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イチローとジュンコの夫婦珍道中

~バックパッカー日記~

プロフィール

ニックネーム:
イチローとジュンコ
居住地:
東京都
自己紹介:
2000年9月 日本を旅立ったイチローとジュンコは、飛行機で、南アフリカ・ケープタウンに降り立った。
二人はそこから日本まで、飛行機を使わずに、陸路と船のみで帰る。
アフリカ大陸南端の喜望峰から日本まで、アフリカ、東西ヨーロッパ、中東、シルクロードとまるまる1年かけての、夫婦珍道中。
野宿もしました。ゴリラと挨拶もしました。サハラを越え、ヒマラヤを越え。。
大自然、世界遺産、カルチャーショック、紛争の傷跡、そして、多くの出会い。
2001年8月無事帰国した二人の旅を振り返って、番外編コラムを掲載します。

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46カ国目、ルーマニア入国 (ルーマニア)ブカレスト→ブラショフ
エリア:
  • ヨーロッパ>ルーマニア>ブカレスト
  • ヨーロッパ>ルーマニア>ブラショフ
テーマ:街中・建物・景色 
投稿日:2001/05/24 15:33
 昨夕ユーゴスラビアのベオグラードを出発した夜行列車は、深夜国境を通過しルーマニアへ入国。

 朝を迎えると、車窓の外にはルーマニアの田園地帯が広がっている。遊牧のヤギを追う子供、荷車を引くロバ、畑地の中には花咲くバラ畑も見える。これまで見てきた西欧、中欧とは同じヨーロッパでも雰囲気が違っているようだ。

 ブカレストで列車を乗り換え、カルパチア山脈の雪帽子を眺めながら、お昼ごろ古都ブラショフに到着。

 これまでもさんざんヨーロッパ各地の古都や旧市街を見てきたが、どれも似通っているとも言えるが、それぞれに特有の味わいがあり飽きることはない。

 ここブラショフの旧市街もしかり。裏手のトゥンパ山のてっぺんから、かわいらしいピンクの野ばらの花越しに見えるパノラマの下の旧市街に、思わずカメラを向ける。

 夕方には、旧市街の街角で揚げ立てのパパナッシュ(ルーマニア風伝統ドーナツ)をほおばり、中央の広場では行き交うルーマニア美人たちの姿につい目を奪われる。

 バイクでアフリカ縦断を目指していたライダーの奥平さん、どうやらエジプト経由で無事アフリカを越え東欧に入ったようで、先日「今ルーマニアにいます。」とメールが届いていたのだが、そのメールには更に以下の下り。
 「こっちはおねえちゃんがみんなきれいで楽しいです。」

 東欧に入ってから肌が白くてスラッとした美人が多いなと思っていたのだが、ルーマニア美人は更に日本人の好みに合うようだ。さすがは奥平さん、お目が高い。そしてさすがはルーマニア、期待を裏切らず。

 女性ながらもJunkoもひっきりなしに、通り過ぎる美女の姿に振り返って目を奪われている。


【食事】

朝:パン
昼:パン
夜:パパナッシュ、ホットドック、牛乳

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 28000Lei(ルーマニア・レイ)
・ルーマニアビザ 日本人旅行者は不要
・ブカレスト→ブラショフ (列車)3.5時間 125000Lei
・ブラショフ・トゥンパ山のロープウエイ 25000Lei/往復一人あたり

【宿】
(ブラショフ)Hotel Aro Sport 34000Lei/ダブル一室

NoPhoto
心痛 (ユーゴスラビア)ベオグラード→ルーマニアへ
エリア:
  • ヨーロッパ>セルビア>ベオグラード
テーマ:街中・建物・景色 
投稿日:2001/05/23 15:10
 スロベニアからクロアチア、ボスニアヘルツェゴビナそして新ユーゴスラビアと、旧ユーゴの国々を旅して思うこと。

 複雑に入り組んだアドリア海沿岸の海岸線、その海岸線から内陸部に至るまでほとんど平地らしい平地がない地形。そのせいもあって、悠久よりこの地は落ち着いて統一されることはなかった。

 そしてオスマントルコ、オーストリア帝国、ナチスドイツと周囲の列強にほんろうされ続けた歴史。民族、宗教、、歴史を経て生じた様々な勢力、様々な利害。

 チトー大統領率いる旧ユーゴの時代にようやく諸国は落ち着き、共和国という形でひとつ国旗の下、お互い仲良くやっているかと思っていた。
 ところが、チトー大統領が他界しベルリンの壁が崩壊すると間もなく、それぞれの勢力が互いに独立と領土の確保、そして戦闘によって生じた遺恨を晴らすため、分裂し戦闘を繰返す。

 世は正に、現代まで続く戦国時代なのだ。

 現代にまで引きずられたせいで、そこに近代兵器が転がりこんだことが自体を悪化させている。
 当事国ではその武器は造られてはいない。大量の武器はいったいどこから流れ込んでくるのだろうか?

  現代にいたってもいまだに当事者以外の、様々な者たちの様々な思惑がはいり込み、事態を更に複雑化させているのだ。

 そしてここ新ユーゴの首都ベオグラードで我々の前にそびえる爆破ビルは、コソボ紛争時日本もその身内と言える西欧と米国によるNATO軍によって爆撃されたものだ。

 そして騒乱のたびに日本は、明石氏、緒方さんと国連を通じて要人を送り込み事態収拾に尽力したが、一部では国連の常任理事国入りをもくろんでのことだったのではないかともささやかれているそうだ。

 そのためかどうかはわからないが、もちろんこの地域には日本からたっぷりと援助金が捧げられており、そのお陰で我々日本人旅行者はビザなしで旅行ができるとの噂だ。
 その援助金が武器購入資金などよからぬことに流用されてはいないかと、危惧してしまう。

 どうやら、
 「我々も部外者ではない。」


【食事】

朝:パン
昼:パン、ピタ(菜の花、カッテージチーズのクレープ巻き)
夜:プレスカピザ(トルコ風チーズ無しのピザ)

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 55YD(ユーゴスラビア・ディナール)
1US$ ≒ 2DM(ドイツ・マルク:東欧ではドイツマルクが歓迎されることが多い)
(1DM = 30YD)
・ベオグラード→ルーマニア・ブカレスト (夜行列車)14時間半(17:50発、翌8:30着) 1601yd

【宿】
上記夜行列車内泊。

NoPhoto
内戦の傷跡? (ボスニアヘルツェゴビナ)サラエボ→(ユーゴスラビア)ベオグラード
エリア:
  • ヨーロッパ>セルビア>ベオグラード
  • ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ>サラエボ
テーマ:街中・建物・景色 
投稿日:2001/05/22 15:04
 「さ、これを持って。」
自宅のアパートの一室を家計の足しにと宿として間貸ししているおばさん、朝ベオグラードに発つ我々にサンドイッチを作って持たせてくれたのだ。もちろんおばさんの好意につき無料。

 実はおばさんとはほとんど言葉が通じないので、以下、おばさんの言葉は雰囲気です。おばさんのジェスチャーやほんの少しの英単語から、こちらが勝手に意味や気持ちをくみ取ったものです。

おばさんとは、ベオグラード行きが出るバスターミナルまで車で送ってもらう約束をしている。
いただいたサンドイッチが入ったビニール袋を手に下げ、おばさんの軽自動車に乗り込む。

しばらく大きな通りを走り、信号で止まった時、
「あれ、あれ。あれを見て!」

 おばさんが指差す方を見て唖然。そこにはボロボロに崩れ、破壊された巨大なビルディング。ビルというよりビルの跡かたのコンクリートの残骸だ。

 「ボム、ボム」
と、おばさんの片言の解説。

 ここは内戦時、爆撃によって破壊された新聞社のビルだったものだ。
 そのあまりにもすさまじい破壊されぶりは、まるでついさっき爆破されたかのようだ。

 それもそのはず。この爆破ビル、内戦の悲惨さを後にも伝えるように、わざわざ何の手も加えずに爆破されたままの姿で残されているのだ。

 信号が青に変わると、車は少し進み舗装路をそれ、細いダートの道へ入る。
 「おかしいな、バスターミナルとは違う方に進んでる気がするけど、近道なのかな?」

 すると間もなく、わん曲した路地の両脇に隙間を見つけるのが難しいほど銃痕で埋め尽くされた壁と、崩壊した家々がぎっしりと立ち並んでいる。壮絶な光景だ。

 「ムスリーム」
おばさん、運転しながら片手で道に沿って手刀を切り、その左側を指して重々しく言葉を発する。

 内戦時、サラエボではセルビア人勢力とモスリム(イスラム教徒)勢力が激しく対立し、撃ち合い、戦闘つまりは殺りくを繰り返した。その最前線だったところを我々は走っているらしい。

 「おばさん、これを見せたかったんだな。」
 おばさんの家に、モスクの壁掛けが飾ってあったのを思い出した。

 車は舗装された車道に戻り、バスターミナルに到着。ここでサラエボともおばさんともお別れだ。

 車を降りると、おばさんと抱擁し合って別れを告げる。
 一ヶ月前にだんなさんが亡くなってしまったとのことで、昨夜我々の前で泣き崩れてしまったやさしいおばさん。言葉は通じないが、
 「おばさん、元気出して、頑張って!!」
こう伝えたかったのだ。

 朝8時にサラエボを出たバスは、あまり整備されていない田舎道のような道を走り、ユーゴスラビアに入国。
 入国時、乗客は全員バスから降ろされ、一人ひとりおけに入った消毒液に手をつけさせられる。

 ここは地続きの国境。鳥だって虫だってノラ犬だって、目の前で自由に国境を行き来しているというのに、人間だけ、それも手のひらだけ消毒して何の意味があるというのだろうか?

 夕刻到着したユーゴスラビアの首都ベオグラード。
 繁華街の奥に控える高台の公園からは、そこにも大きな爆破ビルの姿が、おどろおどろと目に飛び込んできた。


【食事】

朝:サンドイッチ
昼:パン、クッキー
夜:スパゲティ

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 2KM(ボスニアヘルツェゴビナ・兌換マルク:ドイツマルクと等価)
1US$ ≒ 55YD(ユーゴスラビア・ディナール)
1US$ ≒ 2DM(ドイツ・マルク:東欧ではドイツマルクが歓迎されることが多い)
(1DM = 30YD)
・サラエボ→ベオグラード (バス)9時間(8時発、17時着) 16KM + 荷物一つあたり1.3KM
・ユーゴスラビア入国  日本人旅行者はビザ不要

【宿】
(ベオグラード)Hotel POSHTA 40DM/トリプル一人当り
 →日本人旅行者1人と我々2人で三人部屋をシェア。
  駅とバスターミナルの近くの郵便局向かい。表示はキリル文字のみで「ПОШТА」。

内戦の傷跡?1
内戦の傷跡?(クロアチア)ドブロヴニク→ボスニアヘルツェゴビナ・サラエボ
エリア:
  • ヨーロッパ>クロアチア>ドブロブニク
  • ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ>サラエボ
テーマ:街中・建物・景色 
投稿日:2001/05/21 14:57
 スロベニアもクロアチアも、これから向かうボスニア・ヘルツェゴビナも、かつてはユーゴスラビアというひとつの共和国だった。

 冷戦後、その旧ユーゴスラビアが崩壊し、これらの国が独立したわけだが、それはいずれの場合も平和的なものではなく、独立戦争の血が流されている。
 すでに我々が旅してきたスロベニアしかり。旅して目にした姿からは全く想像もできなかったが、特にクロアチアでは多くの血が流れた。
 スロベニアもクロアチアも、独立したのはわずか10年前のことだ。

 そして和平協定が結ばれ、停戦したのはわずか5年前。NATO軍の介入とともに流されたテレビのニュース報道の記憶もまだ新しい、ボスニア・ヘルツェゴビナにいよいよ今日バスで乗り込む。

 朝、クロアチアのドブロヴニクを出発したバスは、まもなくボスニア・ヘルツェゴビナに入国。

 のどかな緑の湖しょう地帯をしばらく行くと、バスは、道沿いに並ぶ建物の壁の無数の銃痕(じゅうこん)が痛々しいモスタル街に途中停車。 モスタルは、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立がらみの内戦で、一番の激戦区となったところだ。
 その傷跡の生々しさに、背筋が凍りつく。

 やがてバスはボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボに到着。

 町のまん中をつらぬくトラムも走る大通りは、通称「スナイパー通り」。

 内戦中はこの通りを挟んで、対立する勢力の銃弾が激しく飛び交ったそうだ。
 あたりには爆撃を物語る、コンクリートの壁が崩れ落ちたままになっていたり黒焦げのままのビルが点在している。

内戦の傷跡?1

 身の毛をよだらせながら、背筋に悪寒を感じながら、スナイパー通りを抜けると、そこには小さなサラエボの旧市街。

 かわいらしいセルビア正教会の前の広場では、おじさんたちが集って人の子ほどもある大きなチェスのコマを動かしながら夕涼みを楽しんでいる。

 旧市街の中心にはオスマン・トルコ時代の趣そのままの店舗が軒を連ね、トルコ風のコーヒーセットや工芸品が店先に並んでいる。
 すっかり観光客用のお土産物屋街になってしまった有名な本場トルコのイスタンブールのバザールより、よほどここサラエボの旧市街の方が、小さいながらも古き良きトルコを雰囲気そのままに、静かで味わい深い。

 そんな旧市街の路地をわきにそれると、小さい川に架かる石の橋が現れる。
 ここはオーストリア帝国時代、領主オーストリア帝国の皇太子が狙撃され第一次世界大戦が勃発した「サラエボ事件」の現場だ。

 その橋を渡って少し歩くと見えてきたのは、五輪のマークが刻まれたコンクリート製の大きな建物、1984年に開催されたサラエボ冬季オリンピックのスケート場だ。

 スケート場の西に架かる橋の上には、内戦勃発時、最初の犠牲者となって撃たれて亡くなった女性の写真と献花。
 そして更に、その背後には爆破ビルの残がい。

 混乱、戦争、平和の祭典、激動のサラエボを物語る様々なモニュメント。そしてその中央にひっそりたたずむ旧市街。
 今はまだ内戦の傷跡ばかりが注目されてしまう町だけど、味わい深いかわいらしい旧市街が早くサラエボの目玉となるよう願うばかりだ。

 我々は、バスで着いた時、客引きをしていたおばさんの家に宿を取っている。おばさんが自宅のアパートの一室を貸して家計の足しにしているのだ。

 夕方は、その「おばさんの宿」に戻って晩ご飯を頂く。
 おばさんが、「晩ご飯はどうか?」と聞くので、少々高かったが地元の家庭料理が食べられるのならとお願いしてみたのだ。

 ところが、料理の方はぼちぼちだったのだが、我々の食事中おばさんは隣で電話をしながら大声で泣き崩れてしまう。
 気まずい雰囲気の中で、自分とJunkoは黙々と料理を食べるしかない。

 あとで聞くと、おばさんのだんなさんが一ヶ月ほど前に亡くなってしまったのだそうだ。

 おばさん、大学生くらいの娘さんになぐさめられている。
 だんなさんが内戦のせいで亡くなったのかどうかはわからない。
 壁にはモスクの壁掛けがかかっている。

 サラエボという街、ほんのわずかな滞在でもそこによどむ空気は非常に複雑で、人間のおろかさ、むなしさ、悲哀が吹きだまっているかのようだ。


【食事】

朝:パン
昼:スープとパン(バスが休憩に立ち寄ったモスタル郊外の景色のいいレストランにて)
夜:チキンリゾット、ポテトサラダ、ボスニアコーヒ(トルココーヒーに似ている)

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 8KN(クロアチア・クーナ)
1US$ ≒ 2KM(ボスニアヘルツェゴビナ・兌換マルク:ドイツマルクと等価)
1US$ ≒ 2DM(ドイツ・マルク:東欧ではドイツマルクが歓迎されることが多い)
・ドブログニク→サラエボ (バス)6.5時間(8:00発14:30着)
 167KN + 荷物代1つあたり8KN
・ボスニアヘルツェゴビナ入国 日本人旅行者はビザ不要。

【宿】
(サラエボ)Zudan Enver's House 28DM/民泊一人、夕食つき

アドリア海に浮かぶ旧市街? 1
アドリア海に浮かぶ旧市街? (クロアチア)ドブロヴニク
エリア:
  • ヨーロッパ>クロアチア>ドブロブニク
テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 
投稿日:2001/05/20 14:51
 雲ひとつない青空、日の光にはえるアドリア海。

 オレンジ色の屋根瓦にそまるドブロヴニクの旧市街は、
 「青い海に浮かんでいるのか、空に浮かんでいるのか。」

 城壁の上で、青い空とアドリア海に染まった真っ青な背景に浮かび上がる旧市街の街並みをうっとりと眺めながら、自分も景色も止まったまま、1時間や2時間あっという間だ。

 旧市街を取り囲む城壁の上を、そんな調子でゆっくりぐるっと一周まわると、旧市街を出る。

 そして、海岸線上を少し行った公園のベンチに座り、今度は外側から旧市街を眺めてみる。

アドリア海に浮かぶ旧市街? 1

 その存在感と比べてドブロヴニクの旧市街はとても小さい。ゆっくり歩いてでも離れて行けば、複雑な海岸線の地形に隠されてあっという間にその姿は見えなくなってしまう。

 もうしばらく、旧市街を臨むこの公園でゆっくりしていこう。


【食事】

朝:パン
昼:パン
夜:ピザ
 
【トラベルメモ】

1US$ ≒ 8KN(クロアチア・クーナ)
1US$ ≒ 2DM(ドイツ・マルク:東欧ではドイツマルクが歓迎されることが多い)
・ドブログニク旧市外の城壁 入場料15KN

【宿】
(ドブロブニク)Ruzica Branada's House 20DM/ダブル一室

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