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- かつての栄光の街・サンクトペテルブルグ・ビリニュス・リーガ・ミンスクを訪ねて
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エリア:
- ヨーロッパ>ベラルーシ>ミンスク
- ヨーロッパ>リトアニア>ビリニュス
- ヨーロッパ>ロシア>サンクトペテルブルグ
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/10/25 14:39
ペテルゴーフ宮殿の噴水
かつてはロシアの首都・サンクトペテルブルグ、かつてはリトアニア大公国の首都・ビリニュス、かつてはロシア第三の都市・リーガ、そしてかつてはメネスクの名でバルト海と黒海を結ぶ貿易の中心地・ミンスクを訪問した。
イスタンブール経由で最初の訪問地サンクトペテルブルグに夕方到着。明日からはガイドさん付の観光はあるものの、少しでも街を見ておこうと気がはやる。やはり何と言ってもエルミタージュ美術館の姿だけでも見ておきたいと寒い中、街に出た。それは広いスペースの宮殿広場を真正面に、左にエルミタージュ美術館、右に旧参謀本部、何かこみ上げてくる充実感。ここはこの街の中心、観光の出発点だ。
広々とした宮殿広場とエルミタージュ美術館
宮殿広場と旧参謀本部
宮殿広場にいる記念撮影のためのモデルさん(1ショット5ドルでした)
入館は明後日にして、宮殿橋を渡ると、この街が港街であること、昔は沼沢地であったことが偲ばれる。元に戻ってネフスキー大通りを散歩すると、街の両側には由緒ある建物がこれでもかと並んでいる。ビックリするほど人も多く圧倒されそうだ。ここが本当にロシアなのだろうか。まるでパリかロンドンのようである。
ネフスキー大通りの夜景
最初の晩は有名なレストラン「文芸カフェ」で名物「ボルシチ」と「ビーフストロガノフ」を楽しんだ。もちろん本場の料理の味は最高。
ロシア料理・ボルシチ
ロシア料理・ビーフストロガノフ
2日目の午前中は市内から約1時間の所にある、有名な「エカテリーナ宮殿」を観光。
1724年にピョートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建てられたこの青い塗装のロシア・バッロク様式の宮殿は豪華そのもの。建物内部の大広間、琥珀の間、絵画の間、緑の食堂、青の客間等とその贅沢さにため息がでる。公園も宮殿に劣らぬ美しさ。浴場や小宮殿、橋やモニュメント、彫刻が点在している。
エカテリーナ宮殿の外観
エカテリーナ宮殿の内部
エカテリーナ宮殿の公園
浴場
午後は、噴水と庭園と宮殿のアンサンブルのペテルゴーフ宮殿を訪れる。やはりここもピョートル大帝によって1714年に建設が開始された。大宮殿の中は残念ながら撮影禁止だがその内部はエカテリーナ宮殿にも負けない豪華さ。ここの噴水は私がこれまで見た中で最も美しい。やっと晴れた青空に映えて、黄金の輝きの水を噴き上げている。大滝だけでも37の銅像、64の噴水、142の噴出し口がある壮大なスケールだ。
ペテルゴーフ宮殿と大滝
ペテルゴーフ噴水
ペテルゴーフ噴水の銅像
ペテルゴーフ噴水の運河が海に向かって続いている
3日目はサンクトペテルブルグの街歩き。かつての帝政ロシアの首都であったサンクトペテルブルグには数え切れないほどの宮殿・教会がある。どこを歩いても他の町では名所となるものばかりなので焦点を絞って回りたい。先ずは町全体が見渡せるイサク聖堂の展望台に登って町全体を見渡すことにした。建物も40年もかけて建てられた世界でも有数の荘厳たる聖堂だ。
移動は地下鉄利用
地下鉄の切符も簡単に買えます
雨の中のイサク聖堂
豪華なイサク聖堂の内部
見事なステンドグラス
イサク聖堂の展望台からの遠景
イサク聖堂の展望台からの眺め
展望台までは階段を登らければなりません
次にメインストリートのネフスキー大通りを歩いて、両側にある由緒ある建築群を見ながらウインドーショッピングやピープルウオッチング。仕上げは通りから少し北に入った所にある純ロシア風教会の「血の上の救世主教会」を訪れた。
ネフスキー大通り
血の上の救世主教会
きらびやかな血の上の救世主教会の内部
本日のメーンイベントは世界屈指の美術館の一つであるエルミタージュ美術館。サンクトペテルブルグを訪れる人は必ず行くと言っていい。収蔵美術品は約300万点。展示室を歩いて回ると20キロメートル以上に及ぶ。エルミタージュの意味は「隠れ家」だが、当時のエカテリーナ2世がこっそり自分自身のために楽しんでいた館が、今では壮大な美術館に変身した。建物は4つに分かれているが、それぞれ廊下で繋がっているので見学するときは気づかず歩いている。先ずは宮殿装飾そのものに圧倒され、イタリア、フランドル、オランダ、スペイン美術と名作が揃っている。
エルミタージュ美術館の内部
豪華な宮殿装飾
レンブラントの名作「ダナエ」
最近の人気エリアは近代美術が展示されている旧参謀本部新館だ。モネ、セザンヌ、ゴーギャン、マテイス、ピカソ、ゴッホ、ルノワール、アンリ・ルソーが一挙に見られる必見の館である。
モダンな新館(旧参謀本部内)
ルノワール「扇子を持つ女」
マティス「ダンス」
チャールズ・ホフバウアー「In London 1907」
セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」
エドガー・ドガ
ゴーギャン「果実を持つ女」
ピカソ 「Dance with Veils」
サンクトペテルブルグを去る前に、ロシア美人を紹介。
美人揃いのガイドさんたち
レストラン・カチューシャの可愛いメイドさんたち
4日目は早朝2時半にホテルを出発して、飛行機にてリトアニアのビリニュスへ向かう。
世界遺産のビリニュスの旧市街を回るには、先ずは町の全貌が見渡せる北の端にあるゲディミナス城の登ってみるのが定番のようである。石畳の回り階段を登りきると、カトリック特有の柔和なバロック建築の多い和やかな町が一面に見えてくる。
ゲディミナス城の塔
ビリニュスの街の眺め
ビリニュスの街の眺め
反対側は新市街だがこちらも整然としてきれいな町だ。
新市街の遠景
この旧市街の景色を頼りに下に降りていくと、見事な大聖堂、王宮、カテドゥロス広場がある。
カテドゥロス広場と大聖堂とベルタワー
王宮
さらに南に下ると有名なビリニュス大学が見える。中も見学可能だ。
ビリニュス大学と聖ヨハネ教会
ビルニュス大学構内
道を左に折れると、かのナポレオンが自分の国に持ち帰りたいと言ったゴシック造りの聖アンナ教会にぶつかる。
聖アンナ教会
聖アンナ教会
城から見える聖アンナ教会の遠景
通りに戻り、さらに南下すると町に中心の旧市庁舎と市庁舎広場にあたり多くの人で賑わっている。
市庁舎広場
市庁舎
市庁舎広場に集う市民の皆さん
聖カジミエル教会の前での結婚記念撮影
さらに行くと旧市街の南端「夜明けの門」に突き当たる。歩いて回るのに丁度いい広さの町だ。
夜明けの門
街のいたる所で結婚式(今日はおめでたい日かも)
5日目は専用車でカウナスの街にある「杉原記念館」を訪れる。ビザを発行して多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝の実際の職務室や写真を見ると、尊敬の念と感謝の気持ちが沸き起こってくる。日本人の誇りである。
杉原記念館
杉原記念館
杉原ご家族
通過査証
午後はシャウレイの街の北東約12キロメートルにある、「十字架の丘」を訪れる。それは遠くからみるとまるで小山のように見える。大小無数の十字架が建ち並び、積み重ねられて丘を形成している。神聖さと荘厳さを感じさせる異空間だ。
十字架の丘
十字架の丘
十字架の丘
6日目はラトビアの首都リーガの旧市街巡り。リーガはバルト3国の中での最大の都市。世界遺産の旧市街は見所満載だ。先ずは聖ペテロ教会の123mの塔(展望台は72m)に登り、町全体を見渡してみる。9ユーロの入場料はいささか高いと思ったが、元は十分は取れた。数多くの教会、ハンザ商人の商家、市庁舎など所狭しと並んでいる。新市街とのバランスもいい町だ。
聖ペテロ教会
リーガの街の遠景
リーガの街の遠景
リーガの町並み
次にリーガを代表する建築・ブラックヘッドの会館へ。大時計や数々の彫像、レリーフが美しい。
ブラックヘッドの会館
ブラックヘッドの会館
市庁舎
市庁舎の脇を抜けて行くと、街の中心・ドゥァマ広場には沢山の人が溢れており、その前にバルト3国最古の教会「リーガ大聖堂」がでんと構えている。高さ90mの塔を持つ教会はその威厳を今も放っている。
リーガ大聖堂とドゥァマ広場
リーガ大聖堂のライトアップ
三人兄弟の家や趣のあるトゥルァクシュニュ通りには城壁が残り火薬塔へと続いている。
城壁
トゥルァクシュニュ通り
火薬塔
三人兄弟の家
リーヴ広場の北側の建物の屋根の上に伸びをする猫が見えるのが通称「猫の家」だ。今も悪いねずみを屋根の上から見張っているかのようだ。
猫の家
「猫の家」の屋根の上の猫
リーヴ広場
屋根の上ばかり見ていたら、いくつもの風見鶏を見つけることができた。
屋根の上の風見鶏
屋根の上の風見鶏
屋根の上の風見鶏
屋根の上の風見鶏
旧市街と新市街の境界にある自由記念碑塔
ビルセータス運河の公園
7日目はベラルーシのミンスクへ。この日は近郊の2つの世界遺産、ミール城とニャースヴィシュ宮殿を訪問。ミール城は16世紀前半に、地元の有力者ユーリ・イリイーニチによって築かれた中世の城である。緑豊かな公園と湖に囲まれ、のどかな景色とレンガ色の城が調和した人気スポットだ。2,000年には世界遺産に登録された。5つの塔はそれぞれ異なったデザインで建てられているが形状はほぼ同じ。可愛いゴシック様式の城だ。
ミール城
ミール城
ミール城内
ミール城内部
湖とミール城
ガイドのユリヤさん
ミンスクから南西約90キロメートルにあるニャースヴィシュ宮殿は2005年に世界遺産に登録された。16世紀にリトアニア大公国の最高実力者ラジヴィル家の富と名声を誇示するために建設が始まった。以降1939年にソ連の侵攻によって追放されるまで改築が繰り返された。今は博物館となり、当時の豪奢な内部を回覧できる。この宮殿(城)の立地環境は実に見事だ。ゲートから700〜800m続く道は両側の池に囲まれ、訪れる宮殿に対する期待を膨らませる。その池はまるで魔法のように空の雲を池面に映しだし、絵画そのものだ。城も堀に囲まれ、美しい姿を際立たせている。
ゲート
逆さ絵の池
こんなきれいな池に囲まれている
ニャースヴィシュ宮殿
ニャースヴィシュ宮殿
ニャースヴィシュ宮殿
ニャースヴィシュ宮殿
ニャースヴィシュ宮殿
ニャースヴィシュ宮殿
ニャースヴィシュ宮殿内
ニャースヴィシュ宮殿内部
ニャースヴィシュ宮殿内部
ニャースヴィシュ宮殿と私
最終日はミンスクの街の観光。ベラルーシ共和国の首都・ミンスクは第2次世界大戦によって破壊されたが、旧ソ連風の町並みにすっかり復興された。印象はやはり機能的なクールな整然とした感じを受ける。10月広場や勝利広場はその代表といえる。
ミンスクの町並み
10月広場
勝利広場
一方で、レーニン通りにあるフリーダムスクウエア(通称、歴史センター)はヨーロッパ的な雰囲気が味わえる地区だ。旧シテイホール、聖霊大聖堂を中心にレストランやパブなど大いに観光客で賑わっている。
フリーダムスクウエア
旧シテイホール
聖霊大聖堂
象徴の市長像は大人気(触ると願いが叶うと言われている)
ガイドのダーシャさん
私も真似をして
近くのトラエツカヤ旧市街区も戦前の家々を復元した一画だ。石畳の小道でつながれ、民芸品や薬局など点在し、散歩に最適だ。スヴィスラテ川の中程にはアフガニスタン出兵慰霊碑「涙島」もある。
トラエツカヤ旧市街地区
トラエツカヤ旧市街地区
トラエツカヤ旧市街地区
涙島
3日間お世話になった親切なドライバー「ニコラ」さん
冒頭のコピーでかつての街などと、4つの街を過去の街のような表現をしてしまったが、大きな間違いだった。美しい町並み、歴史を感じさせる町並み、中世ヨーロッパを思い起させる建物群、教会、大聖堂、美術館等、それでいてそれぞれの街に特徴がある。再訪する時があったら選ぶのに苦労するに違いない。
2016年9月20日〜29日
本山 泰久
おすすめポイント
*サンクトペテルブルグ ★★★★★ エルミタージュ美術館、聖堂、教会、美味しい料 理。言うこと無しの街。
*ビリニュス ★★★★ カトリック特有の柔和なバロック建築の多い和やかな街
*リーガ ★★★★★ 活気溢れる新旧入り混じった歴史の街
*ミンスク ★★★★★ ヨーロッパとロシアの中間の匂いがする不思議な街
- 〜夏の旅に『ロシア極東&シベリア』がオススメ!!世界遺産バイカル湖とシベリア鉄道も楽しむ旅〜
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エリア:
- ヨーロッパ>ロシア>イルクーツク
- ヨーロッパ>ロシア>ハバロフスク
- ヨーロッパ>ロシア>リストビヤンカ
- テーマ:買物・土産 世界遺産 自然・植物
- 投稿日:2016/01/04 17:40
海の様に大きいバイカル湖
『日本から一番近いヨーロッパ』、それだけ聞くととても素敵なところに思えるロシア極東の町と『シベリアのパリ』と呼ばれるイルクーツクのあるシベリアへ行く機会がもらえた。確かに初夏が近づくとウラジオストク行きの問い合わせが増える。一体何があるのか?長年謎だったのが、ようやく解る事になるのだ。
今回の旅程はウラジオストク→ハバロフスク→イルクーツク。メインは、シベリア鉄道乗車、バイカル湖でアザラシ探索である。世界一最古の世界一深い湖でアザラシは見つかるのか?
イルクーツクの旅行者像
今回は羽田発の大韓航空でウラジオストクに向かうことになった。朝6:25発の飛行機、空港集合4:25。普通に電車なし。タクシーで行くかと思うも、タクシーと同じ位の値段で泊まれる羽田空港内のホテルを知り、こちらに泊まってみることにする。羽田空港ターミナル内にある『ファースト・キャビン』はカプセルホテルの高級版。シングルの場合ホテルだと割高だが、こちらはシングルのみなので使いやすい。早朝から国際線へのバスもあり、予約すれば起こしてもらえる!これで羽田空港の早朝便も問題なし。
ファースト・キャビンの各部屋
大韓航空で仁川空港へは約2時間、乗り継いでウラジオストクまで約2時間、あっという間にロシアに到着した。成田から直行便でいくよりは遠回りになるのだが、それでも近い。
ウラジオストク空港
空港からウラジオストクの市内までは車で約1時間。到着するまで町らしきものはなし。長閑である。
市内に近づくとようやく建物が見られ始め、と、そこがもう市内。賑わうエリアはそんなに広くない様だ。
今回のホテルはアジムトのウラジオストク館。最近経営が変わり、リニューアルオープンしたばかりで、モダンなインテリアと生まれ変わって快適なホテルとなった。
モダンなインテリアのアジムトホテル
シトシト雨の中、プラプラ町を歩いてみる。ソ連時代のウラジオストクの町は知らないが、恐らく閉鎖的だったのだろう。お店が外から見たら何屋さんなのかさっぱり見えない。しかもキリル文字、見当もつかない…。少し絵が書いてあると判断つく程度。
それでも町はヨーロッパの様な趣のある建物が建ち並び、あぁロシアに来たなぁと静かに感じた。
ヨーロッパの町並み
何時頃日が暮れるのか、夜の町の様子が解らないので、とりあえず早目の夕食。ホテルから徒歩圏内の『グートフ』でペリメニ(シベリア風水餃子)とスモークチーズフライをビールと共に頂いた。
翌日はウラジオストク思いっきり市内観光!見るものあるのか?と疑っていたが、これがなかなか楽しい1日だった。
まず美人のガイドさんが連れて行ってくれたのはシコータ半島。半島の最先端。ここアムール湾でゴムボートでニシン釣りをする人がいる。冬の間は何と一面氷が張るそうだ。3月終わりにようやく溶け始めたとのこと。さすが極東。湾と言っても対岸がほとんど見えない。
アムール湾
次に市内中央の広場で開かれている市場へ。暖かくなるとウラジオストク近郊でも野菜や果物が採れる様になるので、それを週末に売りにくるのだ。トマトやネギ、玉ねぎ等の野菜や、この時期だけのイチゴ、カボチャで作った農家自家製ジュース、ニシンやサーモンの魚、ソーセージ、チーズ、と一通りの生鮮食品が並ぶ。天気もいい週末でとても賑わっていた。このマーケットは極寒の冬の間は開催されない。
暖かい季節にしか楽しめないのが、もう1箇所。スポーツ湾に沿ったプロムナード&ビーチである。ここでは音楽が流れ、屋台では綿あめやアイスクリームが売られ、人々が短い夏を満喫しに集まる。子供達はすでに海に飛び込んでいた。この場所にいるだけで、夏を一緒に歓迎したくなるだろう。そしてこの海も同じく冬には一面凍るのだ。
市内には博物館もいろいろある。潜水艦博物館、要塞博物館など興味があれば行ってみると以外に面白い。
潜水艦博物館
要塞博物館
ウラジオストクの姿を上から眺められる鷲の巣展望台もおすすめ。優雅な黄金橋、軍港に係留されている勇ましい姿の軍艦、ウラジオストク駅が一望出来る。なかなか見事な景色だ。何組かの結婚式のカップルが来ていて写真を沢山撮っていた。どうやら結婚式での定番スポットらしい。ちょっと微笑ましい。
鷲の巣展望台
結婚式の撮影会
今日は午前中より徐々に天気が良くなってきたからか、町の様子が明るく見えてきた。お店も色々目にする事が出来たし、人々が楽しそうにしていたのが何よりウラジオストクのイメージを好転した。
ランチはノスタルギーナで。ロシア名物ボルシチとビーフストロガノフを頂いた。ここはデザートとピロシキも美味しいらしい。
ビーフストロガノフ
夜21時ウラジオストク発シベリア鉄道『オケアン号』でハバロフスクへ向かう。30分前にホームに行き自分の乗る号車入口前で待っている女性車掌さんにパスポートを見せて乗り込んだ。
シベリア鉄道『オケアン号』
私の席は2等4名のコンパートメント。座席の下にはスーツケースも収納出来るが、狭いので開ける事は出来ない。この夜行1泊の列車利用の場合は乗車前に着替え等も終えておくのがベスト。また、同じコンパートメントの人の消灯が意外に早い場合があるので、夕食も済ませておくといい。ウラジオストクからハバロフスクへ向かう場合、廊下側の窓からアムール湾の夕陽が見られる。6月で日没は21時半頃だ。椅子の背もたれを倒すとベッドになり、シーツや枕は既にセットされている。硬いベッドで寝心地は悪いだろうと思っていたが、意外に寝心地はよく、列車の揺れに体を任せていつの間にか寝てしまった。
4名コンパートメント
お湯は自由に使える
アムール湾に夕陽が沈む
翌朝、何となく早目に目が覚め、窓の外を見るとちょうどロシア極東の広大な大地に朝日が昇り始めた頃だった。
列車から見る日の出
もう一度寝てしまったのか、到着1時間前に車掌さんが起こしに来てくれて目覚める。あっという間にハバロフスクに到着だ。
ハバロフスクはアムール川河岸に広がる極東ロシア中心の街だ。緑豊かな街並みで道端が広いせいかゆったりした印象だ。また、街に沿うように流れるアムール川が広大でそのスケールに圧倒される。さすが極東ロシア。
ハバロフスク市内には観光名所はそれほどない。公園や広場や教会をゆっくり散策するのがいい街だ。
今回訪れたちょっと変わったところを紹介すると、
●○子供鉄道○●
11〜17歳の子供達が実際に鉄道運営の体験を行える子供鉄道。実際に子供達が鉄道の連結や、車掌の仕事を行い、その列車に乗客として乗車する。線路は住宅街を走り、短い時間だが意外に楽しめる。
●○アムール川クルーズ○●
これは夏にハバロフスクに来たら外せない。広大なアムール川を遊覧船に乗って約1時間のクルーズ、風を切りながら走るのは最高に気持ちがいい。
●○中央市場○●
屋内屋外とに店が並ぶ市場。屋内は肉や魚、チーズ等の生鮮食品が売られ、屋外には野菜や果物、花、中国製の靴や洋服等色々な物が売られ賑わっている。見ているだけで面白い。
●○バルティカビール工場見学○●
ロシアで人気のバルティカビールの工場見学が出来る。工場では、スタッフがビールの出来るまでを案内してくれ、最後に試飲をさせて貰える。但し、通常は6名以上、イベントのない時に限る。
●○射撃体験○●
近郊にあるスポーツセンターで日本では撃つことが出来ないピストルや、カラシニコフ小銃等を体験出来る。インストラクターが扱い方を教えてくれるので安心。第二次世界大戦時に実際に使われていた銃もあり、戦争の歴史をも感じられる。
本格的な銃を撃たせてもらえる
構えてみる
また市内の『ディナモ公園』にはロシアで人気の物語に出てくるキャラクターの銅像があり、のどかに楽しめる。時間があったら行ってみてもいいだろう。
チュブラーシカと
ハバロフスクの夏は暑く、今日も29度まで気温が上がった。朝晩の気温の差が激しいイメージだが、今回は朝から暑かった。最近気候に変化もあるので、出発前には情報を収集した方がいい。
ハバロフスクからイルクーツクまでは国内線飛行機を使って移動する。約3時間半のフライトだが、ハバロフスクとの時差は2時間ある。
ハバロフスク国内線空港
イルクーツクに1泊し、世界遺産バイカル湖へ向かった。イルクーツクからバイカル湖の湖畔の町リストヴャンカへは車で約1時間の距離。途中にある木造建築博物館へ寄った。ここはイルクーツク州に残る木造建築を集めて展示、保護をしている屋外博物館だ。19世紀のブリヤートやコサック達の家や学校、教会が当時の様子そのままに再現されている。シベリアの気候に寄り添った木造建築はなかなか見応えがあった。
そしてとうとうバイカル湖へ!!!世界最古の湖、世界一深い湖であり、世界遺産の湖。地球上の淡水の約20%を占め、琵琶湖の47倍の大きさである。冬の間は全面凍結してしまい、青々とした湖面を眺められるのは夏の間だけだ。
どこまでも広がる海の様なバイカル湖は水がどこまでも透き通り、触るととても冷たい。この時期の水温はまだ3度位しかない。それでも湖畔には夏の訪れを待ちに待っていた人々が集っていた。この偉大なる湖は想像していた以上の絶景であった。
リストヴャンカでの宿泊は『レジェンドオブバイカル』。アンガラ川とバイカル湖がちょうどぶつかる河岸にあり、眺めは最高!太陽がなかなか沈まぬこの時期、夕陽を川面に写しながら、夜21時半位まで美しい眺めを楽しませてくれた。
翌朝、バイカル湖の中程にあるオリホン島へ向かった。リストヴャンカからは一度イルクーツクまでもどり、そこからタイガの森を走り抜け、途中より乾燥したステップに景色が変わり、ひたすら走る事約4時間。ようやくオリホン島へのフェリー乗り場に到着した。かなり素朴な乗り場である。
乗車するフェリー(渡し船)は、車数台と人が数十人かが乗れる小さな船であった。
車も人も運ぶ渡し船
オリホン島までは約10分。到着した船着き場でホテルのお兄さんが待っていてくれた。ロシア人は愛想がないのがお決まりだが、このお兄さん、若いからかニコニコしている。時々話しかけさえしてくる。(普通にロシア語で…。)ソ連時代が終わってから生まれた人達の時代が来たのか?
笑顔のドライバーさん
オリホン島の宿泊施設はフージル村に集まっている。この村へは船着き場から約1時間かかるが、時々見せてくれる絶景が時間を忘れさせてくれた。
どこまでも続くステップ
『Dariyana Homestead』はそれほど広くはない敷地内にいくつかのコテージがあり、アットホームな雰囲気。シーツや布団カバーは自分でつける。
『Dariyana Homestead』
フージル村を少し散策。特にこれといって何もない。ステップ気候であり、砂っぽい道。バイカル湖に向かって歩く事約20分。バイカル湖キタキタ絶景〜!!真っ青に広がるバイカル湖、何て見事!!素晴らしい!!
果てしなく静かに広がる青さに言葉も失う。
何時間かかってもオリホン島まで来て良かったと思えた。リストヴャンカから見るバイカル湖とはまた違う。穏やかなバイカル湖を眺め続けた。
夕食は19時からと言われたので食堂に行くが、まだ昼間の様に明るい。ロシア料理蕎麦の実を食べた。素朴な料理に心も胃も安らぐ。ビールは今までで一番安かった。ちなみに島では現金しか使えない。
家庭的な素朴な料理
夏のバイカル湖の夜明けは早い。朝4時頃にはもう明るくなってくる。そして冷え込む。朝食は9時からとの事、8時出発の私には間に合わない…。仕方なく手持ちのクッキーで済ませ、島の北部絶景ポイントへ観光へ出掛けた。観光は英語ガイドになるが、ホテルで誰も英語が出来ないので、やっと会話らしいものが出来たと一安心。意志疎通が出来るって大事だ…。
さて、走る事約1時間、島の先端へ。次々にビューポイントで停車。そこから眺めるバイカル湖は絶景のオンパレード。人もまだ少く、絶景独り占め。感動しっぱなしであったが、今回の旅の目的の1つ『バイカルアザラシを見つける』を達成させなければ、と焦りも出てくる。ガイドにアザラシはいるか?としつこく聞き続け、3ヶ所目でようやく、『Ayako!アザラシがいる、静かにこっち、こっち。』と!!
逃げないうちにと、カメラを構え、静かに崖の下を覗くと、何とアザラシの群れが岩で日なたぼっこしたり、泳いだりしているではないか!その数50頭はいただろうか。恐ろしく高い崖の上から下を覗くなんぞ、高所恐怖症の私には通常ではとても出来ない技だが、この時ばかりは何も考えずにアザラシ達を見続けていた。丸々太った体で寝転ぶ姿、泳ぐ姿、全てが可愛らしい。あ〜来て良かった。
バイカルアザラシの群れ
バイカルアザラシの群れ
シャーマンの聖地でもあるバイカル湖
絶景も満喫したし、アザラシも見たし、バイカル湖で思い残す事はない。
可愛かったバイカルアザラシを思い出しながらイルクーツクへ戻った。
牛も景色に見とれる!?
翌日イルクーツク1人市内観光へ。何とまあ、素敵な街ではないか。まだまだ少し閉鎖的なウラジオストク&ハバロフスクを見てきただけに、 レストランのオープンテラスにさえ感動してしまう。イルクーツクは2011年の350周年以来、街の美化に力を入れているそうだ。美化だけでなく、ヨーロッパ的な開放的な雰囲気作りを試みているのか、オープンな感じが気持ちがいい。女子が楽しめそうな新しいエリアもある。この街は間違いなくオススメだ。特にオススメな観光地を挙げてみよう。
●○130地区(オールドイルクーツク)○●
2011年オープンの帝政時代(13〜15世紀)の商人街を再現したエリア。お洒落なレストランにカフェ、お土産屋さんがあり、ショッピングモールとも隣接。外国人にも入りやすいオープンな雰囲気がいい。
●○キーロフ公園○●
アンガラ川すぐのスパスカヤ教会、バガヤヴリェーンスキー聖堂、ポリスキー教会が集まり見応えあり。2つの教会はロシア正教、1つはカトリック、3つの教会にはそれぞれ特徴があるので見比べてみるといい。ソ連時代には宗教信仰が禁止されていただけに、元に戻れた信者達の信仰心の深さを感じる事が出来る。
バガヤヴリェーンスキー聖堂
スパスカヤ教会
ポリスキー教会
●○デカブリストの家○●
ヴォルコンスキー、トルベツコイは1825年サンクトペテルブルグで武装蜂起した青年将校で、デカブリストと呼ばれたが乱を起こしてすぐに鎮圧され、シベリアに流刑となった。その当時に住んだ家が残されているのだが、いずれも木造建築で窓などの飾りが美しく、見応えがある。
ヴォルコンスキーの家
トルベツコイの家
緑の街路樹とバイカル湖から流れてくるアンガラ川に囲まれたイルクーツクの街はただ歩いているだけでも楽しめる。
見所は中心部に集まっているので、徒歩でも回れ、ちょっと疲れたら12ルーブル均一のトラムやバスに乗ってみるのもいい。
12ルーブル均一の便利なトラム
今回9日間をかけてロシア極東からシベリアまで訪れてみて解った事は、極東はようやく門戸を開き、世界に交わりつつある段階でこれからが面白い、ということと、シベリアの大自然はこんなにも巨大で素晴らしくそしてこんなにも日本から近い、ということだ。
ソ連からロシアになって約25年。人々もようやく落ち着いて自分達の街を作り始めている。スターリンの像は姿を消し、代わりに反革命家の銅像が作られるなど、時代が変わってきた。英語はまだ通じるところが少ないが、これからどんどん増えていくだろう。
ロシアへの渡航にはビザがまだ必要。その取得に時間とお金がかかるのがネックだが、そのビザも近い将来なくなってくれるのではないだろうか。
次に訪れる機会があれば、極寒の凍ったアムール川やバイカル湖を見に行ってもいいかもしれない。
やっぱりロシアといえばマトリョーシカ
グジェリ陶器もかわいい
【オススメ観光地】
◎ウラジオストク・・・★★★★
1992年から門戸を開いた街のこれからが期待大。
◎ハバロフスク・・・★★★★
緑が多くゆっくりするにはよい街。
◎イルクーツク・・・★★★★★
西ヨーロッパに近付いて来た街は、もうすでに外国人にも楽しめる街に。
◎リストヴャンカ・・・★★★★★
バイカル湖湖畔に泊まると尚よい。
◎オリホン島・・・★★★★★
バイカル湖を知り尽くしたいなら、行くべし。
(2015年6月能祖文子)
- 美の裏側にある東欧ロマンを目撃せよ!〜芸術の国ロシア・チェコ周遊〜
-
エリア:
- ヨーロッパ>チェコ>プラハ
- ヨーロッパ>ロシア>サンクトペテルブルグ
- テーマ:世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/04 16:35
○●○ロシア・サンクトペテルブルク エルミタージュ美術館○●○
エルミタージュ美術館に所蔵されている作品は、約300万点。ルーヴル美術館の10倍もの数の作品がここにある。何がどうすごいのか、何を観るべきなのかわからなくなってしまいそう。でもここは美術館の雰囲気に身を任せ「もし1枚絵を貰えるとしたらどれ?」と考えながら回ると、難しいことを考えずに鑑賞できるだろう。
エルミタージュ美術館は4つの建物から成っている。冬宮と小エルミタージュ、旧エルミタージュと新エルミタージュ、これにエルミタージュ劇場が付属しているので、少しややこしい。入口は本館である冬宮の宮殿広場に面している側にある。
美術館へ入る前に、建物を観察してみよう。
この美術館はかつて、ロマノフ朝歴代皇帝の冬の宮殿として使われていた。冬と言っても北の都。夏は5〜7月の3か月しかないので、それ以外の9か月をこの宮殿で過ごしていた。エカチェリーナ2世時代、この外壁は彼女の好きな薄い水色だったようだ。
美術館であると同時に、ここは極めて政治的な場所でもある。冬宮前の宮殿広場で1905年、血の日曜日事件が発生した。それ以降もロシア革命時には革命軍に占拠され、ナチスドイツによる900日包囲の際も攻撃の対象だった。この美術館の歴史は、ロシア民族の歴史と常に共にある。ナチスドイツの監視の目をかいくぐり、コレクションを疎開させた美術館員たちの命がけの努力によって、今日私たちはこの美術館を訪れることができる。
冬宮と小エルミタージュの通用口で、珍しい標識を発見。
「猫注意!」と書かれてあるらしい。
エルミタージュ美術館では、地下室で60匹以上の猫を警備員として雇っている。かつてはエカチェリーナ2世しか見ることを許されなかったこのコレクション。彼女は「エルミタージュ(フランス語で隠れ家の意)」と呼ばれた私的な美術館(現在の小エルミタージュ部分)にその一切を愛蔵していた。しかし同時に、彼女はエルミタージュへのネズミの不法侵入、無許可での鑑賞に悩まされていたという。悩んだ挙句、犬好きで大の猫嫌いながらも、彼女はやむなく宮殿内で猫を飼うことを決めたそう。以来、エルミタージュ美術館の警備には猫が大活躍している。年に1度警備員たちがコレクションを鑑賞できる「猫の日」もあるようだ。
この巨大な規模の美術館にしては、かなり特殊な環境にあるのがエルミタージュ。
鑑賞する上での注意点を何点か挙げておきたい。
1 迷路のように広大で、出入口は3つだけ、階段の数も少ない。
また、トイレは1階にしかない。
2 飲物の持ち込み禁止。(入口にてチェック有)カフェは1階にしかなく、席数もかなり少ない。食事を済ませてから美術館へ向かうのがベター。
3 来館後、コートは出入口付近のクロークに預ける。(無料で利用可能)
出入口は3か所あるので、どこで預けたか覚えておく必要あり。
4 19、20世紀の作品は別館へ。
マチスやゴーギャンなど19世紀以降の画家たちの作品は、宮殿広場を挟んで向かい側の別館にある。(入場料別途必要)最近レイアウトが変わったばかりで、まだガイドブックにも反映されていないので要注意。(2015年4月現在)
エルミタージュコレクションは「大使の階段」からはじまる。まだ美術館が宮殿だった時代、海外使節を迎え入れた正面玄関だった。このロシアバロックの極致は、豪華絢爛の代名詞と言っても過言ではない。広い館内で迷子になってしまったら、ひとまずここを目指すといいだろう。
ナポレオン戦争で勝利を勝ち取った300人の将軍たちの肖像画がずらり。空いているスペースは戦死した将軍のためのもの。ビーフストロガノフを考案したストロガノフ将軍の肖像もここにある。
歴代皇帝謁見の間。ピョートル大帝が守護聖人としていた聖ゲオルギー(聖ゲオルギウス)の名が冠されている。聖ゲオルギーはトルコのカッパドキア出身。リビアのシレナで生贄にされそうになっていた王妃のため、悪い竜を退治した逸話で有名。彼はキリスト教の勝利を暗示させる存在で、騎士道精神の象徴とされている。ピョートル大帝はゲオルギーと同じ誕生日だったようだ。
ちなみに、ヨーロッパの教会でよく見かけるゲオルギーはこちら
バチカン美術館の≪ラファエロの回廊≫を、そっくり模写したのがこの回廊。エカチェリーナ2世がバチカンにあるその回廊の美しさを知り、現地に職人を派遣。隅々まで模写させ作らせた。(所々バチカンのものと違う部分もあるらしい)バチカンの回廊はフレスコ画だが、フレスコ画の技法はもともと南イタリアの温暖な気候を活かして生まれたもので、この極寒の地には適さない。エルミタージュの回廊は全て油絵で描かれている。
エルミタージュで押さえておきたいのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた2枚の聖母子像。
歴史上、何百人もの画家たちが聖母子像を描いているが、レオナルドの≪リッタの聖母≫は中でも珍しい。聖母マリアは、言わずもがな純潔の存在。たとえ絵の中でも性的な一面を表現してはいけないし、服を脱がせてはならない。そのため、授乳の様子が描かれた作品は世界でも数少ない。≪リッタの聖母≫に描かれているのは授乳の様子だが、一般的に描かれる聖母子像よりも、ごく自然な母子の姿に近いように思う。
そしてもうひとつが、レオナルド初期の作品≪ブノワの聖母≫。
≪リッタの聖母≫と比較して見てみると、≪ブノワの聖母≫に描かれたイエスの手足は少し雑なように見える。それに窓の外の背景も白く、≪モナ・リザ≫を描いた画家のものとは思えない。この作品に贋作の噂があるのは、そのためだ。これは彼の初期作品、まだ技術が未熟で彼らしくない部分が際立っているのかもしれない。
ぼーっと眺めていると、聖母の緑の服は芝生に、イエスの持つ白い花はシロツメクサに見えてきた。公園の芝生で花を摘んで、きゃっきゃと遊んでいる姉弟のよう。聖母子像としてではなく、親心で微笑みながら観てしまう作品だ。
≪ダナエ≫は巨匠レンブラントの最高傑作であり、エルミタージュいわくの作品。
大胆に横たわる女性は、ギリシア神話の英雄ペルセウスの母ダナエ。娘の男児によって殺される、と予言を得た父アルゴス王に幽閉されている様子が描かれている。通常この主題の絵画には、彼女を見初め、金の雨に化けて彼女の寝床に忍び入るゼウスの姿も描かれるが、それがないのがこの作品の特徴。
しかしそれ以上に鑑賞者の目を引くのは、光と影の巨匠レンブラントの描く、ダナエの輝きと透明感をもつ肌、艶めかしい肢体。1985年、一人のリトアニアの青年が彼女に魅了された。彼女を自分だけのものにするため、作品に硫酸をかけてしまった。その上、刃物で2回切りつけた。彼女の美しい肌はあっという間に剥がれ落ち、青年はすぐ精神病院送りに。作品の修復には12年かかったが、もとの輝きを完全に取り戻すことはできなかった。この事件以降、エルミタージュでは飲物の持ち込みが禁止されている。この作品の下には、今も硫酸をかけられた跡が残っている。
ロシアといえば治安の悪いイメージだったのだが、サンクトペテルブルグは心配するほど治安も悪くない。夜一人で街の中心部を歩いても、危ないような雰囲気は全くなかった。しかし置き引き、スリは多い。美術館鑑賞中のスリも多いので注意して頂きたい。
○●○チェコ・プラハ ≪スラヴ叙事詩≫○●○
スラヴとゲルマン。カトリックとプロテスタント。文明の十字路として発展したチェコの国土。国民的画家ミュシャは、チェコ国民が自国の歴史と向き合うため、優れた絵画を制作することを自らの義務と考えていた。自国を離れ、パリで画家としての名声を得ることとなった彼。海外で活躍していくにつれ、自身がチェコで生まれた意味、国の歴史の是非を己に問うていたのかもしれない。6×8m、全20点の連作は制作に18年を費やしたが、完成した1928年、国は「チェコ・スロバキア」と呼ばれていた。チェコ独自の歴史を省みることを、当時の人々は必要としていなかった。「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」とみなされ、彼はナチスドイツにより逮捕。厳しい尋問に耐えられず、祖国解体を知らないまま78歳で息を引き取った。
ミュシャの夢であり、チェコ国民が歩んできた歴史でもあるこの作品が、近年注目されはじめている。
「スラヴ叙事詩」には彼のイメージである草木から着想を得た幻想的なパターンと、女神ような微笑みでこちらを魅了する女性像は決して存在しない。
作品は全て、もやのかかったようなくすんだトーンで描かれている。確かにミュシャの筆致なのだが、惹きつけられるのは優美さではなく、人々の眼光。その鋭さに、思わず息を飲んでしまう。比べてみると、とても面白い。
一般的に知られているミュシャ
スラヴ叙事詩の人々
群集像のどこかにこちらをじっと見つめる女性がいて、ここで起こっている出来事をしっかりと目撃するようにと訴えかけてくる。
今回訪れたヴェレトルジュニー宮殿でのスラヴ叙事詩展は今年いっぱいとのこと。とは言っても、この展示はもともと2012年の4ヶ月限定の予定だった。それまではチェコ南東部に位置するモラフスキー・クロムロフ城に常設されていた。評判が評判を呼び、会期も延びに延び、現在は2015年いっぱいの展示予定とのこと。(また会期が延びる可能性もあるかも・・・?)
そして2017年には東京に来日予定。2年後にやってくるミュシャブームの前に、ぜひプラハでスラヴ民族の物語を目撃してほしい。
上で書かなかったエルミタージュ美術館の特徴が、実はもう一つある。約300万点もの作品を所蔵しているにも関わらず、ロシア人画家の作品がほとんどない。チェコにおいても、ミュシャとヨゼフ・チャペック以外の画家の名前はほとんど聞かない。しかしどちらの国の生活でも、芸術はしっかりとしみついている。街中のいたるところにギャラリーがあり、街角では似顔絵画家がたくさんいる。
出発前はただただ美術館を巡ることが楽しみだったが、街を歩くにつれ、人々の生活と芸術との距離感を観察するのが楽しい旅となった。
【スタッフおすすめ度】
●エルミタージュ美術館 ★★★★★
素晴らしい宮殿装飾と圧巻のコレクション!しっかり準備してから訪れたい。
●ヴェレトルジュニー宮殿「スラヴ叙事詩」★★★★★
2年後には日本に来日予定。ミュシャの夢であり、チェコ国民が歩んできた歴史を目撃せよ!
2015年5月 仙波佐和子
エルミタージュ美術館に所蔵されている作品は、約300万点。ルーヴル美術館の10倍もの数の作品がここにある。何がどうすごいのか、何を観るべきなのかわからなくなってしまいそう。でもここは美術館の雰囲気に身を任せ「もし1枚絵を貰えるとしたらどれ?」と考えながら回ると、難しいことを考えずに鑑賞できるだろう。
エルミタージュ美術館 冬宮
エルミタージュ美術館は4つの建物から成っている。冬宮と小エルミタージュ、旧エルミタージュと新エルミタージュ、これにエルミタージュ劇場が付属しているので、少しややこしい。入口は本館である冬宮の宮殿広場に面している側にある。
美術館へ入る前に、建物を観察してみよう。
この美術館はかつて、ロマノフ朝歴代皇帝の冬の宮殿として使われていた。冬と言っても北の都。夏は5〜7月の3か月しかないので、それ以外の9か月をこの宮殿で過ごしていた。エカチェリーナ2世時代、この外壁は彼女の好きな薄い水色だったようだ。
美術館であると同時に、ここは極めて政治的な場所でもある。冬宮前の宮殿広場で1905年、血の日曜日事件が発生した。それ以降もロシア革命時には革命軍に占拠され、ナチスドイツによる900日包囲の際も攻撃の対象だった。この美術館の歴史は、ロシア民族の歴史と常に共にある。ナチスドイツの監視の目をかいくぐり、コレクションを疎開させた美術館員たちの命がけの努力によって、今日私たちはこの美術館を訪れることができる。
「猫注意!」
冬宮と小エルミタージュの通用口で、珍しい標識を発見。
「猫注意!」と書かれてあるらしい。
エルミタージュ美術館では、地下室で60匹以上の猫を警備員として雇っている。かつてはエカチェリーナ2世しか見ることを許されなかったこのコレクション。彼女は「エルミタージュ(フランス語で隠れ家の意)」と呼ばれた私的な美術館(現在の小エルミタージュ部分)にその一切を愛蔵していた。しかし同時に、彼女はエルミタージュへのネズミの不法侵入、無許可での鑑賞に悩まされていたという。悩んだ挙句、犬好きで大の猫嫌いながらも、彼女はやむなく宮殿内で猫を飼うことを決めたそう。以来、エルミタージュ美術館の警備には猫が大活躍している。年に1度警備員たちがコレクションを鑑賞できる「猫の日」もあるようだ。
美しい彫刻が並ぶ回廊
この巨大な規模の美術館にしては、かなり特殊な環境にあるのがエルミタージュ。
鑑賞する上での注意点を何点か挙げておきたい。
1 迷路のように広大で、出入口は3つだけ、階段の数も少ない。
また、トイレは1階にしかない。
2 飲物の持ち込み禁止。(入口にてチェック有)カフェは1階にしかなく、席数もかなり少ない。食事を済ませてから美術館へ向かうのがベター。
3 来館後、コートは出入口付近のクロークに預ける。(無料で利用可能)
出入口は3か所あるので、どこで預けたか覚えておく必要あり。
4 19、20世紀の作品は別館へ。
マチスやゴーギャンなど19世紀以降の画家たちの作品は、宮殿広場を挟んで向かい側の別館にある。(入場料別途必要)最近レイアウトが変わったばかりで、まだガイドブックにも反映されていないので要注意。(2015年4月現在)
大使の階段(ヨルダン階段)
エルミタージュコレクションは「大使の階段」からはじまる。まだ美術館が宮殿だった時代、海外使節を迎え入れた正面玄関だった。このロシアバロックの極致は、豪華絢爛の代名詞と言っても過言ではない。広い館内で迷子になってしまったら、ひとまずここを目指すといいだろう。
1812年祖国戦争の画廊
ストロガノフ将軍
ナポレオン戦争で勝利を勝ち取った300人の将軍たちの肖像画がずらり。空いているスペースは戦死した将軍のためのもの。ビーフストロガノフを考案したストロガノフ将軍の肖像もここにある。
聖ゲオルギー(大玉座)の間
歴代皇帝謁見の間。ピョートル大帝が守護聖人としていた聖ゲオルギー(聖ゲオルギウス)の名が冠されている。聖ゲオルギーはトルコのカッパドキア出身。リビアのシレナで生贄にされそうになっていた王妃のため、悪い竜を退治した逸話で有名。彼はキリスト教の勝利を暗示させる存在で、騎士道精神の象徴とされている。ピョートル大帝はゲオルギーと同じ誕生日だったようだ。
ちなみに、ヨーロッパの教会でよく見かけるゲオルギーはこちら
聖ゲオルギー(聖ゲオルギウス)の装飾 ※プラハの街角にて撮影
ラファエロの回廊
バチカン美術館の≪ラファエロの回廊≫を、そっくり模写したのがこの回廊。エカチェリーナ2世がバチカンにあるその回廊の美しさを知り、現地に職人を派遣。隅々まで模写させ作らせた。(所々バチカンのものと違う部分もあるらしい)バチカンの回廊はフレスコ画だが、フレスコ画の技法はもともと南イタリアの温暖な気候を活かして生まれたもので、この極寒の地には適さない。エルミタージュの回廊は全て油絵で描かれている。
レオナルド・ダ・ヴィンチ≪リッタの聖母≫
エルミタージュで押さえておきたいのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた2枚の聖母子像。
歴史上、何百人もの画家たちが聖母子像を描いているが、レオナルドの≪リッタの聖母≫は中でも珍しい。聖母マリアは、言わずもがな純潔の存在。たとえ絵の中でも性的な一面を表現してはいけないし、服を脱がせてはならない。そのため、授乳の様子が描かれた作品は世界でも数少ない。≪リッタの聖母≫に描かれているのは授乳の様子だが、一般的に描かれる聖母子像よりも、ごく自然な母子の姿に近いように思う。
レオナルド・ダ・ヴィンチ≪ブノワの聖母≫
そしてもうひとつが、レオナルド初期の作品≪ブノワの聖母≫。
≪リッタの聖母≫と比較して見てみると、≪ブノワの聖母≫に描かれたイエスの手足は少し雑なように見える。それに窓の外の背景も白く、≪モナ・リザ≫を描いた画家のものとは思えない。この作品に贋作の噂があるのは、そのためだ。これは彼の初期作品、まだ技術が未熟で彼らしくない部分が際立っているのかもしれない。
ぼーっと眺めていると、聖母の緑の服は芝生に、イエスの持つ白い花はシロツメクサに見えてきた。公園の芝生で花を摘んで、きゃっきゃと遊んでいる姉弟のよう。聖母子像としてではなく、親心で微笑みながら観てしまう作品だ。
レンブラント≪ダナエ≫
≪ダナエ≫は巨匠レンブラントの最高傑作であり、エルミタージュいわくの作品。
大胆に横たわる女性は、ギリシア神話の英雄ペルセウスの母ダナエ。娘の男児によって殺される、と予言を得た父アルゴス王に幽閉されている様子が描かれている。通常この主題の絵画には、彼女を見初め、金の雨に化けて彼女の寝床に忍び入るゼウスの姿も描かれるが、それがないのがこの作品の特徴。
しかしそれ以上に鑑賞者の目を引くのは、光と影の巨匠レンブラントの描く、ダナエの輝きと透明感をもつ肌、艶めかしい肢体。1985年、一人のリトアニアの青年が彼女に魅了された。彼女を自分だけのものにするため、作品に硫酸をかけてしまった。その上、刃物で2回切りつけた。彼女の美しい肌はあっという間に剥がれ落ち、青年はすぐ精神病院送りに。作品の修復には12年かかったが、もとの輝きを完全に取り戻すことはできなかった。この事件以降、エルミタージュでは飲物の持ち込みが禁止されている。この作品の下には、今も硫酸をかけられた跡が残っている。
美しい3人のヴィーナス
アモールとプシュケ
カラヴァッジオ≪リュートを弾く若者≫
額縁の装飾もユニーク
スフィンクス!?な貴婦人
ロシアといえば治安の悪いイメージだったのだが、サンクトペテルブルグは心配するほど治安も悪くない。夜一人で街の中心部を歩いても、危ないような雰囲気は全くなかった。しかし置き引き、スリは多い。美術館鑑賞中のスリも多いので注意して頂きたい。
自分がもし1点作品を貰えるならこれ!フラ・アンジェリコ≪聖母子と天使たち
○●○チェコ・プラハ ≪スラヴ叙事詩≫○●○
スラブ叙事詩≪原故郷のスラヴ民族≫
スラヴとゲルマン。カトリックとプロテスタント。文明の十字路として発展したチェコの国土。国民的画家ミュシャは、チェコ国民が自国の歴史と向き合うため、優れた絵画を制作することを自らの義務と考えていた。自国を離れ、パリで画家としての名声を得ることとなった彼。海外で活躍していくにつれ、自身がチェコで生まれた意味、国の歴史の是非を己に問うていたのかもしれない。6×8m、全20点の連作は制作に18年を費やしたが、完成した1928年、国は「チェコ・スロバキア」と呼ばれていた。チェコ独自の歴史を省みることを、当時の人々は必要としていなかった。「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」とみなされ、彼はナチスドイツにより逮捕。厳しい尋問に耐えられず、祖国解体を知らないまま78歳で息を引き取った。
ミュシャの夢であり、チェコ国民が歩んできた歴史でもあるこの作品が、近年注目されはじめている。
アルフォンズ・ミュシャ渾身の大作「スラブ叙事詩」
「スラヴ叙事詩」には彼のイメージである草木から着想を得た幻想的なパターンと、女神ような微笑みでこちらを魅了する女性像は決して存在しない。
≪ルヤナ島のスヴァントヴィト祭≫
≪グルンヴァルトの戦いが終わって≫
≪聖アトス山(正教会のヴァチカン)≫
≪スラヴ讃歌≫
作品は全て、もやのかかったようなくすんだトーンで描かれている。確かにミュシャの筆致なのだが、惹きつけられるのは優美さではなく、人々の眼光。その鋭さに、思わず息を飲んでしまう。比べてみると、とても面白い。
一般的に知られているミュシャ
聖ヴィート大聖堂のステンドグラス≪聖キリルと聖メトディウス≫
スラヴ叙事詩の人々
群集像のどこかにこちらをじっと見つめる女性がいて、ここで起こっている出来事をしっかりと目撃するようにと訴えかけてくる。
今回訪れたヴェレトルジュニー宮殿でのスラヴ叙事詩展は今年いっぱいとのこと。とは言っても、この展示はもともと2012年の4ヶ月限定の予定だった。それまではチェコ南東部に位置するモラフスキー・クロムロフ城に常設されていた。評判が評判を呼び、会期も延びに延び、現在は2015年いっぱいの展示予定とのこと。(また会期が延びる可能性もあるかも・・・?)
そして2017年には東京に来日予定。2年後にやってくるミュシャブームの前に、ぜひプラハでスラヴ民族の物語を目撃してほしい。
上で書かなかったエルミタージュ美術館の特徴が、実はもう一つある。約300万点もの作品を所蔵しているにも関わらず、ロシア人画家の作品がほとんどない。チェコにおいても、ミュシャとヨゼフ・チャペック以外の画家の名前はほとんど聞かない。しかしどちらの国の生活でも、芸術はしっかりとしみついている。街中のいたるところにギャラリーがあり、街角では似顔絵画家がたくさんいる。
出発前はただただ美術館を巡ることが楽しみだったが、街を歩くにつれ、人々の生活と芸術との距離感を観察するのが楽しい旅となった。
芸術の国バンザイ!
【スタッフおすすめ度】
●エルミタージュ美術館 ★★★★★
素晴らしい宮殿装飾と圧巻のコレクション!しっかり準備してから訪れたい。
●ヴェレトルジュニー宮殿「スラヴ叙事詩」★★★★★
2年後には日本に来日予定。ミュシャの夢であり、チェコ国民が歩んできた歴史を目撃せよ!
2015年5月 仙波佐和子
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