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- 消滅するアラル海...消えないウズベキスタンの魅力...安倍首相も来たよ。
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エリア:
- アジア>ウズベキスタン>サマルカンド
- アジア>ウズベキスタン>タシュケント
- アジア>ウズベキスタン>ウズベキスタンその他の都市
- テーマ:ホテル・宿泊 世界遺産 自然・植物
- 投稿日:2016/01/05 15:17
今回は初の中央アジア、初の「スタン」であるウズベキスタンへの視察の機会をいただいた。なかなか個人的な旅行では、今まで候補にもあがってこなかったシルクロードの中間地点である。出発前にしっかりVISAの取得をして、十月の下旬のこの時期はウズベキスタン航空の直行便がお休みしているので、韓国の仁川を経由しアシアナ航空でタシケントまで約10時間、乗り継ぎがタイトな上、アシアナ航空の毎度の遅延の為ヒヤヒヤしたが無事乗り継ぎ、タシケントに到着した。現地で耳にした話では、来年からウズベキスタン航空が週3便に増便するらしい。フライトキャンセルが増えないか心配ではある。
仁川発タシケント行きの機内での事、ウズベキスタンの人であろう人達が、飛行機が離陸寸前だというのに空いている席を求めてウロチョロ、ウロチョロ。多数見受けられるほど落ち着きがない・・・ウズベキスタンに到着する前からそんな一面を垣間見ることが出来た。機内でウズベキスタンならではの、税関申告書を2枚も記入して到着に備える。
何と全ての外貨の持参金額を記入しなければならないなど厳しい。
また出国の際にも、記入が必要となるので保管用の1枚は大事に保管しておこう。
タシケントに到着後列なき列を並び、入国審査をするのだがキッチリ審査をするようで、
かなり時間を要した。長い時は1時間以上時間がかかるらしい。なおウズベキスタンは隣国も多く治安維持のため入国や出国、県境での検問などかなり念入りにやっているのが見受けられた。その甲斐もあって国内全土で治安が良好である。
バゲージを受け取り、税関申告書を2枚提出すると1枚返してくれるので、出国時まで大切に保管しなければならない。
また宿泊したすべての都市およびホテルでレジストレーションカードが発行され、これもパスポートに挟んで出国時にチェックしているようだが、紛失した1枚、予定外の民宿泊の為厳密には2枚足りなかったが、きちんとはチェックしていないようである。
また国際、国内、鉄道駅を含め利用者以外は立ち入り禁止の為、
荷物を受け取るとネームボードを持った空港係員が外のガイドまで連れて行ってくれるので、迷うことなく会うことが出来た。場合によっては、入国審査の手伝い(横入り)もしてくれるらしい。
インフレ?US$50分のスムの札束。
<アラル海と言う名の湖>
今回の目的は「アラル海」地球の歩き方に情報が少ないので、予備知識はほぼ皆無である。
首都タシケントに到着翌日、国内線を利用し、ウズベキスタンの西部の自治共和国であるカラカルパクスタン共和国の首都「ヌクス」に移動しアクセスする。
空港で待っていたローカルドライバーガイドの車をみてビックリ・・
おんぼろな古いセダンの車で行くようだ。後部座席に座る。
現地ドライバーと日本語ガイドがなにやら話している・・・ウズベク語?!なのでわからないが、ガイドに聞くと手配の内容ではジープで行くことになっているらしい。何故ならこの後道なき道の悪路を延々とドライブするのである。おんぼろの車では命の保証がない。
壊れたら最後、電波も人も何もない大地に置き去りである。
そんなこんなで、ドライバーチェンジである。いつ準備されるかわからないジープをひたすらホテルで待つこと、5時間ようやく新しい車のランドクルーザー当日手配で準備完了。
予定ではアラル海の湖畔でテント泊の予定だが、この時期は寒く氷点下の為、難しいそうであるが、その前に出発が5時間遅れで到着しても夜中なので、早くも予定変更の予感である。
何はともあれ、ひたすら走る事3時間半ほどで日が沈む前のムイナクに到着した。
ムイナクはもともと漁業でなりたっている地域であったが、今ではアラル海が完全に干上がり多数の漁船が放置され朽ち果てた姿は皮肉なことに船の墓場として有名になってしまった。またウズベキスタン側のアラル海と言うと一般にムイナクの船の墓場をイメージされる方が多い。ムイナクの村のはずれの小高い丘のモニュメントとともに錆びた鉄屑の漁船が放置されている。近くには博物館もあるので、変わり果てる前のムイナクの歴史をみることが出来る。
思った通り予定外の民宿で一泊し夜明け前にムイナクの町を後にして、アラル海の湖を目指す。ジープ(トヨタのランドクルーザー)で悪路の中を、道なき地平線が続く沙漠を進む。それにしても不思議なほど、ローカルドライバーが凄い!カーナビも地図もなければ、道もない!経験を頼りに真っ暗な道を進むこと4時間程すると消滅の危機に瀕するアラル海の湖畔に朝陽が昇るころ到着した。
かつて世界第4位の大きさを誇る湖だったアラル海もソ連による綿花栽培の用水として用いられたために半世紀で約5分の1に縮小してしまった。そして今なお縮小し続けている
アラル海は本当に消滅してしまうかもしれない。そしてアラル海を元の姿に戻すまでには、用水としての利用をやめたとしても70年もの歳月を要すると言われている。
泊まる予定だったテント。
道中には遥か昔の住居跡
何もない地平線を進む
スドチ・レイク
ラクダの行進にも出会う。
ちなみ予定ではアラル海が見渡せる丘の上にテントを張り一夜を過ごす予定だったが、昼間でも寒かった事を考えると、予定外が良かったのかも知れない。
なおアラル海は、塩分濃度が非常に濃いため夏の暖かい時期は、死海と同じように浮かびながら新聞を読むことが出来るらしい!!1泊2日の道中を含めトイレ・シャワーはないのであしからず。遺跡とは異なる新たな体験は思い出に残ります。
<カラ周り>
ヌクスからヒワへの移動日の事、道中カラ周りでもしてみる?!よくよく聞くと古代ホレズム文化を生み出したアムダリヤ川の流れを変えるたびに城を作り替え、1940年代に数百キロに渡り都城跡(カラ)が発見されて今なお点在している。アヤズ・カラにはユルタキャンプもあるので機会があれば宿泊してみるのも面白いだろう。キジル・カラ、トプラク・カラ、アヤズ・カラと3か所を周ったが観光客一人も会うことが出来なかったが、あまり知られていないウズベキスタンを見ることが出来ると思う。
日干しレンガで修復中のキジル・カラ
住民の居住区もあるトプラク・カラ
ユルタキャンプもあるアヤズ・カラ
<青の都 サマルカンド>
サマルカンド出身のタジク人の現地ガイドがポツリ。ウズベキスタンの国名を知らない人が多いらしい・・・しかしサマルカンドと言うと沢山の人がピンと来るほど有名な「サマルカンド」!!紀元前4世紀アレキサンダー大王が、その美しさに驚いたという長い歴史があるオアシス都市です。
レギスタン広場の3つのメドレセ(神学校)を始め、中央アジア最大級の「ビビハニムモスク」、イスラム教徒の聖地「シャヒジンダ廟群」など「青の都」と呼ばれる所以の外壁を覆う青いタイルのその独特の青色は、「サマルカンド・ブルー」と称えられとても美しい。
またナンの王様と言われるサマルカンド・ナンだけでなく、行列の出来るサマルカンドのプロフは激ウマでした。
大行列のブロフ屋さん
<タシケント>
タシケント観光の二日前に中央アジアを歴訪中の安倍首相がタシケント訪問し日本人墓地を訪れたそうだ。ソ連に抑留された日本人たちが遠い中央アジアのウズベキスタンまで流れ、治安の良いウズベキスタンの各地で安らかに眠っている。記念碑に刻まれた「鎮魂」そして石碑に漢字で刻まれた氏名・出身地には心の奥に刺さるもの感じずにはいられない。
また日本人が強制労働で見事な建物を作り上げたナヴォイ劇場も訪れて欲しい。その建物はタシケントの大地震でも唯一崩れなかったからこそ、ウズベキスタンの地でもメイド・イン・ジャパンの信頼や親日として好意を抱いてもらうことが出来ているのだろう。
しかしながら現在のウズベキスタンは、街中や車、電化製品を見ても間違いなく韓国が大勢を占めている。ちょうど安部さんも訪れたが日本とウズベキスタンが韓国と同等位には近い関係になってくれると非常にうれしく思う。
最後にウズベキスタンを旅行して分かった事があるので、これから旅行する方がいればぜひ日本語ガイド付きをお勧めしたい。やはり言葉の壁は高くウズベク語もしくはロシア語を話せないとかなり苦労する印象だ。しかしながらウズベキスタンの人はとても親切で愛嬌があり治安もとても良いので観光には最適です。
アラル海 ★★★★★ 地平線、水平線の大地が広がる。
サマルカンド ★★★★★ 鮮やかな青色は美しい。
タシケント★★★★★ 日本人の足跡を感じる事が出来る。
(2015年10月 大道 隆宏)
- 絶景 地獄の門とサマルカンドブルーに浸る旅
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エリア:
- アジア>ウズベキスタン>ヒワ
- アジア>ウズベキスタン>ブハラ
- アジア>トルクメニスタン>タシャウズ
- テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 グルメ
- 投稿日:2016/01/04 17:18
5月中旬、中央アジアのベストシーズンといわれるこの時期にウズベキスタンとトルクメニスタンへ行く機会が得られた。私自身初の「スタン」系。未知の世界すぎていつもより少し緊張気味に出発した。今回空路は往復タシケント、トルクメニスタンへは陸路で出入国のルートだ。特にトルクメニスタンはガイドブックの掲載ページ数も少なく、他の国よりも情報量が極めて少ないため、目に入る全てのものが真新しく、だからこそいつもの旅よりも感動は大きかったように思う。
【まさに地獄なガスクレーター編】
知る人ぞ知る、まさにその言葉があてはまる絶景ポイント、地獄の門があるのはトルクメニスタン。最近ようやくガイドブックにも登場するようになったのだが、まだ地獄の門を知る人は少ないだろう。
ちなみにトルクメニスタンからウズベキスタンに戻る際の国境で、ウズベキスタン側の入国審査官でさえ、この地獄の門の存在を知らないような現地でもまだまだマイナーな観光地のようだ。
この地獄の門は、旧ソ連時代に地下で行われていた掘削作業中に爆発が起き、それが原因で空いた穴からのガス漏れを防ぐために火が放たれたが、地下からはずっと可燃性ガスが発生し続けているために40年間以上も燃え続けているのだ。しかもカラクム砂漠のど真ん中にこの穴が存在するため、それがまた秘境感を際立てている。この地獄の門は、日本では地獄の門という呼び方をするが、現地の人々はガスクレーターと呼んでいる。
この地獄の門を見るための1泊2日だが、ほとんどが移動時間に費やされた。まず、国境での出入国審査。往復ともに約1時間半ずつはかかった。特にウズベキスタン側では荷物チェックがかなり厳しく、スーツケースを開けて荷物ひとつひとつ細かくチェックされる。
ようやく出国ゲートを抜けると次はトルクメニスタンの入国。入国審査場ですでにトルクメニスタンのガイドさんが待っていてくれ、ガイドさんに手伝ってもらいながら入国手続き終了。少しクフナ・ウルゲンチの遺跡に立ち寄り、日差しが強い中広い敷地内を徒歩で見学となる。霊廟や遺跡が点々としているため日陰がなく、一気に体力を奪われた。
頂上部が少し曲がったクトルグ・ティムール・ミナレット
面白い形をしたイル・アルスラン廟
キャラバンサライの門
その後、カラクム砂漠のど真ん中にある地獄の門まで移動となるが、カラクム砂漠横断の道路はまだ整備されてなく、かなりの悪路であった。4時間ほどの車移動の末、ようやく地獄の門周辺に到着し、まずはテントや寝袋を借りるレンタル屋に立ち寄る。そこから5〜10分で地獄の門に到着。まずは夕方の地獄の門を観賞。ゴーゴーと炎をあげ、静かに燃えている。ときどき吹く風でものすごい熱風に驚く。
そこから約500m離れた場所に、ガイドさんとドライバーさんが泊まるユルタがあり、その傍に私が一夜を過ごすテントを組み立てる。
ユルタ(右)と私のテント(左)
ユルタの内部
着いて早速夕食作りが始まり網に挟んで鶏肉を焼き、ガイドさんは素手でサラダを作る。
かなり質素だがディナーはウォッカで乾杯!
夕食後に再度夜の地獄の門観賞。夕方とは違って、空が真っ暗なで炎が際立っているためか、夜の方が迫力がある。まさに地獄への門といった感じだ。その逆に明るい時の地獄の門は、現地人がよく使う「ガスクレーター」という名の方がしっくりくる。
近くにはいくつかのテントがあったが、地獄の門を観賞している観光客はほとんどおらず独り占め状態。
少し離れてみるとこんな感じ。ここだけぽっかりと穴が空いている。周りは柵もなく看板があるわけでもない。もしも落ちたら・・と考えるだけで恐ろしい。
夜バージョン
朝バージョン
一夜明けて朝食を食べたあとに、朝の地獄の門観賞。すがすがしく今日も燃えている。
観賞後、また悪路を通り国境へ向かう。1泊2日、超弾丸ツアーだった。
【メドレセ大国 ブルーが美しいウズベキスタン】
ウズベキスタンと聞いて、最初に何を想像するだろうか。モスク、メドレセ、という言葉が出る前に私が想像したのはそのメドレセや霊廟の上のあの綺麗な青いドームだった。
どの都市を周ってもあの青いドームは存在し、いくつもモスクやメドレセを周るとどれがどれだか分からなくなる。
ウズベキスタンの代表的なメドレセはやはりサマルカンドのレギスタン広場に集まる3つのメドレセ。さすがサマルカンドブルーと言われるだけに美しく、太陽の光で更に輝いているように見える。
メドレセの外観は3つとも同じように見えるが、ティラカリ・メドレセは他の2つとは異なり、青いドームの下の礼拝所は、壁・天井が金箔で装飾されている。外観からは想像できない異空間であるが、金箔でキラキラしていてとても美しい。
メドレセ内は職人の作品がずらりと並ぶ
ブハラにはナディール・ディヴァンベギ・メドレセがある。現在メドレセのほとんどが活動しておらず、中の学生の部屋や教室は土産物屋になっているが、入口の上部分の鳳凰が印象的なこのメドレセも現在は土産物屋で埋まっている。
シーズン中は夜にこのメドレセで民族舞踊のコンサート、またファッションショーのようなショーが開催される。
民族舞踊のコンサート
ウズベキスタン流ファッションショー開催
ヒワは小さなイチャン・カラ(城壁内)に見どころが集まっていて、観光しやすい。ヒワのシンボルと言えばイスラーム・ホジャ・ミナレットだろう。このミナレットはヒワで一番高く、頂上まで登ることもできる。白・青・緑のガラス張りのモザイクの横縞模様は美しく、魅了される。そしてこのミナレットの横にもメドレセが付随しているが、やはり内部は土産物屋化している。
他に周った霊廟やモスクにもメドレセと同じように青いドームや、タイルやモザイクの装飾が施されており、どの建物も魅力的だった。
アムール・ティムール廟のブルー
シャーヒズィンダ廟群のブルー
【グルメ 番外編】
実は今回の旅で私が一番心配していたのは、食べ物だ。羊肉が現地ではよく食べられるとガイドブックに書かれていたからだ。日本でも好き嫌いがかなり多い私にとって、羊肉も嫌いな食べ物に分類され、旅をする前から少し憂鬱になったくらい。しかし実際に9日間滞在した中で羊肉は一度も出なかった。なぁーんだ、と拍子抜けしてしまいそうだが、羊肉について尋ねると、オーダーすれば出てくるが一般的には牛肉と鶏肉を食べるとのこと。
羊肉が出てこないことにホッとし、その他の料理も想像以上に美味しく結果的にグルメを楽しむ旅になって良かったと思う。
毎昼食、毎夕食の一品目はサラダ。それも一種類ではなく最低二種類、多い所で四種類出る。サラダの種類は様々で、日本でも食べるようなトマトときゅうりのシンプルなサラダだったり、ポテトが入ったサラダ、赤かぶのサラダ、お米のサラダもある。とにかくサラダの種類が多く、レストランによって出されるサラダが異なりいろいろな味が楽しめた。
トルクメニスタンのサラダ
地獄の門にて。ガイドさん手作りのサラダ
ウズベキスタンで食べた多種類なサラダ。
この毎日多種類のサラダを食べる事によって、日本で肌荒れしていたお肌が少し回復傾向に向かったのである。(残念なことに帰国後、もとの生活に戻った途端お肌ももとの状態に戻ってしまった・・)サラダは健康に良いのだなぁと改めて実感させられた。
その他、これといってウズベキスタン名物というものはないのだが、各地で食べたシャシリクや野菜スープ、ラグマンは本当に美味しかった。
トルクメニスタンのラグマン。味はピリ辛きゅうりラーメン
トルクメニスタンのシャシリク
ウズベキスタンのシャシリク
シュヴィト・オシュ。香草を練りこんだ緑色の麺が特徴的
川魚のフライ
ロシアで有名なボルシチ。鮮やかな赤色で一口目は抵抗があるが美味。
食べた料理全て載せたいぐらい、全て美味しかった。
前述の通り、私は食べ物の好き嫌いが多いので、海外に出てもその土地のグルメを楽しむために屋台に繰り出したり、B級グルメに挑戦したりする勇気がなかなかできないことが多いが今回は終始、現地の料理を楽しむことができた。
ウズベキスタンはイスラムの国だが、女性は顔を布で隠したり、男性はガラベイヤという中東諸国でよく見られる服装をしている人はおらず、日本と同じように若い女性は皆おしゃれだし、男性も自由な服装でイスラムの国というイメージが払拭された。実際に結婚式は見ていないが、これもやはり日本と同じように女性はウエディングドレスを着るのが一般的だそうだ。タシケントではデートを楽しむカップルも多く見かけた。また各地では至る所で工事が行われ、マンションやホテルなど新しい建物が続々建てられるようでかなり発展してきている様子も垣間見れた。
イスラムの国といってもかなり自由で、だからこそ旅がしやすかったのだと思う。観光途中、何度も団体の学生旅行に出くわしたがすれ違う時に「ハロー」と気さくに声をかけてくれたり、写真を求められることもありとても親しみやすい国だと実感した。
トルクメニスタンは1泊2日の滞在で、その時間のほとんどが移動時間と砂漠だったため、人々との交流がほとんどなかったが、ガイドさんをはじめ、ドライバーさんやレストランのスタッフ、砂漠泊の翌日にシャワーを浴びさせていただいた一般家庭(現地旅行社のスタッフの家)のご家族、皆親切で滞在しやすかった。
国の名前だけで危険な所だと思われがちだが、実際には想像していたようなガチガチのイスラム教ではなく、思い思いに楽しめる。おすすめの国がまた一つ増えた。
この旅行記を読んで少しでも多くの方がウズベキスタンやトルクメニスタンに興味を持ったり、旅行先の候補になれば良いなと思う。
地獄の門★★★★★ まだまだマイナーな新名所。しかし迫力は抜群!朝と夜の違いを楽しむのがオススメ。
ヒワ ★★★★★ ヒワの旧市街は、他の都市よりも小さいが見どころは負けじとたくさんある。アクシェイフ・ババの見張り台からのヒワの眺望は必見。
ブハラ ★★★★ タキ(バザール)が多く、ショッピングも楽しめる。ハマム体験も可能。
サマルカンド ★★★★★ レギスタン広場の3つのメドレセに行かずしてウズベキスタンは語れない。鮮やかな霊廟が集まるシャーヒズィンダ廟群も是非おすすめしたい。
(2015 年6月 栗山智美)
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