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エリア:
- アジア > 韓国 > ソウル
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テーマ:
- 街中・建物・景色
- / 鑑賞・観戦
- / グルメ
朝、ソウル市街のビル郡を離れ、郊外で気分を変えようと、電車で水原へ向かう。ところが、水原に着く頃にはあいにくの雨、改札を出る事なく、そのまま来た電車でソウルにトンボ返り。
こちらの電車、外国にいる事を忘れてしまう程、日本の電車にそっくりな車内のつくりと乗心地だが、たまたま乗り合せた見ず知らずの人同士が、談笑したり、他人の子供をあやしたり、暴れる他人の子をしかったりする光景は、日本では見られないものだ。
アフリカから始まった今回の旅では、これ迄、世界で頑張る沢山の韓国の人々の姿を見て来た。
マラウィの首都、リロングウェイの両替店は、韓国人の人がやっていた。
エチオピアで道を作っていたのは、韓国企業。
ガーナで出会った海運会社を経営する南さんは、親切にも我々を車に乗せてくれた。
モーリタニアの港町、ヌアディブでも、海運業に従事する多くの韓国人の人がいた。
彼らが貨物船で行き来する、大西洋沖のスペイン領カナリア諸島には、韓国人が沢山いて大きなコミュニティを作っているそうだ。ヌアディブでインターネットカフェを経営しているのも、彼らだった。
そして彼らはいつも、異国の街角で偶然遭った我々に、笑顔を交し、親切にしてくれた。
ヨーロッパから中東、アジアに到る迄、韓国人の旅行者にも何人も会ったし、安宿の情報ノートには、ハングル語の書込みが目立っていた。
そして、世界中に溢れる韓国製品の車に電気製品。
特にヨーロッパ、中東では、日本製品は完全に韓国製品の影にかくれてしまっている。
街中で目立つのは、ヒュンダイやサムソンの看板。走っている外車はヒュンダイばかり。
改築されたばかりのローマ駅に設置されたエアコンは、全てLG製だった。
極めつけは、プラハのスメタナホールで鑑賞したクラシックコンサート。 伝統のホールでピアノコンツェルトのピアノを奏でるのは、りんとした韓国人女性だった。
午後、ソウル市街に戻ると、東大門市場を散歩。
一般的に東大門市場として有名なのは、中心部のファッションビル街だが、市場はその中心部の広い範囲に放射状に拡がっている。
古本街、スポーツ用品街、チョゴリ街。
そして中心部に並ぶ、東大門市場の代名詞の衣料品市場。
路上に、地下街に、そして地下におりる階段や地上の立橋の上まで、ぎっしりと並ぶ衣料品売の屋台。
その中にあって、ひときわ人が集まってるのはファッションビル街。5〜10階もあるビルの中は、小さな店舗がズラーッと並んでいる。その様相は秋葉原の部品屋さんのようであるが、どれも衣料品屋なのだからビックリだ。それ程小さく、ひしめきあっているのだ。
中では地元客、観光客が入り交じってすごい混雑だ。そちこちで、客が目についた服を服の上から試着しては投げ捨てるように脱ぎ去っていく。ものすごい活気だ。
市場街には所々、色々な種類の食べ物の屋台もでている。
ノリマキ、オデンなどの人気屋台はもちろん、市場の奥には、お刺身を食べながらお酒を飲める庶民的なものもある。
夕方、我々は、そんな屋台の中からおかゆ屋さんで早目の晩ごはんをとる。
おばさんが切盛するそのあまりにも庶民的かつ家庭的、地元密着スタイルにひかれて、つい屋台のカウンターの前の長イスに座ってしまったのだ。
注文したのは、アズキ入おかゆとカボチャのおかゆを一つずつ。
白玉入なのがうれしいが、アズキは味がない。見渡すと現地の人は、これに塩を振って食べている。
とまどう我々をみて、屋台のおばさんは砂糖を手渡してくれた。どうやら、おばさん、日本人はアズキは砂糖で食べることを知っていたようだ。
ありがとう、おばさん。日本人は塩味のおしるこは食べられないよ。
夜、宿近くの仁寺洞で、こちらの色彩々の伝統工芸品店などで目の保養をしていると、通りの一角から大音響で賑わう仮設ステージを発見。暇なので、その前に座ってイベントを見学する。
女子高生によるダンス選手権あり、手話コーラスあり、韓国お琴の演奏あり、エアロビあり。

溢れる観客、夏休みの日曜日を街歩きを楽しむ沢山の人々。
日本に負けず劣らず、韓国も不景気だと聞いていたが、どうしてどうして街も人もみんな元気だ。
アフリカでもヨーロッパでも、そしてここ本国でも、韓国人の人々の優しさとたくましさを感じずにはいられない。
「イェーイ!アンニョンハセヨー!!」
宿に戻ると、宿のおばさんが笑顔で声をかけてくれた。
【食事】
朝:パン
昼:カルビタン(煮込カルビ)
夜:ぜんざい小豆のおかゆ白玉入と、かぼちゃのおかゆ白玉入
【トラベルメモ】
1$≒1000W(韓国ウオン)
【宿】(ソウル)東山旅館 15000W/W一室
こちらの電車、外国にいる事を忘れてしまう程、日本の電車にそっくりな車内のつくりと乗心地だが、たまたま乗り合せた見ず知らずの人同士が、談笑したり、他人の子供をあやしたり、暴れる他人の子をしかったりする光景は、日本では見られないものだ。
アフリカから始まった今回の旅では、これ迄、世界で頑張る沢山の韓国の人々の姿を見て来た。
マラウィの首都、リロングウェイの両替店は、韓国人の人がやっていた。
エチオピアで道を作っていたのは、韓国企業。
ガーナで出会った海運会社を経営する南さんは、親切にも我々を車に乗せてくれた。
モーリタニアの港町、ヌアディブでも、海運業に従事する多くの韓国人の人がいた。
彼らが貨物船で行き来する、大西洋沖のスペイン領カナリア諸島には、韓国人が沢山いて大きなコミュニティを作っているそうだ。ヌアディブでインターネットカフェを経営しているのも、彼らだった。
そして彼らはいつも、異国の街角で偶然遭った我々に、笑顔を交し、親切にしてくれた。
ヨーロッパから中東、アジアに到る迄、韓国人の旅行者にも何人も会ったし、安宿の情報ノートには、ハングル語の書込みが目立っていた。
そして、世界中に溢れる韓国製品の車に電気製品。
特にヨーロッパ、中東では、日本製品は完全に韓国製品の影にかくれてしまっている。
街中で目立つのは、ヒュンダイやサムソンの看板。走っている外車はヒュンダイばかり。
改築されたばかりのローマ駅に設置されたエアコンは、全てLG製だった。
極めつけは、プラハのスメタナホールで鑑賞したクラシックコンサート。 伝統のホールでピアノコンツェルトのピアノを奏でるのは、りんとした韓国人女性だった。
午後、ソウル市街に戻ると、東大門市場を散歩。
一般的に東大門市場として有名なのは、中心部のファッションビル街だが、市場はその中心部の広い範囲に放射状に拡がっている。
古本街、スポーツ用品街、チョゴリ街。
そして中心部に並ぶ、東大門市場の代名詞の衣料品市場。
路上に、地下街に、そして地下におりる階段や地上の立橋の上まで、ぎっしりと並ぶ衣料品売の屋台。
その中にあって、ひときわ人が集まってるのはファッションビル街。5〜10階もあるビルの中は、小さな店舗がズラーッと並んでいる。その様相は秋葉原の部品屋さんのようであるが、どれも衣料品屋なのだからビックリだ。それ程小さく、ひしめきあっているのだ。
中では地元客、観光客が入り交じってすごい混雑だ。そちこちで、客が目についた服を服の上から試着しては投げ捨てるように脱ぎ去っていく。ものすごい活気だ。
市場街には所々、色々な種類の食べ物の屋台もでている。
ノリマキ、オデンなどの人気屋台はもちろん、市場の奥には、お刺身を食べながらお酒を飲める庶民的なものもある。
夕方、我々は、そんな屋台の中からおかゆ屋さんで早目の晩ごはんをとる。
おばさんが切盛するそのあまりにも庶民的かつ家庭的、地元密着スタイルにひかれて、つい屋台のカウンターの前の長イスに座ってしまったのだ。
注文したのは、アズキ入おかゆとカボチャのおかゆを一つずつ。
白玉入なのがうれしいが、アズキは味がない。見渡すと現地の人は、これに塩を振って食べている。
とまどう我々をみて、屋台のおばさんは砂糖を手渡してくれた。どうやら、おばさん、日本人はアズキは砂糖で食べることを知っていたようだ。
ありがとう、おばさん。日本人は塩味のおしるこは食べられないよ。
夜、宿近くの仁寺洞で、こちらの色彩々の伝統工芸品店などで目の保養をしていると、通りの一角から大音響で賑わう仮設ステージを発見。暇なので、その前に座ってイベントを見学する。
女子高生によるダンス選手権あり、手話コーラスあり、韓国お琴の演奏あり、エアロビあり。

溢れる観客、夏休みの日曜日を街歩きを楽しむ沢山の人々。
日本に負けず劣らず、韓国も不景気だと聞いていたが、どうしてどうして街も人もみんな元気だ。
アフリカでもヨーロッパでも、そしてここ本国でも、韓国人の人々の優しさとたくましさを感じずにはいられない。
「イェーイ!アンニョンハセヨー!!」
宿に戻ると、宿のおばさんが笑顔で声をかけてくれた。
【食事】
朝:パン
昼:カルビタン(煮込カルビ)
夜:ぜんざい小豆のおかゆ白玉入と、かぼちゃのおかゆ白玉入
【トラベルメモ】
1$≒1000W(韓国ウオン)
【宿】(ソウル)東山旅館 15000W/W一室