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- 人の還る場所~極彩色のパプアニューギニア~
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エリア:
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- オセアニア>パプアニューギニア>ゴロカ
- テーマ:ハイキング・登山 マリンスポーツ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/04 17:07
5月末、念願のパプアニューギニアに行く機会を得た。
パプアニューギニアが「発見」されたのは1950年代後半。オーストラリア統治時代、豪州の地方行政官がゴロカショー(各部族がシンシンを踊り続け競い合う祭り)を主催したことでパプアニューギニアの世にも珍しい部族の風習が全世界に知られることとなった。それでも発見されたのはごく一部の部族たちだけで、内陸部の地域では険しい山々やジャングル、マラリアが行く手を阻み、60年代まで欧米諸国に発見されることのなかった部族もいる。つまり戦争が終わり、日本が高度経済成長真っ只中の時代においても原始時代の生活をしているような人々がいたということになる。数十年ときを経た今でも、部族の伝統を守り続け特有な衣装やユニークなダンスを披露してくれる。
また彼らはその素朴さも失っていない。見知らぬ同士でも挨拶を交わす。部族抗争のあった名残か、敵意がないことを示す意味でも挨拶が日常となっているそうだ。もちろん観光客に対してもすべての人々が暖かい笑顔でむかえてくれる。外国人観光客と見るやふっかけてくる商売人や自己保身のために都合のいい嘘をつくガイドはここにはいない。
そして手付かずの自然、人の手が入っていない沿岸地域の美しいビーチやハイランド地方の山々。さらには極楽鳥やポッサムなど世にも珍しい動植物。各国を行き尽くしたダイバーや写真家がパプアには何度も訪れるという。一度来訪したらその魅力に取り付かれずにはいられない魅惑に溢れた国なのだ。
蛇足だが私とパプアニューギニアの出会いは10数年前の大学生時代。とある写真を見て衝撃を受けた。それはザ・ポップグループというイギリスの70年代UKポストパンク・ニューウェーブ期を代表するロックバンドのレコードのジャケットだった(もちろん私が後追いした時はCDだったが)。マッドマンの集団が奇声をあげながら今にも飛び上がらんばかりの写真だった。当時は「マッドマン」という言葉も知らなかった私は、スピーカーから飛び出すポップグループの粗暴で原始的且つリズミカルな音楽性にも驚愕した。グループ名と相反した商業主義からかけ離れた音楽性はマッドマンの写真と相まって私の心に突き刺さった。当時大学の休みに合わせてバックパッカーの真似事をしていた私は、いつかマッドマンのような文明がいまだ届いていないような民族に会ってみたいと思うようになっていった。
次なるマッドマンとの出会いは弊社に就職したとき。何気なくパンフレットをめくっていたときに、CDのジャケットと同じような姿の民族の写真が。マッドマンは一般な観光旅行でも出会えることを知った。(ぜひ「最後の警告」でググってみてください。)
いつかマッドマンに出会えることを夢見て旅行社に勤務し続けようやくこの機会を得ることが出来た。
私が旅した行程は下記の通り。
1日目 夜成田発
2日目 ゴロカ観光
3日目 ゴロカ観光
4日目 ラバウルへ移動
5日目 ラバウル戦跡観光
6日目 ラバウルにてシュノーケリング、その後ケビエンに移動
7日目 ケビエン観光
8日目 帰国
1日目 ホノルル気分
午後、伊丹空港から成田空港行きの全日空に乗り込む。
定刻通りに成田空港に到着。成田空港では全日空は第1ターミナルに到着。
荷物を受け取って国際線の搭乗手続きをしようと出発フロアに移動。
しかし今回利用するニューギニア航空は第2ターミナルだった。成田空港の無料ターミナル移動バスはあるものの第3ターミナルもできたことでターミナル間の移動に思ったよりも時間を要した。乗り継ぎ時間には十分猶予を持っていたので良かったものの成田乗り継ぎの際は国内線の到着ターミナルは要確認だと再認識した。
第2ターミナル内の無料のラウンジで時間を潰し、午後7時にニューギニア航空にチェックイン。ポートモレスビー到着後そのままゴロカに乗り継ぎだが荷物は一旦ポートモレスビーにて受け取るようだ。
成田の出国手続きを終え、出発ゲートへ。ポートモレスビー行きのゲートは71番。向かいの72番ホノルル行きと同じフロアになっており、明らかに行くお客さんの層とテンション違いがちょうど真ん中あたりでぱっくりわかれており、異様な雰囲気。ホノルル行きのお客さんはすでに自撮り棒なんか取り出してキャピキャピしている。一方でポートモレスビー行きは帽子を目深に被り静かに座っている人が多い。おぉぉ、すでに旅は始まっているなぁとその光景を見て興奮気味の私。
ほぼ定刻通りに機内へ乗り込む。期待した以上に立派なテレビがついており、日本の映画も数本あった。食事も美味しく満足。
2日目 モコモコ
約6.5時間のフライトの後、ポートモレスビーに到着。
入国審査はパプアニューギニア国民とそれ以外の国籍のビザ保持者とビザなしの3レーンにわかれていた。私はアライバルビザを取得するためにビザなし(アライバルビザ取得)の列に並ぶ。英文の日程表を見せるとなんと無料でビザ取得できた(2014年の初め頃から無料になったそうだ。また英文の日程表でなくてEチケットでも最後の出発日が確認できるものであればいいらしい)。
荷物検査は思っていたよりも厳しい。カバンの中はもちろんスーツケースも開けられる。入国カードの税関申告の欄に食べ物を持ち込んでいるか否かの項目があるので、なにか持ち込むのであれば必ず「はい」にチェックすること。他の項目は多額の現金を持ち込んでいるかどうかなど一般的には全て「いいえ」の質問ばかりなので食べ物の欄も「いいえ」にしそうだが、虚偽申告と難癖をつけられることもあるそうなので注意。
ポートモレスビーではPNGジャパン現地代表をしていらっしゃる上岡さんと合流。国内線にチェックインを済ませ、両替。1週間の滞在の場合だとは2万円はあったほうがいいとの情報を聞いていたので2万円を両替。
乗り継ぎ時間にかなり余裕があるため空港近くのゲートウェイというホテルに朝食を食べに行くことに。そのゲートウェイホテルの朝食が朝6時から開くそうなのでそれまで空港のベンチで上岡さんにパプアのことをいろいろ伺っていた。そこへ私と同じニューギニア航空に搭乗していたと思われる上岡さんとお知り合いの日本人の女性がいらっしゃった。上岡さんはその方を私に、旅行作家さんなんですよ、と紹介していただいた。あまり私は本を読まないため存じ上げず申し訳ないなぁと思っていたら、なんと私が空港の待ち時間で読んでいたパプアニューギニアについての本の著者の山口さんであった。出発前に電子書籍の中から今回の旅に役立ちそうな本をいくつか購入した中に山口さんの著書があり、ついつい読み入ってしまいパプアニューギニア到着前に読み終えていたのだった。私のような若輩者が上岡さんと山口さんというパプアニューギニアについての超エキスパートの方とご一緒出来るなんて幸運なことだろう。(実際、山口さんの作品はこの紀行文を書くのにもためになりました。ありがとうございます。)
ホテルでパンとコーヒーの朝食をいただき(20キナ、約1000円)、空港へ戻り国内線の搭乗手続き。国内線の荷物検査も結構厳しい。上岡さんにはありがたいことに搭乗ゲートまでお見送りしていただいた。
ゲートウェイホテルのレストラン
ゴロカ行きの飛行機
<ゴロカ>
パプアニューギニアの中で真っ先に訪れるべき町を挙げるのであればゴロカであろう。800を超える言語と多様な民族が存在するというパプアニューギニアおいて中には、観光客に神聖な舞踊を見せることは古代から伝承されたしきたりに背くこととしてタブー視する部族も数多いが、その点ゴロカでは奇抜でユニークな民族達の踊りと暮らしを手軽に垣間見ることができる貴重な村が多数存在する。その部族の中でも特に有名なのがマッドマンだ。およそ10キロもあると言われる大きな泥のマスク。全身には泥を塗り、まるで亡霊か精霊のような出で立ち。もちろん観光は少数民族だけではない。パプアニューギニア最高峰・ウィルヘルム山登山の拠点であり、賑わいを見せる町中の青空市場、名産のコーヒー工場。そして一大観光地であるにも関わらずそこに住まう素朴でフレンドリーな人々にきっとあなたも魅了されるはず。
ポートモレスビーからゴロカは約1時間のフライト。
到着したゴロカの空港はこれまで旅した中でも、これが本当に空港?と聞きたくなるほどの小屋のような建物。もちろん荷物を受け取るベルトコンベアはないので空港のスタッフがテーブルの上にどんと置き、一つ一つ渡していく。素朴だなぁ。
素朴なゴロカ空港
ゴロカの空港ではPNGジャパンのゴロカ支店の見形さんがいらっしゃってくださった。ゴロカの街は空港を中心に広がっており、すぐ近くにスーパーマーケットに携帯電話ショップや銀行、郵便局さらにラジオ局がある。空港を中心に街が形成されているのは飛行機が主な交通手段だというパプアニューギニアならでは。
ポートモレスビーの空港付近は全く見かけなかった赤土と緑の山々のコントラストと人々のエネルギー溢れるカオスな雰囲気をゴロカではすぐに感じられ、パプアニューギニアに来たことを実感した。
空港から車で約2分のホテル、パシフィックガーデンホテルにチェックイン。
<パシフィックガーデンホテル>
ゴロカの中心部に位置する自然に囲まれたロッジ風のホテル。ゴロカ周辺の部族をモチーフにしたアート作品が展示されておりなかなかお洒落。広めの室内にはテレビに冷蔵庫、湯沸し器、アイロン、ドライヤーがあり、いたって清潔。室内で無料のWIFIもあるが速度は遅い。バスタブはなくシャワーのみ。水圧は強くないがお湯は比較的すぐに出た。スリッパやセーフティーボックスはなかった。レストランではソフトドリンクはもちろんビールもあった。食事も美味しい。
しばらくホテルでシャワーを浴びて休んだ後、昼食のジンジャービーフ(30キナ、約1500円)を食べて、午後の観光に出発。
パシフィックガーデンホテルお部屋
パシフィックガーデンホテル外観
パシフィックガーデンホテルのレストランはなかなか旨い
<グルポカ山ハイキングとモコモコダンス>
ホテルから唯一の舗装された道を走ること約20分。赤土むき出しの脇道の前に車を停める。ここが村の入り口だとは、一般の通りすがりの人たちには分からないだろう。
車を降り乾燥した土埃が舞い上がる道を歩くこと数分、グルポカ山の麓にあるコレコレト村の村人たちの姿が見えてくる。
村人たちにアピヌンと挨拶すると向こうも柔らかい笑顔であいさつを返してくれる。パプアニューギニアの公用語ビジン語の挨拶「アピヌン」とはアフタヌーンが訛った言葉らしい。なので基本英語が元になっており簡単な英単語さえわかればなんとなく現地の人ともコミュニケーションが図れる。
村ではこれからグルポカ山を案内してくれるという部族の少年がすでに伝統的な出で立ちで我々を待っていた。大事な部分を守るためのバナナの葉っぱで作ったまわしをつけている以外は裸で、全身には泥や炭で描いたボディーペイント。否が応でも期待が高まる(何が?)。
コーヒーやバナナ、サツマイモの農園のある山道を抜け、急勾配の坂道を登ること数十分。途中、生贄を捧げるために使ったとされる岩場がある。村から豚や人間をこの山の中腹まで連れてきて殺してその頭を岩の上に置くことで、神からのパワーを授けられると信じられていたそうだ。また人食を行ったと言われる洞窟もある。カニバリズムについて話にはよく聞くことはあるが、ここがその現場ですと言われると、俺生きて帰れるかなぁ、となんだか暗い気持ちになった。山から帰ったら食事の準備なんかしていて、今日の食材は「俺」だったりするのかなぁとマンガみたいなことを考えた。
ガイドの男の子
さすがは戦士だけあってどんどん登って行く
さすがは戦士だけあってどんどん登って行く
畑の農作物や途中の説明を聞きながらゆっくり山を登ったので、トータル1時間ほどだろうか、頂上に到着した。グルポカ山の頂上には十字架があり、カトリック信者が多い現在はお祈りの場としても使われるそうだ。頂上からはゴロカ一帯の、険しい山並みの連なる壮大な風景を一望できる。なぜゴロカからポートモレスビーまでの幹線道路が敷かれておらず、飛行機での移動手段がメインなのかが理解できる光景である。
グルポカ山からのゴロカの眺め
カニバリズムのおこなれたという洞窟
グルポカ山頂上
帰り道
下山して村に戻ると、次はモコモコダンスを見せてくれるという。モコモコダンスとは何だろう?と思いながらも村の広場まで連れてこられ、木製の手作りベンチに腰掛けてしばらく待つ。広場の中心では焚き火がパチパチを音を立てて煙が上がり始めた。そうすると煙の奥から全身ボディーペイントの仮面をつけた戦士が現れた。両手には槍のような武器を持っている。ダンスといっても機敏な激しいものではなく、身体を上下させたり槍を突き上げて小走りしたりするのがほとんど。徐々にこちらに近づいてきて、小声でモコモコ言っていることに気づいた。モコモコモコモコ…..モコッ!!.... モコモコモコモコ…..モコッ!!と時々何かを思い出したように後ろを振り返る。そのするうちに別の戦士も集まり大所帯になった。大人数になっても踊り方は先ほどと同じ。仮面の戦士が中心となって皆口々にモコモコ言いながら身体を上下に揺らし小走りする。
モコモコダンスは部族闘争の戦いから村に帰還した男たちが、祝いの踊りとして行うそうで、男女の出会いの儀式の意味もあるそうだ。勇ましさというよりも我々旅行者から見ると可愛らしさを感じるかもしれない。
煙の中から現れる
モコモコモコ・・・・
人数が増えた
モコ言いながら小走り
モコモコモコ・・・・・モコッ
モコモコダンスのメンバー
モコモコダンスのメンバー
モコモコズのメンバーと
モコモコダンスのメンバーの股間
モコモコダンスを楽しんだ後は村人ハンドメイドのお土産を物色する。パプアニューギニアのカバンとして知られるビルムや貝殻のネックレスなどが売られていた。こういう観光地ではかなり商売熱心だったりするものだが、パプアニューギニアの人々はあまり押し付けがましくなく、何も買わなくともフレンドリーな笑顔を振りまいてくれるのが嬉しい。素朴な人々にあって私の心も洗われたような気分になってコレコレト村を後にした。
コレコレト村の女の子
コレコレト村の男性
町中のスーパーマーケットに立ち寄り、飲み物を購入してホテルに戻った。
夜はホテルのレストランでヒレ肉のペッパーソースステーキ(50キナ 2500円)とビール(10キナ 500円)で夕食。
この日私の頭のなかはモコモコモコ・・・と、つい口からでそうなほどモコモコダンスのことが忘れられなかった。
3日目 ザ・マッドダンス
朝8時半に朝食。イングリッシュブレックファースト(38キナ 1900円)。
9時にガイドさんと合流して観光に出発。
この日はマッドマンダンスとシンブー地方の伝統文化を観光する予定だ。
まず向かったのは町中のマーケット。昨日ガイドさんにマーケットで写真を撮らせて!とお願いしたのだ。
マーケットで最初に向かったのはビートルナッツ売り場。日本語だと檳榔。台湾でセクシーなお姉さんが売っているやつというと知っている方も多いかもしれない。ビートルナッツを口の中でくちゃくちゃしながらマスタードの茎に石灰をつけかじる。口の中でこれらの3つが混じり合うとなぜか口の中で真っ赤になる。タバコのような嗜好品だそうで噛んでいるとフワフワとした陶酔感をえられるそうだ。口の中に溜まった水分をペッ、ペッと吐き捨てるため道のいたるところには赤い唾の跡が。景観的によろしくないので公共の場ではブアイ禁止の張り紙をちらほら見かける。私もトライしようと思ったが今から観光に行くのに口の中を真っ赤にしたくなかったのでビートルナッツを少しかじっただけで諦めた。
ブアイ実際噛んで見せてくれた男性 うれしそうだ
マスタードの茎を売るおじさん
ゴロカのB級グルメストリート
ゴロカの娯楽 ダーツ
マーケットではダーツ屋さんも見かけた。町の人たちの数少ない娯楽の一つのようで数多くの大人の男性がダーツに興じていた。五本投げて規定の点数よりも良いスコアが取れたなら賞金や景品がもらえるそうだ。私もトライしたがまず的に当てるのが精一杯。それに比べ地元のおじさんたちはすべて的の中に的中させていた。うまいなぁ。
ゴロカのマーケットでは写真を撮っていると、いろんな人から俺もとってくれ、俺もとってくれと言われる。それを見たまた別の人から、俺をとってくれ攻撃が始まる。見形さんは申し訳なさそうな声で、消していいですよ、おっしゃってくれた。
ゴロカのマーケット
ビートルナッツ売りのおばさん
髭のおじいさん
芋をたべていたおじいさん
こら!俺のバナナも撮ってくれ
たのまれてとった写真1
たのまれてとった写真2
たのまれてとった写真3
たのまれてとった写真4
たのまれてとった写真5 ほかにもたくさん
マーケットを後にしてマッドマン観光に向かう途中、ハイランドハイウェイで最も標高が高いダウロ峠へ。標高は約2500m。ここまで来ると全く気温が違う。その後、ガイドさんの知り合いにハイランド地方の伝統的なお家を見せてもらった。ハイランド地方は標高の高さから朝夜は冷え込む。そのため円形のお家を作り室内の真ん中には焚き火ができるスペースがある。
ハイランド地方の伝統的な住宅
草木も生き生きしているようにみえる
<マッドマンダンスとムームー料理>
ついにこの時がやってきた。自分の目でマッドマンを確かめる時が!パプアニューギニアに来たのはこのマッドマンダンスを見るためだといっても過言ではない。
アサロ渓谷の村に到着。ゴロカで一番の観光地だというのに大げさな看板などは一つもない。村に入るとまずハワイでいうレイのような花の首飾りをかけてくれて歓迎してくれる。その後村の案内を受け、サツマイモやトウモロコシ、ババナ、レモンの農園や村の内部を一通り見学した。見学が終わるとマッドマンダンスの行われる広場まで連れて行かれる。
まず登場したのは弓矢を持った戦士。獲物を狙っているようでそろりそろりと近づいてくる。獲物を発見!と思ったら獲物は私のようで弓を引いて追いかけてきた。観光客のつかみはこれでOKなのだろう。
狩りのパフォーマンスのあとは火おこしのパフォーマンス。太い木の枝と木の皮の摩擦で、枯れ木にものの数分で見事に火をつけた。火おこしのパフォーマンスはこれまで何度か他の国でも見たが最も原始的な道具にもかかわらず短時間であったように思う。昨日のモコモコダンスと同様に枯れ葉に火をつけ煙がもくもくと上がるとマッドマンのシンシン開始。
煙の向こうから現れたマッドマン。動きはスローモーション。マッドマンの表情はそれぞれ個性的で怒っているような顔や笑っているような顔、おとぼけ顏や無表情まで様々だ。手には弓や槍、長く尖った爪に棍棒など様々な武器。焚き火の燃える音だけが聞こえる静寂の中、物音も立てずに迫り来るマッドマン。我々はこれらがパフォーマンスだと分かっているから少しコミカルに思えるがこれが日の暮れた時間帯に行われたらどうだろう。暗闇の中から現れた白いマッドマン達は神秘的で神の使いか自然の精霊のように感じられただろう。
マッドマンダンス
無言
日本にもこういう怖い人いますよね
爪が伸びてる
マッドマンの成り立ちを説明しよう。部族闘争がさかんな時代、土地を奪われた部族がアサロ渓谷の沼地まで追いやられたところから始まる。沼地で偶然転んだ戦士。身体中が泥だらけになった。そこへ追いかけてきた敵対する部族はその真っ白な身体に驚いて、お化けだと勘違いして逃げていったそうだ。
昨日訪れたグルポカ山では生贄を捧げていた場所があったというから、ここに住む部族達は自然の中に神の存在を信じていたと考えて間違いはないだろう。彼らにとって自然や人間を超越した精霊や亡霊というものは畏怖の対象だったのである。
そのため マッドマンダンスと言いながらも、お化けなので音も立てないし動きもゆっくりなのである。モコモコダンスは戦士の踊りであり求愛の要素もあったからマッドマンのそれとはそもそも目的が違うのだ。
今度は暗闇の時間帯にマッドマンショーを見てみたいと思った。
マッドマン達と集合写真を撮ったあとはみんなでムームー料理。
ムームー料理とはイモや鶏肉、野菜をバナナの葉を幾重にも重ね、その上から焼いた石で覆い蒸し焼きにする料理である。イモや野菜はすべて地のもので来客や祝いの席では鶏肉や魚が入ることもあるそうだ。バナナの葉っぱの芳しい香りに誘われて美味しくいただく。パパイヤやパイナップルなどの果物も美味しい。
村の人々に別れを告げ、次なる目的地に移動する。
マッドマン達と集合写真
マッドメン
マッドマン
ムームーはなこうやって食べるのがうまいんだ!
どうだ!
ムームーに狂喜するマッドメンと村人
<シンブー地方の伝統文化観光>
マッドマンの村から車で数分。シンブーというゴロカのあるイーストハイランド州の隣の州の民族の伝統を伝える村がある。
村のガイドさんが村の中を一通り案内してくれる。例にもれずこの村も農園に溢れ、美しく手入れされている。
村の広場で最初に披露されたのが歓迎の踊り。これまで踊るのは男性ばかりだったので半裸の女性が出てきてびっくりした。紐状のスカートに、腕には花の飾り、首には貝殻のネックレス、頭には鳥のカラフルな羽。これまでの男性的なシンプルな装飾から一転華やかな衣装だ。
次に顔のペイントを実演してくれる。植物や泥など自然の素材でメイクをする。もちろん私もペイントしてもらった(割と現地の人がウケてくれるのでこのままホテルに戻るまでメイクはとらなかった)。
そして植物から繊維を取り出し糸を紡ぐ方法や弓矢の実演、伝統的な楽器の実演を見せてくれる。かつて楽器は仲間を呼ぶ手段として使われていたが今は携帯があるので、こういった楽器は悲しいかな、今つかうことはないそうだ。そして男女が互い違いに座って歌を歌うカリムレックというお見合いの儀式に参加し、最後に演者全てが集まってシンシンをして終了。
シンブー州の伝統メイク
植物から繊維を取り出し編み物を作る
自然と手元より胸に視線が行く
シンブー州の伝統的な弓矢の実演
シンブー州の伝統的な楽器の実演 低くビィィィィンという
怒ってる?
怒ってない
くわっ
これにて今回のゴロカの観光は終了。明日はラバウルに旅立つ。
4日目 穏やかな人々
フレンチトーストの朝食(28キナ)をとったあと朝8時15分にホテルの入り口にて見形さんと合流。町中の空港へ。
この日はゴロカからポートモレスビーを乗り継いでラバウルへ。
ゴロカの空港にてチェックイン。通常だと国内線同士の乗り継ぎだとそのまま目的地(今回の場合はラバウル)までスルーでチェックインできるそうなのだがこの日はシステムダウンらしくポートモレスビーで一旦荷物を引き取って再度チェックインしてくれとのことだった。
見形さんと2日間お世話になったガイドのアレックスに別れを告げて一路ポートモレスビーへ。
約1時間のフライトのあと空港では現地人の係の方がお出迎え。荷物をピックアップして、ラバウル行きにチェックイン。ラバウル行きの出発まで約4時間あるので、初日と同様、ゲートウェイホテルのエアコンが効いたレストランで出発の時間までレポートを書いたり本を読んだりして過ごした。
ボーディングタイムの45分前にホテルから空港へ向けて出発。今回もお見送りのスタッフの方が搭乗するまで見届けてくれた。アナウンスはあるものの何を言っているか分からず、電光掲示板もないのでこうしてスタッフの方が来てくれるのは心強い。
ラバウル行きはゴロカ行きよりも少し広めの2-3の配列だった(ゴロカ行きは2-2)の配列。といってもゴロカ行きの方が便数が多い。
約1時間半のフライトの末、ラバウルにオンタイムで到着。飛行機から降りると海に囲まれているからか湿った生温かい空気がほほを撫でつけるのを感じた。到着した飛行機はラバウルに経由したあとそのままケビエンに飛び立つ。
空港ではこの日宿泊するココポビーチバンガローリゾートのスタッフが迎えに来ていてくれた。ラバウルではゴロカでは見ることがなかったヤシの木がたくさん並んでいた。ラバウルに関しては小説などで多少馴染みがあったのでここを拠点として日本軍がガダルカナル島での死闘を戦ったと思うと胸から込み上げるものがあった。
元々は日本軍の戦闘機の発着地だったというラバウル空港
<ココポビーチバンガローリゾート>
ラバウル空港から約15分。ココポの町の中心部にココポビーチバンガローリゾートはある。ココポビーチバンガローリゾートはその名の通りブランチ湾のビーチに面した数棟のバンガローを要するリゾートホテルだ。レセプションは中央の建物で行う。バンガローは木製の温かみのある造りでかなり広め。天井にはシーリングファン、テラスからの眺めはパーシャールシービュー。バスタブ、ドライヤーやスリッパはないが冷蔵庫、セーフティーボックス、アイロン、湯沸かし器、エアコンも完備。室内ではWIFIは使えないがメインビルディングのロビーやレストランでは無料で使える。レストランからのビーチの景観も素晴らしく、リラックスしたひとときを過ごせること間違いなし。かつて福岡に住んでいたという日本語を話せる現地スタッフもおり何かと安心。
ココポビーチバンガローリゾート
ココポビーチバンガローリゾートのレストラン
ホテルのチェックインを終えて、ホテル周辺をうろうろ散歩。ホテルに面しているビーチ沿いをあてもなく歩いた。
野生的な雲と山の形、それに重なるように生い茂った深緑、そして夕日に照らされて金色に輝く海。幻想的な風景が続く中、地元の人々や国内の旅行者が思い思いに過ごしている様子を眺めた。そこには戦争という言葉など微塵も感じさせない穏やかで幸せな笑顔が溢れていた。
ホテルに戻り夕食のガーデンサラダとフライドポテトを食べた(12キナx2)。
ホテル近くのビーチにて 子供
ホテル近くのビーチにて 貝をほっていた女性
ホテル近くのビーチにて つりに興じる男性 つれていなかった
「これが我が家の自家用車」
5日目 ジロー戦
朝8時半に朝食のトーストとフルーツを食べてロビーに集合。
英語のうまいローレンスとかつて香川県に住んでいたという日本語は下手だけど気のいいガイド、チャーチルの二人のホテルスタッフと一緒にラバウルの戦跡を巡った。
<ラバウルの戦跡観光>
ラバウルはパプアニューギニアの北東部に浮かぶ、ニューブリテン島の北部に位置する小さな港町。ヤシの木が生い茂るトロピカルな植物相とタブルブル火山、ブルカン火山など噴煙を上げる光景はまさに映画の世界のようだ。このラバウルは第二次世界大戦時に日本軍が南太平洋諸島への侵攻の一大拠点としてガダルカナルの戦いなどに挑んだことで知られている。連合軍の最新鋭の兵器、豊かな物資と豊富な人員を前に日本軍はただ消耗を強いられ疲弊していくなか、輸送路を断たれた日本軍になす術はなく、終戦まで連合軍に占領されることはなかった。そのため町の中には戦時中のバンカーや爆撃機など貴重な戦跡が状態良く数多く残っている。
ココポ戦争博物館
展示の中で大部分を占めるのが第二次世界大戦時に日本軍が残していった軍事品の数々。戦車に高射砲、大砲、飛行機のエンジンにコクピットまで。ラバウル中に散らばっていたものを集めてきたらしい。中でも目を引くのはゼロ戦の綺麗な残骸。思ったよりも小さい。ガイドがゼロ戦のことをジロー戦、ジロー戦と呼ぶのでまさか設計者の堀越二郎への敬意からゼロ戦をあえてジロー戦と呼ぶことがここでは一般的なのか、と思ったがただ訛っていただけだった。
ズパパパパパパ!!!!
おちゃめな管理人
戦車1
戦車2
ブルーラグーン(又の名をワーフトンネル)
青く透き通った入り江のそばにあるトンネルで、かつて日本軍が食料を備蓄したり生活する場としても活用したそうだ。奥にはさらに深いトンネルがあり別のトンネルとつながっている。いまはコウモリたちの巣窟となっている。
艀の格納トンネル(又の名を大発トンネル)
波止場と本船の間を往復する小型船の格納庫。奥は暗闇となって見えにくいが5隻格納しているらしい。特に一番手前のトンネルから見える艀は状態が良い。
5隻も格納されているトンネル
トンネル近くに住む人
ラバウル旧飛行場
かつて日本軍が使っていた東飛行場。1990年代の相次ぐ噴火により都市機能を北部のラバウルから南東に約20キロ離れたココポに移転した。空港も同様で今は全く使っておらずそのためさら地状態。近くに爆撃機の残骸(連合軍からの通称から現地の人々からはBetty Bomberとも呼ばれている)がある。苔むしたその姿からはかつての殺戮兵器だったころの面影はなく、むしろ芸術的な気品さえ感じられる。
ベティボンバー
ベティボンバー付近を掃除するいかついおじさん
南太平洋戦没者の碑
日本政府とパプアニューギニア政府が共同で建立した、南太平洋で命を落とした戦士たちの記念碑。シンプルなつくり。
ヤマモトバンカー
海軍司令部の地下壕。連合艦隊司令長の山本五十六がブーゲンビル島上空にて撃墜されるまでここで指揮をとっていたそうだ。中は10畳くらいの広さのスペースで幾つかの司令室らしき小部屋に枝分かれしている。じっとしているだけで汗が出てくるくらい蒸し暑い。
山本バンカー
山本バンカー内
ニューギニアクラブ
ヤマモトバンカーのすぐ近くには日本軍の士官食堂だったニューギニアクラブがある。現在はオーストラリア軍、ドイツ軍、日本軍の資料館となっている。もともとはドイツ統治下時代の建物で現在は90年代に改築されたもの。
その後、ラバウルの町のメインストリートであったという大通りに未だ一軒だけ営業しているというラバウルホテルにて昼食。ラバウルホテルのレストランはチャイニーズコロニアル的な内装で、食事も鶏肉とインゲンなどの野菜炒めで中華風だった。
ラバウルレストランの中華料理
集合時間まで少し時間があるのでテレビを見る。パプアニューギニアのテレビチャンネルは一つだけであった。そのテレビ番組では中学生くらいの算数の授業を中継していた。内容は半径7cmの円の面積を求めよ、など幾つかの問いがあり各2分の制限時間が与えられる。時間になるとクラスの生徒が先生にあてられる。昼間に誰が見るんだこんなテレビ。
昼食の間、雨が一気にザザぁとふってきた。すぐに弱まったが午後からは小雨が降る中の観光となった。
昼食後、ラバウルのマーケットをそぞろ歩き。売っているものはゴロカとあまり変わらない。変わったものとしては巻きスカートのラプラプやタバコの葉っぱは細切れでなくて束で売られていたこと。
ラバウルのマーケットの女性
ゴロカよりもこじんまりしているマーケット
ラプラプうりのおばさん
たぶんファンキーなおばさん
マルマルアン展望台
ラバウルのマーケットを車で山道を走ること10分。ラバウル全景を見渡せるスポットへ。火山の形が美しい。
ラバウル全景
スズキバンカー
ラバウルから約1時間、ココポを抜け、さらに南に悪路の中車を走らせる。誰もこないような寂しげな海岸沿いにスズキバンカーと呼ばれる掩蔽壕がある。終戦後、このバンカーの中からミイラが発見された。どうやら戦時中、このバンカーに隠れて敵の攻撃から身を潜めていたらしい。しかし爆撃による攻撃か、もしくは飢えによってなくなり、ミイラ化した遺体がこのバンカーから発見された。身の回りのものからはスズキという名前はわかったそうだ。ガイドブックやWEB上には細かい情報はなく、ガイドのチャーチルに聞いてもそれ以上のことは分からなかった。
スズキバンカー
悲しげな流木
ビタパカ戦争墓地
オーストラリア兵士の合葬墓地。日本のものよりよく手入れされている。
ビタパカ戦争墓地
戦時中の日本の兵器や施設は日本では滅多に目にするとはないため私のような戦争を知らない世代にも興味深く見ることができた。しかし思ったよりも保存に関しては現地人に任せっきりなのが気になった。日本、そして全世界の負の遺産として状態よく維持できないものだろうか。特にゼロ戦や爆撃機の残骸など誰かが装甲をはがしたりすることもできなくはない。それに雨ざらしになっているので今後このままだと腐食が進んで原型をとどめられるのも時間の問題だろう。
地元の小学生と遭遇
一緒に記念撮影
ホテルに戻る途中スーパーマーケットに立ち寄って飲み物を買う。この日の夕食も昨日と同じガーデンサラダとフレンチフライ。
6日目 シャローゼロ
朝6時に起床。この日は半日シュノーケリングツアーに参加する。
朝食後、朝7時にフロントに集合。昨日と同じチャーチルと一緒にホテル面しているビーチへ。すでに小型のモーター船がスタンバイしている。
<半日シュノーケリングツアー>
ラバウルの海は美しい珊瑚礁と豊かな生態系を持つ世界屈指のダイビング・シュノーケリングスポットである。途中イルカ達の華麗な泳ぎで歓迎を受けながら、ホテルからモーターボートで移動すること約40分、ピジョン島に到着。その名の通り島の住人は鳥のみの無人島。ピジョン島は大小の2つの島からなり、島付近は潮の流れが良く、水質は大変クリア。手付かずの珊瑚礁やクマノミなどカラフルな魚達が突然の来訪者達を楽しませてくれる。浅瀬からドロップオフポイントまでバラエティ豊かな地形のためシュノーケリング初心者でもOK。お昼ご飯も持ってきてここでピクニックランチもいいだろう。
ラバウルの海の楽しみはこれだけではない。旧日本軍の南太平洋の一大拠点であった歴史から数多くの沈没船が未だ海底に眠っている。そのためダイバー達にはレックダイビング(沈没した戦闘機や輸送船などの難破船を見ることを目的としたダイビング)のメッカとして知られているのだ。その多くが海底の30mから40mなど初心者には難しい深さなので気軽には見ることはできないが、ラバウル新空港近くにシャローゼロ(shallow zero)と呼ばれる水深約3mに沈んだゼロ戦の残骸を見ることができるポイントがある。もちろんシュノーケリングでも、水面からもかつて世界最強と恐れられていたその雄姿を確認できる。
火山と地元の漁師
イルカも見れる
イルカと追いかけっこ
見事なサンゴ礁に囲まれた ピジョン島
火山とピジョン島
シャローゼロ
昨日と今日のラバウル観光でラバウルの歴史と自然を地上からも水中からも満喫したこととなった。
ホテルに戻ったのは11時。部屋に戻りチェックアウトの準備。
12時に部屋をチェックアウトした後はケビエン行きの飛行機に乗るため、午後3時までホテルのレストランにて休憩。
3時前にホテルをでてラバウル新空港へ。
ラバウル空港からケビエン行きの飛行機に乗り込み35分のフライト。
これまでよりも一層こじんまりしている素朴なケビエン空港に到着。
空港ではリセナンアイランドリゾートのスタッフ、野崎さんが迎えに来てくれていた。預け荷物を手渡しで受け取り、リセナンアイランドリゾートへ。
ケビエン空港
黄昏の船乗り場
<リセナンアイランドリゾート>
ケビエン空港から車とボートで約30分。見えてくるのが緑のヤシの木に囲まれたリセナンアイランドリゾート。一目見てここがオシャレなリゾート島だと分かる人はいないはず。島内には高い建物だけでなく、街灯ももちろんない。電気はあるものの、雨水を再利用するためホットシャワーはなく自然の熱を利用したシャワーという環境に配慮したつくり。夜は静かな波の音が心地よく響き、朝は鳥の声で目覚める。一つの島に、それもたった7部屋しかない、まさに自然と一体になった感覚を体験できるリゾートと言えるだろう。
また見渡す限りの白い砂とペパーミントグリーンの海、貴重な青珊瑚の群生が目の前に広がる世界指折りの美しいスポットとして知られ、オーストラリアのダイビング雑誌では2012年から2年連続でベストダイビングアイランドにも選ばれた経歴がある。更には時には夕食には巨大なロブスターや牡蠣、刺身まで供されることもあるという。ダイバー、シュノーケラー憧れの島ありながら日本人スタッフもいるというお勧めの隠れ家的リゾートなのだ。
室内は可愛らしい、温もりのある室内には虫除けの蚊帳とシーリングファンがある程度のシンプルな造り。冷蔵庫、ドライヤー、スリッパ、テレビ、湯沸かし器などはない。WIFIはオフィス周辺であれば無料で利用できる。
リセナンアイランドリゾート
近海でとれたロブスター 特別な食事ではなく普通の夕食です。
夜7時に夕食を食べにレストランへ。
レストランではこんなに大きいの初めて見たくらいのロブスター。
結婚式場でも食べたことのない大きさに興奮。
7日目 牡蠣と海ブドウと私
朝7時半に朝食。トーストとシリアル、目玉焼き。
シュノーケリングギアをレンタルしてコテージの前のビーチにてシュノーケリングをして楽しんだ。
朝10時にホテル前のビーチからシュノーケリングツアーに出発。
リセナンアイランドリゾートにいたカニ
どこまでも犬かきで追いかけてくるリセナンアイランドリゾートの飼い犬
<マングローブ牡蠣採りとBBQ&ラル島のシュノーケリングツアー>
まず向かうのはホテルからボートに揺られ約30分、マングローブの生い茂る島。ただ船に乗っているだけでは面白くない、移動中はルアーフィッシングしながらお昼のメインディシュを釣り上げるのがケビエン流。マングローブ林に到着。ここで目にするのが岩牡蠣ならぬマングローブ牡蠣。日本の牡蠣よりも大ぶりなマングローブ牡蠣はナイフで枝からこそぎ落とす。近辺の岩場では、これまた日本人の大好物、海ぶどうが自生している。食べる分だけの牡蠣と海ぶどうを仕入れたら、BBQの舞台ラル島へルアーフィッシングをしながら向かう。ラル島は徒歩5分で一周できるくらいのサイズの無人島。枯れ木を集め火をおこすところからスタート。ホテルから準備してきた食材をBBQスタイルで皆とワイワイ調理。牡蠣は生でも焼きでもお好みで。食後は腹ごなしに手付かずの珊瑚と多種多様な魚が溢れる透明な海でシュノーケリング。まさにケビエンの自然にどっぷり浸かったワイルドな体験だ。
マングローブ牡蠣
牡蠣ハンター
海ブドウもある
ラル島でBBQ ロブスターはホテルから持参
リセナンアイランドに到着したのは午後4時過ぎ。
シャワーを浴びたあとはビーチへ赴き、暮れなずむ夕日を見ながらリラックスしたひと時を過ごす。
この日の夕食は大きな白身魚。
8日目 義務教育
5:50のポートモレスビー行きのフライトに乗るため、朝4時にリセナンアイランドを出発。野崎さんが朝食のサンドイッチを持たせてくれた。
ボートと車を乗り継ぎ空港へ。まだ真夜中の海上を高速で爆走するモーターボートはジェットコースターのようにスリル満点だった。
ケビエン発の飛行機は往路と同様、ラバウルを経由してポートモレスビーへ。同日で成田行きに乗り継ぐ予定だが、国際線へのスルーチェックインはできなかった。
ポートモレスビーに到着後、一旦ポートモレスビーにて荷物の受け取りと国際線のチェックインを済ませる。成田行きのフライトまでかなり時間があるのでPNGジャパンのエミリーさんがポートモレスビーにて簡単な市内観光をしてもらった。
<ポートモレスビー市内観光>
もし乗り継ぎに充分時間があるのなら是非ポートモレスビーでの市内観光をお勧めしたい。特にバードサンクチュアリと言われるパプア国内から珍しい鳥類を集めた公園は国内外の観光客に大人気。こじんまりした園内に放し飼いをしており、餌付けしているためパプアの国鳥である極楽鳥を間近で見られることも。
手付かずの自然と原始時代からの風習を守る民族がいる一方で、高度経済成長を遂げるポートモレスビー。ウォーターフロントエリアには大型スーパーマーケットが建ち、高層ビル群を建設中だ。パプアニューギニアの経済的な一面を知ることになるだろう。
観光終了後、空港に到着しドライバーさんからの見送りを受け、お別れ。
成田行きはほぼ定刻通りに出発。
8日間パプアニューギニアを旅して、人間の原風景というものがあれば、パプアニューギニアこそがそれそのものなのではないかという気がした。損得勘定などない素朴でフレンドリーな人々、そして自然を畏れ神のスピリットを信じ、借り物でない独自の文化をもち続ける彼らを見ると彼らが特殊な慣習・文化をもっているのではなく、我々が不自然な生き方をしている気がした。先輩社員のほめ言葉を借りるなら「義務教育にして日本人全員いかせたい」と思わせた国である。
本来の自分の心のありようを確かめるという意味で、心の洗濯をするには最適な国だと思う。人間はやっぱりいいね。
予算・物価・お土産
物価は日本と同程度か少し高い。食事の予算は飲み物込みで1回40キナ程度(2000円)。お酒を飲むのであれば1缶10キナするので多めに心がけよう。チップは不要。お土産はブルーマウンテンコーヒーの粉末パックが人気で1つ15キナほど。ホテルや外国人観光客が利用するお店では大抵ビザかマスターのクレジットカードが利用できる。
ネット環境
ホテルでは無料のWIFIが大抵利用できるが、速度は大変遅い。SIMカードは空港や町中の至る所に売られている。
治安
ガイドと歩く分には全く問題ない。しかし特に都市部(ポートモレスビー)では一人歩きは控えたい。もし行きたい場所があるのであればガイドやドライバーに相談しよう。地方(ゴロカなど)では一人歩きする場合には夜中や暗い時間帯は控え、高価なカメラや時計はせず、手持ちのお金もごく一部に心がけよう。
マラリア
ポートモレスビーやハイランド地方では不要。セピック川・フライ川流域ではマラリア予防薬の服用をお勧めする。またそれ以外の地域でも念のため服用をしたほうが確実だが副作用もあるため服用しない観光客も多い。その場合は虫除けスプレーや蚊取り線香、長袖・長ズボン、黒の洋服を着ないように徹底したい。
今回の旅行ではパプアニューギニア政府観光局の山田様、ニューギニア航空の鈴木様、そして文中にもお名前を出させていただいた現地にてご活躍中の皆様の御協力にて無事終えることができました。心より御礼申し上げます。
(2015年5月 橋本康弘)
- 人の還る場所~極彩色のパプアニューギニア~
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エリア:
- オセアニア>パプアニューギニア>カビエン
- オセアニア>パプアニューギニア>ラバウル
- オセアニア>パプアニューギニア>ゴロカ
- テーマ:ハイキング・登山 マリンスポーツ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/04 17:07
5月末、念願のパプアニューギニアに行く機会を得た。
パプアニューギニアが「発見」されたのは1950年代後半。オーストラリア統治時代、豪州の地方行政官がゴロカショー(各部族がシンシンを踊り続け競い合う祭り)を主催したことでパプアニューギニアの世にも珍しい部族の風習が全世界に知られることとなった。それでも発見されたのはごく一部の部族たちだけで、内陸部の地域では険しい山々やジャングル、マラリアが行く手を阻み、60年代まで欧米諸国に発見されることのなかった部族もいる。つまり戦争が終わり、日本が高度経済成長真っ只中の時代においても原始時代の生活をしているような人々がいたということになる。数十年ときを経た今でも、部族の伝統を守り続け特有な衣装やユニークなダンスを披露してくれる。
また彼らはその素朴さも失っていない。見知らぬ同士でも挨拶を交わす。部族抗争のあった名残か、敵意がないことを示す意味でも挨拶が日常となっているそうだ。もちろん観光客に対してもすべての人々が暖かい笑顔でむかえてくれる。外国人観光客と見るやふっかけてくる商売人や自己保身のために都合のいい嘘をつくガイドはここにはいない。
そして手付かずの自然、人の手が入っていない沿岸地域の美しいビーチやハイランド地方の山々。さらには極楽鳥やポッサムなど世にも珍しい動植物。各国を行き尽くしたダイバーや写真家がパプアには何度も訪れるという。一度来訪したらその魅力に取り付かれずにはいられない魅惑に溢れた国なのだ。
蛇足だが私とパプアニューギニアの出会いは10数年前の大学生時代。とある写真を見て衝撃を受けた。それはザ・ポップグループというイギリスの70年代UKポストパンク・ニューウェーブ期を代表するロックバンドのレコードのジャケットだった(もちろん私が後追いした時はCDだったが)。マッドマンの集団が奇声をあげながら今にも飛び上がらんばかりの写真だった。当時は「マッドマン」という言葉も知らなかった私は、スピーカーから飛び出すポップグループの粗暴で原始的且つリズミカルな音楽性にも驚愕した。グループ名と相反した商業主義からかけ離れた音楽性はマッドマンの写真と相まって私の心に突き刺さった。当時大学の休みに合わせてバックパッカーの真似事をしていた私は、いつかマッドマンのような文明がいまだ届いていないような民族に会ってみたいと思うようになっていった。
次なるマッドマンとの出会いは弊社に就職したとき。何気なくパンフレットをめくっていたときに、CDのジャケットと同じような姿の民族の写真が。マッドマンは一般な観光旅行でも出会えることを知った。(ぜひ「最後の警告」でググってみてください。)
いつかマッドマンに出会えることを夢見て旅行社に勤務し続けようやくこの機会を得ることが出来た。
私が旅した行程は下記の通り。
1日目 夜成田発
2日目 ゴロカ観光
3日目 ゴロカ観光
4日目 ラバウルへ移動
5日目 ラバウル戦跡観光
6日目 ラバウルにてシュノーケリング、その後ケビエンに移動
7日目 ケビエン観光
8日目 帰国
1日目 ホノルル気分
午後、伊丹空港から成田空港行きの全日空に乗り込む。
定刻通りに成田空港に到着。成田空港では全日空は第1ターミナルに到着。
荷物を受け取って国際線の搭乗手続きをしようと出発フロアに移動。
しかし今回利用するニューギニア航空は第2ターミナルだった。成田空港の無料ターミナル移動バスはあるものの第3ターミナルもできたことでターミナル間の移動に思ったよりも時間を要した。乗り継ぎ時間には十分猶予を持っていたので良かったものの成田乗り継ぎの際は国内線の到着ターミナルは要確認だと再認識した。
第2ターミナル内の無料のラウンジで時間を潰し、午後7時にニューギニア航空にチェックイン。ポートモレスビー到着後そのままゴロカに乗り継ぎだが荷物は一旦ポートモレスビーにて受け取るようだ。
成田の出国手続きを終え、出発ゲートへ。ポートモレスビー行きのゲートは71番。向かいの72番ホノルル行きと同じフロアになっており、明らかに行くお客さんの層とテンション違いがちょうど真ん中あたりでぱっくりわかれており、異様な雰囲気。ホノルル行きのお客さんはすでに自撮り棒なんか取り出してキャピキャピしている。一方でポートモレスビー行きは帽子を目深に被り静かに座っている人が多い。おぉぉ、すでに旅は始まっているなぁとその光景を見て興奮気味の私。
ほぼ定刻通りに機内へ乗り込む。期待した以上に立派なテレビがついており、日本の映画も数本あった。食事も美味しく満足。
2日目 モコモコ
約6.5時間のフライトの後、ポートモレスビーに到着。
入国審査はパプアニューギニア国民とそれ以外の国籍のビザ保持者とビザなしの3レーンにわかれていた。私はアライバルビザを取得するためにビザなし(アライバルビザ取得)の列に並ぶ。英文の日程表を見せるとなんと無料でビザ取得できた(2014年の初め頃から無料になったそうだ。また英文の日程表でなくてEチケットでも最後の出発日が確認できるものであればいいらしい)。
荷物検査は思っていたよりも厳しい。カバンの中はもちろんスーツケースも開けられる。入国カードの税関申告の欄に食べ物を持ち込んでいるか否かの項目があるので、なにか持ち込むのであれば必ず「はい」にチェックすること。他の項目は多額の現金を持ち込んでいるかどうかなど一般的には全て「いいえ」の質問ばかりなので食べ物の欄も「いいえ」にしそうだが、虚偽申告と難癖をつけられることもあるそうなので注意。
ポートモレスビーではPNGジャパン現地代表をしていらっしゃる上岡さんと合流。国内線にチェックインを済ませ、両替。1週間の滞在の場合だとは2万円はあったほうがいいとの情報を聞いていたので2万円を両替。
乗り継ぎ時間にかなり余裕があるため空港近くのゲートウェイというホテルに朝食を食べに行くことに。そのゲートウェイホテルの朝食が朝6時から開くそうなのでそれまで空港のベンチで上岡さんにパプアのことをいろいろ伺っていた。そこへ私と同じニューギニア航空に搭乗していたと思われる上岡さんとお知り合いの日本人の女性がいらっしゃった。上岡さんはその方を私に、旅行作家さんなんですよ、と紹介していただいた。あまり私は本を読まないため存じ上げず申し訳ないなぁと思っていたら、なんと私が空港の待ち時間で読んでいたパプアニューギニアについての本の著者の山口さんであった。出発前に電子書籍の中から今回の旅に役立ちそうな本をいくつか購入した中に山口さんの著書があり、ついつい読み入ってしまいパプアニューギニア到着前に読み終えていたのだった。私のような若輩者が上岡さんと山口さんというパプアニューギニアについての超エキスパートの方とご一緒出来るなんて幸運なことだろう。(実際、山口さんの作品はこの紀行文を書くのにもためになりました。ありがとうございます。)
ホテルでパンとコーヒーの朝食をいただき(20キナ、約1000円)、空港へ戻り国内線の搭乗手続き。国内線の荷物検査も結構厳しい。上岡さんにはありがたいことに搭乗ゲートまでお見送りしていただいた。
ゲートウェイホテルのレストラン
ゴロカ行きの飛行機
<ゴロカ>
パプアニューギニアの中で真っ先に訪れるべき町を挙げるのであればゴロカであろう。800を超える言語と多様な民族が存在するというパプアニューギニアおいて中には、観光客に神聖な舞踊を見せることは古代から伝承されたしきたりに背くこととしてタブー視する部族も数多いが、その点ゴロカでは奇抜でユニークな民族達の踊りと暮らしを手軽に垣間見ることができる貴重な村が多数存在する。その部族の中でも特に有名なのがマッドマンだ。およそ10キロもあると言われる大きな泥のマスク。全身には泥を塗り、まるで亡霊か精霊のような出で立ち。もちろん観光は少数民族だけではない。パプアニューギニア最高峰・ウィルヘルム山登山の拠点であり、賑わいを見せる町中の青空市場、名産のコーヒー工場。そして一大観光地であるにも関わらずそこに住まう素朴でフレンドリーな人々にきっとあなたも魅了されるはず。
ポートモレスビーからゴロカは約1時間のフライト。
到着したゴロカの空港はこれまで旅した中でも、これが本当に空港?と聞きたくなるほどの小屋のような建物。もちろん荷物を受け取るベルトコンベアはないので空港のスタッフがテーブルの上にどんと置き、一つ一つ渡していく。素朴だなぁ。
素朴なゴロカ空港
ゴロカの空港ではPNGジャパンのゴロカ支店の見形さんがいらっしゃってくださった。ゴロカの街は空港を中心に広がっており、すぐ近くにスーパーマーケットに携帯電話ショップや銀行、郵便局さらにラジオ局がある。空港を中心に街が形成されているのは飛行機が主な交通手段だというパプアニューギニアならでは。
ポートモレスビーの空港付近は全く見かけなかった赤土と緑の山々のコントラストと人々のエネルギー溢れるカオスな雰囲気をゴロカではすぐに感じられ、パプアニューギニアに来たことを実感した。
空港から車で約2分のホテル、パシフィックガーデンホテルにチェックイン。
<パシフィックガーデンホテル>
ゴロカの中心部に位置する自然に囲まれたロッジ風のホテル。ゴロカ周辺の部族をモチーフにしたアート作品が展示されておりなかなかお洒落。広めの室内にはテレビに冷蔵庫、湯沸し器、アイロン、ドライヤーがあり、いたって清潔。室内で無料のWIFIもあるが速度は遅い。バスタブはなくシャワーのみ。水圧は強くないがお湯は比較的すぐに出た。スリッパやセーフティーボックスはなかった。レストランではソフトドリンクはもちろんビールもあった。食事も美味しい。
しばらくホテルでシャワーを浴びて休んだ後、昼食のジンジャービーフ(30キナ、約1500円)を食べて、午後の観光に出発。
パシフィックガーデンホテルお部屋
パシフィックガーデンホテル外観
パシフィックガーデンホテルのレストランはなかなか旨い
<グルポカ山ハイキングとモコモコダンス>
ホテルから唯一の舗装された道を走ること約20分。赤土むき出しの脇道の前に車を停める。ここが村の入り口だとは、一般の通りすがりの人たちには分からないだろう。
車を降り乾燥した土埃が舞い上がる道を歩くこと数分、グルポカ山の麓にあるコレコレト村の村人たちの姿が見えてくる。
村人たちにアピヌンと挨拶すると向こうも柔らかい笑顔であいさつを返してくれる。パプアニューギニアの公用語ビジン語の挨拶「アピヌン」とはアフタヌーンが訛った言葉らしい。なので基本英語が元になっており簡単な英単語さえわかればなんとなく現地の人ともコミュニケーションが図れる。
村ではこれからグルポカ山を案内してくれるという部族の少年がすでに伝統的な出で立ちで我々を待っていた。大事な部分を守るためのバナナの葉っぱで作ったまわしをつけている以外は裸で、全身には泥や炭で描いたボディーペイント。否が応でも期待が高まる(何が?)。
コーヒーやバナナ、サツマイモの農園のある山道を抜け、急勾配の坂道を登ること数十分。途中、生贄を捧げるために使ったとされる岩場がある。村から豚や人間をこの山の中腹まで連れてきて殺してその頭を岩の上に置くことで、神からのパワーを授けられると信じられていたそうだ。また人食を行ったと言われる洞窟もある。カニバリズムについて話にはよく聞くことはあるが、ここがその現場ですと言われると、俺生きて帰れるかなぁ、となんだか暗い気持ちになった。山から帰ったら食事の準備なんかしていて、今日の食材は「俺」だったりするのかなぁとマンガみたいなことを考えた。
ガイドの男の子
さすがは戦士だけあってどんどん登って行く
さすがは戦士だけあってどんどん登って行く
畑の農作物や途中の説明を聞きながらゆっくり山を登ったので、トータル1時間ほどだろうか、頂上に到着した。グルポカ山の頂上には十字架があり、カトリック信者が多い現在はお祈りの場としても使われるそうだ。頂上からはゴロカ一帯の、険しい山並みの連なる壮大な風景を一望できる。なぜゴロカからポートモレスビーまでの幹線道路が敷かれておらず、飛行機での移動手段がメインなのかが理解できる光景である。
グルポカ山からのゴロカの眺め
カニバリズムのおこなれたという洞窟
グルポカ山頂上
帰り道
下山して村に戻ると、次はモコモコダンスを見せてくれるという。モコモコダンスとは何だろう?と思いながらも村の広場まで連れてこられ、木製の手作りベンチに腰掛けてしばらく待つ。広場の中心では焚き火がパチパチを音を立てて煙が上がり始めた。そうすると煙の奥から全身ボディーペイントの仮面をつけた戦士が現れた。両手には槍のような武器を持っている。ダンスといっても機敏な激しいものではなく、身体を上下させたり槍を突き上げて小走りしたりするのがほとんど。徐々にこちらに近づいてきて、小声でモコモコ言っていることに気づいた。モコモコモコモコ…..モコッ!!.... モコモコモコモコ…..モコッ!!と時々何かを思い出したように後ろを振り返る。そのするうちに別の戦士も集まり大所帯になった。大人数になっても踊り方は先ほどと同じ。仮面の戦士が中心となって皆口々にモコモコ言いながら身体を上下に揺らし小走りする。
モコモコダンスは部族闘争の戦いから村に帰還した男たちが、祝いの踊りとして行うそうで、男女の出会いの儀式の意味もあるそうだ。勇ましさというよりも我々旅行者から見ると可愛らしさを感じるかもしれない。
煙の中から現れる
モコモコモコ・・・・
人数が増えた
モコ言いながら小走り
モコモコモコ・・・・・モコッ
モコモコダンスのメンバー
モコモコダンスのメンバー
モコモコズのメンバーと
モコモコダンスのメンバーの股間
モコモコダンスを楽しんだ後は村人ハンドメイドのお土産を物色する。パプアニューギニアのカバンとして知られるビルムや貝殻のネックレスなどが売られていた。こういう観光地ではかなり商売熱心だったりするものだが、パプアニューギニアの人々はあまり押し付けがましくなく、何も買わなくともフレンドリーな笑顔を振りまいてくれるのが嬉しい。素朴な人々にあって私の心も洗われたような気分になってコレコレト村を後にした。
コレコレト村の女の子
コレコレト村の男性
町中のスーパーマーケットに立ち寄り、飲み物を購入してホテルに戻った。
夜はホテルのレストランでヒレ肉のペッパーソースステーキ(50キナ 2500円)とビール(10キナ 500円)で夕食。
この日私の頭のなかはモコモコモコ・・・と、つい口からでそうなほどモコモコダンスのことが忘れられなかった。
3日目 ザ・マッドダンス
朝8時半に朝食。イングリッシュブレックファースト(38キナ 1900円)。
9時にガイドさんと合流して観光に出発。
この日はマッドマンダンスとシンブー地方の伝統文化を観光する予定だ。
まず向かったのは町中のマーケット。昨日ガイドさんにマーケットで写真を撮らせて!とお願いしたのだ。
マーケットで最初に向かったのはビートルナッツ売り場。日本語だと檳榔。台湾でセクシーなお姉さんが売っているやつというと知っている方も多いかもしれない。ビートルナッツを口の中でくちゃくちゃしながらマスタードの茎に石灰をつけかじる。口の中でこれらの3つが混じり合うとなぜか口の中で真っ赤になる。タバコのような嗜好品だそうで噛んでいるとフワフワとした陶酔感をえられるそうだ。口の中に溜まった水分をペッ、ペッと吐き捨てるため道のいたるところには赤い唾の跡が。景観的によろしくないので公共の場ではブアイ禁止の張り紙をちらほら見かける。私もトライしようと思ったが今から観光に行くのに口の中を真っ赤にしたくなかったのでビートルナッツを少しかじっただけで諦めた。
ブアイ実際噛んで見せてくれた男性 うれしそうだ
マスタードの茎を売るおじさん
ゴロカのB級グルメストリート
ゴロカの娯楽 ダーツ
マーケットではダーツ屋さんも見かけた。町の人たちの数少ない娯楽の一つのようで数多くの大人の男性がダーツに興じていた。五本投げて規定の点数よりも良いスコアが取れたなら賞金や景品がもらえるそうだ。私もトライしたがまず的に当てるのが精一杯。それに比べ地元のおじさんたちはすべて的の中に的中させていた。うまいなぁ。
ゴロカのマーケットでは写真を撮っていると、いろんな人から俺もとってくれ、俺もとってくれと言われる。それを見たまた別の人から、俺をとってくれ攻撃が始まる。見形さんは申し訳なさそうな声で、消していいですよ、おっしゃってくれた。
ゴロカのマーケット
ビートルナッツ売りのおばさん
髭のおじいさん
芋をたべていたおじいさん
こら!俺のバナナも撮ってくれ
たのまれてとった写真1
たのまれてとった写真2
たのまれてとった写真3
たのまれてとった写真4
たのまれてとった写真5 ほかにもたくさん
マーケットを後にしてマッドマン観光に向かう途中、ハイランドハイウェイで最も標高が高いダウロ峠へ。標高は約2500m。ここまで来ると全く気温が違う。その後、ガイドさんの知り合いにハイランド地方の伝統的なお家を見せてもらった。ハイランド地方は標高の高さから朝夜は冷え込む。そのため円形のお家を作り室内の真ん中には焚き火ができるスペースがある。
ハイランド地方の伝統的な住宅
草木も生き生きしているようにみえる
<マッドマンダンスとムームー料理>
ついにこの時がやってきた。自分の目でマッドマンを確かめる時が!パプアニューギニアに来たのはこのマッドマンダンスを見るためだといっても過言ではない。
アサロ渓谷の村に到着。ゴロカで一番の観光地だというのに大げさな看板などは一つもない。村に入るとまずハワイでいうレイのような花の首飾りをかけてくれて歓迎してくれる。その後村の案内を受け、サツマイモやトウモロコシ、ババナ、レモンの農園や村の内部を一通り見学した。見学が終わるとマッドマンダンスの行われる広場まで連れて行かれる。
まず登場したのは弓矢を持った戦士。獲物を狙っているようでそろりそろりと近づいてくる。獲物を発見!と思ったら獲物は私のようで弓を引いて追いかけてきた。観光客のつかみはこれでOKなのだろう。
狩りのパフォーマンスのあとは火おこしのパフォーマンス。太い木の枝と木の皮の摩擦で、枯れ木にものの数分で見事に火をつけた。火おこしのパフォーマンスはこれまで何度か他の国でも見たが最も原始的な道具にもかかわらず短時間であったように思う。昨日のモコモコダンスと同様に枯れ葉に火をつけ煙がもくもくと上がるとマッドマンのシンシン開始。
煙の向こうから現れたマッドマン。動きはスローモーション。マッドマンの表情はそれぞれ個性的で怒っているような顔や笑っているような顔、おとぼけ顏や無表情まで様々だ。手には弓や槍、長く尖った爪に棍棒など様々な武器。焚き火の燃える音だけが聞こえる静寂の中、物音も立てずに迫り来るマッドマン。我々はこれらがパフォーマンスだと分かっているから少しコミカルに思えるがこれが日の暮れた時間帯に行われたらどうだろう。暗闇の中から現れた白いマッドマン達は神秘的で神の使いか自然の精霊のように感じられただろう。
マッドマンダンス
無言
日本にもこういう怖い人いますよね
爪が伸びてる
マッドマンの成り立ちを説明しよう。部族闘争がさかんな時代、土地を奪われた部族がアサロ渓谷の沼地まで追いやられたところから始まる。沼地で偶然転んだ戦士。身体中が泥だらけになった。そこへ追いかけてきた敵対する部族はその真っ白な身体に驚いて、お化けだと勘違いして逃げていったそうだ。
昨日訪れたグルポカ山では生贄を捧げていた場所があったというから、ここに住む部族達は自然の中に神の存在を信じていたと考えて間違いはないだろう。彼らにとって自然や人間を超越した精霊や亡霊というものは畏怖の対象だったのである。
そのため マッドマンダンスと言いながらも、お化けなので音も立てないし動きもゆっくりなのである。モコモコダンスは戦士の踊りであり求愛の要素もあったからマッドマンのそれとはそもそも目的が違うのだ。
今度は暗闇の時間帯にマッドマンショーを見てみたいと思った。
マッドマン達と集合写真を撮ったあとはみんなでムームー料理。
ムームー料理とはイモや鶏肉、野菜をバナナの葉を幾重にも重ね、その上から焼いた石で覆い蒸し焼きにする料理である。イモや野菜はすべて地のもので来客や祝いの席では鶏肉や魚が入ることもあるそうだ。バナナの葉っぱの芳しい香りに誘われて美味しくいただく。パパイヤやパイナップルなどの果物も美味しい。
村の人々に別れを告げ、次なる目的地に移動する。
マッドマン達と集合写真
マッドメン
マッドマン
ムームーはなこうやって食べるのがうまいんだ!
どうだ!
ムームーに狂喜するマッドメンと村人
<シンブー地方の伝統文化観光>
マッドマンの村から車で数分。シンブーというゴロカのあるイーストハイランド州の隣の州の民族の伝統を伝える村がある。
村のガイドさんが村の中を一通り案内してくれる。例にもれずこの村も農園に溢れ、美しく手入れされている。
村の広場で最初に披露されたのが歓迎の踊り。これまで踊るのは男性ばかりだったので半裸の女性が出てきてびっくりした。紐状のスカートに、腕には花の飾り、首には貝殻のネックレス、頭には鳥のカラフルな羽。これまでの男性的なシンプルな装飾から一転華やかな衣装だ。
次に顔のペイントを実演してくれる。植物や泥など自然の素材でメイクをする。もちろん私もペイントしてもらった(割と現地の人がウケてくれるのでこのままホテルに戻るまでメイクはとらなかった)。
そして植物から繊維を取り出し糸を紡ぐ方法や弓矢の実演、伝統的な楽器の実演を見せてくれる。かつて楽器は仲間を呼ぶ手段として使われていたが今は携帯があるので、こういった楽器は悲しいかな、今つかうことはないそうだ。そして男女が互い違いに座って歌を歌うカリムレックというお見合いの儀式に参加し、最後に演者全てが集まってシンシンをして終了。
シンブー州の伝統メイク
植物から繊維を取り出し編み物を作る
自然と手元より胸に視線が行く
シンブー州の伝統的な弓矢の実演
シンブー州の伝統的な楽器の実演 低くビィィィィンという
怒ってる?
怒ってない
くわっ
これにて今回のゴロカの観光は終了。明日はラバウルに旅立つ。
4日目 穏やかな人々
フレンチトーストの朝食(28キナ)をとったあと朝8時15分にホテルの入り口にて見形さんと合流。町中の空港へ。
この日はゴロカからポートモレスビーを乗り継いでラバウルへ。
ゴロカの空港にてチェックイン。通常だと国内線同士の乗り継ぎだとそのまま目的地(今回の場合はラバウル)までスルーでチェックインできるそうなのだがこの日はシステムダウンらしくポートモレスビーで一旦荷物を引き取って再度チェックインしてくれとのことだった。
見形さんと2日間お世話になったガイドのアレックスに別れを告げて一路ポートモレスビーへ。
約1時間のフライトのあと空港では現地人の係の方がお出迎え。荷物をピックアップして、ラバウル行きにチェックイン。ラバウル行きの出発まで約4時間あるので、初日と同様、ゲートウェイホテルのエアコンが効いたレストランで出発の時間までレポートを書いたり本を読んだりして過ごした。
ボーディングタイムの45分前にホテルから空港へ向けて出発。今回もお見送りのスタッフの方が搭乗するまで見届けてくれた。アナウンスはあるものの何を言っているか分からず、電光掲示板もないのでこうしてスタッフの方が来てくれるのは心強い。
ラバウル行きはゴロカ行きよりも少し広めの2-3の配列だった(ゴロカ行きは2-2)の配列。といってもゴロカ行きの方が便数が多い。
約1時間半のフライトの末、ラバウルにオンタイムで到着。飛行機から降りると海に囲まれているからか湿った生温かい空気がほほを撫でつけるのを感じた。到着した飛行機はラバウルに経由したあとそのままケビエンに飛び立つ。
空港ではこの日宿泊するココポビーチバンガローリゾートのスタッフが迎えに来ていてくれた。ラバウルではゴロカでは見ることがなかったヤシの木がたくさん並んでいた。ラバウルに関しては小説などで多少馴染みがあったのでここを拠点として日本軍がガダルカナル島での死闘を戦ったと思うと胸から込み上げるものがあった。
元々は日本軍の戦闘機の発着地だったというラバウル空港
<ココポビーチバンガローリゾート>
ラバウル空港から約15分。ココポの町の中心部にココポビーチバンガローリゾートはある。ココポビーチバンガローリゾートはその名の通りブランチ湾のビーチに面した数棟のバンガローを要するリゾートホテルだ。レセプションは中央の建物で行う。バンガローは木製の温かみのある造りでかなり広め。天井にはシーリングファン、テラスからの眺めはパーシャールシービュー。バスタブ、ドライヤーやスリッパはないが冷蔵庫、セーフティーボックス、アイロン、湯沸かし器、エアコンも完備。室内ではWIFIは使えないがメインビルディングのロビーやレストランでは無料で使える。レストランからのビーチの景観も素晴らしく、リラックスしたひとときを過ごせること間違いなし。かつて福岡に住んでいたという日本語を話せる現地スタッフもおり何かと安心。
ココポビーチバンガローリゾート
ココポビーチバンガローリゾートのレストラン
ホテルのチェックインを終えて、ホテル周辺をうろうろ散歩。ホテルに面しているビーチ沿いをあてもなく歩いた。
野生的な雲と山の形、それに重なるように生い茂った深緑、そして夕日に照らされて金色に輝く海。幻想的な風景が続く中、地元の人々や国内の旅行者が思い思いに過ごしている様子を眺めた。そこには戦争という言葉など微塵も感じさせない穏やかで幸せな笑顔が溢れていた。
ホテルに戻り夕食のガーデンサラダとフライドポテトを食べた(12キナx2)。
ホテル近くのビーチにて 子供
ホテル近くのビーチにて 貝をほっていた女性
ホテル近くのビーチにて つりに興じる男性 つれていなかった
「これが我が家の自家用車」
5日目 ジロー戦
朝8時半に朝食のトーストとフルーツを食べてロビーに集合。
英語のうまいローレンスとかつて香川県に住んでいたという日本語は下手だけど気のいいガイド、チャーチルの二人のホテルスタッフと一緒にラバウルの戦跡を巡った。
<ラバウルの戦跡観光>
ラバウルはパプアニューギニアの北東部に浮かぶ、ニューブリテン島の北部に位置する小さな港町。ヤシの木が生い茂るトロピカルな植物相とタブルブル火山、ブルカン火山など噴煙を上げる光景はまさに映画の世界のようだ。このラバウルは第二次世界大戦時に日本軍が南太平洋諸島への侵攻の一大拠点としてガダルカナルの戦いなどに挑んだことで知られている。連合軍の最新鋭の兵器、豊かな物資と豊富な人員を前に日本軍はただ消耗を強いられ疲弊していくなか、輸送路を断たれた日本軍になす術はなく、終戦まで連合軍に占領されることはなかった。そのため町の中には戦時中のバンカーや爆撃機など貴重な戦跡が状態良く数多く残っている。
ココポ戦争博物館
展示の中で大部分を占めるのが第二次世界大戦時に日本軍が残していった軍事品の数々。戦車に高射砲、大砲、飛行機のエンジンにコクピットまで。ラバウル中に散らばっていたものを集めてきたらしい。中でも目を引くのはゼロ戦の綺麗な残骸。思ったよりも小さい。ガイドがゼロ戦のことをジロー戦、ジロー戦と呼ぶのでまさか設計者の堀越二郎への敬意からゼロ戦をあえてジロー戦と呼ぶことがここでは一般的なのか、と思ったがただ訛っていただけだった。
ズパパパパパパ!!!!
おちゃめな管理人
戦車1
戦車2
ブルーラグーン(又の名をワーフトンネル)
青く透き通った入り江のそばにあるトンネルで、かつて日本軍が食料を備蓄したり生活する場としても活用したそうだ。奥にはさらに深いトンネルがあり別のトンネルとつながっている。いまはコウモリたちの巣窟となっている。
艀の格納トンネル(又の名を大発トンネル)
波止場と本船の間を往復する小型船の格納庫。奥は暗闇となって見えにくいが5隻格納しているらしい。特に一番手前のトンネルから見える艀は状態が良い。
5隻も格納されているトンネル
トンネル近くに住む人
ラバウル旧飛行場
かつて日本軍が使っていた東飛行場。1990年代の相次ぐ噴火により都市機能を北部のラバウルから南東に約20キロ離れたココポに移転した。空港も同様で今は全く使っておらずそのためさら地状態。近くに爆撃機の残骸(連合軍からの通称から現地の人々からはBetty Bomberとも呼ばれている)がある。苔むしたその姿からはかつての殺戮兵器だったころの面影はなく、むしろ芸術的な気品さえ感じられる。
ベティボンバー
ベティボンバー付近を掃除するいかついおじさん
南太平洋戦没者の碑
日本政府とパプアニューギニア政府が共同で建立した、南太平洋で命を落とした戦士たちの記念碑。シンプルなつくり。
ヤマモトバンカー
海軍司令部の地下壕。連合艦隊司令長の山本五十六がブーゲンビル島上空にて撃墜されるまでここで指揮をとっていたそうだ。中は10畳くらいの広さのスペースで幾つかの司令室らしき小部屋に枝分かれしている。じっとしているだけで汗が出てくるくらい蒸し暑い。
山本バンカー
山本バンカー内
ニューギニアクラブ
ヤマモトバンカーのすぐ近くには日本軍の士官食堂だったニューギニアクラブがある。現在はオーストラリア軍、ドイツ軍、日本軍の資料館となっている。もともとはドイツ統治下時代の建物で現在は90年代に改築されたもの。
その後、ラバウルの町のメインストリートであったという大通りに未だ一軒だけ営業しているというラバウルホテルにて昼食。ラバウルホテルのレストランはチャイニーズコロニアル的な内装で、食事も鶏肉とインゲンなどの野菜炒めで中華風だった。
ラバウルレストランの中華料理
集合時間まで少し時間があるのでテレビを見る。パプアニューギニアのテレビチャンネルは一つだけであった。そのテレビ番組では中学生くらいの算数の授業を中継していた。内容は半径7cmの円の面積を求めよ、など幾つかの問いがあり各2分の制限時間が与えられる。時間になるとクラスの生徒が先生にあてられる。昼間に誰が見るんだこんなテレビ。
昼食の間、雨が一気にザザぁとふってきた。すぐに弱まったが午後からは小雨が降る中の観光となった。
昼食後、ラバウルのマーケットをそぞろ歩き。売っているものはゴロカとあまり変わらない。変わったものとしては巻きスカートのラプラプやタバコの葉っぱは細切れでなくて束で売られていたこと。
ラバウルのマーケットの女性
ゴロカよりもこじんまりしているマーケット
ラプラプうりのおばさん
たぶんファンキーなおばさん
マルマルアン展望台
ラバウルのマーケットを車で山道を走ること10分。ラバウル全景を見渡せるスポットへ。火山の形が美しい。
ラバウル全景
スズキバンカー
ラバウルから約1時間、ココポを抜け、さらに南に悪路の中車を走らせる。誰もこないような寂しげな海岸沿いにスズキバンカーと呼ばれる掩蔽壕がある。終戦後、このバンカーの中からミイラが発見された。どうやら戦時中、このバンカーに隠れて敵の攻撃から身を潜めていたらしい。しかし爆撃による攻撃か、もしくは飢えによってなくなり、ミイラ化した遺体がこのバンカーから発見された。身の回りのものからはスズキという名前はわかったそうだ。ガイドブックやWEB上には細かい情報はなく、ガイドのチャーチルに聞いてもそれ以上のことは分からなかった。
スズキバンカー
悲しげな流木
ビタパカ戦争墓地
オーストラリア兵士の合葬墓地。日本のものよりよく手入れされている。
ビタパカ戦争墓地
戦時中の日本の兵器や施設は日本では滅多に目にするとはないため私のような戦争を知らない世代にも興味深く見ることができた。しかし思ったよりも保存に関しては現地人に任せっきりなのが気になった。日本、そして全世界の負の遺産として状態よく維持できないものだろうか。特にゼロ戦や爆撃機の残骸など誰かが装甲をはがしたりすることもできなくはない。それに雨ざらしになっているので今後このままだと腐食が進んで原型をとどめられるのも時間の問題だろう。
地元の小学生と遭遇
一緒に記念撮影
ホテルに戻る途中スーパーマーケットに立ち寄って飲み物を買う。この日の夕食も昨日と同じガーデンサラダとフレンチフライ。
6日目 シャローゼロ
朝6時に起床。この日は半日シュノーケリングツアーに参加する。
朝食後、朝7時にフロントに集合。昨日と同じチャーチルと一緒にホテル面しているビーチへ。すでに小型のモーター船がスタンバイしている。
<半日シュノーケリングツアー>
ラバウルの海は美しい珊瑚礁と豊かな生態系を持つ世界屈指のダイビング・シュノーケリングスポットである。途中イルカ達の華麗な泳ぎで歓迎を受けながら、ホテルからモーターボートで移動すること約40分、ピジョン島に到着。その名の通り島の住人は鳥のみの無人島。ピジョン島は大小の2つの島からなり、島付近は潮の流れが良く、水質は大変クリア。手付かずの珊瑚礁やクマノミなどカラフルな魚達が突然の来訪者達を楽しませてくれる。浅瀬からドロップオフポイントまでバラエティ豊かな地形のためシュノーケリング初心者でもOK。お昼ご飯も持ってきてここでピクニックランチもいいだろう。
ラバウルの海の楽しみはこれだけではない。旧日本軍の南太平洋の一大拠点であった歴史から数多くの沈没船が未だ海底に眠っている。そのためダイバー達にはレックダイビング(沈没した戦闘機や輸送船などの難破船を見ることを目的としたダイビング)のメッカとして知られているのだ。その多くが海底の30mから40mなど初心者には難しい深さなので気軽には見ることはできないが、ラバウル新空港近くにシャローゼロ(shallow zero)と呼ばれる水深約3mに沈んだゼロ戦の残骸を見ることができるポイントがある。もちろんシュノーケリングでも、水面からもかつて世界最強と恐れられていたその雄姿を確認できる。
火山と地元の漁師
イルカも見れる
イルカと追いかけっこ
見事なサンゴ礁に囲まれた ピジョン島
火山とピジョン島
シャローゼロ
昨日と今日のラバウル観光でラバウルの歴史と自然を地上からも水中からも満喫したこととなった。
ホテルに戻ったのは11時。部屋に戻りチェックアウトの準備。
12時に部屋をチェックアウトした後はケビエン行きの飛行機に乗るため、午後3時までホテルのレストランにて休憩。
3時前にホテルをでてラバウル新空港へ。
ラバウル空港からケビエン行きの飛行機に乗り込み35分のフライト。
これまでよりも一層こじんまりしている素朴なケビエン空港に到着。
空港ではリセナンアイランドリゾートのスタッフ、野崎さんが迎えに来てくれていた。預け荷物を手渡しで受け取り、リセナンアイランドリゾートへ。
ケビエン空港
黄昏の船乗り場
<リセナンアイランドリゾート>
ケビエン空港から車とボートで約30分。見えてくるのが緑のヤシの木に囲まれたリセナンアイランドリゾート。一目見てここがオシャレなリゾート島だと分かる人はいないはず。島内には高い建物だけでなく、街灯ももちろんない。電気はあるものの、雨水を再利用するためホットシャワーはなく自然の熱を利用したシャワーという環境に配慮したつくり。夜は静かな波の音が心地よく響き、朝は鳥の声で目覚める。一つの島に、それもたった7部屋しかない、まさに自然と一体になった感覚を体験できるリゾートと言えるだろう。
また見渡す限りの白い砂とペパーミントグリーンの海、貴重な青珊瑚の群生が目の前に広がる世界指折りの美しいスポットとして知られ、オーストラリアのダイビング雑誌では2012年から2年連続でベストダイビングアイランドにも選ばれた経歴がある。更には時には夕食には巨大なロブスターや牡蠣、刺身まで供されることもあるという。ダイバー、シュノーケラー憧れの島ありながら日本人スタッフもいるというお勧めの隠れ家的リゾートなのだ。
室内は可愛らしい、温もりのある室内には虫除けの蚊帳とシーリングファンがある程度のシンプルな造り。冷蔵庫、ドライヤー、スリッパ、テレビ、湯沸かし器などはない。WIFIはオフィス周辺であれば無料で利用できる。
リセナンアイランドリゾート
近海でとれたロブスター 特別な食事ではなく普通の夕食です。
夜7時に夕食を食べにレストランへ。
レストランではこんなに大きいの初めて見たくらいのロブスター。
結婚式場でも食べたことのない大きさに興奮。
7日目 牡蠣と海ブドウと私
朝7時半に朝食。トーストとシリアル、目玉焼き。
シュノーケリングギアをレンタルしてコテージの前のビーチにてシュノーケリングをして楽しんだ。
朝10時にホテル前のビーチからシュノーケリングツアーに出発。
リセナンアイランドリゾートにいたカニ
どこまでも犬かきで追いかけてくるリセナンアイランドリゾートの飼い犬
<マングローブ牡蠣採りとBBQ&ラル島のシュノーケリングツアー>
まず向かうのはホテルからボートに揺られ約30分、マングローブの生い茂る島。ただ船に乗っているだけでは面白くない、移動中はルアーフィッシングしながらお昼のメインディシュを釣り上げるのがケビエン流。マングローブ林に到着。ここで目にするのが岩牡蠣ならぬマングローブ牡蠣。日本の牡蠣よりも大ぶりなマングローブ牡蠣はナイフで枝からこそぎ落とす。近辺の岩場では、これまた日本人の大好物、海ぶどうが自生している。食べる分だけの牡蠣と海ぶどうを仕入れたら、BBQの舞台ラル島へルアーフィッシングをしながら向かう。ラル島は徒歩5分で一周できるくらいのサイズの無人島。枯れ木を集め火をおこすところからスタート。ホテルから準備してきた食材をBBQスタイルで皆とワイワイ調理。牡蠣は生でも焼きでもお好みで。食後は腹ごなしに手付かずの珊瑚と多種多様な魚が溢れる透明な海でシュノーケリング。まさにケビエンの自然にどっぷり浸かったワイルドな体験だ。
マングローブ牡蠣
牡蠣ハンター
海ブドウもある
ラル島でBBQ ロブスターはホテルから持参
リセナンアイランドに到着したのは午後4時過ぎ。
シャワーを浴びたあとはビーチへ赴き、暮れなずむ夕日を見ながらリラックスしたひと時を過ごす。
この日の夕食は大きな白身魚。
8日目 義務教育
5:50のポートモレスビー行きのフライトに乗るため、朝4時にリセナンアイランドを出発。野崎さんが朝食のサンドイッチを持たせてくれた。
ボートと車を乗り継ぎ空港へ。まだ真夜中の海上を高速で爆走するモーターボートはジェットコースターのようにスリル満点だった。
ケビエン発の飛行機は往路と同様、ラバウルを経由してポートモレスビーへ。同日で成田行きに乗り継ぐ予定だが、国際線へのスルーチェックインはできなかった。
ポートモレスビーに到着後、一旦ポートモレスビーにて荷物の受け取りと国際線のチェックインを済ませる。成田行きのフライトまでかなり時間があるのでPNGジャパンのエミリーさんがポートモレスビーにて簡単な市内観光をしてもらった。
<ポートモレスビー市内観光>
もし乗り継ぎに充分時間があるのなら是非ポートモレスビーでの市内観光をお勧めしたい。特にバードサンクチュアリと言われるパプア国内から珍しい鳥類を集めた公園は国内外の観光客に大人気。こじんまりした園内に放し飼いをしており、餌付けしているためパプアの国鳥である極楽鳥を間近で見られることも。
手付かずの自然と原始時代からの風習を守る民族がいる一方で、高度経済成長を遂げるポートモレスビー。ウォーターフロントエリアには大型スーパーマーケットが建ち、高層ビル群を建設中だ。パプアニューギニアの経済的な一面を知ることになるだろう。
観光終了後、空港に到着しドライバーさんからの見送りを受け、お別れ。
成田行きはほぼ定刻通りに出発。
8日間パプアニューギニアを旅して、人間の原風景というものがあれば、パプアニューギニアこそがそれそのものなのではないかという気がした。損得勘定などない素朴でフレンドリーな人々、そして自然を畏れ神のスピリットを信じ、借り物でない独自の文化をもち続ける彼らを見ると彼らが特殊な慣習・文化をもっているのではなく、我々が不自然な生き方をしている気がした。先輩社員のほめ言葉を借りるなら「義務教育にして日本人全員いかせたい」と思わせた国である。
本来の自分の心のありようを確かめるという意味で、心の洗濯をするには最適な国だと思う。人間はやっぱりいいね。
予算・物価・お土産
物価は日本と同程度か少し高い。食事の予算は飲み物込みで1回40キナ程度(2000円)。お酒を飲むのであれば1缶10キナするので多めに心がけよう。チップは不要。お土産はブルーマウンテンコーヒーの粉末パックが人気で1つ15キナほど。ホテルや外国人観光客が利用するお店では大抵ビザかマスターのクレジットカードが利用できる。
ネット環境
ホテルでは無料のWIFIが大抵利用できるが、速度は大変遅い。SIMカードは空港や町中の至る所に売られている。
治安
ガイドと歩く分には全く問題ない。しかし特に都市部(ポートモレスビー)では一人歩きは控えたい。もし行きたい場所があるのであればガイドやドライバーに相談しよう。地方(ゴロカなど)では一人歩きする場合には夜中や暗い時間帯は控え、高価なカメラや時計はせず、手持ちのお金もごく一部に心がけよう。
マラリア
ポートモレスビーやハイランド地方では不要。セピック川・フライ川流域ではマラリア予防薬の服用をお勧めする。またそれ以外の地域でも念のため服用をしたほうが確実だが副作用もあるため服用しない観光客も多い。その場合は虫除けスプレーや蚊取り線香、長袖・長ズボン、黒の洋服を着ないように徹底したい。
今回の旅行ではパプアニューギニア政府観光局の山田様、ニューギニア航空の鈴木様、そして文中にもお名前を出させていただいた現地にてご活躍中の皆様の御協力にて無事終えることができました。心より御礼申し上げます。
(2015年5月 橋本康弘)
- 菜の花紀行 北ドイツ ビールが飲めなくても楽しいメルヘンの旅
-
エリア:
- ヨーロッパ>ドイツ>ゴスラー
- ヨーロッパ>ドイツ>リューベック
- ヨーロッパ>ドイツ>ドイツその他の都市
- テーマ:世界遺産 グルメ 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/04 17:05
今回カタール航空さんのご招待で北ドイツを訪れました。ドイツと言えばライン川クルーズにノイシュバンシュタイン城が日本人観光客にとってはメジャーな場所ですが、ドイツの魅力はまだまだある、自然や中世の時代に触れてきました。
<ドーハ・ハマド新空港>
カタールのドーハ空港は昨年、ハマド新空港がお目見え。まだ建設途中の箇所もありますが、トランジットホテルやプール、スパ施設もある巨大な空港になりました。
トランジットホテル
空港内プール
空港内ジム
空港中央に鎮座している巨大な熊は本物のテディベアでン億円!王室がお買い求めになったものですが置き場に困り空港に設置されたそうです。王室は規模が違いますね。
空港はレストランエリアにフードコート、ショッピングエリアが充実していて乗継時間が過ごしやすい空間でした。
<ドイツ・ポーランド国境エリア>
ベルリン南東のリューベナウは大小約300の運河に囲まれた美しい水郷の町。その町があるシュプレ-バルト(ドイツ語でシュプレー川の森)はユネスコ生物圏保護区に指定されています。
ここでの人気アクティビティは運河クルーズ。船頭さんが漕ぐので船はゆっくり進んでいきます。ここではカヌーも借りられるので運河の地図を片手に気ままに巡るのも楽しそうでした。
この地域は野鳥保護区でもあるので、いろいろな野鳥のさえずりに癒され、森の緑や周辺のかわいい家々に日々の忙しさを忘れ、ほっとするひと時でした。
リューベナウはピクルスも有名な町。途中でピクルスとパンのセットを買うことができます。パンにはラードを塗るのが一般的とか。試してみるとしつこくなく、ピクルスとの相性も抜群です。
そして足を延ばして、ゲルリッツへ。中世の3500あまりの建造物が入念に修復された町並みはドイツで最も美しいとも言われます。かつては塩や麻の取引を営む取引所や商人の家でした。どこを歩いても絵になる街並みは映画「グランドブタペストホテル」のロケ地にもなりました。
ナイセ川の対岸はポーランドです。この日はお天気がよく、ポーランド料理に舌鼓をうちながらゲルリッツの風景を眺めるという贅沢なひと時を味わいました。
対岸はポーランド
スープとポーランド風餃子、ロールキャベツ
<バルト海を望むメクレンブルグ州〜ハンブルグへ>
ノイシュバンシュタイン城と並ぶ名城、シュベリーン城はバルト海に近い湖水地帯にあります。シュベリーン城は640部屋からなる華麗なお城で、そのうち図書室、玉座の間など26部屋が公開されています。美しい寄木細工でつくられた床や豪華な調度品、肖像画などに、当時の豪勢な暮らしぶりに目を奪われます。城内にはマイセン博物館も併設されているので、さらに豪華な食器にも注目です。
階下にはかつての温室(オランジェリー)がレストランとして利用されています。この時期はホワイトアスパラが旬ということで、いただきました。生ハムとあわせて絶品の一品です。
お城はお庭も素晴らしい。あいにくのお天気でしたが、花の色が一層引き立って華やかでした。
今回初めてSLに乗りました。SLが走っているのは北ドイツの町キュールングボルンからバート・ドーベラン。その名はSLモリー号です。電車とは違うのんびりとした乗り心地で、汽笛も旅情を誘います。車窓には菜の花畑や小麦畑が見え、一瞬ですがバルト海も見ることができます。ドイツに海のイメージはないですが、本当に北の方にいるんだなぁと実感できました。のんびり列車の旅は次々に違う景色を見せてくれるのでまったく飽きることなくあっという間の45分でした。
路面電車のように町中も走る
リューベックはSLの終点、バード・ドーベランから車で約1時間半。13〜14世紀のハンザ同盟の中心として繁栄した町です。まず目に付くのは旧市街の入り口にある町のシンボル、ホルステン門。どっしりとした二つの塔からなる城門です。
旧市街にはれんが造りの建物が多く残っていて、当時の様子が垣間見られます。町の中心のマルクト広場には市庁舎やマリエン教会、当時のハンザ商人たちの館が立ち並ぶ通りもあり、趣がある町になっています。この時は雨模様でしたが市が立っていてにぎやかでした。
マリエン教会の入り口近くにはかわいい悪魔のオブジェがあります。オブジェは新しいものですが、言い伝えによるとこの悪魔はお酒が大好きで、マリエン教会を建設するとき、この悪魔は酒屋ができると思って一生懸命手伝ったそうです。しかしできてみれば教会。怒った悪魔は教会を壊そうとしましたが、町の人々が周りに酒屋をいっぱい造るから、となだめたということです。さしずめドイツの酒呑童子(?)でしょうか。
そしてハンブルグへ。ハンブルグはドイツ最大の港湾都市で、こちらもハンザ同盟の有力都市でした。当時の町並みは戦争や火事でほとんど残っていませんが、ここはあのビートルズがクラブで演奏したという縁の町でもあります。
ハンブルグで一番古い路地(1189年)
ビートルズが訪れたというオールド・コマーシャル・ルームというレストランにはラブスカウスといういくつもの賞を名物料理があります。コンビーフ、ジャガイモ、玉ねぎを混ぜた料理は食べやすく、ビートルズも同じものを食べたかも、と想像するとさらにおいしく感じました。
ハンブルグの新しい人気スポット、倉庫街のれんがの建物の中に世界最大級の鉄道模型のジオラマワールドが広がるミニチュアワンダーランドがあります。10万点以上のミニチュアの世界がコンピューター制御され、鉄道やジオラマ好きな人はもちろん、そうでない人もこの精巧な世界に引き込まれること間違いなしです。
<ハルツ地方のメルヘンの町へ>
ハルツ地方は旧東西ドイツの国境地帯にあり、統一前は近づくことができない地域でした。現在は緑広がる丘陵地帯になっています。この地方で最も高い山は標高1142mのブロッケン山。標高は低いですが「ブロッケン現象」という自然現象の元になった山で、この現象がよく観測されたことが由来とされています。
その地域の古い歴史を残す2つの町、ゴスラーとヴェルニゲローデの旧市街はメルヘンいっぱいの町で、まるで童話の世界に迷い込んだようです。
どちらも旧市街はマルクト広場を中心に木組みの家々が並んでいます。町を散策するだけでも楽しい、どこを見ても絵になる町です。実際に住んでいる人たちは数年ごとに家の色を塗り直し(色を変更することは違法)、景観に努めているとのことですが、窓辺は通りを歩く人に向けて、かわいく飾り付けがされていて、この町に住む人々は楽しんで住んでいるんだな、と感じました。中には観光客向けに滞在できるホテル(京都で言う町屋滞在のようなもの)もあるとのことで、今度はゆっくりこの町に滞在したいと思いました。
ゴスラー
ヴェルニゲローデ
一番小さな家
傾いた家
この地方には魔女の伝説もあり、ブロッケン山では4月30日から5月1日にかけての夜、魔女たちが冬の終わりを祝って悪魔と饗宴を催すというものに由来して、町には魔女グッズもあります。顔はちょっと怖くてリアリティがありました。
ドイツには古城ホテルが数多くありますが、今回カッセル近郊のヴァルデックでドイツ最古の古城ホテル、ヴァルデックに宿泊しました。エーダーゼー湖を眼下に望むお城は堅固でまさに城塞。お部屋は現代にリノベーションされていて快適で、部屋からの眺望は最高です。
お城全景
今回は菜の花ベストシーズンに訪れましたが、葉の花だけではなく、春まっさかりであちこちでかわいい花を見かけました。
ドイツと言えば、のソーセージももちろん食してまいりました。
肉汁たっぷりでやっぱり本場はおいしい!
カレーソーセージ
緑と森の国ドイツは、目も心もお腹も大満足。ビールは飲めなくても大のお気に入りの国になりました。
お勧め度
リューベナウ ★★★★★
ゲルリッツ ★★★★
シュベリーン等北ドイツ ★★★★
ゴスラー&ヴェルニゲローデ ★★★★★
(2015年5月 平田真美)
- 「インドネシア女子旅☆ 〜5割ジャングル・4割遺跡・1割ビーチとバリ舞踊〜」
-
エリア:
- アジア>インドネシア>ジョグジャカルタ
- アジア>インドネシア>バリ島
- アジア>インドネシア>タンジュンプティン国立公園[カリマンタン島]
- テーマ:ビーチ・島 世界遺産 自然・植物
- 投稿日:2016/01/04 16:46
インドネシアといえば、なにが思い浮かぶでしょう。
ボロブドゥール遺跡、バリ島、ビーチ、白い砂浜、透明な海・・・
知識の乏しい私は、インドネシアの出張が決まってからそんなイメージしか思い浮かべられていませんでした。
しかし、いざ日程表を見ると、「ジャングル」の文字が・・・しかも、ボート泊!
ジャングルなんて行った事もなく、しいて行ったことがあるとすれば、夢の国のジャングルクルーズくらいだった私。
一体どんなものを持って行ったらいいのか分からず、一瞬頭の中をよぎった、世界ふしぎ発見の草野くん人形を想像しながら空港へと向かいました。
ジャカルタ1泊→カリマンタン島2泊→ジョグジャカルタ3泊→バリ1泊という9日間の行程でインドネシアを探検してきました。
●カリマンタン島●
日本からジャカルタまでは直行便でおよそ7時間。
この日は翌日のカリマンタン島へ向けジャカルタで1泊。
アマリスホテルは空港⇔ホテル間の送迎サービスがあり、空港からもラッシュ時を除けば10分足らずで着いてしまうので非常に便利です。
<2日目>
ジャカルタから国内線カルスターエアにてカリマンタン島へ移動し、そこからタクシーに乗って20分ほどでクマイ港に到着。
そこからボートに乗り換えて、いざ2泊3日のジャングルクルーズのはじまりはじまり。
今回宿泊するボートは2階建てで、2階にはテーブルとイス、ベッド、船の先端にはデッキチェアがあり、1階にはキッチン、バス&トイレ、洗面台、エアコン付きの寝室が備えられています。
意外にも設備がしっかりしていてびっくりしましたが、なにより驚いたのはこの船の乗客が私だけということ。
私以外に一緒に乗り込んだのは、私専用のガイドさん、コックさん、2人の操縦士さんのみです。
朝食は7時、ランチは12時、ディナーは19時。一応決まってはいますが、時間を変更してもらうことも可能ですし、またシャワーも好きなときに浴びられます。
また、乗客の人数に合わせてドリンクを積み込んでいるので、飲み物の心配もありません。
クマイ港を出発しておよそ1時間、船はスコニャール川に入ります。ここがタンジュン・プティン国立公園の入り口です。
この国立公園では、カリマンタン島とスマトラ島にしか生息していない野生のオランウータンをはじめ、カリマンタン島固有種のテングザル、クロコダイルをはじめとする希少動物の数々、その他多くの野生動物を観察することができます。
日が暮れるとあたりは真っ暗で唯一の光はボートの進行方向を照らすライトのみ。
川の両サイドには木々が生い茂っており、夜になるとホタルがたくさん集まる、クリスマスツリーのようなキラキラした木があちこちで見られます。
そのホタルの木のそばに船を停め、ディナータイム。
エンジンを止めると聞こえるのは、川のかすかな水の音と、野生動物たちの声。
電気をつけると虫が寄ってきてしまうので、キャンドルの灯りの中でご飯を食べます。
そしてディナーのあとは、デッキチェアに寝転がって星空鑑賞です。
プラネタリウムにでも来たかのような満天の星空で、視界に収まりきらない星達にうっとりするのでした。
<3日目>
6:00 エンジンのかかる音とともに起床。
朝食を食べながらキャンプ・リーキーに向けて2時間ほど船を走らせていると、
突然船が減速。ガイドさんが森の方を指差して「サル!サル!」と教えてくれました。
ピノキオみたいに鼻が長いおサルさんを見つけました。テングザルさんです。
セクシーな座り方。
ジャングルではこうした突然の遭遇が頻繁に起きるので、そのたんびにわくわくしっぱなしです。
ひとつめの村、タンジュンハラパンへ到着して歩いて15分ほどすると、オランウータンの餌付け場に着きます。
ベンチにて待機していると、待望の彼らがのこのこやってきてくれました。
バナナとミルクを勢いよくほおばり、ミルクが鼻に入っちゃった姿がなんとも愛おしい。
人慣れしているのもいれば、警戒して後ろを向いて食べているものもいたり。
オランウータンに触ることは禁止されているので、少し距離をあけての見学になりますが、それでも迫力は存分に伝わってきます。
見学後はぐるっと1周してボートへ戻り、ランチを食べながら次の村へ。
13:00 キャンプリーキーへ到着。
また20分ほど森の中を歩き、オランウータンの餌付け場へ行きます。
ガイドさんが大声で鳴き真似をすると、森のあちこちからオランウータンがやってきます。
親子連れも、ボスも、サルもいました。
ボートへ戻り、クマイ港に向かいつつ、本日の停泊所を探します。
●ジョグジャカルタ●
船は無事にクマイ港へ戻り、空港へ。
ジャカルタを経由してジョグジャカルタへ向かいます。
空港から車で約1時間30分、マノハラホテルに到着です。
ジョグジャカルタといえば、世界遺産のボロブドゥール遺跡。その遺跡内にある唯一のホテルがマノハラホテルです。
遺跡内を何度も行ったり来たりできるフリーパスもついているので、遺跡観光をどっぷり満喫したい人にとっては非常に便利です。
大人気のボロブドゥール・サンライズツアーの基点にもなっていて、ここからなら徒歩5分ほどで着いてしまうので、楽ちんです。
<5日目>
ボロブドゥールの日の出鑑賞のため、4時起床、5時出発。
まだ暗いので懐中電灯を持って遺跡内を歩きます。
5:30頃 若干霧がかっていながらも、美しいご来光を見ることができました。
朝日を迎えたあとは、いったんホテルに戻って朝食を取って、また遺跡観光へ繰り出します。
ボロブドゥールは無の世界の象徴と呼ばれ、回廊のレリーフはきめ細やかで繊細です。
修学旅行中の生徒たちとたわむれるの巻。
午前中みっちり観光したあとのお昼は、アマンジヲにてランチです。
世界中のセレブが泊まる超高級リゾート。遺跡のように森と一体化した造りになっており、ボロブドゥール寺院を模したデザインの建物が特徴です。一見近づきがたいですが、ランチのみ利用する人も多く、旅行者の間では話題のスポットになっているようです。
日本語のランチメニューの用意もあるので、なにを頼んだらいいか分からない〜なんてことにならず、安心です。
天気が良い日は遠くにボロブドゥール遺跡が見られるので、眺めも最高。
●ソロ●
今日はジャワ島中心部、日本でいう奈良のような街並みのソロへ向かいます。
ボロブドゥールからソロまでは車で2時間半ほどです。
1757年にソロ王国の、初代マンクヌゴロ王がオランダ植民地政府の力を借りて建設した、開放的なジャワ建築様式のマンクヌガラン王宮。
現在は博物館になっていて、王族が身に着けていた貴金属や装飾品など、幅広いコレクションが展示されています。
マンクヌガラン王宮のすぐそばにあるトリウィンドウ市場。
骨董品を扱う店舗がずらりと並んでいます。インドネシア伝統の木彫りの人形やアンティークがそろっていて、レトロなものがいっぱい。掘り出し物が見つかるかもしれません。
ジョグジャカルタラウ山(3,265m)の中腹にあるスクー寺院。
「性の結合」を象徴とするものが多数残っており、またの名をエロティック寺院ともいうそうです。
真ん中の細い階段は、産道を表してるんだとか。
●ジョグジャカルタ●
プランバナン遺跡は、かつてこの地を治めていた、ヒンドゥー教国マタラム朝と仏教王国シャイレンドラ王朝のふたつの文化が融合して建てられた世界文化遺産です。
中心寺院であるロロ・ジョングラン寺院には、破壊の神であるシヴァ、戦いと勝利の女神であるドゥルーガ、富の神様であるガネーシャの像がそれぞれ祀られています。
●バリ島●
旅の締めくくりはバリ島へ!
まずはクタから車でおよそ1時間。
タジュンベノアビーチでマリンスポーツ体験です。
更衣室、ロッカールームの設備はもちろん、ランチも食べられるとあって、
たくさんの旅行者で賑わっていました。また日本語スタッフや日本語を話せるスタッフがいるので、日本人にも人気のスポットになっています。
今回はジェットスキーとパラセーリングを体験しました。
そこから1時間30分ほどかけてウブドへ。
ウブドといえばライステラス。天気が良かったので、遠くまで見渡せましたが、
今の時期は稲を植えていないので、見ごろではないとのこと。
ウブドのビーチ沿いはお店がたくさんありますが、クタのレギャン通りは日本の原宿並みに栄えています。
ライステラスを眺めながらナシゴレンと、ミーゴレンを堪能したあとは、バリ舞踊のレッスンを受けます。
まずは伝統衣装に着替えます。
好きなデザインのものを自分で選んで、着付けしてもらったあとは、ヘアメイクをしてもらいます。
レッスン場はライステラスを見渡せる場所にあって、清清しさ満点です。
今回教わったのは、ペンネダンスというウェルカムダンスで、バリ舞踊の中で一番初心者向けの踊りです。
身体だけでなく目も動かしたり、あごを突き出したり、初歩的なダンスといっても難しかった・・・
ジャングル、遺跡、ビーチ、バリ舞踊。
インドネシアの魅力を120%堪能した旅でした☆
<キャンプリーキー>★★★★★
本物のジャングルクルーズを楽しみたい方には絶対絶対おすすめ!
<ボロブドゥール>★★★★
朝日を浴びるストゥーパは感動的。
<バリ舞踊レッスン>★★★★★
衣装もメイクもプロ仕様!女子におすすめです。
(2015年5月 酒井優紀)
ボロブドゥール遺跡、バリ島、ビーチ、白い砂浜、透明な海・・・
知識の乏しい私は、インドネシアの出張が決まってからそんなイメージしか思い浮かべられていませんでした。
しかし、いざ日程表を見ると、「ジャングル」の文字が・・・しかも、ボート泊!
ジャングルなんて行った事もなく、しいて行ったことがあるとすれば、夢の国のジャングルクルーズくらいだった私。
一体どんなものを持って行ったらいいのか分からず、一瞬頭の中をよぎった、世界ふしぎ発見の草野くん人形を想像しながら空港へと向かいました。
ジャカルタ1泊→カリマンタン島2泊→ジョグジャカルタ3泊→バリ1泊という9日間の行程でインドネシアを探検してきました。
●カリマンタン島●
日本からジャカルタまでは直行便でおよそ7時間。
この日は翌日のカリマンタン島へ向けジャカルタで1泊。
アマリスホテルは空港⇔ホテル間の送迎サービスがあり、空港からもラッシュ時を除けば10分足らずで着いてしまうので非常に便利です。
<2日目>
ジャカルタから国内線カルスターエアにてカリマンタン島へ移動し、そこからタクシーに乗って20分ほどでクマイ港に到着。
そこからボートに乗り換えて、いざ2泊3日のジャングルクルーズのはじまりはじまり。
今回宿泊するボートは2階建てで、2階にはテーブルとイス、ベッド、船の先端にはデッキチェアがあり、1階にはキッチン、バス&トイレ、洗面台、エアコン付きの寝室が備えられています。
意外にも設備がしっかりしていてびっくりしましたが、なにより驚いたのはこの船の乗客が私だけということ。
私以外に一緒に乗り込んだのは、私専用のガイドさん、コックさん、2人の操縦士さんのみです。
朝食は7時、ランチは12時、ディナーは19時。一応決まってはいますが、時間を変更してもらうことも可能ですし、またシャワーも好きなときに浴びられます。
また、乗客の人数に合わせてドリンクを積み込んでいるので、飲み物の心配もありません。
クマイ港を出発しておよそ1時間、船はスコニャール川に入ります。ここがタンジュン・プティン国立公園の入り口です。
この国立公園では、カリマンタン島とスマトラ島にしか生息していない野生のオランウータンをはじめ、カリマンタン島固有種のテングザル、クロコダイルをはじめとする希少動物の数々、その他多くの野生動物を観察することができます。
日が暮れるとあたりは真っ暗で唯一の光はボートの進行方向を照らすライトのみ。
川の両サイドには木々が生い茂っており、夜になるとホタルがたくさん集まる、クリスマスツリーのようなキラキラした木があちこちで見られます。
そのホタルの木のそばに船を停め、ディナータイム。
エンジンを止めると聞こえるのは、川のかすかな水の音と、野生動物たちの声。
電気をつけると虫が寄ってきてしまうので、キャンドルの灯りの中でご飯を食べます。
そしてディナーのあとは、デッキチェアに寝転がって星空鑑賞です。
プラネタリウムにでも来たかのような満天の星空で、視界に収まりきらない星達にうっとりするのでした。
<3日目>
6:00 エンジンのかかる音とともに起床。
朝食を食べながらキャンプ・リーキーに向けて2時間ほど船を走らせていると、
突然船が減速。ガイドさんが森の方を指差して「サル!サル!」と教えてくれました。
ピノキオみたいに鼻が長いおサルさんを見つけました。テングザルさんです。
セクシーな座り方。
ジャングルではこうした突然の遭遇が頻繁に起きるので、そのたんびにわくわくしっぱなしです。
ひとつめの村、タンジュンハラパンへ到着して歩いて15分ほどすると、オランウータンの餌付け場に着きます。
ベンチにて待機していると、待望の彼らがのこのこやってきてくれました。
バナナとミルクを勢いよくほおばり、ミルクが鼻に入っちゃった姿がなんとも愛おしい。
人慣れしているのもいれば、警戒して後ろを向いて食べているものもいたり。
オランウータンに触ることは禁止されているので、少し距離をあけての見学になりますが、それでも迫力は存分に伝わってきます。
見学後はぐるっと1周してボートへ戻り、ランチを食べながら次の村へ。
13:00 キャンプリーキーへ到着。
また20分ほど森の中を歩き、オランウータンの餌付け場へ行きます。
ガイドさんが大声で鳴き真似をすると、森のあちこちからオランウータンがやってきます。
親子連れも、ボスも、サルもいました。
ボートへ戻り、クマイ港に向かいつつ、本日の停泊所を探します。
●ジョグジャカルタ●
船は無事にクマイ港へ戻り、空港へ。
ジャカルタを経由してジョグジャカルタへ向かいます。
空港から車で約1時間30分、マノハラホテルに到着です。
ジョグジャカルタといえば、世界遺産のボロブドゥール遺跡。その遺跡内にある唯一のホテルがマノハラホテルです。
遺跡内を何度も行ったり来たりできるフリーパスもついているので、遺跡観光をどっぷり満喫したい人にとっては非常に便利です。
大人気のボロブドゥール・サンライズツアーの基点にもなっていて、ここからなら徒歩5分ほどで着いてしまうので、楽ちんです。
<5日目>
ボロブドゥールの日の出鑑賞のため、4時起床、5時出発。
まだ暗いので懐中電灯を持って遺跡内を歩きます。
5:30頃 若干霧がかっていながらも、美しいご来光を見ることができました。
朝日を迎えたあとは、いったんホテルに戻って朝食を取って、また遺跡観光へ繰り出します。
ボロブドゥールは無の世界の象徴と呼ばれ、回廊のレリーフはきめ細やかで繊細です。
修学旅行中の生徒たちとたわむれるの巻。
午前中みっちり観光したあとのお昼は、アマンジヲにてランチです。
世界中のセレブが泊まる超高級リゾート。遺跡のように森と一体化した造りになっており、ボロブドゥール寺院を模したデザインの建物が特徴です。一見近づきがたいですが、ランチのみ利用する人も多く、旅行者の間では話題のスポットになっているようです。
日本語のランチメニューの用意もあるので、なにを頼んだらいいか分からない〜なんてことにならず、安心です。
天気が良い日は遠くにボロブドゥール遺跡が見られるので、眺めも最高。
●ソロ●
今日はジャワ島中心部、日本でいう奈良のような街並みのソロへ向かいます。
ボロブドゥールからソロまでは車で2時間半ほどです。
1757年にソロ王国の、初代マンクヌゴロ王がオランダ植民地政府の力を借りて建設した、開放的なジャワ建築様式のマンクヌガラン王宮。
現在は博物館になっていて、王族が身に着けていた貴金属や装飾品など、幅広いコレクションが展示されています。
マンクヌガラン王宮のすぐそばにあるトリウィンドウ市場。
骨董品を扱う店舗がずらりと並んでいます。インドネシア伝統の木彫りの人形やアンティークがそろっていて、レトロなものがいっぱい。掘り出し物が見つかるかもしれません。
ジョグジャカルタラウ山(3,265m)の中腹にあるスクー寺院。
「性の結合」を象徴とするものが多数残っており、またの名をエロティック寺院ともいうそうです。
真ん中の細い階段は、産道を表してるんだとか。
●ジョグジャカルタ●
プランバナン遺跡は、かつてこの地を治めていた、ヒンドゥー教国マタラム朝と仏教王国シャイレンドラ王朝のふたつの文化が融合して建てられた世界文化遺産です。
中心寺院であるロロ・ジョングラン寺院には、破壊の神であるシヴァ、戦いと勝利の女神であるドゥルーガ、富の神様であるガネーシャの像がそれぞれ祀られています。
●バリ島●
旅の締めくくりはバリ島へ!
まずはクタから車でおよそ1時間。
タジュンベノアビーチでマリンスポーツ体験です。
更衣室、ロッカールームの設備はもちろん、ランチも食べられるとあって、
たくさんの旅行者で賑わっていました。また日本語スタッフや日本語を話せるスタッフがいるので、日本人にも人気のスポットになっています。
今回はジェットスキーとパラセーリングを体験しました。
そこから1時間30分ほどかけてウブドへ。
ウブドといえばライステラス。天気が良かったので、遠くまで見渡せましたが、
今の時期は稲を植えていないので、見ごろではないとのこと。
ウブドのビーチ沿いはお店がたくさんありますが、クタのレギャン通りは日本の原宿並みに栄えています。
ライステラスを眺めながらナシゴレンと、ミーゴレンを堪能したあとは、バリ舞踊のレッスンを受けます。
まずは伝統衣装に着替えます。
好きなデザインのものを自分で選んで、着付けしてもらったあとは、ヘアメイクをしてもらいます。
レッスン場はライステラスを見渡せる場所にあって、清清しさ満点です。
今回教わったのは、ペンネダンスというウェルカムダンスで、バリ舞踊の中で一番初心者向けの踊りです。
身体だけでなく目も動かしたり、あごを突き出したり、初歩的なダンスといっても難しかった・・・
ジャングル、遺跡、ビーチ、バリ舞踊。
インドネシアの魅力を120%堪能した旅でした☆
<キャンプリーキー>★★★★★
本物のジャングルクルーズを楽しみたい方には絶対絶対おすすめ!
<ボロブドゥール>★★★★
朝日を浴びるストゥーパは感動的。
<バリ舞踊レッスン>★★★★★
衣装もメイクもプロ仕様!女子におすすめです。
(2015年5月 酒井優紀)
- 雨の断崖絶壁とたくさんの花々に囲まれて。アイルランド・イギリスの旅
-
エリア:
- ヨーロッパ>アイルランド>コング
- ヨーロッパ>アイルランド>イニシュモア島[アラン諸島]
- ヨーロッパ>イギリス>コッツウォルズ
- テーマ:街中・建物・景色 歴史・文化・芸術 自然・植物
- 投稿日:2016/01/04 16:42
今回はアイルランドとイギリス2カ国を旅してきました。日本からオランダで乗り継いで約15時間で、最初の目的地ダブリンに到着。
スタイリッシュなダブリン空港を出て、バスで市内までが20分くらいです。
リフィ川沿いに洗練された街並みが並ぶ都会ですが、その中に歴史や伝統が詰まっています。
街のメインストリートはリフィ川の北に延びるオコンネル・ストリート。ランドマークであるオコンネル像から始まり、「光の尖塔」、立派な玄関の中央郵便局やショッピングセンターが並びます。
大きな見所の一つはイギリスのエリザベス1世が創設したアイルランド最古の大学、トリニティー・カレッジ。ここはアイルランドとイギリスで発行された本が納品される法定納品図書館、日本の国会図書館みたいなところで、300万を超える蔵書が収められています。なかでも「ケルズの書」は豪華な装飾が施された福音書なのですが、豪華すぎてケルト芸術の最高峰だとか、アイルランドの宝だと言われています。「ケルズの書」が展示されているロングルームは、映画「スター・ウォーズ」のジェダイ図書館のモデルにされました。
このトリニティー・カレッジの正門の向かいにあるアイルランド銀行は、かつてアイルランド自治議会の議事堂として使われていました。ここから南へ、おしゃれなショップが並ぶ人気のグラフトン・ストリートが続いています。歩行者天国になっている石畳みの通りで、バスカーズと言われるアーティストの出没スポットでもあります。アイルランドで老舗のチョコレート屋さんバトラーズのお店も。
夜はリフィ川の南側に広がるテンプル・バーに行ってみるのがオススメです。ギャラリーが点在するアートなエリアで、パブやカフェ、レストランがたくさんあります。もちろんアイルランド伝統料理も食べられるし、伝統音楽の生演奏があるパブもあれば、路上で演奏している人もいて、わいわいがやがやした通りです。ちなみに「バー」はぱっと思いつく意味のバーではなくて、土砂が堆積した砂州の意味です。
2日目はゴールウェイへ。まず市内からルアスという路面電車でヒューストン駅まで約5分。ルアスは5分おきくらいに走っていて、バス停にある自販機で簡単にチケットが買えるので便利。
ヒューストンからゴールウェイまでの電車はだいたい2時間に1本、車内販売もあり、コンセントまでついています!約2時間半でゴールウェイに到着です。
そんなに大きな街ではないので、1時間もあればぐるっと周れます。カラフルなお店の並ぶ通りや川沿いの遊歩道を歩くのが楽しい!ゴールウェイ大聖堂はちょっと歩いたところにあるけれど、ステンドグラスがとてもきれいです。
そしてもちろんゴールウェイにもバーがたくさんあり、港町なのでシーフードも美味しく頂けます。
幸せの指輪、クラダリングのお店も。ハートは愛、王冠は忠誠、手は友情を表していて、付け方によって意味が異なるそうです。
この町の港から、アラン諸島の一つ、イニシュモア島へ行ってきました。イニシュが島、モアが大きいを意味するゲール語で、この辺りでは日常会話としてゲール語が話されています。
アイルランドは1日のうちに四季があるといわれ、晴れかと思ったら、突然雨が降ったりして、割と曇り空が多いみたいです。この日も典型的なアイルランドのお天気で、朝からかなり雲行きが怪しい。イニシュモア島まではフェリーで1時間かからないくらいなのですが、天候が荒れると、乗客の気分が悪くなることを見越して、全員に袋が配られるそうです。でも今回は心配した程揺れずに到着。ただ雨と風が激しく、とても寒いです。島の住民もこのフェリーで買い物に出るそうで、大変ですね。
車で島をまわりつつ、ビジターセンターへ。
ここから断崖に面する古代遺跡ドン・エンガスまで歩きます。風雨が強くなってきて、足元が滑りやすいので、ちゃんとしたスニーカーで来なかったのを後悔。ようやく砦までたどり着くと、景色としては雨なので一面灰色でした。でも、腹這いになって断崖のギリギリに近づき、下を覗くと、思わず叫んでしまいました!すごい勢いで下から風が吹き上げてきます。しかもずっと下のほうでは岩に波が打ち寄せていて、冷たいのは雨なのか、波のしぶきなのか、何がなんだか分からなくなるような迫力でした。
ここは海面からの高さが80mくらいですが、さらに高いのがモハーの断崖。こちらは200mもの断崖絶壁になっていて、ここもすごい迫力がありそうです。
もし晴れていたら断崖の淵から一面に海が見渡せていたのでしょう。来る前はそれを楽しみにしていたのですが、むしろ雨でとても楽しかったです!
イニシュモア島からの帰りに、この辺りでギネスビールが1番美味しいというパブに行ってギネスデビューしてみました。ものすごくギネスに詳しい方と一緒だったのですが、彼女曰くここのギネスは街中のパブとは一味違うとのこと。ゆっくりと泡が上に溜まるのを待ってから飲んでみると、思ったより飲みやすく、ギネスが体にしみわたります。
でも私のお気に入りはホットウイスキー。お砂糖がはいっていて甘いんです。これにさらにコーヒーが入ったのがアイリッシュコーヒー。コーヒーなのにウイスキーが入っていて、砂糖もたっぷりで甘いという、なんとも不思議な飲み物です。
そういえば、ダブリンにはギネス・ストアハウスがあって、工場見学の後で試飲ができます。上の階がバーになっているので、思う存分飲むこともできます。
その後はコネマラ地方へ。ここにも見所がたくさんあり、よく見ると羊が点々としているマーンマウンテンや、緑豊かな湖畔に佇むカイルモア修道院をみながら、小さな小さな町コングへ。
10分くらいで歩いてまわれるほど小さくて、200人程の人が住んでいます。こんなに小さな町でも何軒かパブがあるのがアイルランドらしいところ。
今夜の宿はとてもチャーミングなアンさん夫妻のB&Bです。かわいらしい家具がちょこんと置かれ、静かでゆったりとくつろげます。朝はさらに静かで、近くのお庭や牧場でお散歩して、美味しい朝食を頂くのが、都会では決して味わえない贅沢な時間です。
まだまだアイルランドでゆっくりしたいところですが、今回はイギリスにも行って参りました。
コッツウォルズではハチミツ色のライムストーンで造られたかわいらしいお家が並びます。
ボートンオンザウォーターの町は小さな橋のかかった川沿いにカフェやレストランなどが並ぶ景色が美しく、とても人気があります。
静かな田舎町なのがチッピングカムデンやバイブリー。カースルクームでは屋根にアンテナを取り付けるのも禁止されています。
それぞれの町に、教会やガーデンなど見所がありますが、特に素敵だったのがヒドコットマナーガーデン。広大な敷地に様々な花や草木が咲き乱れ、エリアからエリアへ移動すると、景色が次々に変わり、まるで「不思議の国のアリス」の世界に迷い込んだよう。
ガーデンの外でも、ちょうどアブラナの花が咲く季節で、一面に色鮮やかな黄色の花畑が広がり、車窓からつい目で追ってしまいます。また細い道の両側の木の葉が上の方でつながって、緑のトンネルになっているところがたくさん。
さらに今回バンズリーハウスというマナーハウスに泊まってきました。ここのガーデンは園芸家のローズマリーさんが生前作り上げたお庭で、キレイな藤の花やイチイが石畳の両脇に並んでいます。広々としたスタイリッシュなお部屋からも、ガーデンを眺めることができます。
コッツウォルズからロンドンへ戻る途中、ストーンヘンジも見に行きました。あの中に入ってみたかったです・・・
ロンドンではタワーブリッジやウエストミンスター宮殿、バッキンガム宮殿など見所がたくさんあります!キングズクロス駅には映画「ハリーポッター」にでてくる9と3/4番線の入り口が再現されていて、記念撮影ができるようになっています。
大英博物館では本物のロゼッタストーンや日本に来たことのない展示品を目の前にして大興奮!古代エジプトのエリアの一部しか見て回る時間がありませんでしたが、エジプト好きの私にはたまらないひと時でした。
アイルランドもイギリスも、見所たっぷりの街と、自然豊かでかわいらしい田舎町がどちらも楽しめます。今回は特にお花の季節に行かれたので、カラフルなガーデンや色とりどりの花々を見ることができてとても幸運でした!次はもっとお庭やお花に詳しくなって、それから博物館もまだまだ見たりないので、また見に行こうと思います。
オススメ度
ダブリン ★★★★★・・・歴史や見所いっぱいのリフィ川沿いの都市
イニシュモア島 ★★★★★・・・アイルランドに行くなら必ず行きたいケルト文化の島
コング ★★★★・・・田舎で羊や自然を楽しめる
コッツウォルズ ★★★★★・・・ハチミツ色のおうちが並ぶかわいらしい町がたくさん
ロンドン ★★★★★・・・一度では回りきれないほど、見所が満載
(2015年5月 増田里沙)
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