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イチローとジュンコの夫婦珍道中

~バックパッカー日記~

プロフィール

ニックネーム:
イチローとジュンコ
居住地:
東京都
自己紹介:
2000年9月 日本を旅立ったイチローとジュンコは、飛行機で、南アフリカ・ケープタウンに降り立った。
二人はそこから日本まで、飛行機を使わずに、陸路と船のみで帰る。
アフリカ大陸南端の喜望峰から日本まで、アフリカ、東西ヨーロッパ、中東、シルクロードとまるまる1年かけての、夫婦珍道中。
野宿もしました。ゴリラと挨拶もしました。サハラを越え、ヒマラヤを越え。。
大自然、世界遺産、カルチャーショック、紛争の傷跡、そして、多くの出会い。
2001年8月無事帰国した二人の旅を振り返って、番外編コラムを掲載します。

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記事一覧

16 - 20件目まで(20件中)

シルクロードの味わい  1
シルクロードの味わい (中国)トルファン
エリア:
  • アジア>中国>トルファン(吐魯番)〔新彊ウイグル自治区〕
テーマ:買物・土産 街中・建物・景色 鑑賞・観戦 
投稿日:2001/07/14 10:42
 「これがトルファン?」

 大きな道路、立ち並ぶビルと商店。商店の前でまくし立てられる拡声器の声。カバン屋、靴屋、洋服屋に日用品屋。
 100円均一ショップならぬ、一元均一、二元均一ショップまである。

 ついつい我々も、一元均一ショップや二元均一ショップで、旅のおともの日用品や消耗品などを物色してしまう。

 ガイドブックによると、そこに拡がっている筈のビルの裏側の市場は、半分以上取り潰され空地になってしまっている。

 古いモスクの中には、丸い屋根だけはそのままに、中身は商店に改装されているものもある。

 多くの観光客が訪れる、シルクロードの名所、小さなトルファンの街は、小さい分せっせと作り変えられてしまっている感がある。

 こんな街の真中でただ黙って大人しくしていたら、中国は感じられても、「シルクロード」を感じる事は難しい。
 自分から探しに行かなければ。

 それもその筈。近年、めまぐるしく発展する中国にあって、「シルクロード」の時代は何百年もの昔の事。
 そこに求めるシルクロードは、東京に江戸を見つけようとする様なものなのだ。

 隅に追いやられたかのような市場の奥へ分け行って見ると、安食堂に座るおじさんの手に、先日我々をうならせたラグメンのドンブリ姿を発見。
 思わず店の前に置かれたくたびれたテーブルにつき、注文する。

 ドンブリ一杯3元?こりゃまた安いね。
 でもまたすごい量なんでしょ、安いけど2人で一杯でいいよ。

 注文を受けると、調理人のおじさん、あらかじめ打ってねかせておいたメンを手に取って、延ばし粉をふって、「バン、バンッ」と両手で更に打ちつけると、煮だった大きなお釜にほうり込む。

 出て来たラグメンをすすると、
 「う・ま・す・ぎ・るーーーー!!!!!!」

 先日食べたものより何倍も旨い。

 麺のこしが違う、からみつく具も相称ぴったりだ☆

 何たって打ち立て、沸で立てだもんね。

 シルクロードは、イタリアンパスタをも伝承したメンロードでもある。これぞ中国西域の味と言っていいだろう。

 トルファンの中心街近くの我々の宿の前に、ぶどう棚の通りがあるとガイド本にはあったのだが、実際に目にしたそれは、まるで商店街の真新しいアーケード。
 昔は木でできた素朴で趣たっぷりのぶどう棚だったんだろうが、コンクリートとスチールできれいに作り直しちゃったもんだ。

 それでも、ツルを張り巡らした木からたわわに実り垂れるぶどうの房が並んでいるのを見ると、
 「ぶどうってこんなにも無造作に、簡単になってしまうものなんだっけ?」
と、驚かされる。

 もちろん自分の右手には、市場で買った名物の干ぶどうの詰まったビニール袋、ぬかりはない。

 夜はホテルの庭のぶどう棚で囲った催し物広場の様な所で、こちらの民族舞踊を観賞。

 ムードたっぷりの華やかな民族衣装姿の女、そして男が、生演奏の歌と音楽に包まれて踊る。

 この時ばかりは、うたかたのシルクロードの夢気分を味わあせてもらった。

シルクロードの味わい  1シルクロードの味わい  2

【食事】

朝:パン、クルミ、杏
昼:パン、くるみ、杏
夜:ラグメン

【トラベルメモ】

1$=8元(中国元)
・ トルファン駅→トルファン市内 ミニバス 1.5時間 5.5元

【宿】
吐魯番賓館 27元/ドミ一人
→キレイで快適。民族舞踊ショーは20元

中国シルクロード・列車の旅  1
中国シルクロード・列車の旅 (中国)カシュガル→トルファンへ
エリア:
  • アジア>中国>喀什(カシュガル)〔新彊ウイグル自治区〕
テーマ:鉄道・乗り物 
投稿日:2001/07/13 10:39
 真新しいビルが並ぶカシュガルの繁華街から、真っすぐに延びる広い大きな道路。

 その道沿にある、これまた大きく立派なカシュガル駅の駅舎。

中国シルクロード・列車の旅  1

 カシュガルにはごく最近、鉄道がひかれたそうだ。

 昨日切符を買いに来た時も、切符売場のお姉さんは、コンピュータを操作し、こちらの希望の列車の予約状況を照会すると、我々2人分の予約を済ませ、プリントアウトした切符をあっと言う間に渡してくれた。

 乗り込んだ硬臥(2等)寝台車も、乗り心地は思っていたよりずっと良い。

 こうやって小ギレイな列車で寝ていれば次の街に着いてしまうなんて、現代のシルクロードは変わったものだ。

 カシュガルではその意外な発展ぶりに驚かされたが、明日目にするトルファンでは、期待通りシルクロードの旅情緒を味わう事ができるだろうか。


【食事】

朝:パン
昼:パン、クルミ、干杏
夜:カップメン

【トラベルメモ】

1$=8元(中国元)
・ カシュガル→トルファン 夜行列車 10:20発 翌11:00着 154元/硬臥(2等寝台)1人

西域・カシュガル  1
西域・カシュガル (中国)カシュガル
エリア:
  • アジア>中国>喀什(カシュガル)〔新彊ウイグル自治区〕
テーマ:街中・建物・景色 
投稿日:2001/07/12 10:33
 アフリカから旅を始めて苦節10ヶ月、昨日はこの旅で初めて目の前にする中国の大衆食堂や屋台ですっかりはしゃいでしまった我々だが、バザール、旧市街と今日はゆっくりとカシュガルの街を散策。

 中国は西域の辺境地の様に思っていたカシュガルだが、こうやって落ち着いて歩ってみると、思っていたより随分都会だ。

 太い大きな道路、大きなビル、小ギレイなバス、どれもが真新しく、近年の急激な発展ぶりが伺える。

 もちろん旧市街の路地や、街外れのバザールなどでは、ウイグル族の人々が売るのに買うのに精を出す姿が見られ、お年寄りがたたずみ、子供がはしゃぐ古びた街並みも中々だが、それらは今にも取り囲む巨大な漢民族の龍、近代的なビルと道路の群れに、今にも呑み込まれてしまいそうだ。

西域・カシュガル  1西域・カシュガル  2

【食事】

朝: ホットミルク、揚パン、アイス
昼: マントゥ、パイ、おこわ、いちじく
→ 路端に積まれたせいろに入った肉まんと思って買ってかじると、食べても食べても目がギッシリつまった 肉まんの皮ばかり。それは単なる具なしのマントウだったのだ。どうりで一コ5角(0.5元)は安いと思った。
たが食べ応えは満点で、胸が詰るほど。
食べきれずに残した分は、翌朝になると固くなり、更に食べ応えが増してしまった。

夜: ワンタン

【トラベルメモ】

1$=8元(中国元)

【宿】
(カシュガル)其尼瓦克賓館 25元/ドミ一人

51カ国目、中国  2
51カ国目、中国 (中国)タシュクルガン→カシュガル
エリア:
  • アジア>中国>中国その他の都市
  • アジア>中国>喀什(カシュガル)〔新彊ウイグル自治区〕
テーマ:街中・建物・景色 グルメ 
投稿日:2001/07/11 10:20
 昨深夜、中国入りしここタシュクルガンに到着した我々、実はまだ両替をしておらず昨夜泊まった宿の支払もできない状態なのだ。

 朝、ホテルを出て、余ったパキスタンルピーを中国元に両替できる銀行を探そうとしていると、
 「あそこ、あそこ」
昨日バスで一緒だったパキスタン人の人達が、何の看板も表示もない怪しげなコンクリートの建物を紹介してくれる。

 恐る恐る扉を開けてみると、何とそこはパキスタン・レストラン。
 昨日のバスのドライバーも同乗していたパキスタン人の人達も皆、その他多勢のパキスタン人の人達に混じって朝ごはんを食べている。

 ここはパキスタンとの国境の、「中国の街」。闇営業という訳じゃないんだろうが、目立って浮いてしまわない様に謙虚なたたずまいで配慮した、パキスタンの人達のオアシスなのだ。ここが我々がこの旅で目にする最後のパキスタンと言っていいだろう。

 店内ではパキスタンルピーが飛び交っている。
 カウンターで、手持ちのパキスタンルピーを全て中国元に両替する。

 それを持ってホテルに戻り、支払を済ますと、イミグレ(入出国管理事務所)へ。
 昨夜預けたパスポートを返してもらい、入国手続き、そして荷物検査。

 どちらもそれなりに時間は掛かったが、思っていたよりもスムーズに無事完了。
 カシュガル行のバスに乗る。

 昨夜、中パ国境フンジュラブ峠を越え、すっかりヒマラヤを越え切った気になっていたが、タシュクルガンを出たカシュガル行のバスは、険しい谷を越え、白い巨峰に囲まれた大地を走る。

 特に道がカラクリ湖畔に差し掛かると、視界をさえぎるものがない湖の向こうに連なる、ヒマラヤの峰々に見とれてしまう。

 昨日、土砂崩れのお陰でフンジュラブ峠越えが夜になってしまい、ヒマラヤを見ずしてのヒマラヤ越えになってしまい少々ガッカリしていたのだが、今日のカシュガルまでの道中では、その姿を味わえる事ができ、本当に嬉しい限りだ。

 湖畔には放牧されたヤクの姿も見える。

 近年発展目覚ましい中国、良くなるだろうと思っていた道だが、よく舗装されてはいるものの、そこはまだまだヒマラヤ谷を越える険しい土地、昨日の土砂崩れ程ではないが、所々軽い土砂崩れで寸断されている。バスはその度、道にしきつめられた土砂の上を最徐行。

 土砂の上には、土砂を崩した張本人、夏日に眠りから覚まされたヒマラヤからの雪解け水がチョロチョロと流れている。

 峰々が遠ざかり、あたりに小高い木々や田畑、人家が増えだした頃、バスは途中停車。
 どうやらヒマラヤ越えの険しい道は一段落した様で、休憩を入れるようだ。

51カ国目、中国  1

 昨日は土砂崩れのせいで、1日杏しか口にしていない我々2人。
 今朝も、両替や、イミグレでの入国手続きで忙しく、しかも入国手続終了後すぐにこのカシュガル行バスは出発。ゆっくり食事をする時間もなく、相変わらず杏しか口にしていない。

 バスが停車した休憩ポイントの食堂。そこで軒先に積まれたせいろから沸き上がる湯気。

 「ガンガンガン…」
木の幹を切ったかのような丸いまな板で、料理人は勢い良く包丁を振り下ろす。

 「ボーッ!!」
隣では、カマドから溢れんばかりの強烈な炎の上で、中華鍋を振るいオタマを鳴らしている。

 もう吸い込まれるように食堂に入り、屋外のテーブルにつく。

 隣を見ると、どんぶりに入ったメンをズズズーッとすすっている者がいる。それを指差して店員に尋ねる。
 「多少銭?(いくら?)」
 「4元」 と、店員は手のヒラをかかげ、4本の指を示す。

 ドンブリ一杯で4元?安い!!でも食べてみないとおいしいかどうか分からない。物凄く辛いってこともありえるし…。
 「とりあえず一つ頂だい!!」
と、今度はこちらが一本指をかざす。

 出てきたのは、どんぶりに入ったうどんの様な白く太い麺、肉と野菜を炒めた物がのせられている。
 割り箸を割ってすすってみると
 「う・ま・いーーーーー!!!!」

 一見うどんの様だが、かなりのこしだ。
 上にかけられたトマトや瓜、ピーマン等と細切の羊肉の炒め物は、日本で食べるチンジャオロースーをもっと豪快にしたような料理で、上手いばかりでなく、口に運ぶたび、食欲を刺激する。

 どんぶりいっぱいに盛られた量もすごい。一人前をJunkoと二人で小皿に分けて食べるも、2人ともお腹いっぱいだ。
 もちろんお茶は飲み放題。

 「ワオ、チープ!!ティーイズフリー?!グレート。」
同じバスに乗っていた白人の旅行者も目を丸くしている。

 ヨーロッパのレストランなんかじゃ水も出ない(有料)ばかりか、座っただけで、テーブルチャージが取られちゃったりするもんね。
 見たか白人さん、これが中国だよ。

 これまでの反動なのか、カシュガルに着いても我々の食欲は止まらない。

51カ国目、中国  251カ国目、中国  3

 夜、カシュガルの旧市街のモスクのまわりに立つ屋台街にくり出す。

 目移りしてしまう程、様々な食材、料理が並ぶ屋台街。立ち込める湯気と料理のにおい。
 そこで食欲旺盛に、なりふり構わず食らう面々。

 さあ!我々は何を食べようか?!!!


【食事】

朝:干杏
昼:パイ、ゆで玉子、ハミウリ、トコロテン、ラグメン
夜:ラグメン一杯たった1元、ゆで玉子とチキン足の入ったチキンスープ 2人前5.5元、 モモ1kg=6コで4元。おいしくていっきに食べつくす。安くて気がねなく注文できる のがいい。特に屋台のチキンスープは旨かった。貝は好みで選べる。

【トラベルメモ】

1$=8元(中国元)
・ タシュクルガン→カシュガル バス 62元 10:00発 16:00着

【宿】
(カシュガル)其尼瓦克賓館 25元/ドミ一人

ヒマラヤ越え  1
ヒマラヤ越え (パキスタン)ススト→(中国)タシュクルガン
エリア:
  • アジア>パキスタン>パキスタンその他の都市
  • アジア>中国>中国その他の都市
テーマ:街中・建物・景色 グルメ 
投稿日:2001/07/10 11:44
 朝、スストのイミグレーションオフィスでパキスタンの出国手続きを済ませる。
 バスは夕方にも、中国のタシュクルガンに到着する予定だ。

 バス移動のおともに杏の実を1袋(1kg)購入し、バスに乗込む。

 ところがバスは、30分足らず谷を走っただけでピタッと停まってしまう。
 前方では中国のバスやトラックも立往生している。

 身をのり出して更に前方を見てみると、
 「土砂崩れだ。」
 道は完全に土砂に埋まってしまっている。

 その範囲は広くないし、積もった土砂の高さもそれ程ではない。歩いて渡っている人もいる。
 だが文明の力、自動車とは意外にもモロい物。キャタピラでも付いていれば別なのだろうが、この程度の土砂も越えられないとは。

ヒマラヤ越え  1

 バスは停まったまま、道は土砂に埋もれたまま、1時間たち、2時間たち、3時間たち…。事態が快方に向かう動きは何一つ見られない。
 どこからともなく復旧隊がやってきて、ブルトーザーで土砂をならし始めたのは午後遅くになってから。

 もちろんお腹はペコペコ。

 道路が復旧されるのを待っていた最中、朝買った杏をチビチビかじっていたら、同じバスに乗っていたおじさんが、我々が捨てようとした食べ終わった杏の種を取り、カチカチと拾った石で種を割って中から出てきた小さな種子を手渡してくれる。
 「食ってみろ」
と、おじさん。

 ポンと口にほうり込んでみると、とまるでマカデミアナッツの様に柔らかく、中々いける。ガチガチの固いアンズの種の中が、こんな風だったとは。
 そう言えばカラッシュバレーで子供達が、何やら石でカチカチと種を砕いているのを何度も見たが、これだったんだ。

 熟れた甘ーい実と種。一粒で二度おいしい杏で、何とか飢えをしのぐ。

 復旧作業が一段落し何とか車が通れるようになったのは、本来予定通りなら中国のタシュクルガンに到着している筈の夕方になってから。
 8時間近くも、お店も井戸も何もないガレキの谷底で待たされた事になる。

 完全に途方に暮れていただけに、バスが動き出しただけでもラッキーなのだが、残念だったのはこの旅の一番の高地、フンジュラブ峠4730mを越えたのが、土砂崩れのお陰で、夜になってしまった事。
 取り囲む地球の屋根、ヒマラヤの峰々を臨みながらの峠越えを期待していたのだが、辺りはすっかり暗くなり、景色は全く見えなかった。

 このフンジュラブ峠は、パキスタン、中国の国境地点。夜の峠越えを我々が悟ったのは、検問のポリスの顔が若い中国人になった時だ。

 アフリカ人でも白人でもパキスタン人でもない、我々と同じ顔立ちの若いポリスに親近感を覚えた。

 国境を越えて最初の中国側の街、タシュクルガンに着いたのは深夜。

 イミグレは閉まっているので、入国手続きは明日になるとの事。
 パスポートはイミグレ官に回収されてしまう。明日、入国手続の時、返されるそうだ。

 そのイミグレ官に連行される様に通された、イミグレオフィスとなりのホテル。
 服務員は当然、我々と同じ顔立の中国人の若い女性、ホテルは外にも内にも漢字表示が溢れている。

 アフリカ、喜望峰から陸路と船だけで旅して、11ヵ月目。いよいよ中国、東アジア。我々の文化圏に入って来たのだ。


【食事】

朝: 杏(生)
昼: 杏(生)と杏の種

夜: スストで非常食にと買っておいたカチカチに干し上がった干アンズ。
→ クシュクルガン到着が深夜になり、店や食堂もあいていないので仕方なくこれだけ。
それでも、干杏は腹持ちが良く、栄養価も高いので、こういういざという時に役に立つ。
それにしても、土砂崩れのお陰で、今日は一日杏を食べて飢えをしのいだ事になる。種まで


【トラベルメモ】

1$=8元(中国元)
・ ススト→タシュクルガンバス1210PR+フンジュラブ通行料250PR 10時発(夕方着の予定だったが)深夜24:00着に。
・中国ビザ 必要 我々はパキスタンのイスラマバードで取得。

【宿】
(タシュクルガン)紅其拉甫賓館 32元/ドミ一人…イミグレ官に連行されたホテル。

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