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- 居候(いそうろう) (モザンビーク)モザンビーク島→ナンプラ
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エリア:
- アフリカ>モザンビーク>モザンビークその他の都市
- テーマ:その他
- 投稿日:2000/10/16 17:55
最近早朝出発の移動が続いていたのだが、久しぶりに朝はゆっくりと過ごし、午前8時、モザンビーク島と別れを告げる。
わずか一泊の滞在だったが、かなりゆっくりのんびりと過ごさせてもらった。おかげで充実感は深い。
シャパとバスを乗り継いで、来た時の苦労が嘘の様にスムーズにナンプラに到着。
特に有り難かったのが、途中乗り継いでナンプラまで来た中型のバスの座席が、何とクッション付だった事!!
クッションの効いたシートに座れるなんてどれ位ぶりだろう。マラウィ・モザンビークの列車のイスは直角の背もたれの鉄に木を打ち付けただけの物だったし、トラックの荷台に乗るシャパに当然クッションなど無い。いつもお尻を酷使していただけに、久しぶりのクッションの感触の何とやわらかく心地良い事か。
「ああ、本当にクッションは有り難い。」
ナンプラでは、教えてもらっていた住所を頼りにシルビアのアパートを訪れ、階段でシルビアの帰りを待つ。休暇にマラウィでトレッキングを楽しんできたシルビアも今日、月曜日からは出勤だ。
仕事帰りのシルビアを待っていると、おとといの活発そうなズボンにバックパック姿とはうって変わって、スカート姿のシルビアが現れる。うーん、バリバリOLとして働いてそうだ。
夕食でも誘って、一連のお礼と盗難にあった彼女を励まそうと、今度は我々がご馳走してあげようと思っていたのだが、切り出すとシルビアは仕事が忙しく、少し休んだらオフィスに戻らなければならず、帰りは遅いと言う。
逆に、
「キッチンにある食材を自由に使っていいから、夕食を作って、余ったら私にとっておいて」
と返されてしまった。 またしてもお世話になりっぱなし。
「そうだ、ハラレで仕入れたしょう油を持っているから、ご飯と和風のおかずでも作ってあげよう。」
と思い立つ。
シルビアのアパートのキッチンにあったジャガイモとタマネギにしょう油と砂糖で味付けし、ジャガイモの煮ころがしを作り、ご飯を炊く。お米も含め、しょう油以外はすべてシルビアのキッチンに置いてあったもの。余りにも申し訳無いので、パスタや調味料など、持参していた食材を全て、一人暮らしのシルビアに寄付して置いて行く事にした。
煮ころがしの出来具合は…、うん、なかなか。ご飯も上手く炊けた。 クノールのスープも付けて、シルビアがオフィスに戻った後、Junkoと2人で舌つづみ。
シルビアは夜9時過ぎ再び帰宅。疲れたので料理は明日朝温めて頂くから、今日はもう寝るとの事。
お疲れ様。お休みなさい。いつか日本に来る事があったら、是非ウチに寄ってゆっくりして行ってネ。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:ジャガイモ煮ころがし
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 1500MT(メディカシュ)
・シャパとバス モザンビーク島→ナンプラ 4.5時間 計45000MT/1人
【宿】シルビア宅 無料
わずか一泊の滞在だったが、かなりゆっくりのんびりと過ごさせてもらった。おかげで充実感は深い。
シャパとバスを乗り継いで、来た時の苦労が嘘の様にスムーズにナンプラに到着。
特に有り難かったのが、途中乗り継いでナンプラまで来た中型のバスの座席が、何とクッション付だった事!!
クッションの効いたシートに座れるなんてどれ位ぶりだろう。マラウィ・モザンビークの列車のイスは直角の背もたれの鉄に木を打ち付けただけの物だったし、トラックの荷台に乗るシャパに当然クッションなど無い。いつもお尻を酷使していただけに、久しぶりのクッションの感触の何とやわらかく心地良い事か。
「ああ、本当にクッションは有り難い。」
ナンプラでは、教えてもらっていた住所を頼りにシルビアのアパートを訪れ、階段でシルビアの帰りを待つ。休暇にマラウィでトレッキングを楽しんできたシルビアも今日、月曜日からは出勤だ。
仕事帰りのシルビアを待っていると、おとといの活発そうなズボンにバックパック姿とはうって変わって、スカート姿のシルビアが現れる。うーん、バリバリOLとして働いてそうだ。
夕食でも誘って、一連のお礼と盗難にあった彼女を励まそうと、今度は我々がご馳走してあげようと思っていたのだが、切り出すとシルビアは仕事が忙しく、少し休んだらオフィスに戻らなければならず、帰りは遅いと言う。
逆に、
「キッチンにある食材を自由に使っていいから、夕食を作って、余ったら私にとっておいて」
と返されてしまった。 またしてもお世話になりっぱなし。
「そうだ、ハラレで仕入れたしょう油を持っているから、ご飯と和風のおかずでも作ってあげよう。」
と思い立つ。
シルビアのアパートのキッチンにあったジャガイモとタマネギにしょう油と砂糖で味付けし、ジャガイモの煮ころがしを作り、ご飯を炊く。お米も含め、しょう油以外はすべてシルビアのキッチンに置いてあったもの。余りにも申し訳無いので、パスタや調味料など、持参していた食材を全て、一人暮らしのシルビアに寄付して置いて行く事にした。
煮ころがしの出来具合は…、うん、なかなか。ご飯も上手く炊けた。 クノールのスープも付けて、シルビアがオフィスに戻った後、Junkoと2人で舌つづみ。
シルビアは夜9時過ぎ再び帰宅。疲れたので料理は明日朝温めて頂くから、今日はもう寝るとの事。
お疲れ様。お休みなさい。いつか日本に来る事があったら、是非ウチに寄ってゆっくりして行ってネ。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:ジャガイモ煮ころがし
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 1500MT(メディカシュ)
・シャパとバス モザンビーク島→ナンプラ 4.5時間 計45000MT/1人
【宿】シルビア宅 無料

- 世界文化遺産「モザンビーク島」〜大航海時代の忘れ形見〜(モザンビーク)モナポ→モザンビーク島
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エリア:
- アフリカ>モザンビーク>モザンビークその他の都市
- テーマ:世界遺産
- 投稿日:2000/10/15 17:43
モザンビークの朝は早い。マラウィからはかなり東に来ている為、朝4時半頃にはもう外は明るい。「今日も何かあっては」という心配から、朝5時前にアブジャブさんにモザンビーク島への車が通る道と方向を教えてもらい、道端に荷物を置いて、車を待つ。
30分ほど待つと、シャパが通りかかる。すかさず右手を振ってシャパを止め、「イリヤ?」(モザンビーク島ではこちらではイリヤ・デ・モザンビーク。イリヤと呼ばれているのだ。)ときくと、「Si(ポルトガル語でYes)」。
こんな朝早く、すぐ車がつかまるとは、今日こそはモザンビーク島へ辿り着けそうだ。
我々を荷台に乗せたシャパは快調に走り続ける。畑や小さな集落などの景色が続くとやがて、長方形に区画され水を張られた広大な景色が目に入る。「水田?」とも思ったが、よく見るとあぜ道には白い物が積まれている。塩田だ。
塩田を過ぎると、車一台分の幅しかない細長い橋が延び、海の向こうに小さく平らな島とヤシの木々のシルエットが朝日を背に浮かびあがる。モザンビーク島だ。
橋は結構長く1Km以上はある。橋の上から海を見渡すと、きらめく波光の上に白い帆に風を受けて行き交うダウ船の姿。やっと来た。ここが世界遺産モザンビーク島だ。
橋を渡り、島に入ってシャパを降りて、宿はどうしようかと荷物を背負って道を歩いていると、道端に並ぶ古臭い建物の陰から、おばさんがニコニコして手招きしている。よく見ると、「accmmodation」と壁に描いてある。
中に入って部屋を見せてもらうと、広く清潔な部屋、ファンもある。汲み置き水ではあるが、屋内のシャワー、キッチンも使っていいと言う。
「クアント?(いくら)」ときくと、1人10000MT。昨日のモナポのアブジャブ宅と同料金だ。まあいいだろう。「OK!」。
accmmodation(宿)といっても、部屋は3つしかなく、民宿といった感じだ。
マラウィからここに至る迄で汚れきった衣服を洗濯し、まずは朝食を取って一休み。それからモザンビーク島へゆっくりとくり出した。
今日は日曜日、まだ朝という事もあって、島は人影もまばらでとても静かだ。静まり返っている。
ふらふらと適当に足の向くまま歩いていると、かつてバスコダガマが航海したインド洋を誇らしげに眺めるポルトガル人の古びた銅像の姿が。更に北に進むと、島の北端には高い壁に幾つもの大砲をたずさえた朽ちかけた要塞がそびえる。


要塞の壁のヘリでは、布をまとった地元の人が洗濯に精を出す。朽ちてそのままのヨーロッパ大航海時代の亡きガラと、モザンビークに今生きる人々の生活感。なんともアンマッチで奇妙な取り合わせだ。
要塞の近くの公園のベンチで海を眺めながら一休み。引き潮の海は太陽の陽射しにエメラルド色に輝き、帆に風を受けたエンジンなどない悠久のままのダウ船や、手漕ぎの魚舟が行き交う。背後にはボロボロに老朽化したポルトガル風の家並み。
日曜日の静けさもあいまって、不思議な哀愁がじわじわと漂ってくる。まるで「時が止まっている。」

大航海時代に築かれたまま、そのまま古びて行く街並の中で、様々な歴史を経て住み着いたアフリカ人、アラブ人、インド人。様々な人種がここで暮らし、何とも表現のしようがない独特な雰囲気が伝わってくる。
街中には顔中におしろいを付けたキルワ人の女性も見かけられ、エスニックかつエキゾチック。
ゆっくりと小さい島を一周してもまだお昼過ぎ。だが、昼下がりの陽射しは強烈で、島を歩き回ってもうヘトヘトだ。午後はゆっくりと宿で静養。
苦労して来た事もあって、ここモザンビーク島、独特の哀愁感を味合わせてもらい、来たかいがあったと、夕方、夕暮れの魚市場にたたずむ。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:自炊パスタ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 1500MT(メディカシュ)
・シャパ モナポ→モザンビーク島 1.5時間 20000MT/1人
【宿】A LOJAMENT 10000MT/W一室二人利用で一人当り
30分ほど待つと、シャパが通りかかる。すかさず右手を振ってシャパを止め、「イリヤ?」(モザンビーク島ではこちらではイリヤ・デ・モザンビーク。イリヤと呼ばれているのだ。)ときくと、「Si(ポルトガル語でYes)」。
こんな朝早く、すぐ車がつかまるとは、今日こそはモザンビーク島へ辿り着けそうだ。
我々を荷台に乗せたシャパは快調に走り続ける。畑や小さな集落などの景色が続くとやがて、長方形に区画され水を張られた広大な景色が目に入る。「水田?」とも思ったが、よく見るとあぜ道には白い物が積まれている。塩田だ。
塩田を過ぎると、車一台分の幅しかない細長い橋が延び、海の向こうに小さく平らな島とヤシの木々のシルエットが朝日を背に浮かびあがる。モザンビーク島だ。
橋は結構長く1Km以上はある。橋の上から海を見渡すと、きらめく波光の上に白い帆に風を受けて行き交うダウ船の姿。やっと来た。ここが世界遺産モザンビーク島だ。
橋を渡り、島に入ってシャパを降りて、宿はどうしようかと荷物を背負って道を歩いていると、道端に並ぶ古臭い建物の陰から、おばさんがニコニコして手招きしている。よく見ると、「accmmodation」と壁に描いてある。
中に入って部屋を見せてもらうと、広く清潔な部屋、ファンもある。汲み置き水ではあるが、屋内のシャワー、キッチンも使っていいと言う。
「クアント?(いくら)」ときくと、1人10000MT。昨日のモナポのアブジャブ宅と同料金だ。まあいいだろう。「OK!」。
accmmodation(宿)といっても、部屋は3つしかなく、民宿といった感じだ。
マラウィからここに至る迄で汚れきった衣服を洗濯し、まずは朝食を取って一休み。それからモザンビーク島へゆっくりとくり出した。
今日は日曜日、まだ朝という事もあって、島は人影もまばらでとても静かだ。静まり返っている。
ふらふらと適当に足の向くまま歩いていると、かつてバスコダガマが航海したインド洋を誇らしげに眺めるポルトガル人の古びた銅像の姿が。更に北に進むと、島の北端には高い壁に幾つもの大砲をたずさえた朽ちかけた要塞がそびえる。


要塞の壁のヘリでは、布をまとった地元の人が洗濯に精を出す。朽ちてそのままのヨーロッパ大航海時代の亡きガラと、モザンビークに今生きる人々の生活感。なんともアンマッチで奇妙な取り合わせだ。
要塞の近くの公園のベンチで海を眺めながら一休み。引き潮の海は太陽の陽射しにエメラルド色に輝き、帆に風を受けたエンジンなどない悠久のままのダウ船や、手漕ぎの魚舟が行き交う。背後にはボロボロに老朽化したポルトガル風の家並み。
日曜日の静けさもあいまって、不思議な哀愁がじわじわと漂ってくる。まるで「時が止まっている。」

大航海時代に築かれたまま、そのまま古びて行く街並の中で、様々な歴史を経て住み着いたアフリカ人、アラブ人、インド人。様々な人種がここで暮らし、何とも表現のしようがない独特な雰囲気が伝わってくる。
街中には顔中におしろいを付けたキルワ人の女性も見かけられ、エスニックかつエキゾチック。
ゆっくりと小さい島を一周してもまだお昼過ぎ。だが、昼下がりの陽射しは強烈で、島を歩き回ってもうヘトヘトだ。午後はゆっくりと宿で静養。
苦労して来た事もあって、ここモザンビーク島、独特の哀愁感を味合わせてもらい、来たかいがあったと、夕方、夕暮れの魚市場にたたずむ。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:自炊パスタ
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 1500MT(メディカシュ)
・シャパ モナポ→モザンビーク島 1.5時間 20000MT/1人
【宿】A LOJAMENT 10000MT/W一室二人利用で一人当り

- 8カ国目、モザンビーク珍道中 (モザンビーク)クアンバ→ナンプラ→モナポ
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エリア:
- アフリカ>モザンビーク>モザンビークその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色 鉄道・乗り物
- 投稿日:2000/10/14 17:31
昨日は13日の金曜日。なのにシルビアと会い、色々親切にしてもらい、「悪い事が起こるどころか、とてもいい日になったなぁ」なんて思っていたのだが…。
我々を乗せた列車は早朝、クアンバを出発。日が昇ると、窓の外にはマラウィで見たのとは違う風景が広がる。
大きな岩山がいくつも連なり、頭に雲の帽子をかぶっているものもある。岩山を取り囲む細い幹の木々の葉は、それぞれに色付き、紅や黄色、オレンジに紅葉している。
別に今、モザンビークは秋な訳ではない。今は乾季。ここでは乾季に一面紅葉となるそうだ。アフリカで、意外な紅葉の景色だが、穏やかなパステル調の色彩が広がり、優美だ。

ただ、常に開け放しの窓からは、牽引するディーゼル機関車が排出するススが入り込み、加えて客室内に手荷物として持ち込まれた生きたニワトリが羽ばたいて散った羽毛が舞い、更に人々がかじるサトウキビのかけらが散乱し、我々の服はそれらのほこりだらけだ。
そんな、ひたすら列車に座り続け8時間余り、ようやくモザンビーク北部のメインタウン、ナンプラに到着。駅前でシルビアが我々の為にモザンビーク島へのバスを聞き込んでくれる。ここモザンビークでは英語はほとんど通じないが、シルビアはモザンビークで話されているポルトガル語がぺらぺらなのだ。
モザンビーク島へはまず、モナポという所までバスで行き、そこで乗り換えれば良いとの事。モナポまでのバスは割高のワゴンのミニバスか、安いトラックの荷台があり、シルビアが安い方を探し勧めてくれた。
その時である、
「ヘーイ」
いつも優しく穏やかなシルビアが突然声を上げた。
シルビアの目線の向こうを、男が背を向け一直線に走り去って行く。
「スリだ。」
急いでシルビアは男の後を追うが、重いバックパックを背負っているので、とうてい追いつけない。事情を察した地元の男数人が、物凄い勢いでスリの後を走って追う。我々も後から様子を伺うが、結局スリの姿は見失い、逃げられてしまったようだ。
シルビアはズボンのポケットに入れておいた、いくらかのお金とポストのカギを盗まれてしまったそうだ。
我々の為にバスの聞き込みをしていたばっかりに、こんな目に遭ってしまうなんて。我々も油断していた。すっかりシルビアは慣れているんだろうと任せっきりにしていた。今までJunkoと2人きりの時は、一方が写真を撮ったりしている時は必ず一方が目を光らせ、スキを見せないようにしていたのに。
シルビアにとっては、昨日13日の金曜日に我々と出会ってしまった為にこんな事になってしまったのだ。
何もしてあげられない我々2人に、シルビアは、
「私は大丈夫だから、バスでモザンビーク島に行ってらっしゃい。」
何だか気まずい気分で、シルビアが探してくれた格安のモナポ行のトラックに乗る。
トラックの荷台で揺られながら、
「モザンビーク島での滞在後、ナンプラのシルビアのアパートにお邪魔してもいいって言っていたけど、こんな状況でひょうひょうとお世話になってしまって良いものだろうか。」
そんな事ばかり考えていた。
ナンプラを出発してから30分も走らない所で「プシューッ。」、何とトラックのタイヤがパンクしてしまう。荷台に乗っていた乗客は全員降り、2時間近くタイヤが交換されるまで外で待つ。
やっとタイヤ交換が終わり、再出発。 何人かの乗客は待ちきれずにヒッチハイクで別の車で行ってしまったので、ぎゅうぎゅう詰めだった荷台に少し余裕ができ、まあちょっと苦しいけど、これも不幸中の幸いさなんて思っていた。本当は、我々もヒッチハイクでさっさと進みたかったのだが、トラック屋根にバックパックを上げられてしまっているのでできなかったのだ。
ところが再出発してから15分もたたない頃「シュルシュルシュル…」、今度はトラックのエンジンが完全停止。運転手は何度もキーを回してエンジンを掛け直そうとするが、エンジンは全く起動せず。「これはもうダメだ。」
乗客達は次々に自分の荷物を持って、荷台から降り、ヒッチハイクを始める。我々もトラックの屋根に上がり、バックパックを自分で地面に降ろすと、ヒッチハイク開始。
モザンビーク島へ行くという女性と3人で、小ぎれいなワゴン車のヒッチハイクに成功。ところが動かなくなったトラックの乗務員が、ここまでの運賃を払えと押し問答。もう日も傾きかけている。こんな所で押し問答していたら、今日中にモザンビーク島へ着けなくなってしまう。
結局、モナポまで20000MTのところ、半分の10000MTを1人当たり払う。
と、今度はヒッチした車のドライバーが1人当たり30000MT、3人分を我々に払えと言う。何でたまたま一緒に乗った人の分まで我々が、と思ったのだが、どうもヒッチしたドライバーとこのモザンビーク島へ行くという女性はすかさず利害が一致し、結託したらしい。3人分払わないなら降りろと言う。もう日が落ち暗くなり始めている。
仕方なく要求を呑み、モナポまでは連れて行ってもらう。
モナポに着く頃には、すっかり日は沈み、暗がりに月明かりが浮かんでいる。モザンビーク島へ行くというこの女性に、「まだまだ車は通るからヒッチでモザンビーク島まで一緒に行こう」と誘われるが、もう勘弁。
英語が話せる人を見付け、泊まれる所がないかと尋ね、今日はここモナポに泊まり、明日朝、モザンビーク島へ行く事にする。
それにしても、せっかくシルビアが我々の為に安い車を捜してくれたにも関わらず、その為にシルビアはスリにあい、その車に乗った我々はトラブルに会い、結局高い金額を支払わさせられる事になってしまうとは…。
街灯もない中、宿を一緒に探してくれるという英語が喋れる地元の人の後に付いて行く。
もし又、この人が良からぬ事を考えていたら…。そんな事も頭をよぎるが。このモナポなんて街、全く情報も持っていない。それに車で降ろされた場所は街の中心地から離れた所らしい。ここはもう頼るしかない。
まず初めに訪れた建物からは小柄な白人の人が出て来た。ポルトガル系だろう。彼がどうも泊まれる場所を知っているらしい。
彼の話を聞き終わると、かなり歩いて小さなバーへ。奥からは頭に白い布のキャップを付けた小柄なアラブ系のおじさんが出て来て、1人10000MTで泊めてくれると言う。2人で20000MT。どんな部屋かも判らないし、なんだか高くふっかてるんじゃないかとも思ったが、もう他に選択肢がない。
しばらく待って部屋に通されると、ちゃんとベッドがあって、扇風機も明りもあり、お世辞もきれいとは言えないが、まあまあ悪くない。ドアには内側から鍵もかけられる。この状況では良しとしよう。
アブジャブと名乗るこのアラブ系のおじさん、シャワーもあるからどうぞと言ってくれている。案内された場所を見ると、塀に囲まれた真っ暗な屋外で、くみおきの水をひしゃくで浴びるようだ。
「どうする?」
とJunkoに尋ねると、
「浴びるよ、もちろん。ほこりだらけで汗だくで耐えられないよ。」
と裸にパレオ布を巻き、アブジャブの奥さんから渡された石けんとタオルを持って、さっさと浴びに行ってしまった。
数分後、「あー、さっぱりした。」とすがすがしい顔で戻ってくるJunko。何とも頼もしい。
オレも浴びてくるか。今日は長い一日だった。明日こそ無事、モザンビーク島に辿り着けるだろうか。
【食事】
朝:クッキー
昼:揚げパン
夜:ビスケット
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 1500MT(メディカシュ)
・列車 クアンバ→ナンプラ 毎日 朝5時発 3等52000MT 8時間 1等は高いけどクーラー付き。 ところが一等のクーラー車は、窓が開かないのにいつもクーラーは故障しているので、やめた方が良いとの事。
【宿】(モナポ)アブジャブ宅 20000MT/W1室
我々を乗せた列車は早朝、クアンバを出発。日が昇ると、窓の外にはマラウィで見たのとは違う風景が広がる。
大きな岩山がいくつも連なり、頭に雲の帽子をかぶっているものもある。岩山を取り囲む細い幹の木々の葉は、それぞれに色付き、紅や黄色、オレンジに紅葉している。
別に今、モザンビークは秋な訳ではない。今は乾季。ここでは乾季に一面紅葉となるそうだ。アフリカで、意外な紅葉の景色だが、穏やかなパステル調の色彩が広がり、優美だ。

ただ、常に開け放しの窓からは、牽引するディーゼル機関車が排出するススが入り込み、加えて客室内に手荷物として持ち込まれた生きたニワトリが羽ばたいて散った羽毛が舞い、更に人々がかじるサトウキビのかけらが散乱し、我々の服はそれらのほこりだらけだ。
そんな、ひたすら列車に座り続け8時間余り、ようやくモザンビーク北部のメインタウン、ナンプラに到着。駅前でシルビアが我々の為にモザンビーク島へのバスを聞き込んでくれる。ここモザンビークでは英語はほとんど通じないが、シルビアはモザンビークで話されているポルトガル語がぺらぺらなのだ。
モザンビーク島へはまず、モナポという所までバスで行き、そこで乗り換えれば良いとの事。モナポまでのバスは割高のワゴンのミニバスか、安いトラックの荷台があり、シルビアが安い方を探し勧めてくれた。
その時である、
「ヘーイ」
いつも優しく穏やかなシルビアが突然声を上げた。
シルビアの目線の向こうを、男が背を向け一直線に走り去って行く。
「スリだ。」
急いでシルビアは男の後を追うが、重いバックパックを背負っているので、とうてい追いつけない。事情を察した地元の男数人が、物凄い勢いでスリの後を走って追う。我々も後から様子を伺うが、結局スリの姿は見失い、逃げられてしまったようだ。
シルビアはズボンのポケットに入れておいた、いくらかのお金とポストのカギを盗まれてしまったそうだ。
我々の為にバスの聞き込みをしていたばっかりに、こんな目に遭ってしまうなんて。我々も油断していた。すっかりシルビアは慣れているんだろうと任せっきりにしていた。今までJunkoと2人きりの時は、一方が写真を撮ったりしている時は必ず一方が目を光らせ、スキを見せないようにしていたのに。
シルビアにとっては、昨日13日の金曜日に我々と出会ってしまった為にこんな事になってしまったのだ。
何もしてあげられない我々2人に、シルビアは、
「私は大丈夫だから、バスでモザンビーク島に行ってらっしゃい。」
何だか気まずい気分で、シルビアが探してくれた格安のモナポ行のトラックに乗る。
トラックの荷台で揺られながら、
「モザンビーク島での滞在後、ナンプラのシルビアのアパートにお邪魔してもいいって言っていたけど、こんな状況でひょうひょうとお世話になってしまって良いものだろうか。」
そんな事ばかり考えていた。
ナンプラを出発してから30分も走らない所で「プシューッ。」、何とトラックのタイヤがパンクしてしまう。荷台に乗っていた乗客は全員降り、2時間近くタイヤが交換されるまで外で待つ。
やっとタイヤ交換が終わり、再出発。 何人かの乗客は待ちきれずにヒッチハイクで別の車で行ってしまったので、ぎゅうぎゅう詰めだった荷台に少し余裕ができ、まあちょっと苦しいけど、これも不幸中の幸いさなんて思っていた。本当は、我々もヒッチハイクでさっさと進みたかったのだが、トラック屋根にバックパックを上げられてしまっているのでできなかったのだ。
ところが再出発してから15分もたたない頃「シュルシュルシュル…」、今度はトラックのエンジンが完全停止。運転手は何度もキーを回してエンジンを掛け直そうとするが、エンジンは全く起動せず。「これはもうダメだ。」
乗客達は次々に自分の荷物を持って、荷台から降り、ヒッチハイクを始める。我々もトラックの屋根に上がり、バックパックを自分で地面に降ろすと、ヒッチハイク開始。
モザンビーク島へ行くという女性と3人で、小ぎれいなワゴン車のヒッチハイクに成功。ところが動かなくなったトラックの乗務員が、ここまでの運賃を払えと押し問答。もう日も傾きかけている。こんな所で押し問答していたら、今日中にモザンビーク島へ着けなくなってしまう。
結局、モナポまで20000MTのところ、半分の10000MTを1人当たり払う。
と、今度はヒッチした車のドライバーが1人当たり30000MT、3人分を我々に払えと言う。何でたまたま一緒に乗った人の分まで我々が、と思ったのだが、どうもヒッチしたドライバーとこのモザンビーク島へ行くという女性はすかさず利害が一致し、結託したらしい。3人分払わないなら降りろと言う。もう日が落ち暗くなり始めている。
仕方なく要求を呑み、モナポまでは連れて行ってもらう。
モナポに着く頃には、すっかり日は沈み、暗がりに月明かりが浮かんでいる。モザンビーク島へ行くというこの女性に、「まだまだ車は通るからヒッチでモザンビーク島まで一緒に行こう」と誘われるが、もう勘弁。
英語が話せる人を見付け、泊まれる所がないかと尋ね、今日はここモナポに泊まり、明日朝、モザンビーク島へ行く事にする。
それにしても、せっかくシルビアが我々の為に安い車を捜してくれたにも関わらず、その為にシルビアはスリにあい、その車に乗った我々はトラブルに会い、結局高い金額を支払わさせられる事になってしまうとは…。
街灯もない中、宿を一緒に探してくれるという英語が喋れる地元の人の後に付いて行く。
もし又、この人が良からぬ事を考えていたら…。そんな事も頭をよぎるが。このモナポなんて街、全く情報も持っていない。それに車で降ろされた場所は街の中心地から離れた所らしい。ここはもう頼るしかない。
まず初めに訪れた建物からは小柄な白人の人が出て来た。ポルトガル系だろう。彼がどうも泊まれる場所を知っているらしい。
彼の話を聞き終わると、かなり歩いて小さなバーへ。奥からは頭に白い布のキャップを付けた小柄なアラブ系のおじさんが出て来て、1人10000MTで泊めてくれると言う。2人で20000MT。どんな部屋かも判らないし、なんだか高くふっかてるんじゃないかとも思ったが、もう他に選択肢がない。
しばらく待って部屋に通されると、ちゃんとベッドがあって、扇風機も明りもあり、お世辞もきれいとは言えないが、まあまあ悪くない。ドアには内側から鍵もかけられる。この状況では良しとしよう。
アブジャブと名乗るこのアラブ系のおじさん、シャワーもあるからどうぞと言ってくれている。案内された場所を見ると、塀に囲まれた真っ暗な屋外で、くみおきの水をひしゃくで浴びるようだ。
「どうする?」
とJunkoに尋ねると、
「浴びるよ、もちろん。ほこりだらけで汗だくで耐えられないよ。」
と裸にパレオ布を巻き、アブジャブの奥さんから渡された石けんとタオルを持って、さっさと浴びに行ってしまった。
数分後、「あー、さっぱりした。」とすがすがしい顔で戻ってくるJunko。何とも頼もしい。
オレも浴びてくるか。今日は長い一日だった。明日こそ無事、モザンビーク島に辿り着けるだろうか。
【食事】
朝:クッキー
昼:揚げパン
夜:ビスケット
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 1500MT(メディカシュ)
・列車 クアンバ→ナンプラ 毎日 朝5時発 3等52000MT 8時間 1等は高いけどクーラー付き。 ところが一等のクーラー車は、窓が開かないのにいつもクーラーは故障しているので、やめた方が良いとの事。
【宿】(モナポ)アブジャブ宅 20000MT/W1室

- アフリカの大地をオンボロ列車は走る (マラウィ)バラカ→ナユチ→(モザンビーク)クアンバ
-
エリア:
- アフリカ>マラウィ>マラウィその他の都市
- アフリカ>モザンビーク>モザンビークその他の都市
- テーマ:鉄道・乗り物
- 投稿日:2000/10/13 17:12
「モザンビーク島は遠かった。」
マラウィからは、北の隣国タンザニアのダルエスサラムまで直行バスが出ている。それで一気に北上してタンザニアへ行こうかとも考えたのだが、マラウィの東の隣国モザンビークっていったいどんな所なんだろうと、言わばつまみ喰い的にちょっとだけ寄ってみる事にしたのだ。
モザンビークで我々が目指すのはモザンビーク唯一の世界遺産、モザンビーク島。ところがモザンビーク島は遠かった。 だいたい、モザンビークとの国境ナユチ行きの列車待ちで既に2日間も費やしている。そしてこれからモザンビーク島へ到達するまでの更なる2日間、珍道中が繰り広げられる事になる。
列車は朝5時発と聞いていたので、まだ暗い早朝4時前には駅に行って待っていたのだが、目の前に貨物列車は停まっているのだが、客車の姿は見えない。
4時50分、もう出発予定時刻の10分前だ。おかしいなと思って目をこらすと、はるか貨物列車の後方、日の出前の暗闇に、人が動めく気配が見える。 行ってみると、何両も長く繋がれた貨車の最後尾に、たった3両だけ客車が繋がれているではないか。
駅にはホームなどなく、明りは小さな駅舎に裸電球だけ。客室内には電気などないし、客車の前には貨車が連なっていて、はるか後方の客車は闇に隠れて見えなかったのだ。
乗り込もうとしている人に行先を確認して、慌てて客車に走って乗り込む。 汽笛とともに暗闇の中、列車は定刻通り朝5時出発。
「ふう、危なかった。」 2日も待って乗り過ごす所だった。
駅員さんは、古ぼかしいものの一応つばのついた制帽をかぶり、手に何ともレトロなカンテラの信号を持っている。青いのと黄色いのと2つのカンテラの信号を持った駅員さんが、列車の外で忙しそうにしていた。

電気がないので列車内は真っ黒。朝早いという事もあってか、乗客は皆大人しく、車内はシーンと静まり返り、列車のきしむ音と時折発せられる汽笛の音だけが響く。
間もなく空が白み始めると、窓の外には幾つもの巨大なバオバブのシルエット。まるで地球を離れ、銀河鉄道に乗っているかのような幻想的な雰囲気だ。
日が昇り、すっかり明るくなると、とたんに乗客達は活発になる。

列車は途中、小さい村などで停車するのだが、停車時に何か買い求めようと皆窓から体を乗り出し、列車を取り囲む物売り達と大声でやり取りしている。物売りたちは、パン、野菜、果物、魚、チキン等々、様々な物をカゴに入れ、頭に乗せて列車を取り囲む。すごい活気だ。
我々も朝食に、まずは昨日食べておいしかった焼きイモを購入。焼きイモを食べ終わった頃停車した村で、何やらサツマ揚げのようなキツネ色の食べ物が売られているのを発見。旅人の好奇心はもう抑えられない。自分も窓から身を乗り出し、
「How much?」
「ワン、クワチャ」
えー、1MK(≒2円)しかしないの。安い。買った!
1クワチャのコインを売り子の少年に投げ渡し、少年が両手で持ち上げたザルの中から、サツマ揚げのようなものを大き目のを一つ選んで取る。かじってみると、ほんのり甘い。小麦のパンとは違う。そばがきを揚げたような食べ物だ。しつこくない控え目の甘さがおいしい。まわりはカリカリに揚げられており香ばしい。なかなかいける。
明るくなって車内をよく見ると、人間と一緒にニワトリも大人しく乗車している。あんまり大人しいので息絶えてやしないかしらとつい見てしまうと、ニワトリと目があってしまったりする。
リウォンデという比較的大きな駅で、我々と別の車両にバックパック姿の白人女性が乗り込むのを発見。「あの人も旅行者なんだなぁ」この時はまだそう思っていた。
リウォンデを出てしばらくして、列車は何もない所で突然停車し、今来たレールを逆に戻り始めてしまった。
「ウソでしょ。また何かあったの? 勘弁してよ。」
貨車の積み荷を落としてしまったのだそうだ。不幸中の幸いか、逆走して数分ですぐに落とし物は発見。落とした積み荷というのが何とマットレスたった一枚。
「もうハラハラさせられる。ちゃんとくくり付けといてよ!」
すぐにマットレスは回収され、列車は再びモザンビーク国境の街ナユチへ向かって正しい方向へ出発。
「ホッ、大した事なくて良かった。」
ナユチに近付くと、窓の外にはどこまでも真っ平らな平坦な地形と地平線が続いている。どうもここら辺は湿原地帯らしい。
国境の街ナユチにはバラカを出てから4時間後の朝9時頃到着。
駅にあるイミグレで出国の手続きをして、モザンビークのクアンバ行きのシャパ(荷台に乗客を乗せる小型トラック)に乗り込むと、リウォンデで見掛けた白人の女の人が先に乗っていた。聞くと、何でもモザンビークのナンプラに住んでいるドイツ人で、GTZと言う、多分ドイツのJAICAの様な組織で、働いているのだそうだ。
これは心強い味方を見付けた。この人についてナンプラ迄行けば安心だ。もう10ヶ月もモザンビークに住んでるって言うし、慣れたもんだろう。この時はそう思っていた。
シャパは一旦、モザンビークのイミグレ前で停まり、乗客はモザンビーク入国の手続きをしなければならない。イミグレではおじさんが帳面に入国者の名前や国籍、パスポートNo.を写して、パスポートにスタンプを押すのだが、このおじさん、老眼らしく、差し出されたパスポートの字が良く見えなくて、一向に作業が進まない。
仕方ないので皆、パスポートNo.や名前を1字ずつ読み上げて伝えている。ところがモザンビークの公用語はポルトガル語。我々が英語で読み上げてもどうも判らないらしい。その時、さっとあのドイツ人の女の人がポルトガル語で助けてくれた。
彼女の名前はシルビア、26才。シルビア、どうも有難う。
モザンビーク入国の手続きを済ませ、シャパの荷台に乗ってクアンバへ。クアンバへの道はもちろん舗装などされておらず、シャパが走るとすごい砂ぼこりが我々の顔、体に降りかかる。おまけに荷台の乗客はギュウギュウ詰め。道も良くないので、振り落とされないように荷台にヘリに一生懸命しがみつく。
4時間近くこの状態で、クアンバに着くと、自分もJunkoもシルビアも全身砂だらけ。まぶたや鼻の上には砂が降り積もっている。鼻穴や耳穴も砂だらけ。思わずお互いの顔を見て3人で吹き出してしまった。
クアンバのバスジャンクション(正確にはシャパジャンクション)で尋ねると、ナンプラ行のバスやシャパは今日はもうないとの事で、明日早朝の列車でナンプラへ行く事にする。
「泊まる所はどうするの?」
とシルビアに聞くと、
「大丈夫、任せなさい。」
シルビアに付いて入った建物からドイツ人のおじさんが現れ、今日はここに泊めてくれると言う。このカルロスというおじさん、シルビアと同じ組織の人で、ここの大学の先生をしてるそうだ。
泊まってもいいと言われたものの、カルロス宅には3人も泊まれる程充分なスペースはないので、カルロス宅にはシルビアが、我々2人はカルロス宅の庭にシルビアのテントを張って、そこで寝る事になった。
事前にほどんど何の情報も持っていなかった街だったので、本当に助かった。おまけにテントまで借りてしまって。更におまけに、カルロス宅でお昼も夜もごちそうになってしまった。感謝、感謝。
カルロス宅でシャワー(と言ってもくみ置き水をひしゃくでかける。モザンビークの一部の大都市以外のほとんどの街は、水道はないか、機能していない。)を浴び、砂と泥だらけの体もさっぱり。
お昼も頂いて、クアンバのメルカド(市場)へ散策に出る。
シルビアの話では、明日早朝発の列車に乗れば、ナンプラからバスを乗り継いで明日中にモザンビーク島に行けると言う。ホッと一安心。「明日にはモザンビーク島に着くんだなぁ」この時にはそう思っていた。
そんな事を思いながら、土の上に木に組まれた露天の商店が並ぶクアンバのメルカド(市場)を散策などしていると、駅の近くで向うから日本人らしき人がこっちへ向かって来てる。
「こんにちは。」と話し掛けるが「Sorry?」と返されてしまった。彼は台湾人で木材の仕入れでここクアンバに滞在しているのだそうだ。
散策も終え、カルロス宅へ帰ると、皆で夕食作りの手伝いにジャガイモの皮むき。タダメシ頂く訳だからこれ位のお手伝いはしないとね。
夕食の席でカルロスから、イスラエルとパレスチナが軍事衝突を起こし、ヨルダンの米軍基地も攻撃されたとの話を聞く。まだ先の話だが、アフリカから中近東を抜けるルートも情勢次第では考え直す必要があるかもしれない。
明日の列車も早朝5時発。またもやの早朝発だが、どうもこれがここら辺のペースらしい。早目にシルビアのテントで就寝。昼も夜もたらふくごちそうになったので、いつの間にやらぐっすりと眠ってしまったようだ。
カルロスとカルロスの奥さん、そしてシルビア、本当に有難う。困った時はお互い様。この旅が終わって、日本に帰ったら自分も困った人を助けてあげよう。
【食事】
朝:焼きイモ サツマ揚げ風お焼き
昼:フィッシュフライ
夜:ジャーマンポテトとベーコン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 70MK(マラウィ・クワチャ)
1US$ = 1500MT(メディカシュ)
・列車 バラカ→ナユチ 毎月水金 5:00発 9:00着 90MK/1人
・シャパ ナユチ→クアンバ ナユチで列車の到着に合わせて待っている。
4時間 30000MT/1人
・モザンビーク入国税 5US$/1人
国境の出入国はどちらもスムーズ。
・モザンビーク入国にはビザが必要。 我々はジンバブエのハラレで取得。
【宿】(クアンバ)カルロス宅泊 無料
マラウィからは、北の隣国タンザニアのダルエスサラムまで直行バスが出ている。それで一気に北上してタンザニアへ行こうかとも考えたのだが、マラウィの東の隣国モザンビークっていったいどんな所なんだろうと、言わばつまみ喰い的にちょっとだけ寄ってみる事にしたのだ。
モザンビークで我々が目指すのはモザンビーク唯一の世界遺産、モザンビーク島。ところがモザンビーク島は遠かった。 だいたい、モザンビークとの国境ナユチ行きの列車待ちで既に2日間も費やしている。そしてこれからモザンビーク島へ到達するまでの更なる2日間、珍道中が繰り広げられる事になる。
列車は朝5時発と聞いていたので、まだ暗い早朝4時前には駅に行って待っていたのだが、目の前に貨物列車は停まっているのだが、客車の姿は見えない。
4時50分、もう出発予定時刻の10分前だ。おかしいなと思って目をこらすと、はるか貨物列車の後方、日の出前の暗闇に、人が動めく気配が見える。 行ってみると、何両も長く繋がれた貨車の最後尾に、たった3両だけ客車が繋がれているではないか。
駅にはホームなどなく、明りは小さな駅舎に裸電球だけ。客室内には電気などないし、客車の前には貨車が連なっていて、はるか後方の客車は闇に隠れて見えなかったのだ。
乗り込もうとしている人に行先を確認して、慌てて客車に走って乗り込む。 汽笛とともに暗闇の中、列車は定刻通り朝5時出発。
「ふう、危なかった。」 2日も待って乗り過ごす所だった。
駅員さんは、古ぼかしいものの一応つばのついた制帽をかぶり、手に何ともレトロなカンテラの信号を持っている。青いのと黄色いのと2つのカンテラの信号を持った駅員さんが、列車の外で忙しそうにしていた。

電気がないので列車内は真っ黒。朝早いという事もあってか、乗客は皆大人しく、車内はシーンと静まり返り、列車のきしむ音と時折発せられる汽笛の音だけが響く。
間もなく空が白み始めると、窓の外には幾つもの巨大なバオバブのシルエット。まるで地球を離れ、銀河鉄道に乗っているかのような幻想的な雰囲気だ。
日が昇り、すっかり明るくなると、とたんに乗客達は活発になる。

列車は途中、小さい村などで停車するのだが、停車時に何か買い求めようと皆窓から体を乗り出し、列車を取り囲む物売り達と大声でやり取りしている。物売りたちは、パン、野菜、果物、魚、チキン等々、様々な物をカゴに入れ、頭に乗せて列車を取り囲む。すごい活気だ。
我々も朝食に、まずは昨日食べておいしかった焼きイモを購入。焼きイモを食べ終わった頃停車した村で、何やらサツマ揚げのようなキツネ色の食べ物が売られているのを発見。旅人の好奇心はもう抑えられない。自分も窓から身を乗り出し、
「How much?」
「ワン、クワチャ」
えー、1MK(≒2円)しかしないの。安い。買った!
1クワチャのコインを売り子の少年に投げ渡し、少年が両手で持ち上げたザルの中から、サツマ揚げのようなものを大き目のを一つ選んで取る。かじってみると、ほんのり甘い。小麦のパンとは違う。そばがきを揚げたような食べ物だ。しつこくない控え目の甘さがおいしい。まわりはカリカリに揚げられており香ばしい。なかなかいける。
明るくなって車内をよく見ると、人間と一緒にニワトリも大人しく乗車している。あんまり大人しいので息絶えてやしないかしらとつい見てしまうと、ニワトリと目があってしまったりする。
リウォンデという比較的大きな駅で、我々と別の車両にバックパック姿の白人女性が乗り込むのを発見。「あの人も旅行者なんだなぁ」この時はまだそう思っていた。
リウォンデを出てしばらくして、列車は何もない所で突然停車し、今来たレールを逆に戻り始めてしまった。
「ウソでしょ。また何かあったの? 勘弁してよ。」
貨車の積み荷を落としてしまったのだそうだ。不幸中の幸いか、逆走して数分ですぐに落とし物は発見。落とした積み荷というのが何とマットレスたった一枚。
「もうハラハラさせられる。ちゃんとくくり付けといてよ!」
すぐにマットレスは回収され、列車は再びモザンビーク国境の街ナユチへ向かって正しい方向へ出発。
「ホッ、大した事なくて良かった。」
ナユチに近付くと、窓の外にはどこまでも真っ平らな平坦な地形と地平線が続いている。どうもここら辺は湿原地帯らしい。
国境の街ナユチにはバラカを出てから4時間後の朝9時頃到着。
駅にあるイミグレで出国の手続きをして、モザンビークのクアンバ行きのシャパ(荷台に乗客を乗せる小型トラック)に乗り込むと、リウォンデで見掛けた白人の女の人が先に乗っていた。聞くと、何でもモザンビークのナンプラに住んでいるドイツ人で、GTZと言う、多分ドイツのJAICAの様な組織で、働いているのだそうだ。
これは心強い味方を見付けた。この人についてナンプラ迄行けば安心だ。もう10ヶ月もモザンビークに住んでるって言うし、慣れたもんだろう。この時はそう思っていた。
シャパは一旦、モザンビークのイミグレ前で停まり、乗客はモザンビーク入国の手続きをしなければならない。イミグレではおじさんが帳面に入国者の名前や国籍、パスポートNo.を写して、パスポートにスタンプを押すのだが、このおじさん、老眼らしく、差し出されたパスポートの字が良く見えなくて、一向に作業が進まない。
仕方ないので皆、パスポートNo.や名前を1字ずつ読み上げて伝えている。ところがモザンビークの公用語はポルトガル語。我々が英語で読み上げてもどうも判らないらしい。その時、さっとあのドイツ人の女の人がポルトガル語で助けてくれた。
彼女の名前はシルビア、26才。シルビア、どうも有難う。
モザンビーク入国の手続きを済ませ、シャパの荷台に乗ってクアンバへ。クアンバへの道はもちろん舗装などされておらず、シャパが走るとすごい砂ぼこりが我々の顔、体に降りかかる。おまけに荷台の乗客はギュウギュウ詰め。道も良くないので、振り落とされないように荷台にヘリに一生懸命しがみつく。
4時間近くこの状態で、クアンバに着くと、自分もJunkoもシルビアも全身砂だらけ。まぶたや鼻の上には砂が降り積もっている。鼻穴や耳穴も砂だらけ。思わずお互いの顔を見て3人で吹き出してしまった。
クアンバのバスジャンクション(正確にはシャパジャンクション)で尋ねると、ナンプラ行のバスやシャパは今日はもうないとの事で、明日早朝の列車でナンプラへ行く事にする。
「泊まる所はどうするの?」
とシルビアに聞くと、
「大丈夫、任せなさい。」
シルビアに付いて入った建物からドイツ人のおじさんが現れ、今日はここに泊めてくれると言う。このカルロスというおじさん、シルビアと同じ組織の人で、ここの大学の先生をしてるそうだ。
泊まってもいいと言われたものの、カルロス宅には3人も泊まれる程充分なスペースはないので、カルロス宅にはシルビアが、我々2人はカルロス宅の庭にシルビアのテントを張って、そこで寝る事になった。
事前にほどんど何の情報も持っていなかった街だったので、本当に助かった。おまけにテントまで借りてしまって。更におまけに、カルロス宅でお昼も夜もごちそうになってしまった。感謝、感謝。
カルロス宅でシャワー(と言ってもくみ置き水をひしゃくでかける。モザンビークの一部の大都市以外のほとんどの街は、水道はないか、機能していない。)を浴び、砂と泥だらけの体もさっぱり。
お昼も頂いて、クアンバのメルカド(市場)へ散策に出る。
シルビアの話では、明日早朝発の列車に乗れば、ナンプラからバスを乗り継いで明日中にモザンビーク島に行けると言う。ホッと一安心。「明日にはモザンビーク島に着くんだなぁ」この時にはそう思っていた。
そんな事を思いながら、土の上に木に組まれた露天の商店が並ぶクアンバのメルカド(市場)を散策などしていると、駅の近くで向うから日本人らしき人がこっちへ向かって来てる。
「こんにちは。」と話し掛けるが「Sorry?」と返されてしまった。彼は台湾人で木材の仕入れでここクアンバに滞在しているのだそうだ。
散策も終え、カルロス宅へ帰ると、皆で夕食作りの手伝いにジャガイモの皮むき。タダメシ頂く訳だからこれ位のお手伝いはしないとね。
夕食の席でカルロスから、イスラエルとパレスチナが軍事衝突を起こし、ヨルダンの米軍基地も攻撃されたとの話を聞く。まだ先の話だが、アフリカから中近東を抜けるルートも情勢次第では考え直す必要があるかもしれない。
明日の列車も早朝5時発。またもやの早朝発だが、どうもこれがここら辺のペースらしい。早目にシルビアのテントで就寝。昼も夜もたらふくごちそうになったので、いつの間にやらぐっすりと眠ってしまったようだ。
カルロスとカルロスの奥さん、そしてシルビア、本当に有難う。困った時はお互い様。この旅が終わって、日本に帰ったら自分も困った人を助けてあげよう。
【食事】
朝:焼きイモ サツマ揚げ風お焼き
昼:フィッシュフライ
夜:ジャーマンポテトとベーコン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 70MK(マラウィ・クワチャ)
1US$ = 1500MT(メディカシュ)
・列車 バラカ→ナユチ 毎月水金 5:00発 9:00着 90MK/1人
・シャパ ナユチ→クアンバ ナユチで列車の到着に合わせて待っている。
4時間 30000MT/1人
・モザンビーク入国税 5US$/1人
国境の出入国はどちらもスムーズ。
・モザンビーク入国にはビザが必要。 我々はジンバブエのハラレで取得。
【宿】(クアンバ)カルロス宅泊 無料

- 青空マーケット (マラウィ)バラカ
-
エリア:
- アフリカ>マラウィ>マラウィその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色
- 投稿日:2000/10/12 16:52
朝食後、宿のレストランのキッチンに、Junkoが水筒を持ってお湯をもらいに行くと、キッチンのおじさん、快くOK! なんてやさしいおじさんだ。昔、サイパンの日系ホテルでカップラーメンを食べようと、レストランにお湯をもらいに行ったら、「ダメだけど10$払うんなら分けてやる」なんて言われた事もあったから心配していたけど、マラウィの人は親切だ。感謝、感謝。本当に水は有り難いものです。夕方ももらいに行ってみよう。
今日は、明日発の列車の待機日。特にする事もないのでバラカの街の散策に出る。
ここバラカは活気のある元気な街だ。これまでアフリカ南部のちょっとした大きな街では、近代的な建物が目立ち、アフリカらしさはビルの陰に追いやられてしまっていたが、バラカの街ではドーンとでっかい青空マーケットが街の中心にあり、食べ物、日用品、布や服類などが売られ、朝から晩まですごい活気だ。ガソリンスタンドやスーパーマーケットなどは、この青空マーケットの外側でひっそりと営業している。

見慣れぬ東洋人の我々が通ると、カラフルだけど使い古されてちょっと色あせた、布の腰巻きをしたママ達が、「ヘーイ、どこから来たんだい」「これ食べると元気が出るよ!!」と陽気に声を掛けてくれる。
見た事もない果物や食べ物が並んでいて、興味をそそられるが、我慢、我慢。最近、失敗続き、変なもの食べてお腹でも壊したら大変だ。と、キャッサバの隣のカゴの中に焼きイモらしき姿を発見。「おばさん、これいくら?」と尋ねると、何と大きいのが1個5MK(≒8円)。安い。
試しに一個購入。おイモを割ると、中身はまるでかぼちゃのようなオレンジ色。2人でホクホクとほおばると、旨い! 甘い!
モザンビークに行く都合で全く予定外の滞在をしてしまったバラカ、アフリカらしいなかなかいい所だ。こういう予想外のステキな街との出遭いも旅の楽しみ方の一つ。ちょっと昼寝でもして、夜もマーケットに晩御飯でも物色しに行こう。
【食事】
朝:目玉焼き
昼:焼きイモ バナナ
夜:フライドポテト
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 70MK(マラウィ・クワチャ)
【宿】(バラカ)MLAMBE MOTEL 550MK/W 1室1泊 朝食付き。
今日は、明日発の列車の待機日。特にする事もないのでバラカの街の散策に出る。
ここバラカは活気のある元気な街だ。これまでアフリカ南部のちょっとした大きな街では、近代的な建物が目立ち、アフリカらしさはビルの陰に追いやられてしまっていたが、バラカの街ではドーンとでっかい青空マーケットが街の中心にあり、食べ物、日用品、布や服類などが売られ、朝から晩まですごい活気だ。ガソリンスタンドやスーパーマーケットなどは、この青空マーケットの外側でひっそりと営業している。

見慣れぬ東洋人の我々が通ると、カラフルだけど使い古されてちょっと色あせた、布の腰巻きをしたママ達が、「ヘーイ、どこから来たんだい」「これ食べると元気が出るよ!!」と陽気に声を掛けてくれる。
見た事もない果物や食べ物が並んでいて、興味をそそられるが、我慢、我慢。最近、失敗続き、変なもの食べてお腹でも壊したら大変だ。と、キャッサバの隣のカゴの中に焼きイモらしき姿を発見。「おばさん、これいくら?」と尋ねると、何と大きいのが1個5MK(≒8円)。安い。
試しに一個購入。おイモを割ると、中身はまるでかぼちゃのようなオレンジ色。2人でホクホクとほおばると、旨い! 甘い!
モザンビークに行く都合で全く予定外の滞在をしてしまったバラカ、アフリカらしいなかなかいい所だ。こういう予想外のステキな街との出遭いも旅の楽しみ方の一つ。ちょっと昼寝でもして、夜もマーケットに晩御飯でも物色しに行こう。
【食事】
朝:目玉焼き
昼:焼きイモ バナナ
夜:フライドポテト
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 70MK(マラウィ・クワチャ)
【宿】(バラカ)MLAMBE MOTEL 550MK/W 1室1泊 朝食付き。
16 - 20件目まで(31件中)


