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- え?どこ?グルジアとアルメニア?に行ってみたらこんな場所だった!
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エリア:
- ヨーロッパ>アルメニア>エレヴァン
- ヨーロッパ>グルジア>トビリシ
- ヨーロッパ>グルジア>クタイシ
- テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/06/24 15:34

ハフパット修道院
私 出張行ってくる〜
友人 へぇ、今度はどこ?
私 グルジアとアルメニア〜
友人 ・・・へぇ〜。え、それどこ?(2回目)
次の出張先を伝えた友人の中に、アルメニアとグルジアがどこにあるのか理解していた人は一人もいない。ましてや、
え、まじで?あのワイン発祥の国グルジア?さらには、世界で初めてキリスト教を国教としたあのアルメニア?!なんて食いついてきてくれた人も一人もいない。
でもきっとこれが一般的な日本人。日本人にとってグルジアとアルメニアは、いいなぁとも、すごーいとも、リアクションする材料や情報がない、そんな場所。
そう、今回私はトルコとイランのお隣で、ロシアのちょい下にある、コーカサス地方の中のグルジアとアルメニアを旅するのだ!
とはいえ、私とて友人の知識に毛が生えた程度の知識しかない。早速ガイドブックを探すも、かの有名なガイドブックでさえこの二か国にはわずか数ページしかページを割いていない。その上、カラーでもない。
あまり下地が無い中、出発の日を迎えた。
最初に旅したのはグルジア。トビリシ空港が日中工事をしているため、この時期、夕方にならないと飛行機が離発着できない。そのため、えらく長いトランジット時間をかけトビリシに到着した。
まずはおいしいグルジア料理のお出迎え♪

焼きナスのクルミペースト

豚肉とポテトの炒めもの、オジャフリ
泥のように眠った翌朝、グルジアの昔の首都、ムツヘタへ。トビリシからは車で30分ほど。世界遺産にも登録されている古都で、古い教会を中心に街が広がっている。まずは街を見下ろす丘に建つ、スヴェッティ・ツホヴェリ大聖堂へ。

スヴェッティ・ツホヴェリ大聖堂
この大聖堂はグルジアで一番古いと言われていて、言い伝えではイエス様の来ていた衣の一部が埋められているのだとか…
そして街中にあるジュヴァリ寺院へ移動
ジュヴァリ寺院に向かう手前には、様々な露店があってとても賑やか。はちみつやフレッシュジュース、伝統的なお菓子チュルチヘラを売るお店、伝統衣装を着られる露店もある。

名産の蜂蜜を売るお店

ジュヴァリ寺院

美しいフレスコ画
トビリシに戻る途中で、昼食。
今日はグルジア料理の中でもとくに有名なハチャプリをいただく。
平らなパンにチーズを挟んで焼いたもので、一見ピザのような見た目。チーズがとろけて、これがまたおいしい!日頃これを食べていたら絶対太りそうな食べ物だけど、旅行中だものね。気にせず楽しまないと。

グルジア名物ハチャプリ
グルジアやアルメニアを車で走っていると、旧ソ連時代の建物が目につく。巨大で、なんとなく退廃的でいかにも威圧感のある建物だ。特にアルメニアでは国の至る所に旧ソ連時代の廃工場がたくさんあった。バスや車も当時相当な年代物が走っている。ソ連解体から20年以上たってもいまだ現役であることに驚かされる。
首都でもあるトビリシはソ連時代のマンモス団地、18世紀の木造の家、場違いにも感じるような近未来的な建物が入り混じっていて、頭が混乱しそうになる。建築物だけではなく、民族もアゼルバイジャン人、アルメニア人、ロシア人などが住む多民族なエリアでもある。
一言では言い尽くせない魅力のある街だ。
そしてグルジアはなんと、ワイン発祥の国なのだとか。紀元前8000年頃にはワインが飲まれていたというから驚きだ。
ガイドさんお勧めのワインショップに連れて行ってもらい、安くておいしいワインを購入してみる。帰国後に飲むのが楽しみだ。

街の上をロープウェーが走る

200年の歴史を持つパン屋さん

旧市街の時計塔

急に現れる近未来的な橋

ワインショップ
そして翌日。グルジア観光のハイライト軍用道路を通って十字架峠へ!と息巻いて外に出たものの、期待を裏切るように今にも降り出しそうな曇天…。
軍用道路というのはコーカサス山脈を越えて、トビリシとロシアをつなぐハイウェイのこと。最高地点の十字架峠は標高2395mだ。軍用道路は冬期、雪などの影響で道路が封鎖されることもある。まさに私が行った5月はベストシーズン!のはずなのに、走り出した途端、雨が降り出した。
途中、17世紀に建てられたアナヌリ教会を経て、十字架峠へ。

アナヌリ教会
天気は良くなるどころか悪くなる一方。雨脚もひどくなってきたが、霧がすごいことになっている。5m前も見えない状態で走るハイウェイはとてもスリリングだった。

ちょっとだけ視界が晴れた十字架峠
本来であれば、このハイウェイでは大コーカサス山脈の大パノラマが見えるはず!それをお届けできなくて悔しい限りである。
峠を越えて軍用道路の終着点、カズベキに到着したころには天気が少し良くなってきた。
カズベキに着いたら車を4WDに乗り換え、カズベキ教会を目指す。カズベキ教会は道中が整地されていない山の上にあるのだ。ついさっきまで大雨だっただけに、道のコンディションは最悪。一度車が横滑りした際には思わず声が出た。

カズベキ教会に到着

カズベキ教会からの眺め

カズベキ教会
復路ようやく太陽が顔を出してくれて、少しだけだが、コーカサスの山を拝む事が出来た。

大コーカサス山脈

グルジア・ロシア友好の壁
この日一番テンションが上がった事。それは羊飼いの群れとの遭遇。
なんと3000頭を超える羊に囲まれたのだ。ゆっくり3分間は羊の波!この時期であれば、毎日こういった場面に出会うという。

軍用道路の名物、羊の大群
夜はこれまたグルジア名物のヒンカリ(グルジア風小龍包)を食べ、グルジアに別れを告げた。

グルジア風小龍包、ヒンカリ
陸路でグルジアからアルメニアへ。アルメニアはビザが必要だが、陸路で簡単に取得が可能。難なく、アルメニアへ入国。
昨日の天気が嘘のように天候に恵まれ、暑いくらいの気温の中、世界遺産のハフパット修道院とサナヒン修道院へ。
今までグルジアの教会ではアイコンと呼ばれる壁画をたくさん見てきたが、アルメニアにはそれらは見られない。壁画があることはほぼなく、その代りにハチュカルという石を掘って作られた十字架がたくさん見る事が出来る。

世界遺産ハフパット修道院

世界遺産ハフパット修道院

世界遺産ハフパット修道院

ハチュカル
固い石にとっても細かい彫刻が入っていて、芸術作品のようだった。
ハフパット修道院とサナヒン修道院は有名建築家の親子がそれぞれ建てたもの。サナヒンを父、ハフパットを息子が作ったのだそうだ。

ハフパットで見かけた旧ソ連時代の現役バス
アルメニアを旅する際、一般的にはまぁホテルなのだが、安く行きたい人、あまりに田舎でホテルが無いとき、ちょっと変わった体験がしたい人にオススメなのが、民宿だ。JICAなども支援をしているそうで、そんな民宿をいくつか視察してみた。
シャワーやホテルは共同の所が多いが、部屋は清潔でWIFIもつながり、宿泊には何の苦もない。民家では家畜を飼っていたり、畑があったりするので、ホストファミリーと一緒に料理レッスンをしたり、農家ならではのアクティビティーも楽しめる。

チバ村の民宿

民宿の客室

民宿で買っているウシ
さらにホストファミリーからの温かい歓迎には心癒された。
ちょっと見学に来ただけなのに、チキンや自家製パイ、自家製ワインなどおもてなしの嵐!!

BBQチキンを焼いてくれた

おもてなし料理

民宿のご夫婦

愛の修道院、ノラバンク修道院
ノラバンク修道院を経て、私が向かったのは世界最古のワイナリー。ここは2011年に発見されたばかりの紀元前3500年のワイン醸造所である。こんな洞穴の中にあるとは。

世界最古のワイン醸造所の前で

ここでワインがつくられていた…
今から約5500年も前にワインを飲んでいたなんて、おっしゃれ〜
近くにはワイナリーがあり、美味しいワインが驚きの低価格で買える。税関の申告さえなければ何本でも買って帰りたい!こんなに安くておいしいのに、3本までしか持って帰れないなんて、酷な話だ…。

ワイナリー見学

ワインテイスティング
翌日、タテヴ村に行く為に今日は手前にある村の、ユニークな樽のホテルに泊まった。ワインの国アルメニアにちなんだコンセプトなのだろうか。

樽のホテル

樽の部屋からの絶景
タテヴ村にはアルメニア一美しいと言われるタテヴ教会があるのだが、この村に行く楽しい交通手段が2010年に完成されたロープウェイだ。それまでタテヴ村は、いくつもの谷に閉ざされ、車だと約1時間強の山道を走らなければならなかった。このロープウェイは全長5.7km、所要時間12分で世界一長いロープウェイとしてギネスに認定されている。以前スノーボードに行った際、ドラゴンドラに乗ったことがあるが、あれよりも長いのか!

ギネス認定世界最長のロープウェイ

ロープウェイからの絶景
いざ乗車。緑深い谷の中を、私を乗せたゴンドラが飛んでいく〜。足元を除けば胸がすくむような高さ。うひょ〜〜〜!
着いた先のタテヴも本当に美しい小さな村であった。

タテヴ村

タテヴ教会

タテヴ教会のハチュカル
高所恐怖症の人にとっては魔の12分間だと思うが、このロープウェイに乗るだけでもここまで来てよかったと思えた。そしてその先には美しい村と教会があるのだから、アルメニアに来たら絶対のおすすめポイントだ。
タテヴからエレバンに帰る途中、思わぬアクシデントに見舞われた。アルメニアを走っていて常々思っていたのだが、国道であってもとにかく道が悪い。ここにきて、タイヤがパンクしてしまったのだ。路上に車を止めて、ドライバーさんが一生懸命タイヤを確認していると、わざわざ車を止めて、どうした?と様子を聞いてくれる。日本だったら止まってくれる人いるのかなぁ。優しい人がタイヤの空気入れを貸してくれた。
結果、空気は入らず、スペアのボロボロタイヤを使って帰ることになるのだが、思わぬところでアルメニア人の優しさに触れる事が出来た。なお、アルメニアではいいタイヤを買う事が出来ず、人々はわざわざ隣国のグルジアへ買いに行くのだそうだ。タイヤだけではなく、電化製品なども同じだという。そうか、アルメニアはなかなか買い物をするのも大変なんだな、とアクシデントから思わぬ勉強が出来た。
話は変わるが、よく日本の心に例えられる富士山。みんな大好き富士山。では、アルメニア人にとっての富士山は?それはアララト山です。アルメニア人はみんな大好きアララト山。
アララト山はノアの方舟がたどり着いた場所という伝説があり、アルメニアの出入国スタンプにも描かれている、アルメニア人の誇りだ。
そしてもう一つ、アルメニア人が誇りに思っているもの。それがアルメニア正教。アルメニアは西暦301年、世界で初めてキリスト教を国教として定めたことをもう一つの誇りにしている。アルメニアにキリスト教を伝えた聖者グレゴリウスが13年もの間幽閉されていたホルヴィラップ修道院はまさに聖地のようなもの。
ホルヴィラップの修道院のすぐ後ろにアララト山がそびえている。ホルヴィラップ修道院越しに見るアララト山というのは、まさにアルメニア人の2大プライド!

ホルヴィラップ修道院とアララト山
でも見えない!アララト山見えない!!残念ながら雲に隠れていた。
何と驚いたことに、日本の富士山的存在、アララト山は今現在、トルコの領土なのだ。ホルヴィラップ修道院から目と鼻の先、数十メートル先からはトルコの領土で、アルメニア人は自由にアララト山に行く事が出来ない。いきなり富士山が他国の領土にあるなんて考えられない!でも悲しいかな、度重なる侵略の為に、アルメニアはアララト山を手放さざるを得なかったのだ。でもアルメニア人は言う。アララト山が一番美しく見えるのはトルコ側ではない、アルメニア側なのだ!と。。。
先にキリストを始めて国教にしたと書いたが、世界で初めて公式の教会が出来たのがアルメニアのエチミアジンである。ここは世界遺産にも登録されている。
エチミアジンの宝物館にはキリストが貼り付けになった際に脇腹を刺したとされる聖なる槍が飾られている。

補修中のエチミアジン

キリストの脇腹を刺したとされる槍

世界中から巡礼者が絶えない
世界中のキリスト教徒にとって大切な教会であるため、修復にはローマ正教、アルメニア正教、ユネスコ、アルメニア政府などなど、各所の許可が下りないとなかなか進める事が出来ず、これからもまだ時間がかかる見込みだそうだ。
こうしてあっという間のグルジア・アルメニア出張は終わりを告げた。
想像以上に深い歴史と文化、民族間の感情、争いの過去…いろいろな事を学んだ9日間だった。
タテヴから首都エレバンに帰る途中、何の変哲もない団地の真ん中で車が止まった。ガイドさんに言われるがまま車を降りると、そこで見たのは、3.11の東日本大震災の被害者の為に建てられたハチュカル…。
日本人でグルジアとアルメニアを知っている人は、やはり多くない。
でも日本人が知らないこんな田舎の街で、私たちとともに悲しみ、私たちの為に祈りをささげてくれている人たちがいるのだ。
日本に帰ったら友人に、自分が今回行った国々がどんなところだったのかたくさん話をしたいな、と改めて思った。

東日本大震災の為の慰霊碑
ムツヘタ ☆☆☆☆ 世界遺産の街並みがかわい
トビリシ ☆☆☆☆☆ 文化、民族が入り混じる歴史の深い首都
ムツヘタ ☆☆☆☆☆ 軍用道路と合わせてグルジア旅行のハイライト
ロリ地方(ハフパット) ☆☆☆☆☆ サナヒンとハフパット修道院はとても美しい
アレニ地方 ☆☆☆☆☆ 民泊とロープウェイがお勧め
エレバン ☆☆☆☆ アルメニアの首都。郊外に行く起点
(2016年5月 久保井奈々子)

- 中国で4000年の歴史を味わい、台湾で日本の面影を見つけてきました。中国・台湾周遊9日間の旅
-
エリア:
- アジア>台湾>花蓮(ホアリェン)
- アジア>台湾>阿里山(アーリーシャン)
- アジア>中国>西安(セイアン)
- テーマ:世界遺産 歴史・文化・芸術 自然・植物
- 投稿日:2016/06/24 15:29
入社後2回目の海外出張は中国の西安+台湾一周の旅。
どちらも初めて訪れるため私にとっては未知の国。
今回の旅は事前にテーマを決め、中国では「中国4000年の歴史を感じる旅」。台湾では「台湾に残る日本の面影を探す旅」をテーマにまわってきたのでその様子を紹介してゆきたいと思います。
≪西安≫
中国の歴史上最も多くの王朝の都になった西安。中国文明発祥の地として世界4大文明古都の一つにも認められています。そんな西安には今も歴史的に重要な史跡が数多く残されています。
〈兵馬俑抗〉
世界の8大奇跡と呼ばれる兵馬俑抗。地元農民による井戸掘の際に偶然発見されたのだそう。兵馬俑抗には死後の始皇帝を守るため始皇帝陵を背に身長180cmの等身大に作られた約8000体の兵馬俑が展示されています。また兵馬俑坑は発掘された順に主力部隊の兵馬俑が並ぶ1号坑、騎馬戦車隊の兵馬俑が並ぶ2号坑、指令部の役人兵馬俑が並ぶ3号坑の3つの抗に分けられています。
・1号抗



修復途中の兵馬俑。発掘された部品一つ一つを組み合わせて復元されるそう。気の遠くなるような作業です…
・2号抗


2号抗は発掘がまだ進んでいません。

2号抗から発掘された兵馬俑。こんな完璧な状態で発掘されたとは驚きです。
・3号抗

・銅馬車


今にも走り出しそうです

兵馬俑と記念撮影
写真や映像ではよく見る兵馬俑ですが実際に見るとその数の多さに圧倒されました。ちなみに8000体の兵馬俑は一つとして同じ顔のものがなく、実在した兵士をモデルに一体一体手作業でつくられたのだそう。こんなにも精巧な兵馬俑が2000年以上前につくられたというのだから驚きです。
〈華清池〉
華清池は西安市内から約30kmの驪山の麓に位置する温泉地で、秦の始皇帝などの歴代皇帝の保養地として利用されてきました。この華清池を有名にしたのが唐代の玄宗皇帝と楊貴妃とのロマンス。2人は毎年冬から春にかけてこの華清池で享楽生活にふけり、その贅沢極まる華清池での生活は白楽天の有名な「長恨歌」でも歌われています。現在も華清池には楊貴妃が入浴していた「海棠湯」、玄宗皇帝が入浴していた「蓮華湯」などの浴槽が当時のまま残されています。またこの華清池は蒋介石が監禁された西安事件の舞台としても有名です。




楊貴妃の像


楊貴妃専用の海棠湯

玄宗皇帝専用の蓮華湯

湧き出る天然温泉。美人の湯として有名でペットボトルに詰めて持ち帰る人も多いです
〈大雁塔〉
西安のシンボルとも言える大雁塔。
西遊記でおなじみの三蔵法師がインドから持ち帰った仏典や仏像を保管するため642年に建てられました。



大雁塔は登ることもでき最上階からは西安市内が一望できます


夜の大雁塔もライトアップされ美しいです
〈ムスリムストリート〉
西安はシルクロードの起点で世界各地のレシピが集まった美食の街でもあります。そんな西安の美食グルメが一同に集まるのがこのムスリムストリート。食べ歩きにオススメです。





≪台湾≫
1895年から約50年間続いた日本統治の影響でいまでも日本の文化や歴史、建物が残る台湾。
そんな日本とゆかりの深い台湾での旅のテーマは「日本を探す旅」
台北→嘉義→台南→花蓮→台北と日本の面影を探しながら台湾を一周してきました。
〈嘉義〉

台湾の南部に位置する嘉義は日本統治時代日本人監督の下で台湾の高校生たちが台湾代表として甲子園に出場したという実話をもとに作られた映画「KANO」の舞台になったことでも有名です。嘉義は日本とのつながりが深い街で現在も日本統治時代の建物が数多く残ります。また台湾1のパワースポットとしても有名な阿里山への玄関口となる街です。
・嘉義公園


嘉義公園内の嘉義史跡資料館は日本統治時代、嘉義神社の社務所でした。館内はまるで昭和の日本。タイムスリップしたかの様な不思議な気分が味わえます。
・檜意森活村
日本統治時代、檜意森活村は檜が有名な阿里山で林業関係の仕事に携わった人たちの宿舎でした。どの宿舎も檜で作られていることからヒノキビレッジとも呼ばれています。現在は木造宿舎がリノベーションされ観光スポットになっています。


KANOのロケ地に使われました
・阿里山

タイワンヒノキが有名な阿里山。阿里山に自生するタイワンヒノキは靖国神社の神門や東大寺の垂木など日本の神社仏閣でも数多く使われており日本とのつながりも深い場所です。


阿里山へ向かう途中南台湾の九份とも呼ばれる奮起湖へ立ち寄りました

昼食に奮起湖名物の駅弁を
阿里山森林遊楽区の入り口である沼平駅には毎週水曜日檜で出来た檜列車が走っています。近くを通るだけで檜の良い香り。実際に乗ることもできるので機会があれば是非!


阿里山の森林遊楽区では檜の森を散歩できます





・烏頭山ダム
日本人の八田與一が建設指揮をしたことで有名な当時アジア最大と言われた烏山頭ダム。台南市内から車で40分ほどの場所にあります。烏山頭ダムは干ばつや洪水に悩まされていた嘉南平野を豊かな水田地帯に変え地元農民を救いました。この功績から八田與一は今でも台湾国内で英雄として讃えられています

映画KANOのロケ地にも使われました


敷地内にはフェニックスの木が生い茂っています

ダム一面を見晴らせる丘の上に八田與一の銅像が建てられています。

隣接する八田記念公園には当時のダム技師の日本人宿舎が復元されています


〈台南〉

台湾の京都とも言われる歴史がつまった街台南は日本やスペイン、オランダなどの支配を受けてきた歴史から多彩な文化が入り混じるスポットが各所に残されています。日本との関わりの深い場所も多く、今回はそちらをメインにまわりました。
・飛虎将軍廟
飛虎将軍廟は神様になった日本人杉浦繁峰供養のために建てられた廟です。大東亜戦争中、杉浦の操縦する戦闘機が敵機の攻撃により墜落しそうになりました。その際、パラシュートをつかって脱出することもできましたが目の前の村に墜落し犠牲者がでるのを避けるため自らの命を犠牲にし最後まで操縦桿を握り村を避けて墜落しました。その後村人たちは自分の命を犠牲にして村をまもってくれた杉浦の供養のためと、彼を神様として祀るためこの廟を建てました。



愛煙家だった杉浦の為、ここでは線香の代わりにタバコをお供えします
・林百貨
林百貨は日本人の林方一が日本統治時代に開業した台湾南部初のデパートで現在は商業施設として生まれ変わっています。百貨内には可愛い雑貨屋が多いので女性にオススメです。






第二次世界対戦中にうけた爆撃跡が残されていました。長い歴史を感じます。
・花園夜市
毎週木、土、日曜日に開催される台南最大の夜市である花園夜市。ここには台湾の美味しいものが一同に集結します。





〈花蓮〉
太魯閣峡谷の入り口として有名な台湾東部の街花蓮。実は日本とつながりの深い街で市内には日本統治時代の建物が数多く残されています。
・松園別館
1942年に旧日本軍の司令所として建てられた松園別館。花蓮で最も完成度の高い日本建築とも言われています。現在は台湾歴史百景にも選ばれ、セミナーや展覧会の行われる文化施設として利用されています。




現在はおしゃれな雑貨さんに


実際に使われた防空壕が残されています
・太魯閣峡谷
太魯閣峡谷は大理石の岩盤が侵食されて形成された大峡谷で、その美しさから台湾八景にも選ばれる台湾随一の人気スポットです。








〈台北〉
・十份

台北から電車で1時間半、山の山間部に十份はあります。線路に沿ってたくさんのお店が並び、ノスタルジックな雰囲気が漂う静かな街です。十份はランタン上げが有名です。






ランタン上げをやってみました

昼間でもこのランタン上げはできますが、夜に上げると赤いランタンの光が夜空に輝く美しく幻想的な光景が見られます。
・九份
写真1186
千と千尋の神隠しのモデルなったともいわれる九份は日本統治時代に金鉱山として栄えた街です。台湾NO1の人気スポットとあって大賑わいでした。




台湾は想像以上に日本が残るところでした。
過去には日本が統治、いわば占領していたという歴史がありながらも台湾の人々は日本に悪いイメージを持たず、むしろ日本のおかげで台湾の文化が発展したのだとプラスのイメージをもってくれていました。
そんな日本と繋がりが深い台湾。今後も友好関係が継続し、そして多くの人に台湾を訪れ素晴らしさを知ってもらえたらと願います。
西安:★★★★ 中国史を学んでからの観光がお薦め。歴史を知ると感動は倍増です!
嘉義:★★★★ 日本がたくさん残る嘉義の街ではぜひ日本を探す旅を
台南:★★★★★ 歴史とグルメの町。台南のグルメを満喫するなら花園夜市がおすすめ!
花蓮:★★★★ タロコ峡谷もいいけど市内散策もお薦めです
(2016年5月 下根光貴 )
どちらも初めて訪れるため私にとっては未知の国。
今回の旅は事前にテーマを決め、中国では「中国4000年の歴史を感じる旅」。台湾では「台湾に残る日本の面影を探す旅」をテーマにまわってきたのでその様子を紹介してゆきたいと思います。
≪西安≫
中国の歴史上最も多くの王朝の都になった西安。中国文明発祥の地として世界4大文明古都の一つにも認められています。そんな西安には今も歴史的に重要な史跡が数多く残されています。
〈兵馬俑抗〉
世界の8大奇跡と呼ばれる兵馬俑抗。地元農民による井戸掘の際に偶然発見されたのだそう。兵馬俑抗には死後の始皇帝を守るため始皇帝陵を背に身長180cmの等身大に作られた約8000体の兵馬俑が展示されています。また兵馬俑坑は発掘された順に主力部隊の兵馬俑が並ぶ1号坑、騎馬戦車隊の兵馬俑が並ぶ2号坑、指令部の役人兵馬俑が並ぶ3号坑の3つの抗に分けられています。
・1号抗



修復途中の兵馬俑。発掘された部品一つ一つを組み合わせて復元されるそう。気の遠くなるような作業です…
・2号抗


2号抗は発掘がまだ進んでいません。

2号抗から発掘された兵馬俑。こんな完璧な状態で発掘されたとは驚きです。
・3号抗

・銅馬車


今にも走り出しそうです

兵馬俑と記念撮影
写真や映像ではよく見る兵馬俑ですが実際に見るとその数の多さに圧倒されました。ちなみに8000体の兵馬俑は一つとして同じ顔のものがなく、実在した兵士をモデルに一体一体手作業でつくられたのだそう。こんなにも精巧な兵馬俑が2000年以上前につくられたというのだから驚きです。
〈華清池〉
華清池は西安市内から約30kmの驪山の麓に位置する温泉地で、秦の始皇帝などの歴代皇帝の保養地として利用されてきました。この華清池を有名にしたのが唐代の玄宗皇帝と楊貴妃とのロマンス。2人は毎年冬から春にかけてこの華清池で享楽生活にふけり、その贅沢極まる華清池での生活は白楽天の有名な「長恨歌」でも歌われています。現在も華清池には楊貴妃が入浴していた「海棠湯」、玄宗皇帝が入浴していた「蓮華湯」などの浴槽が当時のまま残されています。またこの華清池は蒋介石が監禁された西安事件の舞台としても有名です。




楊貴妃の像


楊貴妃専用の海棠湯

玄宗皇帝専用の蓮華湯

湧き出る天然温泉。美人の湯として有名でペットボトルに詰めて持ち帰る人も多いです
〈大雁塔〉
西安のシンボルとも言える大雁塔。
西遊記でおなじみの三蔵法師がインドから持ち帰った仏典や仏像を保管するため642年に建てられました。



大雁塔は登ることもでき最上階からは西安市内が一望できます


夜の大雁塔もライトアップされ美しいです
〈ムスリムストリート〉
西安はシルクロードの起点で世界各地のレシピが集まった美食の街でもあります。そんな西安の美食グルメが一同に集まるのがこのムスリムストリート。食べ歩きにオススメです。




羊肉の串焼き「シシカバブ」

西安風ハンバーガー「ロージャーモー」
≪台湾≫
1895年から約50年間続いた日本統治の影響でいまでも日本の文化や歴史、建物が残る台湾。
そんな日本とゆかりの深い台湾での旅のテーマは「日本を探す旅」
台北→嘉義→台南→花蓮→台北と日本の面影を探しながら台湾を一周してきました。
〈嘉義〉

台湾の南部に位置する嘉義は日本統治時代日本人監督の下で台湾の高校生たちが台湾代表として甲子園に出場したという実話をもとに作られた映画「KANO」の舞台になったことでも有名です。嘉義は日本とのつながりが深い街で現在も日本統治時代の建物が数多く残ります。また台湾1のパワースポットとしても有名な阿里山への玄関口となる街です。
・嘉義公園


嘉義公園内の嘉義史跡資料館は日本統治時代、嘉義神社の社務所でした。館内はまるで昭和の日本。タイムスリップしたかの様な不思議な気分が味わえます。
・檜意森活村
日本統治時代、檜意森活村は檜が有名な阿里山で林業関係の仕事に携わった人たちの宿舎でした。どの宿舎も檜で作られていることからヒノキビレッジとも呼ばれています。現在は木造宿舎がリノベーションされ観光スポットになっています。


KANOのロケ地に使われました
・阿里山

タイワンヒノキが有名な阿里山。阿里山に自生するタイワンヒノキは靖国神社の神門や東大寺の垂木など日本の神社仏閣でも数多く使われており日本とのつながりも深い場所です。


阿里山へ向かう途中南台湾の九份とも呼ばれる奮起湖へ立ち寄りました

昼食に奮起湖名物の駅弁を
阿里山森林遊楽区の入り口である沼平駅には毎週水曜日檜で出来た檜列車が走っています。近くを通るだけで檜の良い香り。実際に乗ることもできるので機会があれば是非!


阿里山の森林遊楽区では檜の森を散歩できます




豚の形をした檜の幹

・烏頭山ダム
日本人の八田與一が建設指揮をしたことで有名な当時アジア最大と言われた烏山頭ダム。台南市内から車で40分ほどの場所にあります。烏山頭ダムは干ばつや洪水に悩まされていた嘉南平野を豊かな水田地帯に変え地元農民を救いました。この功績から八田與一は今でも台湾国内で英雄として讃えられています

映画KANOのロケ地にも使われました


敷地内にはフェニックスの木が生い茂っています

ダム一面を見晴らせる丘の上に八田與一の銅像が建てられています。

隣接する八田記念公園には当時のダム技師の日本人宿舎が復元されています


〈台南〉

台湾の京都とも言われる歴史がつまった街台南は日本やスペイン、オランダなどの支配を受けてきた歴史から多彩な文化が入り混じるスポットが各所に残されています。日本との関わりの深い場所も多く、今回はそちらをメインにまわりました。
・飛虎将軍廟
飛虎将軍廟は神様になった日本人杉浦繁峰供養のために建てられた廟です。大東亜戦争中、杉浦の操縦する戦闘機が敵機の攻撃により墜落しそうになりました。その際、パラシュートをつかって脱出することもできましたが目の前の村に墜落し犠牲者がでるのを避けるため自らの命を犠牲にし最後まで操縦桿を握り村を避けて墜落しました。その後村人たちは自分の命を犠牲にして村をまもってくれた杉浦の供養のためと、彼を神様として祀るためこの廟を建てました。



愛煙家だった杉浦の為、ここでは線香の代わりにタバコをお供えします
・林百貨
林百貨は日本人の林方一が日本統治時代に開業した台湾南部初のデパートで現在は商業施設として生まれ変わっています。百貨内には可愛い雑貨屋が多いので女性にオススメです。


台湾南部初のエレベーター




第二次世界対戦中にうけた爆撃跡が残されていました。長い歴史を感じます。
・花園夜市
毎週木、土、日曜日に開催される台南最大の夜市である花園夜市。ここには台湾の美味しいものが一同に集結します。





〈花蓮〉
太魯閣峡谷の入り口として有名な台湾東部の街花蓮。実は日本とつながりの深い街で市内には日本統治時代の建物が数多く残されています。
・松園別館
1942年に旧日本軍の司令所として建てられた松園別館。花蓮で最も完成度の高い日本建築とも言われています。現在は台湾歴史百景にも選ばれ、セミナーや展覧会の行われる文化施設として利用されています。




現在はおしゃれな雑貨さんに


実際に使われた防空壕が残されています
・太魯閣峡谷
太魯閣峡谷は大理石の岩盤が侵食されて形成された大峡谷で、その美しさから台湾八景にも選ばれる台湾随一の人気スポットです。








〈台北〉
・十份

台北から電車で1時間半、山の山間部に十份はあります。線路に沿ってたくさんのお店が並び、ノスタルジックな雰囲気が漂う静かな街です。十份はランタン上げが有名です。






ランタン上げをやってみました

昼間でもこのランタン上げはできますが、夜に上げると赤いランタンの光が夜空に輝く美しく幻想的な光景が見られます。
・九份
写真1186
千と千尋の神隠しのモデルなったともいわれる九份は日本統治時代に金鉱山として栄えた街です。台湾NO1の人気スポットとあって大賑わいでした。




台湾は想像以上に日本が残るところでした。
過去には日本が統治、いわば占領していたという歴史がありながらも台湾の人々は日本に悪いイメージを持たず、むしろ日本のおかげで台湾の文化が発展したのだとプラスのイメージをもってくれていました。
そんな日本と繋がりが深い台湾。今後も友好関係が継続し、そして多くの人に台湾を訪れ素晴らしさを知ってもらえたらと願います。
西安:★★★★ 中国史を学んでからの観光がお薦め。歴史を知ると感動は倍増です!
嘉義:★★★★ 日本がたくさん残る嘉義の街ではぜひ日本を探す旅を
台南:★★★★★ 歴史とグルメの町。台南のグルメを満喫するなら花園夜市がおすすめ!
花蓮:★★★★ タロコ峡谷もいいけど市内散策もお薦めです
(2016年5月 下根光貴 )

- コーカサス3カ国弾丸6日間の旅〜アゼルバイジャン・グルジア・アルメニア〜
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エリア:
- ヨーロッパ>アゼルバイジャン>バクー
- ヨーロッパ>アルメニア>エレヴァン
- ヨーロッパ>グルジア>トビリシ
- テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/06/24 15:25



今回はコーカサス3カ国をなんと現地3泊のみ、計6日間で周る弾丸ツアーです。その日程を支えるのが、便利な夜便で5つ星エアラインカタール航空のフライト。行きは成田発22:20なので、仕事を早めに片付けてそのまま空港に向かいます。
1カ国目はアゼルバイジャン。首都バクーへ到着です。ビザは今まで日本で事前取得が必要でしたが、つい先日から可能になったアライバルビザに挑戦します。

ここで申請書に記入し、奥のカウンターに提出します。記入内容はパスポート情報や滞在先など。証明写真3枚、パスポートのカラーコピー2枚を持参しましたが、これは使いませんでした。日本国籍なら無料ですが、他の国籍でアライバルビザの場合は有料のようです。少し並んで15分くらいで1ページ分のシールが貼られたパスポートを返され、無事取得できました。
ガイドブックも全然出ていない未知の国でしたが、とりあえずバクーの気候は東京と同じくらい。高台にある殉教者の小道や、旧市街の乙女の塔に登ると眺めが良いのですが、「風の町」と呼ばれるほどあり、とにかく強風が吹きつけてきます。バクーの街はシルクロードの中継地としてアラブ、ペルシャ、トルコ、ロシアなどの文化が入り混じっているのですが、旧市街はシルヴァン・シャフ・ハーン宮殿をはじめ、イスラムの雰囲気が強いです。宮殿はいくつもの建物が一体になっており、細かな幾何学模様に目を奪われます。

イスラムっぽい旧市街もあるのですが、新市街はヨーロッパの街並みのようで、ブランドショップが建ち並び、近代的なデザインの建物も多いです。来月6月にF1が開催されるらしく、街中の道沿いにフェンスや観客席が取り付けられていました。ランドマークになるのが3匹のヒヨコのようなフレイムタワーです。高台にあって、特徴的な外観なのでどこにいても見つけやすいです。

夜はフレイムタワーに炎や旗を振る人のイルミネーションが映し出されます。
かっこいいというか、変わった形の建物も多く、どこかの美術館のようなメトロ駅やロールケーキ形の絨毯博物館など。


翌日、バクー郊外へ。車で1時間ほどの所にあるゴブスタンの岩画を見に行きます。巨大な岩がごろごろと重なり合う岩場に、石器時代の人々が描いた岩画が6000点あまりも残されています。岩画は牛やラクダ、人々の踊る様子、儀式の場面などの単純なモチーフですが、脈動感があって不思議と惹きつけられるものばかり。手前の小さな博物館でわかりやすい解説の展示で学んでから、実物を見ることができます。地元の子供たちもたくさん見学に来ていました。

アゼルバイジャンの料理の最大の特徴は、なんといっても香草です。山盛りの香草が毎食テーブルに並び、サラダ、スープ、肉料理、どれにも香草が入っています。パクチーなどが苦手な人は、パンとチーズくらいしか食べるものがないことも多いようです・・・プロフと呼ばれるピラフや、香草やチーズを挟んだピザのクタブ、ナスのペーストのマンガウ、デザートはフルーツのシロップ漬けのムラッパなど。


3日目の夜に空路で2カ国目、グルジアのトビリシへ。ほんの1時間ちょっとの国際線で、グルジアはビザも不要なので、気分は国内線。トビリシの市内観光をする時間がないのが残念ですが、ムツヘタとカズベキ観光に向かいます。
トビリシから車で30分ほどのところにあるムツヘタはグルジアのかつての首都で、現在でもグルジア正教の中心とされています。街を臨む山の頂上にちょこんと建てられているのは、ジュヴァリ教会です。ムツヘタの町と共に世界遺産に登録されていて、山の上にあるのでムスリムの侵略の際も壊されずに今も残されています。ジュヴァリ教会から見える、ムトゥクヴァリ川とアラグヴィ川の合流地点に栄えるムツヘタの美しい町の見晴らしは最高です。スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂では、ブドウとクルミのぐにぐにしたスイーツ、チュルチヘラや色々なお土産屋さんに夢中になりました!


ムツヘタから軍用道路を通ってカズベキを目指します。軍用道路はグルジアとロシアを結ぶ重要な道で、かつてロシアが軍事用に切り開いたものですが、名前からイメージされるように物騒なところではなく、自然の景観がとても美しいルートです。途中でアナヌリ教会やグルジアとロシアとの友好の壁、十字架峠に立ち寄ります。
グルジアの教会は、女性が入る時は頭にスカーフかフードをかぶって(髪は多少みえてもok)、内部は撮影禁止というところがほとんどですが、アナヌリ教会は内部も撮影できます。城塞の中に、イエスキリストの為の教会と、聖母マリアの為の教会の2つの教会があり、イコンが描かれた大きな障壁、イコノスタシスは見応えがあります。

友好の壁はとてもカラフルで、見晴らしも良く、多くの人の撮影スポットになっています。この辺りは標高も高く、ダウンを着込むくらいにとても寒いのですが、信じられないことにパラグライダーを楽しむ人もみかけました。そしてこの軍用道路で最も標高が高い十字架峠は、標高2395m。とても寒く、凍える前にバスに戻ります。


お昼頃にカズベキの小さな村に辿り着きました、山頂に小さく教会が見え、4WDに乗り換えてあの教会を目指します。しかしこれが予想を大幅に上回るアトラクションで、前後左右に大きく振り回されながら、片道約30分のドライブ。ドライバーさんは慣れているからか、音楽をかけ、余裕でずっとおしゃべりしながら、崖っぷちを対向車線とすれ違って行きます。上まで登ったら、抜群の景色の中を教会まで15分ほど歩きます。澄んだ青空と大自然の山々にツミンダ・サメバ教会がかわいらしく見えて、とても絵になる風景です。


日曜日なので教会ではミサをやっていて、ちょうど美しい讃美歌をきくことができました。教会の雰囲気とあいまって、神聖な気分に浸ります。
町まで降りると、少しだけですが雲の隙間からカズベキ山を見ることもできました。

とても日が長いので気づきませんでしたが、帰りにあちこち視察したり、グルジアの美味しいワインを買いにスーパーに寄ったりしていたら、結局この日の就寝は3時。グルジアではお肉とあわせて赤ワインがよく飲まれるのですが、レストランでとても飲みやすい赤ワインが出たので、スーパーで探してお土産にしました。ワインはワイナリーやスーパーでお安く売っています。


(大きな小龍包のようなヒンカリ)

(チーズピザのハチャプリ)
明らかな睡眠不足ですが、翌朝早くに出発し、アルメニアの国境へ向かいます。独立記念日の準備で自由広場が封鎖されてしまい、遠回りをしつつ1時間半でサダプロ国境に。車を降りて、出国手続きをします。中間地帯の免税店の並びを抜けて、アルメニアのビザを取って入国します。ここのビザも申請書を書くだけで写真は不要、$10くらいでした。アルメニアとアゼルバイジャンは政治的に仲がよくなかったりして、アゼルバイジャンにも行ったのかと言われましたが、だからといって入国できないなんてこともなく、3カ国目アルメニアに無事入国。ここからハフパト修道院まで、1時間半のはずが、なぜか3時間。穴ぼこだらけの悪路で、且つ車が大きいので、全然スピードが出せないんだとか。どんなに悪路でも、今日の深夜のフライトで帰国しなければならないし。不安を感じつつも修道院を見学します。



ここに飾られているアルメニア正教の十字架は、先端が開いていて、幾何学模様の装飾が施され、繊細で美しいです。その後、セヴァン湖の近くで昼食をとり、首都エレバンの近郊にあるガルニ神殿、ゲガルド修道院を見学します。セヴァン修道院では空が真っ暗になってきて、強風と雨から逃げるように移動しました。


ゲガルド修道院は4世紀に巨岩を掘り抜いて造られた岩の修道院で、現在は主に13世紀に造られた建物を見学できるようになっていますが、岩をくり抜いた部分から聖水が流れ出ている部屋があり、これを飲むと病が治ると言われています。ゲガルドは槍の意味で、ローマ軍人がイエスキリストを刺したとされる槍がこの近辺で見つかったことが名前の由来になっています。


そうこうしているうちに、あっという間に夜になり、予定通りなのですがエレバンの市内観光もできないまま、3:25発のフライトで帰国の途につきました。
コーカサスとまとめられているこの3カ国は、どこも治安が良く、物価が安く、食文化は似通ってはいましたが、宗教も言語も通貨も異なる国です。グルジア・アルメニアはなんとなく似ているのですが、アゼルバイジャンは特にこの2カ国とは違う雰囲気を感じました。詰め込んだスケジュールで見てまわれなかったところもたくさんあるので、次回はゆっくりまわってみたいです。今回お世話になったカタール航空の方、現地手配をしてくださった方をはじめ、ご一緒してくださった皆さん、とてもとても楽しく、あっという間の6日間でした。本当にありがとうございました。

おすすめ
バクー…★★★★ 近代化が進む古今東西が入り混じった街
トビリシ…★★★★★ 様々な宗教を受け入れる国際的な街、次こそ市内観光を
ムツヘタ…★★★★★ 川に挟まれた東欧のような古都
カズベキ…★★★★★ グルジアのスイス。大自然に美味しい水と空気が最高!
(2016年5月 増田里紗)

- その時歴史が動いた!!歴史のターニングポイントとなったゆかりの地を訪ねる旅 〜ブカレスト、ベリコ・タルノボ、ソフィア、ニシュ、ベオグラード〜
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エリア:
- ヨーロッパ>ブルガリア>ブルガリアその他の都市
- ヨーロッパ>セルビア>セルビア・モンテネグロその他の都市
- ヨーロッパ>ルーマニア>ブカレスト
- テーマ:ホテル・宿泊 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/06/24 15:16
今回ルーマニア、ブルガリア、セルビアを訪れる機会を得ました。美しすぎる古城、教会に残る素晴らしいフレスコ画の数々には感動しましたが、それ以上に、今回の出張では歴史のターニングポイントとなった数々のゆかりの地を訪れたことがとても感慨深く、貴重な訪問となりましたので、以下その点を中心にご紹介いたします。
ルーマニア革命の象徴「国民の館」


皆さんはルーマニアについてどんなイメージをお持ちだろうか。私は今回訪問するまで全くといっていいほどイメージがなく、知っていたことといえば、ビートたけしのギャグでお馴染みの体操選手「コマネチ」の出身国であることぐらいでした。しかしこの国を語る上で決して忘れてはいけない出来事があります。1989年のルーマニア革命です。好き放題の独裁政治を行い国民を苦しめていた、ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスク大統領夫妻(当時)が最終的には公開処刑され、独裁者による共産主義国家ルーマニアが民主化された革命的出来事です。当時まだ中学生だった私は、なぜ彼らが処刑されなければならなかったのか、ことの詳細までは知りませんでしたが、当時はベルリンの壁崩壊等一連の東欧革命の真っただ中にある激動の時代で、TVで処刑されたチャウシェスク夫妻の遺体の映像を観て、独裁者の処刑という展開に強い衝撃を受けた記憶があります。
そのチャウシェスクが巨費を投じて造らせた宮殿が「国民の館」です。建造費用1,500億円、 地上10階、地下4階、部屋数3,000以上、エレベータ50基、クリスタルのシャンデリア3,000基、地下トンネル。これは米国防省のペンタゴンに次いでこの世で2番目に大きい建造物(延床面積616,540m²)だ。国民の館の正面に伸びる通りは、パリのシャンゼリゼ大通りを模したが、幅が6メートル広くなってしまったという逸話も。これと言った産業のないルーマニアという国の象徴としては、あまりにも巨大な建物である。よくこれだけ大きな建物をさしたる目的もなく造ったものだと感心してしまう。この建物のために費やした税金はあまりにも莫大で、それによってルーマニア経済はひっ迫し、国民が困窮を強いられたというのだから巨費を投じて造らせた宮殿が「国民の館」などという名前を付けられているのは、皮肉以外の何者でもない。「国民の館」と名前が付けられているが、これは「チャウシェスクの館」と言ってもいい。何しろチャウシェスクの自己顕示のためだけに、建設された館だから。


チャウシェスクへの不満が溜まった国民は、1989年に革命を起こします。チャウシェスクのいる建物の前に国民が集まり暴動を起こし、逃げ場を失ったチャウシェスクは、ヘリコプターでビルの屋上から脱出します。当時の人は「彼はジェームズボンドの様ように逃げた」と言っていたそうですがそれくらい印象に残る逃げ方です。ちなみに、ヘリコプターで逃げたものの後に捕まり、チャウシェスクの夫婦共ども処刑されています。当時の国民は権力の前でただひれ伏すだけでなく、ルーマニア革命の元にチャウシェスクを処刑に追い込んだのです。ルーマニア革命はCIA(アメリカの中央情報局)が扇動したとの噂もありますが、実際に革命に至ったのはルーマニアの国民です。そういう意味で「国民の館」はルーマニア革命の象徴的建物の1つといえます。
しかしそれも過去のことで、現在建物の内部は有料で一般公開されています。現在でも国会議事堂として機能していて、コンサートやパーティーなども行われている。あまりの広さ故に、あのマイケルジャクソンもここで演説をしています。見学を先導してくれた英語ガイドさんによると、国民の館に延びるシャンゼリゼ通り!マイケルジャクソンはこの広場に集まった人たちに向かって「ハロー・ブダペスト」と叫んだそうです(ここブダペストじゃなくてブカレストだよと突っ込みたくなりますね)。独裁時代の名残の建造物が観光資源とは、なんとも感慨深いものがあります。あまりに大きい国民の館を実際に目の当たりにしてみると、先人の苦労が伝わってきます。
様々な複雑な思いを胸にブカレスト郊外にあるチャウシェスク夫妻の墓参りもしてきました。一国の大統領であった人ですが、近隣にあるお墓と同じくらいの大きさ。けれど、合葬のお披露目の際にはルーマニア国旗の三色の花飾りが備えられ、三色旗のリボンで飾られていたそうです。大統領であったとはいえ、旧体制の独裁リーダーとして追放され、処刑された人。けれども、はなむけの飾りは、ルーマニア国家をあらわす赤・黄・青。国民の複雑な思いが感じられます。
1999年12月、革命10周年に当たって行なわれた世論調査によると6割を超えるルーマア国民が「チャウシェスク政権下の方が現在よりも生活が楽だった」と答えたとか(ウィキペディア参照)。 頻発するストライキでは、「我々はとりあえず自由を手に入れた。次は幸福を手にする番だ」というスローガンも見られたそうですが、未だその幸福を多くの国民が実感していないようです。
是非、東欧に行く機会がありましたらこの巨大な建物を訪れて独裁者を処刑に追い込んだ国民の想いと激動の歴史をを感じてみてください。


ブルガリア独立のきっかけとなったお伽の村コプリフシティツァ






ブルガリアの最も美しい村として国内外に知られている「コプリフシティツァ」は「美術館都市」と呼ばれ、国内からも人が集まる有名な観光地です。14世紀にオスマンの侵入で土地を追われた人達が、隠れ住んだ村で、18世紀頃から商業で街は潤い、スルタン(皇帝)からも軽減と武器の所有を許されていた。19世紀前半から半ばにかけて、商人達が競って様々な建築様式で建てられた家々が、今もそのまま残っている。そのうち6軒の屋敷が、「ハウスミュージアム」として保存・公開されている。いわば村の家並みがそのまま美術館だ。非常にカラフルな家が多く、“お伽の村”とも言われています。まるで中世で時間が止まったような町です。ガイドさんによると、19世紀、ここには羊飼いがたくさんいて、羊毛の貿易で栄えた。豪商が集まり、壮麗豪華な屋敷を建てたという。6軒の一つ、「オスレコフ・ハウス」でも、玄関の柱にレバノンから運んだ杉がぜいたくに使われている。瓦屋根に木枠の窓は東洋的だが、外壁には色鮮やかな絵や彫刻。それが不思議にマッチしている。
「家並みだけじゃありません。この村はブルガリア人にとって、特別の場所なんです」。
それはなぜか。この村がブルガリアの独立運動の口火を切った場所だからです。
オスマン帝国の支配下にあったブルガリアでは、18世紀後半になると民族解放運動の担い手たちが台頭するようになった。経済的な自立を背景に、西欧やロシアの思想の影響を受けた彼らは「独立」という目標を掲げ、具体的な行動を起こす。そして1876年4月、ここコプリフシティツァで発せられた1発の銃声を合図に、ついに「四月蜂起」が勃発したのだ。屈強なトルコ軍を銃で撃ちその血で“血判状を書き”近隣の町へ馬を駆け配りました。四月蜂起の首謀者ゲオルギ・ベンコフスキをはじめとした四月蜂起の首謀者達もこの町出身で、ブルガリア人にとっては英雄が出た憧れの美しい村なのだ。4月蜂起自体は3か月程度で鎮圧され失敗に終わり、屋敷の主だった首謀者達も逮捕されましたが、この蜂起を契機に、オスマン・トルコ政権からの独立運動は盛り上がりをみせ独立を勝ち取る道筋ができていくのです。「この村の人が勇気を出して立ち上がらなかったらブルガリアは独立できなかったかもしれない」とも言われます。よってこの村はブルガリア人にとって、特別の場所なんです。
それから百数十年。村の人々は英雄たちの屋敷を修復し、当時のままに残してきた。革命への思いがヨーグルトのように、脈々と受け継がれているからに違いない。
その英雄達の生家が「歴史資料博物館」として当時使用されていた家具・調度類・服・武器等が展示されています。
陽光が降り注ぐ山間ののどかな町並み。思い思いの意匠が凝らされた民族復興様式のカラフルな家々が立ち並ぶ石畳の道には、そんなのどかさとは裏腹にブルガリア人の「抵抗」の足跡に触れたような気がして今回の訪問は感慨深いものがありました。ブルガリアの歴史上重要な役割をはたしたこの村は、決して派手さはありませんが是非訪れてほしい場所の1つです。当時の詳細はイワン・ヴァーゾフの「軛の下で」を参照されたい。


コンスタンティヌス大帝生誕の地に佇む負の遺産ドクロの塔-スカルタワー



セルビア第3の都市ニシュは人口約25万人で、バルカン半島最古の町の一つ。ヨーロッパと中東を結ぶ交通の要衝で、ブルガリアのソフィア、マケドニアのスコピエ、セルビアのベオグラードを結ぶ結節点に位置しています。 コンスタンティノープルを創建した最初のキリスト教徒のローマ皇帝コンスタンティヌス1世の生誕地としてあまりにも有名ですが、セルビア人軍勢が初めてオスマン帝国に対して蜂起した「チェガルの戦い」があった歴史的に重要な場所であることも忘れてはなりません。
交通の要所であったことから、ニシュは現代に至るまで様々な民族から繰り返し攻撃を受け占領されました。その中でオスマン・トルコの支配化の時代に、勇気を振り絞って反旗を翻したクーデター、それが「チェガルの戦い」です。1809年、トルコからの解放を目指した蜂起の中、チェガル丘で1万人のトルコ軍に対し3千人で戦いに挑みました。トルコ軍はオスマン・トルコの圧制に反旗を翻した反乱軍を容赦なく惨殺し、後世への見せしめのため、なんと反乱軍の頭蓋骨952個で塔を築かせました。その塔は「チェレ・クラ」と呼ばれ、ニシュの町はずれに今も残っています。反乱の見せしめとはいえ、ひどいことを考えるものです。昔の骸骨塔は屋外にむき出しのまま建っていました。よって犠牲者の親族が頭蓋骨を持ち帰ったり、風雨によって転がり落ちてしまうことも多かったそうです。そうしたことから現在空になった穴が多く、今、残っているのは56個だそうです。上部がかなり崩れ、崩壊しそうだったので塔は現在建物で覆われています。
建物の中へ入ると、髑髏がずらっと並んでいます。この塔の存在をガイドブックで知った衝撃は今でも忘れませんが、実物はもっと強烈でした。レプリカではなく、正真正銘本物のスカルです。手を合わせずにはいられません。しばし合掌。
よく見ると、刀傷が眉間に残る頭蓋骨もありました。その横にはピストルの弾が撃ち込まれた頭蓋骨も…。よく観察するとサイズが違うことに気が付きます。小さい頭蓋骨もあります。若い反乱兵もいたんでしょうね。かつて塔の最上部には反乱軍を率いた司令官ステバン・シンジェリッチの頭蓋骨が置かれていたとのこと。彼の頭蓋骨から剥がした頭皮は綿を詰め、イスタンブールに送られたそうです。
トルコ軍との戦いには負けはしましたが部下とともに戦って戦死した彼の勇気ある行動は、セルビア人の心にいまだに残る英雄的行為です。負の遺産ではありますが歴史の過酷さを伝えるこの記念碑は必見です。



悪魔の塔アボリジャバロとはなにか

セルビア南東部ラダン山の斜面にある、岩が搭状に202本連なって経っている景勝地です。アボリジャバロとはセルビア語で「悪魔の街」という意味で、尖塔上の奇岩が広がる様がまるで悪魔の住むところのようなところから、このような名前が付けられ、「世界の自然七不思議」の候補にもなりました。岩の高さは2mのものから15m、根元の直径は4〜6mほどの尖塔上の奇岩が202本ある。数千年前に火山の激しい噴火活動があり、火山灰などの柔らかい土が積もり、雨などの浸食により形成されたようです。「赤の煮え湯」「悪魔の水」と呼ばれる、2つのとても強い炭酸の湧き水も出ており、周辺には温泉もあります。新たなセルビアの観光地・世界遺産暫定リストとして登録が待たれます。同様の尖塔上の奇岩の景勝地として知られトルコのカッパドキアとはまた違った雰囲気を持っており、セルビアを訪れた際は是非訪れたい場所の1つです。



おすすめポイント
スカルタワー ★★★★
アボリジャバロ ★★★
コプリフシティツァ ★★★
国民の館 ★★★
(2016年5月 渡邊竜一)
ルーマニア革命の象徴「国民の館」

国民の館(ブカレスト)

国民の館(ブカレスト)
皆さんはルーマニアについてどんなイメージをお持ちだろうか。私は今回訪問するまで全くといっていいほどイメージがなく、知っていたことといえば、ビートたけしのギャグでお馴染みの体操選手「コマネチ」の出身国であることぐらいでした。しかしこの国を語る上で決して忘れてはいけない出来事があります。1989年のルーマニア革命です。好き放題の独裁政治を行い国民を苦しめていた、ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスク大統領夫妻(当時)が最終的には公開処刑され、独裁者による共産主義国家ルーマニアが民主化された革命的出来事です。当時まだ中学生だった私は、なぜ彼らが処刑されなければならなかったのか、ことの詳細までは知りませんでしたが、当時はベルリンの壁崩壊等一連の東欧革命の真っただ中にある激動の時代で、TVで処刑されたチャウシェスク夫妻の遺体の映像を観て、独裁者の処刑という展開に強い衝撃を受けた記憶があります。
そのチャウシェスクが巨費を投じて造らせた宮殿が「国民の館」です。建造費用1,500億円、 地上10階、地下4階、部屋数3,000以上、エレベータ50基、クリスタルのシャンデリア3,000基、地下トンネル。これは米国防省のペンタゴンに次いでこの世で2番目に大きい建造物(延床面積616,540m²)だ。国民の館の正面に伸びる通りは、パリのシャンゼリゼ大通りを模したが、幅が6メートル広くなってしまったという逸話も。これと言った産業のないルーマニアという国の象徴としては、あまりにも巨大な建物である。よくこれだけ大きな建物をさしたる目的もなく造ったものだと感心してしまう。この建物のために費やした税金はあまりにも莫大で、それによってルーマニア経済はひっ迫し、国民が困窮を強いられたというのだから巨費を投じて造らせた宮殿が「国民の館」などという名前を付けられているのは、皮肉以外の何者でもない。「国民の館」と名前が付けられているが、これは「チャウシェスクの館」と言ってもいい。何しろチャウシェスクの自己顕示のためだけに、建設された館だから。

贅を尽くした国民の館(ブカレスト)

贅を尽くした国民の館(ブカレスト)
チャウシェスクへの不満が溜まった国民は、1989年に革命を起こします。チャウシェスクのいる建物の前に国民が集まり暴動を起こし、逃げ場を失ったチャウシェスクは、ヘリコプターでビルの屋上から脱出します。当時の人は「彼はジェームズボンドの様ように逃げた」と言っていたそうですがそれくらい印象に残る逃げ方です。ちなみに、ヘリコプターで逃げたものの後に捕まり、チャウシェスクの夫婦共ども処刑されています。当時の国民は権力の前でただひれ伏すだけでなく、ルーマニア革命の元にチャウシェスクを処刑に追い込んだのです。ルーマニア革命はCIA(アメリカの中央情報局)が扇動したとの噂もありますが、実際に革命に至ったのはルーマニアの国民です。そういう意味で「国民の館」はルーマニア革命の象徴的建物の1つといえます。
しかしそれも過去のことで、現在建物の内部は有料で一般公開されています。現在でも国会議事堂として機能していて、コンサートやパーティーなども行われている。あまりの広さ故に、あのマイケルジャクソンもここで演説をしています。見学を先導してくれた英語ガイドさんによると、国民の館に延びるシャンゼリゼ通り!マイケルジャクソンはこの広場に集まった人たちに向かって「ハロー・ブダペスト」と叫んだそうです(ここブダペストじゃなくてブカレストだよと突っ込みたくなりますね)。独裁時代の名残の建造物が観光資源とは、なんとも感慨深いものがあります。あまりに大きい国民の館を実際に目の当たりにしてみると、先人の苦労が伝わってきます。
様々な複雑な思いを胸にブカレスト郊外にあるチャウシェスク夫妻の墓参りもしてきました。一国の大統領であった人ですが、近隣にあるお墓と同じくらいの大きさ。けれど、合葬のお披露目の際にはルーマニア国旗の三色の花飾りが備えられ、三色旗のリボンで飾られていたそうです。大統領であったとはいえ、旧体制の独裁リーダーとして追放され、処刑された人。けれども、はなむけの飾りは、ルーマニア国家をあらわす赤・黄・青。国民の複雑な思いが感じられます。
1999年12月、革命10周年に当たって行なわれた世論調査によると6割を超えるルーマア国民が「チャウシェスク政権下の方が現在よりも生活が楽だった」と答えたとか(ウィキペディア参照)。 頻発するストライキでは、「我々はとりあえず自由を手に入れた。次は幸福を手にする番だ」というスローガンも見られたそうですが、未だその幸福を多くの国民が実感していないようです。
是非、東欧に行く機会がありましたらこの巨大な建物を訪れて独裁者を処刑に追い込んだ国民の想いと激動の歴史をを感じてみてください。

チャウシェスクの墓(ブカレスト郊外)

チャウシェスクの墓(ブカレスト郊外)
ブルガリア独立のきっかけとなったお伽の村コプリフシティツァ

カブレシュコフの家(コプリフシティツァ)

石畳が似合うコプリフシティツァの村(コプリフシティツァ)

カブレシュコフの家(コプリフシティツァ)

4月蜂起の様子を伝える絵(コプリフシティツァ)

4月蜂起の様子を伝える絵(コプリフシティツァ)

4月蜂起記念碑(コプリフシティツァ)
ブルガリアの最も美しい村として国内外に知られている「コプリフシティツァ」は「美術館都市」と呼ばれ、国内からも人が集まる有名な観光地です。14世紀にオスマンの侵入で土地を追われた人達が、隠れ住んだ村で、18世紀頃から商業で街は潤い、スルタン(皇帝)からも軽減と武器の所有を許されていた。19世紀前半から半ばにかけて、商人達が競って様々な建築様式で建てられた家々が、今もそのまま残っている。そのうち6軒の屋敷が、「ハウスミュージアム」として保存・公開されている。いわば村の家並みがそのまま美術館だ。非常にカラフルな家が多く、“お伽の村”とも言われています。まるで中世で時間が止まったような町です。ガイドさんによると、19世紀、ここには羊飼いがたくさんいて、羊毛の貿易で栄えた。豪商が集まり、壮麗豪華な屋敷を建てたという。6軒の一つ、「オスレコフ・ハウス」でも、玄関の柱にレバノンから運んだ杉がぜいたくに使われている。瓦屋根に木枠の窓は東洋的だが、外壁には色鮮やかな絵や彫刻。それが不思議にマッチしている。
「家並みだけじゃありません。この村はブルガリア人にとって、特別の場所なんです」。
それはなぜか。この村がブルガリアの独立運動の口火を切った場所だからです。
オスマン帝国の支配下にあったブルガリアでは、18世紀後半になると民族解放運動の担い手たちが台頭するようになった。経済的な自立を背景に、西欧やロシアの思想の影響を受けた彼らは「独立」という目標を掲げ、具体的な行動を起こす。そして1876年4月、ここコプリフシティツァで発せられた1発の銃声を合図に、ついに「四月蜂起」が勃発したのだ。屈強なトルコ軍を銃で撃ちその血で“血判状を書き”近隣の町へ馬を駆け配りました。四月蜂起の首謀者ゲオルギ・ベンコフスキをはじめとした四月蜂起の首謀者達もこの町出身で、ブルガリア人にとっては英雄が出た憧れの美しい村なのだ。4月蜂起自体は3か月程度で鎮圧され失敗に終わり、屋敷の主だった首謀者達も逮捕されましたが、この蜂起を契機に、オスマン・トルコ政権からの独立運動は盛り上がりをみせ独立を勝ち取る道筋ができていくのです。「この村の人が勇気を出して立ち上がらなかったらブルガリアは独立できなかったかもしれない」とも言われます。よってこの村はブルガリア人にとって、特別の場所なんです。
それから百数十年。村の人々は英雄たちの屋敷を修復し、当時のままに残してきた。革命への思いがヨーグルトのように、脈々と受け継がれているからに違いない。
その英雄達の生家が「歴史資料博物館」として当時使用されていた家具・調度類・服・武器等が展示されています。
陽光が降り注ぐ山間ののどかな町並み。思い思いの意匠が凝らされた民族復興様式のカラフルな家々が立ち並ぶ石畳の道には、そんなのどかさとは裏腹にブルガリア人の「抵抗」の足跡に触れたような気がして今回の訪問は感慨深いものがありました。ブルガリアの歴史上重要な役割をはたしたこの村は、決して派手さはありませんが是非訪れてほしい場所の1つです。当時の詳細はイワン・ヴァーゾフの「軛の下で」を参照されたい。

デベリャノフの家(コプリフシティツァ)

デベリャノフの家(コプリフシティツァ)
コンスタンティヌス大帝生誕の地に佇む負の遺産ドクロの塔-スカルタワー

セルビア蜂起のシンボルドクロの塔-スカルタワーにて(ニシュ近郊)

セルビア蜂起のシンボルドクロの塔-スカルタワー(ニシュ近郊)

セルビア蜂起のシンボルドクロの塔-スカルタワー(ニシュ近郊)
セルビア第3の都市ニシュは人口約25万人で、バルカン半島最古の町の一つ。ヨーロッパと中東を結ぶ交通の要衝で、ブルガリアのソフィア、マケドニアのスコピエ、セルビアのベオグラードを結ぶ結節点に位置しています。 コンスタンティノープルを創建した最初のキリスト教徒のローマ皇帝コンスタンティヌス1世の生誕地としてあまりにも有名ですが、セルビア人軍勢が初めてオスマン帝国に対して蜂起した「チェガルの戦い」があった歴史的に重要な場所であることも忘れてはなりません。
交通の要所であったことから、ニシュは現代に至るまで様々な民族から繰り返し攻撃を受け占領されました。その中でオスマン・トルコの支配化の時代に、勇気を振り絞って反旗を翻したクーデター、それが「チェガルの戦い」です。1809年、トルコからの解放を目指した蜂起の中、チェガル丘で1万人のトルコ軍に対し3千人で戦いに挑みました。トルコ軍はオスマン・トルコの圧制に反旗を翻した反乱軍を容赦なく惨殺し、後世への見せしめのため、なんと反乱軍の頭蓋骨952個で塔を築かせました。その塔は「チェレ・クラ」と呼ばれ、ニシュの町はずれに今も残っています。反乱の見せしめとはいえ、ひどいことを考えるものです。昔の骸骨塔は屋外にむき出しのまま建っていました。よって犠牲者の親族が頭蓋骨を持ち帰ったり、風雨によって転がり落ちてしまうことも多かったそうです。そうしたことから現在空になった穴が多く、今、残っているのは56個だそうです。上部がかなり崩れ、崩壊しそうだったので塔は現在建物で覆われています。
建物の中へ入ると、髑髏がずらっと並んでいます。この塔の存在をガイドブックで知った衝撃は今でも忘れませんが、実物はもっと強烈でした。レプリカではなく、正真正銘本物のスカルです。手を合わせずにはいられません。しばし合掌。
よく見ると、刀傷が眉間に残る頭蓋骨もありました。その横にはピストルの弾が撃ち込まれた頭蓋骨も…。よく観察するとサイズが違うことに気が付きます。小さい頭蓋骨もあります。若い反乱兵もいたんでしょうね。かつて塔の最上部には反乱軍を率いた司令官ステバン・シンジェリッチの頭蓋骨が置かれていたとのこと。彼の頭蓋骨から剥がした頭皮は綿を詰め、イスタンブールに送られたそうです。
トルコ軍との戦いには負けはしましたが部下とともに戦って戦死した彼の勇気ある行動は、セルビア人の心にいまだに残る英雄的行為です。負の遺産ではありますが歴史の過酷さを伝えるこの記念碑は必見です。

司令官ステバン・シンジェリッチの頭蓋骨(ニシュ近郊)

スカルタワーを守る礼拝堂(ニシュ近郊)

コンスタンティヌス大帝生誕の地を記す記念碑と要塞跡にて(ニシュ)
悪魔の塔アボリジャバロとはなにか

悪魔の塔アボリジャバロ(アボリジャバロ)
セルビア南東部ラダン山の斜面にある、岩が搭状に202本連なって経っている景勝地です。アボリジャバロとはセルビア語で「悪魔の街」という意味で、尖塔上の奇岩が広がる様がまるで悪魔の住むところのようなところから、このような名前が付けられ、「世界の自然七不思議」の候補にもなりました。岩の高さは2mのものから15m、根元の直径は4〜6mほどの尖塔上の奇岩が202本ある。数千年前に火山の激しい噴火活動があり、火山灰などの柔らかい土が積もり、雨などの浸食により形成されたようです。「赤の煮え湯」「悪魔の水」と呼ばれる、2つのとても強い炭酸の湧き水も出ており、周辺には温泉もあります。新たなセルビアの観光地・世界遺産暫定リストとして登録が待たれます。同様の尖塔上の奇岩の景勝地として知られトルコのカッパドキアとはまた違った雰囲気を持っており、セルビアを訪れた際は是非訪れたい場所の1つです。

悪魔の塔アボリジャバロ(アボリジャバロ)

「悪魔の水」(アボリジャバロ)

「悪魔の水」(アボリジャバロ)
おすすめポイント
スカルタワー ★★★★
アボリジャバロ ★★★
コプリフシティツァ ★★★
国民の館 ★★★
(2016年5月 渡邊竜一)

- 苦手な国だったはずが、一転大好きな国へ!大地のパワー浴びまくりの旅
-
エリア:
- 北米>アメリカ西部>グランドキャニオン
- 北米>アメリカ西部>サンフランシスコ
- 北米>アメリカ西部>セドナ
- テーマ:ハイキング・登山 世界遺産 自然・植物
- 投稿日:2016/06/24 15:11
旅行の計画を立てたり、飲み会の幹事をしたりするのは大好きだが
直前になると、全て投げ出してしまいたくなってしまうという持病が、私にはある。
ここだけの話、今回ほど出発前にテンションが上がらない国も珍しかった。
メジャーすぎる行先、よく写真で目にする有名すぎる観光地、英語を母国語とする国に行く時の何となく感じる引け目・・。
持病を発病させるのに十分な条件が揃い、周りのお客さんたちが、ガイドブックを広げ和気あいあいとしている機内で、爆音でK-POPを聞きながら爆睡するというやる気の無さを発揮させるという暴挙に出た。
そんな失礼な私が今回お邪魔させていただいたのは、かの有名なアメリカ合衆国。
ここまで読んで「アメリカってそうなんだ・・・残念。テンション下がるわー」と思った方もいらっしゃるでしょう。
安心してください。アメリカは素晴らしい国でした。
今、「もう一度行きたい国はどこですか?」と問われれば、「アメリカ」と即答できる自信があります!
あんなに興味が無かったのに、毎日わくわくしてドキドキして、9日間の旅程がアッという間すぎて、いつもならホッとする帰国便の機内でも、もう帰らないといけないという残念な気持ちでいっぱいになりました。
アメリカある方向に向かって五体投地したい気分です。
恥ずかしながら、今回研修に行かせてもらうまで、アメリカの地理も曖昧だった私が、今回訪れたのは、ラスベガス・セドナ・サンフランシスコ。
ラスベガスか・・・。金と欲望の町と名高い街。酒も博打も女(男?)もやらない私が、そんなところ行って楽しいのだろうか。
セドナね・・・。パワースポットという噂のあそこね。
サンフランシスコ・・・あ、フルハウス!!!!
ということで、乏しすぎる知識を補うために、たくさんのガイドブックを抱えて、いざ出国!
行く先々で、未婚の女一人旅であることを心配され、入国審査官にパスポートの写真が犯罪者みたいだねと言われ、たくさんの優しさに触れ、泣いて笑って大満足の旅行でした。
元から好意を持っていた人ではなく、基準値ゼロ(もしくはマイナス)から入った人間を、こんなに虜にするアメリカ大陸の持つパワーを、今回みなさんにご紹介できればと思います。

【ラスベガス&グランドキャニオン】
みなさんラスベガスのイメージはどんなものをお持ちでしょうか。
咥え葉巻でチップを山のように並べたおじさんと、美しいドレスで着飾ったお姉さんが、一夜の遊びに興じる町。
ほぼ、映画「オーシャンズイレブン」から引用されていた私の乏しすぎるイメージは、一瞬で吹き飛ばされることになりました。
砂漠の中にぽつんとあるラスベガス。
元々、砂漠の中の盆地にできたオアシスに人が集まってきたのが町の始まりというだけあり、ラスベガスの中では、昔オアシスの水で喉の渇きを癒した時と同じく、みんな羽を伸ばして生き生きとした表情をしています。
敷居の高いイメージがありましたが、意外にもラフな格好をしている人たちばかり。
元々マフィアが作り上げたギャンブルの町も、今ではファミリー層まで楽しめる平和な町となっていました。
世界中のVIPが集まってくるため、町の至る所に監視カメラが備え付けられ、夜も出歩くことができます。ただし、酔っ払いなどはいますので、最低限の気配りは必要です。



ラスベガスはカジノの町だけでなく、国立公園や大自然への玄関口としても有名です。
モニュメントバレー、ザイオン国立公園など、様々な有名観光地へアクセスできますが、今回はアンテロープとグランドキャニオンへ行ってきました。
アンテロープキャニオンにはアッパーとローワーがあり、今回訪れたのは急な階段を下りていくローワーアンテロープキャニオン。
息をのむほどに美しい岩肌は、まるで生き物のようであり水の流れのようであり、誰がシャッターを押しても素晴らしい写真が撮れます。
鉄砲水がこの美しい曲線を作り上げたというのですから、自然の力には敵いません。




そして有名すぎる観光地、グランドキャニオンへ。
実際に見ていただかないと、この感じは伝わらないかもしれませんが、これほどまでに非現実感が強い景色に出会ったのは初めてかもしれません。

いくら目を凝らして見ても、写真を撮ってみても、まるでCGの世界に迷い込んでしまったような気持ちになります。
グランドキャニオンは全長約446キロメートル、日本で例えるならば東京〜琵琶湖間の距離に匹敵します。(なぜに、あえての滋賀ではなく“琵琶湖”なのか気になりますが、みんなそう言っていました)
コロラド川の浸食によってできあがったとされるグランドキャニオンですが、渓谷という形容詞には到底当てはまりません。
今回は一泊二日のツアーでしたが、一週間いても飽きることはない気がしました。
今回訪れた有名所以外にもビューポイントは数多くあり、谷底へのハイキングツアーや乗馬、ラフティングなど、興味をそそられるものがたくさんありました。
こんなに広大な遊び場で心行くまで遊びつくしてみたいものです。



すっかりグランドキャニオン、アンテロープキャニオンに心奪われた私でしたが、それ以上に強烈に私の印象に残ったのがここ。

アンテロープからすぐのところにある、ここホースシューベントは、ガイドブックでもあまり取り上げられていない場所だったため、特に期待もせずとぼとぼと歩いて向かったのですが、待ち受けていたのは、まさに絶景でした。
ホースシューベントという名前の通り、馬の蹄形にこれまた水の力によって削られているのですが、柵も何もないので足元は断崖絶壁。でも柵が無い分、縁まで近づくとその広大な景色に吸い込まれていくような錯覚に陥ります。
岩の形といい、蹄型に流れる水の色の美しさといい、この旅一番の絶景でした。
一日中でも見ていたかった〜!皆様も是非、忘れずに見に行ってください!


【セドナ】
日本でも「パワースポット」として人気のあるセドナですが、実際どんな街なのかみなさんご存知でしょうか。
在住者の平均年齢は50歳前後と、世界中から老後を快適に幸せに暮らそうと移住してきたリタイア組が多いセドナでは、約4割の人が働いていないそう。またアートの町としても有名なため、多くのアーティスト、そして自由を求めてヒッピーたちも移住してきました。
では、なぜセドナがパワースポットとして有名になってきたのか。
元々セドナは、ネイティブアメリカンの人たちが聖地として大切にしてきた土地。
鉄分を多く含んだ赤い岩山が町をぐるりと囲んでいます。
ネイティブアメリカンは、セドナには特別な儀式を行う以外では足を踏み入れることが無かったとのこと。聖地としてあがめていたため、セドナは元々人が住んではいけない土地だったのですね。
しかし1900年代に、セドナでリンゴの栽培を始めようと開拓者たちが住みつき、1970年代にセドナに約10か所あるといわれるボルテックスが有名となり、セドナは一躍「スピリチュアルな癒しの町」として世界的に有名になり、癒しを求める人やヒッピーたちが大挙し、今の町ができあがりました。
ずっと聖地として守ってきた土地に家が建てられ、町として発展していく流れを、ネイティブアメリカンの人たちはどんな思いで見ていたのでしょうか。
そんなしんみりした気持ちにもなりますが、ネイティブアメリカンの方がそれほどまでに大事にしていた土地ということを心に留めた上で、お邪魔させてもらっているという気持ちを忘れずに、いざ観光へ!



セドナを一躍世界的なパワースポットへと変身させた「ボルテックス」とは、直訳すると「渦」、地球のパワーが渦を巻く場所のことを指します。
セドナの町全体がボルテックスとされていますが、その中でも、特にパワーが強い4つのボルテックスを「4大ボルテックス」といいます。
セドナが人体に何かの影響を与えると言う科学的な証明はありませんが、実際に行ってみると、確かに感じる「何か」がありました。
その「何か」を感じたのが、4大ボルテックスの一つ、ボイントンキャニオンへの道をハイキングしていた時。
少し開けた広場のような所に出たところで急に「ここに立って手のひらを地面に向けてみてください」とガイドさんに誘われ、手のひらを地面に向ける。そのままじっとしていると、段々指先が痺れてきた。
「え、怖い!なんだか指先が痺れてきました!」
「そうですか。ここはネイティブアメリカンの方たちがお祈りをしたりする場所です。パワーが伝わってきたのですね」
なんと!前情報の無い状態だった私でも、体が反応するほどのパワーをこの土地は持っていました。その後も若干プルプルと震える指先を見つめ、この土地が持つパワーをひしひしと感じた場面でした。

ほとんどのボルテックスは、町から離れているので車がないと行くのが難しいですが、町の近くにエアポートメサという、これまた4大ボルテックスの1つであるパワースポットがあります。
私が滞在していたホテルから徒歩圏内だということなので、夕陽鑑賞スポットでもあるエアポートメサへお散歩も兼ねて歩いていってみました。
緩やかな山道ですが、ほぼ歩道はないので、歩いているのは私のみでした。
また、夕日が落ちた後は、一気に暗くなるので、徒歩で夕日鑑賞に行かれる場合は、なるべく陽が落ち切らない内の下山をお勧めいたします。


エアポートメサではとっても暖かいパワーを感じることができ、集まっている人たちもギター片手に歌を歌っている人がいたりして、とってもピースフルなゆったり時間を楽しむことができます。
刻一刻と岩肌の色が変化していく様を、最初はひたすら写真に収めていましたが、ただ座ってゆっくりと色を変えていく贅沢な時間を独り占めすることにしました。
みなさんも、この贅沢を味わってみたいと思われたら、是非行ってみてください。
写真や文章では伝わらない暖かなエネルギーがセドナを包み込んでいました。
また、セドナの夕日と朝日は格別でした!
行かれるのであれば、是非2泊はしてほしい町です。


【サンフランシスコ】
ついに旅の最終地点、サンフランシスコの地に降り立つ。
空港から市内までは電車が走っており、今までに訪れた砂漠の中のオアシスや、岩山に囲まれたパワースポットに比べて、とっても便利。急に大都会に突入です。
住みたい町上位にいつもランクインするというサンフランシスコ。
信じられない程の傾斜を誇る坂道、町を走る可愛らしいケーブルカー、真っ赤なゴールデンゲートブリッジ・・。
小さいころから引きこもりだった私に、日本から遠く離れたこの異国の素晴らしい街を教えてくれたのは、ある海外ドラマでした。
昔NHKで放送されていた、大人気番組をみなさん覚えていらっしゃるでしょうか。
オープニング曲を聞けば、今でも歌いだしてしまうあのドラマ。
「え〜びうぇ〜、ゆーるーっく(Everywhere you look)え〜びうぇ〜、ゆーごー(Everywhere you go)♪」
ということで、そうです、サンフランシスコは、みんな大好き「フルハウス」のモデル地なのです!
奥さんを事故で無くしたダニーが、親友ジョーイと義弟ジェシーと協力し、三人の娘を育てていくという、とってもハートフルなドラマに出てきた場所があるなんて!是非見てみたい!
テンションの低かった出発前から、心ひそかに唯一下調べをしていたサンフランシスコ、半日しかないフリータイムを目いっぱい楽しむため、ホテルに荷物をほり込み、いざ出発!
まずは、ジェシーおいたんも乗っていたサンフランシスコ名物、ケーブルカー乗り場へ!
なんと、日曜日ということもあり、約一時間待ち。

まぁサンフランシスコにきて、ケーブルカーに乗らないっていうのも勿体ないので、大人しく順番待ち。
ユニオンスクエアにある、始発駅から乗ったのですが、ケーブルカーは、方向を変えるのにまさかの人力でした。重たいだろうに、逞しい!


そしてついに乗車〜!
おお!本当に立ち乗りしている!
こういう乗り物を乗りこなせると、地元民になれたような気がしてわくわくしますね。
風を感じて町中を走るケーブルカーは、すっかり街並みに溶け込んでおり、始発から終点まで約30分の素敵時間を楽しみました。

そんなケーブルカーの横には、あの有名な「世界一曲がりくねった坂道」ロンバートストリートが。
坂の上から下への一方通行で、腕自慢のドライバーたちが長い行列を作っていました。
私の運転技術だったら確実にどこか擦ってしまうだろうなぁと、ひやひやしながら、横を颯爽とすり抜けていくマリオカートの恰好のドライバーに目を奪われていました。
・・・どこの国にもファンキーな人っているものだな。



そして今回のフルハウスロケ旅、どうしても行きたかった場所へ、ヨセミテツアーへ向かう前、朝の5時にホテルを出発し、行ってきました!
フルハウスで最後にみんながピクニックをしていたアラモスクエア!このシーンをみて、あぁここに住みたいと子ども心に思ったのを覚えています。
まだ薄暗い中到着して、愕然。
なんと、公園をぐるりと柵が囲っているではないですか!
えええ!入れない!でも、もう時間がない!
ということで、泣く泣く有名なビクトリアンハウスだけを楽しんできました。
あぁ、ピクニックしようと前日にサンドイッチまで買ったのに・・。

サンフランシスコの町は、私の期待を全く裏切らない素敵な町でした。
やっぱりこの町にだったら住みたい!
他にも、フィッシャーマンズワーフで有名なクラムチャウダーを食べたり、絶対脱獄不可能と言われたアルカトラズ島を遠くから拝んだりと、短時間なのに大充実の滞在でした。


サンフランシスコから日帰りのヨセミテ国立公園ツアーにも参加してきました。
なんと片道5時間もかかりますが、本当に行って良かったです。
グランドキャニオンとは全く違った、緑がたくさんな山森林浴を楽しみ、滝でマイナスイオンを浴びることができます。
国立公園のものは何一つとして持って帰ることは許されていません。
とっても大きな松ぼっくりなど、是非お土産に持って帰りたくなりましたが、我慢我慢。
また、持ってきたものは全て持って帰るのも国立公園のお約束。
ただ、3つだけ置いて帰ってもいいものがあるそう。
それは「思い出」「足跡」「お金」。
みなさんも是非いかれた際には、こちら3つをたくさん置いてきてください。




そして最後に、今回の旅行でとても心が暖まる出来事があったので、ご紹介。
セドナでパワーを堪能した後、有名な老舗レストラン「カウボーイクラブ」へ。
ガイドさんからこのお店ではセドナでしか食べられない料理が楽しめますよ!と教えてもらいわくわく。
西部劇に出てきそうな店内にもわくわくしながら、「セドナならではの料理をお願いします」と注文する。
ウェイターさんがプレートを私の前に置き、料理の説明をしてくれる。
「こちらが、バッファローのバーベキュー、サボテンのフライ、ガラガラヘビのソーセージですね。エンジョイ!」

おお、想像以上にすごいものがでてきたなと、半笑いでパシャパシャと写真を撮っていると、ふと感じる視線。顔をあげると、周りのテーブルの人たちみんなが私の料理を凝視していた。
目があったので、笑いかけると、一気にみんなからの質問が飛んでくる。
「え、それヘビの肉なの?それ食べるの?嘘でしょ?」「あなたどこから来たの、わざわざアメリカまできてそんなの食べなくてもいいのに!」「ちょっと写真撮って良い?」と、周りを巻き込み、大騒ぎとなった。
その中でも、ラスベガスから来ていた隣席の夫婦が「あなた一人なの?大丈夫?何で一人で旅してるの?なんでアメリカでサボテンなんて食べてるの?」と、アメリカの片田舎で奇怪な食べ物に挑戦している私の事を、本気で心配し始めた。
「大丈夫ですよ!一人旅慣れているので寂しくないです!」と、どうにか納得してもらい、いざ実食!
周りのみんなが見守る中、ガラガラヘビのソーセージをいただく。
思っていたよりも美味しかったです。何の味に似ているから問われても難しいので、周りのお客さんに「一口あげる」と進めるも、みんな頑なに拒否し、最後には嫌がりすぎて女の子が号泣し始めるという、本当にカオスな状況に陥りましたが、そんなに恐れる程の味ではなかったです。
サボテンはゴーヤに似た触感で、バッファローは臭みもなく独特の美味しさが口の中に広がります。
一人でヘンテコ料理に挑戦している間も、周りから質問が飛んできて、何とも楽しい時間を過ごすことができました。
そして、帰ろうかと、ウェイターに会計を頼むと「いえ、お支払は必要ないですよ」と、にっこり。
文字通り、きょとーんっとする私に「あなたと過ごした楽しい時間に感動された方が、あなたのお支払も済ませてくれています。セドナを楽しんでいただいて、私からもお礼を申し上げます」と、またにっこり。
なんと、隣席の夫婦が私の支払いを済ませてくれていたのです!
辞退しようと必死に伝えるも「あなたは一人でアメリカまで来て、私はあなたをとっても誇りに思います。楽しい時間をありがとう。アメリカを楽しんでね」と、こちらもにっこり。
人生で涙を流すことはたくさんありますが、人の優しさに泣けるほど幸せなことはないですね。
日本から遠く離れ、言葉も十分に通じない土地で、人生で初めて「あちらのお客様にお支払していただいております」という粋な心遣いに出会い、とても心が暖まり、周りのお客さんにも手を振り見送られ、半泣き状態、胸いっぱいで帰路につきました。
海外に行くと、やっぱり楽しい事ばかりでなく、辛い事や悔しいこともたくさんあり、心が折れることもたくさんありますが、こういう出会いがあるから旅は止められないなと、再認識。
また会いたいと思える人や景色に出会う度に、嬉しくてたまらなくなります。
「アメリカなんてスタンダードな旅先、興味ないね!」と、出発まで言っていた自分が恥ずかしいくらい、アメリカは見どころ満載の楽しすぎる国でした。
まだまだ西海岸の一部しか見ていないアメリカ、次はどんな一面を見せてくれるのか、また会える日が楽しみで待ちきれないです。
みなさん、私みたいに食わず嫌いしている場合ではないです。
是非次のご旅行には、ビッグパワーをもらいにアメリカへ!

おすすめ
セドナ★★★★★
滞在するだけでデトックス!パワーストーンも安く手に入ります
ホースシューベント★★★★★
必ず見て欲しい観光地。行けば素晴らしさが分かります。
サンフランシスコ★★★★★
暮らすように滞在を楽しんでください。
(2016年5月 大野史子)
直前になると、全て投げ出してしまいたくなってしまうという持病が、私にはある。
ここだけの話、今回ほど出発前にテンションが上がらない国も珍しかった。
メジャーすぎる行先、よく写真で目にする有名すぎる観光地、英語を母国語とする国に行く時の何となく感じる引け目・・。
持病を発病させるのに十分な条件が揃い、周りのお客さんたちが、ガイドブックを広げ和気あいあいとしている機内で、爆音でK-POPを聞きながら爆睡するというやる気の無さを発揮させるという暴挙に出た。
そんな失礼な私が今回お邪魔させていただいたのは、かの有名なアメリカ合衆国。
ここまで読んで「アメリカってそうなんだ・・・残念。テンション下がるわー」と思った方もいらっしゃるでしょう。
安心してください。アメリカは素晴らしい国でした。
今、「もう一度行きたい国はどこですか?」と問われれば、「アメリカ」と即答できる自信があります!
あんなに興味が無かったのに、毎日わくわくしてドキドキして、9日間の旅程がアッという間すぎて、いつもならホッとする帰国便の機内でも、もう帰らないといけないという残念な気持ちでいっぱいになりました。
アメリカある方向に向かって五体投地したい気分です。
恥ずかしながら、今回研修に行かせてもらうまで、アメリカの地理も曖昧だった私が、今回訪れたのは、ラスベガス・セドナ・サンフランシスコ。
ラスベガスか・・・。金と欲望の町と名高い街。酒も博打も女(男?)もやらない私が、そんなところ行って楽しいのだろうか。
セドナね・・・。パワースポットという噂のあそこね。
サンフランシスコ・・・あ、フルハウス!!!!
ということで、乏しすぎる知識を補うために、たくさんのガイドブックを抱えて、いざ出国!
行く先々で、未婚の女一人旅であることを心配され、入国審査官にパスポートの写真が犯罪者みたいだねと言われ、たくさんの優しさに触れ、泣いて笑って大満足の旅行でした。
元から好意を持っていた人ではなく、基準値ゼロ(もしくはマイナス)から入った人間を、こんなに虜にするアメリカ大陸の持つパワーを、今回みなさんにご紹介できればと思います。

いざ、赤い大地にパワーをもらう旅へ!
【ラスベガス&グランドキャニオン】
みなさんラスベガスのイメージはどんなものをお持ちでしょうか。
咥え葉巻でチップを山のように並べたおじさんと、美しいドレスで着飾ったお姉さんが、一夜の遊びに興じる町。
ほぼ、映画「オーシャンズイレブン」から引用されていた私の乏しすぎるイメージは、一瞬で吹き飛ばされることになりました。
砂漠の中にぽつんとあるラスベガス。
元々、砂漠の中の盆地にできたオアシスに人が集まってきたのが町の始まりというだけあり、ラスベガスの中では、昔オアシスの水で喉の渇きを癒した時と同じく、みんな羽を伸ばして生き生きとした表情をしています。
敷居の高いイメージがありましたが、意外にもラフな格好をしている人たちばかり。
元々マフィアが作り上げたギャンブルの町も、今ではファミリー層まで楽しめる平和な町となっていました。
世界中のVIPが集まってくるため、町の至る所に監視カメラが備え付けられ、夜も出歩くことができます。ただし、酔っ払いなどはいますので、最低限の気配りは必要です。



ラスベガスはカジノの町だけでなく、国立公園や大自然への玄関口としても有名です。
モニュメントバレー、ザイオン国立公園など、様々な有名観光地へアクセスできますが、今回はアンテロープとグランドキャニオンへ行ってきました。
アンテロープキャニオンにはアッパーとローワーがあり、今回訪れたのは急な階段を下りていくローワーアンテロープキャニオン。
息をのむほどに美しい岩肌は、まるで生き物のようであり水の流れのようであり、誰がシャッターを押しても素晴らしい写真が撮れます。
鉄砲水がこの美しい曲線を作り上げたというのですから、自然の力には敵いません。

ローワーアンテロープへの冒険スタート!



そして有名すぎる観光地、グランドキャニオンへ。
実際に見ていただかないと、この感じは伝わらないかもしれませんが、これほどまでに非現実感が強い景色に出会ったのは初めてかもしれません。

この世の景色とは思えない
いくら目を凝らして見ても、写真を撮ってみても、まるでCGの世界に迷い込んでしまったような気持ちになります。
グランドキャニオンは全長約446キロメートル、日本で例えるならば東京〜琵琶湖間の距離に匹敵します。(なぜに、あえての滋賀ではなく“琵琶湖”なのか気になりますが、みんなそう言っていました)
コロラド川の浸食によってできあがったとされるグランドキャニオンですが、渓谷という形容詞には到底当てはまりません。
今回は一泊二日のツアーでしたが、一週間いても飽きることはない気がしました。
今回訪れた有名所以外にもビューポイントは数多くあり、谷底へのハイキングツアーや乗馬、ラフティングなど、興味をそそられるものがたくさんありました。
こんなに広大な遊び場で心行くまで遊びつくしてみたいものです。



可愛いココペリ(精霊)グッズも充実!
すっかりグランドキャニオン、アンテロープキャニオンに心奪われた私でしたが、それ以上に強烈に私の印象に残ったのがここ。

絶景!!
アンテロープからすぐのところにある、ここホースシューベントは、ガイドブックでもあまり取り上げられていない場所だったため、特に期待もせずとぼとぼと歩いて向かったのですが、待ち受けていたのは、まさに絶景でした。
ホースシューベントという名前の通り、馬の蹄形にこれまた水の力によって削られているのですが、柵も何もないので足元は断崖絶壁。でも柵が無い分、縁まで近づくとその広大な景色に吸い込まれていくような錯覚に陥ります。
岩の形といい、蹄型に流れる水の色の美しさといい、この旅一番の絶景でした。
一日中でも見ていたかった〜!皆様も是非、忘れずに見に行ってください!

落ちないかひやひや

撮ってくれたおじさん、、、良さが伝わらないよ!涙
【セドナ】
日本でも「パワースポット」として人気のあるセドナですが、実際どんな街なのかみなさんご存知でしょうか。
在住者の平均年齢は50歳前後と、世界中から老後を快適に幸せに暮らそうと移住してきたリタイア組が多いセドナでは、約4割の人が働いていないそう。またアートの町としても有名なため、多くのアーティスト、そして自由を求めてヒッピーたちも移住してきました。
では、なぜセドナがパワースポットとして有名になってきたのか。
元々セドナは、ネイティブアメリカンの人たちが聖地として大切にしてきた土地。
鉄分を多く含んだ赤い岩山が町をぐるりと囲んでいます。
ネイティブアメリカンは、セドナには特別な儀式を行う以外では足を踏み入れることが無かったとのこと。聖地としてあがめていたため、セドナは元々人が住んではいけない土地だったのですね。
しかし1900年代に、セドナでリンゴの栽培を始めようと開拓者たちが住みつき、1970年代にセドナに約10か所あるといわれるボルテックスが有名となり、セドナは一躍「スピリチュアルな癒しの町」として世界的に有名になり、癒しを求める人やヒッピーたちが大挙し、今の町ができあがりました。
ずっと聖地として守ってきた土地に家が建てられ、町として発展していく流れを、ネイティブアメリカンの人たちはどんな思いで見ていたのでしょうか。
そんなしんみりした気持ちにもなりますが、ネイティブアメリカンの方がそれほどまでに大事にしていた土地ということを心に留めた上で、お邪魔させてもらっているという気持ちを忘れずに、いざ観光へ!

右の小さい岩がスヌーピーロック、左の大きい岩の上にルーシーが座っています

本当にまっすぐに育つ木。セドナでは、パワーを受けてくねくねになってしまいます

土の中に水晶が混ざっています
セドナを一躍世界的なパワースポットへと変身させた「ボルテックス」とは、直訳すると「渦」、地球のパワーが渦を巻く場所のことを指します。
セドナの町全体がボルテックスとされていますが、その中でも、特にパワーが強い4つのボルテックスを「4大ボルテックス」といいます。
セドナが人体に何かの影響を与えると言う科学的な証明はありませんが、実際に行ってみると、確かに感じる「何か」がありました。
その「何か」を感じたのが、4大ボルテックスの一つ、ボイントンキャニオンへの道をハイキングしていた時。
少し開けた広場のような所に出たところで急に「ここに立って手のひらを地面に向けてみてください」とガイドさんに誘われ、手のひらを地面に向ける。そのままじっとしていると、段々指先が痺れてきた。
「え、怖い!なんだか指先が痺れてきました!」
「そうですか。ここはネイティブアメリカンの方たちがお祈りをしたりする場所です。パワーが伝わってきたのですね」
なんと!前情報の無い状態だった私でも、体が反応するほどのパワーをこの土地は持っていました。その後も若干プルプルと震える指先を見つめ、この土地が持つパワーをひしひしと感じた場面でした。

精神統一をしている人もいました
ほとんどのボルテックスは、町から離れているので車がないと行くのが難しいですが、町の近くにエアポートメサという、これまた4大ボルテックスの1つであるパワースポットがあります。
私が滞在していたホテルから徒歩圏内だということなので、夕陽鑑賞スポットでもあるエアポートメサへお散歩も兼ねて歩いていってみました。
緩やかな山道ですが、ほぼ歩道はないので、歩いているのは私のみでした。
また、夕日が落ちた後は、一気に暗くなるので、徒歩で夕日鑑賞に行かれる場合は、なるべく陽が落ち切らない内の下山をお勧めいたします。

エアポートメサへの道

エアポートメサからの眺め
エアポートメサではとっても暖かいパワーを感じることができ、集まっている人たちもギター片手に歌を歌っている人がいたりして、とってもピースフルなゆったり時間を楽しむことができます。
刻一刻と岩肌の色が変化していく様を、最初はひたすら写真に収めていましたが、ただ座ってゆっくりと色を変えていく贅沢な時間を独り占めすることにしました。
みなさんも、この贅沢を味わってみたいと思われたら、是非行ってみてください。
写真や文章では伝わらない暖かなエネルギーがセドナを包み込んでいました。
また、セドナの夕日と朝日は格別でした!
行かれるのであれば、是非2泊はしてほしい町です。

夕日

朝日
【サンフランシスコ】
ついに旅の最終地点、サンフランシスコの地に降り立つ。
空港から市内までは電車が走っており、今までに訪れた砂漠の中のオアシスや、岩山に囲まれたパワースポットに比べて、とっても便利。急に大都会に突入です。
住みたい町上位にいつもランクインするというサンフランシスコ。
信じられない程の傾斜を誇る坂道、町を走る可愛らしいケーブルカー、真っ赤なゴールデンゲートブリッジ・・。
小さいころから引きこもりだった私に、日本から遠く離れたこの異国の素晴らしい街を教えてくれたのは、ある海外ドラマでした。
昔NHKで放送されていた、大人気番組をみなさん覚えていらっしゃるでしょうか。
オープニング曲を聞けば、今でも歌いだしてしまうあのドラマ。
「え〜びうぇ〜、ゆーるーっく(Everywhere you look)え〜びうぇ〜、ゆーごー(Everywhere you go)♪」
ということで、そうです、サンフランシスコは、みんな大好き「フルハウス」のモデル地なのです!
奥さんを事故で無くしたダニーが、親友ジョーイと義弟ジェシーと協力し、三人の娘を育てていくという、とってもハートフルなドラマに出てきた場所があるなんて!是非見てみたい!
テンションの低かった出発前から、心ひそかに唯一下調べをしていたサンフランシスコ、半日しかないフリータイムを目いっぱい楽しむため、ホテルに荷物をほり込み、いざ出発!
まずは、ジェシーおいたんも乗っていたサンフランシスコ名物、ケーブルカー乗り場へ!
なんと、日曜日ということもあり、約一時間待ち。

まぁサンフランシスコにきて、ケーブルカーに乗らないっていうのも勿体ないので、大人しく順番待ち。
ユニオンスクエアにある、始発駅から乗ったのですが、ケーブルカーは、方向を変えるのにまさかの人力でした。重たいだろうに、逞しい!


そしてついに乗車〜!
おお!本当に立ち乗りしている!
こういう乗り物を乗りこなせると、地元民になれたような気がしてわくわくしますね。
風を感じて町中を走るケーブルカーは、すっかり街並みに溶け込んでおり、始発から終点まで約30分の素敵時間を楽しみました。

そんなケーブルカーの横には、あの有名な「世界一曲がりくねった坂道」ロンバートストリートが。
坂の上から下への一方通行で、腕自慢のドライバーたちが長い行列を作っていました。
私の運転技術だったら確実にどこか擦ってしまうだろうなぁと、ひやひやしながら、横を颯爽とすり抜けていくマリオカートの恰好のドライバーに目を奪われていました。
・・・どこの国にもファンキーな人っているものだな。



もはや何が何だか分からない程の傾斜
そして今回のフルハウスロケ旅、どうしても行きたかった場所へ、ヨセミテツアーへ向かう前、朝の5時にホテルを出発し、行ってきました!
フルハウスで最後にみんながピクニックをしていたアラモスクエア!このシーンをみて、あぁここに住みたいと子ども心に思ったのを覚えています。
まだ薄暗い中到着して、愕然。
なんと、公園をぐるりと柵が囲っているではないですか!
えええ!入れない!でも、もう時間がない!
ということで、泣く泣く有名なビクトリアンハウスだけを楽しんできました。
あぁ、ピクニックしようと前日にサンドイッチまで買ったのに・・。

ビクトリアンハウスは美しかった
サンフランシスコの町は、私の期待を全く裏切らない素敵な町でした。
やっぱりこの町にだったら住みたい!
他にも、フィッシャーマンズワーフで有名なクラムチャウダーを食べたり、絶対脱獄不可能と言われたアルカトラズ島を遠くから拝んだりと、短時間なのに大充実の滞在でした。

全てシマシマ、アルカトラズ島土産

名物クラムチャウダーとクラブサンド
サンフランシスコから日帰りのヨセミテ国立公園ツアーにも参加してきました。
なんと片道5時間もかかりますが、本当に行って良かったです。
グランドキャニオンとは全く違った、緑がたくさんな山森林浴を楽しみ、滝でマイナスイオンを浴びることができます。
国立公園のものは何一つとして持って帰ることは許されていません。
とっても大きな松ぼっくりなど、是非お土産に持って帰りたくなりましたが、我慢我慢。
また、持ってきたものは全て持って帰るのも国立公園のお約束。
ただ、3つだけ置いて帰ってもいいものがあるそう。
それは「思い出」「足跡」「お金」。
みなさんも是非いかれた際には、こちら3つをたくさん置いてきてください。

つい持って帰りたくなる、可愛い松ぼっくり

ヨセミテ滝でマイナスイオン浴

ロッククライミングしてる人がいました

大自然生き返る!
そして最後に、今回の旅行でとても心が暖まる出来事があったので、ご紹介。
セドナでパワーを堪能した後、有名な老舗レストラン「カウボーイクラブ」へ。
ガイドさんからこのお店ではセドナでしか食べられない料理が楽しめますよ!と教えてもらいわくわく。
西部劇に出てきそうな店内にもわくわくしながら、「セドナならではの料理をお願いします」と注文する。
ウェイターさんがプレートを私の前に置き、料理の説明をしてくれる。
「こちらが、バッファローのバーベキュー、サボテンのフライ、ガラガラヘビのソーセージですね。エンジョイ!」

おお、想像以上にすごいものがでてきたなと、半笑いでパシャパシャと写真を撮っていると、ふと感じる視線。顔をあげると、周りのテーブルの人たちみんなが私の料理を凝視していた。
目があったので、笑いかけると、一気にみんなからの質問が飛んでくる。
「え、それヘビの肉なの?それ食べるの?嘘でしょ?」「あなたどこから来たの、わざわざアメリカまできてそんなの食べなくてもいいのに!」「ちょっと写真撮って良い?」と、周りを巻き込み、大騒ぎとなった。
その中でも、ラスベガスから来ていた隣席の夫婦が「あなた一人なの?大丈夫?何で一人で旅してるの?なんでアメリカでサボテンなんて食べてるの?」と、アメリカの片田舎で奇怪な食べ物に挑戦している私の事を、本気で心配し始めた。
「大丈夫ですよ!一人旅慣れているので寂しくないです!」と、どうにか納得してもらい、いざ実食!
周りのみんなが見守る中、ガラガラヘビのソーセージをいただく。
思っていたよりも美味しかったです。何の味に似ているから問われても難しいので、周りのお客さんに「一口あげる」と進めるも、みんな頑なに拒否し、最後には嫌がりすぎて女の子が号泣し始めるという、本当にカオスな状況に陥りましたが、そんなに恐れる程の味ではなかったです。
サボテンはゴーヤに似た触感で、バッファローは臭みもなく独特の美味しさが口の中に広がります。
一人でヘンテコ料理に挑戦している間も、周りから質問が飛んできて、何とも楽しい時間を過ごすことができました。
そして、帰ろうかと、ウェイターに会計を頼むと「いえ、お支払は必要ないですよ」と、にっこり。
文字通り、きょとーんっとする私に「あなたと過ごした楽しい時間に感動された方が、あなたのお支払も済ませてくれています。セドナを楽しんでいただいて、私からもお礼を申し上げます」と、またにっこり。
なんと、隣席の夫婦が私の支払いを済ませてくれていたのです!
辞退しようと必死に伝えるも「あなたは一人でアメリカまで来て、私はあなたをとっても誇りに思います。楽しい時間をありがとう。アメリカを楽しんでね」と、こちらもにっこり。
人生で涙を流すことはたくさんありますが、人の優しさに泣けるほど幸せなことはないですね。
日本から遠く離れ、言葉も十分に通じない土地で、人生で初めて「あちらのお客様にお支払していただいております」という粋な心遣いに出会い、とても心が暖まり、周りのお客さんにも手を振り見送られ、半泣き状態、胸いっぱいで帰路につきました。
海外に行くと、やっぱり楽しい事ばかりでなく、辛い事や悔しいこともたくさんあり、心が折れることもたくさんありますが、こういう出会いがあるから旅は止められないなと、再認識。
また会いたいと思える人や景色に出会う度に、嬉しくてたまらなくなります。
「アメリカなんてスタンダードな旅先、興味ないね!」と、出発まで言っていた自分が恥ずかしいくらい、アメリカは見どころ満載の楽しすぎる国でした。
まだまだ西海岸の一部しか見ていないアメリカ、次はどんな一面を見せてくれるのか、また会える日が楽しみで待ちきれないです。
みなさん、私みたいに食わず嫌いしている場合ではないです。
是非次のご旅行には、ビッグパワーをもらいにアメリカへ!

ガラガラヘビが繋いでくれた出会い!
おすすめ
セドナ★★★★★
滞在するだけでデトックス!パワーストーンも安く手に入ります
ホースシューベント★★★★★
必ず見て欲しい観光地。行けば素晴らしさが分かります。
サンフランシスコ★★★★★
暮らすように滞在を楽しんでください。
(2016年5月 大野史子)
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