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エリア:
- アジア > パキスタン > パキスタンその他の都市
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テーマ:
- 世界遺産
イランからパキスタンに入って、バスを乗り継ぎやって来た、我々のパキスタンでの最初の滞在地が、ここラルカナ。
そしてそのお目当ては、「モエンジョダロ」。
中高生の時、歴史の授業で習った、世界最古と言われる、人類の文明発祥のインダス文明の遺跡である。
以前から、パキスタンに行ったならモエンジョダロの遺跡を見てみたいと思っていたのだ。
ラルカナに安宿を取り、ひとシャワーを浴びると、宿に荷物を置き早速モエジョダロへ。
ラルカナからモエジョダロまで約30km弱。
バスや、スズキと呼ばれる乗用車を乗り継いで行けると聞いていたのだが、周囲に水田ばかりが拡がる三又路でバスを降ろされるも、待っても待ってもその先に進むバスや乗合は現れない。
それどころか、モエンジョダロ方面へ向う車自体ほとんどいない。
「仕方ない。久しぶりにやるか。」
ようやく現れた、三又路をモエンジョダロ方面へ曲がる小型トラック。乗合ではないが荷台には乗れそうだと、すかさず右手をあげ、久々のヒッチハイク。
人の良さそうなおじさんのドライバーは快く承諾。荷台に乗込むと、荷台の真中に泥水が溜まって小さいプールの様な物がある。
「くんくん。何だかにおうね。」
ここらの辺りの水田には、農作業用の家畜に水牛を使っており、水田の脇の水たまりに、真っ黒な顔と立派な角だけを出して体をつかっている水牛を沢山見る事ができる。
ヒッチしたトラックの荷台のプールからおってくるのは・・・、
「もしかして、これ水牛の運搬車?」
プールに水牛はいないが、トラックが揺れるたび、かぐわしいその水がしぶきをあげ、荷台のヘリに立つわれわれの足元をおそう。
「トホホ・・・。ズボンに臭いがしみ付きそうだよ・・・。」
遺跡から2km手前の村でそのトラックを降りる。そして、遺跡に向って炎天下を歩き始めると、
「プップー、乗ってかないか?」
後からきた乗用車に遺跡まで乗せてもらう。
実はモエンジョダロには「来てはいけない。」と言われる季節がある。
暑いパキスタンの中でも一番暑いと言われる地域がこのモエンジョダロ一帯、そのモエンジョダロが一年で一番暑い季節、それが正に今。
5〜7月は、40℃を超える日は当たり前、50℃近くになる日もザラなのだ。
アフリカからの長旅の途中、パキスタンを旅するのがたまたまこの季節と重なってしまい、モエンジョダロを訪れるか否か悩んだ末、意を決して訪れたのだが、やっぱり暑い。
一歩一歩足を出すたび、息が苦しい。
ゆっくりと廃虚と化したかのような遺跡を巡ると、入口にある井戸の水をかぶり、ゴクゴクと飲む。
ぬらしたハンカチを頭や首元に置きベンチでうなだれていると、ジュース売りのお兄さんがクーラーボックスに入っている氷を手渡してくれる。
「Thank you very much!!」
氷をハンカチに巻き、頭を冷やす。
「充分休まないと病気になってしまうよ。」
と、隣のベンチで横になるカラチから来たと言うパキスタン人の学校の先生。
ラホールから来たという、その先生、
「私は歴史や遺跡が好きなんだ。もちろん仏教遺跡も。アフガニスタンのタリバンは全くクレージーだ。私は大嫌いだよ。」
多分これは、2001年3月のタリバンによるバーミヤン仏教遺跡の爆破に対しての意見。
パキスタンには、アフガニスタンでも多数派のパシュトゥン人が多く住んでいると言う報道をよく耳にするが、カラチやラホールに住んでいるのはパンジャブ人。パキスタンのインテリ層は、パンジャブ人によって構成されているのだ。
事実上パキスタンのメジャー、パンジャブ人の先生からの、この意見は興味深い。
それにしても、何だってこんなにも暑いところで、人類は文明を作り始めたんだろうか。6000年前はもっと涼しかったのかな?
ラルカナの宿に戻っても、夜になってもとにかく暑い。おまけに頻繁に停電があり電気も消え、部屋の扇風機も止まってしまう。
気晴らしと言うか気休めに、街に出てくだいた氷で冷やされたラッシーなどを飲み干し、涼を求める。
「氷が危ないって話よく聞くけど、お腹大丈夫かな?」
この暑さで、毎日汗をしたたらせ、おまけにお腹まで壊しちゃったらまたやせてスマートになっちゃうよ。
一年で一番暑い猛暑の中の猛暑での、パキスタンの旅は、まだ始まったばかりだ。
【食事】
朝:ナン
昼:ライスプディング
夜:カレーライス、サトウキビジュース、ラッシー
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・ラルカナ→モエンジョダロ(乗合+バス+ヒッチ)待時間含め片道2時間程度
・モエンジョダロ遺跡の入場料は無料
【宿】
(ラルカナ)Meheran Hotel 180PR/W一室
そしてそのお目当ては、「モエンジョダロ」。
中高生の時、歴史の授業で習った、世界最古と言われる、人類の文明発祥のインダス文明の遺跡である。
以前から、パキスタンに行ったならモエンジョダロの遺跡を見てみたいと思っていたのだ。
ラルカナに安宿を取り、ひとシャワーを浴びると、宿に荷物を置き早速モエジョダロへ。
ラルカナからモエジョダロまで約30km弱。
バスや、スズキと呼ばれる乗用車を乗り継いで行けると聞いていたのだが、周囲に水田ばかりが拡がる三又路でバスを降ろされるも、待っても待ってもその先に進むバスや乗合は現れない。
それどころか、モエンジョダロ方面へ向う車自体ほとんどいない。
「仕方ない。久しぶりにやるか。」
ようやく現れた、三又路をモエンジョダロ方面へ曲がる小型トラック。乗合ではないが荷台には乗れそうだと、すかさず右手をあげ、久々のヒッチハイク。
人の良さそうなおじさんのドライバーは快く承諾。荷台に乗込むと、荷台の真中に泥水が溜まって小さいプールの様な物がある。
「くんくん。何だかにおうね。」
ここらの辺りの水田には、農作業用の家畜に水牛を使っており、水田の脇の水たまりに、真っ黒な顔と立派な角だけを出して体をつかっている水牛を沢山見る事ができる。
ヒッチしたトラックの荷台のプールからおってくるのは・・・、
「もしかして、これ水牛の運搬車?」
プールに水牛はいないが、トラックが揺れるたび、かぐわしいその水がしぶきをあげ、荷台のヘリに立つわれわれの足元をおそう。
「トホホ・・・。ズボンに臭いがしみ付きそうだよ・・・。」
遺跡から2km手前の村でそのトラックを降りる。そして、遺跡に向って炎天下を歩き始めると、
「プップー、乗ってかないか?」
後からきた乗用車に遺跡まで乗せてもらう。
実はモエンジョダロには「来てはいけない。」と言われる季節がある。
暑いパキスタンの中でも一番暑いと言われる地域がこのモエンジョダロ一帯、そのモエンジョダロが一年で一番暑い季節、それが正に今。
5〜7月は、40℃を超える日は当たり前、50℃近くになる日もザラなのだ。
アフリカからの長旅の途中、パキスタンを旅するのがたまたまこの季節と重なってしまい、モエンジョダロを訪れるか否か悩んだ末、意を決して訪れたのだが、やっぱり暑い。
一歩一歩足を出すたび、息が苦しい。
ゆっくりと廃虚と化したかのような遺跡を巡ると、入口にある井戸の水をかぶり、ゴクゴクと飲む。
ぬらしたハンカチを頭や首元に置きベンチでうなだれていると、ジュース売りのお兄さんがクーラーボックスに入っている氷を手渡してくれる。
「Thank you very much!!」
氷をハンカチに巻き、頭を冷やす。
「充分休まないと病気になってしまうよ。」
と、隣のベンチで横になるカラチから来たと言うパキスタン人の学校の先生。
ラホールから来たという、その先生、
「私は歴史や遺跡が好きなんだ。もちろん仏教遺跡も。アフガニスタンのタリバンは全くクレージーだ。私は大嫌いだよ。」
多分これは、2001年3月のタリバンによるバーミヤン仏教遺跡の爆破に対しての意見。
パキスタンには、アフガニスタンでも多数派のパシュトゥン人が多く住んでいると言う報道をよく耳にするが、カラチやラホールに住んでいるのはパンジャブ人。パキスタンのインテリ層は、パンジャブ人によって構成されているのだ。
事実上パキスタンのメジャー、パンジャブ人の先生からの、この意見は興味深い。
それにしても、何だってこんなにも暑いところで、人類は文明を作り始めたんだろうか。6000年前はもっと涼しかったのかな?
ラルカナの宿に戻っても、夜になってもとにかく暑い。おまけに頻繁に停電があり電気も消え、部屋の扇風機も止まってしまう。
気晴らしと言うか気休めに、街に出てくだいた氷で冷やされたラッシーなどを飲み干し、涼を求める。
「氷が危ないって話よく聞くけど、お腹大丈夫かな?」
この暑さで、毎日汗をしたたらせ、おまけにお腹まで壊しちゃったらまたやせてスマートになっちゃうよ。
一年で一番暑い猛暑の中の猛暑での、パキスタンの旅は、まだ始まったばかりだ。
【食事】
朝:ナン
昼:ライスプディング
夜:カレーライス、サトウキビジュース、ラッシー
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・ラルカナ→モエンジョダロ(乗合+バス+ヒッチ)待時間含め片道2時間程度
・モエンジョダロ遺跡の入場料は無料
【宿】
(ラルカナ)Meheran Hotel 180PR/W一室