられる事になる。
列車は朝5時発と聞いていたので、まだ暗い早朝4時前には駅に行って待っていたのだが、目の前に貨物列車は停まっているのだが、客車の姿は見えない。
4時50分、もう出発予定時刻の10分前だ。おかしいなと思って目をこらすと、はるか貨物列車の後方、日の出前の暗闇に、人が動めく気配が見える。 行ってみると、何両も長く繋がれた貨車の最後尾に、たった3両だけ客車が繋がれているではないか。
駅にはホームなどなく、明りは小さな駅舎に裸電球だけ。客室内には電気などないし、客車の前には貨車が連なっていて、はるか後方の客車は闇に隠れて見えなかったのだ。
乗り込もうとしている人に行先を確認して、慌てて客車に走って乗り込む。 汽笛とともに暗闇の中、列車は定刻通り朝5時出発。
「ふう、危なかった。」 2日も待って乗り過ごす所だった。
駅員さんは、古ぼかしいものの一応つばのついた制帽をかぶり、手に何ともレトロなカンテラの信号を持っている。青いのと黄色いのと2つのカンテラの信号を持った駅員さんが、列車の外で忙しそうにしていた。
電気がないので列車内は真っ黒。朝早いという事もあってか、乗客は皆大人しく、車内はシーンと静まり返り、列車のきしむ音と時折発せられる汽笛の音だけが響く。
間もなく空が白み始めると、窓の外には幾つもの巨大なバオバブのシルエット。まるで地球を離れ、銀河鉄道に乗っているかのような幻想的な雰囲気だ。
日が昇り、すっかり明るくなると、とたんに乗客達は活発になる。
列車は途中、小さい村などで停車するのだが、停車時に何か買い求めようと皆窓から体を乗り出し、列車を取り囲む物売り達と大声でやり取りしている。物売りたちは、パン、野菜、果物、魚、チキン等々、様々な物をカゴに入れ、頭に乗せて列車を取り囲む。すごい活気だ。
我々も朝食に、まずは昨日食べておいしかった焼きイモを購入。焼きイモを食べ終わった頃停車した村で、何やらサツマ揚げのようなキツネ色の食べ物が売られているのを発見。旅人の好奇心はもう抑えられない。自分も窓から身を乗り出し、
「How much?」
「ワン、クワチャ」
えー、1MK(≒2円)しかしないの。安い。買った!
1クワチャのコインを売り子の少年に投げ渡し、少年が両手で持ち上げたザルの中から、サツマ揚げのようなものを大き目のを一つ選んで取る。かじってみると、ほんのり甘い。小麦のパンとは違う。そばがきを揚げたような食べ物だ。しつこくない控え目の甘さがおいしい。まわりはカリカリに揚げられており香ばしい。なかなかいける。
明るくなって車内をよく見ると、人間と一緒にニワトリも大人しく乗車している。あんまり大人しいので息絶えてやしないかしらとつい見てしまうと、ニワトリと目があってしまったりする。
リウォンデという比較的大きな駅で、我々と別の車両にバックパック姿の白人女性が乗り込むのを発見。「あの人も旅行者なんだなぁ」この時はまだそう思っていた。
リウォンデを出てしばらくして、列車は何もない所で突然停車し、今来たレールを逆に戻り始めてしまった。
「ウソでしょ。また何かあったの? 勘弁してよ。」
貨車の積み荷を落としてしまったのだそうだ。不幸中の幸いか、逆走して数分ですぐに落とし物は発見。落とした積み荷というのが何とマットレスたった一枚。
「もうハラハラさせられる。ちゃんとくくり付けといてよ!」
すぐにマットレスは回収され、列車は再びモザンビーク国境の街ナユチへ向かって正しい方向へ出発。
「ホッ、大した事なくて良かった。」
ナユチに近付くと、窓の外にはどこまでも真っ平らな平坦な地形と地平線が続いている。どうもここら辺は湿原地帯らしい。
国境の街ナユチにはバラカを出てから4時間後の朝9時頃到着。
駅にあるイミグレで出国の手続きをして、モザンビークのクアンバ行きのシャパ(荷台に乗客を乗せる小型トラック)に乗り込むと、リウォンデで見掛けた白人の女の人が先に乗っていた。聞くと、何でもモザンビークのナンプラに住んでいるドイツ人で、GTZと言う、多分ドイツのJAICAの様な組織で、働いているのだそうだ。
これは心強い味方を見付けた。この人についてナンプラ迄行けば安心だ。もう10ヶ月もモザンビークに住んでるって言うし、慣れたもんだろう。この時はそう思っていた。
シャパは一旦、モザンビークのイミグレ前で停まり、乗客はモザンビーク入国の手続きをしなければならない。イミグレではおじさんが帳面に入国者の名前や国籍、パスポートNo.を写して、パスポートにスタンプを押すのだが、このおじさん、老眼らしく、差し出されたパスポートの字が良く見えなくて、一向に作業が進まない。
仕方ないので皆、パスポートNo.や名前を1字ずつ読み上げて伝えている。ところがモザンビークの公用語はポルトガル語。我々が英語で読み上げてもどうも判らないらしい。その時、さっとあのドイツ人の女の人がポルトガル語で助けてくれた。
彼女の名前はシルビア、26才。シルビア、どうも有難う。
モザンビーク入国の手続きを済ませ、シャパの荷台に乗ってクアンバへ。クアンバへの道はもちろん舗装などされておらず、シャパが走るとすごい砂ぼこりが我々の顔、体に降りかかる。おまけに荷台の乗客はギュウギュウ詰め。道も良くないので、振り落とされないように荷台にヘリに一生懸命しがみつく。
4時間近くこの状態で、クアンバに着くと、自分もJunkoもシルビアも全身砂だらけ。まぶたや鼻の上には砂が降り積もっている。鼻穴や耳穴も砂だらけ。思わずお互いの顔を見て3人で吹き出してしまった。
クアンバのバスジャンクション(正確にはシャパジャンクション)で尋ねると、ナンプラ行のバスやシャパは今日はもうないとの事で、明日早朝の列車でナンプラへ行く事にする。
「泊まる所はどうするの?」
とシルビアに聞くと、
「大丈夫、任せなさい。」
シルビアに付いて入った建物からドイツ人のおじさんが現れ、今日はここに泊めてくれると言う。このカルロスというおじさん、シルビアと同じ組織の人で、ここの大学の先生をしてるそうだ。
泊まってもいいと言われたものの、カルロス宅には3人も泊まれる程充分なスペースはないので、カルロス宅にはシルビアが、我々2人はカルロス宅の庭にシルビアのテントを張って、そこで寝る事になった。
事前にほどんど何の情報も持っていなかった街だったので、本当に助かった。おまけにテントまで借りてしまって。更におまけに、カルロス宅でお昼も夜もごちそうになってしまった。感謝、感謝。
カルロス宅でシャワー(と言ってもくみ置き水をひしゃくでかける。モザンビークの一部の大都市以外のほとんどの街は、水道はないか、機能していない。)を浴び、砂と泥だらけの体もさっぱり。
お昼も頂いて、クアンバのメルカド(市場)へ散策に出る。
シルビアの話では、明日早朝発の列車に乗れば、ナンプラからバスを乗り継いで明日中にモザンビーク島に行けると言う。ホッと一安心。「明日にはモザンビーク島に着くんだなぁ」この時にはそう思っていた。
そんな事を思いながら、土の上に木に組まれた露天の商店が並ぶクアンバのメルカド(市場)を散策などしていると、駅の近くで向うから日本人らしき人がこっちへ向かって来てる。
「こんにちは。」と話し掛けるが「Sorry?」と返されてしまった。彼は台湾人で木材の仕入れでここクアンバに滞在しているのだそうだ。
散策も終え、カルロス宅へ帰ると、皆で夕食作りの手伝いにジャガイモの皮むき。タダメシ頂く訳だからこれ位のお手伝いはしないとね。
夕食の席でカルロスから、イスラエルとパレスチナが軍事衝突を起こし、ヨルダンの米軍基地も攻撃されたとの話を聞く。まだ先の話だが、アフリカから中近東を抜けるルートも情勢次第では考え直す必要があるかもしれない。
明日の列車も早朝5時発。またもやの早朝発だが、どうもこれがここら辺のペースらしい。早目にシルビアのテントで就寝。昼も夜もたらふくごちそうになったので、いつの間にやらぐっすりと眠ってしまったようだ。
カルロスとカルロスの奥さん、そしてシルビア、本当に有難う。困った時はお互い様。この旅が終わって、日本に帰ったら自分も困った人を助けてあげよう。
【食事】
朝:焼きイモ サツマ揚げ風お焼き
昼:フィッシュフライ
夜:ジャーマンポテトとベーコン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 70MK(マラウィ・クワチャ)
1US$ = 1500MT(メディカシュ)
・列車 バラカ→ナユチ 毎月水金 5:00発 9:00着 90MK/1人
・シャパ ナユチ→クアンバ ナユチで列車の到着に合わせて待っている。
4時間 30000MT/1人
・モザンビーク入国税 5US$/1人
国境の出入国はどちらもスムーズ。
・モザンビーク入国にはビザが必要。 我々はジンバブエのハラレで取得。
【宿】(クアンバ)カルロス宅泊 無料