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- パキスタン・バスの旅 (パキスタン)ラルカナ→サッカル→サッカバル→ラワールピンディへ
-
エリア:
- アジア>パキスタン>パキスタンその他の都市
- アジア>パキスタン>サッカル
- テーマ:鉄道・乗り物
- 投稿日:2001/06/25 14:53
「早く涼しい所へ行きたい。」
モエンジョダロと並んで有名なインダス文明の遺跡、ハラッパにも興味があったが、モエンジョダロ以上に荒廃したハラッパ遺跡は見るべき物もなく、
「ハラッパは本当に原っぱだった。」
との話も聞いていたので、これはパス。
ラホール等パキスタン南部の身所も躍ばし、標高も高く過ごし易いと言われる、ヒマラヤに見下ろされるパキスタン北部をさっさと目指す事にする。
ともかく暑いのだ。
そんな我々が次に目指すのが、ラワールピンディ。
ここラルカナからどうやって行けば良いのか、はっきりとした情報は持ち合わせていないのだが、まずは近郊の都市、サッカルへバスで向う。
「さあ、聞き込み調査だ。」
サッカルのバスターミナルで荷物を置き、Junkoに見張り番を頼むと調査開始。
「ラワールピンディ?イングリッシュ?」
と、バスターミナル中を尋ね歩く。
やがて英語のできる人が現れ、周囲に集まった人々と相談しながら教えてくれた行き方は、
「まずそこのミニバスでサッカバルへ行きなさい。そこからラワールピンディ行のバスがあるから。それが一番早いよ。」
どうやら、ここサッカルからラワールピンディ行の直行バスはない様だ。
それにしてもサッカバルって一体どこなんだろう。手持ちの地図には見つからない。
でもここはパキスタン、そして我々は遠い異国日本からの旅人、地元パキスタンの皆さんの言う事を信じよう。
バナナをかじりながら、サッカバル行のミニバスに乗る。
3時間後、ミニバスはサッカバルと呼ばれる街の小さな空地に到着。
ミニバスの乗務員は空地の隅のほったて小屋を指さす。そこでラワールピンディ行のバスチケットを買い、杏などかじって喉を潤しながら夕刻発のバスを待つ。
やがて現れた、大型のエアコン付のバス。ボディ側面に、大きく「ラワールピンディ」とカラフルに描かれているその姿を見て、ホッとひと息。
これに乗れば、ラワールピンディへ辿り着けそうだ。
見かけは良かったんだけど、その夜行バス。乗って走り出すと、揺れる弾む。おまけに車内に鳴り響く大音量のミュージック、
「うるさーい!!」
これじゃゆっくり寝れやしないよ。
出発して数時間後、丁度腰がつらくなり始めた頃、バスは食事休憩で停車。外でゆっくりカレーを食べていると、
「何やってんだ、もうみんな待ってるぞ、急いで!!」
と、バスの乗務員が呼びに来る。
なんだか随分急がせるね。こっちは言葉も通じないのに注文したり、食べなれないカレーをチャパティと一緒に手で食べたり、そんなに急げないんだよう・・・。
そして再びバスの車内でやかましい音楽のタブラのリズムにのって、必要以上に揺れてハズんで、ラワールピンディを一路目指す。
【食事】
朝:レーズン
昼:カレーライス、杏
夜:チキンカレー
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・ラルカナ→サッカル(バス)2.5時間 25PR
・サッカル→サッカバル(ミニバス)4時間 55PR
・サッカバル→ラワールピンディ(夜行バス/エアコン付)16:00発 翌8:00着380PR
モエンジョダロと並んで有名なインダス文明の遺跡、ハラッパにも興味があったが、モエンジョダロ以上に荒廃したハラッパ遺跡は見るべき物もなく、
「ハラッパは本当に原っぱだった。」
との話も聞いていたので、これはパス。
ラホール等パキスタン南部の身所も躍ばし、標高も高く過ごし易いと言われる、ヒマラヤに見下ろされるパキスタン北部をさっさと目指す事にする。
ともかく暑いのだ。
そんな我々が次に目指すのが、ラワールピンディ。
ここラルカナからどうやって行けば良いのか、はっきりとした情報は持ち合わせていないのだが、まずは近郊の都市、サッカルへバスで向う。
「さあ、聞き込み調査だ。」
サッカルのバスターミナルで荷物を置き、Junkoに見張り番を頼むと調査開始。
「ラワールピンディ?イングリッシュ?」
と、バスターミナル中を尋ね歩く。
やがて英語のできる人が現れ、周囲に集まった人々と相談しながら教えてくれた行き方は、
「まずそこのミニバスでサッカバルへ行きなさい。そこからラワールピンディ行のバスがあるから。それが一番早いよ。」
どうやら、ここサッカルからラワールピンディ行の直行バスはない様だ。
それにしてもサッカバルって一体どこなんだろう。手持ちの地図には見つからない。
でもここはパキスタン、そして我々は遠い異国日本からの旅人、地元パキスタンの皆さんの言う事を信じよう。
バナナをかじりながら、サッカバル行のミニバスに乗る。
3時間後、ミニバスはサッカバルと呼ばれる街の小さな空地に到着。
ミニバスの乗務員は空地の隅のほったて小屋を指さす。そこでラワールピンディ行のバスチケットを買い、杏などかじって喉を潤しながら夕刻発のバスを待つ。
やがて現れた、大型のエアコン付のバス。ボディ側面に、大きく「ラワールピンディ」とカラフルに描かれているその姿を見て、ホッとひと息。
これに乗れば、ラワールピンディへ辿り着けそうだ。
見かけは良かったんだけど、その夜行バス。乗って走り出すと、揺れる弾む。おまけに車内に鳴り響く大音量のミュージック、
「うるさーい!!」
これじゃゆっくり寝れやしないよ。
出発して数時間後、丁度腰がつらくなり始めた頃、バスは食事休憩で停車。外でゆっくりカレーを食べていると、
「何やってんだ、もうみんな待ってるぞ、急いで!!」
と、バスの乗務員が呼びに来る。
なんだか随分急がせるね。こっちは言葉も通じないのに注文したり、食べなれないカレーをチャパティと一緒に手で食べたり、そんなに急げないんだよう・・・。
そして再びバスの車内でやかましい音楽のタブラのリズムにのって、必要以上に揺れてハズんで、ラワールピンディを一路目指す。
【食事】
朝:レーズン
昼:カレーライス、杏
夜:チキンカレー
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・ラルカナ→サッカル(バス)2.5時間 25PR
・サッカル→サッカバル(ミニバス)4時間 55PR
・サッカバル→ラワールピンディ(夜行バス/エアコン付)16:00発 翌8:00着380PR
- インダス文明・モエンジョダロの遺跡 (パキスタン)ラルカナ⇔モエンジョダロ
-
エリア:
- アジア>パキスタン>パキスタンその他の都市
- テーマ:世界遺産
- 投稿日:2001/06/24 14:43
イランからパキスタンに入って、バスを乗り継ぎやって来た、我々のパキスタンでの最初の滞在地が、ここラルカナ。
そしてそのお目当ては、「モエンジョダロ」。
中高生の時、歴史の授業で習った、世界最古と言われる、人類の文明発祥のインダス文明の遺跡である。
以前から、パキスタンに行ったならモエンジョダロの遺跡を見てみたいと思っていたのだ。
ラルカナに安宿を取り、ひとシャワーを浴びると、宿に荷物を置き早速モエジョダロへ。
ラルカナからモエジョダロまで約30km弱。
バスや、スズキと呼ばれる乗用車を乗り継いで行けると聞いていたのだが、周囲に水田ばかりが拡がる三又路でバスを降ろされるも、待っても待ってもその先に進むバスや乗合は現れない。
それどころか、モエンジョダロ方面へ向う車自体ほとんどいない。
「仕方ない。久しぶりにやるか。」
ようやく現れた、三又路をモエンジョダロ方面へ曲がる小型トラック。乗合ではないが荷台には乗れそうだと、すかさず右手をあげ、久々のヒッチハイク。
人の良さそうなおじさんのドライバーは快く承諾。荷台に乗込むと、荷台の真中に泥水が溜まって小さいプールの様な物がある。
「くんくん。何だかにおうね。」
ここらの辺りの水田には、農作業用の家畜に水牛を使っており、水田の脇の水たまりに、真っ黒な顔と立派な角だけを出して体をつかっている水牛を沢山見る事ができる。
ヒッチしたトラックの荷台のプールからおってくるのは・・・、
「もしかして、これ水牛の運搬車?」
プールに水牛はいないが、トラックが揺れるたび、かぐわしいその水がしぶきをあげ、荷台のヘリに立つわれわれの足元をおそう。
「トホホ・・・。ズボンに臭いがしみ付きそうだよ・・・。」
遺跡から2km手前の村でそのトラックを降りる。そして、遺跡に向って炎天下を歩き始めると、
「プップー、乗ってかないか?」
後からきた乗用車に遺跡まで乗せてもらう。
実はモエンジョダロには「来てはいけない。」と言われる季節がある。
暑いパキスタンの中でも一番暑いと言われる地域がこのモエンジョダロ一帯、そのモエンジョダロが一年で一番暑い季節、それが正に今。
5〜7月は、40℃を超える日は当たり前、50℃近くになる日もザラなのだ。
アフリカからの長旅の途中、パキスタンを旅するのがたまたまこの季節と重なってしまい、モエンジョダロを訪れるか否か悩んだ末、意を決して訪れたのだが、やっぱり暑い。
一歩一歩足を出すたび、息が苦しい。
ゆっくりと廃虚と化したかのような遺跡を巡ると、入口にある井戸の水をかぶり、ゴクゴクと飲む。
ぬらしたハンカチを頭や首元に置きベンチでうなだれていると、ジュース売りのお兄さんがクーラーボックスに入っている氷を手渡してくれる。
「Thank you very much!!」
氷をハンカチに巻き、頭を冷やす。
「充分休まないと病気になってしまうよ。」
と、隣のベンチで横になるカラチから来たと言うパキスタン人の学校の先生。
ラホールから来たという、その先生、
「私は歴史や遺跡が好きなんだ。もちろん仏教遺跡も。アフガニスタンのタリバンは全くクレージーだ。私は大嫌いだよ。」
多分これは、2001年3月のタリバンによるバーミヤン仏教遺跡の爆破に対しての意見。
パキスタンには、アフガニスタンでも多数派のパシュトゥン人が多く住んでいると言う報道をよく耳にするが、カラチやラホールに住んでいるのはパンジャブ人。パキスタンのインテリ層は、パンジャブ人によって構成されているのだ。
事実上パキスタンのメジャー、パンジャブ人の先生からの、この意見は興味深い。
それにしても、何だってこんなにも暑いところで、人類は文明を作り始めたんだろうか。6000年前はもっと涼しかったのかな?
ラルカナの宿に戻っても、夜になってもとにかく暑い。おまけに頻繁に停電があり電気も消え、部屋の扇風機も止まってしまう。
気晴らしと言うか気休めに、街に出てくだいた氷で冷やされたラッシーなどを飲み干し、涼を求める。
「氷が危ないって話よく聞くけど、お腹大丈夫かな?」
この暑さで、毎日汗をしたたらせ、おまけにお腹まで壊しちゃったらまたやせてスマートになっちゃうよ。
一年で一番暑い猛暑の中の猛暑での、パキスタンの旅は、まだ始まったばかりだ。
【食事】
朝:ナン
昼:ライスプディング
夜:カレーライス、サトウキビジュース、ラッシー
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・ラルカナ→モエンジョダロ(乗合+バス+ヒッチ)待時間含め片道2時間程度
・モエンジョダロ遺跡の入場料は無料
【宿】
(ラルカナ)Meheran Hotel 180PR/W一室
そしてそのお目当ては、「モエンジョダロ」。
中高生の時、歴史の授業で習った、世界最古と言われる、人類の文明発祥のインダス文明の遺跡である。
以前から、パキスタンに行ったならモエンジョダロの遺跡を見てみたいと思っていたのだ。
ラルカナに安宿を取り、ひとシャワーを浴びると、宿に荷物を置き早速モエジョダロへ。
ラルカナからモエジョダロまで約30km弱。
バスや、スズキと呼ばれる乗用車を乗り継いで行けると聞いていたのだが、周囲に水田ばかりが拡がる三又路でバスを降ろされるも、待っても待ってもその先に進むバスや乗合は現れない。
それどころか、モエンジョダロ方面へ向う車自体ほとんどいない。
「仕方ない。久しぶりにやるか。」
ようやく現れた、三又路をモエンジョダロ方面へ曲がる小型トラック。乗合ではないが荷台には乗れそうだと、すかさず右手をあげ、久々のヒッチハイク。
人の良さそうなおじさんのドライバーは快く承諾。荷台に乗込むと、荷台の真中に泥水が溜まって小さいプールの様な物がある。
「くんくん。何だかにおうね。」
ここらの辺りの水田には、農作業用の家畜に水牛を使っており、水田の脇の水たまりに、真っ黒な顔と立派な角だけを出して体をつかっている水牛を沢山見る事ができる。
ヒッチしたトラックの荷台のプールからおってくるのは・・・、
「もしかして、これ水牛の運搬車?」
プールに水牛はいないが、トラックが揺れるたび、かぐわしいその水がしぶきをあげ、荷台のヘリに立つわれわれの足元をおそう。
「トホホ・・・。ズボンに臭いがしみ付きそうだよ・・・。」
遺跡から2km手前の村でそのトラックを降りる。そして、遺跡に向って炎天下を歩き始めると、
「プップー、乗ってかないか?」
後からきた乗用車に遺跡まで乗せてもらう。
実はモエンジョダロには「来てはいけない。」と言われる季節がある。
暑いパキスタンの中でも一番暑いと言われる地域がこのモエンジョダロ一帯、そのモエンジョダロが一年で一番暑い季節、それが正に今。
5〜7月は、40℃を超える日は当たり前、50℃近くになる日もザラなのだ。
アフリカからの長旅の途中、パキスタンを旅するのがたまたまこの季節と重なってしまい、モエンジョダロを訪れるか否か悩んだ末、意を決して訪れたのだが、やっぱり暑い。
一歩一歩足を出すたび、息が苦しい。
ゆっくりと廃虚と化したかのような遺跡を巡ると、入口にある井戸の水をかぶり、ゴクゴクと飲む。
ぬらしたハンカチを頭や首元に置きベンチでうなだれていると、ジュース売りのお兄さんがクーラーボックスに入っている氷を手渡してくれる。
「Thank you very much!!」
氷をハンカチに巻き、頭を冷やす。
「充分休まないと病気になってしまうよ。」
と、隣のベンチで横になるカラチから来たと言うパキスタン人の学校の先生。
ラホールから来たという、その先生、
「私は歴史や遺跡が好きなんだ。もちろん仏教遺跡も。アフガニスタンのタリバンは全くクレージーだ。私は大嫌いだよ。」
多分これは、2001年3月のタリバンによるバーミヤン仏教遺跡の爆破に対しての意見。
パキスタンには、アフガニスタンでも多数派のパシュトゥン人が多く住んでいると言う報道をよく耳にするが、カラチやラホールに住んでいるのはパンジャブ人。パキスタンのインテリ層は、パンジャブ人によって構成されているのだ。
事実上パキスタンのメジャー、パンジャブ人の先生からの、この意見は興味深い。
それにしても、何だってこんなにも暑いところで、人類は文明を作り始めたんだろうか。6000年前はもっと涼しかったのかな?
ラルカナの宿に戻っても、夜になってもとにかく暑い。おまけに頻繁に停電があり電気も消え、部屋の扇風機も止まってしまう。
気晴らしと言うか気休めに、街に出てくだいた氷で冷やされたラッシーなどを飲み干し、涼を求める。
「氷が危ないって話よく聞くけど、お腹大丈夫かな?」
この暑さで、毎日汗をしたたらせ、おまけにお腹まで壊しちゃったらまたやせてスマートになっちゃうよ。
一年で一番暑い猛暑の中の猛暑での、パキスタンの旅は、まだ始まったばかりだ。
【食事】
朝:ナン
昼:ライスプディング
夜:カレーライス、サトウキビジュース、ラッシー
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・ラルカナ→モエンジョダロ(乗合+バス+ヒッチ)待時間含め片道2時間程度
・モエンジョダロ遺跡の入場料は無料
【宿】
(ラルカナ)Meheran Hotel 180PR/W一室
- クエッタのアフガン人(?) (パキスタン) クエッタ→ラルカナへ
-
エリア:
- アジア>パキスタン>パキスタンその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色
- 投稿日:2001/06/23 14:37
早朝バスがクエッタに到着する。
バムから一緒だった白人カップルは、クエッタのホテルへ行くと言う。
まだまだ元気な我々は、更にバスを乗り継いでラルカナへ向うつもりだ。
今回も白人カップルとタクシーをシェアし、彼らは宿へ、我々は彼らの宿近くのラルカナ行のバスが出るバスターミナルへ共に向う。
タクシーはまず彼らの宿に到着。
「いいから、いいから気にしないで。」
そこで彼ら、我々の分も含め、タクシー代を全額支払ってくれてしまったのだ。
多分、おとといバムでタクシー代を相場より多く払ってしまった一件の事を気にしての事だろう。
そこまでしなくてもいいのに。でも好意は甘んじてお受け致します。
「どうも有難う。」
ラルカナ行のバスが出るのは夜8時との事。それまで、バス会社の小さなオフィスで座って、集まってくる人々と話をしたり、周辺を散歩したりして時間を潰す。
「2人は結婚してるのかい?そう、いいね。恋愛結婚かい?そう、いいねー!!パキスタンでは恋愛結婚はないんだよ。親同志が決めた相手と結婚するんだ。」
・・・なんて話を聞かされながら。
それにしてもこのクエッタという街、かなりゴチャゴチャしている。
乗用車に、バスに、トラック、バイク、道にはそれらが溢れ、入り混じっている。交差点の近くでは、一見して車線の区別がつかない程だ。
ある意味、我々が想像するインド等の南アジアの街並みに近いと言える。
猛暑の中、街中の路肩に張り巡らされた溝からは異臭が立ち込める。
バスターミナルもかなり雑然としており、ターミナルと言うより、ゴチャゴチャしただだっ広いバスの駐車場の様で、頑張って聞き込みをしない限り、お目当てのバスがどこから何時頃出るのか、切符はどこで買えるのか全く分からない。
「パラパ、パラパ、パラパ・・・」
バスターミナルから、車体をギラギラにペイントし、華美に装飾したバスが、クラクションを必要以上にまくし立てながら出発して行く。
バスの整備士らは、ゴミだらけの地面に横になって車体の下に潜り込み、オイルで体中真っ黒になっている。
バスターミナルとその周囲の屋台で腹ごしらえすると、夜、ラルカナ行のバスに乗込む。
バスがターミナルを出ると間もなく、顔の正面の部分だけ粗いメッシュになった、日本の時代劇に忍者と一緒に出てくる虚無僧の様な布の覆面をすっぽりかぶった女性が、だんな様に連れられて歩いている姿を目にする。
この後旅したパキスタン各地のバスターミナル等でもたまに見かけたが、何でもアフガニスタン系の人達なのだそうだ(真偽は不明。)。
そんなカオスの街に身を置いて、アフリカ喜望峰から旅を始めて、約10ヶ月、 右も左もどっぷりアジアの旅情緒である。
(パキスタン後日談)
2001年9月に起こったアメリカ同時多発テロ事件と、それに伴うアメリカ軍のアフガニスタンへの報復攻撃。
テレビのニュース報道では、この日我々が見たのと同じブルカと言う覆面姿の、アフガニスタン女性が頻繁に映し出されていた。
【食事】
朝:パン、ミルクチャイ
昼:味付ライス
夜:豆ダル・ライス、マンゴジュース
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・クエッタ→ラルカナ(夜行バス) 20:00発 翌8:00着 150PR
バムから一緒だった白人カップルは、クエッタのホテルへ行くと言う。
まだまだ元気な我々は、更にバスを乗り継いでラルカナへ向うつもりだ。
今回も白人カップルとタクシーをシェアし、彼らは宿へ、我々は彼らの宿近くのラルカナ行のバスが出るバスターミナルへ共に向う。
タクシーはまず彼らの宿に到着。
「いいから、いいから気にしないで。」
そこで彼ら、我々の分も含め、タクシー代を全額支払ってくれてしまったのだ。
多分、おとといバムでタクシー代を相場より多く払ってしまった一件の事を気にしての事だろう。
そこまでしなくてもいいのに。でも好意は甘んじてお受け致します。
「どうも有難う。」
ラルカナ行のバスが出るのは夜8時との事。それまで、バス会社の小さなオフィスで座って、集まってくる人々と話をしたり、周辺を散歩したりして時間を潰す。
「2人は結婚してるのかい?そう、いいね。恋愛結婚かい?そう、いいねー!!パキスタンでは恋愛結婚はないんだよ。親同志が決めた相手と結婚するんだ。」
・・・なんて話を聞かされながら。
それにしてもこのクエッタという街、かなりゴチャゴチャしている。
乗用車に、バスに、トラック、バイク、道にはそれらが溢れ、入り混じっている。交差点の近くでは、一見して車線の区別がつかない程だ。
ある意味、我々が想像するインド等の南アジアの街並みに近いと言える。
猛暑の中、街中の路肩に張り巡らされた溝からは異臭が立ち込める。
バスターミナルもかなり雑然としており、ターミナルと言うより、ゴチャゴチャしただだっ広いバスの駐車場の様で、頑張って聞き込みをしない限り、お目当てのバスがどこから何時頃出るのか、切符はどこで買えるのか全く分からない。
「パラパ、パラパ、パラパ・・・」
バスターミナルから、車体をギラギラにペイントし、華美に装飾したバスが、クラクションを必要以上にまくし立てながら出発して行く。
バスの整備士らは、ゴミだらけの地面に横になって車体の下に潜り込み、オイルで体中真っ黒になっている。
バスターミナルとその周囲の屋台で腹ごしらえすると、夜、ラルカナ行のバスに乗込む。
バスがターミナルを出ると間もなく、顔の正面の部分だけ粗いメッシュになった、日本の時代劇に忍者と一緒に出てくる虚無僧の様な布の覆面をすっぽりかぶった女性が、だんな様に連れられて歩いている姿を目にする。
この後旅したパキスタン各地のバスターミナル等でもたまに見かけたが、何でもアフガニスタン系の人達なのだそうだ(真偽は不明。)。
そんなカオスの街に身を置いて、アフリカ喜望峰から旅を始めて、約10ヶ月、 右も左もどっぷりアジアの旅情緒である。
(パキスタン後日談)
2001年9月に起こったアメリカ同時多発テロ事件と、それに伴うアメリカ軍のアフガニスタンへの報復攻撃。
テレビのニュース報道では、この日我々が見たのと同じブルカと言う覆面姿の、アフガニスタン女性が頻繁に映し出されていた。
【食事】
朝:パン、ミルクチャイ
昼:味付ライス
夜:豆ダル・ライス、マンゴジュース
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・クエッタ→ラルカナ(夜行バス) 20:00発 翌8:00着 150PR
- 50カ国目、パキスタン入国 (イラン)バム→ザヘダン→ミルジャワ→(パキスタン)タフタン→クエッタへ
-
エリア:
- 中近東>イラン>バム
- 中近東>イラン>イランその他の都市
- アジア>パキスタン>パキスタンその他の都市
- テーマ:鉄道・乗り物
- 投稿日:2001/06/22 14:27
今日はイランからパキスタンへ国境超え。
ここバムから国境近くのザヘダンまでのバスは、早朝6:30発。
市内バスはまだ走っていないので、街外れのバスターミナルまで白人のカップルとタクシーをシェアする。
彼らも旅行者で、パキスタンへ向うと言う。
その風貌からしてかなり旅慣れているカップルとお見受けした。旅は道づれ、
「一緒にパキスタンへ行きましょう。」
宿の前でひろったタクシーがバムのバスステーションに到着する。支払いをしようとすると、
「もう払ったよ。」
と白人男性。
「いくらでした?」
「10000リアル。」
なにー!!宿のある街中からバスターミナルまでたった5分余り、タクシー一台3000〜4000リアルが相場だよ。高くても5000リアル位でしょ。旅慣れしてると思ったんだけど、随分金払いがいいね。
こちらの表情を見てあおの白人カップルの彼、どうやら察したらしい。
「Did I pay too much?(払い過ぎだったかな?)」
「Yes」
と説明すると、
「申し訳ない。」
と丁重に謝られてしまう。
「いいよ、いいよ、もう仕方ない。気にしてないから。」
と、我々2人分、5000Rlを手渡す。
これじゃ我々2人だけでタクシーに乗った方が安上がりだった、返って高くついたよ。
そう思う反面、
「おいおい、気にしてなかったんじゃないの。気を取り直して行こうよ。」
と自分に言い聞かせる。
バムのバスステーションから乗ったバスがザヘダンに着くと、すかさず今度は自分で国境のミルジャワまでのタクシー探し。ドライバーと料金交渉を済ませる。
相場は一人20000リアル前後と聞いていた。
バスからおりてきた白人カップルに、
「国境までのタクシー見つけておいたよ。ほらあそこの車。」
「いくらだい?」
「一人15000リアル。」
「ナイス。さっきは本当に悪い事をしたね。」
もういいよ、本当にもう気にしてないから。
国境では、イラン出国、パキスタンへの入国とも、いたってスムーズ。
国境パキスタン側のタフタンで、たむろする闇両替屋と両替を済まし、砂嵐に近い砂ぼこりが舞う中、クエッタ行のバスの出発を待つ。
Junkoは早速、待ってましたと言わんばかりにチャドルをぬぐ。 ここパキスタンも、かなり保守的なイスラム教国だが、イランの様に外国人女性までチャドル着用を法律で強制まではしていない。
夕方、クエッタ行のエアコン付のバスに乗る。
人が乗る前に、通路から座席の下から足元まで、既に車内は荷物でギッシリ。
我々乗客もまるでその荷物の一つかのようにオンボロのガタガタイスにお尻を放り込む。
せっかくのエアコン付なのに、一部窓ガラスもなくビニールをかぶせてテープでとめている。
エアコン自体もボロそうだし、あんまり効きそうにない。
隣を見ると、あの白人カップルも積荷に囲まれた小さなボロイスの上で体を折り曲げ、苦しそうだ。
さっさとクエッタに着くように、早目に寝る事にしよう。
【食事】
朝:ナン、パン
昼:ナン、パン
夜:ナン、パン
【トラベルメモ】
1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・バム→ザヘダン(バス)4.5時間 9500Rl
・ザヘダン→ミルジャワ(乗合タクシー)1時間 15000Rl
・(ミルジャワで国境を越えるとタフタン)
・タフタン→クエッタ(夜行バス)16:00発 翌6:00着 250PR
・パキスタン・ビザ 要否未確認。取っておいた方が無難とのことで、我々はトルコのイスタンブールで取得。
ここバムから国境近くのザヘダンまでのバスは、早朝6:30発。
市内バスはまだ走っていないので、街外れのバスターミナルまで白人のカップルとタクシーをシェアする。
彼らも旅行者で、パキスタンへ向うと言う。
その風貌からしてかなり旅慣れているカップルとお見受けした。旅は道づれ、
「一緒にパキスタンへ行きましょう。」
宿の前でひろったタクシーがバムのバスステーションに到着する。支払いをしようとすると、
「もう払ったよ。」
と白人男性。
「いくらでした?」
「10000リアル。」
なにー!!宿のある街中からバスターミナルまでたった5分余り、タクシー一台3000〜4000リアルが相場だよ。高くても5000リアル位でしょ。旅慣れしてると思ったんだけど、随分金払いがいいね。
こちらの表情を見てあおの白人カップルの彼、どうやら察したらしい。
「Did I pay too much?(払い過ぎだったかな?)」
「Yes」
と説明すると、
「申し訳ない。」
と丁重に謝られてしまう。
「いいよ、いいよ、もう仕方ない。気にしてないから。」
と、我々2人分、5000Rlを手渡す。
これじゃ我々2人だけでタクシーに乗った方が安上がりだった、返って高くついたよ。
そう思う反面、
「おいおい、気にしてなかったんじゃないの。気を取り直して行こうよ。」
と自分に言い聞かせる。
バムのバスステーションから乗ったバスがザヘダンに着くと、すかさず今度は自分で国境のミルジャワまでのタクシー探し。ドライバーと料金交渉を済ませる。
相場は一人20000リアル前後と聞いていた。
バスからおりてきた白人カップルに、
「国境までのタクシー見つけておいたよ。ほらあそこの車。」
「いくらだい?」
「一人15000リアル。」
「ナイス。さっきは本当に悪い事をしたね。」
もういいよ、本当にもう気にしてないから。
国境では、イラン出国、パキスタンへの入国とも、いたってスムーズ。
国境パキスタン側のタフタンで、たむろする闇両替屋と両替を済まし、砂嵐に近い砂ぼこりが舞う中、クエッタ行のバスの出発を待つ。
Junkoは早速、待ってましたと言わんばかりにチャドルをぬぐ。 ここパキスタンも、かなり保守的なイスラム教国だが、イランの様に外国人女性までチャドル着用を法律で強制まではしていない。
夕方、クエッタ行のエアコン付のバスに乗る。
人が乗る前に、通路から座席の下から足元まで、既に車内は荷物でギッシリ。
我々乗客もまるでその荷物の一つかのようにオンボロのガタガタイスにお尻を放り込む。
せっかくのエアコン付なのに、一部窓ガラスもなくビニールをかぶせてテープでとめている。
エアコン自体もボロそうだし、あんまり効きそうにない。
隣を見ると、あの白人カップルも積荷に囲まれた小さなボロイスの上で体を折り曲げ、苦しそうだ。
さっさとクエッタに着くように、早目に寝る事にしよう。
【食事】
朝:ナン、パン
昼:ナン、パン
夜:ナン、パン
【トラベルメモ】
1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・バム→ザヘダン(バス)4.5時間 9500Rl
・ザヘダン→ミルジャワ(乗合タクシー)1時間 15000Rl
・(ミルジャワで国境を越えるとタフタン)
・タフタン→クエッタ(夜行バス)16:00発 翌6:00着 250PR
・パキスタン・ビザ 要否未確認。取っておいた方が無難とのことで、我々はトルコのイスタンブールで取得。
- アルゲ・バム (イラン)バンダルアッバス→バム
-
エリア:
- 中近東>イラン>イランその他の都市
- 中近東>イラン>バム
- テーマ:世界遺産
- 投稿日:2001/06/21 14:21
「プップー」
我々が乗ったバム行のバスが荒涼としたしゃく熱の荒地でクラクションを鳴らすと、どこからともなく大量の荷物をかついだおばあさん達が腰を曲げてバスの方へ向ってくる。
バスは路肩に停まり、乗務員らは全員手分けして、運ばれた荷物を確認し、バスにのせている。
見てみると、おばあさん達が運んできたのは大量のタバコ。
どうやらこのバス、怪しい非合法な商売も兼業しているらしい。
一仕事終えたおばあさん達は、にぎやかにお喋りし、何やらまくし立てながらバスに乗り込んで来る。
身を低くし、荒地にへばり付くように隠れて、このバスが来るのを待っていたと思われるが、日陰もほとんどない炎天下の中、一体どれくらい待っていたのだろう。大変な仕事だ。
バスがバムに着き、宿を取ると、早速アルゲ・バム遺跡を訪れる。
アルゲ・バムは、泥でできたかのような、日干しレンガの大きな城壁都市の遺跡だ。
チュニジアやトルコでは、遺跡というと、ガレキの廃墟の様な所が多かったが、アルゲーバムはかなりよく修復されている。
城の上に登ると、バムのオアシスと、その向こうの砂漠の大地が良く見渡せる。
アルゲーバムから宿へ戻る途中、ナン屋を発見。
ちょっとした人だかりができており、皆、競うように焼きたてのナンを、焼き上がったそばから買い求めている。
ではでは我々も。
今食べる分と、明日のパキスタンへの道中の手弁当用に、少し多めに買っておこう。
「おいくらですか?」
大きなナンなのに一枚150Rl、約3円。
随分お手頃なんですね。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:ソーセージサンド、ナン
【トラベルメモ】
1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
・バンダルアッバス→バム (バス)7:00発15:30着 12500Rl
・アルゲ・バム遺跡 入場料30000RL
【宿】
(バム)Guest House Ali Amir 25000Rl/ドミ一人
我々が乗ったバム行のバスが荒涼としたしゃく熱の荒地でクラクションを鳴らすと、どこからともなく大量の荷物をかついだおばあさん達が腰を曲げてバスの方へ向ってくる。
バスは路肩に停まり、乗務員らは全員手分けして、運ばれた荷物を確認し、バスにのせている。
見てみると、おばあさん達が運んできたのは大量のタバコ。
どうやらこのバス、怪しい非合法な商売も兼業しているらしい。
一仕事終えたおばあさん達は、にぎやかにお喋りし、何やらまくし立てながらバスに乗り込んで来る。
身を低くし、荒地にへばり付くように隠れて、このバスが来るのを待っていたと思われるが、日陰もほとんどない炎天下の中、一体どれくらい待っていたのだろう。大変な仕事だ。
バスがバムに着き、宿を取ると、早速アルゲ・バム遺跡を訪れる。
アルゲ・バムは、泥でできたかのような、日干しレンガの大きな城壁都市の遺跡だ。
チュニジアやトルコでは、遺跡というと、ガレキの廃墟の様な所が多かったが、アルゲーバムはかなりよく修復されている。
城の上に登ると、バムのオアシスと、その向こうの砂漠の大地が良く見渡せる。
アルゲーバムから宿へ戻る途中、ナン屋を発見。
ちょっとした人だかりができており、皆、競うように焼きたてのナンを、焼き上がったそばから買い求めている。
ではでは我々も。
今食べる分と、明日のパキスタンへの道中の手弁当用に、少し多めに買っておこう。
「おいくらですか?」
大きなナンなのに一枚150Rl、約3円。
随分お手頃なんですね。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:ソーセージサンド、ナン
【トラベルメモ】
1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
・バンダルアッバス→バム (バス)7:00発15:30着 12500Rl
・アルゲ・バム遺跡 入場料30000RL
【宿】
(バム)Guest House Ali Amir 25000Rl/ドミ一人
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