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- 変わるキューバ、変わらないキューバ〜キューバ世界遺産の街めぐり ハバナとトリニダー〜
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エリア:
- カリブ海>キューバ>ハバナ
- カリブ海>キューバ>トリニダー
- カリブ海>キューバ>バラデロ
- テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2017/02/08 14:05
ゲバラの肖像でおなじみの革命広場はライトアップされる夜に行くのがオススメ!
バラデロビーチの青い空と透き通る海にはただただ息をのむばかり
バラデロビーチの青い空と透き通る海にはただただ息をのむばかり
カメラを向けると皆ノリノリなのがキューバのいいところ
ここ最近、「激動」というワードがここまでふさわしい国もないと思う。経済の一部自由化、54年ぶりのアメリカとの国交正常化、それに伴うアメリカ定期直行便の運航開始、そして一時代を築いたフィデル・カストロの死・・・。そんなキューバにこのたび行かせていただくことになった。
訪問都市は首都のハバナ、世界遺産の古都トリニダー、そして外国人観光客でにぎわうビーチリゾートのバラデロの3都市で、やはり初めてのキューバならこの3都市を周遊するのがおすすめ定番ルート。今回はバックパッカープランということで現地では全てフリープラン、各都市移動も長距離バスを利用したが、何事にもおおらかなラテンの国ゆえいろいろ戸惑うところはあったものの順調に旅を進めることができた。
ただ興味深い歴史に加え、街を歩いていると厚切りジェイソンばりに「Why Cuban people!!!!!」と突っ込みたくなるキューバ特有の光景が多々あったのでやはりガイドさんがいた方が楽しいと思う。また今回ハバナは旅程前半2泊、後半1泊の滞在だったが、とにかく見所が多いためもっと時間が欲しかった!
<200万人が暮らす街全体が生きた博物館 首都ハバナ>
キューバの旅はほとんどの場合首都ハバナから始まる。その見どころはなんといっても植民地時代の面影を残す豪勢な建造物と、タイムスリップしたような街並み。
またキューバ名物ともいえるアメ車や旧共産圏のクラシックカーもまだまだ健在で、街並みとからめてカメラを構えれば、あっと驚くシブい写真が誰にでも撮れる。
カピトリオ(旧国会議事堂)と馬車とクラシックカー
カバーニャ要塞とキューバ国旗
ライトアップされたガルシア・ロルカ劇場
じっくり街並みを眺めてみると、ヨーロッパとも他の中南米とも、もちろんアジアとも全く違ったものなのに気づく。一見ヨーロッパの中世の旧市街チックなのだが、よく見るとぼろぼろで廃墟に近いのもある。建物の大部分が欠けていたり窓が壊れていたりするところもあるけれど、そこでも人々は元気に生きている。革命のとき、またはそれ以前からずっとここに住み続けてきたのだろうか・・・。
そんな儚い街並みとたくましい人々とのギャップが、またハバナの街を魅力的に見せてくれる。
一見廃墟だが市場として使われている
私のような「洗濯物がはためく旧市街フェチ」にはたまらない!
ご存じの通りこの国は数少ない社会主義国で、スローガンやグラフィティなども随所に見られるが、
Viva Cuba Libre=キューバの自由万歳
毎日開かれるアルマス広場の古本市では、革命関連の本やポスターが・・・
やっぱりゲバラはキューバ人に愛されてるんだなあ
経済の一部自由化に伴って自営業も認められるようになり個人経営のレストランや民宿がどんどん増えた。旅の楽しみが増え、一気に旅行しやすくなった印象がある。
特に旧市街のレストランはキューバのイメージを覆すようなオシャレな店が増加中で、キューバのご飯は評判があまり良くないから期待できない・・・と思っている方こそぜひ行っていただきたい。
雰囲気のいい旧市街のレストラン「O’Reilly」
なんと日本食も!旧市街入口近くの「日本食堂」にて
そのためか旧市街はどこにいっても個人、団体を問わず多くの旅行者が目に付いた。やはり皆、今激動のときを迎えるキューバの歴史の目撃者になろうとしているのだろうか・・・。
もはやキューバは「知る人ぞ知る」国ではない、立派な観光大国なのだと認識を改めた。
夕方にはぜひ海岸沿いのマレコン通りへ。昔も今も、そしてこれからも変わらないであろう最高の夕焼けを毎日眺めることができる。そこで目に付く釣り人やカップルも、流しのミュージシャンも、どんなにハバナの街が変わってもここにいるのだろう。
写真撮って!と声をかけてきたカップル
ハバナの街で必ず見かける陽気なミュージシャン
驚くほど美しいマレコン通りの夕焼け
<ありのままのキューバに触れる 古都トリニダー>
世界遺産の街でキューバ中部に位置するトリニダーは、なんといっても植民地時代の面影を色濃く残す石畳の街並みが有名。
特に中心部のサンティシマ教会やマヨール広場周辺は、18〜19世紀に建てられたサトウキビ農園主らの見事な邸宅が保存され、クラシックカーや馬車も走っているのでどこを撮っても絵になる風景が見られる。
コインの絵柄にもなっている風情ある街並み
市立歴史博物館の屋上から街並みを眺める
やはりここも観光客が急増中で、中心部は現地人よりも数が多いのでは?と思うほど。さすが世界遺産の一大観光地、活気があふれていた。
ガイドブックに載っている有名店「ラ・カンチャンチャラ」では名物カクテルを飲みながら生演奏が聴ける
観光客が集まる野外ミュージックショー、カサ・デ・ラ・ムシカは毎晩大盛り上がり!
ただハバナと違ってここは人口7万ほどの田舎町。街歩きすると、とにかく現地人との距離が近くありのままのキューバが楽しめる!という印象だった。街を歩くたびに新たな発見があり、全く飽きないのだ。
市場ではラム酒の量り売り!
ラム酒をおごってくれたおじさん。言葉は通じないはずだがなんとなーく意思疎通できた
こまを回す少年
そんなありのままのキューバの最もたるものが野球。キューバといえば野球!というイメージをお持ちの方も多いはず。
中心部から少し離れた野球場に行ってみると、なんとちょうど試合が行われるとのこと。もちろん観戦させてもらう。
「マツザカ」と「イチロー」を知っていた球場の職員さん
遠くカリブ海を望む絶好のロケーション。地域リーグかなにかのようでそこまでレベルは高くなく、観客も多くなかったが、ひたむきにプレーする選手やそれに賛辞(+ときどきヤジも)を送る観客を眺めながら、どれだけ野球というスポーツがこの国に根ざしているか実感することができた。
しかし最近はサッカーの方が人気になっているようで、実際のところ公園などでサッカーをしている子供はよく見かけたものの野球少年は一度も見かけず、車や街などにヨーロッパサッカーチームのエンブレムが描かれているのも目に付いた。政治経済だけでなく、文化の面でもキューバは変わりつつある。
夜は宿の近くの広場で、音楽に合わせて百人ほどの市民が踊りまくっているところに遭遇する。さすがサルサやルンバの本場、キューバ人は音楽が流れると踊り出さずにいられないようだ。夜中の広場で大爆音、そしてひたすらダンスという日本では考えられない異様な光景を前にしてこちらまで楽しくなってしまう。そして自分も自然に彼らに混じって踊り出してしまうのだった。飲んで、踊って、飲んで、踊って・・・。
広場の脇では豚の丸焼きが
真夜中に宿に戻ったが、明け方4時ぐらいまでずっとこの大爆音は鳴り止むことがなかった。恐るべしキューバ人のスタミナとパッション・・。観光客でにぎわう街で、そんなキューバ人の着飾らないありのままの姿を間近で見られたことを幸せに思った。
キューバのどんなところが変わりつつあるのか、という点に注目してきた今回の旅だったが、「人がある場所には音楽があり、音楽がある場所には笑顔がある」という一番キューバらしい光景は旅行中いつでもどこでも見ることができた。キューバという国家がこの先どんなに変わっていっても、これだけはずっと変わることなく続いていくはず。そしてキューバならではのこの光景がこれからも旅行者を魅了してくれるに違いない。
<フリープランで旅するなら知っておきたい、キューバお金・交通・ネット事情>
先ほども書いたとおり、キューバは国のシステムが他国といろいろ異なり、もしかすると旅慣れている人ほど戸惑う所があるかもしれません。ガイド付きのツアーなら問題ありませんが、フリープランで旅するならちょっとした予備知識が必要かと思います。
まずはお金事情。キューバ旅行の計画を立てている方は、「キューバには2つの通貨がある」と知り戸惑う方が多いかと思います。旅行者用の兌換ペソ(CUC)と現地人用の人民ペソ(CUP)、という表記が多いですが実際旅行者も人民ペソを使えますし、逆もしかりです。「贅沢品用の兌換ペソ、庶民用の人民ペソ」といった方が正確でしょう。
旅行者と現地人との間の高い壁がある(たぶんこのシステムが一番旅行者を戸惑わせているのでは・・・)キューバでは、旅行者が普段利用するレストランやタクシー、また観光地などはすべて兌換ペソ払いで料金が設定されているため、これだけあればすべて事足ります。しかし後で述べる市バスやフェリーに乗りたい!、ローカルのご飯を食べてみたい!という方は人民ペソが必要になります。1CUC=24CUPのレートで両替でき、ローカルのお店でCUP支払いをするとお釣りがCUPで返ってこともあります。ローカルのお店は物価がかなり安いですが、「外国人=お金持ち」という固定観念が染みついているキューバでは外国人がCUPを使いまくるのも考えもの、とのことです。
ちなみにトリニダーで見た野球の試合チケットの価格は1CUP(約5円)。1CUC(約120円)ではありません。
外国通貨から兌換ペソ、そして兌換ペソ・人民ペソ間の両替は、街中のカデカ(CADECA)と呼ばれる両替所や銀行の利用が一般的。けれども両替所はなぜかいつもどこでも行列ができており、しかも皆順番を守って文句も言わず並んでいるので感心します。ここまで行列に並ぶのに慣れている民族は日本人とキューバ人くらいでは・・・と思うほど。
(そもそもどこでもこんなに行列ができる光景が異様なのでは・・・という突っ込みは置いといて)
これが両替所のマーク
なおハバナ空港の両替所では日本円から兌換ペソへの両替所が可能ですが、地方都市では日本円の取り扱いがしていないことがあり、アメリカドルは多額の手数料が取られるのでユーロやカナダドルからの両替をおすすめします。
ちなみに写真を撮り忘れましたが、3人民ペソ札はゲバラの肖像が描かれており兌換ペソしか使用しない観光客にも大人気。それゆえなかなか手に入りにくいようですが、トリニダーの両替所で人民ペソを入手するときに熱心にお願いしたら(しぶしぶながら)10枚ほど新札を混ぜてくれました。
つぎに交通事情。都市間移動ではバス利用がほとんどになりますが、現在外国人が乗車できるのは「ビアスール(Viazul)」社のバスのみ。バスターミナル(ハバナでのターミナルは中心部から遠く、タクシーで移動することになります)にて出発の1時間〜30分前にカウンターでチェックインをしてチケットを発券してもらい、目当てのバスが来たら荷物を預けてバスに乗車。時間はほぼ定刻通り、というか逆に満席になってもいないのに定刻より早く出発することもあるので要注意です。どうもキューバ人はのんびりした所がある反面、仕事をさっさと終わらせたい傾向にあるようです。
設備は日本の高速バスとあまり変わらず、快適な移動が期待できます。しかし冷房が効きすぎていることが多いため上着や毛布の持ち込みをおすすめします。(私が乗ったときも乗客はほぼ外国人旅行者でしたが、冷房のことは了解済みのようで全員上着や毛布を羽織っていました)
食事の時間をまたぐと路線のみ食事休憩があるようで、今回はハバナからトリニダーへ行く際に途中のレストランに立ち寄りました。10CUCのビュッフェの他サンドイッチもあり。
キューバ周遊の旅で頼りになるビアスールバス
街歩きだけでは見られないキューバの田舎の風景を眺めるのも楽しみですね。
一面に広がるサトウキビ畑
カストロが我が町にやってきた!とアピールする看板
また街中の移動(ハバナ新市街から旧市街など)は、外国人はタクシー利用が主流です。これが意外と高く付き、15分ほど乗って10〜15CUC(約1200〜1800円)。けれど運がいいとクラシックカーに乗れることもあり、そのアトラクションを含めた料金だと思えば納得できるかも。
またハバナやバラデロでは1日5CUCで乗り放題のオープンバスも走っています。
ごく普通にタクシーとして使われるクラシックカー
変わった形のココタクシー。運転手に声をかけると試乗(?)させてくれた
バラデロのオープンバス、「バラデロビーチツアー」。ビーチで遊んだ後はこれで街を一周してみては?
CUPを持っていれば市民の足の市バスにも乗れるので、時間があればチャレンジしてみては?たいてい混み合っていて行き先も判別するのが難しいですが、バス停にいる人や運転手に自分の目的地を言ってみるとどれに乗れば良いか親切に教えてくれます。これも旅の醍醐味ですね。
運転席にゲバラのステッカーが
またハバナ旧市街からハバナ湾対岸のカバーニャ要塞近くまで、同じく市民の足のフェリーが通っています。15分ほどの船旅ですが、自転車をそのまま乗せたり船内から釣りをしたりとなかなか珍しい光景が見られておすすめ。市バス、フェリーともたったの1CUP。
自転車を持った人がごく普通に乗っているフェリー船内
最後にネット事情ですが、他の国では一般的なフリーwifiがキューバではほぼ存在しません。通信会社「ETECSA」オフィスでカード(1時間利用可能で2CUC)で買い、電波の入るところ(ところどころ大勢の人がスマートフォンをいじっている場所があるのですぐ分かる)でカードに記載のIDとパスワードを入れてつなぐようになりますが、オフィスの数は多くなく、しかもやはりキューバ名物の行列ができており非常に不便。主なホテルでも買えるほか、電波が入る場所でカードの闇売人(?)がうろうろしており、ちょっと高値ですが待つことなく買うことができます。ネットの速度は問題ありません。
ハバナ旧市街のメインストリート、オビスポ通りにある「ETECSA」オフィス
ここ最近人気急上昇中の旅行先にもかかわらずなかなか情報が少ないキューバですが、最低限の予備知識があれば誰でもしっかり楽しめます!
【スタッフおススメ度】
●ハバナ ★★★★★
見事な歴史的建造物や博物館をひととおりまわるだけでも一日がかりで、気の向くまま街を歩きまわるだけでも楽しい。どこか儚い街並みと笑顔あふれるハバナっ子とのギャップがまた旅行者を魅了してくれる。
●トリニダー ★★★★★
観光客でにぎわう古都で見応えのある博物館が多い。小さい街なので地元の人の生活に触れる旅もおすすめ。ライブスポットも多く、夜はどこからか楽しげな音楽が聞こえてくる。
●バラデロ ★★★★
キューバいちのビーチリゾートで、ここまで透明な海はなかなかお目にかかれない。オールインクルーシブの豪華ホテルが立ち並ぶほか、誰でも入れる公共ビーチもある。
(2017年1月 伊藤卓巳)
- 1000Km走破 イタリア田舎巡りの旅
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エリア:
- ヨーロッパ>イタリア>イタリアその他の都市
- テーマ:街中・建物・景色 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2017/01/16 11:00
霧に包まれたコンピアーノ村
「2回目のイタリア」のコンセプトの基に造られた、エミーレーツ航空とパーパスジャパン主催の研修旅行に行ってきた。ローマ、フィレンツェ、ベネチア等の王道のコースはすでに行ってしまった人に対して、もう一度イタリアに行きたくなるコース、内容を考えるのが目的だ。はたしてその目論見は果たせたのでしょうか。
ドバイ経由でローマに夕刻到着。とは言え、ローマには泊まらず45キロメートル|離れた夏は避暑地になるフラスカティの街にて宿泊。しかし今回の一癖あるツアーは直接は行かず、これから脚光を浴びるかもしれないローマ市内にあるドミチアーノ競技場跡を見学。沢山の観光客とローマっ子で溢れかえっているナヴォーナ広場の地下にまさか、3万人もの観客を収容できる壮大な競技場が紀元前1世紀の昔からあったなんて想像すらできない。地下への階段を下りていくと今なおその姿を留めている。時空を超えたこの場所で、コンサートもパーティも可能とはさすがローマである。
ドミチアーノ競技場跡
ナヴォーナ広場
白ワインで有名なフラスカティはローマから行くと徐々に登っていき、小高い丘の上にある。それゆえローマより涼しく、ローマ法王も夏はバチカンを離れて避暑にくるそうだ。確かにこの町からサッカーボールを転がしたらローマまでずっと行き着く感じがする。土曜の朝だからか町はひっそりと静まっていたが、唯一、豪邸の「ヴィラ・アルドブランディーニ」だけが異彩を放っていた。
フラスカティの町並み
フラスカティの町並み
ヴィラ・アルドブランディーニ
9時にフラスカティから130キロメートル|離れたウンブリア州、州都テルニにある「マルモレの滝」へバスにて出発。いよいよ今日からバスの旅が始まった。マルモレの滝は紀元前3世紀もの昔に、上流のヴェリーノ川の氾濫を防ぐ目的で建造された。イタリア第2を誇る落差165mの滝は、1923年からダムとなっている。当日は12時の放水の瞬間に立ち会うことができた。ちょろちょろとした水が次第に水量を増し、15分後には轟音をたてて落下していく。詩人バイロンの言葉「身の毛もよだつほどすばらしく、美しい」はこの滝を言い当てている。
放水前のマルモレの滝
放水後のマルモレの滝
午後は、100キロメートル|離れた同じくウンブリア州の「アッシジ」へ向かう。ぽっかり丘の上に浮かぶようにその町は建っていた。町の中心のコムーネ広場をはさむように左端にはサン・フランチェスコ聖堂、右端にはサンタ・キアーラ教会が両脇を固めている。12世紀に聖フランチェスコの生まれた町として知られ、世界中から沢山の人が訪れている。サン・フランチェスコ聖堂から出て、坂を上って町の中に進んでいくとそこは昔の佇まいのままだ。
サン・フランチェスコ聖堂
サン・フランチェスコ聖堂内部
町の中心に向かう坂
コムーネ広場
サンタ・キアーラ教会
今日の泊りは50キロメートル|離れたグッビオだ。ホテルは元修道院だったパークホテル・アイ・カプチーニ。ワインセラー、暖炉のあるロビー、アスレチック・ジム、そして広い部屋。格調高く、それでいてモダンな感覚の超おすすめのホテルだ。なによりも夕食にでた、ポルチーニたっぷりの生タリアテッレパスタには脱帽。美味しくいただきました。
ポルチーニたっぷりの生タリアテッレパスタ
ワインセラー
翌日はグッビオの旧市街を観光。この町は毎年5月15日に行われる「チェーリの祭り(大燭台の祭り)」で有名だ。執政官宮殿(コンソリ宮)の前のグランデ広場にはちきれんばかりの人々で一杯だそうだ。バルジェッロの噴水を3回まわり水をかければ公認「名誉変人」になれるとか、ガイドさんに見本をみせてもらった。そして最大のイベントはギネスブックにも認定されている高さ650メートルの「世界最大のクリスマスツリー」。12月7日から点灯し1月10日まで見れるそうだ。こじんまりした古きよき時代がそのまま残った町でした。
グランデ広場
チェーリの祭り
バルジェッロの噴水
97キロメートル|離れた「トラシメーノ湖」に寄って、中世の城壁に囲まれたコルトーナの町へ訪問。オリーブ畑の斜面に張り付くように静かにたたずみ、眼下にはトスカーナ地方のキアーナ渓谷が広がっている。
トラシメーノ湖
コルトーナの町並み
コルトーナの町並み
キアーナ渓谷
さらに34キロメートル|ドライブの後、カスティリオーン・フィオレンティーノ村のアグリ・ツーリズモで昼食。心温まる料理とワインを楽しみ、ひと時の静かな時間をすごす。ここのブルスケッタとくるみのケーキは美味しかった。
アグリ・ツーリズモ客室
オーナーご夫婦
ブルスケッタ
くるみのケーキ
午後は120キロメートル|離れた、トスカーナ平原の真ん中に突如現れた「サンジミニャーノ」を1時間の観光。雨の中ではあったが、しっかりアイスクリームの世界チャンピオンの店で美味しいアイスクリームをいただきました。
サンジミニャーノの町並
アイスクリームの世界チャンピオンの店
泊まりはトスカーナ州のモンタイオーネ村にある4星ホテル「ラ・タパッカイア」。廃村を建て直し、ゴルフ場や結婚式のできる館まである隠れリゾートだ。ホテルが村の一部になっており、高台から見える景色は最高!
4星ホテル「ラ・タパッカイア」
高台から見える景色
高台から見える景色と私
4日目は135キロメートル|離れたラ・スペツィアの町へ。ここから一般車は通行禁止なのでバスに乗り換え、世界遺産「ポルトヴェーネレ(ヴェーネレ港)」に向かった。ヴェーネレとはヴィーナスを意味し、言わば愛と美の女神ヴィーナスの港なのです。その名に負けずの絵葉書のような港、挙式もできるサンピエトロ教会、荒波のリグレア海、ため息が出そうな景色なのです。もちろん料理もグー。スカンピのショートパスタご馳走さまでした。
ポルトヴェーネレ
ポルトヴェーネレ
荒波のリグレア海
モデルさんも撮影中
スカンピのショートパスタ
89キロメートル|離れたボルゴターニの町ではほとんど「ポルチーニ」の買い物で時間がなくなった。
参加者の目の色が買い物モードに一変。ほんの短い時間に大いに売り上げ貢献したせいか、お店のおばさんの顔はくずれっぱなしだった。
ポルチーニ
14キロメートル|離れたコンピアーノの村が今夜の宿泊地。コンピアーノはイタリアの「最も美しい村」の一つに選ばれているタロ渓谷にある1,000人ほどの小さな村だ。石の民家を見渡しながら石畳の坂を上っていくと丘の上になんとお城がある。ここが今夜の根城。1000年ごろに建てられ、13世紀ごろから名門「ランディ家」が450年もの長きにわたって領主として住んでいた。博物館になっているお城の内部を案内してもらってから部屋に入ると、なにかが出そうなそんな雰囲気だ。一人で寝るのが不安になる。夕食は焼き立てのフォカッチャを楽しんだ。目の前でパン職人さんが次から次へと焼き上げていく。美味しくないわけがない。
石の民家
古城ホテル
古城ホテル内部の博物館
パン職人さん
翌朝、驚きのシーンが出現した。村が濃い霧でおおわれている。朝日の光を浴びながら幻想的な絵を作り出している。この瞬間を見逃してはならないと、夢中でシャッターを切った。二度と出会わない景色なのだから。
霧でおおわれた村
霧が晴れてきた村
古城ホテル
朝日を浴びる村
朝食後、近くのパルメザンチーズ工場を見学。頭の先から靴の底までビニール帽子・コートで覆い、まるで無菌室のような工場に入った。中では恰幅のいいチーズ職人が手際よく働いている。彼らのきびきびとした作業がリズムを作り、それが美味しいチーズを作り上げていると感じた。数え切れないほどの出来上がったチーズが貯蔵庫に整然と並んでいる。チーズを叩いているのは、中に空洞がないかを確かめるためだ。もちろん空洞がないのがいいチーズだ。検査後焼印が押される。直販もしているので、ここで買ったほうが市内の1/3という超お得。私もたっぷり買い込みました。
チーズ工場見学
チーズ作成中
チーズ作成中
チーズ貯蔵庫と私
チーズを叩いて検査
焼印されたチーズ
100キロメートル|車に乗り、次は生ハム博物館へ行き、生ハム生成の歴史を勉強し、またもや舌鼓を打つことになった。いやはや美味しいもの三昧で申し訳ない。
生ハム料理
42キロメートル|かけて最後の宿泊地「パルマ」に到着。久しぶりの都会なので逆にほっとした。旧市街は中世の香りを十分に残し、今なお芸術の都である。ドゥーモ広場やピロッタ宮殿など見所も多い。最後の晩餐はボロニェーゼのショートパスタとワインで締めになった。美味しい料理と美味しいワイン、そしてイタリアの田舎は本当にお薦めなのだ。田舎巡りを入れることでさらにイタリアの魅力が増えること間違い無しである。
ドゥーモ広場
ピロッタ宮殿
ボロニェーゼのショートパスタ
オススメ度
*フラスカティ ★★★ ローマの近くにこんなのんびりとした街があるなんて
*マルモレの滝 ★★★★ 大迫力の滝にビックリ
*グッビオ ★★★★ チェーリの祭りと世界最大のクリスマスツリーで有名
*ポルトヴェーネレ ★★★★★ 僻地ゆえの美しさ、素朴さ、荒々しさ
*コンピアーノ ★★★★★ 最も美しい村の一つ 是非とも古城ホテルに泊まろう
*パルミザンチーズ工場 ★★★★★ ますますチーズが好きになります
(2016年11月 本山泰久)
- アメリカよりも自由な国? 風車、チューリップ、チーズ ぜーんぶ楽しむ夏のオランダ!
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エリア:
- ヨーロッパ>オランダ>キューケンホフ公園
- ヨーロッパ>オランダ>キンデルダイク
- ヨーロッパ>オランダ>オランダその他の都市
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 グルメ
- 投稿日:2016/08/02 10:39
4年前の春、大学の卒業旅行という名目でドイツ、スイス、オランダ、ベルギーを周遊した。そして今回、これらと全く同じ4か国に再度訪れてみることにした。
今回の旅行を通し、4年前と今で180度印象が変わった国、それはオランダだった。
4年前。観光ではなく友人と会うためにオランダを訪れたため、田舎の町だけでアムステルダムには行く予定をしていなかった。しかし、現地に到着してから友人の予定が変更になってしまい、急遽アムステルダムに1泊することになった。下調べゼロの状態でとりあえずアムステルダムに到着し、前日に友人に予約してもらったホテルへ向かう。ホテルを探している間に迷い込んだ所は、下着姿の女性達が窓際に座って手を振っている赤線地帯。その後ようやく見つけたホテルの周りでは、若者たちがたまってマリファナを吸っている。そう、オランダでは売春も大麻も全部合法。そんなことを知らず、まだ海外旅行にも慣れていなかった私にとって、そこはとても「怖い」場所だった。
しかし、今回の訪問で、「怖い国」というレッテルはみるみるうちに剥がされていくこととなった。
○ロッテルダム
今回旅の起点としたのは、オランダ第二の都市ロッテルダム。(上記の苦い思い出があったため、アムステルダムには最後の1泊しかしなかった。笑)
アムステルダムは、運河沿いに三角屋根のお家が建ち並び、皆がイメージする「オランダの街並み」が広がっている。そのイメージを求めてロッテルダムを訪れると、がっかりしてしまうことになる。ロッテルダムには、風車も三角屋根の可愛いお家も一切ない。第二次世界大戦で、ナチスによるドイツ軍の爆撃によって、街のほとんどを焼失してしまったため。そこから、どんどん新しい建物が建てられ、今やアムステルダムとは正反対な近代都市が出来上がってきている。といっても、普通の高層ビルが建ち並ぶ都会ではない。ユニークな建築がたくさんあり、中央駅の近くをぶらぶらと散策しているだけで、面白い建物をいくつも目にすることができる。
中でも一番有名なのが、このキューブハウス。
ここには実際に住んでいる人がいる。その中の一室が公開されており、内部を有料で見学することができる。1個のキューブの中は3階にフロアが分かれている。
てっぺん部分
キッチン
ほーー、こうなってるのかーと感心しつつも、階段を上って部屋を見学していると、少し酔ってしまいそうだった。
キューブハウスの後ろには、鉛筆形のマンションがそびえ立つ。
辺りをぐるっと見渡してみると、面白い形をした建物ばかり!
日本人として地震が心配になってしまう
”De Gasfabriek”(ガス工場)と呼ばれる図書館
かまぼこ形のマーケットホール
このかまぼこのような形をしたマーケットホールは、馬の蹄をイメージして作られているそう。中にはたくさんのレストランと、チーズやフルーツ、野菜、スイーツとなんでも売っているマーケットがある。先程の鉛筆形の建物もそうだが、ここも人が住むマンションになっている。
たくさんのマーケットが並ぶ
チーズショップ
焼き鳥屋さんまである!
内部の壁一面にはきれいな絵が描かれている。
マーケットの両サイドにはイタリア、スペイン、ギリシャ、インド等世界各国のレストランがずらっと並んでいる。決めきれない程美味しそうなレストランばかりで、歩いているだけでもおなかいっぱいになってしまいそう。
建築が好きな人はもちろん、興味のない人でも歩いているだけでわくわくしてしまう街、ロッテルダム。数年後にはどんなビルが建っているのか、また訪れてみたい。
○キンデルダイク
ロッテルダムから、最初に訪れたのがキンデルダイク。オランダで最もたくさんの風車が建ち並び、世界遺産にも登録されている場所。ロッテルダムからは、列車とバスを乗り継いで行った。キンデルダイクに到着し、後ろのドアからバスを降りようとすると、運転手さんに「お姉さん!」と呼び止められた。あれ、お金払ったよなあ、、と思いつつ運転手さんの所まで行くと、わざわざ帰りのバス乗り場、時間などを丁寧に教えてくれた。これまでヨーロッパを旅して、こちらから聞く前にバスの運転手さんが呼び止めてまで帰りのバスの乗り方を教えてくれたのは初めての経験。これまでも、道を聞けば皆英語で親切に教えてくれ、オランダは本当に親切な人が多い。4年前は怖い国だったはずなのに、怖い人はどこにもいない。
バスを降りると、目の前には大きな風車がずらっと並んでいる。その光景は圧巻。
管理のために、風車に住んでいる人もいる。よーく見ると、洗濯物が干してある風車も。また、並ぶ風車のうち2基は風車の博物館になっていて、内部を見学することもできる。
博物館
ひたすら長い1本道が続くので、ここではレンタサイクルがおすすめ。
7・8月の土曜日には、この風車が一斉に回される。
これだけの風車が見られるのは世界でもここだけ。オランダを訪れたからには絶対に訪れるべき場所。
○キューケンホフ公園
この時期にオランダを選んだ理由の一つが、このキューケンホフ公園。3月末〜5月中旬の約2カ月間だけオープンしている貴重な公園。オランダにはたくさんチューリップ畑があるが、球根を育てるために花が咲くとすぐに摘み取ってしまう。そのため、綺麗なお花の絨毯が見られる時期は本当に限られている。そこで、この2ヶ月間ならいつでもどうぞ!と、このキューケンホフ公園が用意されている。たくさんの種類の花があるため、この期間中ならいつ行っても綺麗な満開の花を見ることができる。
桜の木も!!
公園内の風車近くから開催されているボートトリップでは、隣の畑で一面に咲いたチューリップをボートに乗りながら見ることができる。私が行った時はまだ少し早かったので、一部しか咲いていなかったが、タイミングが良ければ一面のカラフルなお花の絨毯を楽しめるのだ。
この風車からボートツアーが催行されている
ここが一面花の絨毯になる
○アルクマールのチーズ市
次に訪れたのはアルクマール。アルクマールでは、4月初旬〜9月初旬の毎週金曜日の朝10時から12時半まで、チーズ市が開催される。このチーズ市は400年以上前から続く、世界最古で最大のチーズ市と言われている。チーズが大好きな私は、ここまで来たからには見てみたい!と曜日と時間をあわせ、今年第一回目のアルクマールチーズ市を訪れることができた。
チーズ市が開催されるのはこの計量所。
駅からは、「チーズ市はこっち!」という分かりやすい道しるべが置いてあり、迷うことはない。
チーズ市までの道しるべ
ここでは、まずチーズマイスターがテイスティングをし、広場の各所で取引が行われる。バイヤーと交渉人がお互いの手を叩き握手し合い、値段交渉成立。値段交渉成立後、オーダーを受けた二人で一組の運び人が、一個10キロ以上のチーズを何個も積み、軽々と計量所へ運んでいく。
一個10キロとは思えない軽々しさ、そして皆楽しそう。
そして、それを天秤のような独特な量りで重さを測る。
計量所の内部
どんどんチーズが運び込まれてくる
重りで調節
みんなで歌い出す
計量所の周りにはたくさんの屋台が並んでいて、ここを見るのも楽しい。
アルクマールは、街自体がとても可愛いので、チーズ市の見学が終わった後、街を散策してみるのも面白い。
オランダでの旅を終え、「オランダ=怖い」と思い込んでいたかつての自分が恥ずかしくなった。
売春や大麻、安楽死が合法で、同性愛もいち早く認めた国、オランダ。自由すぎじゃない?と思うほど、解放された国。そんな国に住むオランダ人は本当に心がオープンで、親切な人が多かった。オランダ語は英語と近いためか、ほとんどの人が英語を話せ、言葉が通じなくて不便を感じることが一切無かった。そのうえ(?)、Wifiもオープン!旅行をしていると、Wifiは結構重要。オランダではカフェではもちろん、駅や電車内、街の広場、など至る所でパスワード要らずで使うことができ、とても助かった。
江戸時代から、日本は鎖国中も交易をしていた唯一の国。
コロッケ、ポン酢、ビール、ハム、コーヒー、シロップ・・・など、何気なく普段使っている言葉もオランダ由来。
コロッケの元祖「クロケット」。オランダではパンに挟んで食べる
最近日本はオランダから「最恵国待遇」という特権が与えられたそう。オランダがこの特権を与えるのは、世界で日本とスイスだけ。日本人はオランダで労働許可なしで働ける。
(※今後変更の可能性有)
改めて見てみると、意外と日本と仲の良い国、オランダ。
日本にとってとても大切な国。あなたも一度、訪れてみてはいかがでしょうか。
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今回は、カタール航空さんからのプレゼントで、素敵な旅をさせて頂きました。
カタール航空は個人的に一番好きな航空会社。エコノミーでも機内食は美味しく、エンターテイメントも豊富でサービスも◎。ビジネスクラスは断トツ1番。(※あくまでも個人的な意見です。)
関西在住の私として、カタール航空が大阪から撤退してしまったのはかなりショックなニュースでした。それでも、東京を経由して、また利用したいと思います。
カタール航空さん、本当にありがとうございました。
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<おすすめポイント>
・キンデルダイク ★★★★★
広大な土地に大きな風車が建ち並ぶ景色を見られるのは世界でもここだけ!レンタサイクルがお勧め。
・キューケンホフ ★★★★★
時期が限られているが、春〜夏に訪れる際には是非訪れてみて欲しい。スキポール空港から直通のバスもある。
・アルクマール ★★★★
伝統的なオランダでのチーズのマーケットを生で見ることができ、またアルクマールの街自体もとても綺麗。
(2016年4月 池田郁依)
- 幸福の国で幸せについて本気出して考えてみた 〜ツェチュ祭を訪ねるブータン周遊紀行〜
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エリア:
- アジア>ブータン>ティンプー
- アジア>ブータン>パロ
- アジア>ブータン>プナカ
- テーマ:街中・建物・景色 お祭り・イベント ホテル・宿泊
- 投稿日:2016/07/13 15:54
もはや観光名所になってしまった首都ティンプーの手信号
インドやパキスタンで見られる派手なデコトラ(デコレーショントラック)はブータンにも
ルンタ(お経が書かれた旗)が張り巡らされ、異世界への入口感がプンプンするブータンの橋
このたび、ブータン出張に行かせていただくことになった。
ブータンと言えば真っ先に出てくるワードが「幸せの国」。全世界に二百カ国近くある国の中で、いきなり「幸福」を売りにしてくる国はブータンだけだろう。なんだか怪しい新興宗教のようでうさんくささ満点だが、国全体でそう言っているということは何かちゃんとした根拠があるに違いない。よし、その幸せとはなんぞやを見に行ってやろうじゃないか。そしてあわよくば自分にも幸せのお裾分けがあれば・・・。
しかも今回の目的は「見るだけで悟りが開き、御利益がある」といわれるチベット仏教の祭ツェチュを見ることで、幸せの秘密を探る準備は完全に整っている。はたして煩悩だらけの私が行っても大丈夫なのだろうか、幸せを感じることはできるのだろうか。
ブータンがいろんな意味で他に類を見ない独特の国、ということはご存じの方も多いと思うが、まず入国からしてドラマチックだった。
今回はネパールのカトマンズから空路での入国。ヒマラヤの眺望を期待して進行方向左の窓側席に座ると、狙い通り雪を被った雄大な山々が見えてくる。機内アナウンスでは、これから着陸しますよ、などの放送と同じような普通のトーンで「左手にエベレストが見えます。。」との案内が流れてきた。なんてこった、高額なマウンテンフライトもハードなトレッキングもすることなく簡単に世界最高峰が見えてしまうとは。。
これが幸せの国のオープニングなんだろうか?
左がエベレスト(世界1位)、右がマカルー(世界5位)
そして分厚い雲を通り抜けてブータン上空へ。見えてくるのはのどかな農村風景で、でかい棚田に立派な農家。都市らしきものは全然見当たらないけど、確かに平和そうだ。谷に沿っていくようにしてパロ空港へ。
ターミナルはこれまた立派な伝統建築で、日本でも有名になったイケメン国王と美人王妃の写真がいきなり出迎えてくれる。明らかに今まで訪れた国の空港とは全然違う光景だった。正直、入国するだけでこんなにテンションが上がる国はないと思う。まるでさっき通り抜けた雲が異世界へのトンネルだったかのよう。
これはほんの序章で、この入国からブータン出国まで体験したことはとにかく他国ではありえないことばかり。これまで60カ国ほど旅行した経験があるが、ここまでユニークな国は間違いなく今までなかった。そんな「ありえない」を勝手にまとめてみると、、、
・国王
ブータンの街の建物はほとんど見事な伝統建築のみで、それだけでも十分異様でスゴイのだが、さらに異様でスゴイのが道路や軒先にでかでかと国王夫婦の写真が掲げられていること。先ほど書いたように空港にも大きな写真が旅行者を出迎えてくれるのだが、それはこの国では当たり前のことだったのだ。
首都ティンプーの繁華街
「王家がずっと続きますように」と書かれた看板を見ても、どれだけ国王が慕われているか伺える
首都ティンプーへの入口。立派なゲートと国王夫妻のラブラブ看板
一歩間違えれば北朝鮮状態にも見えるが、実際国王に対する国民の信頼は揺るぎないものがある。先代の国王は「幸福の国」の由来にもなっている国民総幸福量(GNH)という概念を提唱し、自ら国王の権限の縮小を目指して立憲君主制へと移行させ、自ら現地で指揮してインド系ゲリラを国内から追放した(特にこの出来事について熱っぽく語るブータン人に何回か出会った)。現国王も2011年に新婚旅行で来日して国会で感動的な演説を披露し、日本にブータンフィーバーを巻き起こしたのだから相当な人格者なのだろう。
・食べ物
日本人にはほぼなじみがないブータン料理。実際食べてみると、「とにかく辛い!」ことに尽きる。それは唐辛子を調味料ではなく野菜として扱っているから。どの料理も必ず唐辛子が大量に入っているし、そもそも唐辛子を炒めただけという日本では絶対成立しないような料理もある。
典型的なレストランでの料理
ティンプーの市場で、唐辛子を大量に買うお坊さん
といってもさすがに旅行者向けのホテルやレストランでは辛さを手加減してくれたり、パスタのように全く辛くない料理も用意してくれるが・・・。
一番ポピュラーな料理は唐辛子とのチーズ炒めもの「エマダツィ」で、一日三食これでも普通のことだという。あとは米や野菜、チーズに加え、干し肉を食べるのがブータンの特徴。料理も食材も日本どころか周辺国とも全く違うものばかりだけど、辛いことを除けば和定食のような、どこか素朴で懐かしい味がする。
またブムタン地方は高所のため米が取れない代わりにそばが栽培されており、日本のそばと似た「プタ」やそば粉のクレープ「クレ」がある。日本のとはまた違った味だけど、今度来たときはめんつゆとわさび持参でそば打ちでもやってみたい。
そば粉クレープ「クレ」をホームステイ先でいただく
また意外かもしれないがブータン人はお酒をよく飲む。市販されているビールや、家庭で作ることが多い焼酎アラなどは旅行者でも気軽に飲める。ブムタン地方では地ビール、地ワインをつくっており、お酒好きにはたまらない。昼からビールを飲んでいる現地人もおり、アルコールに寛容な地域だと感じた。まあ確かに日本人からしても昼からお酒を飲むなんてこれ以上の幸せはない。
ブムタン地方の地ビールレッドパンダと、山椒がきいてつまみにぴったりな腸詰めギュマ
ただ標高が高い場所が多いため酔いが回りやすいので、飲み過ぎにはくれぐれもご注意を・・・。
・国内移動
ブータンはヒマラヤの山岳国で平地がほとんどなく、必然的に国内移動が大変になる。日本のような国なら山岳地域でも高速道路を通したりトンネルを作りまくったりすることもできるが、経済規模も小さいためクネクネの峠道ばかり。鉄道も現在のところまったく通じていない。
ブータンで旅行者がよく訪れるパロ、ティンプー、プナカ、ブムタンといった街をほぼすべて通っているのが国道一号線で、いわばブータン版東名高速。ところがこれが日本の林道状態のありさまで、断崖絶壁の危険な道がガードレールなしの両側一車線というのはあたりまえで、ところどころ舗装すらされていない。現地の方は今工事中で一年後には良くなると言っていたが・・・。
そんなわけで移動するだけでもちょっとハードなブータン旅行だけど、頻繁に出会う絶景が疲れを吹き飛ばしてくれる。山岳国ながら農業が盛んなブータンではありえないほど高い山の上や深い谷底にも立派な農家や見事な棚田があり、どこを移動しても全く飽きない。日本でいうと四国の山奥や紀伊半島などに似ている感じ。移動中でも、ガイドさんに頼めば気軽に好きな所で停まってもらえて写真が撮れるのもいいところだ。
プナカへ向かう途中の見事な棚田
なお一応国内線フライトもあるが天候不良でよく欠航したり、そもそも乗客が少ないとその時点でフライトがキャンセルになることもあるのだそう。やはりどんな手段を使ってもブータン国内移動は一筋縄ではいかないのだ。
・スポーツ
ブータンの国技といえばアーチェリー。民族衣装でアーチェリーを楽しんでいる姿はどこか日本の弓道に通じるものがあるけど、ルールは全く違う。的までの距離はなんと140mもあり、オリンピックに参加したブータン人選手が「的が近すぎて当たらない」という名言(迷言?)を残したこともあるとか。また一日中どころか何日間も試合が続くこともあり、的に当たると祝いの歌と踊りを披露する。なんともブータンらしいゆるゆるスポーツ。
さらに手軽に行われているのがダーツで、よく道ばたでやっているのを見かける。これも的が遠い、当たると歌って踊る、とアーチェリーとよく似たブータン流スポーツ。ブータンでダーツバーを開いたら流行るかも。
全身正装のアーチェリーに対してこちらは適当な服装でもいいようだ
ゴーイングマイウェイなブータンスポーツ界だけれど、最近力を入れているのがサッカー。一時期世界最弱といわれていたが、ここ最近はその位置を脱し最近のワールドカップ予選では日本と同じステージで戦っていた。
せっかくなので国際試合が行われる首都ティンプーのチャンミリタンスタジアムへお邪魔してみる。
伝統建築なのはここも同じで、なんとも優雅なスタジアム。いつか日本代表がここで試合するときはぜひ行ってみたい!
あ、お坊さんもサッカーを見るんだ
・テレビ
1999年以前はテレビの視聴は禁止されていたとのことで、現在もチャンネル数は少なめ。今回の旅行ではホームステイ先で見る機会があったが、ニュース番組と歌番組しか見る機会がなかった。
ニュース番組では、トップニュースはもちろん国王の一日。
また英語教育に力を入れているブータンらしく、ニュースも公用語のゾンカ語と英語の両方を流しているのが特徴。
歌番組はプロの歌手やタレントがほぼいないためかのど自慢的な番組で、これもしっかり舞台背景が国王と第一子の男の子を抱いた王妃になっているのがなんともシュール。
ただどの番組も出演者全員が民族衣装を着ているため(法律により公的な場では民族衣装を着なければいけない)、どんな番組でも時代劇か笑点に見える・・・。
しかし、ブータンのチャンネルより圧倒的に多いのが隣国インドのチャンネル。インド映画やドラマは大人気で、なんとその影響で公用語のゾンカ語よりヒンディー語の方がよく通用するとのこと。独特の文化を持つブータンでも、やはりエンターテイメント大国インドの力は大きいようだ。
・観光地
ブータンは敬虔なチベット仏教徒が多く、世界で唯一チベット仏教を国教としている国。観光地も仏教関係の寺院などがほとんど。
特にブータンならではの見どころといえるのがゾン。ゾンとはひとことで言えば城塞兼県庁兼寺院といったもので、歴史的価値があるうえにほとんどが現役の行政施設、宗教施設として使われている。
川のたもとに堂々と建つプナカ・ゾン
緑の中にいきなり現れる、軍艦のようなトンサ・ゾンを望む
チベットから17世紀に亡命してきた僧がブータンの起源をつくったといわれ、ほとんどのゾンもその時に建てられた。どのゾンも遠目からでも圧倒されるほどとてつもない存在感を放っており、内部に入ると大胆かつ緻密なつくりや鮮明な仏画にこれまた圧倒される。
またブータン人はゾンに入るときに、ゴ(男性用)やキラ(女性用)といった民族衣装に加えカムニやラチューと呼ばれる肩掛けを身につけなければならない。これをいそいそと身につけるブータン人を見ると、外国人の私たちまで身が引き締まる思いがする。
パロ・ゾンの内部
ブータンの公用語はゾンカ語だがこれはゾンで使われる言葉という意味で、また県もゾンカクと呼ばれる。それほどゾンはブータン人にとって重要なものなのだ。
またブムタン地方は国内でも数多くの古刹、名刹が集まっている地域として有名で、寺院めぐりが楽しい。
参拝者が少なくひっそりとしたチャカル・ラカン
ロダク・カルチュ・ゴンパで法要にお邪魔させてもらう
ときおり村人が参拝に来る以外は誰もおらず静寂が支配する寺院や逆にいつも僧侶でにぎわっている寺院などいろいろで、祀られている仏像も様々。ブムタンは範囲が広いので、一日かけてゆっくりまわりたい。
・・・と、この国は目にするもの耳にするもの感じるものとにかくすべてが新鮮で衝撃!確かに他の国に比べるとブータン旅行は高くするけど、こんな経験ができるだけでも十分行く価値があるのでは??
●ブータンに来たならホームステイ!ご家庭に潜入して幸せの秘密を探る
そんなユニークな国ブータンでおすすめなのが、なんといってもホームステイ!もともと宿泊施設が少なかったブータンでは旅行者を家に泊めるのが当たり前で、外国人旅行者も気軽にホームステイができる。またホストファミリーにとってもお客さんを泊めることで話し相手ができ、外部のニュースが聞けるというメリットがあるようで、ホームステイ中ガイドさんやドライバーさんとホストファミリーとの会話は絶えることがなかった。
今回はプナカとブムタンでホームステイ。
プナカでのホームステイ先は、街から30分ほどかかる人里離れた場所。「よくぞこんな所に・・・」と言いたくなる山奥に立派な農家があった。
玄関に魔除けのポ・チェン(男根)が描かれるのがブータン民家のユニークなところ
ホームステイ先の子供たちと遊ぶ
農家の周りにはこれぞザ・ブータンの絶景といった見事な棚田が広がっており、そのてっぺんには小さな寺院がある。まずは家族の方とその棚田の中を散歩。
白い旗のようなものはお経が書かれたダルシン
そしてやっぱり楽しみなのが食事。ここの田畑で取れた自家製のご飯や野菜を出してくれる。こちらも自家製のブータン焼酎アラも振る舞ってくれた。
赤米で作られたためワインのような見た目だが味は完全に焼酎。すぐ目がまわる。。
朝食はご飯やゆで卵、そしてブータンならではの特製バター茶。
ブムタンでのホームステイ先は母屋とは別に宿泊者用の建物があり、ホテルのように快適だった。
けれどやっぱりそこはホームステイ、ホストファミリーがいろいろ気にかけてくれ、言葉があまり通じなくても優しさが身にしみる。
せっかくブムタンに来たのだからと名物そば料理を出してくれたり、毎日自家製アラをいただいていたらアル中と思われたのか別れ際にボトルに詰めてプレゼントしてくれたり。
日本のそばと似ているようで全然違うブータンそばプタ(右下)
ブータン人の生活に触れ、家族の一員になったようになれるホームステイ体験は、観光よりもずっと心に残るかも。
また一般家庭で体験したいのがなんといっても石焼き風呂ドツォ。ホームステイしなくても、ガイドさんに相談すれば近くの農家などで手配してくれるはず(別料金)。一見お堅そうでも、このようにうまく融通が利く所もブータン旅行のいい所だと思う。
●「見るだけでご利益がある」チベット仏教の祭ツェチュ
今回楽しみにしていたのがツェチュ。各地の悪霊を調伏してブータンにチベット仏教を伝えたとされる僧グル・リンポチェにちなむ祭で、メインのマスクダンスはグル・リンポチェの生涯に起こった出来事をたたえたもので、この出来事がいずれも月の10日であったことから、ツェチュとは「月の10日」を意味している。
ツェチュが行われる時期は場所によって様々でほぼ毎月どこかの地域でやっているが、今回幸運なことにブムタン地方で2日連続で別々のツェチュを見ることができた。ブータンにおいてとても重要で「見るだけでご利益がある」とされるお祭だから、これでご利益も倍になったはず!
まずはチュメ谷のニマルン・ツェチュへ。
会場は寺院で、舞台を取り囲んで観客が所狭しと並んでいる。これがツェチュの即席ステージ。
まず村の女性たちの歌から始まり、すぐにマスクダンスがスタート。僧侶が奏でる音楽に合わせて、色鮮やかなダンサーがダイナミックに踊りまくる!
ここにも大きな国王ファミリーの写真が・・・
ダンサーに混じってときどき出てくるのは風変わりな仮面をかぶったアツァラ。道化の役割を持ち、観客を笑わせる強烈なキャラを持っているがここのアツァラは気合いが入りまくり。外国人旅行者を舞台に引きずり込んでダンスさせるわ、子供や犬を追いかけ回すわで観客も大喝采だった。
棒で頭を叩かれると御利益があるとか。日本でもこんな祭があるような・・・
翌日はチョコル谷のクジェ・ツェチュへ。このツェチュのメインはトンドル(大仏画)のご開帳。開帳は未明に行われるようで、会場の寺院へ着いた頃には長い行列ができあがっていて皆トンドルを額へすりつけていた。トンドルを前に五体投地をする観客もいて、彼らがどれだけご開帳を待ち望んでいたのか身にしみて分かる。
ここではニマルン・ツェチュとまた違ったダンスが見られ、大満足。いずれも会場が小さいのですぐ目の前でマスクダンスが見られ、その迫力はすごいものがあった。
お昼頃トンドルが大切にしまわれる。また来年までさようなら
けれど、ツェチュで一番印象に残ったのは精一杯のおしゃれをして年に一度のお祭りを楽しんでいる観客たち。舞台からふと周囲に目を移すと民族衣装の鮮やかな色彩や、満足そうに踊りを見つめている観客の姿が目に入って、これを見るだけでもツェチュに来て良かった!と感じた。私たち旅行者にとっては重要なイベントであるこのツェチュだけど、彼らにとっても年に一度の最高の楽しみなのかもしれない。
そんな日本昔話に出てくる世界そのものをこの目で見れたこと自体がご利益なのかも。そして、これこそが彼らにとっての幸せなのかもしれないと思う。幸せは遠い所にあるのではなく案外そこら辺に転がっている、と聞いたことがあるけどブータン人はそれを探すのが上手な民族で、それが「幸福の国」の秘密かも・・・。
自然豊かな国土と賢明な国王、謙虚で信心深い国民に恵まれた、世界でここだけの奇跡の国ブータン。この国が幸せの国と呼ばれるのは必然なのかもしれない。そんな国を旅できること自体、これ以上ない幸せなのでは。
【スタッフおススメ度】
●プナカ ★★★★
標高が低く冬も冷え込まないことから「冬の首都」として栄えた街。プナカ・ゾンはブータンのゾンの中でも屈指のイケメン度を誇る
●ブムタン ★★★★★
歴史あるお寺が多いが、街らしい街がなくのんびりした雰囲気で立派な農家が多い。ここに来たなら名物そば料理はぜひ食べたい。京都と長野を足したような感じ?
●ティンプー ★★★★
首都だが人口はたった10万人、それでも地方から来ると大都会に見える。日本では見られない食材ばかり集まる市場見学がオススメ。
●パロ ★★★★★
国内唯一の国際空港があるが、中心部は伝統建築家屋が並び宿場町のような印象。郊外のパロ・ゾンから眺める街は絶景。
(2016年7月 伊藤)
- 近代史における人間の多面性を垣間見た旅(ポーランド・ドイツ)
-
エリア:
- ヨーロッパ>ドイツ>ベルリン
- ヨーロッパ>ポーランド>ワルシャワ
- ヨーロッパ>ポーランド>クラクフ
- テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/06/23 16:16
人間一人の力には限りがあるけれど人々が集団となった場合、その可能性には無限になります。今回は良い意味と悪い意味での人間の持つ無限の力、多様性を垣間見た旅となりました。
〇ポーランド
〜クラクフ・アウシュビッツ(ビルケナウ)〜
今回の研修でまず予備知識として、ナチスドイツとヒトラーを知らなくてはなりません。独裁者でも有名なヒトラーはオーストリアに生まれ第1次世界大戦後から国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)指導者として、アーリア民族を中心に据えた人種主義と反ユダヤ主義を掲げた政治活動を行うようになりました。1933年には大統領による指名を受けてドイツ国首相となり、就任後に他政党や党内外の政敵を弾圧し、ドイツ史上かつてない権力を掌握しました。この時期のドイツを一般的にナチス・ドイツと呼びます。
ヒトラーは選民思想(ナチズム)に基づき、北方人種が世界を指導するべき主たる人種と主張、アーリア人の血統を汚すとされた他人種である有色人種(黄色人種・黒色人種)や、ユダヤ系、スラブ系、ロマとドイツ国民の接触を断ち、またドイツ民族であるとされた者でも、性的少数者、退廃芸術、障害者、ナチ党に従わない政治団体・宗教団体、その他ナチスが反社会的人物と認定した者は迫害・断種されました。
ヒトラー率いるナチス党は1939年のポーランド侵攻に始まる第二次世界大戦を引き起こし、一時的に領土を拡大しました。この戦争の最中でユダヤ人に対するホロコースト、障害者に対するT4作戦などの虐殺政策が推し進められました。
なおホロコーストとは第二次世界大戦中のナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺の事を指します。
今回の研修ではポーランドのクラクフから、アウシュビッツを訪れました。アウシュビッツはナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的なホロコースト および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所です。収容された90%がユダヤ人であった。1979年にはこのような悲劇が2度とおこらぬよう願いを込めて、ユネスコの世界遺産に指定されています。
アウシュビッツは現在博物館となっている第1収容所と2km離れたビルケナウにある第2収容所に分かれており、半日あれば両方見学することができます。博物館には当時アウシュビッツに連行されたユダヤ人のカバンや靴、頭髪などに加え当時の写真も展示されており、大変生々しいが当時の様子を伺うことができます。
特に虐殺を目的とした連行もあり、ポーランドや近隣国から収容されたユダヤ人がアウシュビッツに着くなり、男性と女性・子供に分かられ、女性・子供はすぐにシャワー室を経てガス室に連れられたといわれ、あまりにも負の展示すぎるので言葉も出ません。
見学した第1収容所のガス室はレプリカで、実際に使用されていたガス室は第2収容所であるビルケナウにあるが、ナチスドイツが大量虐殺を隠すため爆薬を用いて破壊をしたため、現在では残骸しか残っていません。
ガス室からは上階の焼却炉へトロッコを利用し死体が運ばれ、そのまま焼却されていたという。また資料としては大変少なかったが、人体実験も多くされ幼い子供たちが実験体にされていました。
ビルケナウの入り口には通称死の門と呼ばれるゲートがあり、多数のユダヤ人や政治犯が列車で連行された。現在残されるのは死の門と線路のみであるが、博物館で見た写真とリンクし当時の風景が思い浮かんでしまいます。
アウシュビッツを巡り、私はふと被害者はともかく加害者であるドイツ軍の一兵までもが、この大虐殺に心から加担していたのだろうか?と思ってしまいました。
その時に思い出した興味深い事件があります。1970年代にアメリカ・スタンフォード大学で行われた実験で、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験で、普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせるという実験で、その結果時間が経つに連れ看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明されたといいます。
ヒトラー自身は選民思想を持っていたが、その時の将校や一兵卒までもが同じ思想を持っていたとは考えにくく、もちろんトップに就く人間に考えを合わせなければ自分がアウシュビッツに送られてしまう恐怖もあったのではないでしょうか?アウシュビッツの悲劇は一人の狂信者がこのような環境を作り、集団化することで罪悪感が薄れ、虐殺をする者・される者を生んでしまったと信じたいです。
ただ世界では今もまだ戦闘や拷問、奴隷など、過去を教訓としない出来事が多発している。みんな仲良くは難しいかもしれないが、せめて人々が苦しい思いをしないよう願います。
アウシュビッツの観光への拠点に滞在したのがクラクフです。クラクフはかつてポーランド王国の首都であり、第2次世界大戦の破壊を逃れた旧市街は現在も中世の佇まいをそのまま残しており、現在世界遺産にも指定されています。
たまたまクラクフを訪れた日がイースターマンデーという祝日で、どの教会でもミサが行われ天気の良さも相まって、多くの観光客が楽しんでいました。中央広場にある聖マリア教会は1222年に建築されたゴシック様式の重厚な教会で、教会内にある祭壇は国宝にも指定されている。ミサの合間を狙って見学しましたが、この祭壇は今まで見てきた中世教会にある祭壇の中でもナンバー5に入るくらいの素晴らしい彫刻でした。
その他旧市街はヴァヴェル城や、ユダヤ人街のあったカジミエシュ地区、シンドラーのリストにも出てきたシンドラーの工場など見どころがたくさんあります。ぜひ徒歩でゆっくりと中世の雰囲気と近代ポーランドの雰囲気を味わってほしいです。
〜ワルシャワ〜
ポーランドではワルシャワ、グダンスクも訪れました。ワルシャワは第2次世界大戦の折、壊滅的な打撃を受け徹底的に破壊されてしまいました。その後市民は“ひびの1本にいたるまで”忠実に街を復元、世界遺産にも指定されています。
実際ワルシャワの旧市街地を歩くと、その予備知識がなければ第2次世界大戦で破壊されたとは思えないほど、中世の街並み感を出しています。アウシュビッツで負の可能性を見せつけられたが、ワルシャワでは人間が団結した時の良い意味での可能性を見ることができました。旧市街地には旧王宮もあり、王の寝室や王冠の間など、絢爛豪華な部屋が復元されており一見の価値があります。人気で言えば、クラクフを訪れる人が多いと思いが、ワルシャワの旧市街地を見学していただき、ポーランド人の気迫や意地をぜひ感じていただきたいと思います。
〜グダンスク・マルボルク城〜
ポーランドの北部にあるグダンスクは、ポーランドでも最も美しいといわれる街のひとつ。ワルシャワと同じく第2次世界大戦で破壊されてしまったが、現在は復興され、その当時の美しい街並みが取り戻されています。
グダンスクは中世後期に北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟であるハンザ同盟都市として繁栄し、旧市街地にはバロックやルネッサンス、バロックなど、その当時に流行りの建築様式で建てられた街並みが大変美しいです。街の中心には聖母マリア教会があり、500段の階段を上ると教会の上からグダンスクの美しい街並みを見ることができます。あいにく天気が悪く、華やかさに少しかけてはいたが十分中世の息遣いを感じることができました。
また半日かけて郊外にある世界遺産マルボルク城も訪れました。1274年に建築されたドイツ騎士団の城で、こちらもやはり第2次世界大戦で大きな被害を受けたが現在は修復され、同時の雰囲気を感じることができます。きらびやかな装飾などは一切なく、実際に使われいた城という雰囲気がとても印象的。夏のシーズンへ向けての改装や工事が行われており、通常入れる部屋に入れなかったりという事があったが、逆に隠し扉のようになっている所もありドラクエなど歴代のゲームをしてきた私には、ちいさいメダルを探すがごとく城の探索ができ大変楽しかったです。ちなみに財宝やアイテムは落ちていなかった。少し残念。
〇ドイツ
〜ベルリン〜
ポーランドは第2次世界大戦中の物語であったが、ドイツ・ベルリンは第2次世界大戦後の物語です。ベルリンといえば何と言ってもベルリンの壁ではないでしょうか?
ベルリンの壁が建築された背景は、第2次世界大戦後に勝利した連合国軍の占領下に入ったことから始まります。ベルリンは資本主義を名目とした西ドイツと、共産主義を名目とした東ドイツに分断され、共産主義を嫌う東ドイツの住民が多く西ドイツに流失したことから、東ドイツを囲う為に作られた壁をベルリンの壁と呼ぶようになりました。
そのことから冷戦の象徴とも呼ばれています。世界情勢の変化に伴い1989年に壁は崩壊しましたが、今もベルリンにはチェックポイントチャーリーと呼ばれる検問ゲート跡が残されており、近くにある博物館も併せてみるとその当時、どのような雰囲気だったかが想像できます。
お上りさんよろしく、私もついつい記念写真を撮ってもらいました。また当時国家秘密警察(ゲシュタポ)と親衛隊(SS)のあった場所は、ナチによって人々が拷問を受けた地下牢などと一緒にベルリンの壁がそのまま残されており見学することができます。ポーランドとは雰囲気がガラッと変わり、ベルリンは最新都市。博物館などを見学して、ベルリンの街を満喫してきました。
〜ポツダム〜
ベルリンから電車で約20分。ベルリンの庭とも呼ばれるポツダムも行ってみました。ポツダムは何といっても教科書に出てくるポツダム宣言が策定されたまさに歴史の場所。見どころは街中心の広大なサンスーシ公園の中にある、いくつかの宮殿です。サンスーシ宮殿は1747年フリードリヒ大王によって建てられた宮殿で、その当時の流行りの様式であるロココ様式で建てらました。宮殿の正面には階段状の温室もあり、絢爛豪華でいかにも王宮といった作りです。暖かい日差しの中公園を歩いていくと、同じくフリードリヒ大王に建てられた新宮殿も見学できます。真向かいにある重厚な建物があり、そちらが新宮殿かと思っていましたが実はポツダム大学でした。ドイツの大学生はこんな立派な建物で授業ができるなんてとてもうらやましいです。今回はクローズしていて入れませんでしたが、絵画館などもあり、1日のんびり見学したい小都市です。
〜B級グルメ・カリーウルスト〜
ベルリンのB級グルメ・カリーウルストも食べてみました。私が食べたお店はカリー36という結構有名なお店のようで、行列までは行かないもののそこそこ並んで購入しました。多めの油で焼き上げされたおいしそうなソーセージに、カレー粉と甘めのケチャップをかけるといういわゆるB級グルメです。オプションでケチャップ+マヨのポテトもつけることができます。味はおいしいです。さすがソーセージの国だけあり、なかなかのお味です。
ただ少し考えました。ただでさえうまいソーセージをこんなにジャンクにして食べる必要があるのかと・・・。
おそらくソーセージを良く食べる人が 確かにおいしいがさすがに飽きてきた→ケチャップをかけてみる→おいしいが一味足りない→さらにカレー粉をかけてみる→やるじゃん!カレーウルスト! といった感じだったのではないでしょうか?でも私個人としてはマスタードをつけザワークラウトと一緒にビールを飲みながら食べるソーセージが一番おいしいと思います。
私は中世文化が好きなのですが、中世の自体にはもちろん写真もないので文献や絵画などがその当時を知る手段となります。今回訪れたポーランドやドイツはまさに近代史の中心。
近代は写真も残されておりよりその当時の状況を知ることができます。その分逆に生々しく思うこともありましたが、すごく考えされられる研修でもありました。そういう意味では中世史も近代史も両方楽しめるポーランドは、見どころ満載ですごくおすすめです。
クラクフ:☆☆☆☆☆ 中世の街並みが綺麗に残りおすすめ。
アウシュビッツ:☆☆☆☆☆ 歴史の事実としてぜひ見学したい。
ワルシャワ:☆☆☆☆ 復興のされ具合が半端ない。
グダンスク:☆☆☆☆ ゲーム好きな方はぜひマルボルク城へ
ベルリン:☆☆☆☆ 近代都市なので食事も博物館も無難に楽しめる
(2016年3月 菅原幸介)
アウシュビッツ “働けば自由になる”
〇ポーランド
〜クラクフ・アウシュビッツ(ビルケナウ)〜
今回の研修でまず予備知識として、ナチスドイツとヒトラーを知らなくてはなりません。独裁者でも有名なヒトラーはオーストリアに生まれ第1次世界大戦後から国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)指導者として、アーリア民族を中心に据えた人種主義と反ユダヤ主義を掲げた政治活動を行うようになりました。1933年には大統領による指名を受けてドイツ国首相となり、就任後に他政党や党内外の政敵を弾圧し、ドイツ史上かつてない権力を掌握しました。この時期のドイツを一般的にナチス・ドイツと呼びます。
ヒトラーは選民思想(ナチズム)に基づき、北方人種が世界を指導するべき主たる人種と主張、アーリア人の血統を汚すとされた他人種である有色人種(黄色人種・黒色人種)や、ユダヤ系、スラブ系、ロマとドイツ国民の接触を断ち、またドイツ民族であるとされた者でも、性的少数者、退廃芸術、障害者、ナチ党に従わない政治団体・宗教団体、その他ナチスが反社会的人物と認定した者は迫害・断種されました。
ヒトラー率いるナチス党は1939年のポーランド侵攻に始まる第二次世界大戦を引き起こし、一時的に領土を拡大しました。この戦争の最中でユダヤ人に対するホロコースト、障害者に対するT4作戦などの虐殺政策が推し進められました。
なおホロコーストとは第二次世界大戦中のナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺の事を指します。
今回の研修ではポーランドのクラクフから、アウシュビッツを訪れました。アウシュビッツはナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的なホロコースト および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所です。収容された90%がユダヤ人であった。1979年にはこのような悲劇が2度とおこらぬよう願いを込めて、ユネスコの世界遺産に指定されています。
アウシュビッツは現在博物館となっている第1収容所と2km離れたビルケナウにある第2収容所に分かれており、半日あれば両方見学することができます。博物館には当時アウシュビッツに連行されたユダヤ人のカバンや靴、頭髪などに加え当時の写真も展示されており、大変生々しいが当時の様子を伺うことができます。
アウシュビッツに連行されたユダヤ人の旅行カバン
当時連行されてきた人たちの写真 死亡年月日も記載されている
当時のアウシュビッツの写真
特に虐殺を目的とした連行もあり、ポーランドや近隣国から収容されたユダヤ人がアウシュビッツに着くなり、男性と女性・子供に分かられ、女性・子供はすぐにシャワー室を経てガス室に連れられたといわれ、あまりにも負の展示すぎるので言葉も出ません。
列車で連行され、降りると男と女・子供に分けられた。
毒ガスの原材料となったチクロンB
銃殺刑場の跡
見学した第1収容所のガス室はレプリカで、実際に使用されていたガス室は第2収容所であるビルケナウにあるが、ナチスドイツが大量虐殺を隠すため爆薬を用いて破壊をしたため、現在では残骸しか残っていません。
ガス室からは上階の焼却炉へトロッコを利用し死体が運ばれ、そのまま焼却されていたという。また資料としては大変少なかったが、人体実験も多くされ幼い子供たちが実験体にされていました。
ガス室のレプリカ 800人収容できたという
焼却炉のレプリカ 死体をトロッコで運んでくる。
ビルケナウにあるナチスが破壊した実際のガス室
ビルケナウの入り口には通称死の門と呼ばれるゲートがあり、多数のユダヤ人や政治犯が列車で連行された。現在残されるのは死の門と線路のみであるが、博物館で見た写真とリンクし当時の風景が思い浮かんでしまいます。
入口の死の門から続く線路。
当時実際に使われた車両
死体が投げ込まれたとされる池
アウシュビッツを巡り、私はふと被害者はともかく加害者であるドイツ軍の一兵までもが、この大虐殺に心から加担していたのだろうか?と思ってしまいました。
その時に思い出した興味深い事件があります。1970年代にアメリカ・スタンフォード大学で行われた実験で、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験で、普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせるという実験で、その結果時間が経つに連れ看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明されたといいます。
ヒトラー自身は選民思想を持っていたが、その時の将校や一兵卒までもが同じ思想を持っていたとは考えにくく、もちろんトップに就く人間に考えを合わせなければ自分がアウシュビッツに送られてしまう恐怖もあったのではないでしょうか?アウシュビッツの悲劇は一人の狂信者がこのような環境を作り、集団化することで罪悪感が薄れ、虐殺をする者・される者を生んでしまったと信じたいです。
ただ世界では今もまだ戦闘や拷問、奴隷など、過去を教訓としない出来事が多発している。みんな仲良くは難しいかもしれないが、せめて人々が苦しい思いをしないよう願います。
犠牲者の慰霊塔
アウシュビッツの観光への拠点に滞在したのがクラクフです。クラクフはかつてポーランド王国の首都であり、第2次世界大戦の破壊を逃れた旧市街は現在も中世の佇まいをそのまま残しており、現在世界遺産にも指定されています。
中央広場にある聖マリア教会
広場には屋台も並ぶ
ヴァヴェル城
たまたまクラクフを訪れた日がイースターマンデーという祝日で、どの教会でもミサが行われ天気の良さも相まって、多くの観光客が楽しんでいました。中央広場にある聖マリア教会は1222年に建築されたゴシック様式の重厚な教会で、教会内にある祭壇は国宝にも指定されている。ミサの合間を狙って見学しましたが、この祭壇は今まで見てきた中世教会にある祭壇の中でもナンバー5に入るくらいの素晴らしい彫刻でした。
重厚な作りの聖マリア教会
絵画も素晴らしい聖マリア教会
その他旧市街はヴァヴェル城や、ユダヤ人街のあったカジミエシュ地区、シンドラーのリストにも出てきたシンドラーの工場など見どころがたくさんあります。ぜひ徒歩でゆっくりと中世の雰囲気と近代ポーランドの雰囲気を味わってほしいです。
昔のユダヤ商店を模したカフェ
ユダヤ教の教会であるシナゴーグ
旧市街地は馬車で回ることもできる
〜ワルシャワ〜
ポーランドではワルシャワ、グダンスクも訪れました。ワルシャワは第2次世界大戦の折、壊滅的な打撃を受け徹底的に破壊されてしまいました。その後市民は“ひびの1本にいたるまで”忠実に街を復元、世界遺産にも指定されています。
実際ワルシャワの旧市街地を歩くと、その予備知識がなければ第2次世界大戦で破壊されたとは思えないほど、中世の街並み感を出しています。アウシュビッツで負の可能性を見せつけられたが、ワルシャワでは人間が団結した時の良い意味での可能性を見ることができました。旧市街地には旧王宮もあり、王の寝室や王冠の間など、絢爛豪華な部屋が復元されており一見の価値があります。人気で言えば、クラクフを訪れる人が多いと思いが、ワルシャワの旧市街地を見学していただき、ポーランド人の気迫や意地をぜひ感じていただきたいと思います。
復興された旧市街地広場
旧王宮がある王宮広場
旧王宮内にある王冠の間
ショパンの心臓が埋められているとされる聖十字架教会
〜グダンスク・マルボルク城〜
ポーランドの北部にあるグダンスクは、ポーランドでも最も美しいといわれる街のひとつ。ワルシャワと同じく第2次世界大戦で破壊されてしまったが、現在は復興され、その当時の美しい街並みが取り戻されています。
グダンスクのドゥーギ広場
グダンスクは中世後期に北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟であるハンザ同盟都市として繁栄し、旧市街地にはバロックやルネッサンス、バロックなど、その当時に流行りの建築様式で建てられた街並みが大変美しいです。街の中心には聖母マリア教会があり、500段の階段を上ると教会の上からグダンスクの美しい街並みを見ることができます。あいにく天気が悪く、華やかさに少しかけてはいたが十分中世の息遣いを感じることができました。
聖母マリア教会の上からグダンスクの街を眺める
聖母マリア教会にある15世紀の天文時計
旧モトワヴァ運河
また半日かけて郊外にある世界遺産マルボルク城も訪れました。1274年に建築されたドイツ騎士団の城で、こちらもやはり第2次世界大戦で大きな被害を受けたが現在は修復され、同時の雰囲気を感じることができます。きらびやかな装飾などは一切なく、実際に使われいた城という雰囲気がとても印象的。夏のシーズンへ向けての改装や工事が行われており、通常入れる部屋に入れなかったりという事があったが、逆に隠し扉のようになっている所もありドラクエなど歴代のゲームをしてきた私には、ちいさいメダルを探すがごとく城の探索ができ大変楽しかったです。ちなみに財宝やアイテムは落ちていなかった。少し残念。
マルボルク城
マルボルク城の場内
マルボルク城の歴代城主の墓
マルボルク城の昔のトイレ
〇ドイツ
〜ベルリン〜
ポーランドは第2次世界大戦中の物語であったが、ドイツ・ベルリンは第2次世界大戦後の物語です。ベルリンといえば何と言ってもベルリンの壁ではないでしょうか?
ベルリンの壁が建築された背景は、第2次世界大戦後に勝利した連合国軍の占領下に入ったことから始まります。ベルリンは資本主義を名目とした西ドイツと、共産主義を名目とした東ドイツに分断され、共産主義を嫌う東ドイツの住民が多く西ドイツに流失したことから、東ドイツを囲う為に作られた壁をベルリンの壁と呼ぶようになりました。
そのことから冷戦の象徴とも呼ばれています。世界情勢の変化に伴い1989年に壁は崩壊しましたが、今もベルリンにはチェックポイントチャーリーと呼ばれる検問ゲート跡が残されており、近くにある博物館も併せてみるとその当時、どのような雰囲気だったかが想像できます。
お上りさんよろしく、私もついつい記念写真を撮ってもらいました。また当時国家秘密警察(ゲシュタポ)と親衛隊(SS)のあった場所は、ナチによって人々が拷問を受けた地下牢などと一緒にベルリンの壁がそのまま残されており見学することができます。ポーランドとは雰囲気がガラッと変わり、ベルリンは最新都市。博物館などを見学して、ベルリンの街を満喫してきました。
チェックポイントチャーリーで記念写真
リアルベルリンの壁
ベルリンの博物館でエジプト展を見学
〜ポツダム〜
ベルリンから電車で約20分。ベルリンの庭とも呼ばれるポツダムも行ってみました。ポツダムは何といっても教科書に出てくるポツダム宣言が策定されたまさに歴史の場所。見どころは街中心の広大なサンスーシ公園の中にある、いくつかの宮殿です。サンスーシ宮殿は1747年フリードリヒ大王によって建てられた宮殿で、その当時の流行りの様式であるロココ様式で建てらました。宮殿の正面には階段状の温室もあり、絢爛豪華でいかにも王宮といった作りです。暖かい日差しの中公園を歩いていくと、同じくフリードリヒ大王に建てられた新宮殿も見学できます。真向かいにある重厚な建物があり、そちらが新宮殿かと思っていましたが実はポツダム大学でした。ドイツの大学生はこんな立派な建物で授業ができるなんてとてもうらやましいです。今回はクローズしていて入れませんでしたが、絵画館などもあり、1日のんびり見学したい小都市です。
ポツダム サンスーシ宮殿
ポツダム 新宮殿と思いきやポツダム大学だった。
〜B級グルメ・カリーウルスト〜
ベルリンのB級グルメ・カリーウルストも食べてみました。私が食べたお店はカリー36という結構有名なお店のようで、行列までは行かないもののそこそこ並んで購入しました。多めの油で焼き上げされたおいしそうなソーセージに、カレー粉と甘めのケチャップをかけるといういわゆるB級グルメです。オプションでケチャップ+マヨのポテトもつけることができます。味はおいしいです。さすがソーセージの国だけあり、なかなかのお味です。
ただ少し考えました。ただでさえうまいソーセージをこんなにジャンクにして食べる必要があるのかと・・・。
おそらくソーセージを良く食べる人が 確かにおいしいがさすがに飽きてきた→ケチャップをかけてみる→おいしいが一味足りない→さらにカレー粉をかけてみる→やるじゃん!カレーウルスト! といった感じだったのではないでしょうか?でも私個人としてはマスタードをつけザワークラウトと一緒にビールを飲みながら食べるソーセージが一番おいしいと思います。
人気のお店 カリー36
B級グルメ、カリーウルスト。
私は中世文化が好きなのですが、中世の自体にはもちろん写真もないので文献や絵画などがその当時を知る手段となります。今回訪れたポーランドやドイツはまさに近代史の中心。
近代は写真も残されておりよりその当時の状況を知ることができます。その分逆に生々しく思うこともありましたが、すごく考えされられる研修でもありました。そういう意味では中世史も近代史も両方楽しめるポーランドは、見どころ満載ですごくおすすめです。
クラクフ:☆☆☆☆☆ 中世の街並みが綺麗に残りおすすめ。
アウシュビッツ:☆☆☆☆☆ 歴史の事実としてぜひ見学したい。
ワルシャワ:☆☆☆☆ 復興のされ具合が半端ない。
グダンスク:☆☆☆☆ ゲーム好きな方はぜひマルボルク城へ
ベルリン:☆☆☆☆ 近代都市なので食事も博物館も無難に楽しめる
(2016年3月 菅原幸介)
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