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- 下唇にお皿、ムルシ族 (エチオピア)ジンカ⇔ムルシ
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エリア:
- アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
- テーマ:その他
- 投稿日:2000/12/03 18:19
エチオピア南西部、ケニアとの国境に程近い地域には、それぞれ言語を異にする幾つもの少数民族が、それぞれ特有の伝統文化と姿で今も暮らしている。
その中でも、その奇抜な姿から最も有名なのが、我々が今日、これから会いに行くムルシ族だ。
ムルシ族は、ジンカの街からマゴ国立公園内へ車で3時間程入った所にある、その名もムルシ村で、ムルシ語を話して暮らしている。
我々は、偶然にも出くわした総勢6名もの日本人旅行者同士でトラックを一台チャーター。その荷台に乗ってムルシ村を目指す。
トラックが走り出して1時間程すると、道の周辺の枝葉を車体がかすめる度に、大きなハエが荷台に座る我々にたかってくる。
「チクッ」ハエが体にとまると、刺された様な痛みを感じる。そう、これがツェツェバエだ。
ツェツェバエは、ズボンの布地の上からでも平気で刺してくるし、少しばかり手で払っても、人体にしがみついたまま飛び去ろうともしない。
ツェツェバエの体は固く、蚊でもつぶすつもりでたたいてもビクともしない。「バシン!!」と思い切りたたきつぶさないと退治できないのだ。
そう言う訳で、ムルシ村に着く間、トラックの荷台はてんやわんや。飛び交い、襲いかかるツェツェバエの群れとの格闘に明け暮れる。
やがて、木で組んだ小さなテントのような住居が並んでいる場所に着く。ここがムルシ村だ。
「スゲェー」荷台の一人が声を上げる。
女性達は下唇に穴を開け、そこに素焼きの皿をはめ、頭には銃の弾(やっきょう)を幾つもつなげた見るからに重そうな髪飾りを付けている人もいる。
皆半裸で、下は皮の腰巻きのみ。上半身は、着ているというより、裸の上に様々なアクセサリーを付けているだけと言った感じだ。

皆一斉に我々の周りに集まり出す。外国人観光客が来たと知って遠くからも、男も女も集まり出した。
中には象牙のイヤリングなどでおシャレを決めた若い男の姿も。
皆、外国人旅行者が自分達の写真を撮りたいという事を知っており、写真を撮らせる代わりにお金が欲しいのだ。
「フォト、ワンブル」口々に訴えかけられる。
ところが写真を撮ってお金を渡そうとすると、「やっぱり2ブルだ」とか、「汚いお札はイヤダ、新しいのをくれ。」とか言い出す者も多く、そちこちで押問答をしている。
写真を一枚撮ろうとするたび、撮るたびこの調子なので、いい加減面倒くさくなってカメラをしまって休んでいると、私を撮ってとあちこちからシャツのすそを引っ張られる。ともかく落ち着いていられないのだ。
しかも物凄い猛暑、もうくたくただ。

木陰で休もうとすると、木の下に銃を持った男が数人座り込んでいる。
何でも隣村のアリ族と戦争中で、この間ムルシ族の男が一人アリ族に殺されたので、道で待ちぶせして、こちらもアリ族をヒトリ殺すのだと言う。
どっちが先なのかわからないが、一体それはいつまで続くのだろうか。
それにしても、そんな原始的とも純朴とも呼べる彼らに、簡単に銃が渡ってしまうと言う事に、強い疑問を持たずには居られない。聞いた話では、お金がなくとも、ヤギ7匹とライフル銃一丁が交換できるそうだ。
帰り路、ジンカに近付いて来ると、通り過ぎる村々の人々が皆口々に我々に向かって、「ファーザー、ファーザー」と連呼し叫び、中には「ファーザー」と言いながら、我々のトラックを全速力で必死にを追い掛けて来る子供達まで現れる。
何故彼らが、我々をそう呼ぶのか本当の理由はわからないが、キリスト教の宣教師(ミショナリー)が来てほどこしをしてくれる事から、外国人を見ると、「ファーザー」と呼び掛け、ほどこし、つまり「何かくれ。」と訴え掛けるスタイルが定着してしまったのではないかと想像する。
もしそうだとすると、ミショナリー達は、あのムルシ族にどの様に接し、ほどこしを与えたのだろうか。
そして今、そこには突然少なからず観光客が訪れるようになり、写真を撮ってお金を払うと言うスタイルが定着してしまっている。
もっと彼らが誇りを持って自分達の伝統文化を披露し、それに対して対価を支払うような方向に持っていけないものだろうか。
【食事】
朝:イモ、ワタツ
昼:パン、バナナ
夜:ワタツ、イモ、サンブサ(豆入りサモサみたいな食べ物)
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・ジンカからムルシへの車チャーター 1100B/1台
・他に護衛のポリス 40B/1グループ (←絶対顧わなければならないそうだ。)
・Mago National Park 入場料 50B/1人 (ムルシ村はナショナルパーク内にある為)。ジンカ→ムルシは片道3〜4時間。
【宿】・(ジンカ)GEMJA HOTEL 8B/W一室共シャワー有
その中でも、その奇抜な姿から最も有名なのが、我々が今日、これから会いに行くムルシ族だ。
ムルシ族は、ジンカの街からマゴ国立公園内へ車で3時間程入った所にある、その名もムルシ村で、ムルシ語を話して暮らしている。
我々は、偶然にも出くわした総勢6名もの日本人旅行者同士でトラックを一台チャーター。その荷台に乗ってムルシ村を目指す。
トラックが走り出して1時間程すると、道の周辺の枝葉を車体がかすめる度に、大きなハエが荷台に座る我々にたかってくる。
「チクッ」ハエが体にとまると、刺された様な痛みを感じる。そう、これがツェツェバエだ。
ツェツェバエは、ズボンの布地の上からでも平気で刺してくるし、少しばかり手で払っても、人体にしがみついたまま飛び去ろうともしない。
ツェツェバエの体は固く、蚊でもつぶすつもりでたたいてもビクともしない。「バシン!!」と思い切りたたきつぶさないと退治できないのだ。
そう言う訳で、ムルシ村に着く間、トラックの荷台はてんやわんや。飛び交い、襲いかかるツェツェバエの群れとの格闘に明け暮れる。
やがて、木で組んだ小さなテントのような住居が並んでいる場所に着く。ここがムルシ村だ。
「スゲェー」荷台の一人が声を上げる。
女性達は下唇に穴を開け、そこに素焼きの皿をはめ、頭には銃の弾(やっきょう)を幾つもつなげた見るからに重そうな髪飾りを付けている人もいる。
皆半裸で、下は皮の腰巻きのみ。上半身は、着ているというより、裸の上に様々なアクセサリーを付けているだけと言った感じだ。

皆一斉に我々の周りに集まり出す。外国人観光客が来たと知って遠くからも、男も女も集まり出した。
中には象牙のイヤリングなどでおシャレを決めた若い男の姿も。
皆、外国人旅行者が自分達の写真を撮りたいという事を知っており、写真を撮らせる代わりにお金が欲しいのだ。
「フォト、ワンブル」口々に訴えかけられる。
ところが写真を撮ってお金を渡そうとすると、「やっぱり2ブルだ」とか、「汚いお札はイヤダ、新しいのをくれ。」とか言い出す者も多く、そちこちで押問答をしている。
写真を一枚撮ろうとするたび、撮るたびこの調子なので、いい加減面倒くさくなってカメラをしまって休んでいると、私を撮ってとあちこちからシャツのすそを引っ張られる。ともかく落ち着いていられないのだ。
しかも物凄い猛暑、もうくたくただ。

木陰で休もうとすると、木の下に銃を持った男が数人座り込んでいる。
何でも隣村のアリ族と戦争中で、この間ムルシ族の男が一人アリ族に殺されたので、道で待ちぶせして、こちらもアリ族をヒトリ殺すのだと言う。
どっちが先なのかわからないが、一体それはいつまで続くのだろうか。
それにしても、そんな原始的とも純朴とも呼べる彼らに、簡単に銃が渡ってしまうと言う事に、強い疑問を持たずには居られない。聞いた話では、お金がなくとも、ヤギ7匹とライフル銃一丁が交換できるそうだ。
帰り路、ジンカに近付いて来ると、通り過ぎる村々の人々が皆口々に我々に向かって、「ファーザー、ファーザー」と連呼し叫び、中には「ファーザー」と言いながら、我々のトラックを全速力で必死にを追い掛けて来る子供達まで現れる。
何故彼らが、我々をそう呼ぶのか本当の理由はわからないが、キリスト教の宣教師(ミショナリー)が来てほどこしをしてくれる事から、外国人を見ると、「ファーザー」と呼び掛け、ほどこし、つまり「何かくれ。」と訴え掛けるスタイルが定着してしまったのではないかと想像する。
もしそうだとすると、ミショナリー達は、あのムルシ族にどの様に接し、ほどこしを与えたのだろうか。
そして今、そこには突然少なからず観光客が訪れるようになり、写真を撮ってお金を払うと言うスタイルが定着してしまっている。
もっと彼らが誇りを持って自分達の伝統文化を披露し、それに対して対価を支払うような方向に持っていけないものだろうか。
【食事】
朝:イモ、ワタツ
昼:パン、バナナ
夜:ワタツ、イモ、サンブサ(豆入りサモサみたいな食べ物)
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・ジンカからムルシへの車チャーター 1100B/1台
・他に護衛のポリス 40B/1グループ (←絶対顧わなければならないそうだ。)
・Mago National Park 入場料 50B/1人 (ムルシ村はナショナルパーク内にある為)。ジンカ→ムルシは片道3〜4時間。
【宿】・(ジンカ)GEMJA HOTEL 8B/W一室共シャワー有

- ヒッチでジンカへ (エチオピア)コンソ→ジンカ
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エリア:
- アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色 鉄道・乗り物
- 投稿日:2000/12/02 18:10
エチオピアの地方の街では、夜しか電気が付かない。今朝は夜明け前には起きようと思っていたのだが、電気を付けて部屋を明るくする事ができないので、ついベッドの中でウダウダとしてしまい、起きる事ができず。
太陽が昇ってすっかり明るくなった朝6時すぎ、荷支度をして外に出てみると、ヨダさんと松本さんは既にジンカ行のバスを見付けようと、勢力的にバスジャンクションの前をウロウロし、目を見張らしている。
「出遅れちゃって申し訳ない!」と我々も加勢。
ヨダさんと松本さんは、早朝発のトラックも逃すまいと朝5時前からこうして居るそうだが、時計が7時をまわる頃、さすがに早起きした2人に疲れの色が見える。
「よし、ここは」と今度は自分が足を動かしていると、一台の小型のトラックがさっと道をジンカ方面へ向かって通り過ぎようとしている。
「ジンカ?」と大声で叫ぶと、荷台の男が首を縦に振っている。
「これは…」と慌ててそのトラックに向かって手を延ばし、手の平を拡げ、「止まれ!」とジェスチャー。
午前8:00過ぎ、日本人4人を荷台に乗せたトラックは、ジンカに向けてコンソの街を出発する。
トラックでコンソの街をあっという間に離れると、郊外にはコンソの人々の集落が点散する。
面白いのは、ワラブキの家々の中に、屋根のてっぺんに壷を付けた家が、どの集落にも必ず1つ以上存在する事。何かのおまじないなのか目印なのか。
人々の集落もまばらになり、トラックの荷台から臨む景色は、やがて自然の姿そのままのものに。遠く眼下には壁のようにそびえるグレートリフトバレー(アフリカ大地溝帯)の姿が現れる。
2時間程走ってウェイトという村を過ぎると、何やら雰囲気が変わり始める。
それまで、たまに見掛ける道行く人や野良仕事をする人々は、土着的ではあってもTシャツなどを着たコンソの街中で見たような人々ばかりだった。
ところが、ウェイトでたむろしている男達は、上半身裸で布と腰巻きをまとい、おでこの真中に鳥の羽をピンと一本立てている。エスニックな独特のいで立ちだ。
ウェイトを過ぎてしばらくすると、木立の奥では素裸で何か作業をする男の姿や、髪に赤い泥を塗り、腰みのをまとい貝の飾りや動物の皮をひる返して歩く女性の姿など、まさにアフリカ辺境の地の様相だ。
午後1:30トラックは無時ジンカに到着。 炎天下でのトラックの荷台での移動で皆クタクタだ。
それでも最後の力を振り絞り、宿を取ってシャワーを浴びると、ジンカのマーケットへくり出す。
情報では、今日、土曜日は、ジンカのマーケットの日で、周辺からそれぞれ独特の格好をした少数民族達が集まると聞いていたのだが、マーケットの様子はいたって普通。普通の服を着た人達ばかり。
それでも夕方、マーケットには、インジェラ屋、ふかしイモ等々の、色々な種類の屋台が並び、その活況に魅かれ、我々も夕食にインジェラやイモに喰らい付く。
夜、現地通過ブルが底を付いた財布を拡げ、松本さんに両替をお願いする。
今日は土曜日、今日も明日も銀行は開いてないのだ。
アジスアベベから飛行機でやって来たと言う日本人バックパッカー2人が更に加勢、総勢6人の日本人ご一行となって車をチャーターし、明日はいよいよ、更に奥、ムルシを目指す。
【食事】
朝:パン
昼:パン、ワタツ(熱い牛乳、大甘砂糖入)
夜:イモ、インジェラ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・コンソ→ジンカ 小型トラックをヒッチ 20B/1人 4時間
【宿】
・(ジンカ)GEMJA HOTEL 8B/W一室共シャワー有
太陽が昇ってすっかり明るくなった朝6時すぎ、荷支度をして外に出てみると、ヨダさんと松本さんは既にジンカ行のバスを見付けようと、勢力的にバスジャンクションの前をウロウロし、目を見張らしている。
「出遅れちゃって申し訳ない!」と我々も加勢。
ヨダさんと松本さんは、早朝発のトラックも逃すまいと朝5時前からこうして居るそうだが、時計が7時をまわる頃、さすがに早起きした2人に疲れの色が見える。
「よし、ここは」と今度は自分が足を動かしていると、一台の小型のトラックがさっと道をジンカ方面へ向かって通り過ぎようとしている。
「ジンカ?」と大声で叫ぶと、荷台の男が首を縦に振っている。
「これは…」と慌ててそのトラックに向かって手を延ばし、手の平を拡げ、「止まれ!」とジェスチャー。
午前8:00過ぎ、日本人4人を荷台に乗せたトラックは、ジンカに向けてコンソの街を出発する。
トラックでコンソの街をあっという間に離れると、郊外にはコンソの人々の集落が点散する。
面白いのは、ワラブキの家々の中に、屋根のてっぺんに壷を付けた家が、どの集落にも必ず1つ以上存在する事。何かのおまじないなのか目印なのか。
人々の集落もまばらになり、トラックの荷台から臨む景色は、やがて自然の姿そのままのものに。遠く眼下には壁のようにそびえるグレートリフトバレー(アフリカ大地溝帯)の姿が現れる。
2時間程走ってウェイトという村を過ぎると、何やら雰囲気が変わり始める。
それまで、たまに見掛ける道行く人や野良仕事をする人々は、土着的ではあってもTシャツなどを着たコンソの街中で見たような人々ばかりだった。
ところが、ウェイトでたむろしている男達は、上半身裸で布と腰巻きをまとい、おでこの真中に鳥の羽をピンと一本立てている。エスニックな独特のいで立ちだ。
ウェイトを過ぎてしばらくすると、木立の奥では素裸で何か作業をする男の姿や、髪に赤い泥を塗り、腰みのをまとい貝の飾りや動物の皮をひる返して歩く女性の姿など、まさにアフリカ辺境の地の様相だ。
午後1:30トラックは無時ジンカに到着。 炎天下でのトラックの荷台での移動で皆クタクタだ。
それでも最後の力を振り絞り、宿を取ってシャワーを浴びると、ジンカのマーケットへくり出す。
情報では、今日、土曜日は、ジンカのマーケットの日で、周辺からそれぞれ独特の格好をした少数民族達が集まると聞いていたのだが、マーケットの様子はいたって普通。普通の服を着た人達ばかり。
それでも夕方、マーケットには、インジェラ屋、ふかしイモ等々の、色々な種類の屋台が並び、その活況に魅かれ、我々も夕食にインジェラやイモに喰らい付く。
夜、現地通過ブルが底を付いた財布を拡げ、松本さんに両替をお願いする。
今日は土曜日、今日も明日も銀行は開いてないのだ。
アジスアベベから飛行機でやって来たと言う日本人バックパッカー2人が更に加勢、総勢6人の日本人ご一行となって車をチャーターし、明日はいよいよ、更に奥、ムルシを目指す。
【食事】
朝:パン
昼:パン、ワタツ(熱い牛乳、大甘砂糖入)
夜:イモ、インジェラ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・コンソ→ジンカ 小型トラックをヒッチ 20B/1人 4時間
【宿】
・(ジンカ)GEMJA HOTEL 8B/W一室共シャワー有

- バスが来ない (エチオピア)コンソ
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エリア:
- アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
- テーマ:鉄道・乗り物
- 投稿日:2000/12/01 18:01
待てど暮らせどバスは来ない。
松本さんが得意のアムハラ語で昨日きいた話では、北にあるアルバミンチという街から出発した方がジンカ行のバスが、毎日9:30〜11:00の間ここコンソを通過するという事だったが、自分とJunkoそして松本さん、3人してボー然とバスジャンクション前で待ちぼうけ。
結局お昼を過ぎてもジンカ行のバスは現れず。業を煮やして松本さん、
「今日のジンカ行のバスはどうなっているのか。」
とアムハラ語で訪ね歩いた結果、多くの人々から帰ってきた答えは
「(始発の街)アルバミンチでジンカへ行く客が少ない場合バスは来ない。」
「ジンカ迄の道は悪く、ドライバーが嫌がってバスが出ない事がある。」
いったいここの公共機関の要、バスはどうなっているのか。
こうなったら仕方ない。トラックでも何でもいい、ジンカ行の車をヒッチするしかない。
トラックは、それなりに通り過ぎるのだが、炎天下の下、その都度トラックに駆け寄って「ジンカ?」と叫ぶも、ジンカ行の車は見付からず。
夕方近く、バスジャンクションの砂利道の奥に、バックパックを背負った東洋人らしき男の人の姿が視界に入る。
「こんにちわ!!」
彼も日本人のバックパッカーで、今アルバミンチから来て、これからジンカに向かうと言う。
夜7時前、4人で顔を見合わせて
「そろそろ潮時では…」
と黙って目で申し合わせる。
「明日は朝から張って、何とか車を見付けましょう!」
今日の夕方、一番最後に合流したヨダさんは、まだ威勢がいい。
【食事】
朝:アンバシャ
昼:アシキタ(豆)、アンバシャ
夜:昼と同じ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
【宿】
・(コンソ)Mego Park Hotel 5B/1室
価格の割にキレイ。親切、中庭にイスとテーブルが置かれた共同スペース兼カフェがあって落ち着ける。
松本さんが得意のアムハラ語で昨日きいた話では、北にあるアルバミンチという街から出発した方がジンカ行のバスが、毎日9:30〜11:00の間ここコンソを通過するという事だったが、自分とJunkoそして松本さん、3人してボー然とバスジャンクション前で待ちぼうけ。
結局お昼を過ぎてもジンカ行のバスは現れず。業を煮やして松本さん、
「今日のジンカ行のバスはどうなっているのか。」
とアムハラ語で訪ね歩いた結果、多くの人々から帰ってきた答えは
「(始発の街)アルバミンチでジンカへ行く客が少ない場合バスは来ない。」
「ジンカ迄の道は悪く、ドライバーが嫌がってバスが出ない事がある。」
いったいここの公共機関の要、バスはどうなっているのか。
こうなったら仕方ない。トラックでも何でもいい、ジンカ行の車をヒッチするしかない。
トラックは、それなりに通り過ぎるのだが、炎天下の下、その都度トラックに駆け寄って「ジンカ?」と叫ぶも、ジンカ行の車は見付からず。
夕方近く、バスジャンクションの砂利道の奥に、バックパックを背負った東洋人らしき男の人の姿が視界に入る。
「こんにちわ!!」
彼も日本人のバックパッカーで、今アルバミンチから来て、これからジンカに向かうと言う。
夜7時前、4人で顔を見合わせて
「そろそろ潮時では…」
と黙って目で申し合わせる。
「明日は朝から張って、何とか車を見付けましょう!」
今日の夕方、一番最後に合流したヨダさんは、まだ威勢がいい。
【食事】
朝:アンバシャ
昼:アシキタ(豆)、アンバシャ
夜:昼と同じ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
【宿】
・(コンソ)Mego Park Hotel 5B/1室
価格の割にキレイ。親切、中庭にイスとテーブルが置かれた共同スペース兼カフェがあって落ち着ける。

- つらく厳しい・・ (エチオピア)コンソ
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エリア:
- アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色 ホテル・宿泊
- 投稿日:2000/11/30 17:37
コンソの街はとても小さい。大きなじゃりの道沿に、わずかばかりの商店が並んでいるだけ。
道裏の奥まった広場のマーケットもそれなりに賑わってはいるものの、興味を魅かれるようなものも少なく、今思うと華やかなボレロ族が歩くヤベロの街の方が面白味があった。
それにしても暑い。午前中少し歩いただけで、体中から汗が溢れ、ヘトヘトだ。
道脇の日陰に座って休んでいると、道の向こうから「ウォーッ」と言う雄叫びとももに、何百人もの人々が背中に何本もの重そうな木を背負って歌いながら歩いてくる。
小さい子供から大人、お年寄り、男も女も皆かなりムリな前傾姿勢で、ゾウリや裸足の足で、かなりキツそうだ。
中には途中で疲れ切って倒れてしまったのか、タンカで運ばれる人の姿も。

何でも学校を作る事になったとか。学校が出来るのは良い事だが、その為にこんなに大勢の人がこんなに厳しい仕事を強いられるとは。
村を挙げての大商いという事なのかも知れないが、彼らの生活の厳しさを感じずには居られない光景だ。
夕方、宿に戻ってシャワーを浴びようとすると、宿の人が、今日の宿代、10ブル払えと言って来る。
「昨日は7ブルだったじゃないか。同じ部屋だろう。」
と言うと
「昨日と今日は違う。」
と言う。
「だったら宿を移る。」
と言うと、
「今まで部屋を使ってるんだから宿代10ブルは払え。」
と押問答。
それにしても同じ部屋に連泊して、突然夕方に昨日より高くなった、もう部屋は使ってるだろうと言うヤリ口はないだろう。
さすがに今回は自分もJunkoもカンカン。激しくまくし立てると、結局昨日と同じ7ブルで良い事に。
実はエチオピア人は同じタイプの部屋を6ブルで利用しているのだ。それでも、まあ外国人相手に1ブル位色を付けられるのも仕方ないなと昨日7ブルで妥協してあげたのがいけなかったのか。
夜、仕事が終わった松本さんが
「ジンカ行のバスは明日、9:30〜11:00の間にそこから出るそうなので、一緒に行きましょう。」
と教えてくれる。
松本さんはこちらのアムハラ語が少し喋れるのだ。これは心強い味方を得た。
ジンカ迄は、バスで2〜3時間、ジンカには銀行があるとの事なので、明日の午後には両替できそうだと、晩ご飯にわずか10セント(≒1円足らず)の豆料理(アシキタ)を食べる。銀行のないここコンソでは両替ができず、現地通過不足なのだ。
物価の安いここエチオピアで豪遊できるのはいつの日か。
【食事】
朝:アンバシャ
昼:豆、アンバシャ、インジェラ
夜:アシキタ(豆)、アンバシャ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
【宿】・(コンソ)St.ManyHotel 7B/1室
・本文にある通り、コンソではSt.ManyHotelは避けましょう。他にホテルは幾つもあります。
道裏の奥まった広場のマーケットもそれなりに賑わってはいるものの、興味を魅かれるようなものも少なく、今思うと華やかなボレロ族が歩くヤベロの街の方が面白味があった。
それにしても暑い。午前中少し歩いただけで、体中から汗が溢れ、ヘトヘトだ。
道脇の日陰に座って休んでいると、道の向こうから「ウォーッ」と言う雄叫びとももに、何百人もの人々が背中に何本もの重そうな木を背負って歌いながら歩いてくる。
小さい子供から大人、お年寄り、男も女も皆かなりムリな前傾姿勢で、ゾウリや裸足の足で、かなりキツそうだ。
中には途中で疲れ切って倒れてしまったのか、タンカで運ばれる人の姿も。

何でも学校を作る事になったとか。学校が出来るのは良い事だが、その為にこんなに大勢の人がこんなに厳しい仕事を強いられるとは。
村を挙げての大商いという事なのかも知れないが、彼らの生活の厳しさを感じずには居られない光景だ。
夕方、宿に戻ってシャワーを浴びようとすると、宿の人が、今日の宿代、10ブル払えと言って来る。
「昨日は7ブルだったじゃないか。同じ部屋だろう。」
と言うと
「昨日と今日は違う。」
と言う。
「だったら宿を移る。」
と言うと、
「今まで部屋を使ってるんだから宿代10ブルは払え。」
と押問答。
それにしても同じ部屋に連泊して、突然夕方に昨日より高くなった、もう部屋は使ってるだろうと言うヤリ口はないだろう。
さすがに今回は自分もJunkoもカンカン。激しくまくし立てると、結局昨日と同じ7ブルで良い事に。
実はエチオピア人は同じタイプの部屋を6ブルで利用しているのだ。それでも、まあ外国人相手に1ブル位色を付けられるのも仕方ないなと昨日7ブルで妥協してあげたのがいけなかったのか。
夜、仕事が終わった松本さんが
「ジンカ行のバスは明日、9:30〜11:00の間にそこから出るそうなので、一緒に行きましょう。」
と教えてくれる。
松本さんはこちらのアムハラ語が少し喋れるのだ。これは心強い味方を得た。
ジンカ迄は、バスで2〜3時間、ジンカには銀行があるとの事なので、明日の午後には両替できそうだと、晩ご飯にわずか10セント(≒1円足らず)の豆料理(アシキタ)を食べる。銀行のないここコンソでは両替ができず、現地通過不足なのだ。
物価の安いここエチオピアで豪遊できるのはいつの日か。
【食事】
朝:アンバシャ
昼:豆、アンバシャ、インジェラ
夜:アシキタ(豆)、アンバシャ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
【宿】・(コンソ)St.ManyHotel 7B/1室
・本文にある通り、コンソではSt.ManyHotelは避けましょう。他にホテルは幾つもあります。

- トラックの、荷台で揺られて (エチオピア)ヤベロ→コンソ
-
エリア:
- アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
- テーマ:鉄道・乗り物
- 投稿日:2000/11/29 17:28
今日こそ、コンソへ行きたい。
おとといから、もう丸2日間車を待ちつづけているのだ。3日目の正直、もう信用できるのは自分だけだ。
今日は早朝からバスステーションにくり出し、日がな車を待ち続ける事にする。
バスステーションの空地の隅に腰を下ろし、ボーッと道行く人々や街の様子などを眺めていると、背後に緑の丘陵が続く、ここヤベロ、静かで空気も良く、中々いい所だ。
淡いパステル調のカラフルな布をまとった女性に混じって、入念に編んだ髪をつむじから放射状にたらし、ビーズや銀のアクセサリーと赤を基調とした黒い柄を併せた民族衣装でバッチリおしゃれを決め込んだボレナ族のうら若き女性たちの笑顔が美しくまぶしい。
彼女らの笑顔はとてもフォトジェニックなのだが、まだまだ観光客馴れしていない彼女達、カメラを出しただけで、恐れてさっと隠れてしまう。聞くと、写真に撮られるのを怖がっているとの事だ。
日の出前から待ち続ける事2時間半、午前8時になったが、コンソ行の車は一台も現れない。
実は昨日の夕方、コンソから来たという別々のトラック2台に声を掛けた所、どちらのトラックとも、今日の朝8時にここで待ち合わせをして、乗せてくれると約束していたのだが、結局、どちらのトラックも来ず。
そう言えば、昨日お願いしたとき、その内の一台のトラックの運ちゃんなどは、
「いいよ、いいよ。明日朝8時にここに来るから待ってろよ!じゃっねー!」
て感じで軽ーく去って行っちゃってたし、どうやらここらでは「そう思う。」という程度の気持ちで、確信を持った様に断言したり約束してしまったりするようだ。
昨日約束したのに来ないトラックの運ちゃんたちはもう約束を忘れてしまったのか、予定が変わってしまったのか、約束した時はその気だったが、気が変わってしまったのか…。
ともかく、この3日間、何人もの人にコンソ行の車がいつどこから出るのか尋ねても、全ての人から異なる答えが返って来て、そのどれもが自信満々に、英語が出来る人の場合「exactry」とか「I'm sure」とか言うのに、全てがあて外れ。
幾台もの車のドライバーや乗務員と約束しても、約束した事はどれも全く姿すら現さない。
お昼前、視線の向こうの方から恐ろしいほどボロボロのトラックが姿を現す。
「もし、あれがコンソ行だったらどうしようか。」
と思いながらドライバーに尋ねると、これから荷物を積んで間もなくコンソへ発つと言う。すると近くにいた人が、
「私も今日、コンソに行くが、別のもう少しいい青いトラックもう一台、もうすぐ来るので、それで一緒にこう。」
とJunkoに声を掛ける。
目の前のオンボロ・トラック、ライトは外れ掛けているし、荷台の格子もサビだらけ、所々ヒビが入っている。
コンソ迄の道は悪路だと聞いているし、途中で故障して停まったりしたらと思うと
「別のトラックがあるなら、そっちの方がいいかも知れない。」
と思いながら、オンボロトラックの乗務員にいつ出発するのかと尋ねると、
「あと10分後」
と言う。荷台には、目の前で一つ、又一つと徐々に荷が積まれて行く。
「これで行こう。ともかくまず出発して少しでも先に進もう。もし、もう一台、コンソ行の車があるなら、途中で何かあっても、そっちの車に移る事も可能だろう。」
とオンボロ・トラックに乗込む。
案の定、荷積作業は中々終わらず、次々に大量の荷物が運び上げられて来て、「10分後」に出発の筈が、荷台の上で、積みこまれる荷物にどかされながら2時間余り待たされる。
ようやく全ての荷物が積み終わると、どこからともなくコンソへ行く人々が集まり出し、荷台に積まれた荷物の上は満員になる。
見渡すと、さっき「別のトラックで行く。」って言っていたおじさんも同乗しているではありませんか。さっきの話はどういう事だったのか?
とにもかくにもトラックはようやくコンソへ向けて出発。
途中、幾つかボレナ族の村を経由ししばらくすると、トゲトゲのアカシヤの枝をかきわけて道はどんどん細くでこぼこに。
荷台の乗客は、人混みと積荷に押されながら、時に頭を下げ、時にのけぞって、必死にトゲトゲの枝をよけ避ける。
道は益々悪くなり、まるで戦車が森の中を走っているような道無き道を蛇行し、ガレキの坂を上り下りし、朽ち欠けた木造の橋を「ガタガタガタ」ときしませながら進む。
ぎゅうぎゅうの荷台の乗心地は相変わらず最悪だが、気を紛らす様に、乗客達は皆歌声を合せて、手拍子を打つ。
三日月の星空の下、夜7:30すぎ、ようやく街の明りが遠くに見え始める。コンソの街だ。
コンソの宿に入ると、暗闇に日本人らしき好青年の姿が。
「こんにちは! 自分はジンカでムルシに行こうと思ってるんですけど」
と声を掛けられる。
我々もこれからジンカの街へ行き、そこからからムルシの村を訪れたいと思っていたので、車をシェアしてチャーターすれば割安になる。
「たぶん、我々もムルシに行きますよ。ただジンカへ行くのはあさってでいいですか?今日はもうヘロヘロなんで、明日はゆっくり休みたいんです。」
「わかりました。自分は明日仕事があるんで、あさっての方が丁度都合いいです。一緒にジンカに行きましょう。」
彼の名前は松本さん。海外青年協力隊の人で、電話の設備の仕事でエチオピアに赴任しているそうだ。
ただ我々には大きな懸念が一つ。現地通貨ブルが底を付き始めている。ここコンソの街には銀行はないと言う。
【食事】
朝:マンタジ
昼:アンバシャ
夜:パン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・ヤベロ→コンソ 不定期トラックをヒッチ 20B/1人 7時間
【宿】
・(コンソ)St.ManyHotel 7B/1室 ←明日の日記説明するが避けた方がいい!
おとといから、もう丸2日間車を待ちつづけているのだ。3日目の正直、もう信用できるのは自分だけだ。
今日は早朝からバスステーションにくり出し、日がな車を待ち続ける事にする。
バスステーションの空地の隅に腰を下ろし、ボーッと道行く人々や街の様子などを眺めていると、背後に緑の丘陵が続く、ここヤベロ、静かで空気も良く、中々いい所だ。
淡いパステル調のカラフルな布をまとった女性に混じって、入念に編んだ髪をつむじから放射状にたらし、ビーズや銀のアクセサリーと赤を基調とした黒い柄を併せた民族衣装でバッチリおしゃれを決め込んだボレナ族のうら若き女性たちの笑顔が美しくまぶしい。
彼女らの笑顔はとてもフォトジェニックなのだが、まだまだ観光客馴れしていない彼女達、カメラを出しただけで、恐れてさっと隠れてしまう。聞くと、写真に撮られるのを怖がっているとの事だ。
日の出前から待ち続ける事2時間半、午前8時になったが、コンソ行の車は一台も現れない。
実は昨日の夕方、コンソから来たという別々のトラック2台に声を掛けた所、どちらのトラックとも、今日の朝8時にここで待ち合わせをして、乗せてくれると約束していたのだが、結局、どちらのトラックも来ず。
そう言えば、昨日お願いしたとき、その内の一台のトラックの運ちゃんなどは、
「いいよ、いいよ。明日朝8時にここに来るから待ってろよ!じゃっねー!」
て感じで軽ーく去って行っちゃってたし、どうやらここらでは「そう思う。」という程度の気持ちで、確信を持った様に断言したり約束してしまったりするようだ。
昨日約束したのに来ないトラックの運ちゃんたちはもう約束を忘れてしまったのか、予定が変わってしまったのか、約束した時はその気だったが、気が変わってしまったのか…。
ともかく、この3日間、何人もの人にコンソ行の車がいつどこから出るのか尋ねても、全ての人から異なる答えが返って来て、そのどれもが自信満々に、英語が出来る人の場合「exactry」とか「I'm sure」とか言うのに、全てがあて外れ。
幾台もの車のドライバーや乗務員と約束しても、約束した事はどれも全く姿すら現さない。
お昼前、視線の向こうの方から恐ろしいほどボロボロのトラックが姿を現す。
「もし、あれがコンソ行だったらどうしようか。」
と思いながらドライバーに尋ねると、これから荷物を積んで間もなくコンソへ発つと言う。すると近くにいた人が、
「私も今日、コンソに行くが、別のもう少しいい青いトラックもう一台、もうすぐ来るので、それで一緒にこう。」
とJunkoに声を掛ける。
目の前のオンボロ・トラック、ライトは外れ掛けているし、荷台の格子もサビだらけ、所々ヒビが入っている。
コンソ迄の道は悪路だと聞いているし、途中で故障して停まったりしたらと思うと
「別のトラックがあるなら、そっちの方がいいかも知れない。」
と思いながら、オンボロトラックの乗務員にいつ出発するのかと尋ねると、
「あと10分後」
と言う。荷台には、目の前で一つ、又一つと徐々に荷が積まれて行く。
「これで行こう。ともかくまず出発して少しでも先に進もう。もし、もう一台、コンソ行の車があるなら、途中で何かあっても、そっちの車に移る事も可能だろう。」
とオンボロ・トラックに乗込む。
案の定、荷積作業は中々終わらず、次々に大量の荷物が運び上げられて来て、「10分後」に出発の筈が、荷台の上で、積みこまれる荷物にどかされながら2時間余り待たされる。
ようやく全ての荷物が積み終わると、どこからともなくコンソへ行く人々が集まり出し、荷台に積まれた荷物の上は満員になる。
見渡すと、さっき「別のトラックで行く。」って言っていたおじさんも同乗しているではありませんか。さっきの話はどういう事だったのか?
とにもかくにもトラックはようやくコンソへ向けて出発。
途中、幾つかボレナ族の村を経由ししばらくすると、トゲトゲのアカシヤの枝をかきわけて道はどんどん細くでこぼこに。
荷台の乗客は、人混みと積荷に押されながら、時に頭を下げ、時にのけぞって、必死にトゲトゲの枝をよけ避ける。
道は益々悪くなり、まるで戦車が森の中を走っているような道無き道を蛇行し、ガレキの坂を上り下りし、朽ち欠けた木造の橋を「ガタガタガタ」ときしませながら進む。
ぎゅうぎゅうの荷台の乗心地は相変わらず最悪だが、気を紛らす様に、乗客達は皆歌声を合せて、手拍子を打つ。
三日月の星空の下、夜7:30すぎ、ようやく街の明りが遠くに見え始める。コンソの街だ。
コンソの宿に入ると、暗闇に日本人らしき好青年の姿が。
「こんにちは! 自分はジンカでムルシに行こうと思ってるんですけど」
と声を掛けられる。
我々もこれからジンカの街へ行き、そこからからムルシの村を訪れたいと思っていたので、車をシェアしてチャーターすれば割安になる。
「たぶん、我々もムルシに行きますよ。ただジンカへ行くのはあさってでいいですか?今日はもうヘロヘロなんで、明日はゆっくり休みたいんです。」
「わかりました。自分は明日仕事があるんで、あさっての方が丁度都合いいです。一緒にジンカに行きましょう。」
彼の名前は松本さん。海外青年協力隊の人で、電話の設備の仕事でエチオピアに赴任しているそうだ。
ただ我々には大きな懸念が一つ。現地通貨ブルが底を付き始めている。ここコンソの街には銀行はないと言う。
【食事】
朝:マンタジ
昼:アンバシャ
夜:パン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・ヤベロ→コンソ 不定期トラックをヒッチ 20B/1人 7時間
【宿】
・(コンソ)St.ManyHotel 7B/1室 ←明日の日記説明するが避けた方がいい!
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