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- 幸福の国で幸せについて本気出して考えてみた 〜ツェチュ祭を訪ねるブータン周遊紀行〜
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- アジア>ブータン>ティンプー
- アジア>ブータン>パロ
- アジア>ブータン>プナカ
- テーマ:街中・建物・景色 お祭り・イベント ホテル・宿泊
- 投稿日:2016/07/13 15:54
もはや観光名所になってしまった首都ティンプーの手信号
インドやパキスタンで見られる派手なデコトラ(デコレーショントラック)はブータンにも
ルンタ(お経が書かれた旗)が張り巡らされ、異世界への入口感がプンプンするブータンの橋
このたび、ブータン出張に行かせていただくことになった。
ブータンと言えば真っ先に出てくるワードが「幸せの国」。全世界に二百カ国近くある国の中で、いきなり「幸福」を売りにしてくる国はブータンだけだろう。なんだか怪しい新興宗教のようでうさんくささ満点だが、国全体でそう言っているということは何かちゃんとした根拠があるに違いない。よし、その幸せとはなんぞやを見に行ってやろうじゃないか。そしてあわよくば自分にも幸せのお裾分けがあれば・・・。
しかも今回の目的は「見るだけで悟りが開き、御利益がある」といわれるチベット仏教の祭ツェチュを見ることで、幸せの秘密を探る準備は完全に整っている。はたして煩悩だらけの私が行っても大丈夫なのだろうか、幸せを感じることはできるのだろうか。
ブータンがいろんな意味で他に類を見ない独特の国、ということはご存じの方も多いと思うが、まず入国からしてドラマチックだった。
今回はネパールのカトマンズから空路での入国。ヒマラヤの眺望を期待して進行方向左の窓側席に座ると、狙い通り雪を被った雄大な山々が見えてくる。機内アナウンスでは、これから着陸しますよ、などの放送と同じような普通のトーンで「左手にエベレストが見えます。。」との案内が流れてきた。なんてこった、高額なマウンテンフライトもハードなトレッキングもすることなく簡単に世界最高峰が見えてしまうとは。。
これが幸せの国のオープニングなんだろうか?
左がエベレスト(世界1位)、右がマカルー(世界5位)
そして分厚い雲を通り抜けてブータン上空へ。見えてくるのはのどかな農村風景で、でかい棚田に立派な農家。都市らしきものは全然見当たらないけど、確かに平和そうだ。谷に沿っていくようにしてパロ空港へ。
ターミナルはこれまた立派な伝統建築で、日本でも有名になったイケメン国王と美人王妃の写真がいきなり出迎えてくれる。明らかに今まで訪れた国の空港とは全然違う光景だった。正直、入国するだけでこんなにテンションが上がる国はないと思う。まるでさっき通り抜けた雲が異世界へのトンネルだったかのよう。
これはほんの序章で、この入国からブータン出国まで体験したことはとにかく他国ではありえないことばかり。これまで60カ国ほど旅行した経験があるが、ここまでユニークな国は間違いなく今までなかった。そんな「ありえない」を勝手にまとめてみると、、、
・国王
ブータンの街の建物はほとんど見事な伝統建築のみで、それだけでも十分異様でスゴイのだが、さらに異様でスゴイのが道路や軒先にでかでかと国王夫婦の写真が掲げられていること。先ほど書いたように空港にも大きな写真が旅行者を出迎えてくれるのだが、それはこの国では当たり前のことだったのだ。
首都ティンプーの繁華街
「王家がずっと続きますように」と書かれた看板を見ても、どれだけ国王が慕われているか伺える
首都ティンプーへの入口。立派なゲートと国王夫妻のラブラブ看板
一歩間違えれば北朝鮮状態にも見えるが、実際国王に対する国民の信頼は揺るぎないものがある。先代の国王は「幸福の国」の由来にもなっている国民総幸福量(GNH)という概念を提唱し、自ら国王の権限の縮小を目指して立憲君主制へと移行させ、自ら現地で指揮してインド系ゲリラを国内から追放した(特にこの出来事について熱っぽく語るブータン人に何回か出会った)。現国王も2011年に新婚旅行で来日して国会で感動的な演説を披露し、日本にブータンフィーバーを巻き起こしたのだから相当な人格者なのだろう。
・食べ物
日本人にはほぼなじみがないブータン料理。実際食べてみると、「とにかく辛い!」ことに尽きる。それは唐辛子を調味料ではなく野菜として扱っているから。どの料理も必ず唐辛子が大量に入っているし、そもそも唐辛子を炒めただけという日本では絶対成立しないような料理もある。
典型的なレストランでの料理
ティンプーの市場で、唐辛子を大量に買うお坊さん
といってもさすがに旅行者向けのホテルやレストランでは辛さを手加減してくれたり、パスタのように全く辛くない料理も用意してくれるが・・・。
一番ポピュラーな料理は唐辛子とのチーズ炒めもの「エマダツィ」で、一日三食これでも普通のことだという。あとは米や野菜、チーズに加え、干し肉を食べるのがブータンの特徴。料理も食材も日本どころか周辺国とも全く違うものばかりだけど、辛いことを除けば和定食のような、どこか素朴で懐かしい味がする。
またブムタン地方は高所のため米が取れない代わりにそばが栽培されており、日本のそばと似た「プタ」やそば粉のクレープ「クレ」がある。日本のとはまた違った味だけど、今度来たときはめんつゆとわさび持参でそば打ちでもやってみたい。
そば粉クレープ「クレ」をホームステイ先でいただく
また意外かもしれないがブータン人はお酒をよく飲む。市販されているビールや、家庭で作ることが多い焼酎アラなどは旅行者でも気軽に飲める。ブムタン地方では地ビール、地ワインをつくっており、お酒好きにはたまらない。昼からビールを飲んでいる現地人もおり、アルコールに寛容な地域だと感じた。まあ確かに日本人からしても昼からお酒を飲むなんてこれ以上の幸せはない。
ブムタン地方の地ビールレッドパンダと、山椒がきいてつまみにぴったりな腸詰めギュマ
ただ標高が高い場所が多いため酔いが回りやすいので、飲み過ぎにはくれぐれもご注意を・・・。
・国内移動
ブータンはヒマラヤの山岳国で平地がほとんどなく、必然的に国内移動が大変になる。日本のような国なら山岳地域でも高速道路を通したりトンネルを作りまくったりすることもできるが、経済規模も小さいためクネクネの峠道ばかり。鉄道も現在のところまったく通じていない。
ブータンで旅行者がよく訪れるパロ、ティンプー、プナカ、ブムタンといった街をほぼすべて通っているのが国道一号線で、いわばブータン版東名高速。ところがこれが日本の林道状態のありさまで、断崖絶壁の危険な道がガードレールなしの両側一車線というのはあたりまえで、ところどころ舗装すらされていない。現地の方は今工事中で一年後には良くなると言っていたが・・・。
そんなわけで移動するだけでもちょっとハードなブータン旅行だけど、頻繁に出会う絶景が疲れを吹き飛ばしてくれる。山岳国ながら農業が盛んなブータンではありえないほど高い山の上や深い谷底にも立派な農家や見事な棚田があり、どこを移動しても全く飽きない。日本でいうと四国の山奥や紀伊半島などに似ている感じ。移動中でも、ガイドさんに頼めば気軽に好きな所で停まってもらえて写真が撮れるのもいいところだ。
プナカへ向かう途中の見事な棚田
なお一応国内線フライトもあるが天候不良でよく欠航したり、そもそも乗客が少ないとその時点でフライトがキャンセルになることもあるのだそう。やはりどんな手段を使ってもブータン国内移動は一筋縄ではいかないのだ。
・スポーツ
ブータンの国技といえばアーチェリー。民族衣装でアーチェリーを楽しんでいる姿はどこか日本の弓道に通じるものがあるけど、ルールは全く違う。的までの距離はなんと140mもあり、オリンピックに参加したブータン人選手が「的が近すぎて当たらない」という名言(迷言?)を残したこともあるとか。また一日中どころか何日間も試合が続くこともあり、的に当たると祝いの歌と踊りを披露する。なんともブータンらしいゆるゆるスポーツ。
さらに手軽に行われているのがダーツで、よく道ばたでやっているのを見かける。これも的が遠い、当たると歌って踊る、とアーチェリーとよく似たブータン流スポーツ。ブータンでダーツバーを開いたら流行るかも。
全身正装のアーチェリーに対してこちらは適当な服装でもいいようだ
ゴーイングマイウェイなブータンスポーツ界だけれど、最近力を入れているのがサッカー。一時期世界最弱といわれていたが、ここ最近はその位置を脱し最近のワールドカップ予選では日本と同じステージで戦っていた。
せっかくなので国際試合が行われる首都ティンプーのチャンミリタンスタジアムへお邪魔してみる。
伝統建築なのはここも同じで、なんとも優雅なスタジアム。いつか日本代表がここで試合するときはぜひ行ってみたい!
あ、お坊さんもサッカーを見るんだ
・テレビ
1999年以前はテレビの視聴は禁止されていたとのことで、現在もチャンネル数は少なめ。今回の旅行ではホームステイ先で見る機会があったが、ニュース番組と歌番組しか見る機会がなかった。
ニュース番組では、トップニュースはもちろん国王の一日。
また英語教育に力を入れているブータンらしく、ニュースも公用語のゾンカ語と英語の両方を流しているのが特徴。
歌番組はプロの歌手やタレントがほぼいないためかのど自慢的な番組で、これもしっかり舞台背景が国王と第一子の男の子を抱いた王妃になっているのがなんともシュール。
ただどの番組も出演者全員が民族衣装を着ているため(法律により公的な場では民族衣装を着なければいけない)、どんな番組でも時代劇か笑点に見える・・・。
しかし、ブータンのチャンネルより圧倒的に多いのが隣国インドのチャンネル。インド映画やドラマは大人気で、なんとその影響で公用語のゾンカ語よりヒンディー語の方がよく通用するとのこと。独特の文化を持つブータンでも、やはりエンターテイメント大国インドの力は大きいようだ。
・観光地
ブータンは敬虔なチベット仏教徒が多く、世界で唯一チベット仏教を国教としている国。観光地も仏教関係の寺院などがほとんど。
特にブータンならではの見どころといえるのがゾン。ゾンとはひとことで言えば城塞兼県庁兼寺院といったもので、歴史的価値があるうえにほとんどが現役の行政施設、宗教施設として使われている。
川のたもとに堂々と建つプナカ・ゾン
緑の中にいきなり現れる、軍艦のようなトンサ・ゾンを望む
チベットから17世紀に亡命してきた僧がブータンの起源をつくったといわれ、ほとんどのゾンもその時に建てられた。どのゾンも遠目からでも圧倒されるほどとてつもない存在感を放っており、内部に入ると大胆かつ緻密なつくりや鮮明な仏画にこれまた圧倒される。
またブータン人はゾンに入るときに、ゴ(男性用)やキラ(女性用)といった民族衣装に加えカムニやラチューと呼ばれる肩掛けを身につけなければならない。これをいそいそと身につけるブータン人を見ると、外国人の私たちまで身が引き締まる思いがする。
パロ・ゾンの内部
ブータンの公用語はゾンカ語だがこれはゾンで使われる言葉という意味で、また県もゾンカクと呼ばれる。それほどゾンはブータン人にとって重要なものなのだ。
またブムタン地方は国内でも数多くの古刹、名刹が集まっている地域として有名で、寺院めぐりが楽しい。
参拝者が少なくひっそりとしたチャカル・ラカン
ロダク・カルチュ・ゴンパで法要にお邪魔させてもらう
ときおり村人が参拝に来る以外は誰もおらず静寂が支配する寺院や逆にいつも僧侶でにぎわっている寺院などいろいろで、祀られている仏像も様々。ブムタンは範囲が広いので、一日かけてゆっくりまわりたい。
・・・と、この国は目にするもの耳にするもの感じるものとにかくすべてが新鮮で衝撃!確かに他の国に比べるとブータン旅行は高くするけど、こんな経験ができるだけでも十分行く価値があるのでは??
●ブータンに来たならホームステイ!ご家庭に潜入して幸せの秘密を探る
そんなユニークな国ブータンでおすすめなのが、なんといってもホームステイ!もともと宿泊施設が少なかったブータンでは旅行者を家に泊めるのが当たり前で、外国人旅行者も気軽にホームステイができる。またホストファミリーにとってもお客さんを泊めることで話し相手ができ、外部のニュースが聞けるというメリットがあるようで、ホームステイ中ガイドさんやドライバーさんとホストファミリーとの会話は絶えることがなかった。
今回はプナカとブムタンでホームステイ。
プナカでのホームステイ先は、街から30分ほどかかる人里離れた場所。「よくぞこんな所に・・・」と言いたくなる山奥に立派な農家があった。
玄関に魔除けのポ・チェン(男根)が描かれるのがブータン民家のユニークなところ
ホームステイ先の子供たちと遊ぶ
農家の周りにはこれぞザ・ブータンの絶景といった見事な棚田が広がっており、そのてっぺんには小さな寺院がある。まずは家族の方とその棚田の中を散歩。
白い旗のようなものはお経が書かれたダルシン
そしてやっぱり楽しみなのが食事。ここの田畑で取れた自家製のご飯や野菜を出してくれる。こちらも自家製のブータン焼酎アラも振る舞ってくれた。
赤米で作られたためワインのような見た目だが味は完全に焼酎。すぐ目がまわる。。
朝食はご飯やゆで卵、そしてブータンならではの特製バター茶。
ブムタンでのホームステイ先は母屋とは別に宿泊者用の建物があり、ホテルのように快適だった。
けれどやっぱりそこはホームステイ、ホストファミリーがいろいろ気にかけてくれ、言葉があまり通じなくても優しさが身にしみる。
せっかくブムタンに来たのだからと名物そば料理を出してくれたり、毎日自家製アラをいただいていたらアル中と思われたのか別れ際にボトルに詰めてプレゼントしてくれたり。
日本のそばと似ているようで全然違うブータンそばプタ(右下)
ブータン人の生活に触れ、家族の一員になったようになれるホームステイ体験は、観光よりもずっと心に残るかも。
また一般家庭で体験したいのがなんといっても石焼き風呂ドツォ。ホームステイしなくても、ガイドさんに相談すれば近くの農家などで手配してくれるはず(別料金)。一見お堅そうでも、このようにうまく融通が利く所もブータン旅行のいい所だと思う。
●「見るだけでご利益がある」チベット仏教の祭ツェチュ
今回楽しみにしていたのがツェチュ。各地の悪霊を調伏してブータンにチベット仏教を伝えたとされる僧グル・リンポチェにちなむ祭で、メインのマスクダンスはグル・リンポチェの生涯に起こった出来事をたたえたもので、この出来事がいずれも月の10日であったことから、ツェチュとは「月の10日」を意味している。
ツェチュが行われる時期は場所によって様々でほぼ毎月どこかの地域でやっているが、今回幸運なことにブムタン地方で2日連続で別々のツェチュを見ることができた。ブータンにおいてとても重要で「見るだけでご利益がある」とされるお祭だから、これでご利益も倍になったはず!
まずはチュメ谷のニマルン・ツェチュへ。
会場は寺院で、舞台を取り囲んで観客が所狭しと並んでいる。これがツェチュの即席ステージ。
まず村の女性たちの歌から始まり、すぐにマスクダンスがスタート。僧侶が奏でる音楽に合わせて、色鮮やかなダンサーがダイナミックに踊りまくる!
ここにも大きな国王ファミリーの写真が・・・
ダンサーに混じってときどき出てくるのは風変わりな仮面をかぶったアツァラ。道化の役割を持ち、観客を笑わせる強烈なキャラを持っているがここのアツァラは気合いが入りまくり。外国人旅行者を舞台に引きずり込んでダンスさせるわ、子供や犬を追いかけ回すわで観客も大喝采だった。
棒で頭を叩かれると御利益があるとか。日本でもこんな祭があるような・・・
翌日はチョコル谷のクジェ・ツェチュへ。このツェチュのメインはトンドル(大仏画)のご開帳。開帳は未明に行われるようで、会場の寺院へ着いた頃には長い行列ができあがっていて皆トンドルを額へすりつけていた。トンドルを前に五体投地をする観客もいて、彼らがどれだけご開帳を待ち望んでいたのか身にしみて分かる。
ここではニマルン・ツェチュとまた違ったダンスが見られ、大満足。いずれも会場が小さいのですぐ目の前でマスクダンスが見られ、その迫力はすごいものがあった。
お昼頃トンドルが大切にしまわれる。また来年までさようなら
けれど、ツェチュで一番印象に残ったのは精一杯のおしゃれをして年に一度のお祭りを楽しんでいる観客たち。舞台からふと周囲に目を移すと民族衣装の鮮やかな色彩や、満足そうに踊りを見つめている観客の姿が目に入って、これを見るだけでもツェチュに来て良かった!と感じた。私たち旅行者にとっては重要なイベントであるこのツェチュだけど、彼らにとっても年に一度の最高の楽しみなのかもしれない。
そんな日本昔話に出てくる世界そのものをこの目で見れたこと自体がご利益なのかも。そして、これこそが彼らにとっての幸せなのかもしれないと思う。幸せは遠い所にあるのではなく案外そこら辺に転がっている、と聞いたことがあるけどブータン人はそれを探すのが上手な民族で、それが「幸福の国」の秘密かも・・・。
自然豊かな国土と賢明な国王、謙虚で信心深い国民に恵まれた、世界でここだけの奇跡の国ブータン。この国が幸せの国と呼ばれるのは必然なのかもしれない。そんな国を旅できること自体、これ以上ない幸せなのでは。
【スタッフおススメ度】
●プナカ ★★★★
標高が低く冬も冷え込まないことから「冬の首都」として栄えた街。プナカ・ゾンはブータンのゾンの中でも屈指のイケメン度を誇る
●ブムタン ★★★★★
歴史あるお寺が多いが、街らしい街がなくのんびりした雰囲気で立派な農家が多い。ここに来たなら名物そば料理はぜひ食べたい。京都と長野を足したような感じ?
●ティンプー ★★★★
首都だが人口はたった10万人、それでも地方から来ると大都会に見える。日本では見られない食材ばかり集まる市場見学がオススメ。
●パロ ★★★★★
国内唯一の国際空港があるが、中心部は伝統建築家屋が並び宿場町のような印象。郊外のパロ・ゾンから眺める街は絶景。
(2016年7月 伊藤)
- 今年は日本・ブータン外交関係樹立30周年記念イヤー!キング・オブ・ブータンがブータンサッカー界に日本のキング・カズを招へいする?
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- テーマ:観光地 街中・建物・景色 グルメ
- 投稿日:2016/06/23 16:11
一般家庭で夕食をごちそうになりお酒のフルコースで二日酔い
2011年11月、現国王である第5代国王(ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク=1980年生まれ)が即位後初の外遊先として選んだのが日本でした。とても美しく麗しい王妃とともに訪問され、日本でもブームになりました。そして、今年2月、国王ご夫妻に王子が誕生し、ブータンでは王子様ブームの真っただ中です。
まず、ブータンのことを簡単に紹介しておきましょう。
ブータンは、1971年に国連に加盟するまで長らく鎖国政策を続けていました。1974年に初めて外国人観光客の入国を認め、日本と外交関係を樹立したのが1986年。今年は節目の30周年です。1999年に初めて衛星放送の受信とテレビ放送を開始。同時にインターネット接続を許可。言語はゾンカ語。小学校から英語を学ぶブータン国民は流暢に英語を話します。他にもインドのヒンディー語を話せる人も多いです。とうがらしを多く使うのでとても辛い料理が多いです。しかし、海外からの旅行者には、辛さを控えめに、もしくは、使わないようにしてくれますので心配無用です。人口は約80万人。世界187か国中158位(出典: 2014年CIA - The World Factbook)。首都はティンプー。通貨はニュルタムで、1ニュルタム=約1.8円(2016年3月現在)。インドルピーと連動しています。インドとの経済的な強いつながりがわかります。物価の指標として、iPhone5s=52000ニュルタム=約¥94000、iPhone6=64000ニュルタム=約¥115200でプリペイ方式。国の産業は酪農業が主で、すべて自給自足と言いたいところですが、肉類はインドからの輸入に頼っています。他に産業らしい産業と言えば、自然を生かした水力発電です。電気の安定供給に不安のあるインドに電気を売って外貨を得ています。そして、ブータンの秘境的なイメージを前面に押し出した観光業が盛んです。私が訪問した時は、中国(香港含む)、台湾からの観光客が多かったように思いました。日本含めインドなどから、政府開発援助(ODA)を受け、さらなる発展を目指しています。
1971年に「開国後」ゆっくりとしたペースで着実に近代化政策を進め、1990年代末から先代国王(第4代=現国王の父)の強いリーダーシップの下、何と王制から議会制民主主義体制への移行準備を開始しました。その後、王位を継承した現国王(第5代)が一部国民の反対を押し切り、2008年ブータン初の総選挙が行われ、初めて国会が開かれました。国王が主導して作り上げた民主主義国家の誕生です。国民から絶大な信頼を得る頼もしい国王がいる国・ブータン。王制のままがよいと国王に直訴する国民がいる国・ブータン。国民の幸福が経済成長より重視される国・ブータン。実におもしろいです!
「ぶっかけご飯が大好きな私にはブータン料理は最高!」
ブータン料理の王道と言われるのが、干し肉を使った料理です。「パクシャパ」は豚肉、「ノウシャパ」は牛肉と唐辛子と野菜をチーズと一緒に煮込んだものです。唐辛子の量で辛さを簡単に調整できます。辛い物好きのブータン人はびっくりするくらいの唐辛子を入れて煮込みます。
これが本場の「パクシャパ」(ガイドさん用の料理)
辛さは別にして、肉の旨みが出てとてもよい味です。これをご飯に掛けて食べるととても美味い!毎回食べ過ぎの私でした。ただ、この肉はすべて輸入に頼っています。動物は殺してはいけないという仏教の教えからだそうです。川に魚はいますが、釣りは禁止です。つまり、食用の魚も輸入に頼っています。主にインドからの輸入です。
ブータンで食べる食事はほとんどビュッフェスタイル
国産ビールの「DRUK」
「DRUK PREMIUM」もある(値段は同じ)
辛い物好きのブータン人の料理に欠かせないものが、これまた辛い、「エマダツィ」。エマ=唐辛子とダツィ=チーズを混ぜ合わせて煮込んだもので、さらに辛みが欲しい時に料理に混ぜて味を調整します。エマダツィだけをご飯にのせて食べるのもブータン料理の定番です。外国人に対しては罰ゲームで使えるメニューです。チーズを好まない気分の時は、「エヅェ」=トウガラシを玉葱で炒めたものを同じ用途で使います。
作る人によって雰囲気が変わる「エマダツィ」
市場に積まれた「ぜんまい」
おいしそうなアスパラ
くだものも豊富
「モモ」=ブータン式蒸し餃子も美味いです。これはネパール料理としてお馴染みだと思います。私がブータンを訪れた3月は、ぜんまいの季節です。煮込んだぜんまいはとてもやわらかく箸休めに最適。他に、アスパラ、じゃがいも、キャベツ、大根、ナス、ニンジン、インゲン豆等々豊富な種類の野菜が食べられるのもうれしいです。市場にたくさん売っていました。
「これからのブータンは歯医者と眼医者が大忙し」
ブータンの年齢別人口分布は、0〜24歳が47%、25歳以上が53%です。(出典: 2014年CIA - The World Factbook)因みに、日本の年齢別人口分布は、0〜24歳が22%です。(出典:2014年総務省統計局発表)このデータから見てもわかるように、ブータンの近代化政策は今後、より一層活発化していくことでしょう。逆に言うと、国として急務の作業とも言えます。
かわいらしい小坊主さん
カメラを構えるまでは笑ってた
表情が硬い
滞在中、いろんな場所でブータンの子供たちと接触する機会がありました。基本的に内気でおとなしく、子供たちから積極的に話しかけてくることはありませんでした。カメラを向けるとそれまでの笑顔がなくなり、姿勢正しくきりりとした顔で撮影に応じてくれ、「スマ〜イル」って声を掛けてあげて、やっとリラックスしてくれます。
日本のとある団体が行った、子供が将来なりたい職業の調査結果(2015年)の情報を見つけました。男子の1位は「サッカー選手」。続いて、2位は「科学者」、3位は同率で「警察官」「お医者さん」という結果でした。また5位には「電車の運転手」「ゲームクリエイター」「マンガ家」が並んでいます。一方、女子の1位は「パティシエ」。次いで、2位「お医者さん」、3位「幼稚園・保育園の先生」。4位「デザイナー」、5位「スポーツ選手」と続いています。
ガイドさんに聞いてみましたが、ブータンの子供たちに共通の人気職業は特にはないそうです。産業が少ない国なので、無理もないことかなとは思います。近代化が進むブータンで、これからのブータンの発展を担う子供たちにどのような世界が提供されていくのでしょうか。
今回、私が宿泊した鶴の飛来で有名なポプジカのホテル「Gakiling Guest House」に今年3歳になる「リクザン」という名の女の子がいます。このホテルの若いオーナー夫婦のお子さんです。
リクザンちゃん3才
宿泊客がいるのでお母さんは忙しく働いています。この村の村長さんだというおじいちゃんと一緒に散歩に行ったり、ブランコで一人で遊んだりしている様子をずっと見ていましたが、大きな声で歌ったり、敷地内を走り回ったり、従業員の人たちと大きな声で何やら会話をしていたり、彼女がどこにいるのか、常にわかりました。リクザンは、いずれこのホテルのあとを継ぐことになるそうです。十数年後の彼女に是非会ってみたいです。
ガイドさんに聞いてみたところ、現在、女性のガイドさんは全体の5%くらいだそうです。先進国と言われる日本ですら「女性の活躍」が最近頻繁に取り沙汰されています。ブータンではどのように変わっていくのでしょうか。
折り鶴講習会(先生は私です!)
リクザンは、いま、虫歯ができて治療中なのだそうです。歯医者は遠い町にしかないそうで、行くのが嫌でしょうがないそうです。ブータンでは歯医者は少ないのです。それに眼医者や眼鏡屋さんも。近代化が進み、昔はブータンにはなかったチョコレートなど甘いお菓子が外国から輸入されるようになりました。パソコンや携帯、ポータブルゲームも普及し、近年、子供たちの視力に影響しはじめてきたそうです。今こそ、ブータンで開業すると間違いなく儲かる商売です。
「一般家庭で夕食をごちそうになる。お酒もたくさん飲む」
今回、ホームステイの宿泊はできませんでしたが、夕食をごちそうになる機会を2度持つことができました。海外旅行で一般家庭の雰囲気を味わえるのは貴重な体験だと思います。もしも、そのようなチャンスがあれば、是非、積極的に参加していただきたいと思います。
ブータンの家は、私の祖母の家によく似ていました。つまり、昔の日本の家屋、日本の田舎の家屋に似ていると思います。土間の台所があって、食事をとる板の間の食堂、その周りに寝室がある。そんな感じです。ブータンでは今も、床に座布団を敷いてテーブルを使わずに床を利用して食事をとります。食事にお箸を使うこともありますが、手で食べることも一般的だそうです。宗教上の制約ではなく、右手でも左手でもどちらを使ってもよいです。インドの習慣とは無関係だとのことです。
お酒のフルコース
こんな感じでお料理が出る(パロのホームステイ宿にて)
つい1か月間に赤ちゃんが生まれた、ペマさんと、カルマさんの家におじゃましました。ところで、ブータンの名前は、日本と同じように意味があります。ペマさんは「たくさんの花」。ブータンでは非常に多い名前です。カルマさんは「星」です。仏教用語のカルマとは違う言葉です。生まれて1か月の赤ちゃんは女の子で、ソナムちゃん。「幸運」という意味です。
ソナムちゃん
ちなみに、ガイドさんの名前はタシさんで、「重要」という意味。そして、ドライバーのニマさんは「太陽」です。名前に意味があるっていいですね。名前は、お坊さんに付けてもらうのが一般的なんだそうです。
高級そうな雰囲気満点の「DRUK PREMIUM LAGAR」
一番のお気に入り「PANDA BEER」(地ビール特有の味)
食べた料理は、パクシャパ。いつも通りに作って欲しいとお願いしましたが、唐辛子は少しおさえてくれていたようです。でも、とても辛かったので、お酒が進みました。最初にいただいたのが、ブータンの焼酎・アラを薬缶で温めて生卵を入れ軽く混ぜた、日本のたまご酒のような感じです。砂糖は入れないので甘くありません。他に飲んだのは、もちろんビール、ウィスキー、アラのロック、ワイン。お酒のフルコースです。ワインは甘かったです。
「ヒッチハイクは重要な移動手段」
ブータンを移動中、何人ものヒッチハイカーに出会いました。ブータンではごく普通の習慣だそうです。我々は、時間内に目的地に到着しなければならないので、なかなか応じることはできませんでした。
ドライバーのニマさん
でも、ある時、ドライバーのニマさんが急に車を止めて、あるヒッチハイカーに声を掛けました。それは、尼さんでした。さすがは仏教国のブータン国民です。お坊さんは無条件に手助けをするのだそうです。私も車内で少しお話をさせていただきましたが、英語が話せるお坊さんでした。お坊さんになった動機を訪ねてみたのですが、お坊さんという職業が好きで、いつも仏様の近くに身を置きたいからだそうです。
ブータンならでは?の修行僧
拝みながら少しずつ進む。気の遠くなるような行
平和な国と言われているブータンも、失業問題、犯罪数の増加、薬物問題など国として避けては通れない問題をかかえるようになっています。知らない人を自分の車に乗せる習慣も少なくなっていくのでしょうか。
プナカを訪れた時、たくさんの学生さんたちがいました。ちょうど授業が終わる時間だったようです。校門の前を通り過ぎようとしているとき、学生の集団の中に、ヒッチハイクの合図を送る2人の高校生の女の子がいました。ドライバーのニマさんは、お坊さんの時と同じように即座に車を停め、声をかけました。5分ほど離れた通り道にある町に行きたかったそうです。私は車の中で、卒業したら何がしたいのと質問してみました。一人は、日本でもよくある、大学に行ってITエンジニアを目指したいという希望。もう一人は、軍隊に入ってパイロットになりたいとのことでした。これは意外でした。
「ほんの13年前、動物も殺さないブータンが戦争をした」
ブータンに滞在していると、ホテルや、レストラン、商業ビル、一般家屋の玄関先などいたる場所に国王の肖像画が飾ってあります。でも、その中の7割くらいは先代国王のそれでした。ガイドさんに、「ブータン国民は先代国王の方が好きなのですか?」とストレートに聞いてみました。するとガイドさんは声を潜めて、「はい、そうなんです」。
可哀そうな5代目と思いましたが、ガイドさんからいろいろ話を聞いたり調べてみると、それも無理はないのかなと思いました。
先代国王(現国王のお父上)
ここでは肖像画を二人並べていた
先代(第4代)国王は、現在60歳でまだまだ若いのです。即位したのは、なんと16歳のときでした。第3代国王が急死したためです。若くして即位した先代は、自身の体験から、自分の息子に辛い思いをさせたくなかったからだと言われています。自分が生きているうちに息子を立派な国王として育てたい。国民全員に尊敬される国王になって欲しい。そんな親心から?あるいは、先代国王としての責任感から早めの譲位を決断しました。すでに発表されていた予定を2年繰り上げて。
国を会社に例えると、この先代の行為は非常に理にかなっていて、先代が死なない限り社長が交代しないことの方がおかしなことです。先代国王は合理的な人だったのでしょうね。現国王が即位したのは26歳の時、2006年のことでした。
この譲位にまつわるもうひとつの話をガイドさんは教えてくれました。今から13年前の2003年、ブータンは戦争をしました。動物を殺すことを嫌う国が、人を殺す戦争をしたのです。インドの反政府ゲリラが、突然国境を越えブータン国内に侵入してきたのがきっかけです。侵略ではなく亡命を目的とした越境だったそうです。しかし、インドと密接な関係を築いていたブータンは、インド政府の意向を最優先するしかありません。先代国王は、何度も何度も交渉を重ね、退去するよう説得したそうですが、ゲリラ側は聞き入れず、ついに、軍事行動を起こすしか方法がなくなりました。そのとき先代は、自らが大元帥となり、軍の指揮を執ったそうです。そして、2日で3000人のゲリラを全滅に追い込みました。もちろん、ブータン側にも多数の戦死者が出たそうです。この戦争を指揮した先代は、このとき、反省を込めて、早く退位することを心に誓ったのではないかというお話です。
これがドチュ・ラのチョルテン
ドチュ・ラ(峠)に108のチョルテン(仏塔)があります。観光客の名所となっています。この戦争で亡くなった、たくさんの戦死者の供養のため、このチョルテンが建てられました。二度と同じことが繰り返されないようにと先代国王夫人が国王や国民、そしてインド国民のために平和への祈りを込めて作ったそうです。感慨深いお話です。
自らが先頭に立ち国民を守った先代はブータン国民のヒーローに違いありません。現国王は、多くのブータン国民にとって、まだ王子様のままなのかもしれません。
時が止まっているような雰囲気のする「ハ」
聖なる地・チェレ・ラの峠も魅力的
パロは、断崖絶壁のタクツァン僧院の入り口として有名ですが、他にも「ハ」という町への入り口でもあります。「ハ」へは車で約3時間。標高約4000mの峠、チェレラを通るルートと、麓を縫うように比較的平坦な道を通る2つのルートがあります。峠越えのルートがお奨めですが、冬は雪が降り凍結の危険がありますので、峠のルートは避けた方がよいでしょう。
標高4000mの案内板
ブータンでは峠は聖なる場所とされています。地上世界の中では天から最も近い場所だからです。だから信仰の対象ともなっていて、毎日のように誰かが香呂でお香を焚いているそうです。お香は天然の松の葉が使われます。実際にその場に立ち会うことができましたが、強風に煽られ、炎とともに煙が激しく立ち上り天まで届くかのような勢いです。それに、非常によい香りがします。峠には、ダルシンやルンダルが所狭しとひしめき合い、峠に吹きすさぶ風に終始煽られています。その様は、もの悲しさを醸し出しているように感じます。
橋にくくりつけられたルンダル
ダルシンとは、長い棒にお経を書いた旗を通し、家族や親類の無病息災を祈願し、また、亡くなった人の供養を行うためのものです。ダル=旗、シン=木を意味します。旗は、白だけのものもありますし、青、白、赤、緑、黄の5色の旗を使う習慣もあります。青は空、白は空気、赤は火、緑は木、黄は土を表します。ルンダルも同じ用途で使われる布だけのものです。ルンは風を意味します。
この景色に圧倒されました!
お香が焚かれていた
チェレ・ラを越えるとすぐ眼下に「ハ」の小さな町が見えます。インド軍の巨大な軍事施設も隣接しています。ブータンにはインド軍の施設がいくつかありますが、中でも「ハ」はインドへの玄関口になっている町でインドとは強いつながりがある町です。「ハ」の町を南下すると、国境の町・プンツォリンでインドはすぐそこなのです。インド人もブータン人もビザなしで行き来は自由です。
「ハ」のホームステイ宿
今回の私の旅の大きな目的のひとつが「ハ」の訪問でした。当社には「ハ」を訪れるツアーはまだありません。
ハは近代化が進むパロや首都ティンプーと違い、ブータンの伝統的な生活スタイルを見ることができる田舎町で、海外からの旅行者に人気の町です。車なら数分で通り過ぎてしまうくらいの小さな村ですが通りには昔ながらの伝統家屋が並んでいて、ブータンの中でも時間が止まっているような雰囲気を味わえます。パロから気軽に日帰り訪問も可能です。できれば、昔ながらの農家にホームステイするのがお奨めです。
古都・プナカは、ブータン国民が心から大切に思う歴史的、信仰的にもとても重要な町
1955年にティンプーが通年の首都に定められるまで冬の首都だったプナカはティンプーと比べ標高が約1000m低いことから真冬でも温暖で夏は熱帯のジャングルかと思うほど暑くなります。
菜の花とプナカゾン
そんなプナカの町にブータンで最も重要な建造物と言えるプナカゾンがあります。ブータン仏教の開祖・パドマ・サンババや、ブータン建国の父、シャブドゥン・ナムゲルなどブータン国民が大切思う人々との縁が深いゾンで、2011年に日本でもブームを巻き起こした第5代国王の結婚式、2016年に誕生した皇太子の命名式が行われるなど、王室、国民が共に認めるブータンになくてはならない存在です。どんな名前になるか、全ブータン国民が注目しています。また、「ツェチュ」など盛大なおまつりが行われる町としても有名です。
「今、ブータンは空前のサッカーブーム」
ブータンは、今年、2018年開催のロシアワールドカップサッカー1次予選を突破しました。2次予選は突破できず、残念ながら最終予選に進出する夢はかないませんでした。しかし、ブータン国民は1次予選を突破した代表チームに熱狂したそうです。現在、FIFAランキングは186位。最高位は昨年の159位。最低位も昨年の209位(←たぶん最下位)。
ブータンは、世界ランキングの最下位争いをする常連の世界最弱チームです。そんなブータンが、ついに予選リーグを突破できる力をつけてきました。そして、なんと、ブータン代表監督は日本人です。資料によると現監督は、2012年から着任している小原一典さん。日本人監督として3人目です。
私のガイドさん、タシさんもサッカーが大好き
普段着のタシさん
かつて、海外技術協力事業団に所属して活動した日本人農業指導者の故西岡京治(けいじ)さんを思い出します。ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」と称えられ、ブータン国王から「最高に優れた人」を意味する「ダショー」の称号を贈られました。現地ではダショー・ニシオカとも呼ばれ、そのお米は、町の市場で「西岡ライス」の名で売られています。お土産で買ってきましたが、日本のお米と比べて何となくですが水分が多く、ねばっこい感じがしましたが、日本米特有の炊き上がった時の白さは美しかったです。
真ん中に「西岡ライス」その左は「赤米」
家で炊いた「西岡ライス」
赤米を炊くとこうなる
サッカーに話を戻します。ブータンではサッカー含めスポーツのプロチームはありません。サッカーは日本と同じくクラブチームのリーグ戦が行われていて、そこから代表チームに選抜されます。何チームあるかわかりませんが、一部と二部にわかれています。極秘情報(?)ですが、ブータンでは、そのクラブチームに日本から現役選手3人を招へいする計画が進められているそうです。もしも、キングカズが招かれて行くようなことがあり、ブータンサッカーのレベルがもっと上がり、ブータンで引退したキングカズは代表チームの監督になりワールドカップに出場するようになれば、ダショー・ミウラと呼ばれるようになるでしょう。経済協力ばかりでなく、スポーツの世界でも、日本とブータンとの協力関係が深まればよいですね。我々、ファイブスタークラブは、観光の世界でブータンの発展に協力したいと考えています。
●ワンデュポダン ★★★
冬でも比較的温暖な地域。のんびりした雰囲気がよい
●ポプジカ ★★★★★
毎年11月初旬から2月頃まで、世界に 5,000羽ぐらしかいないといわれる絶滅危惧種のオグロヅル約200羽〜500羽が、チベットからヒマラヤ山脈を越えて飛来してきます。この時期がベストだが、それ以外でもたっぷりとブータン情緒が楽しめる。この地も比較的温暖。
●プナカ ★★★★★
ブータン国民が愛するプナカゾンがある町。堂々とした佇まいは必見!
●ティンプー ★★
どこに行くにも必ず通り道になるので、滞在をしなくても雰囲気を見るだけで十分。警官に手信号の交差点が名物。
●パロ ★★★
ブータン唯一の国際空港のある町。断崖絶壁の寺院、タクツァン僧院に行くなら必ず泊まる。ホームステイが充実している町でもある。
●ハ ★★★★★
ブータンの中でも、昔ながらの町並みや生活が垣間見れる貴重な場所。ここも、ホームステイをして直にブータン人の生活ぶりを実体験するのがおすすめ。
●チェレ・ラ
町を移動する際に必ず通るのが峠(ラ)。その中でもチェレ・ラは特におすすめ。聖なる雰囲気を体験できる。背筋も伸びる。
(2016年3月24日〜30日滞在 森裕)
- 50年前にタイムトリップ!?神秘の国、ブータン
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エリア:
- アジア>ブータン>ティンプー
- アジア>ブータン>パロ
- アジア>ブータン>プナカ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 温泉・露天風呂
- 投稿日:2015/03/30 15:39
ブータン国王夫妻
幸せの国ブータン!つい何年か前、若き国王夫妻が来日したことで、その国の名を耳にした人も多いはず。そう、某有名プロレスラーにどことなく似た雰囲気のある、あの国王!
今回、ブータンに行く機会を得た。
トランジットのためバンコクで1泊したのち、ブータン唯一の国際空港、パロへ。
徐々に高度を下げ、険しい山の中を切り裂くように降りていく機体。この着陸の様、まさに神秘の国にふさわしい!!と密かに機内で興奮。実はこの空港、周りを囲むヒマラヤの高い山々と短い滑走路のため、世界でも着陸の難しいパイロット泣かせの空港として有名。
普段は通路側をリクエストするが、窓側にして大正解。さらに言うと左側の窓側がベスト!天気が良ければ雲の上にヒマラヤの山が見えるのだ。
窓から見えるヒマラヤ!
ブータン到着!!!
この日からゾン・ラカンなど寺院漬けの毎日のスタートだ。
パロから途中、標高3200mのドチュラ峠を越え、プナカを目指す。プナカは1955年にティンプーが通年の首都になるまで、ブータンの冬の首都であった県である。
各県にはゾンと呼ばれる、寺院と行政の役割を持った建物がある。かつての首都であったプナカのゾンは、ブータンでも2番目に古く、それはそれは見事の一言に尽きる。
なんと、現国王の結婚式もここで行われたのだそうだ。
記憶が混同するほどにたくさんの寺院を見たが、プナカ・ゾンは一番鮮明に記憶が残っている。
プナカ・ゾン
川に挟まれて作られた、プナカ・ゾン
プナカ・ゾンにいた修行僧
プナカを後にし、本日の宿がある、ワンデュ・ポダンへ。
途中、市場を見学。ブータン人の大好きな唐辛子が売られていた。
ブータンの人々は素朴だ。日本人に顔つきが似ているのだけども、少し色が黒い。
伝統衣装の「ゴ」や「キラ」を着ていなければ、色の黒い日本人に見えてしまう。
カメラを向けると恥ずかしがらずに写真を撮らせてくれた。
あとやたらと野良犬が多く、我が物顔で道路に寝そべっている。襲ってくることはなく、吠えることもなく、死んでいるのでは?と疑うほど、ただただ寝ている。
ワンデュ・ポダン近郊の市場
ブータンの伝統的な家々
学生は皆、伝統衣装が制服
あ、起きた(笑)!
3日目、ワンデュ・ポダンより3350mのペレラ峠を越え、トンサへ。
トンサでももちろんゾン。
トンサ・ゾンは500年以上も前に原型がつくられ、何度かの拡張を経て、ブータン最大のゾンとなった。
谷に沿うように建てられており、侵入者を防ぐ見張り穴のようなものもあり、まるで要塞のようであった。
なお、ゾンでは皆、正装が定められている。
民族衣装のゴは普段からも来ている人は多いが、ゾンに参拝するときはさらに白い布をかけなければならない。女性もキラを着て、肩から布をかけている。
観光客とて同様で、過度な肌の露出は許されない。脱帽で、タンクトップや短パン、サンダルはNGだ。
トンサ・ゾン
正装のガイドさん
トンサ・ゾンにいたお坊さん
小学生たちと一緒に
この日から2泊、ブムタン谷にあるジャカルへ宿泊。
ブムタンは4つの谷からなる地方であるが、実際にブムタンという町は存在しない。
集落のほとんどは標高2500Mクラスなので、結構冷える。
ホテルの部屋には薪ストーブがあり、これで暖をとるのだ。火を燃やすのは大人になってもなぜかわくわくしてしまう。
部屋の薪ストーブ
ここで、ブータンの食事を紹介したい。
ブータン料理は世界一辛いと言われていて。唐辛子や山椒をふんだんに使っている。
米は白米よりも赤飯を好み、肉でも野菜でも乾燥させて食べることが多い。
レストランでもホテルでも観光客向けにアレンジしたメニューを出してくれるので、極端に辛い料理には、特別リクエストをしない限りは出会わない。
ただどこに行っても同じようなメニューばかりで非常に飽きる。特にまずいものはいが、特においしいものもない…。もっとこう、味にも料理にもバリエーションが欲しいものだ。
そしてここブムタンはソバで有名。ホテルで朝、ソバ粉パンケーキが出てきたが、びっくりするくらいおいしくなかった。そば粉でおいしく食べられるのはクレープの厚みが限界ではなかろうか。パッサパサのモッサモサで、そば粉そのものを咀嚼しているような気分だった。4枚積み上げられたそば粉パンケーキは頑張って1枚だけコーヒーで胃袋に押し込んだ。
ただ料理はイマイチなことが多いが、レストランでもホテルでもブータン人のホスピタリティーは素晴らしい!ということだけは主張しておきたい。
外国人向け料理
たまにこんなオシャレな料理に巡り合えることもある
終日のブムタン谷観光
ジャカル・ゾン
ジャカルの学生さん
クジェ・カラン
ワンデュ・チョリン御殿
そして、どんなものかと楽しみにしていたホームステイ!
ホストファミリーに会いに、ポプジカという標高3300mの村を目指した。
一般的な農家のおうちはこんな感じ。
ここでホームステイ
昔ながらのキッチン
ブータンの人々は、年に1〜2回ほど、家にお坊さんを呼び朝から夕方5時くらいまでお経をあげてもらうのだそうだ。
そのため、どこの家にも立派な仏間がある。
ホストファミリー宅でお経をあげているお坊さん
ホストファミリー宅でブータン農家式お風呂「ドツォ」を体験した。
たき火で石を焼き
一度水で汚れを落とし
浴槽へ
体の芯までポッカポカ!
ドツォ
お風呂に入るのも一苦労だな。面白い体験だった。
お風呂に入ったら、ホストファミリーと一緒に夕餉の時間
まるで映画で見る昔の日本の食卓のようだ。薪ストーブを囲んで家族みんなでいただきます。
和やかにご飯を食べていたら、突然の停電!!
実はこの村に電気が通ったのは3年前。ちなみにブータンでテレビ放送やインターネットが始まったのはなんと15年前!
この地方では電気が地下を通っているため、停電の度に配線どこだ〜?と地下を探すので復旧に時間がかかるのだそうだ。
非常用の小さなソーラー電気の明かりを頼りに、民族衣装の着付けをしてもらった。
夕ご飯
ホストファミリーと一緒に夕食
女性が着るのはキラ
男性のゴも着てみた
暑いときはこう着る
お部屋
ファミリーとの暖かな夕食を食べ、ガイドさんを通じていろいろな話をした。
親日家のご家族だったようで、受け入れているのは日本人だけなのだ、私たちは日本人が大好きだと言ってくれた。なんだかうれしい。
そして翌朝はおばあちゃんの読経で目が覚めた(笑)。
ホストファミリーに別れを告げ、首都ティンプーまで約4時間のドライブ。
ブータンの道路はまだまだ発展途中である。
いろいろな区間で工事をしていて、ある目的地まで行くための唯一の道が3〜5時間くらい閉鎖され、その合間合間に、1時間通行が許される。しかもその通行可能時間がよく変わるので、時間が読みにくい。通行が許可されている時間に間に合わないと、何もないところで何時間も待たされるわけだ。
ポプジカ〜ティンプー間も3つの工事ポイントがあり、残り7分のところで、ギリギリ通過したが、内心ヒヤヒヤだった。
また工事中の道は険しく、車のすれ違いもままならない場所もある。また、前の車が見えなくなってしまうほど、砂埃がすさまじい。
でも住んでいる人には旅行者の勝手だと思われるが、この不便さにやはりブータンらしさを感じてしまう。
首都ティンプー!
人口も多く、近代的な建物の建築ラッシュが進んでいるという。
とはいえ、建物はすべてブータンらしい様式だし、首都とは思えないほど自然が溢れている。
メインロードにこの国唯一の信号がある。しかもそれは手旗信号!!
集団住宅
手旗信号
タシチョ・ゾン
メモリアルチョルテンでマニ車を廻す人たち
メモリアルチョルテンに参拝に来ていた人
ティンプーから車で走ること約40分、空港のあるパロに戻ってきた。
観光最終日は、ブータン最大の観光地、タクツァン僧院へ。
ここからトレッキングが始まる。去年マチュピチュに行ったとき、ワイナピチュ登山を経験し、二度とこういうことはしたくない、と思っていたがいとも簡単にその二度目は訪れた。運動が大嫌い、富士山は登るものではなく眺めるものだと思う私の、3時間半にも及ぶ苦闘。
悲しくなるほど高いところにあるタクツァン僧院
この日はとても天気が良く真っ青な空、緑の山々のコントラストがそれはもう素晴らしかった。そんな景色を楽しむ余裕は最初の5分で消え失せ、あとは黙々と足を上げて降ろしての繰り返し。
馬で登る人もいるので、道は馬糞に溢れている。
疲れながらも馬糞を踏むことへの抵抗感。馬糞を避け変なステップになるので、疲れに拍車がかかる。
道は当然整地されておらず、急斜面になるので、履きなれた靴を。そしてできれば馬糞を踏んでも気にならない靴を(もしくは心を)。
ガイドさん曰く、急斜面で落馬の可能性があり、馬の扱いに慣れていない日本人には絶対お勧めできない。馬にとってもハードだしかわいそう、とのこと。
虫の息で第一展望台にたどり着いた。
第一展望台からの眺めはこんな感じ。まだまだ遠い…。これでは納得してもらえない。
第一展望台の馬止め
第一展望台からの眺め
ここでお茶を飲み、クッキーをいただき、さらなる高みへ。
ガイドさんに心配され、どうする?行くの辞める?と聞かれた。でも私にはタクツァン僧院のガイドブックのようにきれいに写真に撮るというミッションがあるのだ、と説明すると、ガイドさんがなんと、僕一人で行って写真を撮ってくるという天使のような提案をもちかけた。
えぇっ、いいのん?!
と心を強く揺さぶられたが、申し訳ない思いが勝ち、第二展望台へ向けて歩き始めた。
そしてさらに45分程のトレッキングを経てついにたどり着いた〜!!
第一展望台からの眺め
タクツァン僧院
断崖の中にへばりつくように立つ、僧院。
実は、一度火事で焼失してしまったそう。2004年に再建が完了したそうだが、資材の運搬などはたくさんのボランティアの人が参加したのだという。
私なんて手ぶらで登るだけでもこれだけ文句が噴出するのに、志願して資材を持って登った人たちはなんて立派なのでしょう。
僧院までは第二展望台からさらにV字に800段以上の絶壁階段を上り下りしなければならない。それを往復だ。
が、私にはそんな余力は残っていない。残してない。私のゴールはここです、と第二展望台にて高らかに宣言そして、下山。
あんな苦しかった山道も帰りはラクラク。景色を楽しむ余裕もあり、抜けるような青空を楽しんだ。標高が高いため眼球も日に焼けるようで、翌日は目が充血していた。サングラス持参を持参した方がよいであろう。
ホームステイ先の男の子と
このメインイベントをもって、私のブータン研修は終了した。
日本やほかの海外に比べ、極端に物資が少ないなと思うし、旅行客を受け入れる体制は到底、他国の水準には達していない。
でも豊かさとは、簡単にモノが手に入ること、電気があって便利な生活を送れることとはコールではないのだな、と改めて気付かされる旅であった。
心の豊かな人たち、独特のリズムで生活する人たち、信心深く仏教とともに生きる人たち。
幸せの国ブータンの、“幸せ”の意味が分かった気がした。
スタッフおすすめ度
プナカ ★★★★★ 数あるゾンの中でもプナカ・ゾンは見応えがある
ジャカル ★★★ 街は小さいが周辺の棚田や大自然が美しい
ポプジカ ★★★★★ のどかな湿地帯の散策とファームステイがお勧め
ティンプー ★★★★ ブータンの首都。近代的なブータンを見られる場所
パロ ★★★★★ ブータン最大の観光地、タクツァン僧院がある
(2015年3月 久保井奈々子)
- 幸せと旅の原点探しにブータンへ 交易路をゆき中世の旅人になろう 〜チョモラリ・トレッキング〜
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エリア:
- アジア>ブータン>ティンプー
- アジア>ブータン>パロ
- アジア>ブータン>ブータンその他の都市
- テーマ:ハイキング・登山 自然・植物
- 投稿日:2014/12/25 18:58
私にとって初めての海外旅行はネパールのトレッキングで、そこでは毎日がカルチャーショックの連続で深い感銘を受けた。それがきっかけで色んな国に行くことができる仕事がしたい、とファイブ・スター・クラブにて働くこととなったのだ。それ以来、たくさんの国に行くこととなっても本格的なトレッキングに行くことはなかったが、今回15年ぶりに本格的なトレッキングに、ブータンにて挑戦することとなった。15年も前なので体力の衰えも心配だったけれど、トレッキングに挑戦することで私の人生という旅の目的の原点、みたいなものに戻れれば、と心の中で考えていた。
ルートはブータンで一番人気のチョモラリ・トレック。チョモラリは「女神の山」と意味し、西部チベット国境にある高峰(7,314m)で、ブータンを代表する山だ。といっても今回この山に登るのではなく、氷河地形の中にあるジャンゴタン村のチョモラリベースキャンプ(4090m)を目指す。チョモラリ、ジチュダケなどブータンを代表する山々の展望が楽しめる10月の旅がお勧め。5,6月にはブータンの国の花、ブルーポピーを目的にする旅人も多いそう。峠がなく、徐々に高度を上げていくので高山病の恐れが少なく、体調が悪くなっても下山しやすいなど、初心者でも挑戦しやすく、景観も素晴らしい。今回はこのトレッキングについて紹介したい。
ブータンのトレッキングはネパールとは違い、途中に山小屋やカフェなどがない。よってすべてテント泊となり、必要な食糧やテントは全てスタート地点から持っていく。馬が運んでくれるので私たちはカメラや水筒などだけ持って歩くだけ。今回のトレッキングでは日本語ガイドさん、コックさん、アシスタントコックさん、馬の世話係さんの2名、馬8頭が我々の世話をしてくれた。昔の旅人と同じようにキャラバンを組んでの旅は何とも旅情を誘い、スタッフとも旅の仲間として自然に距離が近くなる。これがブータンでのトレッキングの魅力なのだ。
トレッキング1日目 (歩行時間約5時間、17キロ)
08:30 パロのホテル出発
08:50 ドゥゲゾン到着 (2400m) ドゥゲゾンを少し観光
09:30頃 ドゥゲゾンを出発
12:15 ランチ
13:00 出発
15:00 シャナ 到着 (2850m)
2012年にドゥゲゾンから今日の宿泊地のキャンプサイトのシャナまでの農道が開通した。帰りはシャナから車で帰るが、今回は敢えて高度順応のために往路は徒歩で向かう。他の高度順応の方法としては例えば、パロで午前にだいたい3000mにあるタクツァン僧院まで歩いて行き高地になれ、その午後にドゥゲゾンからシャナまで車で行く、という方法もある。シャナまでの道は舗装されていないが農道なので歩きやすく、急な登りもなく、トレッキング初めのウォーミングアップとしてもよい。川が流れ、途中村々を通るので農家も見かける。景色もよい。10月下旬はちょうど稲刈りの時期で、鎌を使って手作業で稲刈りをしている場面、稲刈りの途中でお昼ご飯をみんなで食べている光景も見ることができた。
川と田園風景が美しい
遠くに山々がみえる
ちょうど稲刈りの時期
お昼時になり待ちに待ったランチ!ランチは私たちが出発した後、コックさんが作ったお弁当をアシスタントコックさんが追いかけてきて持ってきてくれる。おかずが3品とご飯、果物と暖かい紅茶を用意してくれた。好きな食材、もしくは嫌いな食材があれば前もって伝えておこう。コックさんの腕は確かでこのトレッキング中、食事が楽しみでいつも満腹に食べていた。自然の中で食べる、たくさんの人の手がかかった豪華な昼食はどんなミシュランのレストランで食べるよりも贅沢に違いない。
<217 ガイドさんが昼食を用意してくれる>
15:00頃にこの日のキャンプサイト、シャナに到着。到着するとまず、クッキーとミルクティーやコーヒー、ココアなどの温かい飲み物を用意してくれる。ここ、シャナに我々のテントを設営するのだが、我々が寝るテント、我々が食事するダイニングテント、コックさんが料理を作るキッチンテント、トイレのテントを私たちだけのため、今晩だけのために設営するのだから有難いやら申し訳ないやらの気持ちで、スタッフの設営するのを見守る。日が暮れる前に顔と足を洗うためのお湯を用意してくれる。お風呂には入れないけど、暖かいお湯に足をつけるだけでかなりリフレッシュできる。日が暮れて待ちに待った晩御飯。スープから始まり、おかず3品とご飯、デザートと用意してくれる。山の中でこれだけ至れり尽くせりで、これ以上ないような贅沢だ。ブータンの街中で食べるホテルやレストランの食事よりも数段おいしい!空に輝く星はパロで見るよりもすばらしい。心地よい疲れの中、ぐっすり眠ることができた。
キッチンテントを設営するコックさん
左からキッチンテント、ダイニングテント、我々のテント
お馬さんもご苦労様 袋に餌をいれると他の馬とも喧嘩しない
大自然の中での美味しい食事
2日目 (歩行時間約7時間、21キロ)
07:15 シャナ出発
12:00 ランチ
12:45 出発
15:00 タンタンカ (3630m)
翌朝、ガイドさんがベッドティーを用意して起こしに来てくれ、顔を洗うための暖かいお湯も用意してくれる。朝食もパンや卵料理、ソーセージ、コーンフレーク、おかゆなど毎日違うメニューだ。
2日目は行程の中で一番たくさん歩く日。といっても、普段日本でハイキングに行く人にとってはさほどハードではないと思う。針葉樹の森の中をひたすら登る。この日の行程の風景は日本の山登りと少し似ている。タンタンカはキッチンとダイニングの小屋があり、早く到着したグループのみ使える。水洗便所もある。標高は3600mを超えるため、朝夕はとても冷える。この晩はなんと湯たんぽを用意してくれた。湯たんぽとスタッフの気遣いの温かさを感じながら眠りについた。
荷物を運ぶ馬とすれ違う 山道では馬やヤクが優先して通る
川を何回も渡る
タンタンカに到着
タンタンカのキャンプサイト
我々のテントを用意してくれる
3日目 (歩行時間約5時間 19キロ)
07:15 タンタンカ発
12:00 ジャンゴタン(チョモラリ・ベースキャンプ 4090m)到着 ランチ
下記はオプションで、余力のある方のみ。通常は翌日に行くことが多い。
氷河湖のツォプ湖へ (歩行時間約3時間半)
13:00 ジャンゴタン発
15:00 ツォプ湖到着
16:30 ジャンゴタン到着
起床すると晴天で、昨夕には見れなかったチョモラリが見えた。
輝くチョモラリ
朝はまだ霜が降りている。3700mあたりでヤクが姿をみせはじめる。
3700mあたりでヤクが登場
この日のジャンゴタン(チョモラリ・ベースキャンプ)までの道のりは景観が素晴らしい。5時間ほどの道のりだが、写真を撮るのが好きな人はきっと何度も足をとめてしまうので、もう少し時間がかかるかもしれない。途中で小学校を通る。授業の様子を見せてもらうため授業中にちょっとお邪魔させてもらった。授業中なので覗くだけにするつもりが、先生が授業を中断して、子供たちとの交流の時間を作ってくれて恐縮してしまった。ブータンの小学生は英語が上手。旅行中に何度か話すことになるのだが、挨拶の順番は必ず 1.Hello, madam. 2How old are you? 3
.What’s your name? という順番で、いきなり年を聞かれるので、出だしから、うっ・・・と答えに詰まる。別に気にしてないんだけどね。ブータンの学校ではこの順番で習うのかな?
素晴らしい景観に何度も足をとめてしまう
美しい山々
景色に見とれて疲れは感じない
英語が話せる子供たち
授業中なのに快く写真撮影に応じる子供たち
ジャンゴタンに到着 ガイドさんと
通常だとこの日はジャンゴタン到着後、のんびり過ごすのだが、よくばりな私はジャンゴタンで昼食を食べた後、4330mの氷河湖ツォプ湖まで足を延ばすことにした。5,6月はブータンの国の花、ブルーポピーが咲き乱れるそうで、これを目的に旅する人も多いという。最初の30分は急登があり、さすがに4000mを超えての上りはきつい。ゆっくりゆっくり、休みながら登る。途中、高地でしか会えないブルーシープに遭遇!見事に周りの風景の色と同化していて、写真だとよけい見えにくい。湖近くにて一気に天気が崩れ、雹がふってきた。そんな中、ようやくツォプ湖に到着。ツォプ湖へはジャンゴタンから往復3時間ほどの行程で、多くの人は翌日の終日フリータイムのときに行くようだ。
かなりの急登
ブルーポピーじゃないけどきれいな高地の花
野生のブルーシープ
雹が降ってきた
ツォプ湖にて
4日目
08:45 ジャンゴタン出発
11:45 チョモラリとジチュダケが見えるピークに到着
14:00 ジャンゴタン到着
朝起きると昨夕は見えなかったチョモラリが光り輝いていた!周りはまだ薄暗くても陽が一番先にチョモラリに当たるものだから白銀に輝いている。トレッキングの出発地のドゥゲゾンからはチョモラリの頂上がちょこっと見えただけだが、ここからはとても近く真正面に見える。この瞬間、3日間かけて少しずつ登ってきた達成感をさらに強く感じた。この日は天気もよいので、テントの外にダイニングテーブルを置いてチョモラリを見ながらの朝食タイム!!この瞬間で、世界中で一番素晴らしい景色の中で一番美味しい朝食を食べているのは我々に違いない。
白銀に輝くチョモラリ
チョモラリを見ながらの朝食は最高!!
この日はジャンゴタンから日帰りでチョモラリとジチュダケの両方を臨めるピーク(4800m)に向かう。空気が薄くて少し登っただけでも息がきれる。少し進んでは休憩、少し進んでは休憩の繰り返し。だがその度に見下ろすジャンゴタンのキャンプサイトはどんどん遠く、小さくなっていく。2時間ほど登り続けてようやく到着。ここからジチュダケとチョモラリ、周りの山々を臨む。ついにここまで来たのだなぁと感動で胸が熱くなる。ガイドさんもここまで来たのは初めてだそうで、みんなはしゃいでしばし写真の大撮影会が続く。ブータン人勢は少しポーズをつけて山をバックにアルピニスト風に。我々日本人勢はあくまで自然な風を写真におさめてもらう。ブータン人と日本人はたくさんの共通点があって、性格の面だと恥ずかしがり屋、はにかみ屋、礼儀正しいところ、まじめなところ、感情を顔にあまり出さないところなどとても似ているなぁ、と思ったけれど、写真を撮るときのポージングはちょっと違うかな、なんて思ってみたり。
ジチュダケが見えてきた
少しずつ少しずつ登って行く
ジチュダケと氷河湖
ジチュダケをバックにみんなでハイポーズ
あんなに遠かったチョモラリもこんなに近くに
キャンプサイトも遥か下に
ジャンゴタンを見下ろす
5日目
08:00 ジャンゴタン出発
12:00 タンタンカ到着 ランチ
13:00 タンタンカ出発
15:00 テント設営地に到着
朝、テントをでると辺り一面、雪景色に!寝ている間に深々と雪がふり、風景をすっかりかえてしまった。雪が降るのが昨日でなくてよかった。同じ道を今日から折り返して帰って行くのだが、山々は雪化粧をして我々に違う美しさをみせてくれたのだった。どの山でも同じだけど登りは大変でも下山はあっという間。どんどん下山していくうちに積もっていた雪は姿を消したが、地面はぬかるんでいて滑りやすいので慎重に下りていく。今日のテント設営地はキャンプサイトではなく、川の近くの少し開けた場所。今日はトレッキングの最終泊の夜なので、今までお世話になったガイドさん、コックさん、馬の世話係の人達とお酒を飲むことになった。といっても、ブータンの人はお酒を特別な日やお正月しか飲まない人も多く、南地方出身の人は比較的飲むそうだ。だから、私たちとスタッフ二人だけがブータン産ワインを飲んだ。ここで、コックさんのコックさんになるための勉強の話や馬の世話係のスタッフに馬について質問したり、ブータンの歌を歌ってもらったり、それに合わせて一緒に踊ったり、と思い出に残る楽しい時間を過ごさせてもらった。
ブータンではたくさんの民族がいて言語がたくさんあり、公用語がゾンカ語、英語なのだが、ネパール語も話せる人が多く、私が15年前に覚えたネパール語もちゃんと通じたし、ネパールの歌を歌ったり、踊ったりで、ネパール語もコミュニケーションの一部となった。
ネパールでトレッキングしたときも素晴らしい景色にびっくりしたけど、やっぱり一番心が動くのは私の知らなかった場所、文化の中で全く違う価値観をもって暮らしている人と話をして少しだけでも時間と考えを共有することだ。そのことで自分自身と自分の周りの環境を違った視点で見直すことができる。旅の意味や大切さの一つってこういうことだろう。色んな人と新しい自分とで出会うために旅をみなするのだろう。やっぱり。
一晩ですっかり雪景色
往路とはすっかり違う景色になった
木材を運ぶヤクたち
晩御飯の用意をするスタッフのみなさん
最後の晩はみんなで乾杯
みんなで歌って踊ろう
思い出に残る夜をありがとう
6日目
09:00 出発
12:00 ランチ
13:00 出発
14:00 シャナ到着
15:00 シャナを車で出発
16:20 ドゥゲゾン到着
16:40 パロ到着
18:00頃 ティンプー到着
今日はトレッキング最終日。1泊目に宿泊したシャナまで行き、帰りはそこから車で移動する。シャナに到着し、コックさんたちは別の車で、馬の世話係さんは歩いてパロ近郊の自宅まで、我々は車でティンプーへとここで今まで一緒に旅して来た仲間は別れを告げなければならない。せっかく仲良くなったみなさんともう会えないかも、と思うと悲しい。が、馬の世話係の一人が「また一緒にトレッキングに出かけてまた一緒に踊ろうよ」と言ってくれた。そうだね、またこのメンバーでまたトレッキングに出かけたい。叶うかわからないけど、そう答えた。生きていたらまたきっと会えるに違いない・・・・。と思っていたらなんと実際、この日の翌日、ティンプーの街中を観光していたらコックさんとばったり出会ったのだ。素敵な偶然に驚き、再会を喜んだのだった。
最後にお世話になったみなさんと記念撮影
ブータンの幸せ指数の話はあまりにも有名。「自殺する人が少ない=幸せな人が多い」と必ずしも言えないだろうけど、ブータンの昨年の1年間の自殺した人は二人。日本の年間の平均のそれは3万人。人口に差があるにしても、ここまで聞けばやっぱりブータン人は幸せな人が多いのかな?と思う。 ガイドさんに「ブータン人はやっぱりみんな、幸せなんですか?」と聞いたところ「うーん、人によります。」 との答え。そりゃ、そうだよね。「幸せ」自体が人によって違うだろうし、感じ方も違うだろうし。「幸せ」が何かなんてそう簡単に答えはでないけれど、はっきり言えることはブータンを旅して、この国と人々は私を幸せにしてくれた、ということ。楽しかったよ、ブータン。幸せをありがとう、ブータン。
キャラバン隊を組み、中世の旅人になれるブータンのトレッキングであなたも幸せになってください。
最後にトレッキングに必要なものを下記に挙げてみた。
トレッキングの必須アイテム
予備の電池バッテリー(トレッキング中は充電できない)、ヘッドライトとその電池、手袋、帽子(日除けのものとニット帽)、タオル、サングラス、日焼け止め、リップクリーム、常備薬、のど飴、靴下(普通のものと暖かいもの)、ヒートテック的な下着(かなり暖かいもの)、登山靴、登山靴以外の靴(テントに到着した後に役に立つ)、行動食(多めに持って行ってガイドさんたちにあげても)、ゴアテックスの類の完全防水の上下、ウェットティッシュ、水筒、腕時計、デイパック、ボールペン、トイレットペーパー、ポケットティッシュ、寝袋(氷点下でも寝れるもの)
あったら便利なもの
ホッカイロ、ランタンの代わりになるもの(夜のテント内で使う。ヘッドライトにかぶせてランタンにできるような便利アイテムもある)、スーパーの袋(ゴミ袋にしたり、洗濯物をいれたり)、体をふくサラサラパウダーシート、乳液、ハンドクリーム、ウェットティッシュ、ダイアモックスなどの高山病の薬(心配な人のみ、事前に副作用について問題ないか要確認)、水に溶かす粉末状のお茶、登山用のスティック、湿布薬、足の疲れをとる湿布、アミノ酸等のサプリ、簡単な日本食、高度計、レジャーシート(ランチのときに)
ブータンのお勧め
チョモラリトレック ★★★★★
・・・山好きなら是非参加して欲しい!ガイドさんとスタッフが至れり尽くせりのお世話をします!山の中で最高の贅沢を。
タクツァン僧院 ★★★★
・・・・時間がない人も絶対いってほしいが、割とハードで標高も高く息がきれやすい。ハイキングシューズで参加したい。
ティンプーのモモ屋さん ★★★
・・・・時計塔の近くにあるガイドさんお勧めのモモ屋さん。むちゃくちゃうまい!!お昼時も地元の人でこんでいて、地元の人と相席も楽しい経験!
2014年10月 辻理恵子
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