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- 今年は日本・ブータン外交関係樹立30周年記念イヤー!キング・オブ・ブータンがブータンサッカー界に日本のキング・カズを招へいする?
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- アジア>ブータン>パロ
- アジア>ブータン>プナカ
- アジア>ブータン>ブータンその他の都市
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 グルメ
- 投稿日:2016/06/23 16:11
一般家庭で夕食をごちそうになりお酒のフルコースで二日酔い
2011年11月、現国王である第5代国王(ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク=1980年生まれ)が即位後初の外遊先として選んだのが日本でした。とても美しく麗しい王妃とともに訪問され、日本でもブームになりました。そして、今年2月、国王ご夫妻に王子が誕生し、ブータンでは王子様ブームの真っただ中です。
まず、ブータンのことを簡単に紹介しておきましょう。
ブータンは、1971年に国連に加盟するまで長らく鎖国政策を続けていました。1974年に初めて外国人観光客の入国を認め、日本と外交関係を樹立したのが1986年。今年は節目の30周年です。1999年に初めて衛星放送の受信とテレビ放送を開始。同時にインターネット接続を許可。言語はゾンカ語。小学校から英語を学ぶブータン国民は流暢に英語を話します。他にもインドのヒンディー語を話せる人も多いです。とうがらしを多く使うのでとても辛い料理が多いです。しかし、海外からの旅行者には、辛さを控えめに、もしくは、使わないようにしてくれますので心配無用です。人口は約80万人。世界187か国中158位(出典: 2014年CIA - The World Factbook)。首都はティンプー。通貨はニュルタムで、1ニュルタム=約1.8円(2016年3月現在)。インドルピーと連動しています。インドとの経済的な強いつながりがわかります。物価の指標として、iPhone5s=52000ニュルタム=約¥94000、iPhone6=64000ニュルタム=約¥115200でプリペイ方式。国の産業は酪農業が主で、すべて自給自足と言いたいところですが、肉類はインドからの輸入に頼っています。他に産業らしい産業と言えば、自然を生かした水力発電です。電気の安定供給に不安のあるインドに電気を売って外貨を得ています。そして、ブータンの秘境的なイメージを前面に押し出した観光業が盛んです。私が訪問した時は、中国(香港含む)、台湾からの観光客が多かったように思いました。日本含めインドなどから、政府開発援助(ODA)を受け、さらなる発展を目指しています。
1971年に「開国後」ゆっくりとしたペースで着実に近代化政策を進め、1990年代末から先代国王(第4代=現国王の父)の強いリーダーシップの下、何と王制から議会制民主主義体制への移行準備を開始しました。その後、王位を継承した現国王(第5代)が一部国民の反対を押し切り、2008年ブータン初の総選挙が行われ、初めて国会が開かれました。国王が主導して作り上げた民主主義国家の誕生です。国民から絶大な信頼を得る頼もしい国王がいる国・ブータン。王制のままがよいと国王に直訴する国民がいる国・ブータン。国民の幸福が経済成長より重視される国・ブータン。実におもしろいです!
「ぶっかけご飯が大好きな私にはブータン料理は最高!」
ブータン料理の王道と言われるのが、干し肉を使った料理です。「パクシャパ」は豚肉、「ノウシャパ」は牛肉と唐辛子と野菜をチーズと一緒に煮込んだものです。唐辛子の量で辛さを簡単に調整できます。辛い物好きのブータン人はびっくりするくらいの唐辛子を入れて煮込みます。
これが本場の「パクシャパ」(ガイドさん用の料理)
辛さは別にして、肉の旨みが出てとてもよい味です。これをご飯に掛けて食べるととても美味い!毎回食べ過ぎの私でした。ただ、この肉はすべて輸入に頼っています。動物は殺してはいけないという仏教の教えからだそうです。川に魚はいますが、釣りは禁止です。つまり、食用の魚も輸入に頼っています。主にインドからの輸入です。
ブータンで食べる食事はほとんどビュッフェスタイル
国産ビールの「DRUK」
「DRUK PREMIUM」もある(値段は同じ)
辛い物好きのブータン人の料理に欠かせないものが、これまた辛い、「エマダツィ」。エマ=唐辛子とダツィ=チーズを混ぜ合わせて煮込んだもので、さらに辛みが欲しい時に料理に混ぜて味を調整します。エマダツィだけをご飯にのせて食べるのもブータン料理の定番です。外国人に対しては罰ゲームで使えるメニューです。チーズを好まない気分の時は、「エヅェ」=トウガラシを玉葱で炒めたものを同じ用途で使います。
作る人によって雰囲気が変わる「エマダツィ」
市場に積まれた「ぜんまい」
おいしそうなアスパラ
くだものも豊富
「モモ」=ブータン式蒸し餃子も美味いです。これはネパール料理としてお馴染みだと思います。私がブータンを訪れた3月は、ぜんまいの季節です。煮込んだぜんまいはとてもやわらかく箸休めに最適。他に、アスパラ、じゃがいも、キャベツ、大根、ナス、ニンジン、インゲン豆等々豊富な種類の野菜が食べられるのもうれしいです。市場にたくさん売っていました。
「これからのブータンは歯医者と眼医者が大忙し」
ブータンの年齢別人口分布は、0〜24歳が47%、25歳以上が53%です。(出典: 2014年CIA - The World Factbook)因みに、日本の年齢別人口分布は、0〜24歳が22%です。(出典:2014年総務省統計局発表)このデータから見てもわかるように、ブータンの近代化政策は今後、より一層活発化していくことでしょう。逆に言うと、国として急務の作業とも言えます。
かわいらしい小坊主さん
カメラを構えるまでは笑ってた
表情が硬い
滞在中、いろんな場所でブータンの子供たちと接触する機会がありました。基本的に内気でおとなしく、子供たちから積極的に話しかけてくることはありませんでした。カメラを向けるとそれまでの笑顔がなくなり、姿勢正しくきりりとした顔で撮影に応じてくれ、「スマ〜イル」って声を掛けてあげて、やっとリラックスしてくれます。
日本のとある団体が行った、子供が将来なりたい職業の調査結果(2015年)の情報を見つけました。男子の1位は「サッカー選手」。続いて、2位は「科学者」、3位は同率で「警察官」「お医者さん」という結果でした。また5位には「電車の運転手」「ゲームクリエイター」「マンガ家」が並んでいます。一方、女子の1位は「パティシエ」。次いで、2位「お医者さん」、3位「幼稚園・保育園の先生」。4位「デザイナー」、5位「スポーツ選手」と続いています。
ガイドさんに聞いてみましたが、ブータンの子供たちに共通の人気職業は特にはないそうです。産業が少ない国なので、無理もないことかなとは思います。近代化が進むブータンで、これからのブータンの発展を担う子供たちにどのような世界が提供されていくのでしょうか。
今回、私が宿泊した鶴の飛来で有名なポプジカのホテル「Gakiling Guest House」に今年3歳になる「リクザン」という名の女の子がいます。このホテルの若いオーナー夫婦のお子さんです。
リクザンちゃん3才
宿泊客がいるのでお母さんは忙しく働いています。この村の村長さんだというおじいちゃんと一緒に散歩に行ったり、ブランコで一人で遊んだりしている様子をずっと見ていましたが、大きな声で歌ったり、敷地内を走り回ったり、従業員の人たちと大きな声で何やら会話をしていたり、彼女がどこにいるのか、常にわかりました。リクザンは、いずれこのホテルのあとを継ぐことになるそうです。十数年後の彼女に是非会ってみたいです。
ガイドさんに聞いてみたところ、現在、女性のガイドさんは全体の5%くらいだそうです。先進国と言われる日本ですら「女性の活躍」が最近頻繁に取り沙汰されています。ブータンではどのように変わっていくのでしょうか。
折り鶴講習会(先生は私です!)
リクザンは、いま、虫歯ができて治療中なのだそうです。歯医者は遠い町にしかないそうで、行くのが嫌でしょうがないそうです。ブータンでは歯医者は少ないのです。それに眼医者や眼鏡屋さんも。近代化が進み、昔はブータンにはなかったチョコレートなど甘いお菓子が外国から輸入されるようになりました。パソコンや携帯、ポータブルゲームも普及し、近年、子供たちの視力に影響しはじめてきたそうです。今こそ、ブータンで開業すると間違いなく儲かる商売です。
「一般家庭で夕食をごちそうになる。お酒もたくさん飲む」
今回、ホームステイの宿泊はできませんでしたが、夕食をごちそうになる機会を2度持つことができました。海外旅行で一般家庭の雰囲気を味わえるのは貴重な体験だと思います。もしも、そのようなチャンスがあれば、是非、積極的に参加していただきたいと思います。
ブータンの家は、私の祖母の家によく似ていました。つまり、昔の日本の家屋、日本の田舎の家屋に似ていると思います。土間の台所があって、食事をとる板の間の食堂、その周りに寝室がある。そんな感じです。ブータンでは今も、床に座布団を敷いてテーブルを使わずに床を利用して食事をとります。食事にお箸を使うこともありますが、手で食べることも一般的だそうです。宗教上の制約ではなく、右手でも左手でもどちらを使ってもよいです。インドの習慣とは無関係だとのことです。
お酒のフルコース
こんな感じでお料理が出る(パロのホームステイ宿にて)
つい1か月間に赤ちゃんが生まれた、ペマさんと、カルマさんの家におじゃましました。ところで、ブータンの名前は、日本と同じように意味があります。ペマさんは「たくさんの花」。ブータンでは非常に多い名前です。カルマさんは「星」です。仏教用語のカルマとは違う言葉です。生まれて1か月の赤ちゃんは女の子で、ソナムちゃん。「幸運」という意味です。
ソナムちゃん
ちなみに、ガイドさんの名前はタシさんで、「重要」という意味。そして、ドライバーのニマさんは「太陽」です。名前に意味があるっていいですね。名前は、お坊さんに付けてもらうのが一般的なんだそうです。
高級そうな雰囲気満点の「DRUK PREMIUM LAGAR」
一番のお気に入り「PANDA BEER」(地ビール特有の味)
食べた料理は、パクシャパ。いつも通りに作って欲しいとお願いしましたが、唐辛子は少しおさえてくれていたようです。でも、とても辛かったので、お酒が進みました。最初にいただいたのが、ブータンの焼酎・アラを薬缶で温めて生卵を入れ軽く混ぜた、日本のたまご酒のような感じです。砂糖は入れないので甘くありません。他に飲んだのは、もちろんビール、ウィスキー、アラのロック、ワイン。お酒のフルコースです。ワインは甘かったです。
「ヒッチハイクは重要な移動手段」
ブータンを移動中、何人ものヒッチハイカーに出会いました。ブータンではごく普通の習慣だそうです。我々は、時間内に目的地に到着しなければならないので、なかなか応じることはできませんでした。
ドライバーのニマさん
でも、ある時、ドライバーのニマさんが急に車を止めて、あるヒッチハイカーに声を掛けました。それは、尼さんでした。さすがは仏教国のブータン国民です。お坊さんは無条件に手助けをするのだそうです。私も車内で少しお話をさせていただきましたが、英語が話せるお坊さんでした。お坊さんになった動機を訪ねてみたのですが、お坊さんという職業が好きで、いつも仏様の近くに身を置きたいからだそうです。
ブータンならでは?の修行僧
拝みながら少しずつ進む。気の遠くなるような行
平和な国と言われているブータンも、失業問題、犯罪数の増加、薬物問題など国として避けては通れない問題をかかえるようになっています。知らない人を自分の車に乗せる習慣も少なくなっていくのでしょうか。
プナカを訪れた時、たくさんの学生さんたちがいました。ちょうど授業が終わる時間だったようです。校門の前を通り過ぎようとしているとき、学生の集団の中に、ヒッチハイクの合図を送る2人の高校生の女の子がいました。ドライバーのニマさんは、お坊さんの時と同じように即座に車を停め、声をかけました。5分ほど離れた通り道にある町に行きたかったそうです。私は車の中で、卒業したら何がしたいのと質問してみました。一人は、日本でもよくある、大学に行ってITエンジニアを目指したいという希望。もう一人は、軍隊に入ってパイロットになりたいとのことでした。これは意外でした。
「ほんの13年前、動物も殺さないブータンが戦争をした」
ブータンに滞在していると、ホテルや、レストラン、商業ビル、一般家屋の玄関先などいたる場所に国王の肖像画が飾ってあります。でも、その中の7割くらいは先代国王のそれでした。ガイドさんに、「ブータン国民は先代国王の方が好きなのですか?」とストレートに聞いてみました。するとガイドさんは声を潜めて、「はい、そうなんです」。
可哀そうな5代目と思いましたが、ガイドさんからいろいろ話を聞いたり調べてみると、それも無理はないのかなと思いました。
先代国王(現国王のお父上)
ここでは肖像画を二人並べていた
先代(第4代)国王は、現在60歳でまだまだ若いのです。即位したのは、なんと16歳のときでした。第3代国王が急死したためです。若くして即位した先代は、自身の体験から、自分の息子に辛い思いをさせたくなかったからだと言われています。自分が生きているうちに息子を立派な国王として育てたい。国民全員に尊敬される国王になって欲しい。そんな親心から?あるいは、先代国王としての責任感から早めの譲位を決断しました。すでに発表されていた予定を2年繰り上げて。
国を会社に例えると、この先代の行為は非常に理にかなっていて、先代が死なない限り社長が交代しないことの方がおかしなことです。先代国王は合理的な人だったのでしょうね。現国王が即位したのは26歳の時、2006年のことでした。
この譲位にまつわるもうひとつの話をガイドさんは教えてくれました。今から13年前の2003年、ブータンは戦争をしました。動物を殺すことを嫌う国が、人を殺す戦争をしたのです。インドの反政府ゲリラが、突然国境を越えブータン国内に侵入してきたのがきっかけです。侵略ではなく亡命を目的とした越境だったそうです。しかし、インドと密接な関係を築いていたブータンは、インド政府の意向を最優先するしかありません。先代国王は、何度も何度も交渉を重ね、退去するよう説得したそうですが、ゲリラ側は聞き入れず、ついに、軍事行動を起こすしか方法がなくなりました。そのとき先代は、自らが大元帥となり、軍の指揮を執ったそうです。そして、2日で3000人のゲリラを全滅に追い込みました。もちろん、ブータン側にも多数の戦死者が出たそうです。この戦争を指揮した先代は、このとき、反省を込めて、早く退位することを心に誓ったのではないかというお話です。
これがドチュ・ラのチョルテン
ドチュ・ラ(峠)に108のチョルテン(仏塔)があります。観光客の名所となっています。この戦争で亡くなった、たくさんの戦死者の供養のため、このチョルテンが建てられました。二度と同じことが繰り返されないようにと先代国王夫人が国王や国民、そしてインド国民のために平和への祈りを込めて作ったそうです。感慨深いお話です。
自らが先頭に立ち国民を守った先代はブータン国民のヒーローに違いありません。現国王は、多くのブータン国民にとって、まだ王子様のままなのかもしれません。
時が止まっているような雰囲気のする「ハ」
聖なる地・チェレ・ラの峠も魅力的
パロは、断崖絶壁のタクツァン僧院の入り口として有名ですが、他にも「ハ」という町への入り口でもあります。「ハ」へは車で約3時間。標高約4000mの峠、チェレラを通るルートと、麓を縫うように比較的平坦な道を通る2つのルートがあります。峠越えのルートがお奨めですが、冬は雪が降り凍結の危険がありますので、峠のルートは避けた方がよいでしょう。
標高4000mの案内板
ブータンでは峠は聖なる場所とされています。地上世界の中では天から最も近い場所だからです。だから信仰の対象ともなっていて、毎日のように誰かが香呂でお香を焚いているそうです。お香は天然の松の葉が使われます。実際にその場に立ち会うことができましたが、強風に煽られ、炎とともに煙が激しく立ち上り天まで届くかのような勢いです。それに、非常によい香りがします。峠には、ダルシンやルンダルが所狭しとひしめき合い、峠に吹きすさぶ風に終始煽られています。その様は、もの悲しさを醸し出しているように感じます。
橋にくくりつけられたルンダル
ダルシンとは、長い棒にお経を書いた旗を通し、家族や親類の無病息災を祈願し、また、亡くなった人の供養を行うためのものです。ダル=旗、シン=木を意味します。旗は、白だけのものもありますし、青、白、赤、緑、黄の5色の旗を使う習慣もあります。青は空、白は空気、赤は火、緑は木、黄は土を表します。ルンダルも同じ用途で使われる布だけのものです。ルンは風を意味します。
この景色に圧倒されました!
お香が焚かれていた
チェレ・ラを越えるとすぐ眼下に「ハ」の小さな町が見えます。インド軍の巨大な軍事施設も隣接しています。ブータンにはインド軍の施設がいくつかありますが、中でも「ハ」はインドへの玄関口になっている町でインドとは強いつながりがある町です。「ハ」の町を南下すると、国境の町・プンツォリンでインドはすぐそこなのです。インド人もブータン人もビザなしで行き来は自由です。
「ハ」のホームステイ宿
今回の私の旅の大きな目的のひとつが「ハ」の訪問でした。当社には「ハ」を訪れるツアーはまだありません。
ハは近代化が進むパロや首都ティンプーと違い、ブータンの伝統的な生活スタイルを見ることができる田舎町で、海外からの旅行者に人気の町です。車なら数分で通り過ぎてしまうくらいの小さな村ですが通りには昔ながらの伝統家屋が並んでいて、ブータンの中でも時間が止まっているような雰囲気を味わえます。パロから気軽に日帰り訪問も可能です。できれば、昔ながらの農家にホームステイするのがお奨めです。
古都・プナカは、ブータン国民が心から大切に思う歴史的、信仰的にもとても重要な町
1955年にティンプーが通年の首都に定められるまで冬の首都だったプナカはティンプーと比べ標高が約1000m低いことから真冬でも温暖で夏は熱帯のジャングルかと思うほど暑くなります。
菜の花とプナカゾン
そんなプナカの町にブータンで最も重要な建造物と言えるプナカゾンがあります。ブータン仏教の開祖・パドマ・サンババや、ブータン建国の父、シャブドゥン・ナムゲルなどブータン国民が大切思う人々との縁が深いゾンで、2011年に日本でもブームを巻き起こした第5代国王の結婚式、2016年に誕生した皇太子の命名式が行われるなど、王室、国民が共に認めるブータンになくてはならない存在です。どんな名前になるか、全ブータン国民が注目しています。また、「ツェチュ」など盛大なおまつりが行われる町としても有名です。
「今、ブータンは空前のサッカーブーム」
ブータンは、今年、2018年開催のロシアワールドカップサッカー1次予選を突破しました。2次予選は突破できず、残念ながら最終予選に進出する夢はかないませんでした。しかし、ブータン国民は1次予選を突破した代表チームに熱狂したそうです。現在、FIFAランキングは186位。最高位は昨年の159位。最低位も昨年の209位(←たぶん最下位)。
ブータンは、世界ランキングの最下位争いをする常連の世界最弱チームです。そんなブータンが、ついに予選リーグを突破できる力をつけてきました。そして、なんと、ブータン代表監督は日本人です。資料によると現監督は、2012年から着任している小原一典さん。日本人監督として3人目です。
私のガイドさん、タシさんもサッカーが大好き
普段着のタシさん
かつて、海外技術協力事業団に所属して活動した日本人農業指導者の故西岡京治(けいじ)さんを思い出します。ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」と称えられ、ブータン国王から「最高に優れた人」を意味する「ダショー」の称号を贈られました。現地ではダショー・ニシオカとも呼ばれ、そのお米は、町の市場で「西岡ライス」の名で売られています。お土産で買ってきましたが、日本のお米と比べて何となくですが水分が多く、ねばっこい感じがしましたが、日本米特有の炊き上がった時の白さは美しかったです。
真ん中に「西岡ライス」その左は「赤米」
家で炊いた「西岡ライス」
赤米を炊くとこうなる
サッカーに話を戻します。ブータンではサッカー含めスポーツのプロチームはありません。サッカーは日本と同じくクラブチームのリーグ戦が行われていて、そこから代表チームに選抜されます。何チームあるかわかりませんが、一部と二部にわかれています。極秘情報(?)ですが、ブータンでは、そのクラブチームに日本から現役選手3人を招へいする計画が進められているそうです。もしも、キングカズが招かれて行くようなことがあり、ブータンサッカーのレベルがもっと上がり、ブータンで引退したキングカズは代表チームの監督になりワールドカップに出場するようになれば、ダショー・ミウラと呼ばれるようになるでしょう。経済協力ばかりでなく、スポーツの世界でも、日本とブータンとの協力関係が深まればよいですね。我々、ファイブスタークラブは、観光の世界でブータンの発展に協力したいと考えています。
●ワンデュポダン ★★★
冬でも比較的温暖な地域。のんびりした雰囲気がよい
●ポプジカ ★★★★★
毎年11月初旬から2月頃まで、世界に 5,000羽ぐらしかいないといわれる絶滅危惧種のオグロヅル約200羽〜500羽が、チベットからヒマラヤ山脈を越えて飛来してきます。この時期がベストだが、それ以外でもたっぷりとブータン情緒が楽しめる。この地も比較的温暖。
●プナカ ★★★★★
ブータン国民が愛するプナカゾンがある町。堂々とした佇まいは必見!
●ティンプー ★★
どこに行くにも必ず通り道になるので、滞在をしなくても雰囲気を見るだけで十分。警官に手信号の交差点が名物。
●パロ ★★★
ブータン唯一の国際空港のある町。断崖絶壁の寺院、タクツァン僧院に行くなら必ず泊まる。ホームステイが充実している町でもある。
●ハ ★★★★★
ブータンの中でも、昔ながらの町並みや生活が垣間見れる貴重な場所。ここも、ホームステイをして直にブータン人の生活ぶりを実体験するのがおすすめ。
●チェレ・ラ
町を移動する際に必ず通るのが峠(ラ)。その中でもチェレ・ラは特におすすめ。聖なる雰囲気を体験できる。背筋も伸びる。
(2016年3月24日〜30日滞在 森裕)
- ヒマラヤの絶景に焦がれて、地震後のネパール旅
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エリア:
- アジア>ネパール>カトマンズ
- アジア>ネパール>ポカラ
- アジア>ネパール>ジョムソン
- テーマ:街中・建物・景色 ハイキング・登山 自然・植物
- 投稿日:2016/06/23 16:06
約1年前の2015年4月25日にネパール大地震で8000人以上の多くの犠牲者を出したニュースは、日本にも届き記憶にも新しい。しかし地震後のネパールの現状はあまり届いていないこともあり、ネガティブなイメージがしっかりついてしまった。そんな中、約1年が経過した2016年の3月にネパールを訪問する機会を得た。
ネパールのイメージは、ただ一つ「エベレスト」を筆頭にしたヒマラヤ山脈に憧れを抱き一度は訪問したいと昔から思っていた。出発2週間前に現地から国内線墜落のニュースが飛び込んできて、期待から大きな不安に変わりつつある中で出発したのである。
ネパールの首都カトマンズまでは、キャセイパシフィック航空を利用し香港で乗継ぎ、バングラディッシュのダッカを経由し機内食や香港でのトランジット時に飲茶を食べ約15時間後の日付の変わる前に到着した。
カトマンズに到着後は、アライバルVISAの取得に申請機械を利用し、申請書を作成した後にVISAカウンターでUS$25を払いレシートを持って入国審査を通過した。
特に難しいこともなく荷物を取って無事にガイドとミートし、空港からタメル地区のホテルまでは、渋滞もなく30分ほどで到着した。深夜にもかかわらず、タメル地区の路上には多くの人が歩く姿が見受けられます。
エベレストに代表されるヒマラヤ連峰を目指しアルピニストやトレッカーを含む旅行者の多くが玄関口の首都カトマンズのタメル地区には今も変わらずに集っている。トレッキングショップやレストランや土産物屋が密集し賑わっているので、ネパールに来たらまずはここに行くだろう。
ヒマラヤを望む静かな湖畔の街「ポカラ」
現地ガイドにポカラを訪れる観光客の7割が国内からのネパール人だと意外でもあり、納得も出来る街が「ポカラ」である。旅行客の中心地のレイクサイドには多くのホテル、レストラン、土産物などのショップなどが軒を連ねカトマンズの喧騒から逃れ静かなフェワ湖畔でゆっくりするバックパッカーの姿も多く見られる。サランコットからは天候が良ければ、間近で美しいヒマラヤを拝むことができる。またポカラへは往復とも国内線を利用し30分間、天候も良く窓から見るヒマラヤ山脈が間近に見える景色は圧巻の一言です。ポカラへのフライトは右側の座席をカトマンズへのフライトは左側の座席を確保したい。心配していた国内線も天候が良く揺れもほとんどなく、心配が嘘のように楽しめた。
国内線の16人乗りのシムリックエアー
CAも腰をかがめてサービス
機内からみるヒマラヤ
アンナプルナ山域の絶景ホテル「タサン・ビレッジ」
ジョムソンへはポカラから国内線を利用し約25分のフライト、窓から見るヒマラヤ山脈が間近で出迎えてくれる。ジョムソンからローカルバスを乗り、凸凹の山道を進むこと1時間で、ジョムソン街道上のラルジョン村に到着した。ラルジョンから山道を運動不足の身体にムチを打ち、息が切れながらも休み休み歩いて登ること約30分、ナウリコット村に建つタサン・ビレッジに到着します。玄関口には桜が咲き正面にはダウラギリ(8167m)の雄姿と氷河が背後にはニルギリとヒマラヤ山脈のパノラマに圧倒された。
ロッジ内には暖炉やこたつもありヒマラヤの山中とは思えないほど快適に過ごせる。新鮮な野菜やソバ粉など土地の食材を使った日本料理も美味しい。ロッジの屋上からは満点の星空や日の出時には、黄金に輝くダウラギリを屋上から眺めることが出来る。
コックピットが目の前に・・・
フライト中ずっと不安で祈り無事に到着した笑顔
タサン・ビレッジからの日帰り往復5時間のトレッキングは、無理の無いように休憩をしながら歩いて標高2727mに位置する山上湖へ行くことが出来る。湖畔から見る、鏡のような湖面に映るニルギリ峰はまさに絶景。ロッジから山道をゆっくり下り、そして急坂を登る。決して楽ではないが、目の前にアンラプルナ、ダウラギリ、ニルギリを見ながらのハイキングは最高に気分が良い!帰った後は、お風呂で疲れを癒す事も出来る。
タサン・ビレッジでのうれしい日本食。
念願のヒマラヤを間近で思う存分堪能した後、カトマンズに戻り市内を含め近郊の世界遺産の町を訪れた。
美の都「パタン」
カトマンズの南に位置するパタンは車で30分ほどに位置している。「パタン」は、サンスクリット語では「Lalitpur(ラリトプル)」、ネワール語では「Yala(イェラ)」と呼ばれいずれも「美の都」と意味している。
世界遺産のダルバール広場は旧王宮に面し、歴史的な建築物がいくつも立ち並び震災で被害を受け、いくつかの建物が崩落しているが、すでに問題なく観光ができる状態になっている。
そして生き神と信じられているカトマンズのクマリは有名だが、他の町や村にも居るとのことでパタンのクマリさんを訪れると直に対面でき、まずはお祈りをし、寄付をすると額にオームのご朱印を貰うことが出来た。
またカトマンズのクマリは、写真がNGだがパタンでは写真も許された。
パタンは工芸の町としても知られ掘り出しものを探すのもよいでしょう。
ネワール族の古都「バクタプル」
世界遺産に認定されているバクタプル(バドガオン)はカトマンズから東に12キロ離れた場所にある。15世紀から18世紀にかけてネワール文化とともに発展したが古都であるが為に、ネパール地震では町全体がダメージを受け、一年が経った今でもダルバール広場などの寺院などが再建中である。旧王宮や寺院が並ぶダルバール広場、トゥマディー広場、最も古い町並みが残るタチュパル広場の各広場と徒歩で観光しているときに通る裏道には今なお瓦礫が積まれている。復興までには時間を要するかもしれないが、古きよき文化の香りがする雰囲気を感じることが出来る。
カトマンズの主要観光地であるダルバール広場、スワヤンブナート、ボダナートの世界遺産も地震により被災し、
現在もまだ一部寺院を含め復興および再建中であるものの観光客や参拝客ですでに賑わっている。また良くも悪くもカトマンズ市内の喧騒や渋滞を含めネパールの親切な人達は何も変わらずに迎えくれる。
パシュパティナート
軍人も並んで故人を偲ぶ
復興中のボダナート
カトマンズのクマリの館
到着翌日に会った現地旅行会社の人に今のネパールを見て、今のネパールを日本人の方に伝えて欲しいと頼まれました。ネパールの地震の後、ネパールの主な産業である「観光」も同様に打撃を受け、観光収入が激減して職を失った人々もいるそうです。一つ言えることは観光が出来るのか心配など不要ということです。
ネパールの人達は、日本人の旅行者が大好きで日本人が訪れてくれることを待っています。
今だからこそ復興の一助に、ネパール旅行に訪れて欲しい!
タサン・ビレッジ ★★★★★ ヒマラヤ山脈が眼前に!
ポカラ ★★★★ 湖畔でゆっくり。
カトマンズ★★★★★ タメル地区で旅に必要なものはすべて揃う。
(2016年 3月 大道隆宏)
- ミャンマー周遊9日間。ミャンマーはやさしい国でした。
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エリア:
- アジア>ミャンマー>マンダレー
- アジア>ミャンマー>バガン
- アジア>ミャンマー>チャイティーヨ
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/06 12:30
ミャンマーというと近頃は民主化に向けて発展していて外資もどんどん入っているとテレビではよく見ていたけれど「軍事政権」や「未知なる国」というとても堅いイメージをもって今回の旅行に臨んだところ・・・それは全くの思い違いでミャンマーは人もいいし、観光も魅力的、お気に入りの国になったのでした。
まず入国。ビザのチェックに時間がかかるという情報もあり身構えていたけれど、すんなり入国。税関も何事もなく、すんなりガイドさんと会うことができました。あれれ?これでいいの??何だ、全然堅苦しくない・・・。
そしてヤンゴン市内へ。規制緩和で関税が以前より安くなり車が手に入りやすくなったことから、車がどんどん増え、渋滞は日常茶飯事。でも道を走る車はバスやトラックも含めほとんどが日本の中古車で「あのバス見たことある」、「あのトラック日本語の会社名がそのまま残ってる」など初めての国なのにすぐに親しみをもってしまったのです。そしてミャンマーは右側車線なのに右ハンドルのまま。「ドライバーはみんな慣れているから大丈夫」とガイドさん。初日で私が勝手に持っていたお堅いイメージは崩れていきました。
2日目はヤンゴン郊外のチャイトーへ向かいました。目的はチャイティヨーパゴタ。パゴタとは仏陀の遺髪や遺骨、歯などが納められた仏塔です。この地の名前は聞いたことがなくてもゴールデンロックと言えばご存じのかたも多いはず。チャイトーへは車で約4時間。そして乗り合いトラックに揺られ約40分。このトラックが結構スピードを出して山へ登っていくのですがトラックの荷台というちょっと高い所に乗っているので気分はまるでジェットコースター。
帽子の売り子さん
中古車トラック
40人乗せて走る
ミャンマーでは娯楽がまだ少ないのでお出かけはもっぱら家族でパゴタや仏教施設へ行くことが多いそうです。パゴタの周りには観光客用の宿泊施設のほかにローカルの方用の宿泊施設、参道には参拝用の供物やおかずを売っている屋台などとても賑やかです。揚げ物がとてもおいしそうでかなり惹かれたのですが、一人では食べきれそうにないのであきらめました。
家族づれでひしめいている
ゴールデンロックはパゴタの門をくぐって一番奥に鎮座しています。今にも落ちそうなのに絶妙のバランスが保たれているのは上に乗っている仏塔があるためだとか。小さく見えますがこの仏塔も7mの高さがあります。よく見ると下の岩との間に隙間が見えて、まさに地球の神秘と人間の知恵の結晶。どこから見ても本当に不思議です。夕方から夜にかけては夕陽とライトアップがゴールデンロックを照らします。それがまた何とも言えない美しさ。その美しさにお坊様も記念写真。なんだか癒されました。
頭で支えてみる?
お坊さんも記念撮影
ライトアップ
3日目。チャイティヨーからまたトラックで麓へ降ります。朝早いのにトラックはどんどん人で埋まっていきます。道が広くないので通過待ちの列も。
何台もの列
ヤンゴンに戻る前にヤンゴンとチャイトーの中間あたりにある三大古都の一つバゴーに立ち寄りました。バゴーは13〜16世紀に都となった町で最大の見所はシュエモードー・パゴタ。
残念ながら修復中
何度かの地震を経ながら人々の寄進やお布施により再建を遂げてきました。現在の塔の高さは114mでヤンゴン最大といわれるシュエダゴンパゴタよりも高いのです。
暑いので影を歩く子
過去の地震で崩れた塔の先端部分
日本人から寄進された鎌倉大仏を模した仏像
籐で編んだ仏像
そして10世紀に建立され王朝の滅亡とともに忘れ去られたシュエターリャウン寝仏はイギリス植民地時代にジャングルの中から発見されました。全長55mととても大きく、何ともいえないおだやかなお顔をされています。
お土産屋
お土産屋
もうひとつの巨大仏像があるのはチャイブーン・パゴタ。15世紀の建立とされ高さ30mの太い柱4面(東西南北)それぞれに座仏が造られています。屋外ということもありその大きさには圧倒されました。じっくりお顔を見比べてみてください。
ミャンマーでは町中でもお坊さんや尼さんをみかけることがよくあります。バゴーには国内屈指の規模を持つ僧院、チャッカワイン僧院がり常時1,000人以上の僧侶が修行に励んでいます。お坊さんは1日朝と昼の2回の食事のみということでお昼時には食事をされているシーンも見ることができます。この日は特別な行事がある日で人々が寄進する姿も見ることができました。
4日目。この旅で一番楽しみにしていたバガンへ。バガンはヤンゴンから飛行機で約55分。最寄り空港はニャンウーという町にあります。早くバガンを見たい気持ちを抑えてまずはニャンウーのマーケットを訪れました。野菜から肉、魚、日用品に至るまであらゆるものが売られ、その活気にこちらもウキウキしてきます。
ミャンマーでは花屋も多く見かけました。学校に通う生徒たちにはお花当番があり自分の当番の日には教室に飾る花を持っていく習慣があるそうです。そういえば私も子供のころは家に咲いていた花を教室に持っていったことがあったなぁ。
バガンは漆が有名
ニャンウーにはバガンを代表する仏塔、シュエズィーゴンパゴタがあります。シュエというのは「金」を意味しまさしく巨大な黄金の仏塔です。
規模が大きかったため2世代にわたって建てられたのだそうです。敷地内には仏塔以外にもさまざまな彫刻やレリーフ、仏像などにより仏教の教えを説いています。
そしていよいよバガン遺跡へ。バガンが最も栄えたのは11〜13世紀のバガン王国の時代。モンゴルのフビライ・ハーンに侵攻されるまでの約250年余りの間に歴代の王様や、一般庶民が大小さまざまな仏塔、寺院を建立し世界的に貴重な仏教遺跡群となりました。その数は40㎢の中のエリアに約3,000と言われ、初代アノータヤー王が仏教の教えを元に国を治めようとしたことがはじまりとされています。
塔に登ると360度どこを見ても塔が見渡せ、その光景は本当に神秘的。当時の人も同じ景色を見ていたのかなと、鳥のさえずりを聞きながら当時に思いをはせました。木々は後年に植えられたもので現在は塔の間に畑もあり人々の暮らしと共存しています。
ガイドさんと
見所は多く、1日ではとてもまわりきれませんでしたが、いくつかご紹介します。
・パガン最大の見所、アーナンダ寺院
回廊の壁には多くの仏像がありました
修復前と修復後(右端)の色の違い
修復後は白すぎて地元の人にはやや不評(?)
・レリーフが美しいナンパヤ寺院
・マヌーハ寺院はバガンの王に攻められた国の王様が囚われたため怒りの仏像を造ったとされています。
しかも持ち出しができないように建物ぎりぎりに建てられています。
寝仏
・生き生きとしたフレスコ画が残るスラマニ寺院
・夕陽を見るにはシュエサンドーパゴタ、ですが今回は曇って夕陽を拝むことはできませんでした。
観光バスもたくさん
夜は伝統的な人形劇鑑賞。バガンの歴史をわかりやすく伝えます。
人形と記念撮影
レストランの前で古代衣装の女性と
5日目。ホテルを早朝に出るので辺りは真っ暗。でも冷たいものが当たる。え?まさか雨??でも朝だけだよね、と思いながらマンダレーへ向かったのですが・・・マンダレーでも雨。この日は1日中雨でした。後で聞くとヤンゴンでも天気が悪かったそうで、雨女の私はミャンマーにも雨を連れてきてしまったようです。マンダレー周辺には昔都となった町がいくつかあります。この日は郊外にあるインワ・ザガインを訪れましたが、そんな雨はインワ・ザガインの静かな雰囲気を一層醸し出してくれたのでした。
ザガインは14世紀に20年ほど都がおかれた町ですが現在は町はずれにあるザガインヒルと呼ばれる丘に僧院、尼僧院などが点在する修行の町としても知られています。
またミャンマー女性の化粧品、タナカの産地でもあります。
タナカの木
・45体の仏像が並ぶウーミントンゼーパゴタ
・ザガインヒルの頂上にあるサンウーポンニャーシンパゴタ
エーヤワディ川
インワの町はエーヤワディ川を渡ります。インワは14世紀から途中中断はあったものの約500年間都となった地ですが、「栄枯必衰」、「兵どもが夢のあと」という言葉のとおり、都があったとは思えないほどひっそりとしていました。
船で渡る
船着き場で待ち構える売り子さんたち
馬車でまわりました
・バガヤー僧院は総チークの贅沢な造りですが修復していなのでどんどん壊れてきています。
寺子屋
ヤシの木に囲まれている
彫刻と仏像
・ヤダナヘセメーパゴタは一般の人が建てたものですが、寂れ感(?)がいい感じで観光客にも人気です。
・旧王宮
王宮の中でも現存しているのは傾いた監視塔のみ。以前は上まで登れましたが現在は傾きが大きくなり危険なため上には登れません。別名インワの斜塔です。
・マハーアウンミェ寺院
昔の名残をとどめているインワで貴重な寺院。現在は使われていない。
エーヤワディ川に架かるインワ鉄橋
6日目。朝からマンダレーの観光予定でしたが、昨夜から胃の調子が悪く起きられなかったため、観光は午後からにしてもらいました。マンダレーはミャンマー第二の都市。ホテルはメイン通りに近いため昼近くになると夢うつつのなか車とバイク、そして近隣の音楽が大音量で聞こえてきてホテルにいてもミャンマーの活気を感じたのでした。
午後まずはマンダレーから10kmほどのアマラプラへ。ここも都がおかれた町です。エーヤワディ川とタウンタマン湖に挟まれたようになっている町にはウーベイン橋と呼ばれる全長約1.2kmの橋が架けられています。この橋には前日訪れたインワの使われなくなった旧王宮の木材で160年ほど前に架けれました。
タウンタマン湖
実際に歩いてみると足元は隙間があって、手すりはないし、少し怖い気もしましたが、修復を重ねて人々の貴重な足になっています。
マンダレーに戻り旧王宮へ。マンダレーも19世紀に都となりましたが、当時この地を占領したイギリスが王様を追放したため20年ほどで終わりを告げました。第二次世界大戦で王宮は消失してしまったので現在あるのは再現されたものです。
城壁
最後の王様、王妃様
・建物全体が芸術作品と言われるシュエナンドー僧院
金箔がはられていた
彫刻の数々
・世界遺産クドードゥーパゴタ。境内には729の小仏塔がありその中には経典を刻んだ石碑が1枚ずつ納められています。当時はもちろん手で刻んでいたので、失敗すると最初からやり直し。気が遠くなりそうです。
この石碑がそれぞれに納められている
模型図
マンダレーヒルは丘全体が寺院となるマンダレー最大の聖地。頂上まで徒歩であがりながら仏塔などを一つ一つ見ることもできますが、この日は体調が悪いのでエスカレーターで一気に丘の上へ。頂上にはスタウンビーパゴタがあり、テラスでは夕陽を見にたくさんの人が訪れます。天気も良くなりきれいな夕陽を見ることができました。
7日目。とうとう旅も終盤。ヤンゴンへ戻ります。そして訪れたのはミャンマー最大の聖地シュエダゴンパゴタ。最大と言われるだけあってその大きさはやはり圧巻です。敷地も広いので1日かけてまわってもいいくらい、とも思いました。
パゴタの歴史は2500年以上も遡り、以降何度も拡張工事を重ね大小あわせて60もの塔に囲まれた大仏塔となっています。仏塔の先端には貴重なダイアモンドや宝石が寄進されていて、その姿は敷地内の博物館で見ることができます。
ミャンマーでは占いも生活の一部。生まれた日ではなく生まれた曜日が重要で、八曜日という暦によって占われます。パゴタにはそれぞれの生まれ曜日の祠もあるので、このシュエタゴンパゴタでお参りしてみました。ちなみに私は金曜日生まれでそれを表す動物はモグラです。
夜はカンドーヂ湖に浮かぶ鳥をかたどったレストランで伝統舞踊見学。先日の人形劇と似たエピソードもありましたが、事前に解説もあり一つ一つは短いものなので楽しく見ることができました。レストランの中ではタナカ体験や、占い、屋台のようなものもあるのでちょっとしたテーマパークのようでした。
タナカ体験
8日目。とうとうミャンマー最終日です。まずはチャウッターヂーパゴタへ。ここには全長70mの寝仏が祀られています。とにかく眼力がすごい。そしてまつ毛もすごい。
もともとの寝仏も写真もあるのですが、まったく別物でした。
このパゴタでは占いも体験できます。伝統の暦八曜日と、手相を見て、独自の計算をしながら占ってくれます。これがよく当たっていてビックリ。じっくり占ってもらえましたが何とこの2、3カ月で変化が訪れるらしい。あまり期待しないで待ってみようと思うけれど、やっぱり期待してします。どうなるかはお楽しみ、ということで。
占いの先生と
そして最後のパゴタはボータタウンパゴタ。ヤンゴン川沿いにあるこのパゴタでは仏陀の遺髪が祀られた仏舎利を見ることができます。見るまでは行列に並ばないといけませんが、せっかくなのでならんでみました。
そして旅行では食事もお楽しみ。ミャンマーの主食はお米でお米に合うおかずがたくさんあります。少し油が多いのですが、まったく辛くないし(辛くもできる)、なじみのある野菜も多く食べやすいものばかりでした。ついつい食べ過ぎてしまいました。
ミャンマーではお粥も良く食べられます。マンダレーで体調を崩した時にはドライバーの奥さんがお粥を作ってくれました。それはやさしい家庭の味で本当においしかったです。
今回多くの寺院、パゴタを訪れましたが、ミャンマーの人々は信仰に篤く、おだやかで礼儀正しい人が多いという印象でした。治安もいいのでとても観光しやすい国です。リピーターが多いというのもうなずけます。私も是非リピートしたいと思いました。
おすすめ度
チャイティヨーパゴタ★★★★
パゴー ★★★★★
バガン ★★★★★
マンダレー ★★★★
ヤンゴン ★★★★
(2015年12月 平田真美)
- 南北アイスランド約1600kmをレンタカーで疾走!秘湯にうっとり、ポロリはなしよ。
-
エリア:
- ヨーロッパ>アイスランド>レイキャビック
- ヨーロッパ>アイスランド>アークレイリ
- ヨーロッパ>アイスランド>スカフタフェットル
- テーマ:観光地 街中・建物・景色 自然・植物
- 投稿日:2016/01/04 17:27
北の最果てアイスランド。日本にすると氷の国となるが、実は最初にアイスランドを発見した人が侵略に遭わないよう、人が来ないようにあえて氷の国“アイスランド”と命名したとか、しないとか。そんな国アイスランドですが実が火山活動が活発で全く氷の国ではありません。しかも他のヨーロッパと比べてもそれほど遠くないのです。警察官が銃を持たないほど治安が良好なアイスランドですが、鉄道・公共機関が発達してない為、観光をするにはツアーに参加するかレンタカーを借りて周遊するかの選択となります。今回はそんなアイスランドをレンタカーを借りて大周遊し、大自然を満喫してきました。
夜中3時のレイキャビク。夏場は太陽が沈みません。
まずはヘルシンキ乗継で首都レイキャビクへ。レイキャビクは街の規模もさほど大きくなく、中心地に1本大通りが走っている分かりやすい街です。レストランやお店が点在しており、プラプラ歩くのも楽しそうな感じです。島国らしく漁業も盛んで魚類のメニューも豊富な為、日本の方の口にも合いそうなレストランが多数ありました。
翌日国内線で北部のアークレイリへ。アークレイリから1泊2日間レンタカーを借りて最初のドライブです。私は日本ではそこそこ車の運転はしますが、海外でのドライブは初体験です。最初は交通ルールなど心配な点もありましたが、慣れれば下手をすると日本より運転がしやすいかも知れません。
アークレイリで借りたTOYOTAのRAV4 新車でした。
出発して10分ですぐに大自然の光景が!
アークレイリを出発してすぐ雪山が見えてきます。その後も日本では見る事のないような大自然の風景が広がります。道も空いているというか、先行車・後続車に10分以上合わない時も多いほど交通量が少なく、自分のペースで運転する事が出来ます。1つ失敗したのがCDなど自分の好きな音楽を持ってこなかった事。CDがついているので日本から持参するといいでしょう。
ゴーザフォスの滝
運転中の車内から
ホエールウォッチングが有名なフサヴィクの街 石川さゆりな感じ
初日は滝や街を見ながら約400kmのドライブでした。カーナビは日本語にも変更できるタイプのものでアナウンスは英語ですが、表示は日本語で見ることができます。ただ北アイスランドの場合、ナビの指示が97km先右折など途方もない指示なのでなくても地図が見れれば問題はありません。目前には雪山や海など景色が色々と変わり、距離の割には楽しんでドライブができました。
この日の際はミーヴァトン湖にあるネイチャーバスに立寄り。ネイチャーバスは簡単に言えば巨大な温泉プールで観光客も多く来ています。泉質は濁り湯で硫黄の臭いのするこれぞ温泉!といった感じで、あまりの気持ちよさに長居してしまいました。
ミーヴァトン湖ネイチャーバス。温泉好きにはたまらない濁り湯・硫黄泉
ミーヴァトン湖周辺は火山活動が活発
ミーヴァトン湖のホテルですが、トリップアドバイザーでチェックした所、海外の観光客が硫黄臭いと書いていたのでもしやと思ったのですが、ホテルのスタッフに地下水を地熱であっためて蛇口から出している為、ほのかに硫黄臭がするとの事です。日本のように泉質確認はしていませんが、非公式ながら温泉ホテルと言っても間違えないかも知れません。硫黄臭のする温泉好きな私はネイチャーバスで思いっきり長居したにも関わらず、ホテルでもお湯をためて使ってしまいました。
ミーヴァトン湖セルホテル 非公認ながら温泉ホテルに決定
2日目は滝を1つ観光し、アークレイリに戻ります。この日のドライブは約200km。昨日中に運転も慣れ、楽しんでドライブができました。北アイスランドでは2日間で約650kmの走行でした。今回は大目に回る行程にしましたが、もう少し距離を少なくすることも可能です。このあたりはレンタカープランの利点ではないでしょうか?
ミーヴァトン湖周辺にある地獄谷
デティフォスの滝 ヨーロッパ最大級の大滝
アークレイリに戻り空路でレイキャビクへ。レイキャビク着後、ブルーラグーンのあるノーザンライトインへ移動し1泊。次の日はレイキャビク空港から車を借りて南東アイスランドのドライブをします。
アイスランドと言えばブルーラグーンを言われるほど有名な巨大露天風呂も行ってみました。感想としては・・・。観光客が多いのはしょうがないのですが、外気温が約5度、ブルーラグーンの温度が約38度と微妙に低い為、寒くて出るに出らないという状況でした。今回は一人旅なので、他の人と一緒に行けば泥パックしたり、ビールを飲んだりと楽しめるはずです。きっと。なお6月よりブルーラグーンの入場には予約が必須となりました。またプレミアパックで予約すると優先的に入場されてくれます。
冬にはオーロラ観測もできるノーザンライトイン
巨大露天風呂ブルーラグーン
ノーザンライトインに宿泊の翌日、空港でレンタカーを借りて南東アイスランドのドライブスタートです。アークレイリ周辺に比べると車の数も多くなりますが、運転マナーを非常に良好で、怖い思いをすることも一切ありませんでした。海岸線にそうような形でひたすら東に進みます。北アイスランドに比べると景色はやや単調となり、少し退屈するかも知れません。
セリャラントスフォスの滝
スコルガフォスの滝
アイスランドの道路は舗装されている道と未舗装の道を両方あります。主にハイランド地方、内陸部に入る道は未舗装の道が多く4WDが必須となります。今回のルートではこのハイランド地方への立ち入り予定はなかったのですが、ルートを誤ったのかソゥルスモルクという景勝地に行く途中、未舗装の道にあたってしまいました。最初は小さな川などを渡って走っていましたが、最終的には少し恐怖を感じるほどの川幅の川にあたってしまい、行くことを断念しました。通常このような渡河をする場合車高の高いジープでないと危険との事です。未舗装のハイランド地方を走るのも魅力あるドライブになりそうなので、次回機会があればチャレンジしたいと思います。
道なき道を進む。まだ川幅・深さ共に楽勝
この川もまだまだ余裕があったが、この先で断念。
思わぬ未舗装路でかなり時間を取ってしまい、本日の次の予定ヨークルサルロンへ急いで移動開始。ただしナビが示す到着時間は16:30で氷河湖遊覧ぎりぎりの時間。.何とか遊覧船の運航時間にも間に合い、ヨークルサルロン氷河湖クルーズを堪能。なおこのあたりからヨーロッパ最大級とも言われるヴァトナヨークトル氷河の姿がちょこちょこ出てくる為、ドライブの景色もかなり楽しいものとなります。
ヨークルサルロンへの道中
氷河湖クルーズで利用する水陸両用車
氷河湖クルーズ
氷河の氷は約1000年前の氷でとてもきれい、しかもおいしい。
何とか氷河湖クルーズを終え、この日は通ってきたスカフェタフェットルという所で1泊。翌日はレイキャビクに戻る途中、パフィンという鳥がいるヘイマエイ島へフェリーで移動し、市内観光に参加。
ヘイマエイ島は人口5000人の小さな島で、1973年1月に島中心の火山が噴火し、島民5,880人が1時本土へ避難をしたという事が世界的に有名になった島です。噴火後街の半分が溶岩と火山灰によって埋もれてしまいましたが、その住民の努力により元の状態まで戻され、綺麗な小さな街並みを見ることができます。市内観光の最後に博物館にもより、噴火の際の映像がありましたが目の前で噴火している最中、避難活動をしている住民の姿には鬼気迫るものがありました。
ヘイマエイ島の街並み
パフィンの巣がある崖。残念ながらこの時間はおらず・・・
パフィンが見れなかったのでぬいぐるみで我慢。
この後フェリーで再度本土へ戻り、一路レイキャビクへ。結局南東アイスランドは約950kmの走行でした。
次の日はレイキャビク周辺にあるゴールデンサークルという見所を回るツアーに参加。背丈ほどの巨大なタイヤを持つスーパージープに乗って氷河へ行き、スノーモービル体験もしてきました。スノーモービルはアクセルだけの操作で非常に簡単に乗りこなすことができ、約1時間ラングヨークトル氷河を疾走しました。レンタカーの運転とは違い、風を直接感じるスノーモービルは非常にいい経験でした。
かなり迫力のあるスーパージープ
スノーモービル用の防寒具に着替える
簡単なレクチャーの後、出発
ラングヨークトル氷河疾走はかなり楽しい!
今回は4日間にわたってレンタカーでアイスランドを回りましたが、アイスランドのレンタカー事情は非常に良い事が分かりました。道もさほど多くなく、ナビもある為迷う事なく観光もできました。団体ツアーに参加すれば運転することなく観光はできますが、ことアイスランドに関しては色々な所に驚きと感動があり、更に自分で広大な大自然をドライブする事自体が日本では体験できない為、ドライブ自体も非常に楽しめました。ぜひセルフドライブのアイスランドを楽しんでみてください。
○アイスランドの交通ルールやマナーなど
1、制限速度は街中が50km、市街が90km
2、日中でもライトは点灯
3、郊外の橋はせまく一車線の一方通行になる所があるので注意する
4、先行車を追い越す際は対向車の存在に十分気を付ける
5、後続車に抜かれる時は何もせずそのままのスピードを維持する
6、ガソリンスタンドが近くにない場合もある為、こまめに給油する
○ガソリンスタンドでの給油方法
アイスランドのガソリンスタンドはほぼセルフ形式です。暗証番号付のクレジットカードが必要となるので、日本から必ず持って行ってください。
1、ガソリンはディーゼルとレギュラーの2種類
2、まず給油スタンドのわきにある支払機にクレジットカードを差し込む
3、いくらまでカード決済をするか聞かれるので希望金額を入力
※この時点では引き落としはされずあくまでクレジットカードが使えるかの確認です。給油量・金額が分からない場合は10000クローナぐらいを指定
4、給油を開始するスタンドの番号を入力 各給油スタンドに1台支払機がついている場合もあります。
5、給油を開始する。日本と同じくトリガーを押しっぱなしにすれば満タン付近で自動停止します。
6、支払機に戻り先ほどのクレジットカードを差し込む。決済が終了するとレシートが出てくる。
ガソリンスタンドの決済機
給油機、この場合給油機の番号は1番。
【スタッフおススメ度】
北アイスランド ★★★★★ 広大な自然が広がり、日本では決して見れない大自然
ネイチャーバス ★★★★★ 濁り湯・硫黄泉のベスト温泉!温度もばっちり!
ヨークルサルロン ★★★★★ 巨大な氷河を見ることができる。
スーパージープツアー ★★★★★ 巨大なジープには優越感も感じる スノーモービルもすごくお勧め!
レンタカー ★★★★★ 冒険心をそそり、ドライブするだけでも楽しい!
(2015年6月 菅原幸介)
- 絶景 地獄の門とサマルカンドブルーに浸る旅
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エリア:
- アジア>ウズベキスタン>ヒワ
- アジア>ウズベキスタン>ブハラ
- アジア>トルクメニスタン>タシャウズ
- テーマ:街中・建物・景色 世界遺産 グルメ
- 投稿日:2016/01/04 17:18
5月中旬、中央アジアのベストシーズンといわれるこの時期にウズベキスタンとトルクメニスタンへ行く機会が得られた。私自身初の「スタン」系。未知の世界すぎていつもより少し緊張気味に出発した。今回空路は往復タシケント、トルクメニスタンへは陸路で出入国のルートだ。特にトルクメニスタンはガイドブックの掲載ページ数も少なく、他の国よりも情報量が極めて少ないため、目に入る全てのものが真新しく、だからこそいつもの旅よりも感動は大きかったように思う。
【まさに地獄なガスクレーター編】
知る人ぞ知る、まさにその言葉があてはまる絶景ポイント、地獄の門があるのはトルクメニスタン。最近ようやくガイドブックにも登場するようになったのだが、まだ地獄の門を知る人は少ないだろう。
ちなみにトルクメニスタンからウズベキスタンに戻る際の国境で、ウズベキスタン側の入国審査官でさえ、この地獄の門の存在を知らないような現地でもまだまだマイナーな観光地のようだ。
この地獄の門は、旧ソ連時代に地下で行われていた掘削作業中に爆発が起き、それが原因で空いた穴からのガス漏れを防ぐために火が放たれたが、地下からはずっと可燃性ガスが発生し続けているために40年間以上も燃え続けているのだ。しかもカラクム砂漠のど真ん中にこの穴が存在するため、それがまた秘境感を際立てている。この地獄の門は、日本では地獄の門という呼び方をするが、現地の人々はガスクレーターと呼んでいる。
この地獄の門を見るための1泊2日だが、ほとんどが移動時間に費やされた。まず、国境での出入国審査。往復ともに約1時間半ずつはかかった。特にウズベキスタン側では荷物チェックがかなり厳しく、スーツケースを開けて荷物ひとつひとつ細かくチェックされる。
ようやく出国ゲートを抜けると次はトルクメニスタンの入国。入国審査場ですでにトルクメニスタンのガイドさんが待っていてくれ、ガイドさんに手伝ってもらいながら入国手続き終了。少しクフナ・ウルゲンチの遺跡に立ち寄り、日差しが強い中広い敷地内を徒歩で見学となる。霊廟や遺跡が点々としているため日陰がなく、一気に体力を奪われた。
頂上部が少し曲がったクトルグ・ティムール・ミナレット
面白い形をしたイル・アルスラン廟
キャラバンサライの門
その後、カラクム砂漠のど真ん中にある地獄の門まで移動となるが、カラクム砂漠横断の道路はまだ整備されてなく、かなりの悪路であった。4時間ほどの車移動の末、ようやく地獄の門周辺に到着し、まずはテントや寝袋を借りるレンタル屋に立ち寄る。そこから5〜10分で地獄の門に到着。まずは夕方の地獄の門を観賞。ゴーゴーと炎をあげ、静かに燃えている。ときどき吹く風でものすごい熱風に驚く。
そこから約500m離れた場所に、ガイドさんとドライバーさんが泊まるユルタがあり、その傍に私が一夜を過ごすテントを組み立てる。
ユルタ(右)と私のテント(左)
ユルタの内部
着いて早速夕食作りが始まり網に挟んで鶏肉を焼き、ガイドさんは素手でサラダを作る。
かなり質素だがディナーはウォッカで乾杯!
夕食後に再度夜の地獄の門観賞。夕方とは違って、空が真っ暗なで炎が際立っているためか、夜の方が迫力がある。まさに地獄への門といった感じだ。その逆に明るい時の地獄の門は、現地人がよく使う「ガスクレーター」という名の方がしっくりくる。
近くにはいくつかのテントがあったが、地獄の門を観賞している観光客はほとんどおらず独り占め状態。
少し離れてみるとこんな感じ。ここだけぽっかりと穴が空いている。周りは柵もなく看板があるわけでもない。もしも落ちたら・・と考えるだけで恐ろしい。
夜バージョン
朝バージョン
一夜明けて朝食を食べたあとに、朝の地獄の門観賞。すがすがしく今日も燃えている。
観賞後、また悪路を通り国境へ向かう。1泊2日、超弾丸ツアーだった。
【メドレセ大国 ブルーが美しいウズベキスタン】
ウズベキスタンと聞いて、最初に何を想像するだろうか。モスク、メドレセ、という言葉が出る前に私が想像したのはそのメドレセや霊廟の上のあの綺麗な青いドームだった。
どの都市を周ってもあの青いドームは存在し、いくつもモスクやメドレセを周るとどれがどれだか分からなくなる。
ウズベキスタンの代表的なメドレセはやはりサマルカンドのレギスタン広場に集まる3つのメドレセ。さすがサマルカンドブルーと言われるだけに美しく、太陽の光で更に輝いているように見える。
メドレセの外観は3つとも同じように見えるが、ティラカリ・メドレセは他の2つとは異なり、青いドームの下の礼拝所は、壁・天井が金箔で装飾されている。外観からは想像できない異空間であるが、金箔でキラキラしていてとても美しい。
メドレセ内は職人の作品がずらりと並ぶ
ブハラにはナディール・ディヴァンベギ・メドレセがある。現在メドレセのほとんどが活動しておらず、中の学生の部屋や教室は土産物屋になっているが、入口の上部分の鳳凰が印象的なこのメドレセも現在は土産物屋で埋まっている。
シーズン中は夜にこのメドレセで民族舞踊のコンサート、またファッションショーのようなショーが開催される。
民族舞踊のコンサート
ウズベキスタン流ファッションショー開催
ヒワは小さなイチャン・カラ(城壁内)に見どころが集まっていて、観光しやすい。ヒワのシンボルと言えばイスラーム・ホジャ・ミナレットだろう。このミナレットはヒワで一番高く、頂上まで登ることもできる。白・青・緑のガラス張りのモザイクの横縞模様は美しく、魅了される。そしてこのミナレットの横にもメドレセが付随しているが、やはり内部は土産物屋化している。
他に周った霊廟やモスクにもメドレセと同じように青いドームや、タイルやモザイクの装飾が施されており、どの建物も魅力的だった。
アムール・ティムール廟のブルー
シャーヒズィンダ廟群のブルー
【グルメ 番外編】
実は今回の旅で私が一番心配していたのは、食べ物だ。羊肉が現地ではよく食べられるとガイドブックに書かれていたからだ。日本でも好き嫌いがかなり多い私にとって、羊肉も嫌いな食べ物に分類され、旅をする前から少し憂鬱になったくらい。しかし実際に9日間滞在した中で羊肉は一度も出なかった。なぁーんだ、と拍子抜けしてしまいそうだが、羊肉について尋ねると、オーダーすれば出てくるが一般的には牛肉と鶏肉を食べるとのこと。
羊肉が出てこないことにホッとし、その他の料理も想像以上に美味しく結果的にグルメを楽しむ旅になって良かったと思う。
毎昼食、毎夕食の一品目はサラダ。それも一種類ではなく最低二種類、多い所で四種類出る。サラダの種類は様々で、日本でも食べるようなトマトときゅうりのシンプルなサラダだったり、ポテトが入ったサラダ、赤かぶのサラダ、お米のサラダもある。とにかくサラダの種類が多く、レストランによって出されるサラダが異なりいろいろな味が楽しめた。
トルクメニスタンのサラダ
地獄の門にて。ガイドさん手作りのサラダ
ウズベキスタンで食べた多種類なサラダ。
この毎日多種類のサラダを食べる事によって、日本で肌荒れしていたお肌が少し回復傾向に向かったのである。(残念なことに帰国後、もとの生活に戻った途端お肌ももとの状態に戻ってしまった・・)サラダは健康に良いのだなぁと改めて実感させられた。
その他、これといってウズベキスタン名物というものはないのだが、各地で食べたシャシリクや野菜スープ、ラグマンは本当に美味しかった。
トルクメニスタンのラグマン。味はピリ辛きゅうりラーメン
トルクメニスタンのシャシリク
ウズベキスタンのシャシリク
シュヴィト・オシュ。香草を練りこんだ緑色の麺が特徴的
川魚のフライ
ロシアで有名なボルシチ。鮮やかな赤色で一口目は抵抗があるが美味。
食べた料理全て載せたいぐらい、全て美味しかった。
前述の通り、私は食べ物の好き嫌いが多いので、海外に出てもその土地のグルメを楽しむために屋台に繰り出したり、B級グルメに挑戦したりする勇気がなかなかできないことが多いが今回は終始、現地の料理を楽しむことができた。
ウズベキスタンはイスラムの国だが、女性は顔を布で隠したり、男性はガラベイヤという中東諸国でよく見られる服装をしている人はおらず、日本と同じように若い女性は皆おしゃれだし、男性も自由な服装でイスラムの国というイメージが払拭された。実際に結婚式は見ていないが、これもやはり日本と同じように女性はウエディングドレスを着るのが一般的だそうだ。タシケントではデートを楽しむカップルも多く見かけた。また各地では至る所で工事が行われ、マンションやホテルなど新しい建物が続々建てられるようでかなり発展してきている様子も垣間見れた。
イスラムの国といってもかなり自由で、だからこそ旅がしやすかったのだと思う。観光途中、何度も団体の学生旅行に出くわしたがすれ違う時に「ハロー」と気さくに声をかけてくれたり、写真を求められることもありとても親しみやすい国だと実感した。
トルクメニスタンは1泊2日の滞在で、その時間のほとんどが移動時間と砂漠だったため、人々との交流がほとんどなかったが、ガイドさんをはじめ、ドライバーさんやレストランのスタッフ、砂漠泊の翌日にシャワーを浴びさせていただいた一般家庭(現地旅行社のスタッフの家)のご家族、皆親切で滞在しやすかった。
国の名前だけで危険な所だと思われがちだが、実際には想像していたようなガチガチのイスラム教ではなく、思い思いに楽しめる。おすすめの国がまた一つ増えた。
この旅行記を読んで少しでも多くの方がウズベキスタンやトルクメニスタンに興味を持ったり、旅行先の候補になれば良いなと思う。
地獄の門★★★★★ まだまだマイナーな新名所。しかし迫力は抜群!朝と夜の違いを楽しむのがオススメ。
ヒワ ★★★★★ ヒワの旧市街は、他の都市よりも小さいが見どころは負けじとたくさんある。アクシェイフ・ババの見張り台からのヒワの眺望は必見。
ブハラ ★★★★ タキ(バザール)が多く、ショッピングも楽しめる。ハマム体験も可能。
サマルカンド ★★★★★ レギスタン広場の3つのメドレセに行かずしてウズベキスタンは語れない。鮮やかな霊廟が集まるシャーヒズィンダ廟群も是非おすすめしたい。
(2015 年6月 栗山智美)
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