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- 世界一美しいスノーケリングポイントはここ!美しき青きボニート 新しい世界に会えるブラジル紀行
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エリア:
- 中南米>ブラジル>イグアスフォールズ
- 中南米>ブラジル>リオデジャネイロ
- 中南米>ブラジル>ブラジルその他の都市
- テーマ:観光地 マリンスポーツ 自然・植物
- 投稿日:2017/03/08 11:22
ブラジルの最大の魅力は雄大な自然にある。イグアスの滝、アマゾン川、パンタナールなど日本では出会えない、地球の圧倒的なスケールを感じることができる。ただブラジルは広いのでほとんどの人は一度で全ての魅力的な場所を訪れることはできない。イグアス滝観光とリオの滞在は外せないし・・・・。うーん。これに加えてどこに行こうか。皆さん同じように悩むと思うがスノーケリングが大好きな私は今回ボニートに行くこととなった。行ってみてここがなんとまぁ素晴らしいこと!とても思い出に残る体験となった。世界で一番きれいなスノーケリングポイントは私の中では波照間だったがその結論が覆るほどの美しく、新しい世界がボニートにあったのだ。
イグアスからサンパウロ(VCP)にて乗り継ぎカンポグランジに到着。イグアス、サンパウロと時差は1時間。航空会社はアズール航空(AD)でブラジルの国内線の中では一番サービスが良い。小さい袋に入ったポテトチップス、グミ、クッキーを欲しいだけくれる。9時過ぎにカンポグランデ空港を出発し、車で約3時間でボニート近郊のプラッタ川のスノーケリングセンターに到着。ボニートはまだ外国人で訪れる人は少ないがブラジルでは人気沸騰中で誰もが憧れる美しい自然と風景が楽しめる。中でもプラッタ川、天然水族館でのスノーケリングは石灰分が不純成分を川底に落とすため、信じられないほどの透明度なのだ。このプラッタ川を含むエリアは私有地で牧場主がここのスノーケリングツアーを催行している。
スノーケリングは各個人が自由に行うのではなく、大体30分に1本くらいの割合で8人ほどがひとグループとなり、そのグループに一人のガイドが引率する形となる。それは旅行者の安全のため、環境の保護のためだ。まずはここで昼食をとる。ブッフェスタイルでお肉だけでなく、サラダの種類も豊富で美味しい。
更衣室で水着に着替え、貴重品を含む荷物をロッカーにいれ、鍵をかける。ウェットスーツとブーツ、スノーケリングのギアは貸してくれる。ライフジャケットは任意。ガイドが色々なルールを説明するが大切なことは川底に足をつけてはいけないし、バタ足をしてはいけない。進むには手で水をかいて進む。
まずはスノーケリングのスタートポイントの水源まで山道を歩く。途中ガイドは植生などを説明してくれる。
スタート地点の水源ではまずスノーケリング自体の練習で、ガイドがチェックする。ここでは禁漁となっているので魚は人を怖がらず、我々の目の前を悠々と泳いでゆく。幻想的な川の中でたくさんの魚たちとのスノーケリングは海でのスノーケリングとは違った新しい世界だ。澄み切った深碧の水中では川底まで日光が差し込み、水草の影と魚の大群が幻想的な世界を創り出している。川でスノーケリングができるのはボニートならではで、下流へと進んでいくので余計な力はいらない。ただ魚になったつもりでいればいい。約1時間半のスノーケリングは夢のように過ぎていく。今回、たくさん魚が見れたと思ったけど1,2日前の大雨の増水の影響でいつもみれる魚の量よりかなり少なかったそうだ。
翌日、午前にラーゴ・アズール鍾乳洞へ。ここも環境ほどのため、入場者の人数をコントロールするためグループとなりガイドが引率する。入場者は鍾乳石の落下に備え、ヘルメットを着用。太陽の光が差し込む鍾乳洞はとても神秘的。湖の碧さも際立つ。
午後は天然水族館と呼ばれるボニートから7キロ東にあるスノーケリングのポイントへ。ここも川でのスノーケリングなのだが、プラッタ川よりスノーケリングの時間は少し短め。同じようにウェットスーツを着てロッカーに荷物を預ける。ここではライフジャケット着用はマスト。
プールでスノーケリングができるかチェックと練習。
その後、ジャングルの中を歩く。
スノーケリングをスタートするところは水源となっているのだが、ここが天然水族館の一番のハイライトでたくさん魚が集まっている。
澄み切った水の中でたくさんの魚が見えるのがまるで水族館のようなので、「天然水族館」と呼んでいるそうだが良く言ったもので本当にここは天然の水族館。素晴らしい。
ここはポイントごとにカメラマンが待ち受けていて水中やツアーの様子を動画、写真で撮ってくれる。それを最後に見せてDVDとして販売しているのだ。
ボニートは今ブラジルで一番注目されているスポットで、リオやイグアスでボニートに行くと話すととてもうらやましがられた。プラッタ川、天然水族館のスノーケリング、ラーゴ・アズール鍾乳洞はいずれもいつも混んでいるので事前予約が必要だ。ボニートに到着してからの申し込みでは遅い。特に混むのは12,1月の夏休み。この時期はよっぽど前に予約を入れないと手配が難しいのだ。時間が許せばもう1泊ボニートの滞在を増やして浮輪ラフティングなどのアクティビティーの追加も可能だ。他にはないボニートならではの自然の美しさをあなたも是非堪能してほしい。
ボニートの街自体は小さな町だけど色んなアクティビティーの拠点となる町だ。昼は観光客はツアーに出かけているので静かで、夜、お土産屋さんやレストランがオープンする。ちょっとおしゃれなレストランなどが立ち並びこじゃれた街となったのもほんのここ数年だそう。ブラジルの大都市は治安が悪いけどこの町は安全。サンパウロなどに住むブラジル人も治安の悪さに閉口してボニートに移り住む人もいるのだとか。観光客にとっても自分の足で街歩きが楽しめるのはブラジルでは少ないので、この町の存在はとても貴重だ。メイン通りから数本隣の道を歩けばご近所同士が井戸端会議をしたり、おじいちゃんおばあちゃんが椅子をだしてアイスクリームを食べたりしている光景に出会えて、町と人々の息吹を感じることもできる。
3日目、少しホテルを早めに出発しカンポグランデの街の中へ。カンポグランデは沖縄からの移民が多いそうだ。市場は月、水、土と出店が立ち並ぶがその中の数店は沖縄のソーキソバと出すのだ。日曜の昼は特別に数店が営業しているのだがその日がたまたま日曜だったのでここに立ち寄ることにした。品揃えはこのソーキソバ以外に焼きそば、カレー風味のから揚げ、ブラジル料理などなど。地元の人のそばを食べる様子を見ているとフォークでくるくると食べる。私は箸でずずっと食べる。日本が豊かになる前の昔に、遠いブラジルまで移住し何もないところからスタートし、文化をも定着させている人々がいることに胸の中で感動がおこる。
イグアスでの思い出をさらに特別にするならマクコサファリ
ブラジル側の観光はもちろん、アルゼンチン側の滝観光は迫力満点の悪魔の喉笛は絶対に追加アレンジして行くべき。普通の観光では物足りない、もっとアクティブな体験をしたいという方にはマクコボートサファリがおすすめ。ボートからの滝の眺めを楽しめるのはもちろん、ジャングルでの電動車での探検、ジェットコースターさながらのスリリングなボートライディング、そしてなんと言ってもボートで滝の中への突入するのはドキドキ体験!滝の中で滝に打たれるのは目もあけてられないほどでみんなの楽しい悲鳴がとまらない。ボートツアーで普通の観光だけではない楽しい体験をマクコサファリでしてみるのはいかがでしょうか。
今日はあなたもリオっ子に!自然と街に癒されるリオデジャネイロ
リオで生まれ育った人は自分達のことをカリオカと呼ぶ。リオは大都会だがビーチや自然、有名サッカークラブもあり、美しい街であることはカリオカの誇りなのだ。
リオに来たならそんなカリオカに交じって早朝のコパカバーナビーチ沿いをランニングやウォーキングをしてみてはいかが?海から上がる朝日が海とビーチ、街を照らし、爽やかな潮風の中のランニングは最高!ただし、カメラなどは持たず手ぶらで出かけよう。お土産でお勧めなのはHavaianasのビーチサンダル。ハリウッド俳優のCMで大ブレイクし、今やおしゃれなカリオカ達の足元を彩るのはこのサンダルなのだ。
活気あるリオでの滞在でブラジル人の底抜けに陽気なパワーを感じることができる。またお肉が大好きな肉食系女子にはたまらないのがシュラスコ。色んな部位が食べ放題で肉そのものの美味しさを味わうことができる。
定番のブラジル旅行に体験型アクティビティーを加えて心も体もハッピーで、あなただけの思い出を残してみてはいかがでしょうか。
<おすすめ>
ボニートのスノーケリング★★★★★ 信じられないほどの透明度の川の中で魚になって泳ごう!
イグアス滝のマクコサファリ★★★★ 滝に打たれておおはしゃぎ!イグアスでの滝での思い出も倍増!
リオでのコパカバーナビーチでの早朝ランニング ★★★ リオっ子にまじって走ってみよう♪手ぶらで!!
(2017年2月 辻理恵子)
イグアスからサンパウロ(VCP)にて乗り継ぎカンポグランジに到着。イグアス、サンパウロと時差は1時間。航空会社はアズール航空(AD)でブラジルの国内線の中では一番サービスが良い。小さい袋に入ったポテトチップス、グミ、クッキーを欲しいだけくれる。9時過ぎにカンポグランデ空港を出発し、車で約3時間でボニート近郊のプラッタ川のスノーケリングセンターに到着。ボニートはまだ外国人で訪れる人は少ないがブラジルでは人気沸騰中で誰もが憧れる美しい自然と風景が楽しめる。中でもプラッタ川、天然水族館でのスノーケリングは石灰分が不純成分を川底に落とすため、信じられないほどの透明度なのだ。このプラッタ川を含むエリアは私有地で牧場主がここのスノーケリングツアーを催行している。
周りはどこまでも続く広大な牧場
スノーケリングは各個人が自由に行うのではなく、大体30分に1本くらいの割合で8人ほどがひとグループとなり、そのグループに一人のガイドが引率する形となる。それは旅行者の安全のため、環境の保護のためだ。まずはここで昼食をとる。ブッフェスタイルでお肉だけでなく、サラダの種類も豊富で美味しい。
ランチを食べる
更衣室で水着に着替え、貴重品を含む荷物をロッカーにいれ、鍵をかける。ウェットスーツとブーツ、スノーケリングのギアは貸してくれる。ライフジャケットは任意。ガイドが色々なルールを説明するが大切なことは川底に足をつけてはいけないし、バタ足をしてはいけない。進むには手で水をかいて進む。
ガイドが説明してくれる
ガイドが植生などを説明してくれる
まずはスノーケリングのスタートポイントの水源まで山道を歩く。途中ガイドは植生などを説明してくれる。
まずはここでスノーケリングができるかチェック
スタート地点の水源ではまずスノーケリング自体の練習で、ガイドがチェックする。ここでは禁漁となっているので魚は人を怖がらず、我々の目の前を悠々と泳いでゆく。幻想的な川の中でたくさんの魚たちとのスノーケリングは海でのスノーケリングとは違った新しい世界だ。澄み切った深碧の水中では川底まで日光が差し込み、水草の影と魚の大群が幻想的な世界を創り出している。川でスノーケリングができるのはボニートならではで、下流へと進んでいくので余計な力はいらない。ただ魚になったつもりでいればいい。約1時間半のスノーケリングは夢のように過ぎていく。今回、たくさん魚が見れたと思ったけど1,2日前の大雨の増水の影響でいつもみれる魚の量よりかなり少なかったそうだ。
翌日、午前にラーゴ・アズール鍾乳洞へ。ここも環境ほどのため、入場者の人数をコントロールするためグループとなりガイドが引率する。入場者は鍾乳石の落下に備え、ヘルメットを着用。太陽の光が差し込む鍾乳洞はとても神秘的。湖の碧さも際立つ。
ガイドが説明
いざ、鍾乳洞へ
神秘的な世界
午後は天然水族館と呼ばれるボニートから7キロ東にあるスノーケリングのポイントへ。ここも川でのスノーケリングなのだが、プラッタ川よりスノーケリングの時間は少し短め。同じようにウェットスーツを着てロッカーに荷物を預ける。ここではライフジャケット着用はマスト。
ウェットスーツとライフジャケットを借りる
プールでスノーケリングができるかチェックと練習。
プールでスノーケリングの練習
その後、ジャングルの中を歩く。
山道を歩く
スノーケリングをスタートするところは水源となっているのだが、ここが天然水族館の一番のハイライトでたくさん魚が集まっている。
上からみると普通の川だけど・・・
澄み切った水の中でたくさんの魚が見えるのがまるで水族館のようなので、「天然水族館」と呼んでいるそうだが良く言ったもので本当にここは天然の水族館。素晴らしい。
ここはポイントごとにカメラマンが待ち受けていて水中やツアーの様子を動画、写真で撮ってくれる。それを最後に見せてDVDとして販売しているのだ。
ボニートは今ブラジルで一番注目されているスポットで、リオやイグアスでボニートに行くと話すととてもうらやましがられた。プラッタ川、天然水族館のスノーケリング、ラーゴ・アズール鍾乳洞はいずれもいつも混んでいるので事前予約が必要だ。ボニートに到着してからの申し込みでは遅い。特に混むのは12,1月の夏休み。この時期はよっぽど前に予約を入れないと手配が難しいのだ。時間が許せばもう1泊ボニートの滞在を増やして浮輪ラフティングなどのアクティビティーの追加も可能だ。他にはないボニートならではの自然の美しさをあなたも是非堪能してほしい。
ボニートの街自体は小さな町だけど色んなアクティビティーの拠点となる町だ。昼は観光客はツアーに出かけているので静かで、夜、お土産屋さんやレストランがオープンする。ちょっとおしゃれなレストランなどが立ち並びこじゃれた街となったのもほんのここ数年だそう。ブラジルの大都市は治安が悪いけどこの町は安全。サンパウロなどに住むブラジル人も治安の悪さに閉口してボニートに移り住む人もいるのだとか。観光客にとっても自分の足で街歩きが楽しめるのはブラジルでは少ないので、この町の存在はとても貴重だ。メイン通りから数本隣の道を歩けばご近所同士が井戸端会議をしたり、おじいちゃんおばあちゃんが椅子をだしてアイスクリームを食べたりしている光景に出会えて、町と人々の息吹を感じることもできる。
ボニートにあるポサーダ・ジ・アグアスのプール
ボニートにある魚の形の公衆電話
ボニートのシンボル 魚のモニュメント
3日目、少しホテルを早めに出発しカンポグランデの街の中へ。カンポグランデは沖縄からの移民が多いそうだ。市場は月、水、土と出店が立ち並ぶがその中の数店は沖縄のソーキソバと出すのだ。日曜の昼は特別に数店が営業しているのだがその日がたまたま日曜だったのでここに立ち寄ることにした。品揃えはこのソーキソバ以外に焼きそば、カレー風味のから揚げ、ブラジル料理などなど。地元の人のそばを食べる様子を見ているとフォークでくるくると食べる。私は箸でずずっと食べる。日本が豊かになる前の昔に、遠いブラジルまで移住し何もないところからスタートし、文化をも定着させている人々がいることに胸の中で感動がおこる。
カンボグランデの市場 鳥居がモデル
サクラというお店
ブラジルでソーキソバを食べる
イグアスでの思い出をさらに特別にするならマクコサファリ
ブラジル側の観光はもちろん、アルゼンチン側の滝観光は迫力満点の悪魔の喉笛は絶対に追加アレンジして行くべき。普通の観光では物足りない、もっとアクティブな体験をしたいという方にはマクコボートサファリがおすすめ。ボートからの滝の眺めを楽しめるのはもちろん、ジャングルでの電動車での探検、ジェットコースターさながらのスリリングなボートライディング、そしてなんと言ってもボートで滝の中への突入するのはドキドキ体験!滝の中で滝に打たれるのは目もあけてられないほどでみんなの楽しい悲鳴がとまらない。ボートツアーで普通の観光だけではない楽しい体験をマクコサファリでしてみるのはいかがでしょうか。
電動車でジャングル探検
滝が見えてきました
すごい迫力
滝の中へ行くよ!
滝の中で何が何だかわからないけど何だか楽しい
大人も子供もおおはしゃぎ
今日はあなたもリオっ子に!自然と街に癒されるリオデジャネイロ
リオで生まれ育った人は自分達のことをカリオカと呼ぶ。リオは大都会だがビーチや自然、有名サッカークラブもあり、美しい街であることはカリオカの誇りなのだ。
コルコバードの丘にて
ポンジアスカールにて
ポンジアスカールにて
リオに来たならそんなカリオカに交じって早朝のコパカバーナビーチ沿いをランニングやウォーキングをしてみてはいかが?海から上がる朝日が海とビーチ、街を照らし、爽やかな潮風の中のランニングは最高!ただし、カメラなどは持たず手ぶらで出かけよう。お土産でお勧めなのはHavaianasのビーチサンダル。ハリウッド俳優のCMで大ブレイクし、今やおしゃれなカリオカ達の足元を彩るのはこのサンダルなのだ。
鮮やかなHavaianasのサンダル
活気あるリオでの滞在でブラジル人の底抜けに陽気なパワーを感じることができる。またお肉が大好きな肉食系女子にはたまらないのがシュラスコ。色んな部位が食べ放題で肉そのものの美味しさを味わうことができる。
肉食系女子(?)にはたまらない
定番のブラジル旅行に体験型アクティビティーを加えて心も体もハッピーで、あなただけの思い出を残してみてはいかがでしょうか。
<おすすめ>
ボニートのスノーケリング★★★★★ 信じられないほどの透明度の川の中で魚になって泳ごう!
イグアス滝のマクコサファリ★★★★ 滝に打たれておおはしゃぎ!イグアスでの滝での思い出も倍増!
リオでのコパカバーナビーチでの早朝ランニング ★★★ リオっ子にまじって走ってみよう♪手ぶらで!!
(2017年2月 辻理恵子)
- あれ、ここ地球だよね?奇跡の絶景ウユニ塩湖へ
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エリア:
- 中南米>ボリビア>ラパス
- 中南米>ボリビア>ウユニ
- 北米>アメリカ東部>マイアミ
- テーマ:買物・土産 観光地 自然・植物
- 投稿日:2017/01/30 12:07
塩湖をひた走るワゴン
あれは確か私がまだ高校生の頃だっただろうか。
ピンクのワゴンに乗って若者たちが世界を旅しながら、恋人を探すという人気番組があった。当時その番組にハマっていた私。かわるがわるワゴンの中で繰り広げられる恋愛模様と一緒に、ブラウン管越しに海外を楽しんでいた、まだ海外旅行なんて行ったことのない私。
ある時、その番組のオープニングでこんなものを目にした。
ピンクのワゴンが、永遠に続くのかと思われるほど広大な、鏡張りの湖を延々と走る映像。
なんじゃこりゃぁ!!!!
テレビで見たその映像は後に何年も私の心の中に残ることとなる。どこか分からないけれど、とても綺麗なところ。私も行ってみたいなぁ…、なんて叶うわけがないと思いつつ、そんなことを夢想していた。
そして時はたち、私は旅行会社に入社。
ティーン時代から十数年の時を経て、あの頃の私の夢が現実となる。
高校生の時の私に教えてあげたい“あんた行くよ、行くんだよ!その場所ウユニ塩湖って言うんだよ”と。きっと泣いて喜ぶだろう。
前置きが長くなってしまったが、まだ海外なんて縁のない私を一瞬にして虜にしてしまった、あのウユニ塩湖に行く機会を得たのだ。
憧れの地、ウユニがあるのは南米ボリビア。ボリビアへの道は長い。
成田を出発し、LA、マイアミと乗り継いで、翌朝ボリビアの首都ラパスに到着する予定だ。
意気揚々とLAに出発し、大急ぎでアメリカの乗継を終え、マイアミに到着・・・したものの、到着の時点でボリビア行フライトのボーディングタイムが過ぎている。フライトが遅延したのだ。出発まで残り20分!?うそでしょ。CAさんに頼んで、ラパス行きのゲートに遅れる旨伝えてくれと懇願するも、“それは出来ん、走れ”という無慈悲なご回答。言われるがままにダッシュしてゲートに行くも時すでに遅し。既にゲートは閉まった後だ。誰もいなくなったゲート。なんてこったい。
チケッティングカウンターでネゴシエーションするも、この日はもうラパス行きのフライトが無く、明日、今日と同じ時間のフライトに乗らざるを得なかった。なんてこったい。
とりあえずマイアミの空港ホテルに宿をとり、翌日たっぷりマイアミでも観光するとしよう。
いきなりマイアミ観光となってしまったので予備知識がゼロだったが、マイアミ空港は市内から近く意外と観光しやすそうだ。
まずはムーバーと呼ばれるモノレールとメトロとバスを乗り継いて、リトルハバナへ出かけた。その名の通り、マイアミにある小さなキューバだ。
広場でドミニに興じる人々
リトルハバナのシンボル、ニワトリ
街の雰囲気も良く、そこら中をスペイン語が飛び交っている。シガーショップもあり、どこからか常に音楽が流れてくるあたり、確かにキューバっぽいような気がしないでもない。
レストランでキューバ名物のモヒートを飲みながら一休みした後、やっぱりマイアミビーチ見なきゃ!とバスを乗り継ぎ、ビーチへ赴く。
ところで、この日のマイアミはとても気持ちの良い気候。暑すぎず、のんびりするにはちょうど良かった。とはいえ、私の出で立ちは厚手のロングTシャツにロングスカート、そしてトレッキングシューズ。ビーチではとびきり浮いていた。昨日、スーツケースを受け取ることが出来なかったのだからしょうがない。まさかビーチ来るとは思ってないし。
マイアミビーチ
マイアミにはたくさんのショッピングモールがあり、お買い物にも事欠かない。巨大なモールをふらついた後、今日のフライトは逃すまいと、早めに空港に戻った。
さてさて棚からボタモチならぬ、棚からマイアミを楽しみ、翌朝無事ラパス空港に降り立った。丸1日遅れの到着だ。
本来の行程であれば、ラパス1泊→ウユニ2泊→ラパス2泊→ダラス1泊→帰国の予定だが、初日のラパス1泊はやむなくカット。ラパス到着後はそのままボリビア国内線に乗り継ぎ、ウユニへ飛んだ。
ところで、ラパスは世界で最も高所にある首都として知られている。(正確には首都はスクレという街だが、事実上の首都はラパスとのこと)標高はなんと3650m!ウユニの標高もラパスとほぼ変わらない。高山病にかかってしまうのだろうか。。。
心の片隅に不安を残しつつ、ボリビア初日、ウユニのツアーの始まりだ。
まずは列車の墓場へ。
かつて塩や鉱物を運んでいた蒸気機関車や貨物車両が放置されているのだ。なんとも哀愁を感じる佇まい・・・
鉄道の墓場
そしてウユニの塩産業を独占しているコルチャニ村へ。コルチャニ村の主な産業は塩。村の中には製塩所があり、ウユニの塩を買って帰ることもできる。驚くほど安いのだが、塩は重く、たくさん買って帰れないのが残念だ。
村の入り口にはたくさんのお土産物屋さんが軒を連ねる。ここではアルパカのセーターや帽子、民芸品などいろいろ揃えることができる。
私はここでアルパカのセーターとカラフルな帽子をゲット。これからの旅に役立ちそうだ。
コルチャニ村の製塩所
コルチャニ村
そしていよいよ、念願のウユニ塩湖へ!
塩湖の淵はまだ水が張っていても、地表は茶色い。車を10分位走らせると、ついに憧れてきたような映像が広がってきた。
絶景のウユニ塩湖
高校生の時、テレビで憧れたあの風景!想像を超える絶景を前に、すごい・・・の連発。私の驚きと感動を伝えるにふさわしい言葉がそれ以外に出てこなかった。
さてさて、ウユニ塩湖に来たらやりたかったこと。それはトリック写真撮影。
だがその前に腹ごしらえということで、塩湖のど真ん中でピクニックランチ。ドライバーさんとガイドさんが私の為にテーブルをセットしてくれる。
塩湖でピクニックランチ
簡単だが美味しいランチで空腹を満たし、いよいよ写真撮影スタート。
12月から2月にかけて雨季になるウユニでは、塩湖上に水が張りそれがまるで鏡のようになるのである。ただし運が悪ければ水が十分でないこともある。ひろーい塩湖の中をドライバーさんとガイドさんがベストポイントを探してくれる。
鏡張りに移る私
塩湖でトリック写真撮影
鏡張りの写真を撮るには、ちょうどいい感じの量の雲(多すぎても少なすぎてもダメ)と無風が求められるのだが、残念ながら初日は風が強く、雲が少し多かった。
ウユニは高地だけあって、天候が非常に変わりやすい。特に雨季では日中に雨が降ることもあるので、ウユニには2泊ないと不安だ。
この日このままサンセットツアーも行ったが、ちょうど太陽の沈む位置に雲がかかり、いい感じの写真を撮る事は出来なかった。
ダカールラリーのモニュメントと私
微妙な感じの夕陽
本日マイアミから夜行便で到着したばかりの私は、高所のせいもありかなり疲労がたまっていた。夕飯を摂ることもできず、ベッドになだれ込んだ。
翌日は星空と朝日鑑賞があるので、深夜3時半にホテル発だ。つかの間の休息をとり、深夜目を覚ますと、頭が重い・・・なんか気持ち悪い・・・うぅぅ〜これが高山病か。
だるい体を無理やり起こし、ツアーに備える。事前情報ではとにかく寒いとあったので、タイツの上に毛糸のパンツ、裏起毛のあったかズボン、上半身はヒートテックにロングTシャツ、ユニクロのインナーダウンにモコモコのマウンテンパーカ。靴下は2枚重ね+両つま先にホッカイロをプラス。お手元にもホッカイロ2個持ちでニット帽をオン。
スーパーモコモコ状態でツアーに出かけたが、ガイドさんは昼間の洋服にダウンを着ているだけ。ずいぶんラフだ。
移動中も軽い頭痛を感じていたが、いざ塩湖に到着すると、痛みは一瞬のうちに遥かかなたに消え去った。私にとっては高山病より、よっっっぽど二日酔いの方が辛い。でも人ぞれぞれ、その日のコンディション次第だろう。若くてもなる人はなるし、おじいちゃんおばあちゃんでも元気な人は元気だ。
夕方、かなり雲の量が多かったので、星空観賞には一抹の不安を頂いていたが、やっぱりイマイチな星空だった。(先日、ニュージーランドのポカラで超絶すごい星空を見てしまったからかも知れないが、正直この日のコンディションは想像以下だった)
雲が多い星空・・・
でも夜のウユニの楽しみ方は星だけではない!私はある秘密兵器を日本から持参していた。ペンライト〜〜〜!!
百均で売っているペンライトだ。これを使って、暗闇に文字を書き、なおかつ鏡張りの湖に文字を照らし出す、そんな写真を撮りたい!
ただ、ふつうこういうのは大人数でやるもの。一人一文字ずつ書くのが一般的。一人でやるにはかなり体力がいる。カメラを30秒の撮影にして、暗闇に反転文字を書いていく。もちろんシャッターが下りるまでうまくいっているかどうか分からない。
一生懸命一人で闇夜に向かってペンライトを振っては消し、横に移動して書いてを繰り返す姿はちょっぴりシュール。
全然ダメ。失敗作
残念、途中で時間切れ
yes!成功!
こちらは反転をさらに逆に書き、湖面に文字を映しこんでいる。
スーパーモコモコ状態で上下左右に運動するもんだから、かなり汗ばんだ。実際ウユニが最も寒いのは5月頃だそう。このころはマイナス10度くらいになるとか。
徐々に日が昇るにつれ、雲も消えて行った。そして無風。絶好のコンディション到来!
朝と夜の間の時間
真っ暗だった世界が徐々にピンクに色づいていく・・・
朝が夜に溶け込んでいくような、まどろみの時間。空なのか地上なのか分からない不思議な風景。言葉に出来ないほどの美しさ。
朝日鑑賞
満足すぎる星空&朝日ツアーを終え、朝食を食べにホテルへ戻った。ホテルと言えば、今回私は塩湖周辺にある、塩のホテル“ルナサラダ”に宿泊していた。ホテルは壁やベッドの台などがすべて塩のブロックで出来ている。廊下にも塩が撒かれ歩くとザクザクという感触が楽しい。雰囲気満点のユニークなホテルだ。
塩で出来た壁
室内
こちらはまた別の塩のホテル、パラシオ・デル・サル
素敵な室内
塩のホテルでおいしい朝食を食べ、この日も引き続きウユニ塩湖観光。
塩湖に行く前に、まずはコケサのミイラを見に出かけた。
竪穴住居のようなところにミイラがドーンと寝ていて、お供え物が散乱している。
なんていうか、、、ありのままだな(笑)
コケサのミイラ
樹齢200年のサボテン
今日は昨日よりももっとコンディションが良い!
程よい雲と青空、風もなし!
ウユニの水量は非常に変わりやすく、昨日あたり一面鏡張りだったところが、今日の午前中にはすべて水が干上がっている。昨日よりも更に塩湖を走り回り、鏡張りのポイントを探してもらった。それにしても広大な広さに張っていた水が一晩にしてなくなってしまう不思議。本当に神秘に満ちた湖だ。
絶好のコンディション
トリック写真撮影
我がウユニ旅行に一遍の悔いなし!
存分にウユニを楽しみ、翌朝ウユニを立ち、首都ラパスへ飛んだ。
既に初日、1泊分のラパス泊を失っているため3日分の観光を2日間に詰め込んでいる。
チチカカ湖クルーズ、ティワナク遺跡、月の谷と駆け足で巡った。
チチカカ湖クルーズは浮島に上陸しても全く人がおらず、閑散としていた。ペルーサイドのイメージをもって行くとかなり期待は裏切られる。
チチカカ湖の浮島 どんより天気が寂しさに拍車をかける
世界遺産のティワナク遺跡
その名の通り、月面のような月の谷
月の谷にいたチョリータと一緒に
ラパスの街は前述の通り、世界で最も高所にある首都だ。街全体大きなすり鉢状になっていて、そこに行くほど裕福な人が暮らしているそう。高低差の多いラパスの街で市民の足となっているのがロープウェイである。このロープウェイは2014年に開通したばかりで、現在3区間のロープウェイが走っている。このロープウェイはとってもお勧め!
すり鉢状の斜面に並んだ赤レンガの家々がそれはもう見事に見渡すことができる。始発から終点まで乗ると、途中乗継を含めて30分ほど。ラパスの街の大パノラマを楽しむことができる。現在新たに2区間を建設中で、更に標高の高い隣町まで行けるようになるという。
そして、夜はミラドール・キリキリ展望台へ夜景を見に行った。これがまたすごい!すり鉢状に街が広がっているので、夜景に取り囲まれたような絶景なのだ。そう、ラパスの夜景は上から見下ろすのではなく、下から眺める夜景なのだ。下からとはいっても、キリキリ展望台は高台にあり、郊外までよく見える。でもそれ以上に高い位置にも夜景が見えるというわけだ。世界に有名夜景スポットは数あれど、包まれるような夜景に出会えるのはラパスだけ(多分!)だろう。
ミラドール・キリキリからの夜景
そしてラパスで私が一番心ときめいたもの、それはショッピング。
南米でも物価の安いラパスはまさに買い物パラダイス!アルパカセーター1500円、エケコ人形400円、南米らしいカラフルなマンタと呼ばれる大判の布600円、アルパカの磁石50円etc・・・。この独特の色使い、たまりません!もっと買いたかった〜
土産物屋が並ぶサガルナガ通り
三つ編み&ハットのチョリータ
十数年の時を経て辿りついたボリビア。
百聞は一見にしかず、何もかもが想像以上だった。まるで違う星に来たかと思うような絶景の連続に、何度言葉を失ったことか。
例え帰国の際、ボリビアを出発するフライトが運休になって、2時間も3時間も待たされて、航空会社に明後日までフライトはないと言われて、なぜかペルーを経由して帰ることとなろうとも、おつりがくるくらい素晴らしい経験となった。
マイアミ ★★★★ ビーチにショッピングになんでも楽しめる!
ウユニ ★★★★★ これぞ絶景!一生忘れることのできない風景がそこに
ラパス ★★★★★ 買い物天国。街中を歩くチョリータも素敵
(2017年1月 久保井奈々子)
- 奴隷貿易の舞台となったギニア湾沿い3国を周遊!ディープなアフリカへ!ガーナ・トーゴ・ベナン10日間
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エリア:
- アフリカ>ガーナ>エルミナ
- アフリカ>トーゴ>トーゴその他の都市
- アフリカ>ベナン>ベナンその他の都市
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2017/01/16 16:57
久しぶりのアフリカ、動物以外のアフリカ。最近秘境・辺境と呼ばれる所に行っていなかったので、久しぶりの辺境にどきどき、わくわく。近世の時代に奴隷海岸と呼ばれたギニア湾沿い3国を10日間で周遊してきました。
***今回の10日間の西アフリカ周遊の旅程***
1日目 夜発 香港・アジスアベバ経由アクラへ <機中泊>
2日目 アクラ観光 <アクラ泊>
3日目 クマシへ移動 クマシ観光 <クマシ泊>
4日目 国境を越えロメへ移動 <ロメ泊>
5日目 ソコデへ移動 ソコデ観光 <ソコデ泊>
6日目 国境を越えナティティングー移動 途中世界遺産観光<ナティティングー泊>
7日目 アボメーへ移動 アボメー観光、<アボメー泊>
8日目 コトヌーへ移動 途中ガンビエ観光 <コトヌー泊>
9日間 コトヌーを出発
10日目 帰国
〇1日目 機中泊
成田夜出発。香港経由だかアジスアベバまで直行便のエチオピア航空を利用。エチオピア航空と言えば、ドリームライナーと呼ばれるボーイング787を比較的早く導入し、運航している。成田・アジスアベバ間はこの787での運航だった。受領したのは2012年と既に4年経っておりさんざん使っているのか、最新鋭という印象は全く受けなかった。機材エンターテイメントは日本語なし。映画も日本語字幕が一本もない。日本の映画は3本のみ。あえて名前は出さないが金曜ロードショーでやってたとしても恐らく見ないであろう映画。USBはあるがシート電源はコンセントはあるものの使えず。成田・香港間が5時間、香港で1時間駐機の後、アジスアベバまでは約11時間。私は3DSやら動画やら万全の体制で時間つぶしの準備をしていたので、寝たりゲームしたり映画見たりと時間を潰せたが、これから搭乗予定の方は暇つぶしの道具があった方が確実に無難。なお機内は日本のグループの方が多数、その他成田・香港間のみ利用する方や香港からアジスアベバ間のみを利用する方など香港での乗り換え人がかなり多かった。
〇2日目 アクラ泊
朝、アジスアベバ到着。計17時間かかったが意外に寝れたのでそこそこ元気。実は前日出発時点で既に25分遅れており、元々の乗継時間が45分しかなく一体次の便に乗れるのかと少し不安に思いながらのアジスアベバ到着だった。到着するとゲートでグランドスタッフが待っており、セキュリティーも受けず通過し一目散に次の便のゲートへ。なんと25分の乗継でも間に合ってしまった!次のフライトはアジスアベバから約6時間のフライトでガーナのアクラへ。心配していた荷物もきちんとアクラに到着。意外とできる航空会社かも知れない?エチオピア航空。
野口英世研究所跡
アクラには日本の偉人野口英世が晩年黄熱病の研究を行った研究所跡がある。コルレブ病院の1部を研究所として使用していたが、現在その当時使った顕微鏡や写真などその当時英世がどのような事をしていたのか分かる展示がされている。今でも空路で24時間かかるこのガーナに来るだけでもその当時はえらく大変だったに違いない。故郷から遠く離れたこの地で黄熱病で死を遂げた彼はきっと故郷に帰りたかったに違いない。展示物の中には黄熱病罹患後の英世の体温の計測記録も残っており、高熱にうなされながら何を思ったのだろうと考えてしまう。また荒れてはいるが、研究所そばには日本庭園もあり英世の銅像を見る事ができる。
ガーナの治安
ちょうど到着の2日前にガーナの大統領選挙が行われたせいで、町の中はかなりあわただしかった。どこかのおじさんとは違い、ある程度支持をされていた候補に決まったようで治安が悪いというよりかは、良い意味での賑わいがあった。この後のトーゴ、ベナンも同様だか、少なくともツアー中に危険を感じる事やその雰囲気を感じる事すらなかった。アフリカ大陸と言ってもかなり広大で、日本人からするとどうしてもひっくるめてアフリカは危ないと感じてしまう人もいるだろうが、少なくともこの3国に関してはその危険性は少ないと思われる。ただし日が暮れてからの出歩きはしない方がよいと言われたし、トーゴの首都ロメでは夜に海岸は絶対歩くなと注意をされた。他の国と同様に、一般的な注意をしていれば問題なく楽しめるのではないかと思う。
〇3日目 クマシ泊
アクラから世界遺産エルミナ城へ(約4時間)
朝アクラを出発し、世界遺産エルミナ城のあるエルミナへ車で向かう。道は舗装され通行には全く問題がない。それもそのはずこの道はギニア湾に面する各国への道路で、コンテナを運ぶトラックなどが頻繁に通る道で、エルミナまできれいに舗装された道が続いていた。そのまま進むとコートジボワールに行くことができる。陸続きの国境がない日本から来ると不思議な感覚を覚える。
世界遺産エルミナ城
エルミナ城は1482年にポルトガル人によって築かれた城塞で、金や奴隷の貿易の拠点として使われた。このあたりのギニア湾海岸線が奴隷海岸と言われた由来である。17世紀にはオランダ人が占領し、その後1871年には大英帝国が占領。大英帝国が奴隷貿易を中止するまで大西洋奴隷貿易の主要交易地としてこのエルミナ城は使われました。城は大きく手を加えられることもなく、当時使われた要塞がそのまま残されています。中には奴隷を入れておく部屋や船を積むための要塞からの出口など見学する事ができ、その当時の雰囲気を知る事ができます。教科書に書いてあった奴隷海岸にいると思うとなんだか感慨深いものがありました。世界遺産の割には観光客がほとんどおらず、貸し切り状態で見学ができました。日本語のガイドブックはないですが、英語のガイドブックがあるので興味があれば買ってみてもいいかも知れません。
エルミナからクマシへ(約4時間)
ガーナの海岸から内陸部へ入っていき、ガーナ第2の都市クマシへ、クマシは17世紀末から19世紀までアシャンティ王国の首都であった街で、このアシャンティ王国の伝統的建築物群は1980年に文化遺産として世界遺産に登録されています。ちなみにこの後も同じ悩みを抱えるのだが、通常写真位は取れるよね?という所がことごとく写真NGでこのクマシの世界遺産も同様であった。もちろんルールなので従うが、ここまで来て写真が取れないというのは少しストレスであった。ちなみに写真のデータやUSBなどがあればいいのだか、そういったものは一切なくガイドブックのみ。なぜかひと昔前を思い出してしまう品揃えであった。ヨーロッパで17世紀と言えばバロック様式の建築が始まった頃で、この地で同時期に土煉瓦で住居を作っていたと考えると文明の差をまざまざと感じてしまう。
〇4日目 ロメ泊
クマシから国境を越えトーゴに入国、首都のロメへ(約8時間)
クマシから一路トーゴの首都・ロメへ。この日はほとんど車移動で終わってしまった。道は舗装されているので、比較的快適だがなんせ遠い。車窓から通り過ぎる村や自然を眺めて過ごす。ちなみにトレイだが公衆トイレはほとんどなく、路上で済ますことが多かった。ツアーで女性が来る事ももちろんあるのでどうするのか確認した所、①ガソリンスタンドなどはあれば寄る ②民家にお願いして借りる ③青空の下でお願いする と①から順番に考えるとの事だった。田舎とは言え今回の3国は衛生面が悪くなく、場所を考えればむしろ良い方ではないだろうか。③はともかく、①・②に関してはまず嫌な思いをせず使えると思って大丈夫だろう。ただし道中スタンドや民家のない所を走る事も多く、今回に関して言えば青空で済ます事が多かった。
バナナ運搬車になる。
ガイドが全く何もない道でいきなり車を止めた。よく見ると路上でバナナを売っている。聞くところによるとこのあたりはバナナが有名で、アクラよりかなり安く買うことができるらしい。ガイドがバナナの交渉をしている間にトイレと一服を済ます。交渉が成立したようで多量のバナナがトランクに積み込まれる。私のスーツケースとバナナが占める比率がどうもおかしい。いつの間にかバナナ運搬車のようになってしまった。ちなみに青バナナは揚げたりして食べると大変おいしいらしい。
ガーナとトーゴの国境
日本では絶対できない陸路国境越え。ガーナとトーゴの国境越えは比較的簡単で全てガイドが手伝ってくれる。まずガーナの出国手続きを済ます。するとガーナ側にトーゴ側のガイドと車が来てくれているので、荷物を乗せ換えガーナ側のガイドとドライバーとさよならをする。トーゴ側の車で踏切のような国境を越えすぐの駐車場に車を止め、トーゴの入国手続きをする。すべて行って大体30分くらいで国境越えが完了した。ちなみに写真は一切取れず、もし取った場合SDカードごと没収されてしまう場合もあるとの事なので要注意。
また国境はあまり治安が良くない為、両替はガイドに相談すればホテル到着後闇両替商を呼んでくれます。ガーナの通貨やドル、ユーロでの両替が可能。
以前フランスの植民地だった事からトーゴから公用語がフランス語に変わります。すぐそこの国境を隔てて、さらにイギリスでもフランスでもない国で、公用語がいきなり英語からフランス語に変わるのは一種驚きでした。
トーゴの首都・ロメ
ロメは世界でも珍しい国境がある首都。国境で入国手続きしトーゴに入国するとすぐにロメの街に入ります。既に時間は夕方。トーゴの国教はブードゥー教で、その儀式に使う品物を売っている呪術マーケットと博物館を見学。呪術マーケットは取りあえず骨、また骨、たまに鳥のはく製となかなか衝撃的。ちなみにブードゥー教は1部怪しい黒魔術のように思われていますが、これは奴隷としてアメリカに渡った人たちがハイチなどで広めているブードゥーでトーゴやベナンで親しまれているブードゥー教とは全く異なるもの。確かに怪しげな品物を使いますが、基本的には人々の幸福を願う安全な宗教です。後日ブードゥー教の儀式も見学しました。
〇5日目 ソコデ泊
トーゴの北部にある世界遺産・バタマリバ人の土地クタマクを見るために、クタマクの途中にある町ソコデを目指します。クタマクまではかなり距離がある為、ソコデで1泊して夜炎の儀式を見学します。ソコデはロメから車で約7時間、トーゴの北部にある小さな街です。ドイツの植民地時代に建てられたコロニアル様式の建物がある以外、特に見るものはない街です。早めに宿に入り、夜の儀式に備えます。
炎の儀式(ファイアーダンスショー)
現地手配会社から来た日程表にはファイアーダンスショーと書かれていた。以前添乗員の仕事をしていた事もあり、各地の名物ダンスショーやディナーショーを多数見てきた私は、このファイアーダンスショーと書かれた儀式を甘く見ていた。ショーというからにはそれなりの舞台で、それなりの事をするのかと思っていたのだが、ソコデの街の小ささにそんな舞台があるとも思えず、また観光客の姿も見る事がないので本当に行われるのか疑問でした。夜7時30分にホテルを出発、ホテルから15分位の所で見るとの事。ガイドにほかの観光客もいるのか?と聞いた所人気の儀式なので観光客も見るとの事。ソコデの街には観光客の姿もいなかったのに?と疑問に思っていると会場に到着。いや会場というよりかはただの村の道端だ!でも独特なドラムがなっている!ガイドに促され木で作られたベンチに座る。落ち着いてあたりを見てみてもやはり道端。ここで儀式が行われるのか?と疑問に思いながら待っているとぱらぱらと集まってくる人々。やがて火が付き始めた所に恐らくガソリンをかけて火力増加でファイアーダンスショー開始。詳しくは動画をご参照ください。ボリューム要注意。結果から申し上げるとアフリカの田舎町の片隅で、迫力のあるドラムのリズムを聞きながら見るファイアーダンスショーは、色々な所で見たショーよりも圧倒的に上でした。最終的にはあたりの村人も見に来てえらい数の人々に取り囲まれました。ちなみに儀式の由来ですがこのソコデ周辺に今も住む部族に伝わる儀式で、炎に精霊がいると信じられており、その精霊を体に入れる事で敵の部族に打ち勝ったり、病気を退けられたリできると信じられているそうです。火のたいまつを体につけたり、口に入れる事で精霊を宿すことができると信じられています。
〇6日目 ナティティングー泊
世界遺産クタマクの伝統的家屋
ソコデから世界遺産バタマリバ人の土地クタマクへ出発。約3時間位で到着。クタマクはトーゴ北部にある非常に小さな集落で、タタソンベと呼ばれる独特な家屋を作り生活しています。このタタソンベですがすべて土で作られており、17世紀前後に初めて作られたタタソンベからほとんど作り方も変わっていないそうです。小さく見えても2階建てで、1回には家畜を入れる部屋とキッチンがあり、2階には寝室やバスルーム(というか雨どい)、収穫物の貯蔵庫などがあります。1家族1つのタタソンベを作り、ある程度の集団で生活しています。家族の男子が成長し、独立する際にはヤリもしくは弓矢を打ち、その落ちた所に新しいタタソンベを作るのが風習となっているようです。世界遺産に指定された今でも実際に部族が住んでいて、その生活を見る事ができます。今回はクタマクという土地に行きましたが、ここはベナンの国境も近くタタソンベ自体はベナン側でも多く見られるとの事です。ちなみにタタソンベという名前はベナンでの呼び名となり、トーゴではタタソンベヤマと呼ばれています。今でこそ猛獣やほかの部族の襲撃はないものの、このタタソンベは襲撃を考えられた作りになっており、1階には弓矢をいる銃眼、2階には1階に侵入した敵に湯や槍をいる穴が開けられています。襲撃が大規模な場合、独特のフエで周辺にいる仲間の部族を呼んだそうです。このタタソンベはバオバブの木を模して造られたそうで、このような住居ができる前は大きなバオバブの木の空洞に生活していたとの事です。なかなか他の地域では見た事のない住居の形で大変興味深かったです。
トーゴとベナンの国境
クタマクの観光を終えた後、国境を越えベナンに入ります。地方なので大きな国境はなく、トーゴ側では警察官が1名しかいない詰所のような所でスタンプを押してもらいました。ベナン側では詰所に警官がおらず、少し待ちましたが時間が無駄なのでナティティングーにある税関で入国手続きを行いました。共に10分程度の処理で簡単に入国ができました。
7日目 アボメー泊
ナティティングーから一路アボメーへ。
アボメーはベナン唯一の世界遺産であるアボメイの王宮群がある街で、かつての古都です。フォン人によって作られた王国は17世紀に始まり、19世紀にフランスに征服されるまで続きました。相変わらずの写真NGな世界遺産ですが、入り口のみ写真を撮る事ができます。アボメー王国は奴隷貿易で繁栄し、武器をヨーロッパから購入していたそうです。同じ地域の同じ人種を奴隷として売っていたなんて少し驚きです。また女性兵士の武装集団もいたそうでアマゾンと呼ばれていました。王宮群にはその当時のレリーフなども残されています。
ブードゥー教の儀式に参加
ブードゥー教は1部黒魔術のように思われている方もいらっしゃいますが、本来は精霊に健康や幸福を祈る平和な宗教です。アメリカ方面に連れて行かれた奴隷が中南米でこのブードゥー教を呪術のように広めたのが黒魔術のいわれらしく、現地の方もその宗教はマジックだと言っておりました。ブードゥーは迷った時など気軽に相談するようで、全く黒魔術の雰囲気はありませんでした。生きた鳥の血を司祭が祭壇にかけるので、ヨーロッパ人からしたら怪しい呪術のように見えるかも知れません。ガイドが司祭に相談する事があるので同行して見学させてもらいました。日本でも何か祈りごとがあると神社やお寺に行きますが、それと同じ感覚です。ちなみに私は後厄だったので司祭に幸福を祈っていただきました。
8日目 コトヌー泊
ゲートオブノーリターン
今は1970年に建てられた記念碑が残されているだけですが、当時の奴隷貿易の姿が見える場所があります。アボメーからコトヌーに向かう途中にあるヴィダという街で、広場で買われた奴隷が海岸にある船までどのように連れて行かれたか分かります。まず奴隷は変われるとフォゲットネスツリーという木に連れて行かれます。この木の周りを男性は9回、女性は7回回ると今までの記憶をなくし、従順な奴隷となります。その後奴隷たちは2週間密室に閉じ込められ、最低限の水しか与えられないそうです。これはこの後に乗る航海の準備で、耐えられない奴隷は船に乗せない様にするのです。海岸に連れて行く前にリターンツリーという木の周りを3回回ります。この木は奴隷が行った先で死んだあと、魂が故郷に再び戻ってくることができるのです。この儀式を終えるといよいよ海岸に向かい、船へと乗せられます。その当時には門などなかったのですが、現在門が建てられゲートオブノーリターンと呼ばれています。
アフリカのベネチアとも呼ばれる ガンビエ水上集落
ガンビエはアフリカ最大の水上都市で、経済的首都のコトヌーから近いノコウエ湖の水上にあります。この水上都市は16世紀から17世紀にかけてトフィヌ人が、その当時奴隷貿易で強大な権力を誇っていたフォン人の奴隷狩りから逃れる為に、安全な湖の水上に移り住んだのがこのガンビエの始まりとされています。奴隷狩りから逃れるために水上に街を作るなど、なかなかパワフルですね。今でも多くの人々が住んでおり、病院や学校などインフラも整っています。ホテルもあるので宿泊もできたりします。ただしこのガンビエの住人はかつて写真を撮られ許可なく本などに掲載された為、写真を撮られる事を極度に嫌がります。望遠でかなり遠くから撮影しようとしても、気配を察してかすぐに顔を隠します。まあ自分も勝手に取られたらいい気分はしないので、いたしかたないのかも知れません。あとこのガンビエ水上集落はミャンマーのインレー湖にある水上集落とそっくりでした。まあ水上にある集落なので、似ていて当然かもしれません。
あとがき
日本から片道乗継も入れて24時間。ガーナ、ベナン、トーゴは非常に魅力のある国でした。出発前は正直な所かなり不安もありましたが、実際治安もそこまで悪くなく、ガイドが同行すれば問題なく楽しめる国々でした。教科書で学んだ奴隷海岸にまさか自分が行くとは思っていませんでした。不満と言えば写真撮影にかなり制限があり、撮らせてくれてもいいのに!と思う事が多々ありました。色々な国に旅行をして、久々に旅行のドキドキを味わいたいという方には大変お勧めな国々です。
世界遺産エルミナ城:★★★★
使われた当時からそのままのお城。派手さが一切なく無骨な感じが意外に魅力。
クマシ:★★★
時間があれば寄りたい街。写真がほとんど取れず残念。
炎の儀式:★★★★★
ショーではあるがかなりリアルな迫力があり、久々に感動した。
世界遺産クタマク:★★★★★
秘境感がメチャメチャあり久々に海外旅行に来たという実感を感じ、大変お勧め。
アボメイの王宮群:★★★★
17世紀から19世紀まで土壁で街が作られていた。ヨーロッパの当時の建築からすると
かなり原始的だが、こちらも秘境感を感じる事ができる。
ゲートオブノーリターン:★★★★
その当時のものは残されていないが、奴隷が船に乗せられるルートとかリアルすぎる。
ガンビエ水上集落:★★★★
奴隷狩りから逃げて水上集落を作るなどかなりパワフル。
(2016年12月 菅原幸介)
露店の女性たち
ブードゥー教の儀式で使う呪術品
***今回の10日間の西アフリカ周遊の旅程***
1日目 夜発 香港・アジスアベバ経由アクラへ <機中泊>
2日目 アクラ観光 <アクラ泊>
3日目 クマシへ移動 クマシ観光 <クマシ泊>
4日目 国境を越えロメへ移動 <ロメ泊>
5日目 ソコデへ移動 ソコデ観光 <ソコデ泊>
6日目 国境を越えナティティングー移動 途中世界遺産観光<ナティティングー泊>
7日目 アボメーへ移動 アボメー観光、<アボメー泊>
8日目 コトヌーへ移動 途中ガンビエ観光 <コトヌー泊>
9日間 コトヌーを出発
10日目 帰国
〇1日目 機中泊
成田夜出発。香港経由だかアジスアベバまで直行便のエチオピア航空を利用。エチオピア航空と言えば、ドリームライナーと呼ばれるボーイング787を比較的早く導入し、運航している。成田・アジスアベバ間はこの787での運航だった。受領したのは2012年と既に4年経っておりさんざん使っているのか、最新鋭という印象は全く受けなかった。機材エンターテイメントは日本語なし。映画も日本語字幕が一本もない。日本の映画は3本のみ。あえて名前は出さないが金曜ロードショーでやってたとしても恐らく見ないであろう映画。USBはあるがシート電源はコンセントはあるものの使えず。成田・香港間が5時間、香港で1時間駐機の後、アジスアベバまでは約11時間。私は3DSやら動画やら万全の体制で時間つぶしの準備をしていたので、寝たりゲームしたり映画見たりと時間を潰せたが、これから搭乗予定の方は暇つぶしの道具があった方が確実に無難。なお機内は日本のグループの方が多数、その他成田・香港間のみ利用する方や香港からアジスアベバ間のみを利用する方など香港での乗り換え人がかなり多かった。
〇2日目 アクラ泊
朝、アジスアベバ到着。計17時間かかったが意外に寝れたのでそこそこ元気。実は前日出発時点で既に25分遅れており、元々の乗継時間が45分しかなく一体次の便に乗れるのかと少し不安に思いながらのアジスアベバ到着だった。到着するとゲートでグランドスタッフが待っており、セキュリティーも受けず通過し一目散に次の便のゲートへ。なんと25分の乗継でも間に合ってしまった!次のフライトはアジスアベバから約6時間のフライトでガーナのアクラへ。心配していた荷物もきちんとアクラに到着。意外とできる航空会社かも知れない?エチオピア航空。
野口英世研究所跡
アクラには日本の偉人野口英世が晩年黄熱病の研究を行った研究所跡がある。コルレブ病院の1部を研究所として使用していたが、現在その当時使った顕微鏡や写真などその当時英世がどのような事をしていたのか分かる展示がされている。今でも空路で24時間かかるこのガーナに来るだけでもその当時はえらく大変だったに違いない。故郷から遠く離れたこの地で黄熱病で死を遂げた彼はきっと故郷に帰りたかったに違いない。展示物の中には黄熱病罹患後の英世の体温の計測記録も残っており、高熱にうなされながら何を思ったのだろうと考えてしまう。また荒れてはいるが、研究所そばには日本庭園もあり英世の銅像を見る事ができる。
野口英世研究所跡
黄熱病に罹患後の野口英世の体温測定結果
野口英世研究所跡にある日本庭園
ガーナの治安
ちょうど到着の2日前にガーナの大統領選挙が行われたせいで、町の中はかなりあわただしかった。どこかのおじさんとは違い、ある程度支持をされていた候補に決まったようで治安が悪いというよりかは、良い意味での賑わいがあった。この後のトーゴ、ベナンも同様だか、少なくともツアー中に危険を感じる事やその雰囲気を感じる事すらなかった。アフリカ大陸と言ってもかなり広大で、日本人からするとどうしてもひっくるめてアフリカは危ないと感じてしまう人もいるだろうが、少なくともこの3国に関してはその危険性は少ないと思われる。ただし日が暮れてからの出歩きはしない方がよいと言われたし、トーゴの首都ロメでは夜に海岸は絶対歩くなと注意をされた。他の国と同様に、一般的な注意をしていれば問題なく楽しめるのではないかと思う。
〇3日目 クマシ泊
アクラから世界遺産エルミナ城へ(約4時間)
朝アクラを出発し、世界遺産エルミナ城のあるエルミナへ車で向かう。道は舗装され通行には全く問題がない。それもそのはずこの道はギニア湾に面する各国への道路で、コンテナを運ぶトラックなどが頻繁に通る道で、エルミナまできれいに舗装された道が続いていた。そのまま進むとコートジボワールに行くことができる。陸続きの国境がない日本から来ると不思議な感覚を覚える。
アクラからクマシへ向かう道。きれいに舗装されている。
世界遺産エルミナ城
エルミナ城は1482年にポルトガル人によって築かれた城塞で、金や奴隷の貿易の拠点として使われた。このあたりのギニア湾海岸線が奴隷海岸と言われた由来である。17世紀にはオランダ人が占領し、その後1871年には大英帝国が占領。大英帝国が奴隷貿易を中止するまで大西洋奴隷貿易の主要交易地としてこのエルミナ城は使われました。城は大きく手を加えられることもなく、当時使われた要塞がそのまま残されています。中には奴隷を入れておく部屋や船を積むための要塞からの出口など見学する事ができ、その当時の雰囲気を知る事ができます。教科書に書いてあった奴隷海岸にいると思うとなんだか感慨深いものがありました。世界遺産の割には観光客がほとんどおらず、貸し切り状態で見学ができました。日本語のガイドブックはないですが、英語のガイドブックがあるので興味があれば買ってみてもいいかも知れません。
当時奴隷が入れられていた部屋。
奴隷はこの扉から海岸に連れ出され、船に積まれていった。
奴隷を拘束する為の拘束具
この海岸から多くの奴隷がヨーロッパに連行されていった。
エルミナからクマシへ(約4時間)
ガーナの海岸から内陸部へ入っていき、ガーナ第2の都市クマシへ、クマシは17世紀末から19世紀までアシャンティ王国の首都であった街で、このアシャンティ王国の伝統的建築物群は1980年に文化遺産として世界遺産に登録されています。ちなみにこの後も同じ悩みを抱えるのだが、通常写真位は取れるよね?という所がことごとく写真NGでこのクマシの世界遺産も同様であった。もちろんルールなので従うが、ここまで来て写真が取れないというのは少しストレスであった。ちなみに写真のデータやUSBなどがあればいいのだか、そういったものは一切なくガイドブックのみ。なぜかひと昔前を思い出してしまう品揃えであった。ヨーロッパで17世紀と言えばバロック様式の建築が始まった頃で、この地で同時期に土煉瓦で住居を作っていたと考えると文明の差をまざまざと感じてしまう。
クマシ博物館
王宮博物館
アシャンティ王国の伝統的建築
〇4日目 ロメ泊
クマシから国境を越えトーゴに入国、首都のロメへ(約8時間)
クマシから一路トーゴの首都・ロメへ。この日はほとんど車移動で終わってしまった。道は舗装されているので、比較的快適だがなんせ遠い。車窓から通り過ぎる村や自然を眺めて過ごす。ちなみにトレイだが公衆トイレはほとんどなく、路上で済ますことが多かった。ツアーで女性が来る事ももちろんあるのでどうするのか確認した所、①ガソリンスタンドなどはあれば寄る ②民家にお願いして借りる ③青空の下でお願いする と①から順番に考えるとの事だった。田舎とは言え今回の3国は衛生面が悪くなく、場所を考えればむしろ良い方ではないだろうか。③はともかく、①・②に関してはまず嫌な思いをせず使えると思って大丈夫だろう。ただし道中スタンドや民家のない所を走る事も多く、今回に関して言えば青空で済ます事が多かった。
路上でトイレ休憩
バナナ運搬車になる。
ガイドが全く何もない道でいきなり車を止めた。よく見ると路上でバナナを売っている。聞くところによるとこのあたりはバナナが有名で、アクラよりかなり安く買うことができるらしい。ガイドがバナナの交渉をしている間にトイレと一服を済ます。交渉が成立したようで多量のバナナがトランクに積み込まれる。私のスーツケースとバナナが占める比率がどうもおかしい。いつの間にかバナナ運搬車のようになってしまった。ちなみに青バナナは揚げたりして食べると大変おいしいらしい。
ガイドがバナナを大量購入
バナナ以外に野菜やとうがらしなども売っている
車のトランクがバナナで埋まる。
ガーナとトーゴの国境
日本では絶対できない陸路国境越え。ガーナとトーゴの国境越えは比較的簡単で全てガイドが手伝ってくれる。まずガーナの出国手続きを済ます。するとガーナ側にトーゴ側のガイドと車が来てくれているので、荷物を乗せ換えガーナ側のガイドとドライバーとさよならをする。トーゴ側の車で踏切のような国境を越えすぐの駐車場に車を止め、トーゴの入国手続きをする。すべて行って大体30分くらいで国境越えが完了した。ちなみに写真は一切取れず、もし取った場合SDカードごと没収されてしまう場合もあるとの事なので要注意。
また国境はあまり治安が良くない為、両替はガイドに相談すればホテル到着後闇両替商を呼んでくれます。ガーナの通貨やドル、ユーロでの両替が可能。
以前フランスの植民地だった事からトーゴから公用語がフランス語に変わります。すぐそこの国境を隔てて、さらにイギリスでもフランスでもない国で、公用語がいきなり英語からフランス語に変わるのは一種驚きでした。
トーゴの首都・ロメ
ロメは世界でも珍しい国境がある首都。国境で入国手続きしトーゴに入国するとすぐにロメの街に入ります。既に時間は夕方。トーゴの国教はブードゥー教で、その儀式に使う品物を売っている呪術マーケットと博物館を見学。呪術マーケットは取りあえず骨、また骨、たまに鳥のはく製となかなか衝撃的。ちなみにブードゥー教は1部怪しい黒魔術のように思われていますが、これは奴隷としてアメリカに渡った人たちがハイチなどで広めているブードゥーでトーゴやベナンで親しまれているブードゥー教とは全く異なるもの。確かに怪しげな品物を使いますが、基本的には人々の幸福を願う安全な宗教です。後日ブードゥー教の儀式も見学しました。
ロメにある呪術マーケット
儀式に使う怪しげな品々
ロメ独立記念広場
ロメのホテルからガーナ側を眺める
〇5日目 ソコデ泊
トーゴの北部にある世界遺産・バタマリバ人の土地クタマクを見るために、クタマクの途中にある町ソコデを目指します。クタマクまではかなり距離がある為、ソコデで1泊して夜炎の儀式を見学します。ソコデはロメから車で約7時間、トーゴの北部にある小さな街です。ドイツの植民地時代に建てられたコロニアル様式の建物がある以外、特に見るものはない街です。早めに宿に入り、夜の儀式に備えます。
フフと呼ばれるトーゴ料理
ソコデ博物館
ソコデの街並み
炎の儀式(ファイアーダンスショー)
現地手配会社から来た日程表にはファイアーダンスショーと書かれていた。以前添乗員の仕事をしていた事もあり、各地の名物ダンスショーやディナーショーを多数見てきた私は、このファイアーダンスショーと書かれた儀式を甘く見ていた。ショーというからにはそれなりの舞台で、それなりの事をするのかと思っていたのだが、ソコデの街の小ささにそんな舞台があるとも思えず、また観光客の姿も見る事がないので本当に行われるのか疑問でした。夜7時30分にホテルを出発、ホテルから15分位の所で見るとの事。ガイドにほかの観光客もいるのか?と聞いた所人気の儀式なので観光客も見るとの事。ソコデの街には観光客の姿もいなかったのに?と疑問に思っていると会場に到着。いや会場というよりかはただの村の道端だ!でも独特なドラムがなっている!ガイドに促され木で作られたベンチに座る。落ち着いてあたりを見てみてもやはり道端。ここで儀式が行われるのか?と疑問に思いながら待っているとぱらぱらと集まってくる人々。やがて火が付き始めた所に恐らくガソリンをかけて火力増加でファイアーダンスショー開始。詳しくは動画をご参照ください。ボリューム要注意。結果から申し上げるとアフリカの田舎町の片隅で、迫力のあるドラムのリズムを聞きながら見るファイアーダンスショーは、色々な所で見たショーよりも圧倒的に上でした。最終的にはあたりの村人も見に来てえらい数の人々に取り囲まれました。ちなみに儀式の由来ですがこのソコデ周辺に今も住む部族に伝わる儀式で、炎に精霊がいると信じられており、その精霊を体に入れる事で敵の部族に打ち勝ったり、病気を退けられたリできると信じられているそうです。火のたいまつを体につけたり、口に入れる事で精霊を宿すことができると信じられています。
炎の儀式の会場。というかただの街中。
徐々に人が集まってくる。
かなりの迫力
目がどこかに行ってしまっておりました。
最終的にはえらい数の人々が集まる。久々の完全アウェー感。
〇6日目 ナティティングー泊
世界遺産クタマクの伝統的家屋
ソコデから世界遺産バタマリバ人の土地クタマクへ出発。約3時間位で到着。クタマクはトーゴ北部にある非常に小さな集落で、タタソンベと呼ばれる独特な家屋を作り生活しています。このタタソンベですがすべて土で作られており、17世紀前後に初めて作られたタタソンベからほとんど作り方も変わっていないそうです。小さく見えても2階建てで、1回には家畜を入れる部屋とキッチンがあり、2階には寝室やバスルーム(というか雨どい)、収穫物の貯蔵庫などがあります。1家族1つのタタソンベを作り、ある程度の集団で生活しています。家族の男子が成長し、独立する際にはヤリもしくは弓矢を打ち、その落ちた所に新しいタタソンベを作るのが風習となっているようです。世界遺産に指定された今でも実際に部族が住んでいて、その生活を見る事ができます。今回はクタマクという土地に行きましたが、ここはベナンの国境も近くタタソンベ自体はベナン側でも多く見られるとの事です。ちなみにタタソンベという名前はベナンでの呼び名となり、トーゴではタタソンベヤマと呼ばれています。今でこそ猛獣やほかの部族の襲撃はないものの、このタタソンベは襲撃を考えられた作りになっており、1階には弓矢をいる銃眼、2階には1階に侵入した敵に湯や槍をいる穴が開けられています。襲撃が大規模な場合、独特のフエで周辺にいる仲間の部族を呼んだそうです。このタタソンベはバオバブの木を模して造られたそうで、このような住居ができる前は大きなバオバブの木の空洞に生活していたとの事です。なかなか他の地域では見た事のない住居の形で大変興味深かったです。
世界遺産クタマクの伝統的家屋
2階にある寝室に入ってみる。
1階にある監視穴。敵が来た場合ここから弓矢や槍で戦う
一家族に1つタタソンベが作られる。
タタソンベを作る前に住んでいたバオバブの木の中
トーゴとベナンの国境
クタマクの観光を終えた後、国境を越えベナンに入ります。地方なので大きな国境はなく、トーゴ側では警察官が1名しかいない詰所のような所でスタンプを押してもらいました。ベナン側では詰所に警官がおらず、少し待ちましたが時間が無駄なのでナティティングーにある税関で入国手続きを行いました。共に10分程度の処理で簡単に入国ができました。
ゆるいトーゴの国境チェックポイント
ワチと呼ばれる米に豆を混ぜたトーゴ料理
7日目 アボメー泊
ナティティングーから一路アボメーへ。
アボメーはベナン唯一の世界遺産であるアボメイの王宮群がある街で、かつての古都です。フォン人によって作られた王国は17世紀に始まり、19世紀にフランスに征服されるまで続きました。相変わらずの写真NGな世界遺産ですが、入り口のみ写真を撮る事ができます。アボメー王国は奴隷貿易で繁栄し、武器をヨーロッパから購入していたそうです。同じ地域の同じ人種を奴隷として売っていたなんて少し驚きです。また女性兵士の武装集団もいたそうでアマゾンと呼ばれていました。王宮群にはその当時のレリーフなども残されています。
アボメーへ向かう道中。物売りの女性たち
アボメー王宮群
アボメー王宮群 来客用の広間
ブードゥー教の儀式に参加
ブードゥー教は1部黒魔術のように思われている方もいらっしゃいますが、本来は精霊に健康や幸福を祈る平和な宗教です。アメリカ方面に連れて行かれた奴隷が中南米でこのブードゥー教を呪術のように広めたのが黒魔術のいわれらしく、現地の方もその宗教はマジックだと言っておりました。ブードゥーは迷った時など気軽に相談するようで、全く黒魔術の雰囲気はありませんでした。生きた鳥の血を司祭が祭壇にかけるので、ヨーロッパ人からしたら怪しい呪術のように見えるかも知れません。ガイドが司祭に相談する事があるので同行して見学させてもらいました。日本でも何か祈りごとがあると神社やお寺に行きますが、それと同じ感覚です。ちなみに私は後厄だったので司祭に幸福を祈っていただきました。
ブードゥー教の祭壇
ガイドが司祭に幸福を祈ってもらう
8日目 コトヌー泊
ゲートオブノーリターン
今は1970年に建てられた記念碑が残されているだけですが、当時の奴隷貿易の姿が見える場所があります。アボメーからコトヌーに向かう途中にあるヴィダという街で、広場で買われた奴隷が海岸にある船までどのように連れて行かれたか分かります。まず奴隷は変われるとフォゲットネスツリーという木に連れて行かれます。この木の周りを男性は9回、女性は7回回ると今までの記憶をなくし、従順な奴隷となります。その後奴隷たちは2週間密室に閉じ込められ、最低限の水しか与えられないそうです。これはこの後に乗る航海の準備で、耐えられない奴隷は船に乗せない様にするのです。海岸に連れて行く前にリターンツリーという木の周りを3回回ります。この木は奴隷が行った先で死んだあと、魂が故郷に再び戻ってくることができるのです。この儀式を終えるといよいよ海岸に向かい、船へと乗せられます。その当時には門などなかったのですが、現在門が建てられゲートオブノーリターンと呼ばれています。
奴隷が売り買いされた広場
フォゲットネスツリーがあったとされる場所
リターンツリー
奴隷が船に積まれたとされる場所。ゲートオブノーリターン。
アフリカのベネチアとも呼ばれる ガンビエ水上集落
ガンビエはアフリカ最大の水上都市で、経済的首都のコトヌーから近いノコウエ湖の水上にあります。この水上都市は16世紀から17世紀にかけてトフィヌ人が、その当時奴隷貿易で強大な権力を誇っていたフォン人の奴隷狩りから逃れる為に、安全な湖の水上に移り住んだのがこのガンビエの始まりとされています。奴隷狩りから逃れるために水上に街を作るなど、なかなかパワフルですね。今でも多くの人々が住んでおり、病院や学校などインフラも整っています。ホテルもあるので宿泊もできたりします。ただしこのガンビエの住人はかつて写真を撮られ許可なく本などに掲載された為、写真を撮られる事を極度に嫌がります。望遠でかなり遠くから撮影しようとしても、気配を察してかすぐに顔を隠します。まあ自分も勝手に取られたらいい気分はしないので、いたしかたないのかも知れません。あとこのガンビエ水上集落はミャンマーのインレー湖にある水上集落とそっくりでした。まあ水上にある集落なので、似ていて当然かもしれません。
ガンビエ水上集落 物売りの女性たち
ガンビエ水上集落
ガンビエ水上集落 ホテルもある。
ガンビエ水上集落 市場(マルシェ)
あとがき
日本から片道乗継も入れて24時間。ガーナ、ベナン、トーゴは非常に魅力のある国でした。出発前は正直な所かなり不安もありましたが、実際治安もそこまで悪くなく、ガイドが同行すれば問題なく楽しめる国々でした。教科書で学んだ奴隷海岸にまさか自分が行くとは思っていませんでした。不満と言えば写真撮影にかなり制限があり、撮らせてくれてもいいのに!と思う事が多々ありました。色々な国に旅行をして、久々に旅行のドキドキを味わいたいという方には大変お勧めな国々です。
ブードゥー教の司祭と記念写真
世界遺産クタマクで戦士の帽子をかぶる。
世界遺産エルミナ城:★★★★
使われた当時からそのままのお城。派手さが一切なく無骨な感じが意外に魅力。
クマシ:★★★
時間があれば寄りたい街。写真がほとんど取れず残念。
炎の儀式:★★★★★
ショーではあるがかなりリアルな迫力があり、久々に感動した。
世界遺産クタマク:★★★★★
秘境感がメチャメチャあり久々に海外旅行に来たという実感を感じ、大変お勧め。
アボメイの王宮群:★★★★
17世紀から19世紀まで土壁で街が作られていた。ヨーロッパの当時の建築からすると
かなり原始的だが、こちらも秘境感を感じる事ができる。
ゲートオブノーリターン:★★★★
その当時のものは残されていないが、奴隷が船に乗せられるルートとかリアルすぎる。
ガンビエ水上集落:★★★★
奴隷狩りから逃げて水上集落を作るなどかなりパワフル。
(2016年12月 菅原幸介)
- <穏やかな仏教国ラオスの寺院巡りと一生に一度は訪れたい遺跡の宝庫カンボジア〜信仰とは〜>
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エリア:
- アジア>カンボジア>シェムリアップ
- アジア>ラオス>ルアンプラバン
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2017/01/16 12:46
現在も篤く仏教を信仰しながら生きる世界遺産の街ラオス・ルアンプラバン
ヒンドゥー教の総本山を抱える遺跡の街カンボジア・シェムリアップ
今回はそんな2か国2都市を訪問し、寺院と遺跡を巡るタイムトリップに行ってきました!
*旅程*
12/11 深夜ルアンプラバン着
12/12 メコン川クルーズとパクオー洞窟観光
12/13 市内観光
12/14 モン族の村とクァンシー滝観光後、シェムリアップへ
12/15 アンコール・ワット遺跡群観光
12/16 アンコール・ワット遺跡群観光
12/17 聖地プノンクーレンとベンメリア観光
12/18 トンレサップ湖クルーズとオールドマーケット散策後、帰路へ
12/19 日本着
〈ラオス〉
今回滞在した場所は、世界遺産都市ルアンプラバン。都市名は、大きな黄金の仏像という意味を持ちます。
ラオス北部の山岳地帯に位置し、メコン川とカーン川の合流地点にある古都です。
14世紀半ば、初の統一国家ランサン王国の都として栄えながら多くの寺院が建てられたのち、フランス植民地となり仏式コロニアル建築の美しい建物も残る歴史的な街並みに普遍的価値が認められ、1995年に市街地全体が世界文化遺産に登録されました。
*訪れた主な場所(ラオス)*
★ラオス焼酎醸造を営むサンハイ村
★パクオー洞窟
★手すきの紙とシルク製作のサンコン村
★朝市
★ワット・マイ (ワット・マイ・スワンナプーム・アハーム)
★王宮博物館
★プーシーの丘
★ワット・シェントーン
★ワット・ビスンナラート(すいか寺)
★ワット・マノーロム
★ナイトマーケット
★早朝の托鉢
★モン族の村
★クァンシー滝
*中でも印象深い場所*
◯パクオー洞窟
ルアンプラバン市街地からメコン河に浮かぶ船に約2時間揺られ、河から顔を出す巨大な崖の窪みにその洞窟はあります。
絶壁をくり抜いて造られたタム・ティン・ルムとそこから階段を登り辿り着くタム・ティン・トゥンという2つの洞窟があります。
タム・ティン・ルムの内部には、市民が持ち寄った大小様々な約4000体ものおびただしい数の仏像が所狭しと洞窟内を埋め尽くしています。
洞窟内の小さな窪みの上や崖っぷちにまでちょこちょこと仏像が置かれています。
タム・ティン・ルムの外へ出て階段を登っていくと、もう一つの洞窟タム・ティン・トゥンが現れます。大きな横穴になっており、入り口付近は鍾乳洞となっています。中は真っ暗なので懐中電灯を借りて入ります。
暗闇の中、ライトを照らすとぼんやりと浮かび上がる仏像たち。こちらにも多くの仏像が安置されています。
闇の中に佇む仏像たちは不思議で神秘的な雰囲気を醸し出し、あちらこちらから視線を感じるような不気味さもありとても印象的な場所でした。
◯プーシーの丘
王宮博物館の向かいにある登り口から、300段以上の階段を登り頂上へ向かいます。
高さ約150mの小高いプーシーの丘からは、世界遺産ルアンプラバンの市街とメコン河の流れる街並みほぼ360度の展望を楽しむことが出来る場所です。
メコン河の向こうへ沈みゆく夕日鑑賞のベストスポットでもあり、夕刻は参拝客で賑わいをみせるようです。
頂上へ到着すると、タート・チョムシーという金色の仏塔がそびえ立ちます。そして辺りを見渡すとカーン河が流れる市街地やメコン河が一望でき、素朴なルアンプラバンの街並みを前に何だかホッとするような穏やかな気持ちになりました。
かつてここで神に導かれた二人の仙人がルアンプラバンの街を創造したという伝説が残されており、仙人(ルーシー)の山(プー)という意でプーシーと呼ばれるようになりました。確かに仙人が住んでいてもおかしくないような、神秘的で空気の澄んだ場所です。
◯ワット・シェントーン
ルアンプラバンで最も美しい寺と謳われるワット・シェントーンは1560年、セティラート王により建立されました。屋根が流れるように軒に向かい低くなる典型的なルアンプラバン様式の建物で、格式高く荘厳な場所となっています。
王族の儀式等にも利用された場所で、ルアンプラバン最後の国王且つ初代ラオス国王シーサワンウォン王の葬儀で使われた霊柩車も納められています。
流れるような躍動感のある屋根が美しく、また黒塗りされた外壁の金色の装飾や本堂内部に安置されている黄金の仏像達も非常に魅力的です。
この寺院で必見のものは、本堂裏面の壁に大きく描かれたマイ・トーン(黄金の木)と呼ばれるモザイク画です。
きらきらと光を反射する色とりどりのモザイクが埋め込まれて描かれた巨木の周りに煌びやかな鳥があしらわれ、その鮮やかさに心を奪われます。
◯早朝の托鉢
托鉢は、ラオス全土で行われる僧侶が信者の家をまわり食物をもらいながら練り歩く伝統的な仏教の行事です。特にルアンプラバンは古都ということもあり規模が大きいのが特徴。
滞在していたホテルの前でも行われると伺い、早朝6時頃に起床し外に出ました。既に托鉢を待つ信者の方々が道端にシートを敷き、食物を用意して待っています。
托鉢の際は僧侶に触れないこと、女性は座って待つ等のマナーがあります。
私も、捧げる赤米を用意し僧侶達を待ちます。
空が少し明るくなってくると、道の向こう側が賑やかになってきました。近づいてみると、橙色に身を包んだ列になって歩く僧侶達が見えてきました。
そばまで来ると持っている鉢を開けてくれるので、そこに食物を入れます。中には既に沢山のお米やお菓子、ラオスの通貨キープも入っていました。
彼らは私の前を過ぎ去っていくと、次に待つ人々のもとへと歩いて行きました。
托鉢僧に食物を献上する人々はみな穏やかな表情で、仏教国として僧侶が崇拝されている様を間近で見る事が出来る貴重な体験でした。
*ラオス式仏教は曜日が大切*
ラオスの人々は、自分の誕生日を日付ではなく曜日で覚えるそうです。タイなどでも同じようですが、それは彼らが信仰する仏教において曜日ごとに仏像が存在するからだそう。
それぞれの意味は、
日曜日 挨拶をする
月曜日 喧嘩をしない
火曜日 涅槃 (眠る)
水曜日 托鉢をする
木曜日 勉強をする
金曜日 気持ちが良い
土曜日 瞑想状態(至高の状態)
とのこと。この流れで彼らは仏教の教えに沿って生きているのです。日本人にとって誕生日を曜日で覚えているのは不思議なことですが、そんな文化の違いにも触れられて良い体験になりました。
*ラオスの料理*
ラオス料理というと想像がすぐにできませんが、比較的日本人の口に合うものが多かった印象です。辛いものや香草好きの方にはもってこいの料理です。
とくにラープと呼ばれる、ひき肉に香草やレモンで味をつけてご飯と一緒に食べる伝統料理は美味しく頂きました。そして何よりもち米(とくに赤米)がもちもちでお気に入りでした。また、ご飯が専用のおひつ「ティップ・カオ」に入って提供されることに異国情緒を感じなお美味しく頂けました。
〈カンボジア〉
滞在先は、ヒンドゥー教の神々を祀った王宮都市遺跡アンコール・ワットが門を構える街シェムリアップ。
12世紀頃からクメール人の王国がこの地で権威をふるった際に時の王が次々と建立した遺跡群が林立します。19世紀にフランス人により遺跡が発見されるまでは密林に埋もれ、近くに住む人々にしかその存在は認知されていませんでした。壮大な王朝都市とヒンドゥー教寺院の総本山であるこれら遺跡群を見ようと世界各地からの観光客が絶えない場所です。
*訪れた主な場所(カンボジア)*
★アンコール・トム
★タ・プローム
★アンコール・ワット
★プノン・バケン
★アプサラダンスショー
★プリア・カン
★タ・ソム
★東メボン
★バンテアイ・スレイ
★プノンクーレン
★ベンメリア
★パブストリート
★トンレサップ湖
★オールドマーケット
*中でも印象深い場所*
◯アンコール・ワット
東南アジアの大帝国クメール王国が残したヒンドゥー教寺院の総本山アンコール・ワット。カンボジアと言えばアンコール・ワットと口を揃えて提唱されるほどには国の象徴的なものとなっていることでしょう。
この建物は12世紀初頭の王スールヤヴァルマン2世が自身の王権誇示の目的とともに、ヒンドゥー教の3大神の1人ヴィシュヌ神へ捧げた壮大な宗教建築です。寺院中心部で王は神々と交信をし、死後はここに埋葬されることで王と神が一体となるデーヴァ・ラジャ思想のもと王権の神格化に励みました。
なんといっても回廊の壁に施された細やかで規模の大きなレリーフが見どころで、インド叙事詩『ラーマーヤナ』や神話の一節、天国と地獄の様子を描いたもの、現実世界の王や人々の生活が一面に広がります。
すっかり有名な観光地となったアンコール・ワットですが、その姿はやはり何か神々しいものがあり人々を惹きつけてやまない、これから先もそこに在り続ける神の寺院なのだろうと感じます。
◯アンコール・トム
アンコール・トムは現在も人気の高いクメールの覇者ジャヤヴァルマン7世が創建した王都です。
こちらの王都中心に位置するバイヨン寺院は必見です。穏やかに微笑む巨大な四面仏のモチーフが南大門をはじめ所々に現れ、まるでどこからでも見守られているかのよう。
創建者ジャヤヴァルマン7世が大乗仏教に深く帰依しており、アンコール・トムはヒンドゥー教だけでなく仏教信仰の側面も持ち、神と仏が共存します。しかし後の王ジャヤヴァルマン8世はヒンドゥー教を愛し仏教を嫌ったため、7世が建てたヒンドゥー教と仏教の入り混じった宗教建築の仏教信仰部分である仏像のレリーフ等は、ほぼ全て削り取られてしまっています。
レリーフは、庶民の日常生活や当時対立していたチャンパ軍との戦いの様子(実際の歴史)が描かれており、アンコール・ワットよりも現実世界に寄り添った生き生きとした姿が魅力的です。
◯プリア・カン
かつてこの寺院の境内で剣が発見されたことから、“聖なる剣”を意味する名がつけられた遺跡。アンコール・トムやタ・プロームを建てた王ジャヤヴァルマン7世が建立しました。
ここは仏教とヒンドゥー教が入り混じった寺院であるとともにジャヤヴァルマン7世の父の墓でもあり、驚いたことにその墓の塔部分はインドネシアにある仏教の総本山ボロブドゥール寺院の仏塔にそっくりです。
ジャヤヴァルマン7世は仏教に入信していましたが、どうやら自らボロブドゥールへ出向いたことがあるそうで、父の墓を建立する際にこの仏教建築を参考にしたというのです。仏教への信心深さと父親への思い入れが伺えるこの遺跡は、ジャヤヴァルマン7世にとって強い想いが詰まった大切な場所であったことでしょう。
◯プノンクーレン
「ライチ山」の意を持つプノンクーレンは、アンコール王朝の独立宣言と当時の王の即位儀式を行ったとされるアンコール発祥の聖地として人々に崇められています。
山中には寺院があり、プレア・アントンと呼ばれる巨大な金の涅槃仏が収められています。涅槃仏の周りには信者が持ち寄った小さな仏像や奉納物などが並べられています。
寺院の麓ではシヴァ神のリンガから聖水を貰うことが出来ます。口に含み、頭にかけると恩恵を受けられるそう。
その近くにはクバルスピアンという水中遺跡があり、川底に千本ものリンガが収められ、シヴァ神やヴィシュヌ神も彫られています。ヒンドゥー教の神なので見学している観光客はインドの方が多くみられました。
リンガを通した水は聖水となるという考えのもと、この川の下流には、聖なる滝が現れます。
滝の近くには屋台やレストランもあるため、一息ついて巨大な滝を見に行けます。
◯ベンメリア
アンコール・ワットの建立前に、同じ王が試作で石切場に近い場所に建てたとされる密林にひっそりと佇む遺跡。
ポルポト政権時代に400以上もの大量の地雷が埋められていた地域ですが、他国の協力により撤去され現在は安全に観光できます。
近年、崩壊が進み樹木に覆われ、苔むした瓦礫が散らばる神秘的な景観がジブリ映画“天空の城ラピュタ”の世界観にそっくりだと話題になり、知っている方も多いのではと思います。
やはりアンコール・ワットの試作とのことで崩壊により回廊の原型はとどめていませんが、窓のつくりがそっくりです。岩に空いた穴は、石切場から引っ張って運ぶためのものだそう。
今にも巨神兵が朽ちた木や苔の生え蒸した石の間から顔を出しそうな妙な雰囲気が漂う魅力ある場所です。中心部からは少し離れますが、途中の田園風景など貴重な景色も楽しめるおすすめスポットでした。
*ヒンドゥー教の神*
アンコール・ワット遺跡群はヒンドゥー教の総本山。ヒンドゥー教には数多くの神々が存在します。
中でも3大神と呼ばれるブラフマン神、ヴィシュヌ神、シヴァ神が中心となっています。アンコール・ワットをはじめとする寺院は3つの山の形がモチーフとなっていることが多いです。これらの山はそれぞれ3大神を投影しているとされます。
シヴァ神やヴィシュヌ神はレリーフにも多く登場します。ヴィシュヌ神は化身後の姿で表されることも多いです。ブラフマンの姿は限られた場所でしか見られません。
ブラフマン神…世界の創造・再生
ヴィシュヌ神…世界の維持
シヴァ神…恩恵及び寿命が来た世界の破壊
宗派によって解釈は異なりますが、基本的にそれぞれ上記の役割を持っています。この世界は全て彼らによってコントロールされているということです。この他にも彼らの奥様方に加え鳥神ガルーダ、蛇ナーガ、象の顔を持つガネーシャ等多数の神々が存在するヒンドゥー教の神話は現実で考えると無茶な話も多いですが聞いてみると奥深く面白いです。
*カンボジアの料理*
基本は、主食のお米と湖でとれる淡水魚等に味付けは砂糖ヤシからとれる天然の砂糖と、魚醤(トゥック・レイ)を混ぜた甘酸っぱいものが主流。東南アジアで定番の香草類でアクセントをつけて、調味料等で味を整えます。春巻きやカレーも主流。
特に好きだったものはピーナッツ入りの野菜炒め。新鮮な野菜をたっぷりと使いオイスターソース等で深みのある味を付けた炒めものにナッツを混ぜた料理も多く、日本人の口にもよく合います。
*2か国2都市の旅を終えてまとめ*
今回の旅は異国の宗教と寺院建築を存分に味わえた貴重な旅でした。
自分自身は無宗教ですが、それぞれの寺院に刻まれた当時の人々の思いや彼らが信仰してきたものが、何十年、何百年もの年月が経ってもなお現在に生きるその地の人々に受け継がれているという現実を目の当たりにし、宗教と人間の信仰深さが重なり合うことで生まれる力を改めて感じました。
現在この宗教関連で国内外様々な問題が起きていますが、互いを受容しあい認め合える世の中になる日を願いながら次も異国の地に足を延ばそうと思います。
*利用ホテル*
ルアンプラバン・・・マノラックホテル
<ホテル目の前で托鉢を見ることができます。通り沿いにはお洒落なレストランも>
シェムリアップ・・・アンコール・ホリデイ
<パブストリートにも徒歩圏内!大型モールも近くにある立地の良さが魅力的です>
*利用航空会社*
ベトナム航空
*★*
ルアンプラバン★★★★★
シェムリアップ★★★★★
どちらも行く価値しかありません。暑さと日焼け対策だけは万全に、遺跡や歴史好きな方にとっては天国のような場所です!ぜひ出かけてみてください☆
(2016年12月 山口優)
「国立博物館の通りの様子」
ヒンドゥー教の総本山を抱える遺跡の街カンボジア・シェムリアップ
「アンコール・トム第一回廊」
今回はそんな2か国2都市を訪問し、寺院と遺跡を巡るタイムトリップに行ってきました!
*旅程*
12/11 深夜ルアンプラバン着
12/12 メコン川クルーズとパクオー洞窟観光
12/13 市内観光
12/14 モン族の村とクァンシー滝観光後、シェムリアップへ
12/15 アンコール・ワット遺跡群観光
12/16 アンコール・ワット遺跡群観光
12/17 聖地プノンクーレンとベンメリア観光
12/18 トンレサップ湖クルーズとオールドマーケット散策後、帰路へ
12/19 日本着
〈ラオス〉
今回滞在した場所は、世界遺産都市ルアンプラバン。都市名は、大きな黄金の仏像という意味を持ちます。
ラオス北部の山岳地帯に位置し、メコン川とカーン川の合流地点にある古都です。
14世紀半ば、初の統一国家ランサン王国の都として栄えながら多くの寺院が建てられたのち、フランス植民地となり仏式コロニアル建築の美しい建物も残る歴史的な街並みに普遍的価値が認められ、1995年に市街地全体が世界文化遺産に登録されました。
*訪れた主な場所(ラオス)*
★ラオス焼酎醸造を営むサンハイ村
「米から出来るラオス焼酎ラオ・ラーオ」
「サンハイ村の寺院」
★パクオー洞窟
「パクオー洞窟は絶壁の中に」
★手すきの紙とシルク製作のサンコン村
「紙作りの様子」
「作られた紙に描かれたラオスらしい絵画」
「色とりどりのシルク製品」
★朝市
「新鮮な山積みの野菜」
「五平餅のような見た目のもち米を焼いたカオ・チー」
「カエルの丸焼きも売っています」
「水牛の皮と蚕。水牛の皮は焼くと香ばしく歯ごたえのある一品」
★ワット・マイ (ワット・マイ・スワンナプーム・アハーム)
「重なる瓦で出来た屋根が美しい」
「本堂の入り口で圧倒される黄金のレリーフ」
「内部には金の仏像。この仏像の後ろに・・・」
「もう一体小さな仏像が!兄弟とのこと」
★王宮博物館
「パバーン仏が安置されている煌びやかな祠」
「かつて王宮であった建物を利用し、博物館に。当時の部屋や調度品が展示された内部は撮影禁止」
★プーシーの丘
「頂上からは世界遺産の街ルアンプラバンが一望できる夕陽の鑑賞で人気の場所」
★ワット・シェントーン
「流れ落ちるような屋根の曲線が魅力的なルンプラバンで最も美しいとされる寺院」
★ワット・ビスンナラート(すいか寺)
「別名ワット・マークモー(すいか寺)の名の通り、すいかが乗っているような丸い仏塔」
「中には大きな金の仏像を囲むように細長い仏像が並ぶ」
★ワット・マノーロム
「20世紀に再建されたため新しく綺麗」
「内部の壁にはびっしりと仏教世界が描かれる。こちらは地獄絵図」
★ナイトマーケット
「惣菜が並ぶ屋台」
「僧侶の方もマーケットを散策している」
「道路にびっしり並べられた物品の数々。お土産選びにはもってこいの場所」
★早朝の托鉢
「仏教国ラオス全土で行われる托鉢。毎朝見ることができる」
★モン族の村
「広大な畑を耕し昔ながらのアニミズム信仰を絶やさず暮らすモン族の村」
「民家は茅葺や竹でできている。ここはキッチン」
「市街地とは異なり、のどかでどこか違う世界に入り込んだような趣ある場所」
★クァンシー滝
「滝までの道中にクマの保護センターがある。ハンモックからこちらを見るツキノワグマ」
「石灰岩によって生み出される美しい乳白がかったブルーの水は癒し」
「滝は80メートル。クァンシーは鹿という意で、かつて鹿が住んでいたそう」
*中でも印象深い場所*
◯パクオー洞窟
ルアンプラバン市街地からメコン河に浮かぶ船に約2時間揺られ、河から顔を出す巨大な崖の窪みにその洞窟はあります。
「メコン河を渡る船」
「趣ある船着き場」
「ぱっくりと絶壁にくり抜かれた洞窟」
絶壁をくり抜いて造られたタム・ティン・ルムとそこから階段を登り辿り着くタム・ティン・トゥンという2つの洞窟があります。
「タム・ティン・ルムに入ってすぐ目にする金の仏像たち」
タム・ティン・ルムの内部には、市民が持ち寄った大小様々な約4000体ものおびただしい数の仏像が所狭しと洞窟内を埋め尽くしています。
「仏像に埋め尽くされる洞窟内」
「背の高い仏像とせいくらべ」
洞窟内の小さな窪みの上や崖っぷちにまでちょこちょこと仏像が置かれています。
「崖の端にちょこんと鎮座する」
「あちこちに小さなものから大きなものまで」
「まるで仏像の箱庭」
タム・ティン・ルムの外へ出て階段を登っていくと、もう一つの洞窟タム・ティン・トゥンが現れます。大きな横穴になっており、入り口付近は鍾乳洞となっています。中は真っ暗なので懐中電灯を借りて入ります。
「タム・ティン・トゥンへの階段」
「木と岩に覆われた横穴が入口」
「入口付近の鍾乳洞」
暗闇の中、ライトを照らすとぼんやりと浮かび上がる仏像たち。こちらにも多くの仏像が安置されています。
「ぼんやり顔を見せる仏像」
闇の中に佇む仏像たちは不思議で神秘的な雰囲気を醸し出し、あちらこちらから視線を感じるような不気味さもありとても印象的な場所でした。
「段差の上にもさりげなく鎮座」
◯プーシーの丘
王宮博物館の向かいにある登り口から、300段以上の階段を登り頂上へ向かいます。
高さ約150mの小高いプーシーの丘からは、世界遺産ルアンプラバンの市街とメコン河の流れる街並みほぼ360度の展望を楽しむことが出来る場所です。
メコン河の向こうへ沈みゆく夕日鑑賞のベストスポットでもあり、夕刻は参拝客で賑わいをみせるようです。
「階段をどんどん登って」
頂上へ到着すると、タート・チョムシーという金色の仏塔がそびえ立ちます。そして辺りを見渡すとカーン河が流れる市街地やメコン河が一望でき、素朴なルアンプラバンの街並みを前に何だかホッとするような穏やかな気持ちになりました。
「山頂の木の間からのぞくメコン河」
「頂上に輝くタート・チョムシー」
「頂上から見えるカーン河とルアンプラバンの市街地」
かつてここで神に導かれた二人の仙人がルアンプラバンの街を創造したという伝説が残されており、仙人(ルーシー)の山(プー)という意でプーシーと呼ばれるようになりました。確かに仙人が住んでいてもおかしくないような、神秘的で空気の澄んだ場所です。
「山中の巨大な菩提樹」
◯ワット・シェントーン
ルアンプラバンで最も美しい寺と謳われるワット・シェントーンは1560年、セティラート王により建立されました。屋根が流れるように軒に向かい低くなる典型的なルアンプラバン様式の建物で、格式高く荘厳な場所となっています。
「雅やかな本堂は滑るような屋根が美しい」
王族の儀式等にも利用された場所で、ルアンプラバン最後の国王且つ初代ラオス国王シーサワンウォン王の葬儀で使われた霊柩車も納められています。
「霊柩車。中心に乗っているものは骨壺」
「飾っておくと病に効くという壁掛け」
流れるような躍動感のある屋根が美しく、また黒塗りされた外壁の金色の装飾や本堂内部に安置されている黄金の仏像達も非常に魅力的です。
「本堂内部も黒塗りに金の装飾」
「内部の仏像」
「外壁の黒塗りと金の装飾」
この寺院で必見のものは、本堂裏面の壁に大きく描かれたマイ・トーン(黄金の木)と呼ばれるモザイク画です。
きらきらと光を反射する色とりどりのモザイクが埋め込まれて描かれた巨木の周りに煌びやかな鳥があしらわれ、その鮮やかさに心を奪われます。
「カラフルな巨木マイ・トーン」
「色ガラスで出来たモザイク画は様々な場面が描かれる」
◯早朝の托鉢
托鉢は、ラオス全土で行われる僧侶が信者の家をまわり食物をもらいながら練り歩く伝統的な仏教の行事です。特にルアンプラバンは古都ということもあり規模が大きいのが特徴。
滞在していたホテルの前でも行われると伺い、早朝6時頃に起床し外に出ました。既に托鉢を待つ信者の方々が道端にシートを敷き、食物を用意して待っています。
「托鉢を待つ人々」
托鉢の際は僧侶に触れないこと、女性は座って待つ等のマナーがあります。
私も、捧げる赤米を用意し僧侶達を待ちます。
「竹筒入りの赤米カオ・ラーム」
空が少し明るくなってくると、道の向こう側が賑やかになってきました。近づいてみると、橙色に身を包んだ列になって歩く僧侶達が見えてきました。
「僧侶の方々がやってくる」
そばまで来ると持っている鉢を開けてくれるので、そこに食物を入れます。中には既に沢山のお米やお菓子、ラオスの通貨キープも入っていました。
「食物を貰い受ける托鉢僧」
彼らは私の前を過ぎ去っていくと、次に待つ人々のもとへと歩いて行きました。
托鉢僧に食物を献上する人々はみな穏やかな表情で、仏教国として僧侶が崇拝されている様を間近で見る事が出来る貴重な体験でした。
「去っていく僧侶達」
*ラオス式仏教は曜日が大切*
ラオスの人々は、自分の誕生日を日付ではなく曜日で覚えるそうです。タイなどでも同じようですが、それは彼らが信仰する仏教において曜日ごとに仏像が存在するからだそう。
「サンハイ村の曜日を表す仏像(左から日曜・月曜・火曜)」
「左から水曜・木曜・金曜」
「土曜日の仏像」
それぞれの意味は、
日曜日 挨拶をする
月曜日 喧嘩をしない
火曜日 涅槃 (眠る)
水曜日 托鉢をする
木曜日 勉強をする
金曜日 気持ちが良い
土曜日 瞑想状態(至高の状態)
とのこと。この流れで彼らは仏教の教えに沿って生きているのです。日本人にとって誕生日を曜日で覚えているのは不思議なことですが、そんな文化の違いにも触れられて良い体験になりました。
*ラオスの料理*
ラオス料理というと想像がすぐにできませんが、比較的日本人の口に合うものが多かった印象です。辛いものや香草好きの方にはもってこいの料理です。
とくにラープと呼ばれる、ひき肉に香草やレモンで味をつけてご飯と一緒に食べる伝統料理は美味しく頂きました。そして何よりもち米(とくに赤米)がもちもちでお気に入りでした。また、ご飯が専用のおひつ「ティップ・カオ」に入って提供されることに異国情緒を感じなお美味しく頂けました。
「日本人経営のお店ソン・パオのワンプレートと赤米が最高に美味」
「ラオス風担担麺カオ・ソーイ。ほどよい辛さでうま味がぎゅっと詰まっています」
「香草の風味が効いたラープ」
「珍しい川海苔。パリっとして素朴な味」
「まるごとミニ焼きバナナ。中がもっちりとしてやみつきに」
「見た目は五平餅にそっくり!香ばしいカオ・チーは何個でもいけます」
「フーと呼ばれるお米の麺。スープの味は卓上の調味料で好みにカスタマイズ♪」
「ココナッツと砂糖を固めたデザート。思ったより甘くなくて美味しく頂けるプチデザートに」
〈カンボジア〉
滞在先は、ヒンドゥー教の神々を祀った王宮都市遺跡アンコール・ワットが門を構える街シェムリアップ。
12世紀頃からクメール人の王国がこの地で権威をふるった際に時の王が次々と建立した遺跡群が林立します。19世紀にフランス人により遺跡が発見されるまでは密林に埋もれ、近くに住む人々にしかその存在は認知されていませんでした。壮大な王朝都市とヒンドゥー教寺院の総本山であるこれら遺跡群を見ようと世界各地からの観光客が絶えない場所です。
*訪れた主な場所(カンボジア)*
★アンコール・トム
「大きな顔がお出迎え。バイヨン寺院」
★タ・プローム
「どこもかしこもスポアン(ガジュマルの仲間)の根に覆われた遺跡」
「木と石が一体化している」
★アンコール・ワット
「夜明けのアンコール・ワット」
★プノン・バケン
「夕陽の名所として知られる遺跡」
「森の向こうに続く道が気になる・・・」
★アプサラダンスショー
「伝統的な衣装を身に纏い息の合ったダンスは必見!」
「少年少女の軽快なダンス」
★プリア・カン
「他のアンコール遺跡には見られない珍しい神殿風の建物が特徴的」
★タ・ソム
「リエップという木に覆われた東門が注目の的」
★東メボン
「5つの塔が建つ。つくりはプノン・バケンに似ている」
「くっきりと残るレリーフ」
★バンテアイ・スレイ
「歴史を感じる赤茶の塔が立ち並ぶ」
「左側の壁に刻まれた女性が東洋のモナリザとして有名」
「女性たちが施したとされるレリーフは時間が経っても深く刻まれたまま」
★プノンクーレン
「神聖な空気漂うライチ山」
★ベンメリア
「ラピュタの世界・・・?瓦礫に埋もれた遺跡の正体は」
★パブストリート
「観光客で賑わう夜の街」
「ネオンに輝く通りの店はお洒落でワイワイ賑やか!」
★トンレサップ湖
「鮮やかな青の船に乗り込み湖クルーズへ」
「青く広い空に国旗がゆらめく」
「まるで海のよう。ここはトンレサップ湖!」
★オールドマーケット
「お土産選びに最適!」
「新鮮な野菜が並ぶ内部」
「肉の他にもトンレサップ湖でとれた魚が並ぶ」
*中でも印象深い場所*
◯アンコール・ワット
東南アジアの大帝国クメール王国が残したヒンドゥー教寺院の総本山アンコール・ワット。カンボジアと言えばアンコール・ワットと口を揃えて提唱されるほどには国の象徴的なものとなっていることでしょう。
この建物は12世紀初頭の王スールヤヴァルマン2世が自身の王権誇示の目的とともに、ヒンドゥー教の3大神の1人ヴィシュヌ神へ捧げた壮大な宗教建築です。寺院中心部で王は神々と交信をし、死後はここに埋葬されることで王と神が一体となるデーヴァ・ラジャ思想のもと王権の神格化に励みました。
「艶のある回廊のレリーフ。並ぶ兵士たち」
「上が天国、中が現世、下は地獄。」
なんといっても回廊の壁に施された細やかで規模の大きなレリーフが見どころで、インド叙事詩『ラーマーヤナ』や神話の一節、天国と地獄の様子を描いたもの、現実世界の王や人々の生活が一面に広がります。
「特徴的な連子窓」
すっかり有名な観光地となったアンコール・ワットですが、その姿はやはり何か神々しいものがあり人々を惹きつけてやまない、これから先もそこに在り続ける神の寺院なのだろうと感じます。
「青く浮かび上がるアンコール・ワット」
◯アンコール・トム
アンコール・トムは現在も人気の高いクメールの覇者ジャヤヴァルマン7世が創建した王都です。
こちらの王都中心に位置するバイヨン寺院は必見です。穏やかに微笑む巨大な四面仏のモチーフが南大門をはじめ所々に現れ、まるでどこからでも見守られているかのよう。
「大きな顔が乗った南大門」
「顔・顔・顔」
創建者ジャヤヴァルマン7世が大乗仏教に深く帰依しており、アンコール・トムはヒンドゥー教だけでなく仏教信仰の側面も持ち、神と仏が共存します。しかし後の王ジャヤヴァルマン8世はヒンドゥー教を愛し仏教を嫌ったため、7世が建てたヒンドゥー教と仏教の入り混じった宗教建築の仏教信仰部分である仏像のレリーフ等は、ほぼ全て削り取られてしまっています。
「削り取られた仏教信仰の痕跡」
「ヒンドゥー教の神はもちろん残されたまま」
レリーフは、庶民の日常生活や当時対立していたチャンパ軍との戦いの様子(実際の歴史)が描かれており、アンコール・ワットよりも現実世界に寄り添った生き生きとした姿が魅力的です。
「右下は出産の様子」
「チャンパ軍との戦い」
「誰かに似ているような・・・」
「象のテラスには花が咲く」
◯プリア・カン
かつてこの寺院の境内で剣が発見されたことから、“聖なる剣”を意味する名がつけられた遺跡。アンコール・トムやタ・プロームを建てた王ジャヤヴァルマン7世が建立しました。
「入口」
「後の王により削り取られた仏像の痕跡」
ここは仏教とヒンドゥー教が入り混じった寺院であるとともにジャヤヴァルマン7世の父の墓でもあり、驚いたことにその墓の塔部分はインドネシアにある仏教の総本山ボロブドゥール寺院の仏塔にそっくりです。
「まるでボロブドゥール寺院の仏塔」
ジャヤヴァルマン7世は仏教に入信していましたが、どうやら自らボロブドゥールへ出向いたことがあるそうで、父の墓を建立する際にこの仏教建築を参考にしたというのです。仏教への信心深さと父親への思い入れが伺えるこの遺跡は、ジャヤヴァルマン7世にとって強い想いが詰まった大切な場所であったことでしょう。
「覆いかぶさる木」
「深く彫られたレリーフは今もくっきりと」
◯プノンクーレン
「ライチ山」の意を持つプノンクーレンは、アンコール王朝の独立宣言と当時の王の即位儀式を行ったとされるアンコール発祥の聖地として人々に崇められています。
「厄除けの動物の頭や薬が売られる路上の雰囲気は少し不気味さも・・・」
「ここで祈りを捧げる」
山中には寺院があり、プレア・アントンと呼ばれる巨大な金の涅槃仏が収められています。涅槃仏の周りには信者が持ち寄った小さな仏像や奉納物などが並べられています。
「プレア・アントン」
「巨体の周りには小さな仏像がずらり」
寺院の麓ではシヴァ神のリンガから聖水を貰うことが出来ます。口に含み、頭にかけると恩恵を受けられるそう。
「シヴァ神を象るものとして寺院にこの形で祀られることが多い、リンガ」
「聖水をいただきました!」
その近くにはクバルスピアンという水中遺跡があり、川底に千本ものリンガが収められ、シヴァ神やヴィシュヌ神も彫られています。ヒンドゥー教の神なので見学している観光客はインドの方が多くみられました。
「ここには千本ものリンガが眠る」
「周りは密林の山」
リンガを通した水は聖水となるという考えのもと、この川の下流には、聖なる滝が現れます。
滝の近くには屋台やレストランもあるため、一息ついて巨大な滝を見に行けます。
「樹木に覆われた天空から降り注ぐ聖なる滝」
「ここでは水着があれば泳げます。頭から聖水を浴びてみるのも一興」
◯ベンメリア
アンコール・ワットの建立前に、同じ王が試作で石切場に近い場所に建てたとされる密林にひっそりと佇む遺跡。
「樹木と瓦礫に覆われた密林の遺跡は静かにそこにある」
ポルポト政権時代に400以上もの大量の地雷が埋められていた地域ですが、他国の協力により撤去され現在は安全に観光できます。
近年、崩壊が進み樹木に覆われ、苔むした瓦礫が散らばる神秘的な景観がジブリ映画“天空の城ラピュタ”の世界観にそっくりだと話題になり、知っている方も多いのではと思います。
「まさに朽ち果てた城」
やはりアンコール・ワットの試作とのことで崩壊により回廊の原型はとどめていませんが、窓のつくりがそっくりです。岩に空いた穴は、石切場から引っ張って運ぶためのものだそう。
「連子窓がそっくり」
「僅かながらレリーフも残る」
「建物の崩壊に反しくっきりと残るナーガの像」
「瓦礫に埋もれてみるとこんな感じです。巨神兵の気持ちをくみ取れます」
今にも巨神兵が朽ちた木や苔の生え蒸した石の間から顔を出しそうな妙な雰囲気が漂う魅力ある場所です。中心部からは少し離れますが、途中の田園風景など貴重な景色も楽しめるおすすめスポットでした。
*ヒンドゥー教の神*
アンコール・ワット遺跡群はヒンドゥー教の総本山。ヒンドゥー教には数多くの神々が存在します。
中でも3大神と呼ばれるブラフマン神、ヴィシュヌ神、シヴァ神が中心となっています。アンコール・ワットをはじめとする寺院は3つの山の形がモチーフとなっていることが多いです。これらの山はそれぞれ3大神を投影しているとされます。
シヴァ神やヴィシュヌ神はレリーフにも多く登場します。ヴィシュヌ神は化身後の姿で表されることも多いです。ブラフマンの姿は限られた場所でしか見られません。
ブラフマン神…世界の創造・再生
ヴィシュヌ神…世界の維持
シヴァ神…恩恵及び寿命が来た世界の破壊
宗派によって解釈は異なりますが、基本的にそれぞれ上記の役割を持っています。この世界は全て彼らによってコントロールされているということです。この他にも彼らの奥様方に加え鳥神ガルーダ、蛇ナーガ、象の顔を持つガネーシャ等多数の神々が存在するヒンドゥー教の神話は現実で考えると無茶な話も多いですが聞いてみると奥深く面白いです。
「踊るシヴァ神(バンテアイ・スレイ)」
「高さ約4メートルあるヴィシュヌ神の像(アンコール・ワット)」
「ヴィシュヌ神の妻ラクシュミーが象の聖水で清められている。下部にはガルーダとナーガも(バンテアイ・スレイ)」
*カンボジアの料理*
基本は、主食のお米と湖でとれる淡水魚等に味付けは砂糖ヤシからとれる天然の砂糖と、魚醤(トゥック・レイ)を混ぜた甘酸っぱいものが主流。東南アジアで定番の香草類でアクセントをつけて、調味料等で味を整えます。春巻きやカレーも主流。
特に好きだったものはピーナッツ入りの野菜炒め。新鮮な野菜をたっぷりと使いオイスターソース等で深みのある味を付けた炒めものにナッツを混ぜた料理も多く、日本人の口にもよく合います。
「揚げ春巻きとCAMBODIAビール」
「ご飯がすすむ炒めもの」
「ピーナッツの塩気と野菜のうまみがマッチ」
「屋台では蜂の巣も売られている。中身を食べるそうです」
「たまに辛い唐辛子を食べてしまうと暫くヒリヒリします・・・」
「胃に自信のある方は、新鮮なフルーツもぜひ」
「トンレサップ湖の淡水魚もあっさりして食べやすい」
「屋台で買った揚げバナナがカリカリのもちもちで大変美味でした!」
*2か国2都市の旅を終えてまとめ*
今回の旅は異国の宗教と寺院建築を存分に味わえた貴重な旅でした。
自分自身は無宗教ですが、それぞれの寺院に刻まれた当時の人々の思いや彼らが信仰してきたものが、何十年、何百年もの年月が経ってもなお現在に生きるその地の人々に受け継がれているという現実を目の当たりにし、宗教と人間の信仰深さが重なり合うことで生まれる力を改めて感じました。
現在この宗教関連で国内外様々な問題が起きていますが、互いを受容しあい認め合える世の中になる日を願いながら次も異国の地に足を延ばそうと思います。
*利用ホテル*
ルアンプラバン・・・マノラックホテル
<ホテル目の前で托鉢を見ることができます。通り沿いにはお洒落なレストランも>
「マノラックホテル(外観)」
シェムリアップ・・・アンコール・ホリデイ
<パブストリートにも徒歩圏内!大型モールも近くにある立地の良さが魅力的です>
「アンコール・ホリデイ(ロビー)」
*利用航空会社*
ベトナム航空
*★*
ルアンプラバン★★★★★
シェムリアップ★★★★★
どちらも行く価値しかありません。暑さと日焼け対策だけは万全に、遺跡や歴史好きな方にとっては天国のような場所です!ぜひ出かけてみてください☆
(2016年12月 山口優)
- その時歴史が動いた。憧れの場所へ〜リトアニアは素朴な温かい国でした〜
-
エリア:
- ヨーロッパ>リトアニア>ビリニュス
- ヨーロッパ>リトアニア>カウナス
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2017/01/16 12:42
「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない。しかし、私には頼って来た何千もの人を見殺しにすることはできなかった」
杉原千畝、みなさまこの名前をご存知でしょうか。
第二次世界大戦時、日本から遠く離れたリトアニアという国で、6,000人ものユダヤ人に向けてビザを発給した日本人がいたのです。
これだけ聞くとなんのこっちゃですが、その時代ドイツと同盟を組んでいた日本としては、ユダヤ人にビザを発給し、ナチスドイツの手が届かに場所へ逃がすことなど許されない事でした。
アメリカやオセアニアなどの第三国へ逃げるために、どうしても必要であった日本の通過ビザ。
日本本国の命令に背いてまで、自分や家族の立場を危うくしてまで、何故彼はビザを発給し続けたのか。
幼い頃に、本か何かで杉原千畝の事を知った私にとって、彼はずっと正義の人でした。
いつか訪れたいと思っていた杉原千畝ゆかりの土地へ、今回、フィンランド航空様とリトアニア政府観光局様のご招待で訪れる機会をいただきました。
初めて目にした素朴で温かい、憧れの土地。
農業が盛んで、自然豊かな国で出会った、素敵な景色。
皆様のご旅行の参考になりますように。
今回の旅程は、ヴィリニュスをスタートし、トゥラカイ、カウナス、ドゥルスキニンカイと巡ってきました。
リトアニアの魅力の一つに、地方都市の面白さがあげられます。
リトアニアへのご旅行だとヴィリニュスだけ訪れる方も少なくありませんが、時間が許すのであれば、是非他の町まで足を延ばしてみてください。
まだまだ他のヨーロッパ諸国に比べ、知名度は高くないリトアニア。
実際に私も行くまでは何があるのかよく分からず、バルト三国で一冊にまとめられている地球の歩き方を握りしめ、ヨーロッパまで最短最速のフィンランド航空で出発しました。
フィンランド航空は、アメニティやブランケット、紙コップなど、日本でも大人気のマリメッコとコラボしていることでも有名。
ヘルシンキ空港にはマリメッコのお店もあり、日本の半額ぐらいで購入出来るそうで、こちらも女子に大人気です。マリメッコ店のすぐ隣には、これまた大人気のムーミン店が並んでいるので、乗り継ぎ時間があいたとしても、十分楽しめる空港でした。
サイレントポリシーを取り入れているため、空港内はとても静かでフィンランドという国のイメージにぴったり。(入国した事はないですが)
こじんまりとした空港なので、乗り継ぎの移動もとっても簡単でした。
数年後には新しいターミナルが作られる予定で、また私たちの旅は自由に快適になります。
快適な移動で、遂に到着しました、リトアニア!
リトアニアの首都、ヴィリニュスは、教会密集度が世界一と言われるほど、町中に教会がひしめき合っています。
旧市街は歩いても十分観光ができる大きさ。街並みが本当に美しくて飽きることがありません。
ヴィリニュスの歩き方のコツは、旧市街の街の中を迷子になることだと聞いていましたが、本当にその通りで、一つ角を曲がればまた新しい顔を見せてくれる、いつまでも飽きることのない魅力を持った街でした。
夜には、丁度宿泊していたホテル前の広場でクリスマスマーケットも行われていたので、みんなで探検に行きました。
クリスマスマーケット初体験の私でしたが、何でしょう、あの独特な温かい優しい雰囲気にすっかり虜になってしまいました。
クリスマスのオーナメントや、ホットワイン、ジンジャークッキーが売っているお店が、クリスマスツリーをぐるりと囲むように並んでいるのですが、みんな幸せそうな顔で写真を撮ったりお菓子を食べたり、日本では見ることのない素敵なあの雰囲気。
冬のヨーロッパなんて寒いだけで絶対行きたくないとずっと思っていましたが、クリスマスシーズンであれば、また是非行きたいと思えるほどに幸せな空間でした。
<ヴィリニュスのクリスマスマーケット>
次に訪れたトゥラカイはヴィリニュスから車で約一時間。ヴィリニュスに移るまで首都が置かれていたトゥラカイの見どころといえば、トラカイ城。
大きな湖に浮かぶトゥラカイ城は、まるでディズニー映画にも出てきそうに可愛いお城。夏には湖でボートを楽しむこともできるそうです。
きゃーきゃー言いながら写真を撮りまくっていましたが、いざ城内に入ってみると・・
あら?まさかの拷問道具が置いてありました。
他にも跳ね橋や、敵が攻めて来た際に守りやすいように作られている狭い階段を見て、いくら可愛いといっても戦争の為に作られたお城なのだなぁとなんとなくしんみり。
お城の中はこじんまりしていますが、見ごたえはたっぷり。
トゥラカイにはトルコ系移民がたくさん住んでいるため、町中にも彼らの伝統家屋が並んでいました。
彼らの伝統料理「キビナイ」というパイも町の名物となっており、多くのカフェやレストランで食べることができます。
肉まんに近いような味で、ぺろっと食べれてしまいました。
次に訪れたカウナスは、第二次世界大戦時に首都が置かれていた街。
この町の見どころといえば何と言っても杉原千畝博物館で、今回の旅で、私が一番楽しみにしていた場所。
そして、遂にその場に私は立つことができた。
彼がこの地で6,000人ものユダヤ人に向けて発行した日本の通過ビザ。
1940年7月から8月にかけて、寝る間を惜しみ、何本ものペンを潰しながら、日本本国の命令を無視し、無許可で発給し続けたビザ。
最後、リトアニアを出発する列車の窓からもビザを投げていたという。
小さい頃から憧れていた杉原千畝が、実際に住んでいた場所は、高級住宅街の一角にひっそりと佇んでいた。
「希望の門、命のヴィザ」とかかかれたプレートが掛けられた門は、私の想像よりもとても小さく、ここに100人を超えるユダヤ人達が詰めかけたとは想像ができない。
杉原千畝が住居としても利用していた元日本領事館を使った博物館では、杉原千畝の生涯をまとめた15分のビデオや、書斎を再現した部屋を見ることができ、訪れた人は皆、机に座って杉原千畝ごっこをするのがお約束で、私もいそいそと記念撮影をさせてもらいました。
入館料は無料で、入場者からの寄付だけで運営されているそう。
博物館内のお土産屋さんで売られているビザの形をしたマグネットや、チョコレート、蜂蜜は美味しいと評判で、パッケージも可愛いので、お土産にお勧めです。
その当時、ヒットラー率いるドイツと同盟を組んでいた日本の国民として、彼がしたことは果たして正義であったのか。その当時の日本の正義を当てはめれば、決してしてはならなかったでしょう。彼のした事に関しては、様々な意見があることも理解できます。
しかし、そういった状況下でも、自分の正義を貫き通した杉原千畝という日本人を、私は心から誇りに思いました。
「私は大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」
この場所で彼がいかに悩み抜き、自分の正義を貫き、目の前の命を助けようと戦い抜いたのか。憧れのこの土地に、自分の足で立つことができて本当に心から嬉しく、私も彼のように芯のある人間になりたい、そう思えた、とても素敵な機会となりました。
そして、最後に訪れたのはドゥルスキニンカイ。
まだまだ日本では名前が知られておらず、ガイドブックにも小さくしか載っていない街ですが、リトアニア人だけでなく、ほかのヨーロッパ諸国やトルコ人に愛されている素敵な街でした。
ミネラル豊富な水が湧き出ているため、昔から湯治場として知られている街。
ここでは観光で外を出歩くのではなく、スパホテルに滞在し、ひたすら体を休めることが目的です。
リトアニアの特産品、琥珀を利用した琥珀スパも有名で、スパトリートメントグッズも日本よりお得に購入できます。
出来ることであれば、長期滞在をお勧めしたい街でした。
バルト三国への旅行の場合、エストニア・ラトヴィア・リトアニア周遊のツアーであったり、フィンランドなどの経由地と組み合わせたツアーであったりが多いため、リトアニア一か国のみで楽しいかなぁ、などと考えながら出発したのですが、本当に良い意味で裏切ってくれました。
オフシーズンである冬でさえ、こんなに楽しめるこの国に、夏に来たら骨の髄までメロメロにされてしまうかも知れません。
優しい笑顔で迎え入れてくれた人たち、素朴で美しい街並み、美味しすぎる食事、これ以上に必要なものはあるでしょうか。
時間を気にせずに、迷子になるように滞在を楽しめる国、リトアニア。
皆さまも、次のご旅行には迷子になりにリトアニアへのご旅行はいかがでしょうか。
★★★★★杉原千畝博物館
日本人として、リトアニアに行ったら是非訪れて欲しい!
★★★★★トゥラカイ城
夏の景色ももちろん、冬の凍った湖に浮かぶ姿も美しい!
★★★★リトアニア料理
ツェペリナイをはじめ、こんなに外れのない国珍しい!
(2016年12月 大野史子)
杉原千畝、みなさまこの名前をご存知でしょうか。
第二次世界大戦時、日本から遠く離れたリトアニアという国で、6,000人ものユダヤ人に向けてビザを発給した日本人がいたのです。
これだけ聞くとなんのこっちゃですが、その時代ドイツと同盟を組んでいた日本としては、ユダヤ人にビザを発給し、ナチスドイツの手が届かに場所へ逃がすことなど許されない事でした。
アメリカやオセアニアなどの第三国へ逃げるために、どうしても必要であった日本の通過ビザ。
日本本国の命令に背いてまで、自分や家族の立場を危うくしてまで、何故彼はビザを発給し続けたのか。
幼い頃に、本か何かで杉原千畝の事を知った私にとって、彼はずっと正義の人でした。
いつか訪れたいと思っていた杉原千畝ゆかりの土地へ、今回、フィンランド航空様とリトアニア政府観光局様のご招待で訪れる機会をいただきました。
初めて目にした素朴で温かい、憧れの土地。
農業が盛んで、自然豊かな国で出会った、素敵な景色。
皆様のご旅行の参考になりますように。
サンタクロースごっこ
今回の旅程は、ヴィリニュスをスタートし、トゥラカイ、カウナス、ドゥルスキニンカイと巡ってきました。
リトアニアの魅力の一つに、地方都市の面白さがあげられます。
リトアニアへのご旅行だとヴィリニュスだけ訪れる方も少なくありませんが、時間が許すのであれば、是非他の町まで足を延ばしてみてください。
まだまだ他のヨーロッパ諸国に比べ、知名度は高くないリトアニア。
実際に私も行くまでは何があるのかよく分からず、バルト三国で一冊にまとめられている地球の歩き方を握りしめ、ヨーロッパまで最短最速のフィンランド航空で出発しました。
フィンランド航空は、アメニティやブランケット、紙コップなど、日本でも大人気のマリメッコとコラボしていることでも有名。
ヘルシンキ空港にはマリメッコのお店もあり、日本の半額ぐらいで購入出来るそうで、こちらも女子に大人気です。マリメッコ店のすぐ隣には、これまた大人気のムーミン店が並んでいるので、乗り継ぎ時間があいたとしても、十分楽しめる空港でした。
サイレントポリシーを取り入れているため、空港内はとても静かでフィンランドという国のイメージにぴったり。(入国した事はないですが)
こじんまりとした空港なので、乗り継ぎの移動もとっても簡単でした。
数年後には新しいターミナルが作られる予定で、また私たちの旅は自由に快適になります。
快適な移動で、遂に到着しました、リトアニア!
リトアニアの首都、ヴィリニュスは、教会密集度が世界一と言われるほど、町中に教会がひしめき合っています。
旧市街は歩いても十分観光ができる大きさ。街並みが本当に美しくて飽きることがありません。
ヴィリニュスの歩き方のコツは、旧市街の街の中を迷子になることだと聞いていましたが、本当にその通りで、一つ角を曲がればまた新しい顔を見せてくれる、いつまでも飽きることのない魅力を持った街でした。
聖ペテロ&パウロ教会
夜明けの門
聖アンナ教会
魚つり中のキリスト?
夜には、丁度宿泊していたホテル前の広場でクリスマスマーケットも行われていたので、みんなで探検に行きました。
クリスマスマーケット初体験の私でしたが、何でしょう、あの独特な温かい優しい雰囲気にすっかり虜になってしまいました。
クリスマスのオーナメントや、ホットワイン、ジンジャークッキーが売っているお店が、クリスマスツリーをぐるりと囲むように並んでいるのですが、みんな幸せそうな顔で写真を撮ったりお菓子を食べたり、日本では見ることのない素敵なあの雰囲気。
冬のヨーロッパなんて寒いだけで絶対行きたくないとずっと思っていましたが、クリスマスシーズンであれば、また是非行きたいと思えるほどに幸せな空間でした。
<ヴィリニュスのクリスマスマーケット>
次に訪れたトゥラカイはヴィリニュスから車で約一時間。ヴィリニュスに移るまで首都が置かれていたトゥラカイの見どころといえば、トラカイ城。
大きな湖に浮かぶトゥラカイ城は、まるでディズニー映画にも出てきそうに可愛いお城。夏には湖でボートを楽しむこともできるそうです。
氷に閉ざされたトゥラカイ城(響きがロマンチック)
きゃーきゃー言いながら写真を撮りまくっていましたが、いざ城内に入ってみると・・
あら?まさかの拷問道具が置いてありました。
とりあえず拷問道具にはまってみる
他にも跳ね橋や、敵が攻めて来た際に守りやすいように作られている狭い階段を見て、いくら可愛いといっても戦争の為に作られたお城なのだなぁとなんとなくしんみり。
お城の中はこじんまりしていますが、見ごたえはたっぷり。
トゥラカイにはトルコ系移民がたくさん住んでいるため、町中にも彼らの伝統家屋が並んでいました。
三窓のある伝統家屋
彼らの伝統料理「キビナイ」というパイも町の名物となっており、多くのカフェやレストランで食べることができます。
肉まんに近いような味で、ぺろっと食べれてしまいました。
このサイズでもぺろっ
次に訪れたカウナスは、第二次世界大戦時に首都が置かれていた街。
この町の見どころといえば何と言っても杉原千畝博物館で、今回の旅で、私が一番楽しみにしていた場所。
そして、遂にその場に私は立つことができた。
彼がこの地で6,000人ものユダヤ人に向けて発行した日本の通過ビザ。
1940年7月から8月にかけて、寝る間を惜しみ、何本ものペンを潰しながら、日本本国の命令を無視し、無許可で発給し続けたビザ。
最後、リトアニアを出発する列車の窓からもビザを投げていたという。
小さい頃から憧れていた杉原千畝が、実際に住んでいた場所は、高級住宅街の一角にひっそりと佇んでいた。
「希望の門、命のヴィザ」とかかかれたプレートが掛けられた門は、私の想像よりもとても小さく、ここに100人を超えるユダヤ人達が詰めかけたとは想像ができない。
杉原千畝が住居としても利用していた元日本領事館を使った博物館では、杉原千畝の生涯をまとめた15分のビデオや、書斎を再現した部屋を見ることができ、訪れた人は皆、机に座って杉原千畝ごっこをするのがお約束で、私もいそいそと記念撮影をさせてもらいました。
遂に憧れの地にたどり着く
入館料は無料で、入場者からの寄付だけで運営されているそう。
博物館内のお土産屋さんで売られているビザの形をしたマグネットや、チョコレート、蜂蜜は美味しいと評判で、パッケージも可愛いので、お土産にお勧めです。
日本通過ビザを使って、世界中へと散っていった
素敵なお土産
発給されていたビザ
その当時、ヒットラー率いるドイツと同盟を組んでいた日本の国民として、彼がしたことは果たして正義であったのか。その当時の日本の正義を当てはめれば、決してしてはならなかったでしょう。彼のした事に関しては、様々な意見があることも理解できます。
しかし、そういった状況下でも、自分の正義を貫き通した杉原千畝という日本人を、私は心から誇りに思いました。
「私は大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」
この場所で彼がいかに悩み抜き、自分の正義を貫き、目の前の命を助けようと戦い抜いたのか。憧れのこの土地に、自分の足で立つことができて本当に心から嬉しく、私も彼のように芯のある人間になりたい、そう思えた、とても素敵な機会となりました。
そして、最後に訪れたのはドゥルスキニンカイ。
まだまだ日本では名前が知られておらず、ガイドブックにも小さくしか載っていない街ですが、リトアニア人だけでなく、ほかのヨーロッパ諸国やトルコ人に愛されている素敵な街でした。
ミネラル豊富な水が湧き出ているため、昔から湯治場として知られている街。
ここでは観光で外を出歩くのではなく、スパホテルに滞在し、ひたすら体を休めることが目的です。
リトアニアの特産品、琥珀を利用した琥珀スパも有名で、スパトリートメントグッズも日本よりお得に購入できます。
出来ることであれば、長期滞在をお勧めしたい街でした。
スパ・ヴィリニュス
ミネラルたっぷりの水を飲むこともできます
大きなクリスマスツリー
バルト三国への旅行の場合、エストニア・ラトヴィア・リトアニア周遊のツアーであったり、フィンランドなどの経由地と組み合わせたツアーであったりが多いため、リトアニア一か国のみで楽しいかなぁ、などと考えながら出発したのですが、本当に良い意味で裏切ってくれました。
オフシーズンである冬でさえ、こんなに楽しめるこの国に、夏に来たら骨の髄までメロメロにされてしまうかも知れません。
優しい笑顔で迎え入れてくれた人たち、素朴で美しい街並み、美味しすぎる食事、これ以上に必要なものはあるでしょうか。
時間を気にせずに、迷子になるように滞在を楽しめる国、リトアニア。
皆さまも、次のご旅行には迷子になりにリトアニアへのご旅行はいかがでしょうか。
抱えきれない程の思い出のプレゼント、ありがとうございました!
★★★★★杉原千畝博物館
日本人として、リトアニアに行ったら是非訪れて欲しい!
★★★★★トゥラカイ城
夏の景色ももちろん、冬の凍った湖に浮かぶ姿も美しい!
★★★★リトアニア料理
ツェペリナイをはじめ、こんなに外れのない国珍しい!
(2016年12月 大野史子)
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