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- イケメンと言うならイケ国と言ってもいいじゃないか! かなりイカしてる・・・と思う ワインカントリーとして楽しむクロアチア
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エリア:
- ヨーロッパ>クロアチア>ドブロブニク
- ヨーロッパ>クロアチア>ザダール
- ヨーロッパ>クロアチア>クロアチアその他の都市
- テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/06/24 15:05
私のワインの知識はほとんどないも同然ですが、飲むことにかけては自信があります。家にワインがないことはほとんどありません。いつでもワインが飲めるように常備しています。ただ、千円しないワインばかりで、千円を超えるワインを家で飲むことはめったにありません。
今回の旅は、行く場所行く場所でワイナリーに立ち寄り、ワインはじめ併設のワイナリーレストランでクロアチアのお料理も堪能し、空腹感を感じることのない幸せな旅を満喫しました。
いろんな青が混じったどこまでも続く海の遥か彼方の水平線に白くたなびく長い長い雲が交わり、射すような太陽光線に耐えられなくなる頃に爽やかな風が「ヒューン」と通り過ぎる。そんな中でワイナリーに整然と並ぶブドウの木を見ていると、何とも言えない幸福感に包まれます。
私はワイナリーが大好きです。そこで食べるワインとお料理はもっと好きです。
ワインについて熱く語るワイナリーオーナー
最初に訪れたワイナリー「バルトロヴィッチワイナリー」は、ドブロブニクから車で約1時間のプリズドリナ村にありました。テイスティングをさせていただくにあたり、ワイナリーの歴史やぶどう栽培について、英語で説明してくれたのですが、なかなか終わらないので目の前にあるワインや食事に手をつけることができません。ガイドさんが見事なタイミングで話を切ってくれなければいつまで続いたわからないほど情熱たっぷりにお話をしてくださいました。あとでワインのことに詳しいそのガイドさんに聞いてみると日本語に訳してくれました。こういうことだったようです。もちろん要約しています。
看板にある「KONOBA」とは、お酒を飲みながら料理を食べる場所の意味
お話はまだまだ続きます
現代のぶどう栽培では、昔ほど「土」へのこだわりはなくなり、それよりもむしろ「気候」、つまり太陽がぶどうの実にあたる角度や時間、強さ、そして水などの外的要因が与える影響の方を重視し、それらの要因に人が何らかの変化を加えることにより、思い描く良質のブドウが育つよう努力しているそうです。また、水分供給についても重要で、わざと水を与えないことで良質なぶどうが収穫できることもあるそうです。もちろん、その他の要因が複雑にからみ合うので思い通りにいくことばかりではありません。
白ワインとブドウ畑
ワイン造りの世界にも科学の進歩により昔では知りえなかったことがたくさんわかるようになり、ワイン造りに生かされているのだとあらためて認識しました。日々、情報を集め研究し、トライ&エラーの繰り返しで一歩一歩進んでいくのですね。
この情熱のかたまりのようなオーナーさんじゃないとブドウ栽培などできるものではないのだと強く感じました。ものづくりとは果てしない物語です。
ところで、ワインの味の方なのですが・・・
ワイン無知の私が説明するのは本当におこがましいのですが敢えて述べさせていただきます。いや、その前に・・・。
話の中に出てきたクロアチアワインのブドウの種類は、今まで聞いたことのないものばかりでした。シラーズやカベルネソービーニヨン、シャルドネなどお馴染みの品種も栽培されているそうですが、以下、ご覧ください。
<白ワイン>
ポシップ、クルク、クラリェヴィーナ、マルヴァジァなど
<赤ワイン>
フルヴァツィツァ、プラーヴァッツ・マリ、プラーヴィナなど
私は知らないものばかりです。呼び方が違うだけなのではないかと思い聞いてみましたが、これらはクロアチアの土着品種だそうです。
ワインセラーに眠るワイン畑
では、味のお話に戻ります。
私は、白は辛口で爽快感のあるもの、赤は重たく深い味わいのものが好きです。白は好みに合うものばかりでした。赤は、最初はヘビーに感じる味が、飲み続けるうちにどんどんライトな感じに変わってきたように思いました。聞いてみると、クロアチアでは若めのブドウを使って醸造し、完成するとすぐに飲んでしまうのがクロアチアのワインの飲み方だそうです。そのため、クロアチアのワインはライトで飲みやすいものが多いそうです。
少し、クロアチアのワインの歴史を調べてみました。
もともと、クロアチアのワイン造りの歴史は古く、紀元前4世紀にまで遡ります。緯度は概ね、フランスのボジョレーやローヌ、イタリアのキャンティやトスカーナ地方とほぼ同じです。昔からの栽培品種に加え、最近では輸入品種も栽培されるようになり多種多様なワインが生産されています。
内陸部では総生産量の60%が生産され、その内、白が90%です。内陸部では白ワイン品種が育てやすいのですね。一方、沿岸部は、残りの40%が生産され、その内、赤ワインが70%、白ワインが30%で、内陸部と沿岸部で見事に特徴が表れています。合計1000種類以上のワインブランドがあるそうです。
面白いことに、ワインのブランド名はぶどう品種になっているものが多いです。たとえば、白ワインだと、品種のひとつであるPOSIP(ポシップ)と大きく書かれたラベルが貼ってあります。だから、店頭には「POSIP」と書かれたボトルがやけに目立つことになります。それは実際、いろんなブランドの白ワインが置いてあることになります。もちろんラベルのデザインは違うのですが、そのあたりの事情を知らない人が見たら、クロアチアのワインは「POSIP」ばかりだった、となります。ラベルをよく見ると生産地かと思われる地名が小さめに書かれています。なぜ、このような習慣になったのかを聞き忘れてしまいました。次回、クロアチアを訪れる機会があったら、是非、質問してみたいと思います。
このボトルはブランドが大きくブドウの種類の文字が小さい
次に訪れたのがコルチュラ島の「CHAKULA」です。時間がなかったので、ワイナリー訪問はできませんでしたが、町の中心にある海沿いの直営レストランで夕食をいただきました。
シーフードが中心のお料理で、酢漬けのオイルサーディンは絶品でした。コルチュラ島はワイン栽培が盛んな島です。
充実のシーフード料理
せっかくなので、コルチュラ島の説明を少しさせていただきます。
世界遺産のドブロブニクの旧市街と比べると、スモールというのではなく、タイニーという言葉がぴったりくるような、愛着の湧くかわいらしい感じの町並みです。綺麗な左右対称ではないですが、旧市街の中心に縦に1本の目抜き通りがあり、その通りから横に何本もの通りが左右にのびています。魚の骨のような感じでもあり、人間の肋骨のようでもあります。おわかりいただけますでしょうか。
中世の町と洗濯物-絵になる風景??
小さな町なので隅々まで見ることができました。
中世のままの街並みが残り、石畳の路地が歴史の重みを感じさせてくれます。あたたかい南風が、既に乾いたであろう洗濯物をやさしく揺らす風景とのコントラストは、なぜかしら興味をそそります。
南からの風が歴史ある石畳の狭い路地を吹き抜ける
南風で思い出しました。話はそれますが、ガイドさんから教えてもらったお話です。クロアチアなど数か国が1991年にユーゴスラビアから分離独立しました。そのユーゴは「南」を意味します。スラビアは「スラブ人の国」。ユーゴスラビアは、南スラブ人の国という意味です。
かつて、ユーゴスラビアは6つの共和国で成り立っていました。ガイドさんからこの国を説明するためのおもしろい方法を教わりました。
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」です。
1991年から始まったユーゴスラビア崩壊以降、各地で終結しては勃発を繰り返した血みどろの内戦が完全に収束するまで10年もかかりました。
聖マルコ大聖堂
鐘楼
下が丸見え
そんなユーゴの風を全身で感じることができる素晴らしい場所が聖マルコ大聖堂です。有料(少額)ですが、この鐘楼にのぼることができます。小柄な女性同士でもすれ違うことができないとても狭く暗い階段をのぼっていきます。上ると30mくらいの高さになりますが、下が丸見えのシースルーの床を通って鐘楼の外の展望台に出ます。高所恐怖症の私は、お股が「ヒュン」となりました。でも、かわいらしいコルチュラ島の旧市街の風景を爽やかな風に吹かれながらたっぷりと楽しむことができました。お奨めの場所です。
鐘楼からの旧市街の景色
マルコポーロ博物館
コルチュラ島は「東方見聞録」で有名なあのマルコポーロが生まれた町としても有名です。ただ、そういう説が言われているだけで確かな証拠があるわけではないようです。旧市街にはマルコポーロに因んだ観光用の施設がたくさんありました。また、マルコポーログッズを取り扱っているお店がいくつかあったのですが、全部閉まっていました。残念。
食前酒でお出迎え
レストラン全景
伝統料理の仔牛のペカ
大好き!酢漬けのオイルサーディン
次に、沿岸部をさらに北上したところにあるザダルのワイナリーをご紹介します。これぞ「ザ・ワイナリー」と言えるすばらしい場所に「ロイヤルワインヤード」があります。そのワイナリーに併設しているレストランが「クラリエスキー・ヴィノグラディ」です。天気の良い日は屋外で、雨や風が強い日は屋内で楽しめます。
このワイナリーのオーナーは、かつての内戦時にクロアチアの英雄と称えらた戦士でした。その戦士が、平和な今、ワイン生産者として、我々にすばらしい世界を提供してくれます。
無料の体験メニューは、
★クロアチア伝統料理のペカ調理見学
★ホームメイドパン作り
★伝統料理教室
★ワイン作り体験
など
これと合わせ、ランチまたはディナーで4種類のワインを飲みながら肉料理コースまたは2種類のシーフード料理コースの中からひとつ選びます。ホテルの送迎も合わせて面倒をみてくれるのもうれしいです。
当レストランが力を入れているマグロ料理「マグロの塩炙りと焼き野菜の付け合せ」シンプルだか絶妙の味!
当レストランが力を入れているマグロ料理「マグロの塩炙りと焼き野菜の付け合せ」シンプルだか絶妙の味!
ブラックボディの赤ワインがかっこいい
ワイナリーオーナーにもお見送りいただきました
ここでいただいたマグロ料理は絶品でした。ザダル市が一丸となってマグロの養殖に力を入れているそうです。各種ワインそれぞれに合う調理方法で新鮮なマグロ料理を食べさせてくれました。生でも食べてみたかったですね、日本人ですから。
ザダルは、今年2016年のヨーロピアンベストディスティネーションに輝いた注目都市です。広いヨーロッパの中で最も注目される都市として選ばれたのだからすごい栄誉なのではないでしょうか。
ザダルのシンボル聖ドナド教会
公園にあったかわいらしいWi-fiアンテナ
因みに過去の受賞都市をご案内します。
2015年 ボルドー(フランス)
2014年 ポルト(ポルトガル)
2013年 イスタンブール(トルコ)※イスタンブールもヨーロッパなのですね。
ザダルは、かつてダルマチア地方の中心地として栄え、起源は紀元前9世紀にまで遡る歴史ある町です。港湾都市であるがゆえに周辺国から何度も攻撃を受け続けてきました。
聖ドナド教会は9世紀に建てられた町のシンボルで、奇跡的に戦火を逃れた歴史上重要な建造物です。他にも歴史ある教会関連施設が数多く残されじっくりと見学してみるのがよいでしょう。他にモダンでおしゃれな雰囲気の「ザダルの太陽」や「シーオルガン」もおもしろいです。「ザダルの太陽」は夕方になると7色に光り、「シーオルガン」は風が吹くと地面に埋め込まれたオルガンが音を奏でるしくみになっています。
ここには、のんびりとした田舎町のザダルならではの楽しみ方があります。
ザダルの太陽
シーオルガン(Sea Organ)
新市街には、大きなドーム型の建物があり、サッカーの試合や陸上競技はじめ、いろいろなイベントが行われています。人口8万人に満たないザダルに、こんな立派なサッカー施設があるとは少し驚きました。そう言えば、クロアチアはサッカー強国でした。比較してよいのかわかりませんが、人口7万に満たない鹿嶋市に巨大なサッカー場があるので、驚くのは鹿嶋市に失礼ですね。
因みに、ダルマチア地方は黒いぶちが特徴の犬、101匹ワンちゃんでお馴染みの「ダルメシアン」の生まれ故郷です。が、しかし、残念ながら、一度もダルメシアンに会えませんでした。どこにいたのでしょうか。
スプリットの魚市場
これも好き!塩が効いた「アンチョビ」
広い沿岸部を持つクロアチアだけあって魚介類は充実しています。手長エビやムール貝、今回は食べませんでしたが、牡蠣も多く出回るとのことで、9〜4月頃までがシーズンだそうです。内陸部では酪農が盛んで肉料理やチーズ類も見逃せません。久しぶりに食べたステーキはぶ厚いけど柔らかく、食べごたえ満点でした。恐らく300g以上はあったと思います。
300gの牛ひれステーキ
穏やかな気候と豊かな食文化、そしておいしいワインやビールが揃ったクロアチアがずっと平和でありますように。イケ国のイカしたクロアチアを皆様も是非体験してください。
ドブロブニク★★★★★
多くの観光客が訪れるだけあって見応え十分の美しい旧市街
城壁を一周してみよう!最近、アメリカの歴史ドラマ『GAME OF THE THRONES』の撮影が旧市街のメインストリートで行われたそうです。私は聞いたことがなかったのですが、世界中で大人気のドラマだそうです。
コルチュラ島★★★★★
歴史ある旧市街だが全長約200mほどしかないためか何故か心地よい
ザダル★★★★★
静かでのんびりした田舎町。歴史は古く貴重な教会施設も多い。ワイナリーレストランが素晴らしかった。
(2016年5月13日〜20日 森 裕)
- モンテネグロで乾杯! バルカン半島3国7大世界遺産9日間・ちょっと濃い目の美しい旅
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エリア:
- ヨーロッパ>クロアチア>スプリット
- ヨーロッパ>クロアチア>プリトビチェ
- ヨーロッパ>モンテネグロ>ポドゴリツァ
- テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/06/24 14:50
旅はどこに行くかではなく誰と行くかが重要なときがある。
もちろん1人の方が気楽な旅もあるが、確実に2人の方が楽しめる旅がある。
今回はまさに後者。好きな人と行くのが断然良いと先に結論づけておく。
1度に3か国7遺産と過去に経験のないほど濃密で行くところ見るものすべてが美しかった
バルカン半島のスポットをいくつか紹介したい。
まず1つ目の世界遺産プリトヴィツェ湖群国立公園
日本から直行便はないのでターキッシュエアーのイスタンブール乗継ぎで首都ザグレブへ。
簡単に観光した翌日に定期バスでおよそ2時間かけてプリトヴィツェに到着。
広大な森に大小16の湖と92か所の滝を有するプリトヴィツェ湖群国立公園はその自然の美しさから
世界遺産に登録されている。湖・滝・緑のハーモニーはとにかく綺麗、この一言に尽きる。
滞在時間に合わせていくつかモデルコースがある。日帰りではなく宿泊するので時間は比較的ある。
当然、全てを周るコースを選ぶ。
まずエコロジーバスで上湖群からスタート。迷わないよう動きやすいように遊歩道が整備されている。
まもなく視界に入るエメラルドグリーンに輝く幻想的な湖の姿に忽ち感動。
時間や日照角度によって姿が変化するというのがとても興味深い。
来る前にネットやガイドブックで見たことはあるが、写真ではこの美しさを感じるのに限界がある。
やはり肉眼で見るのが一番だ。湖の透明度がとても高くて魚の姿がはっきりと見える。
緑豊かな森の新鮮な空気はおそらくマイナスイオンたっぷり。そんな空気を感じながらの散策は日頃の
不摂生を癒す絶好の時間。
じつに良い旅をしていると体感しながら遊覧船に乗って下湖群へ。
残念なレストランで残念なハンバーガーを食べた後は洞窟へ
さらに残念なことに水量の問題で公園内最大のヴェリキ滝に近づくことが出来なかった。後半は残念の3連続ではあったがそれでも十分に大自然の美しさを堪能できた。次に機会があったら秋に来てみたい。
2つ目の世界遺産 シベニク
プリトヴィツェから車でおよそ1時間半かけて南のシベニクへ。
人間の頭部の彫刻が71もある聖ヤコブ大聖堂
聖ミカエル要塞に登ってシベニクの街を見下ろす。
陽気な地元の父子。日本人だと告げると熊本の地震を心配していた。
3つ目の世界遺産 トロギル
城壁に囲まれた小さなそして静かな島。
聖ロヴロ大聖堂はトロギルを代表する教会で観光の中心。
4つ目の世界遺産スプリット
アドリア海沿岸最大の港町スプリットは宮殿がそのまま旧市街になったというレアな世界遺産。
たまたま土曜日で結婚式に遭遇!国旗を振って発煙筒を焚きながら、いわゆるクロアチア民謡を皆で歌って新郎新婦の門出を祝う。友人だけでなく通行人も加わって盛り上がる。屋外でこの熱気、グルーヴ感あふれるウェディングは感動的。こんなシーンに出くわしてラッキー
この日の夕食はアドリア海名物のブルデット。
トマトで魚を煮込んだ素朴な家庭料理でこれが実に美味い。
5つ目の世界遺産モスタール
国境を越えてボスニア・ヘルツェゴビナの古都、モスタールに入国
わずか2時間の滞在だが渡航国の数が1つ増えた。ここのシンボルであるスターリモストはお金が集まればいつでも飛び落りるという若者が橋の上でスタンバイ。
でも一番の思い出はボスニア産のビール
と笑顔の素敵な女性
6つ目の世界遺産ドブロヴニク
クロアチア観光で最もメジャーなアドリア海の真珠、ドブロヴニク。
城壁に囲まれた旧市街は歩くのが楽しいが、やはり城壁に登って周遊するのが一番。
さらにロープウェイでスルジ山に登って見下ろすのも良いと聞いていたので行ってみたがこちらは曇天で残念。やはり天気の良い時間帯に行くべきだった。その代わり意外に楽しかったのが沖のロクルム島。
旧港から船でおよそ20分。代金は往復100クーナなので日本円でおよそ2千円くらい。
船は1時間に1本往復している。何もない素朴な島だが散歩が気持ちいい。
島の中央には要塞があったので登ってみた。
ここでも他国から来ているラブラブカップルに遭遇。喜んでカメラの前で遠慮のないポーズを取ってくれた。
ドブロヴニクの1番の思い出は外壁の外の断崖にある小さなカフェ。まず入り口がわかりづらい、
でもそれがイイ。迷路のような旧市街の細い道を歩いていて、偶然見つけた。ここで海を眺めながら好きな音楽をBGMにひと休み。しかもオジュイスコがうまい!これぞ至福の時間。
車で国境を越えてモンテネグロに入国
ドブロヴニクからちょうど2時間。北はボスニア・ヘルツェゴビナ、西はクロアチア、東はセルビアと
コソボ、南はアルバニアと国境を接しているモンテネグロは旧ユーゴから独立した6つの中では最も小さな国で、その面積は福島県とほぼ同じとのこと。通貨はユーロなのでわかりやすい。黒い山の意味を持つモンテネグロは生い茂る木々で山が黒く見えたことが由来といわれるほど自然が豊富。確かに移動の車窓から次々に見える山は黒い。やや退屈な風景の連続と寝不足からついうとうとしてしまったが途中、
綺麗な湖に目が覚める。眺めながらワインディングロードを走り抜けるこのドライブは気持ち良い。
コトル湾の畔、小さな町ペラスト
岩礁のマリア教会と呼ばれる小さな島に建つ教会
プログラムに入れていなかったので途中下車をし損ない、車窓からだけとなってしまったことを
後悔している。
7つ目の世界遺産 美しき秘境・港町コトル
アドリア海に面したコトルは要塞に囲まれた堅固な城塞都市でモンテネグロに2つある世界遺産のうちの1つでモンテネグロ1番の観光スポット
ドブロヴニクからは車で片道2時間くらいなので
日帰りツアーで来る人が多いと聞く。
旧市街は山の麓に建てられた城壁の中にある。細い迷路のような石畳の道が破壊されずに中世のまま残っているというのが凄い。入口の観光案内所で地図をもらって時計台や教会、広場など迷路のような街を
散策。かかる時間は30分くらい、つまり街自体はとても小さい。
さすがに日本人はほとんどいないし、中国人団体もみかけない。一番の見どころは旧市街の背後の山に沿って築かれた城壁からの景色。頂上からはコトルの街並みと緑色に輝くはずだったアドリア海が一望できる。はずだったというのは曇っていたから。そもそも晴天の写真を撮るのが目的の1つであったからそれは残念な結果に・・
登るのは有料、入口で3ユーロ払う。
下からてっぺんを見上げるとそんなに遠くには見えないので楽勝と侮っていたがこれがなかなか険しくて時間がかかる。
ドライバーとは1時間以内に戻る約束をしてしまったためにペースを上げて登らなければならない羽目に。計画性のない約束に大後悔。これでもかと階段が連続する。
ただ振り返った時の風景が上るにつれ変化していくのが楽しい。ここは時間をかけてゆっくり登っていくのがいいんだろうなと。
体力的に最低1時間半、精神的には3時間は要ると思う。山の中腹には救世聖女教会がそびえている。
自然の中に歴史を感じる。頂上にモンテネグロの国旗がはためくが登っても登っても辿りつかないくらい、意外に距離がある。
この距離、運動量は4年前に登ったワイナピチュよりハードに感じる。ここ最近、覚えがないくらい心臓がバクバクしている。もう若くないからこのままここで倒れて
しまうかもしれないような恐怖を覚えるので休憩。ただ、あまり休むとかえってつらくなるので呼吸を整えて最後は一気に駆け登る。登りつめた瞬間の達成感と視界に広がる絶景に幸せを感じる。
簡単には来れない、これぞまさに秘境
山頂のラブラブカップル、幸福のショット。
下りも猛スピードで。骨折、捻挫しないよう慎重に下りた。
以上、これがラストの世界遺産。でも他にもモンテネグロには良いところがたくさんあるので
いくつか紹介したい。
ブドヴァ
モンテネグロ屈指のリゾートタウン
さすがに4月はオフシーズンなのでビーチは閑散としているが5月くらいから一気に賑やかになるらしい。ここでも城壁に登ってみる。
気が付くと今回の旅、城壁に5回も登っている。
世界中から巡礼に訪れるツェティニェ修道院
噛みそうな地名、ツェティニェはかつてのモンテネグロの首都。今は人口わずか1万5千人ほどの小さい静かなところだがここにあるツェティニェ修道院は日々世界中から多くの巡礼者が訪れる。
最初に建てられたのは15世紀末でその後度重なるオスマン朝との戦争で崩壊された。現在のものは18世紀に建てられた。
原則として信者と関係者、観光ならグループでないと入れないらしく
最初は断られたがグループが去った後、そっと入れてくれた。こういった優しさに触れるとモンテネグロに惚れてしまう。でも内部は一切撮影禁止
ここにはイエスの磔刑に使われた十字架の一部や洗礼者ヨハネの右手、そして聖ルカが描いたと言われるフィレルモの聖母という聖母マリアのイコンがある。
断崖絶壁・秘境の聖地オストログ修道院
首都のポドゴリツァから車でおよそ1時間にあるオストログ修道院はバルカン半島有数の巡礼地。
標高約800メートルの山奥の断崖絶壁に埋め込まれるように建っている。中でも17世紀前半に建てられた聖十字架教会はモンテネグロ最大のセルビア正教の聖地で渓谷を見下ろす切り立った岩の隙間に埋め込まれるように佇んでいる。
その姿はとても印象的。そして遠くから見える小さな姿が山を登って徐々に近づくにつれ大きく見えてくるのが感動的。世界中から宗教宗派を問わず訪れる全ての人々を平等に迎え入れてくれる、まさに奇跡の聖地。巡礼者は誰しもが魂が震えるような感覚を覚えるらしい。
私は巡礼者ではないのでそのレベルにまでは達せないが、自分なりに感動した。
モンテネグロの首都ポドゴリッツアの夜
首都とは思えないほど静かでのんびりしたポドゴリツァ。宿泊したホテルは1階がトヨタの販売店。
そうとは全く知らずに手配をしていたのでちょっとしたサプライズ。さすが世界のトヨタ、日本人として誇らしい。
街の中心、共和国広場までは歩いて20分。途中、何もない田舎道なのでちょっと遠く感じる。
共和国広場を中心としてレストランやお店が並んでいるが1時間もあれば歩いてまわれるほどの広さ、つまり小さい首都。
ドライバーもいないので今日も一人飯。いつものように軽くすませたものの、
さすがに最後の夜ともなるとこのままホテルに帰るのは寂しい。ここは積極的に現地の人とのふれあいを求めて2件目のバーを物色。ほどなくいい感じの店と男女4人組を発見。声をかけてみると
反応とノリがむちゃくちゃ良い。
そのうちの女性が日本の大学に留学していたということで多少日本語が話せる。この偶然の出会に感激。
彼女からブドウから作られたというローザというラキヤを勧められる。ラキヤは旧ユーゴ諸国では広く親しまれているブランデーのことで樽などに詰めて熟成させないので無色透明なのが特徴。日本酒を飲む時に使うようなグラスにいれてチビチやる感じ。
主に食前酒としてモンテネグロ人に最も親しまれているらしい。
ものすごく香りがいい、でも辛い!アルコール度数は50度を超える強いお酒。最初の印象が強烈。
体に沁みる!これは土産に帰りの空港で買っていこうかなと。
モンテネグロはあまり英語が通じないと感じていたが幸いにもこの人たちは話せるので盛り上がった。
楽しい空気になったおまけに御馳走になってしまった。一夜限りのつかのまの酒盛りではあったが、さらにモンテネグロに惚れてしまった。ジヴェリ!!(乾杯)
以上
3国7世界遺産というとても内容の濃い贅沢な旅でしたが、あらためて大切な人と来るべき旅、思い出を共有すべき国であると思います。モンテネグロに興味のある方はドブロヴニクから日帰りで行くのではなく泊まりでじっくり滞在、周遊することをおすすめします。個人的には今回行けなかったもう1つのビーチタウン、ヘルツェグノヴィや降り損なったペラスト村、世界遺産のドゥルミトル国立公園にも行き、
もっと多くの人とふれあってさらにモンテネグロを極めたいと思います。
<おすすめ>
プリトヴィツェ★★★ 癒しの大空間。季節ごとに異なる表情が楽しめる。
スプリット★★★★ 地元の人とふれあってゆっくり過ごしたい世界遺産。
コトル★★★★★ 晴天を狙ってじっくり時間をかけて頂上を制覇して下さい。
オストログ修道院★★★★ 世界中からの巡礼者が絶えない絶壁の秘境。その姿は必見。
(2016年4月 櫻本竜一)
- 絶景の連続!行くなら断然夏がおすすめ、クロアチア&ボスニアの旅
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- ヨーロッパ>クロアチア>スプリット
- ヨーロッパ>クロアチア>プリトビチェ
- ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ>モスタル
- テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/04 17:43
6月初旬。日照時間が長くなり、気候も真夏ほどではない適度な暑さ。ハイシーズンのちょっと手前、航空券もちょっと安い。私的にベストシーズンではないかと思うこの時期、クロアチア&ボスニア・ヘルツェゴビナを旅してきた。
あぁ…。今思い出してもため息の出るような景色の連続。何度、感嘆の声が漏れたことか。
さて、今回はザグレブ〜プリトヴィツェ〜スプリット〜ドブロヴニク〜モスタル~サラエボをすべてバスで移動することに
クロアチアもボスニアも列車はあまり発達しておらず、バスや専用車を駆使して旅するのが一般的なのだ。
ザグレブの蚤の市を見てみたく、日曜日にザグレブの観光があたるような日程にした。美術館など、日曜はクローズしていることが多いのだが、結果からいうと、夏のザグレブの日曜日は最高に楽しい。
前述のブリダンスキの蚤の市はもちろんのこと、街の至る所で様々なイベントが催されていた。
まずは衛兵さん。お昼くらいから街の至る所を行進して回っているので、どこかしらで出会えるだろう。
衛兵の行進
こんなにかわいらしいお姉さんが民族衣装を着て、ザグレブ定番のハートモチーフのお土産を売っている。
おしゃれなおじいちゃんがギターの弾き語り
手回しオルガンのレトロな音調が街に溶け込んでいた…
ザグレブと言えば、赤いパラソルの青果市場があまりにも有名。ザグレブ観光には欠かせないフォトスポットでしょう!たくさんの新鮮な野菜や果物が並び、活気に満ち溢れている。
ドラツ広場の更に階段を上ったところにかわいい刺繍のお店があり、お土産を買うならその近辺がおすすめだ。スプリット、ドブロヴニクと旅をしたが、ザグレブが一番安く品物が豊富だった。
女子ウケするお土産
街をうろうろしていたら、どこからともなく民族衣装をきた人たちが集まり伝統的な歌や踊りを披露し始めた。衣装がめちゃくちゃかわゆい〜。
イェラチッチ広場にて
そして、公園でいきなり始まった、青空クラシックコンサート!日本ではこういうの絶対ないよなぁ、心が豊かになるなぁ。
週末は美術館などが閉まっているというデメリットがあるが、断然こういったイベントの方が私は大好きだ。やっぱり、週末ザグレブINにして大正解!
翌日バスにてプリトヴィツェ国立公園へ。
この区間のバスは座席指定ではなく、早い者勝ち。プリトヴィツェ行きのバスはかなり混んでいる。30分前にはスタンバイをしていないと座席がなくなってしまうこともあるだろう。
さて。プリトヴィツェに到着し、公園でチケットを購入したら、どのようなルートで自分が周りたいのかを決めなければならない。私が選んだのは、すべての湖を周る5〜6時間コースだ。本当に素晴らしい景観なので、ぜひ頑張って長めのコースに挑戦していただきたい。普段運動をしない私でも、全く問題なく、4時間弱で終えることができた。
公園内にはエコロジーバスが走っていて、まずはこちらに乗りハイキングスタート地点へ向かう。いよいよスタート。
ため息の出そうな美しさ…。この透明度と滝に日々の疲れが癒されていくような気分。
このスポットからの写真は有名
ハイシーズン目前にして、すでに園内は人人人…。人の渋滞が起きたり、途中フェリーで移動するときも長蛇の列だったりと余計な時間がかかってしまう。
私が訪ねる1週間前は雨が続き水かさが増していたそう。そうなるとハイキングコースも変更を余儀なくされる。水量が多く、結構足元が水びたしになるので、足元をしっかり固定できるサンダルで行くのが正解かも。
翌日、長時間バスに揺られスプリットへ向かう。
スプリットはドブロヴニクに行くための中継地程度にしか考えていなかったがとんでもない!さすがは世界遺産、見応えのある古代・中世の建物が残る、それはそれは魅力的な街だった。
バスはフェリー乗り場近くのターミナルに到着する。この近辺にはスーツケースなど大きな荷物を預かってくれるクロークがある。街は石畳で、ホテルまで結構距離があるため、スーツケースを預けた方が移動がスムーズかもしれない。
スプリットはリゾート感満載!城壁の前にはおしゃれなカフェが並び、そこからは港が一望できる。シーフードも安くておいしい。有名ガイドブックにも載っているが、大衆食堂のFIFE、郷土料理が有名なSPERUN はお勧めレストランで、いつも人で賑わっている。
スプリットの街並み
名物シーフードのリゾット(FIFE)
タコのサラダ(SPERUN)
見どころは大聖堂、宮殿の地下、前庭で、特に大聖堂の鐘楼からの眺めは素晴らしい。これらの観光地はスプリットカードを購入すれば、入場無料もしくは割引になる。
鐘楼からの眺め
前庭
スプリットの夜景
スプリットの青空市場
あぁ、スプリットにもう1泊したい…後ろ髪ひかれる思いで、クロアチア最後であり最大の目的地、ドブロヴニクへ。
ドブロヴニクの長距離バスターミナルは旧市街からはちょっと距離がある、グルージュ港に到着する。ターミナルを出てすぐ右にローカルバスのバス停がある。ここに泊まるすべてのバスは旧市街に行くので、移動は簡単だ。
ドブロヴニクは魔女の宅急便のモデルになったと言われている街。真偽のほどは定かではないが、なるほど、そういいたくなるようなジブリ感満載の街並みであった。胸のドキドキが止まらない!
こんなに素敵な街角、どこを撮っても絵になってしまう小道、素敵なオープンカフェ…
旧市街
旧市街は城壁に囲まれており、この城壁の遊歩道はドブロヴニク観光のハイライト。お昼は非常に暑く、また混み合うので朝8時のオープンとともに城壁に登った。一周1940もあり、のんびり写真を撮りながら回るとゆうに1時間以上はかかる。
城壁からの絶景
パンフレットなどでよく見かけるドブロヴニクの写真を撮りたいのなら、バニェビーチへ行こう。アドリア海の紺碧の海とオレンジ色の旧市街の見事なハーモニー♪まさに絶っっっ景!!
バニェビーチから見た旧市街
ドブロヴニクは現地申し込みが可能なオプショナルツアーもたくさんある。私は、グラスボートのミニクルーズ、フォトスポット巡りに参加した。そのほかロクルム島への日帰り観光やケーブルカーも人気のアトラクション。ケーブルカーでスルジ山からの景色も人気の写真スポットである。
スルジ山からの眺め
ドブロヴニクからバスでボスニア・ヘルツェゴビナのモスタールを目指した。
ボスニアに入ってから、街の雰囲気がガラッと変わった。銃痕の生々しい建物や、ジプシーが目につくようになってきたのだ。なんとなく街並みに不安を覚える…。
20年前の戦争の痕跡がいまだ残っている
モスタル到着後、早速世界遺産の旧市街とスターリ・モストへ出かけた。これまでのヨーロッパ感はうって変わって、オリエントの香りが漂う街並み。クロアチアとは国境を接しているのに、こうも文化が変わるものか!と驚きを隠せない。
お土産も、旧市街の建物もとてもかわいい。
土産物屋さん
旧市街
モスタルを象徴する、スターリ・モストは1993年の戦争で破壊されてしまい、2004年になってようやく復元されたのだ。イスラム建築も数多く残っている。
スターリ・モスト
コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤ
かつてのメドレセを改修した土産物屋さん
金物屋のおじさんもイスラム教徒
そして旅の最終目的地、首都サラエボへ。
サラエボという場所に、最初は暗いイメージしかなかった。実際にサラエボについても、古く薄汚れた建物が多く、銃痕も街中で見かける。戦争がいかにたくさんの犠牲者を出したかは、1984年に開催されたサラエボ冬季五輪の跡地で目の当たりにした。オリンピックのために作られたグラウンド一面に作られた墓標の数たるや…。
サラエボでは、1万人の人々が91年から始まった戦争によって犠牲になり、埋葬する場所もなく、このグラウンドが使われたのだ。
サラエボ五輪跡地
そんな悲しい歴史を持つサラエボだが、徐々に明るさを取り戻しているようだ。
サラエボ一番の見どころ、バシチャルシァには観光客が押し寄せていた。日本人もいたが、意外と中国人、韓国人が多かったように思う。
バシチャルシァ
殺伐とした街並みに最初は不安に駆られたが、人々はフレンドリーで、トラムの乗り方が難しかったものの、旅行中危ないことなど全くなかった。
オリエンタルな雰囲気は独特で、クロアチアのようなヨーロッパらしい国と一緒に周遊するとの中欧諸国の文化の多様性を感じられ、楽しいだろう。
たくさんの新しい発見があり、とても得るものが多い旅となった。
おすすめ観光地
ザグレブ…★★★★ 他都市に比べ、物価が安く買い物にオススメ。青空市場は必見
プリトヴィツェ…★★★★★ 感動的な美しさ。夏の涼やかな雰囲気も最高だが、秋の紅葉シーズンも気になる。
スプリット…★★★★★ シーフードもおいしい港町。中世の街並みとリゾート気分を味わえる。
ドブロヴニク…★★★★★ クロアチア観光で最も人気の街。オレンジ屋根家々とアドリア海の美しい風景!
モスタル…★★★★★ オリエンタルな雰囲気が色濃く残る世界遺産の旧市街は見どころたくさん。
サラエボ…★★★★ 悲しい歴史をもつ首都。戦争の痕跡が痛々しいが、平和の大切さを再認識できる場所。
(2015年6月 久保井奈々子)
- まさにアドレア海の真珠・ドブロヴニク これからのヨーロッパの本命はバルカン半島なのだ。
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エリア:
- ヨーロッパ>クロアチア>ドブロブニク
- ヨーロッパ>ボスニア・ヘルツェゴビナ>モスタル
- ヨーロッパ>マケドニア>オフリド
- テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2015/03/30 15:18
ヨーロッパの南東部に位置するバルカン諸国(アルバニア、ブルガリア、マケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニア、ギリシャ等)はまだまだ日本人には馴染みが薄いが、その歴史は古く古代にさかのぼる。西暦前はマケドニア王国の時代、4〜9世紀は東ローマ帝国、12〜13世紀はブルガリア帝国、16〜19世紀はオスマン帝国が統治し、その後はオーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国の勢力争いの場となり、第2次世界大戦後は王制が廃止され共和制に移行した。1989年にはベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦が終結され東欧革命が起り、その影響を受ける。ただ、多民族国家であるユーゴスラビアは共産主義国ではあったがソ連とは異なる独自の共産主義を推進していた。1980年チトー大統領の死後、各民族の不満は高まり、冷戦終結の影響もあり構成していた6つの共和国は独立にいたる。6つの共和国とは、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアである。今回の出張はその中の4カ国、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアと鎖国状態が長かったアルバニアへの初体験の旅である。
スコピエ城塞
石橋
スタラ・チャルシャ
観光看板
マザーテレサ記念館
第1の訪問国マケドニアは、1991年に旧ユーゴスラビア連邦から平和的に独立した唯一の国家である。その名のとおり長い歴史を持つ国だが古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない。民族はマケドニア人が約65%、アルバニア人が25%を占める。人口は200万人強。言語はマケドニア語が68%、アルバニア語が25%、トルコ語が3%、セルビア・クロアチア語が2%である。宗教は正教会が70%、イスラム教が29%、その他が1%である。首都、スコピエは1963年の地震によって市内の80%が破壊されてしまい、震災後の都市計画の大部分はなんと日本人都市計画家「丹下健三」によって策定された。最も人気の観光スポットである「スコピエ城塞」はおおよそ復元され保存されている。ヴァルダル川に架かる石橋(カメン・モスト)は1451年から1469年にメフメト2世によって造られたが、東岸にあるバルカン半島の中でも最大級のスタラ・チャルシャ(オールドバザール)と西岸のマケドニア広場を結んでいる。スコピエはマザーテレサの生誕の地として知られ18歳までここで過ごした。彼女の業績を記念するための記念館が2009年にオープンされている。マケドニア広場の中央には勇敢なアレキサンダー大王の像が見守り、ヴァルダル川沿いには新しいマケドニア博物館、オペラハウス、国立劇場等が建立され見事な景観を造り出している。歩きやすいように街歩きの看板が30ヶ所のおすすめポイントを示している。できたら1泊はしてじっくり街を歩くことをお薦めする。それだけの価値はある。
オフリドの町
聖ソフィア大聖堂
国立博物館
サミュエル要塞
湖からの旧市街
次はスコピエから3時間ほどで保養地として有名なオフリドに到着。中世には、聖キリルとメトディウスの弟子である聖クリメントと聖ナウムがこの地で布教活動を行い、以来オフリドはスラヴ世界におけるキリスト教文化の中心地として栄えた。1979年にはユネスコ世界遺産の複合遺産に登録され、マケドニア屈指の観光地としてにぎわっている。特に旧市街は見所満載だ。湖に沿って入っていくと、上階部分がせり出した白い建物の国立博物館があり、しばらく進むと聖ソフィヤ大聖堂、岬の先の聖ヨハネ・カネオ教会と続く。坂の上にはフレスコ画で有名な聖クレメント教会やイコン博物館がある。丘の上にはサミュエル要塞があり、ここからの町と湖の眺めは圧巻だ。仕上げはボートにのり、湖から眺めると旧市街全体が見渡すことができる。
第2の訪問国・アルバニアは第2次世界大戦後にほぼ鎖国状態となり1978年から完全な鎖国状態となった。1991年に「アルバニア共和国」に改称し、1992年の総選挙によって非共産政権が誕生した。しかし1997年のネズミ講の破綻で経済は混乱に陥った。その後は経済回復を続け、2000年にWTO加盟、2014年6月よりEU加盟候補国となっている。宗教構成はイスラム教70%、アルバニア正教会20%、ローマ・カトリック10%。民族はアルバニア人が大部分を占めている。
スカンデルベグ広場
ジャミーア・エトヘム・ベウトと時計台
首都、ティラナは17世紀にオスマン朝によって築かれ、隊商ルートの要衝として発展し、1920年に首都になった。スカンデルベグ広場が街の中心であり、国立歴史博物館、ジャミーア・エトヘム・ベウト、時計台、国立美術館が建ち並び、見所は集中している。
ベラディ城
神女就寝教会
コソボからも学生たち
千の窓の町
ティラナから車で2時間で世界遺産のベラディに着く。2008年に世界遺産登録されたベラディの見所は2つ。1つはベラディ城。紀元前4世紀に砦は築かれ、現在も多くの人が生活している。城内にはいくつか教会があり、その中の神女就寝教会は現在「オヌフリ・イコン博物館」として公開されており見ごたえがある。コソボからも学生たちが観光に来る人気の場所だ。2つ目は「千の窓の町」と呼ばれるゴリツァ地区。斜面を埋め尽くすようにレンガ色の屋根と白い壁の家が建ち並んでいる。博物館都市の名にふさわしい景観だ。宮崎駿監督の映画に出てきそうなメルヘンチックな町である。
第3の訪問国・モンテネグロは2006年6月に独立した。前身のモンテネグロ共和国は1991年から始まったユーゴスラビア紛争においてもセルビアと歩調を合わせ最後までユーゴスラビア連邦共和国から離脱しなかった。1999年のコソボ紛争後、通貨や関税に関してセルビアから徐々に独立しようとする動きが強まっていった。そして2006年5月にセルビアからの分離独立の可否を問う国民投票が実施され、6月に国際的にも独立が認められた。宗教は正教会が約75%、イスラム教が約18%。民族構成はモンテネグロ人が約43%、セルビア人が約32%、ボシュニャク人が約8%。言語は60%以上がセルビア語のモンテネグロ方言である。国名のモンテネグロとはヴェネツィア語の「黒い山」を意味し、自国では同じ意味のツルナ・ゴーラと呼ぶ。
旧市街
スロヴェンカ・ビーチ
旧市街・教会
首都のポドゴリツァを経由して、モンテネグロ屈指のリゾートタウン「ブドヴァ」を訪れる。600mのスロヴェンカ・ビーチと、城壁に囲まれた旧市街の組み合わせは心を開放させる。旧市街はほんの1時間もすれば歩いてまわれるほどで、教会や博物館、お土産や等がきれいに納まっている。
旧市街
聖トリプン大聖堂
聖ルカ教会
城壁
ブドヴァから車で40分もすれば、世界遺産の「コトル」に着く。コトルはアドリア海沿岸の複雑に入り組んだ湾の最も奥に位置している。背後には険しい山がそびえ、山に沿って城壁が築かれ、堅固な要塞都市として栄えた。旧市街の見所は何と言っても「聖トリプン大聖堂」だろう。ロマネスク様式の教会は威風堂々とこの町を見守っている。規模は小さいが「聖ルカ教会」「聖ニコラ教会」も見逃せない。時間があれば是非とも挑戦してほしいのが「城壁」登りだ。高さは最高で20m、長さは4.5km。頂上からは旧市街のみならず、遠くの入り組んだ湾まで望むことができる。
第4の訪問国はクロアチア。1991年に6月に独立するが、領内に多く住むセルビア人はその独立に反対し、セルビア人の保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに介入することとなる。このクロアチア紛争は1995年まで続き、多くの犠牲者とセルビア人難民を生み出した。2013年には正式にEUに加盟し、近年多くの観光客が訪れている。宗教はローマ・カトリックが88%、そのほかセルビア正教など。民族構成はクロアチア人89.6%、セルビア人4.5%。言語はクロアチア語である。ただ、セルビア語、ボスニア語とは方言程度の違いしかない。
アドレア海の真珠・ドブロヴニク
路上パフォーマンス
旧市街
ドブロヴニクの新郎・新婦
ロープウエイ
夕焼けに染まった旧市街
今回は「アドレア海の真珠」と呼ばれるクロアチアきっての観光地「ドブロヴニク」を訪問。町はアドレア海に突き出した旧市街と、スルジ山の裾野に広がる新市街からなるが、見所は旧市街だ。オレンジ色の瓦屋根を頂いた家がぎっしり並び、敷き詰められた大理石が細い路地まで延びている。1991年のクロアチア紛争によりかなりの被害を受け、今もなお弾痕があちこちに見られるが戦後修復が進み昔の美しい町に戻り、1994年に世界遺産に再登録された。およそ500m四方の町はどこを歩いても中世の町にスリップした錯覚を覚える。それは現代風に洗練された旧市街だ。ロープウエイでスルジ山に登れば、まさにアドレア海の真珠と形容された景観に圧倒される。朝焼けに染まった旧市街、夕焼けに染まった旧市街、どの瞬間でもずっと見続けていたいものがそこにある。
最後、第5の訪問国ボスニア・ヘルツェゴビナはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国(セルビア人共和国)の二つの構成体からなる連邦国家である。44%のイスラム教徒中心のボシュニャク人(旧ムスリム人)や、17%のローマ・カトリック教徒主体のクロアチア人はユーゴスラビアからの独立を望み、33%のセルビア人が反対する中、国民投票を決行し1992年独立を宣言した。しかし翌月には反対するセルビア人との間で軍事衝突に発展した。いわゆるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は1992年4月1日から1995年12月14日まで3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた。NATOによるセルビア人勢力に対する空爆が実施されたり、カーター元アメリカ大統領の仲介により停戦が実現したりした後、パリで和平が公式に合意(デイトン合意)され戦闘は終結した。領土配分はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦が51%、スルプスカ共和国が49%とされ、それぞれ独自の議会が設けられている。今はEU加盟が3民族の共通の目標とされており、国旗にもそれが現れている。言語はボスニア語、クロアチア語、セルビア語であるが、実際には住民は民族の別にかかわらず地域ごとの方言を話している。
ブラガイ
スターラ・デルヴィッシュカ・テキヤ
ドブロヴニクから国境を超え、車で2時間半でブラガイに着く。ブナ川沿いに築かれたブラガイはローマ以前から砦が築かれていた歴史ある町だ。イスラム教の修道院「スターラ・デルヴィッシュカ・テキヤ」は切手のデザインにも使われており、有名な観光スポットだ。
スターリ・モスト(石橋)
旧市街
ブラガイから北へ12kmあがると、北世界遺産に登録されている「モスタル旧市街」に到着。モスタルはヘルツェゴビナ地方の政治・経済・文化の中心だが、その名を有名にしているのはネレトヴァ川にかかるアーチ型の石橋・トルコ建築の傑作「スターリ・モスト」である。この橋から伝統のジャンプ大会が行われるが、タイミングがよければ美しい「白鳥跳」が見られるかもしれない。この橋は紛争中の1993年に破壊されたが、ユネスコの協力で2004年に復元された。旧市街は16世紀からキャラバン・ルートの町として栄え、古い建物はオスマン朝時代を偲ばせる。
サラエヴォの街並み
バシチャルシア
トンネル博物館
さらに2時間弱でボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエヴォに到着。1984年には冬季オリンピックが開催された街でもある。最近ではその名を有名にしたのは、元日本サッカー監督「オシム」さんの出身地によるところが大きい。よく街で見かけるとガイドのメヒックさんの話なので、もしかして会えるかもと期待して街を回った。旧市街の中心にあるバシチャルシア(職人街)は赤いレンガの古い家が建ち並び、オリエントの雰囲気を醸し出している。イスラム教、カトリック、正教会、ユダヤ教の各宗教施設が並びあう様は、多民族・多宗教が交じり合ったサラエヴォの魅力である。平日にもかかわらず沢山の観光客で旧市街で溢れ、観光客もその出身はまた国際色豊かであった。しかしながら、紛争の跡は弾痕としてビルのあちこちに残っている。2度と紛争を起こさないために、空港の近くに「トンネル博物館」がある。旧ユーゴスラビア連邦軍に包囲されていたが、このトンネルのおかげで物資の輸送が可能になった。当時のトロッコ、武器、等が展示されている。オシムさんには会えなかったけれど、活気溢れる街に出会えて満足だった。 バルカン諸国はまだまだ日本人にはなじみが少ないが、見所も多く、文化・宗教・民族が交じり合った魅力的なとっておきの国々だ。次のヨーロッパはぜひともバルカン半島へ。
おすすめ度
ドブロヴニク★★★★★
アドリア海の真珠の名にふさわしい旧市街。クロアチアに行くならここは絶対はずせません。
サラエヴォ★★★★
オリエンタルムード溢れる街は買い物にも食べ歩きにも、もちろん観光にも期待をうらぎりません。
コトル★★★★
アドリア海沿岸の複雑に入り組んだ湾の最も奥に、こんな素敵な町があるとは驚きです。
モスタル★★★
ネレトヴァ川にかかるアーチ型の石橋・トルコ建築の傑作「スターリ・モスト」は見逃せません。
2014年10月
本山泰久
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