
-
エリア:
- アフリカ > モーリタニア > モーリタニアその他の都市
- アフリカ > モロッコ > モロッコその他の都市
-
テーマ:
- その他
ミッション・インポッシブル。砂漠のアリ作戦2日目。
朝8時、ミリタリーポストの石小屋の中のソルジャー達は、皆まだ寝静まっている。
昨夜の親切なもてなしに感謝の意を書き残し、ミートと3人でいよいよ西サハラ砂漠のモーリタニア、モロッコ国境緩衝地帯へ歩いて踏み込む。
もうここはモーリタニアでもモロッコでもない。
かつてスペインが作ったという砂の上にガレキが並ぶこん跡をたどって少し歩くと、道の脇に地雷注意の標識が立っているのを発見。
これは珍しいと、写真に収めようとカメラのファインダーを覗きながら標識に近付くと、
「危なーい」
Junkoが叫ぶ。
写真を撮るのに夢中で、ついスペインの道をほんのちょっとだけ外れた砂の上に足をのせてしまったのだ。
スペインの道の外は、どこに地雷が埋まっていてもおかしくない。
「絶対に道を外れないように、On the wayで歩こう。」
と朝、皆で言い合ったばかりなのだ。

途中、休憩を取ったりしながら、砂漠の中を右に左にくねり続くガレキのスペインの道を進む。
朝でまだしゃく熱と言う程暑くないお陰か、気合が入っているせいか、重いバックパックを背負っているにも係わらず、3人とも皆もくもくと、ぐいぐい歩いて順調に約10km先にあると言うモロッコのミリタリーポストに向かって進んで行く。

歩くのは大変だが、取り囲む砂漠の大パノラマはまるで月か火星かと言う程の、美しくも、地の果てをも連想させるもの。
ミートはSONYの小型のビデオカメラでビデオを撮りまくっている。少しぐらいさっと撮るならまだしも、ここは地雷も埋まる国境緩衝地帯。西サハラのモロッコへの帰属問題もまだ完全には決着していない。
「そんなにガンガン撮って、スパイにでも間違えられたらどうすんの。。。」
と、気をもむ自分とJunko。
歩き始めて2、3時間余り、目前の小高い丘の上に建物とアンテナが建っているのが見える。
「恐らくあそこだろう。」
「昨夜のモーリタニアのミリタリーポストの人達のように、モロッコのソルジャー達も親切な人達だといいね。」
その建物に向かって歩いていると、さびついて横たわる車(多分地雷でやられた)の向こうに、古びれたランドローバー車と人の姿。
話をきいてみると、彼らは数名のモロッコ人。モーリタニア人の運転する車でモロッコへ入ろうとしたが、モーリタニア人とモロッコ人が同じ車でモーリタニアからモロッコへ入る事は許されず、ここでモロッコ人の車が通るのを待っていると言う。
「歩いてはモロッコへは入れないよ。」
と、その内の一人が言う。
何か根拠があって言っているのだろうか。
ともかく、モロッコはもう目の前、苦労してここまで来たのだからもう行くしかない。この砂漠の中をまた10km以上も歩いて戻るなんて考えられない。
1km程坂道を上がると、鉄の鎖が行く手をはばむ。その奥にはポリスが座っている。
モロッコのミリタリーポストだ。
鎖を越えようとすると、奥のポリスはひらいた手のヒラをこちらに伸ばし、「そこで待て」のジェスチャー。
だが、待てど暮らせど、奥のポリスは座ったまま、何の動きもない。
「His behavior is very bad!!」
ミートが頭をかかえる。もしや「完全無視」?
彼らはいわゆる「お役人」だ。歩いてここ西サハラの国境を越えて入国しようと言う前例の無い我々の行動に、どうしていいかわからず無視を決め込んでしまったのだろうか。そんな事されたら、この砂漠の真中で我々はどうすればいいのか。
「ムッシュー、ケスクセ・プロブレーム?(何か問題があるのですか)」
と、ミートがフランス語で叫ぶ。
ポリスは再び、そこで待てのジェスチャー。
しばらくして、ようやく丘の上のアンテナが立つ建物から、一人の男が現れる。
「申し訳ない。もうしばらく待ってくれ。」
更にしばらくすると、小ぶとりの偉そうな軍服姿の男が部下を従えて現れる。
「歩いてここを通る事はできない。外国人の運転する車でなら通れるが、車がないのではダメだ。戻れ。」
いくら頼んでも、ぶっちょう面の男はガンとして我々のモロッコ入国を許さない。
「今すぐ、ビーコンの圏外、1km後ろの車が横たわる丘の下へこの道を戻れ。」
ミッション・インポッシブル。映画では不可能と思われた作戦が成功するが、我々の砂漠のアリ作戦は最後の最後で見事に玉砕。
モロッコ入国を果たせず、仕方なく来た道を1km戻り、横たわるさびた車の脇に荷物を置き砂漠の砂の上に座り込む。
午後の砂漠の太陽は容赦なく、大地を、空気を、そして我々を照らしつける。
「彼は正しかったね。」
先程、歩いてモロッコへは行けないと教えてくれた、「モロッコ人の車」を待つ男がモーリタニア人、モロッコ人以外の外国人の車を待つ我々に近付いて来る。
ボー然と座り込む我々の前に来ると、近づいてきた2人の男が我々に手を差し出す。
見ると手にはビスケットとパン。
彼らは昨日からずっと、水も日陰もないこの砂漠の真中で車を待っていると言う。この先、後何日待たなければいけないのかもわからない。極限状態も覚悟だと言うのにアカの他人の我々に食料を手渡した上に、
「水もあるから、困ったら言ってくれ。」
ひたすら、「サンキュー」、「メルシー、ブークー」を繰り返すしかない我々。胸が締め付けられ、熱くなる。
これが砂漠の民のやさしさなのか。厳しい環境で生きる彼らにこそ、真のヒューマニズムがひそんでいるのか。
豊かすぎる国から来た我々3人、満ち足りた生活をする我々に果たして彼らの真似ができるだろうか。
砂漠へ追い返された我々。砂漠で真の人のやさしさに触れた我々。
今、我々は不幸なのか幸せなのか。
「我々の水も食料も限界がある。夕方前までここで車を待って現れなければ、大変だがモーリタニアのミリタリーポストまで歩いて戻ろう。モーリタニアのミリタリーポストでは水も食料の提供して貰える。そこで車を待つ方が何もないこの砂漠の上で待つよりマシだ。」
と言うと、ミートは、
「夕方、もう一度モロッコのミリタリーポストに行って頼んでみよう。我々の事をあまりにもかわいそうに思って入国を許してくれるかも知れない。例え再び入国を拒否されても、せめて水と食料、そしてネグラだけでも提供してくれるよう頼んでみよう。」
夜の砂漠はこごえるほどの寒さ。風も強く、こんな砂漠の真中で夜を過ごすのはムリだ。
行くか戻るか選択は2つしかないのだ。
その時、道の向こうから車の排気音が聞こえてくる。見ると車はモーリタニアで良く見かけるランドローバー。
「だめだ。あれはモーリタニア人の車だ。」
と、ミートが頭を下にうなだれる。
だが良く見てみると、
「ホワイトピープル。ア・ホワイトピープル・イズ・ドライビング(白人だ。白人が運転している)!!」
叫び手を振る自分。
我々の前に止まったランドローバー、車にはフランス人のドライバーのおじさんが一人だけ。
ミートが事情を説明すると、
「OK!!乗りな!!」
「イッツ・ア・ミラクル!!」
自分は叫び、ミートは天を仰ぎ神に感謝でもしているのか。
「(フランス人の)気が変わらない内に急いで」
この状況で人助けをしようと言うのに、フランス人のドライバーの気が変わる訳もないのだが、ともかくJunkoをせかし、急いで荷物を車にのせる。
そして、すぐにでも我々自身、車に乗り込みたい所だが、忘れてはならない事が一つ。
モロッコ人の車を待つ「彼ら」は、外国人のこの車ではモロッコへは入れない。彼らはまだ車を待ち続けなければならないのだ。
先程彼らから手渡されたパンとビスケットを彼らに返し、抱ようし合って、感謝と敬意、そして彼らの幸運を願う。
そして車に乗り込み、先程門前払いされたモロッコのミリタリーポストへ。
先程我々の入国を拒否した偉そうな男の背後にいた部下らしき男が、「良かったな。」と言う様な表情で我々を迎える。
「外国人の車でなら問題ない。」
指示されるがまま、その男にパスポートを預ける。
車にはそのモロッコのミリタリーポリスも乗り込み、一緒に、国境後最初のモロッコの街、ビルガンドゥーズまで行く。
パスポートは、その後もダクラへ着く迄、預けたまま。
実は国境にもビルガンドゥーズにもイミグレーションが存在せず、モロッコ入国の手続きはダクラのポリスで行われるのだ。その為、ダグラに着いて入国手続きが済む迄、我々のパスポートは預けられたままになるのだ。
ビルガンドゥーズ、手持ちの地図を広げると確かに西サハラはモーリタニアの国境付近にその地名が載っている。
だが、今、我々がいるここビルガンドゥーズ。ミリタリー施設が丘の上に建ち、その丘の下には駐車場と石で造られた小屋が3軒あるだけ。街とも村とも呼ぶには程遠い、単なるミリタリー施設が砂漠の中にあるだけに過ぎない。
すぐにでもダクラへ向かえるのかと思っていたら、ダクラへ立てるのは明日の午後2時だと言う。
一体ここで何のどんな手続きが必要でそんなに時間が掛かるのか?
我々は粗末な石レンガでできた小屋に、「寝ていいよ。」と言われる。
何とかモロッコ入国を果たした我々だが、「山」は越えたとは言え(実際には山でなくて砂漠だが・・・)、ダクラに着いてパスポートを返して貰うまで、まだまだ予断は許されない。
いったん丘の上のミリタリー施設へ姿を消した、一緒に乗り込んで来たモロッコのポリスが、2度、3度、丘の下の小屋の前の日陰で疲れ切って休む我々3人のもとへ現れ、そのたび、山盛りのバゲットにビスケット、パックの牛乳まで差し入れてくれる。
彼は、我々3人が大変な思いでここ迄来たと言う事情を知っている。それで親切にしてくれるのだろう。
それにしても、ついさっきまでは冷たくモロッコ入国を拒否し、砂漠へ追い返したくせに、「歩く」か「外国人の車」かの違いだけで、いとも簡単に入国を許され、この待遇の違いはどう言う事だろう。
「デッド・オア・アライブ」
許されざる者は砂漠でどうなろうと構わず、モロッコ入国を許された者には気を寄せる。
差入にありがたく思いながらも、全くもって釈然としない。
モーリタニアとヌアディブの街に、「アメリカ人と日本人の3人が、歩いてモロッコとの国境を越えたらしい。」と言う噂が広まっている恐れがありますが、それは間違いです。
我々の作戦は失敗です。結局最後は歩いてモロッコへは入れず、フランス人の車をヒッチハイクしてモロッコへ入ったのです。
奇跡的に車が現れヒッチハイク出来たから良かったものの、追い返された砂漠の真ん中で、車が現れなかったらと思うと背筋が凍り付きます。
加えて、「あの時」、車が砂にスタックしたまま抜けられなかったら、モーリタニアのミリタリーポストで泊めてもらえなかったら、地雷を踏んでしまっていたら・・・等々後から良く考えると、今更ながら、何もなかったから良かった様なものの、やり過ぎたと深く反省しております。
良い子(=善良な旅行者)は決してマネしないで下さい。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:パン、ピーナッツ、ビスケット、牛乳
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 250UG(モーリタニア・ウギア)
1US$ ≒ 9DH(モロッコ・デュラハム)
※現在の所、歩いてモーリタニア→モロッコの国境は越えられません。ヌアクショット又はヌアディブで外国人ツーリストの車をヒッチするか飛行機を使いましょう。
【宿】(ビルガンデゥーズ)石小屋。無料。
朝8時、ミリタリーポストの石小屋の中のソルジャー達は、皆まだ寝静まっている。
昨夜の親切なもてなしに感謝の意を書き残し、ミートと3人でいよいよ西サハラ砂漠のモーリタニア、モロッコ国境緩衝地帯へ歩いて踏み込む。
もうここはモーリタニアでもモロッコでもない。
かつてスペインが作ったという砂の上にガレキが並ぶこん跡をたどって少し歩くと、道の脇に地雷注意の標識が立っているのを発見。
これは珍しいと、写真に収めようとカメラのファインダーを覗きながら標識に近付くと、
「危なーい」
Junkoが叫ぶ。
写真を撮るのに夢中で、ついスペインの道をほんのちょっとだけ外れた砂の上に足をのせてしまったのだ。
スペインの道の外は、どこに地雷が埋まっていてもおかしくない。
「絶対に道を外れないように、On the wayで歩こう。」
と朝、皆で言い合ったばかりなのだ。

途中、休憩を取ったりしながら、砂漠の中を右に左にくねり続くガレキのスペインの道を進む。
朝でまだしゃく熱と言う程暑くないお陰か、気合が入っているせいか、重いバックパックを背負っているにも係わらず、3人とも皆もくもくと、ぐいぐい歩いて順調に約10km先にあると言うモロッコのミリタリーポストに向かって進んで行く。

歩くのは大変だが、取り囲む砂漠の大パノラマはまるで月か火星かと言う程の、美しくも、地の果てをも連想させるもの。
ミートはSONYの小型のビデオカメラでビデオを撮りまくっている。少しぐらいさっと撮るならまだしも、ここは地雷も埋まる国境緩衝地帯。西サハラのモロッコへの帰属問題もまだ完全には決着していない。
「そんなにガンガン撮って、スパイにでも間違えられたらどうすんの。。。」
と、気をもむ自分とJunko。
歩き始めて2、3時間余り、目前の小高い丘の上に建物とアンテナが建っているのが見える。
「恐らくあそこだろう。」
「昨夜のモーリタニアのミリタリーポストの人達のように、モロッコのソルジャー達も親切な人達だといいね。」
その建物に向かって歩いていると、さびついて横たわる車(多分地雷でやられた)の向こうに、古びれたランドローバー車と人の姿。
話をきいてみると、彼らは数名のモロッコ人。モーリタニア人の運転する車でモロッコへ入ろうとしたが、モーリタニア人とモロッコ人が同じ車でモーリタニアからモロッコへ入る事は許されず、ここでモロッコ人の車が通るのを待っていると言う。
「歩いてはモロッコへは入れないよ。」
と、その内の一人が言う。
何か根拠があって言っているのだろうか。
ともかく、モロッコはもう目の前、苦労してここまで来たのだからもう行くしかない。この砂漠の中をまた10km以上も歩いて戻るなんて考えられない。
1km程坂道を上がると、鉄の鎖が行く手をはばむ。その奥にはポリスが座っている。
モロッコのミリタリーポストだ。
鎖を越えようとすると、奥のポリスはひらいた手のヒラをこちらに伸ばし、「そこで待て」のジェスチャー。
だが、待てど暮らせど、奥のポリスは座ったまま、何の動きもない。
「His behavior is very bad!!」
ミートが頭をかかえる。もしや「完全無視」?
彼らはいわゆる「お役人」だ。歩いてここ西サハラの国境を越えて入国しようと言う前例の無い我々の行動に、どうしていいかわからず無視を決め込んでしまったのだろうか。そんな事されたら、この砂漠の真中で我々はどうすればいいのか。
「ムッシュー、ケスクセ・プロブレーム?(何か問題があるのですか)」
と、ミートがフランス語で叫ぶ。
ポリスは再び、そこで待てのジェスチャー。
しばらくして、ようやく丘の上のアンテナが立つ建物から、一人の男が現れる。
「申し訳ない。もうしばらく待ってくれ。」
更にしばらくすると、小ぶとりの偉そうな軍服姿の男が部下を従えて現れる。
「歩いてここを通る事はできない。外国人の運転する車でなら通れるが、車がないのではダメだ。戻れ。」
いくら頼んでも、ぶっちょう面の男はガンとして我々のモロッコ入国を許さない。
「今すぐ、ビーコンの圏外、1km後ろの車が横たわる丘の下へこの道を戻れ。」
ミッション・インポッシブル。映画では不可能と思われた作戦が成功するが、我々の砂漠のアリ作戦は最後の最後で見事に玉砕。
モロッコ入国を果たせず、仕方なく来た道を1km戻り、横たわるさびた車の脇に荷物を置き砂漠の砂の上に座り込む。
午後の砂漠の太陽は容赦なく、大地を、空気を、そして我々を照らしつける。
「彼は正しかったね。」
先程、歩いてモロッコへは行けないと教えてくれた、「モロッコ人の車」を待つ男がモーリタニア人、モロッコ人以外の外国人の車を待つ我々に近付いて来る。
ボー然と座り込む我々の前に来ると、近づいてきた2人の男が我々に手を差し出す。
見ると手にはビスケットとパン。
彼らは昨日からずっと、水も日陰もないこの砂漠の真中で車を待っていると言う。この先、後何日待たなければいけないのかもわからない。極限状態も覚悟だと言うのにアカの他人の我々に食料を手渡した上に、
「水もあるから、困ったら言ってくれ。」
ひたすら、「サンキュー」、「メルシー、ブークー」を繰り返すしかない我々。胸が締め付けられ、熱くなる。
これが砂漠の民のやさしさなのか。厳しい環境で生きる彼らにこそ、真のヒューマニズムがひそんでいるのか。
豊かすぎる国から来た我々3人、満ち足りた生活をする我々に果たして彼らの真似ができるだろうか。
砂漠へ追い返された我々。砂漠で真の人のやさしさに触れた我々。
今、我々は不幸なのか幸せなのか。
「我々の水も食料も限界がある。夕方前までここで車を待って現れなければ、大変だがモーリタニアのミリタリーポストまで歩いて戻ろう。モーリタニアのミリタリーポストでは水も食料の提供して貰える。そこで車を待つ方が何もないこの砂漠の上で待つよりマシだ。」
と言うと、ミートは、
「夕方、もう一度モロッコのミリタリーポストに行って頼んでみよう。我々の事をあまりにもかわいそうに思って入国を許してくれるかも知れない。例え再び入国を拒否されても、せめて水と食料、そしてネグラだけでも提供してくれるよう頼んでみよう。」
夜の砂漠はこごえるほどの寒さ。風も強く、こんな砂漠の真中で夜を過ごすのはムリだ。
行くか戻るか選択は2つしかないのだ。
その時、道の向こうから車の排気音が聞こえてくる。見ると車はモーリタニアで良く見かけるランドローバー。
「だめだ。あれはモーリタニア人の車だ。」
と、ミートが頭を下にうなだれる。
だが良く見てみると、
「ホワイトピープル。ア・ホワイトピープル・イズ・ドライビング(白人だ。白人が運転している)!!」
叫び手を振る自分。
我々の前に止まったランドローバー、車にはフランス人のドライバーのおじさんが一人だけ。
ミートが事情を説明すると、
「OK!!乗りな!!」
「イッツ・ア・ミラクル!!」
自分は叫び、ミートは天を仰ぎ神に感謝でもしているのか。
「(フランス人の)気が変わらない内に急いで」
この状況で人助けをしようと言うのに、フランス人のドライバーの気が変わる訳もないのだが、ともかくJunkoをせかし、急いで荷物を車にのせる。
そして、すぐにでも我々自身、車に乗り込みたい所だが、忘れてはならない事が一つ。
モロッコ人の車を待つ「彼ら」は、外国人のこの車ではモロッコへは入れない。彼らはまだ車を待ち続けなければならないのだ。
先程彼らから手渡されたパンとビスケットを彼らに返し、抱ようし合って、感謝と敬意、そして彼らの幸運を願う。
そして車に乗り込み、先程門前払いされたモロッコのミリタリーポストへ。
先程我々の入国を拒否した偉そうな男の背後にいた部下らしき男が、「良かったな。」と言う様な表情で我々を迎える。
「外国人の車でなら問題ない。」
指示されるがまま、その男にパスポートを預ける。
車にはそのモロッコのミリタリーポリスも乗り込み、一緒に、国境後最初のモロッコの街、ビルガンドゥーズまで行く。
パスポートは、その後もダクラへ着く迄、預けたまま。
実は国境にもビルガンドゥーズにもイミグレーションが存在せず、モロッコ入国の手続きはダクラのポリスで行われるのだ。その為、ダグラに着いて入国手続きが済む迄、我々のパスポートは預けられたままになるのだ。
ビルガンドゥーズ、手持ちの地図を広げると確かに西サハラはモーリタニアの国境付近にその地名が載っている。
だが、今、我々がいるここビルガンドゥーズ。ミリタリー施設が丘の上に建ち、その丘の下には駐車場と石で造られた小屋が3軒あるだけ。街とも村とも呼ぶには程遠い、単なるミリタリー施設が砂漠の中にあるだけに過ぎない。
すぐにでもダクラへ向かえるのかと思っていたら、ダクラへ立てるのは明日の午後2時だと言う。
一体ここで何のどんな手続きが必要でそんなに時間が掛かるのか?
我々は粗末な石レンガでできた小屋に、「寝ていいよ。」と言われる。
何とかモロッコ入国を果たした我々だが、「山」は越えたとは言え(実際には山でなくて砂漠だが・・・)、ダクラに着いてパスポートを返して貰うまで、まだまだ予断は許されない。
いったん丘の上のミリタリー施設へ姿を消した、一緒に乗り込んで来たモロッコのポリスが、2度、3度、丘の下の小屋の前の日陰で疲れ切って休む我々3人のもとへ現れ、そのたび、山盛りのバゲットにビスケット、パックの牛乳まで差し入れてくれる。
彼は、我々3人が大変な思いでここ迄来たと言う事情を知っている。それで親切にしてくれるのだろう。
それにしても、ついさっきまでは冷たくモロッコ入国を拒否し、砂漠へ追い返したくせに、「歩く」か「外国人の車」かの違いだけで、いとも簡単に入国を許され、この待遇の違いはどう言う事だろう。
「デッド・オア・アライブ」
許されざる者は砂漠でどうなろうと構わず、モロッコ入国を許された者には気を寄せる。
差入にありがたく思いながらも、全くもって釈然としない。
モーリタニアとヌアディブの街に、「アメリカ人と日本人の3人が、歩いてモロッコとの国境を越えたらしい。」と言う噂が広まっている恐れがありますが、それは間違いです。
我々の作戦は失敗です。結局最後は歩いてモロッコへは入れず、フランス人の車をヒッチハイクしてモロッコへ入ったのです。
奇跡的に車が現れヒッチハイク出来たから良かったものの、追い返された砂漠の真ん中で、車が現れなかったらと思うと背筋が凍り付きます。
加えて、「あの時」、車が砂にスタックしたまま抜けられなかったら、モーリタニアのミリタリーポストで泊めてもらえなかったら、地雷を踏んでしまっていたら・・・等々後から良く考えると、今更ながら、何もなかったから良かった様なものの、やり過ぎたと深く反省しております。
良い子(=善良な旅行者)は決してマネしないで下さい。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:パン、ピーナッツ、ビスケット、牛乳
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 250UG(モーリタニア・ウギア)
1US$ ≒ 9DH(モロッコ・デュラハム)
※現在の所、歩いてモーリタニア→モロッコの国境は越えられません。ヌアクショット又はヌアディブで外国人ツーリストの車をヒッチするか飛行機を使いましょう。
【宿】(ビルガンデゥーズ)石小屋。無料。


