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日経トレンディ総合力BESTに続きオリコン顧客満足度®でも1を獲得 [プレスリリース]

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今日も旅する!!ファイブスタークラブ世界探検隊

~お客様の代わりにファイブスタークラブ社員が世界中をチェックしてレポートしてきました。~

プロフィール

ニックネーム:
ファイブスタークラブ
居住地:
東京都
会社名:
ファイブスタークラブ
会社英字名:
Five Star Club
会社所在地:
東京都
会社電話番号:
03-3259-1511
業種:
旅行業
自己紹介:
1.全コース1名より催行保証。ツアーキャンセルはありません。(ごく一部のコースを除く)
2.アレンジ自由自在。延泊や減泊、ホテルグレードUP、航空会社指定、何でもできます。
3.基本的に少人数でのツアーで団体旅行のわずらわしさはありません。(ごく一部のコースを除く)
3.遊牧民のゲルにホームステイやサハラ砂漠でキャンプなど、その国でしかできないユニークなオリジナルツアーを企画。
3.毎週土曜日、各方面の専任スタッフが説明会を実施。疑問、質問は何でもどうぞ。(予約制)

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インド
【こんな絶景初めて!上って登って昇って、】
エリア:
  • アジア>インド>タンジャヴール
  • アジア>インド>インドその他の都市
  • アジア>ネパール>カトマンズ
テーマ:ハイキング・登山 世界遺産 自然・植物 
投稿日:2016/01/05 15:59
今回の旅先はインド・ネパールの2か国。
まず先に、ここまでインドのイメージが変わるとは思いませんでした。
というのも、インドは4年前に1度訪れたことがあり、その際には王道でデリーやアグラ、ムンバイ、ベナレス等を回り、印象深さでいったらピカイチの国でした。
ただ今回のインドは東インドのダージリンを拠点に高地サンダクプーを訪れる内容でしたので、絶景が待っていると確信していました。
ダージリンといえば、日本でも聞き慣れたダージリンティーの原産であり、世界最古の登山鉄道ダージリン=ヒマラヤ鉄道、通称トイトレインが有名ということだけは知っていましたが、全体的なイメージがつかめませんでした。

バグドグラまでデリーから国内線で移動したのに車に乗ること2時間ほどでダージリンでしたが、その間こんなとにかく登ります。ダージリンがこんなに標高の高い場所とは知りませんでした。






<トイトレイン>
1841年に開通し、今なお走り続ける世界最古の登山鉄道、ダージリン=ヒマラヤ鉄道です。
世界遺産に登録されています。通称トイトレインとも呼ばれていて、まるでおもちゃのような見かけです。ダージリンに訪れた際には必ず乗って頂きたいです。ダージリン駅から、最も標高の高い駅グーム駅までの短い区間だけでも乗れます。
ただ、蒸気機関車とディーゼル機関車が交代で走っているので、趣のある蒸気機関車に乗れるかは運次第です。私はたまたま蒸気機関車に乗ることができ、汽笛の音にとても興奮しました。


トイトレインに乗ってみて、思ったのは、箱根登山鉄道と江ノ島電鉄が混ざったような感覚でした。

ダージリンの朝と夜はとても冷えるので、防寒着はできる限りの用意はしていきました。

ダージリンで一泊した後にサンダクプーへ。
<サンダクプ->
富士山よりも高い、標高3636mの西ベンガルで最も高いサンダクプー。
ダージリンから車で1時間半ぐらいのところにあるインドとネパールの国境線があるマニバンジャンという町がサンダクプーに続く道の入り口となっており、車を旧式のランドクルーザーに乗り換えます。途中2度、ネパールの国境越えを経て、そこから約5時間かけて悪路を進み、サンダクプ-に到着。






気づいた時には雲の上にいました。
この光景が目に焼き付きます。


日が沈んでからは本当に寒く、ダージリンの比になりません、、、
また電気が通ってないので、クーラーなんてないので、衣類でどうにかしました。
ただ、そんな過酷な環境でしたが、苦労した分、感動は大きいと実感しました。


サンセットのビューポイントまでは緩やかな道を1時間程度トレッキングをしましたが、
少し物足りないような気もしました。もう一泊していれば、ファールートというトレッキングコースを3〜4時間ほどできたのですが、1泊しかできなかったので、もっと時間があればぜひやりたかったです。









トレッキングのベストシーズンは10月〜1月の空気が澄んでいる時期と3月〜5月の暖かく赤いシャクナゲが一面に咲く時期です。

もう一カ国、ヒマラヤ山脈のお膝元、ネパールに行ってきました。ネパールに関しては、不幸な事に大地震が記憶に新しいかと思います。今年(2015年)の4月に起きたばかりで、大丈夫なの?という心配な声をよく聞きますが、「大丈夫です。」とお伝えしたいです。実際に行った1人の旅行者として感じた素直な意見です。
それ以外に個人的にはタイのカオサン通りに並ぶ、バックパッカーの聖地タメル地区には以前から興味がありました。


ただ現在、深刻な問題はガソリンが輸入ストップとなっており、街中で、ガソリンスタンドに長蛇の列が並んでいます。以前にもあったようでどちらかというと地震よりもこちらが問題視されていました。

<スワヤンブナート>
街の中心地から車で10分程にある丘に建てられネパール最古の仏教寺院スワヤンブナートは、カトマンズのシンボルで世界遺産にも登録されており、観光客だけでなくローカルな人々も大勢いました。寺院の中心にある独特な目が描かれたストゥーパは有名で、目玉寺などとも呼ばれているそうです。





<バグタプル>
15〜18世紀のネワール文化ともに発展を遂げたバグタプルは、古き良き文化を凝縮したような街並みが世界遺産に登録されています。古き良き文化を凝縮したような街並みが人気で同じくスワヤンブナート同様、世界遺産にも登録されています。旧王宮や寺院が並ぶダルバール広場、トゥマディー広場、最も古い町並みが残るタチュパル広場の各広場を繋ぐ路地は、一度歩いたら忘れないほど印象的でした。








ローカルなお店が軒を連ねており、散策はとても充実しました
趣のある路地で繋がっており、散策には最適です。

<ナガルコット>
ナガルコットは特に
カトマンズから車で1時間30分で行ける見晴らし抜群でアクセスがよく、ネパールでヒマラヤが見晴らし抜群で望めるのはナガルコット。残念ながら曇ってしまい、景色はほとんど見ることができませんでした。また日帰りで行きましたが、朝日が有名だったので、1泊できなかったのも残念。


【食事】

・ダージリンティー
ダージリンティーは紅茶のシャンパンと称される程、香りが高いことで有名で、日本でも耳にしたことはあると思います。実際に有名なマカイバリ紅茶園にお邪魔させて頂きました。残念なことに秋摘み茶葉の収穫時期は終わってしまっていました。


・チベット料理のトゥクパ
日本のラーメンのような見た目で、味付けも日本人に親しみのある味でした。ダージリンではポピュラーな食べ物のひとつでしたので、割とどのお店でも食べられます。


ズーズーダウ
ズーズーダウとは、ネパールではポピュラーなヨーグルトをダウと呼び、その中でもバグタプル産のものをズーズーダウと呼ぶそうです。ヨーグルトの王様と称されるほど味は濃厚でいながら、ペロッと食べられます。


個人的に、サンダクプ-で見た山々の絶景が最も心に残る、とてもいい旅行でした。
自然はすごかったです。






<おすすめ>
□トイトレイン・・・一度は乗って頂きたい! ★★★★★
□サンダクプ-・・・今まででベストな絶景。山が神々しいです。 ★★★★★★
□スワヤンブナート・・・ネパールを訪れたらまずここへ ★★★★
□バグタプル・・・ 古都バグタプル、みどころ満載 ★★★★★
□ナガルコット・・・ ネパールで絶景ヒマラヤ山脈 ★★★★

(2015年12月 小澤駿)

ニュージーランド
<自然大国ニュージーランド!肩肘張らずにアウトドア>
エリア:
  • オセアニア>ニュージーランド>ミルフォードサウンド
  • オセアニア>ニュージーランド>ミルフォードトラック
テーマ:ハイキング・登山 世界遺産 自然・植物 
投稿日:2016/01/05 15:46
今回、ニュージーランドへ行く機会を得た。
私のとって初の南半球、初の赤道突破。日本と季節が逆なんて、用意した服装で充分なんだろうか・・
ぼんやりとした不安を抱えつつ、ニュージーランド行の飛行機へ乗り込んだ。
プカキ湖とサザンアルプスの山々


ニュージーランド航空といえば、普通は退屈してしまう・・あの機内安全ビデオがユニークと聞いていた。
眠気で重くなった瞼をひっぱり上げ今か今かと待つ。すると突然軽快な音楽が流れ始め、ニュージーランド人の男性がラップを歌いながら機内安全について案内し始めた。後に調べてみると、映画「メン・イン・ブラック」の世界をモチーフにして、ラグビーのニュージーランド代表チーム「オールブラックス」のメンバーが踊っていたらしい。なるほど、最後はちゃんとオチまでついていて、かつ機内の安全についてもしっかり確認でき、小さな拍手でも贈りたくなるようなビデオであった。

いきなり余談だが、私はお酒が大好きだ。ニュージーランドはワインが有名と聞いていたので、あまり飛行機ではお酒を飲まない私が機内で白ワインを注文してみた。ワインが好きだが全然詳しくない私でも、そのワインがとても美味しいことは分かった。機内でいただくとは思えない味であった。ぜひぜひぜひ機内でのワインを召し上がっていただきたい。

そんなこんなで、意外と遠いニュージーランド。ワインに惚れ惚れしながら出発から10時間をかけてオークランドに到着した。11月末のオークランド、季節は春のはずだが意外と涼しい。日本でいう桜が咲く頃の気温くらいだろうか。そこから南島にいくとさらに涼しくなる。私は薄いセーターを持ってきて良かったと思った。

ニュージーランドは1番の人口密度を誇るオークランドでさえ、どことなくのんびりとした雰囲気が漂い、大変暮らしやすそうだ。到着した日は金曜日だったが、午後14時で街のレストランやバーが混みあっていた。みんな仕事はどうしたのだろうと不思議に思ったが、ニュージーランド人は金曜日の午後にもなるとソワソワして仕事が手に付かなくなるらしい。それで真昼間からレストランで食事することを許されるのだから、なんという国だろう。(うらやましい・・)
金曜日午後のオークランド


混雑する金曜午後のレストラン


ニュージーランドの旅で1番感激したのは、日帰りで参加したミルフォードトラックだ。“世界一美しい散歩道”と呼ばれるこのトレッキングコースは、今から100年以上も前に開拓された山道である。変化に富んだ景観や展望、いくつもの滝や湖などを結ぶコースで、年間1万4000人もの人が訪れる人気のコースだ。ただし、景観や貴重な自然を守るため、入山制限が設けられている。希望する場合は事前に予約しておこう。本来はミルフォードサウンドとティアナウ湖を結ぶ全長53.5kmのコースで、3泊4日で歩くコースだが、時間が限られている行程のため、このコースをティアナウから日帰りで体験してきた。

ミルフォードトラックは、ティアナウからアクセスするのであれば、まずティアナウから車で20分ほど走ったところにある、ティアナウダウンズへと向かう。ティアナウダウンズに停泊しているボートに乗りこみ、30分ほど走るとボートはミルフォードトラックへの入口に着岸する。




このミルフォードトラック、または有名なミルフォードサウンドなどがあるこの一帯はフィヨルドランド国立公園とよばれ、太古より変わらない自然景観を残す貴重なエリアとされている。この一帯に年間8000mmを超えて降る雨が、その豊かな自然を育んでいる。年間8000mmといえば、おおよそ年間の3分の2が雨だそうだ。現にその日も生憎のお天気で、小雨がぱらついたときもあった。
年間8000mm、やはりミルフォードトラックに足を踏み入れた瞬間に感じたものも、“湿度”だった。だが不快な湿度ではない。植物や生き物がもつ自然な湿度が、山歩きが不慣れな私を少し安心させた。
ニュージーランドのトレッキングなのだから、さぞかしハードな運動になるだろうと覚悟していったが、全く初心者でも問題ないほどのトレッキングであった。まさに“散歩”である。急なアップダウンがあるわけでもなく、森林の中を歩くだけなので、水をはじく上下のジャージと、底のしっかりしたスニーカーがあれば服装としても心の準備としても充分である。ただし服装に反して、内容自体は濃い。そこは“世界一の散歩道”と呼ばれるだけあって、恐らくベテランのトレッカーであっても充分に満足できるほどの“散歩”である。まさにそこは“太古”と聞いてイメージする世界そのものだ。




ミルフォードトラックは、苔に覆いつくされている。年間降水量8000mmの賜物だ。樹木にも苔は絡みつき、少し樹に捕まるだけで手に雫がしたたる。






ニュージーランド固有種のニュージーランド・ロビンという鳥


入ってみた


マイナスイオンたっぷり、都会で暮らす私にとって、それはそれは癒される散歩であった。

珍しく晴れたミルフォードサウンドについても紹介しよう。
ミルフォードサウンドはティアナウからバスに乗れば、そのまま乗船場まで連れていってくれる。ティアナウからミルフォードサウンドまでは片道3時間ほどの道のりだが、バスの中では日本語でニュージーランドやミルフォードサウンドについての案内をしてくれるから、それも楽しみだ。しかも、行きは何ヶ所か写真スポットでバスを停車してくれるから嬉しい。
ミルフォードサウンドへの道中で見られる、ニュージーランド固有種のオウム、ケア


湖面に山が映るミラー湖


“サウンド”とは入り江という意味だ。氷河によって垂直に近い角度で削り取られた周囲の山々が、1000m以上にわたって海に落ち込んでいるという壮大な眺めは、ニュージーランドを代表する景色の1つ。ミルフォードサウンドでは、その氷河によって削られたところに海水が流れ込んだ、入り江をクルーズする。
幸運にも晴れ渡ったその日、さらに幸運が重なって私たちは滅多にみることができないクジラに出逢った。もっとも、乗客に押されてクジラを見ることができたのはほんの一瞬、影のようなものだけだったが。それでも珍しいといわれるクジラに遭遇したことは大変思い出深い。
楽しい楽しい




クジラに狂喜する乗客(かすかに向こうにクジラの尾が!)






クルーズの終盤、落差155mを誇る滝の前に差しかかると、船は滝めがけて急カーブ。滝ギリギリまで船を近づけて、乗客を楽しませてくれる。デッキに出ているとびしょびしょに濡れてしまって横の人と笑いあうのもそれはそれで楽しい。




ニュージーランドでアウトドア、文化系で貧血持ちで運動不足の私がついていけるかしら・・等の心配は結局のところ全く必要なかった。もちろん、しっかりとしたアウトドアを体験することも可能だが、気軽にニュージーランドの自然を楽しみたいわという方にも充分応えてくれるツアーも多くある。今回は夜に雨が降ってしまい、マウントクックでの星空鑑賞ができなかったが、ニュージーランドの南島、とくにテカポやマウントクックは星空が美しいことで有名であるから、夜にはそういった楽しみ方もある。
太古からの姿を残した自然豊かな森と、それらを守るニュージーランドの人々。のんびりとしているのに強く、やさしくて大らかなニュージーランドに、今度は冬に行きたい!!!!


忘れちゃならない羊ちゃん


<スタッフおすすめ度>
ミルフォードトラック★★★★★・・かなりおすすめ!!ニュージーランドの自然と濃く触れ合える
ミルフォードサウンド★★★★・・氷河湖から突き出た高い山々が圧巻

(2015年11月 楠本悠子)

ノルウェー
ありのままの...ノルウェー 絶景フィヨルドの旅
エリア:
  • ヨーロッパ>ノルウェー>ベルゲン
  • ヨーロッパ>ノルウェー>スタヴァンゲル
  • ヨーロッパ>ノルウェー>ソグネフィヨルド
テーマ:ハイキング・登山 世界遺産 自然・植物 
投稿日:2016/01/04 17:33




「Let it go ~ Let it go~ ♪」この文字を見るとつい口ずさんでしまう。
皆さんご存知ディズニー映画「アナと雪の女王」の舞台となった国ノルウェーを今回訪れる機会を頂いた。今回の旅のハイライトはフィヨルド!ノルウェーのリーセフィヨルドとソグネフィヨルド、2つのフィヨルドを見てきたので紹介したい。

◆リーセフィヨルド◆
成田からコペンハーゲンを乗り継ぎスタヴァンゲルへ。このスタヴァンゲルという小さな港町がリーセフィヨルドへの起点となる。
スタヴァンゲルの空港から市内まではエアポートシャトルが頻繁に走っていて、ドライバーさんにホテル名を伝えると最寄りのバス停で降ろしてくれる。スタヴァンゲルの情報がガイドブック等にもあまりないので少し心配していたが、そんな心配は全く不要だった。

リーセフィヨルドは「プレーケストーレン」という標高600mの断崖から望むことができる。プレーケストーレンまでは片道2時間のトレッキングでしか行くことができない。初日は早速そのトレッキング。
実は1か月前に足を怪我してしまい、つい一週間前まで松葉杖をついていた。まだ100%じゃない足で大丈夫なのだろうか、、と不安を抱きつつ、翌日に備えて眠りについた。

翌朝、いよいよリーセフィヨルドを見るために気合いを入れて出発!港にはチケット売り場があり、その隣がタウ行きの乗り場。

タウ行きのフェリー乗り場


フェリーに乗り込み、約30分でタウに到着。タウからはバスでプレーケストーンへのハイキングのスタート地点となるプレケストーレンヒュッテへ向かう。タウではフェリーを降りたらすぐバス乗り場があり、時間もフェリーに合わせてうまく接続されているので迷う心配はない。

タウのバス乗り場(フェリーを降りた目の前)


プレーケストーレンまでは、お手洗いも売店やレストランもないので、行動食はスタヴァンゲルから持って行き、お手洗いはこのヒュッテで済ませておくのがポイント。
そしていよいよトレッキング開始。





最初いきなり急な坂道から始まる。その後はゴロゴロとした岩場がしばらく続く。





約30分で1km地点に到着。それまで森だったところからいきなり開けた景色が現れ、疲れを癒してくれる。




この印を目印に進んでいく
しばらくすると道が整備された湿地があったり、大きな岩場を登る場面があったり。





1時間でようやく2km地点。2kmくらいまでが一番の山場!ごつごつした岩を、足場を見つけながら登っていく。



それを越えるとあとはなだらかな道になる。

こんな景色に癒されながら進んでいく




まだ少し雪も残っている


そして、最後の急な上り坂を登ると、壮大な景色が目の前に広がる。

最後の力を振り絞って・・




達成感とこの景色の素晴らしさに足の痛みも疲れも吹っ飛んでしまった。約600mもの断崖絶壁。自然が作り上げたものとは考え難い程、まるでナイフでスパッと切ったかのような直角さ。そこには柵も何もなく、高所恐怖症の人は写真を撮るのも恐る恐るだった。

ここにぽつんと立っているのが私


リーセフィヨルド





ちなみにこのプレーケストーレンはアナと雪の女王のワンシーンに使われているらしい。そんな絶景を眺めながら、ランチを取って休憩し、また2時間かけてヒュッテへと戻った。

リーセフィヨルドから戻ってきた後はスタヴァンゲルの町を散策。スタヴァンゲルには木造の建物がたくさん残っている。なんと 年間火事がないからだとか。町自体とても小さいので、1時間もあれば十分に歩いて周れる。石畳にカラフルな建物が立ち並び、どこを切り取っても絵になる。

お洒落散髪屋さん


カラフルなお店が建ち並ぶ




マクドナルドもお洒落




静かな公園があったり、港には大きな船が停まっていたり、港町ならではの美しい景色が楽しめる。私が行った5月ではもうすでにかなり日が長く、夜の22時でもレストランやバーはたくさんの人で賑わっていた。

公園にいたわに


三角屋根のかわいい木造の家




◆ソグネフィヨルド◆
ソグネフィヨルドは、入り江の全長205km、最深部水深1308m、周囲には標高1700m超の山々が連なる世界最大スケールのフィヨルド。
ノルウェーナットシェルを使い、列車やバス、フェリー乗り継いで周遊する。まずはオスロからスタート。オスロからミュールダールまではベルゲン鉄道に乗って約4時間半。景勝ルートとしても有名なベルゲン鉄道の車窓からは変化に富んだ景色が楽しめる。



ベルゲン鉄道の車窓


車内には大きな窓付きの食堂もある


最初は真っ青な海と新緑のコントラストの間を爽快に走り抜ける。やがて、ちらほらと雪がかる山が見え始める。



ミュールダールに近づくにつれ真っ白な銀世界!サングラスをしていないと眩しくて目を開けていられない程。







フィンセ駅は吹雪


そして景色に見とれている間にミュールダールに到着。



赤色のベルゲン急行


ミュールダールは標高約866mの場所に位置し、この日のミュールダールの気温はおよそ0度。ミュールダールからは、このフィヨルド観光の一つのハイライトとなるフロム鉄道に乗車しフロムを目指す。

ミュールダール駅にてフロム鉄道を待つ人たち


フロム鉄道


1940年に開通したフロム鉄道は、今や鉄道ファンだけでなく多くの観光客を魅了する鉄道となっている。標高差約900m、距離20kmを約1時間かけてダイナミックな景色の中20のトンネルをくぐりながらゆっくりと走り抜ける。途中落差93mの 巨大瀑布、ショースの滝で停車し写真タイム。停車中音楽が流れ始め、この地方に伝わる、歌で男性を誘惑する妖精「フルドラ」の伝説に因んだ演出が行われる。





レトロな車内


フロム鉄道の車窓からの風景


フロムに到着。フロムはアウルランフィヨルドとフロム渓谷という豊かな自然に囲まれており、住民わずか500人程の小さな町。今回私は乗り継ぎに立ち寄っただけだったが、このフロムで1泊するのも良いかもしれない。緑豊かで可愛らしい町並みがとても素敵だった。



フロム鉄道


フロムからグドヴァンゲン行きのフェリーに乗り込み、いざフィヨルドクルーズへ!船に乗るやいなや、窓側席に外のデッキへとみんな良い場所を確保するため椅子取りゲームが始まる。この日は日曜日だったためか、船は満席。外は寒いのに、みんなマフラーをぐるぐる巻いて帽子をかぶってスタンバイ。
左右に高くそびえるフィヨルドの間をゆっくりと航海。途中小さな町や滝があり、シャッターチャンスは絶え間ない。最初から景色の壮大さに感動しっぱなしだったが、一番の見所はソグネフィヨルドの最奥部、細く枝分かれ先端部のネーロイフィヨルドとアウルランフィヨルド。











約2時間半のクルーズの後、船はグドヴァンゲンに到着。フェリーを降りるとまたすぐにバスが待っている。ここでもまた椅子取りゲームが始まる。

グドヴァンゲン港


バスに乗り換え


約50分の道のりとなるが、その車窓の景色もまた素晴らしい。スタルハイム付近の渓谷の九十九折の坂を登る。









ヴォス到着後は、再度ベルゲン急行に乗りゴール地点のベルゲンへと向かう。
フロムからグドヴァンゲンまでのクルーズだけでなく、オスロからミュールダール間の列車やミュールダールからフロムへのフロム鉄道、そしてグドヴァンゲンからヴォスへのバス、どれも車窓からの移り変わりゆく景色を楽しむことができるのもフィヨルドエクスカーションの醍醐味。
ナットシェルはみんなが同行程で移動するので、次にどのバスに乗れば良いのか、と迷う必要がない。実際、ヴォスからベルゲンの列車が地すべりの影響でキャンセルになり、ボート、バス、列車に乗り継いでベルゲンまで行かないといけなかったが、皆が同じなので、国籍も全く違うみんなが声を掛け合い、訳も分からず次の交通機関に乗り込み、どこからか団結が生まれていた。

実はもう一つフィヨルドクルーズに行く予定だったが、今回この地すべりの影響で行くことができず、ベルゲンで1日半ほど過ごすことになった。
ノルウェー第二の都市であるベルゲン。細長いヴォーゲン湾を囲むように街が広がり、見所は小さなエリアに集まっているので徒歩で簡単に周れる。エリアは港周辺と駅周辺に分かれていて、町の中心は港の周辺。中心には魚市場が開かれ、活気に溢れている。



魚市場から西へ延びるトーグアルメニング通りがメインストリートで、大型デパートやショップ、レストランがたくさん並んでいる。



近くには山もあり、魚市場あたりからふと見上げると山に張り付くように家が建っている。



そして一番の見所が港に面してカラフルな三角屋根の木造建築が立ち並んでいる「ブリッゲン地区」。ここは世界遺産に登録されており、またアナと雪の女王にもここの風景が使われたらしい。確かに、映画に出てきそうな雰囲気。

ブリッゲン地区






ハンザによって建てられたという奥に長細い形状の建物。当時(13〜16世紀頃)にはハンザ商人の家や事務所として使われていたそう。



建物の正面には動物の像が残る


もう一つの見所となるのがフロイエン山。魚市場から150m程のところにあるケーブルカー乗り場から山頂まですぐアクセスができ、山頂からはベルゲンの街と港湾を一望できる。

ケーブルカー乗り場




ベルゲン港


山頂にいるトロル


ノルウェーに行くにあたり、物価の高さには覚悟をしておいた方が良い。物価の高い北欧の中でも特に高いのがノルウェー。例えば、オスロの空港から市内までのエアポートエクスプレストレインは所要20分程の距離で170NOK(約3,000円)。スタヴァンゲルから市内までのバスも160NOK(約3,000円)した。ノルウェーの後に訪れたコペンハーゲンでは空港から市内までの電車は所要約15分で36DKK(約700円)だったので、比較してみるとやはり高い。500ml の水1本が約30NKR(約500円)、ランチはものによるが2,000〜3,000円、ディナーは4,000〜6,000円くらい。ただ、どこでも大体クレジットカードが使えるので、現金がなくても困ることはない。レストランはもちろんバスや電車のチケットもクレジットカードでOK。しかし、クレジットカードが使えてしまうだけに、使いすぎには注意したほうが良いかも。

本州の1.4倍もの大きさのあるノルウェーの人口はたったの約500万人。ちなみに東京の人口は約1300万人。
そこには広大な自然があり、ゆったりとした時間が流れている。
かわいい北欧雑貨を物色し、美味しいノルウェーサーモンを食べ、お洒落な町並みに癒され、何よりも壮大なスケールのフィヨルドに感動し、大満足の旅となった。

〇スタッフおすすめポイント〇
プレーケストーレン ★★★★
2時間のトレッキングはハードだが、プレーケストーレンから眺めるリーセフィヨルドは登る価値あり!

ソグネフィヨルド ★★★★★
世界一のフィヨルドは必見!移り変わる景色全てが壮大で美しく言葉を呑むほど。

スタヴァンゲル ★★★★
小さい港町で特に見所は多くないが、可愛らしくおしゃれな町並みでおすすめ

ベルゲン ★★★★★
世界遺産のブリッゲンがカラフルな三角屋根の家が港を彩り、歩いているだけで楽しい

(2015年6月 池田郁依)

NoPhoto
人の還る場所~極彩色のパプアニューギニア~
エリア:
  • オセアニア>パプアニューギニア>カビエン
  • オセアニア>パプアニューギニア>ラバウル
  • オセアニア>パプアニューギニア>ゴロカ
テーマ:ハイキング・登山 マリンスポーツ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/01/04 17:07








5月末、念願のパプアニューギニアに行く機会を得た。

パプアニューギニアが「発見」されたのは1950年代後半。オーストラリア統治時代、豪州の地方行政官がゴロカショー(各部族がシンシンを踊り続け競い合う祭り)を主催したことでパプアニューギニアの世にも珍しい部族の風習が全世界に知られることとなった。それでも発見されたのはごく一部の部族たちだけで、内陸部の地域では険しい山々やジャングル、マラリアが行く手を阻み、60年代まで欧米諸国に発見されることのなかった部族もいる。つまり戦争が終わり、日本が高度経済成長真っ只中の時代においても原始時代の生活をしているような人々がいたということになる。数十年ときを経た今でも、部族の伝統を守り続け特有な衣装やユニークなダンスを披露してくれる。
また彼らはその素朴さも失っていない。見知らぬ同士でも挨拶を交わす。部族抗争のあった名残か、敵意がないことを示す意味でも挨拶が日常となっているそうだ。もちろん観光客に対してもすべての人々が暖かい笑顔でむかえてくれる。外国人観光客と見るやふっかけてくる商売人や自己保身のために都合のいい嘘をつくガイドはここにはいない。
そして手付かずの自然、人の手が入っていない沿岸地域の美しいビーチやハイランド地方の山々。さらには極楽鳥やポッサムなど世にも珍しい動植物。各国を行き尽くしたダイバーや写真家がパプアには何度も訪れるという。一度来訪したらその魅力に取り付かれずにはいられない魅惑に溢れた国なのだ。

蛇足だが私とパプアニューギニアの出会いは10数年前の大学生時代。とある写真を見て衝撃を受けた。それはザ・ポップグループというイギリスの70年代UKポストパンク・ニューウェーブ期を代表するロックバンドのレコードのジャケットだった(もちろん私が後追いした時はCDだったが)。マッドマンの集団が奇声をあげながら今にも飛び上がらんばかりの写真だった。当時は「マッドマン」という言葉も知らなかった私は、スピーカーから飛び出すポップグループの粗暴で原始的且つリズミカルな音楽性にも驚愕した。グループ名と相反した商業主義からかけ離れた音楽性はマッドマンの写真と相まって私の心に突き刺さった。当時大学の休みに合わせてバックパッカーの真似事をしていた私は、いつかマッドマンのような文明がいまだ届いていないような民族に会ってみたいと思うようになっていった。
次なるマッドマンとの出会いは弊社に就職したとき。何気なくパンフレットをめくっていたときに、CDのジャケットと同じような姿の民族の写真が。マッドマンは一般な観光旅行でも出会えることを知った。(ぜひ「最後の警告」でググってみてください。)
いつかマッドマンに出会えることを夢見て旅行社に勤務し続けようやくこの機会を得ることが出来た。

私が旅した行程は下記の通り。
1日目 夜成田発
2日目 ゴロカ観光
3日目 ゴロカ観光
4日目 ラバウルへ移動
5日目 ラバウル戦跡観光
6日目 ラバウルにてシュノーケリング、その後ケビエンに移動
7日目 ケビエン観光
8日目 帰国


1日目 ホノルル気分

午後、伊丹空港から成田空港行きの全日空に乗り込む。
定刻通りに成田空港に到着。成田空港では全日空は第1ターミナルに到着。
荷物を受け取って国際線の搭乗手続きをしようと出発フロアに移動。
しかし今回利用するニューギニア航空は第2ターミナルだった。成田空港の無料ターミナル移動バスはあるものの第3ターミナルもできたことでターミナル間の移動に思ったよりも時間を要した。乗り継ぎ時間には十分猶予を持っていたので良かったものの成田乗り継ぎの際は国内線の到着ターミナルは要確認だと再認識した。

第2ターミナル内の無料のラウンジで時間を潰し、午後7時にニューギニア航空にチェックイン。ポートモレスビー到着後そのままゴロカに乗り継ぎだが荷物は一旦ポートモレスビーにて受け取るようだ。
成田の出国手続きを終え、出発ゲートへ。ポートモレスビー行きのゲートは71番。向かいの72番ホノルル行きと同じフロアになっており、明らかに行くお客さんの層とテンション違いがちょうど真ん中あたりでぱっくりわかれており、異様な雰囲気。ホノルル行きのお客さんはすでに自撮り棒なんか取り出してキャピキャピしている。一方でポートモレスビー行きは帽子を目深に被り静かに座っている人が多い。おぉぉ、すでに旅は始まっているなぁとその光景を見て興奮気味の私。

ほぼ定刻通りに機内へ乗り込む。期待した以上に立派なテレビがついており、日本の映画も数本あった。食事も美味しく満足。


2日目 モコモコ

約6.5時間のフライトの後、ポートモレスビーに到着。
入国審査はパプアニューギニア国民とそれ以外の国籍のビザ保持者とビザなしの3レーンにわかれていた。私はアライバルビザを取得するためにビザなし(アライバルビザ取得)の列に並ぶ。英文の日程表を見せるとなんと無料でビザ取得できた(2014年の初め頃から無料になったそうだ。また英文の日程表でなくてEチケットでも最後の出発日が確認できるものであればいいらしい)。
荷物検査は思っていたよりも厳しい。カバンの中はもちろんスーツケースも開けられる。入国カードの税関申告の欄に食べ物を持ち込んでいるか否かの項目があるので、なにか持ち込むのであれば必ず「はい」にチェックすること。他の項目は多額の現金を持ち込んでいるかどうかなど一般的には全て「いいえ」の質問ばかりなので食べ物の欄も「いいえ」にしそうだが、虚偽申告と難癖をつけられることもあるそうなので注意。

ポートモレスビーではPNGジャパン現地代表をしていらっしゃる上岡さんと合流。国内線にチェックインを済ませ、両替。1週間の滞在の場合だとは2万円はあったほうがいいとの情報を聞いていたので2万円を両替。
乗り継ぎ時間にかなり余裕があるため空港近くのゲートウェイというホテルに朝食を食べに行くことに。そのゲートウェイホテルの朝食が朝6時から開くそうなのでそれまで空港のベンチで上岡さんにパプアのことをいろいろ伺っていた。そこへ私と同じニューギニア航空に搭乗していたと思われる上岡さんとお知り合いの日本人の女性がいらっしゃった。上岡さんはその方を私に、旅行作家さんなんですよ、と紹介していただいた。あまり私は本を読まないため存じ上げず申し訳ないなぁと思っていたら、なんと私が空港の待ち時間で読んでいたパプアニューギニアについての本の著者の山口さんであった。出発前に電子書籍の中から今回の旅に役立ちそうな本をいくつか購入した中に山口さんの著書があり、ついつい読み入ってしまいパプアニューギニア到着前に読み終えていたのだった。私のような若輩者が上岡さんと山口さんというパプアニューギニアについての超エキスパートの方とご一緒出来るなんて幸運なことだろう。(実際、山口さんの作品はこの紀行文を書くのにもためになりました。ありがとうございます。)
ホテルでパンとコーヒーの朝食をいただき(20キナ、約1000円)、空港へ戻り国内線の搭乗手続き。国内線の荷物検査も結構厳しい。上岡さんにはありがたいことに搭乗ゲートまでお見送りしていただいた。

ゲートウェイホテルのレストラン


ゴロカ行きの飛行機


<ゴロカ>
パプアニューギニアの中で真っ先に訪れるべき町を挙げるのであればゴロカであろう。800を超える言語と多様な民族が存在するというパプアニューギニアおいて中には、観光客に神聖な舞踊を見せることは古代から伝承されたしきたりに背くこととしてタブー視する部族も数多いが、その点ゴロカでは奇抜でユニークな民族達の踊りと暮らしを手軽に垣間見ることができる貴重な村が多数存在する。その部族の中でも特に有名なのがマッドマンだ。およそ10キロもあると言われる大きな泥のマスク。全身には泥を塗り、まるで亡霊か精霊のような出で立ち。もちろん観光は少数民族だけではない。パプアニューギニア最高峰・ウィルヘルム山登山の拠点であり、賑わいを見せる町中の青空市場、名産のコーヒー工場。そして一大観光地であるにも関わらずそこに住まう素朴でフレンドリーな人々にきっとあなたも魅了されるはず。

ポートモレスビーからゴロカは約1時間のフライト。
到着したゴロカの空港はこれまで旅した中でも、これが本当に空港?と聞きたくなるほどの小屋のような建物。もちろん荷物を受け取るベルトコンベアはないので空港のスタッフがテーブルの上にどんと置き、一つ一つ渡していく。素朴だなぁ。

素朴なゴロカ空港


ゴロカの空港ではPNGジャパンのゴロカ支店の見形さんがいらっしゃってくださった。ゴロカの街は空港を中心に広がっており、すぐ近くにスーパーマーケットに携帯電話ショップや銀行、郵便局さらにラジオ局がある。空港を中心に街が形成されているのは飛行機が主な交通手段だというパプアニューギニアならでは。
ポートモレスビーの空港付近は全く見かけなかった赤土と緑の山々のコントラストと人々のエネルギー溢れるカオスな雰囲気をゴロカではすぐに感じられ、パプアニューギニアに来たことを実感した。
空港から車で約2分のホテル、パシフィックガーデンホテルにチェックイン。

<パシフィックガーデンホテル>
ゴロカの中心部に位置する自然に囲まれたロッジ風のホテル。ゴロカ周辺の部族をモチーフにしたアート作品が展示されておりなかなかお洒落。広めの室内にはテレビに冷蔵庫、湯沸し器、アイロン、ドライヤーがあり、いたって清潔。室内で無料のWIFIもあるが速度は遅い。バスタブはなくシャワーのみ。水圧は強くないがお湯は比較的すぐに出た。スリッパやセーフティーボックスはなかった。レストランではソフトドリンクはもちろんビールもあった。食事も美味しい。

しばらくホテルでシャワーを浴びて休んだ後、昼食のジンジャービーフ(30キナ、約1500円)を食べて、午後の観光に出発。

パシフィックガーデンホテルお部屋


パシフィックガーデンホテル外観


パシフィックガーデンホテルのレストランはなかなか旨い


<グルポカ山ハイキングとモコモコダンス>
ホテルから唯一の舗装された道を走ること約20分。赤土むき出しの脇道の前に車を停める。ここが村の入り口だとは、一般の通りすがりの人たちには分からないだろう。
車を降り乾燥した土埃が舞い上がる道を歩くこと数分、グルポカ山の麓にあるコレコレト村の村人たちの姿が見えてくる。
村人たちにアピヌンと挨拶すると向こうも柔らかい笑顔であいさつを返してくれる。パプアニューギニアの公用語ビジン語の挨拶「アピヌン」とはアフタヌーンが訛った言葉らしい。なので基本英語が元になっており簡単な英単語さえわかればなんとなく現地の人ともコミュニケーションが図れる。
村ではこれからグルポカ山を案内してくれるという部族の少年がすでに伝統的な出で立ちで我々を待っていた。大事な部分を守るためのバナナの葉っぱで作ったまわしをつけている以外は裸で、全身には泥や炭で描いたボディーペイント。否が応でも期待が高まる(何が?)。
コーヒーやバナナ、サツマイモの農園のある山道を抜け、急勾配の坂道を登ること数十分。途中、生贄を捧げるために使ったとされる岩場がある。村から豚や人間をこの山の中腹まで連れてきて殺してその頭を岩の上に置くことで、神からのパワーを授けられると信じられていたそうだ。また人食を行ったと言われる洞窟もある。カニバリズムについて話にはよく聞くことはあるが、ここがその現場ですと言われると、俺生きて帰れるかなぁ、となんだか暗い気持ちになった。山から帰ったら食事の準備なんかしていて、今日の食材は「俺」だったりするのかなぁとマンガみたいなことを考えた。

ガイドの男の子


さすがは戦士だけあってどんどん登って行く


さすがは戦士だけあってどんどん登って行く


畑の農作物や途中の説明を聞きながらゆっくり山を登ったので、トータル1時間ほどだろうか、頂上に到着した。グルポカ山の頂上には十字架があり、カトリック信者が多い現在はお祈りの場としても使われるそうだ。頂上からはゴロカ一帯の、険しい山並みの連なる壮大な風景を一望できる。なぜゴロカからポートモレスビーまでの幹線道路が敷かれておらず、飛行機での移動手段がメインなのかが理解できる光景である。

グルポカ山からのゴロカの眺め


カニバリズムのおこなれたという洞窟


グルポカ山頂上


帰り道


下山して村に戻ると、次はモコモコダンスを見せてくれるという。モコモコダンスとは何だろう?と思いながらも村の広場まで連れてこられ、木製の手作りベンチに腰掛けてしばらく待つ。広場の中心では焚き火がパチパチを音を立てて煙が上がり始めた。そうすると煙の奥から全身ボディーペイントの仮面をつけた戦士が現れた。両手には槍のような武器を持っている。ダンスといっても機敏な激しいものではなく、身体を上下させたり槍を突き上げて小走りしたりするのがほとんど。徐々にこちらに近づいてきて、小声でモコモコ言っていることに気づいた。モコモコモコモコ…..モコッ!!.... モコモコモコモコ…..モコッ!!と時々何かを思い出したように後ろを振り返る。そのするうちに別の戦士も集まり大所帯になった。大人数になっても踊り方は先ほどと同じ。仮面の戦士が中心となって皆口々にモコモコ言いながら身体を上下に揺らし小走りする。
モコモコダンスは部族闘争の戦いから村に帰還した男たちが、祝いの踊りとして行うそうで、男女の出会いの儀式の意味もあるそうだ。勇ましさというよりも我々旅行者から見ると可愛らしさを感じるかもしれない。

煙の中から現れる


モコモコモコ・・・・


人数が増えた


モコ言いながら小走り


モコモコモコ・・・・・モコッ


モコモコダンスのメンバー


モコモコダンスのメンバー


モコモコズのメンバーと


モコモコダンスのメンバーの股間


モコモコダンスを楽しんだ後は村人ハンドメイドのお土産を物色する。パプアニューギニアのカバンとして知られるビルムや貝殻のネックレスなどが売られていた。こういう観光地ではかなり商売熱心だったりするものだが、パプアニューギニアの人々はあまり押し付けがましくなく、何も買わなくともフレンドリーな笑顔を振りまいてくれるのが嬉しい。素朴な人々にあって私の心も洗われたような気分になってコレコレト村を後にした。

コレコレト村の女の子


コレコレト村の男性


町中のスーパーマーケットに立ち寄り、飲み物を購入してホテルに戻った。
夜はホテルのレストランでヒレ肉のペッパーソースステーキ(50キナ 2500円)とビール(10キナ 500円)で夕食。
この日私の頭のなかはモコモコモコ・・・と、つい口からでそうなほどモコモコダンスのことが忘れられなかった。

3日目 ザ・マッドダンス

朝8時半に朝食。イングリッシュブレックファースト(38キナ 1900円)。
9時にガイドさんと合流して観光に出発。
この日はマッドマンダンスとシンブー地方の伝統文化を観光する予定だ。

まず向かったのは町中のマーケット。昨日ガイドさんにマーケットで写真を撮らせて!とお願いしたのだ。
マーケットで最初に向かったのはビートルナッツ売り場。日本語だと檳榔。台湾でセクシーなお姉さんが売っているやつというと知っている方も多いかもしれない。ビートルナッツを口の中でくちゃくちゃしながらマスタードの茎に石灰をつけかじる。口の中でこれらの3つが混じり合うとなぜか口の中で真っ赤になる。タバコのような嗜好品だそうで噛んでいるとフワフワとした陶酔感をえられるそうだ。口の中に溜まった水分をペッ、ペッと吐き捨てるため道のいたるところには赤い唾の跡が。景観的によろしくないので公共の場ではブアイ禁止の張り紙をちらほら見かける。私もトライしようと思ったが今から観光に行くのに口の中を真っ赤にしたくなかったのでビートルナッツを少しかじっただけで諦めた。
ブアイ実際噛んで見せてくれた男性 うれしそうだ


マスタードの茎を売るおじさん


ゴロカのB級グルメストリート


ゴロカの娯楽 ダーツ


マーケットではダーツ屋さんも見かけた。町の人たちの数少ない娯楽の一つのようで数多くの大人の男性がダーツに興じていた。五本投げて規定の点数よりも良いスコアが取れたなら賞金や景品がもらえるそうだ。私もトライしたがまず的に当てるのが精一杯。それに比べ地元のおじさんたちはすべて的の中に的中させていた。うまいなぁ。
ゴロカのマーケットでは写真を撮っていると、いろんな人から俺もとってくれ、俺もとってくれと言われる。それを見たまた別の人から、俺をとってくれ攻撃が始まる。見形さんは申し訳なさそうな声で、消していいですよ、おっしゃってくれた。

ゴロカのマーケット


ビートルナッツ売りのおばさん


髭のおじいさん


芋をたべていたおじいさん


こら!俺のバナナも撮ってくれ


たのまれてとった写真1


たのまれてとった写真2


たのまれてとった写真3


たのまれてとった写真4


たのまれてとった写真5 ほかにもたくさん


マーケットを後にしてマッドマン観光に向かう途中、ハイランドハイウェイで最も標高が高いダウロ峠へ。標高は約2500m。ここまで来ると全く気温が違う。その後、ガイドさんの知り合いにハイランド地方の伝統的なお家を見せてもらった。ハイランド地方は標高の高さから朝夜は冷え込む。そのため円形のお家を作り室内の真ん中には焚き火ができるスペースがある。

ハイランド地方の伝統的な住宅


草木も生き生きしているようにみえる


<マッドマンダンスとムームー料理>
ついにこの時がやってきた。自分の目でマッドマンを確かめる時が!パプアニューギニアに来たのはこのマッドマンダンスを見るためだといっても過言ではない。
アサロ渓谷の村に到着。ゴロカで一番の観光地だというのに大げさな看板などは一つもない。村に入るとまずハワイでいうレイのような花の首飾りをかけてくれて歓迎してくれる。その後村の案内を受け、サツマイモやトウモロコシ、ババナ、レモンの農園や村の内部を一通り見学した。見学が終わるとマッドマンダンスの行われる広場まで連れて行かれる。
まず登場したのは弓矢を持った戦士。獲物を狙っているようでそろりそろりと近づいてくる。獲物を発見!と思ったら獲物は私のようで弓を引いて追いかけてきた。観光客のつかみはこれでOKなのだろう。
狩りのパフォーマンスのあとは火おこしのパフォーマンス。太い木の枝と木の皮の摩擦で、枯れ木にものの数分で見事に火をつけた。火おこしのパフォーマンスはこれまで何度か他の国でも見たが最も原始的な道具にもかかわらず短時間であったように思う。昨日のモコモコダンスと同様に枯れ葉に火をつけ煙がもくもくと上がるとマッドマンのシンシン開始。
煙の向こうから現れたマッドマン。動きはスローモーション。マッドマンの表情はそれぞれ個性的で怒っているような顔や笑っているような顔、おとぼけ顏や無表情まで様々だ。手には弓や槍、長く尖った爪に棍棒など様々な武器。焚き火の燃える音だけが聞こえる静寂の中、物音も立てずに迫り来るマッドマン。我々はこれらがパフォーマンスだと分かっているから少しコミカルに思えるがこれが日の暮れた時間帯に行われたらどうだろう。暗闇の中から現れた白いマッドマン達は神秘的で神の使いか自然の精霊のように感じられただろう。

マッドマンダンス


無言


日本にもこういう怖い人いますよね


爪が伸びてる


マッドマンの成り立ちを説明しよう。部族闘争がさかんな時代、土地を奪われた部族がアサロ渓谷の沼地まで追いやられたところから始まる。沼地で偶然転んだ戦士。身体中が泥だらけになった。そこへ追いかけてきた敵対する部族はその真っ白な身体に驚いて、お化けだと勘違いして逃げていったそうだ。
昨日訪れたグルポカ山では生贄を捧げていた場所があったというから、ここに住む部族達は自然の中に神の存在を信じていたと考えて間違いはないだろう。彼らにとって自然や人間を超越した精霊や亡霊というものは畏怖の対象だったのである。
そのため マッドマンダンスと言いながらも、お化けなので音も立てないし動きもゆっくりなのである。モコモコダンスは戦士の踊りであり求愛の要素もあったからマッドマンのそれとはそもそも目的が違うのだ。
今度は暗闇の時間帯にマッドマンショーを見てみたいと思った。

マッドマン達と集合写真を撮ったあとはみんなでムームー料理。
ムームー料理とはイモや鶏肉、野菜をバナナの葉を幾重にも重ね、その上から焼いた石で覆い蒸し焼きにする料理である。イモや野菜はすべて地のもので来客や祝いの席では鶏肉や魚が入ることもあるそうだ。バナナの葉っぱの芳しい香りに誘われて美味しくいただく。パパイヤやパイナップルなどの果物も美味しい。

村の人々に別れを告げ、次なる目的地に移動する。

マッドマン達と集合写真


マッドメン


マッドマン


ムームーはなこうやって食べるのがうまいんだ!


どうだ!


ムームーに狂喜するマッドメンと村人


<シンブー地方の伝統文化観光>
マッドマンの村から車で数分。シンブーというゴロカのあるイーストハイランド州の隣の州の民族の伝統を伝える村がある。
村のガイドさんが村の中を一通り案内してくれる。例にもれずこの村も農園に溢れ、美しく手入れされている。
村の広場で最初に披露されたのが歓迎の踊り。これまで踊るのは男性ばかりだったので半裸の女性が出てきてびっくりした。紐状のスカートに、腕には花の飾り、首には貝殻のネックレス、頭には鳥のカラフルな羽。これまでの男性的なシンプルな装飾から一転華やかな衣装だ。
次に顔のペイントを実演してくれる。植物や泥など自然の素材でメイクをする。もちろん私もペイントしてもらった(割と現地の人がウケてくれるのでこのままホテルに戻るまでメイクはとらなかった)。
そして植物から繊維を取り出し糸を紡ぐ方法や弓矢の実演、伝統的な楽器の実演を見せてくれる。かつて楽器は仲間を呼ぶ手段として使われていたが今は携帯があるので、こういった楽器は悲しいかな、今つかうことはないそうだ。そして男女が互い違いに座って歌を歌うカリムレックというお見合いの儀式に参加し、最後に演者全てが集まってシンシンをして終了。

シンブー州の伝統メイク


植物から繊維を取り出し編み物を作る


自然と手元より胸に視線が行く


シンブー州の伝統的な弓矢の実演


シンブー州の伝統的な楽器の実演 低くビィィィィンという


怒ってる?


怒ってない


くわっ


これにて今回のゴロカの観光は終了。明日はラバウルに旅立つ。

4日目 穏やかな人々

フレンチトーストの朝食(28キナ)をとったあと朝8時15分にホテルの入り口にて見形さんと合流。町中の空港へ。
この日はゴロカからポートモレスビーを乗り継いでラバウルへ。
ゴロカの空港にてチェックイン。通常だと国内線同士の乗り継ぎだとそのまま目的地(今回の場合はラバウル)までスルーでチェックインできるそうなのだがこの日はシステムダウンらしくポートモレスビーで一旦荷物を引き取って再度チェックインしてくれとのことだった。
見形さんと2日間お世話になったガイドのアレックスに別れを告げて一路ポートモレスビーへ。
約1時間のフライトのあと空港では現地人の係の方がお出迎え。荷物をピックアップして、ラバウル行きにチェックイン。ラバウル行きの出発まで約4時間あるので、初日と同様、ゲートウェイホテルのエアコンが効いたレストランで出発の時間までレポートを書いたり本を読んだりして過ごした。
ボーディングタイムの45分前にホテルから空港へ向けて出発。今回もお見送りのスタッフの方が搭乗するまで見届けてくれた。アナウンスはあるものの何を言っているか分からず、電光掲示板もないのでこうしてスタッフの方が来てくれるのは心強い。
ラバウル行きはゴロカ行きよりも少し広めの2-3の配列だった(ゴロカ行きは2-2)の配列。といってもゴロカ行きの方が便数が多い。
約1時間半のフライトの末、ラバウルにオンタイムで到着。飛行機から降りると海に囲まれているからか湿った生温かい空気がほほを撫でつけるのを感じた。到着した飛行機はラバウルに経由したあとそのままケビエンに飛び立つ。
空港ではこの日宿泊するココポビーチバンガローリゾートのスタッフが迎えに来ていてくれた。ラバウルではゴロカでは見ることがなかったヤシの木がたくさん並んでいた。ラバウルに関しては小説などで多少馴染みがあったのでここを拠点として日本軍がガダルカナル島での死闘を戦ったと思うと胸から込み上げるものがあった。

元々は日本軍の戦闘機の発着地だったというラバウル空港


<ココポビーチバンガローリゾート>
ラバウル空港から約15分。ココポの町の中心部にココポビーチバンガローリゾートはある。ココポビーチバンガローリゾートはその名の通りブランチ湾のビーチに面した数棟のバンガローを要するリゾートホテルだ。レセプションは中央の建物で行う。バンガローは木製の温かみのある造りでかなり広め。天井にはシーリングファン、テラスからの眺めはパーシャールシービュー。バスタブ、ドライヤーやスリッパはないが冷蔵庫、セーフティーボックス、アイロン、湯沸かし器、エアコンも完備。室内ではWIFIは使えないがメインビルディングのロビーやレストランでは無料で使える。レストランからのビーチの景観も素晴らしく、リラックスしたひとときを過ごせること間違いなし。かつて福岡に住んでいたという日本語を話せる現地スタッフもおり何かと安心。

ココポビーチバンガローリゾート


ココポビーチバンガローリゾートのレストラン


ホテルのチェックインを終えて、ホテル周辺をうろうろ散歩。ホテルに面しているビーチ沿いをあてもなく歩いた。
野生的な雲と山の形、それに重なるように生い茂った深緑、そして夕日に照らされて金色に輝く海。幻想的な風景が続く中、地元の人々や国内の旅行者が思い思いに過ごしている様子を眺めた。そこには戦争という言葉など微塵も感じさせない穏やかで幸せな笑顔が溢れていた。

ホテルに戻り夕食のガーデンサラダとフライドポテトを食べた(12キナx2)。

ホテル近くのビーチにて 子供


ホテル近くのビーチにて 貝をほっていた女性


ホテル近くのビーチにて つりに興じる男性 つれていなかった


「これが我が家の自家用車」


5日目 ジロー戦

朝8時半に朝食のトーストとフルーツを食べてロビーに集合。
英語のうまいローレンスとかつて香川県に住んでいたという日本語は下手だけど気のいいガイド、チャーチルの二人のホテルスタッフと一緒にラバウルの戦跡を巡った。

<ラバウルの戦跡観光>
ラバウルはパプアニューギニアの北東部に浮かぶ、ニューブリテン島の北部に位置する小さな港町。ヤシの木が生い茂るトロピカルな植物相とタブルブル火山、ブルカン火山など噴煙を上げる光景はまさに映画の世界のようだ。このラバウルは第二次世界大戦時に日本軍が南太平洋諸島への侵攻の一大拠点としてガダルカナルの戦いなどに挑んだことで知られている。連合軍の最新鋭の兵器、豊かな物資と豊富な人員を前に日本軍はただ消耗を強いられ疲弊していくなか、輸送路を断たれた日本軍になす術はなく、終戦まで連合軍に占領されることはなかった。そのため町の中には戦時中のバンカーや爆撃機など貴重な戦跡が状態良く数多く残っている。

ココポ戦争博物館
展示の中で大部分を占めるのが第二次世界大戦時に日本軍が残していった軍事品の数々。戦車に高射砲、大砲、飛行機のエンジンにコクピットまで。ラバウル中に散らばっていたものを集めてきたらしい。中でも目を引くのはゼロ戦の綺麗な残骸。思ったよりも小さい。ガイドがゼロ戦のことをジロー戦、ジロー戦と呼ぶのでまさか設計者の堀越二郎への敬意からゼロ戦をあえてジロー戦と呼ぶことがここでは一般的なのか、と思ったがただ訛っていただけだった。

ズパパパパパパ!!!!


おちゃめな管理人


戦車1


戦車2


ブルーラグーン(又の名をワーフトンネル)
青く透き通った入り江のそばにあるトンネルで、かつて日本軍が食料を備蓄したり生活する場としても活用したそうだ。奥にはさらに深いトンネルがあり別のトンネルとつながっている。いまはコウモリたちの巣窟となっている。

艀の格納トンネル(又の名を大発トンネル)
波止場と本船の間を往復する小型船の格納庫。奥は暗闇となって見えにくいが5隻格納しているらしい。特に一番手前のトンネルから見える艀は状態が良い。

5隻も格納されているトンネル


トンネル近くに住む人


ラバウル旧飛行場
かつて日本軍が使っていた東飛行場。1990年代の相次ぐ噴火により都市機能を北部のラバウルから南東に約20キロ離れたココポに移転した。空港も同様で今は全く使っておらずそのためさら地状態。近くに爆撃機の残骸(連合軍からの通称から現地の人々からはBetty Bomberとも呼ばれている)がある。苔むしたその姿からはかつての殺戮兵器だったころの面影はなく、むしろ芸術的な気品さえ感じられる。

ベティボンバー


ベティボンバー付近を掃除するいかついおじさん


南太平洋戦没者の碑
日本政府とパプアニューギニア政府が共同で建立した、南太平洋で命を落とした戦士たちの記念碑。シンプルなつくり。

ヤマモトバンカー
海軍司令部の地下壕。連合艦隊司令長の山本五十六がブーゲンビル島上空にて撃墜されるまでここで指揮をとっていたそうだ。中は10畳くらいの広さのスペースで幾つかの司令室らしき小部屋に枝分かれしている。じっとしているだけで汗が出てくるくらい蒸し暑い。

山本バンカー


山本バンカー内


ニューギニアクラブ
ヤマモトバンカーのすぐ近くには日本軍の士官食堂だったニューギニアクラブがある。現在はオーストラリア軍、ドイツ軍、日本軍の資料館となっている。もともとはドイツ統治下時代の建物で現在は90年代に改築されたもの。

その後、ラバウルの町のメインストリートであったという大通りに未だ一軒だけ営業しているというラバウルホテルにて昼食。ラバウルホテルのレストランはチャイニーズコロニアル的な内装で、食事も鶏肉とインゲンなどの野菜炒めで中華風だった。

ラバウルレストランの中華料理


集合時間まで少し時間があるのでテレビを見る。パプアニューギニアのテレビチャンネルは一つだけであった。そのテレビ番組では中学生くらいの算数の授業を中継していた。内容は半径7cmの円の面積を求めよ、など幾つかの問いがあり各2分の制限時間が与えられる。時間になるとクラスの生徒が先生にあてられる。昼間に誰が見るんだこんなテレビ。
昼食の間、雨が一気にザザぁとふってきた。すぐに弱まったが午後からは小雨が降る中の観光となった。

昼食後、ラバウルのマーケットをそぞろ歩き。売っているものはゴロカとあまり変わらない。変わったものとしては巻きスカートのラプラプやタバコの葉っぱは細切れでなくて束で売られていたこと。

ラバウルのマーケットの女性


ゴロカよりもこじんまりしているマーケット


ラプラプうりのおばさん


たぶんファンキーなおばさん


マルマルアン展望台
ラバウルのマーケットを車で山道を走ること10分。ラバウル全景を見渡せるスポットへ。火山の形が美しい。

ラバウル全景


スズキバンカー
ラバウルから約1時間、ココポを抜け、さらに南に悪路の中車を走らせる。誰もこないような寂しげな海岸沿いにスズキバンカーと呼ばれる掩蔽壕がある。終戦後、このバンカーの中からミイラが発見された。どうやら戦時中、このバンカーに隠れて敵の攻撃から身を潜めていたらしい。しかし爆撃による攻撃か、もしくは飢えによってなくなり、ミイラ化した遺体がこのバンカーから発見された。身の回りのものからはスズキという名前はわかったそうだ。ガイドブックやWEB上には細かい情報はなく、ガイドのチャーチルに聞いてもそれ以上のことは分からなかった。

スズキバンカー


悲しげな流木


ビタパカ戦争墓地
オーストラリア兵士の合葬墓地。日本のものよりよく手入れされている。

ビタパカ戦争墓地


戦時中の日本の兵器や施設は日本では滅多に目にするとはないため私のような戦争を知らない世代にも興味深く見ることができた。しかし思ったよりも保存に関しては現地人に任せっきりなのが気になった。日本、そして全世界の負の遺産として状態よく維持できないものだろうか。特にゼロ戦や爆撃機の残骸など誰かが装甲をはがしたりすることもできなくはない。それに雨ざらしになっているので今後このままだと腐食が進んで原型をとどめられるのも時間の問題だろう。

地元の小学生と遭遇


一緒に記念撮影


ホテルに戻る途中スーパーマーケットに立ち寄って飲み物を買う。この日の夕食も昨日と同じガーデンサラダとフレンチフライ。

6日目 シャローゼロ
朝6時に起床。この日は半日シュノーケリングツアーに参加する。
朝食後、朝7時にフロントに集合。昨日と同じチャーチルと一緒にホテル面しているビーチへ。すでに小型のモーター船がスタンバイしている。

<半日シュノーケリングツアー>
ラバウルの海は美しい珊瑚礁と豊かな生態系を持つ世界屈指のダイビング・シュノーケリングスポットである。途中イルカ達の華麗な泳ぎで歓迎を受けながら、ホテルからモーターボートで移動すること約40分、ピジョン島に到着。その名の通り島の住人は鳥のみの無人島。ピジョン島は大小の2つの島からなり、島付近は潮の流れが良く、水質は大変クリア。手付かずの珊瑚礁やクマノミなどカラフルな魚達が突然の来訪者達を楽しませてくれる。浅瀬からドロップオフポイントまでバラエティ豊かな地形のためシュノーケリング初心者でもOK。お昼ご飯も持ってきてここでピクニックランチもいいだろう。

ラバウルの海の楽しみはこれだけではない。旧日本軍の南太平洋の一大拠点であった歴史から数多くの沈没船が未だ海底に眠っている。そのためダイバー達にはレックダイビング(沈没した戦闘機や輸送船などの難破船を見ることを目的としたダイビング)のメッカとして知られているのだ。その多くが海底の30mから40mなど初心者には難しい深さなので気軽には見ることはできないが、ラバウル新空港近くにシャローゼロ(shallow zero)と呼ばれる水深約3mに沈んだゼロ戦の残骸を見ることができるポイントがある。もちろんシュノーケリングでも、水面からもかつて世界最強と恐れられていたその雄姿を確認できる。

火山と地元の漁師


イルカも見れる


イルカと追いかけっこ


見事なサンゴ礁に囲まれた ピジョン島


火山とピジョン島


シャローゼロ


昨日と今日のラバウル観光でラバウルの歴史と自然を地上からも水中からも満喫したこととなった。

ホテルに戻ったのは11時。部屋に戻りチェックアウトの準備。
12時に部屋をチェックアウトした後はケビエン行きの飛行機に乗るため、午後3時までホテルのレストランにて休憩。

3時前にホテルをでてラバウル新空港へ。
ラバウル空港からケビエン行きの飛行機に乗り込み35分のフライト。
これまでよりも一層こじんまりしている素朴なケビエン空港に到着。
空港ではリセナンアイランドリゾートのスタッフ、野崎さんが迎えに来てくれていた。預け荷物を手渡しで受け取り、リセナンアイランドリゾートへ。

ケビエン空港


黄昏の船乗り場


<リセナンアイランドリゾート>
ケビエン空港から車とボートで約30分。見えてくるのが緑のヤシの木に囲まれたリセナンアイランドリゾート。一目見てここがオシャレなリゾート島だと分かる人はいないはず。島内には高い建物だけでなく、街灯ももちろんない。電気はあるものの、雨水を再利用するためホットシャワーはなく自然の熱を利用したシャワーという環境に配慮したつくり。夜は静かな波の音が心地よく響き、朝は鳥の声で目覚める。一つの島に、それもたった7部屋しかない、まさに自然と一体になった感覚を体験できるリゾートと言えるだろう。
また見渡す限りの白い砂とペパーミントグリーンの海、貴重な青珊瑚の群生が目の前に広がる世界指折りの美しいスポットとして知られ、オーストラリアのダイビング雑誌では2012年から2年連続でベストダイビングアイランドにも選ばれた経歴がある。更には時には夕食には巨大なロブスターや牡蠣、刺身まで供されることもあるという。ダイバー、シュノーケラー憧れの島ありながら日本人スタッフもいるというお勧めの隠れ家的リゾートなのだ。
室内は可愛らしい、温もりのある室内には虫除けの蚊帳とシーリングファンがある程度のシンプルな造り。冷蔵庫、ドライヤー、スリッパ、テレビ、湯沸かし器などはない。WIFIはオフィス周辺であれば無料で利用できる。

リセナンアイランドリゾート


近海でとれたロブスター 特別な食事ではなく普通の夕食です。


夜7時に夕食を食べにレストランへ。
レストランではこんなに大きいの初めて見たくらいのロブスター。
結婚式場でも食べたことのない大きさに興奮。

7日目 牡蠣と海ブドウと私
朝7時半に朝食。トーストとシリアル、目玉焼き。
シュノーケリングギアをレンタルしてコテージの前のビーチにてシュノーケリングをして楽しんだ。
朝10時にホテル前のビーチからシュノーケリングツアーに出発。

リセナンアイランドリゾートにいたカニ


どこまでも犬かきで追いかけてくるリセナンアイランドリゾートの飼い犬


<マングローブ牡蠣採りとBBQ&ラル島のシュノーケリングツアー>
まず向かうのはホテルからボートに揺られ約30分、マングローブの生い茂る島。ただ船に乗っているだけでは面白くない、移動中はルアーフィッシングしながらお昼のメインディシュを釣り上げるのがケビエン流。マングローブ林に到着。ここで目にするのが岩牡蠣ならぬマングローブ牡蠣。日本の牡蠣よりも大ぶりなマングローブ牡蠣はナイフで枝からこそぎ落とす。近辺の岩場では、これまた日本人の大好物、海ぶどうが自生している。食べる分だけの牡蠣と海ぶどうを仕入れたら、BBQの舞台ラル島へルアーフィッシングをしながら向かう。ラル島は徒歩5分で一周できるくらいのサイズの無人島。枯れ木を集め火をおこすところからスタート。ホテルから準備してきた食材をBBQスタイルで皆とワイワイ調理。牡蠣は生でも焼きでもお好みで。食後は腹ごなしに手付かずの珊瑚と多種多様な魚が溢れる透明な海でシュノーケリング。まさにケビエンの自然にどっぷり浸かったワイルドな体験だ。

マングローブ牡蠣


牡蠣ハンター


海ブドウもある


ラル島でBBQ ロブスターはホテルから持参


リセナンアイランドに到着したのは午後4時過ぎ。
シャワーを浴びたあとはビーチへ赴き、暮れなずむ夕日を見ながらリラックスしたひと時を過ごす。

この日の夕食は大きな白身魚。

8日目 義務教育
5:50のポートモレスビー行きのフライトに乗るため、朝4時にリセナンアイランドを出発。野崎さんが朝食のサンドイッチを持たせてくれた。
ボートと車を乗り継ぎ空港へ。まだ真夜中の海上を高速で爆走するモーターボートはジェットコースターのようにスリル満点だった。
ケビエン発の飛行機は往路と同様、ラバウルを経由してポートモレスビーへ。同日で成田行きに乗り継ぐ予定だが、国際線へのスルーチェックインはできなかった。
ポートモレスビーに到着後、一旦ポートモレスビーにて荷物の受け取りと国際線のチェックインを済ませる。成田行きのフライトまでかなり時間があるのでPNGジャパンのエミリーさんがポートモレスビーにて簡単な市内観光をしてもらった。

<ポートモレスビー市内観光>
もし乗り継ぎに充分時間があるのなら是非ポートモレスビーでの市内観光をお勧めしたい。特にバードサンクチュアリと言われるパプア国内から珍しい鳥類を集めた公園は国内外の観光客に大人気。こじんまりした園内に放し飼いをしており、餌付けしているためパプアの国鳥である極楽鳥を間近で見られることも。
手付かずの自然と原始時代からの風習を守る民族がいる一方で、高度経済成長を遂げるポートモレスビー。ウォーターフロントエリアには大型スーパーマーケットが建ち、高層ビル群を建設中だ。パプアニューギニアの経済的な一面を知ることになるだろう。

観光終了後、空港に到着しドライバーさんからの見送りを受け、お別れ。
成田行きはほぼ定刻通りに出発。

8日間パプアニューギニアを旅して、人間の原風景というものがあれば、パプアニューギニアこそがそれそのものなのではないかという気がした。損得勘定などない素朴でフレンドリーな人々、そして自然を畏れ神のスピリットを信じ、借り物でない独自の文化をもち続ける彼らを見ると彼らが特殊な慣習・文化をもっているのではなく、我々が不自然な生き方をしている気がした。先輩社員のほめ言葉を借りるなら「義務教育にして日本人全員いかせたい」と思わせた国である。
本来の自分の心のありようを確かめるという意味で、心の洗濯をするには最適な国だと思う。人間はやっぱりいいね。

予算・物価・お土産
物価は日本と同程度か少し高い。食事の予算は飲み物込みで1回40キナ程度(2000円)。お酒を飲むのであれば1缶10キナするので多めに心がけよう。チップは不要。お土産はブルーマウンテンコーヒーの粉末パックが人気で1つ15キナほど。ホテルや外国人観光客が利用するお店では大抵ビザかマスターのクレジットカードが利用できる。

ネット環境
ホテルでは無料のWIFIが大抵利用できるが、速度は大変遅い。SIMカードは空港や町中の至る所に売られている。

治安
ガイドと歩く分には全く問題ない。しかし特に都市部(ポートモレスビー)では一人歩きは控えたい。もし行きたい場所があるのであればガイドやドライバーに相談しよう。地方(ゴロカなど)では一人歩きする場合には夜中や暗い時間帯は控え、高価なカメラや時計はせず、手持ちのお金もごく一部に心がけよう。

マラリア
ポートモレスビーやハイランド地方では不要。セピック川・フライ川流域ではマラリア予防薬の服用をお勧めする。またそれ以外の地域でも念のため服用をしたほうが確実だが副作用もあるため服用しない観光客も多い。その場合は虫除けスプレーや蚊取り線香、長袖・長ズボン、黒の洋服を着ないように徹底したい。

今回の旅行ではパプアニューギニア政府観光局の山田様、ニューギニア航空の鈴木様、そして文中にもお名前を出させていただいた現地にてご活躍中の皆様の御協力にて無事終えることができました。心より御礼申し上げます。

(2015年5月 橋本康弘)

パプアニューギニア
人の還る場所~極彩色のパプアニューギニア~
エリア:
  • オセアニア>パプアニューギニア>カビエン
  • オセアニア>パプアニューギニア>ラバウル
  • オセアニア>パプアニューギニア>ゴロカ
テーマ:ハイキング・登山 マリンスポーツ 歴史・文化・芸術 
投稿日:2016/01/04 17:07








5月末、念願のパプアニューギニアに行く機会を得た。

パプアニューギニアが「発見」されたのは1950年代後半。オーストラリア統治時代、豪州の地方行政官がゴロカショー(各部族がシンシンを踊り続け競い合う祭り)を主催したことでパプアニューギニアの世にも珍しい部族の風習が全世界に知られることとなった。それでも発見されたのはごく一部の部族たちだけで、内陸部の地域では険しい山々やジャングル、マラリアが行く手を阻み、60年代まで欧米諸国に発見されることのなかった部族もいる。つまり戦争が終わり、日本が高度経済成長真っ只中の時代においても原始時代の生活をしているような人々がいたということになる。数十年ときを経た今でも、部族の伝統を守り続け特有な衣装やユニークなダンスを披露してくれる。
また彼らはその素朴さも失っていない。見知らぬ同士でも挨拶を交わす。部族抗争のあった名残か、敵意がないことを示す意味でも挨拶が日常となっているそうだ。もちろん観光客に対してもすべての人々が暖かい笑顔でむかえてくれる。外国人観光客と見るやふっかけてくる商売人や自己保身のために都合のいい嘘をつくガイドはここにはいない。
そして手付かずの自然、人の手が入っていない沿岸地域の美しいビーチやハイランド地方の山々。さらには極楽鳥やポッサムなど世にも珍しい動植物。各国を行き尽くしたダイバーや写真家がパプアには何度も訪れるという。一度来訪したらその魅力に取り付かれずにはいられない魅惑に溢れた国なのだ。

蛇足だが私とパプアニューギニアの出会いは10数年前の大学生時代。とある写真を見て衝撃を受けた。それはザ・ポップグループというイギリスの70年代UKポストパンク・ニューウェーブ期を代表するロックバンドのレコードのジャケットだった(もちろん私が後追いした時はCDだったが)。マッドマンの集団が奇声をあげながら今にも飛び上がらんばかりの写真だった。当時は「マッドマン」という言葉も知らなかった私は、スピーカーから飛び出すポップグループの粗暴で原始的且つリズミカルな音楽性にも驚愕した。グループ名と相反した商業主義からかけ離れた音楽性はマッドマンの写真と相まって私の心に突き刺さった。当時大学の休みに合わせてバックパッカーの真似事をしていた私は、いつかマッドマンのような文明がいまだ届いていないような民族に会ってみたいと思うようになっていった。
次なるマッドマンとの出会いは弊社に就職したとき。何気なくパンフレットをめくっていたときに、CDのジャケットと同じような姿の民族の写真が。マッドマンは一般な観光旅行でも出会えることを知った。(ぜひ「最後の警告」でググってみてください。)
いつかマッドマンに出会えることを夢見て旅行社に勤務し続けようやくこの機会を得ることが出来た。

私が旅した行程は下記の通り。
1日目 夜成田発
2日目 ゴロカ観光
3日目 ゴロカ観光
4日目 ラバウルへ移動
5日目 ラバウル戦跡観光
6日目 ラバウルにてシュノーケリング、その後ケビエンに移動
7日目 ケビエン観光
8日目 帰国


1日目 ホノルル気分

午後、伊丹空港から成田空港行きの全日空に乗り込む。
定刻通りに成田空港に到着。成田空港では全日空は第1ターミナルに到着。
荷物を受け取って国際線の搭乗手続きをしようと出発フロアに移動。
しかし今回利用するニューギニア航空は第2ターミナルだった。成田空港の無料ターミナル移動バスはあるものの第3ターミナルもできたことでターミナル間の移動に思ったよりも時間を要した。乗り継ぎ時間には十分猶予を持っていたので良かったものの成田乗り継ぎの際は国内線の到着ターミナルは要確認だと再認識した。

第2ターミナル内の無料のラウンジで時間を潰し、午後7時にニューギニア航空にチェックイン。ポートモレスビー到着後そのままゴロカに乗り継ぎだが荷物は一旦ポートモレスビーにて受け取るようだ。
成田の出国手続きを終え、出発ゲートへ。ポートモレスビー行きのゲートは71番。向かいの72番ホノルル行きと同じフロアになっており、明らかに行くお客さんの層とテンション違いがちょうど真ん中あたりでぱっくりわかれており、異様な雰囲気。ホノルル行きのお客さんはすでに自撮り棒なんか取り出してキャピキャピしている。一方でポートモレスビー行きは帽子を目深に被り静かに座っている人が多い。おぉぉ、すでに旅は始まっているなぁとその光景を見て興奮気味の私。

ほぼ定刻通りに機内へ乗り込む。期待した以上に立派なテレビがついており、日本の映画も数本あった。食事も美味しく満足。


2日目 モコモコ

約6.5時間のフライトの後、ポートモレスビーに到着。
入国審査はパプアニューギニア国民とそれ以外の国籍のビザ保持者とビザなしの3レーンにわかれていた。私はアライバルビザを取得するためにビザなし(アライバルビザ取得)の列に並ぶ。英文の日程表を見せるとなんと無料でビザ取得できた(2014年の初め頃から無料になったそうだ。また英文の日程表でなくてEチケットでも最後の出発日が確認できるものであればいいらしい)。
荷物検査は思っていたよりも厳しい。カバンの中はもちろんスーツケースも開けられる。入国カードの税関申告の欄に食べ物を持ち込んでいるか否かの項目があるので、なにか持ち込むのであれば必ず「はい」にチェックすること。他の項目は多額の現金を持ち込んでいるかどうかなど一般的には全て「いいえ」の質問ばかりなので食べ物の欄も「いいえ」にしそうだが、虚偽申告と難癖をつけられることもあるそうなので注意。

ポートモレスビーではPNGジャパン現地代表をしていらっしゃる上岡さんと合流。国内線にチェックインを済ませ、両替。1週間の滞在の場合だとは2万円はあったほうがいいとの情報を聞いていたので2万円を両替。
乗り継ぎ時間にかなり余裕があるため空港近くのゲートウェイというホテルに朝食を食べに行くことに。そのゲートウェイホテルの朝食が朝6時から開くそうなのでそれまで空港のベンチで上岡さんにパプアのことをいろいろ伺っていた。そこへ私と同じニューギニア航空に搭乗していたと思われる上岡さんとお知り合いの日本人の女性がいらっしゃった。上岡さんはその方を私に、旅行作家さんなんですよ、と紹介していただいた。あまり私は本を読まないため存じ上げず申し訳ないなぁと思っていたら、なんと私が空港の待ち時間で読んでいたパプアニューギニアについての本の著者の山口さんであった。出発前に電子書籍の中から今回の旅に役立ちそうな本をいくつか購入した中に山口さんの著書があり、ついつい読み入ってしまいパプアニューギニア到着前に読み終えていたのだった。私のような若輩者が上岡さんと山口さんというパプアニューギニアについての超エキスパートの方とご一緒出来るなんて幸運なことだろう。(実際、山口さんの作品はこの紀行文を書くのにもためになりました。ありがとうございます。)
ホテルでパンとコーヒーの朝食をいただき(20キナ、約1000円)、空港へ戻り国内線の搭乗手続き。国内線の荷物検査も結構厳しい。上岡さんにはありがたいことに搭乗ゲートまでお見送りしていただいた。

ゲートウェイホテルのレストラン


ゴロカ行きの飛行機


<ゴロカ>
パプアニューギニアの中で真っ先に訪れるべき町を挙げるのであればゴロカであろう。800を超える言語と多様な民族が存在するというパプアニューギニアおいて中には、観光客に神聖な舞踊を見せることは古代から伝承されたしきたりに背くこととしてタブー視する部族も数多いが、その点ゴロカでは奇抜でユニークな民族達の踊りと暮らしを手軽に垣間見ることができる貴重な村が多数存在する。その部族の中でも特に有名なのがマッドマンだ。およそ10キロもあると言われる大きな泥のマスク。全身には泥を塗り、まるで亡霊か精霊のような出で立ち。もちろん観光は少数民族だけではない。パプアニューギニア最高峰・ウィルヘルム山登山の拠点であり、賑わいを見せる町中の青空市場、名産のコーヒー工場。そして一大観光地であるにも関わらずそこに住まう素朴でフレンドリーな人々にきっとあなたも魅了されるはず。

ポートモレスビーからゴロカは約1時間のフライト。
到着したゴロカの空港はこれまで旅した中でも、これが本当に空港?と聞きたくなるほどの小屋のような建物。もちろん荷物を受け取るベルトコンベアはないので空港のスタッフがテーブルの上にどんと置き、一つ一つ渡していく。素朴だなぁ。

素朴なゴロカ空港


ゴロカの空港ではPNGジャパンのゴロカ支店の見形さんがいらっしゃってくださった。ゴロカの街は空港を中心に広がっており、すぐ近くにスーパーマーケットに携帯電話ショップや銀行、郵便局さらにラジオ局がある。空港を中心に街が形成されているのは飛行機が主な交通手段だというパプアニューギニアならでは。
ポートモレスビーの空港付近は全く見かけなかった赤土と緑の山々のコントラストと人々のエネルギー溢れるカオスな雰囲気をゴロカではすぐに感じられ、パプアニューギニアに来たことを実感した。
空港から車で約2分のホテル、パシフィックガーデンホテルにチェックイン。

<パシフィックガーデンホテル>
ゴロカの中心部に位置する自然に囲まれたロッジ風のホテル。ゴロカ周辺の部族をモチーフにしたアート作品が展示されておりなかなかお洒落。広めの室内にはテレビに冷蔵庫、湯沸し器、アイロン、ドライヤーがあり、いたって清潔。室内で無料のWIFIもあるが速度は遅い。バスタブはなくシャワーのみ。水圧は強くないがお湯は比較的すぐに出た。スリッパやセーフティーボックスはなかった。レストランではソフトドリンクはもちろんビールもあった。食事も美味しい。

しばらくホテルでシャワーを浴びて休んだ後、昼食のジンジャービーフ(30キナ、約1500円)を食べて、午後の観光に出発。

パシフィックガーデンホテルお部屋


パシフィックガーデンホテル外観


パシフィックガーデンホテルのレストランはなかなか旨い


<グルポカ山ハイキングとモコモコダンス>
ホテルから唯一の舗装された道を走ること約20分。赤土むき出しの脇道の前に車を停める。ここが村の入り口だとは、一般の通りすがりの人たちには分からないだろう。
車を降り乾燥した土埃が舞い上がる道を歩くこと数分、グルポカ山の麓にあるコレコレト村の村人たちの姿が見えてくる。
村人たちにアピヌンと挨拶すると向こうも柔らかい笑顔であいさつを返してくれる。パプアニューギニアの公用語ビジン語の挨拶「アピヌン」とはアフタヌーンが訛った言葉らしい。なので基本英語が元になっており簡単な英単語さえわかればなんとなく現地の人ともコミュニケーションが図れる。
村ではこれからグルポカ山を案内してくれるという部族の少年がすでに伝統的な出で立ちで我々を待っていた。大事な部分を守るためのバナナの葉っぱで作ったまわしをつけている以外は裸で、全身には泥や炭で描いたボディーペイント。否が応でも期待が高まる(何が?)。
コーヒーやバナナ、サツマイモの農園のある山道を抜け、急勾配の坂道を登ること数十分。途中、生贄を捧げるために使ったとされる岩場がある。村から豚や人間をこの山の中腹まで連れてきて殺してその頭を岩の上に置くことで、神からのパワーを授けられると信じられていたそうだ。また人食を行ったと言われる洞窟もある。カニバリズムについて話にはよく聞くことはあるが、ここがその現場ですと言われると、俺生きて帰れるかなぁ、となんだか暗い気持ちになった。山から帰ったら食事の準備なんかしていて、今日の食材は「俺」だったりするのかなぁとマンガみたいなことを考えた。

ガイドの男の子


さすがは戦士だけあってどんどん登って行く


さすがは戦士だけあってどんどん登って行く


畑の農作物や途中の説明を聞きながらゆっくり山を登ったので、トータル1時間ほどだろうか、頂上に到着した。グルポカ山の頂上には十字架があり、カトリック信者が多い現在はお祈りの場としても使われるそうだ。頂上からはゴロカ一帯の、険しい山並みの連なる壮大な風景を一望できる。なぜゴロカからポートモレスビーまでの幹線道路が敷かれておらず、飛行機での移動手段がメインなのかが理解できる光景である。

グルポカ山からのゴロカの眺め


カニバリズムのおこなれたという洞窟


グルポカ山頂上


帰り道


下山して村に戻ると、次はモコモコダンスを見せてくれるという。モコモコダンスとは何だろう?と思いながらも村の広場まで連れてこられ、木製の手作りベンチに腰掛けてしばらく待つ。広場の中心では焚き火がパチパチを音を立てて煙が上がり始めた。そうすると煙の奥から全身ボディーペイントの仮面をつけた戦士が現れた。両手には槍のような武器を持っている。ダンスといっても機敏な激しいものではなく、身体を上下させたり槍を突き上げて小走りしたりするのがほとんど。徐々にこちらに近づいてきて、小声でモコモコ言っていることに気づいた。モコモコモコモコ…..モコッ!!.... モコモコモコモコ…..モコッ!!と時々何かを思い出したように後ろを振り返る。そのするうちに別の戦士も集まり大所帯になった。大人数になっても踊り方は先ほどと同じ。仮面の戦士が中心となって皆口々にモコモコ言いながら身体を上下に揺らし小走りする。
モコモコダンスは部族闘争の戦いから村に帰還した男たちが、祝いの踊りとして行うそうで、男女の出会いの儀式の意味もあるそうだ。勇ましさというよりも我々旅行者から見ると可愛らしさを感じるかもしれない。

煙の中から現れる


モコモコモコ・・・・


人数が増えた


モコ言いながら小走り


モコモコモコ・・・・・モコッ


モコモコダンスのメンバー


モコモコダンスのメンバー


モコモコズのメンバーと


モコモコダンスのメンバーの股間


モコモコダンスを楽しんだ後は村人ハンドメイドのお土産を物色する。パプアニューギニアのカバンとして知られるビルムや貝殻のネックレスなどが売られていた。こういう観光地ではかなり商売熱心だったりするものだが、パプアニューギニアの人々はあまり押し付けがましくなく、何も買わなくともフレンドリーな笑顔を振りまいてくれるのが嬉しい。素朴な人々にあって私の心も洗われたような気分になってコレコレト村を後にした。

コレコレト村の女の子


コレコレト村の男性


町中のスーパーマーケットに立ち寄り、飲み物を購入してホテルに戻った。
夜はホテルのレストランでヒレ肉のペッパーソースステーキ(50キナ 2500円)とビール(10キナ 500円)で夕食。
この日私の頭のなかはモコモコモコ・・・と、つい口からでそうなほどモコモコダンスのことが忘れられなかった。

3日目 ザ・マッドダンス

朝8時半に朝食。イングリッシュブレックファースト(38キナ 1900円)。
9時にガイドさんと合流して観光に出発。
この日はマッドマンダンスとシンブー地方の伝統文化を観光する予定だ。

まず向かったのは町中のマーケット。昨日ガイドさんにマーケットで写真を撮らせて!とお願いしたのだ。
マーケットで最初に向かったのはビートルナッツ売り場。日本語だと檳榔。台湾でセクシーなお姉さんが売っているやつというと知っている方も多いかもしれない。ビートルナッツを口の中でくちゃくちゃしながらマスタードの茎に石灰をつけかじる。口の中でこれらの3つが混じり合うとなぜか口の中で真っ赤になる。タバコのような嗜好品だそうで噛んでいるとフワフワとした陶酔感をえられるそうだ。口の中に溜まった水分をペッ、ペッと吐き捨てるため道のいたるところには赤い唾の跡が。景観的によろしくないので公共の場ではブアイ禁止の張り紙をちらほら見かける。私もトライしようと思ったが今から観光に行くのに口の中を真っ赤にしたくなかったのでビートルナッツを少しかじっただけで諦めた。
ブアイ実際噛んで見せてくれた男性 うれしそうだ


マスタードの茎を売るおじさん


ゴロカのB級グルメストリート


ゴロカの娯楽 ダーツ


マーケットではダーツ屋さんも見かけた。町の人たちの数少ない娯楽の一つのようで数多くの大人の男性がダーツに興じていた。五本投げて規定の点数よりも良いスコアが取れたなら賞金や景品がもらえるそうだ。私もトライしたがまず的に当てるのが精一杯。それに比べ地元のおじさんたちはすべて的の中に的中させていた。うまいなぁ。
ゴロカのマーケットでは写真を撮っていると、いろんな人から俺もとってくれ、俺もとってくれと言われる。それを見たまた別の人から、俺をとってくれ攻撃が始まる。見形さんは申し訳なさそうな声で、消していいですよ、おっしゃってくれた。

ゴロカのマーケット


ビートルナッツ売りのおばさん


髭のおじいさん


芋をたべていたおじいさん


こら!俺のバナナも撮ってくれ


たのまれてとった写真1


たのまれてとった写真2


たのまれてとった写真3


たのまれてとった写真4


たのまれてとった写真5 ほかにもたくさん


マーケットを後にしてマッドマン観光に向かう途中、ハイランドハイウェイで最も標高が高いダウロ峠へ。標高は約2500m。ここまで来ると全く気温が違う。その後、ガイドさんの知り合いにハイランド地方の伝統的なお家を見せてもらった。ハイランド地方は標高の高さから朝夜は冷え込む。そのため円形のお家を作り室内の真ん中には焚き火ができるスペースがある。

ハイランド地方の伝統的な住宅


草木も生き生きしているようにみえる


<マッドマンダンスとムームー料理>
ついにこの時がやってきた。自分の目でマッドマンを確かめる時が!パプアニューギニアに来たのはこのマッドマンダンスを見るためだといっても過言ではない。
アサロ渓谷の村に到着。ゴロカで一番の観光地だというのに大げさな看板などは一つもない。村に入るとまずハワイでいうレイのような花の首飾りをかけてくれて歓迎してくれる。その後村の案内を受け、サツマイモやトウモロコシ、ババナ、レモンの農園や村の内部を一通り見学した。見学が終わるとマッドマンダンスの行われる広場まで連れて行かれる。
まず登場したのは弓矢を持った戦士。獲物を狙っているようでそろりそろりと近づいてくる。獲物を発見!と思ったら獲物は私のようで弓を引いて追いかけてきた。観光客のつかみはこれでOKなのだろう。
狩りのパフォーマンスのあとは火おこしのパフォーマンス。太い木の枝と木の皮の摩擦で、枯れ木にものの数分で見事に火をつけた。火おこしのパフォーマンスはこれまで何度か他の国でも見たが最も原始的な道具にもかかわらず短時間であったように思う。昨日のモコモコダンスと同様に枯れ葉に火をつけ煙がもくもくと上がるとマッドマンのシンシン開始。
煙の向こうから現れたマッドマン。動きはスローモーション。マッドマンの表情はそれぞれ個性的で怒っているような顔や笑っているような顔、おとぼけ顏や無表情まで様々だ。手には弓や槍、長く尖った爪に棍棒など様々な武器。焚き火の燃える音だけが聞こえる静寂の中、物音も立てずに迫り来るマッドマン。我々はこれらがパフォーマンスだと分かっているから少しコミカルに思えるがこれが日の暮れた時間帯に行われたらどうだろう。暗闇の中から現れた白いマッドマン達は神秘的で神の使いか自然の精霊のように感じられただろう。

マッドマンダンス


無言


日本にもこういう怖い人いますよね


爪が伸びてる


マッドマンの成り立ちを説明しよう。部族闘争がさかんな時代、土地を奪われた部族がアサロ渓谷の沼地まで追いやられたところから始まる。沼地で偶然転んだ戦士。身体中が泥だらけになった。そこへ追いかけてきた敵対する部族はその真っ白な身体に驚いて、お化けだと勘違いして逃げていったそうだ。
昨日訪れたグルポカ山では生贄を捧げていた場所があったというから、ここに住む部族達は自然の中に神の存在を信じていたと考えて間違いはないだろう。彼らにとって自然や人間を超越した精霊や亡霊というものは畏怖の対象だったのである。
そのため マッドマンダンスと言いながらも、お化けなので音も立てないし動きもゆっくりなのである。モコモコダンスは戦士の踊りであり求愛の要素もあったからマッドマンのそれとはそもそも目的が違うのだ。
今度は暗闇の時間帯にマッドマンショーを見てみたいと思った。

マッドマン達と集合写真を撮ったあとはみんなでムームー料理。
ムームー料理とはイモや鶏肉、野菜をバナナの葉を幾重にも重ね、その上から焼いた石で覆い蒸し焼きにする料理である。イモや野菜はすべて地のもので来客や祝いの席では鶏肉や魚が入ることもあるそうだ。バナナの葉っぱの芳しい香りに誘われて美味しくいただく。パパイヤやパイナップルなどの果物も美味しい。

村の人々に別れを告げ、次なる目的地に移動する。

マッドマン達と集合写真


マッドメン


マッドマン


ムームーはなこうやって食べるのがうまいんだ!


どうだ!


ムームーに狂喜するマッドメンと村人


<シンブー地方の伝統文化観光>
マッドマンの村から車で数分。シンブーというゴロカのあるイーストハイランド州の隣の州の民族の伝統を伝える村がある。
村のガイドさんが村の中を一通り案内してくれる。例にもれずこの村も農園に溢れ、美しく手入れされている。
村の広場で最初に披露されたのが歓迎の踊り。これまで踊るのは男性ばかりだったので半裸の女性が出てきてびっくりした。紐状のスカートに、腕には花の飾り、首には貝殻のネックレス、頭には鳥のカラフルな羽。これまでの男性的なシンプルな装飾から一転華やかな衣装だ。
次に顔のペイントを実演してくれる。植物や泥など自然の素材でメイクをする。もちろん私もペイントしてもらった(割と現地の人がウケてくれるのでこのままホテルに戻るまでメイクはとらなかった)。
そして植物から繊維を取り出し糸を紡ぐ方法や弓矢の実演、伝統的な楽器の実演を見せてくれる。かつて楽器は仲間を呼ぶ手段として使われていたが今は携帯があるので、こういった楽器は悲しいかな、今つかうことはないそうだ。そして男女が互い違いに座って歌を歌うカリムレックというお見合いの儀式に参加し、最後に演者全てが集まってシンシンをして終了。

シンブー州の伝統メイク


植物から繊維を取り出し編み物を作る


自然と手元より胸に視線が行く


シンブー州の伝統的な弓矢の実演


シンブー州の伝統的な楽器の実演 低くビィィィィンという


怒ってる?


怒ってない


くわっ


これにて今回のゴロカの観光は終了。明日はラバウルに旅立つ。

4日目 穏やかな人々

フレンチトーストの朝食(28キナ)をとったあと朝8時15分にホテルの入り口にて見形さんと合流。町中の空港へ。
この日はゴロカからポートモレスビーを乗り継いでラバウルへ。
ゴロカの空港にてチェックイン。通常だと国内線同士の乗り継ぎだとそのまま目的地(今回の場合はラバウル)までスルーでチェックインできるそうなのだがこの日はシステムダウンらしくポートモレスビーで一旦荷物を引き取って再度チェックインしてくれとのことだった。
見形さんと2日間お世話になったガイドのアレックスに別れを告げて一路ポートモレスビーへ。
約1時間のフライトのあと空港では現地人の係の方がお出迎え。荷物をピックアップして、ラバウル行きにチェックイン。ラバウル行きの出発まで約4時間あるので、初日と同様、ゲートウェイホテルのエアコンが効いたレストランで出発の時間までレポートを書いたり本を読んだりして過ごした。
ボーディングタイムの45分前にホテルから空港へ向けて出発。今回もお見送りのスタッフの方が搭乗するまで見届けてくれた。アナウンスはあるものの何を言っているか分からず、電光掲示板もないのでこうしてスタッフの方が来てくれるのは心強い。
ラバウル行きはゴロカ行きよりも少し広めの2-3の配列だった(ゴロカ行きは2-2)の配列。といってもゴロカ行きの方が便数が多い。
約1時間半のフライトの末、ラバウルにオンタイムで到着。飛行機から降りると海に囲まれているからか湿った生温かい空気がほほを撫でつけるのを感じた。到着した飛行機はラバウルに経由したあとそのままケビエンに飛び立つ。
空港ではこの日宿泊するココポビーチバンガローリゾートのスタッフが迎えに来ていてくれた。ラバウルではゴロカでは見ることがなかったヤシの木がたくさん並んでいた。ラバウルに関しては小説などで多少馴染みがあったのでここを拠点として日本軍がガダルカナル島での死闘を戦ったと思うと胸から込み上げるものがあった。

元々は日本軍の戦闘機の発着地だったというラバウル空港


<ココポビーチバンガローリゾート>
ラバウル空港から約15分。ココポの町の中心部にココポビーチバンガローリゾートはある。ココポビーチバンガローリゾートはその名の通りブランチ湾のビーチに面した数棟のバンガローを要するリゾートホテルだ。レセプションは中央の建物で行う。バンガローは木製の温かみのある造りでかなり広め。天井にはシーリングファン、テラスからの眺めはパーシャールシービュー。バスタブ、ドライヤーやスリッパはないが冷蔵庫、セーフティーボックス、アイロン、湯沸かし器、エアコンも完備。室内ではWIFIは使えないがメインビルディングのロビーやレストランでは無料で使える。レストランからのビーチの景観も素晴らしく、リラックスしたひとときを過ごせること間違いなし。かつて福岡に住んでいたという日本語を話せる現地スタッフもおり何かと安心。

ココポビーチバンガローリゾート


ココポビーチバンガローリゾートのレストラン


ホテルのチェックインを終えて、ホテル周辺をうろうろ散歩。ホテルに面しているビーチ沿いをあてもなく歩いた。
野生的な雲と山の形、それに重なるように生い茂った深緑、そして夕日に照らされて金色に輝く海。幻想的な風景が続く中、地元の人々や国内の旅行者が思い思いに過ごしている様子を眺めた。そこには戦争という言葉など微塵も感じさせない穏やかで幸せな笑顔が溢れていた。

ホテルに戻り夕食のガーデンサラダとフライドポテトを食べた(12キナx2)。

ホテル近くのビーチにて 子供


ホテル近くのビーチにて 貝をほっていた女性


ホテル近くのビーチにて つりに興じる男性 つれていなかった


「これが我が家の自家用車」


5日目 ジロー戦

朝8時半に朝食のトーストとフルーツを食べてロビーに集合。
英語のうまいローレンスとかつて香川県に住んでいたという日本語は下手だけど気のいいガイド、チャーチルの二人のホテルスタッフと一緒にラバウルの戦跡を巡った。

<ラバウルの戦跡観光>
ラバウルはパプアニューギニアの北東部に浮かぶ、ニューブリテン島の北部に位置する小さな港町。ヤシの木が生い茂るトロピカルな植物相とタブルブル火山、ブルカン火山など噴煙を上げる光景はまさに映画の世界のようだ。このラバウルは第二次世界大戦時に日本軍が南太平洋諸島への侵攻の一大拠点としてガダルカナルの戦いなどに挑んだことで知られている。連合軍の最新鋭の兵器、豊かな物資と豊富な人員を前に日本軍はただ消耗を強いられ疲弊していくなか、輸送路を断たれた日本軍になす術はなく、終戦まで連合軍に占領されることはなかった。そのため町の中には戦時中のバンカーや爆撃機など貴重な戦跡が状態良く数多く残っている。

ココポ戦争博物館
展示の中で大部分を占めるのが第二次世界大戦時に日本軍が残していった軍事品の数々。戦車に高射砲、大砲、飛行機のエンジンにコクピットまで。ラバウル中に散らばっていたものを集めてきたらしい。中でも目を引くのはゼロ戦の綺麗な残骸。思ったよりも小さい。ガイドがゼロ戦のことをジロー戦、ジロー戦と呼ぶのでまさか設計者の堀越二郎への敬意からゼロ戦をあえてジロー戦と呼ぶことがここでは一般的なのか、と思ったがただ訛っていただけだった。

ズパパパパパパ!!!!


おちゃめな管理人


戦車1


戦車2


ブルーラグーン(又の名をワーフトンネル)
青く透き通った入り江のそばにあるトンネルで、かつて日本軍が食料を備蓄したり生活する場としても活用したそうだ。奥にはさらに深いトンネルがあり別のトンネルとつながっている。いまはコウモリたちの巣窟となっている。

艀の格納トンネル(又の名を大発トンネル)
波止場と本船の間を往復する小型船の格納庫。奥は暗闇となって見えにくいが5隻格納しているらしい。特に一番手前のトンネルから見える艀は状態が良い。

5隻も格納されているトンネル


トンネル近くに住む人


ラバウル旧飛行場
かつて日本軍が使っていた東飛行場。1990年代の相次ぐ噴火により都市機能を北部のラバウルから南東に約20キロ離れたココポに移転した。空港も同様で今は全く使っておらずそのためさら地状態。近くに爆撃機の残骸(連合軍からの通称から現地の人々からはBetty Bomberとも呼ばれている)がある。苔むしたその姿からはかつての殺戮兵器だったころの面影はなく、むしろ芸術的な気品さえ感じられる。

ベティボンバー


ベティボンバー付近を掃除するいかついおじさん


南太平洋戦没者の碑
日本政府とパプアニューギニア政府が共同で建立した、南太平洋で命を落とした戦士たちの記念碑。シンプルなつくり。

ヤマモトバンカー
海軍司令部の地下壕。連合艦隊司令長の山本五十六がブーゲンビル島上空にて撃墜されるまでここで指揮をとっていたそうだ。中は10畳くらいの広さのスペースで幾つかの司令室らしき小部屋に枝分かれしている。じっとしているだけで汗が出てくるくらい蒸し暑い。

山本バンカー


山本バンカー内


ニューギニアクラブ
ヤマモトバンカーのすぐ近くには日本軍の士官食堂だったニューギニアクラブがある。現在はオーストラリア軍、ドイツ軍、日本軍の資料館となっている。もともとはドイツ統治下時代の建物で現在は90年代に改築されたもの。

その後、ラバウルの町のメインストリートであったという大通りに未だ一軒だけ営業しているというラバウルホテルにて昼食。ラバウルホテルのレストランはチャイニーズコロニアル的な内装で、食事も鶏肉とインゲンなどの野菜炒めで中華風だった。

ラバウルレストランの中華料理


集合時間まで少し時間があるのでテレビを見る。パプアニューギニアのテレビチャンネルは一つだけであった。そのテレビ番組では中学生くらいの算数の授業を中継していた。内容は半径7cmの円の面積を求めよ、など幾つかの問いがあり各2分の制限時間が与えられる。時間になるとクラスの生徒が先生にあてられる。昼間に誰が見るんだこんなテレビ。
昼食の間、雨が一気にザザぁとふってきた。すぐに弱まったが午後からは小雨が降る中の観光となった。

昼食後、ラバウルのマーケットをそぞろ歩き。売っているものはゴロカとあまり変わらない。変わったものとしては巻きスカートのラプラプやタバコの葉っぱは細切れでなくて束で売られていたこと。

ラバウルのマーケットの女性


ゴロカよりもこじんまりしているマーケット


ラプラプうりのおばさん


たぶんファンキーなおばさん


マルマルアン展望台
ラバウルのマーケットを車で山道を走ること10分。ラバウル全景を見渡せるスポットへ。火山の形が美しい。

ラバウル全景


スズキバンカー
ラバウルから約1時間、ココポを抜け、さらに南に悪路の中車を走らせる。誰もこないような寂しげな海岸沿いにスズキバンカーと呼ばれる掩蔽壕がある。終戦後、このバンカーの中からミイラが発見された。どうやら戦時中、このバンカーに隠れて敵の攻撃から身を潜めていたらしい。しかし爆撃による攻撃か、もしくは飢えによってなくなり、ミイラ化した遺体がこのバンカーから発見された。身の回りのものからはスズキという名前はわかったそうだ。ガイドブックやWEB上には細かい情報はなく、ガイドのチャーチルに聞いてもそれ以上のことは分からなかった。

スズキバンカー


悲しげな流木


ビタパカ戦争墓地
オーストラリア兵士の合葬墓地。日本のものよりよく手入れされている。

ビタパカ戦争墓地


戦時中の日本の兵器や施設は日本では滅多に目にするとはないため私のような戦争を知らない世代にも興味深く見ることができた。しかし思ったよりも保存に関しては現地人に任せっきりなのが気になった。日本、そして全世界の負の遺産として状態よく維持できないものだろうか。特にゼロ戦や爆撃機の残骸など誰かが装甲をはがしたりすることもできなくはない。それに雨ざらしになっているので今後このままだと腐食が進んで原型をとどめられるのも時間の問題だろう。

地元の小学生と遭遇


一緒に記念撮影


ホテルに戻る途中スーパーマーケットに立ち寄って飲み物を買う。この日の夕食も昨日と同じガーデンサラダとフレンチフライ。

6日目 シャローゼロ
朝6時に起床。この日は半日シュノーケリングツアーに参加する。
朝食後、朝7時にフロントに集合。昨日と同じチャーチルと一緒にホテル面しているビーチへ。すでに小型のモーター船がスタンバイしている。

<半日シュノーケリングツアー>
ラバウルの海は美しい珊瑚礁と豊かな生態系を持つ世界屈指のダイビング・シュノーケリングスポットである。途中イルカ達の華麗な泳ぎで歓迎を受けながら、ホテルからモーターボートで移動すること約40分、ピジョン島に到着。その名の通り島の住人は鳥のみの無人島。ピジョン島は大小の2つの島からなり、島付近は潮の流れが良く、水質は大変クリア。手付かずの珊瑚礁やクマノミなどカラフルな魚達が突然の来訪者達を楽しませてくれる。浅瀬からドロップオフポイントまでバラエティ豊かな地形のためシュノーケリング初心者でもOK。お昼ご飯も持ってきてここでピクニックランチもいいだろう。

ラバウルの海の楽しみはこれだけではない。旧日本軍の南太平洋の一大拠点であった歴史から数多くの沈没船が未だ海底に眠っている。そのためダイバー達にはレックダイビング(沈没した戦闘機や輸送船などの難破船を見ることを目的としたダイビング)のメッカとして知られているのだ。その多くが海底の30mから40mなど初心者には難しい深さなので気軽には見ることはできないが、ラバウル新空港近くにシャローゼロ(shallow zero)と呼ばれる水深約3mに沈んだゼロ戦の残骸を見ることができるポイントがある。もちろんシュノーケリングでも、水面からもかつて世界最強と恐れられていたその雄姿を確認できる。

火山と地元の漁師


イルカも見れる


イルカと追いかけっこ


見事なサンゴ礁に囲まれた ピジョン島


火山とピジョン島


シャローゼロ


昨日と今日のラバウル観光でラバウルの歴史と自然を地上からも水中からも満喫したこととなった。

ホテルに戻ったのは11時。部屋に戻りチェックアウトの準備。
12時に部屋をチェックアウトした後はケビエン行きの飛行機に乗るため、午後3時までホテルのレストランにて休憩。

3時前にホテルをでてラバウル新空港へ。
ラバウル空港からケビエン行きの飛行機に乗り込み35分のフライト。
これまでよりも一層こじんまりしている素朴なケビエン空港に到着。
空港ではリセナンアイランドリゾートのスタッフ、野崎さんが迎えに来てくれていた。預け荷物を手渡しで受け取り、リセナンアイランドリゾートへ。

ケビエン空港


黄昏の船乗り場


<リセナンアイランドリゾート>
ケビエン空港から車とボートで約30分。見えてくるのが緑のヤシの木に囲まれたリセナンアイランドリゾート。一目見てここがオシャレなリゾート島だと分かる人はいないはず。島内には高い建物だけでなく、街灯ももちろんない。電気はあるものの、雨水を再利用するためホットシャワーはなく自然の熱を利用したシャワーという環境に配慮したつくり。夜は静かな波の音が心地よく響き、朝は鳥の声で目覚める。一つの島に、それもたった7部屋しかない、まさに自然と一体になった感覚を体験できるリゾートと言えるだろう。
また見渡す限りの白い砂とペパーミントグリーンの海、貴重な青珊瑚の群生が目の前に広がる世界指折りの美しいスポットとして知られ、オーストラリアのダイビング雑誌では2012年から2年連続でベストダイビングアイランドにも選ばれた経歴がある。更には時には夕食には巨大なロブスターや牡蠣、刺身まで供されることもあるという。ダイバー、シュノーケラー憧れの島ありながら日本人スタッフもいるというお勧めの隠れ家的リゾートなのだ。
室内は可愛らしい、温もりのある室内には虫除けの蚊帳とシーリングファンがある程度のシンプルな造り。冷蔵庫、ドライヤー、スリッパ、テレビ、湯沸かし器などはない。WIFIはオフィス周辺であれば無料で利用できる。

リセナンアイランドリゾート


近海でとれたロブスター 特別な食事ではなく普通の夕食です。


夜7時に夕食を食べにレストランへ。
レストランではこんなに大きいの初めて見たくらいのロブスター。
結婚式場でも食べたことのない大きさに興奮。

7日目 牡蠣と海ブドウと私
朝7時半に朝食。トーストとシリアル、目玉焼き。
シュノーケリングギアをレンタルしてコテージの前のビーチにてシュノーケリングをして楽しんだ。
朝10時にホテル前のビーチからシュノーケリングツアーに出発。

リセナンアイランドリゾートにいたカニ


どこまでも犬かきで追いかけてくるリセナンアイランドリゾートの飼い犬


<マングローブ牡蠣採りとBBQ&ラル島のシュノーケリングツアー>
まず向かうのはホテルからボートに揺られ約30分、マングローブの生い茂る島。ただ船に乗っているだけでは面白くない、移動中はルアーフィッシングしながらお昼のメインディシュを釣り上げるのがケビエン流。マングローブ林に到着。ここで目にするのが岩牡蠣ならぬマングローブ牡蠣。日本の牡蠣よりも大ぶりなマングローブ牡蠣はナイフで枝からこそぎ落とす。近辺の岩場では、これまた日本人の大好物、海ぶどうが自生している。食べる分だけの牡蠣と海ぶどうを仕入れたら、BBQの舞台ラル島へルアーフィッシングをしながら向かう。ラル島は徒歩5分で一周できるくらいのサイズの無人島。枯れ木を集め火をおこすところからスタート。ホテルから準備してきた食材をBBQスタイルで皆とワイワイ調理。牡蠣は生でも焼きでもお好みで。食後は腹ごなしに手付かずの珊瑚と多種多様な魚が溢れる透明な海でシュノーケリング。まさにケビエンの自然にどっぷり浸かったワイルドな体験だ。

マングローブ牡蠣


牡蠣ハンター


海ブドウもある


ラル島でBBQ ロブスターはホテルから持参


リセナンアイランドに到着したのは午後4時過ぎ。
シャワーを浴びたあとはビーチへ赴き、暮れなずむ夕日を見ながらリラックスしたひと時を過ごす。

この日の夕食は大きな白身魚。

8日目 義務教育
5:50のポートモレスビー行きのフライトに乗るため、朝4時にリセナンアイランドを出発。野崎さんが朝食のサンドイッチを持たせてくれた。
ボートと車を乗り継ぎ空港へ。まだ真夜中の海上を高速で爆走するモーターボートはジェットコースターのようにスリル満点だった。
ケビエン発の飛行機は往路と同様、ラバウルを経由してポートモレスビーへ。同日で成田行きに乗り継ぐ予定だが、国際線へのスルーチェックインはできなかった。
ポートモレスビーに到着後、一旦ポートモレスビーにて荷物の受け取りと国際線のチェックインを済ませる。成田行きのフライトまでかなり時間があるのでPNGジャパンのエミリーさんがポートモレスビーにて簡単な市内観光をしてもらった。

<ポートモレスビー市内観光>
もし乗り継ぎに充分時間があるのなら是非ポートモレスビーでの市内観光をお勧めしたい。特にバードサンクチュアリと言われるパプア国内から珍しい鳥類を集めた公園は国内外の観光客に大人気。こじんまりした園内に放し飼いをしており、餌付けしているためパプアの国鳥である極楽鳥を間近で見られることも。
手付かずの自然と原始時代からの風習を守る民族がいる一方で、高度経済成長を遂げるポートモレスビー。ウォーターフロントエリアには大型スーパーマーケットが建ち、高層ビル群を建設中だ。パプアニューギニアの経済的な一面を知ることになるだろう。

観光終了後、空港に到着しドライバーさんからの見送りを受け、お別れ。
成田行きはほぼ定刻通りに出発。

8日間パプアニューギニアを旅して、人間の原風景というものがあれば、パプアニューギニアこそがそれそのものなのではないかという気がした。損得勘定などない素朴でフレンドリーな人々、そして自然を畏れ神のスピリットを信じ、借り物でない独自の文化をもち続ける彼らを見ると彼らが特殊な慣習・文化をもっているのではなく、我々が不自然な生き方をしている気がした。先輩社員のほめ言葉を借りるなら「義務教育にして日本人全員いかせたい」と思わせた国である。
本来の自分の心のありようを確かめるという意味で、心の洗濯をするには最適な国だと思う。人間はやっぱりいいね。

予算・物価・お土産
物価は日本と同程度か少し高い。食事の予算は飲み物込みで1回40キナ程度(2000円)。お酒を飲むのであれば1缶10キナするので多めに心がけよう。チップは不要。お土産はブルーマウンテンコーヒーの粉末パックが人気で1つ15キナほど。ホテルや外国人観光客が利用するお店では大抵ビザかマスターのクレジットカードが利用できる。

ネット環境
ホテルでは無料のWIFIが大抵利用できるが、速度は大変遅い。SIMカードは空港や町中の至る所に売られている。

治安
ガイドと歩く分には全く問題ない。しかし特に都市部(ポートモレスビー)では一人歩きは控えたい。もし行きたい場所があるのであればガイドやドライバーに相談しよう。地方(ゴロカなど)では一人歩きする場合には夜中や暗い時間帯は控え、高価なカメラや時計はせず、手持ちのお金もごく一部に心がけよう。

マラリア
ポートモレスビーやハイランド地方では不要。セピック川・フライ川流域ではマラリア予防薬の服用をお勧めする。またそれ以外の地域でも念のため服用をしたほうが確実だが副作用もあるため服用しない観光客も多い。その場合は虫除けスプレーや蚊取り線香、長袖・長ズボン、黒の洋服を着ないように徹底したい。

今回の旅行ではパプアニューギニア政府観光局の山田様、ニューギニア航空の鈴木様、そして文中にもお名前を出させていただいた現地にてご活躍中の皆様の御協力にて無事終えることができました。心より御礼申し上げます。

(2015年5月 橋本康弘)

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