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- 「聖地さえ 斜に構えれば USJ 異教徒女子の 秋、一人旅」 (心の短歌 ヨルダン・イスラエル・パレスチナ編)
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エリア:
- 中近東>イスラエル>エルサレム
- 中近東>ヨルダン>ワディ ラム
- 中近東>パレスチナ自治区>パレスチナ自治区その他の都市
- テーマ:ホテル・宿泊 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/05 15:13
今回の旅行先はヨルダンとイスラエル。イスラエルから旅の感想を記載する。
この旅行記のタイトルで聖地をまるでUSJのように思えてしまった、という件に関してはマサダとヤルデニットだけなのでそれを最初に述べておく。
キリストが洗礼を受けたヨルダン川にまつわるエトセトラ
ガリラヤ湖の南端、ヨルダン川に流れ出すヤルデニットと呼ばれる洗礼ポイントがあり、キリストがヨハネから洗礼を受けたとされる場所はさらに下流のジェリコ近郊にあるがこちらのほうがよく整備されていて巡礼者が多く訪れるのだ。洗礼を受けているところにビデオカメラを設け、その様子を出口で流し、希望者にはそのビデオを売る、というものだ。これってまるでウォータースライダーの写真を出口で見て記念に買うのと同じだ。もちろん信者たちは真剣で、一生記念として残るその様子を是非自国に持ち帰りたいというのが普通だと思う。出口にはヨルダン川の聖水や、洗礼を受けるときに着る衣装を売っていたり、またAHAVAの化粧品グッズが売っていたりと訪れる信者の気持ちと購買欲をくすぐる商品がいっぱい売っている。こうなると本当にUSJの「アトラクション」である。もちろん日本だって、神社のお参りだって同じじゃないかと言われてしまうかもしれない。確かにそうだ。でも日本のお寺や神社はもうちょっと厳かさがあって、少なくとも遊園地のアトラクションのようにはなっていない。またお参りする人の真剣さが全く違う。そこが私が違いを感じるところだった。
洗礼をうける信者達 それを見守る人々
洗礼の様子
聖水販売
ヤルデニットのお土産販売
みんなたくさん買っている
洗礼を受ける服の販売とその洗礼証明書
ヤルデニットの出口
巨大な要塞マサダ
マサダ国立公園は大きな標高400mの岩山の山頂に広がる遺跡で紀元前100年に造られた要塞だ。70年にローマ軍とユダヤ人が戦ったユダヤ戦争の最後の籠城戦でローマ軍への抵抗は2年以上も続いた。異教徒に辱めをうけることをよしとしなかった抵抗者は7人の女子供を除き、全員自決してしまう。ユダヤ人は全滅を再び繰り返さないという決意「ノー モア マサダ」というスローガンを語り継いできた。現在はここでイスラエル軍の入隊宣誓式が行われ、式の最後は「マサダは2度と陥落させない」という言葉で締めくくられるそうだ。
マサダの頂上へはロープウェイで行く
私が訪れたときにたまたまここでユダヤ人の成人式に幸運にも遭遇した。ユダヤ人の聖典トゥーラを持って練り歩く。家族や知人と楽団とともにマサダの要塞内を歌いながら練り歩く。歌詞の意味は分からないがたびたび「イスラエル」という言葉がでてくる。成人となる主役の男の子と目があったが何と幸せそうで誇らしげな顔だろうか。まっすぐにこちらを見つめる瞳とかわいい笑顔がとても印象的で今でも忘れられない。
13歳がユダヤ人男性の成人
家族知人で盛大に祝う
この要塞の頂上からみる景色は圧巻!
巨大な自然の要塞
遠くには死海が見える
住居跡なども残る
下の博物館やお土産屋さんの設備もすごく整っている。入ってから10分ほどのマサダについてのスライドショーがありその英語バージョンを見たのだが確か“WELCOME TO MASADA!”から始まってアメリカ英語でまさにUSJやディズニーランドのアトラクションばりの映像でそれを見たのちに先に進むようになっている。内容はユダヤ戦争でどのようにローマ兵士と戦ったかなど。お土産屋さんもアトラクションが終わったあとのグッズを売っている売り場とひけをとらない。「観光地」としての設備の充実具合、お金のかけ具合もパレスチナとはまるで違う。
イスラエルの入国事情
話は遡り、ヨルダンからイスラエルへ向かった日のこと。アレンビー橋での陸路で入国した。かの有名なイスラエルの入国で数時間かかるのは覚悟の上だ。ヨルダンにて出国税とバス代を払い、バスに乗って入国審査を行う。入国審査官は大きな体の男性で大きなボディピアスの穴が耳たぶにある。昔はやんちゃで悪さをしたけれど今となっては入国してくる人を厳しく取り締まる側になって、周りからは「あいつも変わったな、立派になったものだ」とか言われてるんだろうか、いや、ボディピアスはこちらではやんちゃなうちに入らないかも、でもユダヤ人の国家ならボディピアスはちょっとした不良がするに違いない、などとどうでもいいことを考えていたので、意外と緊張してなかったのだろう。あなたのピアスは超COOL!とか血迷ったことも言わないくらいの冷静さも残していた。私のパスポートは割と新しく、中東のスタンプもおされていないため、「ヨルダンの旅程は?イスラエルではどこに行くの?一人?エルサレムのホテルはどこ?英文の日程を見せて」などの質問くらいで割とすんなり入れた。残念ながらこれくらいの英会話ができない人はイスラエルには個人旅行ではなく添乗員がついている旅行をするしかない。もしかすると土曜のシャバット(安息日)のため彼らも早く帰りたかったかも?しれない。アンマンのホテルを出たのが08:00、エルサレムのホテルに到着したのが12:00だから割とスムーズにいったほうだとのこと。こんなとき丸顔でよかったと思う。丸顔は悪人には見られないのだ。
いよいよ憧れのエルサレム旧市街へ!!
今回エルサレムのホテルはオリーブツリー。4つ星ホテルで朝ごはんも充実していてネット環境も良い。すごく快適。ここの売店はAHAVAの製品が30%OFF で、AHAVAの死海の泥もしくは塩石鹸はここが一番安かったと思う。
欧米の団体客も多いオリーブツリー
到着した日は土曜日の正午くらいでちょうどシャバットだった。シャバットとは安息日で金曜の夕方から土曜の夕方まで。この間は全ての公共交通機関がストップする。車の通りもまばらだ。歩いて旧市街まで行ってみることにした。オリーブツリーの近くには有名なアメリカンコロニーホテルがあって、道路を挟むと正統派ユダヤ人のみがすむメア・シェアリーム地区。ダマスカス門まで歩いて10分から15分ほど。トラムが動いている時間だとダマスカス門駅まで二駅。ダマスカス門が近づくにつれ、アラブ色が強くなってくる。ムスリムが住むエリアはシャバット中も営業しているのだ。ダマスカス門に到着するとイスラエル軍の軍人が大きな機関銃をもって不審な人がいないかを見張っている。(476 シャバット中のダマスカス門の様子)怖い軍人に思えたが最後の方には慣れてきて聖墳墓教会(キリストのお墓があるところ)の道はこっち?など交番のお巡りさん扱いをしてしまう始末。でもびっくりしたのがヴィアドロロッサ(キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ歩いた道)を目の前にして、聖墳墓教会がどっちかその兵士はわからなかったのだ。たとえ所属1日目だとしても、ユダヤ人だからキリストのことをあまり知らないとしても、かの有名なヴィアドロロッサのどっちが聖墳墓教会に続くかはわかっているはずだろう。なんでだったんだろう。なぜこんなに多くの人が集まりこの道を往くのか考えないのだろうか。ダマスカス門から入った旧市街は他国のアラブの市場のよう。外国人用のお土産もあれば、地元の人用の生活用品、食品も売られていて懐かしいスパイスの香りが鼻孔をくすぐる。ああ、やっぱり私はこの雰囲気、香り、このアラブのマーケット、世界が大好きだ。そして太古から聖地であるこのエルサレムの地に立っていることを思うと感動で体が震えるのであった。ヴィアドロロッサをいくとムスリム地区の商店街も通るのだがそれがこの聖地の複雑な歴史をも思わせる。最終日の自由時間もこの旧市街とヴィアドロロッサを歩き何時間も歩いてへとへとに疲れていたがキリストが歩いたのは重い十字架を背負って、何度もひざまずいて歩いたことを思ってこんな疲れが何だ、負けるな、がんばれ、と自分を励ましながら歩くのだった。
お土産屋さんも多い旧市街のムスリム地区
旧市街は迷路のよう
アルメニア人地区は人気も少ない
アルメニア地区
キリストのお墓にはたくさんの人が列をなしている
嬉しい偶然!有名人(?)に遭遇!
マハネー・イェフダー市場はエルサレムの台所。色とりどりの野菜や果物、スパイス、お菓子など歩いてみるだけで楽しい。ここで顔見知り(?)に遭遇!
http://www.fivestar-club.jp/blog/traveler/archives/2014/12/post_638.html
FSCのスタッフ、山本がここに訪れた際のブログで後半にでてくるザクロをきるのがうまいおじちゃんを発見!!記念に一緒に撮影してもらった。
死海の浮遊体験
今回、ひょんなことで死海に浮くこととなった。ドライバーさんが一番おすすめなのがレオナルドクラブホテルの近くのビーチで、場所によっては死海の水は年々少なくなって水がビーチと水面が離れていて良くないとのことだ。以前ヨルダンに行ったときにも死海に訪れ、その時はデッドシースパに宿泊した。デッドシースパは下に泥がたまっていたけどここには泥はなかった。泥パックをする場合は買ってくる必要がある。死海に浮いたり、ビーチでのんびりしながらシーシャを吸ったりするのは楽しい。教会や遺跡めぐりだけではちょっと肩がこる、という人に是非おすすめ。(764 きれいなビーチ)(768 死海で浮いてみました)
イスラエルのコスメ事情
イスラエルのコスメで今日本でも人気なのがSABON だが、中でも一番人気の死海の塩を使ったボディスクラブは600グラムで日本では5500円だけど、エルサレムでは「SABON の会員登録をして二つ目が半額キャンペーン」みたいのをしていてそれを利用して半額くらいだ。海外に住んでいても問題ないそうで、金券クーポンみたいのをくれて「東京のSABONでもこの額面相当の金券として使えますよ」とのことだがそのクーポンはヘブライ語しか記載がないけど本当に日本のスタッフはわかってくれるかしら? いくつかコスメのお店を周ったけどみんな英語が上手で売り上手!しかもその売り子さんが美人で「私も使ってます」とか笑顔で言われたら買わないという選択肢はない。SABON 以外にも有名どころと言えばマドンナが愛用しているLARINEも旧市街近くのMAMILA MALLや繁華街のベン・イェフダー通りで手に入る。あと、ガミラシークレットというオリーブの石鹸も有名だそうなのだが残念ながらこちらは売っているところを見かけなかった。そもそもオリーブの石鹸が少なく、死海の泥石鹸、塩石鹸のほうが主流のようだ。ヨルダンの高速のサービスエリアでも死海グッズは売っているのだけどなんだろう、イスラエルのものは高級感が違う。どの国の女性もそうであるように化粧品は本当の効用よりもイメージが大事で「ここのブランドで、それなりのお金を払っているのだし効き目があるはず」と思いながら使うのが一番効果あるのだろう。見てくれもそれなりの高級感があって買う段階でわくわくさせてくれるようなのが売れる化粧品。それがヨルダンの死海コスメには足りないのだと伝えたい。余計なお世話かもしれないけど。
イスラエルの免税手続きについて
先述のマサダ国立公園やヨルダン川の洗礼のお土産屋さんの一角に有名なAHAVAの商品が置いてある。400シェケル(12000円くらい)以上の買い物が免税対象だ。以前日本に上陸したものの、いろんな団体の反対にあい撤退したようだ。この国での免税の方法は買ったお店でそれ用の書類を記入してもらう。それをチェックインする前の段階でVATの表示のあるカウンターにてその書類に判をおしてもらう。化粧品など液体の場合はこのあと預けるスーツケースの中に入れて、その書類だけ手元に残しておく。その後、航空会社のチェックイン、出国後に免税店エリアの一角にまたVATと書いたカウンターがあるのでそこに書類とパスポートを見せて、現金(USDかイスラエルシェケル)にて返してもらう。このような流れだった。
ヨルダン再訪の旅
ヨルダンの訪問は10年ぶり。前回はシリアとあわせて旅をしたがまたヨルダンに訪問することになるとは思わなかった。前回はぺトラと死海を旅行したので今回はワディラムで宿泊することとなった。
ワディラム宿泊のおすすめ!私だけのアラビアンナイト!
映画「アラビアのロレンス」の舞台となったワディラムの砂漠。4WDで砂漠を探検する。巨大な岩山と広大な砂漠の風景は進めば進むほど新しい表情を見せてくれ、かたときも目が離せない。
高台からワディラムを見下ろす
ロレンスの家
ロックブリッジ
絶壁
日帰りではなく宿泊してじっくりその魅力に迫り、夜は降るような星空を楽しめるプランがおすすめだ。本日の宿泊は通常のキャンプサイトより奥地にあり、4WDでしか行けない砂漠の真ん中にあるナイトラグジュアリーキャンプ。今回の宿泊はとてもユニークなお部屋に泊めさせてもらった。昔、デパートの屋上で、空気でふくらませたビニールの巨大なドームみたいな中で子供がぴょんぴょんとべる遊具があったが、それと同じ原理で部屋の上半分くらいが透明になっていて、ベッドから星空を眺められるお部屋に宿泊した。部屋の中にトイレもシャワーもあり、外から空気が送られてくるので少し乾燥するものの、こんなわくわくするお部屋に泊まることとなりドキドキだ。ベッドに寝転び部屋内の電気を消すと星空しか見えない。(ちょっと砂埃で汚れていたから外と全く同じ、というわけにはいかないけれど)なんて贅沢でロマンティックなお部屋なんだろう!しかし部屋自体が大きな風船のようになっていて、入り口は二重になっているので出入りするときは必ずどちらかを閉めていないと空気が漏れてしまい、部屋自体がペチャンコになってしまうのでご注意を。あと、荷物を置く場所は限られていてスーツケースひとつくらいしかあけるスペースがないので、二人で泊まる場合は一人分のスーツケースにまとめて置くのがよいと思う。このタイプのお部屋はまだ一部屋しかないが部屋を増やすことを計画しているそう。
外観はこんな感じ
ベッドの上には星空が広がる
普通の部屋はベドウィンのテントをイメージし、中はこだわり抜いた家具や寝具と落ち着いた雰囲気で、ここが砂漠の真ん中であることを忘れさせてくれ、至福のひとときを与えてくれる。
テントをイメージしたお部屋
美味しい料理とテントのレストラン
共同のトイレ・シャワー
ベドウィンのテントのような外観の部屋
目の前にはワディラムの岩山の風景が広がる
美しき街サルトで家庭訪問!
アンマンは都会なんだけど何となく味気なくてさほど見どころも少ない。今回はアンマン近郊にある小さな街サルトで他にはない面白い体験ができるとのことなので訪れることとなった。サルトはヨルダンで最も古い街の一つで黄色い石造りの家々が丘に沿ってたつ美しい街なのだが、ここでなんとヨルダン人の家庭訪問をさせてもらった。お母さんが料理をふるまってくれたのだが、印象に強く残っているのがマクルーベという炊き込みご飯で大きな鍋に炊きたてのご飯を大きなお盆の上を頭にのせ、頭の上で鍋をひっくり返すのだ!チキンも入っていて優しい味で日本人の口にもあう。今回の旅行で一番美味しい食事だった。それをヨルダン人の家でお母さんと一緒にいただくのだから喜びもひとしお。食事の後の伝統衣装をきての写真撮影をさせてもらった。大きな布を帯やピンでとめていく。日本の着物も大きな布をまとうのだけど、出来上がりはこんなに違います。おもしろいなぁ。
頭の上で大きな鍋をくるり
マクルーベ、おいしそう!
お母さんと一緒にいただきまーす
こんなに大きな布を・・・
お母さんに着せてもらいます
お母さんと記念撮影
また歴史ある美しいこの街での散策も楽しい。迷路のように入り組んだ路地と階段の先にはこの街の全景がわかる素晴らしい景色が私を待っていたのだった。
サルトは丘の上に家々が建つ
きれいなサルトの街並み
サルトは階段が多い
ムスリムとクリスチャンが住む街
戦争を繰り返す国へ
ヨルダンはシリアの隣にあって「治安は大丈夫?」と思う人もいるかもしれないが、ヨルダン自体は安全そのもの。現地の人は「ヨルダンは中東のスイス」と例えていた。
私は大好きな朝ドラの「あさが来た」の言葉をこの国に、また戦争をしている国に伝えたい。あさは折り合いのつかない炭鉱夫たちにピストルで脅す形で働かせることとなってしまったのだが、その日、夫の新次郎はあさに下記のように言うのだった。「相手を負かしたろと武器もつやろ、そしたら相手はそれに負けんようにもっと強い武器をもって、そしたらこっちはもっともっと強い武器を、ってこれは太古の昔からあほの男が考えるこっちゃ。あさはそんな力づくの男のやることではなくてもっとあんたなりのやり方(女性らしい“柔らかい“やり方)があるんとちゃいますか。」
暴力には暴力で対抗するのではなく、誰の命もおとすことなく、また、ラビンとアラファトが握手をしたようにお互いの手と手をとって、話し合って解決できる日が早く来てほしいと願うばかりである。
★★★★★ エルサレムの旧市街 フリータイムに自分で散策が面白い!!
★★★★ ベツレヘム、ジェリコ パレスチナとイスラエルの違いを自分の目で確かめよう
★★★★ 日帰りで死海浮遊体験(イスラエル) 教会めぐりとは違った楽しさ
★★★★ ワディラム 宿泊して自分だけのアラビアンナイトを!!
(2015年11月 辻理恵子)
- 安心安全・そして美しいパレスチナを正しく理解する旅
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エリア:
- 中近東>イスラエル>エルサレム
- 中近東>パレスチナ自治区>ベツレヘム
- 中近東>パレスチナ自治区>パレスチナ自治区その他の都市
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/04 16:16
パレスチナの視察旅行に参加させて頂いた。まず、パレスチナと聞いて何をイメージするか?昭和生まれの私にとって幼いころからの記憶ではいつも戦争をしている国。アトランダムに連想されるワードは難民、ゲリラ、PLO、過激派・・・・・そう、正直あまり良いイメージはない。友人や家族に行くことを伝えるとほとんどの人が危ない、行くな、というほど危険なイメージが定着している。残念ながら観光の情報がほとんど伝わってきていない。イスラエルとなるとエルサレム=聖地、ということで観光地としてのイメージは多少良く、社内の渡航経験者もとても安全で世界有数の楽しい国だと言う。世界の隅々まで商品を取り揃えているファイブスタークラブでもパレスチナが含まれたツアーは9本と相対的に取り扱いが少ない。そんな中でパレスチナ?なぜ今なの?という感じで旅が始まった。
パレスチナの歴史的背景
パレスチナを語るにはまず歴史的背景を理解することが必要。学校で習った筈だがきれいに忘れているので本やネットの記事を基に簡単にまとめてみる。
そもそもの経緯は約2千年前にまで遡る。
現在のイスラエルがある地中海東岸はユダヤ人にとって旧約聖書で神が与えた約束の地と書かれている土地。それを根拠にヨーロッパを中心に迫害を受けていたユダヤ人が王国を作って住んでいたがローマ帝国が領土拡大のため攻めてきたのでユダヤ人はバラバラに逃げていった。
その後ローマ帝国も衰退し今度はその場所にアラブ人が住むようになり、その土地がパレスチナと呼ばれるようになった。しかしアラブ人もオスマントルコ帝国に占領される状態が20世紀の初めのころまで続く。そしてその頃世界中に散ったユダヤ人がヨーロッパなどで迫害を受けパレスチナへ戻り始める。まだその頃は、両者は争うことなく暮らしていたが第一次世界大戦中、イギリスがアラブ指導者にはアラブ独立国家の樹立を、ユダヤ人指導者にはユダヤ民族の地を作るとそれぞれに約束した。この矛盾した約束こそが現在の混乱の元となっている。その後、米英主導でパレスチナを分断してユダヤ人とアラブ人の国を作ることが国連総会に提案され一方的な決議で分断が決定してしまう。これがユダヤ人国家であるイスラエルの誕生の経緯。この決議に対しパレスチナ人と周辺のアラブの国々が反発してイスラエルに進軍し、いわゆる第一次中東戦争が勃発、以降断続的に紛争が続く。第一次戦争でエジプトが攻め込んだのがガザ地区、ヨルダンが攻め込んだのがヨルダン川西岸自治区でこの2つの地域が現在のパレスチナ自治区と呼ばれている。その後アメリカの仲介で、両者の間で暫定自治に関する合意がなされパレスチナによるガザ地区などの暫定自治が始まったがイスラエル側はパレスチナ国家を認める気が無い。一方、独立国家の希望を持つパレスチナ人は裏切られた結果となり衝突し紛争が今日まで続く。現在パレスチナの中にもABC3つの地区が存在していてこれまた複雑。説明を聞いても頭が混乱してくる。
A地区はパレスチナ自治政府が行政権、警察権共に実権を握る地区。 いわゆる純粋な地区。
B地区はパレスチナ自治政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区。
C地区はイスラエル軍が行政権、軍事権共に実権を握る地区。
現在の危険度
今回訪問したのはヨルダン川西岸地区。ここでは現在、紛争等は起こっていない。
外務省の安全情報でベツレヘム、ラマッラー、ジェリコの3都市は十分注意してください、の
いわゆる危険度1のレベル。紛争というよりはイスラエル人とパレスチナ人のいざこざがたまに起きる程度でほとんどは入植地(イスラエル人がヨルダン川西岸地区に住宅を建設して入り込んできているエリア)の近くや分離壁の近くなのでツアーで通る幹線道路や街中で大変な事件が起きるということはないそうだ。しかも今回はJICAサイドでも安全に関しては十分に配慮してくれたのでとても安心だった。旅をして感じたことだが治安は良い。特に盗難トラブルはほとんどないらしい。観光客の人気はあるが盗難の多いヨーロッパの某有名都市に比べてよっぽど安心。のどかなパレスチナにはミサイルも銃声も叫び声もない。夜歩きも全く問題ないと体で感じる。24時間眠らない、おかしな犯罪が増えている今の日本に比べてはるかに安全かもしれない。
入国時のトラブルと注意
トルコ航空のイスタンブール乗換でテルアビブへ。まだトルコなのにテルアビブ行きだからだろうか、
ゲート前の航空会社の係員も厳しい目つきと威圧的な態度で質問をしてくる。
入国審査のハードルが高いことでも有名なイスラエル。
”審査官の質問には笑顔で簡潔に”のアドバイスを守り、1問1単語のリズムでサクサクと答える。
パレスチナに行くと言うととても面倒なことになるらしいのでそれは伏せてエルサレムに行くと伝える。予想通りかなり威圧的で感じが悪いがここは我慢我慢。余計なことをいっさいしゃべらなかったので意外に早く通り抜けた。尚、現在はパスポートにスタンプは押されなくなっている。写真が刷り込まれた入国カードがその場で発行される。
ちなみに記入する書類は無いのでその点では楽。
その後、荷物が出るのを待っていたらさっきの審査官が仲間を引き連れ私に何か話しかけてきている。どうやら後ろに並んでいた日本人と友人ではないかと言いだし、二人で何しに来たのか聞かせろ、といった体でパスポートを取り上げられ別室に連れて行かれた。一度入国したのに引き戻されるなんて前代未聞。そこには同じように難癖をつけられたであろう入国難の方たちが地べたに座って次の尋問の順番を待っていた。中には4時間近く待っているという、どう見たって普通のアメリカ人もいる。
もはやこれは嫌がらせとしか思えない。理由もなく1時間以上待たされているうち、どうでもよくなりこのまま帰りたい気分になった。しかし帰りの飛行機代はどうなるのかとか、この後の仕事もあるしそう簡単には引きかえせない・・・などと思っていたところ名前を呼ばれて別室で再審査。大した質問をされることもなく許可されようやく入国できたがこのロスタイムは一体何だったのか??
月の都 ヤシの木の都・ジェリコ
ベングリオン空港からは車で約2時間、最初の目的地ジェリコへ(ガイドブックではエリコと紹介されている)海抜マイナス260メートルと世界で最も低地に位置する、そして人が住む都市として地球上で最古の都市。
これだけでも観光地としての話題性は十分備えている。クレオパトラが所有していたという伝説でも有名で遺跡が豊富なパレスチナを代表する観光地。暖かい気候と豊かな水源からさまざまな果樹が育つ、ちょっと南国の雰囲気が漂うジェリコ。ここには大きく2つの観光ポイントがある。
まず最初に訪れたのがパレスチナ屈指の考古学遺跡で中東最大のモザイクの床が有名なヒシャム宮殿
8世紀にイスラム国家の指導者カリフが建てた宮殿跡で、地震で埋まったため保存状態が良く当時のままのモザイクが見られる。中でもきれいなのが生命の樹
生命のバランスを示す画でライオンとシカが描かれている。宮殿跡からはイスラム教が入りたての頃の建築様式やサウナ風呂の構造がわかるという点でも大変重要な遺跡である。他にも多くのモザイクが砂に埋もれているらしい。砂をどければもっと多く見られるそうだがもちろんそれにはお金がかかる。いずれ公開する計画があるらしいのでそうなれば3番目の世界遺産として申請するのだろうか?興味深い。
続いてテルアッスルターン
ジェリコの北西部にある古代遺跡で最も古くから人々が定住した古代都市の一つとして知られる。1万年も前の住居跡や4千年も前の城壁の跡などが残されていることが世界最古の都市と呼ばれる所以。
あまり保存状態が良くないのか、歴史的観光地としての風格が感じられず殺風景というのが正直な感想。深く掘られた地面からは何層にも渡って縞模様が見られるがその縞の数だけ町が滅ぼされその跡に再建されたことを物語っている、世界最古の階段や世界最古の井戸、巨大な防御塔などは紀元前7千年のものだと言われ、まさに歴史が積み重ねられているスポットでる。
遺跡の上を「悪魔に試みられた誘惑の山」へあがるロープウェイが通っている。
断崖に建てられた聖ジョージ修道院
渓谷ワディケルトは高く切り立った岩山に自然にできた亀裂でエルサレムからジェリコまで45kmの長さに及ぶ。
そのワディ渓谷の岩肌にへばりつくように建っている聖ジョージ修道院はギリシャ正教の修道院。
5世紀に建てられたものだがペルシャ軍がパレスチナに侵攻した時に破壊されたので現在の修道院は1901年にギリシャ正教会によって復元されたもの。
車は途中までしか入れない。車を降りてから山道を歩くことおよそ20分、上り下りが厳しく体力を要する。
ロバで行く方法もあるが誰も乗っていない。
遠目に見える修道院がどんどん近づいてくる、この迫る感じがイイ。
こんな山奥で、岩にしがみつくように断崖に建つその姿は感動的でパレスチナにもこんな凄いところがあることに驚いた。ここはこの旅における“意外な出会い”のひとつとなった。
中に入ると熱心な信者が大勢訪れていた。
死海体験
ジェリコ滞在の最後の楽しみはあの“死海“。もはや説明不要の不思議な塩湖。対岸にはヨルダンが見える。非常に短い時間であったが浮遊体験をしてみた。思ったよりあっけなく感動が少ない。
ミネラルが豊富で美容効果を求めてやってくる人が多く、水底の泥を体に塗りたくってみた。
それよりも死海あがりに飲んだビールが最高でペヤングソース焼きそばが食べたくなる。
世界遺産・バティールの段々畑
ベツレヘムの北西およそ7キロにあるバティール村には古代ローマ時代(約2千年前)に作られたといわれる段々畑や伝統的な灌漑システムが残っていてパレスチナの原風景が楽しめるスポット。
段々畑でオリーブやブドウなどが栽培されている。この村は2014年にパレスチナで
2番目に世界遺産に登録されたが同時に紛争や災害などの影響で保護が必要な危機にさらされている遺産リストにも登録されている。その登録のきっかけがイスラエルとの問題。
イスラエルがこの村を通ってテロ対策用とする分離壁の建設計画が持ち上がっていることが判明したためパレスチナ自治政府は早期に世界文化遺産に指定するよう要請を行った。なぜなら壁が出来てしまうと景観が破壊され地元の農民が過去数世紀にもわたって育ててきた畑に近付けない事態が生じる恐れがあるからだ。そんな訳ありの世界遺産であるが残念ながらとても世界遺産とは思えないほど地味な印象を受けた。昨年社員旅行で行ったフィリピンのバナウェイも同じ段々畑の世界遺産だがそれと比べると(比べてはいけないが)景観がかなり劣る。案内板もなく道にはゴミが数多く散らばっていて、失礼ながらその辺の田舎の村と何ら変わらない。でもその経緯と歴史を理解すれば合点がいくので今後の展開に期待したいと思う。
ベツレヘム・・イエス生誕の地
ベツレヘムにある聖誕教会はイエスが生まれた洞窟の上に建てられた教会で、
処刑されたエルサレム旧市街のゴルゴダの丘からおよそ10キロと非常に近くにある。
現在でも巡礼者や観光客があわせて年間2万人も訪れるベツレヘムを代表する観光地。
2011年にユネスコへの加盟が承認されたパレスチナが世界遺産に申請したところ、イスラエルが反対動議を提出した。しかしそれが却下されたのでアメリカが調査不十分という理由でさらに反対し、ユネスコへの分担金拠出を停止するほどもめた。結局は翌年パレスチナ初の世界遺産に登録されたがパレスチナとイスラエルの抗争などによって教会の維持や補修が進まない状況から、世界遺産登録と同時に危機遺産リストにも記載されている。
教会の入り口はメンジャー広場に面していてとても小さく『謙虚のドア』と呼ばれている。
大人一人がやっと入れる大きさだが中は天井も高くて広い。
階段を下りるとイエスが生まれた洞窟がある。そこに祭壇があるが小さいので見学するには順番待ちをしなければならない。祭壇の下には銀色の星の形をしたものが埋め込まれている。混み合っていたことと、何か撮影してはいけないような空気が充満していたのであまり詳細までおさめられなかった。
聖誕教会から歩いてすぐのところに伝説の教会“ミルクグロット”がある。
マリアが生まれたばかりのイエスと一緒にいる頃、天使から聖ヨセフにエジプトに逃げるようお告げがあった。ヨセフが出かける準備をした時にマリアを急かしたところ母乳が数滴こぼれ落ちて赤い地面が急にミルク色に染まったという不思議で可愛い伝説のある洞窟。この乳白色の美しい教会には子宝を望む女性が多く訪れるらしい。
ユニークな邸宅ホテル・DAR SITTI AZIZA HOTEL
ミルクグロットのすぐ近く、ロケーションが良い家族経営のブティックホテル
ホテルサイトの口コミ情報でもとても評判がよく最初に足を踏み入れた瞬間”おっ!”と声が出るくらいの感動がある。正確な年数は不明だが築年数は300年を超えており、まさに歴史を感じる宿。昔の邸宅を改造した部屋は全部で12。それぞれの部屋にテーマがありすべて造りが違うのが特徴。お婆ちゃんがあたたかく迎えてくれて、しかもおもてなしが行きすぎるくらい厚い。そんな家族の愛に囲まれ、自宅で寛ぐような体験をしたければぜひここに泊まることをお勧めする。
分離壁とストリートアート
分離壁とはイスラエル側がパレスチナ人の自爆テロを防止するという名目でヨルダン川西岸地区の境界に建設している壁。ところがその名目とは裏腹に、実際の分離壁は入植地を囲むために停戦ラインより内側に曲がりくねったように入り込んでいる。それはイスラエル側が入植地を恒久的な領土とするための既成事実化を目論んでいるとも言われている。さらに分離壁そのものがパレスチナ人の生活を分断して孤立させていることから壁の建設は国際的に不当な差別であると非難されている。2005年8月にバンクシーという世界でも有名な正体不明のイギリスのストリートアーチストが分離壁に9枚の絵を描いた。しかもイスラエルの治安部隊から威嚇射撃を受けながらも果敢に描いたらしい。
壁の絵は一か所ではなく分散しているのですべてを見ることはできないが今回は風船で壁を飛び越える少女の絵を見た。教えてもらわないと見逃してしまうようなサイズの絵。この絵の前にバンクシーのショップがあってTシャツなど様々なグッズが手に入る。
また分離壁ではなく町の中のガソリンスタンドの壁にあるこちらの絵も有名。
爆弾でなく花束を投げるシーンは衝撃的で迫力がある。このようにパレスチナ人の苦しみが表現された絵がいくつか点在していてとても興味深い。
これもこの旅における“意外な出会い”のひとつだった。
ホームステイもできる
ベツレヘム近郊にあるランドオペレーターのマネージャーのお宅訪問。
とても陽気で明るい性格の方なのできっと楽しいホームステイが体験できると思う。
一戸建でなくマンションだがかなり広く、ゲストを迎えられるようにツインベッドルームがしつらえてある。
テラスバルコニーは眺めも良く、バーベキューも出来るので家族や地元の人たちとのふれあいも可能。ホテルライフも良いがリアルにパレスチナライフが体験できるのでツアーにすれば面白い。
文化・娯楽・美食の都、ラマッラー
ベツレヘムから東へ15キロ、標高860メートルの丘にあるパレスチナの政治的首都
若者文化の発信地でもあり今回訪れた都市の中では最も都会で活気に満ち溢れている。
歩いていると地元の青年たちに一緒に写真を撮ってほしいと囲まれる。
それはそれでとても嬉しいが本音はあまり外では見かけない若いパレスチナ女子とおさまりたい。
ザハラン家の伝統家屋
19世紀に建てられた家屋で現在は博物館のようにパレスチナの歴史的資料が並べられているおみやげや。またイベントスペースとしても使われている。
ラマッラーにはパレスチナの歴史に名を刻んだ英雄たちが眠っている。
パレスチナに生涯をささげたアラファト議長のお墓
パレスチナを代表する詩人でパレスチナの独立宣言の起草者である
マフムードダルウィーシュの博物館など。
マルサバ修道院とキドロン渓谷
ベツレヘムの東、約15キロ、キドロン渓谷を望む荒涼とした岩山にある修道院。
カッパドキア出身の修道士、聖サバスが5世紀後半に建てた世界で最も古い居住型の修道院の一つで、今なお多くの修道士が住みついている。そもそも渓谷の洞窟の中で禁欲的な生活を送るのが目的であったため現在も女人禁制となっている。帰国してからネットでチェックすると、下から見た方が圧巻、ということがわかって残念・・・降りるのを忘れた。強く後悔している。
ラマッラー郊外のタイベー村
ヨルダン川西岸地域で唯一のキリスト教徒の村。その村にあるタイベービール工場を訪問した。
ここでは唯一のパレスチナ地ビール、タイベーが作られている。まずはビールを試飲しながらのDVD鑑賞だがちょっと造りが雑。映像こそ雑だがこのビールをあなどってはいけない。
それくらい美味い。ここに来るまでに何度か飲んでいるがそのクオリティの高さに惚れてしまう。
日本のビールに味が似ていていわゆる外国のビールという感じがしない。かなり研究されて作られたようだ。鑑賞後は社長自らのご案内によるとても簡単な作業工程見学。
小さな工場なのであっけなく終了してしまう。日本で行われたビールフェスティバルにも出展したことがあるらしくその質の高さは認められている。工場内には日本語で書かれた自慢ののぼりも飾ってある。
ホテルで飲むと350ミリで600円と割高、スーパーで買うと200円、味だけでなく価格も似ている。さらにこの父子はビジネスに貪欲で近所にホテルを経営している。ホテルのオープンは未だだが、中を案内してもらった。1階にはワイン工場も備えていてこっちも試飲。これも美味い。
なかなかやる・・・この父子
パレスチナの食事
新鮮な果物と野菜が美味しいパレスチナ。マーケットには多くの食材が並んでいてとても賑やか
短い滞在の中でも印象的な食べ物は、
・ファラフェル(コロッケ)・・・ひよこ豆で作るコロッケ。街中いたるところで揚げているので手軽に楽しめる。タイベービールがよくあう。
・マクルーベ(炊き込みご飯)・・・味付けがシンプルでたくさん食べても飽きない、日本人好みの味。
・シュワルマ(薄切りの肉)・・トルコのケバブと同じだが味は断然いい。このサンドイッチはどこでも手軽に食べられる。臭みがまったくなくてジューシー。
この3つがお勧めで他にも野菜がとても美味しい。
食事の値段は決して安くない、むしろ物価が高い。
それから街中のカフェならどこでもあるシーシャ。普段喫煙の習慣がない私でもこれはトライしたくなる
さらにこんな際どいお店も。真剣なパクリなのか?ただのシャレなのか?スタバをベツレヘムで発見!
パレスチナで出会った人々
皆さん明るくて愛想が良いのが非常に印象的。街ですれ違う人たちの人たちも笑顔で挨拶を
返してくれる、そんな温かみのあるパレスチナ。
観光振興のプロジェクトとしてJICAが力を入れているツーリズムのいくつかも見学・体験させて頂いたので紹介したい。
モザイクグループ
ベドウィンテント体験
女性支援の刺繍製品
バードリングステーション
ベツレヘムフェアートレードアルチサン
失礼ながら観光素材としては物足りなくお客には伝わりにくく、まだまだ努力が必要という印象を受けた。今すぐビジネスとして捉えるには厳しいが、こういった人たちの努力を私たちツーリズムが積極的に協力して盛り上げていかなければならない。
それから今回は視察旅行なので、現地の観光に携わっている皆さんとの意見交換会や観光大臣を表敬訪問
などに数少ない日本代表(?)として出席させていただき非常に光栄であった。
美しい朝
今回の旅行では多くの方に出会い、とてもお世話になりました。
出発前の期待を大きく裏切る、素晴らしい機会を下さったことに厚くお礼申し上げます。
これからは考えを改め、安心、安全で美しいパレスチナを多くの日本人に伝えていきます。
最後にパレスチナのサンライズショットでマアッサラーマ!
スタッフおすすめ度
★★★ヒシャム宮殿・・・宮殿中庭のオブジェとモザイク(生命の木)が見どころ。
★★★★聖ジョージ修道院・・・岩にへばりつく姿が美しい、ギリシャ正教会の修道院。
★★★★★聖誕教会・・・キリストが生まれた、世界中から注目する必見の教会。
★★★★★ベツレヘム近郊の分離壁・・・ゆっくり時間をかけて1枚でも多くの絵を見つけたい。
★★★★タイベービール・・・ビール好きな人に飲んで欲しい、絶妙な味わい。
(2015年4月 櫻本竜一)
- ヨルダンからイスラエルを越えてきました。-私的聖地巡礼の旅-
-
エリア:
- 中近東>イスラエル>死海
- 中近東>ヨルダン>ペトラ
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2014/12/19 17:34
ついにやってきた。
高校生の頃から、いつかこの目で見たいと思い続けたペトラ遺跡へ。
ペトラ遺跡は心踊るバラ色の遺跡だった。
アンマンから車で約3時間。その道中のほとんどは荒涼とした砂漠地帯。
ペトラ遺跡のゲートそばにあり、遺跡に最も近いホテル、ペトラゲストハウスにチェックイン。
ホテルでローカルガイドさんと落ち合い、早速遺跡見学へ出発。
まず見えてくるのは聖霊が宿ると伝えられる墓、ジンブロックス。
右手に3つの巨大なモニュメントが建っている。そして左手にはエジプトのオベリスクを模したようなバーブ・アッシーク・トリクリニウム。
エルハズネへと続くシークに差し掛かかる頃には、いつエルハズネが見えるのかと期待がどんどん高まってくる。
しかしこの峡谷は長さ1.2Kmと意外と長い。途中、下半身だけ残った巨大なキャラバンの像や、ナバタイ人の知識の高さが窺える水路跡など、おもしろい。
そして、ガイドさんのエルハズネ、チラ見せ案内の後、岩影から現れたのがバラ色のエルハズネ!会いたかったー‼
しかし、ペトラ遺跡はエルハズネだけではなかった。
さらにさらに奥には王家の墓や大神殿、円形劇場など、巨大建造物が次から次へと姿を現わす。
なんと、まだ発掘されたのは全体の1%に過ぎないらしい。
どれだけ大きな都市だったのか想像すらできない…。
夜は、ペトラ・バイ・ナイトへ。
20:30にゲート前に集合して、かすかなロウソクの火に灯された道をエルハズネ目指してゆっくりと徒歩で進む。真っ暗なエルハズネ前の広場は何百ものロウソクで埋め尽くされていて幻想的な雰囲気。
広場に座り、振舞われたミントティーを飲みながら、ウードの音色に耳をすませる。
暗闇のなかにぼんやりと浮かぶエルハズネ。2000年前のナバタイ人の生活が蘇ってくるようだ。なんとも神秘的な夜会に感動。
翌日は、極上の休日を過ごすべく死海のリゾートへ。
ケンピンスキーホテルに滞在した。
円形のインフィニティプール
チェックインをしたら、早速プライベートビーチへ。
初めての死海浮遊体験。
12月初めだが、日中は20度を超える暖かさ。
そして、死海の中はもっと温かかった。
心配していたほどのテクニックも必要なく、あっという間にプカリと浮かぶ。
カナヅチな私でも、スイスイと平泳ぎ。
溺れかけても….
ほらこの通り!
ベタですが、本も読めます。
ケンピンスキーのプライベートビーチ
なんとも楽しい体験に興奮した。
死海で遊んだ後は、ホテルのスパで泥パック。
死海に沈む夕陽を眺めながら、ジンジャーティーをいただく至福のひと時。
時間があれば2泊はしたいところ。
ただ、予想外のハエの多さには少し辟易するかもしれない。
翌日は、少し緊張の国境越え。
アレンビー橋を渡り、イスラエルへ入国。
ヨルダン側での出国審査は、まずパスポートコントロールの建物へ入り、係員に出国税の10jodを支払う。パスポートはそのまま係員に預けておく。
建物前には国境越えのバスが待機していて、係りの人にバスのチケット7jodと預け荷物代1.5JODを支払い、バスに乗り込む。待つこと約15分。バスの中でパスポートが返却され、出発。バスは前方も横も後方もカーテンがしてあり、ほとんど外が見えない。なんだか物々しい雰囲気だ。
カーテンの隙間からは、荒涼とした大地が広がっていた。走ること約10分でイスラエルに到着。早速のヘブライ語に感激してしまう。
そこからの入国審査は戦場のよう。
まず、荷物を預ける所では、人々の怒号が飛び交い荷物が宙を舞う。
なんとか窓口で荷物のタグをもらい、パスポートをチェックしたあとはセキュリティチェック。その後パスポートコントロールへ向かう。入国審査は質問攻め。誰と来たのか、ヨルダンにはどれくらいいたのか、イスラエルではどこに行くのか、なぜベツレヘムへ泊まるのか……等々。
そこを抜けると、またパスポートチェックがあり、もう一度入国審査のチェックがある…。
ようやく荷物をピックアップし、最後に荷物検査の長蛇の列。到着後から1時間以上かかり、やっとこさ出口に向かった。
パスポートにイスラエルのスタンプを押さないように、出入国ではこのような証明書がもらえる。
国境でピックアップしてもらったドライバーさんの車でパレスチナ自治区からエルサレムに入り、もう一度パレスチナ自治区へ。
ベツレヘムにやってきた。
イスラエル入国の第一印象は街も大地も白い!
これは、建物はすべてイスラエル産のライムストーンで作るように規制があるかららしいと知った。
カタカナのようなかわいいヘブライ語が並ぶ街から、パレスチナ自治区となるベツレヘムに入った途端にアラビア語表記の街並みに変わる。複雑なバックグラウンドを持つ国に入ったことを実感する。
ホテルにチェックイン後、フリータイムにベツレヘムを散策してみる。
イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる分離壁
初めての街、そしてパレスチナということで少し緊張しながら歩いたが、人々が優しすぎて驚いた。
道を尋ねれば親切に教えてくれる。カメラを向ければ笑顔。日本で得るニュースから勝手に想像していた悲愴感は全くなかった。
名物のローカルフード、ファラフェルを食べながら、ぶらぶらと街の中心となるキリストの聖誕教会を目指す。聖誕教会前のメンジャー広場には巨大なツリーが飾られ、クリスマスムード満点。
聖誕教会裏にあるミルクグロットヘ。かわいらしいマリア伝説の残る真っ白い教会を訪れた。ちょうどシスターたちのお祈りの時間で、教会に響き渡る美しい歌声を聴くことができた。
そしてミルクグロットで居合わせた陽気なナイジェリア人たちと大声で歌いながら広場まで戻ってきた。
アジアより整然、
ヨーロッパより混沌。
長く深い歴史のある町特有の、少し近寄りがたさもかもし出すエルサレム。
いざ、聖なる街へ!!
オリーブ山からは旧市街が一望できる。ひときわ目立つのが金色に輝く岩のドーム。
イスラエルのライムストーンを使っていて、旧市街は白く輝いている。
嘆きの壁は真ん中に仕切りがあり、男女別になっている。
嘆きの壁にて、にわかユダヤ教徒になりお願い事を書いた紙を壁の間に挟み込む。
ヴィアドロローサを辿り、イエスキリストに心を寄せる。
キリストが三度目につまづいた地点の柱には、人々の手あかがびっしりとついている。
旧市街の中のムスリム地区。
今回、案内してくれたガイドさんは、エルサレム(イスラエル)に住むパレスチナ人でイスラム教徒。ドライバーさんは、同じくエルサレム(イスラエル)に住むパレスチナ人でクリスチャン。頭が混乱してきた。
パレスチナ人はパレスチナ自治区にしか住めないんじゃないの?
パレスチナ人でもクリスチャン?イスラム教徒じゃないの?
そして、2人で話している言語はアラビア語?
複雑なようでとてもシンプルなこと。宗教が違えど、ここキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地エルサレムでは宗教による差別も偏見もないようだ。
ただ、旧市街にはアラブ人が多く住み、新市街にはユダヤ人が多く住んでいるらしい。
また、イスラエルに住むイスラエル人はパレスチナに入ることはできず、パレスチナに住むパレスチナ人はイスラエルに入ることはできない。どちらもビザのような許可証がいるらしい。
2日目は、ガイドさんなしのフリータイムで昨日は入れなかった神殿の丘からスタート。
黄金に輝く岩のドーム
旧市街のスークをぬけ、ダマスカス門へ。
トラムに乗って新市街へ移動。
広々とした通りにオープンテラスのカフェ。
まるでヨーロッパの都市のよう。
新市街の台所、マハネー・イェフダー市場へ。
ビールの調査。ベツレヘムではパレスチナ産ビールしか見なかったが、
イスラエルビールは意外と種類が豊富。しかし、ヘブライ語のみの表示で全く読めない。
俺のザクロ切りテクニックを見ていけ、というドヤ顔のオヤジさん。
市場の中におしゃれなカフェを発見。
色使いがかわいい。
ユダヤ人男性が頭につけるキッパ。
さすがに、こんなのつけている人はいない。。。
超正統派ユダヤ教徒の住むメアリージェム地区へ。
カメラを向けると睨まれるので、どうしても隠し撮りのようになってしまう。
超正統派ユダヤ人の兄弟。
もしゃもしゃの長いもみあげがトレードマーク。
もみあげは生まれてから一度も切らないそう。
ランチは日本食に手を出してみた。
味噌汁の出汁がしっかりきいていておいしい。
蕎麦にはなぜか、ごま油が入っている。
おしゃれな雑貨屋さんのお姉さん。
最新ショッピングモール、マミラへ。
ブランドショップから、イスラエル人デザイナーのジュエリーショップミハエルネグリン、コスメショップなど、とてもおしゃれなエリア。
18歳から男女共に兵役義務のあるイスラエル。至る所で銃を持った若い兵士を見かける。
こうでもしないと国を守れないのかもしれない。イスラエルの置かれている状況に胸が痛んだ。
何ともかわいらしいヘブライ語
今、治安・情勢の最も気になるヨルダンとイスラエルを訪れてみて、
思った以上に安心して旅ができることを再確認した。
そしてイスラエルに関しては、何も知らないのだということを実感させられた。
こんなに知的好奇心をくすぐられる場所に来たのは初めてだ。
驚きと興奮の連続!面白すぎるイスラエル、たった3日の滞在では全く足りなかった。
エルサレムは、また行きたい町ランキング、ナンバー1にあっさりと躍り出た。
【スタッフおすすめ度】
エルサレム・・・★★★★★ 絶対的聖地。旧市街の中は入り組んでいるので1日はガイ
ドさんと街歩きをするのがおすすめ。
ベツレヘム・・・★★★★ キリスト教の聖地だがパレスチナ自治区。エルサレム
とはまた違ったアラブ色の強い町並みがおもしろい
ペトラ遺跡・・・★★★★ 一度は自分の目で見てみたいバラ色に輝くエル・ハズネ。
死海・・・・・・ ★★★★ どんなカナヅチさんでも浮くことができる不思議な海。癒しと驚きの極上リゾート。
(2014年12月 山本みな)
高校生の頃から、いつかこの目で見たいと思い続けたペトラ遺跡へ。
ペトラ遺跡は心踊るバラ色の遺跡だった。
アンマンから車で約3時間。その道中のほとんどは荒涼とした砂漠地帯。
ペトラ遺跡のゲートそばにあり、遺跡に最も近いホテル、ペトラゲストハウスにチェックイン。
ホテルでローカルガイドさんと落ち合い、早速遺跡見学へ出発。
まず見えてくるのは聖霊が宿ると伝えられる墓、ジンブロックス。
右手に3つの巨大なモニュメントが建っている。そして左手にはエジプトのオベリスクを模したようなバーブ・アッシーク・トリクリニウム。
エルハズネへと続くシークに差し掛かかる頃には、いつエルハズネが見えるのかと期待がどんどん高まってくる。
しかしこの峡谷は長さ1.2Kmと意外と長い。途中、下半身だけ残った巨大なキャラバンの像や、ナバタイ人の知識の高さが窺える水路跡など、おもしろい。
そして、ガイドさんのエルハズネ、チラ見せ案内の後、岩影から現れたのがバラ色のエルハズネ!会いたかったー‼
しかし、ペトラ遺跡はエルハズネだけではなかった。
さらにさらに奥には王家の墓や大神殿、円形劇場など、巨大建造物が次から次へと姿を現わす。
なんと、まだ発掘されたのは全体の1%に過ぎないらしい。
どれだけ大きな都市だったのか想像すらできない…。
夜は、ペトラ・バイ・ナイトへ。
20:30にゲート前に集合して、かすかなロウソクの火に灯された道をエルハズネ目指してゆっくりと徒歩で進む。真っ暗なエルハズネ前の広場は何百ものロウソクで埋め尽くされていて幻想的な雰囲気。
広場に座り、振舞われたミントティーを飲みながら、ウードの音色に耳をすませる。
暗闇のなかにぼんやりと浮かぶエルハズネ。2000年前のナバタイ人の生活が蘇ってくるようだ。なんとも神秘的な夜会に感動。
翌日は、極上の休日を過ごすべく死海のリゾートへ。
ケンピンスキーホテルに滞在した。
円形のインフィニティプール
チェックインをしたら、早速プライベートビーチへ。
初めての死海浮遊体験。
12月初めだが、日中は20度を超える暖かさ。
そして、死海の中はもっと温かかった。
心配していたほどのテクニックも必要なく、あっという間にプカリと浮かぶ。
カナヅチな私でも、スイスイと平泳ぎ。
溺れかけても….
ほらこの通り!
ベタですが、本も読めます。
ケンピンスキーのプライベートビーチ
なんとも楽しい体験に興奮した。
死海で遊んだ後は、ホテルのスパで泥パック。
死海に沈む夕陽を眺めながら、ジンジャーティーをいただく至福のひと時。
時間があれば2泊はしたいところ。
ただ、予想外のハエの多さには少し辟易するかもしれない。
翌日は、少し緊張の国境越え。
アレンビー橋を渡り、イスラエルへ入国。
ヨルダン側での出国審査は、まずパスポートコントロールの建物へ入り、係員に出国税の10jodを支払う。パスポートはそのまま係員に預けておく。
建物前には国境越えのバスが待機していて、係りの人にバスのチケット7jodと預け荷物代1.5JODを支払い、バスに乗り込む。待つこと約15分。バスの中でパスポートが返却され、出発。バスは前方も横も後方もカーテンがしてあり、ほとんど外が見えない。なんだか物々しい雰囲気だ。
カーテンの隙間からは、荒涼とした大地が広がっていた。走ること約10分でイスラエルに到着。早速のヘブライ語に感激してしまう。
そこからの入国審査は戦場のよう。
まず、荷物を預ける所では、人々の怒号が飛び交い荷物が宙を舞う。
なんとか窓口で荷物のタグをもらい、パスポートをチェックしたあとはセキュリティチェック。その後パスポートコントロールへ向かう。入国審査は質問攻め。誰と来たのか、ヨルダンにはどれくらいいたのか、イスラエルではどこに行くのか、なぜベツレヘムへ泊まるのか……等々。
そこを抜けると、またパスポートチェックがあり、もう一度入国審査のチェックがある…。
ようやく荷物をピックアップし、最後に荷物検査の長蛇の列。到着後から1時間以上かかり、やっとこさ出口に向かった。
パスポートにイスラエルのスタンプを押さないように、出入国ではこのような証明書がもらえる。
国境でピックアップしてもらったドライバーさんの車でパレスチナ自治区からエルサレムに入り、もう一度パレスチナ自治区へ。
ベツレヘムにやってきた。
イスラエル入国の第一印象は街も大地も白い!
これは、建物はすべてイスラエル産のライムストーンで作るように規制があるかららしいと知った。
カタカナのようなかわいいヘブライ語が並ぶ街から、パレスチナ自治区となるベツレヘムに入った途端にアラビア語表記の街並みに変わる。複雑なバックグラウンドを持つ国に入ったことを実感する。
ホテルにチェックイン後、フリータイムにベツレヘムを散策してみる。
イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる分離壁
初めての街、そしてパレスチナということで少し緊張しながら歩いたが、人々が優しすぎて驚いた。
道を尋ねれば親切に教えてくれる。カメラを向ければ笑顔。日本で得るニュースから勝手に想像していた悲愴感は全くなかった。
名物のローカルフード、ファラフェルを食べながら、ぶらぶらと街の中心となるキリストの聖誕教会を目指す。聖誕教会前のメンジャー広場には巨大なツリーが飾られ、クリスマスムード満点。
聖誕教会裏にあるミルクグロットヘ。かわいらしいマリア伝説の残る真っ白い教会を訪れた。ちょうどシスターたちのお祈りの時間で、教会に響き渡る美しい歌声を聴くことができた。
そしてミルクグロットで居合わせた陽気なナイジェリア人たちと大声で歌いながら広場まで戻ってきた。
アジアより整然、
ヨーロッパより混沌。
長く深い歴史のある町特有の、少し近寄りがたさもかもし出すエルサレム。
いざ、聖なる街へ!!
オリーブ山からは旧市街が一望できる。ひときわ目立つのが金色に輝く岩のドーム。
イスラエルのライムストーンを使っていて、旧市街は白く輝いている。
嘆きの壁は真ん中に仕切りがあり、男女別になっている。
嘆きの壁にて、にわかユダヤ教徒になりお願い事を書いた紙を壁の間に挟み込む。
ヴィアドロローサを辿り、イエスキリストに心を寄せる。
キリストが三度目につまづいた地点の柱には、人々の手あかがびっしりとついている。
旧市街の中のムスリム地区。
今回、案内してくれたガイドさんは、エルサレム(イスラエル)に住むパレスチナ人でイスラム教徒。ドライバーさんは、同じくエルサレム(イスラエル)に住むパレスチナ人でクリスチャン。頭が混乱してきた。
パレスチナ人はパレスチナ自治区にしか住めないんじゃないの?
パレスチナ人でもクリスチャン?イスラム教徒じゃないの?
そして、2人で話している言語はアラビア語?
複雑なようでとてもシンプルなこと。宗教が違えど、ここキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地エルサレムでは宗教による差別も偏見もないようだ。
ただ、旧市街にはアラブ人が多く住み、新市街にはユダヤ人が多く住んでいるらしい。
また、イスラエルに住むイスラエル人はパレスチナに入ることはできず、パレスチナに住むパレスチナ人はイスラエルに入ることはできない。どちらもビザのような許可証がいるらしい。
2日目は、ガイドさんなしのフリータイムで昨日は入れなかった神殿の丘からスタート。
黄金に輝く岩のドーム
旧市街のスークをぬけ、ダマスカス門へ。
トラムに乗って新市街へ移動。
広々とした通りにオープンテラスのカフェ。
まるでヨーロッパの都市のよう。
新市街の台所、マハネー・イェフダー市場へ。
ビールの調査。ベツレヘムではパレスチナ産ビールしか見なかったが、
イスラエルビールは意外と種類が豊富。しかし、ヘブライ語のみの表示で全く読めない。
俺のザクロ切りテクニックを見ていけ、というドヤ顔のオヤジさん。
市場の中におしゃれなカフェを発見。
色使いがかわいい。
ユダヤ人男性が頭につけるキッパ。
さすがに、こんなのつけている人はいない。。。
超正統派ユダヤ教徒の住むメアリージェム地区へ。
カメラを向けると睨まれるので、どうしても隠し撮りのようになってしまう。
超正統派ユダヤ人の兄弟。
もしゃもしゃの長いもみあげがトレードマーク。
もみあげは生まれてから一度も切らないそう。
ランチは日本食に手を出してみた。
味噌汁の出汁がしっかりきいていておいしい。
蕎麦にはなぜか、ごま油が入っている。
おしゃれな雑貨屋さんのお姉さん。
最新ショッピングモール、マミラへ。
ブランドショップから、イスラエル人デザイナーのジュエリーショップミハエルネグリン、コスメショップなど、とてもおしゃれなエリア。
18歳から男女共に兵役義務のあるイスラエル。至る所で銃を持った若い兵士を見かける。
こうでもしないと国を守れないのかもしれない。イスラエルの置かれている状況に胸が痛んだ。
何ともかわいらしいヘブライ語
今、治安・情勢の最も気になるヨルダンとイスラエルを訪れてみて、
思った以上に安心して旅ができることを再確認した。
そしてイスラエルに関しては、何も知らないのだということを実感させられた。
こんなに知的好奇心をくすぐられる場所に来たのは初めてだ。
驚きと興奮の連続!面白すぎるイスラエル、たった3日の滞在では全く足りなかった。
エルサレムは、また行きたい町ランキング、ナンバー1にあっさりと躍り出た。
【スタッフおすすめ度】
エルサレム・・・★★★★★ 絶対的聖地。旧市街の中は入り組んでいるので1日はガイ
ドさんと街歩きをするのがおすすめ。
ベツレヘム・・・★★★★ キリスト教の聖地だがパレスチナ自治区。エルサレム
とはまた違ったアラブ色の強い町並みがおもしろい
ペトラ遺跡・・・★★★★ 一度は自分の目で見てみたいバラ色に輝くエル・ハズネ。
死海・・・・・・ ★★★★ どんなカナヅチさんでも浮くことができる不思議な海。癒しと驚きの極上リゾート。
(2014年12月 山本みな)
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