記事一覧
21 - 25件目まで(25件中)
- 安心安全・そして美しいパレスチナを正しく理解する旅
-
エリア:
- 中近東>イスラエル>エルサレム
- 中近東>パレスチナ自治区>ベツレヘム
- 中近東>パレスチナ自治区>パレスチナ自治区その他の都市
- テーマ:観光地 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/04 16:16
パレスチナの視察旅行に参加させて頂いた。まず、パレスチナと聞いて何をイメージするか?昭和生まれの私にとって幼いころからの記憶ではいつも戦争をしている国。アトランダムに連想されるワードは難民、ゲリラ、PLO、過激派・・・・・そう、正直あまり良いイメージはない。友人や家族に行くことを伝えるとほとんどの人が危ない、行くな、というほど危険なイメージが定着している。残念ながら観光の情報がほとんど伝わってきていない。イスラエルとなるとエルサレム=聖地、ということで観光地としてのイメージは多少良く、社内の渡航経験者もとても安全で世界有数の楽しい国だと言う。世界の隅々まで商品を取り揃えているファイブスタークラブでもパレスチナが含まれたツアーは9本と相対的に取り扱いが少ない。そんな中でパレスチナ?なぜ今なの?という感じで旅が始まった。
パレスチナの歴史的背景
パレスチナを語るにはまず歴史的背景を理解することが必要。学校で習った筈だがきれいに忘れているので本やネットの記事を基に簡単にまとめてみる。
そもそもの経緯は約2千年前にまで遡る。
現在のイスラエルがある地中海東岸はユダヤ人にとって旧約聖書で神が与えた約束の地と書かれている土地。それを根拠にヨーロッパを中心に迫害を受けていたユダヤ人が王国を作って住んでいたがローマ帝国が領土拡大のため攻めてきたのでユダヤ人はバラバラに逃げていった。
その後ローマ帝国も衰退し今度はその場所にアラブ人が住むようになり、その土地がパレスチナと呼ばれるようになった。しかしアラブ人もオスマントルコ帝国に占領される状態が20世紀の初めのころまで続く。そしてその頃世界中に散ったユダヤ人がヨーロッパなどで迫害を受けパレスチナへ戻り始める。まだその頃は、両者は争うことなく暮らしていたが第一次世界大戦中、イギリスがアラブ指導者にはアラブ独立国家の樹立を、ユダヤ人指導者にはユダヤ民族の地を作るとそれぞれに約束した。この矛盾した約束こそが現在の混乱の元となっている。その後、米英主導でパレスチナを分断してユダヤ人とアラブ人の国を作ることが国連総会に提案され一方的な決議で分断が決定してしまう。これがユダヤ人国家であるイスラエルの誕生の経緯。この決議に対しパレスチナ人と周辺のアラブの国々が反発してイスラエルに進軍し、いわゆる第一次中東戦争が勃発、以降断続的に紛争が続く。第一次戦争でエジプトが攻め込んだのがガザ地区、ヨルダンが攻め込んだのがヨルダン川西岸自治区でこの2つの地域が現在のパレスチナ自治区と呼ばれている。その後アメリカの仲介で、両者の間で暫定自治に関する合意がなされパレスチナによるガザ地区などの暫定自治が始まったがイスラエル側はパレスチナ国家を認める気が無い。一方、独立国家の希望を持つパレスチナ人は裏切られた結果となり衝突し紛争が今日まで続く。現在パレスチナの中にもABC3つの地区が存在していてこれまた複雑。説明を聞いても頭が混乱してくる。
A地区はパレスチナ自治政府が行政権、警察権共に実権を握る地区。 いわゆる純粋な地区。
B地区はパレスチナ自治政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区。
C地区はイスラエル軍が行政権、軍事権共に実権を握る地区。
現在の危険度
今回訪問したのはヨルダン川西岸地区。ここでは現在、紛争等は起こっていない。
外務省の安全情報でベツレヘム、ラマッラー、ジェリコの3都市は十分注意してください、の
いわゆる危険度1のレベル。紛争というよりはイスラエル人とパレスチナ人のいざこざがたまに起きる程度でほとんどは入植地(イスラエル人がヨルダン川西岸地区に住宅を建設して入り込んできているエリア)の近くや分離壁の近くなのでツアーで通る幹線道路や街中で大変な事件が起きるということはないそうだ。しかも今回はJICAサイドでも安全に関しては十分に配慮してくれたのでとても安心だった。旅をして感じたことだが治安は良い。特に盗難トラブルはほとんどないらしい。観光客の人気はあるが盗難の多いヨーロッパの某有名都市に比べてよっぽど安心。のどかなパレスチナにはミサイルも銃声も叫び声もない。夜歩きも全く問題ないと体で感じる。24時間眠らない、おかしな犯罪が増えている今の日本に比べてはるかに安全かもしれない。
入国時のトラブルと注意
トルコ航空のイスタンブール乗換でテルアビブへ。まだトルコなのにテルアビブ行きだからだろうか、
ゲート前の航空会社の係員も厳しい目つきと威圧的な態度で質問をしてくる。
入国審査のハードルが高いことでも有名なイスラエル。
”審査官の質問には笑顔で簡潔に”のアドバイスを守り、1問1単語のリズムでサクサクと答える。
パレスチナに行くと言うととても面倒なことになるらしいのでそれは伏せてエルサレムに行くと伝える。予想通りかなり威圧的で感じが悪いがここは我慢我慢。余計なことをいっさいしゃべらなかったので意外に早く通り抜けた。尚、現在はパスポートにスタンプは押されなくなっている。写真が刷り込まれた入国カードがその場で発行される。
ちなみに記入する書類は無いのでその点では楽。
その後、荷物が出るのを待っていたらさっきの審査官が仲間を引き連れ私に何か話しかけてきている。どうやら後ろに並んでいた日本人と友人ではないかと言いだし、二人で何しに来たのか聞かせろ、といった体でパスポートを取り上げられ別室に連れて行かれた。一度入国したのに引き戻されるなんて前代未聞。そこには同じように難癖をつけられたであろう入国難の方たちが地べたに座って次の尋問の順番を待っていた。中には4時間近く待っているという、どう見たって普通のアメリカ人もいる。
もはやこれは嫌がらせとしか思えない。理由もなく1時間以上待たされているうち、どうでもよくなりこのまま帰りたい気分になった。しかし帰りの飛行機代はどうなるのかとか、この後の仕事もあるしそう簡単には引きかえせない・・・などと思っていたところ名前を呼ばれて別室で再審査。大した質問をされることもなく許可されようやく入国できたがこのロスタイムは一体何だったのか??
月の都 ヤシの木の都・ジェリコ
ベングリオン空港からは車で約2時間、最初の目的地ジェリコへ(ガイドブックではエリコと紹介されている)海抜マイナス260メートルと世界で最も低地に位置する、そして人が住む都市として地球上で最古の都市。
これだけでも観光地としての話題性は十分備えている。クレオパトラが所有していたという伝説でも有名で遺跡が豊富なパレスチナを代表する観光地。暖かい気候と豊かな水源からさまざまな果樹が育つ、ちょっと南国の雰囲気が漂うジェリコ。ここには大きく2つの観光ポイントがある。
まず最初に訪れたのがパレスチナ屈指の考古学遺跡で中東最大のモザイクの床が有名なヒシャム宮殿
8世紀にイスラム国家の指導者カリフが建てた宮殿跡で、地震で埋まったため保存状態が良く当時のままのモザイクが見られる。中でもきれいなのが生命の樹
生命のバランスを示す画でライオンとシカが描かれている。宮殿跡からはイスラム教が入りたての頃の建築様式やサウナ風呂の構造がわかるという点でも大変重要な遺跡である。他にも多くのモザイクが砂に埋もれているらしい。砂をどければもっと多く見られるそうだがもちろんそれにはお金がかかる。いずれ公開する計画があるらしいのでそうなれば3番目の世界遺産として申請するのだろうか?興味深い。
続いてテルアッスルターン
ジェリコの北西部にある古代遺跡で最も古くから人々が定住した古代都市の一つとして知られる。1万年も前の住居跡や4千年も前の城壁の跡などが残されていることが世界最古の都市と呼ばれる所以。
あまり保存状態が良くないのか、歴史的観光地としての風格が感じられず殺風景というのが正直な感想。深く掘られた地面からは何層にも渡って縞模様が見られるがその縞の数だけ町が滅ぼされその跡に再建されたことを物語っている、世界最古の階段や世界最古の井戸、巨大な防御塔などは紀元前7千年のものだと言われ、まさに歴史が積み重ねられているスポットでる。
遺跡の上を「悪魔に試みられた誘惑の山」へあがるロープウェイが通っている。
断崖に建てられた聖ジョージ修道院
渓谷ワディケルトは高く切り立った岩山に自然にできた亀裂でエルサレムからジェリコまで45kmの長さに及ぶ。
そのワディ渓谷の岩肌にへばりつくように建っている聖ジョージ修道院はギリシャ正教の修道院。
5世紀に建てられたものだがペルシャ軍がパレスチナに侵攻した時に破壊されたので現在の修道院は1901年にギリシャ正教会によって復元されたもの。
車は途中までしか入れない。車を降りてから山道を歩くことおよそ20分、上り下りが厳しく体力を要する。
ロバで行く方法もあるが誰も乗っていない。
遠目に見える修道院がどんどん近づいてくる、この迫る感じがイイ。
こんな山奥で、岩にしがみつくように断崖に建つその姿は感動的でパレスチナにもこんな凄いところがあることに驚いた。ここはこの旅における“意外な出会い”のひとつとなった。
中に入ると熱心な信者が大勢訪れていた。
死海体験
ジェリコ滞在の最後の楽しみはあの“死海“。もはや説明不要の不思議な塩湖。対岸にはヨルダンが見える。非常に短い時間であったが浮遊体験をしてみた。思ったよりあっけなく感動が少ない。
ミネラルが豊富で美容効果を求めてやってくる人が多く、水底の泥を体に塗りたくってみた。
それよりも死海あがりに飲んだビールが最高でペヤングソース焼きそばが食べたくなる。
世界遺産・バティールの段々畑
ベツレヘムの北西およそ7キロにあるバティール村には古代ローマ時代(約2千年前)に作られたといわれる段々畑や伝統的な灌漑システムが残っていてパレスチナの原風景が楽しめるスポット。
段々畑でオリーブやブドウなどが栽培されている。この村は2014年にパレスチナで
2番目に世界遺産に登録されたが同時に紛争や災害などの影響で保護が必要な危機にさらされている遺産リストにも登録されている。その登録のきっかけがイスラエルとの問題。
イスラエルがこの村を通ってテロ対策用とする分離壁の建設計画が持ち上がっていることが判明したためパレスチナ自治政府は早期に世界文化遺産に指定するよう要請を行った。なぜなら壁が出来てしまうと景観が破壊され地元の農民が過去数世紀にもわたって育ててきた畑に近付けない事態が生じる恐れがあるからだ。そんな訳ありの世界遺産であるが残念ながらとても世界遺産とは思えないほど地味な印象を受けた。昨年社員旅行で行ったフィリピンのバナウェイも同じ段々畑の世界遺産だがそれと比べると(比べてはいけないが)景観がかなり劣る。案内板もなく道にはゴミが数多く散らばっていて、失礼ながらその辺の田舎の村と何ら変わらない。でもその経緯と歴史を理解すれば合点がいくので今後の展開に期待したいと思う。
ベツレヘム・・イエス生誕の地
ベツレヘムにある聖誕教会はイエスが生まれた洞窟の上に建てられた教会で、
処刑されたエルサレム旧市街のゴルゴダの丘からおよそ10キロと非常に近くにある。
現在でも巡礼者や観光客があわせて年間2万人も訪れるベツレヘムを代表する観光地。
2011年にユネスコへの加盟が承認されたパレスチナが世界遺産に申請したところ、イスラエルが反対動議を提出した。しかしそれが却下されたのでアメリカが調査不十分という理由でさらに反対し、ユネスコへの分担金拠出を停止するほどもめた。結局は翌年パレスチナ初の世界遺産に登録されたがパレスチナとイスラエルの抗争などによって教会の維持や補修が進まない状況から、世界遺産登録と同時に危機遺産リストにも記載されている。
教会の入り口はメンジャー広場に面していてとても小さく『謙虚のドア』と呼ばれている。
大人一人がやっと入れる大きさだが中は天井も高くて広い。
階段を下りるとイエスが生まれた洞窟がある。そこに祭壇があるが小さいので見学するには順番待ちをしなければならない。祭壇の下には銀色の星の形をしたものが埋め込まれている。混み合っていたことと、何か撮影してはいけないような空気が充満していたのであまり詳細までおさめられなかった。
聖誕教会から歩いてすぐのところに伝説の教会“ミルクグロット”がある。
マリアが生まれたばかりのイエスと一緒にいる頃、天使から聖ヨセフにエジプトに逃げるようお告げがあった。ヨセフが出かける準備をした時にマリアを急かしたところ母乳が数滴こぼれ落ちて赤い地面が急にミルク色に染まったという不思議で可愛い伝説のある洞窟。この乳白色の美しい教会には子宝を望む女性が多く訪れるらしい。
ユニークな邸宅ホテル・DAR SITTI AZIZA HOTEL
ミルクグロットのすぐ近く、ロケーションが良い家族経営のブティックホテル
ホテルサイトの口コミ情報でもとても評判がよく最初に足を踏み入れた瞬間”おっ!”と声が出るくらいの感動がある。正確な年数は不明だが築年数は300年を超えており、まさに歴史を感じる宿。昔の邸宅を改造した部屋は全部で12。それぞれの部屋にテーマがありすべて造りが違うのが特徴。お婆ちゃんがあたたかく迎えてくれて、しかもおもてなしが行きすぎるくらい厚い。そんな家族の愛に囲まれ、自宅で寛ぐような体験をしたければぜひここに泊まることをお勧めする。
分離壁とストリートアート
分離壁とはイスラエル側がパレスチナ人の自爆テロを防止するという名目でヨルダン川西岸地区の境界に建設している壁。ところがその名目とは裏腹に、実際の分離壁は入植地を囲むために停戦ラインより内側に曲がりくねったように入り込んでいる。それはイスラエル側が入植地を恒久的な領土とするための既成事実化を目論んでいるとも言われている。さらに分離壁そのものがパレスチナ人の生活を分断して孤立させていることから壁の建設は国際的に不当な差別であると非難されている。2005年8月にバンクシーという世界でも有名な正体不明のイギリスのストリートアーチストが分離壁に9枚の絵を描いた。しかもイスラエルの治安部隊から威嚇射撃を受けながらも果敢に描いたらしい。
壁の絵は一か所ではなく分散しているのですべてを見ることはできないが今回は風船で壁を飛び越える少女の絵を見た。教えてもらわないと見逃してしまうようなサイズの絵。この絵の前にバンクシーのショップがあってTシャツなど様々なグッズが手に入る。
また分離壁ではなく町の中のガソリンスタンドの壁にあるこちらの絵も有名。
爆弾でなく花束を投げるシーンは衝撃的で迫力がある。このようにパレスチナ人の苦しみが表現された絵がいくつか点在していてとても興味深い。
これもこの旅における“意外な出会い”のひとつだった。
ホームステイもできる
ベツレヘム近郊にあるランドオペレーターのマネージャーのお宅訪問。
とても陽気で明るい性格の方なのできっと楽しいホームステイが体験できると思う。
一戸建でなくマンションだがかなり広く、ゲストを迎えられるようにツインベッドルームがしつらえてある。
テラスバルコニーは眺めも良く、バーベキューも出来るので家族や地元の人たちとのふれあいも可能。ホテルライフも良いがリアルにパレスチナライフが体験できるのでツアーにすれば面白い。
文化・娯楽・美食の都、ラマッラー
ベツレヘムから東へ15キロ、標高860メートルの丘にあるパレスチナの政治的首都
若者文化の発信地でもあり今回訪れた都市の中では最も都会で活気に満ち溢れている。
歩いていると地元の青年たちに一緒に写真を撮ってほしいと囲まれる。
それはそれでとても嬉しいが本音はあまり外では見かけない若いパレスチナ女子とおさまりたい。
ザハラン家の伝統家屋
19世紀に建てられた家屋で現在は博物館のようにパレスチナの歴史的資料が並べられているおみやげや。またイベントスペースとしても使われている。
ラマッラーにはパレスチナの歴史に名を刻んだ英雄たちが眠っている。
パレスチナに生涯をささげたアラファト議長のお墓
パレスチナを代表する詩人でパレスチナの独立宣言の起草者である
マフムードダルウィーシュの博物館など。
マルサバ修道院とキドロン渓谷
ベツレヘムの東、約15キロ、キドロン渓谷を望む荒涼とした岩山にある修道院。
カッパドキア出身の修道士、聖サバスが5世紀後半に建てた世界で最も古い居住型の修道院の一つで、今なお多くの修道士が住みついている。そもそも渓谷の洞窟の中で禁欲的な生活を送るのが目的であったため現在も女人禁制となっている。帰国してからネットでチェックすると、下から見た方が圧巻、ということがわかって残念・・・降りるのを忘れた。強く後悔している。
ラマッラー郊外のタイベー村
ヨルダン川西岸地域で唯一のキリスト教徒の村。その村にあるタイベービール工場を訪問した。
ここでは唯一のパレスチナ地ビール、タイベーが作られている。まずはビールを試飲しながらのDVD鑑賞だがちょっと造りが雑。映像こそ雑だがこのビールをあなどってはいけない。
それくらい美味い。ここに来るまでに何度か飲んでいるがそのクオリティの高さに惚れてしまう。
日本のビールに味が似ていていわゆる外国のビールという感じがしない。かなり研究されて作られたようだ。鑑賞後は社長自らのご案内によるとても簡単な作業工程見学。
小さな工場なのであっけなく終了してしまう。日本で行われたビールフェスティバルにも出展したことがあるらしくその質の高さは認められている。工場内には日本語で書かれた自慢ののぼりも飾ってある。
ホテルで飲むと350ミリで600円と割高、スーパーで買うと200円、味だけでなく価格も似ている。さらにこの父子はビジネスに貪欲で近所にホテルを経営している。ホテルのオープンは未だだが、中を案内してもらった。1階にはワイン工場も備えていてこっちも試飲。これも美味い。
なかなかやる・・・この父子
パレスチナの食事
新鮮な果物と野菜が美味しいパレスチナ。マーケットには多くの食材が並んでいてとても賑やか
短い滞在の中でも印象的な食べ物は、
・ファラフェル(コロッケ)・・・ひよこ豆で作るコロッケ。街中いたるところで揚げているので手軽に楽しめる。タイベービールがよくあう。
・マクルーベ(炊き込みご飯)・・・味付けがシンプルでたくさん食べても飽きない、日本人好みの味。
・シュワルマ(薄切りの肉)・・トルコのケバブと同じだが味は断然いい。このサンドイッチはどこでも手軽に食べられる。臭みがまったくなくてジューシー。
この3つがお勧めで他にも野菜がとても美味しい。
食事の値段は決して安くない、むしろ物価が高い。
それから街中のカフェならどこでもあるシーシャ。普段喫煙の習慣がない私でもこれはトライしたくなる
さらにこんな際どいお店も。真剣なパクリなのか?ただのシャレなのか?スタバをベツレヘムで発見!
パレスチナで出会った人々
皆さん明るくて愛想が良いのが非常に印象的。街ですれ違う人たちの人たちも笑顔で挨拶を
返してくれる、そんな温かみのあるパレスチナ。
観光振興のプロジェクトとしてJICAが力を入れているツーリズムのいくつかも見学・体験させて頂いたので紹介したい。
モザイクグループ
ベドウィンテント体験
女性支援の刺繍製品
バードリングステーション
ベツレヘムフェアートレードアルチサン
失礼ながら観光素材としては物足りなくお客には伝わりにくく、まだまだ努力が必要という印象を受けた。今すぐビジネスとして捉えるには厳しいが、こういった人たちの努力を私たちツーリズムが積極的に協力して盛り上げていかなければならない。
それから今回は視察旅行なので、現地の観光に携わっている皆さんとの意見交換会や観光大臣を表敬訪問
などに数少ない日本代表(?)として出席させていただき非常に光栄であった。
美しい朝
今回の旅行では多くの方に出会い、とてもお世話になりました。
出発前の期待を大きく裏切る、素晴らしい機会を下さったことに厚くお礼申し上げます。
これからは考えを改め、安心、安全で美しいパレスチナを多くの日本人に伝えていきます。
最後にパレスチナのサンライズショットでマアッサラーマ!
スタッフおすすめ度
★★★ヒシャム宮殿・・・宮殿中庭のオブジェとモザイク(生命の木)が見どころ。
★★★★聖ジョージ修道院・・・岩にへばりつく姿が美しい、ギリシャ正教会の修道院。
★★★★★聖誕教会・・・キリストが生まれた、世界中から注目する必見の教会。
★★★★★ベツレヘム近郊の分離壁・・・ゆっくり時間をかけて1枚でも多くの絵を見つけたい。
★★★★タイベービール・・・ビール好きな人に飲んで欲しい、絶妙な味わい。
(2015年4月 櫻本竜一)
- 「旅猿に始まり、ハマムに終わる。平和すぎるトルコの虜になった9日間」
-
エリア:
- 中近東>トルコ>イスタンブール
- 中近東>トルコ>カッパドキア
- 中近東>トルコ>トルコその他の都市
- テーマ:世界遺産 歴史・文化・芸術 温泉・露天風呂
- 投稿日:2016/01/04 16:10
「俺、渋谷にあったら通う!!」
東野幸治はそう言った。
「あなたがそう言うのであれば、私も通う!!」
東野もとい、旅猿信者の私はそう思った。
旅猿とは東野幸治と岡村隆史による、人気旅行バラエティ番組の愛称であるが、その番組のトルコ旅編を見て、密かにずっと行きたいと願っていた国トルコ。
大好きな東野が絶賛していた「ハマム」とは一体どんなものなのか。
そんなトルコに、今のタイミングで出張の機会が訪れた。
中東情勢が不安視され、お客様の足も少し遠のいている今、周りに心配されまくりながら、ハマムと東野幸治で頭がいっぱいな私を乗せて、イスタンブールまで直行約12時間の楽々フライトなトルコ航空は出発した。
そんなミーハーな気持ちで出発したトルコから帰国し、私が今お伝えできること。
「トルコめっちゃ平和!ハマム最高!!モスクに住みたい!!!」
気を引き締めて出発したはずが、トルコにメロメロになり、ハマムでだるだるになって帰ってきた今回の旅、ハマムにしか期待していなかった私を大いに裏切ってくれたトルコの魅力にみなさまも是非会いに行ってみてください!
今回、トルコ旅行王道のカッパドキア・イスタンブールに加え、オスマン帝国歴代の都、ブルサ・エディルネを訪れましたが、全体的な感想として、本当に平和。
日本のニュースで流れているような緊張感は全くありませんでした。9日間の旅程の中、日本人観光客にはほとんど出会いませんでしたが、中国やヨーロッパの方などたくさんの観光客で賑わっており、なーんだと肩透かしをくらいました。
海外旅行に付きもの(?)のスリもトルコには少ないらしく、本当にこんなに安心して良いものかと思うぐらい、ゆったりと観光することができました。
カッパドキアでは山ほど乱立している奇岩に圧倒され、ガイドさんが説明する岩の名前の由来を聞いても、いまいち想像力にかける私は頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら岩を眺め続けることに。
昔からこの岩を利用して人々は住んでいたのに、今は岩住居に住むには税金をたくさん支払わなくてはいけないらしく、ほとんどホテルやレストランとなってしまっているそうです。なんだか寂しいですね。
そして、カッパドキアと言えば、バルーンに乗り上空から奇岩たちを見下ろすオプショナルツアーが人気ですが、強風により中止となることが結構あるそうです。
以前はバルーン会社が自身で催行するかどうかを決めていましたが、今は政府が風の強さを調べて決定するので、催行率は五分五分程度。
一週間連続で飛ばない時などもありますので、予めご了承の上、ご出発いただければと思います。
元々高所恐怖症の私には絶対無理なので、下から眺めるだけに留めておきましたが、もしバルーンに乗れなかったとしても、地上からでも十分楽しめるので大丈夫です。
そしてついに時は訪れた。
出張に行かせてもらっている身として、大きな声では言えないが、私はこれを体験するために大嫌いな飛行機での13時間ものフライトに耐えたと言っても全く過言ではない。
そう、私的この旅一番のメインイベント、ハマム!!!!
※写真撮影は禁止されているので、私のつたない文章でご想像ください※
ハマムではまず、渡されたスリッパを履き、水着の上から布を巻きます。
(ハマムは水着着用でないと入れないところがほとんどなので、必ず忘れずにお持ちください)
そして番号札を渡され、いざ浴室へ足を踏み入れた瞬間に私の目を奪ったのは、口からお湯を噴出している立派なライオンでも、星形にくり抜かれている見事なアーチ状の天井
でもなく、中央の大理石の上にゴロゴロと並ぶ、ナイスバディなお姉さんのアワアワ裸体であった。
「え?!公開処刑!?水着の意味は!?」
目をそらすこともできずに凝視していると、どうやらみんな下の水着は履いているようである。そうか。下はだめだけど、上は良いのか。
しかし、10人ほどだろうか、肌の色も年齢も体型も様々な女性が並ぶその様は、何と言うか圧巻で、日本の銭湯とは全く違った趣がある。酒池肉林という言葉が頭をかすめる。
そしてよく分からないまま、お姉さんたちに囲まれドキドキしながら、石の上でゴロゴロと順番を待ち、ついに私のターンが回ってきた。
「こんな貧相な体ですみません」と思う間もなく、アカスリおばちゃんにコロンと転がされる。
おおっ、と思う間もなく、うつぶせにされ早速アカスリスタート。
「うっ・・、ぐぅ・・・」かなりの力に押され、口からはうめき声が漏れる。
これは・・・痛い・・・。
いや?・・・おやおや、これは・・・・痛気持ちいい!!!
痛みから快感に変わるまで約10秒。痛気持ちいいという新境地に足を踏み入れ、ついうとうとしそうになる。石鹸も何もつけず背中から足の指まで丹念にアカスリをしてくれるので、終わった後には肌が赤くなりますが、本当にびっくりするぐらいツルピカになります。
ひっくり返され、全面もガシガシと擦られた後「はい、アップ!」と言われ、夢うつつで起き上がり、ギョッとする。
「おお・・垢太郎」と、懐かしの日本昔話が一瞬頭をかすめる程の量の垢が取れていた。
「これ、ノーマル?」と恐る恐る聞く私に、「初めてでこれならグッドグッド!」というアカスリマスター。
・・それはどっちの意味で?
その後、顔もガシガシと擦られ、ライオンが口からお湯を噴出す部屋に連れて行かれたかと思うと、息継ぎもできない勢いでお湯をバッシャバッシャかけられる。そして息も絶え絶えで大理石に戻ってくると、今度はどっから持ってきたのか大量の泡でマッサージが始まる。
これがまた超絶気持ちいい。アワアワの全身マッサージを受け、お姫様気分を味わっていると、また水かけ室に連れて行かれ、お姫さまから一転、拷問のようなお湯かけ祭りを味わい、ハマム体験は終了となる。
ハマムが終わった後は大理石の空いているところでゴロゴロしてゆっくりするもよし、上がってチャイを飲むもよし、未だかつてないくらいツルピカな体をなでまくるもよし、大満足のハマム体験であった。
ハマムにメロメロになった私は結局現地滞在7日間の間に2回ハマムに行った。いや、本当はもっと行きたかったが時間と財布が許してくれなかった。
そう、ハマムは意外と高い。現地の人いわく、最近高くなってきたらしい。
現地の人向けのハマムであれば、ある程度安い所もあるようですが、やっぱり貴重品の管理やセクハラが心配であれば、ガイドブックなどに載っている観光客向けのハマムがお勧めです。
今回私が訪れたイスタンブールにあるチェンベルリタシュ・ハマムは、セリミエ・ジャーミーを設計した天才建築家により建てられており、その素晴らしい建築をみるだけでも価値があります。深夜出発便を利用されるのであれば、ご出発前にハマムでピカピカになるのもいいかも。
そして今回、ハマムの他に私が心を奪われたもの、それがモスク。
私は宗教が大好きで、今までヒンドゥー教や仏教の聖地を訪れてきたが、今回初めてイスラム教の国を訪れ、あっという間にモスクが大好きになった。
ドームの数や大きさ、ミナレットの本数は違えど、どのモスクも目を見張るほど美しい。中に入るにはタンクトップや短パンは許されず、女性はスカーフで髪を隠す必要がありますが、イスラム教徒以外の人のために、どのモスクも入り口にスカーフやスカートなどが置いてあり、無料で貸してくれるので、心配無用。
ただ、置いてあるのはなかなかダサい柄が多いので、もし可愛く写真を撮りたいのであれば、スカーフは持参した方が良いかもしれません。
数あるモスクの中でも、一番気に入ったのが、エディルネにあるセリミエジャーミー。モスクでは基本的に一日五回のお祈りの時間には、観光客立ち入り禁止になるのですが、セリミエジャーミーは隅っこの方であれば観光客もお祈りの時間を見学することができます。
ここはトルコが誇る、偉大な建築家ミナール・スィナンの設計で、アヤソフィアよりわずかに大きいドームは、いくら見ても飽きることなく、気づけば隣にいたガイドもいなくなり、1時間ほど体育座りで見とれてしまっていました。
今回の旅で、山ほどモスクを見ましたが、ドームはいくら見ても飽きることなく、お祈りをする人の姿は美しく、もう住みたくなる程どのモスクも素敵。
旅猿に憧れ出発した今回の旅、トルコの人の好さに心打たれ、モスクの美しさに心打たれ、ハマムのおばちゃんの技に心打たれ、心身ともにとても充実した旅となりました。
案ずるより産むが易し。
トルコでは今も変わらず、素敵な笑顔と、素晴らしいモスク、可愛いにゃんこちゃん達が皆様をお待ちいたしております。
是非、次回の旅の候補にしてみてはいかがでしょうか。
ハマム ★★★★★
トルコに来たなら是非試して欲しい、おもしろ体験!
サバサンド ★★★★★
旅猿でも絶賛されていたローカルフード。何故日本に無いのか不思議なくらい美味しい。
カドキョイ ★★★
アジア側のトルコ。観光地っぽくないので、トルコっ子になった気分に。
2015年4月 大野史子
東野幸治はそう言った。
「あなたがそう言うのであれば、私も通う!!」
東野もとい、旅猿信者の私はそう思った。
旅猿とは東野幸治と岡村隆史による、人気旅行バラエティ番組の愛称であるが、その番組のトルコ旅編を見て、密かにずっと行きたいと願っていた国トルコ。
大好きな東野が絶賛していた「ハマム」とは一体どんなものなのか。
そんなトルコに、今のタイミングで出張の機会が訪れた。
中東情勢が不安視され、お客様の足も少し遠のいている今、周りに心配されまくりながら、ハマムと東野幸治で頭がいっぱいな私を乗せて、イスタンブールまで直行約12時間の楽々フライトなトルコ航空は出発した。
そんなミーハーな気持ちで出発したトルコから帰国し、私が今お伝えできること。
「トルコめっちゃ平和!ハマム最高!!モスクに住みたい!!!」
気を引き締めて出発したはずが、トルコにメロメロになり、ハマムでだるだるになって帰ってきた今回の旅、ハマムにしか期待していなかった私を大いに裏切ってくれたトルコの魅力にみなさまも是非会いに行ってみてください!
猫好きにはたまらない、猫だらけの国
今回、トルコ旅行王道のカッパドキア・イスタンブールに加え、オスマン帝国歴代の都、ブルサ・エディルネを訪れましたが、全体的な感想として、本当に平和。
日本のニュースで流れているような緊張感は全くありませんでした。9日間の旅程の中、日本人観光客にはほとんど出会いませんでしたが、中国やヨーロッパの方などたくさんの観光客で賑わっており、なーんだと肩透かしをくらいました。
海外旅行に付きもの(?)のスリもトルコには少ないらしく、本当にこんなに安心して良いものかと思うぐらい、ゆったりと観光することができました。
地下宮殿の逆さまメデューサ
夜のブルーモスク
お土産に是非買いたいトルコランプ
カッパドキアでは山ほど乱立している奇岩に圧倒され、ガイドさんが説明する岩の名前の由来を聞いても、いまいち想像力にかける私は頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら岩を眺め続けることに。
ラクダ岩?
ナポレオンの帽子岩??
オットセイ岩???
昔からこの岩を利用して人々は住んでいたのに、今は岩住居に住むには税金をたくさん支払わなくてはいけないらしく、ほとんどホテルやレストランとなってしまっているそうです。なんだか寂しいですね。
そして、カッパドキアと言えば、バルーンに乗り上空から奇岩たちを見下ろすオプショナルツアーが人気ですが、強風により中止となることが結構あるそうです。
以前はバルーン会社が自身で催行するかどうかを決めていましたが、今は政府が風の強さを調べて決定するので、催行率は五分五分程度。
一週間連続で飛ばない時などもありますので、予めご了承の上、ご出発いただければと思います。
元々高所恐怖症の私には絶対無理なので、下から眺めるだけに留めておきましたが、もしバルーンに乗れなかったとしても、地上からでも十分楽しめるので大丈夫です。
バルーンの交通渋滞
そしてついに時は訪れた。
出張に行かせてもらっている身として、大きな声では言えないが、私はこれを体験するために大嫌いな飛行機での13時間ものフライトに耐えたと言っても全く過言ではない。
そう、私的この旅一番のメインイベント、ハマム!!!!
※写真撮影は禁止されているので、私のつたない文章でご想像ください※
ハマムではまず、渡されたスリッパを履き、水着の上から布を巻きます。
(ハマムは水着着用でないと入れないところがほとんどなので、必ず忘れずにお持ちください)
そして番号札を渡され、いざ浴室へ足を踏み入れた瞬間に私の目を奪ったのは、口からお湯を噴出している立派なライオンでも、星形にくり抜かれている見事なアーチ状の天井
でもなく、中央の大理石の上にゴロゴロと並ぶ、ナイスバディなお姉さんのアワアワ裸体であった。
「え?!公開処刑!?水着の意味は!?」
目をそらすこともできずに凝視していると、どうやらみんな下の水着は履いているようである。そうか。下はだめだけど、上は良いのか。
しかし、10人ほどだろうか、肌の色も年齢も体型も様々な女性が並ぶその様は、何と言うか圧巻で、日本の銭湯とは全く違った趣がある。酒池肉林という言葉が頭をかすめる。
そしてよく分からないまま、お姉さんたちに囲まれドキドキしながら、石の上でゴロゴロと順番を待ち、ついに私のターンが回ってきた。
「こんな貧相な体ですみません」と思う間もなく、アカスリおばちゃんにコロンと転がされる。
おおっ、と思う間もなく、うつぶせにされ早速アカスリスタート。
「うっ・・、ぐぅ・・・」かなりの力に押され、口からはうめき声が漏れる。
これは・・・痛い・・・。
いや?・・・おやおや、これは・・・・痛気持ちいい!!!
痛みから快感に変わるまで約10秒。痛気持ちいいという新境地に足を踏み入れ、ついうとうとしそうになる。石鹸も何もつけず背中から足の指まで丹念にアカスリをしてくれるので、終わった後には肌が赤くなりますが、本当にびっくりするぐらいツルピカになります。
ひっくり返され、全面もガシガシと擦られた後「はい、アップ!」と言われ、夢うつつで起き上がり、ギョッとする。
「おお・・垢太郎」と、懐かしの日本昔話が一瞬頭をかすめる程の量の垢が取れていた。
「これ、ノーマル?」と恐る恐る聞く私に、「初めてでこれならグッドグッド!」というアカスリマスター。
・・それはどっちの意味で?
その後、顔もガシガシと擦られ、ライオンが口からお湯を噴出す部屋に連れて行かれたかと思うと、息継ぎもできない勢いでお湯をバッシャバッシャかけられる。そして息も絶え絶えで大理石に戻ってくると、今度はどっから持ってきたのか大量の泡でマッサージが始まる。
これがまた超絶気持ちいい。アワアワの全身マッサージを受け、お姫様気分を味わっていると、また水かけ室に連れて行かれ、お姫さまから一転、拷問のようなお湯かけ祭りを味わい、ハマム体験は終了となる。
ハマムが終わった後は大理石の空いているところでゴロゴロしてゆっくりするもよし、上がってチャイを飲むもよし、未だかつてないくらいツルピカな体をなでまくるもよし、大満足のハマム体験であった。
ハマムにメロメロになった私は結局現地滞在7日間の間に2回ハマムに行った。いや、本当はもっと行きたかったが時間と財布が許してくれなかった。
そう、ハマムは意外と高い。現地の人いわく、最近高くなってきたらしい。
現地の人向けのハマムであれば、ある程度安い所もあるようですが、やっぱり貴重品の管理やセクハラが心配であれば、ガイドブックなどに載っている観光客向けのハマムがお勧めです。
今回私が訪れたイスタンブールにあるチェンベルリタシュ・ハマムは、セリミエ・ジャーミーを設計した天才建築家により建てられており、その素晴らしい建築をみるだけでも価値があります。深夜出発便を利用されるのであれば、ご出発前にハマムでピカピカになるのもいいかも。
そして今回、ハマムの他に私が心を奪われたもの、それがモスク。
私は宗教が大好きで、今までヒンドゥー教や仏教の聖地を訪れてきたが、今回初めてイスラム教の国を訪れ、あっという間にモスクが大好きになった。
ドームの数や大きさ、ミナレットの本数は違えど、どのモスクも目を見張るほど美しい。中に入るにはタンクトップや短パンは許されず、女性はスカーフで髪を隠す必要がありますが、イスラム教徒以外の人のために、どのモスクも入り口にスカーフやスカートなどが置いてあり、無料で貸してくれるので、心配無用。
ただ、置いてあるのはなかなかダサい柄が多いので、もし可愛く写真を撮りたいのであれば、スカーフは持参した方が良いかもしれません。
幼稚園生みたいなイスラム教ルックに変身
数あるモスクの中でも、一番気に入ったのが、エディルネにあるセリミエジャーミー。モスクでは基本的に一日五回のお祈りの時間には、観光客立ち入り禁止になるのですが、セリミエジャーミーは隅っこの方であれば観光客もお祈りの時間を見学することができます。
ここはトルコが誇る、偉大な建築家ミナール・スィナンの設計で、アヤソフィアよりわずかに大きいドームは、いくら見ても飽きることなく、気づけば隣にいたガイドもいなくなり、1時間ほど体育座りで見とれてしまっていました。
今回の旅で、山ほどモスクを見ましたが、ドームはいくら見ても飽きることなく、お祈りをする人の姿は美しく、もう住みたくなる程どのモスクも素敵。
旅猿に憧れ出発した今回の旅、トルコの人の好さに心打たれ、モスクの美しさに心打たれ、ハマムのおばちゃんの技に心打たれ、心身ともにとても充実した旅となりました。
見てたらケバブを食べさせてくれたおっちゃん
オスマン帝国のマーク
「モスクナウ」とフェイスブックにアップするおっちゃん
ジャパニーズスタイルの礼拝で現地の人の失笑を買う
案ずるより産むが易し。
トルコでは今も変わらず、素敵な笑顔と、素晴らしいモスク、可愛いにゃんこちゃん達が皆様をお待ちいたしております。
是非、次回の旅の候補にしてみてはいかがでしょうか。
フェフミベイ屋上にて
ハマム ★★★★★
トルコに来たなら是非試して欲しい、おもしろ体験!
サバサンド ★★★★★
旅猿でも絶賛されていたローカルフード。何故日本に無いのか不思議なくらい美味しい。
カドキョイ ★★★
アジア側のトルコ。観光地っぽくないので、トルコっ子になった気分に。
2015年4月 大野史子
- 「南エジプトの魅力を探る!ピラミッドだけじゃないエジプト」
-
エリア:
- アフリカ>エジプト>アブシンベル
- アフリカ>エジプト>シャルムエルシェイク
- テーマ:ビーチ・島 世界遺産 歴史・文化・芸術
- 投稿日:2016/01/04 16:06
ピラミッドとラクダと私
ラクダちゃん
今回、エジプトへ行く機会を得た。エジプトといえばピラミッド、ピラミッドといえばエジプトだが意外にも私は南エジプトのアブシンベルに惹かれてしまった。そういうわけで今回はアブシンベルを中心に紹介したい。
カイロのハンハリーリ市場
<アブシンベル>
ルクソール、カイロは言うまでもなく必ず訪れていただきたいところだが、時間が許せばぜひとも訪れていただきたいのが、アブシンベルにあるアブシンベル大神殿だ。アブシンベルは距離としてはルクソールから車で8時間ほどだが、おすすめはカイロから一旦アスワンまで南下し、そこから寝台列車で訪れる方法だ。エジプトの寝台列車は清潔で、旅情たっぷりなのでぜひとも経験してみたい。
アブシンベルにははっきり言って見所はアブシンベル神殿くらいであるため、日帰りで訪れる観光客も大変多い。実際私が訪れたときは、観光客が私1人だけであり、アブシンベルの大きな楽しみの1つといっていい夜の音と光のショーが不催行になってしまった。
このショーは観光客10人が集まれば催行されるもので、もちろん私1人で10人分のショーの料金を払えばショーを見ることができ、しかもそのショーを1人占めすることができるというからすごく迷ったが、当然そんなお金の余裕はなく、その日はなくなく断念したのだった。
だがショーが見られなかったからといってアブシンベル観光が台無しになったわけではなく、ここで強く訴えたいことはアブシンベルは日帰りでは持ったいない場所ということだ。アブシンベル大神殿観光のもう1つの楽しみ、宿泊しなければみることができない、日の出鑑賞が翌朝に待っている。
アブシンベル大神殿の向かいにはナセル湖という湖があり、太陽はナセル湖から上がってくる。太陽が上がるにつれて、暗闇に沈み灰色だったアブシンベルが青紫、紫、薄紫と色を変えていく姿は大変美しい。しかも観光客は私1人だったため、その日の出を独り占め。非常に贅沢な思いをした。アブシンベル神殿の前には、ラメセス2世の巨像が4体、ナセル湖に向かって座っている。私は日の出を前にして、像たちがここに座ってから毎朝みた日の出、その3,300年に思いを馳せた。音と光のショーを見ることが出来ればなお良かったが、朝のアブシンベル大神殿の様子はとても特別なものに思えた。ここに来て本当に良かったと思った。
ナセル湖
ナセル湖の日の出
アブシンベル神殿
アブシンベル大神殿は、日があがりきって色がすっかり砂のオレンジ色になってしまってもその魅力を失わない。大神殿の内部で1番印象的だったものは、大神殿の奥に並んで座っている、4体の神像だ。その4体の神像はもはやかろうじて人の形を保っていて、神殿の外の4体のラメセス2世のような繊細なレリーフもなく、パツとみて引き付けられるような印象もない。たが、そのかろうじて人の形をたもっている神像の石が、日本にまだ影も形もなかった3300年前からこんな薄暗いところに座って、ここで起きた全てのことを見ていたのだなぁと考えたとき、その途方もない時間の長さを前に立ち尽くしてしまう。
ラメセス2世
ラメセス2世の足元にある繊細なレリーフ
奥に少し見えるのが4体の神像
さて、アブシンベル大神殿の横には、アブシンベル小神殿がある。ラメセス2世が王妃のネフェルタリのために建造した神殿である。アブシンベル神殿のすぐ隣にちょこんと佇み、少し小さめなのが女性的で愛らしい。最初に入ったアブシンベル大神殿ですっかり魅せられてしまった私だが、アブシンベル小神殿の前に立ったときにはもうすぐに入りたい!と思ってしまったものだ。何だかすごく愛らしい。小神殿のほうが女性は好むかもしれない。小神殿はそんな佇まいである。
中にある列柱にはネフェルタリの大きなレリーフがいくつもある。写実的ではなくキャラクターのように掘られた可愛らしいネフェルタリは必見だ。
アブシンベル小神殿
ラメセス2世とネフェルタリ
<シャルムエルシェイク>
エジプトは砂漠と遺跡ばかりではない。世界でも有数のダイビングスポットもある。
それがシャルムエルシェイクだ。シャルムエルシェイクはカイロから飛行機で1時間ほどで到着する。シャルムエルシェイクは不思議な街で、まっすぐな1本道が街に何本も通っていてその道に沿ってホテルが林立している。海まではホテルのシャトルバスを利用するか、オプショナルツアーに参加して海へいくことができる。
シャルムエルシェイク街の様子
売店がちょくちょくある
ラス・モハメッド国立公園
シャルムエルシェイクでは初心者でダイビングスポットに行ってシュノーケリングなどで美しい海を満喫することができる。私はそのオプショナルツアーにも参加したが、今回ご紹介したいのは4輪バギーで砂漠を駆け巡る、海ではなく砂漠でアクティブに楽しむオプショナルツアーだ。しかもラクダ乗りつきときたらこれは参加するしかない!!
ベドウィンナイトというそのオプショナルツアーは簡単にいうと1人1台の4輪バギーでキャンプ地まで行き、そこで夕食をいただき帰ってくるというもの。このツアーの魅力はなんといっても砂漠で4輪バギーを乗り回すこと!!スピードが出てスリリング!景色もきれいなのでずっと乗っていても飽きることはないだろう。4輪バギーはアクセルとブレーキがあるだけなので難しい操作はまったくないし、1列になって進む参加者の先頭と後ろにガイドさんがついてくれるため、はぐれてしまったり事故やその他心配することは全くない。
ただ全身砂まみれになるため、頭と顔にまくスカーフやストール(持っていなければ貸してくれる)とサングラスは必須だ。これらは日よけにもなる。
ちょっと怪しい
ラクダもいる
みんなの憧れ、エジプトのピラミッド。そんな北エジプトもいいけれど私がおすすめするのは南エジプトのアブシンベル。アブシンベル大神殿のラメセス2世は、今日も昇る朝日をあの場所で眺めたんだろうなぁ
【img0187.jpg】アブシンベル大神殿夜明け前
アブシンベル・・★★★★ アブシンベル大神殿しかなくても訪れるべき。世界遺産。
シャルムエルシェイク・・★★★★ エジプトらしくないエジプト!海がすごくきれい
(2015 3月 楠本悠子)
- 真っ白な塩の大地がどこまでも続くウユニ塩湖
-
エリア:
- 中南米>ボリビア>ラパス
- 中南米>ボリビア>ウユニ
- テーマ:観光地 世界遺産 自然・植物
- 投稿日:2016/01/04 15:05
ウユニ塩湖は果てしなく白い
成田から24時間かけてボリビアの実質上の首都ラパスに到着。明日のウユニ湖行きにそなえてゆっくりしたいところだが、お仕事、お仕事。さっそく市内観光を開始する。ラパスの標高は3650mと富士山とほぼ同じ高さ。すり鉢型の盆地の中に110万人が暮らしている。ここの町の特徴は、町の真ん中に行くほど富裕層が住んでいることだ。狭い土地が外側に向かってどんどん広がり、見渡す限りの家、家の状態だ。6600mのイリマニ山をバックに雲がたたずむラパスの町は本当に絵になる。
イリマニ山バックに雲がたたずむラパスの町
まずは町の中心「ムリリョ広場」に行く。革命家のムリリョ将軍を記念して造られたこの広場は、0㎞ポイントと呼ばれ、今日のボリビア設立の象徴となっている。広場の前に建っているガバメントパレスの時計が変わっている。反対周りなのである。これは独立後2度と昔の時代に逆戻りしないようにとの意味をこめてだそうである。ラパスとは平和を意味し、国民の平和を願う気持ちが込められている。広場の脇には国花の「カントゥータ」がきれいに咲いていた。
ムリリョ広場
反対回りの時計
国花カントゥータ
町の中心・サンフランシスコ寺院
途中お腹がすいたので、名物「サルティーノ」を試食してみる。ミート、チキン、野菜と3種類あったが、ミートが一番口に合った。結局これが今回の旅行の中で一番美味しかった。高いビルが建ち並ぶすぐ裏は下町の風情でごみごみしており親しみ易さがある。魔女横丁(ウイッテイ・マーケット)には、その名のとおり魔女が飾られているが、民芸品・編み物・銀製品が溢れている。町全体を眺めたい時は、キリキリ(KILIKILI)の丘の上に行けば、360度四方を見渡すことができるのでお薦めだ。
名物サルティーノ
魔女横丁で恥ずかしがっている女性
キリキリの丘からのラパス
午後は町から40〜50分離れた「月の谷」を訪れる。宇宙飛行士アームストロング船長が、隣接するゴルフ場でプレイしたとき、自身が降り立った月によく似ていることから「月の谷」と名付けられたそうだ。なるほど月はこんな感じであったかと思わせる。
月の谷
泊まりは日本人オーナーの南雲さんが経営する「一番ホテル」に宿泊。気楽に相談に乗ってくれ、的確なアドバイスをしてくれるので安心だ。お世話になった方も多いに違いない。
一番ホテル
翌日は04:30にホテルを出発し、06:45発のアマソネス航空にて50分のフライトでウユニに向かう。CRJ-200型(カナディア・リージョナル・ジェット)、50人乗りの飛行機だ。到着までの窓からの幻想的な景色はさらにウユニ塩湖への期待をふくらませる。ただ、12月〜2月が雨期で、今年もすでに雨期が終わっており、話題の鏡のような湖が見れるかどうか不安を抱えたままの訪問である。早朝なので朝食でもと誘われカフェに入ると、何とビッグサプライズが待っていた。バースデイケーキが用意され、3月31日の私の誕生日を祝ってくれたのである。思ってもいなかっただけに、嬉しくて顔はくずれぱなしになった。現地の方の心遣いに感謝。
CRJ-200
誕生日のケーキ
それではウユニ湖の観光だが、定番だと「列車の墓場」から始まるが、私の希望でウユニ市内を先に見てまわった。ウユニ駅は今も鉱石輸送の重要な駅であり、この駅を中心に町は出来上がった。ホテルも50軒近くあり、世界中から沢山の観光客がウユニ人気を反映して訪れており、朝10時にはウユニ塩湖観光ツアーの車が延々と出発していく。ホテルの質も比較的高く、スタンダードクラスでも安心して泊まれる。
ウユニ駅
ホテル・タンボ・アイマラ
ホテル・ラ・ヒラソレス
ホテル・ヤルデナス・デ・ウユニ
最初の観光は「列車の墓場」。電化に伴い蒸気機関車が使用されなくなりそのまま放置されたものだ。まさに墓場の如く沢山の機関車が捨て置いてあるが、周りの殺伐とした風景に何故かマッチする。今日のウユニ湖人気を機関車たちは予想できただろうか。
列車の墓場
次に「コルチャニ村」を訪れる。地元の人が観光客向けにお土産を陳列し販売しているのだが、中でもみんなの関心はウユニ塩湖の塩に集中する。袋詰めを実演を見ていると購入意欲がそそられる。重いけど10袋お土産に買ってしまった。
コルチャニ村
塩の袋詰実演
いよいよウユニ塩湖に足を踏み入れて行く訳だが、その前にウユニの意味を確認しておきたい。ウユとはリャマ等の動物が寝る場所を意味する。ウユニのニはホテル、宿泊場所を表わすので、ウユニとは動物のホテルとなる。昔、鉱石の輸送の為、リャマの背中に積んで輸送した。リャマは決して強い動物ではなく、荷重も20〜25㎏位しか積めない。しかしこつこつ歩くことができる。リャマの休憩のため、20〜25㎞おきに宿泊所が必要になったわけだ。いわばリャマのキャラバン隊の宿舎ということである。ウユニ湖は約100㎞X120㎞、面積12,000 ㎢という巨大な塩湖である。数百万年前、海底が隆起し水の逃げ場が無いので濃密な塩の湖が出来上がった。よく言われる鏡の様な湖とは、雨期の12月〜2月頃に現れる。湖面の高低差がほとんど無く、フラット(平ら)なので、水が平均的に湖を覆う。深さは5㎝程。雨は周りの山に降り、湖にそそぐ。湖の上に雨が降るのは夜中なので、雨期に行っても昼間の観光には問題ない。ただ、湖に水が充分溜まっているときは観光の規制が警察によって行われる。1日あたり片道9㎞、往復20㎞、所要時間4時間が制限として課せられる。環境保護のため4年前から施行されている。4時間あれば観光には充分な時間ではあるが、行き先は制限され、例えばインカ・ワシ島には行けない。雨期とは言っても自然現象なので鏡のような湖が現れるとは限らないし、乾期でも水が残って鏡のような湖が見えて観光が制限されることもあり得る。すべては自然、雨しだいである。
では、今日はどうだったのかと云うと、雨期は終わっているが一部分水が残っている状態だった。先ずは湖に入ってすぐ、塩精製の為の削堀ポイントが目に入る。三角形の山に塩がもられ、乾くのを待っている。やがて乾いた後は製塩され私たちの食卓に届く。さらに進むと、湖の中の唯一の塩のホテル「プラヤ・ブランカ」に到着。ダカールラリー開催を記念したタワーがホテルの入場門の如く建てられている。この塩のホテルは今は宿泊はできない。環境保全のため、昼食や休憩のみの使用となっている。ホテルの前には世界中の国旗が旗めいている。実際世界中から若者が集い、そこらじゅうでランチボックスを開けている。周りは一面の白銀の世界なので、いたる所でトリック写真を撮っている。湖の中、また距離的にも格別のくつろぎの場所となっている。
ダカールラリー記念碑
プラヤ・ブランカ
プラヤ・ブランカの中でランチをとる家族
プラヤ・ブランカの回りでランチタイムの若者達
プラヤ・ブランカを出発するとしばらくして周りに誰もいない所に車を停め、マットと恐竜(ティラウス)のミニチュアをガイドが取り出してきた。ガイドのファンキーはマットに横たわり、恐竜をセットし、私にポーズを要求する。いい歳して恥ずかしさもあったが、やはり自分のトリック写真を撮れるのは正直嬉しかった。なかなかの写真ではなかろうかと自己満足。
恐竜とトリック写真
次は湖の中央に位置する「インカ・ワシ島」観光だ。インカは文字とおりインカ帝国のインカだが、ワシは鳥のワシではない。家という意味で、インカ・ワシはインカの家ということになる。以前海底であった証拠に、サンゴの化石でおおわれている。老体に鞭打ち頂上まで登ってみると、全方位を見渡すことが出来、白い大地がどこまでも際限なく続く大スペクタクルシーンが目に入ってくる。サボテンも景色を活かす調味料の役目になっている。高山病の心配を抱えながら登ろうか迷ったが、登頂して本当によかったと実感した。
インカ・ワシ島
インカ・ワシ島からの塩湖
さあいよいよ鏡のような湖を探して車は再出発。かなり走ってようやく水溜りを見つけるが、生憎の風でさざなみがでて映らない。少しの風でも波立ち、映してくれない。そのまま夕日ツアーに突入し、サンセットが進んで行くのを眺めていると風が止んできたのだ。逆さ富士ならぬ、逆さ山脈が見えだした。それも夕日の反対側はピンク色に染まり、逆さピンク山となった。我慢はするものです。あきらめずに待てば良いことは起きるのです。徐々に陽が落ち、真っ赤に空が染まっていくのを大満喫した次第です。
だんだん風もおさまってきた塩湖
ピンク色に染まった塩湖
夕日を捕まえた
夜は星空ツアー。この日はほぼ満月なので、眼には天の川、サザンクロス等がはっきり見えるのだが、カメラのシャッターは残念ながらおりなかった。星には責任が無いのでどこにも文句の云いようがないが、それでも合格点の星空ツアーだった。
翌日は05:00にホテルを出て、日の出ツアーに参加した。日の出は06:30。それまで
徐々に空が変化していくのはドキドキする。幸運にもこの日は風が無く、逆さ写真を沢山撮ることが出来た。夜明け前に、遠くのウユニ市内の明かりが空に映えて人工的な美しさも堪能できた。空の雲も湖に映し出されて、山と雲が合体した神秘的な逆さ絵になった。早起きし、冷い水の上を長靴をはいて我慢したご褒美だろう。
日の出のウユニ湖
午後はウユニ湖ならではの塩のホテルの視察をした。最初の「ルナ・サラダ」はとても可愛らしいホテルだ。ロビーは狭いが、それを補うべく何ヶ所もリビングスペースが設けられている。塩のホテルでも決して柔らかいものではなく、レンガのように固い塩を切り出し、建築資材として利用している。コンクリートほどではないが相当な固さである。
ルナ・サラダ
2軒目の「パラシオ・デル・ソル」はロビーが広く開放的だ。廊下も広く、両脇に部屋があり使いやすい。部屋の天井が特徴的で鷹の羽を広げたように見える。2階には展望室があり、湖や周りの景色を見ることが出来る。
3軒目の「クリスタル・サマーニャ」は、エコロジーホテルだ。日差し、風向きを考慮にいれ建てられている。部屋は広く、素朴だが使いやすい。レストラン、バーは2階にあり、心地よい空間を醸し出している。廊下にはいくつかの像が塩で作られ、自然と共存することを意図している。3つの塩のホテルとも、それぞれ特徴はあるが、どのホテルに泊まっても満足するに違いない。クラスも、料金も変わらない。ただ、部屋数が少ないので予約が取れるかどうかが問題である。観光的にはウユニ市内のホテルに泊まっても何ら問題はないことは付け加えておきたい。
クリスタル・サマーニャ
ウユニ塩湖がこれほどまでに人気があるのは、なにもTV番組に取り上げられたばかりでなく、実際経験してみた感動が皆に広がったからだと思う。何しろ大自然の営みの中に、ちっぽけな存在である人間がいて、その自然の驚異を体感できるからであろう。いつまでも、どこまでも広がる真っ白な大地は忘れれない。
ラパスはウユニ湖へ行く為の経由地と思われがちだが、近郊に世界的価値のある所がある。一つはティワナク遺跡だ。ラパスから75㎞、車で約2時間。紀元前200年〜紀元後1200年まで続いた文明の貴重な遺跡だ。インカ文明にも影響を与えたと云われ、その文化的価値は高い。今は野原になっているが、階段ピラミッドでは幅において世界一のアカパナ。カラササーヤ宮殿跡は長方形の巨石と角石を組み合わせた壁で囲まれている。ポンセと呼ばれるモノトリート(石像)はその中にある。半地下宮殿は180もの石の像が壁に刻まれており、見物客を凝視している。視覚的にはエジプトのピラミッド、メキシコのティティワカンには及ばないかもしれないが、歴史的、文化的価値においてははるかに凌ぐものがある。
カラササーヤの石像
半地下宮殿
カラササーヤ宮殿跡
最終日はチチカカ湖クルーズに参加した。ラパスからバスで3時間かかってワタハナの埠頭に到着。チチカカ湖は幅64㎞、長さ190㎞、最深部281m、標高3890m、大きさはなんと琵琶湖の12倍だ。高速水中翼船で最初の目的地コパカバーナに1時間半で到着。この日はマリア様のお祭りで、ラパスからも多くの人が歩いてお参りに来ており、カテドラルや町中がごったがえしていた。華麗なカテドラル、きれいな港など、わくわくさせる町だ。
コパカバーナのカテドラル
コパカバーナの港
次の寄港地・太陽の島は初代インカ皇帝マンコ・カッパクとその妹ママ・オクリョが降り立った島とされる。島には段々畑が多くあり、今でもジャガイモ、とうもろこし、キヌア等が栽培されている。ランチは絶好の眺望ポイントで取れるよう設定されている。傘を広げ、ちょっとハイキング気分である。
太陽の島
最後に訪れた「月の島」はかつての遺跡が残っている。今は76人の人達が住んでいる。ここからのアンデスの山々の眺めは最高である。09:00出航後、16:30着まで大きな湖と2つの島を楽しむ内容充実したクルーズだった。
月の島
遠くアンデス山を望む
最後の夜はラパス市内中心地にあるプレジデンテホテルで夜景を楽しみながら夕食をとりボリビアの旅を終えた。ボリビアには他にも世界遺産のポトシやスクレがあり、次回は是非とも周遊したいものだ。最後に一言、百聞は一見にしかずとはウユニ塩湖のことに違いない。
2015年3月29日〜4月6日
本山泰久
- 【マレ・ブル・マレ〜自然に宗教に都会に触れた9日間〜】
-
エリア:
- アジア>ブルネイ>バンダルスリブガワン
- アジア>マレーシア>コタキナバル
- アジア>マレーシア>サンダカン
- テーマ:観光地 世界遺産 自然・植物
- 投稿日:2016/01/04 14:58
・マレーシア
自然の動植物の宝庫。東マレーシアのスカウ村へ
今回向かうのはジャングルの中にひっそりとたたずむボルネオネイチャーロッジです。
サバ州のサンダカンから車で2時間弱。キナバタンガン川のクルーズ乗り場に到着。
そこからさらに揺られること、10分程で到着。
想像ではもっと原始的なのかと思ったら、しっかりしていて、びっくりしました。
ロッジには本当に無駄なものがありません。
最低限の設備だけれども、この自然に囲まれた環境が、最大の魅力です。
都会の喧騒から離れたい方は必見だと思います。
ここは周りには森と川しかないので、時間の流れが心なしかゆっくりしています。
あまり多く電気を使いすぎると、太陽光発電だそうなので停電することもあるそうです。
その為にかわかりませんが、人力発電もできます。
ここでは早朝、夕方、夜と3階にわたってクルーズが楽しむことができます。
約1時間30分〜2時間かけて、ジャングルの川を進んで、野生の動物を探します。
天狗猿、オラン・ウータン、ワニ、ピクシー象にも遭遇できるのです。
私は象に会え、さらに河を横断するところを見ることができました。かなり珍しいらしく、ガイドの人が動画を撮れと興奮気味にいってきました。
大体、朝早くか、夕方にクルーズにでるのですが(動物の朝食時間、夕食時間)、動物に出会わなくてもジャングルの中の川をボートでいくだけで、わくわくしてきます。
もちろんクルーズだけでなく、トレッキングも可能です。ただ雨季にはヒルがいるので要注意。今回は幸いにも乾燥しており、噛まれることはありませんでした。
・ブルネイ
正式名称はブルネイダルサラーム国で、略称でブルネイと呼ばれるイスラム教の国です。
国土は三重県とほぼ同じですが、十分に観光しがいのある国です。
ブルネイは王様が世界有数の資産家で、その資産のほとんどが石油の採掘から来ています。
まず訪れたセリア地区は石油の採掘量が多く、町のいたるところでノッキングドンキーと呼ばれる掘削機が稼働しています。
また、10億バレル記念碑もあります。
ただ10億バレルっという量はすごいのでしょうが、どれ程すごいのかはわかりません。
ブルネイの中心であるバンダリスリヤカンには、有名なモスクが2つあり、こちらがニューモスクで、ブルネイ国王様のポケットマネーで建てられたそうです。額を聞くと、想像を超えた金額で、ブルネイの宗教色の色濃さが見て取ることができました。
ライトアップはさらに絢爛豪華な様相です。
因みにそんなブルネイ国王様の王宮(外観)は想像できないほど広く、豪華でした。
ただ中には、念に2日間しか一般の人は入ることができず、未知数です。
もう一つは旧モスクと呼ばれ、ブルネイのベイエリア近くのダウンタウンあります。
こちらもライトアップ時はとてもきれいで、見る人は足を留めること必死です。
この2つのモスク以外にも、水上集落に足を運びました。
元々、ブルネイは水上集落が中心だったそうで、その後時代を経るごとに地上に移り住んでいったそうです。今現在でも、水上集落で生活してる人も少なくありません。
意外にブルネイは隠れた魅力が多く、一度は訪れたい国だと思います。
・マレーシア
その後にまたマレーシアのクアラルンプールに戻りました。
もはや世界有数の大都市へと成長したクアラルンプール。ブルネイからの反動で、アロー通りの屋台街へ足を運びました。
この雑多な感じがなぜか心地良いのは、ブルネイからの反動なのかと自問自答しながらも、堪能しました。
市内はショッピングモールがたくさん集中しており、それぞれ雰囲気が違い、ターゲットも異なります。その中でも一番新しく、最先端のショッピングモールなのがパビリオンです。
年末にクアラルンプールに行くと信じられないほど安くブランド品が買えるそうです。
ペトロナスツインタワーは言わずもがな、もはやくプールの代名詞になってます。
特に私が印象深く、良かったのが、市内から30分程で行けるバトゥケイブとロイヤルスランゴール工場です。
バトゥケイブはイスラム教の国であるマレーシアで、ヒンドゥー教の為の洞窟です。
ちょっと奥まで行くには遠いですが、洞窟がとても神秘的でよかったです。
そしてもう一つが、錫で一財をなした、クアラルンプールで国王から唯一認められたブランド「ロイヤルスランゴール」 の工場です。販売はもちろんのこと、ご自身で錫を加工して作ることもできます。錫の質の良さは、実際に見て、触ればわかるはずです。
お土産にも最適ではないでしょうか。
マレーシアの中心部だけではなく、ボルネオ島、サバ州がこれほどまでに可能性があり、自然と触れ合える場所だとは知りませんでした。結構損してたなと実感しています。
またマレーシアもさることながら、ブルネイについて知り、その良さに触れられたことが特に印象に残りました。是非マレーシアやシンガポールにお出かけの際には、ブルネイも日程に入れてみてはいかがでしょうか。
おすすめ度
・ボルネオネイチャーロッジ ★★★★★
・ジャングルクルーズ ★★★★★
・セリア地区 ★★★★
・ブルネイモスク★★★★(ライトアップ時)★★★★★
・水上集落 ★★★★
・クアラルンプール市内 ★★★
・バトゥケイブ ★★★★
・ロイヤルスランゴール ★★★★★
(2015年3月 小澤駿)
自然の動植物の宝庫。東マレーシアのスカウ村へ
今回向かうのはジャングルの中にひっそりとたたずむボルネオネイチャーロッジです。
サバ州のサンダカンから車で2時間弱。キナバタンガン川のクルーズ乗り場に到着。
そこからさらに揺られること、10分程で到着。
想像ではもっと原始的なのかと思ったら、しっかりしていて、びっくりしました。
ロッジには本当に無駄なものがありません。
最低限の設備だけれども、この自然に囲まれた環境が、最大の魅力です。
都会の喧騒から離れたい方は必見だと思います。
ここは周りには森と川しかないので、時間の流れが心なしかゆっくりしています。
あまり多く電気を使いすぎると、太陽光発電だそうなので停電することもあるそうです。
その為にかわかりませんが、人力発電もできます。
ここでは早朝、夕方、夜と3階にわたってクルーズが楽しむことができます。
約1時間30分〜2時間かけて、ジャングルの川を進んで、野生の動物を探します。
天狗猿、オラン・ウータン、ワニ、ピクシー象にも遭遇できるのです。
私は象に会え、さらに河を横断するところを見ることができました。かなり珍しいらしく、ガイドの人が動画を撮れと興奮気味にいってきました。
大体、朝早くか、夕方にクルーズにでるのですが(動物の朝食時間、夕食時間)、動物に出会わなくてもジャングルの中の川をボートでいくだけで、わくわくしてきます。
もちろんクルーズだけでなく、トレッキングも可能です。ただ雨季にはヒルがいるので要注意。今回は幸いにも乾燥しており、噛まれることはありませんでした。
・ブルネイ
正式名称はブルネイダルサラーム国で、略称でブルネイと呼ばれるイスラム教の国です。
国土は三重県とほぼ同じですが、十分に観光しがいのある国です。
ブルネイは王様が世界有数の資産家で、その資産のほとんどが石油の採掘から来ています。
まず訪れたセリア地区は石油の採掘量が多く、町のいたるところでノッキングドンキーと呼ばれる掘削機が稼働しています。
また、10億バレル記念碑もあります。
ただ10億バレルっという量はすごいのでしょうが、どれ程すごいのかはわかりません。
ブルネイの中心であるバンダリスリヤカンには、有名なモスクが2つあり、こちらがニューモスクで、ブルネイ国王様のポケットマネーで建てられたそうです。額を聞くと、想像を超えた金額で、ブルネイの宗教色の色濃さが見て取ることができました。
ライトアップはさらに絢爛豪華な様相です。
因みにそんなブルネイ国王様の王宮(外観)は想像できないほど広く、豪華でした。
ただ中には、念に2日間しか一般の人は入ることができず、未知数です。
もう一つは旧モスクと呼ばれ、ブルネイのベイエリア近くのダウンタウンあります。
こちらもライトアップ時はとてもきれいで、見る人は足を留めること必死です。
この2つのモスク以外にも、水上集落に足を運びました。
元々、ブルネイは水上集落が中心だったそうで、その後時代を経るごとに地上に移り住んでいったそうです。今現在でも、水上集落で生活してる人も少なくありません。
意外にブルネイは隠れた魅力が多く、一度は訪れたい国だと思います。
・マレーシア
その後にまたマレーシアのクアラルンプールに戻りました。
もはや世界有数の大都市へと成長したクアラルンプール。ブルネイからの反動で、アロー通りの屋台街へ足を運びました。
この雑多な感じがなぜか心地良いのは、ブルネイからの反動なのかと自問自答しながらも、堪能しました。
市内はショッピングモールがたくさん集中しており、それぞれ雰囲気が違い、ターゲットも異なります。その中でも一番新しく、最先端のショッピングモールなのがパビリオンです。
年末にクアラルンプールに行くと信じられないほど安くブランド品が買えるそうです。
ペトロナスツインタワーは言わずもがな、もはやくプールの代名詞になってます。
特に私が印象深く、良かったのが、市内から30分程で行けるバトゥケイブとロイヤルスランゴール工場です。
バトゥケイブはイスラム教の国であるマレーシアで、ヒンドゥー教の為の洞窟です。
ちょっと奥まで行くには遠いですが、洞窟がとても神秘的でよかったです。
そしてもう一つが、錫で一財をなした、クアラルンプールで国王から唯一認められたブランド「ロイヤルスランゴール」 の工場です。販売はもちろんのこと、ご自身で錫を加工して作ることもできます。錫の質の良さは、実際に見て、触ればわかるはずです。
お土産にも最適ではないでしょうか。
マレーシアの中心部だけではなく、ボルネオ島、サバ州がこれほどまでに可能性があり、自然と触れ合える場所だとは知りませんでした。結構損してたなと実感しています。
またマレーシアもさることながら、ブルネイについて知り、その良さに触れられたことが特に印象に残りました。是非マレーシアやシンガポールにお出かけの際には、ブルネイも日程に入れてみてはいかがでしょうか。
おすすめ度
・ボルネオネイチャーロッジ ★★★★★
・ジャングルクルーズ ★★★★★
・セリア地区 ★★★★
・ブルネイモスク★★★★(ライトアップ時)★★★★★
・水上集落 ★★★★
・クアラルンプール市内 ★★★
・バトゥケイブ ★★★★
・ロイヤルスランゴール ★★★★★
(2015年3月 小澤駿)
21 - 25件目まで(25件中)