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- 秘境 カラッシュ・バレー I (パキスタン)チトラル→カラッシュバレー・ブンブレットのブルーン村
-
エリア:
- アジア>パキスタン>パキスタンその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色
- 投稿日:2001/07/02 10:19
チトラルの街自体、険しい谷にへばりつくようにあるのだが、乗合ジープで更に山合の奥の細道へ谷を入っていく。
谷へ真っさかさまに下り続く崖を削ったようなガタガタ道の石ころをけちらしながら車は進み、やがて道脇に緑が開けると、畑で農作業に精を出すカラッシュ族の女性の姿を発見。
ここが我々にとってのパキスタンの旅のハイライト、カラッシュバレーだ。
イスラム教国パキスタン、そこに暮らす人々はもちろんほとんどイスラム教徒だ。
だがパキスタン北部の山合の谷に暮らすカラッシュ族の人々は、独自の信仰を守り続けているのだ。
チトラルも含め、ここまで訪れたパキスタンの街々では、女性の姿はバスターミナルなどで少し見た位で街中ほとんど見かける事はなかった。
街を歩くのも、売るのも買うのも男ばかり。男同士手をつないで歩く姿も、こちらでは日常の事だ。
だがカラッシュ族の人々は女性も顔を出し、それどころかすその長い黒地のスカートに刺繍装飾、飾りの付いたキレイな帽子をかぶり、街を歩き、農作業に精を出し、活き活きと生活しているのだ。
我々はそんなカラッシュ族の人々が暮らす谷、カラッシュバレーのブンブレットと呼ばれる地域にある小さなブルーン村に滞在。
チトラルからの乗合ジープがブルーン村に付くと、路端たむろする人に尋ねながら、谷の斜面の畑のアゼ道を上る。
今日泊まる安宿は、カラッシュ族の家族が営む民宿。
前述した様なトラディッショナルな民族衣装で身を包み、化粧をほどこした女性達が炊事にはげむ、半露天の間口をくぐる。
「Hello!!」
いろりの前に出された木の腰掛に座り、出された甘く濃厚なミルクティーを飲みながら自己紹介。
そして民族衣装姿の女性達と記念撮影を済ます。
イスラム教国の中で細々と暮らす異教徒のイメージ゛があったのだが、意外にもカラッシュの人々は、男も女もフレンドリー。
お互いたどたどしくしかコミュニケーションを取る事ができないのだが、言葉やジェスチャーに詰まってはお互い顔を見合わせ、笑顔をかわす。
日中は谷を流れる渓谷の川辺に座り、村の人々の暮らしぶりを眺めながらボーッと過ごす。
授業の終った木造の学校の縁側で、大人と全く同じ民族衣装をイッチョ前に身に付けた女の子達が座り、輪になって何やら遊びに興じている。本を開け先生に質問して勉強を習っている人もいる。
日射しは相変わらず強いが、清流の響きが耳に心地良い。
谷を流れる水の音と、風の音、子供達の笑い声だけが静かに響き渡る。
日中は強い日射でそれなりに暑かったが、夕方になるとかなり過ごし易くなる。
夕涼みに暮れゆく谷を眺めていると、
「いいところだろう?いつまでいるんだい?」
と、宿のご主人。
「一泊だけのつもりで来たんですけど。」
と、答えると、
「それはもったいない。せめてもう一泊だけでもして行けばいいのに。」
これまで通って来たパキスタンの街の喧騒が嘘のように、静かで平和な谷、カラッシュバレー。
「本当にいい所だ。」
【食事】
朝:パンケーキ、チャパティ
昼:ジャガイモ煮、煮豆
夜:ジャガイモ煮とご飯
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・チトラル→ブンブレット・ブルーン村 乗合ジープ 2時間 30PR+100PR
(外国人がカラッシュバレー地帯へ入る場合、通行料兼パーミッション料金払わさせられる)
【宿】
(ブルーン村)Kalash Guest House 120PR/W-1人3食付
谷へ真っさかさまに下り続く崖を削ったようなガタガタ道の石ころをけちらしながら車は進み、やがて道脇に緑が開けると、畑で農作業に精を出すカラッシュ族の女性の姿を発見。
ここが我々にとってのパキスタンの旅のハイライト、カラッシュバレーだ。
イスラム教国パキスタン、そこに暮らす人々はもちろんほとんどイスラム教徒だ。
だがパキスタン北部の山合の谷に暮らすカラッシュ族の人々は、独自の信仰を守り続けているのだ。
チトラルも含め、ここまで訪れたパキスタンの街々では、女性の姿はバスターミナルなどで少し見た位で街中ほとんど見かける事はなかった。
街を歩くのも、売るのも買うのも男ばかり。男同士手をつないで歩く姿も、こちらでは日常の事だ。
だがカラッシュ族の人々は女性も顔を出し、それどころかすその長い黒地のスカートに刺繍装飾、飾りの付いたキレイな帽子をかぶり、街を歩き、農作業に精を出し、活き活きと生活しているのだ。
我々はそんなカラッシュ族の人々が暮らす谷、カラッシュバレーのブンブレットと呼ばれる地域にある小さなブルーン村に滞在。
チトラルからの乗合ジープがブルーン村に付くと、路端たむろする人に尋ねながら、谷の斜面の畑のアゼ道を上る。
今日泊まる安宿は、カラッシュ族の家族が営む民宿。
前述した様なトラディッショナルな民族衣装で身を包み、化粧をほどこした女性達が炊事にはげむ、半露天の間口をくぐる。
「Hello!!」
いろりの前に出された木の腰掛に座り、出された甘く濃厚なミルクティーを飲みながら自己紹介。
そして民族衣装姿の女性達と記念撮影を済ます。
イスラム教国の中で細々と暮らす異教徒のイメージ゛があったのだが、意外にもカラッシュの人々は、男も女もフレンドリー。
お互いたどたどしくしかコミュニケーションを取る事ができないのだが、言葉やジェスチャーに詰まってはお互い顔を見合わせ、笑顔をかわす。
日中は谷を流れる渓谷の川辺に座り、村の人々の暮らしぶりを眺めながらボーッと過ごす。
授業の終った木造の学校の縁側で、大人と全く同じ民族衣装をイッチョ前に身に付けた女の子達が座り、輪になって何やら遊びに興じている。本を開け先生に質問して勉強を習っている人もいる。
日射しは相変わらず強いが、清流の響きが耳に心地良い。
谷を流れる水の音と、風の音、子供達の笑い声だけが静かに響き渡る。
日中は強い日射でそれなりに暑かったが、夕方になるとかなり過ごし易くなる。
夕涼みに暮れゆく谷を眺めていると、
「いいところだろう?いつまでいるんだい?」
と、宿のご主人。
「一泊だけのつもりで来たんですけど。」
と、答えると、
「それはもったいない。せめてもう一泊だけでもして行けばいいのに。」
これまで通って来たパキスタンの街の喧騒が嘘のように、静かで平和な谷、カラッシュバレー。
「本当にいい所だ。」
【食事】
朝:パンケーキ、チャパティ
昼:ジャガイモ煮、煮豆
夜:ジャガイモ煮とご飯
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・チトラル→ブンブレット・ブルーン村 乗合ジープ 2時間 30PR+100PR
(外国人がカラッシュバレー地帯へ入る場合、通行料兼パーミッション料金払わさせられる)
【宿】
(ブルーン村)Kalash Guest House 120PR/W-1人3食付
- ペシャワルのバスターミナルで (パキスタン)ラワールピンディ→ペシャワル→チトラル
-
エリア:
- アジア>パキスタン>パキスタンその他の都市
- アジア>パキスタン>ペシャワール
- テーマ:街中・建物・景色
- 投稿日:2001/06/30 15:31
パキスタンは今日も暑い。
昨日40℃を越える猛暑の中でタキシラのガンダーラ遺跡を歩き、すっかり疲れ切ってしまった我々、
「早く少しでも涼しいところへ行きたい。」
と、北部の山間にあるチトラル行を決意する。
朝、ラワールピンディからペシャワルまでバスで行き、そこで夜出発するチトラル行の夜行バスを待つ。
アフガニスタンにも程近いペシャワル、市場など独特の面白さがあるとも聞いていたのだが、もう我々には、この暑さの中、ゴミゴミしたマーケットを歩き回る気力が残っていない。
ペシャワルのバスターミナルのイスにうなだれる様に座っていると、
「こっちこっち」
と、おじさんが手招きしている。
通されたのは、バスターミナル裏の空き地にあるオフィスの小屋。
木製のワクにロープを張っただけのベットと扇風機が置いてあり、そこで休めと言う。
そこのベッドに座ったりうなだれたりしながら休んでいたら、壁にいかついおじさんの顔の絵が描かれたポスターが並んで張ってあるのに気付く。
気になって良く見てみると、おじさんの頭の上に小さなロケットの様な物が飛んでいる。
自分がそのポスターを見つめているのを見て、その小屋に連れてきてくれたおじさん、
「これ誰だか分かるかい?核ミサイルをパキスタンで開発した博士だよ。」
そんな人が偉人として崇拝されているとは、我々の感覚からすると何だかお寒い。
隣国でパキスタンと仲が悪いインドが、核隔散条約に同意しないのもわかる様な気がする。
まあどっちもどっちなんだろうが。気掛かりなのは、我々の感覚での抑止力が通用するだろうか…。
オフィスの小屋で寝転がっているのも飽きて、またバスターミナルに戻り、座っていると裸足の少年と物売りの少年がとっくみあって、我々の近くに転げ込み、何やらもみ合っている。
そしてあっと言う間に近くにいた大人達がそのまわりを取り囲み、裸足の少年をしかりつけ、口応えするとその少年を手で打ったりしている。
事態が一段落した頃、話を聞いてみると物売り少年は裸足の少年の兄で、家出していた裸足の少年を見つけ家に連れ戻そうとしたのだが、裸足の少年は、
「あんな家には帰りたくない。」
と言う様な事を言って、言う事を聞こうとしなかったそうだ。
少年らがどんな所でどの様に暮らしているかはわからないが、こちらでは兄弟が7〜8人は当たり前、もっと多い人もいるそうだ。
更に一夫多妻制でもある。
ただ日がなバスを待っているだけでも、この国パキスタンの様々な一面を見る事ができる一日だった。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:マフィン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・ ラワールピンディ→ペシャワル バス3.5時間 42.5PR
・ ペシャワル→チトラル 夜行ミニバス 20:30発 翌11:30着 250PR
昨日40℃を越える猛暑の中でタキシラのガンダーラ遺跡を歩き、すっかり疲れ切ってしまった我々、
「早く少しでも涼しいところへ行きたい。」
と、北部の山間にあるチトラル行を決意する。
朝、ラワールピンディからペシャワルまでバスで行き、そこで夜出発するチトラル行の夜行バスを待つ。
アフガニスタンにも程近いペシャワル、市場など独特の面白さがあるとも聞いていたのだが、もう我々には、この暑さの中、ゴミゴミしたマーケットを歩き回る気力が残っていない。
ペシャワルのバスターミナルのイスにうなだれる様に座っていると、
「こっちこっち」
と、おじさんが手招きしている。
通されたのは、バスターミナル裏の空き地にあるオフィスの小屋。
木製のワクにロープを張っただけのベットと扇風機が置いてあり、そこで休めと言う。
そこのベッドに座ったりうなだれたりしながら休んでいたら、壁にいかついおじさんの顔の絵が描かれたポスターが並んで張ってあるのに気付く。
気になって良く見てみると、おじさんの頭の上に小さなロケットの様な物が飛んでいる。
自分がそのポスターを見つめているのを見て、その小屋に連れてきてくれたおじさん、
「これ誰だか分かるかい?核ミサイルをパキスタンで開発した博士だよ。」
そんな人が偉人として崇拝されているとは、我々の感覚からすると何だかお寒い。
隣国でパキスタンと仲が悪いインドが、核隔散条約に同意しないのもわかる様な気がする。
まあどっちもどっちなんだろうが。気掛かりなのは、我々の感覚での抑止力が通用するだろうか…。
オフィスの小屋で寝転がっているのも飽きて、またバスターミナルに戻り、座っていると裸足の少年と物売りの少年がとっくみあって、我々の近くに転げ込み、何やらもみ合っている。
そしてあっと言う間に近くにいた大人達がそのまわりを取り囲み、裸足の少年をしかりつけ、口応えするとその少年を手で打ったりしている。
事態が一段落した頃、話を聞いてみると物売り少年は裸足の少年の兄で、家出していた裸足の少年を見つけ家に連れ戻そうとしたのだが、裸足の少年は、
「あんな家には帰りたくない。」
と言う様な事を言って、言う事を聞こうとしなかったそうだ。
少年らがどんな所でどの様に暮らしているかはわからないが、こちらでは兄弟が7〜8人は当たり前、もっと多い人もいるそうだ。
更に一夫多妻制でもある。
ただ日がなバスを待っているだけでも、この国パキスタンの様々な一面を見る事ができる一日だった。
【食事】
朝:パン
昼:パン
夜:マフィン
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・ ラワールピンディ→ペシャワル バス3.5時間 42.5PR
・ ペシャワル→チトラル 夜行ミニバス 20:30発 翌11:30着 250PR
- クエッタのアフガン人(?) (パキスタン) クエッタ→ラルカナへ
-
エリア:
- アジア>パキスタン>パキスタンその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色
- 投稿日:2001/06/23 14:37
早朝バスがクエッタに到着する。
バムから一緒だった白人カップルは、クエッタのホテルへ行くと言う。
まだまだ元気な我々は、更にバスを乗り継いでラルカナへ向うつもりだ。
今回も白人カップルとタクシーをシェアし、彼らは宿へ、我々は彼らの宿近くのラルカナ行のバスが出るバスターミナルへ共に向う。
タクシーはまず彼らの宿に到着。
「いいから、いいから気にしないで。」
そこで彼ら、我々の分も含め、タクシー代を全額支払ってくれてしまったのだ。
多分、おとといバムでタクシー代を相場より多く払ってしまった一件の事を気にしての事だろう。
そこまでしなくてもいいのに。でも好意は甘んじてお受け致します。
「どうも有難う。」
ラルカナ行のバスが出るのは夜8時との事。それまで、バス会社の小さなオフィスで座って、集まってくる人々と話をしたり、周辺を散歩したりして時間を潰す。
「2人は結婚してるのかい?そう、いいね。恋愛結婚かい?そう、いいねー!!パキスタンでは恋愛結婚はないんだよ。親同志が決めた相手と結婚するんだ。」
・・・なんて話を聞かされながら。
それにしてもこのクエッタという街、かなりゴチャゴチャしている。
乗用車に、バスに、トラック、バイク、道にはそれらが溢れ、入り混じっている。交差点の近くでは、一見して車線の区別がつかない程だ。
ある意味、我々が想像するインド等の南アジアの街並みに近いと言える。
猛暑の中、街中の路肩に張り巡らされた溝からは異臭が立ち込める。
バスターミナルもかなり雑然としており、ターミナルと言うより、ゴチャゴチャしただだっ広いバスの駐車場の様で、頑張って聞き込みをしない限り、お目当てのバスがどこから何時頃出るのか、切符はどこで買えるのか全く分からない。
「パラパ、パラパ、パラパ・・・」
バスターミナルから、車体をギラギラにペイントし、華美に装飾したバスが、クラクションを必要以上にまくし立てながら出発して行く。
バスの整備士らは、ゴミだらけの地面に横になって車体の下に潜り込み、オイルで体中真っ黒になっている。
バスターミナルとその周囲の屋台で腹ごしらえすると、夜、ラルカナ行のバスに乗込む。
バスがターミナルを出ると間もなく、顔の正面の部分だけ粗いメッシュになった、日本の時代劇に忍者と一緒に出てくる虚無僧の様な布の覆面をすっぽりかぶった女性が、だんな様に連れられて歩いている姿を目にする。
この後旅したパキスタン各地のバスターミナル等でもたまに見かけたが、何でもアフガニスタン系の人達なのだそうだ(真偽は不明。)。
そんなカオスの街に身を置いて、アフリカ喜望峰から旅を始めて、約10ヶ月、 右も左もどっぷりアジアの旅情緒である。
(パキスタン後日談)
2001年9月に起こったアメリカ同時多発テロ事件と、それに伴うアメリカ軍のアフガニスタンへの報復攻撃。
テレビのニュース報道では、この日我々が見たのと同じブルカと言う覆面姿の、アフガニスタン女性が頻繁に映し出されていた。
【食事】
朝:パン、ミルクチャイ
昼:味付ライス
夜:豆ダル・ライス、マンゴジュース
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・クエッタ→ラルカナ(夜行バス) 20:00発 翌8:00着 150PR
バムから一緒だった白人カップルは、クエッタのホテルへ行くと言う。
まだまだ元気な我々は、更にバスを乗り継いでラルカナへ向うつもりだ。
今回も白人カップルとタクシーをシェアし、彼らは宿へ、我々は彼らの宿近くのラルカナ行のバスが出るバスターミナルへ共に向う。
タクシーはまず彼らの宿に到着。
「いいから、いいから気にしないで。」
そこで彼ら、我々の分も含め、タクシー代を全額支払ってくれてしまったのだ。
多分、おとといバムでタクシー代を相場より多く払ってしまった一件の事を気にしての事だろう。
そこまでしなくてもいいのに。でも好意は甘んじてお受け致します。
「どうも有難う。」
ラルカナ行のバスが出るのは夜8時との事。それまで、バス会社の小さなオフィスで座って、集まってくる人々と話をしたり、周辺を散歩したりして時間を潰す。
「2人は結婚してるのかい?そう、いいね。恋愛結婚かい?そう、いいねー!!パキスタンでは恋愛結婚はないんだよ。親同志が決めた相手と結婚するんだ。」
・・・なんて話を聞かされながら。
それにしてもこのクエッタという街、かなりゴチャゴチャしている。
乗用車に、バスに、トラック、バイク、道にはそれらが溢れ、入り混じっている。交差点の近くでは、一見して車線の区別がつかない程だ。
ある意味、我々が想像するインド等の南アジアの街並みに近いと言える。
猛暑の中、街中の路肩に張り巡らされた溝からは異臭が立ち込める。
バスターミナルもかなり雑然としており、ターミナルと言うより、ゴチャゴチャしただだっ広いバスの駐車場の様で、頑張って聞き込みをしない限り、お目当てのバスがどこから何時頃出るのか、切符はどこで買えるのか全く分からない。
「パラパ、パラパ、パラパ・・・」
バスターミナルから、車体をギラギラにペイントし、華美に装飾したバスが、クラクションを必要以上にまくし立てながら出発して行く。
バスの整備士らは、ゴミだらけの地面に横になって車体の下に潜り込み、オイルで体中真っ黒になっている。
バスターミナルとその周囲の屋台で腹ごしらえすると、夜、ラルカナ行のバスに乗込む。
バスがターミナルを出ると間もなく、顔の正面の部分だけ粗いメッシュになった、日本の時代劇に忍者と一緒に出てくる虚無僧の様な布の覆面をすっぽりかぶった女性が、だんな様に連れられて歩いている姿を目にする。
この後旅したパキスタン各地のバスターミナル等でもたまに見かけたが、何でもアフガニスタン系の人達なのだそうだ(真偽は不明。)。
そんなカオスの街に身を置いて、アフリカ喜望峰から旅を始めて、約10ヶ月、 右も左もどっぷりアジアの旅情緒である。
(パキスタン後日談)
2001年9月に起こったアメリカ同時多発テロ事件と、それに伴うアメリカ軍のアフガニスタンへの報復攻撃。
テレビのニュース報道では、この日我々が見たのと同じブルカと言う覆面姿の、アフガニスタン女性が頻繁に映し出されていた。
【食事】
朝:パン、ミルクチャイ
昼:味付ライス
夜:豆ダル・ライス、マンゴジュース
【トラベルメモ】
1US$ ≒ 60PR(パキスタン・ルピー)
・クエッタ→ラルカナ(夜行バス) 20:00発 翌8:00着 150PR
- 仮面の女 とペルシャ湾 (イラン)バンダルアッバス
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エリア:
- 中近東>イラン>イランその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色
- 投稿日:2001/06/20 14:14
バスがバンダルアッバスのバスターミナルに差し掛かると、いたいた、仮面の女性だ。
まるで仮装パーティーの様な、布でできた大きな仮面で両目元から鼻までを隠した女性達が、しゃがみ込み、物売りをしている。
これまで様々な世界各国の民族衣装を見て来たが、黒や赤の仮面を付けた女性がしゃがみ込み、かっ歩する光景は、実にミステリアスだ。
彼らがどう言う民族で、どう言った意味で女性が仮面を付けているのかわからないが、女性は顔を隠すと言うイスラム教の戒律を、仮面を付ける事によって厳格に実行している物と思われる。
そして仮面の女性は、主に、イランのバンダルアッバスとその周辺の地域にしか見られないのだそうだ。
バンダルアッバスは暑い。
これまで訪れたイランの他の地域も暑い事は暑かったが乾燥していたのでまだ耐えられた。
だがイランの南部、ペルシャ湾沿の港町、ここバンダルアッバスは蒸し暑いのだ。
うだる様な暑さにしたたる汗、40℃はとうに超えているだろう。こんな中、長時間外を歩くのは不可能だ。
少々街歩きを済ませると、エアコンの効いた宿の部屋へ逃げ帰る。
そして夕方、再び町へくり出す。
日中は人影まばらだったバザールや海岸通りにも、それなりの人出がある。
そりゃそうだ、日中はあの暑さ、地元の人でも外出は控えているのだろう。
それでもバザールでは暑さの余り、サングラスの様に仮面を頭の上まであげて、顔を出して、屋台の準備に汗をかくおばさんの姿も。
面白かったのは、バザールの一角で売られていた外国製の女性用の下着。
ビニールのパッケージにプリントされた下着姿の白人女性、露出した肌の部分は、全て黒マジックでぐちゃぐちゃにぬりつぶされている。
やはりここでは厳格なイスラム教徒が多いのだろうか。
そんな事とは対照的に、宿のテレビのスイッチを入れると、ペルシャ湾の対岸にあるUAE(アラブ主長国連邦)のドゥバイから、顔も肌もヨーロッパ並に露出したセクシーな女性が、キャスターとしてニュースを読んだり、エンターテイナーとして歌い踊る姿が、鮮明に一日中、何チャンネルにも渡って見る事ができる。
お隣UAEもイスラム教国だ。
イランでは女性の肌の露出はご法度。にもかかわらずUAEの首都ドゥバイからは、自由な女性の姿が一日中テレビ電波で入ってくるのだ。
それを見続けているイランの若い世代は、一体どう思っているのだろうか。
そんな事を思いながら、バンダルアッバスの夕涼みの海岸で、仮面の女性と、その向こうのペルシャ湾を臨む。
【食事】
朝:パン
昼:サンドイッチ、ソフトクリーム、フラッペ
夜:ピクルス、パン
【トラベルメモ】
1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
【宿】
(バンダルアッバス)Ghoshm Hotel 80000Rl/W一室 エアコン付
まるで仮装パーティーの様な、布でできた大きな仮面で両目元から鼻までを隠した女性達が、しゃがみ込み、物売りをしている。
これまで様々な世界各国の民族衣装を見て来たが、黒や赤の仮面を付けた女性がしゃがみ込み、かっ歩する光景は、実にミステリアスだ。
彼らがどう言う民族で、どう言った意味で女性が仮面を付けているのかわからないが、女性は顔を隠すと言うイスラム教の戒律を、仮面を付ける事によって厳格に実行している物と思われる。
そして仮面の女性は、主に、イランのバンダルアッバスとその周辺の地域にしか見られないのだそうだ。
バンダルアッバスは暑い。
これまで訪れたイランの他の地域も暑い事は暑かったが乾燥していたのでまだ耐えられた。
だがイランの南部、ペルシャ湾沿の港町、ここバンダルアッバスは蒸し暑いのだ。
うだる様な暑さにしたたる汗、40℃はとうに超えているだろう。こんな中、長時間外を歩くのは不可能だ。
少々街歩きを済ませると、エアコンの効いた宿の部屋へ逃げ帰る。
そして夕方、再び町へくり出す。
日中は人影まばらだったバザールや海岸通りにも、それなりの人出がある。
そりゃそうだ、日中はあの暑さ、地元の人でも外出は控えているのだろう。
それでもバザールでは暑さの余り、サングラスの様に仮面を頭の上まであげて、顔を出して、屋台の準備に汗をかくおばさんの姿も。
面白かったのは、バザールの一角で売られていた外国製の女性用の下着。
ビニールのパッケージにプリントされた下着姿の白人女性、露出した肌の部分は、全て黒マジックでぐちゃぐちゃにぬりつぶされている。
やはりここでは厳格なイスラム教徒が多いのだろうか。
そんな事とは対照的に、宿のテレビのスイッチを入れると、ペルシャ湾の対岸にあるUAE(アラブ主長国連邦)のドゥバイから、顔も肌もヨーロッパ並に露出したセクシーな女性が、キャスターとしてニュースを読んだり、エンターテイナーとして歌い踊る姿が、鮮明に一日中、何チャンネルにも渡って見る事ができる。
お隣UAEもイスラム教国だ。
イランでは女性の肌の露出はご法度。にもかかわらずUAEの首都ドゥバイからは、自由な女性の姿が一日中テレビ電波で入ってくるのだ。
それを見続けているイランの若い世代は、一体どう思っているのだろうか。
そんな事を思いながら、バンダルアッバスの夕涼みの海岸で、仮面の女性と、その向こうのペルシャ湾を臨む。
【食事】
朝:パン
昼:サンドイッチ、ソフトクリーム、フラッペ
夜:ピクルス、パン
【トラベルメモ】
1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
【宿】
(バンダルアッバス)Ghoshm Hotel 80000Rl/W一室 エアコン付
- 聖地マシュハド (イラン)マシュハド
-
エリア:
- 中近東>イラン>マシャド
- テーマ:街中・建物・景色
- 投稿日:2001/06/18 12:56
まずは、コンクリートのいかついゲートの外からわずかにその先端だけ見えるモスクや時計台の写真をパチリ。
我々は今正に、マシュハドの聖地、イマーム・レザーの御前に居る。
ここからゲートをくぐって聖地の中に入るには、ゲート脇のクロークにカメラや荷物全てを預け、男女別に分かれたゲートの入口でボディーチェックを受けなくてはならない。もちろん聖地内では、写真撮影は厳禁だ。
ゲートの入口の前でJunkoと別れる。
カメラ等の荷物を預け、ゲート入口へ向おうとすると、Junkoが女性の係官に連れられて自分を呼んでいる。
話を聞くとどうやらJunko、ゲート入口のチェックで服装チェックにひかかってしまったようだ。
もちろんJunkoはチャドルを着ていたし、頭からスカーフをかぶっていたのだが、聖地へ立ち入るにはそれだけでは不足だった様だ。
ここは単なるモスクではない、聖地なのだ。
我々2人は係官に連れられ、ゲート内部に入る。
だが聖地イマーム・レザー内には入れず、その外側からまわり込むように歩かされ、ツーリストインフォメーションの様な所へ通される。
そこでおじさんにチャドル用の布を渡され、それで顔のラインを完全に隠し、はだけないように襟元で常に手でおさえる様指導される。
そして今度はスタッフに連れられ、博物館へ。
博物館には、巡礼者によって寄付された品々や、イランの昔のコインや記念切手などが並ぶ。中には胴体の裏側が人の顔の様に見えるサメだかイカだかのはく製まで展示されている。
博物館を一通り見てまわると、ゲート入口へ戻り帰るように先導される。そしてゲート入口で男に借りたチャドル布を返し、ゲートの外に出る。
そう、我々は聖地内への立入りを拒否され、博物館だけ見せられて、丁重に追い払われたのだ。
ゲート入口へ戻る途中、少しだけ聖地内部を覗ける所があったのだが、モザイク装飾に囲まれたその光景はわずかな部分だったにもかかわらず、実に見事だった。
せっかくマシュハドまで来て、聖地イマーム・レザーを前にして、イカのはく製など見ただけですごすごと帰る訳にはいかない。
夜、再度、聖地入りに挑戦する。
「強行突破」などする訳にも行かない。そこは聖地だ。
昼間、丁重に追い返されくやしい思いをしたが、軽い気持ちで彼らの流儀に従わず、ずかずかと立入ろうとした我々の方が悪かったのだ。
道に入れば道に従え。宿のおばさんにチャドル用の布を借り、Junkoはおばさんにチャドル布のはおり方を指導してもらう。
我々は聖地に立ち入るのだ、今度は失礼があってはならない。
おまけに我々は異教徒、謙虚な気持ちで行こう。
自前の黒いチャドルを着た上に、頭から宿のおばさん借りたチャドル布をかぶり、フェイスラインを布で完全に隠し、はだける事がない様襟元で布をピタッと手でおさえるJunko。
そして緊張のゲート入り。
自分は男性用に入口からすまして入場、そこでJunkoを待っていると、
「おっ。」
来た来た、今度は何事もなく入場できた様だ。
昼間Junkoがかぶっていたスカーフは穴もあいていたしほつれだらけ、あれもいけなかったのかな。
ともかくこれで晴れて聖地イマーム・レザーへ入れる。
イマーム・レザー入口の大きな門では、人々が手をかざし、頭をすり寄せ祈りを捧げている。
門をくぐると中庭の真ん中に噴水、それを取り囲む色彩々のタイルでうめつくされたモスク等の建物。その背後に、これもタイル装飾の時計台の塔。 ライトアップされ、タイル芸術がその輝きを増す。
凄い。一体どこに視線を合わせればいいのだろうか。美しい。
かつて訪れた有名なイスファンのエマーム広場も美しかったが、そこは開放的な空間だった。
それと比べ、さすが聖地だけあって、ここには厳そかな雰囲気が満ち溢れている。
時刻は丁度お祈りの時間、中庭の中央で男女に別れた大勢の拝礼者達が鳴り響くアザーンに合わせてひざまづき、額を地に付ける。
キラめくタイルにうめつくされたその中で繰り返される人々の祈り、隅で呆然とその光景に圧倒される異教徒の我々。
お祈りが一段落すると、人々の流れに付いて、目指すは聖地の中の聖域。
聖域は入口だけではなく、完全に男女別。
Junkoと別れ、自分は男性用の入口から靴をぬいで入る。
入ったとたん、通路はミラーのタイルでうめつくされ、世界は360°光につつまれる。
その通路の奥にあるのが聖者イマームの金の棺、ここが聖域だ。
中央にイマームの金棺、そこから柵が張られこちら側では男達が、向こうでは女性用の別の入り口から入った来た女性達が、激しく祈りをあげている。
大勢の人でごった返す聖域。それぞれ自分の祈りを捧げる事で必死だ。
大きなイマームの金棺の周囲では棺に向って手を延ばし、体をのり出して感情を露わに激しく祈る人々が溢れ人塊を作りそこに近付くことさえできない。
かたわらから呆然とその様子を眺める自分。
女性陣の中には、感極まって体ごと床に崩れ、棺に近寄ろうにも近寄れない人もいる。泣き崩れる者もいる。
仏様の前で、十字架の前で、こんなにも感情をむき出しにして祈る人々の姿を我々はこれまで見たことがない。特に日本のお寺や神社では形式にのっとり厳かに祈る事しかできないように思えるのだが、ここでは人々は全てをさらけ出し、感情のまま祈っている。
これが人間なのだ。
ここにイスラム教の強さの一端を、かいま見たような気がする。
【食事】
朝:ナン、干杏
昼:卵サンド、ソフトクリーム、ヨーグルト、コーラ
夜:卵サンド、ファンタ、メロン
【トラベルメモ】
1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
【宿】
(マシュハド) Hotel シダ・アビブ 35000Rl/W一室
我々は今正に、マシュハドの聖地、イマーム・レザーの御前に居る。
ここからゲートをくぐって聖地の中に入るには、ゲート脇のクロークにカメラや荷物全てを預け、男女別に分かれたゲートの入口でボディーチェックを受けなくてはならない。もちろん聖地内では、写真撮影は厳禁だ。
ゲートの入口の前でJunkoと別れる。
カメラ等の荷物を預け、ゲート入口へ向おうとすると、Junkoが女性の係官に連れられて自分を呼んでいる。
話を聞くとどうやらJunko、ゲート入口のチェックで服装チェックにひかかってしまったようだ。
もちろんJunkoはチャドルを着ていたし、頭からスカーフをかぶっていたのだが、聖地へ立ち入るにはそれだけでは不足だった様だ。
ここは単なるモスクではない、聖地なのだ。
我々2人は係官に連れられ、ゲート内部に入る。
だが聖地イマーム・レザー内には入れず、その外側からまわり込むように歩かされ、ツーリストインフォメーションの様な所へ通される。
そこでおじさんにチャドル用の布を渡され、それで顔のラインを完全に隠し、はだけないように襟元で常に手でおさえる様指導される。
そして今度はスタッフに連れられ、博物館へ。
博物館には、巡礼者によって寄付された品々や、イランの昔のコインや記念切手などが並ぶ。中には胴体の裏側が人の顔の様に見えるサメだかイカだかのはく製まで展示されている。
博物館を一通り見てまわると、ゲート入口へ戻り帰るように先導される。そしてゲート入口で男に借りたチャドル布を返し、ゲートの外に出る。
そう、我々は聖地内への立入りを拒否され、博物館だけ見せられて、丁重に追い払われたのだ。
ゲート入口へ戻る途中、少しだけ聖地内部を覗ける所があったのだが、モザイク装飾に囲まれたその光景はわずかな部分だったにもかかわらず、実に見事だった。
せっかくマシュハドまで来て、聖地イマーム・レザーを前にして、イカのはく製など見ただけですごすごと帰る訳にはいかない。
夜、再度、聖地入りに挑戦する。
「強行突破」などする訳にも行かない。そこは聖地だ。
昼間、丁重に追い返されくやしい思いをしたが、軽い気持ちで彼らの流儀に従わず、ずかずかと立入ろうとした我々の方が悪かったのだ。
道に入れば道に従え。宿のおばさんにチャドル用の布を借り、Junkoはおばさんにチャドル布のはおり方を指導してもらう。
我々は聖地に立ち入るのだ、今度は失礼があってはならない。
おまけに我々は異教徒、謙虚な気持ちで行こう。
自前の黒いチャドルを着た上に、頭から宿のおばさん借りたチャドル布をかぶり、フェイスラインを布で完全に隠し、はだける事がない様襟元で布をピタッと手でおさえるJunko。
そして緊張のゲート入り。
自分は男性用に入口からすまして入場、そこでJunkoを待っていると、
「おっ。」
来た来た、今度は何事もなく入場できた様だ。
昼間Junkoがかぶっていたスカーフは穴もあいていたしほつれだらけ、あれもいけなかったのかな。
ともかくこれで晴れて聖地イマーム・レザーへ入れる。
イマーム・レザー入口の大きな門では、人々が手をかざし、頭をすり寄せ祈りを捧げている。
門をくぐると中庭の真ん中に噴水、それを取り囲む色彩々のタイルでうめつくされたモスク等の建物。その背後に、これもタイル装飾の時計台の塔。 ライトアップされ、タイル芸術がその輝きを増す。
凄い。一体どこに視線を合わせればいいのだろうか。美しい。
かつて訪れた有名なイスファンのエマーム広場も美しかったが、そこは開放的な空間だった。
それと比べ、さすが聖地だけあって、ここには厳そかな雰囲気が満ち溢れている。
時刻は丁度お祈りの時間、中庭の中央で男女に別れた大勢の拝礼者達が鳴り響くアザーンに合わせてひざまづき、額を地に付ける。
キラめくタイルにうめつくされたその中で繰り返される人々の祈り、隅で呆然とその光景に圧倒される異教徒の我々。
お祈りが一段落すると、人々の流れに付いて、目指すは聖地の中の聖域。
聖域は入口だけではなく、完全に男女別。
Junkoと別れ、自分は男性用の入口から靴をぬいで入る。
入ったとたん、通路はミラーのタイルでうめつくされ、世界は360°光につつまれる。
その通路の奥にあるのが聖者イマームの金の棺、ここが聖域だ。
中央にイマームの金棺、そこから柵が張られこちら側では男達が、向こうでは女性用の別の入り口から入った来た女性達が、激しく祈りをあげている。
大勢の人でごった返す聖域。それぞれ自分の祈りを捧げる事で必死だ。
大きなイマームの金棺の周囲では棺に向って手を延ばし、体をのり出して感情を露わに激しく祈る人々が溢れ人塊を作りそこに近付くことさえできない。
かたわらから呆然とその様子を眺める自分。
女性陣の中には、感極まって体ごと床に崩れ、棺に近寄ろうにも近寄れない人もいる。泣き崩れる者もいる。
仏様の前で、十字架の前で、こんなにも感情をむき出しにして祈る人々の姿を我々はこれまで見たことがない。特に日本のお寺や神社では形式にのっとり厳かに祈る事しかできないように思えるのだが、ここでは人々は全てをさらけ出し、感情のまま祈っている。
これが人間なのだ。
ここにイスラム教の強さの一端を、かいま見たような気がする。
【食事】
朝:ナン、干杏
昼:卵サンド、ソフトクリーム、ヨーグルト、コーラ
夜:卵サンド、ファンタ、メロン
【トラベルメモ】
1US$≒約8000Rl(イラン・リアル)
【宿】
(マシュハド) Hotel シダ・アビブ 35000Rl/W一室
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