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今日も旅する!!ファイブスタークラブ世界探検隊

~お客様の代わりにファイブスタークラブ社員が世界中をチェックしてレポートしてきました。~

プロフィール

ニックネーム:
ファイブスタークラブ
居住地:
東京都
会社名:
ファイブスタークラブ
会社英字名:
Five Star Club
会社所在地:
東京都
会社電話番号:
03-3259-1511
業種:
旅行業
自己紹介:
1.全コース1名より催行保証。ツアーキャンセルはありません。(ごく一部のコースを除く)
2.アレンジ自由自在。延泊や減泊、ホテルグレードUP、航空会社指定、何でもできます。
3.基本的に少人数でのツアーで団体旅行のわずらわしさはありません。(ごく一部のコースを除く)
3.遊牧民のゲルにホームステイやサハラ砂漠でキャンプなど、その国でしかできないユニークなオリジナルツアーを企画。
3.毎週土曜日、各方面の専任スタッフが説明会を実施。疑問、質問は何でもどうぞ。(予約制)

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チュニジア
日出づる国から日が沈む国へ マグリブ諸国、チュニジア・アルジェリア旅行記
エリア:
  • アフリカ>チュニジア>シディブサイド
  • アフリカ>アルジェリア>コンスタンチーヌ
  • アフリカ>アルジェリア>アルジェリアその他の都市
テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/03/23 14:30


チュニジア・ケロアンにて おそらくアラブの春のときの、センス抜群のグラフィティ



アルジェリアには至る所に2014年W杯で活躍したサッカー代表チームの広告が
ちなみにその時の監督は現日本代表のハリルホジッチ氏。アルジェリア人にどうだった?と聞くと口をそろえていい監督だったとのこと!


イスタンブール乗り継ぎの合間にちょっとだけ観光。時間の都合でブルーモスクとガラタ橋くらいしか行けなかったが。。(しかも早朝なので真っ暗)

この度、チュニジアとアルジェリアに行かせていただくことになった。
この2カ国と隣国モロッコの3カ国は、通称マグリブ諸国と呼ばれている。アラビア語で「日が沈むところ」という意味で、アラブの中心地イラクやエジプトなど(こちらは「日が昇るところ」マシュリク地域と呼ばれる)から見て西の果てにあるからついた地名とのこと。そういえば我が国日本も聖徳太子が遣隋使を送った頃から日出づる国と呼ばれているし、意味は正反対だけど似通った何かを感じる。
乗継ぎ地イスタンブールからチュニジアの首都チュニスまでのフライトでは隣の席がイスタンブールに嫁いだチュニス出身のベール美女で、興味があるのかずっと私に話しかけてくれた。人妻でしかもイスラム特有のベール着用とかなり保守的っぽいのに、見ず知らずの日本人にべらべら話しかけてくれるとは・・・。なんだかいいことが起こる気がするぞ、マグリブの旅。

<迷路のような魅惑の旧市街を歩く!チュニス、ケロアン、シディブサイド>

チュニジアは国土が小さいにも関わらずサハラ砂漠やローマ遺跡、スターウォーズの撮影で使われたマトマタの穴居住宅など魅力的な見所がいくつもあるけれど、今回は時間の関係で都市に重点をおいて観光することに。
チュニジアの都市で見逃せないのはなんといっても迷路のようなメディナ(旧市街)。特にチュニスは首都でありながら大規模で保存状態もいい中世のメディナが残っており、現在でもスーク(市場)や住居としてまだまだ現役。






マグリブ諸国の特徴、すっと伸びたミナレット(塔)を持つモスク


お菓子屋さんらしく甘い言葉で道行く女性に声をかける(たぶん)、店主のオヤジさん

ちなみにここで私が着ていたのは、チュニスにあるサッカーチーム、エスペランス・チュニスのユニフォーム。アフリカ王者として日本に試合しに来たこともある名門チームだ。軽い気持ちでユニフォームを買ったのだが、これを着て街を歩くと全く収拾がつかなくなることがあとで判明した。
というのもチュニスには巨人と阪神のように強烈なライバル関係があるチームがあり、片方のユニフォームを着ていると味方ファンからは「よく来たな日本人!」と歓迎され、敵ファンからは罵声を浴びせられる(というほどでもないのだが…)のだった。しかもチュニスっ子はほとんどどちらかのファンだから、とにかくあらゆるところで声をかけられることになる。


エスペランス・チュニスの旗を掲げて強力サポートする肉屋さん


ここの宝石屋では、なんと昔のチームの優勝写真を頂いてしまった。。

興味があったのとうまくスケジュールが合ったので実際にそのチームの試合を見に行ってみると、想像通りファンはかなり熱狂的。




やっぱり声をかけられまくったり写真を撮られまくったりしたので試合内容はほとんど覚えていないが…。

まるで中世のような街並みに、陽気で人なつっこいチュニスっ子。イスラム系旧市街フェチの私も大満足でありました。
では地方都市はどうだろう?ということで、チュニスからバスで2時間半のケロアンへ向かうことに。

ここはチュニジアのイスラム教の聖地で、イスラム世界でもメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ4番目の聖地なのだとか。イスラム教が生まれたばかりの時代、アラビア半島から西へ攻めていったアラブ軍がここ拠点にイスラム教を広めていったのだ。当時住んでいたのは先住民のベルベル人がほとんどで宗教もキリスト教や多神教などだったので、ケロアンがなければ今のチュニジアやマグレブ諸国もなかったのかもしれない。






ここもやはり見事なメディナが残る。
そのメディナ内にあるのがチュニジア最古のモスクで世界遺産のグランドモスク。ここに最初にやってきたアラブ軍の将軍の名前をとってウクバモスクとも。






重々しい雰囲気の列柱はローマ遺跡から流用されたもの

ときどき観光客がやって来る以外は本当に静か。1000年以上も前にここに攻めこんできた、野心あふれるアラブ軍の姿を思い描いてみる。

最後に紹介するのが、チュニス近郊のシディブサイド。ここも旧市街が見所だが、チュニスやケロアンと違ったおしゃれな街並みが魅力。あのチュニス行きフライトで隣だったチュニジア美人も「チュニジアで一番美しい街なの!」と言っていた。


チュニスからは電車で行ける。30分乗って約50円!




白い壁と青の扉で統一された民家がどこまでも続く街並みは、やはり美しいとしか言いようがない。チュニジアというよりギリシャかイタリアかどこかの島に来たかのよう。


外国人はもちろん、国内観光客も多い。チュニスの都会の喧騒を離れて、この小さな街でほっと一息つきたい人が多いのかも。
最後にたどり着いたのがこの景色。美しい街の美しい夕日を眺めながら、カフェでチュニジア名物ミントティーを飲む。


日の沈む国で見る夕暮れ…。忘れられない景色になりそうだ。

<知られざるチュニジア食事情>

同じマグレブ諸国のモロッコ料理はタジンなど最近有名になっているが、チュニジア料理は日本ではまだまだマイナー。実際に食べてみると、まず出てくるのが「辛い」ということ。チュニジアはマグレブ諸国の中でも気候が涼しく、モロッコやアルジェリアより辛めの料理が多いそうだ。


モロッコなどでもおなじみのクスクス。やっぱり辛め

チュニジアならではの香辛料が、唐辛子のペーストにオリーブオイルなどを混ぜたハリッサ。これを入れることで辛さが決まる。


ファストフードの定番、サンドイッチ。やっぱりハリッサが入っていて辛い

とはいっても外国人観光客が多いチュニジアでは旅行者向けのレストランも多いので、辛い料理が苦手な方でも大丈夫かと思う。
地中海らしくオリーブが入った料理も多く、たいていの食堂やレストランではオリーブの漬け物を出してくれる。宗主国フランスの影響で、フランスパンも必ずと言っていいほど置いてある。


またチュニジア人はとにかくカフェが大好き。通りに面したオープンカフェでは、いつでもたくさんのおじさんやカップルがコーヒーを飲んでくつろいでいる。


一杯50円ほどと安いのが人気の理由かも

気になるアルコール事情について。
それほど宗教にうるさくない国と聞いていたのでどこに行っても飲めるのかと思っていたが、実はなかなか探すのが難しい。安食堂や多くのスーパーでは置いておらず、それなりのランクのレストランに行かなければ飲めないようだ。世俗派の政権が倒れたアラブの春以降状況が変わったのかも?
なんとか安く飲めるところを求めてチュニスの街中をふらふらしていると、オヤジさんたちが集まる酒場を発見。


ここの酒場は日本の居酒屋のようで大にぎわいだった。ただ外から見ると全然目立たず、やっぱり人目を避けて営業しないといけないのかも…。
そのうっぷんを飲みまくることで思いっきり晴らしているのか、お客さんも店員さんもとにかく陽気で外国人の私が入っても大いに歓迎してくれた。やっぱりお酒は国境を越える!

実は日本にもチュニジア料理店がいくつかあり、本格料理が楽しめる。チュニジア旅行を計画中の方は予習がてら行ってみては?きっとはまること間違いなし!

※チュニジアの治安状況については、2011年のアラブの春や2015年の襲撃事件などあまりいいイメージを持っていない方が多くいらっしゃるかもしれません。今回は完全フリープランの旅で移動手段も自分で手配しましたが、全く危険と感じることがなく、常識的なことに気をつけていれば治安のことは心配不要だと感じました(これはアルジェリアについても全く同じことが言えました)。現地人は親切な人が多く、見ず知らずの旅行者に優しく接してくれるところは私たちも見習うものがあるなあと思ったほど。ちなみに酒場で知り合ったチュニジア人曰く、アラブの春以降は経済状況が落ち込んでいるけどあとで良くなってくるはず。何より自由が得られたのが一番!とのこと。

<聖なる地、アルジェリア・ムザブの谷>

今回、絶対に行ってみたかったアルジェリアのムザブの谷。
ムザブの谷とは中心の町ガルダイアとその周辺のベニ・イスゲン、メリカ、ブー・ヌーラ、エル・アーテフの4つの村からなる地域で、町や村それぞれが他では見られないような独特のつくりをしている。丘にびっしりと家屋が立ち並び、てっぺんにはモスクのミナレット(塔)が天に突き刺すかのようににょきっと伸びている。フランスの有名建築家ル・コルビュジェもこの光景に感銘を受け、作品に影響を与えている。私もムザブの写真を最初に見たときの衝撃は忘れることができないほど強烈だった。


ベニ・イスゲンのパノラマ。世界のどこを探してもこの景色が見れるのはここだけ!

またムザブの谷はもうひとつユニークな点がある。それは中世から今まで、イスラムの戒律が厳しく守り続けられていること。
旅行者は、
・ガルダイアの市場を除き現地ガイド必須で、一人で町や村に入るのは禁止
・ガルダイアの市場以外での人物撮影禁止
・ガルダイア以外での宿泊、食事は禁止。飲酒も禁止
・既婚女性に話しかけることも接することも禁止
と禁止禁止のオンパレードで、「せっかくこんな遠い場所にまで来たのになあ。。」とボヤきたくなってしまうが、外界との接触を拒み、戒律が守られてきたからこそこの絶景や独自の生活様式が残っているわけだ。イスラム教の聖地とされる場所は世界に数あれど、ここもまた聖なる地と言えるのではと思う。
ちなみに世界的に主流のスンニ派でもシーア派でもないイバード派の信者が多く、この点もまた独特。他の宗派や民族と対立していたときの避難所として1000年以上も前から栄え、それゆえ今も厳格な戒律が守られ続けているのだ。
なお他にイバード派信者が多い地域はオマーン周辺ぐらい。


かわいい外観の、ムザブの玄関口ガルダイア空港

まずはエル・アーテフの村へ。ほかの村から離れたところにあるが、ムザブで最も古い村といわれる。






うーん、どこを撮っても絵になる景色。イスラム旧市街フェチにはたまらない!


ここはル・コルビュジェにインスピレーションを与えたとされる聖堂。


なぜか村の入口にいきなり動物園。このギャップもムザブの魅力のひとつ・・・なのか?

次にムザブで最も厳格な村、ベニ・イスゲンへ。高さ3mもの城壁が2.5kmにわたって村を囲んでいる。
エル・アーテフではある程度人物撮影が許され、何度か地元の人に話しかけられることもあったが、ここは厳格な村ゆえ話し相手はガイドさんしかいなかった。


村の入口






人々の生活の場であるはずなのに、しんと静まり返った村。まるで入ってはいけないところに入ってしまったかのような異世界感にずっと包まれていた。ここの既婚女性はすっぽりベールをかぶり片目だけ出していて、外国人から見れば異様な姿に見えるのでさらに異世界感をびしびし感じることになる。




このあたりは「千と千尋の神隠し」に出てきそうな世界。トンネルをくぐって誰もいない町に入るシーン、まさにあそこです

そしてムザブの谷の中心、ガルダイアへ。ほかの村からも住民が集まって来るだけあって、やはり町の中心の市場は活気にみちあふれていた。厳格で静かなムザブの谷にもこんな一面があったのだなとどこかほっとさせられる。




けれど市場を抜けると、他の村と同じく聖なる地にふさわしい静寂の世界が訪れる。




井戸




ガルダイア全景。この景色が見たかった!

・・・と、宗教に興味がある方やイスラム圏や旧市街が好きな方にはたまらないであろうムザブの谷。しかしムザブの楽しみ方はこれだけではない。
ガルダイアから車で1時間ほど南にセブセブの大砂丘があり、ラクダ乗りやバギーの運転が楽しめるのだ。実はアルジェリアはアフリカ最大の面積を誇る国でその国土の大部分がサハラ砂漠。やっぱりここに来たからにはサハラも楽しまないと!


今回は日本でなかなか体験できないバギーの運転をすることに。モロッコやエジプトに比べれば規模が劣るけど、はるばるサハラにやってきた!という実感を味わうには充分。






帰り際ガイドさんにまたいつかここで、と言うと「また来れるかどうかはインシャラー(神のみぞ知る)だ」とのことだった、さすが、聖なる地に住む民は言うこともひと味違う。
アッラーがまたここへ導いてくれることを願って、ムザブの谷をあとにした。

<国内第3の都市なのに街があるのは峡谷の中!橋の街コンスタンティーヌ>

コンスタンティーヌはアルジェリア東部にある、人口50万人ほどの国内第3の都市。しかし単なる地方都市ではなく、ムザブの谷同様世界でもここだけという景色が見られる街でもあるのだ。




上の写真の通り、街の中心があるのは深い深い峡谷の中。国内第3の都市でありながら街へはリュメル川の峡谷をまたぐ橋を渡らないとたどり着けないという、驚異の都市なのである。
こんな地形だからもちろん古代から天然の要塞都市として目をつけられ、街の基礎を築いたのはフェニキア人。その後ローマ帝国に支配され、皇帝コンスタンティヌス1世にちなんでこの名で呼ばれるようになったとのこと。

おもな橋は4つあるが、それぞれ絵になるような美しい橋。せっかくなので、4つの橋すべてを渡りきることをミッションとして街歩きをすることにする。
まずは一番南のシディ・ラシド橋から。・・・と、偶然橋の下で市が開かれているのを発見。






売り手もお客もなぜか全員オジサンで、しかも売っているのはガラクタばかり。釣り竿や洗剤、カー用品などはまだいいとして、汚れたぬいぐるみやリモコンまで・・・。こんなもの誰が買うのだろう?と、心の中で突っ込みを入れながら見学。

次に現れるのがペレゴ橋。4つの橋の中では唯一の歩道橋で、街の中心側は高低差があるためエレベーターと階段もついている。試しにエレベーターに乗ってみると10ディナール(=約10円)だった。






階段の途中で写真に入ってきたおにいさん。この橋のこと誇りに思っているのだろうなあ。。

ここからは旧市街エリアになる。国内第3の都市だけあって大通りや市場は大賑わい。この街は学術都市でもあるそうで、若者の数も多い気がする。






なかなかお目にかかれない羊の頭にチャレンジ!味はいいけど食べづらかった・・・。

そして3番目の橋、エル・カンタラ橋を通り、、、


橋めぐりのトリを飾るのは一番高いシディ・ムシド橋。


街を見下ろす最高のロケーションで橋自体も美しいので、現地の人も集まって写真を撮っている。凱旋門のような門がある展望台があり、絶好の休憩スポットになっていた。








夜になるとアルジェリア国旗カラーでライトアップも。


新しそうな路面電車にぴかぴかの巨大モスク。
産油国なので公共事業も活発のよう

というわけで、コンスタンティーヌの橋めぐりツアーは大満足。峡谷のむこうに見える街並みはどこから見ても絵画のように美しく、ジブリの舞台にもなりそうだった。ムザブのベニ・イスゲンの街並みといい、宮崎監督が実はアルジェリア大好き説、あると思います!

<ここはフランス?イタリア?アルジェリアの首都アルジェ>

コンスタンティーヌから列車で首都のアルジェへ。約8時間の鉄道の旅となったが、雪を抱くアトラス山脈の山並みや緑が広がるオリーブ畑が眺められて飽きることがなかった。




列車から街並みを見るだけでもうアルジェが大好きになっていた。青い海と丘の間に建物がびっしりと並び、海岸沿いにはヨーロッパ風の重厚建築が立ち並ぶさまは私が2年前まで住んでいた神戸の街のようだった。


アーケードが特徴的なアルジェ駅






フレンチスタイルの中央郵便局

しかしほんとにここアフリカ大陸なのか?中心部は白い重厚な建物ばかりで、フランスやイタリアあたりにいるとしか思えなかった。実際北アフリカのパリと呼ばれており、フランス領になってからアルジェが植民行政の根拠地となって都市の改造が行われたので当然ではあるのだが・・。


ヨーロッパの街並みにアラブの市場が同居する不思議な光景

けれど、有名なカスバ(チュニジアやモロッコのメディナにあたる、迷路のような旧市街)まで来るとやはり中東の雰囲気が強くなる。ただ、丘にあるがゆえあちこちに設置されてある古い階段や、建物の間からときどき見える地中海はアルジェのカスバでしか楽しめない景色でついつい足を止めてしまう。






1992年に世界遺産に登録されたアルジェのカスバだが、こんなに人々の生活に密着した世界遺産もなかなか珍しいと思う。ただ今は老朽化が進み倒壊の危険もあるとのこと。高低差のある土地に細い路地が入り組んでいる場所柄、なかなか補強工事やインフラ整備などが難しいだろうけど、アルジェのシンボルとしていつまでもこの姿が残っていてほしい。
なおカスバの一部はスラム化しており、旅行者だけで行くと危険な場所もあるとのこと。訪れる際は必ず現地ガイド等と一緒に!

海岸沿いまでやってくると、ちょうど夕暮れ時。白で統一されたコロニアル風の建物に夕日が映える。


やはりマグレブ諸国に一番似合うのは、その名のごとく日が沈んでいく景色なのだなあ、と思いながら帰国の途についた。

【スタッフおススメ度】
●チュニス ★★★★★
大規模なメディナ(旧市街)が残り、活気あふれる市場や歴史あるモスクが見所。首都だけあってショッピングやグルメも楽しめる。
●ケロアン ★★★★
「イスラム教4番目の聖地」、でも旅行者には寛容で陽気な人々が出迎えてくれる。チュニスとは違ってゆったりとした空気が流れる街。
●シディブサイド ★★★★★
国内観光客にも大人気の、チュニジアで一番美しい街。夕暮れ時に訪れるのがおすすめ!

●ムザブの谷 ★★★★★
イスラム教の戒律が今でも徹底して守られており、丘に沿って入り組んだ路地と土壁の家がひしめく。まるで異世界に迷い込んだかのよう。
●コンスタンティーヌ ★★★★★
国内屈指の規模を持つ都市だが街があるのは深い峡谷の中。橋めぐりが楽しい、どこから見ても絶景の街。
●アルジェ ★★★★
青い地中海と白い街並みのコントラストがすばらしい!人呼んで北アフリカのパリ、個人的主観では北アフリカの神戸。

(2016年3月 伊藤)

中国
中国で発見!キラキラ菜の花畑とノスタルジックな水墨画の世界〜雲南省・広西チワン族自治区の旅〜
エリア:
  • アジア>中国>桂林(ケイリン)
  • アジア>中国>羅平(ラヘイ)
  • アジア>中国>龍勝(リュウショウ)
テーマ:観光地 世界遺産 グルメ 
投稿日:2016/03/23 13:48






中国。日本の約25倍の面積がある広大な国。
毎回出張の場所は既に決まっている。今回もそうだ。
大変失礼ながら中国という場所へ私は今まで行きたいと思ったことがなかった。(!)
そんな私がまさかの中国へ!
今回の旅程は雲南省と広西チワン族自治区。
私は知識が乏しく全くイメージがわかないが、
旅程を確認するとどうやら菜の花畑や棚田を見れるらしい!
棚田と言えば、私は前回のベトナムのサパに行ったときは天気が悪くて棚田が見れなかったので是非ともリベンジしたかった。
それから、中国の西南エリアには少数民族も多数暮らしているので少数民族の方にも会えるという。
なんだかバラエティに富んだ旅になりそうなので、今回もわくわくして出発までがとても待ち遠しかった。

***雲南省***
今回は中国東方航空を利用。
途中、上海の浦東空港での乗り換えを経て昆明へ。
昆明国際航空は4年前に新しくできたばかりでとてもきれいで大きい。
中国で4番目のハブ空港であり、昆明からの国際線も充実しているので非常に便利。
昆明は標高約1900mの高原に位置し、晴れると少し日差しが強く感じるらしい。
年間を通して気候が安定して緑が多いことから「春の城」とも呼ばれという、、すてき!

さて、そんな昆明から始まったこの旅。
雨女の私はやっぱりやらかしていた。
出発日、東京の空はあんなに綺麗に晴れていたのに昆明は雨が降る極寒の地だった。
寒いのは分かっていたけど東京と同じくらいか、もう少し暖かいかなーなんてちょっとなめてかかったら完全にやられた。ほんとに寒い。
しかも、なぜか中国はどこへ行っても屋内までも寒い。ホテルのロビーもレストランもなんで暖房つけないの!と突っ込みたくなる。おかげでいつでも完全防寒の癖がついた。

昆明に到着した日、笑顔が素敵なガイドさんは言った。
「明日も明後日もその翌日の金曜も雨ですね〜、あ、土曜は晴れますよ!」
私が昆明を発つのは金曜日だった。
「では、もう一泊昆明に延泊しましょう!ははは!」
ああぁ、、なんて明るいんだ。思わず笑った。

翌朝7:00、朝食会場から見える外の景色はまだ暗い。
この時期の昆明は日の出がだいたい7時半頃なのだ。意外に遅い。
その後少しずつ明るくなる空、どんよりしているもののなんと雨は降らなかった。
おお!!これはもしかしたらもしかすると雨女撤回かもしれない!!!
行くしかない!!!わくわくしながら昆明から羅平への約3時間半を車で過ごす。
結局、雨は降らなかった。曇っていたものの、霧もなくまずまずな天候!
羅平市内へ入ると驚くことに、窓の外がほんとにほんとに黄色!黄色!たまに緑、そして黄色!!!!




もーーーーー素晴らしい!!少し段々になっている地形が大きな弧を描きながら美しく広がり、菜の花の黄色がきらきらと色づく、そこはまさに芸術作品!
なんなんだ!なんなんだここは!夢の中なのか!?と錯覚してしまような絶景が目の前に広がる。どこまでも続き菜の花にとにかく大興奮だった。
今年は寒かったせいで開花時期が少し遅れたようだが、例年は2月〜3月上旬をピークに菜の花が満開になる。驚いたことに日本人観光客も何組も来ていてアジア人だらけだった。
羅平に来たからには必ず見なければならないのがこの菜の花の風景なのだ。


もちろん近くで見てもきれい。


それから、金鶏峰という展望台からみる景色は幻想的である。同じ菜の花でも見方によってたくさんの楽しみが感じられる。展望台までは結構階段をのぼるので少しきついのが難点。


ガイドさん曰く、8月ごろにはマリーゴールドのオレンジ一面のお花畑も見れるという情報も!羅平、なかなか侮れない!

途中、九龍瀑布という中国六大瀑布のひとつへも訪れた。


竹林が美しい静かな参道を進むと10段にもわたる大きな滝があらわれる。
少数民族の売り子もたくさんいて、見る人を楽しませる。


カラフルに色をつけた五色米というのを少数民族おばちゃんが売っていた。
お土産などもみて楽しみつつ、九龍瀑布でマイナスイオンをたっぷり浴びてリフレッシュ!

雲南3日目。本来ならば再度、金鶏峰からの菜の花畑を拝むはずだったがあいにくの雨のため中止。さすが雨女。土砂降りになってしまったので前の日に菜の花を見ておいて本当によかった、、!
この日は午前中から石林へと向かう。羅平から1時間半ほどで到着した。




雨模様の中の石林は石の色が濃く、神秘的な世界観を存分に楽しませてくれた。
石林の中は迷路のようにたくさんの通路があるのでガイドさんなしでは間違いなく迷ってしまう。(現地のガイドさんでも迷っている人がいたので驚き。)
何億年前という大昔には海の中だったという石林。
カルスト地形と呼ばれるそこは、天へのびる大きな石がいくつも林のよう広がり総面積は約1100㎢ともいうのだから驚愕だ。ゲームの最終ボスが待っている砦のようでなんだかおもしろい。


時間によって少数民族(サニ族)の踊りも無料で見れる。


ねこちゃんみたいな岩を発見!

夜は昆明の名物の過橋米線という麺料理を食べた。


鶏などのだしがきいたスープに薄い生肉をくぐらせて日本のしゃぶしゃぶのようにして、
そこにたくさんの薬味と米麺を入れて食べる。
意外にあっさりしていて手が止まらなくなるおいしさだ。




昆明の駅周辺。とっても賑やか。

あっという間に雲南省での旅は過ぎ、桂林へと旅立つ。
雲南は美しい畑やたくさん山々の風景があり、昭和の日本を思い出させるようなどこか懐かしい土地であった。

***広西チワン族自治区***


桂林には夜到着した。昆明から飛行機で1時間半もかからなかった。
極寒の昆明から比べると、突然春がきたような少し暖かい空気に安堵する。
広西チワン族自治区。「省」ではなく「自治区」。
少数民族が主体となって管理する地域をこう呼ぶ。この広西チワン族自治区内に住む少数民族の中ではもちろんチワン族が大多数を占める。
今回の桂林はカルスト地形が特徴的で2014年には世界遺産にも登録されている。
空港はあまり大きくないものの、整った高速道路に加え、少しずつ高層マンションなども増えていて町の発展がうかがえる。その高層マンションのあいだからはカルスト地形独特の山々が突然現れたりするから不思議だ。市内中心に入るとは高い建物はほとんどないが、中国らしいいろんなにおいのする商店街と自転車だらけの道路でにぎわう。空港から市内中心まで40分程度だった。ホテルの窓からは特徴的な山とにぎやかな商店街が一緒に見えるので桂林ならではだなと思った。

翌日、朝一番の漓江下りの船へと乗り込む。
9時が始発だが既に多くの観光客でごった返していた。
観光シーズンの一番多い時期だと400隻ほどの船がでるというから驚きだ。
さて、桂林のハイライト、漓江下り。


馬が9頭隠れているらしい。ほんと?


ウーロン茶のCMで使われた場所


20元札の風景の場所

やっぱり天気に恵まれない私。笑
曇りがかってどんよりしている天気だったが、それが逆に墨絵そのものを見ているようで非常に美しい風景だ。(中国人は墨絵のような曇った風景の方が好きなんだよ、というガイドさんのフォローがあったのでそう思うことにした)
下っていく途中にたくさんの見どころも多く、ついついカメラのシャッターを押してします。だが日が出ていない冬の川下りはとても寒いのでくれぐれも防寒対策が必要。
春には程遠い、またまた極寒の川下りとなった。


漓江下りでもでっかいねこちゃん発見!

今回は終点の陽朔までは行かず、途中の興坪にて下車。
日本人が住む林さんのお家を訪問する予定だったが、改装中で断念。
展望台から再度漓江を見下ろす。
そして、興坪の昔ながらの味のある街並みをゆっくり楽しんだ。




興坪をあとにして、車で40分ほどで陽朔へ。
ここでは竹の筏で川を下りながらカルスト地形を楽しむことができる。
中国の国内旅行者は多く訪れるものの、外国人客はまだ多くないという、なんとも穴場!
え!!大丈夫!?と思うような割と簡易的な竹の筏は2人乗りで船頭さんが漕いでくれる。
最初は落ちるんじゃないかとひやひやしたものの、魚の泳ぐ澄んだ川の美しさ、目の前に広がるカルスト奇岩、川に反射する風景、静かに川の流れる音と時々聞こる鳥たちの声・・・すべてが最高だった。


こんな簡易的な筏!
こんなんで結構段差があるところも平気で進むという恐怖。




イメージ的にはディズニーランドのカリブの海賊のあのちょっと落ちるところをかるーくした感じ!こわい。笑


定番の漓江下りとはちがった素晴らしさを存分に楽しめるのでとてもおすすめだ。
※しかし本当に落ちることもあるらしいので挑戦する方は覚悟が必要!

その後、陽朔の見どころである大きなガジュマル、月亮山を観光。




天気がよかったのと、少し時間があったのでレンタルサイクルで西町へ!
まさか中国で自転車に乗れるとは!なかなか楽しかった。1日レンタルで約1000円程度。
無免許でスクーターも乗れると言われたがさすがに怖くて乗れなかった。




西町は多くの観光客が訪れ、たくさんのお土産屋さん、レストランやバーが並ぶのでとても楽しい。夜には雰囲気をガラっと変えてイケイケな音楽が大音量で流れてまるでクラブのようになる。昼も夜もにぎやかなので、お土産探しから食べ歩きやちょい飲みまで老若男女問わず楽しめるおすすめスポット!

陽朔でもう一つ欠かせないのが「印象・刘三姐」という広大なスケールで行われる少数民族の野外ショー。行く予定はなかったのだが、昆明のガイドさんにゴリ押しされて、これは見に行くしかないと決めたのだが、本当にすごい!




桂林のカルスト地形の山々を背景に演目は全て水上ステージで行われる。
大きな船が出てきたり本物の牛や鳥とともに炎や光、水などあらゆるものをパフォーマンスの一部として美しく表現していくので、一瞬たりとも目が離せなかった。
驚きなのはこのショーに出演する俳優はなんと600人!!!
こんなすごいのはここでしか見れない、とっても見る価値あり!!
その人気は毎日3000人の客席が満席になってしまうほどで、中国国内からも多くの人が訪れる。春節時は1公演では収まらず、2公演、3公演あるときもあるとか、、、恐るべし!!!!
満席になってしまうこともあるので、もし見たい時は早めにガイドさんに伝えて予約をするのが無難!
ちなみに、毎年1月頃はお休みになるのでその時期はショーが開催されるか確認が必要。

チワン3日目、この日は車で2時間半ほどの龍勝の棚田へ。
なんと!この日はついに朝から晴れました!!!念願の棚田が見れる!


竹筒料理が有名。竹の香りがふんわりして、おこわのようで美味しい〜〜


ここからは車が入れないので約1時間上ります。
ヤオ族のおばちゃんがポーターとして荷物を運んでくれることも可能。
足が悪い人だと籠に乗せて2人がかりで担いで登ってくれることも。どちらも有料。




ついにきたー!!段々になった棚田に水が張ってなんて美しいんだろう・・・・!
綺麗に整った水田の上の方は山から流れてきた水が溜まっていて、少しずつ流れて下の段へと水が満たされていく。ああ、きれい。
後ろの山々とのコントラストも本当に絶景だった。中国、すごいなー


ヤオ族のおばあちゃん。刺繍がとっても上手!


移動途中にヤオ族の村もちょっと訪れました。
ヤオ族は髪の毛がとっても長い民族!成人するまでは一度も髪を切らないというから驚き。綺麗にまとめられた髪はとても美しく、山で暮らす人々みんなパワフルでおばあちゃんでも白髪の人が少なく美髪なんだとか。


観光客が多い時だと民族ショーが行われてるみたいです。

チワン4日目、三江へ!
三江はトン族という少数民族暮らしていて、風雨橋の風景が有名だ。




トン族の建築技術はとても優れていて、日本の建築家も見に来るほどだと教えてもらった。
確かに、近くで見ると釘を一切使っていないが骨組みがしっかりしている。


三江の村の中にはたくさんの鼓楼と呼ばれるシンボル的建物がある。昔は太鼓を置いて何かあったときに太鼓を鳴らして村人を集めたそうだ。
現在は村の人々が集まる憩いの場だったり、伝統的な織物の道具を展示してあったりと、観光客向けな場所となっている。中で村人たちとの交流もできるが10元ほどのチップと署名が必要。


鼓楼の中に卓球台を置いているところがあったので村の方と勝負しましたが完敗でした、、、中国人強い。。




フランス人の観光客も来ていつのまにか国際試合!とても盛り上がった!

そんなこんなで桂林周辺を存分に観光しまくった中国の旅の後半。
最後におまけ程度で桂林の動物園でパンダのメイメイちゃんに会って旅を終えました。


この旅で今まであった中国に対するマイナスイメージを完全に覆すようなとびっきり楽しい旅となった。
途中、ホテルが停電してロウソク1本で一晩過ごしたり、胃腸炎で苦しんだり、、とびっくりぽんな出来事も乗り越えましたが今思えばいい思い出!(たぶん!)
情緒あふれる場がたくさんある中国、本当に素晴らしい。広大な国のまだほんの一部しか観光していないので、もっとたくさんの魅力が詰まった国であることには間違いない。日本から身近に行ける絶景の国として、是非一度行ってみてほしい。きっとイメージが変わります!

羅平の菜の花畑 ★★★★★ 一面の菜の花に大感動!一度見たら忘れられない絶景!
桂林の漓江下り ★★★★ 桂林といえばコレ!まさに水墨画の世界!
龍勝の棚田 ★★★★★展望台から見下ろす棚田は絶景そのもの、段々畑の水に反射する光が美しい。

(2016年2月 柳)

ヨルダン
ヨルダン&エジプト遺跡巡り!ペトラ遺跡と中部エジプトを歩き尽くす旅
エリア:
  • 中近東>ヨルダン>ペトラ
  • アフリカ>エジプト>カイロ
  • アフリカ>エジプト>エジプトその他の都市
テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/03/11 15:10






カタール航空で羽田から12時間でドーハへ。そしてアンマンへ約3時間。今回の目的は2つの憧れの遺跡を訪れること!その1つ目がペトラ遺跡です。
アンマン空港からペトラ遺跡の町ワディ・ムーサまで車で約3時間。ペトラの宿はペトラ遺跡に近いホテルにしたので、徒歩圏内でとても便利です。


ペトラ遺跡はヨルダンで最初の世界遺産で、紀元前1世紀〜紀元後1世紀頃に建設されたナバタイ人の首都で、それ以降の遺跡も含めて巨大な遺跡群となっています。
ペトラにはナバタイ人より以前に、1万年前から集落があったようで、ジェリコ同様、中東で最古の歴史を持っています。その後、エドム人がユダヤとの争いを繰り返し、紀元後6世紀にはナバタイ人がペトラに定住し始めます。遊牧民族のナバタイ人やベドウィンは、インドから地中海に向かうキャラバン隊がこの地を通る際に安全を保証することで生活していました。ナバタイ人はアラビア語を話していたため、彼らの使うナバタイ文字は、その後アラブ圏に広まり、アラビア文字の起源となっています。アラビア文字はペルシャ語やウルドゥー語でも使われているので、現在では世界のあちこちで使われています。
また、ローマ帝国の時代にはその支配を受けたため、現在のペトラ遺跡にはローマらしい劇場や列柱通りも残っています。




入口から少しのところにジン・ブロックスと呼ばれる立方体の石のお墓や、エジプトのオベリスクのような塔を持つお墓が見えてきます。ここの景色だけでも充分見応えがあるのですが、さらにシークの入口が見えてきます。
シークとは1.2kmもある岩山の裂け目で、ここを通らなければ中には行かれないので、難攻不落の要塞と考えられていました。ナバタイ人はこの水の少ない地域で、治水に長けていて、紀元前4世紀末には地下貯水槽に雨水を貯め、広大な砂漠を移動しても不自由しなかったそうです。飲用水路と灌漑用水路に分け、飲料水の濾過や高低差で水圧を調整したりもしていたとか…その技術はローマ帝国に併合されてもローマが改良する余地のない程だと言うから、その時代の最先端だったのでしょう。シークの左右の壁沿いには、そんな高度な技術を持つナバタイ人の水路の跡が見られます。




この水路を辿って進んで行くと、狭くなった岩山の隙間から徐々にあれが見えてきます!


そう、待ちに待ったエル・ハズネ!高さ45mもの巨大な彫刻の壁が目の前に。細かな彫刻が美しく、ペトラ遺跡で最も壮麗と言われています。


映画「インディージョーンズ」の舞台として使われたのが有名ですね。映画ではこの奥に幾つもの罠が仕掛けられていて、聖杯へと辿り着くのですが、実際にはそんな空間はなく、広間とその奥にお墓がありますが、入ることはできません。でも入口だけでも綺麗で見応えがあります。

エル・ハズネからさらに進んだところで、左手の階段を上がって犠牲祭壇へ続くルートがあります。トレッキングコースではありますが、看板の雰囲気からしてそんなに遠くなさそうだったので、とりあえず行ってみることに。進んでみると、滑って落ちたら重傷は免れないと思われる崖沿いの道をひたすら登ります。




予想以上に長い。しんどい。途中でベドウィンがロバに乗らないかとしつこく話しかけてくる。ということで、もう疲れたし、犠牲祭壇の一部が見えたので、ここでやめました。




充分な景色だったし、引き返して次に行きます。

元のルートに戻って先に進むと、右手に王家の墓が5つ並んで造られています。一番右の壷の墓に登ってみたり。ここは景色が良いです。




柱廊通りを進み、カスル・アル・ビントと言われる神殿へ向かいます。この途中の大神殿も広くて、浴場があったり、床が六角形の石でできていたりと、面白いです。テメノス・ゲートで俗世から区別された神聖な神殿、カスル・アル・ビント。結構ボロボロで風情があるけれど、正面しかみることはできません。







そしてここがバシンレストラン。


お昼はここでランチにするか、ホテルでランチボックスを頼んで持ってくるか、だと思います。この先のエド・ディルまでの道のりが長いので、休憩しておくのがおすすめです。他にペトラ遺跡内で休憩できるのは、多くはないけれど所々にあるカフェや、お土産を売っているベドウィンのおばあちゃんがお茶を勧めてくれたりもします。シークから先の道中はほとんど日陰がなくて、特にお昼前後は日差しが痛いです。湿気が無いのであまり汗はかかないですが、帽子は必須です。




バシンレストランからエド・ディルまでは、砂で登りにくいところや、階段状の岩場で、この時が一番暑くてしんどかったです。


普段の運動不足を後悔しながら、休んだり、歩いたり、また休んだり。途中、ベドウィンのお土産屋さんが声をかけてきますが、登るのに必死でそれどころじゃないんです。ふと、風が強いところに出たと思ったら、前方にカフェを発見。カフェ前で人が写真を撮っていたので、そっちを振り返ると、エド・ディルだー!


息を切らして、カフェまでもうひと頑張り。私もエド・ディルの写真を撮って、エド・ディルを眺めながらしばし休憩。造りはエル・ハズネよりずっとシンプルだけど、エド・ディルの方が大きく、陽の光をあびてどーんと構えている感じがします。高台から観ると、さらに絵になります。
さらにカフェの裏にはパノラマスポットがあるらしいのです。疲れたので行くか迷ったけれど、カフェのおじさんに聞いたら歩いて5分だというので行くことに。
ここも滑って落ちたら、もう帰って来られなそうな崖が…でもこの先はトップオブザワールドらしい。
確かにすごい渓谷の景色。この崖の先端ならもっと見晴らしが良さそうだったのですが、強風に煽られて落ちるような気がしました。




帰りは空が曇ってきて暑くもなく、下り坂で気持ちにも余裕があったからか、あっという間にバシンレストランまで戻って来ました。夕方には風も強く肌寒くなり、ウインドブレーカーがあったら良いくらいでした。犬、猫など動物も結構います。






ペトラ遺跡内ではベドウィンのおにいちゃん達がロバや馬車、ラクダに乗らないかと、諦めずに話しかけてきます。日本のやっかいな客引きと同じか、それ以上に諦めが悪いです。でもベドウィンをまじまじと観察するチャンス。パイレーツオブカリビアンの船長みたいな人もいれば、ごく普通の若者も。




帰りは名残惜しく、エル・ハズネの前のカフェでしばらくゆっくりしてから、帰りました。バラ色に見えるかな?



ペトラでのごはんはビジターセンターから歩いて5分くらいの、ここのアラブ料理がおいしかったです。レンズ豆のスープに、ケバブ。




翌日はさらに天気が崩れ、朝から雨。外に出るとかなり寒く、セーターを持ってきて正解でした。
ペトラから死海への道中、寒いところでは気温はなんと0度。雪まで降ってきました。まさかヨルダンで雪を見るとは思ってもみなかったです。


標高の低い死海は気温も高く、17度ありましたが、それでも死海に浮かべる程あたたかくはなく、風も強くて、ビーチに観光客は皆無。とりあえず足まで入って、あとは死海の泥パックをしていました。






死海にぷかぷか浮かべなかったのは残念だけど、その後デッドシースパホテルで食べたランチが美味しかったので、だいぶ満足しました。ペトラのレストランではスイーツは切らしていると言われて、ありつけなかったのですが、死海ではバーミエ、アダイフ、たぶんフティールなど色々な種類を食べられました。


この日は悪天候でペトラ遺跡は入場不可になっていたそうなので、昨日行っておいてよかった。

その後、アンマン近くのジェラシという遺跡へ。雨が降ったり止んだりでしたが、人も多すぎず見応えのある興味深いローマ遺跡。途中で勝手にガイドし始めた少年にいらっとしましたが、遺跡内はちゃんとしたローカルガイドのマフムードさんがしっかり案内してくれました。



ハドリアヌスの凱旋門の向こうには競馬場があり、その先のビジターセンターから遺跡内へ入っていきます。入ってすぐの南側にはゼウス神殿があり、フォルムと呼ばれる卵形の広場から、北門まで約600メートルの列柱通りが続きます。列柱通りから横に入って行くと、大聖堂やアルテミス神殿、幾つもの教会、もう一つの劇場が配置されています。全体はだいぶ広さがあるので、晴れていたらもっともっと歩き回りたかったです。




ヨルダンの次はエジプトへ。ずっと運転してくれたサミーさんともお別れです。ガイドさんと言ってもいいくらい、ヨルダンのことや観光地のことを教えてくれました。




アンマンからカイロまで、ロイヤルヨルダン航空でたった1時間半。日本語対応は流石に無いけれど、各シートにモニター付きで、簡単な機内食もまあまあ、そして機内が綺麗でした。

到着後、左奥の赤い看板のところで入場券のごとくお手軽にビザのシールを買って、ここで両替もできます。その後、右側の列に並んで入国。


エジプトではカイロの空港からほど近いホリデイ・イン・シティスターズに宿泊。館内はお部屋も含めWiFi無料です。カイロ最大のショッピングモール、シティスターズに隣接していて便利。このモールは夜24時まで営業していて、600近くもの店舗が入っているんです。ブランドの洋服や靴はもちろん、家電製品、本、お土産やちょっとしたスーパー、レストラン街やフードコート、ジュエリーや家具まで。平日でも大賑わいのショッピングモールです。


割と質の良いものが揃っていて、値札もついているのでぼったくられる心配もありません。新館と本館があり、広すぎて迷ってしまう程でが、お土産ものが集まっているエリアでお買い物したり、エジプト料理店も入っているので夜ご飯を食べに行ったり、帰りのフライトまでの空き時間にうろうろしたり、カイロっ子と仲良くなったり出来るところ。
そしてレストラン街にチョコレートスイーツのお店を発見。カイロの女子達が大皿に山盛りのパンケーキを囲んでいました。私はチョコレートブラウニーのクレープを。これで700円くらいなので、お腹いっぱい食べたいなら、コシャリなんかはもっと安い値段でたくさん食べられます。エジプト人の甘い物好きは女子に限らないようで、男子やファミリーでも甘ーいスイーツを囲んでいました。


街中のスイーツ屋さんはこんな感じ。店先で調理しているところも。






エジプト料理はトマトベースの鳥、豚、野菜など。モロヘイヤスープが美味しく、個人的に日本に帰ったら作りたいエジプト料理No.1!




エジプトでの今回の目的地は中部のミニヤの遺跡。カイロからミニヤまでは車で片道約4時間とちょっと長旅なので、なんと早朝5:30出発。カイロから離れると、安全のため警察も同行です。


まずベニハッサンへ。ここにはいくつものお墓が残っていて、そのうち4つの地方豪族のお墓に入ることができます。お墓まではこの階段を登らなければなりません。とは言っても、ペトラを歩いた距離に比べれば、大したことありせん。観光客が少ないので、おじさんが一緒に行って鍵を開けてくれます。




残念ながらお墓の中は撮影禁止。内部には地方豪族の生活が描かれています。壁一面に農業や漁業、ベッド作りなどの風景が描かれ、そしてそれらを捧げ物にする図になっています。なかでも特徴的なのが、この時期に流行ったらしいレスリングのレリーフ。かなりの種類がびっしりと描かれています。
現地の方にいただいた画像ですが、こんな感じです。


道の脇を流れる運河の水面に向こう岸が写って、さらにその向こうにはナイル川の恩恵を受けた緑の地が広がる、綺麗な眺めです。


そして、ペトラ遺跡ともう一つの行ってみたかった遺跡、テルエルアマルナへ。ここはアマルナ芸術が栄えたかつての都です。元々はテーベ(ルクソール)に都を置いていましたが、神官の癒着が進んでいた為、新王国時代の第18王朝、アメンホテプ4世は、神官の影響力を弱めようと、都をテーベからテルエルアマルナへ遷しました。テーベではアメン神を最高神とする多神教だったのですが、遷都と共にアテン神の唯一神信仰に変え、王自身の名前もイクナートン(アクエンアテン)に改名ました。アメンホテプ4世の名前に「アメン」と入っていたのが、アクエンアテンでは「アテン」が入っていますこれは世界で最初の宗教改革と言われています。
彼の時代には、芸術の分野でも改革がなされ、それまでの理想的な形式にこだわった芸術様式から、自由な表現や写実的なものが重視されるようになった為、この時代固有の特徴的な顔立ちや描写がされた貴重な芸術でもあります。
(エジプト考古学博物館のイクナートン像)


しかし、アクエンアテンに反対する神官達によって彼は暗殺され、テルエルアマルナの都も壊されてしまったのです。彼の治世はわずか10年あまり。テルエルアマルナはその間だけの都で、破壊されて放棄されてしまいました。切ないですね。アクエンアテンの次の王が日干しレンガ (トゥト・アンク・アメン)です。名前からもアメン神信仰に戻ったのが分かります。
テルエルアマルナでは墓や宮殿跡を見ることができますが、ここもお墓の内部は写真に残せず、破壊された為に残る遺跡も多くはありません。それでも歴史的にとても意味のある場所なので、定期的に観光客がやってくるそうです。
チケット売り場でチケットを買うと、ここのお墓も普段は閉まっているので、おじさんも私達の車でお墓までついてきます。途中で電気の電源を入れて、お墓を開けてくれました。






これも現地の方に頂いた画像ですが、イクナートンの名前は削られても、左上の太陽は神を表すので残されて、神々しい光が描かれています。


日干しレンガの宮殿跡は道のすぐそばにありますが、ひとつひとつのお部屋や柱の跡、木材が残っている部分を見ることができます。


ガイドをしてくれたアビールさんが遺跡や歴史に詳しく、とてもとても楽しい観光でした。
ミニヤからの帰りは渋滞に巻き込まれ、カイロ市内からホテルまで2時間半近くもかかりました。普段は10分の道でも、渋滞すると数時間かかることもあるとか…

また、2度目のサッカラにも行ってきました。ジョセル王の階段ピラミッドのコンプレックスがやっぱりいいですね。階段ピラミッドは修復中です。










この日は霧がかっていて、道中でギザやアブシールのピラミッドは見えませんでしたが、ジョセル王のピラミッドのところから、ダハシュールのピラミッドがかすかに見えました。


最近、カイロのエジプト考古学博物館ではカメラチケットが導入されました。なんと50エジプトポンドで、館内の写真撮影がOKになります。ただしツタンカーメンの部屋と、別料金のミイラ室での撮影は禁止、フラッシュはどこもNGです。広い博物館は全部まわるには1日ではとても足りませんが、写真を撮っても良いというのが新鮮で楽しかったです。




(クフ王の小さな像)





カノポス壷(ミイラを作って、内蔵を入れる壷)は動物や神の顔が付いているものが多いですが、これは全部ツタンカーメンの顔。




あの有名なツタンカーメンの黄金の椅子。王妃アンケセナーメンとサンダルを片方ずつ履いている仲睦まじい場面。


かわいい動物シリーズ。動物のミイラもあります。










ペトラ&ミニヤの遺跡巡りはやっと行かれた場所で、私にとってはとにかく楽しい旅でした。十分満足したのですが、やっぱりまた行きたい、何度行っても良いんだよなぁと実感しました。

オススメ度
ペトラ・・・★★★★★ 何日もかけて見たいペトラ遺跡
死海・・・★★★ この時期はまだ寒かったけど、次回は浮いてみたい!
カイロ・・・★★★★★ 観光もショッピングも盛りだくさん!エネルギッシュな街
ミニヤ・・・★★★★★ 遺跡や歴史好きの人におすすめ。事前の下調べかガイドさんがいると良い。
サッカラ・・・★★★★★ 初期のピラミッドや遺跡がたくさんあって最高

(2016年2月 増田里紗)

カリブ海クルーズ
進撃の巨大クルーズ「海上を動く巨大ホテル」
エリア:
  • カリブ海>プエルトリコ>サンファン
  • カリブ海>セントマーチン(サンマルタン)>セントマーチン(サンマルタン)
  • カリブ海>セントルシア>セントルシア島
テーマ:クルーズ 世界遺産 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/03/11 15:04
カリブ海


カリブ海に停泊するカーニバル・リバティ


カリブ海クルーズ、何と響きのいいフレーズだろう。真っ青な海、常夏の気候、陽気なカリビアンの人々、究極のリゾートの日々が想像できる。今回は幸運にも7泊8日のクルーズの出張を拝命した。私でいいのだろうかと自問自答したが社命なら仕方がない。思いっきり楽しんでこよう。

モロ要塞


モロ要塞


サンファン大聖堂


サンファン・ゲート


サンクリスト要塞


前日は、翌日の出航のため出発港のサンファンに泊る。プエルト・リコのオールド・サンファンはスペイン風の街並み、石畳の道路、2つの要塞に囲まれたまるでテーマパークのような街だ。世界遺産のモロ要塞。街の東側はサンクリスト要塞。その間にはサンファン大聖堂、カサブランカ、サンファンゲート等、カリブのエキスが詰まった濃い街だ。もしクルーズが中止になったとしても見合うだけのものがここにはある。

カーニバル・リバティ


キャビン


オープニングパーテイ


1日目、いよいよ乗船。15:00過ぎには多くの人が並んでいる。今回のクルーズ船は「カーニバル・リバティ」。11万トン、全長290m、定員2976名の巨大客船だ。何時間もかけて途切れなく人が吸収されていく。夕食後、21:00から早速屋上の甲板でオープニングパーティが始まる。皆ノリノリである。はたしてこのノリノリに、この年寄りがついていけるか心配だ。でも日本にも「踊りゃなそんそん」と言う言葉がある。気遅れせず頑張っていこう。夜、22:00にいよいよ出航だ。

セントトーマス島とカリブ海


メイゲンズ・ベイ・ビーチ


シャーロット・アマリ


2日目朝、第一の目的地「セントトーマス島」に到着。09:00から島内観光のオプショナルツアーに参加。以降、島に到着の度にオプショナルツアーに参加するが、時間的にも費用的にもツアーに参加したほうが効率的だ。セントトーマスはアメリカ領バージン諸島の一つ。先ずは島が一望できるビーコンポイントへ。一面に広がる海の景色は絵葉書のようだ。りっぱなお土産屋があるのはタックス・ヘブン(免税)なのだから当然なのかもしれない。次はビュー・ポイントへ。眼下に我々の船「カーニバル・リバティ」がその雄姿を見せている。島の北側(太平洋側)からは、高級別荘やゴルフコースが見える。お金持ちにはまさに天国だ。町の中心はシャーロット・マアリ。ビーチに沿って沢山の店が並んでいる。買い物天国だ。停泊港の近くにも、ヘブンサイトモールがあり、乗船客には便利だ。

クルーズのプール


ミニゴルフコース


ジョギングコース


セクシー度コンテスト


カジノ


ロビーでのライブ


ダイニングルーム


3日目は、次の寄港地のバルバドス島へは1日以上かかるため船上で完全フリー。とは言っても心配ご無用。すること満載なのである。大小いくつものプール、ジャグジープール、ミニゴルフ、ジョギングコート、バスケットボール、バレーボールコート、卓球と何でも揃っている。日中にはイベントで「男性のセクシー度コンテスト(肥満度?)」もあり、セクシーダンスやセクシーシャワーの様子で観客は大いに盛り上がっていた。やはり日本人はアメリカ人には勝てないかも。夜は、毎日本格的なショーがある。ビッグバンドの演奏、著名なシンガーのものまねショー、ロックショー、ラスベガスショー等。メインロビーでの15:00から深夜までライブをはじめ、5階のカジノフロアーのライブバンド、ピアノの弾き語り等、自分の好みに合わせて選べばいい。とは言っても、クルーズの醍醐味はビーチチェアーに横になり、海を眺めながらのんびりすることだろう。ゆっくり本でも読むのが最も贅沢な過ごし方かもしれない。普段できないことをすることが極楽の過ごし方かもしれない。私の場合は、好きな読書と、オーストラリア出身のカントリーシンガー「ポール」にはまったことである。琵琶湖のミシシッピ号でライブをしていたこともあり、日本通の彼の歌は素朴で元気をくれる。「いとしのエリー」の英語バージョンを私のために歌ってくれるのだから超感激だ。
チェンバレン橋


元・国会議事堂


セントメリー教会


4日目は08:00にバルバドス島に到着。コーストパラダイスツアーに参加。この島はビーチももちろんいいが、何といってもブリッジタウンがいい。元イギリス領だけにイギリス風の街並みが色濃く残っている。チェンバレン橋を中心に街は広がっていくが、歩く人を意識しなければ、まるでイギリスの街を歩いている錯覚に陥る。今は博物館になっている元「国会議事堂」、「セントメリー教会」、「オールドタウンホール」を見ていると本当にここがどこか疑ってしまう。カリブ海に面した西海岸には高級別荘地が建ち並び、太平洋に面した東海岸は波が高くうねっている。
セント・マークス家


セント・マークス家のベランダからの眺め


カリブ・バティック


マリゴット・ベイ


ヨットハーバー


滑走路


ラム酒工場で試飲


5日目はバルバドス島から少し戻って「セントルシア島」へ。ツアー最初のポイントは「セント・マークス家」。白亜の豪邸で見晴らしのいい場所に建っている。いかにお金持ちだったか偲ばれる。次はバティックハウス。インドネシアから技術が輸入され、今では島の主要な産業になっている。色がカラフルで欧米人には好まれるかもしれない。次はカリブ海で一番きれいとガイドが豪語しているマリゴット・ベイへ。海はどこの海も遜色ないが、なるほどここの湾は小さく可愛らしい。高価なヨットが数多く停泊し、人気の高さが伺える。こじんまりした湾と飛行機の滑走路、周りの景色とのバランスがいいのが理由の一つだろう。仕上げはラム酒工場で一杯飲んで、気分はすっかりカリビアン。
プリム・ストーン要塞


プリム・ストーン要塞


ロミー・マノアー


カリブ海と大西洋


カリブのイケメン猿回し


カリブのイケメンと子供


カリブのイケメンと私


6日目は「セントキッツ島」。この島の見所は何といっても「プリム・ストーン要塞」。規模も大きい。海賊や他国からの侵略に備えて大砲が沢山装備されている。戦いのための要塞が、今は観光の役に立っているいるとは皮肉な話だ。ロミー・マノマーは昔のプランテーションの名残り。巨大な富が一握りに人に集中していた。もう一つのハイライトは、右がカリブ海、左は大西洋のクリフ・ポイントだ。観光名所だけに猿回しやらロバのりがいたが、ちょいとカリブのイケメンと記念撮影などしてみた。

フィリップス・バーグのビーチ


フィリプス・バーグのビーチの海賊の人形


マリゴの町


セントルイス砦


セントルイス砦


セントルイス砦から見たマリゴの町


セントルイス砦からみた景色


7日目は最後の島「セントマーチン」。2つの国が同じ島にあるという変わった島で、島の下側はオランダサイドでカリブ海に面している。フィリップス・バーグは中心の町で、沢山の店・レストランが並び、クルーズから下船した客でにぎわっている。フランス側の中心の町は「マリゴ」。どことなくフランスの香りがするおしゃれな町だ。セントルイス砦は今はすっかり古びてしまってほとんど形を残していないが、美しいマリゴの町を眺めるには絶好の場所だ。この島は飛行機が真上を飛ぶマホベイビーチでも有名だ。
シェフの挨拶


ラストディナーパーティ


ドラとマイケルとローランド


今夜はクルーズ最後の晩だがサプライズが待っていた。夕食後シェフの挨拶が終わると同時に、ホールのスタッフたちが一斉に踊り始めた。階段で、テーブルの周りで、お客を囲んで、なつかしの名曲「悲しみのジェットプレーン」に合わせて踊りまくる。友達になった、ドラもマイケルもローランドも一緒だ。お客とスタッフの心が完全に一つになった瞬間だ。
ラストショー


出演者集合写真


出演者と記念撮影


シンガーの「ポール」


ポールと


夜のショーも最後のショーだけに大いに盛りあがった。プロのシンガーだけでなく、クルーズスタッフがプレスリーやマドンナやフランクシナトラ等に扮し、ショーの後はロビーでお客と記念撮影と最後の晩にふさわしいエンディングになった。最後はもちろん友達の「ポール」のデスペラードを聞きながら名残尽きない感に浸った。

船上からの夕日


きさくなクルー


ドラとマイケルと一緒に


8日目、いよいよ下船の日だ。最初は退屈を持て余し、一体どうなるかと心配したが全くの杞憂に終わった。数々の毎日のプログラム、オプショナルツアー、アクティビティー、そして何もしないでもいい時間が存在すること。あと3〜4日は欲しいところだ。忙しい現代人には是非ともおすすめだ。ただ、びっくりしたのは、アメリカ・中米の人たちはよく食べる。3時のおやつがハンバーガーだったり、ピザだったり。モンゴリアンバーベキューにはどんな時間も長蛇の列だ。ブッフェにはどの時間も人だかり。私もソフトクリームの誘惑には2回負けたけど、引っ切り無しに人が来る。これでは体の大きいのも合点がいく。アメリカンフットボールの選手か相撲取り級の人が本当に多い。日本人は超スリムに見えること間違いなし。ただ、油断していると段々彼らに近づくかもしれない。今回はカーニバル・リバティの気取らない、温かい、飽きさせない旺盛なサービス精神意に感謝。外人の多くが、率先して参加して、自分で楽しみを作っていく、そんな前向きな態度にある意味、見習う必要があると実感した。最後に一言、出発前に買った海水パンツは次回のクルーズの時には絶対使うぞ!

スタッフおすすめ

○カーニバル・リバティ ★★★★★
充実した施設と気取らない、温かい、飽きさせないサービスにあふれたクルーズ
○プエルト・リコ オールド・サンファン ★★★★★
スペイン風の街並み、石畳の道路、2つの要塞に囲まれたまるでテーマパークのような街
○セントルシア ★★★★
この島のマリゴット・ベイはカリブ海で一番きれいと評判。小さく可愛らしい湾には高
価なヨットが数多く停泊している。
○セントマーチン ★★★★
2つの国が同じ島にあるという変わった島で、島の下側はオランダサイドでカリブ海に面
し、上側のフランス側のマリゴはおしゃれな町だ。この島は飛行機が真上を飛ぶマホベ
イビーチでも有名。

2016年1月
本山泰久

ベトナム
美しき北の都市ハノイに古の都の姿をとどめる中部フエ・ホイアン、南ベトナムのハイライト・ホイアン!ベトナム縦断1800kmの旅!〜2016冬編
エリア:
  • アジア>ベトナム>フエ
  • アジア>ベトナム>ハロン湾
  • アジア>ベトナム>ホイアン
テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/03/11 14:59
私が海外に来たなと実感する瞬間は空港を出た瞬間の匂いである。
そして今回もちょっとむっとするような甘いような…そんな匂いを感じた時に私のベトナムの旅は始まった。


学生時代にバックパッカーをやっていた私は東南アジアには何度か赴いていたのだか、ベトナムに至っては今回が初渡航ということになる。
ベトナム北南縦断の旅。
今回はどんな人と出会い、どんな景色があって、どんな気持ちになるのだろう…昂る気持ちは抑えられない。

今回の旅程
1日目 成田—ハノイ (飛行時間約6時間) 空港到着後、ホテルへ
2日目 車にてハロン湾へ ジャンク船バイトー号に乗船 船中泊
3日目 世界遺産ハロン湾クルーズ 下船後ハノイへ戻りホテルへ
4日目 ハノイ—フエ (飛行時間) 空港到着後、世界遺産フォンニャ乳洞観光。後ホテルへ
5日目 終日:古都フエ観光 ハイバントンネルを越えホイアンのホテルへ
6日目 終日:世界遺産ホイアン&ミーソン観光 後、ダナンのホテルへ
7日目 ダナンにてホテル見学 後、ダナン—ホーチミン 空港到着後、ホテルへ
8日目 終日:大河メコンデルタクルーズとクチ地下トンネル
9日目 深夜 ホーチミン—成田 日本到着

1日目
成田-ハノイ間は飛行時間約6時間のフライトである。私が使用したベトナム航空はハノイ・ホーチミン共に成田から毎日直行便が出ているのでとても便利である。
空港に到着し、ガイドさんと合流。空港は人が多く、ちゃんと合流できるのか不安だったがガイドさんはわかりやすく名前の書かれたボードを掲げており問題なく合流することができた。
空港からホテルへは1時間弱程で到着した。
ホテルへ到着し、疲労がどっと出てきたがせっかくだからと重い腰をあげ、ハノイを歩いてみることにした。ハノイに行ったらハノイ大聖堂を観に行くと決めていたので早速そこに向かうが方向音痴で地図が読めない二重苦の私にとってそれは容易い道のりではなかった。道で右往左往していると二人のベトナム人が声をかけてきてくれ、大聖堂まで案内してくれた。
ハノイ大聖堂に到着する。


年季の入った大聖堂は大きく、とても美しかった。ちょうどミサの時間に合わせて行ったので、内観が見られたことに加えて、礼拝の様子も見ることができた。それはとても厳かで美しい空間だった。
その後、地元の美味しいフォーをごちそうになってホテルへ戻った。




現地で仲良くなったベトナム人の二人と

まだ大きな観光をしていない一日目であったが、ベトナム人のやさしさや空気に触れて早くも満足感を得つつ、眠りについた。

2日目
この日は朝の8時にガイドさんがホテルまで迎えに来てくれて観光がスタートした。今日はハロン湾一日観光である。
ハノイから車で4時間少し行った所にハロン湾はある。北ベトナムのハイライトと言えるハロン湾は2000個の島からなり、世界自然遺産にも登録されている。
すっかり眠っていた私がガイドに起こされて目にしたものは、美しい奇岩達でありハロン湾の絶景であった。


船中泊は何度か経験したことがあったが、それはすべて雑魚寝スペースで寝るようなお粗末な船であり、当然お風呂もついていなかった。今回泊まることとなった船はバイトー号の中でも一番の豪華客船であった。


船の中は綺麗な内装が施されていて、とても清潔且つ重厚感ある船内。そしてなんと言っても窓やデッキから眺めるハロン湾…情緒溢れるハロン湾を船上から眺められるなんて、なんて優雅な旅だろう。


小さな船に乗り換えてスンソト洞窟(Suong sot)とティートップ島(Ti top)に行った。
スンソト洞窟はハロン湾で一番大きいとだけあって、その大きさや深さには感嘆の声をあげずにはいられなかった。


光の当て方や色使いが絶妙。

ハロン湾は龍が降りるところという意味があるみたいだが、この洞窟には龍の骨があった。長い長い時間を掛けて作られた鍾乳洞は、現在の美しさのみならず、ここまでに至るまでのあまりにも長い年月を思うとロマンを感じた。


ティートップ島はロシア人のTi topという人とホーチミンさんが訪れたという過去からこの名前になったという。何段もある石段を登って行くとハロン湾を一望できるスポットへ行き着く。この石段が割とキツく、みんな息を切らせながら登っていた。様々な人種の人々が行き交っては励まし合っている光景は面白くもあり、心が温まるものでもあった。


船に戻り、少しずつ夜に浸食されていくハロン湾をデッキから眺めた。日々の喧噪や邪念を忘れさせてくれる—そんな力がハロン湾にはあるのかもしれない。


そんなことを想いながらハロン湾での夜は更けていった。

3日目
窓から見えるハロン湾が朝を知らせてくれた。
ビュッフェ式の朝ご飯を済まし、下船までデッキでハロン湾を堪能した。
ハロン湾の最大の魅力は一つとして同じ顔を持たないところかもしれないなと思う。同じハロン湾の景色であっても少し場所を移動すれば違う景色であるし、同じ場所であっても刻一刻と時を刻むごとに違う顔を見せてくれる。
下船し、レストランで食事を済ました。ハロン湾で採れた海の幸はとても美味しかった。ハロン湾に別れを告げ、ハノイへ戻りこの日は終わった。

4日目
フエへ。ということで朝早く起床し、ハノイ空港へ向かった。
朝は割と道が空いていて、早めに空港に着いた。ガイドさんとお別れをし、フエ行きの飛行機に乗った。ハノイからフエの飛行時間は1時間ちょっとで、機内サービスはお水のみ。離陸と同時に眠っていたらあっという間に到着した。
空港を出るとハノイより暖かく、南に少し下ったなあと実感した。
フエ空港でガイドさんと合流し、そのまま車でフォンニャ洞窟へ向かった。フエ空港からフォンニャ洞窟は片道約210kmで4時間程の距離である。
2003年に世界遺産登録されたフォンニャ洞窟は、小さな小舟に乗って入るのだが、これがまたよい。小舟に乗ったらすぐ洞窟というわけでなく、洞窟まで15分くらい掛かる。その景色がとてもよく、小さな村での人々の生活を垣間みたり、すれ違う小舟に乗った人と笑顔を交わしたり…そんな時間を過ごすことができる。


やがて大きな山にぽっかり空いた穴が見えてくる。
いよいよか!と思いながらゆっくりゆっくり進んで入って行く。
洞窟内に入るとそこは異空間。薄明かりが洞窟内部を照らし、水面を照らす。そこにはかきわけて進んでいく自らのボートが水を切る音しかせず、限りない静寂だった。
「すごい…」私が言葉にのせて表現できる中では一番しっくりくるが、もう少しボキャブラリーが豊富な人だったらもっともっとこの素晴らしさを伝えられるかもしれない。
想像してたスケールを超えていた。遥に超えていた。




人が立つと洞窟の大きさが際立つ。

ここにはかつてチャオプラ王朝が住んでいたと言われている。それはここに文字が残っているからだそうな…そして戦争が激しかった時は防空壕として使われたそうだ。それを思うとこの洞窟が刻んできた本当に長い年月を感じ、感慨深い気持ちになった。
私の写真技術が未熟なため、実際の1割の魅力を写せてない。このダイナミックさは行かないときっとわからないので、是非とも足を運ばせて頂きたい所だ。
ここからの道のりは長く、ホテル到着まで約5時間掛かった。すっかり疲れ果てていたが、フォンニャでの感動は私の疲れを払拭してくれるのであった。

5日目
本日は古都フエ観光。ベトナム最期の王朝があったフエは、どことなく厳かな雰囲気が漂っていて、とても静かで落ち着いたところだ。フエは1993年にベトナムで初めて世界遺産登録をされた。ゆったりと流れるフォーン川のほとりに王宮や寺院などが点在するフエを歩いているとタイムスリップしたような感覚がした。
ミンマン帝廟やトゥドック帝廟、カイデイン帝廟と帝廟をめぐった。
中でも私が気に入ったのはカイディン帝廟で、12代目の皇帝の帝廟である。




ヨーロッパに留学していた経験を持つ12代目皇帝はの帝廟は、他の帝廟に比べ西洋の文化があわさったようなつくりになっている。西洋に偏るわけでもなく、東洋と西洋の文化をうまく融合させてできたこの帝廟は本当に美しく、細部までこだわってつくられていて、すぐに好きになった。


一つとして同じ絵が存在しない壁。


天井に描かれた龍の絵。

その後、フエの生活を垣間見ることができるドンバ市場に行った。
先ほどまでの雰囲気とは全く違った雑多な雰囲気。ここに住む人たちのエネルギーを肌で感じた。




市場はずっと歩いていても飽きがこない。

その後王宮をまわり、ティエンムー寺に行きドラゴンボートに乗った。
王宮はその広さだけでなく、そこから見えるフラッグタワーを見たときに感動した。
そのむかし、ここがベトナムの中心だったことを実感した。




フエの一日観光が終わり、ホイアンへ向かった。
ハイバンントンネル完成後は、フエとホイアン、そしてダナンへのアクセスがとてもよくなったそうだ。疲れもあり、寝ているとホイアンに到着した。

夕食後、ホイアンの町を歩いた。
あんなに今日はもう疲れたから早めにホテルに戻って眠りたいと思っていたのに、色とりどりのランタンに彩られたホイアンの町に到着した時にはすっかり忘れてしまっていた。
とてもかくにも!すてき!ホイアン!




そんな感じで私はこの旅行中でというか2016年始まって1番テンションがあがったかもしれない。


ノスタルジーホイアン、水面に煌々と光る明りが反射してどこを切り取っても美しい。

多くの人がホイアンの夜の町を楽しんでいた。
ホイアンにはカフェやお土産屋さんがところせましに並んでいるので、いつまでも居てしまう…


名残惜しい気持ちは残しつつも、またいつか絶対ホイアンに来るぞと誓ってホテルへ戻った。

6日目
本日はミーソン遺跡とホイアン散策。個人的にベトナム中部の雰囲気がとても好きだということもあって、この日の観光は特にテンションが高かった。
ミーソン遺跡まではホイアンの旧市街から1時間程で到着する。ミーソン遺跡はチャンパ王国の聖地だった場所で、四方は山に囲まれている。そしてこの遺跡は1999年に世界遺産にも登録されている。




海のシルクロードの中継地点としてチャンパ王国は2世紀後半〜17世紀の間栄えたとされる。かつてはベトナム南部に強い勢力を持っていたが、現在はその数もかなり少なくなっているとのこと。
ミーソン遺跡は何個かのグループによって年代別に分けられているが、そのすべてを私達は見る事はできない。自然崩壊に加えベトナム戦争時に解放軍が基地として使用し、アメリカがここを空爆したことによって、かなり崩壊が進んでしまった為だ。しかし山々に囲まれた静かな土地に根付いた草花に埋もれた遺跡からは、900年に渡ってチャンパ王国の聖地であったことがひしひしと伝わってきた。


昼食を挟み、ホイアンの町を再び歩いた。




昨日感じたノスタルジアな雰囲気はありつつも、夜のホイアンとはまた違う、どこか優しく懐かしいような町並み。
ここホイアンはチャンパ王朝の時代には中国やインドを結ぶ中継貿易都市として栄え、その後はアジアとヨーロッパの交易の中心地として繁栄した。日本人町もつくられていたが、江戸幕府の行った鎖国政策を境に日本人町は衰退し華僑の人が多く移り住んだ。その為、建築や町並みは中国南部の色が濃く、独特な雰囲気を醸し出している。
この町の中でもひときわ多くの観光客がにぎわっている場所が来遠橋、通称日本橋である。この橋は日本人によって作られたと考えられており、ベトナムの2万ドン札にも印刷されている。橋の両側には猿と犬の像が鎮座している。これは申年に造りはじめ、戌年に造り終えたからだと言われている。この猿犬が実に奇妙な顔をしていて、なんだか愛くるしいのである。




この町の建物の多くは木造建築物で、間口が狭く奥に長い作りとなっている。
情緒溢れる木造建築、そして内部の彫刻に思わず見とれてしまう…




ここでは数カ所でこのように内部見学ができるのでとても楽しい。

少し歩いて行くと福建会舘と呼ばれる集会所がある。ここは華僑の人々の集会場で、現在も活用されている。会館内には大きな渦巻き線香がいくつもぶら下がり、お願いが書いてある紙と一緒に吊るされている。


多くの人がここを訪れて願掛けをしてくのだとか。
日本にも絵馬というものがあるように、願う心は万国共通なのかもしれない。

その後も小一時間散策し、岐路に着いた。
ホイアンは一度でも楽しいけれど、二度行くべき町だと一人ごちてしまう程ホイアンの町は魅力的であった。夜と昼の顔を持った町ほど楽しい町などない。
お土産屋さんも多く立ち並び、カフェも多いので遺跡ばかりじゃ…という方もここに立ち寄ってお店めぐりをするのもいいだろう。
ダナンのホテルで眠りにつく時、また遠くない未来に私はホイアンに来るだろうな、と朧げにそう思った。

7日目
生憎の雨。本日はダナンのホテルを見学させていただいた。
行く先々のホテルスタッフが「ここから見える景色は本当はもっといいのに残念ね」と言っていたが、雨であっても海を見下ろすように建っているホテルや、目の前がプールに海!となっているホテルの数々ロケーションの悪さを十分にカバーする室内であったり、スタッフのおもてなしであった。
せっかく東南アジアという地域をセレクトしたのだったら、少しグレードアップしてちょっとした贅沢をしてもいいな、いやすべきだと思った。いくら少々値が張るとはいえども日本で同じようなグレードのホテルに泊まることを考えたら安い。そして最高のロケーション。ダナンリゾートはそんな願いを叶えてくれる素敵な場所だ。
ホテル見学を終え、少し時間があったのでダナン大聖堂に行った。ちょうどミサの時間だったので、内部も見る事ができた。私の海外に行く時の大きな楽しみは宗教関連の場所を訪れることなので、今回はハノイに次いでダナンのミサも見る事ができ本当に満足した。




仏教徒が7割近くを占めるベトナムであるが、フランス統治時代の影響もあってか教会も多く見かける。当たり前だがベトナムはタイやカンボジア、ラオスなどともまた違っていて東南アジアひとくくりにはできないなとしみじみ思った。
その後食事を済まし、ダナン夜発のフライトで南ベトナムである最後の目的地ホーチミンへ到着した。また一段と暖かくなって、いよいよ南にきたと思った。

8日目
ホーチミンはやっぱり暑い。朝から今までの土地とは違う暑さを感じた。
今日はクチ地下トンネルとメコン川クルーズ観光!
今までベトナムには訪れたことはなかったが、ベトナムと言えばアオザイとベトナム戦争のイメージが強くあり、ベトナム戦争関連の観光地等にいつか行きたいと思っていたので、今回クチ地下トンネルを観光できると聞いてとても楽しみにしていた。
ホーチミン市内から約2時間でクチ地下トンネルに到着する。日曜日ということもあってか観光客は多かった。
漠然としたイメージはあったものの、実際訪れてみるとその造りや発想すべてに驚く。元々肥沃な土地であったクチで生活する人々のほとんどは農民であり、武器とは無関係な世界に住んでいる人であった。最新鋭の武器や爆弾を使用して攻撃してくるアメリカに立ち向かうにはあまりにも差があったはずだが、アメリカが落とした爆弾を再利用して武器を作ったり、鎌(これが本当にただの鎌!)で250kmに及ぶ地下トンネル、そして生活空間を作り見事にアメリカ軍に勝利した。トンネルには多くの仕掛けや工夫がしてあって、見ていて飽きがこなかった。ベトナム人の結束力や忍耐力、そして絶対に負けないという信念をひしひしと感じた。




トンネル内はとても狭く、小柄なベトナム人でなければかなりキツい。

クチ地下トンネルの観光を終え、近くのレストラン(皇太子も訪れた)で食事を済ました。名物であるエレファントフィッシュは見た目とは裏腹にとても美味しかった。
<img0889.jpg>
レストラン周辺には池が作られており、そこに咲いた蓮の花がとてもきれいだった。
蓮の花にカメラを向けていると、「素敵なアオザイを着ているけどいったいどこで買ったんだ?」と興味深々なベトナム人達がやってきて、半ば無理やり素敵な蓮池をバックに撮影会が始まった。


ベトナムの国花である蓮の花。


せっかくアオザイを買ったのでこちらにも写真を…

ちなみに帰国後、これから日本でも普通に着られるわ〜と意気揚々と話していた私であったが、「普通には無理だと思うけどいいんじゃない?」という一言で日本では確実に浮くということを知り次のベトナム旅行までお蔵入りとなった。

食事を終えて2時間程車で移動し、メコン川クルーズに到着した。
エンジンボートに乗って、中州にある島に渡った。決して便利と言えないこの土地では多くの植物や果物、動物を飼って生活を営んでいるようであった。
ニシキヘビを巻いてみたり、この島特製のヤシの木で作った工芸編等のお土産屋さんをのぞいてみたり、とても楽しく充実した時間となった。

ニシキヘビを巻いた感想としては、生ぬるいよりは冷たいぬめぬめした重ためのうねうね動く物体が体に巻きついてくる(しかもなかなか離れない)けど、可愛い。

そしていよいよメコン川クルーズ!ということで小さな手漕ぎボートに乗って、木々が生い茂る小さな川を進んで行く。この旅行では多くの場所でボートや船に乗ってきたが、その土地土地で違った景色が広がっていて、ここは熱帯特有の景色が広がっていた。この川が遠く離れた中国から流れてきているものだと思うと感慨深い気持ちになった。




メコン川クルーズを終え、ホーチミン市内に戻って夕食を終えた。

深夜のフライトで帰国すべく、空港に向かう。
ホーチミン市内から空港までは夜間であれば30分ちょっとで到着する。

北から南まで約1800km。南北横断の旅が終わる。
四季がある北の都市ハノイ、ベトナム中部に位置する歴史溢れる都市フエ、ホイアン、そして青く広い海がある都市ダナン。熱帯気候の南の都市ホーチミン。すべての都市に色があって、違う空気が漂っていた。
様々な表情を感じられた南北ベトナム旅。多くの世界遺産、やさしいベトナムの人々。色濃く残るベトナムが辿ってきた歴史-
私はベトナムという一つの国を、少しだけ知った。そしてベトナムという一つの国がとても好きになった。


(2016年1月 三田村彩萌)

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