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- かつての栄光の街・サンクトペテルブルグ・ビリニュス・リーガ・ミンスクを訪ねて
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エリア:
- ヨーロッパ>ベラルーシ>ミンスク
- ヨーロッパ>リトアニア>ビリニュス
- ヨーロッパ>ロシア>サンクトペテルブルグ
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/10/25 14:39

ペテルゴーフ宮殿の噴水
かつてはロシアの首都・サンクトペテルブルグ、かつてはリトアニア大公国の首都・ビリニュス、かつてはロシア第三の都市・リーガ、そしてかつてはメネスクの名でバルト海と黒海を結ぶ貿易の中心地・ミンスクを訪問した。
イスタンブール経由で最初の訪問地サンクトペテルブルグに夕方到着。明日からはガイドさん付の観光はあるものの、少しでも街を見ておこうと気がはやる。やはり何と言ってもエルミタージュ美術館の姿だけでも見ておきたいと寒い中、街に出た。それは広いスペースの宮殿広場を真正面に、左にエルミタージュ美術館、右に旧参謀本部、何かこみ上げてくる充実感。ここはこの街の中心、観光の出発点だ。

広々とした宮殿広場とエルミタージュ美術館

宮殿広場と旧参謀本部

宮殿広場にいる記念撮影のためのモデルさん(1ショット5ドルでした)
入館は明後日にして、宮殿橋を渡ると、この街が港街であること、昔は沼沢地であったことが偲ばれる。元に戻ってネフスキー大通りを散歩すると、街の両側には由緒ある建物がこれでもかと並んでいる。ビックリするほど人も多く圧倒されそうだ。ここが本当にロシアなのだろうか。まるでパリかロンドンのようである。

ネフスキー大通りの夜景
最初の晩は有名なレストラン「文芸カフェ」で名物「ボルシチ」と「ビーフストロガノフ」を楽しんだ。もちろん本場の料理の味は最高。

ロシア料理・ボルシチ

ロシア料理・ビーフストロガノフ
2日目の午前中は市内から約1時間の所にある、有名な「エカテリーナ宮殿」を観光。
1724年にピョートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建てられたこの青い塗装のロシア・バッロク様式の宮殿は豪華そのもの。建物内部の大広間、琥珀の間、絵画の間、緑の食堂、青の客間等とその贅沢さにため息がでる。公園も宮殿に劣らぬ美しさ。浴場や小宮殿、橋やモニュメント、彫刻が点在している。

エカテリーナ宮殿の外観

エカテリーナ宮殿の内部

エカテリーナ宮殿の公園

浴場
午後は、噴水と庭園と宮殿のアンサンブルのペテルゴーフ宮殿を訪れる。やはりここもピョートル大帝によって1714年に建設が開始された。大宮殿の中は残念ながら撮影禁止だがその内部はエカテリーナ宮殿にも負けない豪華さ。ここの噴水は私がこれまで見た中で最も美しい。やっと晴れた青空に映えて、黄金の輝きの水を噴き上げている。大滝だけでも37の銅像、64の噴水、142の噴出し口がある壮大なスケールだ。

ペテルゴーフ宮殿と大滝

ペテルゴーフ噴水

ペテルゴーフ噴水の銅像

ペテルゴーフ噴水の運河が海に向かって続いている
3日目はサンクトペテルブルグの街歩き。かつての帝政ロシアの首都であったサンクトペテルブルグには数え切れないほどの宮殿・教会がある。どこを歩いても他の町では名所となるものばかりなので焦点を絞って回りたい。先ずは町全体が見渡せるイサク聖堂の展望台に登って町全体を見渡すことにした。建物も40年もかけて建てられた世界でも有数の荘厳たる聖堂だ。

移動は地下鉄利用

地下鉄の切符も簡単に買えます

雨の中のイサク聖堂

豪華なイサク聖堂の内部

見事なステンドグラス

イサク聖堂の展望台からの遠景

イサク聖堂の展望台からの眺め

展望台までは階段を登らければなりません
次にメインストリートのネフスキー大通りを歩いて、両側にある由緒ある建築群を見ながらウインドーショッピングやピープルウオッチング。仕上げは通りから少し北に入った所にある純ロシア風教会の「血の上の救世主教会」を訪れた。

ネフスキー大通り

血の上の救世主教会

きらびやかな血の上の救世主教会の内部
本日のメーンイベントは世界屈指の美術館の一つであるエルミタージュ美術館。サンクトペテルブルグを訪れる人は必ず行くと言っていい。収蔵美術品は約300万点。展示室を歩いて回ると20キロメートル以上に及ぶ。エルミタージュの意味は「隠れ家」だが、当時のエカテリーナ2世がこっそり自分自身のために楽しんでいた館が、今では壮大な美術館に変身した。建物は4つに分かれているが、それぞれ廊下で繋がっているので見学するときは気づかず歩いている。先ずは宮殿装飾そのものに圧倒され、イタリア、フランドル、オランダ、スペイン美術と名作が揃っている。

エルミタージュ美術館の内部

豪華な宮殿装飾

レンブラントの名作「ダナエ」
最近の人気エリアは近代美術が展示されている旧参謀本部新館だ。モネ、セザンヌ、ゴーギャン、マテイス、ピカソ、ゴッホ、ルノワール、アンリ・ルソーが一挙に見られる必見の館である。

モダンな新館(旧参謀本部内)

ルノワール「扇子を持つ女」

マティス「ダンス」

チャールズ・ホフバウアー「In London 1907」

セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」

エドガー・ドガ

ゴーギャン「果実を持つ女」

ピカソ 「Dance with Veils」
サンクトペテルブルグを去る前に、ロシア美人を紹介。

美人揃いのガイドさんたち

レストラン・カチューシャの可愛いメイドさんたち
4日目は早朝2時半にホテルを出発して、飛行機にてリトアニアのビリニュスへ向かう。
世界遺産のビリニュスの旧市街を回るには、先ずは町の全貌が見渡せる北の端にあるゲディミナス城の登ってみるのが定番のようである。石畳の回り階段を登りきると、カトリック特有の柔和なバロック建築の多い和やかな町が一面に見えてくる。

ゲディミナス城の塔

ビリニュスの街の眺め

ビリニュスの街の眺め
反対側は新市街だがこちらも整然としてきれいな町だ。

新市街の遠景
この旧市街の景色を頼りに下に降りていくと、見事な大聖堂、王宮、カテドゥロス広場がある。

カテドゥロス広場と大聖堂とベルタワー

王宮
さらに南に下ると有名なビリニュス大学が見える。中も見学可能だ。

ビリニュス大学と聖ヨハネ教会

ビルニュス大学構内
道を左に折れると、かのナポレオンが自分の国に持ち帰りたいと言ったゴシック造りの聖アンナ教会にぶつかる。

聖アンナ教会

聖アンナ教会

城から見える聖アンナ教会の遠景
通りに戻り、さらに南下すると町に中心の旧市庁舎と市庁舎広場にあたり多くの人で賑わっている。

市庁舎広場

市庁舎

市庁舎広場に集う市民の皆さん

聖カジミエル教会の前での結婚記念撮影
さらに行くと旧市街の南端「夜明けの門」に突き当たる。歩いて回るのに丁度いい広さの町だ。

夜明けの門

街のいたる所で結婚式(今日はおめでたい日かも)
5日目は専用車でカウナスの街にある「杉原記念館」を訪れる。ビザを発行して多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝の実際の職務室や写真を見ると、尊敬の念と感謝の気持ちが沸き起こってくる。日本人の誇りである。

杉原記念館

杉原記念館

杉原ご家族

通過査証
午後はシャウレイの街の北東約12キロメートルにある、「十字架の丘」を訪れる。それは遠くからみるとまるで小山のように見える。大小無数の十字架が建ち並び、積み重ねられて丘を形成している。神聖さと荘厳さを感じさせる異空間だ。

十字架の丘

十字架の丘

十字架の丘
6日目はラトビアの首都リーガの旧市街巡り。リーガはバルト3国の中での最大の都市。世界遺産の旧市街は見所満載だ。先ずは聖ペテロ教会の123mの塔(展望台は72m)に登り、町全体を見渡してみる。9ユーロの入場料はいささか高いと思ったが、元は十分は取れた。数多くの教会、ハンザ商人の商家、市庁舎など所狭しと並んでいる。新市街とのバランスもいい町だ。

聖ペテロ教会

リーガの街の遠景

リーガの街の遠景

リーガの町並み
次にリーガを代表する建築・ブラックヘッドの会館へ。大時計や数々の彫像、レリーフが美しい。

ブラックヘッドの会館

ブラックヘッドの会館

市庁舎
市庁舎の脇を抜けて行くと、街の中心・ドゥァマ広場には沢山の人が溢れており、その前にバルト3国最古の教会「リーガ大聖堂」がでんと構えている。高さ90mの塔を持つ教会はその威厳を今も放っている。

リーガ大聖堂とドゥァマ広場

リーガ大聖堂のライトアップ
三人兄弟の家や趣のあるトゥルァクシュニュ通りには城壁が残り火薬塔へと続いている。

城壁

トゥルァクシュニュ通り

火薬塔

三人兄弟の家
リーヴ広場の北側の建物の屋根の上に伸びをする猫が見えるのが通称「猫の家」だ。今も悪いねずみを屋根の上から見張っているかのようだ。

猫の家

「猫の家」の屋根の上の猫

リーヴ広場
屋根の上ばかり見ていたら、いくつもの風見鶏を見つけることができた。

屋根の上の風見鶏

屋根の上の風見鶏

屋根の上の風見鶏

屋根の上の風見鶏

旧市街と新市街の境界にある自由記念碑塔

ビルセータス運河の公園
7日目はベラルーシのミンスクへ。この日は近郊の2つの世界遺産、ミール城とニャースヴィシュ宮殿を訪問。ミール城は16世紀前半に、地元の有力者ユーリ・イリイーニチによって築かれた中世の城である。緑豊かな公園と湖に囲まれ、のどかな景色とレンガ色の城が調和した人気スポットだ。2,000年には世界遺産に登録された。5つの塔はそれぞれ異なったデザインで建てられているが形状はほぼ同じ。可愛いゴシック様式の城だ。

ミール城

ミール城

ミール城内

ミール城内部

湖とミール城

ガイドのユリヤさん
ミンスクから南西約90キロメートルにあるニャースヴィシュ宮殿は2005年に世界遺産に登録された。16世紀にリトアニア大公国の最高実力者ラジヴィル家の富と名声を誇示するために建設が始まった。以降1939年にソ連の侵攻によって追放されるまで改築が繰り返された。今は博物館となり、当時の豪奢な内部を回覧できる。この宮殿(城)の立地環境は実に見事だ。ゲートから700〜800m続く道は両側の池に囲まれ、訪れる宮殿に対する期待を膨らませる。その池はまるで魔法のように空の雲を池面に映しだし、絵画そのものだ。城も堀に囲まれ、美しい姿を際立たせている。

ゲート

逆さ絵の池

こんなきれいな池に囲まれている

ニャースヴィシュ宮殿

ニャースヴィシュ宮殿

ニャースヴィシュ宮殿

ニャースヴィシュ宮殿

ニャースヴィシュ宮殿

ニャースヴィシュ宮殿

ニャースヴィシュ宮殿内

ニャースヴィシュ宮殿内部

ニャースヴィシュ宮殿内部

ニャースヴィシュ宮殿と私
最終日はミンスクの街の観光。ベラルーシ共和国の首都・ミンスクは第2次世界大戦によって破壊されたが、旧ソ連風の町並みにすっかり復興された。印象はやはり機能的なクールな整然とした感じを受ける。10月広場や勝利広場はその代表といえる。

ミンスクの町並み

10月広場

勝利広場
一方で、レーニン通りにあるフリーダムスクウエア(通称、歴史センター)はヨーロッパ的な雰囲気が味わえる地区だ。旧シテイホール、聖霊大聖堂を中心にレストランやパブなど大いに観光客で賑わっている。

フリーダムスクウエア

旧シテイホール

聖霊大聖堂

象徴の市長像は大人気(触ると願いが叶うと言われている)

ガイドのダーシャさん

私も真似をして
近くのトラエツカヤ旧市街区も戦前の家々を復元した一画だ。石畳の小道でつながれ、民芸品や薬局など点在し、散歩に最適だ。スヴィスラテ川の中程にはアフガニスタン出兵慰霊碑「涙島」もある。

トラエツカヤ旧市街地区

トラエツカヤ旧市街地区

トラエツカヤ旧市街地区

涙島

3日間お世話になった親切なドライバー「ニコラ」さん
冒頭のコピーでかつての街などと、4つの街を過去の街のような表現をしてしまったが、大きな間違いだった。美しい町並み、歴史を感じさせる町並み、中世ヨーロッパを思い起させる建物群、教会、大聖堂、美術館等、それでいてそれぞれの街に特徴がある。再訪する時があったら選ぶのに苦労するに違いない。
2016年9月20日〜29日
本山 泰久
おすすめポイント
*サンクトペテルブルグ ★★★★★ エルミタージュ美術館、聖堂、教会、美味しい料 理。言うこと無しの街。
*ビリニュス ★★★★ カトリック特有の柔和なバロック建築の多い和やかな街
*リーガ ★★★★★ 活気溢れる新旧入り混じった歴史の街
*ミンスク ★★★★★ ヨーロッパとロシアの中間の匂いがする不思議な街

- アメリカよりも自由な国? 風車、チューリップ、チーズ ぜーんぶ楽しむ夏のオランダ!
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エリア:
- ヨーロッパ>オランダ>キューケンホフ公園
- ヨーロッパ>オランダ>キンデルダイク
- ヨーロッパ>オランダ>オランダその他の都市
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 グルメ
- 投稿日:2016/08/02 10:39


4年前の春、大学の卒業旅行という名目でドイツ、スイス、オランダ、ベルギーを周遊した。そして今回、これらと全く同じ4か国に再度訪れてみることにした。
今回の旅行を通し、4年前と今で180度印象が変わった国、それはオランダだった。
4年前。観光ではなく友人と会うためにオランダを訪れたため、田舎の町だけでアムステルダムには行く予定をしていなかった。しかし、現地に到着してから友人の予定が変更になってしまい、急遽アムステルダムに1泊することになった。下調べゼロの状態でとりあえずアムステルダムに到着し、前日に友人に予約してもらったホテルへ向かう。ホテルを探している間に迷い込んだ所は、下着姿の女性達が窓際に座って手を振っている赤線地帯。その後ようやく見つけたホテルの周りでは、若者たちがたまってマリファナを吸っている。そう、オランダでは売春も大麻も全部合法。そんなことを知らず、まだ海外旅行にも慣れていなかった私にとって、そこはとても「怖い」場所だった。
しかし、今回の訪問で、「怖い国」というレッテルはみるみるうちに剥がされていくこととなった。
○ロッテルダム
今回旅の起点としたのは、オランダ第二の都市ロッテルダム。(上記の苦い思い出があったため、アムステルダムには最後の1泊しかしなかった。笑)
アムステルダムは、運河沿いに三角屋根のお家が建ち並び、皆がイメージする「オランダの街並み」が広がっている。そのイメージを求めてロッテルダムを訪れると、がっかりしてしまうことになる。ロッテルダムには、風車も三角屋根の可愛いお家も一切ない。第二次世界大戦で、ナチスによるドイツ軍の爆撃によって、街のほとんどを焼失してしまったため。そこから、どんどん新しい建物が建てられ、今やアムステルダムとは正反対な近代都市が出来上がってきている。といっても、普通の高層ビルが建ち並ぶ都会ではない。ユニークな建築がたくさんあり、中央駅の近くをぶらぶらと散策しているだけで、面白い建物をいくつも目にすることができる。
中でも一番有名なのが、このキューブハウス。

ここには実際に住んでいる人がいる。その中の一室が公開されており、内部を有料で見学することができる。1個のキューブの中は3階にフロアが分かれている。

てっぺん部分

キッチン
ほーー、こうなってるのかーと感心しつつも、階段を上って部屋を見学していると、少し酔ってしまいそうだった。
キューブハウスの後ろには、鉛筆形のマンションがそびえ立つ。


辺りをぐるっと見渡してみると、面白い形をした建物ばかり!


日本人として地震が心配になってしまう

”De Gasfabriek”(ガス工場)と呼ばれる図書館

かまぼこ形のマーケットホール
このかまぼこのような形をしたマーケットホールは、馬の蹄をイメージして作られているそう。中にはたくさんのレストランと、チーズやフルーツ、野菜、スイーツとなんでも売っているマーケットがある。先程の鉛筆形の建物もそうだが、ここも人が住むマンションになっている。

たくさんのマーケットが並ぶ

チーズショップ

焼き鳥屋さんまである!

内部の壁一面にはきれいな絵が描かれている。
マーケットの両サイドにはイタリア、スペイン、ギリシャ、インド等世界各国のレストランがずらっと並んでいる。決めきれない程美味しそうなレストランばかりで、歩いているだけでもおなかいっぱいになってしまいそう。
建築が好きな人はもちろん、興味のない人でも歩いているだけでわくわくしてしまう街、ロッテルダム。数年後にはどんなビルが建っているのか、また訪れてみたい。
○キンデルダイク
ロッテルダムから、最初に訪れたのがキンデルダイク。オランダで最もたくさんの風車が建ち並び、世界遺産にも登録されている場所。ロッテルダムからは、列車とバスを乗り継いで行った。キンデルダイクに到着し、後ろのドアからバスを降りようとすると、運転手さんに「お姉さん!」と呼び止められた。あれ、お金払ったよなあ、、と思いつつ運転手さんの所まで行くと、わざわざ帰りのバス乗り場、時間などを丁寧に教えてくれた。これまでヨーロッパを旅して、こちらから聞く前にバスの運転手さんが呼び止めてまで帰りのバスの乗り方を教えてくれたのは初めての経験。これまでも、道を聞けば皆英語で親切に教えてくれ、オランダは本当に親切な人が多い。4年前は怖い国だったはずなのに、怖い人はどこにもいない。
バスを降りると、目の前には大きな風車がずらっと並んでいる。その光景は圧巻。

管理のために、風車に住んでいる人もいる。よーく見ると、洗濯物が干してある風車も。また、並ぶ風車のうち2基は風車の博物館になっていて、内部を見学することもできる。

博物館
ひたすら長い1本道が続くので、ここではレンタサイクルがおすすめ。
7・8月の土曜日には、この風車が一斉に回される。
これだけの風車が見られるのは世界でもここだけ。オランダを訪れたからには絶対に訪れるべき場所。
○キューケンホフ公園
この時期にオランダを選んだ理由の一つが、このキューケンホフ公園。3月末〜5月中旬の約2カ月間だけオープンしている貴重な公園。オランダにはたくさんチューリップ畑があるが、球根を育てるために花が咲くとすぐに摘み取ってしまう。そのため、綺麗なお花の絨毯が見られる時期は本当に限られている。そこで、この2ヶ月間ならいつでもどうぞ!と、このキューケンホフ公園が用意されている。たくさんの種類の花があるため、この期間中ならいつ行っても綺麗な満開の花を見ることができる。

桜の木も!!
公園内の風車近くから開催されているボートトリップでは、隣の畑で一面に咲いたチューリップをボートに乗りながら見ることができる。私が行った時はまだ少し早かったので、一部しか咲いていなかったが、タイミングが良ければ一面のカラフルなお花の絨毯を楽しめるのだ。

この風車からボートツアーが催行されている

ここが一面花の絨毯になる
○アルクマールのチーズ市

次に訪れたのはアルクマール。アルクマールでは、4月初旬〜9月初旬の毎週金曜日の朝10時から12時半まで、チーズ市が開催される。このチーズ市は400年以上前から続く、世界最古で最大のチーズ市と言われている。チーズが大好きな私は、ここまで来たからには見てみたい!と曜日と時間をあわせ、今年第一回目のアルクマールチーズ市を訪れることができた。
チーズ市が開催されるのはこの計量所。

駅からは、「チーズ市はこっち!」という分かりやすい道しるべが置いてあり、迷うことはない。

チーズ市までの道しるべ
ここでは、まずチーズマイスターがテイスティングをし、広場の各所で取引が行われる。バイヤーと交渉人がお互いの手を叩き握手し合い、値段交渉成立。値段交渉成立後、オーダーを受けた二人で一組の運び人が、一個10キロ以上のチーズを何個も積み、軽々と計量所へ運んでいく。





一個10キロとは思えない軽々しさ、そして皆楽しそう。
そして、それを天秤のような独特な量りで重さを測る。

計量所の内部

どんどんチーズが運び込まれてくる

重りで調節

みんなで歌い出す
計量所の周りにはたくさんの屋台が並んでいて、ここを見るのも楽しい。


アルクマールは、街自体がとても可愛いので、チーズ市の見学が終わった後、街を散策してみるのも面白い。




オランダでの旅を終え、「オランダ=怖い」と思い込んでいたかつての自分が恥ずかしくなった。
売春や大麻、安楽死が合法で、同性愛もいち早く認めた国、オランダ。自由すぎじゃない?と思うほど、解放された国。そんな国に住むオランダ人は本当に心がオープンで、親切な人が多かった。オランダ語は英語と近いためか、ほとんどの人が英語を話せ、言葉が通じなくて不便を感じることが一切無かった。そのうえ(?)、Wifiもオープン!旅行をしていると、Wifiは結構重要。オランダではカフェではもちろん、駅や電車内、街の広場、など至る所でパスワード要らずで使うことができ、とても助かった。
江戸時代から、日本は鎖国中も交易をしていた唯一の国。
コロッケ、ポン酢、ビール、ハム、コーヒー、シロップ・・・など、何気なく普段使っている言葉もオランダ由来。

コロッケの元祖「クロケット」。オランダではパンに挟んで食べる
最近日本はオランダから「最恵国待遇」という特権が与えられたそう。オランダがこの特権を与えるのは、世界で日本とスイスだけ。日本人はオランダで労働許可なしで働ける。
(※今後変更の可能性有)
改めて見てみると、意外と日本と仲の良い国、オランダ。
日本にとってとても大切な国。あなたも一度、訪れてみてはいかがでしょうか。
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今回は、カタール航空さんからのプレゼントで、素敵な旅をさせて頂きました。
カタール航空は個人的に一番好きな航空会社。エコノミーでも機内食は美味しく、エンターテイメントも豊富でサービスも◎。ビジネスクラスは断トツ1番。(※あくまでも個人的な意見です。)
関西在住の私として、カタール航空が大阪から撤退してしまったのはかなりショックなニュースでした。それでも、東京を経由して、また利用したいと思います。
カタール航空さん、本当にありがとうございました。
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<おすすめポイント>
・キンデルダイク ★★★★★
広大な土地に大きな風車が建ち並ぶ景色を見られるのは世界でもここだけ!レンタサイクルがお勧め。
・キューケンホフ ★★★★★
時期が限られているが、春〜夏に訪れる際には是非訪れてみて欲しい。スキポール空港から直通のバスもある。
・アルクマール ★★★★
伝統的なオランダでのチーズのマーケットを生で見ることができ、またアルクマールの街自体もとても綺麗。
(2016年4月 池田郁依)

- モンゴル帝国の逆襲 心身ともに癒される7泊8日間
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エリア:
- アジア>モンゴル>ウランバートル
- アジア>モンゴル>南ゴビ
- アジア>モンゴル>カラコルム
- テーマ:観光地 世界遺産 自然・植物
- 投稿日:2016/07/15 14:53

THEモンゴル

こんなに緑が生い茂っているなんて。
こんなに地平線が長いなんて。
こんなに動物がいるなんて。
どれをとってもスケールが違いすぎる・・・・。
今回はモンゴルに出張に行かせて頂きました。
まずモンゴルは食事がまずいという訳ではないが、お国柄、典型的な肉と乳製品が中心で野菜が少なく偏った食事の為、嫌気がさすとの事を聞いていました。ガイドの配慮のおかげなのか結果としてそこまでひどいと思うことはなく過ごすことができました。
ただ本当の肉好きにはこれ以上ない国かと思います。何の肉でもありました。

羊肉のバケツ
そしてモンゴル人との感覚の違いに驚かされたのは距離感です。
国土が日本の4倍近くあるので、ちょっと100Kmを車でお買い物なんてことは、日常的にあるそうです。ただ走る道が何もない地平線なので、あっという間だから気にしないのかもしれません。やはり車がなければ何もできないそうです。

ひたすら続く道路
〜ウランバートル〜
成田からたったの5時間ほどの直行便MIATモンゴル航空に乗って、ウランバートルのチンギスハーン空港に到着。思っていたよりも少し肌寒かったです。

21時ごろのチンギスハーン空港
モンゴルでは夏は22時頃まで日が出ているとの事。体内時計が狂わないかとても心配でした。ただなぜか1日が長いような錯覚になり、個人的にとても羨ましい限りでした。
またモンゴルと言えば大平原に多くの動物、そしてゲルといったイメージが強いですが、首都ウランバートルは想像していたよりも何倍も都会でした。高層ビルや多国籍なレストラン、ブランドのショップが立ち並び、人口の半数以上が集中しているそうです。

ウランバートル市内
しかしながら、人口自体は家畜の数より少ないそうです。




これらを見たときは度胆を抜かれました。
〜ブルド&カラコルム〜
ブルドまではウランバートルから車で4時間ほどしたら着きます。
市内を出て10分後から、THEモンゴルの旅行が始まりました。
必ずウランバートルを出る前にお手洗いは済ましておいた方が良いです。道中は何もありません。ただただ草原が一面に広がっているのみです。そこで見る者は空と草原と家畜ぐらいでした。
リアルなモンゴルを堪能したい方はウランバートルから離れることをおすすめします。

ガイドとドライバーと車と自然
市街地から外れるにつれ、徐々に違和感が襲ってきました。
後々、心地よくなってきたのを今でも強く覚えています。ただ少し時間を要しました。

モンゴルが社会主義から民主主義に移り変わると共に、急速に近代化の波が押し寄せ、今では遊牧民でも携帯電話、テレビ、車やバイクを持つ時代です。少しがっかりした反面、面白くも思えました。

遊牧民のバイク試乗
移動式住居で転々とし、家畜を育て生活する根本的な生活スタイルは変わっていません。

もちろん家畜を追い込むときには馬に乗ります。

逃げた羊の追い込み

奥さんも頼りになります。
乗馬は初体験でしたが、楽しくて走り回れたらなんてことを想像しながら手綱を遊牧民に引いてもらっていると、30分程で不幸な事に雷雨。乗馬は馬のコンディション次第で、危険だと判断するとできなくなってしまいます。雷雨なんかは馬が驚くことがあるので、即終了でした。残念。

乗馬初体験

ブルドから更に1時間30分程の距離にあるカラコルムはその昔、モンゴル帝国の都が築かれた場所です。またオルホン渓谷の文化的景観は世界遺産に登録されているだけあって、言葉を失いました。

オルホン川とその景観
その一部のエルニデ・ゾー寺院は過去に訪れたどの寺院よりも漂う空気に徳を感じました。

ゴルバンゾー

ラプラン寺

亀石
ウランバートルに戻る道中に立ち寄ったホスタイ国立公園。
最後の野生馬タヒ(ホスタイノウマ)を見られる世界でも数少ない場所で広さはとても広大で手つかずの自然が残っており、タヒ以外にも鹿や狼、タルバガン、ガゼルなどの哺乳類やチョウゲンボウやヒゲワシ、イヌワシ、ハヤブサなど世界的にも数が激減して動物が観察できます。
モンゴル特有の大自然と珍しい動物を見ることができるのでとてもおすすめです。

ホスタイ国立公園の入り口

雨の中5キロくらい歩いて見つけたタヒ


特にタヒはめったに見ることができないので発見できれば幸運かも!?
ウランバートルで一息ついたら南ゴビへ
〜南ゴビ〜
ウランバートルから飛行機で約1時間30分、南ゴビに到着。
現在、国内線はフンヌエアーとアエロモンゴリア航空の2社のみで、以前までは4社ありましたが道路の舗装が進むにつれて国内線を利用する人が少なくなった為、潰れてしまいました。

南ゴビ空港

アエロモンゴルリア航空
気候は日中が凄まじく暑く、帽子とサングラス、日焼け止めは必須です。
カラカラの大地が永延と続くその光景は【無】という言葉が真っ先に思い浮かんだほど何もありません。まるで西部劇の舞台のような場所です。

カラカラの大地
南ゴビはブルドよりもさらに時間の進みが遅く感じました。

南ゴビのゲルは上のでっぱりが特徴
また星空は周りに光がほぼ無い為、かつて見たことないほど澄み渡り、
360度見渡すことができました。心身ともに浄化するにはもってこいの場所です。

南ゴビの星空 ※実際には空に無数の星が輝いていました。
南ゴビの大きな名所は3つ
1つは砂漠、もう1つは鷹の谷と呼ばれるヨーリン・アム、最後にバイヤンザグ
砂丘は2つあり今回はモルツゥグ砂丘に行き、ラクダの背中にライドオン。

ラクダは食事に夢中

背中は毛がボーボー

モルツゥグ砂丘
ヨーリン・アムは渓谷を歩いて行くと、辺り一面の花畑が広がり、

渓谷の道

綺麗な花がお出迎え
さらに奥では冬の氷がまだ解けきっていない道があり、草原とは異なった自然を体感することができました。

解けきっていない氷の道
最後は一番のおすすめ、バヤンザグ。

バヤンザグ一望
ここはティラノサウルス等の化石が発掘されたことで世界的に有名で、完全に発掘はしておらず大小問わなければ比較的に簡単に化石を発見できそうです。

化石発掘中
ドライバーさんは本業が何かわからないくらい、化石を見つけるのがうまくて指導してくれました。化石か否かの判別は舌で舐めて、落ちなければ化石だそうです。

何かの化石

化石発見
童心をくすぐる体験に大満足でした。残念なのは化石はお持ち帰りができない事。
発見することに夢中になれればそれでよしと、自分に言い聞かせてバヤンザグを後にしました。
最終日はウランバートルに舞い戻り市内観光の予定がモンゴルの国内線は遅れることが多く、ウランバートルに着いた頃には名所は閉館していました。ガンダン寺やボグドハン宮殿には行けなかったのは大変後悔が残りましたが、それ以外が衝撃的だったので、そこまで気が落ちることもありませんでした。

立派な角を持つヤギ

FSCがモルツゥグ砂丘

モンゴルの星空

THE ゲル
【おすすめ度】
・草原★★★★★・・・見なければ、モンゴルに行ったとは言いません。
・エルデニゾー★★★★★・・・ここまで美しい寺院は初めて。周辺の景観を含めて堪能して頂きたい。
・ホスタイ国立公園★★★★★・・・ダヒが見れたらラッキーです。
・バヤンザグ★★★★★・・・大自然の驚異。化石発掘という冒険心をくすぐる
・鷹の谷 ヨーリン・アム★★★★・・・まるで天国のような雰囲気。
・モルツゥグ砂丘★★★★・・・ラクダに乗れば、楽しさ倍増です。
2016年7月 小澤 駿
【歴史あるボグドハン宮殿博物館】
仏の化身として世を救う為、生まれ変わり続けるとされる活仏の8代目ジェプッツンダンバ・ホクトク、別名ボクトハンが晩年を過ごしたボクトハン宮殿。現在ではチベット仏教に関する数多くの書物や美術品が集められており、モンゴル人だけでなく多くの観光客が訪れる博物館として姿を変えました。内部のラブリン寺にはモンゴル初代活仏のザナバザルによって描かれた“21ターラー菩薩”が展示され見る者を魅了して止みません。
【最後の野生馬タヒを見るならホスタイ国立公園】
ウランバートルから車で2時間程の距離に位置し、最後の野生馬タヒ(ホスタイノウマ)を見られる世界でも数少ない場所、ホスタイ国立公園。広さはとても広大で手つかずの自然が残っており、タヒ以外にも鹿や狼、タルバガン、ガゼルなどの哺乳類やチョウゲンボウやヒゲワシ、イヌワシ、ハヤブサなど世界的にも数が激減して動物が観察できます。
モンゴル特有の大自然と珍しい動物を見ることができるのでおすすめです。
特にタヒはめったに見ることができないので発見できれば幸運かも!?
【モンゴルチベット仏教の象徴】
ウランバートル市内の中心地に突如姿を現す、モンゴルのチベット仏教総本山であるガンダン・テクツェンリン寺。社会主義時代、ソ連による粛清の際に観音像は壊されましたが寺自体は残されました。民主化以降はチベット仏教復興の中心として、五体投地の熱心な信者の心の拠り所だけではなく、市民の憩いの場となっています。現在、寺院内には2代目の25M程の観音像があり、その神々しさは一度見たら忘れられません。

- 今年は日本・ブータン外交関係樹立30周年記念イヤー!キング・オブ・ブータンがブータンサッカー界に日本のキング・カズを招へいする?
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エリア:
- アジア>ブータン>パロ
- アジア>ブータン>プナカ
- アジア>ブータン>ブータンその他の都市
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 グルメ
- 投稿日:2016/06/23 16:11

一般家庭で夕食をごちそうになりお酒のフルコースで二日酔い
2011年11月、現国王である第5代国王(ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク=1980年生まれ)が即位後初の外遊先として選んだのが日本でした。とても美しく麗しい王妃とともに訪問され、日本でもブームになりました。そして、今年2月、国王ご夫妻に王子が誕生し、ブータンでは王子様ブームの真っただ中です。
まず、ブータンのことを簡単に紹介しておきましょう。
ブータンは、1971年に国連に加盟するまで長らく鎖国政策を続けていました。1974年に初めて外国人観光客の入国を認め、日本と外交関係を樹立したのが1986年。今年は節目の30周年です。1999年に初めて衛星放送の受信とテレビ放送を開始。同時にインターネット接続を許可。言語はゾンカ語。小学校から英語を学ぶブータン国民は流暢に英語を話します。他にもインドのヒンディー語を話せる人も多いです。とうがらしを多く使うのでとても辛い料理が多いです。しかし、海外からの旅行者には、辛さを控えめに、もしくは、使わないようにしてくれますので心配無用です。人口は約80万人。世界187か国中158位(出典: 2014年CIA - The World Factbook)。首都はティンプー。通貨はニュルタムで、1ニュルタム=約1.8円(2016年3月現在)。インドルピーと連動しています。インドとの経済的な強いつながりがわかります。物価の指標として、iPhone5s=52000ニュルタム=約¥94000、iPhone6=64000ニュルタム=約¥115200でプリペイ方式。国の産業は酪農業が主で、すべて自給自足と言いたいところですが、肉類はインドからの輸入に頼っています。他に産業らしい産業と言えば、自然を生かした水力発電です。電気の安定供給に不安のあるインドに電気を売って外貨を得ています。そして、ブータンの秘境的なイメージを前面に押し出した観光業が盛んです。私が訪問した時は、中国(香港含む)、台湾からの観光客が多かったように思いました。日本含めインドなどから、政府開発援助(ODA)を受け、さらなる発展を目指しています。
1971年に「開国後」ゆっくりとしたペースで着実に近代化政策を進め、1990年代末から先代国王(第4代=現国王の父)の強いリーダーシップの下、何と王制から議会制民主主義体制への移行準備を開始しました。その後、王位を継承した現国王(第5代)が一部国民の反対を押し切り、2008年ブータン初の総選挙が行われ、初めて国会が開かれました。国王が主導して作り上げた民主主義国家の誕生です。国民から絶大な信頼を得る頼もしい国王がいる国・ブータン。王制のままがよいと国王に直訴する国民がいる国・ブータン。国民の幸福が経済成長より重視される国・ブータン。実におもしろいです!
「ぶっかけご飯が大好きな私にはブータン料理は最高!」
ブータン料理の王道と言われるのが、干し肉を使った料理です。「パクシャパ」は豚肉、「ノウシャパ」は牛肉と唐辛子と野菜をチーズと一緒に煮込んだものです。唐辛子の量で辛さを簡単に調整できます。辛い物好きのブータン人はびっくりするくらいの唐辛子を入れて煮込みます。

これが本場の「パクシャパ」(ガイドさん用の料理)
辛さは別にして、肉の旨みが出てとてもよい味です。これをご飯に掛けて食べるととても美味い!毎回食べ過ぎの私でした。ただ、この肉はすべて輸入に頼っています。動物は殺してはいけないという仏教の教えからだそうです。川に魚はいますが、釣りは禁止です。つまり、食用の魚も輸入に頼っています。主にインドからの輸入です。

ブータンで食べる食事はほとんどビュッフェスタイル

国産ビールの「DRUK」

「DRUK PREMIUM」もある(値段は同じ)
辛い物好きのブータン人の料理に欠かせないものが、これまた辛い、「エマダツィ」。エマ=唐辛子とダツィ=チーズを混ぜ合わせて煮込んだもので、さらに辛みが欲しい時に料理に混ぜて味を調整します。エマダツィだけをご飯にのせて食べるのもブータン料理の定番です。外国人に対しては罰ゲームで使えるメニューです。チーズを好まない気分の時は、「エヅェ」=トウガラシを玉葱で炒めたものを同じ用途で使います。

作る人によって雰囲気が変わる「エマダツィ」

市場に積まれた「ぜんまい」

おいしそうなアスパラ

くだものも豊富
「モモ」=ブータン式蒸し餃子も美味いです。これはネパール料理としてお馴染みだと思います。私がブータンを訪れた3月は、ぜんまいの季節です。煮込んだぜんまいはとてもやわらかく箸休めに最適。他に、アスパラ、じゃがいも、キャベツ、大根、ナス、ニンジン、インゲン豆等々豊富な種類の野菜が食べられるのもうれしいです。市場にたくさん売っていました。
「これからのブータンは歯医者と眼医者が大忙し」
ブータンの年齢別人口分布は、0〜24歳が47%、25歳以上が53%です。(出典: 2014年CIA - The World Factbook)因みに、日本の年齢別人口分布は、0〜24歳が22%です。(出典:2014年総務省統計局発表)このデータから見てもわかるように、ブータンの近代化政策は今後、より一層活発化していくことでしょう。逆に言うと、国として急務の作業とも言えます。

かわいらしい小坊主さん

カメラを構えるまでは笑ってた

表情が硬い
滞在中、いろんな場所でブータンの子供たちと接触する機会がありました。基本的に内気でおとなしく、子供たちから積極的に話しかけてくることはありませんでした。カメラを向けるとそれまでの笑顔がなくなり、姿勢正しくきりりとした顔で撮影に応じてくれ、「スマ〜イル」って声を掛けてあげて、やっとリラックスしてくれます。
日本のとある団体が行った、子供が将来なりたい職業の調査結果(2015年)の情報を見つけました。男子の1位は「サッカー選手」。続いて、2位は「科学者」、3位は同率で「警察官」「お医者さん」という結果でした。また5位には「電車の運転手」「ゲームクリエイター」「マンガ家」が並んでいます。一方、女子の1位は「パティシエ」。次いで、2位「お医者さん」、3位「幼稚園・保育園の先生」。4位「デザイナー」、5位「スポーツ選手」と続いています。
ガイドさんに聞いてみましたが、ブータンの子供たちに共通の人気職業は特にはないそうです。産業が少ない国なので、無理もないことかなとは思います。近代化が進むブータンで、これからのブータンの発展を担う子供たちにどのような世界が提供されていくのでしょうか。
今回、私が宿泊した鶴の飛来で有名なポプジカのホテル「Gakiling Guest House」に今年3歳になる「リクザン」という名の女の子がいます。このホテルの若いオーナー夫婦のお子さんです。


リクザンちゃん3才
宿泊客がいるのでお母さんは忙しく働いています。この村の村長さんだというおじいちゃんと一緒に散歩に行ったり、ブランコで一人で遊んだりしている様子をずっと見ていましたが、大きな声で歌ったり、敷地内を走り回ったり、従業員の人たちと大きな声で何やら会話をしていたり、彼女がどこにいるのか、常にわかりました。リクザンは、いずれこのホテルのあとを継ぐことになるそうです。十数年後の彼女に是非会ってみたいです。
ガイドさんに聞いてみたところ、現在、女性のガイドさんは全体の5%くらいだそうです。先進国と言われる日本ですら「女性の活躍」が最近頻繁に取り沙汰されています。ブータンではどのように変わっていくのでしょうか。

折り鶴講習会(先生は私です!)
リクザンは、いま、虫歯ができて治療中なのだそうです。歯医者は遠い町にしかないそうで、行くのが嫌でしょうがないそうです。ブータンでは歯医者は少ないのです。それに眼医者や眼鏡屋さんも。近代化が進み、昔はブータンにはなかったチョコレートなど甘いお菓子が外国から輸入されるようになりました。パソコンや携帯、ポータブルゲームも普及し、近年、子供たちの視力に影響しはじめてきたそうです。今こそ、ブータンで開業すると間違いなく儲かる商売です。
「一般家庭で夕食をごちそうになる。お酒もたくさん飲む」
今回、ホームステイの宿泊はできませんでしたが、夕食をごちそうになる機会を2度持つことができました。海外旅行で一般家庭の雰囲気を味わえるのは貴重な体験だと思います。もしも、そのようなチャンスがあれば、是非、積極的に参加していただきたいと思います。
ブータンの家は、私の祖母の家によく似ていました。つまり、昔の日本の家屋、日本の田舎の家屋に似ていると思います。土間の台所があって、食事をとる板の間の食堂、その周りに寝室がある。そんな感じです。ブータンでは今も、床に座布団を敷いてテーブルを使わずに床を利用して食事をとります。食事にお箸を使うこともありますが、手で食べることも一般的だそうです。宗教上の制約ではなく、右手でも左手でもどちらを使ってもよいです。インドの習慣とは無関係だとのことです。

お酒のフルコース


こんな感じでお料理が出る(パロのホームステイ宿にて)
つい1か月間に赤ちゃんが生まれた、ペマさんと、カルマさんの家におじゃましました。ところで、ブータンの名前は、日本と同じように意味があります。ペマさんは「たくさんの花」。ブータンでは非常に多い名前です。カルマさんは「星」です。仏教用語のカルマとは違う言葉です。生まれて1か月の赤ちゃんは女の子で、ソナムちゃん。「幸運」という意味です。

ソナムちゃん
ちなみに、ガイドさんの名前はタシさんで、「重要」という意味。そして、ドライバーのニマさんは「太陽」です。名前に意味があるっていいですね。名前は、お坊さんに付けてもらうのが一般的なんだそうです。

高級そうな雰囲気満点の「DRUK PREMIUM LAGAR」

一番のお気に入り「PANDA BEER」(地ビール特有の味)
食べた料理は、パクシャパ。いつも通りに作って欲しいとお願いしましたが、唐辛子は少しおさえてくれていたようです。でも、とても辛かったので、お酒が進みました。最初にいただいたのが、ブータンの焼酎・アラを薬缶で温めて生卵を入れ軽く混ぜた、日本のたまご酒のような感じです。砂糖は入れないので甘くありません。他に飲んだのは、もちろんビール、ウィスキー、アラのロック、ワイン。お酒のフルコースです。ワインは甘かったです。
「ヒッチハイクは重要な移動手段」
ブータンを移動中、何人ものヒッチハイカーに出会いました。ブータンではごく普通の習慣だそうです。我々は、時間内に目的地に到着しなければならないので、なかなか応じることはできませんでした。

ドライバーのニマさん
でも、ある時、ドライバーのニマさんが急に車を止めて、あるヒッチハイカーに声を掛けました。それは、尼さんでした。さすがは仏教国のブータン国民です。お坊さんは無条件に手助けをするのだそうです。私も車内で少しお話をさせていただきましたが、英語が話せるお坊さんでした。お坊さんになった動機を訪ねてみたのですが、お坊さんという職業が好きで、いつも仏様の近くに身を置きたいからだそうです。


ブータンならでは?の修行僧
拝みながら少しずつ進む。気の遠くなるような行
平和な国と言われているブータンも、失業問題、犯罪数の増加、薬物問題など国として避けては通れない問題をかかえるようになっています。知らない人を自分の車に乗せる習慣も少なくなっていくのでしょうか。
プナカを訪れた時、たくさんの学生さんたちがいました。ちょうど授業が終わる時間だったようです。校門の前を通り過ぎようとしているとき、学生の集団の中に、ヒッチハイクの合図を送る2人の高校生の女の子がいました。ドライバーのニマさんは、お坊さんの時と同じように即座に車を停め、声をかけました。5分ほど離れた通り道にある町に行きたかったそうです。私は車の中で、卒業したら何がしたいのと質問してみました。一人は、日本でもよくある、大学に行ってITエンジニアを目指したいという希望。もう一人は、軍隊に入ってパイロットになりたいとのことでした。これは意外でした。
「ほんの13年前、動物も殺さないブータンが戦争をした」
ブータンに滞在していると、ホテルや、レストラン、商業ビル、一般家屋の玄関先などいたる場所に国王の肖像画が飾ってあります。でも、その中の7割くらいは先代国王のそれでした。ガイドさんに、「ブータン国民は先代国王の方が好きなのですか?」とストレートに聞いてみました。するとガイドさんは声を潜めて、「はい、そうなんです」。
可哀そうな5代目と思いましたが、ガイドさんからいろいろ話を聞いたり調べてみると、それも無理はないのかなと思いました。

先代国王(現国王のお父上)

ここでは肖像画を二人並べていた
先代(第4代)国王は、現在60歳でまだまだ若いのです。即位したのは、なんと16歳のときでした。第3代国王が急死したためです。若くして即位した先代は、自身の体験から、自分の息子に辛い思いをさせたくなかったからだと言われています。自分が生きているうちに息子を立派な国王として育てたい。国民全員に尊敬される国王になって欲しい。そんな親心から?あるいは、先代国王としての責任感から早めの譲位を決断しました。すでに発表されていた予定を2年繰り上げて。
国を会社に例えると、この先代の行為は非常に理にかなっていて、先代が死なない限り社長が交代しないことの方がおかしなことです。先代国王は合理的な人だったのでしょうね。現国王が即位したのは26歳の時、2006年のことでした。
この譲位にまつわるもうひとつの話をガイドさんは教えてくれました。今から13年前の2003年、ブータンは戦争をしました。動物を殺すことを嫌う国が、人を殺す戦争をしたのです。インドの反政府ゲリラが、突然国境を越えブータン国内に侵入してきたのがきっかけです。侵略ではなく亡命を目的とした越境だったそうです。しかし、インドと密接な関係を築いていたブータンは、インド政府の意向を最優先するしかありません。先代国王は、何度も何度も交渉を重ね、退去するよう説得したそうですが、ゲリラ側は聞き入れず、ついに、軍事行動を起こすしか方法がなくなりました。そのとき先代は、自らが大元帥となり、軍の指揮を執ったそうです。そして、2日で3000人のゲリラを全滅に追い込みました。もちろん、ブータン側にも多数の戦死者が出たそうです。この戦争を指揮した先代は、このとき、反省を込めて、早く退位することを心に誓ったのではないかというお話です。


これがドチュ・ラのチョルテン
ドチュ・ラ(峠)に108のチョルテン(仏塔)があります。観光客の名所となっています。この戦争で亡くなった、たくさんの戦死者の供養のため、このチョルテンが建てられました。二度と同じことが繰り返されないようにと先代国王夫人が国王や国民、そしてインド国民のために平和への祈りを込めて作ったそうです。感慨深いお話です。
自らが先頭に立ち国民を守った先代はブータン国民のヒーローに違いありません。現国王は、多くのブータン国民にとって、まだ王子様のままなのかもしれません。
時が止まっているような雰囲気のする「ハ」
聖なる地・チェレ・ラの峠も魅力的
パロは、断崖絶壁のタクツァン僧院の入り口として有名ですが、他にも「ハ」という町への入り口でもあります。「ハ」へは車で約3時間。標高約4000mの峠、チェレラを通るルートと、麓を縫うように比較的平坦な道を通る2つのルートがあります。峠越えのルートがお奨めですが、冬は雪が降り凍結の危険がありますので、峠のルートは避けた方がよいでしょう。

標高4000mの案内板
ブータンでは峠は聖なる場所とされています。地上世界の中では天から最も近い場所だからです。だから信仰の対象ともなっていて、毎日のように誰かが香呂でお香を焚いているそうです。お香は天然の松の葉が使われます。実際にその場に立ち会うことができましたが、強風に煽られ、炎とともに煙が激しく立ち上り天まで届くかのような勢いです。それに、非常によい香りがします。峠には、ダルシンやルンダルが所狭しとひしめき合い、峠に吹きすさぶ風に終始煽られています。その様は、もの悲しさを醸し出しているように感じます。

橋にくくりつけられたルンダル
ダルシンとは、長い棒にお経を書いた旗を通し、家族や親類の無病息災を祈願し、また、亡くなった人の供養を行うためのものです。ダル=旗、シン=木を意味します。旗は、白だけのものもありますし、青、白、赤、緑、黄の5色の旗を使う習慣もあります。青は空、白は空気、赤は火、緑は木、黄は土を表します。ルンダルも同じ用途で使われる布だけのものです。ルンは風を意味します。


この景色に圧倒されました!

お香が焚かれていた
チェレ・ラを越えるとすぐ眼下に「ハ」の小さな町が見えます。インド軍の巨大な軍事施設も隣接しています。ブータンにはインド軍の施設がいくつかありますが、中でも「ハ」はインドへの玄関口になっている町でインドとは強いつながりがある町です。「ハ」の町を南下すると、国境の町・プンツォリンでインドはすぐそこなのです。インド人もブータン人もビザなしで行き来は自由です。




「ハ」のホームステイ宿
今回の私の旅の大きな目的のひとつが「ハ」の訪問でした。当社には「ハ」を訪れるツアーはまだありません。
ハは近代化が進むパロや首都ティンプーと違い、ブータンの伝統的な生活スタイルを見ることができる田舎町で、海外からの旅行者に人気の町です。車なら数分で通り過ぎてしまうくらいの小さな村ですが通りには昔ながらの伝統家屋が並んでいて、ブータンの中でも時間が止まっているような雰囲気を味わえます。パロから気軽に日帰り訪問も可能です。できれば、昔ながらの農家にホームステイするのがお奨めです。
古都・プナカは、ブータン国民が心から大切に思う歴史的、信仰的にもとても重要な町
1955年にティンプーが通年の首都に定められるまで冬の首都だったプナカはティンプーと比べ標高が約1000m低いことから真冬でも温暖で夏は熱帯のジャングルかと思うほど暑くなります。

菜の花とプナカゾン
そんなプナカの町にブータンで最も重要な建造物と言えるプナカゾンがあります。ブータン仏教の開祖・パドマ・サンババや、ブータン建国の父、シャブドゥン・ナムゲルなどブータン国民が大切思う人々との縁が深いゾンで、2011年に日本でもブームを巻き起こした第5代国王の結婚式、2016年に誕生した皇太子の命名式が行われるなど、王室、国民が共に認めるブータンになくてはならない存在です。どんな名前になるか、全ブータン国民が注目しています。また、「ツェチュ」など盛大なおまつりが行われる町としても有名です。
「今、ブータンは空前のサッカーブーム」
ブータンは、今年、2018年開催のロシアワールドカップサッカー1次予選を突破しました。2次予選は突破できず、残念ながら最終予選に進出する夢はかないませんでした。しかし、ブータン国民は1次予選を突破した代表チームに熱狂したそうです。現在、FIFAランキングは186位。最高位は昨年の159位。最低位も昨年の209位(←たぶん最下位)。
ブータンは、世界ランキングの最下位争いをする常連の世界最弱チームです。そんなブータンが、ついに予選リーグを突破できる力をつけてきました。そして、なんと、ブータン代表監督は日本人です。資料によると現監督は、2012年から着任している小原一典さん。日本人監督として3人目です。

私のガイドさん、タシさんもサッカーが大好き

普段着のタシさん
かつて、海外技術協力事業団に所属して活動した日本人農業指導者の故西岡京治(けいじ)さんを思い出します。ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」と称えられ、ブータン国王から「最高に優れた人」を意味する「ダショー」の称号を贈られました。現地ではダショー・ニシオカとも呼ばれ、そのお米は、町の市場で「西岡ライス」の名で売られています。お土産で買ってきましたが、日本のお米と比べて何となくですが水分が多く、ねばっこい感じがしましたが、日本米特有の炊き上がった時の白さは美しかったです。

真ん中に「西岡ライス」その左は「赤米」

家で炊いた「西岡ライス」

赤米を炊くとこうなる
サッカーに話を戻します。ブータンではサッカー含めスポーツのプロチームはありません。サッカーは日本と同じくクラブチームのリーグ戦が行われていて、そこから代表チームに選抜されます。何チームあるかわかりませんが、一部と二部にわかれています。極秘情報(?)ですが、ブータンでは、そのクラブチームに日本から現役選手3人を招へいする計画が進められているそうです。もしも、キングカズが招かれて行くようなことがあり、ブータンサッカーのレベルがもっと上がり、ブータンで引退したキングカズは代表チームの監督になりワールドカップに出場するようになれば、ダショー・ミウラと呼ばれるようになるでしょう。経済協力ばかりでなく、スポーツの世界でも、日本とブータンとの協力関係が深まればよいですね。我々、ファイブスタークラブは、観光の世界でブータンの発展に協力したいと考えています。
●ワンデュポダン ★★★
冬でも比較的温暖な地域。のんびりした雰囲気がよい
●ポプジカ ★★★★★
毎年11月初旬から2月頃まで、世界に 5,000羽ぐらしかいないといわれる絶滅危惧種のオグロヅル約200羽〜500羽が、チベットからヒマラヤ山脈を越えて飛来してきます。この時期がベストだが、それ以外でもたっぷりとブータン情緒が楽しめる。この地も比較的温暖。
●プナカ ★★★★★
ブータン国民が愛するプナカゾンがある町。堂々とした佇まいは必見!
●ティンプー ★★
どこに行くにも必ず通り道になるので、滞在をしなくても雰囲気を見るだけで十分。警官に手信号の交差点が名物。
●パロ ★★★
ブータン唯一の国際空港のある町。断崖絶壁の寺院、タクツァン僧院に行くなら必ず泊まる。ホームステイが充実している町でもある。
●ハ ★★★★★
ブータンの中でも、昔ながらの町並みや生活が垣間見れる貴重な場所。ここも、ホームステイをして直にブータン人の生活ぶりを実体験するのがおすすめ。
●チェレ・ラ
町を移動する際に必ず通るのが峠(ラ)。その中でもチェレ・ラは特におすすめ。聖なる雰囲気を体験できる。背筋も伸びる。
(2016年3月24日〜30日滞在 森裕)

- チームワークと事前計画が肝心?!のボリビア&日本人好みのアメリカを発見、ボストン
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エリア:
- 中南米>ボリビア>ラパス
- 中南米>ボリビア>ウユニ
- 北米>アメリカ東部>ボストン
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/06/23 15:39




3月にボリビアとアメリカのボストンに行って参りました。
ウユニ塩湖の人気はここ数年間、2月3月になると目を見張るものがあります。以前は知る人ぞ知る旅行先でありましたが8年前にウユニの街に空港が開設され、またソーシャルメディアの隆盛とともにその美しい星空やトリック写真は、瞬く間に旅行好きの間で知られることになりました。こと日本ではここ数年の「絶景」ブームの火付け役、牽引役としてテレビやCM、本で引っ張りだこ。いまや年に数回旅行するようなマニア的な旅行者ばかりでなく、近場のハワイやグアム、韓国などに旅行しているライトな旅行好きまでも巻き込んでいるような状況です。特に2月3月に人気が集中するのはこの時期はウユニ塩湖の雨季で塩湖に水が張り、空と地上に境目がなくなるような不思議な光景が広がるためです。そんな今大人気のウユニに訪れることができました(高山病に弱いことを自覚しているので恐る恐るの出発でしたが・・・)。そして今回旅して分かったことはチームワークと事前準備があればボリビアの旅行はさらに楽しくなるということです。
またボリビアの帰りにアメリカのボストンに立ち寄りました。「絶景」で知られるウユニ塩湖に対してボストンと聞くとなかなかイメージの湧きにくい方は多いのではないでしょうか。しかしボストンの街並みを歩いていると普段生活している場所から遠く離れており個人的な所縁などはないにも関わらず、私はどこか懐かしい思いを感じると同時に日本のある街を思い出します。それは京都です。どちらも街の中心には川が流れ、地下鉄もありますが基本的には徒歩で歩きまわれる街のサイズ感。そしてどこか背筋がすっと伸びるような良い意味で張りつめた空気感と、街中は史跡にあふれる古都でありながら学術都市のため若者のエネルギーも感じられます(これは本当に偶然なのですがボストンと京都は姉妹都市だそうです)。西海岸のラテンでマッチョな街とも違うし、かといってニューヨークのようにヒップ&クールさが求められることもない。リベラルな白人知識層が多く住み、他の都市(特に西海岸)の人間からすると斜に構えたような、スノッブにうつるような街。どうです?ちょっと日本人的気質にあいそうではないですか。(そうでもない?)
詳しくは旅行記の中で触れますので、これから旅行先をお考えの方の参考になれば幸いです。
行程は下記の通り。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1日目:日本発、マイアミに乗継時観光【機内泊】
2日目:ラパス着後、ラパス市内観光【ラパス泊】
3日目:ウユニ観光(列車墓場、コルチャニ村、インカワシ島)【ウユニ泊】
4日目:ウユニ観光(星空・朝日・夕日鑑賞 トゥヌパ山、プラヤ・ブランカ)【ウユニ泊】
5日目:ラパス(市場・おばプロ)観光【ラパス泊】
6日目:チチカカ湖観光【ラパス泊】
7日目:ボストン着、【ボストン泊】
8日目:ボストン観光【ボストン泊】
9日目:アメリカ発、日本へ【機内泊】
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○1日目
ダラスに向かう飛行機の中でダイアモックス一錠を半分に割り水と一緒に飲み込む。
ボリビアへ行く私には大きな不安要素がある。それは高山病。富士山に2回登ったが2回とも断念はしないまでも高山病のため頭が痛くなりご来光どころでは無かった状態だった。富士山に登った知り合い全員に聞いてもこのレベルの重い症状は私くらいのようなので数字でいうと20人に1人いるかいないかの割合の程度ということだろう。しかし私には勝算がないわけではない。以前ペルーに行った時にダイアモックスを準備したせいか高山病の自覚症状はなかった。この経験から、もしかしたらいけるかも、という自信のようなものはあった。
しかし今回はいきなり4100mの空港に到着である。以前のペルーのように徐々に高度を上げていくような旅ではない。そのためダイアモックスを到着する1日前から服用して来るべき時に備えておく。
約12時間のフライトの後、ダラスに到着。
ダラス空港ではアメリカの入国手続きと荷物を一旦ピックアップする必要がある。入国手続きはキオスク端末が導入されたおかげでスピーディに入国手続きを行うことができる。以前は2時間の乗り継ぎでも早めに移動しないとギリギリになってしまう空港なのに、キオスクが導入されたおかげで1時間ほど短縮された印象だ。
ダラスからマイアミへ。約3時間の移動。14:30ごろにマイアミ到着。次のラパス行きは22:20。実は乗り継ぎが8時間あるのでその間にマイアミを観光しようと日本の出発前から決めていた。
●マイアミビーチ
燦々と太陽が照り、澄んだ青空とエメラルドグリーンの海がどこまでも広がる街。海岸沿いのオーシャンドライブはヤシの木とアール・デコ調のホテルが並びまるで映画のような雰囲気。そこではゴキゲンな音楽が鳴り響き、水着で闊歩する日焼けした若者達を目にすることだろう。彼ら/彼女の話す言葉に耳を傾ける聞こえてくる言語は英語ではなくスペイン語だ。マイアミの人口の約70%がヒスパニックかラテン系、特に多いのはキューバからの移民であり、ダウンタウンのほど近いエリアにはリトルハバナと呼ばれるエリアもある。南米行きのフライトが数多く発着することから南米への玄関口としての役割を担うマイアミはアメリカに居ながらもまるでカリブ海の高級リゾートのようだ。
マイアミ空港からマイアミビーチへの行き方は難しくない。
まずマイアミ空港からMIAムーバーと呼ばれる無料のモノレールに乗り終着駅で降りるとパーキングや鉄道、バス乗り場のあるターミナルへ出る。マイアミビーチへ出るにはバスが最も安価(片道2.65$)で楽チン。バスは複数のルートがあるので注意。150の番号のバスに乗ろう(30分おきくらいに出発します)。バスに揺られて約30分でマイアミビーチの中心部に到着する。帰りも同様、降りた場所とは反対車線のバス停で待っていれば良い。
リンカーン・ロード・モールと呼ばれるションピングエリアもあり、日本未進出のお店も多いため、もしマイアミでトランジット時間を持て余すようだったらマイアミビーチへ観光に行くのも一興だ。






マイアミ空港に戻り、一路ラパスへ。
約6時間のフライト、マイアミで観光をしていたためかぐっすり寝てしまう。
○2日目
着陸態勢に入り、ラパスが近づくにつれて、ラパスの夜景が窓一面に広がる。ラパスの街はこんなに広いんだなぁ。
朝4時半頃、ラパス空港に到着。到着した時点では高山病の兆候みたいなものは感じない。大丈夫だ、いけるいける、しかし油断は禁物なり。
ボリビア入国審査は何日間、目的など簡単な質問を受けただけで比較的楽に入国できた。機内で配られた出入国カードは出国部分のみ渡されるので必ず無くさないように。税関は2枚書かされて、わからない質問もいくつかあったので未記入にしたところもあったが特に係のスタッフはつぶさに見ておらず、問題なく通過できた。
機内預けの荷物も無事受け取り、ゲートにてガイドさんと合流。
ガイドしてくれるのは16歳の娘さんがいるというヒメナさん、ヒメちゃんと呼ばれているらしいのでヒメちゃんと呼ぶことにした。
まだ朝5時をまわったところで、観光に出るのはまだ早いということで空港のカフェで朝食を食べることに。コーヒーとビスケットとトマトとほうれん草のサンドイッチでおよそ50ボリビアーノ。計算したらおよそ800円だった。安くもないが空港だから仕方ないか。空港のカフェスタンドの割に味は良かった。コーヒーはボリビアの名産でもあるから特に美味しく感じた(ブラックコーヒーやロングブラックはメニューにないのでカプチーノアメリカンで頼めばブラックコーヒーに近いものを飲めた)。
朝7時近くになったところで、ラパス市内へ出発。
この世界一標高の高い国際空港のある一帯のエリアはエルアルトと呼ばれるエリアで、ラパス県の中で近年人口の増加が最も多い地区である。すり鉢状のラパス市内は人口飽和状態ですでに十分な土地がない。そのため地方や他国から移住してきた人々は標高の高いこのエルアルトに居を構えるそうだ。その人口は今や100万人に迫ろうとする勢いで、今後ラパス市内の人口を凌駕するだろうと言われている。
エルアルトを越え、ラパス市内を抜け、この日の目的地であるチチカカ湖まであと30分というところでヒメちゃんの電話が鳴る。ハシ(橋本だと長いのでこう呼ばせている)、ビックプロブレムよ、ヒメちゃんが言う。チチカカ湖への道がストライキしているそうよ、迂回していくこともできるけど時間が余分にかかるから観光時間は充分じゃないわ、もし可能であればウユニから帰ってきて観光する予定だったラパスの市内観光を先にして日程をスイッチするけど。
私は特に日程を組み替えることに関して何も意見はないので、ラパス市内に戻ることにした。予想もなくいきなりストライキが起こることもあるんだなぁ。日本だとストライキはあったとしても事前予告などあるけど道路が封鎖されることは無いだろうな。
●ラパス市内観光
チチカカ湖観光からラパス市内観光に切り替え最初に降り立ったのがハエン通り。スペイン統治時代の古い町並みと石畳の道が続く、まるで中世時代にタイムスリップしたかのような静かな場所だ。伝統建築の家屋のほとんどはその資料的な価値から博物館として再利用されており、通りを歩いているだけで楽しい。


ハエン通りを抜け、3ブロックほど歩いたところにヒメちゃんオススメの国立民族博物館がある。この博物館には美しい中庭とファサードがあり建物としても一見の価値がある。館内には、先住民族の歴史から使われていた道具、織物などの移り変わりがわかりやすく展示されている(スペイン語での説明しか無いのが残念)。特にお祭りの時に使われるという仮面は興味をそそられた。以前パプア・ニューギニアに行った際もいくつか仮面を見たことがある。全くゆかりの無い場所でも、仮面つけて神の化身へと生まれ変わるという文化が共通しているのは実に面白いことだなと思った。また少し汚い話になるがかつてボリビアの人々が着ていた洋服の中にUNKOという名前のポンチョに似た民族衣装があって少なからずびっくりした。
考古学博物館の見学を終え、向かったのがムリリョ広場。広場の真ん中にはムリリョの像。ムリリョとはボリビア独立運動の英雄であるペドロ・ドミンゴ・ムリーリョのこと。ここはラパスの中心部と言える場所であり、公園を囲むように国会議事堂、大統領官邸、大聖堂が建つ。昼間は人々の憩いの場となっており、多くの人々が公園で思い思いに過ごしている。強烈な印象を放つのがおびただしい数のハト。餌をやろうとするとヒッチコックの映画のように襲撃(歓迎?) されるので注意。



次に向かったのがサガルナガ通り。
サガルナガ通りは旅行者にとっては滞在するにも最適な場所である。お土産屋さんがこれでもかとひしめき合い、中にはオシャレなカフェやレストラン、さらには旅行社やホテルも数多い。近くにはサンフランシスコ寺院もあり、ムリリョ広場や博物館などの市内の主要ポイントには徒歩でも行けそうな便利なエリアだ。
またサガルナガ通りの傍には魔女通りという怪しげな通りもあり、そこにはミイラ化したリャマやコカの葉っぱ、精力剤、バイアグラなどまさに魔女的なアイテムが売られている。またボリビアの福の神とも言われているエケコ人形もここでたくさん見かけた。お土産屋さんを冷やかして歩いたあとはサンフランシスコ寺院を見学。バロック様式とボリビア土着の宗教観がミックスされているようでヨーロッパの教会では見られないモチーフの装飾がされている。内部はムリリョ広場の大聖堂よりも金を随所に使っており、荘厳な雰囲気が漂っていた。


●世界一の高さの地元の足、テレフェリコ
その後、向かったのはテレフェリコ。テレフェリコとはラパスの市内を運行するロープウェイのことである。テレフェリコは世界でもっとも標高の高い場所にあり、且つ都市交通としては世界最長のロープウェイとして知られている。ラパスには路面列車や地下鉄はない。庶民の足は公共バスだけだったが人口の増加に伴い渋滞問題が深刻化した。そこで考え出されたのがロープウェイという交通手段だ。なるほど、山に囲まれ起伏の多い街のラパスの街に地下鉄や路面電車の建設を考えると莫大な費用がかかるだろうが、空を縦横無尽に移動できるロープウェイはもっともこの都市に合っている移動手段であろう。ドイツとオーストリア企業の協力のもと完成したのは2014年のこと。すでに人々の交通手段として大人気だそうで朝夕のラッシュ時には行列になることもあるそうだ。また観光資源にもなっているようで日曜や祝日になると地方や郊外から子供連れの観光客で賑わうとのこと。それもそのはず、ロープウェイからはラパスの特徴的なすり鉢状の景観が楽しめる。ラパスの都市構造は歴史のある「底」エリアが高級住宅街、人口流入が増えるに従い街は「ふち」側へと拡大している。つまり標高が低い富裕層の瀟洒なエリアから標高の高い低い低所得層エリアのバラック小屋まで、貧富の差のグラデーションが眼下に展開するのである。私が乗ったのは昼間だったのだが、夜に乗るのもきっと素晴らしい光景を楽しめることだろう。
なおボリビア大統領は現在のレッド、イエロー、グリーンの3路線のロープウェイをさらに拡大して9路線にする計画だそうだ。


すでに時刻は昼に12時をまわっていた。そろそろお腹の燃料も切れそうなところで昼食へ。場所は月の谷の近くのオーバーランドというホテル兼レストラン。その名の通りスイスの山小屋をイメージしたような感じの良いレストランだった。メニューはガイドのヒメちゃんにお任せ。飲み物はボリビアのビールをキューっと行きたかったが高山病が心配なので我慢して炭酸入りの水にした。
まず食前酒に、前菜のサラダと麦の入った野菜スープ、パンが出てきた。ボリビア料理というとあまりイメージがつかないが日本人の口に合うものだった。メインディッシュは溶岩石のプレートでバーベキュー。ビーフ、チキン、ポーク、ソーセージの4種類のお肉がジュージューいいながらテーブルの上に置かれた。もちろん美味しい。本来はもっと大きなプレートでカーニバルの時期に食べられるものだそうだが、このお店では一人でも食べきれるようにワンポーションで提供してくれる。なおデザートは自家製プリン。すでにお腹いっぱいだったが別腹のためプリンも完食した。
昼食のあとは腹ごなしにセラミック製品の工房に立ち寄り見学。あまり興味がないので工房内の犬と遊んで早々と工房を出た。
●ラパスの人気スポット 月の谷
そしてラパス近郊の観光地として人気のある月の谷へ。永年にわたる風雨による浸食により粘土質の地層が溶け出してこのような不思議な光景になったそうだ。その光景がまるでNASAが撮影に成功した月面のようだったことからこの名前がついた。月の谷のトレイルは15分コースと1時間コースがあり、激しい運動をなるべく避けたい私は15分コースにした。月の谷は思ったよりもエリアは限られており、その全景を覆い尽くすような奇岩群はなかった。それでもこのエリアだけなぜこのような地形になったのだろうという意味では謎の残るスポットだった。


その後、ラパス市内に戻りこの日の宿であるホスタルナイラへ。
●ホスタルナイラ
サガルナガ通りに面したサンフランシスコ寺院のそばにある中規模なホテル。
立地・雰囲気ともによく、1階には感じの良いレストランもある。部屋はベッド、電話、テレビ、シャワー、トイレ、ドライヤーがあるくらいのシンプルな造り。
セーフティーボックスやミニバー、バスタブ、スリッパなどはないが無料のWIFIを完備、室内でも使える。豪華は設備はいらないが最低限のものや清潔感は欲しいという旅行者にとってはうってつけのホテルだ。
ホテルでは眠気の限界を達してしまい思いがけず寝過ごしてしまった。19時の約束に多少遅刻してしまったがラパスの夜のツアーに出発。
●ラパスに来たなら夜景観賞は外せない
まず向かったのはモンティクロという展望台。
この展望台は公園になっており園内には教会があるため、ラパスを見下ろすこの公園で結婚式を挙げる人も多いそうだ。夜景に関して特に高い期待をしていたわけではなかったのだが実際目の前にするとこれは面白い。ラパスのそのすり鉢状の地形からか、通常目線の下にある街の明かりが目線の上までせり上がっているように錯覚するのだ。まるで星が地表に落ちて散らばっている、そんな印象だ。
次に訪れたのはキリキリ展望台。こちらも公園となっておりラパス市民の憩いの場となっている。園内の一番端は階段で数段降りると踊り場になっているため階段から写真を撮ると180度見渡すような写真が撮れる。モンティクロも良かったが写真スポットとしてはキリキリ展望台の方が景観が開けているのでどちらか一方のみをお考えであればキリキリ展望台の方をお勧めする。どちらも地元のデートスポットとなっているようだった。




その後、午前中に訪れたムリリョ広場を再訪問し、ホテルに戻った。
ホテル付近のお店は夜9時を過ぎると店じまいをするようでもうほとんどやっていなかった。
ヒメちゃんとこの日はここでお別れ。翌日の早朝ラパス行きに搭乗するために朝4時にホテルのロビーに再集合する。
すでに夜9時をまわっていたがお腹が減っていたのでベジタリアンバーガーとコーヒーを頂く。ベジタリアンバーガーの味は期待していなかったがかなりに美味。大満足。
○3日目
この日は高山病の予防のためにあまり睡眠時間は取らなかった。高山病患者にとって睡眠中は呼吸が浅くなり、症状がひどくなる原因なのだ。数時間単位で細切れに寝ていこうと思う。
朝4時にホテルロビーにてヒメちゃんと合流。
この日から2日間ウユニへ出発する。ラパス/ウユニ間のフライトの預け荷物の制限は20キロまでだが、荷物の移動が面倒なので2泊分の着替えと貴重品のみバッグに詰め替えて残りの荷物はホテルに置かせてもらえるようにした。
ラパス市内からラパス空港へはおよそ30分。
朝5時のチェックイン開始時間までアマソナスのカウンターにて待機、無事チェックインを終えてヒメちゃんとお別れ。
ラパス/ウユニ間のフライトは約1時間。
到着後、ウユニのガイドの出迎えを受ける。
ウユニのガイドはマリエさん、日本人風の名前だがウユニ生まれのボリビア人。彫りの深いボリビア人の典型的な顔立ちとは違い、どことなく柔和で日本人のような雰囲気を持つような女性だ。ヒメちゃんも良いガイドだったがこのマリエさんももちろん英語も上手で、礼儀正しく、よく笑い、好感のもてるガイドだった。ボリビアのガイドのレベルは失礼ながら意外に高いと思った。
●ウユニ観光1日目(列車の墓、コルチャニ村、インカワシ島)
まず向かったのは「列車の墓」。
ウユニは過去、鉱物の採石場であった。鉱物や塩をチリに運ぶために使われていた列車だが鉱物の採掘が終わり、塩に関してもチリ側で容易に手に入れることができるようになった。お払い箱になった列車がウユニの郊外に打ち捨てられ、その姿が哀愁を漂うのか沢山の観光客で賑わっている。



列車の墓を後にして、マリエさんがホテルかなにか提出するのか、私のパスポートコピーが必要だということでウユニの街へ。この機会にウユニの街で両替と日よけの帽子を購入した。帽子は25ボリビアーノ(400円ほど)。ボリビア製だ。結果買っておいて大変良かったと思う。ウユニ塩湖は地表が真っ白のため太陽の照り返しが激しい。サングラスなしでは目も開けられない。帽子とサングラスは必須である。
また前々から食べたいと思っていたサルテーニャが路上で売られていたので思わず購入。サルテーニャは揚げパンの中にカレー風味のチキンやほうれん草などのお惣菜が入ったボリビアの国民食(5ボリビアーノ)。なかなか美味しかった。(しかしこのサルテーニャがきっかけで悲劇を生むことになるとは、この時は知る由もない。)
パスポートコピーを終えて、次に向かったのが「コルチャニ村」。
ウユニ市内から車で30分。製塩業を生業にした小さな村。ここでは製塩業を営む一家の工場見学ができる。もちろん直売所も兼ねているため小さい袋詰めのものであれば1ボリビアーノで購入できる。

そしてこの日の最後の観光場所のインカワシ島へ向かう。インカワシは塩湖内にある32ものの島の内の代表的な島の一つ。インカワシ島には入島料が必要(ツアーであれば含まれている)。島内は全長1時間ほどかかるトレイルコースがあるほかレストランやお手洗いもある。トレイルコースでは道中、まっすぐのびる巨大なハシラサボテン(その数6000本)やサンゴ礁、火山岩が見受けられる。サンゴ礁はここがかつて海の底だったことを物語り、火山岩はここから100キロ以上離れたトゥヌパ火山の噴火の時のものだと推測されている。真っ白な塩湖とそれに囲まれた乾いた大地のコントラストは壮観だ。

●高山病発症?
トレイルをハイキング中、息切れが激しくなる。
最初はおそらく高地にいるからだろうと軽く思っていたが、明らかに足取りが重い。しかし休んでもその状況は改善せず、寒いはずなのに冷や汗が止まらない。3分の1歩いたところで体調のことを考えてギブアップした。
腹痛もあり、インカワシ島のトイレに駆け込む。
(結局、そのあと2回吐き、2日間下痢の症状が続いて、マリエさんに下痢止めの薬を分けてもらった。吐き気と下痢は高山病の典型的な症状である。頭痛はダイアモックスのおかげで全く無かったため高山病にかかっている自覚が全く無かったが、今朝食べたサルテーニャのスパイシーな味と香りに胃がやられてしまったのだと推測される。あいにく2日間は悩まされたが薬が効いたのかその後のラパス滞在では普段通りの体調に戻っていたことを強調しておきたい。)
インカワシ島のトイレで用を足したあとはホテルに向かう道すがら、塩湖の真ん中でテーブルを組み立てピクニックランチ。もちろん食欲なんてあるはずもなく申し訳程度に少し口に入れた程度だった。
最高の環境のランチタイムなのにもったいないことしたなぁと思うがしょうがない。


ランチを終えて本日のホテルのルナサラダへ向かう。
●ルナサラダ
2016年現在運営する4つの塩のホテル(パラソルデルソル、ルナサラダ、クリスタルサマーニャ、スマ・リッチャリ)の中で、もっともデザイン性のある可愛らしいホテル。コルチャニ村からほど近い場所に建ち、塩湖の観光には最適。塩湖の縁に建てられているが電気や水道はもちろん完備。ホットシャワーもすぐに出る。室内は伝統的なカラフルな模様を取り入れながらもどこかモダンで洗練されている。ドライヤー、エアコンあり。スリッパやセーフティーボックス、ミニバー、バスタブ、テレビはない。無料のWIFIはあるが電波は非常に弱い。建物全体に大きい窓を取り入れており、そこから降り注ぐ光が気持ちよく、ラウンジやレクリーエーションルームなどゲストが利用できる施設が充実して開放感があるのがよい。



この日は13:00にホテルにチェックインして午後休憩した後18:00頃にサンセットツアーに参加する予定だったが体調不良のため翌日に変更してもらった。
また星空ツアーも翌朝のサンライズツアーと一緒にやることにしたので明日の早朝朝4時に再集合する。
○4日目
●星空鑑賞と撮影の必需品
朝4時。まだ空も真っ暗で外の風景が塩湖なのか荒れ果てた大地なのかが全く区別のつかない時間帯。マリエさんと合流して、深い闇の中を車のヘッドライトを頼りに突き進む。昼も思ったことだが360度真っ白な塩湖で囲まれた中よく方向感覚が狂わないなぁと感心したものだが、夜になるとさらに手かがりとなるような山も何も見えなくなるのによく走れるものだ。
ホテルから約30分。水が張ったエリアに到着。
車から降りるとそこに現れたのは満天の星空。
雨季のウユニ塩湖で見る星空は特別なものだ。星空が天上にも地上にもばら撒かれたような景色は、見る人を日常的な場所から神秘の世界へいざなってくれる。まるで立っているのもわからなくなるほどの漆黒の闇に全てが包まれる中、星屑だけが自分の存在を知らせてくれる。モロッコのサハラ砂漠やモンゴルの草原の中でも星空を見つめたがウユニのそれはさらに感動的だった。
早速撮影しようと思い三脚をセッティング。事前でネットで調べたことをもとに下記の手順で撮影した。
① 撮影モードはマニュアル
② 星にピントを合わせ
③ ISOは1600付近
④ シャッタスピードやホワイトバランスを試行錯誤しながら撮影
あとは撮影後にフォトショップなどでいじればなんとか形になりそうだ。
思ったのは三脚マストで、リモコンなどあればなおよし。
と言うかぶっつけ本番で星空撮影をやるのでなく、せっかくウユニに来るのだから予習しておけばよかった。空中に文字を描くペンライトも人気らしい。ペンライトはボリビアにはないので持参プリーズ。あと当然ながらかなり寒くなるので防寒対策も必須。



●朝日鑑賞とその楽しみ方、セルフタイマーは20秒で(サンセットにも応用可能)
空が徐々に白けてきたので日の出を待つために車内で待機。
太陽が徐々にその姿を現し始めたので車から降りて撮影タイム。
小さな太陽は徐々にその姿を大きくし、やがて2つに分離し天上・地上にそれぞれ太陽が現れた。太陽一つでも我々が受ける恩恵は果てしない。例えばいくら文明が発達した今日であっても朝早く起きて朝日を見るとなぜか元気になる。人間には自然とそういうDNAが刻み込まれているのかもしれない。日の出は全ての生命にとって「目覚め」なのだ。その太陽が2つになるなんて誰が想像しただろうか。パワースポットという言葉があるが、ウユニほどその言葉にぴったりな場所はないだろう。
日の出で行うポーズとしてはジャンプやかめはめ波がお決まり。とりあえずそれらをこなしたあとは太陽をつまんでみたり、食べたりしてみた。しかしウユニの写真撮影は仲間内でワイワイやるのが絶対楽しいと思う。人文字などをつくってチーム戦で写真撮影大会なぞやればきっと思い出に残るはずだ、と遠くから聞こえてくる日本人団体旅行者のキャピキャピした声が聞こえる中、一人でポーズの研究をしている私は思った。日の出(日没)の撮影でマストなものは特にはないが、人数が少なければ三脚とセルフタイマーが20秒くらいあるカメラがあると良い。私のカメラのセルフタイマー機能は10秒がマックスだったため、私とガイドさんとドライバーさんの三人で組体操の扇をつくったが、水の波紋がまだ消えないうちにシャッターがきれてしまう。当然ながら水の波紋があるうちだと綺麗な鏡ばりには見えないので、それがちょっと残念だった。
また日の出(日没)の撮影タイムは星空鑑賞と違い、撮影タイムが限られている。
つまり太陽が昇ったら(沈んだら)そこで終了なわけなので、実際撮影できる時間は1時間満たない。




●日の出・夕陽・星空鑑賞のどれ参加すべき?
お客様の中にはサンライズ&サンセット&星空どれが一番おすすめ?と疑問を持たれると思うが、全部参加してください、というのが私の正直な意見。星空はサンライズ&サンセットとは見るものが全く違うので、星空参加はマスト。サンライズとサンセットはそれぞれ見るものは同じだが、撮影(鑑賞)できる時間が限られているため、1回目の撮影での試行錯誤し、2回目でリベンジをするのが良いと思う。
ホテルに戻ったのは7:30。朝食を食べ、この日の観光の出発時間の10:30まで休憩。荷物を整えて、さぁ出発。お腹の調子はまだまだ良くないが頑張ろう。
●ウユニ塩湖観光2日目(トゥヌパ火山、プラヤ・ブランカ)
ルナサラダから塩湖をひた走ること約2時間。塩湖は広大だとはわかっているものの走れども360度真っ白な世界にいるのはどこか恐怖のようなものを感じる。今はこうして悠々と車の中で過ごしているけど、ここに放り出されたら生きて帰れるだろうかと圧倒的な自然を前にしてぼんやり思った。
塩湖の長時間のドライブを終え、たどり着いたのはトゥヌパ火山。塩湖の縁に位置する標高5432mの火山。5432mの高さといってもこのくらいのレベルの山がこのウユニ付近にはごろごろあるらしい。
トゥヌパ火山にてまずランチタイム。メニューはキヌア、カツレツ、トマトと玉ねぎの和え物。スーパーフードとして話題の食材、キヌア。ここボリビアでは簡単に手に入るのかと思いきや、その価格は徐々に高くなっているらしく、今やお米よりも高いらしい。それでもボリビア人にとっては親しみのある食べ物には違いなく、ドライバーさんは自分の体はキヌアでできていると豪語しており、キヌアにマヨネーズをかけてムシャムシャ食べていた。
私は高山病の影響か体調が芳しくないので、マリエさんに高山病で体調を崩す人は多いですかと尋ねた。すると「そうですね、日本人、中国人、韓国人、アメリカ人、フランス人、ドイツ人、この前はポーランド人」。「ほとんど世界中ですね。マリエさんは逆に低地に行く時に体調を崩す時はあるのですか?」「ありますね、標高1000mのサンタクルスに行くと、クラクラしますが6時間ほど眠れば大丈夫です。私の母親はなんともないですね」。人によって症状が違うのは高山病も同じこと。高山病に悩まされる私は高地に住む人が低地に行くことで気分が悪くなる「逆高山病(低地病)」が存在することを知って何故だか安堵した。



トゥヌパ火山の麓にはいくつか村があり、そのうちの1軒のお宅を訪問した。このお家は過去ここに住んでいたであろう先住民族の生活道具や出土品、さらにはこの付近に生息している生物の剥製も展示されている。驚くべきことに先住民族のミイラまで保管されている。個人が趣味でやっている割には、バリエーションが多岐にわたりすぎているが展示物は充実しており、トゥヌパ火山をトレッキングしたり眺めたりする観光客にとってはちょうど良い休憩場所になっている印象だ。
●プラヤ・ブランカ近くでトリック写真撮影、少人数でワイワイやるのもいいけれど
トゥヌパ火山を後にして約1時間半。向かったのは塩湖にあるゲストハウス、プラヤ・ブランカ。
このプラヤ・ブランカは唯一の塩湖内のホテルとしてかつて営業していたが再三の警告に関わらず汚水・ゴミによる環境保全が保たれないとして3年前程度に営業停止になったそうだ(オーナーは別の場所に新たなホテルを計画中らしいが・・・)。現在は博物館兼休憩所。近くには各国の国旗が建てられているスポットがあり格好の撮影ポイントとなっている。
一通りプラヤ・ブランカを見学した後、車で移動して、ウユニ塩湖で外せないトリック写真撮影をする。ネタや小道具は全く用意していなかったが、さすがガイドのマリエさんはすべて必要なものを揃えておいてくれており、私は訳が分からぬまま指示に従うだけで面白い写真をとることができた。
今回、私とガイド、ドライバーの3人だけだったのでトリック写真のバリエーションも限られていた。それでも十分楽しいが、これこそチームプレイで遊ぶと尚楽しいこと間違いない。ウユニが学生旅行でも人気なのがわかる。






トリック写真を撮り終えて、この日のホテルのクリスタルサマーニャに向かう。
●クリスタルサマーニャ
ウユニ塩湖に数軒しかない塩のホテルの一つ。パラシオデルソルが高級感、ルナサラダがデザイン性をウリにしているとしたら、このクリスタルサマーニャは老若男女どの世代にも満足していただけるオールマイティなホテルといったところだろうか。部屋数の多さと広々した眺望の良いレストラン、そして人々の目を楽しませてくれる塩でできた彫刻。塩湖までの距離も今ある塩のホテル中でも最も近いため、移動時間も少なくて済む。室内はいたってシンプル。テレビ、ドライヤーあり。ホットシャワーもすぐにでる。バスタブ、セーフティーボックス、電話、ミニバー、スリッパは当然ながらない。WIFIはあるが電波は非常に弱い。また日本人スタッフが雨季の一部繁忙期のみ常駐しているようで痒いところに手がとどく、そんなホスピタリティが嬉しい。


ホテルでしばらく休憩したあと、サンセットツアーに出発。
内容は同日の冒頭にかいた日の出ツアーとほぼ同じなのでそちらを参照されたし。


サンセットツアー終了後は明日のラパス行きのフライトに備え早々と就寝。
○5日目
ラパス/ウユニの早朝のフライトに乗るために、5:20にホテルを出発。
クリスタルサマーニャから空港は約30分。まだまだ真っ暗な中を突き進む。空港に近づくと未舗装の道は綺麗な舗装された道路にいつの間にか変わっていた。
ここでガイドのマリエさんとはお別れ。とてもホスピタリティ溢れるかわいらしいガイドさんだった。
ラパス行きのフライトは無事出発。窓側の席に座り、空から塩湖の様子を眺めて改めて広さに驚いた。
ラパスに到着し、ラパスのガイドのグイドさんと合流。
グイドさんはロック好きなおじさんガイドである。この方も私の要望もいろいろ聞き入れてくれてよいガイドだった。
まず目指したのは日曜市。
●エルアルト 7月16日通りの巨大マーケット
エルアルトで行われるマーケットは、グイドさん曰く「想像できるあらゆる商品が売られている」とのこと。すべてのマーケットのセクションを歩くだけで少なくとも2時間はかかるほどの大規模。私も世界中あらゆるマーケットに行きましたが、青空市でここまで広いのはこれまで見たことないかもしれない。毎週、日曜日・木曜日も行われているそうだ。
私はこのマーケットと泥棒市は同じものだと思っていたのだが、グイドさん曰く「7月16日通りのマーケットと泥棒市は全く別物だよ」とのこと。場所は同じらしいのだが、泥棒市は深夜3時頃から始まり、日の出前に撤収するそうだ。でも深夜から販売してお客なんて来るのかしら。どうやって取引するの?と聞くと携帯のライトをかざして交渉するのさ、とグイドさん。グイドさんの言葉を信じると、ラパスの一般旅行者の旅行記などを読んでいると泥棒市についての記事は全部この7月16日通りマーケットのことだったので混乱する方もいらっしゃるかもしれませんが念のため。
マーケットをうろうろするとしょっぱなからいろんなものが目に飛び込んでくる。まず生肉と臓物。生肉は海外の市場であれば頻繁に目撃するが、臓物は珍しい。ちょっと鼻をつまみたくなるような光景だ。
そして次に訪れたのはペットセクション。犬や猫はもちろん、ウサギやインコまでいる。ボリビア人はペットが大好きみたいで、ラパスやウユニの街中でもペットを散歩させている人たちが沢山いた。それもそこまで裕福そうに見えない身なりの人まで。日本だとある程度金銭に余裕がないとペットは飼えないイメージがあるけど、ボリビアではどうなのですか?とグイドさんに聞くと、「買い方によるんじゃないですか」とのこと。そりゃそうだ。


ペットセクションからいつしか家具セクションへ。
ベッドやテーブルはもちろん、システムキッチンなども売られている。しかしここで購入してどうやって持って帰るんですか?とグイドさんに質問。大抵デリバリーフィーが含まれていますよ、とのこと。木目調の綺麗な大きいダイニングテーブルがあったので値段を確認するとアメリカドルで180$ほどだそうだ。それは安い。グイドさんが付け加える「椅子6脚ついています」。めちゃめちゃ安いけど郵送費の方が絶対高くなるよなぁ。
その後、自転車・乾物・家電・DVD・CD・衣類、古着などの様々なセクションをあてもなくウロウロ。どうみてもガラクタとしか見えないジャンク品を売っているセクションもあった。秋葉原もここまではきていないと思う。
何気なく驚いたのが韓流ドラマ・アイドル。ここボリビアでも人気があるらしくポスターやDVDが沢山売られていたことだ。以前アルジェリアの旅行記でも書いたが、中近東の国だけでなく南米の国でも韓流ブームが来ているという事実は韓国エンターテイメントの世界戦略には感心せざるを得ない。理屈としては分かるが、アジア顔に南米の人たちが感情移入するのはなんだか妄想すると面白い。
1時間も歩くとあまりの人だかりで疲れてきたので、早々と退散。必ず訪問した方がいいとは言えないが、もし滞在が日曜か木曜日に当たれば一度訪れてみては?





その後、ラパスの初日のホテルと同じ、ホスタルナイラに早々にチェックイン。
ウユニ滞在中に預けていた荷物を受け取り、部屋でしばし休息。
12時ごろ、グイドさんと待ち合わせて昼食へ。
ホステルナイラから歩いて5分程度にあるホテル、プレジデンテ2階のカントゥータというレストラン。ブッフェ形式でエビ、牛肉、豚肉などのボリュームたっぷりな料理が目白押し。もちろんサラダバーやフルーツコーナーもある。
ただ病み上がりの私には少々、ヘビー過ぎた。
その後、街をウロウロ散策し、午後5時にグイドさんと再集合。
この日のメインの目的であるおばちゃんプロレス(おばプロ)を見に行くためだ。
●おばちゃんプロレス(おばプロ)
毎週日曜日にボリビア名物のイベントが行われるという情報を耳にしたので覗かせてもらうことに。それはおばちゃんプロレス。山高帽をかぶった三つ編みのいかにもチョリータ姿の女性たちがリングの上で戦いを繰り広げるという。
おばプロはエルアルトにて行われる。
(坂道を登る途中、あまりに綺麗なラパスの街並みが見えたのでグイドさんにお願いして写真を撮らせてもらった。)

おばプロの会場に到着。試合は16:00から行われているようで終了は19:00までだった。私は最後の3試合ほど見たがなかなか面白かった。


1試合目:悪玉おばちゃんvs善玉おばちゃん(A)
登場は悪玉おばちゃんから。入場曲に合わせてノリノリでおばちゃんが登場。しかし観客からはブーイング。それで怒り出す悪玉おばちゃん。ガラガラ声で観客に怒鳴りちらし、あろうことか観客に水をぶちまける。そしてリングに上がる。
次に登場したのは善玉おばちゃん。歓声があがる。それを不機嫌に見つめる悪玉おばちゃん。まずは口喧嘩から始まり、いつの間にか試合へ。
善玉おばちゃんは防戦一方。しかも審判からも不意打ちの攻撃を食らう。どうやら審判からも悪いやつで悪玉おばちゃんとグルらしい。審判はリング上のゴミをリング外に蹴飛ばし掃除するふりして善玉おばちゃんにキック(なんじゃそりゃ)。
途中、リングポストに登り観客に向かい勝利の雄叫びをあげるもの観客からブーイング。観客の声援におされ善玉おばちゃんが攻撃に転じる。徐々に悪玉おばちゃんを追い詰めるも、悪玉おばちゃんも負けじと抗戦。
そこでなぜか善玉おばちゃんの助っ人があわられて(?)、試合は善玉おばちゃん有利な流れへ。アンフェアーな審判にも関わらず善玉おばちゃんが勝利した。
もちろん、解説はすべてスペイン語なのでなぜおばちゃん同士が戦わなくてはならないのか、審判は何者なのか、助っ人が来てもルール的に問題無いのか、など疑問は尽きないがボリビア人の国民性に触れるという意味では非常に楽しかった。




2試合目:覆面レスラーvs善玉おばちゃん(B)
そして次の試合。まず善玉おばちゃんが出てくる。おばちゃんというにはまだ若いぞ。対戦相手として出てきたのが覆面レスラー。体格からしてどう考えても男性。さっきのはおばちゃん同士の戦いだったが、男性vs女性の戦いもあるんだな。
実はこの試合あまり覚えていない。というのは第1試合で活躍したおばプロたちが試合会場に出てきて写真の撮影大会となったためだ。そのためみんな試合なんてそっちのけ。ちょっとかわいそうだった。
撮影で最も人気だったのは悪玉おばちゃんだった。やはりキャラクターがいいのか、外国人観光客をはじめとして引っ張りだこだった。その分、善玉おばちゃんはキャラ的に押しは弱いのか撮影の人気でいうと完敗していた。
それでも悪玉おばちゃんと善玉おばちゃんはリング外でも仲良い素振りを見せないのはさすが。
しかし試合中に撮影に応じるのは試合中の選手に対してどうなの?と思ったがこれもボリビア気質かもしれない。
第3試合:白ミイラvs黒ミイラ
これが一番なぞだった。なぜミイラ同士で戦うのか(誰か事情を知っている人教えて下さい)。試合終盤になるとそれぞれのミイラが東側・西側の観客席にやってきて、観客たちがミイラから逃げ出す形でスタジアムを追い出され、いつの間にかプロレスイベント自体が終わっていた。




●夜のテレフェリコ
プロレス観戦後はグイドさんにお願いして、夜のロープウェイに連れて行ってもらった。ラパス初日の市内観光時、昼間テレフェリコに乗ったのだが、夜でもこれは絶対面白いと思い、再チャレンジさせてもらった。
やはり予想通り面白かった。特徴あるラパスの街並みを上空から移動しながら移動するのはさながら自分が宙を舞っているような感覚だ。
これが6人乗りではなく2、3人乗りの個室だったらカップルに大人気になるだろう。しかも片道3ボリビアーノ(日本円で60円未満)。高い金払って日本の観覧車に乗るよりもよほどこちらの方が面白い(ラパスに行くまでが大変だけど)。




●ケンちゃんのかつ丼
夕食は日本食レストランのケンちゃんに行く。
ボリビアの食事もおいしいけど、高山病で体調もいまいちで、少々胃がもたれてきた。旅も後半に差し掛かってきた今夜、やはりここは日本食で活力を取り戻したい(?)。すでに何人かの日本人グループがいて盛り上がっていた。また現地のボリビア人のみのグループも数組来店していたのでボリビア人にも人気があるようだ。
私はカツ丼をオーダー(56ボリビアーノ)。
待つこと7、8分。蓋を開けて感動。カツ丼である。地球の裏側でカツ丼が食べられるなんて。味はいたってオーソドックスなカツ丼、つまり超美味しい。
ケンちゃんの味が日本の定食屋さんと比べてどうかというと、「その他大勢」に埋没する程度のクオリティなのだが、それでも日本の味をここラパスで再現するというのは並ならぬ労力があったことは想像に難く無い。そもそもラパスは標高が高いためコメの炊き方一つとっても違うわけだし、日本の味を再現するといっても現地のボリビア人シェフに日本の味を伝えることも至難の技だったことだろう。ケンちゃんありがとう。おかげで明日からも元気に過ごせそうです。

ケンちゃんからホステルナイラへは腹ごなしに15分ほど夜のラパスの街を歩いて戻る。歩くだけなのに標高が高いせいかどっと疲れた。
○6日目
朝7時にガイドのグイドさんと合流し、この日の目的地であるラパスから約2時間、チチカカ湖を目指す。
●チチカカ湖・浮島観光
標高3890mの高地に広がる、汽船の運行する湖としては世界最大のチチカカ湖。
チチカカ湖といえばどことなく私はペルーのイメージがあるのだが皆さんはどうでしょうか?実は私ペルーには行ったことはあるのですがチチカカ湖にはいったことがないくちでして、今回初チチカカです。今回ボリビア側から訪れてみてその良さがわかったのでお知らせします。
・ボリビアから訪れる3つのメリット
① ボリビア側の方が考古学的・歴史的に価値の高い島が多い。
② ラパスから日帰りで行ける
③ ペルー側から行くより観光客が少ない。
まず①ですがチチカカ湖で最も重要な島はすべてボリビア側にある。なかでも最も大きな島である太陽の島は、あのインカ帝国の歴史が始まったとされ、となりの月の島とあわせて聖地として崇拝の対象となっている。またチチカカ湖に突き出した半島の街・コパカバーナにはスペイン統治時代にここを聖地にすべく立派なカテドラルが建てられ、隣国ペルーからの参拝者も絶えないのだそう。
②、これが最も大きなメリットと言っても差し支えない。ラパスからは車で約2時間。これがペルーだとこうもいかない。ペルーからチチカカ湖に行くにはまず首都のリマからクスコに行かなければならない。しかもそこからチチカカ湖への出発地となる街・プーノへは飛行機はないためバスで約10時間もかかる。つまりチチカカ湖に行くためだけに最低2泊は犠牲にしなければならないのだ。
しかしラパスからの場合、クルーズのみは半日、浮島訪問したとしても朝出発して午後過ぎにはラパスに戻れる。なんとうれしい。
そして③。前述したようになぜかペルー側から入る観光客が多いイメージのあるチチカカ湖。実際、ペルー側から行く人気の半日クルーズで訪れるウロス島は1日1000人近い人々が来島するらしい(ボリビアのガイド曰く)。当然ながらその分、浮島の面積も大きいが観光地化されている感じは否めない。ボリビア側で今回私が訪れたKEWAYA島の浮島は一家族分の居住空間くらいしかない、直径50mのこじんまりした浮島だ。もちろん土産の押し売りなんかもない。実際この日の観光客は私一人だったし。そういった意味ではボリビア側の方がローカルな生活に近いものが見ることができる。
今回、私が参加したのは太陽の島やコパカバーナにも立ち寄らない7時間のコース。チチカカ湖の湖畔のボート屋「KON TIKI」に到着。このボート屋、ただのボート屋ではないらしく博物館を持っているので中に入ってみると、なんと葦船でモロッコから西インド諸島まで横断した人類学者ヘイエダールの船を作った方のお家らしい。
そんなKON TIKIからモーターボートに揺られ30分(葦船がいいと言ったがスピードが出ないという理由で断られた)、ついたのはKEWAYA島。



船着場から歩くと小規模なマーケットが。ここの村には約800人の人々が住んでいるらしい。小学校もある。歩いていると鳥の鳴き声なんかが聞こえ、山間に見えるチチカカ湖の風情も相まって、歩いているだけで気持ちがいい。まるで瀬戸内海の島の風光明媚な村を散歩しているようだ。これが実は標高3800mの湖というのだからなんだか面白い。
村を抜けて、浮島へは手漕ぎボートへ。




一家族分の面積しかないだろうこじんまりした浮島には古代から続く生活の一部が垣間見られる。この家族のあるじの寝室(もちろん葦でできた家)を見せてもらうと、葦を引いた立派なソファにフカフカのベッドまである。こんなところで1泊したら面白いだろうなぁ。
浮島訪問を経て、ボートで船付き場へ戻り、ランチ。




ボート屋さんから車で3分くらいのローカルレストランへ。
どうやらこのレストランではチチカカ湖でとれるトラウト(鱒)を出してくれるらしく期待が高まる。
トラウトの焼き方にも色々な調理方があるようで、私はあまりヘビーでない、グリルのトラウトにした(こちらでは油で揚げ焼きする調理方が一般的らしいのでグリルと指定しないと日本人には油っぽいかもしれない)。もちろん大変おいしい。醤油があればなおよし。



ランチタイムのあとはラパスに戻り、ホテルにチェックイン。
この日のホテルはエルドラード(El Dorado)。
●エルドラード
ラパス中心部、学生広場にあるスタンダードホテル。近くには日本のガイドブックにも紹介されている日本料理屋のケンちゃんやアレキサンダーカフェなどもあり食事に困ることはない。ホテルは年季の入った建物なので最初はとまどったが室内は比較的清潔感がある。ホステルナイラとは違い高層のホテルなので宿泊する部屋によっては夜景が楽しめるのもグッド。室内にはバスタブ、テレビあり。WIFIは室内でも無料で利用可能。スリッパやセーフティーボックス、ミニバーはない。(ドライヤーはフロントで貸し出し)


●ラパスでお土産物色
ラパス最終日とあってこの日にお土産を買いにスーパーへ行った。ちょっとした小物などであればサガルナガ通り周辺が豊富だが、モノよりも食べられるものの方が受け取る方も困らないのではと思い、いつも食べ物を買って帰ることが多い。ラパスのスーパーではウユニの塩やキヌアを使ったチョコレートを購入した。


●フォルクローレディナーショー
エルドラードで休憩した後はボリビア最後の食事を楽しむために夜7時にグイドさんと合流してフォルクローレディナーショーに出発。
サガルナガ通りのレストランに到着。ディナーショーは8時だからまだ我々しかいない。グイドさんが明日のアメリカン航空搭乗のためのホテル出発時間がAM3時だからということで気をきかせてくれたのだ。
レストランではまずメインディッシュと飲み物を決める。私はビーフステーキのトマトオニオンソースにした。メインディッシュを決めればあらかじめ用意されているサラダバーを自由に食べられる。
8時に近づくにつれ徐々にレストランも混雑してきた。メインディッシュが出てくるまで20分くらいかかっていたので早めに到着して正解かもしれない。



8時になりショーがスタート。まずはたて笛の演奏。目を閉じるとアンデスの山々の情景が目に浮かぶようだ。そして次に4人組のバンドが登場。もちろん全て伝統楽器だ。4人組になるとやはり音に厚みがある。数曲演奏した後ステージに踊り子達が現れ、民族舞踊を披露してくれる。これもなかなか面白かった。
私は明日の出発時間の関係もあり鑑賞は21:00で切り上げたがショーはあと1時間続くらしいので、時間的に余裕があれば是非見た方がいいだろう。なお演奏後は各ミュージシャンが自分のCDを手売りしてくれるので気に入ったらその場で購入できるのもうれしい。
○7日目
AM3時にホテルロビーに集合。
空港へは30分ほど。アメリカン航空の場合はまずキオスクで各自チェックインを行う。印刷されたボーディングパスを持ってアメリカン航空のカウンターへ。
なお荷物を預ける前にアメリカン航空に提出する書類を2枚記入しておかないといけないのでペンを忘れずに。その後無事荷物のチェックインを終えてグイドさんとお別れ。色々あったがボリビアの滞在もこれで最後と思うと名残惜しい。
空港でいくつか土産物の買い足し(ウユニの塩を使ったチョコレートが空港でもいくつか売っている。しかもスーパーと値段がそこまで変わらなかった)して、出国・手荷物検査へ。
アメリカン航空ラパス発のマイアミ行きは2016年現在まず、サンタクルスに到着する。
往路のマイアミ発ラパス行きは直航便だが、復路はサンタクルス経由マイアミ行きとなる。つまりマイアミ・ラパス・サンタクルスを三角形で結んだ飛び方をしているので要注意。
サンタクルスはラパス行きの乗客も含め全員降機させられ、空港内にて1時間ほど待機。搭乗前に簡単な荷物検査を受けて再度飛行機に乗り込む。
そこからマイアミまでおよそ7時間のフライト。機内食は朝食と軽食の2回でるが味はイマイチ。
マイアミ到着後、例のごとく入国審査と荷物のピックアップ。
マイアミ空港ではキオスクで各自チェックインした後のレシートを持って全員、入国管理官のチェックが入る。ダラス空港ではおよそ半数近くしか管理官のチェックはなかったがマイアミ空港では乗客全員チェックされる。また税関申告書も往路のダラス空港ではキオスクでの手続き時に質問項目をすべて答えさせられるのでマイアミ空港でも記入不要かと思ったが、入国管理官に書いてくださいと言われた。でも結果なぜか書かずに通してくれた。このことが意味するのは「本来は書かなくともいいけど、建前としては書いてください」ということなのだろうか。ということであれば何のためのキオスクなのだろう。ダラス空港の乗継よりもマイアミ空港の乗継の方が一層厳しく感じた。私の入国管理官も色々細かく質問をしてきたので、きっと切り直し前のパスポートなんて持って行ったら中近東のスタンプばかりで確実に別室行きだろう(偶然にもこの日ベルギーにてISによるテロがあった)。
その後荷物をピックアップ(ラパス発のレーンで荷物を探していたがなかったので、もしやと思いサンタクルス発のバゲージクレームを確認したら出てきた)。
荷物を再度預けて、身体・手荷物検査を経て搭乗口へ。やっと自由の身である。
乗継時間が約4時間あるのでその間にマイアミ空港内のレストランで食べ直した。
マイアミからボストンへのフライトは3時間ちょっと。飲み物のサービスが1回だけでた。距離感があまりつかめなかったのだけど同じアメリカでも南のマイアミから北のボストンまでは飛行機でも時間がかかるものなのだなぁ。調べてみたらこの時間は札幌/那覇間のフライトと同程度の移動時間である。アメリカは広いなぁと今更ながら感じた。
●ボストン到着
ボストン空港到着。ボストンの空港はいつもの「アメリカの空港」という味気ない造り。「機能性だけに意味がある」とでも言いたげな空港が多い。空港に個性をもたせてはいけない決まりでもあるのかな。
ボストン空港から市内へは4つの行き方がある。
① タクシー
② レンタカー
③ 乗り合いシャトルバス
④ 空港バス+地下鉄
ます①は値段が高いので今回は×、②はたった2泊の滞在なので論外、残るは③か④だが、乗り合いシャトルバスはすでに0時をまわっており待合室にだれもいなかったので諦め、消去方で④にした。
まずバゲージクレームのフロアの出口から空港シャトルバスのバス停を見つけ、それに乗る。空港の最寄りの地下鉄はブルーラインかシルバーラインの2路線あり今回宿泊するホテルへはブルーラインに乗るのが便利そうなので、ブルーラインの空港駅へ接続するシャトルバスに乗った。なお空港のシャトルバスは無料である。
ブルーラインの空港駅で地下鉄のチケットを購入。まごついていると駅員がやってきて代わりに操作してくれた。片道2.65$。
実はこの時、すでに終電の時間が近づいており出発しそうな列車に飛び乗ったところ逆方向だった。すぐに気付いて次の駅でおりて、本来の方向に乗り換えた。
幸いにも終電の列車に間に合ったらしく事無きをえた。しかしボストン中心部を走る平日の地下鉄は終電だというのに人はまばら。サラリーマンは一人もいない。酔っ払いすら乗っていない。日本の地下鉄だと終電はラッシュ時と同じくらい混む時もあるのに。本来の生活ってこういうもんだよなぁ、日本は長寿の国だけど遅くまで仕事したり、早く上がる日は飲み会があったりで、不健康な国だよなぁとぼんやり考えた。
ブルーラインからグリーンラインへの乗り換え(要領は日本の地下鉄と同じ)、ホテル最寄りの地下鉄で下車し、ホテル・ミッドタウン(MIDTOWN)へ。
●ミッドダウン
ボストン中心部バックベイエリア、賑やかなニューベリー通りは徒歩圏内のスタンダードホテル。最寄りの地下鉄駅SYMPHONYから徒歩2分ほど。なお地下鉄駅名はその名の通りシンフォニーホールが目の前にある。このホールは、かのボストン交響楽団が本拠地にしている由緒あるもので、そのシンフォニーホールと向かい合うように建てられているのがこのホテルである。低層の中規模ホテルで、年代を感じられる造りではあるが手入れが行き届いているらしく嫌な感じはしない。部屋は広め。室内にはドライヤー、テレビ、アイロン、バスタブ、セーフティーボックスあり。無料のWIFIもありスピードもなかなか快適。スリッパやミニバーはない。夜のフロントのスタッフは黒人のいかついお兄さん達なので最初は正直びびったが、ホテルの質やロケーション・値段を考慮すると個人的には大満足。朝食はないが9時前に外にでたらホテルの前にフードトラックがあった。


すでに1時をまわっており、明日も早いので早めの就寝。
(結局、飛行機の中で細切れに睡眠をとってしまったのでこの日は寝付けなかった。)
○8日目
この日は日本語ボストン観光。
出発は9時だがその前に妻に買い物を頼まれていたので、トレーダージョーズというスーパーマーケットに行く。
ボストン中心部には規模は小さめだがホールフーズ等日本人にも知られているスーパーマーケットがいくつかある。また宿泊したホテルから徒歩圏内のコープリーには24時間営業のスターというスーパーマーケットもあった。
今回の目的のトレーダージョーズはその大半がプライベートブランドでなおかつ安く、日本人の我々から見ると面白い商品が多い。
一旦、お土産をホテルに置きに戻り、ホテル外のフードトラックにて朝食を食べながらツアーの出発場所であるマリオットホテルを目指す。
●日本語ボストン半日観光+ボストン美術館入場
ボストン在住のガイド、鈴木さんと合流し、まず向かったのはハーバード大学。
ボストンからハーバード橋を渡りチャールズ川を見ながらケンブリッジへ。チャールズ川ではレガッタに勤しむ学生達がいた。ボストンらしい光景だ。冬になるとこのチャールズ川は凍ることもあるらしい。
いわゆる旅行者の考える「ボストン」とはこのチャールズ川沿いのボストン市とケンブリッジ市のことを指す。この2つの市に住む人々の生活圏はほぼ同じである。
マサチューセッツ工科大学を車窓から眺めて、ハーバードスクエアへ。
ハーバード大学は1636年創設のアメリカ最古であり最高峰の大学。アメリカのみならず世界最高クラスの教育水準を誇る。
ハーバード大学の構内へは簡単に入れる。小ぶりな門があり、門には守衛らしい人はいない。このエリア自体がハーバードの不動産らしく(周囲をすべて買い取っている)、いつの間にか大学の構内に入っていたような感じだ。
守衛はいないようだが構内には警官や警察車両を目にした。アメリカの大学には州の警察とは別に学内の警察組織があるらしい。私は、「構内でそんな事件なんて起こるものなんですか?」「起こりますよ。特に盗難ですね。あとはレイプ、殺人」。さすが世界に名のある大学は資産家のご令嬢・ご子息も在籍するため狙われる事も多いのだろうか。
大学の最初の支援者であり名前の由来となったジョン・ハーバードの像の前で記念写真。足を観光客の皆さんは触るので足がつるつるに。足を触れば頭が良くなると言われているそうだ。「どちらかというと足でなくて頭を触った方がいいですよね?」「そうですね、でも届かないんじゃないですか?」「たしかに」。というわけで背が高い人は頭を触ったらいいと思う。


ジョン・ハーバードが見つめる先、正門を抜けてハーバードの街へ。ハーバードの街には中華料理や日本のラーメン屋さん、メキシコ料理など各国からやってくる学生向けに様々なレストランがある。もちろんスターバックスをはじめとしたカフェも充実。ハーバード生御用達であろうシャツ屋・靴屋・文具屋・製本屋など学生街らしい店並びも面白い。その中でも観光客が最も楽しめるのはやはり大学の生協だろう。
ハーバード大学のロゴが入ったあらゆるものが売られている。Tシャツはもちろん。パーカー・スエット・スタジアムジャンパー・キャップ・ナップサック・トートバッグ・体操着・文具・マグ・タンブラー、さらにはチョコレートまで。商品の種類は勿論、そのバリエーションも豊か。例えば帽子一つとっても、大学の代表カラーであるえんじ色だけでなくカラーバリエーションがいくつもあり、ロゴもHARVARDと書かれているものもあればHだけが書かれているものも。
私が感心したのが様々なスポーツブランドとのコラボグッズである。見ただけでもナイキ、チャンピオン、アンダーアーマーなど。一般的には普段使いはしないであろうこういった大学グッズであるがスポーツブランドとのダブルネームの商品であれば実用的であろう。私はスポーツタイプの靴下をかった。苗字のHASHIMOTOの「H」のロゴのはいったキャップやTシャツを買っても良かったのだが、イニシャルHの人がHの帽子を被るのはいかにも過ぎてこっぱずかしい。それに何と言ってもHは変態のHだ。またなぜか生協でMIT(マサチューセッツ工科大学)のロゴの商品も見かけたので鈴木さんに質問したら「よく聞かれるんじゃないでしょうか?MITの商品はないですかって」ハーバードの生協はマサチューセッツ工科大学の生協と母体は同じらしいので、別の大学の商品も売っているということである。さすがは商売上手。


そしてケンブリッジからボストンに戻り。ボストン中心部の史跡を車窓見学。
アメリカ発の植物園・パブリックガーデン、アメリカ最古の公園・ボストンコモン、マサチューセッツ州会議事堂、ビーコンヒルの住宅街、ボストン茶会事件のあったウォーターフロントなどの説明に耳を傾けながらクインシーマーケットに到着。
クインシーマーケットはボストンで最も観光客で溢れる場所かもしれない。まるで古代ギリシャ建築のような荘厳な印象とは一転、内部はボストン名物のシーフード料理からイタリアン、中華料理にインド料理、日本料理など多種多様なフードコートが軒を連ねている。このクインシーマーケットの周りには日本でもお馴染みのアパレルブランドなどの店舗が多数。すぐ正面には街の集会場でありあのサミュエル・アダムスが演説を行ったとされるファニュエルホールがある。
お昼時には少し早いが次のボストン美術館に備えここで昼食。ガイドの鈴木さんがオススメなのロブスターロールとクラムチャウダーのセット。サンドイッチにはボストン名物ロブスターの大ぶりの身が入っており、クラムチャウダーはもちろんニューイングランド風。あさりもたっぷりでホクホクして美味しい。


昼食の後はクインシーマーケット周辺を散策。
その後、ボストンの繁華街コープリースクエアのトリニティ教会を車窓から見学し、ボストン美術館へ。
アメリカ三大美術館に数えられるほど、世界トップクラスの至宝が眠るボストン美術館。このコレクションは多岐にわたりアジア美術・エジプト美術・ギリシャ美術・ヨーロッパ美術・アメリカ美術さらに現代美術にわたる。展示されるものは絵画のみならず写真や装飾など多様。特に印象派のコレクションは素晴らしくモネ、ゴッホ、ルノワールなどがある。また海外で見られる日本美術についても最大級の作品数を所有しており、北斎などの浮世絵を始め狩野永徳の屏風絵、奈良時代の曼荼羅など国宝級の作品も多い。日本風の展示室も含めて大変興味深い内容となっている。




ツアー中にボストン美術館の入場が含まれている場合は一般の入場口とは異なる。そのため繁忙期には入場券を買うために並ぶ必要がなくなるのが嬉しい。
ボストン美術館にてお世話になった鈴木さんとはここでお別れ。短時間でボストン中心部の見どころを周遊できた。
なお美術館内には大きな荷物は持っていけないため手荷物は少なめにしよう。
じっくり見る時間がない人はボストン美術館の日本ご案内書を手に取ろう。特に有名な作品の所在地が一目でわかるように星印がつけられている。それだけ見るのであれば、最低1時間半あれば鑑賞できる。
ボストン美術館を後にして、私は徒歩でホテルまで戻った。美術館のそばにはグリーンラインの地下鉄駅やタクシーが待機しているので、徒歩でなくとも歩いて帰るには問題ないだろう。
ホテルに不要な荷物を置いて、午後からは一人でボストンの街を散策。
●ビーコンヒルエリア
午前中車窓見学した中で特にフォトジェニックなビーコンヒルまでホテルから歩いて向かった。ボストン賑やかな目抜き通りであり、歴史あるボストンマラソンのゴール地点であるボイルストン通り、コープリースクエアを抜け、ボストン子の憩いの場・穏やかなパブリックガーデンとボストンコモンを経てビーコンヒルへ。
ビーコンヒルの住宅街は1800年代に建てられた茶色い煉瓦造りの建物が並ぶボストンらしい歴史を感じる街並み。このエリアは景観保存地区に指定されており、家主といえども勝手に家のデザインを変更することはできない。修理するのも市の許可を得なければならないという。鈴木さん曰く「世界遺産には歴史はまだまだ浅いけれども時を経ればいずれそうなる場所」との言葉は納得させられる。


ビーコンヒルエリアで面白い通りを2つ紹介したい。
1つはエーコン通り。
絵葉書にも使われるという石畳の細い通り。車のない時代作られたことがわかるような狭さに当時の面影を最もよく感じさせられる。
2つ目はチャールズ通り。
ビーコンヒルエリアの歴史あるショッピングストリート。この通りで面白いのは店が掲げる看板。酒を出す店であればビールピッチャー、レストランであれば銀盃に盛られた果物、金物屋であればヤカン、薬局であれば調合に使われる擂り粉木と鉢がオブジェとして軒先に飾られている。鈴木さんの説明によるとかつて黒人奴隷が多く住んでいたビーコンヒルで文字のわからない彼らにも分かるようにするための配慮とのこと。さらに面白いことにこのエリアには1800年ごろに無かったであろうお店は開いてはならない。例えば洋服屋・酒屋・レストラン・郵便局はOKだが携帯関連やコンピュータショップはない。そこまで徹底している。
私はこの歴史あるチャールズ通りでビールのピッチャーの看板のパブへ。
ボストンに来たら飲みたいビールがある。それはアメリカで最もポピュラーなクラフトビールとされるサミュエル・アダムスだ。ボストンはそのサミュエル・アダムスの発祥の地でありそのビール工場見学はボストン観光の目玉となっている。そのサミュエル・アダムスのドラフト(生)ビールはボストンのパブであれば大抵飲める。どうせ飲むならボストンらしい場所で飲みたい!ということでこのチャールズ通りの老舗で飲ませてもらうことにした。歴史ある店だから観光客であることをいいことに写真をバシャバシャ撮っていたら昼間から飲んでいるおじさんに絡まれた。「ここあたりはチアーズという番組の撮影場所にもなったんだ」「ボストン図書館に行ったか?」「フェンウエイパークも最高だぞ」など教えてもらう。
樽だしのサミュエル・アダムスの味ももちろん最高。ボストンありがとう。




その後チャールズ川沿いを歩く。
ボストンはさすがマラソンの街らしく、ランナーの姿を多く見受ける。3月のボストンはまだ空気がひんやり冷たくしんとしている季節でマラソンにはもってこいの時期だ。皆4月のボストンマラソンに向けて入念なトレーニングをしていることだろう。




夕食は鈴木さんのお勧め、イタリアン料理を出すバー、ウノへ。
ウノはその名の通りイタリアンを出すレストラン。バーカウンターとテーブルで食べるエリアに分かれている。私はテーブルに座りピザとハープーン(これもボストン発のクラフトビール) をオーダー。
なお店でアルコールを注文する場合はIDをチェックされるのでパブに出かける際は必ずパスポートを持参するように。

満足してホテルに戻り、明日の出発に備えホテルで眠りにつく。
○9日目
朝5時半にホテルをでて空港へ向かう。
ボストン到着時同様、地下鉄と空港シャトルバスを使った。
空港に到着したのは6:30。朝早いにもかかわらずすでにボストン空港は沢山の乗客で賑わいを見せていた。
オンラインチェックインをあらかじめ終えていたのだが、キオスクでバゲージのタグを自分で出す必要があるらしくもう一度チェックイン手続きをした。
身体検査・荷物検査を終えて搭乗エリアへ。ボストン最後の食事はボストン発祥のダンキンドーナツで。
そうして私はシカゴ乗り継ぎで無事成田への帰途へついた。
ウユニ塩湖:★★★★★L
ラパス:★★★★★
ボストン:★★★★★
(2016年3月 橋本康弘)
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