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イチローとジュンコの夫婦珍道中

~バックパッカー日記~

プロフィール

ニックネーム:
イチローとジュンコ
居住地:
東京都
自己紹介:
2000年9月 日本を旅立ったイチローとジュンコは、飛行機で、南アフリカ・ケープタウンに降り立った。
二人はそこから日本まで、飛行機を使わずに、陸路と船のみで帰る。
アフリカ大陸南端の喜望峰から日本まで、アフリカ、東西ヨーロッパ、中東、シルクロードとまるまる1年かけての、夫婦珍道中。
野宿もしました。ゴリラと挨拶もしました。サハラを越え、ヒマラヤを越え。。
大自然、世界遺産、カルチャーショック、紛争の傷跡、そして、多くの出会い。
2001年8月無事帰国した二人の旅を振り返って、番外編コラムを掲載します。

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記事一覧

16 - 20件目まで(83件中)

ドナウ川クルーズ 1
ドナウ川クルーズ (スロバキア)ブラチスラバ→(ハンガリー)ブダペスト
エリア:
  • ヨーロッパ>スロバキア>ブラチスラバ
  • ヨーロッパ>ハンガリー>ブダペスト
テーマ:街中・建物・景色 鉄道・乗り物 
投稿日:2001/05/11 14:46
 わざわざスロバキアのブラチナスラバまで来た理由は一つ。
 「ハンガリーのブダペストまで、ドナウ川を船でクルーズして行ってみたい。」

 朝、まずは朝日に輝くドナウ川の流れを眺めながら優雅にコンチネンタル・ブレックファースト。

 そして、客船ターミナルに出向いてブダペスト行の船について尋ねると、船は午前10:30の出発だと言う。

 まだ時刻は8時半過ぎ。
 ここブラチナスラバの旧市街は猫の小判程、見所もごくわずか。1時間もあれば十分ゆっくり見て回れるだろうと、今日の船の切符を購入。

 ところが、切符売場のお姉さん、切符を購入し、クレジット・カードでの支払を済ませた後に、船は9時半の出発だと言い直す。
 「何だよう。さっき10時半って言ってたのにぃ・・・。仕方ないなぁ、もぅ、・・・急げ!!」
と、優雅な朝食とは打って変わって、急ぎ足でブラチナスラバの旧市街へ。

 競歩レースのごとく足腰を動かし、一コマずつだけ見所を見て回り、ホテルに駆け足で戻って、大急ぎでチェクアウト。
 タクシーを拾ってトランクにバックパックをのせ、客船ターミナルへ。

 ビザまで取ってわざわざ来たのに、スロバキアでの滞在はわずかなものでした。
 船はほぼ定刻通り、ブラチナスラバを出航。

 丘の上から見下ろすブラチナスラバ城に別れを告げる。

 優雅なドナウクルーズを期待していたのだが、船は小型の高整艇、凄いスピードでドナウ川を疾走する。

 おまけに、船には小さな躍り場の様なスペースしか外に出られる場所がなく、そこには座席もない。
 せっかく奮発して乗ったんだからと、そこで立ったまま、ドナウ川を眺める。

 ところが、川辺には堤防が築かれ、まるで利根川か江戸川の様。
 そしてみるみる堤防は高くなり、やがて船はコンクリートで囲まれた中を航行。景色はついに隅田川の様になってしまった。

 目前にコンクリートの壁が現れると、船はここで一休み。
 後方の水門が閉ざされ、水位を調整。水カサが増し、頭上にあった水門のてっぺんが、目線より下になると、船は再び航行を開始。

 ドナウ川はスロバキアとハンガリーの国境付近で人工的にせき止められており、小さなダムのようになっていたのだ。
 恐らくダムと言うより、氾濫防止の為の水位調整が目的と思われる。

 船がハンガリー側に入ると、ようやく堤防もなくなり、川辺に緑や家並みも見え始める。

 そして現れたのは丘の上の、ドーム状の屋根を携えた大きなカテドラル。エステルゴムの大聖堂だ。

ドナウ川クルーズ 1

 ここら辺は、ドナウベンドと呼ばれる地域で、ハンガリーのドナウ川沿いの見所となっている。

 ドナウベンドの他の見どころである、ヴィシェグラードのシャラモン塔やセンテンドレの街並を川辺に、船は高速で躍ばし、やがてブダペストに到着。

 重厚な橋、見下ろす王宮と彫像。
 ドナウ川はハンガリーのふところに流れ込み、一気にブダペストと言う由緒ある街並の一員となる。

 明日は船でくぐり抜けたこの橋を、足で渡ろう。


【食事】

朝:スクランブルエッグ、パン、コーヒー
昼:パン
夜:(自炊)ツナパスタ

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 48SK(スロバキア・コルナ)
1US$ ≒ 300FT(ハンガリー・フォリント)
・ブラチスラバ→ブダペスト(船)9:30出発 13:30着 2357.5SK
・本日訪れたブダペストの見所(英雄広場)宿から徒歩にて

【宿】
(ブダペスト)Herena's House 1000FT/ドミトリー1人

NoPhoto
船でイタリア(34カ国目)へ (チュニジア)チュニス→(イタリア)ナポリへ
エリア:
  • アフリカ>チュニジア>チュニス
  • ヨーロッパ>イタリア>ナポリ
テーマ:街中・建物・景色 鉄道・乗り物 
投稿日:2001/04/27 15:15
 朝、フェリー乗場でチュニスの通貨、ディナールをイタリアのリラに両替すると、ナポリ行きの小型のフェリーに乗り込む。
 チュニジアとは、これでお別れだ。

 カルタゴの遺跡、ベルベル人の伝統住居クサールなど、見所とされているものの多くは廃墟だった。
 チュニスのメディナ(旧市街)でも南部のオアシス都市でも人々は皆、洋服を着こなし、街自体にはエキゾチックな気分にひたれる様な空気は漂ってはいなかった。
 旅する前はそれなりに期待していたチュニジアだが、正直言って期待には及ばず。どちらかと言えば、モロッコの方が旅先には断然おススメだ。

 それでも、タタウィンでは大好きなアラブ菓子を久しぶりにたんまり食べたし、チュニスのマーケットも中々。
 何より、肌で感じる治安の良さは、ヨーロッパよりも格段にリラックスして街歩きや旅そのものを楽しめる。

 地中海の沖に出たナポリ行きの船の甲板に出てみると、
 「寒い・・・。」
洋上の風は冷たく、とてもじゃないがいたたまれない。
 今日は早めにおやすみする事にしよう。

 とは言っても、我々のチケットは一番安いクラス。 フェリーのキャビン(客室)のベットとは無縁。
 ロビーのソファーの上に横になる。


【食事】

朝:パン、オレンジ
昼:チーズサンド、オレンジ
夜:バゲット、オレンジ

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 1TD(チュニジア・ディナール)
・チュニス→ナポリ(フェリー、夜行)94TD 11:00発 翌9:30着

船でチュニジアへ  1
船でチュニジアへ (フランス)マルセイユ→(チュニジア)チュニスへ
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
  • アフリカ>チュニジア>チュニス
テーマ:街中・建物・景色 鉄道・乗り物 
投稿日:2001/04/19 14:51
 マルセイユの街には、なんとも妙な雰囲気が漂う。

 街中には、ジュラバの姿の北アフリカ系の人々が徘徊し、目にするその数は白人よりも遥かに多い。
 彼らは街の中心部の広場で青空マーケットを盛大に催し、公園にたむろし、通りには、シャワルマ屋やタシンの土鍋を並べたモロッコ料理屋が並ぶ。

 パリに次ぐフランス第2の都市ながら、中心部はまるでヨーロッパに浮かぶマグレブ(北アフリカ)の小都市のようだ。

 そんな彼らがやって来たのであろう北アフリカの国の一つ、チュニジアへ、今日我々は船で航海に立つ。

 マルセイユの港の乗船ターミナルで出国手続きを済ませ、ターミナルの外のタラップに出てみると、タラップの先には何とも大きく立派なフェリー。

船でチュニジアへ  1

 側面に並んだキャビン(客室)の窓の数々に、未だ季節に達していないので水は張られていないが、大きなプールまである。

 我々がこれ迄乗った中で、最もデラックスな豪華客船だ。
 船内には、バー、レストラン、免税ショップ、インフォメーションデスクなどももちろん完備。

 我々は、そんな、チュニジアのチュニスまで一泊二日かけて地中海を渡るの豪華客船風のフェリーの中の、最も安い自由席のソファーに寝床を取ると、甲板に上がって、洋上から色々あったマルセイユの街に別れを告げる。

 マルセイユに来る途中の夜行列車でビデオカメラを盗まれてしまい、未だそのショックから立ち直り切れてはいないが、
 罪を憎んで人を憎まず。罪を憎んで街を憎まず。

 その直後は大嫌いだったマルセイユだが、海から臨むその風貌に別れを惜しむようにカメラのレンズを向ける。

 そしてこれから約24時間の地中海クルーズの後、我々は再びのアフリカ、北アフリカはチュニジアの地に足を降ろす。


【食事】

朝:サンドイッチ、リンゴ
昼:サンドイッチ、リンゴ
夜:サンドイッチ

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 6.5FF(フランス・フラン)
1US$ ≒ 1TD(チュニジア・ディナール)
・マルセイユ→チュニス(フェリー、夜行)14:00発 翌11:00着 1000FF/1人(週2便)

NoPhoto
盗られた!!(31カ国目、フランス) (フランス)マルセイユ→カンヌ
エリア:
  • ヨーロッパ>フランス>マルセイユ
  • ヨーロッパ>フランス>カンヌ
テーマ:鉄道・乗り物 
投稿日:2001/04/16 14:31
 昨日、フィゲラスでダリ美術館を見た後、フィゲラスに泊まって、ゆっくりマルセイユに向かう事も考えたのだが、フィゲラスの駅のインフォメーションで、夜行列車のあると聞いて、宿代も一泊浮くし、「列車で寝てれば着くんだから」と、夜行でマルセイユへ向かう事にしたのだが、これが完全に裏目に出てしまった。

 フィゲラスを昨夜9:30に出た列車は、フランス・スペイン国境のフランス側の街、セレブに30分程で到着。ここで列車を乗換え、マルセイユ行の夜行列車はセレブを24:00に出発。

 車内は清潔で明るい。乗客もまばらだ。

 これですっかり安心してしまった訳ではないが、バックパックを網棚に上げ、カメラ、ビデオといった壊れ物の機器が入ったショルダーバックを足の間に挟んで2つ並んだ座席の上に横たわると、いつの間にかぐっすりと熟睡してしまう。

 早朝4時前、ハッと気が付くと、
 「ん、ショルダーバックのチャックが開いている。」
 まさか開けっ放しで寝てしまったのだろうか。

 バックの中に手を入れてみると、ビデオがない!!

 床に落ちてやしないかと、座席の下を探してみると、ビデオカメラを入れていたビニール袋だけが落ちている。
 拾って見てみるとビニール袋は引き裂かれている。
 「やられた!!」

 オロオロしていると、手に皮の手袋をした中年男に引き連れられたいかにも怪しい少年の群れが、列車内を何度も往復している。
 彼らは、車両の電灯のスイッチの場所を知っているらしく、彼らが通り掛かると突然車両内は真っ暗になってしまう。

 「ヨーロッパの夜行列車や駅には窃盗団が出没するので気を付けるべし」
と言う様な事を、聞いたり読んだりした事がある。
 アフリカをほぼ無傷で旅し終え、ヨーロッパに上陸し、油断やスキができていたのかも知れない。

 だが、そんな事言っても後の祭り。
 盗まれたビデオカメラの中に入っていたモロッコ以来撮影したビデオテープも消え去り、これからも動く映像は残せなくなってしまった。
 悔やんでも悔やみきれない。

 「どうして気づかなかったの?」
と、Junko。
 「全然気づかなかったよ。」
と返すと、
 「もしかしたら何か嗅がされでもしたんじゃない?」
 「まさかそれはないとは思うけど・・・。」

 体には何も無かった事、ビデオカメラ以外の荷物やカメラは無事だった事はかろうじて不幸中の幸いと言っていいだろう。

 朝5時、到着したマルセイユの駅のポリスをたずねる。
 ポリスレポートをもらい、
 「帰国したら保険請求しよう。」

 ビデオカメラ代のお金は返ってくるのだろうが、やり切れない思いをかみしめる。

 マルセイユの旅行社で聞いたところ、マルセイユ発チュニジア・チュニス行の船が出るのは3日後の4月19日。
 それ迄、フランス・コートダジュールいちのリゾート地でゆっくりして心の傷を癒そうとカンヌへ向かう。
 「マルセイユなんて大嫌いだ!!」

 やつらはプロです。ヨーロッパの夜行列車は気をつけましょう。


【食事】

朝:サンドイッチ、リンゴ
昼:シーフードマリネ、ライスサラダ、ポテトサラダ
夜:ツナサンド、クッキー

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 180pt(スペイン・ペセタ)
1US$ ≒ 6.5FF(フランス・フラン)
・マルセイユ→カンヌ(列車)2時間15分 1750FF

【宿】
(カンヌ)Hotel Chanteclair 180FF/W-1室

30カ国目、ポルトガル  1
30カ国目、ポルトガル (スペイン)セビーリャ→ロサル→(ポルトガル)リスボン
エリア:
  • ヨーロッパ>スペイン>セビリア
  • ヨーロッパ>スペイン>スペインその他の都市
  • ヨーロッパ>ポルトガル>リスボン
テーマ:街中・建物・景色 鉄道・乗り物 
投稿日:2001/04/02 11:02
 次に向かうのは、ポルトガルのリスボン。

 ここセビーリャから直通の快速バスもあったのだが、割安の各停バスに乗る。そして、意外にもこれが大正解。

 バスは、セビーリャの街を抜けるとすぐ、緑が多い畑や野原、丘陵の中の良く整ったハイウェイを走り、ほぼ1時間おきに幹線のハイウェイを外れ、途中の小さな町々にいちいち立ち寄り、乗客を乗降車させる。

 そして、そのたび、「何だよ、また停まるのか。」と、気をもまされるのもつかの間、素朴なアンダルシアの田舎町の一つ一つがいい味わいなのだ。

 朴とつとした石造りの小さな教会、野原に囲まれた小さな路地。
 そんな田舎町のバス停で日なたぼっこをしながらバスを待っていたおじいさんが、よたよたとバスに乗り込んで来る。
 「ブエノスディアス(こんにちは)!!」
ワンマンバスのドライバーとおじいさんが、笑顔であいさつを交わす。

 自分は日本で、バスの運転手と乗客が、こんな風にあいさつを交わす光景を、一度も見た事がない。

 やがて道路脇に両替屋の看板が並び出すと、ポルトガルとの国境の街ロサルに到着。

 バスは更に少し走ると、「ポルトガル」と書かれた小さな立て看板を通り過ぎ、バスに乗る我々もろともスペインを出国し、ポルトガルに入国する。

 「何ともあっけなく、いとも簡単に国境を越えられてしまえるもんだね。」
 まるで日本の県境を越えるようだ。

 ポルトガル側で接続のバスに乗り換え、一路リスボンを目指す。

 ポルトガルに入り、バスがリスボンに向かって進むと、車窓の外はまるで夢の世界。
 拡がる一面のお花畑、なだらかな牧草地、流れる小川、草をはむ羊や牛達。子豚もいる。

 それもその筈、バスはポルトガルでも有数の景勝地、アレンテージョ地方の国立公園内を突っ切って走っていたのだ。

30カ国目、ポルトガル  1

 やがて建物が増し、テージョ川に架かる大きな橋に差し掛かると、目の前はリスボンの街並だ。
 背後の丘の上から、十字の形に手を広げたキリスト像が、対岸のポルトガルの首都リスボンを見守っている。

 このキリスト像、どこかで見た事がある。そう、ブラジルのリオデジャネイロの丘の上に立つキリスト像と同じ形、同じ顔。
 南米の元ポルトガル領ブラジルでは、今でもポルトガル語が話されている。

 キリスト像、は大航海時代の船乗りや航海士達を見送り、見守っていたのかも知れない。

 夕方、リスボンのバスターミナルで両替ができる所を尋ねるも、近辺の銀行はじめ、皆閉まっており、両替できる所はないとの事。
 加えてバスターミナルや街のあちこちにあるATMで現金を引き出そうとしても、これ迄他の国では何の問題もなく使えたカードが、「コミュニケーション・ディフィカルト」の表示と共に、戻し返されるだけ。

 「これじゃ(ローカル)バスにも地下鉄にも乗れないよ。」
 スペインから到着したばかりの我々は、ポルトガルの通貨は持ち合わせていないのだ。

 仕方無く重い荷物を背負って、バスターミナルからリスボンの中心街まで3km近く歩く。
 まさかヨーロッパで、こんなに歩かさせられる事になるとは。

 「砂漠を歩いといて良かったね。あのお陰で、これ位へっちゃらだね。」
 どうやら失敗に終わったあの、「砂漠のアリ作戦」も、まるで無駄では無かった様だ。

 坂の多いリスボンの街、中心街のすぐ近くの筈の安宿は、坂の上のその又上の、古い日本の神社の様な石の急階段を登り切った所にあった。


【食事】

朝:ポテトチップ
昼:パン
夜:パン

【トラベルメモ】

1US$ ≒ 180pt(スペイン・ペセタ)
1US$ ≒ 225es(ポルトガル・エクスード)
・セビーリャ→ロサル(バスCosal社)毎日一便 9:00発 12:15着 1510pt/1人 
・ロサル→リスボン(バス:上記バスと接続をとってリスボンへ向かう) 13:45発 18:30着 2000es/1人

【宿】
(リスボン)Pension Doque 4000es/W-1室

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