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- 『トルクメニスタンにある神秘の絶景、地獄の門とヤンギ・カラを巡る』
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- アジア>トルクメニスタン>アシガバート
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- アジア>トルクメニスタン>トルクメニスタンその他の都市
- テーマ:世界遺産 歴史・文化・芸術 自然・植物
- 投稿日:2017/01/11 16:48
「トルクメン人の家族といっしょに(メルヴ遺跡で)」
①トルクメニスタンの2つの絶景、地獄の門とヤンギ・カラ
イランとアフガニスタンの北に位置し、旧ソ連の中では最南端にあたる中央アジアのトルクメニスタンは、国土は日本のおよそ1.3倍。その大半を占めるのが広大なカラクム砂漠です。この砂漠の荒野には、世界中から観光客が訪れる神秘の絶景が2つあります。それが地獄の門とヤンギ・カラです。
どちらも見逃せない神秘の絶景、この2つの絶景を巡る旅を、存分に楽しんできました。
「天然ガスが火を噴くクレータ 地獄の門」
②カラクム砂漠の真ん中にあいた炎の大穴 地獄の門
○炎の大穴
カラクム砂漠のほぼ中央、首都のアシハバードから約260km北方、ダルヴァザというところの近く、砂漠のど真ん中に、地面が陥没してできた、直径90mにもなるような大きな穴が、ぽっかりと口を開けています。中をのぞくと、穴の底やら、側壁やら、いたる所からボウボウと音をたてて炎を上げています。穴の淵に立っているだけなのに、砂漠に吹く風がクレータの中で渦を巻き、炎に炙られ、熱風となってボクの身体を包むのです。
「あ、あ、頭が熱い!!」
○地獄の門の正体
1971年、旧ソ連による地質学調査で地中に天然ガスがいっぱいの洞窟が見つかりました。しかし、その調査中に落盤が起き、地面がドカンと陥没して直径90mにもなるような大きな穴がボッコリできました。幸い、人は落ちなかったのですが、その後、穴に落ちた動物たちがみんな穴の中で死んでしまうので、有毒ガスが出ていることが分かり、その対処のために火を点けたのだそうです。ところが、こんどはその火を二度と消すことができなくなってしまった、というのが、この地獄の門の正体です。大穴(クレータ)からは、天然ガスが吹き出し続け、その火は40年以上も燃え続けているという、他ではとうてい見られない絶景なのです。
近くに住んでいたダルヴァザの村の人々は、この炎の穴を「地獄への入り口=門」と呼んで、有毒ガスを恐れたのか、少し離れた場所に移り住んで行ってしまいました。
「カラクム砂漠の真ん中にあいた炎の大穴 地獄の門」
○他には何も無い
なので、今、クレータの周りには何もありません。見渡す限りの砂漠の中に、ただポッカリと大きな穴が空いているだけです。見物に訪れた観光客が、ひと晩をこの穴の炎といっしょに越すためのテントを張っていますが、その観光客たちが誤って穴に落ちないようにする柵もロープも、注意を促す標識も、記念撮影に欠かせない看板や記念碑も、「観光地」と呼ばれる所ならどこでもあるおみやげ屋さんや飲食物の露店も、もちろん駐車場もトイレも、な〜〜んにもありません。
「夜の闇の中で燃える地獄の門」
○夜こそが地獄の門
さて、日が傾き、砂漠を駆け抜ける風が次第に冷たくなって、空に星がまたたき始める時間になると、地獄の門の炎は、夜の闇に映えて、いっそう明るく激しく燃え上がって見えます。明るい昼間に見るよりも、夜、暗くなってからの姿の方が圧巻で、感動的ですらあるので、ぜひ夜になってからも見るべきなのですが、真っ暗な砂漠の中を車で走って帰ることはできないので、ここで夜を迎えるからには、朝まで過ごすしかありません。
と、いうことで、ホテルやロッジなどといった宿泊するための設備などあるはずもないので、多くの観光客たちは水道もトイレもないのに、ここでキャンプをしてひと晩を過ごし、朝になってから帰って行くのです。
「ボクが泊まったユルタ(モンゴルのゲル)」
ボクを案内したトルクメニスタンの旅行会社は、クレータから少し離れた場所に建てられたユルタ(モンゴルの「ゲル」、内モンゴルの「パオ」と同じ)にボクを泊めたので、夕食のバーベキューでお腹を満たした後、辺りが完全に暗くなってから、地獄の門に向かいました。
○満天の星
砂漠の夜空は、地上が暗いので、星がたくさん見えます。おまけに高い建物も山も無いので空が広い。満天の星、というのは、このことなんだなあ、と、長い間忘れていた言葉が浮かびました。
この夜は、月齢5〜6日のちょっと肥えたぐらいの三日月でしたから、月明かりもそれほどではなく、星を見るにはいい具合で、流れ星も見ることができました。
夕食の後に見た星たちは、ボクが眠っている間に夜空を回り、夜明け前にユルタから這い出したときには反転していました。北斗七星とカシオペアは北極星をはさんで逆の位置に輝き、未だ地平線の下で見えなかったオリオン座は南の高い空で他の星々を圧するほどの勇姿を誇っています。こんなに夜空の星を眺め続けたのはいつ以来だろうか・・・・・・・・。ボクは砂漠の夜明けを待ってユルタの横で立っていました。
③トルクメニスタンの首都アシハバードは別世界の街
○アシハバードは「アシカ+カバ」?
もう一つの絶景:ヤンギ・カラに行くために、まず、トルクメニスタンの首都アシハバードに向かいました。地獄の門があるダルヴァザから南へ約3時間、カラクム砂漠を突っ走ります。
「アシハバードの交差点ロータリーに立つオグズハンと周囲の兵士の英雄たちの像」
アシハバードは、日本では「アシハバード」とか「アシガバート」などと書かれていますが、現地でトルクメン人たちが呼んでいるのを聞くと「アシカバッ」としか聞き取れません。ボクの頭の中にはアシカとカバを足して2で割った動物(頭がアシカで、身体がカバ)の姿が浮かびます。しかし、この街の名前は「愛の町」という意味を表しているのだそうで、半分カバ、などと言うと叱られそうです。
○真っ白な街
このアシハバートは、1948年に大地震に襲われ、町の建物は壊滅的な被害を受けました。ですので、この町には古い歴史的な建造物は残っていません。しかも、1991年の独立以降は、中心部に次々と造られた主な建造物の外壁はほぼ全て、白い大理石張りに統一され、町の姿は一新されました。今や道路の幅は広く整備され、歩道やその外側の緑地帯も広々ととられ、道の両側に立ち並ぶ巨大なビル群はあくまで白く、整然と威容を誇っています。
「街に建つ白くて立派な大理石の建物」
「街に建つ白くて立派な大理石の建物」
「大通り沿いに巨大なビルが7〜8棟、一気にまとめて建造中だった」
市民の足の路線バスも、どこかの国のように大きな広告が描かれたラッピングバスなどありません。真っ白なボディーの大型バスが、これまた白い壁でエアコン付きの待合室を備えた(!)バス停に停まります。道に架かる歩道橋も白、アンダーパスや高架道路の側壁まで白い大理石張り、という徹底ぶりです。
「バス停も白くてエアコン付き」
「歩道橋も白くて立派」
アシハバードでは白いビルの谷間を走るクルマもまた、白いのです。自家用車であるのに、多くの人が白かシルバーを選び、青や黄色の色彩豊かなクルマはほとんど走っていません。真っ赤なポルシェや黒塗りのハイヤーなど、この町の人たちには想像もできないでしょう。
○クルマは汚れていてはいけない
さらに、この町では汚れたクルマも走っていません。首都だから、でしょうが、クルマを汚したまま走ることが禁じられていて、周辺の砂漠から市内に入るときは、洗車して泥や砂をきれいに落とさなければなりません。汚れたままだと、警官に罰金を取られてしまうのだそうです。地獄の門からアシハバードに向かう観光客を乗せたクルマもみんな、アシハバードに入る手前の村でいったん足止めされ洗車してもらっているので、客の欧米人たちが手持ちぶさたにたむろしています。国境を越えて走る大型トレーラーだって例外ではありません。でかいタイヤにこびりついた泥を全部、高圧水で落としてもらうので時間がかかりますが、省くわけにはいかないようです。
「アシハバードに入る前の村で洗車する」
○奇妙で奇抜な建造物たち
どこへ行っても、白く大きなビルディングが建ち並んではいますが、中にはときどき、奇妙な格好で思わず目が引かれてしまう建物があります。奇抜な、と言っても良いようなものがあったりもします。巨大な目玉のような室内観覧車、貝殻を合わせたようなホテル、空を串刺す塔、星形(?)の「ウェディングパレス」、ロケットみたいな永世中立塔、などなど、ただ白い建物だけの町ではありません。
「室内観覧車:ALEM(宇宙の意)」
「5つのマーク(5つの州を表す)がある空を串刺す塔」
○アシハバードの夜景
夜になると、この町の白くて巨大な、そして奇妙な格好の建物たちは、またさらに、文字通り輝き出します。
高台にある永世中立塔やウェディングパレスは五色の色彩にライトアップされます。赤、紫、黄色、と次々に色を変えて照らされるのです。
商業ビルも、昼間は白いだけだと思われた建物が、夜には色とりどりのネオンサインを点け、違う顔を見せています。
『世界最大の星形建造物』とトルクメニスタン政府が誇るウェディングパレス」(上)「Yyldyz Hotel(貝殻を合わせたようなホテル)」(左下)「室内観覧車:ALEM(宇宙の意)」(右下)
「中立広場の永世中立塔(中立門)』
街灯は道路を明るく照らし、歩道を歩いていても、俗っぽい言い方の「昼間のように」ということばが、本当に当てはまるかと思えるほど明るいのです。
石油や天然ガスを産出する国なので、発電コストが安いからこんなことができるのか、と、ゲスの勘ぐりをしたくなるほどで、高い所から見ると、真っ黒い夜の中でこの町だけがボッと明るく浮かんで見えます。
「昼、白い店舗が夜はきらびやかな色彩」(上) 「アシハバード中心部の夜景」(下)
○アシハバードは別世界
と、いうわけで、この町はトルクメニスタンという国の中でも、と言うか、中央アジア全体の中でも別世界。毎日、砂礫や枯れ草ばかりの砂漠が続き、日干し煉瓦や木材で建てられた家、のそのそ歩くラクダ、、、、という、赤茶色や黄土色だらけの色合いに慣れた目には、アシハバードという町の景色は、まばゆいほどに輝いて見えることでしょう。
○アハルテケ馬の厩舎
ところで、トルクメニスタンは優秀な「アハルテケ」という種の馬の産地としても有名で、国じゅう、どこの都市に行っても立派な競馬場が造られています。
アシハバードでは、厩舎を見学することができ、何頭かアハルテケ馬を調教場に連れてきて見せてくれます。US$10を追加で支払えば、乗馬させてもくれます。初めての人でも調教師が引いて歩いてくれるので安心ですが、馬を操ることができる人は、補助なしでもかまいません。
「馬を調教場に引き出して見せてくれる(アハルテケ馬の厩舎で)」
「毛が短い種の馬(アハルテケ馬の厩舎で)」
「毛が無い種の人(あるハゲて馬に乗る男)」
「US$10で乗馬出来る。補助なしでも構わない。」
○ニサ遺跡
アシハバードから西に15kmの郊外にニサという、世界遺産に登録されている遺跡があります。
紀元前3世紀から3世紀にかけて、今のイラン・中央アジア・アフガニスタンに広がるパルティアというゾロアスター教(拝火教)を信仰する国が繁栄していました。ニサは、そのパルティアの初期はその首都だったという都市遺跡です。王の建物の跡が砂の下から発掘され、研究・整備されて公開されています。
「ニサ遺跡 全景」
「ニサ遺跡 王の玉座があった部屋跡の柱」
④奇跡の大地、炎の渓谷、ヤンギ・カラ
「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」
○ヤンギ・カラへの遠い道
カスピ海に面したトルクメンバシの町からヤンギ・カラに行くには4輪駆動車が必須で、3時間あまり、カラクム砂漠とラクダやヒツジが草を食んでいる広大な荒野を、地平線の彼方まで続く一本道を走り続けねばなりません。カラフルな地層を持つ奇岩群が連なる雄大な大渓谷、ヤンギ・カラへ、4WDで駆け抜けるのです。少々、遠いですが、その先に広がる絶景は、遠かった道のりを一瞬で忘れさせてくれること間違いないので、徐々に近付いてくるその景色を楽しみながら進みましょう。
「地平線の彼方まで続く道のその先にヤンギ・カラが待っている」
○ヤンギ・カラって?
トルクメニスタンの国土の大半を占めるのが広大なカラクム砂漠です。この砂漠が西のカスピ海に尽きる少し前にもう一つの絶景、奇跡の大地、ヤンギ・カラがあります。
ヤンギ・カラは、太古の昔、海の底であった大地が隆起し、石灰岩が風雨によって長い長い時間をかけて浸食され形成された地形で、200mほどの高さの段丘が続いて巨大な渓谷を成しています。
「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」
「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」
「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」
この丘の壁面は、別名「炎の渓谷」とも呼ばれ、地層の赤さと、雨水に浸食された襞のような模様で、大地が赤く燃え広がっている炎のような姿に見えます。赤やピンクの色は岩石に含まれるヨウ素、白い色は石灰質の岩からできていて、その縞模様の台地が果てしなく連なって広がっています。
テーブル状の台地の上からは、360度、地平が丸く感じる地の果てまで見渡すことができ、ヤンギ・カラが地球の大自然と何億年という悠久の時間の中で、数々の偶然が織り成した、まさに奇跡の造形である、ということが感じられます。
かつて海の底であったので、そこここから、アンモナイトの化石や二枚貝の化石等を見つけることも出来ます。
「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」
「奇跡の大地、ヤンギ・カラ」
「ポキッと折れそうな岩。落ちれば奈落の底。平然と微笑むガイドさん」
「ポキッと折れそうな岩。落ちれば奈落の底。恐る恐るはしゃぐオザワさん」
⑤カスピ海に面した港町、トルクメンバシー
○ヤンギ・カラへの基地、トルクメンバシー
ヤンギ・カラへ日帰りで行くための基地となるのがトルクメンバシーという町です。
トルクメニスタンという国の西側の国境は、地球上で最も大きな湖カスピ海です。砂漠の国ですが、カスピ海に面してはトルクメニスタン唯一の港町があり、その名をトルクメンバシーと言います。この港からは、カスピ海を渡って、対岸のアゼルバイジャンの首都バクーまで行く国際航路の船も出ています。
旧ソ連時代は「クラスノボスク」と呼ばれ、独立後、独裁者として知られる初代大統領に「トルクメン人の長」という意味のトルクメンバシーと名付けられました。
「トルクメンバシーの工業地区」
トルクメンバシー付近は石油や天然ガスが豊富で、市内に大規模な石油精製工場がある工業都市でもあり、今日ではトルクメニスタンで最も大きい工業と観光の中心地の一つに発展しました。
また、カスピ海では、あの珍味キャビア(ロシア産が有名)が獲れるチョウザメ、マス、白身の魚、カスピカイアザラシなどが棲息し、何百万もの鳥が冬海岸沿いの保護区域で見られます。中にはフラミンゴやペリカンもいます。
「トルクメンバシーのバザール」
地元の人々でにぎわうバザールでは、カスピ海で獲れた魚が大量に並べられ、たくましいおばちゃんたちが勢い込んで売っています。
市の中心近くにある民族学博物館では、トルクメ二スタンの鉱物資源、カスピ海の動物群、トルクメニスタンの海運の歴史を知ることができます。
○高級ビーチリゾートのアワザ
トルクメンバシーの西側に隣接してアワザというビーチリゾートが整備されています。一つ一つが広大な敷地を持つ高級ホテルが海岸沿いに建ち並び、ビーチは全てそれぞれのホテルのプライベートビーチになっています。
「アワザのヨットハーバー」
カスピ海は湖とは言え、もちろん対岸など見えませんから、大きな波が寄せてこないことを除けば、海以外のなにものでもありません。岸辺を歩いていると、ついつい湖であることを忘れてしまいます。
広いビーチに沿って歩いて行くと、真っ白いヨットやクルージングボートが並んで浮かんでいて、リゾート気分に浸らせてくれます。
○日本兵の墓地
トルクメンバシーの、街から少し離れた場所の小高い台地の上に、
日本兵の墓地があり、墓標と記念碑が、強風の吹きすさぶ中で、静かに佇んでいます。
旧ソ連軍に捕虜にされ、シベリアに抑留された元日本兵たちが、遙か彼方、このカスピ海沿岸まで連れて来られ、過酷な強制労働に従事させられたのです。その正確な数は不明ですが、およそ1900人程度の捕虜兵がいたと言われています。彼らは、荒れた岩山を削って掘割道路を造りました。また、中心の駅前広場近くにある文化宮殿の工事にもあたったようです。
「強制労働の末斃れた抑留日本兵の墓地」
夏は50℃近い猛暑、冬は零下20℃にもなる極寒の地です。食料もロクに与えられず、つるはしやシャベルなどの簡単な道具だけを使って凍り付いた土や岩を掘ることを強いられ続け、何十人もの人がここに斃れました。無念極まりない話です。
記念碑には日本語で『鎮魂』という大きな文字と、
『望郷の念をいだきつつ ここカスピ海をのぞむカラクム砂漠に 抑留死した兵士たちよ あなたちとともに 永遠の平和をねがひ 日本とトルクメニスタンとの 友好のかけ橋ならんことを誓う』
という絞り出されたかのような言葉が、並んで刻まれています。(合掌。)
「抑留日本兵の墓地に立つ記念碑」
「抑留日本兵の鎮魂と両国の友好を誓う言葉」
この墓地からは、トルクメンバシ空港が遠望できます。この辺境の田舎町としては立派すぎる、大きくて白くてきれいな空港の建物が、暗い抑留の歴史とはあまりに対象的で、かえって余計に暗鬱な気分に襲われました。
【スタッフおススメ度】
<地獄の門>★★★★
キャンプをして夜の姿も目に焼き付けてほしいですが、冬は極寒の世界になるので不可能。良い時期に計画して下さい。
<アシハバード>★★★
なかなかこんな町にはお目にかかれない。好奇心旺盛な人には最高におもしろいかも。
<ヤンギ・カラ>★★★★★
スケールの点ではグランドキャニオンには及びませんが、一望できる限りにおいてはこの上なく雄大で、かつ、驚くべき造形です。まだ観光客に犯されていない純粋無垢な秘境。神秘性すら感じるので、おススメ度最高水準のスポットです。
<トルクメンバシー>★★★
誰もが知っている「カスピ海」の名前。でも、見たことのある日本人はほとんどいない。百聞は一見に如かず。いちど世界一の湖を見てみましょう。
シベリア抑留の元日本兵の墓地も参っていただきたい所です。特に若い人には、こんなことが本当にあったということを、ぜひ知ってもらいたいと思います。
(小澤 誠 旅行期間:2016年 10月4日から 10月13日までの10日間)
- 絶景 地獄の門とサマルカンドブルーに浸る旅
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エリア:
- アジア>ウズベキスタン>ヒワ
- アジア>ウズベキスタン>ブハラ
- アジア>トルクメニスタン>タシャウズ
- テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 グルメ
- 投稿日:2016/01/04 17:18
5月中旬、中央アジアのベストシーズンといわれるこの時期にウズベキスタンとトルクメニスタンへ行く機会が得られた。私自身初の「スタン」系。未知の世界すぎていつもより少し緊張気味に出発した。今回空路は往復タシケント、トルクメニスタンへは陸路で出入国のルートだ。特にトルクメニスタンはガイドブックの掲載ページ数も少なく、他の国よりも情報量が極めて少ないため、目に入る全てのものが真新しく、だからこそいつもの旅よりも感動は大きかったように思う。
【まさに地獄なガスクレーター編】
知る人ぞ知る、まさにその言葉があてはまる絶景ポイント、地獄の門があるのはトルクメニスタン。最近ようやくガイドブックにも登場するようになったのだが、まだ地獄の門を知る人は少ないだろう。
ちなみにトルクメニスタンからウズベキスタンに戻る際の国境で、ウズベキスタン側の入国審査官でさえ、この地獄の門の存在を知らないような現地でもまだまだマイナーな観光地のようだ。
この地獄の門は、旧ソ連時代に地下で行われていた掘削作業中に爆発が起き、それが原因で空いた穴からのガス漏れを防ぐために火が放たれたが、地下からはずっと可燃性ガスが発生し続けているために40年間以上も燃え続けているのだ。しかもカラクム砂漠のど真ん中にこの穴が存在するため、それがまた秘境感を際立てている。この地獄の門は、日本では地獄の門という呼び方をするが、現地の人々はガスクレーターと呼んでいる。
この地獄の門を見るための1泊2日だが、ほとんどが移動時間に費やされた。まず、国境での出入国審査。往復ともに約1時間半ずつはかかった。特にウズベキスタン側では荷物チェックがかなり厳しく、スーツケースを開けて荷物ひとつひとつ細かくチェックされる。
ようやく出国ゲートを抜けると次はトルクメニスタンの入国。入国審査場ですでにトルクメニスタンのガイドさんが待っていてくれ、ガイドさんに手伝ってもらいながら入国手続き終了。少しクフナ・ウルゲンチの遺跡に立ち寄り、日差しが強い中広い敷地内を徒歩で見学となる。霊廟や遺跡が点々としているため日陰がなく、一気に体力を奪われた。
頂上部が少し曲がったクトルグ・ティムール・ミナレット
面白い形をしたイル・アルスラン廟
キャラバンサライの門
その後、カラクム砂漠のど真ん中にある地獄の門まで移動となるが、カラクム砂漠横断の道路はまだ整備されてなく、かなりの悪路であった。4時間ほどの車移動の末、ようやく地獄の門周辺に到着し、まずはテントや寝袋を借りるレンタル屋に立ち寄る。そこから5〜10分で地獄の門に到着。まずは夕方の地獄の門を観賞。ゴーゴーと炎をあげ、静かに燃えている。ときどき吹く風でものすごい熱風に驚く。
そこから約500m離れた場所に、ガイドさんとドライバーさんが泊まるユルタがあり、その傍に私が一夜を過ごすテントを組み立てる。
ユルタ(右)と私のテント(左)
ユルタの内部
着いて早速夕食作りが始まり網に挟んで鶏肉を焼き、ガイドさんは素手でサラダを作る。
かなり質素だがディナーはウォッカで乾杯!
夕食後に再度夜の地獄の門観賞。夕方とは違って、空が真っ暗なで炎が際立っているためか、夜の方が迫力がある。まさに地獄への門といった感じだ。その逆に明るい時の地獄の門は、現地人がよく使う「ガスクレーター」という名の方がしっくりくる。
近くにはいくつかのテントがあったが、地獄の門を観賞している観光客はほとんどおらず独り占め状態。
少し離れてみるとこんな感じ。ここだけぽっかりと穴が空いている。周りは柵もなく看板があるわけでもない。もしも落ちたら・・と考えるだけで恐ろしい。
夜バージョン
朝バージョン
一夜明けて朝食を食べたあとに、朝の地獄の門観賞。すがすがしく今日も燃えている。
観賞後、また悪路を通り国境へ向かう。1泊2日、超弾丸ツアーだった。
【メドレセ大国 ブルーが美しいウズベキスタン】
ウズベキスタンと聞いて、最初に何を想像するだろうか。モスク、メドレセ、という言葉が出る前に私が想像したのはそのメドレセや霊廟の上のあの綺麗な青いドームだった。
どの都市を周ってもあの青いドームは存在し、いくつもモスクやメドレセを周るとどれがどれだか分からなくなる。
ウズベキスタンの代表的なメドレセはやはりサマルカンドのレギスタン広場に集まる3つのメドレセ。さすがサマルカンドブルーと言われるだけに美しく、太陽の光で更に輝いているように見える。
メドレセの外観は3つとも同じように見えるが、ティラカリ・メドレセは他の2つとは異なり、青いドームの下の礼拝所は、壁・天井が金箔で装飾されている。外観からは想像できない異空間であるが、金箔でキラキラしていてとても美しい。
メドレセ内は職人の作品がずらりと並ぶ
ブハラにはナディール・ディヴァンベギ・メドレセがある。現在メドレセのほとんどが活動しておらず、中の学生の部屋や教室は土産物屋になっているが、入口の上部分の鳳凰が印象的なこのメドレセも現在は土産物屋で埋まっている。
シーズン中は夜にこのメドレセで民族舞踊のコンサート、またファッションショーのようなショーが開催される。
民族舞踊のコンサート
ウズベキスタン流ファッションショー開催
ヒワは小さなイチャン・カラ(城壁内)に見どころが集まっていて、観光しやすい。ヒワのシンボルと言えばイスラーム・ホジャ・ミナレットだろう。このミナレットはヒワで一番高く、頂上まで登ることもできる。白・青・緑のガラス張りのモザイクの横縞模様は美しく、魅了される。そしてこのミナレットの横にもメドレセが付随しているが、やはり内部は土産物屋化している。
他に周った霊廟やモスクにもメドレセと同じように青いドームや、タイルやモザイクの装飾が施されており、どの建物も魅力的だった。
アムール・ティムール廟のブルー
シャーヒズィンダ廟群のブルー
【グルメ 番外編】
実は今回の旅で私が一番心配していたのは、食べ物だ。羊肉が現地ではよく食べられるとガイドブックに書かれていたからだ。日本でも好き嫌いがかなり多い私にとって、羊肉も嫌いな食べ物に分類され、旅をする前から少し憂鬱になったくらい。しかし実際に9日間滞在した中で羊肉は一度も出なかった。なぁーんだ、と拍子抜けしてしまいそうだが、羊肉について尋ねると、オーダーすれば出てくるが一般的には牛肉と鶏肉を食べるとのこと。
羊肉が出てこないことにホッとし、その他の料理も想像以上に美味しく結果的にグルメを楽しむ旅になって良かったと思う。
毎昼食、毎夕食の一品目はサラダ。それも一種類ではなく最低二種類、多い所で四種類出る。サラダの種類は様々で、日本でも食べるようなトマトときゅうりのシンプルなサラダだったり、ポテトが入ったサラダ、赤かぶのサラダ、お米のサラダもある。とにかくサラダの種類が多く、レストランによって出されるサラダが異なりいろいろな味が楽しめた。
トルクメニスタンのサラダ
地獄の門にて。ガイドさん手作りのサラダ
ウズベキスタンで食べた多種類なサラダ。
この毎日多種類のサラダを食べる事によって、日本で肌荒れしていたお肌が少し回復傾向に向かったのである。(残念なことに帰国後、もとの生活に戻った途端お肌ももとの状態に戻ってしまった・・)サラダは健康に良いのだなぁと改めて実感させられた。
その他、これといってウズベキスタン名物というものはないのだが、各地で食べたシャシリクや野菜スープ、ラグマンは本当に美味しかった。
トルクメニスタンのラグマン。味はピリ辛きゅうりラーメン
トルクメニスタンのシャシリク
ウズベキスタンのシャシリク
シュヴィト・オシュ。香草を練りこんだ緑色の麺が特徴的
川魚のフライ
ロシアで有名なボルシチ。鮮やかな赤色で一口目は抵抗があるが美味。
食べた料理全て載せたいぐらい、全て美味しかった。
前述の通り、私は食べ物の好き嫌いが多いので、海外に出てもその土地のグルメを楽しむために屋台に繰り出したり、B級グルメに挑戦したりする勇気がなかなかできないことが多いが今回は終始、現地の料理を楽しむことができた。
ウズベキスタンはイスラムの国だが、女性は顔を布で隠したり、男性はガラベイヤという中東諸国でよく見られる服装をしている人はおらず、日本と同じように若い女性は皆おしゃれだし、男性も自由な服装でイスラムの国というイメージが払拭された。実際に結婚式は見ていないが、これもやはり日本と同じように女性はウエディングドレスを着るのが一般的だそうだ。タシケントではデートを楽しむカップルも多く見かけた。また各地では至る所で工事が行われ、マンションやホテルなど新しい建物が続々建てられるようでかなり発展してきている様子も垣間見れた。
イスラムの国といってもかなり自由で、だからこそ旅がしやすかったのだと思う。観光途中、何度も団体の学生旅行に出くわしたがすれ違う時に「ハロー」と気さくに声をかけてくれたり、写真を求められることもありとても親しみやすい国だと実感した。
トルクメニスタンは1泊2日の滞在で、その時間のほとんどが移動時間と砂漠だったため、人々との交流がほとんどなかったが、ガイドさんをはじめ、ドライバーさんやレストランのスタッフ、砂漠泊の翌日にシャワーを浴びさせていただいた一般家庭(現地旅行社のスタッフの家)のご家族、皆親切で滞在しやすかった。
国の名前だけで危険な所だと思われがちだが、実際には想像していたようなガチガチのイスラム教ではなく、思い思いに楽しめる。おすすめの国がまた一つ増えた。
この旅行記を読んで少しでも多くの方がウズベキスタンやトルクメニスタンに興味を持ったり、旅行先の候補になれば良いなと思う。
地獄の門★★★★★ まだまだマイナーな新名所。しかし迫力は抜群!朝と夜の違いを楽しむのがオススメ。
ヒワ ★★★★★ ヒワの旧市街は、他の都市よりも小さいが見どころは負けじとたくさんある。アクシェイフ・ババの見張り台からのヒワの眺望は必見。
ブハラ ★★★★ タキ(バザール)が多く、ショッピングも楽しめる。ハマム体験も可能。
サマルカンド ★★★★★ レギスタン広場の3つのメドレセに行かずしてウズベキスタンは語れない。鮮やかな霊廟が集まるシャーヒズィンダ廟群も是非おすすめしたい。
(2015 年6月 栗山智美)
- 知られざる地球の絶景!!炎に包まれた地獄の門へ 中央アジア・トルクメニスタン周遊
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エリア:
- アジア>トルクメニスタン>アシガバート
- アジア>トルクメニスタン>トルクメニスタンその他の都市
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2014/12/26 17:40
地獄の門を知っていますか?
40年以上燃え続けている炎のクレーターがこの世にあることを私はつい半年前まで知らなかった。
存在を知ってから間もなくトルクメニスタンに行ってその地獄の門の写真を撮るという幸運な機会が訪れた。
地獄の・・という呼称が忌まわしいのか、その成り立ちから観光地と呼ぶにふさわしくないからだろうか、
ガイドブックや世界の絶景特集的な本でも見かけない。世界遺産でも何でもないので一般的な知名度は低く、
旅行業界内でも知る人ぞ知る地味な存在だ。実態は派手だが・・・
その40年以上も燃え続けるガスクレーターの姿をただひたすらに確実にカメラにおさめて無事持ち帰ること、
絶対にすべってはならないとても重要なミッション。
まずこのトルクメニスタンは入国にビザが必要。日本に大使館がないので事前にトルクメニスタン側から招待状を
取らなくてはならない。それにはホテルやガイドの手配を済ませなければならなく、やや時間もかかるので他の国と比べてちょっと面倒くさい。巷に流れる国の情報量は相対的に少ない。そこで余計な先入観はかえって要らないだろうとの勝手な判断からあまり予習せずに出発した。
空路で入る場合は成田からトルコ航空のイスタンブール乗りかえで首都のアシハバードに入るルートが早いが
今回はウズベキスタンも含んでいるので往復ソウルとタシケントを経由してウルゲンチまで行き、そこから陸路で入国する行程。ウルゲンチに到着後、半日ほどヒヴァの観光をして車でおよそ1時間、国境のある町シャバトまで向かった。
国境を越えてトルクメニスタンへ
ウズベキスタンの国境まではヒヴァのガイドがさんが一緒。
写真があれば入国の流れもわかりやすいのだがこの辺りから撮影禁止エリアになるので文章だけでお伝えしたい。
税関の書類を2枚提出したところでガイドさんとはお別れ。ゲートをくぐりしばらく歩いて次の建物でスタンプを押してもらい、さらに歩く。何度か見張り兵にパスポートの提示を求められる。これが鬱陶しい。この先は歩いても行けるらしいがゲートまでの距離感がつかめないので1ドルを払って観光客ではなさそうないわゆる地元の出稼ぎ風おばちゃんたちと乗合タクシーで中立地帯を走り、トルクメニスタンのゲートを目指す。恐らく歩けば15分はかかりそうな距離を車だと2分くらい、目指すゲートが見えてきた。現在の大統領の写真が掲げられた立派なゲートだ。地味なウズベキスタンに対しこっちは派手な印象を受ける。ちなみにこのゲートは24時間開いているということではない。きっちりお昼休みを取って午後は14時から開くので、その時間にあわせてスケジュールを組まなくてはならない。
建物の前までガイドさんが迎えに来てくれてまずはひと安心。ここでも書類を2枚書き、ビザ代として69ドルを払う。
そして待つことさらに30分。手続きに来ているのはさっきまで一緒だったおばちゃんたち3人だけのはずなのに、やけに時間がかかる。手続きが終わったら係官に呼ばれ顔をしげしげと見られる。その後荷物チェックを受け、ようやく自由になれた。結局ウズベキスタンの国境からここまで90分近くを要した。
最初の宿泊はダシュボウズという何もない、おそろしく静かな町。
ホテルは最小限のサービズが整っているレベル。ただ泊まるだけなのでこのくらいで不満はない。
トルクメニスタンでもスマフォを持っている人を多く見かけるがWIFIは首都のアシハバード以外は一切使えない。(2014年10月現在)
まだ明るいのでちょっと散歩に出てみた。交差点に掲げられた大統領の肖像画が気になる。
この国は街の至るところにこの肖像画が溢れているらしく国民のロイヤリティの高さを感じる。
世界遺産のクフナウルゲンチへ
翌朝は10時にホテルを出発。およそ1時間でトルクメニスタン最初の観光地、世界遺産のクフナウルゲンチへ。
地図で見ると国の北西部に位置する。10世紀から14世紀までの約500年、ホレズム王国の首都として栄えた
場所。モンゴル帝国の侵略とアムダリヤ川の流路の変化に伴って衰退してしまったが、当時の建物が修復されながら
保存されている。
ここでは写真を撮るために先に2ドルを支払う。
ちなみにトルクメニスタンの通貨はマナット。米ドルはレートがあまりよくないが結構使えるが日本円はX。
見どころは
1.敷地内で最も大きい14世紀に建てられたテュラベクハン廟
内部のドームは昼夜24時間を表す12個の天窓と1年をあらわす365個の星などイスラム天文学が生かされている。
2.同じ14世紀に造られた中央アジアで最も高いクトルグティムールミナレット
3.とんがり屋根が特徴のイルアルスラン廟
ここで初めて、地元の女性から写真撮影の依頼があり感激した。
もちろん断る理由などない。他の国ではめったにない依頼に素直に喜んで応じる。
ツアー3日目、いよいよダルヴァザ・地獄の門へ
クフナウルゲンチからおよそ280キロ、4時間半かけて今回の最大の目的地、地獄の門のあるダルヴァザを目指す。
目的地の近くは何もないので途中の店でビールとメロンを買いこみ、カラクルム砂漠を南に進む。
アスファルトは滑らかで道路事情は思ったより良い。カラクム砂漠は黒砂漠で一般的にイメージする砂一色の砂漠ではなく石ころが散乱している荒野といった感じ。その単調な景色を眺めながら車は1本道を延々と進んでいく。
そろそろかな、という空気が流れたあと、いきなり左に折れて小さな路へ、アスファルトから砂利に変わる。道路標識もなく、もちろんカーナビもない。なんの目印もないようなフツーの風景、もし夜中だったら絶対に間違えるであろう地味で特徴のない道をさらりとハンドルを切って進むドライバーさんは凄い。
そして走ることおよそ5分、心とシャッターの準備がないまま、“着いたよ”と知らされる。
これがそうなのか? 何もない、荒野の真ん中にポッコリと口をあけた不気味な穴、という感じ。
まだ陽が明るい時間なのでイメージしていた炎は見えなく、ちょっと拍子抜け。車を降りて近づくと炎がちらちらと目に入る。地獄の門というのはキャッチーな表現かもしれないが個人的にはあまり適切と思わないし、第一印象は
地獄と呼べるほどのものでなくあまりにも淡泊であった。 地獄と言えば閻魔大王とか奈落の底、または借金地獄といったワードが思い浮かぶ。また地獄の〇○というやや大袈裟なネーミングと炎のイメージは、私の世代のロック野郎ならKISSの一連のアルバムタイトルとジーンシモンズがステージで口から噴く炎をセットで連想するかもしれないが
それらのイメージとは真逆である。
話が逸れたがここであらためてウィキペディアなどで紹介されている地獄の門について簡単にふれてみたい。
そもそもトルクメニスタンは資源国でその天然ガス埋蔵量はイラン、ロシア、カタールに次いで世界第4位を誇る。
ここダルヴァザ付近の地下には豊富な天然ガスがあり、1971年に当時のソビエトの地質学者がボーリング調査をした。その際、偶然、天然ガスに満ちた洞窟を発見し、調査が始まった。しかしその調査の過程で落盤事故が起きてしまい採掘作業用の装置が置かれていた場所もろとも直径50から100メートルにもなる大きな穴が開いてしまった。
学者たちはそこから有毒ガスが放出されることを懸念してガスに火を放った。彼らはすぐにガスは燃え尽きて火は消えると見込んでいた。ところがガスが地下から絶え間なく吹き出るため40年以上経過した今でも燃え続けている。この学者たちの誤算によって誕生した地獄の門は天然ガスの埋蔵量を誇るトルクメニスタンの象徴となった極めて珍しい場所。のちにこのポッカリあいた穴を地元住民は”THE DOOR TO HELL”名づけた。現時点ではこの天然ガスの燃焼を食い止めることは技術的にとても困難と判断され、また天然ガスの埋蔵量自体が不明なため、今後いつまで燃え続けるのかもよく判っていない。現在でも消火するための解決手段は無く依然として燃え続けている。2010年にトルクメニスタンの大統領が現地を視察し、穴を封鎖または周囲のガス田開発のために対策を立てるように指示したという報道がある。現実的には様々な問題を抱えているらしく対策は非常に困難であるとされているがそのうち人為的に火が消される可能性が残されている。以上がネットでつかんだ知識。
これは自然と呼んで良いのか?それとも人工と呼ぶべきか? 成り立ちを調べると自然のようで人工、人工のようで自然という定義が曖昧で不思議なクレーター。
噂の通り、転落防止の柵がない。また、いわゆる警告看板もない、このほったらかされ感が良いかもしれないが
これだけの場所をほったらかしにしていいのだろうか?という疑問もわく。もし落ちたら・・・もちろん助からないだろう。ちょうど穴も開いているのでこれぞ正真正銘の穴場だ。当然だが地獄の門と呼ぶのは私たち日本人だけで他国の旅行者は皆ガスクレ-ターという。ドアトゥーヘルとはあまり言わない。ガイドさん曰く、本当かどうかわからないが過去に一度も事故や自殺などの死亡者がいないそうだ。もしそれが真実ならついでにこれも奇跡と言えるのではないだろうか?
日も暮れてきたので暖を取りながらさっそく食事の準備。
食材などバーベキューのセットはあらかじめガイドさんが用意してくれている。また、火は羊飼いのおっちゃんがセッティングしてくれる。無口だが微笑みが素敵な人。野菜はガイドさんが担当。ナスやトマトは焼いた後、すりつぶしてニンニク等を混ぜてサラダとして食べる、これが結構美味しい。
肉は鶏肉でおっちゃんが担当。素手でつかんで鶏肉を焼く、例のジューッという音とともに煙が立ちこめ一気に食欲がアップ!うーん、うまそうだ。 が、当然素手なので油が指にべっとりつく。どうするのかな?とたまたま観察していたらいきなり指をちゅぱちゅぱ舐めて次の肉をつかんでいるではないか!!いかーん!ダメダメ。これを見て一気に食欲ダウン・・・見なくていいところを見てしまった。
でもまあいいか、空腹には逆らえなのでおっちゃんの味が沁みた肉をがぶりついた。特製タレ(?)使用のためか
意外にジューシー。
皆でウオッカを飲みながらほぼ完食。
またデザートのメロンが美味い。
言葉が伝わらない不便はあるものの、目と目で通じあう、細やかな気配りと目配りを感じられてとても嬉しかった。
食後は健康のためにお散歩で、といきたいところをあえて車に乗って夜の炎見学へ繰り出す。
クレーターが近づいてくる。おっと、さっき見たのとは全然様相が違うではないか!
ついさっきは地獄というのはあまり適切でないと思ったが、これなら地獄と呼ぶに相応しいかもしれないほど
鮮やかな炎に一瞬茫然としてしまう。
そして我に返って様々な角度から夢中になってシャッターを押しまくる。
ここで偶然出会ったノルウェーから来た人たちとキャビアとウオッカで酒盛りへと展開する。
彼らは「炎に捧げる!」と叫んで持っていたぬいぐるみを谷底に投げてしまった。
名前はファティマと言っていた。彼女(?)が最初の犠牲者なのだろうか?
何故犠牲にするのか、理由を訊いてみたがなんだかよくわからない返事で未だに謎のまま。
おやすみはテントで。
寝袋が用意されているが少し寒いのでフリースをまとって就寝。
個人で来る人の中にはテントではなく、あえて炎のすぐそばで寝る強者もいるようだが自分は寝相が悪くて落ちてしまいそうで怖い。ウォッカで体が温まっていたので眠りは良かったが真夜中から明け方にかけて特に冷える。尋常じゃないのでもっと着込むか携帯カイロを持って来るべきだった。寒さと尿意で何度も目が覚める。ちなみにトイレは無い。大小かかわらずすべて堂々と”自然に済ませる”ので女性は抵抗があるかもしれない。
そして朝。日の出前に撮影がしたくて起床。目覚しをセットし忘れたがまったく問題ない。寒さと尿意で自然に目が覚める。月と炎と水平線。
このうす暗い感じが一番美しいと思った。偶然にもまだ誰もいない。この誰もいないこのエリアに一人佇むと、
月並みな表現だがまさに非日常の別世界に紛れ込んだ気分になる。
ついに夜明け。
風向きによっては熱風が顔に当たり炎を直視できない程の火力を感じる。陽炎がユラユラ見える。そこで、
煙草に火がつくかどうか、実にくだらない実験をしてみた。
かなり熱いと感じる位置に移動して挑戦したがダメだった。尤も煙草に火がつく=マユゲも焦げるはずだからそれはそれで危険な行為だ。
奈落の底に落ちる手前の写真。
誠に不謹慎ながらこのように今は観光地(?)として楽しめても、そのうち政府が本気になって対策を講じたら周囲は立ち入り禁止になるだろう。また、ガスの埋蔵量自体が不明であるなら、逆に考えるとそろそろガスが切れる可能性もあるのではないかと、つまりいつ行くの?今でしょ!ということになる。
この他、近辺には姉妹スポット(?)としてバブルクレーター
とウォータークレーター
もあるので見逃せない。なぜかこっちには柵がある。バブルクレーターは硫黄の匂いが少々きつい。
この2つは間違いなく暗ければ落ちる。地獄の門と違って柵のある理由をガイドに訊いてみたが知らないとのこと。
ただ単に灯りがないので暗い真夜中に落ちないために、なのだろうか?
白い首都・アシハバードへ
翌朝トルクメニスタンの首都であるアシハバードを目指して南下。ダルヴァザからは260キロ、車でおよそ3時間半かかる。1991年にソビエトから独立してからニヤゾフ初代大統領によって白亜の大理石の街へと変貌を遂げたため、旧市街や古い遺跡は残っておらず、綺麗で近代的な建物が多い。ゴミ1つ落ちていないほど清潔で、造られた白い都市といった印象を受ける。ちょっとドーハに似ているかもしれないと感じた。
1.その大統領が家族のために建てたトルクメンバシーモスク
2.トルクメニスタンは永世中立国。それを記念して造られた高さ75メートルの中立の塔
街中には大統領の肖像、初代大統領の黄金像などをいたるところで見かける。残念ながらところどころ撮影が厳しく、それを監視する警官が随所に立っている。車窓から撮影しているところを見つけられるとドライバーが罰せられる、
なのでドライバーからはその都度注意をされる。つまり街歩きには適さない空気をひしひし感じる。
迂闊にシャッターが押せなく、いたるところに監視の目が光っている。そもそも出発前のインビテーションの申請からビザの取得に至るまで訪問客にはややうるさい、これがリトル北朝鮮と揶揄されるゆえんなのだろうか??
今回の旅の中で最も料理が美味しかったのはこのアシハバードでのランチ
ビール1本8ドルと、東京ドーム並みのボッタクリ感があるが、料理のレベルはそれに比例して高い。
ちなみにトルクメニスタンもウズベキスタンもビールの相場は1本3ドル。現地通貨で買えば円換算で200円くらいになる。
市内観光は簡単に済ませて、郊外にある人類最古の農耕集落のひとつと言われるアナウ遺跡へ。
ここは15世紀頃に城塞都市として栄えた。
20世紀の初頭に、紀元前3000年ごろから人類が定住していたのではないかと推測される彩文土器が見つかったことから人類最古の農耕集落の一つとされている。
1948年の地震で倒壊してしまったセイットジュマールアッディンモスクは鮮やかな青のタイルが特徴。
中央アジア最大の遺跡・メルブ遺跡へ
アシハバードの空港からトルクメニスタン航空の国内線に1時間ほど乗ってマーリへ到着。そこから車で40分くらいのところにメルブ遺跡がある。この遺跡も世界遺産に登録されている。ここはかつてペルシャと中央アジアを結ぶシルクロードの中継点として栄えた町。古い町が捨てられると隣接して新しい町が造られた経緯からそれぞれの異なった
時代の町跡がまとめて見られるのが特徴だ。
1.メルブ最古の場所であるドーナツ型のエルクカラは紀元前6世紀から4世紀頃のもので城壁の一番高い所から
360度の展望が楽しめる。
2.南方のギャウルカラ。世界最西端の仏教遺跡がありソロアスター教、キリスト教、イスラム教、仏教が共存したことが分かる。
3.中心のスルタンカラにあるスルタンサンジャール廟。11〜12世紀にトルコ系民族のセルジュク朝の
あった場所でこれはその時代の最盛期の王の霊廟
4.南西に聳える大小2つのキズ・カラ、残念ながら修復中で綺麗に撮れない。大きい方が乙女の城、
小さい方が男の城と言われている。
嬉しいことにここで地元の子供たちに取り囲まれる。一人ずつ個別に撮影と握手したので時間がかかった。握手会でファンと接するタレントの気分ってこんな感じなんだろうか?日本では起こりえない出来事に感激した。
その中に極真空手を習っている少年がいて実演してくれた
再び国境を越えてウズベキスタンへ
マーリから車でおよそ5時間。トルクメンバードを越えて、ウズベキスタとの国境のあるファラブを目指す。
ドライバーさんとガイドさん
この道は4年前に間寛平さんがアースマラソンで走り抜けたらしく偶然にもこのドライバーのお兄さんが滞在時のお世話をしたらしい。ウズベキスタンーカザフスタンーキルギスー中国へと、普通の旅行でも体力が要るのによくあの年齢で走ったと、あらためて凄いと思う。
トルクメンバードの国境から出てウズベキスタンに再入国。このためにビザはダブルエントリーを取っておいた。
国境のイミグレーションは3か所あるらしい。出るのは入った時と比べればいたって簡単。ウズベキスタン同様、
税関の申告書を2枚書いて並ぶ。ここからが長い。一人一人丹念にパスポートチェックをされる。そして
ここでガイドとお別れ。その後は今度こそ歩いて行こうかと考えるも距離が測れないので1ドルの乗合タクシーをチョイス。フランス人のおばさまたちと一緒に中立地帯を走る。1分くらいで車を降ろされたので着いたかと
思ったがただの乗換え。またまた鬱陶しいチェックを受けて別のタクシーに乗り換え、これまた1ドル払う。
ようやくイミグレーションが見えてきたが、誰もいないっ!!田舎のお店のように「ごめんくださーい、誰かいませんかー?」的な感じで声をあげると奥から眠そうな若い女性が出てきて申告書を書けとジェスチャーで命令してくる。素直に従って記入してパスポートを見せる。これまたやる気のなさそうなおにいさんが入国スタンプを押して、荷物チェックへ。くぐり抜けたところでさっきのおねえさんが堂々と寝ている!そっと入国してもおそらく気づかないほどの熟睡ぶりに驚いた。他ではありえないようなことがおそらく日常平然と行われているに違いない。
その後、無事にガイドとミートしてブハラに滞在し、シャルク号に乗ってサマルカンド経由でタシケントへ戻り帰国。
あっという間の9日間であった。やはり早朝の地獄の門の光景が瞼に焼き付いて離れない。
人の写真を撮るのはかなり積極的なのに自分の絡んだ写真となるとやや消極的。もっと自分が地獄の門にいたことを証明する写真を色々な角度から撮っておけばよかったと大いに後悔している。
最後まで読んで下さった方へ
中央アジアに初上陸して一番感じたのは人がやさしいことです。写真撮影も気軽に応じてくれますし
これほどいい気分になれる国も珍しいです。治安面も全く問題ないので安心して旅行できると思います。
地獄の門はいつ消えるかわからない、またいつ政府が対策を講じるかわからないので少しでも興味を持たれたら早めに行くことをお勧めします。そして行くなら昼ではなく是非テント滞在で夜を過ごしてください。
昼間は地獄とは呼べません。地獄体験は真夜中から早朝にかけてがベスト、その炎が織りなす光景は圧巻で感動的です。是非一人でも多くの方にこの感動を体験していただきたいと思います。
【スタッフおススメ度】
<地獄の門>★★★★★
行くなら泊まりで。深夜から早朝がベスト。
いつ消えるかわからないので思いたったらすぐにでも!
<メルブ遺跡>★★★★
中央アジアで最大の遺跡。
エルクカラに登り、城壁の一番高い所から
360度の展望が楽しめる!
<クフナウルゲンチ>★★★★
ホレズム王国の都として栄えたシルクロード最大の都市。
高さ67メートル、中央アジアで最も高いクトルグ・ティムールミナレットは必見!
2014年10月 櫻本竜市
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