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イチローとジュンコの夫婦珍道中

~バックパッカー日記~

プロフィール

ニックネーム:
イチローとジュンコ
居住地:
東京都
自己紹介:
2000年9月 日本を旅立ったイチローとジュンコは、飛行機で、南アフリカ・ケープタウンに降り立った。
二人はそこから日本まで、飛行機を使わずに、陸路と船のみで帰る。
アフリカ大陸南端の喜望峰から日本まで、アフリカ、東西ヨーロッパ、中東、シルクロードとまるまる1年かけての、夫婦珍道中。
野宿もしました。ゴリラと挨拶もしました。サハラを越え、ヒマラヤを越え。。
大自然、世界遺産、カルチャーショック、紛争の傷跡、そして、多くの出会い。
2001年8月無事帰国した二人の旅を振り返って、番外編コラムを掲載します。

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下唇にお皿、ムルシ族2
下唇にお皿、ムルシ族 (エチオピア)ジンカ⇔ムルシ
エリア:
  • アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
テーマ:その他 
投稿日:2000/12/03 18:19
 エチオピア南西部、ケニアとの国境に程近い地域には、それぞれ言語を異にする幾つもの少数民族が、それぞれ特有の伝統文化と姿で今も暮らしている。
 その中でも、その奇抜な姿から最も有名なのが、我々が今日、これから会いに行くムルシ族だ。

 ムルシ族は、ジンカの街からマゴ国立公園内へ車で3時間程入った所にある、その名もムルシ村で、ムルシ語を話して暮らしている。

 我々は、偶然にも出くわした総勢6名もの日本人旅行者同士でトラックを一台チャーター。その荷台に乗ってムルシ村を目指す。

 トラックが走り出して1時間程すると、道の周辺の枝葉を車体がかすめる度に、大きなハエが荷台に座る我々にたかってくる。
 「チクッ」ハエが体にとまると、刺された様な痛みを感じる。そう、これがツェツェバエだ。

 ツェツェバエは、ズボンの布地の上からでも平気で刺してくるし、少しばかり手で払っても、人体にしがみついたまま飛び去ろうともしない。
 ツェツェバエの体は固く、蚊でもつぶすつもりでたたいてもビクともしない。「バシン!!」と思い切りたたきつぶさないと退治できないのだ。

 そう言う訳で、ムルシ村に着く間、トラックの荷台はてんやわんや。飛び交い、襲いかかるツェツェバエの群れとの格闘に明け暮れる。

 やがて、木で組んだ小さなテントのような住居が並んでいる場所に着く。ここがムルシ村だ。
 「スゲェー」荷台の一人が声を上げる。

 女性達は下唇に穴を開け、そこに素焼きの皿をはめ、頭には銃の弾(やっきょう)を幾つもつなげた見るからに重そうな髪飾りを付けている人もいる。
 皆半裸で、下は皮の腰巻きのみ。上半身は、着ているというより、裸の上に様々なアクセサリーを付けているだけと言った感じだ。

下唇にお皿、ムルシ族1

 皆一斉に我々の周りに集まり出す。外国人観光客が来たと知って遠くからも、男も女も集まり出した。
 中には象牙のイヤリングなどでおシャレを決めた若い男の姿も。
 皆、外国人旅行者が自分達の写真を撮りたいという事を知っており、写真を撮らせる代わりにお金が欲しいのだ。
 「フォト、ワンブル」口々に訴えかけられる。

 ところが写真を撮ってお金を渡そうとすると、「やっぱり2ブルだ」とか、「汚いお札はイヤダ、新しいのをくれ。」とか言い出す者も多く、そちこちで押問答をしている。

 写真を一枚撮ろうとするたび、撮るたびこの調子なので、いい加減面倒くさくなってカメラをしまって休んでいると、私を撮ってとあちこちからシャツのすそを引っ張られる。ともかく落ち着いていられないのだ。
 しかも物凄い猛暑、もうくたくただ。

下唇にお皿、ムルシ族2

 木陰で休もうとすると、木の下に銃を持った男が数人座り込んでいる。
 何でも隣村のアリ族と戦争中で、この間ムルシ族の男が一人アリ族に殺されたので、道で待ちぶせして、こちらもアリ族をヒトリ殺すのだと言う。
 どっちが先なのかわからないが、一体それはいつまで続くのだろうか。

 それにしても、そんな原始的とも純朴とも呼べる彼らに、簡単に銃が渡ってしまうと言う事に、強い疑問を持たずには居られない。聞いた話では、お金がなくとも、ヤギ7匹とライフル銃一丁が交換できるそうだ。

 帰り路、ジンカに近付いて来ると、通り過ぎる村々の人々が皆口々に我々に向かって、「ファーザー、ファーザー」と連呼し叫び、中には「ファーザー」と言いながら、我々のトラックを全速力で必死にを追い掛けて来る子供達まで現れる。

 何故彼らが、我々をそう呼ぶのか本当の理由はわからないが、キリスト教の宣教師(ミショナリー)が来てほどこしをしてくれる事から、外国人を見ると、「ファーザー」と呼び掛け、ほどこし、つまり「何かくれ。」と訴え掛けるスタイルが定着してしまったのではないかと想像する。

 もしそうだとすると、ミショナリー達は、あのムルシ族にどの様に接し、ほどこしを与えたのだろうか。
 そして今、そこには突然少なからず観光客が訪れるようになり、写真を撮ってお金を払うと言うスタイルが定着してしまっている。

 もっと彼らが誇りを持って自分達の伝統文化を披露し、それに対して対価を支払うような方向に持っていけないものだろうか。


【食事】

朝:イモ、ワタツ
昼:パン、バナナ
夜:ワタツ、イモ、サンブサ(豆入りサモサみたいな食べ物)

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)
・ジンカからムルシへの車チャーター 1100B/1台
・他に護衛のポリス 40B/1グループ (←絶対顧わなければならないそうだ。)
・Mago National Park 入場料 50B/1人 (ムルシ村はナショナルパーク内にある為)。ジンカ→ムルシは片道3〜4時間。

【宿】・(ジンカ)GEMJA HOTEL 8B/W一室共シャワー有

NoPhoto
車はいつになったらやってくる? (エチオピア)ヤベロ
エリア:
  • アフリカ>ケニア>ケニアその他の都市
テーマ:鉄道・乗り物 その他 
投稿日:2000/11/28 17:20
 昨日、「コンソ行の車は、今日の朝出る。」と教えてくれた男が、同じく昨日我々が宿にチェックインする時、
 「宿のおじさんに事情を話しておいたから、朝、車が来たらおじさんが教えてくれるよ。」
と言っていたのだが、不安になって、今朝早く、部屋の外を見渡すが、おじさんの姿は全く無い。

 顔を洗って、歯をみがくと、荷物は部屋に置いたまま、バスステーションに出て、車を待つ事にする。
 ところが、通りすがる人の中に、カタコトの英語で
 「今日はコンソ行の車は無いよ。」
と言う人が何人もいて、不安にさせられる。

 朝8:30頃、沢山の荷物を積んだトラックが目の前に停車。トラックに乗っていた小ギレイで英語が良く出来る男に話を聞くと、
 「今、コンソからやって来た。私はコンソの穀物をヤベロに運ぶ仕事をしている。別のトラックだが、今日の夕方コンソに行く車がある。1人20Bで乗せてあげるから、エチオピア時間の9時、ヨーロッパ時間の午後3時にここで待っていなさい。必ず来るから。」

 「車がつかまって良かった。」
このときはそう思って、午前中はのん気にヤベロのマーケットなどをのんびり散歩したりしていたのだが、午後3時、約束のトラックは来ない。4時になっても、5時になっても来ない。

 トラックが来ない上に、「今夜泊まらないなら、」と宿の部屋から荷物も一緒に追い出されてしまう。

 まだまだここヤベロでは外国人観光客が珍しいのか、屋外に荷物を置き、座り込んで車を待ちぼうけする我々の周りには、黒山の人だかりが出来る。
 何とか身ぶり手ぶりでうったえかけて、散ってもらうも、運悪く、そこは学校の通学路になっていて、下校する子供達であっという間に幾重もの子供達の輪に囲まれてしまう。

 子供達は口々に「You,ユー」と我々に呼び掛ける。どうやらエチオピアでは「あなた」と呼び掛ける習慣があるらしく、直訳英語で「ユー」と言って呼び掛けているらしい。
 その他、「チャイナ?コリア?ジャパン?」とか、学校で習った英語を適当に叫ぶ子供などで、ともかく騒がしい。

 午後6時前、トラックの約束をした男が、ようやくトボトボと、歩って姿を現した。
 「もう、何時間も待っている。トラックはどうしたのか。」
 「わかってる。トラックは2時間後に来るから、そこの喫茶店で待っててくれ。」
 「わかった。それにしても、そのトラックは今どこにいるのか。」
 「私にもわからない。」
…なんだか頼りないが、宿も追い出されているので仕方なく、その喫茶店でお茶を飲みながら更に待つ。

 夜9時頃、同じトラックでコンソに行く予定だったという男が、
 「やっぱり今日はトラックはない。今日はホテルで休みなさい。もしトラックが来たら教えてあげるから。」
と言うので、仕方なく再び宿に入り、支払いを済まして部屋に荷物を置いた瞬間、
 「ドン、ドン、ドン」
我々の部屋の扉がノックされる。

 扉を開けると、宿の人が
 「コンソ行のトラックが来たから急いで。」
と言う。

 支払ってしまった宿代がもったいなかったなと思いながらも、荷物を背負って宿を出ると、闇夜に荷物と乗客を沢山積んだトラックが、空エンジンをふかして待機している。

 「コンソ?」
行先を確認して我々も荷台に乗り込もうとしたその時、どこからともなく、もう一台空の荷台のトラックがやって来て停まると、ドライバーが降りて来て、我々が乗ろうとしていたトラックのドライバーと激しく口論というかケンカをし始めてしまったのだ。

 「いったいどうなっているのか?」
何でも
 「『この街に先に入ったトラットが先に荷物や人を乗せて先に街を出る。』と言うしきたりがあるのだが、出発しようとしているトラックはこれを『抜けがけ』しようとしていたのでケンカになっている」
との事。

 やがて出発しようとしていたトラックからは人も荷物も全て降ろされ、今日はどちらのトラックも出発しないと言う事で収まってしまう。

 「いったいどうして…?どっちか一台は出てよ!!」

 再び宿の部屋へ逆戻り。結局、支払った宿代だけはムダにならず。


【食事】

朝:マンタジ
昼:インジェラ、アンバシャ
夜:マンタジ

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 8B(エチオピア・ブル)

【宿】
・昨日と同じ もう夜遅いのでシャワーは使わないからと7B/1室にまけてもらう。

NoPhoto
13カ国目、エチオピア (エチオピア)モヤレ→ヤベロ
エリア:
  • アフリカ>エチオピア>エチオピアその他の都市
テーマ:鉄道・乗り物 グルメ その他 
投稿日:2000/11/27 17:07
 昨日、エチオピアに入ったのが日曜日だったので、路上のブラックマーケットで余ったケニア・シリングから両替した少しばかりのエチオピア・プルしか持ち合わせていない。

 ヤベロ行のバスは「午前11時発」と聞いていたので、朝一番で銀行で両替をしようと思っていたのだが、ふと気になる事が一つ。
 エチオピアには、我々の7時を1時とするエチオピア時間と言うのが存在すると言う話を思い出す。

 我々の日常では朝起きるのは7時前後、お昼は12時だが、エチオピア時間では朝起きると時計の針は1時前後、お昼は6時なのだ。
 エチオピア時間とは、グリニッジ標準時から時差を換算した時間ではない独自の時間なのだ。

 もし11時と言うのがエチオピア時間だとすると、我々の概念の時間では朝の5時と言う事になる。

13カ国目、エチオピア 1

 心配になって、朝5時にバス停に向かうと、バスが出発のしたくをしているではありませんか。
 仕方ない。両替は次の街の銀行でする事にしよう。

 後で何人もの人に腕時計を見せてもらったのだが、どうやらエチオピアの人は皆、時計をエチオピア時間に合わせ、完全に我々の知っている時間とは別の、ここだけの時間の世界で生活しているようだ。
 その証拠に、バスのチケットも、店に掲げられた開業時間も全てエチオピア時間で表記されている。

 おまけに、我々が使う西暦は普及しておらず、エチオピア独自の暦が存在し、まかり通っている。
 この日買ったバスのチケットの日付は、1993年12月18日になっている。

 更に数字以外、行き先も含め、アムハラ文字(エチオピアの言葉=アムハラ語)で書かれているので、全く読む事ができない。

 こんなバスチケットじゃ、自分が正しいチケットを買えたのかどうかも全くわからない。

 ともかく目的地「ヤベロ」を連呼し、教えられるがままにバスに乗車。バスは朝6時にモヤレのバスステーションを出発。

 バスは5分程走ると、街外れの教会の前で停車。
 朝日におぼろ気に浮かぶ教会から、白い布をまとった業者のような姿の男女がそろそろと出てきて、バスに乗り込んでくる。

 道には淡いカラーの布をまとった女性がロバを引き、ゆっくり歩いている。
 遠くにはなだらかな丘陵が拡がり、薄緑色のパステル調の色彩の景色が続く。
 なかなかの異国情緒だ。

 ただ、バスがヤベロに着く間、検問が何回もあり、うんざりさせられる。
 その度、乗客は全員車外へ降ろされる。運悪く検問官の目にとまり、入念な荷物チェックを受ける人もいる。

 中には荷物を没収されたのか、泣きじゃくる人や、没収された荷物をバスの出発する瞬間にさっとポリスの足元から取り返してバスに飛び乗ろうとする人などが存在し、検問にはかなりの時間が費やされる。

 街を離れると、遊牧されるラクダの姿もちらほらと現れ始める。
 また、細く真直ぐに空に向かって林立するアリ塚の姿も、これまでアフリカで見てきた円錐状で先が曲がった形のアリ塚とは異なっていて面白い。

 ヤベロには朝10:30頃到着。早速、次の目的地、コンソ迄の車について聞き込み調査を開始。

 まず、我々のバスが着いた場所で、荷物運びの仕事にありつこうと集まって来た子供達に聞くと、皆、
 「今日の夜、ここから出発する。」
と言う。

 英語がそれなりにできるおじさんも加勢し、
 「ここから夜だ。」
と口を揃えるが、ここヤベロからコンソへの道はかなり悪いと聞いている。
 「そこを、夜行で走るのだろうか。」
と、目の前の喫茶店で再度尋ねると、今度は
 「車は今日の午後、場所はこことは別のバスステーションから出発する。」
と言う。

 もし、ここを夜出発だったらまだ時間があるので、先に、その「別のバスステーション」への道を教えてもらい行ってみると、そこには確かに広い空地があり、バスステーションのように見える。

 その空地の前の店の人に尋ねる。
 「ここからコンソ行の車が出ると聞いたが、いつ出発か?」
 すると店の人と言う男は
 「明日の朝出発で、今日はない。私は目の前で働いているから間違いない。」
と言い切るので、この男の話を信じ、今日はバスステーション前に宿を取る。

 しかし、聞く度、場所も時間も違っているとはどういう事なのか。

 宿に荷物を置くと、ヤベロの街の銀行に両替に行ったのだが、
 「両替レートがわからない。」
と銀行員に突っぱねられる。
 こちらが唖然としていると、
 「レートを知りたければ、まず10ブル払え。」
と言い出すので、両替は断念。

 助かったのは、こちらの物価が安い事。
 昼にはエチオピアの主食、大きいインジェラを1ブル(≒13円)を2人で分けて食べる。
 夜は、アンバシャという小麦色の大きなパンの様なものが25セント(≒3円)、とマンタジ30セント(≒4円)。

13カ国目、エチオピア 2

 昼に食べた、こちらの主食のインジェラは、テフという穀物から作ったクレープのようなものに野菜などをかけて食べる料理なのだが、とにかく「まずい」と旅行者の評判はすこぶる悪い。
 我々も好奇心から恐る恐る挑戦してみたのだが、どうしてどうして決しておいしくはないが、ジャガイモやつぶした豆のスープ、トマトなどがのっかている具の味は、なかなかで、食べられなくはない。
 具の量は少ないが、大きいお盆一面にたたまれて敷かれた強大なインジェラがわずか1ブル13円、2人で分けて食べたから1人あたり7円弱。現地通貨が枯渇している我々2人にはありがたい。

 次の街の銀行では、まともに両替してくれますように。


【食事】

朝:パン
昼:インジェラ
夜:マンタジ、アンバシャ

【トラベルメモ】

1US$ ≒8B(エチオピア・ブル)
・バス モヤレ→ヤベロ 5:00乗車 6:00発 4.5時間 20B/1人

【宿】
・名前不明 ヤベロバスステーション前のホテル 10B/1室 シャワー、トイレ
すいません、字も読めないし、言葉もあまり通じないので、よくわかりませんでした。

NoPhoto
ナイロビのユースホステル・ライフ (ケニア)ナイロビ→イシオロ
エリア:
  • アフリカ>ケニア>ナイロビ
テーマ:街中・建物・景色 その他 
投稿日:2000/11/24 16:01
 とにかく「治安は最悪」、「危険なデンジャラスシティー」と言う情報ばかりのナイロビだったが、たまたま我々が何もなかったと言う事のなのか、「そんなに悪い所ではなかったな」と言うのが感想だ。

 ふらふらと街歩きもしたし、カフェでの食事もおいしかった。
 宿のある郊外から中心街までタクシーにもバスにもマタトゥにも乗った。
 おおむね、人々は親切でやさしい。

 街にはATMもあり、お金も24時間おろせる。スーパーでは何でも買える。
 宿泊したユースホステルでもキッチンを借りて自炊していたので、生活費も安く上げられた。
 ユースホステルのスタッフも皆親切だった。

 最後、ユースホステルを出発にするにあたり困った事が一つ。
 昨日、2リットルの頑丈なプラスチックボトル欲しさに購入したケニア製のオレンジジュース、まるでカキ氷にかけるシロップの様に大甘で、とても2リットルも飲めたもんじゃないのだ。

 昨日から今日まで、湯や水で割ってJunkoと二人で頑張って飲みまくったが、それでも500ml程度しか消費していない。
 あと1.5リットルは捨てようかとも思ったのだが、仲良くなったリベリアから亡命して来たという3人姉妹に差し上げる事に。

 彼女らは数日後オーストラリアに向かうと言う。祖国は大変な事になっているが、元気に頑張って欲しい。

 ここユースホステルには各国から様々な人が来る。我々も滞在中は、このリベリアからの3姉妹の他にも、色々な人々と会い話した。

 中にはおさい銭で世界旅行を楽しむ韓国のお坊さんや、現地の人と結婚し、ソマリア国境付近で暮らす日本人の大工さんなどもいた。

  そして1週間近くお世話になったナイロビともお別れ。

 バスは、危険と言われるダウンタウンを夜の出発だ。最後の最後、気を付けなくてはと恐る恐るバスの発着地に向かう。

 それにしてもナイロビのバス乗り場はごちゃごちゃしていて、全くもって統制が取られていない。

 狭いぬかるんだ道のそれぞれのバス会社のオフィス付近に、大型のバスが何台も路上駐車、そこが公然とバス乗り場になっている。

 そこにバスの乗客がタクシーが乗付けてきたりするから、もうぐちゃぐちゃ。

 前にも後ろにも進めなくなった車の数々が、しばしば立ち往生する。

 その間をぬうように歩き、何とか何事も無く、無事バスに乗車。
 夜8時半過ぎ、バスはイシオロに向けて出発する。
ナイロビのユースホステル・ライフ1


【食事】

朝:(自炊)パン、ゆでジャガイモ
昼:(自炊)ミネストローネ、ご飯
夜:クッキー

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 75Ks(ケニア・シリング)
・夜行バス ナイロビ→イシオロ Akambaバス社 20:00発 翌7:00着 毎日1便 320Ks/1人
Akambaバスオフィス前出発

NoPhoto
デンジャラスシティー?ナイロビ (ケニア)ナイロビ
エリア:
  • アフリカ>ケニア>ナイロビ
テーマ:その他 
投稿日:2000/11/19 15:33
 治安の悪さではアフリカの中で3本の指に入ってしまう、デンジャラスシティーでその名を轟かせるアフリカ随一の大都会ナイロビ(ちなみに残り2本の指は南ア・ヨハネスとナイジェリア・レゴス)。

 そのナイロビで最も危険な地帯と言われているダウンタウンに、ひと気が無くなるので危ないと言われている日曜日の朝にバスは到着。

 恐る恐るバスの窓から外を覗くと、ゴチャゴチャしていて、先入観もあるせいか、なる程、何やら異様な雰囲気が漂っている。
 ナイロビではダウンタウンの安宿に泊まろうと思っていたのだが、大きな荷物を背負って、ウロウロ宿探しをするような雰囲気ではない。そんな事をしたら、それこそカモがネギしょって来た状態じゃないか…。
 と、かなり弱気で、バスから降りるとすぐタクシーを拾い、比較的安全とされる街外れにあるユース・ホステルへ直行。

 筋金入りのバックパッカーの皆さんには「弱虫!」と言われてしまいそうですが、ここナイロビでは幾つかビザも取らなければならないし、何日かは滞在する事にもなるので、変に気を使いたくないんです。この先、エチオピアや西アフリカの旅はきつそうだし、まだ今はのんびりリラックスして過ごしたい。

 それでもケニアに着いたばかりの我々には、手持ちのケニア・シリングがほとんどない。ご飯だって食べないと、お腹がもたない。

 ユースホステルのおじさんが、
 「近くに日曜日もやってるスーパーがあって、そこには24時間使える銀行のATMもある。そんなに危険じゃないから大丈夫だよ。」
と笑顔で言うので、恐る恐る日曜日のナイロビの街外れを歩き、屋外のATMでVISAカードでキャッシング。スーパーで食材を調達して、無事、宿に帰還。
 お蔭様で、夜はユースホステルのキッチンでスパゲッティを自炊する。

 ただ一つだけふに落ちなかったのが、ATMから明細が出て来なかった事。日曜日で銀行の店舗は閉まっちゃってるし、尋ねる相手もいないので、仕方なく「大丈夫だろう」と自分に言い聞かせる。

 これ迄、サファリ等、どちらかと言えばアクティビティ主体の旅だったが、これからはエチオピア、西アフリカと更にディープなアフリカへ。
 旅の情報も少なく、国境越えやビザ取得に付いても確かな情報はなく流動的。移動も公共の交通機関ではなく、荷物を運ぶトラックに乗ったり、途中野宿なども充分予想される。

 気を締め直して、ここナイロビで明日から、改めてこれからの旅の準備に取りかかる。


【食事】

朝:マンタジ、バナナ
昼:パン
夜:スパゲッティ(自炊)

【トラベルメモ】

1US$ = 75Ks(ケニア・シリング)
・タクシー ナイロビ・ダウンタウン→ユースホステル 400Ks
ドライバーの言い値。もしかしたらボラレてるかも。

【宿】ユースホステル 590Ks/W利用で一人当たり 非会員
周辺の治安はナイロビにしては比較的良いとの事。キッチンがあるので、自炊すれば食費が浮くし、結構安上がりに過ごせる。近くにスーパー、銀行(バークレイ・バンク。ATMで24時間、VISAカードやCITCカードでキャッシュを引き出せる。)有。ナイロビの中心街まで徒歩20分位。

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